月の輪通信 日々の想い
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この間から続いていた水道工事が終わって、うちの前の道に新しいアスファルトが敷かれた。 春のような暖かい日。 工房と自宅との間をパタパタ行き来して忙しく走り回っていたら、お隣の奥さんがうちとの共有の側溝のお掃除をしてくださっていた。 雨水を落とすだけの短い側溝なので、晴れの日続きで普段はあまり用を成していないのだけれど、道路の砂や落ち葉などがたまりやすくて、時々どちらか気が向いたほうがグレーチングをあげてお掃除をする。
急ぎの仕事が残っていたし、この前は確かうちがお掃除したから、ま、いいかと思って、 「いつもすみません、今日はちょっとお手伝いできなくって・・・」 と会釈して通り過ぎる。 「いいのよ、いいのよ。気まぐれでやってるんだから。」 お隣さんも気持ちよくおっしゃってくださったので、ごめんなさいってお願いしておいた。
夕方、再び外へ出ると、お隣のガレージにたくさんのレジ袋。 側溝からあげた砂や落ち葉を詰めておいてあるらしい。 「あ、悪いけど、お宅のほうにも少し袋、置いてあるのよ。ごめんねぇ。」 「いえいえ、お手伝いしなくてすみません。」 と別れたものの、はて、このレジ袋、どうしたもんかなぁ。
うちでは落ち葉のごみや剪定した木の枝などはまとめて、庭の裏の谷に捨てる。 裏の斜面に積もった落ち葉の上に、集めた落ち葉をどっと乗せてもしばらくするとぺしゃんと嵩が減って自然の腐葉土の山になる。 「山のものは山へ返す。」 そういって、工房の庭の落ち葉もほとんど近くの谷の斜面に運ぶ。 いつも私や義母が庭の落ち葉を捨てる斜面には、何年にも渡って積み上げたふかふかの腐葉土が層になっているはずだ。 ひと冬に山から降り注ぐ木の葉の量はとてつもなく嵩高いものだが、時を経て土に戻ると意外なくらい嵩が減る。 自然の営みというのは、たいしたもんだなぁといつも思う。
レジ袋に詰め込まれた落ち葉や砂は、燃えないごみに出すのだろうか。 う〜ん、こんなにたくさん持って帰ってくれるだろうか。 砂もいっぱい混じっているし。 大体私は、砂や木の葉は「ごみ」という認識がない。 「山のものは山のもの。」 山にお返ししてもいいじゃないの。 しばらく考えて、うちのほうに置いてあった5個ほどの袋の中身を、裏の斜面にざざっとあけた。 その中身のほとんどは「山のもの」 もとの地面になじんで、すぐに見分けがつかなくなる。 空のレジ袋をくるくるまとめてポイと捨てる。 「ごみの少量化」完了。
問題はお隣にある10個ほどのレジ袋。 ついでにそれも引き取ってきて捨てておいたほうがいいのかなぁ。 燃えるごみに出しても、おいていかれるだろうしなぁ。 だからって、お隣の敷地に入って勝手にとってくるのもなぁ・・・。 いじいじと考えながら、出入りのたびにお隣のガレージのレジ袋を横目で確認する。 なんだか落ち着かない。 いつまでも気にかかる。 なんとなく気持ちが悪い。
今朝のごみ収集日。 お隣はあのレジ袋をひとつもごみには出さなかった。 今もまだ、白いレジ袋がお地蔵さんのようにガレージのふちに並んでいる。 う〜ん、どうしたもんかなぁ。 やっぱり片付けてきたほうがいいのかなぁ。 気持ちのいいお隣さんで、別に何の問題もないのだけれど、こういうちょっとした意識の違いってなかなか言い出せなくて、うっとおしい。 主婦の悩みって、ささやかで奥深い。 さあ、どうしましょう。
今朝未明、ちょっと陰気な日記を半分以上書き上げて、う〜んと唸って振り返ったら、父さんが背中を丸めて香合の仕上げ仕事をしていた。 以前から何度も何度もリクエストしていて、今年ようやく完成したお雛様の香合。 手の平に乗る小さな菱餅にちょこんと雄雛雌雛。 お姫様の玩具のような愛らしさ。 父さんの仕事は雄大な山河をうつした大作もいいけれど、こういう細かい細工の作品もうまいなぁといつも思う。 ものを作る手は迷いなくさくさくとよく動いて、われを忘れてぼーっと見入る。 陰気な作文を書き綴るより、こっちがいいや。書きあぐねていた日記の下書きをざーっと削除して、父さんの横に座る。
