月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
学に入って、美術部に入ったオニイ。
夏休みになって、初めて油絵に挑戦。
一週間通って、初めての油彩画を一枚、仕上げて帰ってきた。
「おかあさん!ちょっと油絵らしくなってきたよ」
夏休みに入って数日め、オニイが嬉しそうに報告してくれた。
「先生ってすごいよ、先生がちょっちょっと筆を入れてくれたら、僕の絵がダビンチみたいにな る!」
・・・・ダビンチに失礼でしょうが。
とりあえず生まれて初めての油彩画に心弾ませているオニイが微笑ましい。
「ありゃ、やっぱり!」
オニイの白い制服のポロに案の定油絵の具のシミ。
だからエプロンがいるよっていったのに。
実は最近、工房でのお手伝い用に、子ども達にエプロンをこしらえた。帆布を使って、それぞ れのサイズにあわせたシンプルなエプロン。胸にそれぞれの名前を小さく縫い込んでみた。
仕事場をうろちょろするとき、ただでさえかさの高い子ども達。お手伝いするときには「仕事中 です」を内外にアピールするために、ユニホームがわりに使う予定だった。普段は家での料理 のお手伝いや、学校での調理実習の時などにもちらほら利用している。
「オニイ、今度からあのエプロン、持っていきなよ。」
ふんふんと生返事しているオニイに、無理矢理エプロンを持たせてみた。
数日後、お洗濯に出されたオニイのエプロン。
何故か、裏側ばかりに油絵の具のよごれがついている。
「オニイ、裏表間違えて使ったでしょ。しょうがないなぁ・・・。」
確かに裏表があまり影響ないデザインだけど、とりあえず名前の縫い取りがある方が表なんだ けど・・・と言っておいたが、それからもずっと裏側の汚ればかりがふえていく。
「裏表、両方汚れるのもどうかと思って・・・」
オニイはしきりに言い訳するが、次第に母にも判ってきた。わざと裏返しに使っていたんじゃな い?
心優しいオニイは、「恥ずかしいから名前書かないでよ。」とは言えなくて、ついつい裏返しに使 ってしまったものらしい。
先日の小学校での「七輪陶芸」教室。
アユコとオニイは講師である父さんのアシスタントとして参加してくれた。
初めての陶芸体験にはしゃぐ同級生や後輩達を相手に、道具を配ったり機材を運んだりとしっ かり助手の職務を果たしてくれた。
「今日は講師の助手役です」と誇らしげにエプロンをつけて、駆け回るアユコに比べ、オニイは 卒業生ということもあってちょっと居心地わるそう。
とりあえず持参した絵の具つきのエプロンも、最初に少し使っただけでなんやかやと理由をつ けて外してしまった。
「炭で汚れるよ。エプロンは?」
母が意地悪く聞いても、オニイはへらへら笑うばかり。
ようやく、「兄弟でお揃い」とか「母の手作り」とかが、恥ずかしいお年頃になったのね。それで も、「恥ずかしいからヤダヨ」とは言えない小心者のオニイ。
なんかかわいいなぁ。
父さんの仕事着は、いつもジーンズにデニムのエプロン。
釉薬や土の汚れで、ガンガン洗濯を繰り返し、色あせ、すり切れ、くたびれていく。
いつも、土の付いたヘラをプイと拭う膝の部分は、そこだけ早く穴があく。
個展前など激務の続いたあとには、どろどろに汚れたエプロンの山。洗濯機がじゃりじゃり言 いそうな激しい汚れ。
ぶつぶつ文句を言いながら、私は父さんのエプロンの汚れがひどいとなんかうれしい。それは 父さんの仕事が今日も充実していた証だから。
オニイの白い帆布のエプロン。
それぞれの子どものサイズに合わせて作ったが、オニイのはもうほぼ父さんのと同じ大人サイ ズ。とりあえず、裏側は油絵の具のシミで彩られ始めた。
将来の展望の隅っこに、父さんの仕事をちらちらと意識し始めた12才のオニイ。
その白いエプロンはこれからどんな汚れを重ねていくのだろう。
ちょっと楽しみな母なのだ。
子供会の仕事で連日、会館通い。
地域の夏祭りに向け、子供らと御神輿をこしらえたり、村の祭りの寄り合いに参加したり・・・。
夏休み前半は、母のスケジュールが一番過密気味。
疲れた。
忙しい合間を縫ってアプコを若宮のプールへ連れていく。
このプールは私市の村が幼い子供らのために神社の一角に無料で開放してくれている小さな プール。保護者が一夏に一回ずつプール当番をして、運営している。
我が家の子ども達はみな、おむつが取れるのを待ちかねて、毎年ここのプールのお世話にな ってきた。
大きい子や大人は入れないお子さまプールなので、小さい子らものんびりと水と戯れることが 出来る。午前2時間、午後2時間。短時間だけの開放なのもおつきあいの母には有り難い。
