月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2003年10月26日(日) 女学生

午後から、子ども達と一緒に父さんの3人展を見に行く。

全員集合で電車の移動は久しぶり。

とはいうものの、3時にはオニイがクラブの用事で戻ってこなくてはならないので、会場には「タ
ッチ」するだけの強行軍。

はてさて。



アユコ、朝からお出かけ服でスタンバイ。

普段、ジーンズにTシャツかトレーナーのボーイッシュな格好の多いアユコがちょっと短めの女
学生のようなスカートをはいた。

先日、東京のおじさん(私の弟)から頂いた紺のベストを合わせると、5年生のアユコがにわか
中学生の趣。

「ちょっと、ネクタイでもしてみ。」とオニイの卒業式の時のインスタントのネクタイを着けてみる。

あ、ほんと、中学生だ。

かわいい・・・。



短いスカートからにゅっと伸びた子馬のような足。

母と違ってスリムなアユコには、制服スタイルのきっちりした格好がよく似合う。

「ルーズソックスなんて悪名高いと思ってたけど、アユコぐらい細いと結構似合いそうねぇ。」

見慣れぬスカート姿に父も母もちょっと興奮。親ばかモード、全開。



普段、はかないスカートにちょっと照れてるアユコ。

この数ヶ月で急に背丈も伸び、大人びた表情を時々見せるようになってきた。

女の子の成長の節目を一つ越えて、また一歩大人に近づいていくのだなぁ。

これから、どんどん大きくなり、いっぱいおしゃれしたり恋をしたりして、美しくなっていくアユコ。

40歳になって、肉体的にももはや下りの坂道ばかりが見えるようになった母にとっても、娘の
まぶしい成長は「うらやましい」でも「ねたましい」でもなく、愛しい大事な一こまなのだ。



登校前の忙しい朝食の時の事。

朝の仕事を終えて、父さんが遅れてかえってきた。

「わ、タイミングわる・・・」

ちょうどアプコのお弁当のおにぎりを作ろうとホカホカご飯を手のひらにのせたばかりだった。

「父さん、ご飯ちょっと待ってね・・・」

と言おうとしたとき、先に食事をとっていたアユコがすっと立ってきて、父さんのご飯とみそ汁を
黙って用意してくれた。

「ああ、アユコ、グッドタイミングよ。ありがとね」

父さんがさっそく朝食の席に加わる。

「アユコはきっといいお嫁さんになるよね。父さんもアユコみたいに気が利くお嫁さんをもらいた
かったでしょ?」

ふんふんと笑ってお茶を濁す父さん。

悔しいので、オニイとゲンに、「アンタ達はしっかりといいお嫁さんを選びなさいよ。」とハッパを
かける。

父さんはもう手遅れだからね・・・・。



アユコがきまじめな制服で中学生になる日。

始めての口紅をつける日。

そして、大事な人のためにみそ汁をつぎ、白飯のお茶碗を手渡す日。

久々に見せたアユコのスカート姿に、数年後、十数年後のお嬢さんの姿を、ついつい思い浮か
べてしまう母でありました。




2003年10月24日(金) 朝の権利

朝、子ども達を起こしてから、新聞を取りに出る。

折り込み広告をチェックしてから、ざっと本紙を開く。

パリッとプレスのきいたシーツのように、はらりと開く朝刊のインクの匂い。

時計を見ながら、三面記事を読み、天気予報を確認し、読者の投書欄を斜め読みする。

子供らがパタパタ起き出す気配で新聞を中断し、台所に立つ。

「みんな、起きたぁ?水筒が要るのはだれとだれ?アプコ、お弁当はおにぎり?名札着けた?
体操服、乾いてたでしょ?」

卵を焼きながら、大きな声で、子ども達に指示を出す。

父さんが朝の仕事場から帰って、みんな揃って朝ご飯。

食べ終わった子どもたちが、あわただしく「行って来ます。」

子ども達が出払ったあと、再び読みかけの新聞をゆっくりと読み始める。

順調に行くと、我が家の朝はこんな感じ。



誰かがお寝坊したり、なにか不測の事態が起きた時には、この日課がぼろぼろと崩れる。

まず犠牲になるのは、私がパラパラと新聞をめくる時間だ。

忙しくアプコの靴下を取りに行き、ゲンの集金袋の用意をする。アユコの髪を結ったりオニイの
名札を探したりしているうちに、新聞はいつの間にか、オニイの手に渡っている。



オニイは、私に似て、活字の虫だ。

朝、私があわただしくしていると、決まってオニイが先に新聞を読む。(・・・と言えば聞こえがい
いが、要はTV欄のチェックと4コマ漫画が見たいだけなのだが。)

おまけにオニイが先に読むと、新しい新聞は見るも無惨にくしゃくしゃになり、昨日の朝刊と区
別が付かなくなる。

元通り、きれいに畳み直すという発想がオニイにははなっから備わっていないのだ。



「こりゃ、オニイ!