「ああ、眠い。持ってるものを落としそうになる。」 父さんがう〜んと腰を伸ばす。 夜なべ仕事の最中、襲ってくる睡魔に負けそうになると、 「持ってるものをおとしそうになる。」と表現する。 これは、ホントは同じく夜なべ仕事の多い義父の口癖。 面白がって真似しているうちに、その表現はすっかり夫婦の符丁になった。 「寝ちゃえば・・・?いそぐの、それ?」 「うん、今朝の窯詰めに間に合わせるつもりだったんだけど・・・。」 あくびをかみ殺しながら、それでも父さんの手は止まらない。 偉いなぁ。 ホントにこの仕事、好きなんだなぁ。
「ねぇ、陶芸家のほかに何かやりたい職業はなかったの?] 眠気覚ましに聞いてみる。 「う〜ん、ないこともないけど・・・。ほかにできることもなかったしなぁ。車のデザイナーなんていいかなと憧れてたけど・・・」 陶芸の窯元の次男に生まれて、絵を描いたりものを作ったりするたびに、「ああ。陶芸家の子。」と周りから茶々を入れられて育っただろう父さん。 小さい時から父や祖母の仕事場を身近に見て、あまり疑問を持つことなく陶芸家への道をたどった父さんにとって、「陶芸が好き」がそのまま職業になったということは本当に幸せなことなんだろうなぁと時々思う。
「好きなことをそのまま一生の仕事にできる人って、世の中にはそうたくさんはいないよね。自分の仕事になったことがだんだん好きになる人は多いけど・・・。」 「そうかなぁ。そんなもんかなぁ。」 土くれから器用に菱餅を掘り出す父さんの手。 その手の動きのしなやかさには「好き」だけでは支えきれない技術の積み重ねがあることはよく知っている。 悩んだり滞ったり、倦んだり離れたり・・・。 それでも「僕にはこの仕事しかなかったなぁ。」と子供のような素直さで再び土に向かう。 心優しい父さんの奥底に流れる強い強い職人魂に、私は深い安心を覚える。
「あ、お父さん、遊んでる。」 アユコが父さんの作業をちらと見て、笑った。 小さな雌雛の髪を仕上げる父さんの手。 この間、自分でも小さなお雛様をこしらえて焼いてもらったアユコには、父さんの作業が楽しい、わくわくする作業だということがよくわかるのだ。 「遊んでるわけじゃないよ。仕事仕事。」 確かに他人様が「趣味」としている陶芸を職業にしていると、「毎日陶芸三昧で楽しいでしょうね。」と声をかける人もある。 父さんは大概へらへら笑ってお茶を濁すけれど、仕事としての陶芸は趣味の陶芸とはぜんぜん厳しさが違う。 その厳しさを背負ってなお、土と遊ぶ幼児のように楽しげに作品に取り組むことのできる父さんの強さを、私はいつか子供たちに教えたいと思う。
私が書きかけて、削除してしまった日記は、 定年間近で自殺してしまわれた小学校の校長先生に関するものだった。 人が自分の一生の職業に対する想いは深く深く、傍からは想い図ることのできないものがあるに違いない。 「死を賭して訴えること」は美談かもしれないが、本当に訴えたいことは生きて、「作品」として表に出さないかぎり、人には伝わらないのではないかと私は思う。 私は父さんのそばにいて、その作品を一番に味わわせてもらえることがとてもとても幸せだと思う。
オニイとゲンを剣道の道場へ送り、迎えまで一時間あまり。 いつも閉店前のスーパーをうろつき、数日分の食材を買い込んでくる。 大根、キャベツ、白菜。 見切り処分のぶりのあら、半額シールの張られた菓子パン、3こ100円の特売プリンを2パック。 そして、最後にお肉屋さん。
「58円の合挽きミンチ、1キロ・・・と200グラム。」 「あらら、今日はちょっと増えたね。」 なじみのおばちゃんが、ミンチをいつもの紙製の経木ではなく、透明のビニール袋に押し込んではかりに載せた。 「そうなのよ、ハンバーグ一回1キロではものたりなくなってきて・・・。かっこ悪いわぁ。いっつも安いお肉しか買わなくて悪いねぇ。」 「なにをなにを。毎度ありがとね。家族の食べる量がバンバン増えてるうちが花よ。」 おばちゃんは金曜の晩に私が剣道の待ち時間にふらふら食料買出しにやってくるのを覚えていて、 「今日は焼肉味付けが安いよ。」 とかって声をかけてくれる。 値段は安いし、スチロールのトレーを使わずに紙の経木やナイロン袋で量り売りしてくれるのも嬉しくて、「特価品キロ買い」で利用させてもらう。 「男の子は阿呆みたいに食べる時期がくるもんなぁ。1キロもミンチこねてもなくなるのはあっという間やったなぁ。」 おばちゃんが懐かしそうに笑う。きっとこの人にも大食漢の息子たちがいたんだな。 「夫婦で向かい合って、ちょっとええ肉をちびちび焼いて食べるようになったら、さびしゅうなるで。」 ふふっと笑って、背後へあごをしゃくる。 店の奥で、黙々と精肉を処理しているおっちゃんの影。 そうだね。ホントにそうだね。 「特価品キロ買い」ができるうちが花。
