月の輪通信 日々の想い
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2004年03月12日(金) |
「子供が好き」という幻想 |
先日、話題にした大家族のドラマ。 「なんで子供をいっぱい産んだの」 の答えは思ったとおり「子どもが好きだから」だった。 「自分の子だもだけでなく、よその子でも、一生懸命な子供の姿を見ていると嬉しくなっちゃう、とにかく子供が好きだから・・・」 子沢山の肝っ玉母さんは、うるうると輝く瞳で高らかに宣言する。 「やっぱり子供が好きだから・・・」
「私は4児の母」というと、「きっと子供がすきなのね。」と帰ってくる。 確かにわが子はいとしい。 大事に大事に育ててやりたいと思う。 どの子にも等しくいっぱいの愛情を注いでやりたいと思う。 でも、それはあくまでもわが子への愛。 よその子までがわが子同様大好きだとはとても言えない。 少なくとも最近の私には、そんなことは言えない。 子沢山の母は子供好きというのは、大きな誤解だと思う。 私に関しては、そんな幻想は抱いてもらいたくない。 そう思う。
アユコのクラスでとてもとてもいやな事件があった。 メールを使って、大人顔負けの卑劣な手段で特定の子をだまして、辱める。 そのテクニックも巧妙で、立派な犯罪のレベルだと思う。 その被害者の立場に、正義感のアユコが立たされた。 担任の先生や同じく被害にあった子のお母さんとともに、ここ数日その事実確認に追われていた。 子供のいたずらといいながら、私は相手の子供達やわが子の卑劣な行為に気づくことのできなかった親達を許すことができそうにない。 「子供のやったことですから、しょうがないですね。もう二度とやらないでね。」と丸く収めることは多分できないと思う。 私は相手の子供達を激しく憎む。 思春期の繊細な少女の心を踏みにじった子供達を前に「やっぱり私は子供が好き」とは、とてもとてもいえないのだ。
何があってもわが子を守ってやりたいと思う。 心も体も全部大事に守ってやりたいと思う。 だからアユコのガラスのハートを傷つける子供をかわいいとは思えない。 いくら子沢山だからといって、今日のドラマのようによその子のいたずらをわが子同様に親身に叱ってやったり、「一人くらい増えても平気よ。」とよその子を簡単に預かってやるようなことは私はしない。 子沢山の母なら誰でも寛大な心を持つ肝っ玉母さんに違いないという幻想は、持たないでもらいたい。
「子供が好き」というだけで、あんなふうに明るい子育てができるというのは幻想だと思う。 いつも明るく、子供達に優しく、気持ちにムラがなく、いつも最大限の愛で子供達を包む。自分の子も他人の子もみんな等しく健やかに成長することを祈る。 そんな理想的な母の姿を、自分にも他人にも期待したくない。
いつになく激しい気持ちが次々にあふれて留まることがない。 その心のままに、わが子を守るために戦いたいと思う。 傷ついてしまったアユコの心を癒すためには、母が自分のために捨て身で戦っている姿を見せるよりないと思う。
私の日記を見て、「子供が好き」と胸を張っていえる母親になりたいと感じてくださった方がある。 申し訳ない。 今の私は「そうね、そうなるといいね。」とは言えない。 まとわりつく子供をまどろっこしいと思うことも、わが子に危害を加える子供に憎しみを抱く気持ちも、どちらも厳しくもおろかな母の激情の一つなのだ。 そんな激しい想いなしに、母は本当に心からわが子を大事に守り抜くことはできないような気がする。
「やっぱり子供が好きだから・・・」 予想していた答えではあるけれど、しらけきった思いでドラマを見た。 私はおろかな母親かもしれない。
朝、小学生組が一番に玄関を飛び出して行った。 少し遅れて、家を出る自転車通学のオニイ、 「母さん、傘、いるかなぁ。」 「小学生組には、『いらないんじゃない』といっちゃったけど、なんか曇ってるね。」 「どれどれ。」とオニイがそばにあった朝刊の天気予報をささっと読んだ。 「あ、母さん、あかんわ。昼からずーっと雨マークや。」
しょうがないなぁ、傘もって追いかけるか。 傘がいらないと言った手前、傘なしってのもかわいそうで、こんなときは車でびゅ〜んと追いかけるのがいつもパターン。 と、思っていたら、 「じゃ、僕がもっていくわ。」 思いがけず、オニイが申し出てくれた。 「自転車だから、すぐ、追いつくと思うよ。」 「なんで?」 小学生時代のオニイに、何度も慌てて忘れ物を届けに車を走らせた記憶も新しい。そのオニイにゲンやアユコの傘を持って追いかけてもらうことは、ちょっと思いつかなかったので、ちょっと間の抜けた返事をしてしまった。 「いやぁ、別に、わざわざ車出すこともないし・・・」 当然のように答えるオニイが妙に頼もしくてとてもとても嬉しくなった。
