月の輪通信 日々の想い
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寒い朝。 アプコと二人、転がるように園バスへの道を駆け下りる。 「オカアサン、なんで走るの?」 「ごめん、ごめん。寒いからついつい早足になっちゃって・・・」 と、速度を落とすが、しばらくすると今度はアプコが駆け足。 「アプコ、なんで、はしるの?」 「だって、寒いんだモン!」
日溜まりで立ち止まって膝をつき、ずり落ちたアプコのハイソックスを引っ張り上げ、上着の前ファスナーをぐっと上げてやり、手袋の手を両手で包んで温める。 「寒いね、アプコ。もうちょっと頑張ろうね。」 と赤いほっぺのアプコの顔を見上げたとき、あっと、思った。 今の私、おかあさんに似てる。
鮮やかによみがえった子どもの頃の記憶。 デジャヴって言うのともちょっと違う。 私の頭に浮かんだのは幼い頃の私の想い出ではなくて、今の私があの日の母とおんなじ目線、おんなじ手つき、おんなじ表情をしてるんだなって言うこと。
私がアプコと同じ年の頃、母は、五つ違いの弟を出産。 長い一人っ子生活からいきなりお姉さんになった私に、赤ちゃんを抱く母は少し遠く見えた。 うちには同居のおばあちゃんもいて、寂しい想いをしたという記憶もないのだけれど、幼い日の思い出の中の私はいつも「お姉ちゃんになった私」 一人っ子時代の甘えんぼしている私の記憶は何故だかほとんど残っていないのだ。 家族のなかでは、名前を呼ばれるより「お姉ちゃん」と呼ばれることが多かった子供時代。 それでもあの頃、こんな冷たい北風の中、立ち止まった母が私の手を両手で包み、こんなふうに温めてくれた事がきっとあったのだなと突然、思い至り、うれしくなる。
おみそ汁を碗につぐとき、洗濯物をパタパタ取り込むとき、 「あ、今の私、おかあさんに似てる。」 たびたび感じるようになった。 どちらかというと、性格も外見も私は父親似。 体型だって母は今の私よりずっとスリムで、毎日ちゃんとお化粧してた。 編み物やお料理が上手でにこやかで、密かに「自慢の母」だった。 「アタシはおかあさんには似ていない」とずーっと思ってきたけれど、 気がついてみれば、母とおんなじ専業主婦。 子ども達を叱る時に使う言葉。 傷ついた子どものなぐさめ方。 挫折を乗り越えるときの気持ちの切り替え方。 「ああ、今の私はおかあさんに似ている。」 そう思うたび湧いてくる暖かな勇気。 良き母に育てて頂いた。 感謝の想いを愛する4人の子ども達に等しく分ける。
「もしもし、別に用事はないんだけどね。」 母の声が聞きたくて、時折実家に電話する。 子ども達の近況を報告し、庭の花の様子を聞き、時には「晩ご飯何にするの?」と夕餉の献立の相談をする。 たわいもない会話で終わる電話。 それで、いい。 あの家にいつも変わらぬ母が居る。 それだけのことで、元気になる。
アプコを叱るアユコの声。 洗濯物を畳んでくれるアユコの手。 この子もいつか母になり、 「あ、今の私、母さんに似てる」 とふっと気付く日が来るのだろうか。 そのとき思い浮かぶ私の姿が、 あの日の母のように優しく暖かい母でありますように・・・。 遠い未来の子ども達を思いながら、 今日は暖かいミルクを沸かした。
ゲンのクラスの担任の先生は、教師一年生のお姉さん先生。 だいじょぶかなぁ・・・なんて、思っていたら、これがなかなか「当たり」の先生。 毎日、せっせと学級通信を出し、子ども達とのボール遊びに子ども以上にヒートアップし、独特のユーモアでギャングエイジの子供らをぐっと引きつける。 若い先生って、ベテラン先生とは違う面白さがあるよな、と思う。