また、名札がついてないよ。ちゃんと支度が出来てないのに先に新聞、読むなぁ!朝、一番に
新聞読むなんて、10年早いわ!」

忙しさに追われて、ついつい大きな声でオニイを呼ぶ。

「ごめんごめん。」

オニイはまだまだ素直に飛んできて、朝ご飯の配膳などをちょこちょこと手伝ってくれる。



私がオニイと同じくらいの年の頃、実家では一番に新聞を読んでもいいのは大黒柱の父であっ
た。

早起きの父は、出勤前にしっかり時間を掛けて新聞を読んだ。

一方私も、登校前にざっと新聞に目を通したい方だった。

「扶養家族であるうちは、新聞を先に読む権利ナシ。」

一喝のもと、渋々、父が出勤して、読み終えた新聞が下げ渡されるのを待つ。

どうしても先に見たいときには、「先に見せていただいていいでしょうか。」と普段使い慣れない
敬語でお伺いを立てる。

それでも、誰も開いていない綴じ目がパリパリっと音のする新聞を読むことはごくまれであっ
た。

「綴じ目を開く音のする新しい新聞を朝一番に開いて、読むようになりたい。」

それは父という保護者の大きな翼の下から飛び出して、自分の生活を自分自身で選択する生
き方がしたいという、青春期のささやかな強がりであった。



数年の教師生活の後、あっさりお見合い結婚して専業主婦となった私には、パリッと背筋を伸
ばした新しい朝刊が毎朝配達されることになった。

幸い、私が伴侶に選んだ人は、それほど朝一番の新聞を読むことに熱心ではなかったし、幼
い小さい子ども達と一日をうちで過ごす主婦にとっては、新聞をこまめに読むことは、ささやか
な娯楽でもあり、社会にむけて開いた小さな窓でもあった。



子ども達が週末の夕刊に載るパズルやテレビ欄を見るようになり、学校の宿題で社会面やそ
の日のトップニュースを切り抜きすることが増え、新聞はもはや、大人達の独占物ではなくなっ
てきた。