「3本も傘もって、大丈夫?」 「大丈夫。大丈夫。」 自転車の乗り方がへたくそで、中学入学当初はずいぶんはらはらした自転車通学。 一年たって、足腰もずいぶん頑丈になり、おんぼろママチャリを飛ばす姿もさまになってきた。 自分の分の傘をサドルの後ろにぐいと差し込み、弟妹二人分の傘を手に軽快に坂道を下っていく。
アニキだなぁ。 かっこいいなぁ。 急に背丈が伸び、少しづつ声変わりが始まり、鼻の下のうぶ毛が急に濃くなり始めた。 少年らしく、自分の周囲のことをあまり母には語りたがらなくなったオニイは、私の知らないところで優しく強く成長している。 こうして男になっていくんだなぁ。 びゅうんと自転車を飛ばして、若い小鳥のように飛び立っていく中学生の背中がまぶしくて嬉しい朝だった。
「おかあさん、歩いてたら靴ン中にでっかい石が入ってきたよ。」 ゲンが帰ってくるなり、報告してきた。 なに言ってるの、この子は・・・と、ゲンの運動靴を見たら、靴底に十円玉大の大穴が開いている。 「ありゃぁ、見事に穴あいたねぇ。」 靴の中にはもともと厚めの中敷が入っているので、本人も穴が開くまで靴が磨り減っていることに気づかなかったらしい。 確かに毎日山道を元気に登下校する腕白盛りのゲン、靴の減りも早かろう。 でも、いまどき一足のくつを穴があくまで履きつぶす子供ってなぁ。 早めに気づいてやれなかった母のうっかりぶりにも反省。 なんだかちょっとかわいそうになっちゃって、「よっしゃ、さらっぴんの靴を買おう!」とゲンをつれて買い物に出た。
スーパーの靴売り場で最初に物色するのは「1000円均一」のワゴンの靴。 これが我が家の(特に男の子達)の定番になっている。 サイズやデザインが合えばお買い得。 なければ少しづつ値段のランクを上げる。 母が何も言わずとも、お安い方から気に入った靴を探すゲンは賢い。 2件の靴屋を行ったりきたりして、そこそこ気に入った靴を選んで、お支払い。 そんな安物の運動靴でも、おニューの靴のワクワクできるゲンは「子沢山」の子の資格十分。「かわいそう」なんて言わないで。 いっぱい歩いたね、いっぱい走ったね。 穴があくまで一足の靴を大事にはけて、よかったね。 そういってほめてやれるのが、今の幸せ。
ところで、同じ靴売り場でローラーつきシューズというのが安売りになっていた。田舎のスーパーでもワゴンセールになっているところを見ると、流行もそろそろ下火なのか。 スーパーとかで時々妙な動き方をする小学生を見かけて、「あ、あれね。」と思っていたけれど、それにしても、セールになっているとはいえ、結構お高いのね。 田舎の小さな町のゆえ、あのシューズで滑らかに滑れる場所といえば数件ある小さなスーパーのフロアか公共施設のささやかな廊下くらい。 そのスーパーでさえ、「危険防止のため、ローラーシューズでの滑走はご遠慮ください。」と書いてある。 いったいどこで遊ぶためのあのお値段なのだろう。 別にスーパーでぶつかられたとか、事故の現場に行き会ったというわけでもないので、私が怒ることでもないんだけど、「ご遠慮ください」という場所でしか使えない高価なおもちゃを買い与える親の心境ってどういうものなんだろう。
仮に「ローラーシューズを買って」といわれても、 「高いから駄目!」と、即答できる我が家はしあわせである。 子供がどうしても欲しいとねだるとき、買える余裕があるのに「我慢しなさい。」と納得させるのは、心情的にも難しい。 子供に大人顔負けの高価な衣類を買い与える。 子供が辟易するほどたくさんのお稽古事にお金をかける。 子供が少なければできてしまうかもしれない親の自己満足を、「そんなもの4人分も買えないわよ」と言い訳してきっぱりと避けることができるのは、 子沢山の幸せの一つだと私は思う。
一足1000円の靴でいい。 たくさん歩いて、たくさん走って、たくさんの人やたくさんのものに出会って欲しい。 元気のゲンちゃんの靴は22センチ。 母さんの靴のサイズを越すのもあと、ひとサイズかふたサイズ。 母さんが出会わなかったもの、経験しなかったことをたくさん見つけてくるといい。