お休みの夕食は、定番のきのこハンバーグ。 大なべとフライパンをフル稼働して、しょうゆ味の煮込み風のハンバーグをど〜んと作る。 ずっしり重いミンチの袋を見つけると、 「やったぞ、明日はハンバーグ」 とよってくる子供らがいる。 両手いっぱい、手指が千切れそうなほどのレジ袋を車に積み込んで、 汗臭い稽古着姿の息子たちを迎えにもどる。 これが今の私。
「今のうちが花」 子育て中、あちこちでいただく先輩たちのキーワード。 ホントにそうだなと素直に聞けるようになってから、 子供たちとの生活は金の時間になった。
昨日のお昼、アユコの先生から電話。 アユコが頭痛でしんどそうだから迎えに来てほしいとのこと。 ありゃりゃ、朝は元気に登校していったのに・・・と即行で迎えに行く。
「お昼前に、目が痛いと訴えていたのだけれど、途中から頭が痛いとしんどそうなので・・・」 吐き気もあるという。 自家中毒では何度か早退の経験のあるアユコだが、そんなに強い頭痛は初めてで、目や吐き気の異常が伴うというので気になる。 「風邪のせいかなぁ。」 ととりあえず寝かせるが、熱もない。 「よく眠って、それでも駄目だったら病院、行こうか。」 と、セデスを一錠。 「頭を振るとぐぁんぐぁんするの。」 「頭の片方だけがとってもいたいの。] 「頭痛の前に目が変になって、黒板を見てたら写真のフラッシュみたいにちかちかして目が痛くなったの。」 「いつもの自家中毒の『頭版』みたいなしんどさなんだけど・・・」 さすがに5年生ともなると、自分のしんどさを説明する語彙も豊かになった。 自分の体の有り様をちゃんと理解できるようになってきたということか、と妙に感心したり、驚いたり。
今朝になってもアユコの頭痛は消えていなかった。 「今日は二つもテストがあるし、理科も新しい単元に入る。ホントは学校、いきたいんだけれど・・・」 パジャマのまま起きてきたアユコは、なんとなくお休みモード。 「いいよいいよ、休んじゃえ。」 うう、主婦の優雅な平日が・・・と嘆きつつ欠席の電話を入れる。 「じっとしてたら、それほど痛くない」 というアユコは母に気遣って病欠中だというのに、アプコの世話を焼いたり、朝の片付けに立っていったり。 「おおい、そんな元気あるんだったら、なんかおいしい昼ごはんでも食べに行こうか。どこかへお買い物にいくとかさぁ・・・」 母は面白がって生真面目なアユコをそそのかす。 とんでもないと首を振るアユコ、これがゲンだったらほいほい飛びついてくるだろうにね。
困った時の「家庭の医学」 子供たちが赤ちゃんの時に買ってきた分厚い本を開く。 「へんずつう」という言葉で引いてみると、あったあった。 アユコと一緒にふむふむと覗き込む。 「周期性に発作的に起こる・・・頭の片側が痛むことが多く・・・・一般に男より女に多く、少女期から思春期に多発・・・」 あはは、これだ、これだ。 「前兆としてだるい感じや耳鳴り、ものが二重に見えたり、チカチカしたものが見えたりします。」 ぴったりじゃん! 「風邪じゃないのかなぁ、なんか怖い病気だったらどうしよう」 となんとなく落ち着かなかった母娘に、ニヤニヤと笑いが浮かぶ。 「これだこれだ。」 頭痛は続いているけれど、なんとなくほっとしてへらへら笑う。
「要するに自家中毒の頭バージョンなのよね。」 プレッシャーがかかったりストレスが重なると、決まってやってくる自家中毒の発作。吐いて吐いて、一晩中吐いて、ぱたっと回復するアユコの体質。 最近では、少し症状も軽くなって、アユコ自身が要領よく発作を乗り来ることができるようになってきたと思っていたら、今度は頭かぁ。 偉大なる「家庭の医学」には書いてある。 「原因はよくわかっていないが、精神的誘引から起こることもしばしばある。」 ストレスよ、ストレスよ。 アユコ、あんたも苦労が絶えないらしいねぇ。 君のガラスのハートは、毎日休まることがないらしい。 よっしゃー、今日はともかくお休みだ。 試験も給食当番も忘れて、ぼーっと遊んじゃおう。
私が内職仕事を片付ける傍らで、アユコは大好きなビーズ手芸をして一日を過ごす。(普段、アプコがまつわりついているとなかなか落ち着いてできないんだ。) 暖かい春のような一日。 アユコの頭痛はすこしずつ引いていく。 なんだかちょっと楽しい病欠でありました。
