月の輪通信 日々の想い
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毎日大量に出る我が家の洗濯物。 その中で布巾やタオル、そして6人分の下着をたたんで、所定の位置にしまうのは、数年前からアユコの仕事である。
「おかあさん、こんな布巾、うちにあったっけ?」 取り込んだ洗濯物の中からアユコがひっぱりだした一枚。郵便局の粗品でしょっちゅうもらう布巾で、引き出しに一杯たまっていたのを昨日下ろしたばかりだった。 ふわふわ柔らかくて、ふつうの布巾より吸収力のある素材の物。 「うん、昨日、出してみたよ。おばあちゃんちでは、よく使ってるでしょ。」 「・・・・でも、どっちかというと、あたし、この布巾あんまり好きじゃないな。」 あ、そう・・・。実はおかあさんもそうなんだな。
うちでは、食器にはフェイスタオルの半分の大きさのタオルを、台拭きには20センチ角くらいの使い古しのハンドタオルを2枚縫い合わせた布巾を使う。 一度使った布巾をすすぎなおしてもう一度使うのが好きじゃないので、一旦使った布巾はどんどん洗濯機に放り込んで、新しい布巾をペーパータオルのように次々使う。 だから、布巾の籠には洗いさらしてパリパリになったタオルがいつもぎゅうぎゅうに詰め込んである。 いわゆる「ぬれ布巾」というヤツを置いておく習慣がない。
一方、工房の2階にある義母の台所には、いつも必ず、食卓の隅や流し台の所に小さく畳んだぬれ布巾が慎ましやかに置いてある。 食卓でのちょっとした粗相や食べこぼしもこまめにササッと拭けて、これはこれで便利でもある。 この、常備用ぬれ布巾に、義母は郵便局粗品バージョンの白い布巾をよく使う。 実家の母もどちらかというとぬれ布巾常備派だった。
新婚の頃、初めて洗濯用の柔軟剤という物を使った。古タオルも柔軟剤を使うとふわふわと柔らかな肌触りになって感激したことがある。 実家では、常の洗濯に柔軟剤はあまり使わない。 母に、「柔軟剤使ったらタオルがふわふわで気持ちいいよ」と教えたら、 「そう?でも、タオルはパリッとしてるほうが気持ちよくない?」と不思議がられた。
そういえば柔軟剤を使ったタオルは肌触りはいいけれど、吸水性はいまいち。かさも高くなってきちんと畳めない。元来の無精も手伝って、ついに柔軟剤は使わなくなってしまった。
郵便局布巾の肌触りは、ちょうど柔軟剤を使ったタオルの柔らかさ。 吸水性もいいので、使い勝手は悪くはないのだけれど、なんだか洗いさらしたタオルのパリッとした緊張感がなくて物足りない。
たぶん、毎日取り込んだばかりの布巾を畳んでくれるアユコも、同じ物足りなさを感じているのだろう。
主婦の日常は毎日毎日、ささやかな用事の繰り返し。その中で、その家ごと、その主婦ごとのささやかな家事の好みが生み出される。
そしてそこで育っていく子ども達には、母の主婦感覚が、好む好まざるに関わらず、まさしく当 たり前の「家事の常識」として刷り込まれていく。
アユコの布巾の好みが私のそれとぴったり一致していることに気付いたとき、正直なところ「恐いなぁ」と思った。
私の整理下手のおおざっぱな家事も、多忙と大家族をいいわけにした手抜き料理も、これから主婦となるであろうアユコの主婦感覚のスタート地点になるのだなぁ。
この間から、惜しむように読んでいる幸田文のエッセイの中に、若い文さんが父の幸田露伴から厳しく掃除のやり方を伝授される場面が出てくる。
雑巾は刺した物より手ぬぐいの様な一枚ぎれがいい。バケツの水は6分目。雫で床をぬらさぬように注意して絞る。しぼった濡れ手の雫も落とさぬように気を配る。
現代のおざっぱなお掃除から見ると、いささかマニアックとすら見える露伴の家事に対する美意識と、それに答えてわが娘にも父の家事感覚を厳しく伝えていく文さん。
古くから、多くの主婦の中に、密やかに脈々と伝えられてきたつつましい主婦感覚は、実は日本的な細やかな美意識に通じていく物なのだと改めて認識させられる。
はてさて、かたや我が家のおおざっぱ、且つ、ずぼらな主婦感覚。 近頃、料理に興味を示して、しょっちゅう台所をうろちょろしているアユコに、私はどんな家事の好みを教え込んでいくのだろう。 幸いにして、私よりずっと几帳面で、整理整頓上手なアユコ。 母のずぼらを反面教師にして、優秀な主婦となってくれることを期待してもいいかもしれない。
それにしても、アユコのアタマのどこかに確実に刻まれていく私の「ええ加減主婦」の主婦感覚。