昼間のドラマで、また子沢山の家族のドラマが始まっている。 どたばたとにぎやかで、ほのぼのおかしくて、決して嫌いではないのだけれど、毎回気になることがある。 それは歴代のシリーズでは必ずのように、子供達が子沢山であることを友達からからかわれたり、「何でこんなにいっぱい生んだのよ。」と親に絡んだりするエピソードが出てくることだ。
うちは子沢山といってもたった4人の子供達。 「ちょっと多目」の範疇だと自認しているが、それでもやっぱり世間的には子沢山といわれているらしい。 「兄弟がおおくて、にぎやかで良いですね。」 「たくさん育てて偉いわね。」 とほめてくださる方もあれば、「頑張ったな。」とか「百発百中」とか性的な意味を含んで冗談のネタにする人もいる。 よそンちのことはほっといてよと薄ら笑いで切り抜ける。 うちには4人の子供が必要だったの。 「うっかりできちゃった」子は一人もいないの。 それがなにか?と胸を張る。 お父ちゃんお母ちゃんは強くなった。
最近気になるのは、子育て世代の大人ではなく、結婚前の若い子や子供達から「何でそんなにいっぱい生んだん?」と問われるようになったこと。 先日アプコのお友達のKちゃんのお母さんが教えてくれた。 Kちゃんのお姉ちゃん達は高校生。何年もの年齢差で「出来ちゃった」Kちゃんの存在が最初は受け入れがたかったそうだ。 ちょうど性的な知識も増え、多感な盛りにお母さんが出産。 久しぶりの育児に翻弄されるお母さんの姿を見て、「子育てってなんだか大変そう」という印象が強かったのだろう。 「アプコちゃんのお母さんはなんであんなにいっぱい生んだんだろう。」 言外に「物好きな・・・」というニュアンスを含んだ正直なつぶやき。 「結婚も子育ても興味な〜い」と言い切ってしまえる若さが痛いけれど、「で、なんて答えたの?」と問われて、口ごもるKちゃんママもどこかで「物好きな・・・」って思っているのかもしれないなぁとちょっとへこむ。
友達から、「おまえんちのかあさん、何でいっぱい生んだんだよ。」と問われたとき、オニイやアユコはなんて答えているのだろう。 若い世代の子供達に「子育てはしんどい」「たくさん生むのは物好き。」がこんなに浸透している現代。 「子供なんか要らない。」「子沢山はかっこわるい」が主流になっても無理はないと思う。 確かに経済的にはしんどい。 物質的にも、精神的にも子供達に我慢させること、あきらめさせることは多いかもしれない。 「子育て支援」といいながら、ただ子供の数が多いというだけでは大して公の手助けがあるとは言いがたい。 何でわざわざそんな損の多い選択をするのか。 子供達の問いはそのまま世間の大人たちの問いでもある。
一昔前なら子沢山は「甲斐性」だった。 子供が生まれるということは一族が長く豊かに栄えるということの象徴だった。 子供をたくさん生める女はそれだけでできた母ちゃんとして胸を張れた。 子供達が未来の労働力として当たり前に期待され、幼いうちから家事を手伝い家業を学んだ。 家族の単位が小さくなり、仕事と家庭が別のものとして扱われるようになってから、子沢山はどんどん「物好き」として追いやられていくようになったのかも知れない。
妻として母としての私より、女として人間としての私を大切にするのが、正しい生き方として奉り上げるようになって、子育てにすべてをささげる女はおろかな罪悪のように言われることも多い。 でも、それで女は、妻は、母は本当に人間として豊かにあつかわれるようになったのだろうか。 「なんで子供うむの?」 そんな若い人たちの素朴な問いに、面と向かって即答できない現代は、本当に恵まれた時代なのだろうか。
なぜ、私が4児の母を選んだのか。 そのお話はまた今度。
玄関を出たら、ちょうどお隣のお風呂場の窓のところから、若い男の人の鼻歌が聞こえた。 お隣のお兄ちゃん、お風呂場のお掃除でもしてるのかな。 いまどきの若者らしく、道で出会ってもひょいと形だけアタマを下げて行き過ぎる無愛想なおにいちゃんだけれど、今朝はご機嫌なんだな。 なんだかこっちまでご機嫌よくなっちゃって、くすっと笑ってしまった。
幼い子供達とすごしていると、日々の生活の中で歌を歌うことが多くなる。 カラオケは大の苦手。 決して麗しい美声でもなく、音程もどこか怪しい歌だけれど、子供達は母の歌を楽しいおしゃべりのように愛してくれる。 子供達自身も、気分よく落書きをしているとき、 初めてのお手伝いでワクワクしているとき、 そしてお天気のよいあぜ道をピョコピョコとスキップするとき、 いつとも知れずでたらめな鼻歌がこぼれ出て、聴いているものを笑わせてくれる。 小さい子供達の生活は歌に満ちている。