このクラスの係り活動。 子供らがみんなのために必要と思う係を作って、全員が一人一役受け持つことになっている。 「かさ係」「黒板係」「体育係」っていう例のあれだけど、なんかユニークなのが混じっている。 2学期。 「ケンカとめ係」 よっぽどしょっちゅうケンカがあるのかな。 確かに、争いごとが始まると必ず出てくる仲裁係がいると便利かもしれないけど、それより、見かけたアンタが止めたらどうよ。 ・・・とつっこんでいたら、やっぱり子ども達もそう思っていたらしく、3学期には廃止になった。
ちなみに、2学期の「ケンカとめ係」は別に筋骨隆々でもないふつーの子がやってたそうだ。
で、かわって登場したのが「折り紙拾い係」 去年の秋から、どうやらうちのゲンが流行らせたらしい紙飛行機ブーム。 徳用折り紙の大束をガンガン消費して作り出す紙飛行機、当然、飛ばしたらとばしっぱなし。 たちまち、教室は紙屑の山。 「なんとかせんかい」の声が挙がっていたらしい。 それこそ、「飛行機作った本人が拾えばどうよ。」とツッコミを入れたいところだけれど、その辺の学習能力は3年生にはまだまだ期待できないらしい。
「当然、ゲンは折り紙拾い係よね。」 ときいたら、 「違う、ぼくは落とし物係!」 え?それって、いっぱい落とし物をする係ですか?
学級通信に載せられた「3学期のかかりのしごと」を読んで、ひとしきり笑ってしまった。 いいなぁ、この先生のにじみ出るようなユーモア感覚。 「仲良し係」とか、「ゴミ係」とか、見慣れた係の名前を子供らに提案することもなく、子供らの言葉通りに「ケンカとめ係」「折り紙拾い係」を採用する鷹揚さ。 「気がついた人がやったほうがいいんじゃないの?」とオトナの論理で誘導してしまわないで、にこにこわらって子供らの活動を見守る余裕。 これってきっと、この先生自身が、こういうゆったりした先生や両親の暖かい見守りのなかで育っていらしたんだろうなぁ、と思う。 「子どもの目線に立って・・・」と言われるけれど、オトナになってしまった教師や親が、子どもの心を共感するためには、豊かな想像力と結果を急がない心の余裕が必要。 こどもって、こんなに面白いんだなぁ。 こんな事を考えてるんだなぁ。 「母」の目線で子供らを見ることに何の疑問も待たない私に、子どもの心を持った若いお姉さん先生から発信される「子どものこころ」通信。 くすくす笑ったり、ふむふむと感心したり、随分楽しく読ませてもらった。 若いっていいなぁ・・・。
朝から父さんがまた何か捜し物をしているらしい。 あちこちの引き出しをひっくり返したり、ファイルやノートをパラパラめくったり・・・。 また探してるなとは思いつつ、あわただしい朝のこと。 とりあえず、先に出ていく子ども達ができあがるまでは見ない振り。
父さんが探しているのは、何枚かの書類。 うちの食品庫にマグネットでとめておいたのを、コピーしようと工房まで持っていき、ちょっと仕事している間にその書類が行方不明。 「確かに持って出たんだけど・・・。」 何度も何度も、家と工房の間を行き来したりして、行方不明の書類を探している。 しゃあないなぁ・・・と一緒に探す。 玄関まわり、工房の荷造り場、窯場、事務所のコピーまわり。 父さんのたどった道筋を一緒に一つ一つ確認して回る。 「ひょっとして、窯詰めの時に窯のなかにおとしたかも・・・」 そんな馬鹿なと思いつつ、窯の奥までのぞき込んでもやっぱり無い。 「いいよ、諦めた。格好悪いけど、もう一回もらってくれば済むことだから・・・」といいながら、 やっぱり目と手はあたりを見回して書類を探している。
