月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
結婚して十数年。 お正月に受け取る年賀状の数もだいたい決まってきた。 結婚とか、子供が産まれたとか、そういうイベントが落ち着いてくる年代になると、やはり通り一遍の友達関係の賀状は絞られてくる。 その替わり、年に一度送られてくる懐かしい友人の筆跡や、優しい一言を書き添えられた恩師からの便りが心から嬉しく、暖かい気持ちになる。
今年受け取った恩師からの年賀状。 その中に、二人の国語の先生からのものがある。
一人は中学1年の時のN先生。 緊張感のある、とても優れた授業の出来る女の先生で、大変な読書家だった。 生意気盛りの私は、この先生の「個人指導」で中学の三年間、近現代の文学作品を怒濤のごとく読み尽くした。本来中学生に読みこなせたかどうかすら危うい名作の数々をN先生は根気強く勧めて下さり、私も「負けるものか」とばかり、週に10冊近いのペースで文庫本をやっつけた。そして、中学を卒業する頃、私は「N先生のような国語の先生になりたい」と思うようになった。
もう一人は高校1年の時のM先生。 さっぱりした物言いの穏やかな先生で、当時幼い子どものお母さんだった。 入学の時に父が提出した家庭環境の調査書で、専業主婦だった母の職業欄に「家事」と記されていたことを、とても褒めて下さったのを覚えている。 「働く女性」がとてもとてもかっこよく思え、いつも家にいる母のことをどこか恥じるような所のあった当時の私に、先生の言葉は新鮮だった。職場で給料をもらって働く「職業」と同じ重さで、「家事」という仕事が存在していると言うことを私は初めて悟ったような気がする。 教室でのM先生は、厳しい職業人としての教師の顔とともに、妻であり母である女としての大らかな暖かさを持ちあわせていらした。 尼僧のようにストイックでまっすぐなN先生の厳しさに惹かれて国語教師を目指していた私にとって、M先生の柔和な「生活人」振りがどこかじれったく思われることもあった。
大学を卒業して、私は教員採用試験に失敗し、常勤講師として赴任したのは知的障害のある子達が学ぶ養護学校だった。 大学時代に学んだ教育理論や国語の授業研究は何の役にも立たない。 障害を持った生徒達とともに畑を耕す。ゲームをする。歌を歌う。 排泄や食事の世話をし、手足の障害を緩和するための訓練を行う。 体力だけが勝負の教師生活で、私はこども達とともに圧倒的な「生活の力」を学んでいった。 「どんな本を読んでますか。国語教師になるための勉強もわすれちゃだめよ。」 どんどん養護学校での仕事にのめり込んでいく私に、N先生は釘を差した。 しかし、そのときすでに、私はN先生の背中を追いかけたいという気持ちをなくしつつあった。
同じ頃、近くの県立高校で勤めておられたM先生が「養護学校に転任希望を出したいと思って」と私の職場を見学に来られた。 長年高校生に現国や古文を教えてこられたM先生が何故あの時、養護学校への転任を望まれたのだろうか。 詳しくはお聞きすることもないまま、次年度、M先生は本当に私の職場に転任してこられ、恩師は同時に同僚となった。
数年の講師生活の後、私は主人と出会い、遂に「国語の先生」にはならずに、専業主婦となった。 「結婚します、教師にはなりません」と告げたとき、N先生はさすがに「残念」とはおっしゃらなかった。 「あなたの夫になる人はどんな人?やっぱり本をたくさん読む方なんでしょう?芸術家との生活ってどんな風なの?」 まだ、独身を通しておられたN先生の女学生のようなはしゃぎ振りが異様な感じがした。 「私は、読んだ本の感想を語り合ったり、お互いに知的な刺激を交換できる人と結婚したいわ。」 当時すでに「適齢期」はとうに過ぎておられたN先生の語る夢はあまりにも清らかで、「この人は一生一人で生きて行かれる方だなぁ。」と感じたのだった。