結婚前、私は養護学校で数年間、講師の仕事をしたことがある。 「中等部」といいながら、新米講師の主なお仕事は幼児レベルの子供達の食事や排泄の世話、肢体不自由の子達の介助、激しいパニックを起こす自閉症 の子達との戦いだった。 見るもの聴くこと初めてのことばかり。 発語のない赤ちゃんのような中学生を相手に何を話していいのかすら見当もつかない。 とりあえず先輩の先生方を真似、機械のように押し寄せる雑用を一つ一つ片付ける。実際、それだけで精一杯。 うちに帰ると即座にバタンキューの日々だった。
少し仕事になれて、日常の介助や授業の手伝いがようやく板についてきたころ、私はぽっかり穴に落ちた。 今思えば「育児ノイローゼ」のようなものだったのだろうか。 子供達の成長は気が遠くなるほどゆっくりだ。 昨日「できたね!」と喜んだことが、今日はもう元に戻っている。 同じ失敗を何度も何度も繰り返して屈託がない。 靴を履かせる、ぬれたパンツを替える、こぼしたミルクを片付ける。 初めて担当したSちゃんは言葉を話すことができない。 毎日一緒にすごしているのに、彼女の言いたいことや喜怒哀楽がいまいち理解できない。 イライラに任せて子供達を気まぐれに叱ってしまう。 「何やってるんだろう、私・・・」 ちょうど5月病の季節だった。
「そんなときはとりあえず歌を歌いなさい。」 いつも同じチームで子供達と接していた年配の先生が教えてくださった。 自分のイライラを子供達にぶつけてしまいそうなとき、 何を話して良いかわからなくなってしまったとき、 自分の心が子供達から離れたがっているとき、 とりあえず手当たり次第に歌を歌う。 子供の好きな童謡でもいい。うろ覚えの英語の歌でもいい。 耳について離れないコマーシャルソングでもいいから歌って御覧なさい。 「歌いながら怒っている人はいないでしょ。」 当時、もう定年間近だった穏やかなO先生はニコニコ笑いながら、私の肩をたたいた。。
不思議なことに、私がイライラしたりモヤモヤしたりしていると、その気持ちは必ず子供達に伝染する。 心も体も疲れ果てて、ついつい毒のある言葉を子供達に吐いてしまいそうになったとき、私は試しに「ぞうさん」の歌を歌ってみた。 馬鹿馬鹿しいほどのんびりした単純な歌。 でも効果はてきめんだった。 そばにいた子供達がいつの間にか一緒になって歌ってくれた。 「何を思っているのいるのか理解できない」と感じていたSちゃんが、私に体を摺り寄せてひゃあひゃあと声を上げた。 そして、きんきんと苛立っていた私の気持ちもいつか穏やかにほぐれていった。 歌の力はすごい。 O先生の下さったアドバイスは、その後の教師生活や私自身の子育ての日々に欠くことのできない金の言葉となった。
今でも幼いアプコと歩くとき、二人で一緒にたくさんの歌を歌う。 園で習ったうろ覚えの歌をアプコは楽しそうに私に教えてくれる。 お日様のもとで人目も気にせず声を出して歌を歌うことができるのは、 幼い子供と手をつないで歩く今だけのこと。 調子はずれはご愛嬌。 歌詞のわからないところは適当に作詞して歌ってしまう。 歌にあわせて自然にスキップになってしまうアプコは、まだまだ歌の魔力の術のうち。 外目には、「歌の好きな陽気なお母さん」 でもその内面には、とどめようのないイライラやグダグダが封印されているかもしれない。 ご注意を。
最近、「日々の子育てが辛い、子供にイライラをぶつけてしまう」というメッセージをいただいた。 「わかる、わかる」とうなづいて差し上げるのは簡単なことだ。 でも「こんな風になさい」と具体的なアドバイスを差し上げるのは難しい。 私自身がまだまだイライラ、ウジウジの真っ最中だから。 「とりあえず歌を歌って御覧なさい」 私がO先生からいただいた金の言葉をあなたにもお伝えする。 だまされたと思って、大きな声で歌って御覧なさい。 あなたが吐きそうになった毒の言葉は、穏やかなメロディーに変わるかもしれない。 育児は長い長い登山のようなもの。 しんどいときもあっていいよ。 鼻歌歌って、切り抜けようよ。 きっと明日はいいことあるから。
オニイがお父さんと出かけて、アプコもおばあちゃんちへ遊びに行ってしまった。ぽっかりとあいた土曜日の午後。 朝から風が強くて、日差しが暖かかったり急に大粒の雪がふってきたりして、変なお天気。 テレビを見てグダグダするのにも飽きて、ゲンとアユコが「山へ行ってきてもいい?」と立ち上がった。 「う〜ん、でも変なお天気だよ。」 PCの画面をにらみつつ、頼りない返事をしていたら、「アスレティックのところまで言ったらすぐに帰ってくるからいいよね。」と二人はぴゅーっと出かけていってしまった。