子どもを育てると言うことは、ほんとは恐いことだなぁと改めて、猛反省。
2003年09月06日(土) |
2003年9月6日(土) 焼き損ない |
久しぶりに、荷造り場で仕事をしていると、玄関の方で来客の声。 義兄が応対に出たようだ。
「ハイキングのお客さんかな。」 工房は、ハイキング道の入り口にあるので、休日には通りすがりの人がやってきて、展示してある作品を見ていかれる。
近くまで来たので寄ってみたのだけれど、自分は焼き物が好きなので、こちらで焼き損じのお茶わんがあったら分けてもらえないだろうか。
その女性客は、玄関先で展示してある作品を見るより先に、そうおっしゃった。
「あ、困ったな。」 思わず手を止めて、聞き耳を立てる。 義兄はどんな風にお答えするのだろうか。
展示してある作品ではなく、工房の隅に転がっているような「焼き損じ」の作品を分けて欲しいとおっしゃる方が時々おられる。 「ここの作品をぜひとも手元に置きたいけれど、高価でなかなか手に入れられないから」と、おっしゃるのだけれど、うちでは、何らかの不具合のある作品を安価でおわけするようなことは、していない。
確かに、多くの作品を作っていると、小さな瑕疵や不具合を持って窯から出てくる作品もいくつも出てくる。 うちうちでの使用にはなんの支障もないけれど、作品として高価な値札をつけて頂くには耐えないB品。 美しい色の焼き上がりながら、小さな不具合のために涙を呑んでお蔵入りとなる作品。 実を言うと、工房の裏には、そうした「焼き損じ」がたくさん転がっている。
窯元によっては、そうしたB品を値段を落としてお内使い用にと販売するところもあると聞く。 お茶碗として、お皿としての機能は十分に持ち合わせて窯から出た作品を、値段を落としてでもどこかの食卓で生かしてやりたいという作り手の作品に対する情も十分に理解できる。 しかし、長い年月、伝統の窯元としての看板を掲げている以上、窯元の印を押す作品に対する責任として、不満足な作品を安易に外へ出すことは出来ない。
「抹茶茶わんは高価で手が届かない」 とよく言われる。 確かに、値札についているゼロの数は一塊の土くれから生み出された物としては、とんでもなく法外な物かもしれない。 しかし一個のお茶わんが値札をつけて世に出されるとき、裏側にはその一個の茶わんの価値を保つために長年培われた技術に加えて、泣く泣く闇に葬られたいくつものお茶わんがある。
「もの(作品)は、あとに残りますから。」 義兄は、「内使いにして、外へは出さないから・・・」と食い下がる女性にやんわりとお断りしている。 確かに巷の骨董店やオークションなどでも、うちの窯の作品が周り回って顔を出していることもある。
その作品の裏の印を見れば、それがどの代の作品で、どのような状態で世に出たのか大まかな事は察することが出来る。
最初に購入なさった人の手元を離れても、作品は窯から出たときの品質と制作者の刻印を確かに持ち合わせたまま、流通していくのだ。
「もの(作品)は、あと(後世)に残る。」 主人や義兄や義父が作り、私たちが梱包して毎日送り出している作品は、もしかしたらわたしたちがいなくなった後までも、「吉向」の作として、お茶席に置かれ、評価される。 その厳しさを、義兄は誇りを持って「あとに残る」と表現したのだろうか。
「焼き損じ」をお分けしないのは、意地悪やら吝嗇ではなく、いま、どこかのお客様の手の中にある多くの過去の作品、そして、これから生み出される未来の作品への責任なのだ。
「・・・大変失礼な事を申しました。」 女性客は義兄のお断りに、納得してお帰りになった。
今、私が包装しているのは薄青地に流水の彫り込みのある小振りのお菓子皿。 茶道の先生が御祝いの席のお配り物になさるのだそうだ。
同じ土、同じ釉薬から生まれながら、微妙に表情の違う百枚あまりのお菓子皿は、窯元の刻印とともに見も知らぬ人の手へと散らばっていく。 その一つ一つのご縁を思いやりながら、再び、包装の仕事に立ち戻る。
今日、50組の菓子皿の包装を終えた。
母に続き、今度は父さんが秋休み。
「取材」 という名目で、一人で車を走らせて、高知の海を見に行った。
うるさい日常を離れて、リフレッシュして帰ってきて欲しい。
数日前から、お隣の裏庭の擁壁の工事中。
コンクリートミキサーやら土砂を積んだダンプやらがハイキングコースの細い道を何度も行き 来する。
昨日も、アプコと手をつないで歩く道すがら、道路脇の茂みに潜り込むようにして大きなダンプ カーをやり過ごした。