実を言うと、父さんは忘れ物、落とし物の名人。 手帖、鍵、書類、カメラのパーツ。 身の回りのちょっとしたものが見あたらなくて、あちこち家捜しするのはしょっちゅうの事。 最近では携帯電話も行方不明になって、遂に出てこないまま新しくした。 「絶対、ここに入れた筈なんだ。ちょっと○○してる間に見あたらなくなって・・・」 いつも困惑した父さんのセリフは同じ。 ホントはよく判ってるんだ。 父さんがなくしものをするのは大概、頭のなかが当面の重要課題でいっぱいになっているとき。 やらなければならない仕事のこと、新しい作品のこと、家族の事。 何かにとっても心を砕いているとき、父さんの頭から身の回りの些細な事がすっかり抜け落ちて、失敗をする。
「ま、ま、おちついて・・・。頭を切り換えよう。でないともっと大きな失敗するよ。」 「それにしてもおかしいよ。なくなるはずはないんだよ。」 いつまでも首を傾げる父さん。 「きっと、第三者の何らかの力が加わっているにちがいない。誰かが持っていったとか・・・。でなきゃ、考えられない。」 お、第三者の陰謀ですか。 「Xファイルみたいにさ、きっと誰かが闇に葬っててさ・・・」 あはは、そこまでいいますか。
若かりし頃、「お嬢さんを下さい」をやるために初めて私の実家を訪れたとき、 父さんは最寄り駅の電話ボックスに手帖を忘れた。 仕事のスケジュールや、あちこちの連絡先、作品のアイディアなどをこまごまと書き込んだ大事な手帖。 慌てて探しに行ったけど、すでに見あたらなくて、なんだかショボンとしてしまった。 あの時の父さんもきっと頭のなかは、一世一代の「お嬢さんを下さい」でいっぱいだったんだな。 父さんのなくしもの癖を初めて知ったあの日から十数年。 二人で捜し物した回数も数え切れないほど。 そのたんびに二人でおろおろし、ため息をつき、諦める。 確かにね、いつも手元にあるはずのものが見つからなくて、探し疲れてイライラするとき、「誰かの陰謀かも・・・」って思っちゃう事がある。 「なんで、ちゃんとしまっておかなかったんだろ。」って、ほんの数分前の自分に腹が立っちゃう事もある。 でもね、なくした物を探す時間は、何かに一生懸命でまわりが見えなくなりそうな父さんの大事な小休止。 だから一緒に探してあげる。 「しゃあないなぁ・・・」と愚痴りながら、父さんと二人、一つの物を探す。 きっと、年をとってもね。
忘れた頃になって、 「あった、あった!」と父さんが帰ってきた。 仕事場の桟板(作品などを並べて運ぶための細い板)の上にぽんとおいて、さらにその上に別の桟板を重ねて移動させてしまっていたらしい。 ははぁ、Xファイルは父さん自身だったって訳ね。 所詮、捜し物なんてそんな物。 「みつかってよかったね。」 なんだかすっきりして、トクした気分。 馬鹿だなぁ。
2月に初めての赤ちゃんを迎える弟夫婦が、お下がりベビーカーを引き取りにきてくれた。 病院で立ち会い出産の講習を夫婦で受けた帰りだという。 「一緒にひーひーふーってやるの?」 と聞いたら、「かもね。」と弟はお茶を濁す。 初々しいねぇ、パパの恥じらい。
ベビーカーに、赤ちゃんを寝かす籠、アプコのお古の子供服。 しばらく屋根裏にしまい込んであったベビー用品。 嫌と言うほど使い込んだものを引き取ってもらうのは気が引けるのだけれど、 元気で大きく育った子供らのエネルギーを、ピカピカの赤ちゃんにも分けて上げたい、そんな気持ちで送り出す。 「使う期間は短いのに、買うと結構高いからね。」 小姑のお節介にいちいちうなずいて笑ってくれるTちゃん。 悪いね、怖いお義姉さんの居ないところで、愚痴いいながら処分してくれてもいいからね。