陶芸家の妻となり、次々と子ども達を産み、育ててきたこの十数年。 本屋へ行っても、小難しい文芸作品は敬遠して、軽い読み物に走りがちになった。 私が選んだ伴侶も、文庫本と言えば、「睡眠薬がわり」 「知的な刺激を交換できる」関係とはほど遠い。 どっぷりと生活に浸りきった今の生活、二人の先生方の目にはどんな風に映るのだろう。 その後、M先生はご家族の介護のために養護学校を辞され、家庭人になられた。 N先生はいまだ独身で、有能な先生としての道を全うしておられる。
「中学生の頃のあなたの凄い読書力を思い出します。お子さんもやはり読書家ですか?」 今年のN先生の賀状に添えられた言葉はやはり、厳しくストイックなものだった。 「今年が平和な良いとしになりますように。こんな事を祈る年が来るなんて思いも寄りませんでした。」 M先生の賀状には、母であり、妻である生活の中にある祈りが込められている。 女としての行き方を決めるいろいろな場面で、お手本となり導いて下さった二人の女性。 年に一度のお年賀状で、再び青春の日の志や、今の私の生活のあり方を問い直す機会を下さる恩師の存在を心からありがたいと思う。 「あのお下げ髪の女学生が、今はこんなになりました。」 いつまでも胸を張って、先生方に報告出来る私でありたい。 心に誓う七草の朝であった。
工房の仕事始め。 父さんが「出勤」していき、休みの間、滞っていた家事をやっつける。 子ども達もそろそろ3学期の準備。 大根を煮たり、いつもの大鍋でスープを作ったり、 自分の台所で、当たり前の夕食を料理する。 ようやく、家事も通常モード。 穏やかで暖かいお正月明け。 ちょっと幸せ。
夜中ごそごそと起き出して、活動開始。 気配に起き出してきた父さんも、なんとなく動き始めた。 「ちょっと待って、机、私も使うんだから。」 ごそごそと道具を拡げ始めた父さんに先制攻撃。 狭いコタツのスペースを無理に半分空けてもらう。
な〜んだかな、似たもの夫婦と言うのかな。 このごろ妙に父さんと生活のペースが合ってしまって、 打ち合わせたわけでもないのに、「さて」と何かを始めようとするのが二人同時だったりする。 今日の場合、私は年末からさぼっていた書道の宿題。 そして父さんは、今週末の水墨画の宿題。 どちらもタイムリミットぎりぎりまでさぼっていたので、 二人とも8月31日の小学生状態。 互いの動きを横目で牽制しながら、真新しい紙に墨跡を残す。 子ども達も寝静まった静かな茶の間で、筆を走らせる夫婦。 はた目にはなんだか、とってもアーティスティックな素敵な夫婦像だけれど、 その実、二人とも締め切りに迫られて、かなり必死の状態。 お茶を入れて、お互いの作品を鑑賞して批評し合う余裕なんてあるもんですか。
よく、「家族で音楽を楽しんでいます。」とかって、 ママのピアノで子ども達が歌い、パパがバイオリンを演奏するなんていう家族が紹介される事があるけれど、アレが苦手。 家族が共通の趣味を楽しんでいるとか、家族みんなで一つのスポーツに打ち込んでいるとか、そういうのが何ともこそばゆくって、どうもいけない。 父さんも同じ考えのようで、我が家では「家族みんなで」はなかなか定着しない。 たまに、父さんが戸外にスケッチに出かけるときに、子ども達にそれぞれスケッチブックを持たせて同行したこともあったけれど、何回もやらないうちに立ち消えになってしまった。 一人一人はそれぞれ、絵を描くのも戸外で過ごすのも大好きだけど、みんなと一緒となると子供達ですら「こっぱずかしく」てやってられないらしいのだ。
夜中に夫婦が一つの机でそれぞれに墨をする。 正月明けの静かな夜に、夫婦で過ごす穏やかな時間。 「うらやましいわ」と誰かに言われることもあるけれど、 なのに、二人のこの必死の形相は何?