昨日のこと、園バスのお迎えのついでに久しぶりにKスーパーで お買い物。 アプコはスーパーの入り口にある小さな遊具スペースで 「一回だけ、滑り台していい?」 どちらかというと、就園前の小さい子供たちを対象にした簡単な遊具。 滑り台だって、ほんの2,3歩で駆け上がれそうな短いもの。 園の制服を着たアプコには、どうかな?と思うような小さい子向けの遊具に、嬉々として何度もよじ登っていく。
そっか。この子はまだこういうものが楽しくて仕方がない年齢だったんだ。 大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに合わせて、 たまに遊びに行くといっても、遊具のない公園でのピクニックやら、ショッピングセンターでのお買い物。 園ですごす時間が長いので、帰宅後、公園まで出かけていくこともない。 うちの周りの山やおばあちゃんちの庭で、草花を摘む、砂遊びをする、おじいちゃんとコロの散歩に行く。 アプコの遊びの中に、公園での遊具遊びの機会はあまり多くない。 でも、まだ5歳なんだよなぁ。 オニイもオネエもこのぐらいの年齢の時には、兄弟まとめてよく児童公園の滑り台やブランコで遊ばせたものだった。 いまさらながらに、末っ子育児の手抜きに気づいてしばし呆然。
「もう一回だけ、滑ってきていい?」 何度も何度も、私の元にやってきて、遊び時間の延長をねだるアプコ。 いいよ、いいよ。 飽きるまで滑ってきな。 いつもいつもアプコがそばにいると思っていたけど、 それはオトナの買い物や上の子達の生活にあわせて始終アプコをつれて歩いているだけで、 ホントはアプコのための時間をすごしていたわけではなかったんだなぁ。
周りには買い物帰りに小さい子を遊具で遊ばせている若いお母さんたち。 まだあんよがやっとの子供を抱き上げては滑り台を滑らせ、 自動車型の遊具に座らせてはそばからあやしたり、ほめたり。 どのお母さんもレジ袋を傍らにおいて、夕食の準備が気になる夕刻。 お母さんは忙しいんだよ。 早く帰ろうよ。 わかるわかる、その気持ち。
公園遊び現役時代には、いつも味わっていたあの感じ。 子供らが危ないことをしないか、よその子に迷惑をかけるような悪さをしないか。 しょっちゅう、目で追い、声をかけ、子供らの遊びを見守る。 傍目には公園でのんびり子供と遊ぶお母さんだけど、 「早く帰って洗濯物取り入れなくっちゃ」とか、「こんなところで、ぼーっとしてる私の人生って何?]とか、結構心の中ではいろんな葛藤があったりしたものだった。 「そろそろ帰ろうよ。」 子供たちの遊びを断ち切る決まり文句。 なかなか遊びをやめない子供らにイライラも募る。 子供たちに自分の時間のすべてを吸い取られて行くような、 軽い焦りがいつもいつも漂っていた。
あれはなんだったんだろうなぁ。 今にして思えば、幼い子供と過ごすのはほんのわずかな数年間のこと。 もっとゆっくり子供との時間を味わいつくしていてもよかったのに。 ジャングルジムの新しい一段に足をかける時の子供の緊張した顔。 滑り台の頂上で得意げに周りを見回すこどもの笑顔。 タカタカと歩み寄ってくるたどたどしい足取りの愛らしさ。 2度とは見られない子供たちの日常をもっとじっくり味わう余裕が、 あの日の私にもう少しあればよかったのに・・・。
「子育て支援」といういやな言葉がある。 たいがいは、働きたいお母さんのための保育の充実とか、育児ストレスの絶えない密室育児のお母さんへの一時保育サービスとか。 忙しいお母さんたちから、ちょっとだけ子供を預かって羽を伸ばさせてやろうという試み。 確かにそれも、くたびれたお母さんたちのリフレッシュのためには有効なんだけれどね。 子供たちと一緒にすごす一見無意味にも見える長い時間を、「今はゆっくり味わっていていいんだよ、ちっとも無駄じゃないんだよ。」と思わせてあげられるような手助けの方法って、ないんだろうか。 母親が四六時中幼児とともに過ごすというごく当たり前のことが、お母さんにとって負担に感じたり、後ろめたく感じたりする現代って、確かに子育てに厳しい時代なのかなぁと思ったりする。
上の子たちが大きくなって、我が家最後の幼児も5歳になった。 子供の時間のすべてを母の時間として共有することができるのも後わずか。 「オカアサン、見てて、見てて。」 アプコが手を引き、うれしそうに滑り台を滑って見せる。 後もう少し。 腰をすえてしっかり味わわせてもらうよ。 アプコの小さい靴。 泥んこのお尻。 得意げな笑顔。 アプコにとっては今が一回きりの今なんだね。