「アプコーっ!いそげーっ!幼稚園バス、いっちゃうよ。」
今朝も大慌てでスニーカーをつっかけ、鍵をかけて、飛び出していく。
今日も暑くなりそうだ。
お隣では、もう満載してきたバラスの荷下ろしを終えたダンプカーが、次の荷を取りに下ってい こうとしているところだった。
道幅の広いところで、アプコを引き寄せ、ダンプを先に行かそうと振り返った。
「乗ってかない?」
すれ違っていくダンプの運転席から、思い掛けなく声がかかった。
突然のことに、ぽかんとしていると、
「下までいくんでしょ?」
見ると運転しているのは、隣の工事で毎日姿を見かける茶髪のオニイチャン。
「あ、いいです。いつも歩いてるから・・・」
ようやくお断りして、付け加える。
「ありがとう。」
何度も何度も、土砂を積んで行き来する現場への道のり。
太ったおばさんと幼稚園児が歩いて下って行くには、遠すぎると思ってくれたのかな。
アプコの足でも15分足らずの道のりも普段、車で通過していて歩いたことがない人にとって は、結構距離があるように思われるらしい。
雑木にかこまれ、だらだらのぼっていく山道は、ちょっと見た目は実際の距離以上に遠く感じら れるようなのだ。
空荷で、下っていくだけのダンプの助手席に、ふうふう汗を掻きながら早足で下っていくおばち ゃんと小さい娘を拾ってやろうかと、気遣ってくれたのだろう。
別に、あなたの厚意を疑ってお断りしたわけではないのよと知らせたくて、私はジャンバースカ ートの胸につけた赤い万歩計をカチャカチャ、振ってみせた。
「あ、なるほど・・・」
茶髪のオニイチャンはニッと笑って、ブルルンと下っていった。
この残暑厳しい中、屋外で肉体労働に従事する人たちのエネルギーには感心する。若い元気 なお兄さん達が、日に焼けた首筋に玉の汗を浮かばせて、重い土砂を運んだり、足場を組ん で塗装をしたり・・・・。仕事の時間内は頑強なロボットのように、実によく動く。
休憩時間には埃まみれの作業着のママで道ばたに座り込み、大きなペットボトルのお茶をガブ ガブと一気飲み。
作業に取り組む仲間内では、年かさの棟梁を頭に微妙な上下関係があって、作業の分担も休 憩の時の席順もそれとなく定位置があるらしいのも、好ましい。
「働く」ということの原点には、こうして額に汗して、体を使って、こつこつと一心に作業すると言 うことがあるのだなと改めて思う。
ところで、私をドライブに誘ってくれた茶髪のオニイチャンは、ひょろひょろと背が高く、肉体労 働者らしからぬ細面の優しげな青年だった。
彼らが昼休みを取る路肩の木陰に、昨日はコミックではない薄手の新書版の書籍が2冊、しお りを乱雑に挟んだ状態で置いてあった。
学生のアルバイト君が仕事の合間に夏期休暇の課題でもやっつけているのだろうか。
なんとなくその本の持ち主は、あの「乗ってかない?」のオニイチャンではないかという気がして いる。
ちょっとさわやかな、いい青年だった。
とりあえず宿題もやっつけた。
上靴も通知票も持った。
制服も名札も見つかった。
よぉし、行って来い!
始業式です。
始業式の日は、子ども達も早帰りなので、どうしようかなと迷ったのだけれど、一ヶ月ぶりの七 宝焼き教室。
父さんが、「行っておいで。」と言ってくれたので、主婦の秋休みのつもりで、朝から出掛けるこ とにした。
「お昼はラーメンが買ってあるよ。アプコのお迎え忘れないでね。晩ご飯、子ども達の誰か、作 ってくれる人、ない?」
怒濤のように言い残して、とっととお出かけモード。
だって、子どもを連れずに一人でお出かけ、ほんと久しぶりなんだもの。
教室の前に天王寺へ出て、お仕事用にアクセサリーのパーツを何種類か仕入れ。
ついでに、本屋で探していた文庫のエッセイ集を数冊購入。
Mバーガーで、簡単ランチ。
ささやかな一人の時間。
そういえば大きな本屋で読みたい本を探すのも、ファーストフード店のテーブルで、買ってきた ばかりの文庫本のページをパラパラとめくるのも、学生時代には当たり前の一コマだったの に、田舎の専業主婦に収まった今の私には、日常から開放された至福の時間。
街には、忙しく往来するサラリーマンやOLさん。始業式を終えた高校生。
この雑踏を自分の領地のように闊歩していた青春時代が懐かしい。
後戻りしたいとは、思わないけれど・・・
学生としてこの街を歩いていた頃、もちろん私は自分が4児の母となることも、陶器屋の奥さん になることも、空想さえしていなかった。