「若宮へ行くぞ!」の号令のもと、水着に着替えた子供らをサウナと化した軽自動車に詰め込 んで、ぶんぶんと精勤にプールに通う。
それが我が家の夏の定番だった。
今年はオニイが中学にあがり、アユコやゲンも大きくなって小学校のプールに行くようになり、 村のプールに入るのは、アプコだけ。
さすがに母には「いくぞ!」という勢いはなくなってきたが、プールの楽しさが判りかけてきたば かりのアプコにとっては、若宮プールの青い水面のワクワクもこれからが本番。
「今日は若宮行く?」
「今日はプールあいてる?」
とにぎやかかなことだ。
「オカアチャン!オカアチャン!」
アプコが何度も母を呼ぶ。
去年までは背丈も小さくて、プールの縁をつかんだまま、一人では一歩もへりから離れられな い状態だったアプコ。
今年はなんとか一人で浮き輪に捕まってプールの真ん中まで行けるようになった。
嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねたり、水面を叩いて水しぶきをあげたり、一人で気散じに水と 戯れる。
「みてみて!オカアチャン!」
なんの拍子にか、水の中でアプコの足がプールの床面を離れた。
浮き輪にしがみついて、自分の体が水に漂う感覚を初めて自覚したアプコ。
興奮してバタバタ水を掻いたら、ふわりと体が前に進んだ。
「泳ぐ」ということを、生まれて初めて発見したアプコ。
その驚きの瞬間を、4人目にして初めて母も一緒に共有することが出来た。
誰が教えたというわけでもないのに、水中のアプコの足はすぐにバタ足になる。
プカプカ浮かぶ浮き輪の舟で、アプコは一人で旅に出る。
うっとりと水音に耳を傾け、何度も何度も母を呼び、すっかり魚の気分で水の誘惑を楽しむア プコ。
いいなぁ。
水と戯れる楽しさを子供らはこんな風に覚えて行くんだな。
思えばオニイたちを連れて、怒濤のようにプールに通っていたあのころ。
子ども達が危ない事をしないように、どこかで溺れたりしないようにと目を光らせるだけで精一 杯。子供らの喜びの表情や驚きの瞬間に気付く余裕もなく、プールが終わるとどどっとくたびれ 果てていた私。
アプコ一人を連れて歩くようになって初めて「子どもが魚になる」瞬間を味わう余裕が出来たと 言うことだろうか。
テレビで見る世界のベストスイマー達の計算し尽くされた美しい泳法。
限りなく魚に近づく美しいフォーム。
アプコの「浮き輪でプカプカ」とは、比べるまでもないけれど、「オカアチャン、わたし、泳げた よ!」と、何度も繰り返す得意げな顔は、表彰台のスイマーの勝利の笑顔。
今日、アプコが魚になった日。
2003年07月23日(水) |
サマー イン 私市小 |
子ども達の通う小学校。
昨年から夏休みの前半、先生方がいろいろ工夫を凝らして、子ども達に日頃経験できない遊 びや学習を経験させて下さるサマースクールが開かれている。
子供らは多彩なプログラムの中から、自分の好きなこと、興味のある講座を選んで受講する。
手話やパソコンをパソコンを使った葉書やうちわ作り、テニスやミニゴルフ、お菓子作りに竹細 工など、子供らの興味を引く講座がいっぱいだ。
アユコとゲンも、それぞれいくつかの講座を申し込んだ。
今年は、校長先生からのお声がかりで、父さんが子ども達に陶芸を教える講座を受け持つこと になった。
3年生から6年生までの子どもらを対象にした「土鈴づくり」
焼成の過程まで短時間で経験させてやりたいと、日頃使わない七輪を使って焼く方法を取るこ とになった。
前評判がたいそう良かったらしく、20人定員の予定が集まってきたのは80人近く。それも、ギ ャングエイジの3年生が半分近くを占める大所帯だ。
「大丈夫?」との不安をよそに、「やりましょう!」との校長先生の力強い一言で、全員を受け入 れて、開講することになった。
とりあえず集まってきた子ども達を二組に分け、先に高学年の子らと土鈴の形を作る。
一握りの粘土から、まず土鈴の中の玉を作り、それを新聞紙でくるんで、紙玉を作る。この紙 玉を芯にして、土鈴の形を作り、下半分に切れ目を入れ、ヒモを通す穴を開ける。
作業の工程は比較的簡単なので、3年生の子ども達にも作ることが出来るだろうと考えていた が、やはり1回に40人近い子達に充分目を届かせるために、たくさんの先生方にお手伝い頂 いた。
途中、ひび割れがひどくて穴のあいてしまったり、仕上げて運ぶ途中にうっかり取り落としてし まったりというハプニングもあったが、どうやら無事、全員の土鈴が仕上がった。
できあがった作品は天日で1週間十分に乾燥させ、来週、七輪を使って子供らとともに、焼成 する。