夕餉のあと、「さて・・・」と夕刊を開くとすでにクロスワードパズルの空欄が子ども達の鉛筆の文
字で埋められていて、「あれれ」と思うこともある。

そして、パソコン仕事だの、工房の手伝いだの、子供会やPTAだの忙しく駆け回ることも増え、
私自身、ゆっくりと新聞を読む時間が取れないことも多くなった。



それでもやはり、朝一番の新聞にはこだわりがある。

朝の慌ただしさの中で、あたふたと走り回っている横で、オニイがのんびりと真新しい新聞を読
んでいると、「こりゃあ!」と呼びつけて、説教をしたくなる。

「扶養家族であるうちは、朝一番の新聞を読む権利ナシ。」

若き日の私があんなに反発した実家の父の家訓は、確実に私の中に染み込んでいる。



「大人になったら、自分の稼ぎで新聞を買って、朝一番に読んでやる!!」

そんなささやかな反骨精神が、いつかオニイの胸にもふつふつと沸いてくる日が来るのだろう
か。

理不尽な家訓を娘に科した父の期待が、少し判るようになった気がする40才の私である。






2003年10月23日(木) 秘密の味

朝、小中学生組を追い出して、大急ぎでメールチェックして、お返事を書いていたら、つんつん
とアプコが私の背中をつついた。

「おかあさん、プリン・・・」

アプコの差し出したスケッチブックには今、アプコが書いた大きなプリンの鉛筆画。

お皿にプルルンと落としたばかりのプリンにスプーン。

「ここんとこ、ちょっとへこんでるのは、スプーンでちょっと食べちゃったからやで・・・」

なるほど、富士山の8合目当たりに微妙なへこみ。うふふ、よくできてるわ。

「うわっ、おいしそう。この絵見てたらプリン食べたくなっちゃうね。みんなに内緒でプリンあげよ
うか?」

急いで台所に行き冷蔵庫に常備してある「3個100円」プリンをプルルンとお皿にあける。

「幼稚園行く前にプリンなんか食べたら、オニイやオネエがきっと怒るから内緒だよ。」

思い掛けない棚ボタに、目を丸くしているアプコの前にプリンのおさらを置く。

「・・・いいの?ホントに内緒でたべてもいいの?」

「うん、でもホントにホントにないしょだよ。」

私がもったいぶって言うと、アプコはホントにお皿を抱えるようにして、隠れるようにこそこそっ
とうれしそうにプリンをたべた。

オニイもオネエもいないんだから、ゆっくり堂々とたべればいいのに・・・。



幼稚園弁当を作る朝はいつも、炊き立てのご飯でお弁当用の三角おにぎりを作る。

ホカホカご飯を器にとって、お弁当用のおにぎりを二つ作って、そして器に余った一口分のご
飯を片手でぎゅっと握って、「こむすび」を作る。

ちょうど、着替えを終えて、一番におはようを言いに来た子どもの口に、

「ちょっと、おいで。アンタだけにあげるよ。」と、朝一番のあつあつこむすびをポンと入れてや
る。

塩の利いた白米のうまさのせいか、「アンタだけ特別」という呪文が効くのか、ほっほと口を動
かしながら機嫌良く朝の支度に戻っていく子。

中学生になったオニイでさえまだまだ、「みんなに内緒」と言うと、ちょっと嬉しげに周りを見回し
て、こそこそっとミニおむすびを頬張っていく。

愛しい・・・。

我が子はやはりかわいいと、私は思う。



4人兄弟。

うちの子ども達は何でも4人で上手に分ける。

おいしいお菓子があっても、「みんなで一緒に食べようよ」と皆の顔が揃うまで待っている。

スーパーで買い物をするときも、「オニイやオネエの分は?」と、皆で分けられる大袋を選ぶ。

誰かのいないときにお菓子の袋を開けると、「これは○○の分」と最初に小皿に取り分ける。

「この子らはホントに欲がない。好きな食べ物をもらっても必ずみんなに分けようとする。」と、
時々ひいばあちゃんが誉めて下さるけれど、それはただただ習慣の賜物。

母のけちん坊が産んだ副産物に過ぎないのだ。



だからこそ、うちの子ども達は「アンタだけよ」「みんなに内緒よ」という食べ物にめっぽう弱い。

「いいの?ホントに一人で食べても良いの?」

と、周りを見回して、こそこそっと食べる。そして食べ終わったらそそくさと証拠となるお皿や空
き袋を片づけてすました顔をしている。

「内緒で食べる饅頭は格別旨い」というやつだ。

そして、一本指で「しーっ」とやって、皆に分からぬよう、目配せをして離れていく。

母と自分のささやかな秘密がちょっとうれしい、ちょっと楽しい。



4人も子どもがいると、便宜上、「みんな一緒に」「どの子も平等に」が原則になる。

でも本当はどの子も、「僕が一番」「わたしが一番」だと思っていたいところがあるのだな。

だから、「アンタだけ」の言葉にめっぽう弱い。

チョコレートのひとかけら、お弁当の残りのミートボール一個にすら、「母に一番愛されている
僕」「一番かわいがられているアタシ」を感じて、うっとり目を細める子ども達。