そのころ私が想像していた40才の私は、今の私と全く違う。教職を目指してはいたけれど、結 婚とか育児とか、体の衰えとか老人介護とか、現実に当たり前に降りかかってくる雑事はほと んど視界の外だった。
喫茶店で一人で飲むコーヒーや、本屋で気の向くままつぶす時間の贅沢を、あのころの私は 気付いてはいなかったのだなぁ。
Mバーガーの小さなテーブルで、パラパラ開いた文庫本は、青木玉のエッセイ集。
幸田露伴の孫、幸田文の娘でもあるこの人のエッセイに最近、熱中している。
厳格な祖父と母から日本的な美意識を幼少から徹底して教え込まれた女史の品の良いユーモ アを含んだ文章の数々についつい唸らされる。
日常の生活のひとこまに、鋭く、しかも暖かい視線を配って、色彩を加える。さすがに訓練され た人の文章というのは、みごとだなぁと思う。
ところで、私が学割定期でこの町へ毎日通っていた頃、何冊も何冊も文庫本を読んだ。
その中には確かに、幸田文のエッセイ集も何冊か含まれていたはずである。
露伴の娘の細やかな感性も、美しい日本語の響きもきっと味わっていたはずなのに、あのころ の私がこの女性のエッセイに強く引かれたという記憶がない。
すぐ目の前の楽しみと、華やかな街の匂いに惹かれる根無し草の小娘の目には、日常の隙間 にキラキラ輝く瞬間をすくい取るような、生活に根付いたエッセイの魅力を味わい尽くす事は出 来なかったという事だろう。
いま、日々の日常に負われ、子ども達とのドタバタに時間を食いつぶす毎日の中で、彼女らの 随筆に強く心惹かれるのは、何故だろう。
カフェで一人で飲むアイスコーヒーの味が贅沢と思えること。
子ども連れでなく、一人で気ままな買い物の出来る時間を至福と思えること。
どれも、今の私が家族とか仕事とか、圧倒的な重さを持った日常の中にしっかりと根っこを下 ろして踏ん張っているということの裏返し。
若い頃の私にとってそれは、束縛とか不自由としか思えなかったもの。
でも今の私にとっては何より大事な生の「土台」なのだということが、ようやく判るようになってき た。
夕方、心地よい疲労とともに帰り着いた私を迎えたのは台所で奮戦しているオニイの姿。
今日の夕飯はオニイが一人でカレーを作るという。
指南役のアユコを遠ざけて奮闘するもあっという間に、ピーラーで指を傷つけてギブアップ。
ついでにピンチヒッターのゲンまで、指を切ったようだ。
流し台は、散らかったままのタマネギやジャガイモの皮。
「オカアチャンオカアチャン!おばあちゃんちの前で、転けちゃった。」
汗まみれのアプコが駆け寄ってくる。
頑張れ、これが今の私の確かな生活。
このにぎやかな生活が、十年後、二十年後の私の宝石になるのだ。
昨日、ゲンが買ってきたおもちゃの飛行機。 ゴム動力で飛ぶ簡単なグライダー。 駄菓子屋よく見かける発泡スチロール製の翼の安っぽいヤツ。(「ソフトグライダー」というそうだ。)
ゲンは昔から、紙飛行機だのヘリウム風船だの、空を飛ぶものが大好きだ。 一時期はペーパーグライダーに凝っていたし、折り紙で作る紙飛行機に熱中したこともある。 駄菓子屋で買ってきて、ささっと組み立ててすぐに飛ばせるソフトグライダーもゲンの好きなアイテムの一つ。親の方も、たまに店先で見かけると、「あ、ゲンが喜ぶぞ。」とついつい、買い与えてしまう。
「プロペラのゴムを巻くのは、150回」 こんな単純なおもちゃにも彼なりの作法があるらしい。 「よぉし、とばすぞ。」 と飛び出していくゲン。 悲しいかな、緑豊かな我が家の周りは大きな雑木に囲まれて、グライダーが存分に翼をのばして滑降する空がない。 道路上の細長い空にねらいを定めて、グライダーを飛ばす。 ふわりとゲンの手を離れたグライダーは、プロペラの力で宙を切り、くるりと回って、アタマから墜落する。 バランスが良くないのか、風が足りないのか、もう一息満足のいく滑空が見られない。 木に引っかかったり、お向かいの庭に飛び込んだり・・・。それでも、ゲンは汗を掻き掻き、何度も愛機を拾いに行く。 「もうちょっと、翼が軽けりゃ、いいのに・・・」 一人前に理屈をこねて、あれこれ試行錯誤。
私が幼い頃、家族の写真の中に、父の若い頃の写真があった。 大きく引き延ばされたセピア色の写真の中に、高校生くらいの父が大きなグライダーを構える横顔。 そういえば父も、「空を飛ぶもの」が好きだったようだ。 弟たちが幼い頃には、竹籤を炎で曲げて作るグライダーやら、なんとかカイトと名前の付いた変わった凧やら、子どもをだしに熱心にこしらえている姿が、時折見られた。 試運転に出掛けた公園で、首尾良く飛んだグライダーは、気持ちよく青空を切り開き、予想外の距離を滑空して、草むらに着地する。 何度も何度も、拾ってきては滑空を繰り返し、ついには愛機の翼が折れるか、手の届かぬ木々の梢に姿を消すかで、一日の遊びが終わる。 オトコどもの遊びは、なんとたわいない物よと半ば冷ややかに眺めていたものだった。
