月の輪通信 日々の想い
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ゲン、叱られ週間に入っている。 いったん叱られ週間に入ると、日々のささやかな言動にいちいち母のチェックが入る。 父の小言が入る。 説教ジジイと化したオニイの説教も入る。 ちっちゃい母さんであるアユコのチクリも入る。 そして、アプコも尻馬に乗る。 さぞかしやりにくい事だろう。
発端は「返事」のこと。 近頃ゲンは「返事」をしない。 呼ばれたり、用事を言われたときに聞こえていなかった振りをする。 対面して話している最中に突拍子もなく違うことを言い出したり、別のことをやりはじめたりして、話題をそらす。 少し前から気になっていたのだが、最近になって他の事と絡んで問題が明らかになってきたので、一挙に矯正しようという流れになった。
最近の子は確かに返事をしない。 親子の間だけに限らず、先生と子どもの間でも、子ども同士の間でも、そしてもしかしたら、大人同士の間でも「返事」という習慣がおろそかにされているような気がする。 たとえば親が子どもに用事を頼む。 「○○ちゃん」 「ハイ」 「新聞とってきてくれる?」 「はい」 これが教科書どおりの会話だろう。 最初の「ハイ」は「聞こえたよ」という意味の「ハイ」 あとの「はい」は「とって来るよ」という意味の「はい」 こういう状況に立ったとき、子ども達はしばしば最初の「ハイ」を省略する。 「んん?」と振り返ったり、手を止めてこちらに注意を向けるということすらしないこともある。 そしてあろうことか、そのあとの「はい」すら省略して、無言のまま新聞をぽいと手渡したりする。 結果、口を開いているのは親だけで、会話が成り立たないまま、用事は済んでしまう。
さらに進んで、一対一の会話の最中に相槌を打たない。 うなずいたり、首を傾げたり、そういうしぐさもあまり見せない。 「聞いてるか?」と尋ねても、「うん」というそぶりが見えない。 自分のやっている作業の手を止めるとか、顔を上げて相手の顔を見ながら話を聞くとか、要するに「あなたと会話しています」という表現がまったく見えないことがある。別に「悪意があって」とか「相手に反抗して」というのでなくて、ただ本当に話を聞いているということの表現がとてもとても乏しい。 当人に悪意はなくても、話しかけているほうは、相手から「聞いています」の表現が受け取れないと、とても気分が悪い。 石の地蔵さんにでも説教をたれているような、無力感が漂ってしまう。
ゲンの場合は、たまたま「自分のやりたいことに没頭していて」とか「自分に都合の悪い話題を避けようとして」とか、都合の良い意図があっての「無反応」であることが多いが、時には目の前で話している人の言葉をまるで一方的にしゃべるTVの声を視聴するようにただ聞き流して、それを「会話している」と勘違いしている場面もよく見かける。 相手の無反応にイライラして「わかった?」「聞いてる?」と何度も相槌を求めたりするが、子どもたちはまったく悪意もなく、人の言葉を聞き流す。 一通りの内容を話し終えて、「分かったね?いいね?」と念を押して、とりあえずその話は終わらせてしまうが、それでも、しっかり話を伝えたという実感が持てない。「うん」という確認の表現が省略されるからだ。
先日話題になったドラマに、「ハイ」という言葉をとても美しく使う女の子が登場した。父に呼ばれて「ハイ」。話の途中の相槌にも「ハイ」。承諾や納得の意味にも「ハイ」 あまりに素直な少女の笑顔が痛々しく感じるほど律儀な「ハイ」の繰り返しに違和感を感じている自分に気がついた。 考えてみれば当たり前の「ハイ」という言葉があんなに新鮮に美しい言葉に聞こえたのは、日常生活の中で使われるいろいろな意味での「ハイ」という言葉が、どんどん省略されてしまっていることの裏返しなのかもしれない。
大人の方でも、だんだんに子どものそうした「無反応」になれてきて、いちいち返事や反応を求めなくなってきてしまってはいないか。 「○○ちゃん」 「・・・」 「新聞とってきて」 「・・・」 相手からの返事がまったく発せられなくても、とりあえず相手が立っていって新聞をぽいと手渡してくれさえすれば「ありがと」と用は済んだとおわりにする。 そんな小さな一こまの積み重ねが、しっかり相手の目を見て話をしない、返事をしない、相槌を打たないという石の地蔵さんのような子どもを育てているのではないだろうか。 そういう大人の側の反省もあって、とりあえずしばらくはゲンを叱る。