なんと安上がりな母の愛。

でも私自身、そのささやかな密の時間が一人一人の子を格別に「愛しい」と思ってしまう瞬間な
のだ。



朝、階下から二階の子ども達を大声で起こすとき、4人の子の名前を順番に呼んで、

「おおい、早く起きろ!おかあさんの一番かわいい子は、一番に顔をみせてー!」

と叫ぶ。

大概は寝起きがよく、お調子者のゲンが一番にぴょこっと顔を出す。

パジャマの裾を引きずって、眠そうに歩いてくるアプコの時もある。

さすがにオニイやアユコは、毎朝の母の策力にはのってこないが、少し遅れて台所仕事をして
いる母の元におはようと顔を出す。

まだまだ、この子達の「一番」の母でありたいと思う。

私の背丈を超して、どんどん大人になっていく子ども達。

「アンタだけ」といわれて嬉しい相手が母ではないどこかの彼氏や彼女になる日まで、「みんな
に内緒」の秘密の味をもうしばらく味わわせてもらいたいと、思う



「おかあさん、プリンのお皿、洗ってしまっといてね、ゲンにいちゃんに見つかるから・・・」

アプコが最後に念を押す。

はいはい、心配なら自分で片づけな・・・。

そういえば、アプコ、近頃、オカアチャンではなく、はっきりと「おかあさん」といえるようになっ
た。






2003年10月22日(水) 無農薬

小学校、アユコの学年行事。

子ども達とおかあさん達のソフトドッジボール大会。

子ども相手とはいえ、運動不足のおばさんにはドッジボールは少々きつい。

とっとと痛くない程度にボールを当ててもらって、外攻めにまわるに限る。



ドッジボール終了後、5年生の子ども達が学級園で栽培した小松菜をおかあさん達に販売する
ことになっていた。

「私たちが栽培した小松菜です。無農薬のおいしい野菜です。買っていただいたお金は次の作
物の肥料代にします。どうぞ買って下さい。」

各クラスの代表が、おかあさん達に挨拶。

きまじめなアユコもその挨拶係を仰せつかっていたらしく、前に出て緊張した面もちで話してい
た。



今、学級園から収穫してきたばかりの小松菜は、育ちすぎといっても良いくらい立派なお菜っ
ぱだ。

「おかあさん、買ってよね。」

と念を押すアユコ。

一束10円の安値にも釣られて、二束頂く。

「せっかくアユコが作ったお野菜だからお料理もアユコがやってね。」

ということで今夜のメニューは、小松菜と豚肉のスープ。



洗い桶に水道水を満たし、青々とした小松菜を洗う。

ダイナミックに収穫された小松菜は、まだその根っこに畑の黒々とした土をたっぷりと付けてい
る。

流しが泥だらけになるので、キッチン鋏でバチンバチンと根っこを始末する。

「葉っぱの一枚一枚をきれいに洗ってね。小さな青虫が結構いたよ。」

「えーっ!」

アユコがちょっと弱った声を出す。

「あったり前よ、無農薬なんでしょ。虫にとっておいしい菜っぱは、人間にもきっとおいしいよ。」

面白がってちょっと意地悪を言ってみる。



「無農薬だから、安全でおいしい野菜。」

子ども達は教えられた通りの知識で、自分たちの作物を売り込んでいたけれど、実際に自然
のままに雄々しく育った野菜には、どろんこも青虫さんももれなく着いてくる。

母の意地悪と、次々に見つかるツメの先ほどの小さな青虫たちににうんざりし始めたアユコ
は、それでもザバザバと何度も水をかえて、お菜っぱを洗ってくれた。

細切りの豚肉と緑豆春雨で、野菜たっぷりのスープを作る。

取れたて新鮮野菜の張りのある緑が、暖かいスープに溶け込んで、秋の夜の嬉しいごちそう
になる。



「ほら、店で買った野菜は泥も付いていないし、虫食いのあともない。

お料理するのも簡単だし、味もそれほど変わらない気もするよ。

それでも『無農薬』がいいのは、なんでなの?」

スーパーのお菜っぱを見せて母の意地悪、もう一押し。

おいしくできたスープを味わいながら、アユコしばし黙考。



『無農薬』が体にいいだろうと言うことはよく分かる。

自然に育てられた自家製野菜を頂くと、その奔放な生命力あふれる緑に、思わず心が豊かに
なる。

そして、育ち盛りの子ども達に本物の味、自然の味覚を十分味わわせてやりたいと思うのも、
確かに親心ではある。

その一方で、虫食い野菜をきれいに洗う手間は面倒だ。

葉脈の陰からひょいと顔を出す青虫さんにも、ちょっと手がすくむ。

その上、価格も少々高い。

『無農薬』がいいと、分かっていながら、きれいに姿のそろったスーパーのお野菜に手が伸び
る主婦の思い。

そんな小さな矛盾が、農家の人たちに虫食い一つない、こぎれいな『農薬使用野

菜』を作らせてきたのだと言うことを、アユコは理解できただろうか。



一株の小松菜を、人は小さな虫や動物達と分け合って食べて、生きている。

土と太陽と水が、十分に慈しんで育てた青菜には、虫や動物を等しく育てる自然の力が満ちて
いる。

きれいで便利なスーパーの野菜に慣れた母にもエネルギッシュな自然野菜の一撃。

まことに貴重な「体験学習」の機会を頂いたようだ。




2003年10月17日(金) 青いソース瓶

父さんのいない夕ご飯の時、出来合いのコロッケに、じゃぶじゃぶとウスターソース掛けていたオニイが言った。
「このソース入れ、長いこと使ってるよね。」
「あったりまえよ。それはおかあさんが結婚する時に買ってから、ずーっと使ってるんだもの。オニイがうまれる前からよ。」

なんの変哲もないガラス製のソース瓶。水色のガラスのフタがついていて、、厚手ガラスのぽってりとしたデザイン。
父さんとの結婚が決まって、新婚の食卓に使おうとあちこち探し回って購入した「嫁入り道具」のひとつなのだ。

今時、珍しいお見合い結婚。
初対面から1年足らずで始まった新婚生活。
お互いの生活習慣や考え方など、今思えば知らないことだらけのまま、私たちは家族になった。
サラリーマン家庭の長女として育った私と、陶芸の窯元の家に生まれ育った父さん。年齢も普通より少し離れていたので、二人の生活観のギャップは結構あったかもしれない。
「陶芸家のうちでは、食器は全部、自作の陶器なのかしらん?」
私の花嫁道具選びは、そんな疑問から始まった。

うちは茶道具を中心に扱う窯元。食器は作らない。
それではと、市販の食器を買い集め始めたが、まだ見ぬ新婚の食卓に描く初々しい夢の他に、夫となる人の食の好みや日常の食器に関する好みを計りかねて、買い物は難航した。

「日常の食器は藍を中心に、和洋、どちらにも応用のきくものを。
醤油差しは、赤絵で、尻漏りしない機能的な物。ソース瓶は絶対ガラス製。表面にはカッティングがなく、安定感のある物。
毎日食卓に置く物だから、醤油差しとソース瓶だけは妥協しないで選ぶ。」
今では考えられないほどのエネルギーで選んだ醤油差しとソース瓶。
醤油差しの方は、数年で注ぎ口を欠いてしまい選手交代したが、分厚いガラスのソース瓶は十数年経った今も現役で活躍中だ。