父さんが描いているのはお正月に取材に出かけた一休寺の石庭。 冬の寒気に、凛と掃き清められた白砂の庭園。 余分な物を排し、ここと定められた場所に置かれた庭木や庭石。 それを微妙な筆遣いと墨の濃淡だけで描く父さんの水墨画。 忙しい仕事の合間に画題となるものを取材し、月に一度の稽古日に会わせて夜中に描き始める。 自らに課した課題に時にはあっぷあっぷしながら、父さんの絵の修行は結婚前から続いている。
「偉いなぁ、父さんは・・・」 のろのろと絵の道具を開く父さんに、時々「よしよし」する。 「お、やるか、偉いね。」 う〜んとこさっと気合いを入れて習字道具を拡げる私に、父さんが「よしよし」してくれる。 「家族みんなで」は苦手だけれど、互いに適度なプレッシャーを掛けあいながら学びの時間を持てる現在。 これも、今の私の幸せの一つ。 ・・・明日の宿題もようやくできたしね。
お正月恒例、実家への里帰り。 いつもは離れて住んでいる弟たちの家族も集まり、にぎやかな数日間。 子供らは小さい従姉妹のあやちゃんとにぎやかに遊び、 出産間近の義妹の幸福そうな笑顔を皆で喜ぶ。 祖母の喪中とはいえ、穏やかで暖かいお正月。
実家の父は定年退職して数年目。 「第九」の練習に通ったり、地域に老人会を立ち上げたりと、 精力的にリタイア後の生活を楽しんでいるように見える。 「次はどんなことをはじめるかしらん?」 離れた場所から、父の新しい動向を耳にするたび、楽しい驚きをたくさんもらう。 長いサラリーマン生活の間、いつもスーツで出勤していた父が、会うたびに「日曜日の父」の姿で迎えてくれる。
「着なくなった背広がたくさんあるんだが、着られそうなら持って帰ってくれないか。」 父がうちの父さんに提案。 日頃は仕事着で過ごし、展示会の時くらいしか背広を着る機会がないうちの父さんは、数着のスーツを着回すだけで、それほどスーツという物を買ったことがない。 確かに在職中の父が着ていた上質の素材のスーツやコート、そのままお蔵入りには忍びない。 でも、それにしても、サイズがねぇ。
・・・と思っていたら、あら不思議。 試着してみた父のスーツは、中肉中背、首太、なで肩の父さんにぴったりフィット。 ズボンの丈まで、お直しなしでそのまま着られそう。 「ありゃりゃ、着られるじゃん!」 嬉しくなって、次々試着する父さん。 またまた嬉しくなって別のスーツを引っぱり出してくる父。 「本当に、いいんですか、まだ着られる事もあるんじゃないですか。」 ととまどいながら、父の勧めるコートに手を通し、それにまつわるうんちくに耳を傾ける。 見覚えのあるバーバリーのコート。 見慣れた父の背中を思い起こさせるベージュのコートを、我が夫の背中にかける。 なんだか不思議な違和感。 そして、懐かしいような親しい感じ。 少し混乱した思いで、男達のファッションショーから少し身を引く。
「あんなお下がりをあげて、気を悪くしないかしらん。」 母が父さんを気遣って私にささやく。 「ふん、でもうちの父さんも、喜んでるみたいよ。」 お台所でおせちの残りをつまみながら、母と笑う。 「それにしても悔しいくらい、ぴったりねぇ。」 厳しく、時には気詰まりなほど自信にあふれて見えていた父と、穏やかでひとあたりのいい私の夫。 父とは全く違ったタイプの男を伴侶として選んだ筈だったのに、50歳を過ぎて働き盛りの季節を迎えた父さんの背中は、企業戦士として走り回っていた父の背中にどこか似ている。 「ファザコンみたいで、なんか、複雑。」
そんな想いを知ってか知らずか、娘の伴侶が快く自分のお下がりを喜ぶのに気をよくして、父は上機嫌。 「男にとって、背広は鎧のような物だから・・・」 上質なコートや背広は、働き盛りの父の気概を保つ守りの糧であったのだろう。 今、工房で土まみれになって作品を作り上げる夫にとって、 守りの衣装とは何なのだろう。 歴戦の鎧を娘婿に譲る父の想い。 舅の背広に快く袖を通して、素直に喜ぶわが伴侶。 私を守り、愛してくれる二人の男達の友情に、複雑な想いを重ねつつ、 たくさんのお衣装荷物を車に積み込む事になった。
我が家のPCの環境が悪くなってきましたので、 とりあえず日記ページのお引っ越しを試みています。 2003年までの過去ログは本家HPの方に残っています。
2003年12月31日(水) |
PC不調・・・そして遺言(?) |
PCの調子が悪い。
かなり悪い。
年賀状作成のまっただ中というのに、しょっちゅう強制終了。
