月の輪通信 日々の想い
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2003年06月09日(月) |
「イタイノイタイノ・・・」 |
アプコ、日本脳炎の予防注射。
幼稚園にお迎えに行って、直接会場に連れていく。
何をしに行くのかは直前までアプコには内緒。ご機嫌さんで車に乗り込んだアプコだったけれ ど、会場の駐車場までくるとさすがに雰囲気で察したみたい。
「わかっちゃった?」
「うん。」
ちょっとテンションの下がるアプコ。
「かしこかったら、あとで、いちごのジュースね。去年はちびっと泣いちゃったけど、今年は少し 大きくなったから、どうかな。」
「う〜ん、泣いちゃうかも。」
会場には、アプコと同じ幼稚園のお友達がたくさん来ていて、体温測定の段階からすでに大泣 きの子から、はしゃぎすぎて体温の上がってしまった子までいる。
わんわんと大騒ぎの中、アプコは妙に無口になって、神妙に座り込んだ。
アプコの予防接種は日本脳炎の第2期。
親が家庭で受けさせる予防注射はこれが最後、あとは小学校での集団接種になる。
生まれて数ヶ月のオニイを連れて、ポリオの予防接種に出かけた日から十数年、ようやくオカ アチャンは、お子ちゃまたちの予防接種を卒業する。
4人分の母子手帳を前に、感慨無量。
ポリオ、3種混合、風疹、日本脳炎・・・・
誰が、いつ、どの注射をするんだか、4人分のスケジュール管理は結構大変だった。
就園前の幼い子供らを連れて、混雑する接種会場に行き、汗だくで列を作り、ぎゃーぎゃー泣 く子どもの手を引いて帰る。
何度も何度も繰り返した「お疲れさん」。
一番大変な時には、3人同時に接種と言うこともあって、こうなると看護婦さんにご協力頂いて の流れ作業だった。
年中さんになったアプコ一人を連れての予防接種はさすがに余裕。
「○○ちゃん、泣いてる。」
アプコが同じ幼稚園の制服の女の子を指さす。
片手で幼稚園児を抱き、片手でベビーカーを押しながら受付に入る若いおかあさん。
「○○ちゃん」は、ここからすでに大泣き状態。おかあさんの手には2冊の母子手帳。
「がんばれよー」
思わず、余計なお世話を掛けたくなるおばさん化した私。
さっさと問診、診察を済ませ、さあ、注射。
たまたま、担当のお医者さんは、私が5回のお産でお世話になった産婦人科の先生だった。
「ああ、お元気でしたか?」
懐かしいお顔に、思わず世間話をしそうになったところで、アプコの注射完了。
あはは、泣いてない。
どさくさに紛れて、あっという間に終わっちゃったみたい。
「おかげさまで子ども達、みんな元気です。この子で、予防接種も卒業になりました。」
先生もご自分が取り上げた赤ちゃんの制服姿にニコニコ、うなずいてくださった。
「オカアチャン、泣かなかったよ!」
得意げに私の手を引くアプコ。
「よっしゃ、いちごジュースだ。」
百円玉を握りしめ、自販機にかけよる。
去年届かなかったコイン投入口に、ようやく背伸びで手が届くようになった。
コトンと出てくる甘いいちごジュース。
「オカアチャン、私大きくなった?」
って、それは、ぐ〜んと伸びた背丈のこと?