「おばちゃん、ごっつう、たのしみやわ。」
ニコニコと満足そうな子ども達。
さてさて、焼き上がりの成功を祈って、
次回(30日)に続く。
夏休みに入った。
小学生は学校のサマースクールやプール、中学生は部活、そして母は、来たる夏祭りに向け て子供会の仕事で忙しい。
入れ替わり立ち替わり、誰かが出掛けていき、誰かがお留守番。
そのスケジュール管理は結構大変。
今年もアユコが大きな紙に、夏休み中のカレンダーを書いて、一人一人の予定が別々に書き 込めるようにしてくれた。
お盆の頃までびっしりと埋まる予定表。
その合間に3食のご飯を作り、アプコのプールにつきあい、宿題のハッパをかける。うううっ、 先週終業式で夏休みに入ったばかりというのに、すでに母は息も絶え絶え・・・
さておき。
朝から、何かの拍子にふっと気がつくゴージャスなかおりがある。
カサブランカ。
今朝、我が家の庭から切ってきた物だ。
なんとなくベランダから庭を見下ろして「やっぱり草ひき、しなくっちゃなぁ。」なんてぼーっとして いたら、思い掛けないところに大輪の白いユリ。
数年前に、ちょっと高価な球根を購入し、気まぐれに植え込んだまま忘れていたものだ。
近くに植えてあった時計草が予想以上に茂って日照を奪ったため、たいした花は見られないで いたが、今年は邪魔な時計草を思いっきり刈り込んだので、ようやく本来の大輪の花を付けた のだろう。
そのまま庭の片隅で花を終えるのも可哀想と、二つ咲いた純白の花をどちらも摘み取り、一つ はおばあちゃんちへ、一つは我が家の居間に飾ってみた。
花首がとても重くてて、一輪ではとても扱いにくい。
口の細い花器にやっとの事で活けると、すぐに家の中にユリの甘やかなかおりが満ち始めた。
実のところ、私はカサブランカのような大輪系のユリが苦手である。
好きな物ばかりを無節操に植え込んだ我が家の庭は、「コボレダネでもよくふえる」式の小さな 草花と、お茶花用の山野草、そして、実益をかねたハーブが少し。なんの脈絡もなく、好き勝手 に散らばっている。
管理人以外は、どれが雑草でどれが植えてある花なんだか判別不能。
間違っても子ども達に「草ひき、やっといて」とは言えない状態だ。
当然、花屋さんの店頭で、特等席に置かれるようなユリやバラはなんとなくなく収まりが悪く、植 物自身も先住者に遠慮してかいまいち華やかさを発揮しないままに絶えてしまうことが多い。
そういうわけで、庭では居心地の悪そうなカサブランカを早々につみ取って部屋へ持ち込んで はみたのだけれど、乱雑に散らかった生活臭あふれる我が家の居間でも、華やかな花姿はど うも収まりが悪い。
似合わぬ高価なアクセサリーを身につけて歩くような体に沿わない落ち着かない感じがいつま でも残る。
その前を通るたび、見て見ぬ振りで視線を逸らす私をたしなめるように甘い香りが後ろから絡 みつく。
何とも自己主張の強い花だなぁと、半ば苦笑しつつ、やり過ごす。
夜、子供らが寝静まった暗いリビングに、涼やかなかおりが満ちる。
薄暗闇に守られたカサブランカは、昼間の高慢な表情を失い、静かにすっきりと背を伸ばして いる。
夏休み初日。
17日、11才になったアユコの二日遅れのバースデイパーティー。
アユコの誕生会は数年前から、友達4,5人を呼んで、自分たちでお昼ご飯を調理して楽しん でもらっている。
サンドイッチ大会、ホットケーキ大会と来て、今年はたこ焼き大会。
さすがに、大阪の少女達。
「たこ焼き、焼ける人!」と聞くと、みんなが「は〜い!」
これは頼もしい。
5年生ともなると、女の子達は家庭科の授業やおうちの手伝いで、そこそこ包丁も使えるように なっている。
「おばちゃん先生は、見てるだけ・・・。」
と、腕組みして女の子達のお料理を高見の見物。
慣れた手つきで、どんどんみじん切りをこなす子。
包丁を引くことが出来なくて、上から力任せの押し切りで、タコを刻もうとする子。
手よりお口の方が器用で、仲間を仕切るばかりの子。
それぞれの子どもの性格やおうちでの調理の経験などいろんな物が見えてくる。
昨年とほとんど同じメンバーなので、一年間での子ども達の成長ぶりもうかがえて面白い。
「たこ焼きの生地をながして、具を入れたら、すぐに触っちゃダメ。すこーし外側が焼けるまで 待ってね。」
そんなこと、常識よとばかり、少女らは一人一本づつ竹串を持ち、小さなたこ焼き器に群がっ てくるくると、たこ焼きを返していく。
定番のタコの他にコーンやちくわ、ウインナーなどの具も用意したので、女の子達はキャアキャ ア言いながらいろんな種類のたこ焼きをこしらえる。
やっぱり大阪の女の子達だなぁ。