ピーッとか、カタカタカタだとか、ギギギギギだとか聞いたこともない音がしたり、見たこともない 警告画面がでたりして、まことに心臓に悪い。
いつも巡回している日記書きさんのHPも、最新記事が読めなくなっていたり、壁紙だけ表示し てフリーズしたり。
我が家のPC顧問の義兄にも出動してもらっているものの、なかなか重症のようで、改善されな い。
ある日突然、我が家のパソ君が忽然と立ち上がらなくなる日も近いのかもしれない。
せっせとバックアップを取り、その日にそなえるようにはしているが、とてもとても気が重い。
「このまま年を越すのかぁ。」
最近ネットデビューをしたオニイが傍らでため息をつく。
数年前、我が家にやってきたパソ君は思いの外、我が家の生活にしっかりと根っこを下ろして いるようだ。
ネットを通じて出会ったたくさんの人たち。
お顔も声も知らないけれど、HPやメールの中で親しく心の中の想いを交えることの出来た 方々とのつながりが、PCという四角いブラックボックスのおかげでいつも保つことが出来たの だというこの事実。
なんか、凄い事なのだなぁと改めて思う。
昔から文章を書くのが好きだった。
書いた文章を友達に呼んでもらうのも好きだった。
手紙もたくさん書いた。
返事をもらえなくても、手紙を書くのは好きだった。
そんな私にPCと言う道具は、新しい表現の手段を与えてくれた。
細々と書きつづった我が家の日常をいつも読みにきてくださる方がある。
「そうそう、そうなのよ」と相づちを打って下さる方がある。
そして、私のぐうたらな母親振りに「ほっとしたわ」と、笑って下さる方がある。
web日記を通して、本当に思いもかけない人との出会いの機会に恵まれた。
「とりあえずこれからの子どもにはPCぐらいは触らせておかなくちゃ・・・」と、購入したPCが、こ んなにも主婦の日常に無くてはならないものになるとは、正直の所考えたこともなかったの に・・・
何日か、PCの調子が悪くてネットにつなげない日が続いた。
ほんの数日のことなのに、海を隔てた遠い国を旅する人のように、自分だけが取り残されてい くような空虚な想いに駆られて落ち着かない。
いつか本当にこのPCが本格的に昇天してしまう日が降って沸いたら、どうしようどうしようと不 安がつのる。
もう一息、がんばってくれよ、PC君。
気を取り直して、またポツポツとこの日記を綴っている。
ある日、そういえば「日々の想い」しばらく更新されてないなぁと思われる事があれば、もしかし たら我が家のPCくんが本格的に昇天遊ばされた時かもしれない。
ネットというどこか掴み所のない媒体に支えられながらも、私が綴っているのは今日ここに生き ている私の現実。
PCというブラックボックスのご機嫌に一喜一憂しながら、それでもとりあえず今日の日の言葉 を綴る。
・・・遺言めいた愚痴を綴って、今年最後の日記をしめくくる。
明日は新年。
穏やかな実り多い年になりますように。
この間、アプコと話していたら、「アタシ、パンツーパンダが欲しいの。」と言う。
「パンツーパンダ?何、それ。」
と何度も聞き返したら、「パンツファイター」と言っているらしいことが判明した。
「アタシね、自転車、乗れへんやろ。でもな、パンツファイターがあったらね、何でも出来るよう になるねんで。鉄棒も出来るし、縄跳びもできるねんで。すごいねんで。」
なんのこっちゃとさらに聞いてみると、どうやらパンツファイターとは、アニメのキャラクターのプ リントのついた肌着のことらしい。TVで、「君もパンツファイターになろう!」なんて子供心をくす ぐる巧みなCMが流れているのであろう。
あはは、遂にアプコもはまったか、アニメパンツの罠。
オニイもアユコもゲンも幼稚園のころには一様にアニメパンツを欲しがる時期があった。○○ レンジャーパンツや機関車トーマスシャツ、セーラームーンシャツやキティちゃんパンツ。どうや ら園でもこれが流行る時期があって、お友達が新しいキャラクターのものを身につけているとど うしても自分も欲しくなる。
パンツやさんの策略にまんまとはまるのが子ども達の常であった。
ところで、キャラクターのついた肌着は値段も高い。3枚500円のぺらぺら肌着を愛用する我 が家のおこちゃま達にとっては高級品だ。
しかも、1年経って人気のアニメの放映が終わると、旧キャラクターのついた肌着はどんなに新 しくてもお払い箱になる。「やーい、時代遅れー」なんて揶揄の対象になってしまうのだそうだ。
だから我が家ではキャラクターパンツは極力買わない。
買わないんだゾ!