しゃべり始めたばかりの幼児の名前を呼ぶ。 「はあい」と小さな手を上げてお返事をする。 あの愛らしい最初の言葉の学習は、自分のほかに誰かがいて、その人と関係を持つためには「はあい」と声に出すんだよという、コミニュケーションの始まりを学ぶことだ。 幼稚園に入園して、新しい名札のお名前を先生がニコニコと笑いながら呼んでくれる時、「はい」と返事することが集団生活の最初の学びの課題になる。 日常の何気ない会話の中でも、「はい」という返事、「聞こえてるよ」ということを相手に伝えるしぐさや態度、会話する相手に心を向けるという気持ちは、人間関係の中の大事なルール。 「大きくなったから省略していい」ということでもないようだ。 とりあえず用が済んだらそれでよしと、「無反応」に慣れきってしまってはいけない。 「お返事は?」 「聞いてるの?」 「判ったの?」 しばらくはうるさがられても、しつこく返事があるまで繰り返してみよう。
と、ここまで書いたところで別のお話。 忙しい時間にたびたびかかってくる家庭教師や互助会の勧誘電話。 そのたびに断るのがうっと惜しくなってきたので、新しい作戦を考えた。 会話の途中でそれが勧誘電話であることがわかったら、そこから一切の返事や相槌を止める。 ただただ、しゃべり続ける相手の声を聞きながら、まったく声を出さない。 「もしもし?聞こえてます?」 と聞かれても、答えない。 時には受話器を上げたまま、その場を離れてしまう。 相手からの反応がないことに気がつくとそのうちあきらめて電話を切るようだ。 ここで意外だったのは、こちらの反応がまったくなくてもああいう電話の主は驚くほど長いこと一人で滔々としゃべり続けていることだ。 「・・・・ですよね?」 と疑問形で話している時でさえ、こちらの相槌や返事がなくても澱みなく次の話題をしゃべり続ける事が出来るようだ。 「会話」が成り立っても成り立たなくても支障がない、一方的なセールストークの無意味さがこんなところにあらわれるのだなぁと気がついた。
相槌も返事もしない子どもの無反応に慣れ、一方的な「会話」を仕方がないと見逃していくことは、こういう無意味なセールス電話と同じ穴に落ちることだ。 それがいまどきの当たり前と笑って済ませられるほど、私はまだ「無反応」に慣らされてはいない。 そして子ども達にも、「なんか、変」と思える感覚を残しておいて貰いたいと思う。
イラクの人質事件。 3人の方が解放されたというテロップが流れてからしばらく、現地から送られてくる断片的な映像や家族の方々の会見の様子を追いかけるように次々と眺めていた。 「無事で何より」 ほっとした気持ちとともに、何とはなしに、 「この人たちがこのあと、がっかりするような言動をしないでくれるといいなぁ。」 という微かな棘のような予感を持って映像を目で追っている自分に気がついた。 喜ぶ家族がある一方、新たに行方の知れない2人のジャーナリストの方々があるということが、まだまだ心の隅に引っかかっている。
子供が自分でやりたいと決めたことを、「自分の責任でしっかりおやりなさい」と送り出せる親になれるだろうか。 BBSで、子どもの立場からのご意見を頂いて、自分の子育てについていろいろ考えることの多い数日間だった。
「自分の人生は自分で決める権利がある。 自分で決めたことなのだから、それで命を失ったとしてもそれも本望。 親は子どもの意志を尊重して、見守ってやらなければならない。」 確かに正論であると思う。 出来る限り、子どもの巣立ちを笑顔で見送ってやれる強い母でありたいとも思う。 けれども口ではそんな体裁のいいことを言いながら、 「やっぱり私は子ども達を是が非でも引き止めるだろう」と考えている私がいる。
「自分の人生は結果がどうなろうと自分で選ぶ権利がある。」 子ども達が一人前になって、こんな言葉を親に対して投げかけるようになったとき、私はどんな気持ちでこの言葉を受けとるだろうか。 「よくぞ、これまで成長した」と嬉しく思うのだろうか。 「何を生意気な。一人で大きくなったような顔をして・・・」と腹を立てるだろうか。 人の人生は確かにその人自身のものではあるが、彼がどういう生き方を選ぶかと言うのはその人だけの問題ではない。 彼が危ない目にあえば、泣き喚いて彼を救おうとする家族がいる。 彼が居なくなれば、自分の半身を奪われたように苦しむ人がいる。 「命を失っても本望」 と言う決意は、うがった見方をすれば、 「自分の意志を貫くことさえ出来れば、周囲の人がどんな思いをしてもかまわない。」 にも通じることかもしれない。