ひとしきり、タコやきでお腹いっぱいになったらお友達が届けてくれたケーキの出番。
お約束の「ケーキふーっ」のあと、さあ、ケーキカット。
「私が切りたい!」と包丁を手にしたアユコ。
じゃあ、好きに切っていいよ。
「いくつに切ろう?」
友達と兄弟の分を入れて、9切れ。
おかあさんの分まで入れると10切れ。
「切りにくかったら、みんなでスプーンを持って、よーいどんで、丸ごと食べてもいいよ。」
おばちゃん先生が余計な茶々を入れる。
「先に上に乗ってる果物を全部よけてから切るといいよ。」と助言してくれる子もいて、きれいな デコレーションのフルーツを全部別のお皿に積み上げる。
あれこれみんなで盛り上がった後、アユコがエイヤッと包丁を入れた。
まず「Y」の字に切れ目を入れ、5等分を作ってから、きれいな10等分。
「わぁ、アユコ、すごい!」
見事な10等分に、皆の歓声があがった。
大人でも結構難しいのに、わが娘ながらあっぱれ。
我が家の子ども達は小さなころから、半分こに強い。
一つの物を兄弟で分け合う機会はしょっちゅうあるので、小さいアプコまで「分ける」事にはとて も敏感だ。
意地悪いオカアチャンは、3等分4等分などという簡単な分割ではつまらないと、
「4人に3種類のマックシェイク」とか、
「3人に5個の菓子パン」とか高度な課題を科してきた。
必ずしも「等分」ではなくて、「アプコは小さいから少な目」とか、「オニイの好物だから多い目」と か、微妙な調整が加わる。
「一個づつ取って、残りを○等分」とか、「替わりばんこに一口づつ食べて、ぐるぐるまわしてい く。」というような高等技術も習得した。
子ども達にとって「分ける」ということは、算数の知識以上に、人間関係や世渡りの知恵を学ぶ 大事な機会だなぁと思う。
「もうちょっとたくさん欲しいけど、妹に残してやろう。」
「僕はよく働いたから、みんなより多めにもらってもいいはずだ。」
兄弟のなかでの自分の位置を、心の中で微妙に推し量る大事な訓練になっているのだ。
アユコのケーキ10等分の妙技に喝采した女の子達はほとんど二人兄弟。
それほど複雑な分割は必要にならない。
「わ、すごい!」と最初にアユコの10等分を誉めたのは、同じく4人姉妹の2番目の女の子。
みんなが納得のいく分け方の難かしさをよく知っているんだな。
うんうん、兄弟が多いってイイコトだ。
夏休みが近い。
何でも今年は18日が終業式。
夏休みは44日間もある。
ちょっと長すぎ・・・。
子ども達が毎日、うちにいる。
昼ご飯も毎日6人分。
プールだの稽古事だの送り迎えもフル回転。
小言もフル回転。
おまけに、あの暑さだ。
今年は私は子供会の役があたっていて、それも地域の2大イベントの一つ、「盆踊り大会」の 担当だ。
おそらく、8月15,16日の本番が終わるまで、ほとんど毎日、祭り関係で走り回っていることに なる。
なにせ、ここの地域ではまだまだ地元の人たちの発言力が強くて、盆踊りも旧来から本式に音 頭取りの人を呼んできて、夜の10時までみっちりと踊り続ける。
そのための練習会があらかじめ2日も用意され、婦人会、子供会などの団体の役員がしっか りリード役を務められるよう特訓を受ける。
そのほかにもかき氷や綿菓子の模擬店の準備や、当日着るそろいの浴衣の手配や着付け教 室、街頭に貼るポスターの作成や掲示まで、細々した用事が次々に押し寄せる。
「今時、なにそれ・・・」
という声もあがっているが、とりあえず伝統的な行事を継続させるというためには、そのくらい 有無を言わせぬ強引さも必要なのだそうだ。
おかげさまで、子どもたちは毎年婦人会やら消防団やらの人たちが用意してくれた模擬店で 遊び、踊りの輪に加わって、お菓子をもらって帰ってくる。
先日、その夏祭りの準備委員会というのに参加してきた。
集まってくるのは、区長さんを初め、老人会やら婦人会、子供会、地区委員、消防団などいろ んな年齢の役員の人たち。
近頃、あまり経験しない、幅広い年代の人たちが集まっての会議。
「会議」というよりは「寄り合い」と称したいようなユニークな構成員で、なかなか面白かった。
「例年こうやってきたんだから」と譲らない長老達や、「あの娘はどこの嫁?」とささやき会う老 婦人達。
はたまた新興の住宅に越してきて「昔ながら」にはついていけないと不満を抱いている若いお かあさん達。
それぞれの年代のそれぞれの思いがあって、話題はかみ合っているような、かみ合っていな いような・・・。
そんなちぐはぐ感も微妙におかしくて、うっろおしいと思っていた子供会の「役」も、何となく心晴 れて面白がっていけそうな気がしてきた。