その替わりと言うわけで、母さんが夜なべをして、3枚500円のぺらぺらシャツにアップリケを つける。
キャラクターのついた端切れ布を引っぱり出して張り付けたこともある。
普通のフェルトでアップリケをしても、結構洗濯に耐える事もわかったので、小さな自動車や動 物、花や果物など、子供らの目印になる小さなマークをつける。
「○○レンジャーの方が良かったんだけど・・・」と言う、遠慮がちな抗議は聞こえない振りをし て、苦心の作のインチキキャラクターシャツを着せる。
「わ、かっこいい!すてき!」
そうやってごまかしているうちに、春が来てシャツを着ずに登園する日が増え、アニメパンツの 流行は終わる。
「アタシね、自転車乗れるようになりたいねん。パンツファイターを買ったらすぐに自転車乗れる ねんて。テレビの人が言ってたで!」
そうくるか。
よしよしアプコもそろそろ、母のインチキキャラクターパンツのお年頃か、と言うわけで、この年 末の忙しい時にお針箱を引っぱり出して来ることになった。
子ども雑誌のイラストから、一番作りやすそうなキティちゃんのイラストを引き写す。
フェルトを切り抜いて、小さく縁をかがってシャツの胸に張り付ける。
この際、著作権だの商標だのは母の愛に免じてお許し頂こう。
白地に白いキティちゃんは、いまいち目立たなくて不満だけれど、アプコ本人は大喜び!
「今度はお花にして!」「ウサギとか熊にして!」と次々に注文が出る。
結局、、3枚のシャツのアップリケを終え、ふっと顔を上げたら、夕暮れ時であった。
「オカアサン、お風呂上がったらこれ、着てもいい?」
さっそくアプコが新しいシャツを着る。
父さんにも見せるオニイやアユコやゲンに見せる。
胸を張って、クルクルまわる。
あはは、しばらくごまかせそうだ。
アプコは幼稚園に行くとき、真夏でも必ず制服の下に肌着のシャツを着る。我が家の子ども達 で、肌着のシャツを夏でもつけているのはアプコだけだ。
「暑いから、シャツなしにしたら?」
と勧めても、園に行くときは必ずシャツを着る。
「お着替えの時におへそが見えるの、いややねん。」
アプコは生まれつき、ちょびっとでべそだ。
手術するほどではないと判断して、そのままにしているが、お友達のおへそとはちょっと違う。
「アタシのおへそ、ながいって言う子がいるねん。」
年少さんの頃、ちょっとシュンとしてアプコがうち明けてくれた事がある。
「でもお母ちゃんはアプコのおへそがだーいすき。大事な大事なアプコのおへそ、ちっとも変じ ゃないよ。」
と抱きしめたけれど、ちょうどあのころからアプコのシャツの習慣は始まっている。
母の手製のキティちゃんシャツは、アプコのおへそを包んで、切ない乙女心を守ってくれるだろ うか。
「さ、キティちゃんシャツも出来たことだし、いよいよ自転車にも挑戦してみる?」
アプコがあんまり喜ぶので、ちょいと欲を出して聞いてみた。
「アカン、パンツファイターは、セーラームーンとナージャだけやから。
オカアサンのつくったキティちゃんではパンツファイターにはなられへんねん。」
ち、畜生!