「私は自分の夢をかなえるためにはどんな犠牲もいとわない」 「私は自分に正直に生きたい。」 一見、アクティブで積極的な理想の生き方のように思われるその言葉。 実は、私はこういう言い方をする人が嫌いである。 自分の決断によって周りに及ぼす影響。 自分の行動を心配しながら見守っている人の気持ち。 周囲の人たちが自分に期待している役割や立場。 そうした、ある意味ではまどろっこしいしがらみに過ぎない諸々の事情をすっぱりと切り捨てることの出来る人間を私はよしとしない。 我が子が自分の自由な意志を語るときに、そういう容易に振り切ることの出来ない引き綱の存在をいつも忘れることなく意識できる人間にそだっていって欲しいとも思う。 なりふりかまわず自分の夢を追うことの出来る人間もよいけれど、誰かのために自分の夢をあきらめることの出来る人生も私は等しく尊いと思うのだ。
解放された3人の映像と、日本で吉報を喜ぶ家族の人たちの興奮ぶりに微妙な温度差があるのに気づいて、私はニュース映像を追うのを止めた。 3人には、「わが身の危険を顧みることなく理想に燃えて戦地へ赴いた勇敢な活動家」のままでいていただいたほうが後味はよさそうだ。 見たくないものを見せられる前にTVを消そう。 今回の事件からは、もう充分な教訓を頂いた。 ひとまず、一区切りと言うことで。
私は幼い頃からボール遊びが苦手だ。 自分の手を離れたボールが手の届かない茂みにはいりこんでしまいはせぬか、水に落ちて流れていってしまいはせぬか、そんな怖れがいつもどこかに漂っていて、思うように遠くに投げることが出来ない。 それから私は飼い犬の引き綱を決して離したことがない。 離した途端、矢のように駆け出した愛犬が二度と戻って来ないのではないかと言う不安から、引き綱を思いっきり長くしながらも決してその端を離すことがない。 大事なもの、愛しいものをいつでも呼び戻せる場所にとどめておきたい。 私は臆病で貪欲な人間である。
昨日の日記について、BBSで真摯な感想を頂いた。 ・・・子供が命を賭けて未知の危険に挑んでいこうとするときに、親がその決意の芽を摘むのは親のエゴである。子供が自分の意思で道を開いていくのを妨害してはいけない。・・・ 広い世界に大いに羽ばたいていってもらいたいと願いつつ、なかなかその手綱を緩めることの出来ない臆病な母親である私には、とても痛い言葉であった。 今はまだ幼い我が家の子供達が、あと数年もすればこの方と同じ言葉で母の躊躇をなじる日が来ることもよく分かっている。 かつては自分の体の一部ですらあった子供達が、いつか自分の足で立つようになり、一人で園バスに乗り込んでいき、母の知らない人と出会い、母の知らない夢を描くようになる、その不思議。 親の「子離れ」の過程は、子の「親離れ」よりはるかにエネルギーがいるということが、母になって初めて実感として分かった気がする。
その実感の上にたって、再び想う。 子供達が、自分のなし得なかった夢や自分で持つことの出来なかった能力をかなえていく姿は親にとってすばらしい喜びである。 臆病な自分が出来なかった崇高な決意、狭量な自分が抱くことの出来なかった愛を子供達が勇敢にも成し遂げようとするとき、母は我が子を誇りに思うことだろう。 口では支離滅裂な泣き言を喚きながら、それでも最後は我が子の決断を認めて、涙をのんで送り出すより仕方がないのかもしれない。 ただ、その時の親は、子供の決断が実ったときの喜びとともに、それが実らなかったときの失望や愛するものを失う悲しみまでも、子供達とともに背負う覚悟を決めておかなくてはならないと私は思う。
ボールを遠くまで投げるのなら、それを自分の足で拾いにいくだけの力を持たなくてはならない。 有能な子供を育てその意志を尊重して旅立ちを見送るためには、その高い理想の結果として降り注ぐ喜びも怖れも余さず引き受けるだけの器量が、親にも必要となる。 子供が最後まで自分の意志を通そうと踏ん張っているときに、親は決して取り乱して泣いていてはいけないのだ。 伸ばした手綱の先で子供が力強く羽ばたけば羽ばたくほど、見守る親にも強い意志と覚悟が試される。
自らの意志を持ち、振り返りもせずに飛び立っていこうとする子供らの一部始終をいつも笑顔で見守って行くのには大変なエネルギーがいる。 その意味で、今の私は子供達の決断を取り乱すことなく受け入れる器量をまだまだ持ち合わせていないように思う。 子供達が自分の翼で親元を飛び立っていくまでのあと数年。 母の成長は、子供達の巣立ちの日に間に合わせることが出来るだろうか。