幼い頃、私は地域の行事やら子供会の集まりに参加するのは大嫌いだった。
「地の人」の多い地区の飛び地のような新興の社宅に住み、「村の子」とは微妙な温度差を感 じて過ごしてきたせいかもしれない。
今、我が家は生粋の「地の人」ではないが、この地に30年近く仕事場を構え、おそらくは30年 後も窯を離れることはないだろうと言うことから、少しづつ「地の人」の仲間に入れて頂きつつ ある。
それだけにPTAだのナントカ委員だの地域役職が回ってくることも増えた。
それはそれで大変な事なのだけれど、最近ではそれも我が家がこの地域にしっかりと根付い て受け入れていただけるようになったのだなぁと感じられるようになってきた。
とかく面倒な近所つきあいや、地域活動は敬遠されがちな現代。
大の大人が二晩も踊り続ける、盆踊りがある。
子ども達は近所のおばちゃんが作ってくれるかき氷や消防のおっちゃんの作る焼きそばを楽 しみにしている。
それはそれで、とてもとても有り難いことだ。
・・・・でも、たいへんなのよ、うん。
2003年07月11日(金) |
阿修羅のごとく(?) |
オニイの剣道着がすっかり小さくなっていた。
誰かのお古をもらってきた白の胴着。
襟はすり切れ、袖も短くなって、それはそれで「貫禄」なのだけれど、そろそろ新しいのをかわ なくちゃ・・・と思っていた。
ここ数ヶ月、チビながらもようやくにょきにょきと背の伸びる時期にさしかかったのかなと思える オニイ。
体つきもすこしづつ、がっしりと中学生らしい力強さが感じられるようになってきた。
「おかあさん、いいものもらったよ。」
先週、稽古を終えたオニイが抱えて帰ってきたのは、大学生の先輩のお古の青い剣道着。
新品の時には濃紺だったはずだが、洗い晒されてすっかり「青」に変化した年代物だ。
「Mさんが昔使ってた剣道着だって!もらっちゃった!」
子ども達がいつも稽古に使う剣道着や防具類は、高価なこともあって「誰かのお古」「誰かに譲 ってもらったもの」が多い。
先輩は、成長して新しいものを新調すると、小さくて使えなくなったものを、適当なサイズの後 輩に譲り渡す。
2代目、3代目のお古もざらにあって、どこの誰だか判らない人の姓の縫い取りのある道具 を、ありがたく頂戴することもある。
それは、親が経済的に助かると言うだけではなくて、「○○先輩の剣道着を頂いた!」
「××先輩が大会で使った防具をもらった!」という付加価値が子ども達にとってはとてもとて も名誉な事なのらしい。
そういえば、面の下にかぶる日本手ぬぐい。
時折、持っていくのを忘れて、先生に余分の手ぬぐいをお借りして、「返さんでええ、お前にや る。」なんて言われたりしたら、洗い晒した先生の手ぬぐいを殊の外ありがたがって、「ここ一番 の試合の時には、これ!」なんて、「勝負手ぬぐい」として大事にとっておいたりしている。
はた目には、何度も何度も稽古の汗を吸って、洗濯を繰り返し、「もうお役ご免でもいいんじゃ ないの」というくらいくたびれていても、「殿からご下賜の宝刀」のごとく、有り難いものなのらし い。
今日、オニイは先輩の青い胴着をつけて稽古にでた。
いつもの白い胴着に比べ、紺の胴着はぴっと引き締まって見え、いつもよりすこーし強そうに 見える。
たまたま、稽古前の掃除がおわり、稽古開始の時間が迫っても、指導の先生の到着が間に合 わなくて、中一のオニイとT君が集まった子ども達の中で最年長になった。
「先生方がこられるまで、あんたたちが先輩よ。しっかり小学生達を指導しなさい。」
「えーっ!」といいつつ、二人はちょろちょろ走り回る小学生を並ばせ、いつものメニュー通りの 準備運動を始める。
M先輩の青い剣道着を初めてつけたオニイは勇気百倍。
大きな声で号令をかけ、浮ついたチビたちを統率して、ちょっとかっこいい。
「M先輩の胴着はどうだった?」
「うん、よかったわ、まるで、阿修羅がついたみたいだった。」
阿修羅とはまた大げさな・・・とは思ったけれど、実際M先輩は、声も大きくがっしりと獅子のよ うに荒々しい大学生。
稽古もとても厳しくて、幼い小中学生を相手にしても手を抜くということがない。
そのくせ、稽古がおわると小さい子達をくしゃくしゃにしてかわいがってくれるちょっとカッコイイ 先輩だ。
剣道の稽古を通じて、身近に「カッコイイ男」「強い大人」の具体的なイメージを作り上げていく 子ども達。
着古した剣道着や、洗い晒した手ぬぐいは少年のあこがれの匂いを含んで、ずっしりと重くな る。
まだまだやせっぽちで「阿修羅のごとく」とは言い難い12才のオニイ。