新婚の頃、父さんが自分への結婚祝いに大枚はたいて買ったというラジコンのヘリコプターに熱中したことがある。 結構高価な本格的な代物で、車に積み込んで遠くの河原のリモコンヘリ専用の飛行場まで出掛けていって飛ばす。 飛ばすと言っても操縦の初心者にとっては、地面を離れるだけのことがかなり難しい。 何度も何度も失敗し、ついには地面に接触して大きなプロペラを破損してしまう。 代わりのプロペラは模型店で、3.000円近くする高価な物で、父さんは悲壮な顔で何度も何度も新しいプロペラを購入した。 「オトコって、あほやなぁ。」 まだ子どもも居ないのんきな新妻は、飛行場と模型店を代わる代わる訪れる夫につきあって休日をつぶした。
ゲンのグライダーは小一時間もすると、発泡スチロールの翼が折れて、飛ばなくなった。 「ま、こんなもんやね。」 200円也の空の夢は、覚めるのも早い。 「なんとか直せんかなぁ・・・」 未練たらしいゲンに、父さんのヘリコプターの翼の話をする。 「ひぇーっ、贅沢な趣味やなぁ。」 オニイが、プロペラ一枚の値段を聞いて、感嘆の声を上げる。 「あのころは、経済的にも余裕があったよね、子どももいなかった・・・」 「そういえばそうやなぁ。4人も子どもを養うことになるとは思わなかったしなぁ。」 父さんも昔のことを思い出して、感慨深げ。
「ま、ラジコンヘリは飛ばせられなくなったけど、いまでは子ども達がラジコンヘリみたいなもんかなぁ。」 父さんがしみじみつぶやく。 うまいっ! 確かに財布の中身は、惜しげもなく子ども達の「餌代」に消えていく。 「失敗しては『こんどこそ!』と新しいプロペラを買い直し・・・。気がつけば4人の子持ち・・・」 うふふと、こっそり、付け加える。 男のロマン、空の夢は儚いけれど、オンナのロマン、母の夢は確実に日々育っているのだよ。
参ったか。
夏休みもおわりだ。 宿題もぼちぼち片付きつつあるので、午後から少し離れたショッピングセンターに出掛ける。 一人500円の大盤振る舞いで、カードだのビーズだの思い思いの買い物を楽しみ、夕食の買い出し。 パック詰めのにぎり寿司をバンバン、カートに入れる。 今日は父さんのおごりだ。 「あれも買っちゃえ。」 精肉売場の特売。 さいころステーキ、パック詰め放題、500円。 ステーキといっても、牛肉の端肉を成形して四角いさいころ状にまとめた、うそっこステーキ。 安っぽいお子さま向けのメニューなのだけれど、うちの子ども達、ことに、オニイはこのインチキステーキが大好き。 ジャジャッと炒めて、たれを絡めるだけのお手軽さだ。
「アユコ、詰め放題だって。君の責任でめいっぱい詰め込むように。」 几帳面なアユコの性格を見込んで任命。 20cm角の透明のケースに、お肉のさいころを一個づつ、規則正しく詰め込んでいく。 「じゃ、頼んだよ。」 とアプコを連れて、別の売場へ。 しばらくしたらアユコが、「オニイと交替してきた。」 「え〜っ、オニイ?」 「横からいろいろ、うるさいから交替したの。」 「ふ〜ん、オニイねぇ・・・。」 別にいいんだけどね。 兄弟の仲で一番、整理整頓の苦手なオニイ。 どうなんだろうなぁ・・・。
果たして、オニイが持ってきた詰め放題さいころステーキ。 ぱっと見ただけでもなんとなく、隙間だらけで、効率よく詰めたとは思えない。 「アユやゲンがグチャグチャうるさいし、他の人が一緒に入れ始めたから、なんか格好悪くて・・・」 馬鹿者、大家族の食卓を満たすのに、格好を構っていられますか。 「ま、いいわ。これがオニイの詰め放題ね。」
「詰め放題」って、微妙にその人の性格見えるよなぁ。 おおざっぱにざっと詰めて、よしとする人。 きっちり詰め方を考えて、何度も詰め直して見る人。 そして、蓋が閉まらないほど積み上げて、どうだとばかり胸を張る人。 他の人が隣で詰め始めると妙に対抗心を燃やす人。そそくさと適当に切り上げる人。 アユコの作業を横から見ていて、 「オレならもっと上手く詰められる」と、交代しながら、なりふり構わず詰め込む大胆さもない。 お人好しで小心者、でもプライドは高いオニイらしい「詰め放題」 ちょっと可笑しかった。