お風呂の湯加減は熱めか、ぬるめか。
朝の目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるか。
毎日使う歯磨き粉の銘柄、おみそ汁の味加減、枕カバーの材質の好み。
それぞれ別の環境で暮らしてきた二人が一つのうちで新生活を始めるとき、新米主婦は自分の夢と伴侶となった人の好みをすりあわせて新しい家族の形を作り上げるという難問にぶち当たる。
「テーブルクロスの色は何が好き?お風呂と夕食、どっちが先?バスタオルは柔軟剤使った方が好き?」
新妻にとってはとても重要な質問が、仕事が忙しくて身の回りの家事には無頓着な男性をイライラさせたり、うんざりさせたりする。



結婚して十数年。
子ども達が次々と生まれ、何度かの引っ越しを経て、雑然と散らかった我が家は今や着慣れたシャツのように家族の生活になじんでいる。
家族一人一人の役割分担、わいわいと皆が楽しめる夕食のメニュー、タラタラしながらもちょっと充実した休日の過ごし方。
親子で共有している心地よい家族の形は、長い年月と小さな口げんかや思いやりの集積として、今確かに此処にある。

人と人が出会って、新しい生活を気付いていくとき、愛情とかお金とか、快適な住まいの他に、「年月」という些細な日常の積み重ねが圧倒的な意味を持っている事に気がついた。



今、大好きな人との新生活をはじめたばかりで、慣れない環境の変化にとまどい、彼との関係の取り方に悩んでしまっている女性がいる。
どっぷりと主婦の座に座り込んでしまった身としては、初々しい新婚生活のドキドキを思い出して「うふふ、頑張りなさいよ。」とエールを送りたくもなるのだけれど、今の彼女の耳には要らぬお節介としか聞こえないかもしれない。



十数年、我が家の食卓に鎮座してきたソース瓶。
ソースを補充するついでに台所洗剤できれいに洗ってみた。
手垢や油汚れを脱ぎ捨てて、新品のように輝くソース瓶。新婚の日の二人っきりの食卓に置かれたあの日の輝きを取り戻したようだった。

子ども達が争って手を伸ばすにぎやかな食卓で、まだまだ青いソース瓶は活躍してくれそうだ。

そうだ。
父さんと私の当たり前の今日にも、ふっと新しい風を吹き込んでみよう。
手始めに、洗い晒して色あせた父さんのバスタオルを、新品にかえてみようか。
そんな些細な物事が家族の歴史をささえてくれるのだ。


2003年10月16日(木) 蝶々、とんだ

朝、登園の途中、アプコの足が止まった。

「オカアチャン、ちょっと待ってね。」

パタパタと道ばたの何かに駆け寄るアプコ。

小さな蝶々の死骸だ。

涼しくなって力尽きたか、運悪く車にひかれたか・・・。

薄汚れて、羽根も砕けた蝶々をアプコはためらうことなく、つまんで水路の水に落とした。

「ちょうちょ、死んじゃったねぇ。かわいそうね。」

手をつないで再び歩き始める。スキップで私の早足に絡まるようについてくるアプコ。

私を見上げて得意げに言った。

「大丈夫よ。お水につけてあげたから、すぐに元気になるよ。」

「え?元気になるの?」

「そうよ。死んだ蝶々はね、水につけておくと元気になってまた飛んでいくねん。」

「あ、そうなの・・・」



去年の春には、激突死のスズメの「死」の意味がいまいち理解出来ていなかったアプコ。

一年分お姉さんになっても、まだ、よく分かっていないのかな。

「ホントに死んだ蝶々って生き返るの?セミとか、カブトムシは生き返らなかったよ?」

「ううん、ちょうちょは違うのよ。お水に一ヶ月くらいつけてるとね、元気になって飛んでいくの
よ。」

「あ、そうなの・・・(???)」

「だってね、お花はクタってしおれてても、お水に入れると元気になるでしょ。」

「ふ〜ん、お花ねぇ・・・」

どこから思いついたんだろう。

自信満々で説明してくれるアプコ。

何を根拠に「一ヶ月」?