今朝から父さんは、沖縄へ出張。 あちらで開かれている展示会の会場行きと、取材が目的。 二泊三日。
出発前というのに昨晩些細な事で父さんと小さな行き違いがあって、 なんとなく笑顔で行ってらっしゃいとは言えない雰囲気で、 朝のあわただしさにまぎれて父さんを送り出した。 朝の家事を一通り済ませて、PCの前に座る。 メールを開くと父さんからの新着メール。 「今、空港。昨日はごめん。行ってきます。」 あ、しまった。 また、先を越されちゃった、と舌を出す。 ホントは私のほうが「ごめん」だったかもしれないのになぁ。 父さん、オトナじゃん。
不言実行の父さんを前に、理詰めできゃんきゃんまくし立てる私は、 口争いなら俄然強くなる。 自分の非は認めない。 父さんの言葉尻を捕らえて、すかさず、噛み付く。 最後はだんまりを決め込むか、けろっと忘れた振りをして一方的に争いに幕を引く。
「あたしは、意地が悪いですよ。それでもいいんですか。」 結婚前、私はクリームソーダを飲みながら、父さんに念を押した。 私と父さんは10歳違い。 さぞかし、夫の言うことに素直に従う従順な新妻を期待して結婚を決断したに違いない。 気の毒に・・・。 「結婚前に、私はちゃんと言いましたよね、私は意地が悪いって・・・] 今でも私は時々、父さんに念を押す。 「はいはい、そのとおり。」 と、へらへらやり過ごす父さんは確かに偉い。 「ごめん」と先手を打っておいて、私が頭を冷やすのを密かにじっくり参っているに違いない。
子供たちの前では、夫婦で言い争いする様は見せないように努めているが、 それでも成長した子供たちは父さん母さんの言い合いを聞き耳立てて、聞いている。 「今のはちょっと・・・」 PCに熱中しているとばかり思っていたアユコが、父さんの言葉を小耳に挟んで、つぶやいた。 オトナの話に首を突っ込むと叱られるとは知りつつも、 「もう知らない。」とさじを投げた父さんの一言に、厳しいツッコミ。 そうかそうか。 アユコはやっぱり、母さんの味方よね。 女同士の結束は強いんだものね。 弱った父さんに、頼みのオニイやゲンの応援はいまいち頼りない。
「今朝も寒いよ。 沖縄はさぞかし暖かいことでしょうねぇ。 せいぜいおいしいもの食べて、 しっかりお仕事してきたまえ。」 返信メールには、やっぱり「ごめん」の文字はなし。 あたしってほんとに意地が悪い。
うちのオニイは生真面目な男である。 うっかり、ぼんやりは多いし、母譲りのずぼらがしみついてはいるが、 基本的には真面目な気配りの男である。 「茶髪、ガングロの女は好きにはならん」 といまだに公言している。(もう、死語だってば、ガングロ・・・) 20歳になるまで絶対アルコールは口にしないそうである。 タバコも一生吸わないつもりなのだそうだ。 校則はきっちり守る。 レインコートがだめといわれれば、自転車片手運転になってもかさをさしていく。(余計あぶないってば。) 手袋もだめといわれて、寒空に指ががちがちに凍りそうになっても手袋なしで自転車を飛ばしていった。(「手袋禁止」はオニイの勘違いで、使用してもいいことが後でわかった。「そんなあほな規則があるなら、自転車のハンドルに軍手を縫い付けてやる」と母が吠えたので、勘違いに気がついた。)
「僕は一生、赤信号は渡らない。」 少年の潔癖さで、オニイは「一生」という言葉で未来の自分の生活を縛る。 車がめったに通らない横断歩道でも、大また3歩で渡れる路地でも、オニイは律儀に足を止める。そして、まっすぐに赤信号を見つめ、周りの大人がどんどん追い越して渡って行ってもあわてない、釣られない、流されない。 「まだまだ青いなぁ」と息子の正義感を片方で笑いながら、この子は将来生き難い選択肢をわざわざ選んでいくかもなぁとため息をつく。
「日本人が赤信号を渡らないのは自分の判断に自信を持てないからだ。」 と、サッカーの某監督さんがいわれたそうだ。 確かに街に出ると、車の来そうにない短い横断歩道でイライラ青信号を待っているのは間が抜けている。 安全の基準を機械の信号の判断に任せ、従順に立ち止まる。 周りの様子を伺って「渡っちゃおうかな」「渡っちゃだめかな。」と葛藤するのもなんとなく居心地が悪い。 自己責任で「それでも私は渡るのよ。」と決然と赤信号で横断していく人が、 妙に凛々しく見えてしまうこともある。 誰かの決断に追随して、「みんなで渡れば・・・」となんとなく一緒に横断し始めるのも体裁が悪い。 そんな優柔不断な「自己責任」にオニイの青さが、妙に苦い。