「で、布おむつはいる?紙おむつがラクチンだけど、経済的には布も助かるよ。」 まだまだ、赤ちゃんとの生活に実感がわかないTちゃん。 布おむつも少しは用意したけど、どうなるか判らない。 「あかちゃんって、一日の何回くらい、おむつを替えるんでしょう?」 あはは、そうだね、そこんとこからわかんないんだよね。 初めて母になると言うことは、海図も持たずに大海原に旅立つ小舟のようなもの。 怒濤の海を10年も漂い続けた老水夫は、処女航海の新米ママのとまどいをようやく少し思い出した。
一日にバケツいっぱいの布おむつ。 ががっと洗濯機であらって、しっかり脱水し、パタパタ拡げて干し上げる。 どうだ、うちにはこんなに手の掛かる赤ん坊がいるんだぞっと胸を張って日なたに干す。 お日様をいっぱい吸った布おむつは、ぱりっと乾いて、畳んで積み上げるとふんわりと嵩高い。 ぴぴっと端っこを揃えてたたんだ布おむつをたっぷりおむつ入れに補充すると、「さあ、明日もしっかり『ママ』するぞ」 と妙な闘志が湧いてくる。 ただただ眠い、しんどい、忙しいの毎日だったけど、充実していたなぁ、あの時代。
その頃の戦友、段ボール箱いっぱいの布おむつ。 なかなか処分することが出来なくて、今でも半分はリビングの端っこに置いておいて、 「ぎゃー、こぼした!」とか、「げ、こんなトコ汚したのはだれ?!」の時の応急処置用に愛用している。 何度も何度も洗濯を重ねて柔らかく、洗いやすく乾きやすい。 最後のおむつ生活者が卒業しても、まだまだ我が家で活躍している布おむつ。 こんなに親しく手になじみ、暖かい想いのこもった布の存在をなんだかちょっと嬉しく思う。 長い育児生活の果てに、母の手元に残ったのはこんな宝物。
「育児」という知らないことだらけの海にこぎ出そうとしているTちゃん。 大丈夫。 きっと赤ちゃんとの生活は楽しいよ。 たくさんのおむつも夜中の授乳も、過ぎてしまえば輝く勲章。 なにより、毎日確実に成長していく、頼もしい子供らがいる。
先日からのオニイの喉の変調。 もしかしたら声変わり? おっさん声の息子に「かあさん」と呼ばれる日も近い。 うう、あんなにかわいい産声だったのに・・・
今週になって子ども達の給食やお弁当が始まり、また、父さんと二人のランチタイム。 歩いて1分の工房で働く父さんは、昼時になるとパタパタと土まみれのエプロンをはたいて帰ってくる。 うどん、焼きそば、丼もの。 あまりかわりばえのしない昼ご飯を父さんと二人で食べる。 父さんと私はほぼ毎日、三食一緒。
アプコのお友達のKちゃんのお父さんは、最近単身赴任先から帰ってこられた。 年の離れた末っ子Kちゃんは、毎日お父さんがおうちに帰ってくるのがとっても嬉しい。 そして、Kちゃんのお母さんは、「旦那が帰ってくると、早寝ができん、たばこ臭い、朝から作る弁当が4個になった!」とちょっと愚痴モード。 「うちなんか、毎日昼ご飯食べに帰ってくるよ。」 「うわ、きっちり三食つくるのか・・・。それもかなわんなぁ。」
確かになぁ。 仕事と家庭が密着していて、なかなか外へ出る機会の少ない父さんも、「おうちの日々」が続くとだんだん煮詰まってくる。 ・・・と言うわけで、父さんと私は時々、外でランチする。 銀行や郵便局の用事を済ませ、夕食の買い物につきあってもらい、ファミレスとかファーストフード店とかでお手軽ランチ。 月の何度かの昼デート。 「そろそろいくか」 同じ家庭の空気を毎日一緒に吸って過ごす夫婦は、煮詰まって深呼吸したくなるタイミングも妙に一致してくる。