我が家はハイキングコースの入り口にあり、子供達の好きなアスレティックまでは往復しても子供の足なら小一時間。 幼い時から何度も通ったことのある一本道。やんちゃなゲンにとっては我が家の庭のようななじみの道だ。 ま、すぐ帰ってくるだろうからいいかと思っていたら、しばらくして俄かに空が暗くなり、また大粒の雪が舞い始めた。 「わ!吹雪じゃん!」 見ると子供達は明るい日差しに誘われて上着も持たずに出かけていったらしい。 空の暗さに不安になってばたばたと迎えに出る。 大粒の雪の中、急な階段を上り人気のない雑木の間の道を急いで上った。 ほんの数百メートルの山道だというのに急いで上るとすぐに息が上がる。 これほどの天候だから子供達もすぐに引き返してきているはずと思いながら、なかなかその姿も見えないので、ついつい足取りも速くなる。
「遭難」とか「転落」とか「誘拐」とか 不吉な言葉がアタマに浮かんだとき、行く手に二人の子供の姿が見えた。 「あれれ?」という顔のアユとゲン。 ほっとするのと、自分の取り越し苦労が馬鹿らしいのとで、二人にそれぞれ上着をぽいと投げ渡し、くるりとUターンしてもと来た道を下りはじめた。 「ごめんなさい。」 心配を掛けたと気づいたアユコがぺこりとアタマを下げる。 「えらい山登りをする羽目になったわ。」と冗談めかして言ったら、 「いい運動になったでしょ。」とアユコ。 そういいながら、やっぱり「しまった、言い過ぎた」と気づいたアユコはもう一度「ごめんなさい。」
「暗くなってきて怖くなかったの?ほかにあまり人もいなかったでしょう。」 しばらく歩いてから子供達に聞く。 「あのな、途中で、天狗が出てきそうなところがあってな・・・」 ゲンが帰り道の不安な気持ちをそっと教えてくれた。 「神隠しみたいな感じでな、ホントいうとちょっと怖かった。」 そうだねぇ。 うちからほんの少し離れただけのなじみの山道。 そんなことある訳ないけど、なんだか怖かったよね。 二人分の上着を抱えて、必死で山道を登った数分間、お母さんもちょっと怖かった。
下りの道を数分歩くと、急に雪の雲が切れ、うそのように明るい日差しが戻ってきた。結局、私達親子を不安にさせた吹雪のような悪天候はほんの数十分の気まぐれな嵐だったようだ。 「な〜んだ、馬鹿みたい。うちの鍵も開けっ放しで出てきちゃたよ。」 と玄関のドアを開けたら、ぽつんと一人ぼっちのアプコがいた。 私が迎えに出ている間に一人でおばあちゃんちから帰ってきていたようだ。 ほんの数分のことだけれど、誰もいないうちに一人でぽつんと帰ってきて、 「おかしいなぁ」と心細くなっていたらしい。 「誰もいなくなっちゃったかと思ったよぉ」 「あらら、ごめんごめん。」 突っ立っているアプコの前にひざを突いたら、それまで泣いていなかったアプコがわぁーっと泣き出した。
「誰もいなくなっちゃったかと思ったよ。」 私達のうちの近くの3つの場所で、私やアプコやアユコとゲンがそれぞれ感じた不安はみんな一緒。 いつも当たり前にそばにいるはずの大事な人が、ふっといなくなっちゃったらどうしようという漠然とした不安。 「神隠し」とゲンがいったあの不思議な怖さを4人が同じ時間に別々の場所で感じていたということがなぜか嬉しく暖かい。 わぁわぁ泣いているアプコを抱き上げてなだめながら、 「大丈夫、どこへも行かないよ。」 と慰める言葉は私とアユコとゲン、そしてアプコがお互いに確認する安心の言葉。 大事な家族が暖かい家の中で、一緒に外の風の音を聞く。 悪くないなぁ。 今日は格別子供達がかわいい。
一年間つとめてきた子ども会の役員の引継ぎの集まりに出てきた。 4月のお楽しみ会に始まり、夏祭り、秋祭り、クリスマス会やら各種のスポーツ大会。 その企画や運営に奔走してきた15年度の役員もようやく大任を終えて次年度の役員さんたちにバトンを渡す。 去年「えらい役が回ってきたらどうしよう」と不安な面持ちで役職きめのくじを引いた16人が、一年の活動を終え仲のよい、スポーツチームのように互いの労をねぎらい、握手をして解散する。 とてもとても大変なお役目ではあったけれど、地域のこと、学校のこと、子供達のことなど本当にいろんな経験をさせてもらった。