恐るべし、パンツファイター。
アニメキャラクターの威力は母の愛に勝るか・・・。
先日の「台所育児」に続いて、「お手伝い」の話。
育児に関して、私の嫌いな言葉に「お手伝い券」と言う言葉がある。
母の日とか、主婦の誕生日とか、そんなときにお金を使わずに手っ取り早くプレゼントを済ま せちゃおうって時に、子ども達がよく利用する手作りのカード。
私はアレが大嫌い。
アユコが低学年の時、母の日に担任の先生がクラス全員にこの「お手伝い券」を作らせたこと がある。
「お母さん、ありがとう」と言う言葉とともに、母親の似顔絵を描かせ、数枚のお手伝い券をつけ させる。
そしてご丁寧にも、その券を使ってお手伝いをして、母親からその感想を書いてもらって来ると いう宿題をだされたのだった。
「なんで、母の日にお母さんが宿題をだされなくっちゃならないの?」
カチンときた私は、わざと宿題をださなかった。
きまじめなアユコは母親がちゃんと宿題を提出してくれないので、きっと困ったはずである。
他にも提出しなかった保護者があったようで、担任の未提出の子達を「宿題忘れ」として、名前 を公表した。
・・・我が家では、子ども達が家事を分担することをお手伝いとは言いません。
宿題だからと義務感でやってくれたお手伝いに「嬉しかったわ」なんて感想は書けません。
母の日に感謝の気持ちからしてくれたお手伝いに、「感想を書け」と強制するのは筋違いで す。・・・
その時、珍しく私は担任の先生に噛みついた。
普段は協力的で模範的な(?)保護者からの抗議に慌てた先生が、「宿題忘れ」の件は撤回し てくれたけれど、私の真意は果たして伝わったのだかどうだか。
後日、まじめに提出された他の保護者の方々の「感想」は学級通信にして、皆に配られた。
「○○ちゃんが初めて作ってくれたカレーはとってもおいしかったです。」
「××ちゃんがお洗濯をたたんでくれて、助かりました。」
ま、これはこれで母の日のイベントとして、結構な事だけれど、やだな、気持ち悪い。
家の中の用事は便宜上、主婦が何でもやってしまうけれど、本来は誰がやってもいい仕事。
お洗濯だって、お料理だって、主婦が出来ない時には他の誰かがやれること。
家族の為にお風呂を洗う、お布団を敷く、お洗濯物を片づける。
子ども達は自分の受け持つ仕事を当たり前にすませて、報酬やお礼の言葉を期待しない。
それでも、急に降り始めた雨に急いで洗濯ものを取り込んでくれたとき、帰宅が遅くなった母に 替わってとりあえずご飯だけは炊いておいてくれたとき、
「わぁ、助かった。子どもをいっぱい産んでおいてよかったよ。」
母は、心から褒めちぎる。
「おかあさんが喜んでくれるから・・・」
そんな純粋な気持ちからやってくれるお手伝いには、素直な気持ちで「ありがとう」がでる。
そして、「役にたった」という実感が子ども達の自信や成長につながる。
そんな場面で「とりあえず褒めて」とか、「おだてて、やる気にさせて」と姑息な嘘が混じるのは、 やりきれない。
子ども達には母の心の微妙なズレをきっと感じとってしまうだろう。
パラパラと通り雨。
「わ、大変。洗濯物、とりこまなくちゃ。早く言ってくれればいいのに!」
あわてて、ベランダに上がると
「ごめ〜ん」とゲンが手伝いに来る。
ゲンが「ごめん」というのは、洗濯物を取り入れるのも自分たちの仕事の範囲内だと自覚して いるからだ。
よしよし、母の思惑通りに育っておるな。
この子等のおかげで、ずぼらな私にも「4児の母」がなんとかつとめられている。
私には母の日限定の「お手伝い券」なんか要らないのだ。
朝、アプコと一緒に近所の一人暮らしのお年寄りHさんの家を尋ねた。
父さんの地域でのお仕事の代行で、歳末の手当をお渡しして、ハンコをもらってくる。
それだけの事なんだけれど・・・。
父さんはここ数日、何度もHさんを訪ねているのだが、ドアをノックしても、大きな声で呼んでも なかなかドアを開けてもらえない。
電話もしてみたが、すぐに切られてしまう。
男の人の声だから、警戒して答えてくれないのかもと、私が交代して言ってみたが、やはり応 答がない。
中でTVの音がしている。