それとも、初めて泣かずに受けた注射の事かしら。
「さあ、晩ご飯、買いにいこう!」
晴れ晴れと外に出て、駐車場の車に向かう。
「よーい、どん!」
走り出したとたん、ぽてっとあっけなく転ぶアプコ。
あらら、大泣き。
せっかく注射で泣かなかったのにね。
「イタイノイタイノ、トンデケー!」
この呪文、まだまだ、卒業できない・・かもね。
2003年06月07日(土) |
Happy Birthday ゲン! |
ホントは昨日、ゲンのお誕生日だったんだけど、金曜日は剣道やら、オニイの校外学習やら大 忙しだったものだから、今日に延期。
夕方、ゲンの要望により、家族6人で「回転寿司」
「休日の夕方、家族で回転寿司」なんて、ホントに小市民。
でも子ども達の元気な食欲が積み上げたお皿の数でダイレクトにわかる回転寿司は、意外と お誕生日向きかもしれない。
「お母さん、産んでくれてありがとう。」
ずーっとお誕生日を楽しみにしていたゲンからの9才のご挨拶。
「誕生日は、みんなからおめでとうって言われる日じゃなくて、みんなにありがとうって言う日だ よ。」
派手なお誕生祝いはしない我が家の子ども達に、苦し紛れに言って聞かせて来た私たち。
9回目のお誕生日に、初めて「誕生日ありがとう」の言葉を口にしたゲン。
大きくなったね。
「生まれてきてくれてありがとう。」
母からもゲンにありがとう。
元気のゲンちゃん。
おなかの中にいるときから、我が家の3号は手の掛からない赤ちゃん。
乳児検診の度、「ちょっと小さめですね。」といわれたオニイやアユコと違って、あれよあれよと 大きくなって、あっという間に抱っこヒモに収まらなくなった。
「手足にわっかが入るような大きな赤ちゃんを育ててみたいわ。」
そんな母の勝手な願いを聞き届けたかのように、ゲンはたっぷりのみ、たっぷり眠り、ぐんぐん 大きくなった。
虫取りや魚とりが好きで、食欲旺盛。
人なつっこくて、ストレート。
「おはよーっ!」とともにスリスリ抱きついてくる甘え上手。
知らぬ間に近所の気むずかしいお年寄りと仲良くなってきたり、ちょっとした川遊びで全身ずぶ ぬれで帰ってきたり、いろんな楽しい「びっくり」を運んできてくれる。
独身の頃、「こんな子どもを育ててみたい。」とイメージしていたワイルドでナチュラルな男の子 像にかなり近い子どもに育ってくれた。
「おかあさん、めっちゃ、腹立つ!」
時々ゲンが悔しげな顔で訴えてくる。
そのストレートさの故に、友達や兄弟との摩擦や衝突も激しい。
母の期待する、「明るく単純な男の子」像を健気に守って育っていくゲン。
でもその大らかな笑顔の裏に、とてもナイーブで傷つきやすい部分が、密かに健やかに育ちつ つあることがよく判る。
「ボク、死にたくなるわ。」
やりきれない思いを表現する言葉も、ストレートで激しい。でも、その言葉の過激さは、ゲンの ナイーブさと芯の強さの裏返し。
「産んでくれてありがとう。」 その言葉を、初めて自分の言葉として発することが出来たゲンは9才。 あっという間に2サイズも大きくなったスニーカーのサイズのように、ゲンの心もまたぐぐんと大きくなった。
お誕生日おめでとう。
そして、ありがとう。
朝、あわただしく朝ご飯。
あわてず騒がず、ゆっくりと朝食の席に着いたアプコの髪を、私がきゅうきゅう、引っ張りなが ら三つ編みにする。
「なーんか、アプコが一番偉そうやねぇ。本番前の大女優さんみたい。」
オニイやオネエが、ぱたぱたと食事を終えて席を立っていくのに、アプコはまるっきり、急ごうと はしない。
あくまでもマイペース、マイペース。
「アプコは大きくなったら、ファーストレディになったらいいやん。」
アプコのお姫様ぶりに、オニイがからかう。
「ファーストレディって何のことか知ってるの?」
「うん、なんかアプコえらそうだしね・・・」
うふふと、父さん母さんは笑ってしまう。
うちの中ではいつまでも「姫子」で、マイペースに育っていくアプコ。
ファーストレディとは言わないけれど、自分の好きなこと、やりたいことをどんどん自分のものに していきそうな、大物の予感がある。
「でも、オカアチャン、おばあちゃんになってしまうねんで・・・。」
急にアプコが半ベソをかいて小さな声で言った。
「???」
なんだかワケが判らなくて、みんながアプコの顔をのぞきこんだ。
「あ!」
不意に、私にはアプコの半ベソの意味が分かった。
数日前の私とアプコの会話。
「オカアチャンがおばあちゃんになって、お耳がきこえなくなったら、大きな声でお話ししてくれ る・・・?」
あれを、覚えていたんだね。