わが地区では「ここの子ども会の役を経験したら、学校のPTAだろうが自治会の役だろうが、なんだって平気になる。」といわれるほど、子ども会役員の負担は大きい。 しかも子供の人数が減ってきている現在では、一家庭に一度は必ず子ども会の役が回ってくることになっている。 仕事を持つお母さんや幼児や年配者を抱えたおうちなど、役員を出すことがむずかしい家も多くて、役員選びにはどの地区も苦労する。 それでも「子ども会なんていらない」という声が上がらずに存続しているのは、学校や地域ぐるみで子供達に楽しい経験をさせてやろう助けてくださる空気があるからだろうと思う。
昔からの古いおうちの年配の方達が、子供達に伝統の祭囃子を教え、消防団のおっちゃんたちがお祭りの夜店で格安の焼きそばを子供達に振舞ってくださる。学校の授業でも地域の方々が教室を訪れ、農業の技や昔の遊び、専門の技術や地域の昔話を子供達に語る。 そんな風にして子供達は地域の大人達に見守られて大きくなっていく。 「社会全体で子育てをささえる。」 というような大仰なものではない。 ムラのこどもたちをたのしませてやりたいという長老達の素朴な手助けがあることを、私はこの一年の経験から改めて感じることができた。
「稽古事で忙しいから、子ども会には入りません。」 「ムラのしがらみに絡まっちゃうのがいやなのよ。」 と、子ども会入会を嫌がる人もたまにいる。 「お祭りには参加したいけど、役員はねぇ・・・。」 と、退会を申し出る人もいる。 子育てをめぐって周囲の人の協力が得られない、学校や家庭に次代を育てる責務が偏りすぎているといわれることも多いけれど、 社会からさしのべられる支援の手に対して、家庭の方からその戸口を閉ざして孤立した育児に追い込まれていくことも多いのではないかと思う。 「お祭りも、クリスマス会も、うちで別に経験させるからいいのよ。」 「仕事が忙しいし、よその子達のために役員をする余裕はないわ。」 子供が社会と関わっていく経験を、地域や学校と離れたところで「個人単位」でまかなってしまうほうが楽だという風潮。 これは子育て現役世代が少なからず抱えている悪しき「個人主義」の産物だなぁと思う。
「めちゃくちゃ、しんどかったけど楽しかったねぇ。」 一年間の活動を終えて、自分達の住む地域に15人の友達ができた。 うちの子のため、うちの家族のためではない奉仕の一年が与えてくれたもの。 おそらくはずっとこの町で生きていく私に、与えられた褒美は大きいと思う。
この間の日曜日のこと。 子供達を父さんのワゴンに詰め込んで、 本屋やらディスカウントスーパーやらを気まぐれにめぐる怠惰な休日をすごす。 スタートが中途半端な時間にずれ込んだので、久しぶりにチープなファミレスでお昼ご飯。それぞれに好みのメニューを選んで、満足げにモリモリ食べる子供達。 子供の数が多くなって、「外食でもするか」というとファミレスやファーストフード店での食事がメインとなった我が家だが、それでもそこそこ興奮して「おいしいね。」と充足して楽しめるのは「みんなで一緒」の効用だろうか。 ちゃんとしたお店での特別の一皿を味わう経験もそろそろ必要な年齢にさしかかる子もいるとは思うが、我が家の経済状態を考慮すると「一緒がご馳走」で満ち足りてくれる今の幸せ。
ご機嫌よく食事を終えた父さんのお皿のすみに一片の食べ残し。 いつもきれいに食べ残しを作らない父さんが珍しいなと思ったら、食べ残しではなくて、小さなビニルのかけらだった。 「きっとレトルトかなんかの切れ端ねぇ。いやぁね。」 どうする?とちょっと顔を見合わせてから、やっぱりねとお店の人を呼ぶ。 「こんなものが入ってたんだけど。」 と店長らしき人に言ったら、「あ、何かの包材の一部ですね、申し訳ありません。」とあっさり言って、お皿を下げた。 「あらま、あっさりしたものね。」 と、首を傾げていたら再び店長さん登場。 「大変失礼しました。この商品の分はお代は結構ですから・・・。」 と、伝票になにかささっと書き加えてくれた。 「そうですね。」 数百円のことながら、「悪いな」と言うような、「ちょっと得をした」というような、「当然よ」というような。 とりあえず皆おなかいっぱいでご機嫌よく食事を終えたので、よしよしということで店を出る。