昼間はとても暖かくて、子供達はトレーナーを脱ぎ捨てて半袖Tシャツで過ごす。 この春買ったアユコのTシャツは初めて大人サイズのぴったりタイプ。 お子様Tシャツと違って短めの袖と少し絞ったウエストのおしゃれなデザイン。スリムなアユコには細めのジーンズとシャツのスタイルがよく似合う。 冬の厚着の季節から少しづつ着け始めて慣れてきたジュニア用のブラのラインが、白いTシャツの肩にまぶしく透ける。 青いつぼみのような少女の今だけの美しさ。 「かっこいいなぁ、アユコ。そういう格好が一番よく似合うねぇ。お母さんはそんなスリムなTシャツやジーンズ、着たことなかったなぁ。」 幼い頃からイレギュラーサイズで、市販のパンツをお直しなしで着こなした経験の無い母にとって、アユコの小枝のような若々しいスリムな体型はうらやましい限り。
自分では着られなかったスタイルの服を娘のために買う。 なんだか自分のことみたいに嬉しかったりするよなぁ。 そういえば幼い頃の自分には出来なかったこと、かなえられなかった夢を子供達が経験していくという事は親にとってちょっと嬉しいことかもしれない。 たとえば、息子が鉄棒で超ウルトラCを軽々と決めたりしちゃったら気持ちいいだろうなぁ。 たとえば、娘がなみいる求婚者を振り切って、相思相愛の玉の輿に乗っちゃったりしたら、どんなにスカッとすることだろう。 そんなあほらしい親ばかな夢を、自分のことのように妄想させてくれるから、未来ある子供達の存在はありがたい。
子供が成長して、いつしか親を超えていく。 嬉しくもあり、少し寂しくもあるその日がいつか来る。 親の知らない土地へ一人で旅立っていこうとする子を私は笑顔で見送ってやることが出来るだろうか。 イラクで人質になっている方の中に高校を卒業したばかりの青年が居た。 18歳にしてすでにフリーのライターとして社会問題に関心を持ち、危険な戦地に単身渡航していく正義感あふれる活動家。 仮にこんな優秀な好青年が我が息子であった時、私はその親に似合わぬ立派な成長振りを誇りに思うだろう。 けれども、見知らぬ異国の人のために命の危険を侵してまで戦地に赴こうとする息子を「がんばって行ってらっしゃい」と送り出すことはできないだろうなぁ。 息子の無謀を攻め、泣き落とし、「何もあんたが行かなくても・・・」と支離滅裂な論理で息子の正義感の芽を摘み取ってしまうことだろう。
その意味で、人質になった方々の家族のTVで見る記者会見の様子には複雑な想いがある。 悲壮なる決意で送り出した自慢の息子、自慢の娘だったのだろうか。 親の制止も聞かず、本人の強い意志で飛び立っていった子供達だったのだろうか。 「力を貸してください、お願いです、助けてください。」 母の涙は悲壮だ。 しかし、自分の、そして息子の決断が招いた当然の結果に取り乱すぐらいなら、私だったら子供達の夢を事前に摘み取っていただろう。 自分の出来なかったことを子供達が果たしてくる喜び。 その影には、自分では負いきれなかった苦難や責任を、子供とともに再び背負うという覚悟が母親にも必要なのかもしれない。
新学期が始まり、「誰といっしょのクラス?」「どんな先生?」と質疑応答の会話が増えた。 何せ、我が家は4人分。 小学生組は去年の持ち上がりクラスだし、オニイとアユコは去年の先生がそのまま今年も受け持ってくださることになっている。 アプコは年長さんになり、ころころとよく笑う中堅どころのかわいい先生のクラスになった。 まあ、おおむね「当たり」の一年になりそうだ。
この時期よそのお母さん達と出会うと必ず、「今年はどうよ?」と子供達の担任の話で盛り上がる。 「うちは大当たり」 「うちははずれかも・・・」 卑しくも一年間我が子の面倒を見て下さる先生に「当たり」「はずれ」は失礼千万な話だとは思うけれども、それでも先生達の技量や人柄で子供達の一年間の生活は大きく変わる。 ふたを開けてみたら、評判のよい先生で「わ、ラッキー!」 なんとなく悪いうわさを聞く先生だと、「げ、どうしよう」 そして前評判を知らない先生だと、「ねえねえ、○○先生ってどんな人?」 親の関心はどこまでも尽きない。 これほどあからさまにその仕事振りが「当たり」「はずれ」と断定的に評価される教師という職業は大変だなぁと思う。 4月当初に「あ、○○先生?はずれかも・・・」なんて自分が評価されているのを小耳に挟んだりしたら、あたしだったら凹んで「職場放棄」しちゃうかも・・・なんていらぬ心配をしたりする。
他人から自分のことを面と向かって「当たり」か「はずれ」かで評価される機会は、大人になるとぐんと少なくなる。 その代わり、「私はこの人にとって『当たり』の妻だろうか」 「私は『はずれ』の母ではないだろうか。」 と自らの当たりはずれを自分で評価することが多くなった。 そしてその判断の基準は年々甘くなる。 主婦として母として、そして女として積み重ねた時間を判断基準のかさ上げに使って、「それでも何とかやってきたのよ」と今の自分にあぐらをかく。 新しい自分を見つけることが大儀になる。 「相変わらず」の自分を無自覚のまま肯定する。 だめだなぁ、この年齢から「定位置」に安住してしまっては・・・ 4月になるたび、新しいドアを開け、未知の世界へ踏み出していく子供らの背を見ながら、自らの停滞を恥じてはうめく。