レジのおばさん、さいころステーキのパックにちょっと手元を止める。 「充分、入れていただけました?」 オニイの隙間だらけの「詰め放題」が気になったらしい。 「全権委任した子どもが、これでいいと言うんで・・・」 と、笑いながら弁解。 「もっと詰まりますよねぇ。」 「そうですね、皆さん、結構きっちり、詰め込んでこられますよ。」 「あはは、いいです、これで。」 欲のないことで・・・。 ま、これはこれで面白かった。
几帳面に、きっちり詰め込んで、きっちりフタを閉めるだろうアユコ。 途中で適当に手を抜いて、隣に人が来ると、決まり悪くてそそくさ退散するオニイ。 ゲンなら、適当に山盛り詰め込んで、申し訳程度にフタをのせて、「はい、できた」といいそうだ。 小さいアプコは自分の食べる分だけ入れて、「あとはやっといて・・・」なんて言うかもしれない。
さてさて、人生の詰め放題。 一番たっぷり詰め込んで、充実した日々をつかむのはどの子だろう。 おいしい人生のステーキは、くれぐれもまがい物のインチキステーキではない、本物を味をあじわうように・・・。
この夏、一番に宿題を終わらせたのはゲンだった。
(さすがに夏休み初日から、工作の木材を買いにいけと催促しただけの事はある。)
得意満面のゲンはラストスパートに入ったオニイやアユコのそばにいると、ついつい要らぬお 節介をして、オニイ、オネエを怒らせるので、ちょこちょこと買い物や、ちょっとした所用にと連 れ出す。
4人兄弟の3人目の宿命か、ゲンを単品で連れ歩く機会は少ない。剣道だっていつもオニイと 一緒、たまに行く買い物にはたいがいアプコがついてくる。
「ゲンと二人きりでデートだ、うれしいな。」
久しぶりに助手席に座るゲン。
母も子も、慣れないキャスティングにちょっとぎこちない。
年の近い兄弟がたくさんいると、「仲良くていいね」とよく言われるけれど、どうしてもその中で 上手くいく組み合わせと、「くっつけておくとろくな事がない」組み合わせがなんとなく存在し、どう も、ゲンは他の兄弟達から一歩離れた位置を取ることが多いようだ。
いつも元気で、サービス過剰。
自分の本能に忠実で、熱しやすく覚めやすい。
移り気なようで、結構執念深い。
オニイ、オネエには生意気といわれ、アプコからは家族の中で唯一の「同格のケンカ相手」扱 いを受け、ちょっとワリを喰っている感がある。
ま、兄弟のまんなかあたりには、たいがいこういうアウトサイダーが存在するものだけれ ど・・・。
今年もゲンの夏休みの工作は木工。
年に一度、父さんと鋸や金槌を使い、簡単な大工仕事を経験する。
元来、こういう作業に向いているのはオニイよりゲンの方かもしれない。
唇を引き絞り、ぐっと眉をしかめて、鋸の動きに集中するゲン。
幼児がお絵かきにぐっと没入するような、我を忘れての集中力がまだこの子には残っている。
移り気なゲンが時折見せる真剣な表情に「男の子って、おもしろいよなぁ。」と思う。
ま、集中力が途切れるのも早くて、すぐにやりかけの作業や道具類を放り出して、、どこやらへ 遊びに言ってしまうのもご愛敬ではあるが・・・。
今日は新学期を前に伸びきった髪を散髪に出掛けた。
普段スポーツ刈りのゲン、散髪をちょっとさぼりすぎて、すっかりモンチッチ状態になっていた。
いつもの散髪屋さんは思いの外、混んでいて、30〜40分かかるというので、ゲンを散髪屋に 置いて、私は下のスーパーで買い物。しばらくして、散髪屋にもどってガラス越しに見ると、最 後の仕上げの顔そりをしてもらっているところだった。
散髪屋のオニイチャンとなにやら楽しげに話しているゲン。外からはその声は聞こえないけれ ど、一人前に自分のアタマを指さしたりして、きれいに刈りあがった髪型の出来映えをチェック しているらしい。
誰かの弟でも、誰かのオニイチャンでもない、一人で世の中を渡っているゲンの横顔。
この子も、いつの間にか「少年」になってるんだな。
秋に地上に落ちたドングリが、腐葉土の中に根を下ろし、ある日突然、若い「木」として姿を現 したような、「一人生え」のたくましさ。
それが「ワリを喰ってる」次男坊ゲンの、何よりの面白さだということに、母は最近、気がつい た。
「よっしゃあ、おみやげにアイス買って帰ろう。」
いつものお菓子屋で、大箱のアイスを選ぶ。
「コレはアプコの好きなアイス。オニイはきっとコレが好き。」
と言いつつ、ゲンが選んだのは自分の好きな「風船アイス」
ゴム風船の中にアイスを詰め込んだ、あまりお上品ではない駄菓子アイス。