なんだかとっても楽しくなって、調子を会わせて、アプコの死生観を拝聴する。

「そういえばちょうちょとお花は似てるよね、とってもきれいな色だしね。」

「うん、ちょうちょはお花から生まれるんだよ。」

「あ、そうなの、青虫さんじゃないの?」

「うん、青虫さんから生まれるのもいるし、お花から生まれるのもいるの。お花のひらひらっとし
たところがちょうちょの羽根になるのよ。」

「ふ〜ん。」



道ばたには、とりどりのピンクのコスモスの列。

その愛らしい花びらのふるえる様は、ひらひらと繊細なちょうちょの羽ばたきにも似ている。

薄紅色の蝶々の群が、ぱぁっと飛び立ち乱舞する様が目に浮かぶようで、秋晴れの青空をぐ
いと見上げる。

「ほんとだねぇ、このコスモスがみんな蝶々になって飛んでいったら、きれいだろうねぇ」

「うん、夢みたいねぇ・・・。」



「夢みたい」

アプコの口からこぼれた大人びた言葉。

ああ、アプコには「現実」と「ファンタジー」との違いがちゃんとわかってるんだな。

死んだ蝶々が生き返らないことも、コスモスが蝶々にはならないことも・・・。

分かっているのに、自信たっぷりに自分のファンタジーの世界に遊ぶことの出来るアプコ。

幼児の心の中にある「ファンタジーの王国」の恐るべき広大さ。

すごいなぁと思う。

「死んだ蝶々は、生き返らないよ。」と、大人の理屈で論破してしまわなくてよかった。

おかげで、年喰ったオカアチャンもアプコの美しい王国の片隅にほんの少し、足を踏み入れさ
せてもらえた。



秋の空に乱舞するコスモス色の蝶々の群。

すっと胸の晴れるような爽やかな光景が、一日中、私の瞼の裏に張り付いている。


2003年10月15日(水) 怒濤の果て

玄関の脇に植えてある石蕗が黄色いつぼみをぐいっと持ち上げて、開花の日を待っているのに気がついた。

毎日の出入りで必ず目につく場所なのに、そして、例年なら、小さなつぼみが株元に少し顔を出したばかりの頃から、毎日のようにチェックして開花を待つ石蕗なのに、今年はここまで大きくなるまでちっとも気付かなかった。
振り向けば、金木犀の時期も終わり、不如帰や秋明菊が、知らぬ間に秋の風に揺れている。

アプコの運動会、村の秋祭り、剣道の試合、オニイの中間試験、そして二件連続の展示会の準備・・・。
怒濤のように押し寄せる仕事や子ども達の行事。
毎日毎日、分刻みに走り回っていた。
パタパタと主婦不在の日々が続き、子ども達と父さんの奮闘で、かろうじて最小限の家事だけで切り抜けた我が家は、気がつけばすっかり秋の彩りを身に着けていたのだった。



アプコの運動会。
ニコニコと楽しそうに演技に参加しているアプコは、うちでの甘えん坊ぶりとはうって替わって、幼稚園児らしいしっかりした顔つきになった。

秋祭り。
長い間、一生懸命練習してきた御神楽や南中ソーラン、お囃子など、次々に披露して大忙しのアユコ。
ゲンは二日連続で、子ども御輿に参加した。

子供会の仕事で連日家を空ける母に替わって、子ども達が食事の支度や洗濯などをオニイが先頭に立って分担してやってくれた。

そして今日、不眠不休の準備をおえ、父さんが東京での展示会の搬入に出発した。



家族がそれぞれに自分が必要とされている場所で、自分に期待されている事を果たす。
自分に出来ること、誰かにしてあげたいことを、自分で考えて行動する。
そんなことが、ようやく子ども達の中にも根付いて、多忙な父や母の助けになってくれるようになった。

「4人の子持ちは大変だろうけど、子ども達が大きくなったらきっと楽させてもらえるよ。」
おんぶに抱っこの幼児を引き連れてずるずると手こずっていた頃、よく言われたものだけれど、そろそろその時期が来たのだろうか。



昨夜、久しぶりに落ち着いて台所に立ち、肉じゃがを煮た。
「皮、むこうか。」
と申し出てくれたアユコを断って、ゆっくりとジャガイモの皮をむく。
ふんわりと広がるお醤油の匂いに、
「いいにおい!」
とお腹をすかせたアプコが寄ってくる。
「ゲン、宿題すんだの?」
「オニイ、、テストどうだった?」
夕餉の前のあわただしい主婦の時間。
かわるがわるに、子ども達が寄ってきてはなんだかんだとしゃべっていく。
毎日毎日当たり前に繰り返していた家事の一コマが、再び、家族の暖かな時間を運んでくる。
ほんの数日台所を離れていただけなのに、いつもの家事が新鮮で愛おしい。



「おかあさん、もう無人島についた?」
お祭りの大役を終え、母より一足先に「無人島」にたどり着いたアユコが、気遣ってくれた。
「うん、そろそろね・・・」
夜になると、急に冷え込んで、暖かな子ども達の肌をぎゅっと抱きしめたくなる。
どんなに忙しくても、イライラしても、母の行きたい所は無人島じゃないよ。
父さんがいて、子ども達がいて、暖かい肉じゃがの匂いのするお台所。
やっぱりここが私の居場所なのだ。

怒濤の果てにたどり着いたのは、やっぱりここなのだった。


2003年10月08日(水) 荷造り

近鉄(上本町)での展示会の搬入準備で、朝から荷造りに追われる。

義兄の作った作品リストに従って、在庫の中から、出品作品を揃え、番号シールを貼り替えて
二重三重の梱包を掛ける。

新作の仕上がりをチェックし、底面の「めあと」の処理や金箔張りを終え、寸法を採る。

段ボール箱に梱包を終えた作品は配送業者には頼まず、自家用のバンや業者さんの車で、
直接会場まで持ち込む事になる。

各地で行われる展示会の折には、義兄や主人が作品を満載したバンを夜通し運転して、搬入
日に間に合うように運んでいくのだ。



「○日搬入」の予定が決まると、義兄の出品リストが出るのを待ちかねるようにして、教室に山
のような作品を拡げて荷造りを始める。

梱包材の散乱した教室で、荷造りが大詰めを迎える頃、階下の窯場では出品予定の大作が
まだ窯の炎の中と言うこともある。搬入日の自動車便に間に合わなかった作品は、当日、手持
ちで会場に運ぶ事もある。