アプコが大きくなって、大人になるということは、オカアチャンが年をとっておばあちゃんになる ということ。
寝ぼけているように見えたけど、オカアチャンのお話、アプコの小さな胸にずんとこたえていた んだな。
「ごめんごめん、大丈夫よ。
アプコちゃんが子どものうちは、オカアチャンはおばあちゃんにならないよ。
お耳もよく聞こえるし、階段もとんとん降りられるよ。」
私はアプコの泣きベソがたまらなく愛しくなって、あわてて畳みかけた。
「ず−っと、ずーっと、オカアチャンはオカアチャン。ホントだよ。」
ポロリとこぼれかけたアプコの涙が、すっと引いていく。
「早く卵、たべちゃおうよ。オカアチャンが食べちゃうよ。」
湿っぽくなる前に、このお話はおしまい。
ごめんごめん、オカアチャンが悪かった。
毎朝、毎朝、目覚めればオトウチャンがいる、オカアチャンがいる。
百年前からそのままで、百年先でもそのまんま。
幼いアプコの毎日は、当たり前のように永遠に続いていく。
空を飛ぶ鳥のように、海に住む鯨のように、アプコは明日を疑わない。
そんなアプコの無邪気な永遠に、オカアチャンの勝手なメランコリーや感傷のために影を落と してはいけなかったのに・・・
「いつもいつもオカアチャンが好き。」
そんな甘いアプコの言葉に、明日の不安や昨日の感傷を癒していく身勝手なオカアチャン。
アプコにとってのオカアチャンは、いつも大きな声で笑い、悲しいときには抱っこしてくれ、あつ あつの塩おにぎりをハイッと渡してくれる大事な「永遠」の一つだったんだね。
ああ、やっぱり、「オカアチャンがおばあちゃんになったら・・・」は失言でした。
園バスへの道のりをアプコと歩く。
オニイと歩き、アユコと歩き、ゲンと歩いてきた毎日の道のり。
毎年、おなじ場所に咲く山アジサイも、春の終わりににょきにょき伸びる「破竹」のせいくらべも、アプコにとってはいつも永遠。
アプコの背がのび、青い通園靴が小さくなってもアプコの世界はいつもそこにある。
その永遠を大事に守ってやることも、母の大事なつとめの一つでした。
木曜日は習字にいく。
習っているのは、私とアユコ、そしてオニイ。
それに、おつきあいのアプコを車に乗せて、先生宅へ向かう。
オニイが中学入学前後に「僕も習字を習いたい」と言い出してから、木曜の放課後は忙しくなっ た。
まず3:30にアプコを園バスから受け取り、小学校の門の前でアユコをのせる。
そこから、中学の近くでオニイをひろって、教室へ滑り込む。
私は携帯電話は持たないし、子ども達の下校時間もまちまちなので、3人の子を無事「回収」 できると、それだけでほっと疲れてしまう。
今日は、あれほど念を押していたのに、アユコが教室から出てくるのがとても遅くて、オニイの 回収が遅くなってしまった。
アユコにも、彼女なりの理由があって出てくるのが遅くなったようだが、園バスから直行で眠そ うなアプコや、炎天下で待っているかもしれないオニイのことを考えると、アユコの遅刻にもいら いらする。
「早く帰るのが嫌なら、習字、やめてもいいのよ。」
ついつい乱暴な叱り方をしてしまう。
学校帰りでおなかをすかせている子供らのために、今日は海苔おにぎりをお弁当箱に詰めて 持って来た。
「お、うまそう!」
車の中で、オニイがさっそくかぶりつく。
眠そうだったアプコも俄然元気を出して、おにぎりに手を伸ばした。
おなかをすかせた子が、おにぎりを頬張る瞬間が私は大好きだ。
「子どもを育てている」と言う実感がダイレクトに感じられる気がするからだ。
「お茶も入れてきたよ。」
オニイがペットボトルのお茶を、ごくごくと気持ちよく飲み干した。
叱られてシュンとなったアユコだけが、「あとで食べる」とお弁当箱の蓋を閉めた。
「オカアチャン、おにぎりあと一個誰が食べるの?」
腹ぺこアプコはオネエの残したおにぎりが気になって仕方がない。
「じゃ、いいよ。アプコが食べな。蓋、自分で開けられる?」
喜んで、タッパーの蓋を開けるアプコ。
「あ!」
・・・・やっぱりやっちゃった。
蓋を開け損なって、残念、おにぎりは車の床に転がってしまった。
「あ〜あ、もったいない。」
泣きそうな顔で落ちたおにぎりを見つめるアプコが可哀想になって、私はちょっといらいらして いた自分を振り払った。
「おむすび、ころりん、すっとんとん。」
車を走らせていると、後部座席からアプコの小さな声。
「あはは、それなぁに?」
「幼稚園の紙芝居で読んでもらった。」
「おむすびころりんね。ホントに、ころりんだったねぇ。」
絶妙のタイミングで聞こえてきたアプコの独り言。