いまはまだ少し大きめのM先輩の剣道着が、ちょうど身にあうサイズになるころ、オニイはどん な男の子に育っているのだろう。
M先輩のがっしりたくましい稽古姿に、親もまた成長した息子の姿を重ねてほほえんでしまうの である。
2003年07月09日(水) |
子どもを育てるのは誰 |
苦しい、苦しい事件が続く。
友だちに殺される中学生。
中学生に殺される幼児。
「こわいね。アプコとおんなじ年だね。買い物とか行くときでも目を離さないように気をつけなき ゃね。」
そんなことをいってたら、犯人はオニイと同い年だ。
「男の子も、中学生になるとこんなに判らなくなっちゃうんだろうか。この子の親は、自分の息子 がこんなに恐ろしいことをして帰ってきても、全然気がつかなかったんだろうか。」
痛い、痛い思いに、息が詰まりそうになる。
この苦しい思いを何とか、文章にしなければと何度も試みてみたのだけれど、なくなった幼児 の恐怖、12才少年の闇、そして双方の親たちのあり方に想いを巡らせ、他所さんの日記や掲 示板を見て回っているうちに、ついに何もかけなくなってしまった。
「親が子供を育てる」という当たり前の事がこんなにも難しくなってしまったのは何故なんだろ う。
「周囲の大人は気付かなかったのか。」
「今の少年法で果たして、若年者の犯罪は減らせるのか。」
「幼い子をほんの一瞬でも、親の目の届かぬ状態においていたのは不注意ではないのか。」
ワイドショーは、どこも言葉盛んにまくしたてる。
「社会全体で、子ども達の成長を支えなければ・・・」
「昔は、近所のおじちゃん、おばちゃんが悪いことをした子をこっぴどく叱ってくれたモンだ。」
「親だけでなく、周りの大人がみんなで幼い子を守ってやれれば・・・」
そんな訳知り顔のコメントも聞き飽きた感があるが、はてさて、本来子どもは誰が育てるものな のだろう。
「命は大事」
「人に迷惑をかけない」
「幼い者、弱い者はみんなで守る。」
そんな基本的なルールを教えるのは、まず家庭の役割だ。
子ども達の異変の責任を、学校教育や社会、周囲の大人達に振りかぶせるのはカッコイイ。
でも、子どもを持ち、「親」となることを選択した人たちが、まず一番に子どもの健康と安全を見 守り、社会のルールをしっかり教え、「普通の良識ある人間」としてのボーダーを超えさせる事 の責を負ってしかるべきなのではないか。
そんな基本的な教育力が、家庭に期待できなくなってしまった社会というのはやはり病んでい るとしか思えない。
「社会の育児支援」と言う名の下に、「子育て」という重い荷物を親だけでなく周りの大人がみん なで一緒に担いでやろうという声があがっている。
子どもが幼い頃から誰かに養育の責任をまかせたり、基本的なしつけを学校や社会に求めた り、成長した子の日常生活を把握できないことが当たり前になったり・・・
「子育ては社会全体で・・・」と言う美名のもと、「親」を片手間につとめてしまう人が増えている のは怖い気がする。
「人の子の親になる」と言うことは、大変な事だ。
「社会が悪い」とか「これからの育児が不安だ。」と嘆いている間にも、子ども達はにょきにょき と伸び、大人達の姿を観察し、心の中に外からは見えない空間をどんどん掘り進んでいる。
まず自分ちの子ども達の毎日を、しっかり見つめて行かなくては。
「オカアチャン、あげる。」
ニュースや新聞を見て、ため息の増えた私にアプコが差し出したのは、野の花を摘んだ小さな 花束。
この子らがいるから、私たちは未来に夢が持てるのだ。
「子育て」は、親が担ぎきれない、重たいだけの荷物ではない。
朝、買い物に出掛けたら、いつものスーパーの前に傘屋さんが店をひろげている。
何本新調しても、ものの数日で壊してくる男の子達の通学用傘を買う。
1本300円也。
近頃では子供用の傘もすっかり使い捨て価格になった。
だから壊れやすくなったと言うワケでもないのだけれど、次から次へと傘を買う。
以前、この傘屋のおじさんにそんなことを愚痴ったら、
「壊れたかさは、もっておいで。直してやるから・・・」
さすがに、300円の傘を束にして持ち込むのは気が引けるのだけれど、うちには一本、是非と も修理したい傘がある。
機会があればきっと・・・と心に留めていたので、さっそくおじさんにお願いしてみることにした。
「上等の傘じゃなんだけど・・・」
私が持ち出したのは、緑のチェックの雨傘。ここ5,6年、私が一番愛用してきた普通の傘だ。
「よっしゃ、買い物の間になおしとくわ。」
おじさんは気安く受け取って、作業をはじめた。
私は、スーパーで、いつもの買い物をすることにした。
この傘を買ったのは、私の4人目の赤ちゃんが入院してい小児病院の近くのスーパーの傘売 場だった。