数日前には生ゴミも出ていたし、すぐ前の道でひなたぼっこしておられる姿も目撃した。
だから心配をすることはない。
Hさんは耳が遠いのだ。
この前訪ねた時には、それでもノックの音はよく聞こえて、たくさん世間話をして帰ってきた。
近くで話すぶんには、ことさら聞こえの不自由はなくて、普通におしゃべりできたのに。
近所の人の話では、最近、Hさんのお宅のTVの音声がよく聞こえてくるようになったという。
大好きなTVの音声が聞き取りにくくなって、少しづつボリュームを上げるうち、外に漏れ聞こえ るほどの音量になってきたのだろう。
おそらく、Hさん自身は我が家のTVの音量が外に漏れるほど大きくなっていることには気付い ておられないのだろう。
外からのノックや呼びかける声にも応えられなくなっていることにも、多分Hさんは気付いてい ない。
「老い」と言うのは、そんなふうに、本人の気付かないうちに、外側から静かに歩み寄る。
「いま、とんとんって歩く音がしたよ。」
一緒についていったアプコの耳には、薄い木のドアを隔てても、Hさんが室内で歩く音や咳をす る音が聞こえる。
こんな近い距離にいるのに、私やアプコの呼ぶ声はHさんには届かない。
週に数時間、ヘルパーさんや近所の人とわずかな言葉を交わすだけで、あとはTVの声だけが 楽しみと言うHさん。
たまに、私や子ども達が顔を出すと、「すんまへんなぁ」と言いながら、長々とおしゃべりするの を楽しんでいらっしゃったのに。
「Hさん!Hさん!」
あと、一回だけ、と、何度もドアをノックする。
「老い」という厚い障壁に隔てられて、私の声はHさんに聞こえない。
もどかし想いで、Hさんの家を後にした。
クリスマス。
昨日、おじいちゃんに「トナカイはなんて啼くの?」と聞かれて、アプコは「シャンシャンシャンっ てなくの」と答えたそうだ。
それは鈴の音でしょう。
アプコの耳には聞こえるサンタの橇の鈴の音。
今夜、Hさんの耳には聞こえたのだろうか。
明日、また行って、今日より大きな声で呼んでみよう。
「Hさん、お届け物ですよ。」
ハンコ、ください。
一日遅れの素人サンタには、ハンコが要るのです。
朝、小中学生組を追い出して、大急ぎでメールチェックして、お返事を書いていたら、つんつん とアプコが私の背中をつついた。
「おかあさん、プリン・・・」
アプコの差し出したスケッチブックには今、アプコが書いた大きなプリンの鉛筆画。
お皿にプルルンと落としたばかりのプリンにスプーン。
「ここんとこ、ちょっとへこんでるのは、スプーンでちょっと食べちゃったからやで・・・」
なるほど、富士山の8合目当たりに微妙なへこみ。うふふ、よくできてるわ。
「うわっ、おいしそう。この絵見てたらプリン食べたくなっちゃうね。みんなに内緒でプリンあげよ うか?」
急いで台所に行き冷蔵庫に常備してある「3個100円」プリンをプルルンとお皿にあける。
「幼稚園行く前にプリンなんか食べたら、オニイやオネエがきっと怒るから内緒だよ。」
思い掛けない棚ボタに、目を丸くしているアプコの前にプリンのおさらを置く。
「・・・いいの?ホントに内緒でたべてもいいの?」
「うん、でもホントにホントにないしょだよ。」
私がもったいぶって言うと、アプコはホントにお皿を抱えるようにして、隠れるようにこそこそっ とうれしそうにプリンをたべた。
オニイもオネエもいないんだから、ゆっくり堂々とたべればいいのに・・・。
幼稚園弁当を作る朝はいつも、炊き立てのご飯でお弁当用の三角おにぎりを作る。
ホカホカご飯を器にとって、お弁当用のおにぎりを二つ作って、そして器に余った一口分のご 飯を片手でぎゅっと握って、「こむすび」を作る。
ちょうど、着替えを終えて、一番におはようを言いに来た子どもの口に、
「ちょっと、おいで。アンタだけにあげるよ。」と、朝一番のあつあつこむすびをポンと入れてや る。
塩の利いた白米のうまさのせいか、「アンタだけ特別」という呪文が効くのか、ほっほと口を動 かしながら機嫌良く朝の支度に戻っていく子。
中学生になったオニイでさえまだまだ、「みんなに内緒」と言うと、ちょっと嬉しげに周りを見回し て、こそこそっとミニおむすびを頬張っていく。
愛しい・・・。