「さあ、新学期!」の新鮮な気持ち。 「何か新しいことを始めよう!」と立ち上がるきっかけの言葉。 「当たり!」「・・・はずれ。」と新しい人との出会いにワクワクする気持ち。 大人になって、自分では持つことが難しくなった旅立ちの季節を、子供達の新学期に相乗りして今年も味わう。
「ねぇねぇ、今日はどうだった?」 とうるさく問いかける母に、ついにオニイが「もう、いいよ、その話題は・・・」と辟易して言った。 オニイにはオニイなりの新学期の悩みもあるのだろうか。 今年一年の当たりはずれ。 じっくり一年かけて見極めて欲しい。
いきなり不穏当な題名で申し訳ない。
朝、ゲンとオニイの会話で某男性用カツラの商品名が話題に出た。 「ま、僕も将来はお世話になるかも知れんなぁ。」 とオニイが冗談めかしくいった。 小耳に挟んだ私。 「でもなぁ、それって、将来君の頭髪が薄くなるかどうかということのほかに、君の髪が薄くなった時それを利用するかどうかという、もう一つの選択肢を含んでいるよなぁ。」 「あ、そうか。」 「はげても美しい人もいるし、ふさふさでも醜い人もいる。 『堂々とはげる』という選択肢も、あるよなぁ。」 オニイとゲン、私の「堂々とはげる」という一言に激しく反応。 「なんか、『堂々とはげる』ってかっこいいフレーズだよなぁ。」 「うんうん、なんかのコマーシャルに使えそう。『堂々とはげる』か・・・。悪くないなぁ。」
別に面白がってもらうために言った言葉でもないんだけれど、余程新鮮に響いたか、何度も何度も繰り返して声に出して笑う子供達。 頭髪の量、身長や体型、顔の美醜、傷や障害。 誰もがいつでも抱える可能性のある外見上のコンプレックス。 それを克服する手段として、「隠す」「補う」「偽る」ではない別の方向性もあるのだということを、子供達とともに自らにも諭す。 ありのままの自分をまず堂々とよしとする。 そこからスタートする戦い方もあるのだと、伝えておきたいと思うのだ。
先日、鏡を見たら、こめかみの辺りに短い白髪を見つけた。 よくある若白髪ではなくて、これは年齢相応の白髪の生え始めだなぁと思い至った。 幼い頃から自らの体型や美醜について、いろんなコンプレックスを友としてきた私にとって数少ない美点であった黒髪も、年齢とともに白髪が混じる。 年齢を重ねるということは、新たなコンプレックスの種をまた拾ってくるということでもある。 あっという間に、2本目3本目の白髪が見つかるようになるだろう。 「いやだなぁ」と思いつつ、多分私は生涯白髪を染めることはしないと思う。 黒髪のかわりに堂々と胸を張って誇れる「何か」を、今から少しづつ築きあげていけるだろうか。 若い子供達の成長を見守りながら、私の今日を振り返る。 四月は40歳になる母にとっても、何かが始まる旅立ちの季節だ。
春休みもあと数日になった。 兄弟が四六時中うちの中でごろごろしている日々が続くと、そろそろあちこちで小さな摩擦や衝突が起こる。 大概の場合、震源はゲンなのだけれど、最近はそれにアプコが加わってきた。
4人兄弟の末っ子姫。 上の3人とちょっと年の離れたアプコは、家の中ではいつまでたってもお姫様状態。じじばばはもちろん、父さん母さんも我が家の最後の幼児は手放しでかわいい。兄ちゃん、姉ちゃんも「アプコは小さいんだから・・・」と、何かと手加減して接することに慣れている。 小さいアプコの成長をペットのハムスターのように愛でる家族の中で、アプコは自他共に認める「姫子」ちゃん。 わぁーっと泣くと誰かが「どうしたの?」と覗き込んでくれる。 お皿に残った最後の一切れの美味しい物は必ず与えられる。 「あたし、見たいものがあるの」というと、ニュース番組をあきらめてアプコお気に入りのアニメにチャンネルを替える。 そしてTVを見るのは当然のように父さんのひざの上。 そんな小さなことがたくさんたくさん重なって、アプコの中では「いつでも、あたしが一番」の意識がなんとなく育っているような気がする。