その一部始終を一言も口を挟まず見ていた子供達。 車に戻ってオニイが訊いた。 「なんかわるいみたいだなぁ。せっかく作った料理をタダにしちゃっていいのかなぁ。料理していた人はきっと叱られるんだろうね。」 「そうだろうねぇ。」 「このことでクビになったりしない?」 心優しいオニイはそんなことを気にしていたのだなぁ。 「こんなことで、クビにはならないよ。 でもね、他人様にお金をもらって食べ物を提供するということは厳しい仕事だからね、ああいう失敗はちゃんと注意してあげないといけないんだよ。」 「ふうん。」 いまいち納得のいかないらしいオニイにプロの仕事の厳しさを説く。 「もしお客さんに渡った商品に不具合があったら、そのお客さんにとってはその店の印象は『いやな思いをした店』のままいつまでも残る。『あそこは駄目よ』と何かの折に誰かに語る。そういう評判というのは仕事をする上ではとっても大事な事なのよ。」
「たとえば父さんの仕事にしても、不満足な作品を外へ出したらそれは直ちに『プロの仕事』を恥じることになる。それを梱包して発送する人にとっても、いい加減な荷造りをして事故があれば評判を落とす。仕事をするということは本来そんな厳しいものなのよ。」 たとえ、パートやアルバイトの調理人であったとしても、そういう失敗はしっかり叱られて二度と繰り返さないようにしなければならない。そういう当たり前の大事なことを、今のオニイにもしっかり伝えておきたいと思う。
そういえば、オニイはいまだに旧雪印ブランドの牛乳を飲まない。 特売大好きな私もなんとなくあの会社の牛乳はかたくなに避ける。 新しくなったあのブランドに「信用が置けない」というわけではなく、 プロにあるまじき背徳行為を人はそう簡単にチャラにしてくれはしないということを、いつか何がしかの「プロ」に成長していく子供達の心に刻み付けておくために・・・。
「でも、スパゲッティーはうまかった。」 確かにそこそこおいしいお子様ご飯に、子供達への職業教育、そして、私の貴重なHPネタを提供していただいて、全体としては大変リーズナブルなお食事をさせていただいた。 ところで、この日、オニイが学んだ「プロの条件」を、どこぞの養鶏業者のおじさんにもぜひとも学んでいただきたい。 食を支える仕事にこそ、自分に厳しいプロ意識をしっかり持ってもらいたいと心から願う。
実家の母と一緒に先日初めての赤ちゃんを出産した義妹のTちゃんのお見舞いに出かけた。 その実、お見舞いにかこつけて、午前中は二人で繁華街に出て買い物を楽しみ、のんびりお昼ごはん。 調子よく私の衣類などをねだって、久しぶりに母の娘として甘えさせてもらって、うれしい。
デパートの地下で、ささやかなお見舞いのお菓子を買って、病院に向かう。 つい数日前に母は父と一緒にこの病院を訪れていたので、道案内は母のお任せとのこのこついていくのだが、なんとなく母の方向感覚は頼りない。 遠くに目印の看板を見つけ見当をつけて歩いていくのだが、「こんな道、とおったかしらん。」と時々首をかしげる。 あはは、何度通っても道を覚えない私の方向音痴は、この人譲りだ。 適当な見当で大雑把に最短距離の道を選ぶ父。 遠くに目的地が見えていても途中の些細な目印に惑わされて、つい遠回りをする母。 私の方向音痴は明らかに母譲り。
病室の仕切りのカーテンの向こうで懐かしい新生児の元気な泣き声。 「元気に泣いてるね、Tちゃん。」 初お目見えの姪っ子はママの母乳を飲んだばかり。 まだ、お乳の張らないTちゃんのおっぱいだけでは足りなくて、自分の指をちゅうちゅう吸っては大きな声で泣く。 「いくら飲んでも足りなくて、病院中で一番飲みっぷりが良いんです。」 初々しい手つきで小さな赤ちゃんを抱き上げ、追加のミルクをオーダーするTちゃんもとてもとても元気そうで母になった喜びにあふれている。 「この子は飲んでるときにとっても幸せそうな顔をするんです。」 ちょこちょこ声をかけながら哺乳瓶のミルクを飲ませる手つきもすっかりお母さんらしくなって、頼もしい。 いいお母さんになりそうだな。 今の赤ちゃんの幸せそうな顔、しっかり頭の中に刻んでおいてね。 これからの長く続く育児という道のりに、乳を吸う赤ちゃんの満ち足りた表情はきっと戦うお母さんの杖になってくれる。
「退院したら、とりあえずしょっちゅうおっぱいをあげていれば良いよ。たくさん吸ってくれたらおっぱいもいっぱい出るようになるし、おなかがいっぱいになったら寝てくれるよ。」 4児の母はさっそく大雑把育児を指南して、新米ママをぐうたら母の道へといざなう。 「そういえば、あんたは赤ん坊が小さいとき一日中おっぱいをくわえさせていたねぇ。」 私の上の子たちの産褥のとき、実家で面倒を見てくれた母が笑う。 「あんたは娘時代から寝付くとなかなか起きない娘だったから、夜の赤ちゃんの世話ができるのかと心配したけれど、よく、赤ちゃんに添い寝しておっぱいをくわえさせていたっけね。」 「そうそう、『赤ちゃんを踏み潰さんように』とよく言われたけど、4人育てて一人も踏み潰した子はいないよ。」 当たり前じゃ、眠くても母だ。潰しゃしない。