搬入前の慌ただしさは、どこか台風に備える準備やら、夏休み最終日の宿題騒ぎにも似て、
心躍るイベントの匂いがする。



梱包材で包まれた作品をしっかりと詰めこんだ段ボール箱には、最後にビニールの紐を掛け
る。大きな箱なので、持ちやすいように、しっかり引き絞って十字に紐を掛けるのだが、私がや
ると、どうもどこかで要らぬゆるみが出て、ぐずぐず不格好に仕上がる。

運搬の手がかり用の紐かけなので、別に見た目の美しさを求められるわけでもないし、私の
「ぐずぐず結び」でも一向に構わないのだけれど、なんとなく苦心の梱包の最後に気の抜けた
「ぐずぐず結び」でしめるのは気が引ける。

近頃では、なんとなく紐かけ作業は母や従業員の人たちに譲って別の作業に逃げこむことにし
ている。



今日、「鶴食籠」と「亀食籠」の入った段ボール箱を開けた。

この二つの作品はいつもうちの展示会ではメインの場所に鎮座する「格別」の2点。

梱包や運搬にもことさらに気を使う。

前回の展示会のあと、おそらくは会場側のスタッフの方が梱包して下さったのだろう、「鶴亀注
意!」と注意書きしたいつもの段ボール箱に実に丁寧な紐かけがしてあった。

「井」に字型に2重に紐を回して、その交差する部分ごとにきっちりと結び目がこしらえてある。

その紐を切らずに長いままで梱包を解こうとして、ひとしきりイライラと格闘する羽目になった。



一昔前、荷物を発送することを「小包を送る」と称していた頃には、こんなきっちりした紐掛けが
いろんな所で見られたものだった。

いま、「宅配便で送る」ことが多くなった荷物には、ガムテープや固いビニル製の結策テープが
使われるようになり、「紐を掛ける」作業はあまり見られなくなった。

そういえば、古ストッキングや紙紐で十字にぎゅっと縛り上げていた廃品回収の古新聞も、近
頃ではナイロンの袋や紙の袋に詰め込んで出すことが増えた。



「結ぶ」

私たちの日常生活の中で、「簡単便利」の名の下に、遠ざかってしまった当たり前の所作。

私自身は、普段の生活の中で、まだまだ「紐を掛ける」という作業にも親しんでいる方だとは思
うが、それでも「鶴亀注意」の段ボールに掛けられた荷造り紐の手慣れた結ぶ目には、はっと
驚かされるものがあった。

長い間、商品の梱包や発送のお仕事に従事してこられた方の年季の入った手が、丁寧にこし
らえた結び目の一つ一つ。

展示会の主役の場所に飾られていた二つの食籠を、格別の注意を払って梱包して下さった
「結び手」の美しい想いが知らされるような梱包の技でもあった。



搬入前の慌ただしさの中で、ついつい事務的に、包み、詰め込み、梱包する。

その一つ一つの作業にも、窯から生まれ出た作品を、大事に安全に送り届けたいという、基本
的な真摯な想いが必要なのだと、「仕事人」の基本を改めて教えられたような気がした。




2003年10月07日(火) 無人島へ行きたい

アユコが古カレンダーの裏に線を引いて、家族6人分の予定表をこしらえてくれた。

夏休み、押し寄せる過密スケジュールに、いつも使っている書き込み式カレンダーにみんなの
予定が書ききれなくなり、一人分づつの欄を区切ったアユコ手製のカレンダーを導入した。秋
になり、そろそろ、カレンダーにも余裕が出来るかと思っていたが、秋祭りだの3カ所での展示
会だの遠足だの、まだまだ怒濤の日々が続きそうだ。

同じ日に家族の予定が二つも三つも重なったり、朝から晩まで主婦不在の日が続いたり・・・。

うわぁー、なんとかしてくれーと叫びそうになる。



久しぶりに、アユコが「学校、なんか行きたくないなぁ・・・」ともらした。

運動会まで、応援団やら「御神楽」の稽古やらで、あっぷあっぷの多忙な生活を乗り切ったア
ユコ。

運動会が終わって少しお荷物が軽くなったかと思っていたが、まだまだ、秋祭りの踊りやお囃
子の稽古などのプレッシャーは残っているらしい。おまけにクラスの新聞委員だとか体育委員
だとか、あらたな役職も抱え込んで、大忙しなのだそうだ。