上の子達はそれぞれ、アプコの年齢の時には自分の下に小さい赤ちゃんがいて、何かと「最優先じゃない僕(私)」を経験して大きくなった。 「お兄(姉)ちゃんでしょ」という言葉は極力使わないように育ててきたつもりだけれど、それでも「ちょっと待っててね。」「あとでね。」と赤ちゃんの世話をする母の姿をつまらない思いでながめたことはいっぱいあったはずだ。 一方アプコはというと、自分より手のかかる赤ん坊は現れなかったし、母の手がふさがっているときにも自分の面倒を見てくれる世話好きで有能なアユコがいた。オニイやゲンもめったにアプコの言うことに逆らわない。 両親のほかに3人の下僕を従えて、アプコのお姫様体質は順調にはぐくまれていく。
これではいけない。 近頃俄かに説教臭くなってきたオニイと、ちっちゃい母さんのアユコが思いたった。日ごろから唯一アプコの喧嘩相手であるゲンもその尻馬に乗った。 かくして「アプコお姫様気質改善作戦」が始まった。 「お茶ください」 とアプコが言うと必ず誰かが席を立っていたのに「自分でいれておいで。」と拒絶する。 「アプコがいても邪魔になるだけ」と上の3人でちゃかちゃか済ませていた片付けも「後はアプコが片付けて」と役割を振り分ける。 急激に繰り広げられる共同戦線に、アプコはためらい、抗い、かんしゃくを起こす。 上の子たちの方針転換を、面白がって見ていた父さん母さんもこれを機会にアプコの甘えん坊を一掃しようと後方支援に回ることにした。 アプコ、四面楚歌。
お皿に残った最後の一切れのミンチカツ。 「欲しい人!」 誰かの発声で希望者がさっと手を上げる。 にぎやかで、楽しいいつもの食事風景。 遅れて食卓に着いたアプコは悠然と箸をすすめ、最後の一切れ争奪じゃんけんにも加わらず、そのくせ何のためらいもなくその一切れに箸を伸ばす。 「わ、アプコ、ずる〜い!」 オニイ、オネエの総攻撃。 「だって、食べたいんだもん!!」 「おまえなぁ、まだ自分のお皿に残ってるやん、アプコには食べる権利なし!」 オニイの説教が始まる。 「アプコは何時だって、自分が一番だと思ってるんだから・・・」 アユコもアプコの貪欲を攻める。 「僕だって食べたいねん。」 ゲンもドサクサにまぎれて、しっかり主張する。 「何を言ってるの、この者たちは」 とでも言いたげにお姫様の唇がへの字に曲がる。
うわぁ、みんなしっかり主張するなぁ。 小さい頃から「こんな兄弟に育って欲しい」「こんな子供になって欲しい」「こんなわがままは直して欲しい」と親が一方的に教えてきた価値観を、しっかり幼い妹にも教えようとするお兄ちゃん、お姉ちゃん。 なるほどなぁ、こんな風にして、兄弟は互いを育てあうのだなぁ。 4人目の末っ子姫についつい甘くなって、しつけの手を抜きつつある父母にかわって、上の子たちがアプコを育ててくれる。 ありがたいなぁとつくづく思う。
「話がややこしくなっちゃったから、このミンチカツは父さんが食べてよ。」 どういう話の展開か、オニイが最後のミンチカツを父さんに差し出した。 「お、そうか。」 父さんも平然と最後の一切れをぱっくり食べる。 への字唇がわっとほどけて、アプコ大泣き。 あはは、たかが残り物のミンチカツ一切れで、小さい子供をこんなにわんわん泣かすなよ! 空っぽのお皿を見つめ、ひとしきり泣き喚くアプコ でもここはぐっと我慢で、母もフォローには入らない。 上の子たちも互いに目配せして、ニヤニヤ笑うばかり。 他人様が見ると、さぞかし大人げないひどい家族だよなぁ。
「だってあたし、ミンチカツ好きなんだもん。」 ようやく泣き止んでも、決して自分の非を認めないアプコ。 頑固なお姫様気質もこの子の個性の一つかなぁと思いつつ、やはりまだまだ、戦いは続く。 はぁ、末っ子育児は難しいわい。
かねてからの計画で、ゲンを一人旅に出す。 JRを乗り継いで、100キロ先のおじいちゃん、おばあちゃんのうちへ。 所要時間約2時間。 オニイやアユコもゲンくらいの年齢で、同じコースの一人旅を経験している。 「今度は僕の番やねん」 これまで楽しみにしていたゲンが自分でおじいちゃんに電話。「よろしくお願いします」とおじいちゃんの了解を取り付けた。 「で、今回はどうする?」 ゲンが寝静まった頃に改めて父からの電話。 乗換駅の尼崎まで私が送っていこうか、父が出向いてきてゲンの乗換えを隠れて確認しようか。上の二人の時にも、もしもの場合に備えていろいろと内緒で安全策を講じたものだった。 「ふんふん。お前がHPで偉そうに『子離れ』云々と書いておるから、どこまで実践しておるか、お手並み拝見としよう。」 父が私の心配を面白がって笑う。結局父が、尼崎まで出向いて、ゲンを隠れて見守ってくれることで話がついた。