ああ、子どもって面白い。
誰かがイライラを運んでくるかと思えば、誰かがそれをうち消すおマヌケな爆笑も運んできてく れる。
子沢山でよかったなと思うのはこんな時。
子ども達に助けられて、私は「4児の母」を何とか続けている。
バラバラに散らばったビー玉を「回収」するのは大変だけれど、集まったビー玉は互いに輝き を分け合って、格段に美しいのだ。
2003年06月03日(火) |
おばあちゃんになっても |
「オカアチャン、大きくなったら何になるの?」
朝早く目覚めて、「二度寝」を楽しむアプコに添い寝していると、寝ぼけた声でアプコが聞いた。
「う〜ん、オカアチャンはもう充分おおきくなっちゃったしなぁ・・・(笑)。あとはどんどん年をとっ て、おばあちゃんになるだけかなぁ。」
「???オカアチャンがおばあちゃんになるの?じゃぁ、おばあちゃんはどうなるの?」
「う〜ん。おばあちゃんはもっともっとおばあちゃんになるかな。」
「『おばあちゃん』で、終わり?」
「そうねぇ、終わりかなぁ。」
オカアチャンは、ちょっと寂しくなった。
最近、ご近所でちょっとした諍いがあった。
以前からあまり仲が良くないTさんとMさん。
Tさんは年齢も90近い一人暮らしのおじいさん。
Mさんは、一人で造園のお仕事をしておられるおじさん。この人も一人暮らしで、70才近いだ ろうか。
そのTさんが、Mさんが敷地の中で飼っている犬に外から石を投げるという。たまたま今回は Mさんが、現場を押さえて文句を言ったら、もみ合いになってTさんがかすり傷を負った。
ケンカの内容については、どちらが悪いとも言い切れないところもあって、Tさんが呼んできた お巡りさんも、対応に苦慮しておられた。
日頃、大きな事件もない静かな集落で、二人の老人のケンカは井戸端会議の恰好のネタにな る。
日頃、静かにブラブラ家の周りをお散歩しているTさんと、カブトムシの幼虫を見つけたとわざ わざ子供らを呼んでくださるMさん。
そんな二人の老人が、いまだにカッとなるとつかみ合いのケンカになる激情をもったオトコなの だということが、新鮮な驚きとして印象に残った。
民生委員のお手伝いで、月に一度、お弁当の配達に行くHさんは70代のおばあさん。
結婚したことがなく、ハイキング道沿いの小さなプレハブにひっそりと一人で暮らしておられる。
10年くらい前には、数キロの道を毎日歩いてお買い物に出ておられたが、今ではすっかり弱 られて、ヘルパーさんや訪問看護の人たちに手伝ってもらいながら、日々を送っている。
いつもHさんの所に行くとついつい長話をして、帰ってくるのだが、先日初めて、Hさんが昔は、 古い和菓子屋さんのお嬢さんであったということが判った。
「御菓子屋には毎日、日銭が入るから、いつでも家にはお金があった。お祭りの時には上等の 衣装を付けた市松人形をいつも買ってもらった。」
Hさんは懐かしそうに昔話を始める。
「戦争が済んで、伊勢湾台風で店が水に浸かって、引っ越した先の水があわなくて、私はこん な所に住むようになった。」
静かな山里での寂しい住まいを、Hさんは心細げに訴える。
「訪問看護の看護婦さんがな、太りすぎると歩けなくなるから、痩せなさいというんよ。でも、もう 私は外で運動することも出来ないし、食べ物もナンボもたべとらん。どうやって痩せようか。」
ホントにねぇ。長い間一人で頑張って生きてこられたHさんに、出かけていってお友達を作りな さいとか、新しいダイエットはじめましょうとか、私は言うことが出来ない。
人はある日突然老人になるのではなくて、若い頃からの毎日の積み重ねの末に、気がついた ら老人になっているのだ。
昨日の暮らし、今日の生活が、子どもにとってはおとなへの、大人にとっては老人への道のり の途中なのだというこの事実。
私はその現実の重さに、時折息が詰まりそうになる。
「オカアチャンが年をとっておばあちゃんになったらどうする?」
私は寝ぼけ眼のアプコに問いかける。
「年をとる」と言うことがいまいちイメージ出来ないアプコ。
「あのね、オカアチャンがおばあちゃんになって、ひいばあちゃんみたいに耳が遠くなったら、 大きい声でお話してくれる?」
「うん、いいよ。」
「じゃあ、オカアチャンが腰が曲がって、階段を下りるのが大変になったら、アプコがオカアチャ ンの手をひっぱってくれる?」
「うん、いいよ。」
「オカアチャンの目が悪くなって、ボタンつけもお料理も出来なくなったら、アプコが代わりにや ってくれる?」
「・・・それは、アユ姉ちゃんがやってくれる。」
「あ、そうね。」