本日は、お仕事の都合でおうちご飯。 それでもなんだかモヤモヤするので、割引クーポン券を持って、ドーナッツ屋へ。 テイクアウトでおみやげも買って、店内で父さんとコーヒーを飲む。 「こういうときに限って、大概誰かに会っちゃうんだよな。」 小さな田舎の町の事。 夫婦で昼間っからブラブラしていると、子どものお友達のお母さんだとか父さんの教室の生徒さんとか、なんだか必ず人に会う。 「あらら、今日は夫婦お揃いで・・・」 と言われるけれど、しょうがないんだよ。 うちは夫婦で仕事仲間も茶飲み友達も師弟関係もかねている。
ドーナツ屋のカウンターで、誰かが入れてくれたコーヒーを飲む。 これ、重要。 自分でお湯を沸かさなくて、カップも洗わずに飲めるコーヒー。 食卓につく夫と給仕する妻ではなく、友達のように一緒にコーヒーを飲み、たわいないおしゃべりをする時間。 ともすれば、だらだらと「いつも一緒」に倦んでしまいそうな日常を、父さんは安いファーストフード店のコーヒーで上手にリフレッシュしてくれる。 ありがたい。
あ、ポイントカード、あと400円分で、お皿がもらえる。 ねえねえとうさん、月末までにもう一回、お茶しようよ。 たちまちけちん坊主婦に舞い戻る私。 アプコのお迎えの時間を気にして、昼デートを終わる。 さあ、もうひとガンバリ。 子ども達がかえってくるぞ。
父さんの陶芸教室の新年会。 いつもお年玉がわりに生徒さん達にお菓子などの小さな包みをお配りする。 今年は何にする?と二人で考えた末、趣向を変えて、うちの窯で焼いた陶製のストラップを差し上げようと言うことになった。 去年の春から細々と作り始めた陶器のアクセサリー。 私も少し型抜きや施釉の要領も覚えてきたし、欲しいと言って下さるお客様もぼちぼちあって、ようやくお仕事になりつつある感じ。 新製品開発の欲もあって、正月明けから50個のトップを焼き上げ、ストラップ用の金具をつけて、準備した。
お正月だからと面白がって、お年玉のポチ袋に一個ずつ入れて包装完了。 面白ついでに、アユコの千代紙を拝借して、にわかおみくじをこしらえ、一緒にポチ袋に入れる。 大吉、中吉、吉、末吉。 お祝い事だから、悪いくじは入れないのだけれど、なんだか見知らぬ人に今年の運気を配るようで、ちょっとドキドキ。 おみくじって勝手にこしらえても、バチなんかあたらないよねぇ? そんな冗談をいいながらの袋詰め作業はなんか楽しい。 横で手伝ってくれるアユコもうふふと笑って大吉の数を何度も数えている。 良いくじが一カ所に集まらないようにとぐるぐる混ぜる。 どうせ、外から見えないんだから、どう並べても公平にお配り出来る筈なんだけど、ついつい混ぜちゃうこの心境って、何? もしかして神様の気分?
世の中に降り注ぐ幸運、悪運。 「なんて幸せな私!」 「なんで俺ばっかり不幸なんだ!」 そんな気持ちの後にふっと湧いてくる「神様」という言葉。 私には深い信仰は無いけれど、どこかの誰かが時折配って下さる運、不運。 誰かの手から間違いなく私の上に配られた贈り物を、どれも大事に受け取ることの出来る私でありたい。 思わぬ不幸は、奮起の糧に。 思い掛けない幸運は、自省の為に。 良いことも悪いことも全て私自身のことと、まっすぐに受け止める豊かさが欲しい。