さっそく、ゲンにインターネットで当日の乗り換え時刻を調べさせる。 決定した時刻をおじいちゃんに報告。リュックに着替えや洗面道具を詰め込み、向こうで何をしようか、色々考えてどきどきワクワク。 気がつくとゲンは手の平大の小さな大学ノートに、何かをせっせとメモしている。 電車の乗り換え時間や駅の名前。 自宅やおじいちゃんちの電話番号。 「おじいちゃんちでやりたいこと」リスト。 あははと笑ってしまう。 実はこのミニ大学ノートの活用法、実家の父の受け売りなのだ。 庭の手入れの手順やら、法事の時のもてなしの方法、リフォームの作業の順序など何でも項目別のノートにこまごまとメモを取る。 おじいちゃんちへ行くたびに、格別見るでもなしに見慣れた習慣をゲンも真似てみたのだろうか。
朝、「一番前の車両に乗っていくんだよ。」 何度も念押しして、父さんが駅まで車で送っていく。 ちょっと早すぎたかな、と思っていたら駅から父さんの携帯電話。 予定していた9時6分は『普通』だったので、8時59分の『快速』に乗せるという。 一瞬、え?と思ったけれど、「いいよ」と返事して電話を切ったところで、はっと気づく。一本前の快速電車に乗ると、乗換駅で一本早い乗り換え便に間に合ってしまう。 あら大変!! 慌てて、実家に電話をするとお迎え役のおじいちゃんはすでに家を出ており、携帯電話も持って出ていないという。尼崎駅に着いたときにはゲンの乗換えを見届けることはできないだろう。 図らずも、ゲンの旅は正真正銘の「一人旅」になってしまったのだった!
そこから2時間あまり、父さんや実家の母と連絡を取ったり、そわそわと時刻表と時計を見比べたり、落ち着かない思いで過ごした。 「二通りの道があれば、必ず第三の道を選ぶ」というジンクスのあるゲン。 結果として、今回もゲンは父母や祖父母が用意したのとは違う第三の道を行くことになった。兄弟のなかでいつも一番予想外のびっくりを運んでくるゲンらしいやり方じゃないの。 「ゲンなら大丈夫、ちゃんと着くよ。」と繰り返すオニイもやっぱりちょっと心配そう。
「着いたよ。」 裏方のどたばたを知らないゲンから、ちょっと誇らしげで高ぶった声の電話。遅れて、Uターンしてきたおじいちゃんも帰ってきた。 「ちょっと外出してたんだけど、今帰ってきた。ま、人生にはいろいろ予想外のこともあるわな。」 電話口のそばにいるゲンを憚って、お芝居をする父。 尼崎まで往復2時間の無駄足を踏まされた父も、ゲンの予想外の一人旅の展開におかしそうに笑う。 ゲンの自立心を測るつもりの一人旅は、結果的には親やじじばばの「子離れ」「孫離れ」を試すことになってしまった。
「第3の道を選ぶ男」 本人は何も意識しないうちに、結果として未知の世界に踏み込んでいる。 冒険者の魂は案外こんなところから芽生えていくのかも知れない。 だからゲンという男は面白い。 ま、無事で何よりということで・・・。
オニイの陶芸修行第2弾
「今日の仕事はちょっとなぁ」 父さんが窯場の隅で、ぶつくさ言っている。 「オニイに手頃な仕事があるんだけど、どう思う?」 聞くと、古い作品を砕いて処理する仕事だという。 通常、素焼きの段階で利用できなくなったものは、土場で砕いて新しい土作りの原料として再利用する。 そして、本焼まで済んだ段階で、瑕や形のゆがみで表に出せない作品は、窯場の隅に置いてあってまとまった数になると砕いて廃棄処分にする。 こちらは再利用は出来ない。 いわゆる「焼き損じ」は、商品としてはもちろん、内使いとしても外には出ないように慎重に扱う。 結果、壊すには惜しいような作品も惜しげなく壊す。 惜しげなくといいながら、やはり作ったものを自ら壊すのは辛い。 いつもこつこつ型抜き仕事を担当している従業員のHくんに任せるのも気が引ける。 「ちょうどいいじゃん、それ、オニイ向きの仕事だよ。」 さっそく、オニイを呼んでくる。
「えーっ、ほんとに全部割っちゃうの?」 防塵メガネに軍手で装備したオニイ、父さんが引っ張り出してくるお皿や香合を目を丸くして眺めている。 窯元としての品質を守るために、あえて破砕しなければならない理由をオニイにも説明する。 「これは?」 オニイが拾い上げたのは、松ぼっくりの形の香合のふたの部分。 これ自体には瑕はないけど、身の部分が問題ありで使えない。あわせの部分は両方同時に制作しないときちんと合わないので、ふただけ再利用することは出来ない。 瑕やゆがみはないように見えても、やはり何らかの理由で使えないものばかり。 かなづちでひとつずつ細かく砕いて、セメント袋にザラザラと集める。 心痛む仕事は息子に任せて、父さんはみないふり。 しばらく、カツンカツンと陶器を砕く音が静かに工房に響いていた。