先日、昔NHKの幼児番組で長い間親しまれていたノッポさんの講演をTVで見た。 「私は決して、赤信号では渡らない。 小さい人たちは、年齢を重ねた今の私よりずっとずっと賢い。 だから私は小さい人たちと話をするとき、最大限の権威を持って話すのだ。 『赤信号では渡らない』と小さい人に言うとき、 『人が見てなかったらいいかな』『車が来ないからいいかな』といういい加減な気持ちでは、話すことができない。 だから私は絶対に赤信号では渡らないのだ。」 子どもの事を必ず「小さい人」と呼ぶノッポさんの誠実なお人柄もさることながら、「生涯、決して」と自分の正義を貫く厳格さに衝撃を受けた。 70歳の年齢を重ねて、それでも少年のごとき決然たる正義を公言できるノッポさんの強さ。 それはすっきりと潔く、凛々しい強さだった。
果たして、オニイの青臭い正義感はいったい何歳まで残っているのだろう。 少年から大人へ、挫折や矛盾をいくつも乗り越えて、 人は「建前と本音」という都合のいい術を身につける。 それを成長とか、成熟とか呼ぶのだろうか。 「老」という文字を冠にする方の少年のような正義感を 「かっこ悪い」と笑うことのできない母は、 オニイが「赤信号を迷いつつ渡ってしまう」普通の大人に成長していくのを黙って見守っていくのだろうか。
朝、皆から送れてのろのろと朝ごはんを食べていたアプコ。 「ね、朝ごはんにこれ食べちゃだめ?」 アプコが指差しているのは先日おやつ用にと先日一緒に買ってきたコーンフレーク。 「だめだめ、さっさとお味噌汁食べちゃいなさい。」 我が家の朝ごはんは、いつでも大抵、白ご飯。 朝からぐちゃぐちゃ、牛乳がけコーンフレークなんかじゃ、力が出ない。 「でもTVでは、あさごはんにって言ってるよ。幼稚園のお友達だって・・・」 といいかけて、アプコは口ごもった。 朝食にコーンフレークを食べてくるお友達が思い浮かばなかったらしい。 お母さんにだって、「今朝はコーンフレーク食べてきたわ」なんてお友達いないもの。 「あのね、朝ごはんにコーンフレークを食べるのはきっとアメリカの人よ。 アプコは日本人だから、ご飯を食べていきなさい。」 「ふぅん。」 もそもそと冷めたお味噌汁を食べ始めたアプコ。 「ま、いいか。アタシ、チョコの方のコーンフレークは変なにおいがするから嫌い。」 「変なにおい?」 「うん、赤い粘土(おもちゃの小麦粉粘土)の匂いがするよ、だから今日はコーンフレーク、食べなくていいや。」 アプコよ、 それを「すっぱいぶどう」という。
園バスのおじちゃんにお手紙を書くのだといって、張り切って新しいレターセットの封を切った。 アプコのバスのおじちゃんは、とても絵の上手なおじちゃんで、 子供たちがたどたどしい字でお手紙を書くと、さらさらと筆ペンで子供らの好きそうな動物の絵を書いてお返事をくれるという。 一生懸命書いたお手紙を手に持って、登園するというので、 「落とすといけないから、かばんにいれておこうね。」 と通園リュックのポケットにいれた。 数日して、アプコのリュックにはおじちゃんへの手紙が前のまま収まっている。 「どうしたの、渡さなかったの?」 と聞くと、 「バスの中ではリュックを下ろしちゃいけないの。 バスのおじちゃんとはバスの中でしか会わないからわたせないの。」 はぁ、そうですか。 書いた手紙を頑固に「手に持っていく!」と主張していた理由がやっとわかった。
5歳児には5歳児の、やむにやまれぬ事情がある。 大人の目から見れば、あははと笑ってしまうピントはずれな理屈だけれど、 アプコの頭の中では何の矛盾もない、完結した主張なのだ。 「早く、早く」 「こうしたほうがいいでしょ!」 大人は大人の理屈で、効率よく子供の生活を取り仕切る。 それが最善と信じて疑わないけれど、子供たちの世界は別の理屈でまわっていることもある。 小さいアプコの中にさえ、私の思いもよらない価値観や世界観が日々着実に築かれている。 時には家事の手を止めて、小さな世界の秩序を学ぶ。 その面白さに、ようやく最近気づき始めた。
「今日は何の日か知ってる?」 アプコに聞いたら、得意そうに答えてくれた。 「れんこくきねんび!」 はぁ、幼稚園の先生がそう、おしえてくれたのね。 私が噴出しそうになっていると、 「???けっこんきねんび?」 惜しい、もう一息。 おじいちゃんが玄関に誇らしく日の丸を掲げていた。 空が青くて、日の丸の赤がとてもきれいに見える。