「今年一年、良いことがありますように」 想いを込めてお配りした、悪いくじを一つも入れないお年玉。 教室の皆さんにはそこそこ好評だったようで、ありがたい。 「あ、大吉!」 くじを開いて、ほっとこぼれる微笑み。 御利益と言ったらほんの一瞬のその笑みだけのインチキおみくじだけど、お配りする当方としては、たくさんの「うふふ」を頂いた。 神様の気分で、福を配る。 ちょっと楽しいいたずらかもしれない。
先日、お仕事で急に必要になったものがあって、久しぶりに車で町へ出た。 ついでだから、父さんの作業用の靴だとか、アユコのビーズのパーツとか、あれこれ買って超特急で帰ってきた。 買ってきたものをそれぞれ渡して、ふっと気がついた。 「アタシの物がなんにもない。」 年末、年始にかけて、あんなにあちこち走り回り、「誰かの為のもの」をいっぱいいっぱい買ったというのに、そういえば「わたしのためのもの」は靴下一枚買っていない。 なぁんだかな。 ちょっと悲しくなって、ためいきをついていたら、 「電子レンジ、買うんでしょ。」 とアユコが慰めてくれる。 たしかに結婚と同時に買った電子レンジ、そろそろ買い換えの予定。 それはそれで嬉しいんだけど、それってね、なんかわたしだけのものじゃない。 わたしが欲しいのはそんなものじゃないんだよ。
・・・・で、さて、わたしの欲しいものって何? 若い頃には欲しいもの、いっぱいあったよな。 きれいなヒールの靴、コートの色に合わせたスカーフ、お気に入りの作家の本。 かわいいイヤリング、ガラス細工のモビール。計り売りのオーデコロン。 今のわたしの欲しいもの。 普段履きの靴、エプロン兼用のトレーナー、 庭作業用のよく切れるカマ、PC用の足温器。 う〜ん、なんだか違う。 「わたしの欲しいもの」を数え上げるときのあの、ときめくような嬉しい気持ちが湧いてこない。 そもそも、絶対絶対欲しい!って気持ちがいまいち足りない。 だから、自分のものが買えないんだな。
アプコの好きそうなピンクのトレーナー、アユコの喜びそうなかわいい文房具。 ゲンの欲しがりそうな飛行機のおもちゃ、オニイの好きなパン、 「きっと喜ぶだろうな」ってお買い物をするのは楽しい。 別に「自分のものを我慢して・・・」って感覚もない。 これって、とっても幸せな事なんだけど、でも、それでいいのかな。
近頃気になるCM 彼が彼女に「ね、君の2番目に欲しいものはなに?」 彼女のツッコミ(一番だろ、普通) 結局、今の私の欲しいものって、所詮「2番目に欲しいもの」なんだな。 毎日の生活に必要に迫られてて、いつでも買えばいいんだけど、買ってもあんまりときめきそうにないもの。 それはそれで、買えばいいんだけど、なんだかつまらない。
「欲しいもの、買っちゃえば?」 父さんに背中を押されて、へそくり片手に買い物に出た。 田舎のスーパーをぐるぐる回って、結局買ったのはお買い得品のスニーカー一足。 あかん、小心者だなぁ。 しかも悲しいことに、普段履きのオンボロスニーカーを真新しい白いスニーカーに履き替えたら、それだけで結構、ときめいちゃうんだな。 「ちょっと山でも歩いてみるか」って気持ちになってしまうお買い得な私。 だめだめ。ちゃんとまじめに目を開けて、「一番欲しいもの」をさがさなくっちゃ。 まだまだ、「欲しいものはなぁんにも無い」なんて悟りの境地に入ってられない。
「あ、オカアサンの靴、ピッカピカ!」 アプコが新品の靴を見つけてピョンピョン跳ねる。 登園の道をいつもより軽い足取りで下っていく。 「オカアサン、新しい靴は速く歩けるの?」 ううん、気のせい、気のせい。 オカアサンはオトナだもん。 おニューの靴ぐらいで、ピョンピョン飛び跳ねたりしないもん。 ・・・今日、オカアサンが歩くの、そんなに速い?