「今日はここまでにしとくわ。」 ほこりまみれの軍手を外しながら、オニイが仕事を中断。 仕事の半分を明日に残して、本日は店じまい。 「あっさり、帰っていきよったな。」 壊す仕事は、ストレス解消になりそうな気もするけれど、やはりどこかで心が疲れる。 長く続けて楽しい仕事とは思えない。 けれども、これも大事な窯元の仕事。 肝に銘じて、明日もがんばってもらいたい。
国際派女優の島田楊子が無免許運転の疑いというニュース。 外国で取得した国際免許の手続き上の無知から、結果的に「無免許」状態だったのだろうとワイドショーで解説していた。 その番組の中で、ある弁護士さんが「法律を知らなかったからといってそれにより責任を免れる事はできない」とおっしゃっていた。 刑法の中にそういう条文があるのだそうだ。 当たり前といえば当たり前のことだが、そのことが法律に明記されていることなのだということを始めて知った。
ところで、江角マキ子。 自分が国民年金に加入していない状態であることを知らなかったのだそうだ。 ささやかな家計の中から確実に引き落とされ、何らかの理由で少しでも遅れると「督促状」が送られてくることを知っている者からすると、「何、のんきなこと、言ってるの」という無知だけれど、TVで見る限り、「知らなかったんなら仕方がないわねぇ。」と江角マキ子に同情的な意見を述べる人たちが意外に多かったのに驚いた。 「年金未加入」が罪になるのかどうかは知らないけれど、自分の年金の状態を確認もせずに偉そうに未加入者をたしなめるCMに出演した彼女を「かわいそう」とは思えない。 「知らなかった」のも罪である。
再び、先日のメール事件。 「子供達がパソコンを使ってそんな高度ないたずらが出来るとは知らなかった。」 「私はパソコンがよくわからないから、子供達が何をしているか把握できなかった。」 ネットの世界に踏み込むと、子供達は親の知らない知識や技術を良いことも悪いことも文字通り手当たり次第に身に付けてくる。 自分の得た知識を悪いことに使わない。 人を傷つけるようなことは絶対しない。 そんな基本的なことを身に付けないうちに、パソコンという道具を野放しの状態で子供に与えることは、やはり親としては罪である。 「知らなかった」では言い訳できない。そう思う。
回転ドアで死亡した男の子。 たかが建物への出入りに「命がけ」の危険を伴う大掛かりな装置を取り付けて、小さな命の重さをないがしろにしたビル会社やメーカーの責任は重い。 そして本当は、そんな危険の可能性もあるドアへの進入に幼い子の手を離してしまった母親にも責任の一端はある。 子供を不慮の事故で亡くし、悲嘆にくれている母親に面と向かって「あなたにも責任はある」と詰るつもりはない。 けれども、「回転ドアがそんなに危険なものであるとは知らなかった」とはいえ、人の往来の激しい出入り口で、はしゃぐ子供の手をふっと離したその油断が取り返しのつかない事故の発端になったことも確かだ。
確かに子供達はとっさに思いがけないことをする。 エスカレーターで転んだり、転がったボールを追って車道へ飛び出したり・・・。 わが子に思いがけなく降り注ぐ危険にヒヤッとする経験は誰にもあるはずだ。 「四六時中、子供の動きを見張っていることなんて出来ないわ。」 確かにそう。いつも手をつないで歩く道のりも、いつかは手を離して一人で 歩かせなければならないときがくる。 実際、「一人で行かせて大丈夫かな。」と思いつつ「気をつけて行っておいで」と子供を送り出す日もいつかは来るものだ。 それでもやっぱり「危険なところで走っては駄目。」「知らないところでは手をつなごう」と子供に言い聞かせることが出来なかったのは、結果として母親の責任とも言えるだろう。
「大丈夫かな」とわずかな不安を覚えつつ、少しづつ引き綱の距離を伸ばし、子供達が自由に行動する範囲を広げていく。 それは子育ての中でとても難しい「子離れ」の過程ではあるけれど、親から離れた子供達の行動や言動にはまだまだ親の責任が伴う。 「子供達が成長して、外で何をしているか把握するのが難しいわ。」 親の把握できないところで、子供が思いがけない非行に走ったり、人を傷つけるような言動を取ったりしたら、それはやっぱり親の責任。
何をしでかすか知れない子供達を「大丈夫かな」と思いつつ世に放つ。 それまでに子供達に与えたしつけや知識が、子供達を守ってくれると信じつつ。それは子供達の行動や言動にすべて親が責任を持つということ。 「そんな危険は予測できなかった」 「そんな悪事をしでかすとは思いもつかなかった」 ことが起こってしまったとき、そんな言い訳は通らない。 「知らなかったのも罪」 育児とは厳しく、重たい事業である。
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