車で走っていたら、久しぶりに自転車で坂道を登っていく母子を見た。 自転車の前と後ろに就園前らしい二人の小さな子供たち。 おまけにお母さんの背中にはもっと小さい赤ちゃんがおんぶされている。 後ろに乗っているおにいちゃんが抱えているのはスーパーの買い物袋。 だらだらとゆるい坂を、それでもさすがに自転車を漕いで登ることはできなくて、 うんこらうんこら押して歩く。 冷たい風も吹いているというのに、お母さんはふうふう、赤い顔をして坂を登っていく。 がんばっているなぁ。 たくましいなぁ。 そして、 なつかしいなぁ。
上の3人の子らが幼いころ、私は今ほどしょっちゅう車に乗っていなくて、 よく自転車やベビーカーで、子供らをつれて外出した。 あのお母さんのように、3人の子をひとくくりにして自転車で爆走していた事もある。 生駒の山のふもとにあるわが町はどこへ行くにも「下って上る」の坂道続き。 子供らの体重と買い物でずっしり重くなった自転車で坂道をほいほい漕いで登ることはできなくて、荷車を押す牛のようにのろのろ押して歩いていた。 それでも、途中でくたびれて座り込んだり、水溜りを選んで歩いたりする幼児たちをさっさと運ぶためには、一まとめに自転車にくくりつけておくのが最善の方法だったのだ。 「大変やなぁ。頑張りや。今は大変やけど、この子らが大きくなってら楽さしてもらえるでぇ。」 近所のおばちゃんたちがふうふう坂を登っていく私の後ろから、面白がって声をかける。 「ホンマに楽さしてもらえる日が来るんかしらんねぇ。」 息を切らして、振り返りへらへらと笑う。 前の補助座席でうとうとし始めたアユコの頭がハンドルを握る私の腕にしなだれかかる。 「お兄ちゃん、アユコが寝ちゃったよ。」 後ろのオニイまで寝られてはかなわぬと、話し掛けたり歌を歌ったりして、ようやくうちにたどり着く。 重い荷物で不安定な自転車から子供たちを抱き下ろすのがまた大変で、玄関口に入るとどっとくたびれてへたり込んでしまったものだった。
坂道をのろのろとあがっていく自転車の親子。 後ろに乗っているおにいちゃんの小さい足がお母さんの歩みに合わせてパタパタと拍子をとっている。 前の乗ってる子の口元には小さなかわいい鼻ちょうちん。 そして背中の赤ちゃんの毛糸の帽子がパクパクゆれて、踊っている。 今、必死で自転車を押しているお母さん自身には、 その愛らしさは見えないのだけれど・・・。
「今は大変やけど、先で、きっと楽さしてもらえるで。」 四六時中小さい子供たちをつれている私に近所の年配の婦人たちは今でもしょっちゅうそんなことを言う。 「ほんまかなぁ。」 とやんわり切り返しながら、今の私は後ろでぺろっと舌を出す。 確かにしんどいことは多いけど、ほんとに楽しくて充実していたのはあのころの私。 くたびれ果てて帰ってきて、子供らと飲むいっぱいのミルクのおいしさ。 オムツや泥んこの洗濯物を洗い上げて、お日様にさらす時の爽快感。 いつもいつも自分の体の一部分のように幼い子らがそばにいる幸せ。 5人の子らを生み育て、10年も「乳飲み子を抱えた母」をつとめたおかげで、 私はそのしんどさだけではなくて、濃密な母子の時間の甘い充実感を見出すことができたように思う。
「小さい子の声が家の中にあふれていたあのころに戻りたいわ。」 そんな風に、子供たちと過ごす私をうらやましそうにおっしゃる方もある。 とんでもない。 あんなどろどろの体力の要る生活には、もう二度と戻りたくない。 日々成長して、幼いころの愛らしさが、大人への入り口に立つたくましさに変わりつつある子供たち。 幼児のたどたどしい愛らしさも懐かしくはあるけれど、私には迷いつつ階段を上っていく明日の子供たちの姿の方が関心事。 今が一番。 明日はもっといい。 常にそんな希望を抱かせてくれる、子育てというのはほんとに尽きない泉のようなものなのだ。
今、現役で、「四六時中、あかちゃんといっしょ」の生活を強いられているお母さん。 「今は大変だけど、先できっといいことあるよ。」 「小さい子がいつもそばにいる今が一番楽しいのよ」 先輩ママたちが、飽きるほど口にした言葉をあなたに贈る。 「ほんまかいな」 「とんでもない、ほっといてよ。」と切り返して、 頑張っている今のあなたを自分でほめてあげよう。 子供たちの成長がきっとあなたの頑張りに答えてくれる。