2月に初めての赤ちゃんが生まれる弟夫婦が、我が家の子ども達が歴代使ったベビーカーを使ってくれると言う。 オニイが生まれたときに張り切って買ったA型ベビーカー。 かさが高いのですぐにB型に進級してしまったので、どの子もいくらも使用しないまま物置にしまってあった物。 初めての待望の赤ちゃんに、我が家のお古を快く引き取ってくれる弟夫婦の堅実なパパママ振りが嬉しい。 それではと、他にも使ってもらえそうなベビー用品やら赤ちゃん服やら、ごそごそと探す。
小さな肌着。おむつカバー。布おむつ。 久しく触れていなかった赤ちゃんのための小さな衣装。 その小ささに思わず笑ってしまう。 我が家で一番小さいアプコのトレーナーでさえ、比べてみると数倍の差。 あかちゃんってこんなに小さかったんだなぁと、改めて成長した我が家の子ども達の年月を想う。
はたと、こぼれ落ちる小さな靴下。 手のひらにすっぽり収まるその小ささ。 うっと息のつまる思いで握りしめる。 これはたった3ヶ月で逝ってしまった次女の唯一の衣装。 生まれてすぐに心臓の障害が見つかってずっと病院で育ったなるみは、生涯のほとんどをお仕着せの病院着で過ごし、私たちがこの子のためにと購入したのは小さな手足を包む靴下やミトンばかり。 点滴の管や計器のコードをたくさんつけたなるちゃんに、親としてしてやれることはそんなことしかなくて、せめて家庭の暖かさをと小さく名前を刺繍した靴下やミトンをせっせと運ぶ。 切ない切ない毎日だった。
主治医の先生方やICUの皆さんの奮闘も空しく、なるちゃんの容態はずるずると悪くなった。感染症が全身にまわり、ついには頼みの肝臓が悪くなった。 交換輸血も透析も効果はなく、小さいなるちゃんの身体はどんどん壊れていく。 もはや決められた面会時間の制限なしに、娘のそばに居ることを許された私は毎日毎日小さなクベースの横で小さなベビードレスを縫った。 純白のサテン地にたくさんのレースをあしらい、パールのボタンを縫いつける。 背中には天使の翼のような大きなリボン。 新生児用のドレスはとてもとても小さくて、ちくちく手縫いで仕上げても3日もあれば仕上がった。 ドレスの仕上がりを待っていたかのように、なるちゃんの鼓動はどんどん弱くなった。
なるちゃんの旅立ちを見送った朝、父さんと私は町に出た。 凛と冷えた爽やかな朝だった。 二人で朝食を取り、あちこちに連絡を取る。 子ども達の喪服がわりになる黒い服を買いにいく。 小さな娘を失ったばかりだというのに、当たり前に過ぎていく日常の時間。 不思議だね、悲しくならないね。 昨夜たくさん泣いたのに、何事もなかったようにご飯を食べている私たち。 生きていると言うことは、本当に残酷にも強い事だと初めて知った。
棺におさまったなるちゃんは、白いドレスを着せてもらって本当に天使のようだった。 たった数ヶ月、我が家の娘として神様が送って下さった小さな天使。 「短期留学」を終えて天にもどったなるちゃんは、「いつまでも赤ちゃんの小さい兄弟」として、今も我が家にいる。 なるちゃんの小さな靴下をお守りがわりに握りしめて産んだアプコは、5才になった。 「なるちゃんって、ちいちゃかった?」 小首を傾げて聞くアプコに小さな靴下を握らせてみる。 お人形の靴下のような小ささに、アプコがけらけらと笑う。 「赤ちゃんって、こんなに小さいんだねぇ、かわいいねぇ。」 身近に赤ちゃんを見ることのなかった末っ子アプコに、その小ささは驚き、不思議。 「Tちゃんの所に赤ちゃんが生まれたら、きっときっと会いに行こうね。小さい赤ちゃん、見せてもらおうね。」 新しく生まれてくる赤ちゃんの未来が、健やかで幸福なものとなりますように。
今日、1月11日 私の次女、なるみの天国での誕生日。
30才になると、女の人はおばさんになるんだそうだ。 昨年、40代の大台に乗った私などは10年前からおばさんだったのだ。 おまけに、今の私には「大阪の」というありがたい冠がついている。 スーパーで細かい小銭をじゃらじゃら出す。 いつも持ってるバッグの中には、小さく畳んだスーパーの袋、タオル地のハンカチ、口寂しい時のための飴袋。 立ち上がるときには、どっこいしょ。 体型を隠す総ゴムのパンツに長めのトップス。 そうです、私は立派なおばさんです。