我が子はやはりかわいいと、私は思う。
4人兄弟。
うちの子ども達は何でも4人で上手に分ける。
おいしいお菓子があっても、「みんなで一緒に食べようよ」と皆の顔が揃うまで待っている。
スーパーで買い物をするときも、「オニイやオネエの分は?」と、皆で分けられる大袋を選ぶ。
誰かのいないときにお菓子の袋を開けると、「これは○○の分」と最初に小皿に取り分ける。
「この子らはホントに欲がない。好きな食べ物をもらっても必ずみんなに分けようとする。」と、 時々ひいばあちゃんが誉めて下さるけれど、それはただただ習慣の賜物。
母のけちん坊が産んだ副産物に過ぎないのだ。
だからこそ、うちの子ども達は「アンタだけよ」「みんなに内緒よ」という食べ物にめっぽう弱い。
「いいの?ホントに一人で食べても良いの?」
と、周りを見回して、こそこそっと食べる。そして食べ終わったらそそくさと証拠となるお皿や空 き袋を片づけてすました顔をしている。
「内緒で食べる饅頭は格別旨い」というやつだ。
そして、一本指で「しーっ」とやって、皆に分からぬよう、目配せをして離れていく。
母と自分のささやかな秘密がちょっとうれしい、ちょっと楽しい。
4人も子どもがいると、便宜上、「みんな一緒に」「どの子も平等に」が原則になる。
でも本当はどの子も、「僕が一番」「わたしが一番」だと思っていたいところがあるのだな。
だから、「アンタだけ」の言葉にめっぽう弱い。
チョコレートのひとかけら、お弁当の残りのミートボール一個にすら、「母に一番愛されている 僕」「一番かわいがられているアタシ」を感じて、うっとり目を細める子ども達。
なんと安上がりな母の愛。
でも私自身、そのささやかな密の時間が一人一人の子を格別に「愛しい」と思ってしまう瞬間な のだ。
朝、階下から二階の子ども達を大声で起こすとき、4人の子の名前を順番に呼んで、
「おおい、早く起きろ!おかあさんの一番かわいい子は、一番に顔をみせてー!」
と叫ぶ。
大概は寝起きがよく、お調子者のゲンが一番にぴょこっと顔を出す。
パジャマの裾を引きずって、眠そうに歩いてくるアプコの時もある。
さすがにオニイやアユコは、毎朝の母の策力にはのってこないが、少し遅れて台所仕事をして いる母の元におはようと顔を出す。
まだまだ、この子達の「一番」の母でありたいと思う。
私の背丈を超して、どんどん大人になっていく子ども達。
「アンタだけ」といわれて嬉しい相手が母ではないどこかの彼氏や彼女になる日まで、「みんな に内緒」の秘密の味をもうしばらく味わわせてもらいたいと、思う
「おかあさん、プリンのお皿、洗ってしまっといてね、ゲンにいちゃんに見つかるから・・・」
アプコが最後に念を押す。
はいはい、心配なら自分で片づけな・・・。
そういえば、アプコ、近頃、オカアチャンではなく、はっきりと「おかあさん」といえるようになっ た。
昨夜は久しぶりにカレーライス。
我が家では辛口と甘口、2種類のカレーをふた鍋で炊く。
辛口カレーを食べるのは、父さん母さんとオニイ。
甘口を食べるのはアユコとアプコ。
ゲンはオニイに張り合って、辛口と甘口を半々に食べる。
今朝、昨夜の残りのカレーを食べていたアプコが言った。
「ねえ、オニイちゃんってもうオトナにしようよ。」
「え?なんで?」
「だって、辛いカレーが食べられるもん。」
「辛いカレーが食べられるだけじゃ、おとなにはできないなぁ。」
「でもオニイちゃんはおっきいし・・・」
「ほかには?」
「オニイちゃんの靴もおっきいし・・・」
「それから?」
「いろんな事知ってるし・・・」
「それから?」
「アタシやゲンにいちゃんのこと、おこるし・・・」
「ほかには?」
「アタシのめんどう、見てくれるし・・・」
親の目から見るとまだまだかわいいオコチャマのオニイだけれど、八つ違いのアプコにとって はもうオニイはしっかりオトナ。
頼りになるオトナの一人なんだな。
「ところで、ゲンにいちゃんは?ゲンも辛いカレーがたべられるよ。」
と改めて聞いたら、
「ゲンにいちゃんは、アタシとケンカするからオトナじゃない。」
フムフム、よくわかってるじゃん。
アプコ、君のオトナの基準はだいたい正しい。
|