近頃、きまじめなオニイがプリプリ怒っている。 相手は当然4つ違いの弟、ゲンである。 「コイツ、兄としての僕の事を嘗めている。ちっとも敬意を払わない。」 理屈屋のオニイは、生意気なゲンの言動がいちいち気にくわない。 口調を改めて、ゲンをひっつかまえ、説教を垂れる。 「はいはい、わかった、わかった。」とへらへら、聞き流すゲン。 その軽薄さが気に入らなくて、オニイの説教はさらに続く。
オニイが苦手な白ネギを食べ残したまま、夕食の席を立とうとする。 「オニイ、残ってるよ。」 すかさず私が呼び止める。 「あ、お兄ちゃん、嫌いな物だけ残そうと思ってるやろ!」 と、ゲンが尻馬に乗り、殊更美味しそうに自分のお皿の白ネギを食べてみせる。 オニイが説教モードに入るのはこんな時。
オニイの友達や剣道仲間のいるところで、 オニイの失敗談を面白おかしく暴露したり、普段よりしつこくオニイにちょっかいをかける。 「非暴力、不服従」を実践する心優しいオニイの堪忍袋の緒が切れるのはこんな時。
次々に赤ちゃんが生まれて、上の子達にも十分に目を向けてやるために、 3人同時赤ちゃんと思って、「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」という言葉をなるべく使わないように育ててきた子ども達。 そのせいか3番目のゲンは、オニイ、オネエに同年令の友達のようにじゃれついていく。 そうでなくても、人なつっこい彼は身の回りの大人や先生達にも遠慮なくツッコミを入れたり、間違いを指摘したりする事も目立つ。 それはそれで、彼なりの親愛の示し方でかわいいところでもあるのだけれど、時にはむかっときて睨みつけてやりたい時もある。 道場で、偉い先生方の教えを受けたり、中学校で怖い先輩や厳しい先生に出会ったりして、「目上の人との接し方」について、多くを学びつつあるオニイにとって、「兄の権威」を屁とも思わぬ弟の存在が、うっとおしく感じるのも無理はない。
「もう、しょうがないなぁ、またお兄ちゃん、忘れ物していっちゃったよ。」 「オニイ、机の上をきれいに片づけなさいよ、アユコやゲンの机の方がきれいだよ。」 不用意に私がこぼすその言葉。 プライド高いオニイには一番有効な言い方だけど、そばで聞いている弟妹たちにはオニイの受けるお小言は、そのまま兄の権威をひきずり落とす格好のネタになる。 「ゲン、お前なぁ、ぼくのこと、兄と思ってないやろう!」 ゲンに説教を垂れるオニイの口調にも、心なしか情けないものが混じる。 いかんなぁ。 母は、オニイへの小言は弟妹達の居ないところでオニイ一人にこぼすことに決めた。
「長幼の序」 この古くさい言葉を幼い子ども達にどんな風に教えたらいいものか。 高学年の教室でさえ、多くの子どもが友達に話すような言葉で先生に話しかける。 幼い子が「何やってるん、あほやなぁ。」と年長の子の失敗を笑う。 「みんな仲良し、みんな平等」が基本の学校生活の中で、「年長者を敬う」という古めかしい習慣を教えるのは難しいのかもしれない。 近頃では、家庭でも友達言葉で会話する親子が多くなって、「母と一緒になって父親をコケにする娘」とか、「息子を味方に付けて妻をこき下ろす父」の話もよく聞く。 「先生だから」「親だから」「年長者だから」 それだけの事で敬意を表する事の理屈を、今の子ども達に改めて教え込むということは、意外と難しい問題なのかもしれない。
「オニイは、偉いなぁ。寒いのに、今日もさぼらずに夜の剣道、行くんだって・・・」 弟妹達にオニイへの小言を聞かせる変わりに、頑張るオニイの偉大さを殊更に強調する。 「年上だから」「長男だから」というのではなく、 「頑張ってるから」「優しいから」「いろんな事を知っているから」オニイは偉いのだと、母は訴える。 「オニイって、そんな偉いところがあったんだ。」 と見上げる弟妹の視線は、きっとのんびり長男のオニイの背中をぐいと押してくれるだろう。 「長幼の序」と言う題目を現代の子ども達の心にしっかり刻みつけるのは難しい。 とりあえず、「頑張ってる人は偉い」から始めよう。 そして、私自身が、親を、夫を、先生を「偉い」と大事に敬うことから・・・・。 子ども達はその後ろ姿から、きっと学んでくれると思うから。
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