「ひいおばあちゃんの法事の時には何とか赤ちゃんを連れて、加古川へ行きたいんですけど。」 弟夫婦は2週間後の法事に参加したいとお産の前から言っていて、今日もかなり本気で検討しているらしい。 「まだまだ生後一ヶ月もたっていない赤ちゃんを連れて、無理しないほうが良いよ。病院では赤ちゃんの面倒だけ見ていれば良いけど、おうちに帰ったら、きっと大変だよ。大荷物こしらえて、加古川までの小旅行する余裕なんてきっとなくなっちゃうよ。」 母と二人で、こちらもかなり本気で説得する。 新米パパママには、赤ちゃんと一緒の生活の大変さの実感はまだない。
おっぱいあげて、げっぷをさせて、オムツを替えて寝かせたら、すぐにまた次の授乳の時間。 「最初の一月はとにかく赤ちゃん中心。この人はお風呂も自分で用意していれていたから、なかなか大変だったと思うよ。」 上の3人の子供達の最初の一ヶ月の育児を助けてくれた母は、赤ちゃんとの生活の大変さを自分の出産の時の記憶ではなく、10年近く前の私の育児の姿を通して語る。 結婚して、父母のもとから巣立って、すっかりひとり立ちしたつもりで子供達を育ててきた私だけれど、本当はこんなに暖かい父母の見守りの中で子育ての急坂を何とか越えさせていただいて来たのだなぁと改めて思う。 父母にとってはいつまでも私は目の離せない子供の一人で、今もまだ暖かい見守りの中に私はいるのだと感じて幸福になった。
帰り道、乗り換え駅のコインロッカーで母がうんとこ運んでくれたお土産の包みを受け取る。 父が近くの王将のセールでわざわざ買ってきてくれたという餃子とラーメン。大量の餃子はいったん冷凍にして、どっしり紙袋に詰めて持たせてくれた。 久しぶりの外出から帰って、おなかをすかせた子供達を待たせての夕餉のしたくは大変だろうと思い図って下さったか。 果たして、子供達の旺盛な食欲はホットプレートで一度に焼いた大量の餃子をあっという間に次々平らげていく。 「お母さん、この餃子、うまいなぁ。」 感激したオニイがさっそく加古川のおじいちゃんにお礼の電話をかける。 「うまいはずだよ。愛だモン。」 Tちゃんの 赤ちゃんが改めて気づかせてくれた両親の暖かい心。 感謝。 感謝。
弟夫婦の所に先日初めての赤ちゃんが生まれた。 予告どおり、元気な女の子。 実家の母より弾んだ声の報告があり、昨日は新米ママ本人からの電話があった。 普段、女学生のようなおっとりした話し振りの若いTちゃんの声が、急に張りある母親の口ぶりに変わっているのも微笑ましい。 後から、弟が「うちの子の写真です。」とさっそく第一号親ばかメールをくれた。 「うちの子」だってさ。 弟もようやくパパの口ぶり。 おめでとう。 天使の到来、よかったね。
赤ちゃんが身近にいる生活からしばらく遠ざかっているので、 メールで送られてきた赤ちゃんの写真は新鮮だった。 「まぁ、かわいい!」 一応言ってみるけれど、生まれたての赤ちゃんというのはどこか動物っぽい。 悟りを開いた高僧のような深い深い無表情。 まだ人間の世界に着地しきっていないような、半分神様の世界に住んでいるような不思議な存在。 これからたくさん乳を飲み、たくさん眠り、たくさんオムツを汚して、赤ちゃんはだんだんに人間らしくなってくる。 母親の呼びかけにわずかに反応する気配が芽生え始めるようになって、初めて「ああ、人間らしくなってきたなぁ。」と気づくようになる。
「母になる」 「父になる」 神様からお預かりした命をしっかりと受け取って、「人間らしく」大事に育てる。これから弟夫婦を待っているのは疾風怒涛の育児の日々。 眠い眠い夜中の授乳、限りないオムツ替え、夜泣き、突然の発熱・・・。 泣きたくなる日もいっぱいあるだろう。 でも不安なパパママを支えてくれるのは、赤ちゃん誕生の日のあの感激。
赤ちゃんの小さな手、小さな頬、小さな瞳。 みんなここから始まったんだな。 憎まれ口をたたき、男臭い汗をかき、些細な事にむくれ、馬鹿みたいに大食する我が家の子供達。 みんな小さくかわいかった。 この子達が十数年の間に与えてくれたたくさんの驚きと喜び。 改めて思い出し、しげしげと子供達の今を思う。 よくぞ大きく育ってくれた。
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