生まれつき心臓に障害を持って生まれてきた娘は、ほとんど自宅へ帰ることなく、病院から病 院へ移り、最後にこの小児病院のICUにたどり着いた。
生後3ヶ月を待たず、娘の病状は思わしくなく、様々な感染症が出てついに頼みの肝臓が壊れ 始めていた。
主治医の先生は暗い顔で、頭をたれておっしゃった。
「ICUでは、ご両親にしか面会出来ない決まりなのだけれど、夜間の少しの時間ならおじいちゃ んおばあちゃん達に面会してもらってもいいですよ。」
兄弟ともおじいちゃんおばあちゃんとも、ほとんど顔を合わせないまま、病気と闘ってきた娘に 最後の面会を許して下さっているのだろう。
私はすぐに、4人のおじいちゃん、おばあちゃんを電話で呼びだした。
実家の両親は遅い時間にも関わらず3時間近くも電車に乗って、病院へ駆けつけてくれた。
冬の夕刻の冷たい駅で、私は父と母を迎えた。
「遠いのにごめんね、急に呼び出して・・・」
なるみの誕生後、実家の両親には幼いアユコやゲンを預かってもらったり、夜遅くに何度も電 話して、不安な想いを聞いてもらったり、迷惑のかけ通しだった。
「あんまり状態は良くないの。でも生まれてからこれまで、ほとんど誰にも顔も見てもらっていな いから・・・」
父も母も、事情はよく察してくれていて詳しくは問い返したりはしなかった。
駅を出ると、外は急に降り始めた冷たい雨。
「病院はすぐそこだから・・・」
と、私は歩き出そうとしていたが、父が「そこで傘を買っていこう」とすぐ前のスーパーを指さし た。
透明のビニール傘を探す私に、「あとで使える物を」と普通の婦人用の傘を選ばせた。
「雨の日はせめて傘ぐらい明るい色を・・・」
といつもなら、華やいだ色を好んでいた私だが、このときばかりは明るい色の傘を手に取る気 がしなかった。
「ホントにそれがいいの?」
母は、日頃の私の好みとは違う地味な色の傘に、首をかしげた。
両親と私たち夫婦、4本分の傘を買い、義父母とも合流して、夜の病院へ向かった。
「随分痩せてちっちゃくなっちゃったんだけど、びっくりしないでね。」
面会客の絶えた夜のICUで、4人のじいちゃんばあちゃんたちが、たくさんのチューブや呼吸 器につながれた小さな孫と面会。
「小さいのに、頑張ってるなぁ。必死で生きてるんやなぁ。」
父は、娘に迫っている「死」の陰については触れなかった。
顔色も悪くなり、痩せて小さくなり、指一つ動かすのがやっとの娘は、黒い大きな瞳でじーっと 遠くを見つめていた。
病院を出て、新品の傘を開く。
「来てくれてありがとう。家族に会わせてやれて嬉しかった。」
「大変だろうが、しっかりとみてやりなさい。」
別れ際に駅で父が言った。
冬の冷たい雨。
父が黙って買ってくれた新品の傘が有り難かった。
以後、雨のたび、私は緑の傘をひろげるようになった。
なるみが亡くなり、アプコが生まれて、元気に幼稚園に通うようになっても、私は緑の傘が手放 せないでいる。
決して上等ではない、どこにでもある婦人傘。
ついには、緑色も白っぽく色あせ、骨組みの止め金具がさび落ちて、骨が一本はずれてしまっ ていた。
いよいよお払い箱かとあきらめて、傘立ての中に隠居していたのだけれど・・・・。
「直しといたで・・・。ちょっと拡げてみて。」
傘屋のおじさんは、私の傘を返してくれた。
壊れていた箇所にはそこだけ新しい金具が入れられて、開くと再びピンときれいな弧を描い た。
「わぁ、嬉しい。ありがとう。」
お代は?と尋ねる私に、
「いいよ、おまけしとくわ。新しいの、買ってもらったしね。」
おじさんは、笑っている。
たった300円の子ども傘を買っただけなのに・・・
「傘修理します。400円〜」
と小さな看板があげられているからと、私はお財布を出したのだけれど、おじさんは「いらんい らん」と手を振った。
「その傘、大事にしてやって。」
この傘にまつわる悲しいお話をおじさんが知っているわけでもないというのに、どうしておじさん は修理代を取らなかったのだろう。
本日一人目の修理客へのご祝儀か。
それとも、修理してまで使うほどではない、オンボロ傘に同情したか。
もしかしたら、私の傘への愛着が、どこかでおじさんの職人魂にノックしたのかもしれない。
とりあえず、有り難く傘を受け取って、頭を下げる。
再び、緑の傘は現役復帰。
今にも降り出しそうな梅雨の空。
引退寸前だった傘は、再びアプコの送迎に、日常の買い物にと大活躍してくれるだろう。
今日は、七夕。
あいにくの雨模様となりそうだ。
梅雨空に向かってパッと緑の傘をさす。
なるちゃん、
上から、母さんの傘、見える?