「クラスの新聞、編集長になった男の子が全然やってこないから、私、自分でやることにした。」
と、自宅のパソコンに向かっていたりする。

誰もやりたがらない仕事とか、誰かがやり残した仕事など、「もう!しょうがないなぁ。」と拾って
きては文句タラタラ言いながら片づけてしまう。

ああ、可哀想な長女気質。

だれかさんにそっくりだぁ。



「あたし、一人でやったのに、できあがったら編集長はケロッとした顔してた。」

アユコがぶつぶつ文句を言う。

「はあはあ、そういう子はきっと一生けろっとして生きていけるんだよ。そんでもって、アユコは
きっと一生、ぶうぶう文句言いながら、誰かのやり残したことを着々と片づけていく人生を送る
んだから。

いちいち引っかかってたら、くたびれるよ。

アユコはなんだってうまくやれるんだから、へこまない、へこまない。」

アユコの愚痴を慰めながら、そうだな、ホントにそうだなと、我が身を振り返る。

あれもやらなきゃ、これも私がやらなけりゃと、いっぱい荷物を抱え込んで溺れそうになってい
る漂流者。

それは、アユコだけじゃないんだよ。

がんばってるね、私。



「あー、2日でいいから、無人島に行きたい!」

アユコと二人、どちらからともなく、ため息が漏れた。

やらなければならないこととか、任されている仕事とか、ぜーんぶ忘れて、ぼーっと一日を過ご
してみたい。

そういえば、最近、一日中庭仕事をしたり、近所の植物園でピクニックをしたり、だらだら寝そ
べって読書三昧したりしてないなぁ。

「あー、いいなぁ。無人島なぁ・・・。」

「・・・・でも、帰ってきたら、留守中の二日分の仕事がどどっと残ってるのはやだな。」

「うう、それはつらい。」

やっぱり、今日も一日、こつこつ頑張るしかないか・・・。



「アユコ、忙しいのが片付いたら、無人島、いこうな。」

忙しさに負けそうになってるアユコと私に、「無人島」が合い言葉になった。

あり得ない妄想なのに、ふっと肩の力が抜けて楽になれる。アタシ一人が頑張らなくても、世界
はきっと回っていくよ。

うふふと笑って、切り抜けていこう。



親と子ではなくて、「無人島」を共有する同志としての会話が出来るようになったアユコ。

まだまだ幼い泣き虫の女の子だけれど、私のすぐそばに心強い愚痴友達が育ちつつあること
に気がついた。

娘を授かってて良かった。

今日も頑張ろう。


2003年10月03日(金) 米泥棒

いつも来てくれる生協のお兄さんが、「再来週から米が値上がりします。」と教えてくれた。だからって、そうそう買い置きができるものではない。天候不順で不作だと言うことだし、農家の人たちとの痛み分けと言うことで少々の出費は仕方がないか・・・

あちこちで「米泥棒」のニュースを聞く。
サクランボや梨、椎茸など他の農作物の盗難被害も続いていたけれど、その対象が収穫したばかりの米ときくと、余計に心が騒ぐ。

ニュースを見ていて思ったのだが、被害に遭ってインタビューに答えている生産者の方は驚くほど高齢の方が多い。
80歳過ぎのおじいさんが「どないもこないも、しゃあないですわ。」とへたりこんでいらっしゃるのをみて、アユコが怒る。
「許されへんなぁ、一年間、苦労して育てた米やのに・・・」

アユコは今年、授業の一環で米作りを体験させてもらっている。
広い校庭に小さな田圃を作ろうと、整地して、近所で分
家のベランダでも、余った苗をもらってきてペットボトルで育てている。
ひ弱なペットボトル苗は、近所の田圃の稲の半分ほどの背丈。それでも稲穂がみのり、少しづつ頭を垂れ始めると、収穫の日が楽しみだ。

こんなに大事に育てた稲でも、その一本の稲穂から取れる米粒の量はごくわずか。
いつもぱくぱく食べるおにぎり一個分の米を収穫するには、どのくらいの稲穂がいるのだろう。

そんなことを、ダイレクトに目と手で確認する経験は、小学生にとって貴重な宝となるだろう。



そんなアユコだから、米泥棒のニュースはことさらに幼い胸に刺さるのだろう。
「何でそんなことする人がいるんだろう。」
正義感あふれる小学生に説明できない、大人達の犯罪の愚かさ。
盗まれた米は、価格に換算すれば数十万円。
一年間の農作業の成果がわずか数十何円ということにも心が痛むが、たったそれだけの利益のために、収穫したばかりの米を盗みの対象に選ぶのも腹立たしい。
他に盗むものはないんかい!と怒りは妙な方へ向かってしまう。



実家から、大粒のブドウの荷物が3箱も届いた。ブドウを栽培している親類からの発送だ。
宝石の様に輝くみずみずしいブドウの粒は、生産者の人たちの一年間の汗の結晶だ。
ブドウ畑でたわわに実る果実とそれを収穫する農家の人の汗を思うとき、その果実の甘さはまさに「甘露」となる。

目の前のある物の裏側に、作物を育てる人、物をつくる人の労苦や想いを感じることの出来る力。
そんな「思いやる心」は、「経験すること」「知ること」から生まれてくる。


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