以前に、食べ方を失敗して、水鉄砲のようにアイスをまき散らした曰く付きではないか。
それでも、自分の選んだ物は離さない。
それがゲンの第一信条でもある。
夏休み宿題やっつけ週間でございます。
「夏休みの宿題は、最後の一週間にやるべし。」
吉向家の家訓でございます。
ところがさすがに、中学生になったオニイの宿題は手強かった。レポートだの、自由研究だの やっつけ仕事では間に合わない課題が一杯。
参りました。母もくたびれております。
「オカアチャン、歯、とれた。」
アプコがおばあちゃんちから、飛んで帰ってきた。
この間からぐらぐらしていた下の前歯。
昨夜は眠ってる間に飲み込んでしまわないかと、ヒヤヒヤしたのだけれど、ようやく今日抜け落 ちたようだ。
「西瓜、食べてたら、とれちゃったん。」
小さな小さなかわいい歯。
この夏、アプコは2本も乳歯が抜けた。
3才の頃の怪我で、アプコは上の前歯が1本足りない。そこへきて、2本も一時に下の歯が抜 け落ちたものだから、アプコの前歯は隙間だらけ。ちらちら舌を出してみたりするのがおもしろ くて、笑いが絶えない。
下の歯が抜け落ちたあとには、もう大きな大人の歯がアタマを覗かせている。
「わぁ、たのしみだな。アプコの大人の歯。早く生えてこないかな。」
アプコは鏡をのぞき込んだり、指で押さえてみたり、なんとか大人の歯を確認しようとするがな かなかうまくいかない。
「おとなの歯って、どこにあるの。」
それはね、赤ちゃんの時から君の体の中にしまってあったの。
アプコの夏休みの唯一の宿題。
「なつの思い出をかきましょう。」
B4の用紙に、夏休みの楽しかったことの絵を描いていく。
去年も今年も、アプコは須磨の海で泳いだ事を色鉛筆で描いた。家族の一人一人の服装や髪 型まで細かく描き分けて、丁寧に色を塗る。
去年なら、絵の隅っこに先生むけの解説をちょこちょこ書き込んで提出した宿題も、今年はア プコの絵だけで充分楽しい海水浴の雰囲気が伝わるはずだ。
幼児の絵は一年でこんなにも成長する。
久しぶりの登園日。
バス停に向かう下り坂を今日はアユコも一緒に送っていく。
ウォーキングをかねて、早足でガンガン歩いていく私の歩調に合わせて、アプコの小さな足が コマネズミのようにクルクル動く。
「おかあさん、アプコに万歩計つけたら、すごくたくさん動きそう。」
アユコが言うので、私の万歩計をアプコの体操パンツにつけてみる。
アプコの歩数は1900歩あまり。
普段私が1200〜1300歩で歩く距離だ。
1,5倍も早く回転してるんだなぁ、アプコの16cmの足は・・・。
お風呂に入るアプコのお尻にはくっきりとV字の日焼けのあと。
ひと夏の間アプコが気に入って愛用していた水着は誰かのお古で、ちょっとTバック気味。
なんだかちょっとエッチで、かわいい。
「オカアチャン、お星さん、みえるよ!」
6万年ぶりの火星大接近。
赤く輝く火星は、幼いアプコにもすぐに判る。
6万年という雄大な時間の中の、アプコのひと夏。
今夜はもう、秋の虫の声が聞こえた。
夜、オニイが初めてよその剣道の稽古に出る。
先日、道場をお辞めになった、オニイあこがれのK先生が、教えて下さった武道館での夜の大 人のための稽古だ。普段、オニイ達が教えていただいている先生方や高校生大学生の先輩 達が大勢、来ていらっしゃるらしい。
中学生になったとはいえ、まだまだへなちょこ剣士のオニイが、有段者ばかりの本格的な稽古 についていけるかどうかもおぼつかない。
おまけに、K先生が道場をお辞めになった原因が、どうも今教えていただいている先生方との 間に何らかの行き違いにあった模様。
その双方の先生方が来られる稽古に、K先生のお誘いで参加させていただくというのも、なか なか人間関係の微妙な部分が気にかかる。
「オニイ、ホントにいくの?大丈夫?」
出掛ける直前まで何度も何度もオニイに念を押す。
「大人の稽古についていけるの?邪魔にならない?F先生は参加していいと言われたの?」
私があまりにしつこく聞くので、とうとうオニイが言い放った。
「大丈夫。あなたの息子を信じなさい」
「ねえねえ、そもそも何でそんなに武道館の稽古に行きたいの?」
K先生にお会いしたいだけなのか。
本当に剣道の稽古をもっと厳しくやりたいのか。
それとも、「行きたい」と言ってしまったら引っ込みがつかなくなってしまったのか・・・
いろいろ、聞き方を変えてみたけれど、オニイはついに明確な答は教えてくれなかった。
「たぶんね、お母さんには理解できないよ。一生ね。」
何が「一生」だい!