今日もみんな元気だよ。
久しぶりに、みんな揃ったお休みだから、いつもより少し遠い図書館へ出掛ける。
お天気いまいち、お金も使いたくないって時には図書館の存在はとても有り難い。
図書館専用に布張りした段ボール箱をぶら下げていき、それぞれに借りたい本を箱の中に入 れていく。
オニイは、外国の読み物や雑学の本、ゲンは虫や折り紙の本、アユコはファンタジーやお料理 の本。
そしてアプコは表紙のイラストのかわいい本を内容も見ずにどんどん積み上げてくる。
ここの図書館は、一人あたり10冊、2週間も借りられるので、6枚のカードを持つ我が家では 最大60冊も、お持ち帰りが出来るのだ。
我が家はあまり本屋さんで本は買わないのだけれど、とりあえず家の中に手に取れる本を置 いておくのは大事と、せっせと図書館の本を借りている。
金曜の夜、男の子達を剣道に送って、迎えるまでの空き時間、私が夜間開館の図書館で一人 2,3冊ずつの読み物を借りて持ち帰る。
「通い箱」に入った本はいつも子ども達が出入りする居間に置きっぱなし。気が向いた子が読 んだり、誰も読まずにそのまま返却したり・・・
それでも、幼稚園児の絵本から、オニイの初歩の日本文学まで雑多に入った「本の箱」の存在 は、ずぼらな母のささやかな「読書指導」のつもりでいる。
たまに今日のように子ども達が自分で本を選ぶと、それぞれの子の興味の在処や好みの変化 が判って面白い。
一番読書家のオニイに、「そろそろこんなのも・・・」と芥川龍之介の短編をすすめたら、「あ、こ れ、読んだ」とあっさり返されてしまった。
アユコは来るべき夏休みにやるお料理の本を熱心に見ている。
そしていつも、虫の本を探してくるゲンは「今日はいいねん」と、何をすすめても借りようとしな い。実物のクワガタムシやカブトムシ探しに余念のないゲンにとっては、絵に描いた虫はしばら く関心外なのかもしれない。
アプコはあいかわらず、かわいい動物のイラストの赤ちゃん絵本を次々に積み上げている。
「いいよ、全部借りていこう。」
親の好みに合わなくても、気楽にどれでも持って帰ることもできる図書館は、やはり有り難い。
子供らはたくさんの本の中で、自分の好きな事、興味の方向を確認する。
一つの本を選ぶということは、現在の自分の中にある「面白いこと」「関心のあること」を耕す一 つのきっかけともなるようだ。
図書館を出て、すぐそばのクレープやさんになだれ込む。
前から気になっていて、立ち寄ることのなかった初めてのお店だ。
「僕はカレークレープ」
相変わらずオニイの選択は素早い。
「僕、かき氷のメロン。」
へそ曲がりのゲンは皆と違った線を狙う。
「アタシ、いちごのかき氷。」
ゲンに対抗意識を燃やすアプコ。
父さん母さんも、好みのクレープを選んで、さて、残るはアユコ。
「どうしよう。何でもいいんだけど、どれがいいかわかんない。」
無理もない。
クレープやさんの看板には、ベースになるクリーム、そこに加えるソース、さらにトッピングやオ プションの果物などが何種類も書いてある。
「好きな物、頼んでいいよ。」
といわれても、ホントにいろいろ悩んじゃう。
「どうしよう、何がいいかなぁ。」
楽しいはずのクレープ選びなのに、あんまり悩みすぎて、思わず涙が出て来ちゃう。
アユコはこういうの苦手なんだ。
「じゃ、おかあさんと一緒に選ぼうよ。カスタードクリームと生クリーム、どっちがいい?」
ちょっとした手助けで、アユコは好みのクレープを選ぶことが出来たのだけれど、こういうとき の決断が苦手なのは、アユコの弱点。
小さいときから、そうだった。
とっても欲しい物があるくせに、いろいろ考えすぎて身動きがとれなくなってしまう。
自分でもそれがよく分かっていて、あとでちょこっと落ち込んだりする。
自分の本当に欲しい物、自分の一番好きな物は、自分で決断して手を伸ばさなきゃ手に入ら ないよ。
母はその事を教えたくて、わざとアユコに決断を迫る場面を作るのだけれど・・・。
アユコが大きくなって、人生の大事な決断を迫られたとき、母はその場に居合わせて助け船を 出すことは出来ない。
「結婚したいの?じゃ、A君にする?それともB君?」なんて一緒に悩んであげられたらいいけ どね。
これから何度も何度も、大事な決断をしていく子ども達。
父も母もその決断に立ち会うことが出来なくなっていく。
子ども達が自分の人生を自分で選び取っていくとき、父や母が手助け出来ることはほんのわ ずかな事なのだ。
だからアユコ、クレープのトッピングを選ぶくらいなら、いくらでも手伝ってあげる。
そんなことでベソかかないでね。
|