人からおばさんと言われると、たしかに「なにくそ!」と思うこともあるけれど、 ホントの所、おばさんというのは、やってみると結構居心地がいい。 おばさんは自分が居心地のいいと言うことに正直だ。 外目にカッコイイとか体裁がいいと言うことよりも、「便利」「ラクチン」「気持ちいい」が優先する。 確かに、人目を気にせず傍若無人に振る舞う中年女性に対して、悔し紛れの捨てゼリフとして「オバサン」と言う言葉が使われる。 しかし、その中には「あんな風に自分の好きなように生きてるのって、なんか楽そうだよな。」という羨望のかけらが混じっているような気がすることも多い。
若かりし頃、「おばさん」になりたいと思っていた時期がある。 大学を出て、なんとか講師の仕事が決まって、それでもこれから自分がどんな風に人生を歩んでいくのか、一生の伴侶となる人は現れるのか、どんな仕事をしていくのか・・・、人生はまだまだ不確定事項でいっぱいだった。 1年先、3年先の自分が見える水晶玉が欲しいと、よく思った。 身の回りの、夫や子どものいる女性達には、そんな水晶玉があると信じていた。 「来年、長女が七五三。」 「退職したら、姑さんと同居よ。」 仕事を終えて家に帰ると、自分の家族がいる。 子ども達は否応なしに家族の時を刻む。 そんな確実な水晶玉が、「おばさん」達にはあるものだと思っていた。
早く、決まった鞘に収まりたい。 「独身を通し仕事に生きる女」でもいい。 「お休みの日には子ども達とケーキを焼く元気なママ」でもいい。 とりあえず、「ここが私の一生を過ごす場所」と言える場所が欲しかった。 若い私には、人生の選択肢がいっぱいあって、まだまだ自分の可能性を探し求めることの出来る贅沢が少しもわかっていなかった。
40才、主婦。 4児の母。 家事の合間に家業を手伝う。 今の私が収まっている「鞘」 確かに不確定事項は減り、1年先、3年先にも今と同じように、台所に立つ自分の姿が容易に目に浮かぶ。 その揺るぎない安定感は、若き日の私が欲しいと思っていた「水晶玉」と言えるかもしれない。 「おばさん」たちは水晶玉を持っている。 だから、自分の本能に正直に、「居心地のいい」状態を身の回りに置くことに少しも躊躇しないのだ。
おばさんも夢を見る。 思春期のように、「アイドルになって、スポットライトを浴びてる私」とか、「白馬に乗った王子さまと幸せな暮らしを・・・」というような突拍子もない幻想は湧かないけれど、それでもおばさんにも夢はある。 「娘が成長したら、一緒に街でショッピングを」とか、「趣味を生かしてささやかな副業を」とか、おばさんの夢は「今の私」に足場を置いた堅実な将来だ。 おばさんになっても、まだ自分の人生の残されているささやかな選択肢。 台所でお大根を刻み、洗濯物の山をやっつけ、井戸端会議に時間を費やす主婦の日常にも、いつもいつも小さな夢はある。 変わりない日常の雑事と、心に秘めた小さな夢を、いつでも合わせ持つことの出来る懐の広さ。 それが本当の「おばさん」の強さの秘密ではないかと、おばさんは思うのである。
お台所仕事をしていると、アプコがお気に入りのトランプを持ってきて、手品を披露してくれた。 「オカアサン、一枚取って。」 その一枚を、再びカードの束に戻して、カードを繰る。 アプコの小さな手に、大判のトランプは大きすぎて手に余る。 「こうやってね・・・こうやってね・・・シャックリするとね、」 え?シャックリ? ・・・・・それって「シャッフル」じゃない? 「あ、間違えちゃった」
新しく覚えた「シャッフル」って言葉が使ってみたくて、 一生懸命手品を考えて披露してくれたみたいなんだけど、 しまいには「シャックリ」だか「シャッフル」だか、自分でもわからなくなっちゃって、マジックショーはすぐにおしまい。
「・・・シャックリ?・・・シャッフル?」 小首を傾げてつぶやきながら戻っていくアプコの後ろ姿が何ともかわいくて、 うふふと笑ってしまった。 アプコ。 元気に育っていく君自身が、母にとっては偉大なマジック。 今日も笑わせてくれて、ありがとね。
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