たった十何年の人生のくせに・・・。
あたしゃ、アンタの3倍ちょっと、生きてるよ。
大人ぶったセリフが心地よかったか、何度も何度も「一生!」を繰り返すオニイ。
わかったよ。頑張って行っておいで。
でも帰りは、電車で一人で帰って来るんだよ。
オニイと重い道具袋を車から降ろしてバイバイ。
「頼もーっ!」
若武者がきりりと口元を引き締め、新しい道場の門を叩く。
そんな時代劇のワンシーンが目に浮かぶようで、なんだか可笑しい。
歴戦の猛者揃いの道場で、へなちょこ若侍のオニイは、どんな顔をして稽古に挑むのだろう。
「ただいまーっ」と帰ってきたオニイ。
武道館デビューはまずまずの滑り出しだったらしい。
「うわっ、汗臭・・・。」
オニイの脱ぎ捨てた剣道着は、稽古の汗を含んでじっとり重く、強烈な匂い。
まさしく、オトコの匂いだわ。
今夜、どこかの空の下に、眠れないおかあさんがいる。
「日記才人」を通じて、お知り合いになったKさん。
未熟児で生まれて、NICUに入院しているお子さんの成長記録を日記として公開していらっしゃ る。
生後半年以上過ぎてもわずか1500グラム前後で、毎日闘っている赤ちゃんと限られた面会 時間に一生懸命我が子の成長を応援しているおかあさん。
この人の日記を読むたび、見ず知らずの私まで、赤ちゃんの成長に拍手し、体調不良にドキド キしてしまう。
ホントに小さな小さな赤ちゃんが、生まれてすぐに抱え込むことになった障害を、倦むこともなく 一日一日必死で克服しようとしている姿に、身の引き締まる思いがする。
人は本来こんなにも強烈な「生きたい」という想いを持って生まれついてきたのだと言うことが、 改めて心に迫ってくるからだ。
Kさんが毎日赤ちゃんとの面会に通っているNICU(新生児集中治療室)
本当に重篤な状態の赤ちゃん達が、たくさんの専門スタッフに見守られて、病気と闘っていると ころ。
唯一許される親の面会もごく限られた時間だけで、それも外の様々な病気や菌を持ち込まな いための厳重な消毒が必要とされる。
様々な輸液チューブや計器のコードにつながれた我が子をぎゅっと抱っこすることすらままなら ない。
私もそんな息詰まるNICU通いのつらさを少しの期間、経験している。
NICUの赤ちゃんの多くは青空の元に出たことがない。
生まれてすぐに自宅にもどることなく、ずっと病院の中だけしか知らずに成長していく子ども 達。
我が家の次女なるみも、ほとんど外の光をしらないまま旅立っていった。
「空を見せたい」
赤ちゃんの急変をしらせる最新の日記の中でKさんがおっしゃっている。
そういえば、私も、NICUの大きく外に開かれた窓を見ながら、クベースの中で静かな寝息を立 てている娘と、他の兄弟達とが手をつないで陽光の中を散歩する夢ばかりを見ていた。
「この子はまだ空を見たことがない」
「まだ兄弟達と手をつないだことがない」
そんな当たり前の事を経験しないまま、この子を手放してなるものかと、必死で祈る毎日だっ た。
何もしらない赤ちゃんは日々淡々と「生きる」ということに専念している。
お腹いっぱいのミルクの味をしらなくても、おかあさんの「ぎゅっと抱っこ」の楽しさをしらなくて も、赤ちゃんはなんの迷いもなく「生きたい」という意志をはっきりと全身にみなぎらせて生きて いる。
この圧倒的な力はなんだろう。
NICUの外に出ると、だらだらとなんの危機感も待たずに日々生きる時間を浪費している大勢 の人たち。
この人達の時間のほんのわずかづつでも、病と闘う我が子に分けてやることは出来ないのだ ろうかと何度も思ったものだった。
なるみが天に帰って、7年近くたった。
「もう一度、生み直してやりたい」と思って産んだアプコが先日5才になった。
もうなるちゃんの生まれ変わりではない、アプコ自身の時間を舐めるように堪能して生きてい る。
アプコの旺盛な食欲を見て、「あの子にも食べさせてやりたかった。」と空しい想像をすることも 少なくなった。
あの子はあの子なりに与えられた時間を十分に愛されて生きていたのだと言うことが、判って きたからかもしれない。
赤ちゃんの容態の急変に、「この子の生きる力を信じよう」と勇敢に立ち向かっているおかあさ んがいる。
私はKさんに「つらいね、がんばろうね。」の言葉を何度も何度も伝えたくなる。
我が家の娘はついにうちに帰ることなく逝ってしまったので、その不吉な事実がKさんを傷つけ はしないかと憚りながら・・・。
いま、平和な寝息を立てて眠っている我が家の悪ガキ達の今日一日の時間も、NICUで闘って いる赤ちゃんの苦しい一日も、同じ空の元に流れる、同じ貴重な時間なのだということを思い 出しつつ、朝を迎えた。
「いっちゃん、がんばれ。Kさん、がんばれ。」
今日も青空が見られそうだ。
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