お布団のなかのアプコの体は、ふわふわ柔らかくてあったかい。
ぎゅっと抱っこすると、幼児の汗の甘い匂いがする。
この愛しいぬくもりを抱けるのは、今の40才の私だけなのだ。
「オカアチャンがおばあちゃんになっても、アプコはオカアチャンのこと、好きって言ってくれ る?」
本当に子ども達に聞いてみたいのは、これなんだけど・・・。
子ども達に愛され、心豊かに年齢を重ねるおばあちゃんになれるだろうか。
日々の生活を楽しみ、朗らかに人生を耕す事が出来るだろうか。
その答を知っているのは、子ども達ではなく、おそらくは今、今日の生活を紡いでいるこの私自 身でしかない。
その事実は重く、痛い。
お休みの明けた月曜日。
「キコンカイ」という呪文が、まだ私の頭の隅で、コトコトと音を立てている。
ふとしたときに気付く、慣れないイヤリングの痛みのように、しっくりと心に収まらない、でも不 快ではないあの違和感。
「キコンカイ」という明るい響きのなかに、日常に小窓を開けるキーワードの予感がある。
「『キコンカイ』ってどういう意味なんですか。」
今朝、私は義父に聞いてみた。
義父は最近、この「日々の想い」をまとめてプリントアウトしたものを、時々読んで下さってい る。子ども達の事や、つまらない日常の一コマを面白がって読んで下さる。
5月分の「日々の想い」のファイルを届けたついでに、地域の歴史や故事に詳しい義父に尋ね てみる。
「キコンカイ」と言う言葉は、「〜にすごす」というような使い方の他に、
「あの子は、いつもニコニコしてキコンカイな子やなぁ。」とか、
「キコンカイにしてるなぁ。」
とか、主に、同等以下の人に対する評価の言葉によく使うという。
「心地よい」とか、「気持ちが良い」「朗らか」の様なニュアンスを含んでいるらしい。
昔からひいばあちゃんなどは普通に使っていたという。
「気散じ」と言う言葉もある。
これも私にとっては、お嫁に来てから耳にするようになった言葉の一つ。
機嫌良く一人遊びをして満足している子どもや、お客様の間おとなしくお留守番している子ども 達のことをほめて下さるときなどに「気散じなお子やね」という風に使われる。
字面だけ見ると、「集中力がない」とか「飽きっぽい」というイメージがあって、なかなかストンと 心に落ちない言葉でもあるのだけれど、決してマイナス評価の言葉ではなくて、子どもに関して はかなりレベルの高いほめ言葉のような気がする。
「『気散じ』と『キコンカイ』って似てます?」
「う〜ん、近いけど、『キコンカイ』の方がずっといい。会うとこっちがパワーをもらうような気持ち のいい人に使うことばやね。」
キコンカイ、キコンカイ・・・・・
父さんがお休みの朝にかけた呪文が、すこしづつほどけて、意外な全貌を明らかにし始めた。
「心地よくゆるゆると、大過なく過ごす休日」と「機嫌良く、気持ちのいい人」
先週、「40才」という年齢を迎え、うろたえ、揺れた私に、ぽんと投げ出された新しい言葉。
「ちょうどな、今のアンタが『キコンカイ』」
帰りしな、義父が最後に笑顔で付け加えた。
言葉探しの旅の果てに、義父から頂いたもったいないお褒めの言葉。
がんばれ、不惑の女。
今日も一日、キコンカイで行こう!
「さあ、今日は何しようか?」
久しぶりに誰も予定の入っていない休日。
ざわざわと台風の名残の風が、山の木々を揺らしています。
ちょっとお寝坊したので、これから外出するのも面倒だし、お天気も、まだちょっと頼りない。
「ま、キコンカイな一日と言うことで・・・」
父さんがのんびりとコーヒーを入れた。
「キコンカイ」
一年に一回か二回、父さんがぽろっと漏らす不思議な言葉。
「どんな漢字、書くのよ?」
「さぁ・・・。キコンカイじゃない?」
「カタカナなの?」
「ようわからん。」
「方言?」
「さぁ・・・。ひいばあちゃんとかは時々使うよ。」
「で、どういう意味?」
「のんびりと、これといったことなく、たらたらと・・・・」
「ふ〜ん」
「大過なく、無事にすごす」というような意味合いらしいのだが、どうもすっきり心に落ちない。
響きは熟語っぽいのに、漢字が全く思い浮かばないのも気持ちが悪い。
「気根(魂?)快」かな?
鐘が鳴ります、キンコンカン〜♪みたいで、さっぱり気持ちの良い響きだけれど、「〜怪」という 字をあてると、なんだか不可解。
「キコンカイな一日」といわれて、はて、今日の日をどう過ごそうかと、考え込んでしまった。
子ども達はPCのゲームを楽しみ、父さん母さんは本を読んだり、やりかけの内職仕事を片づ けたり・・・
お昼は子供らの作ったホットプレート焼きそば。
夕方からビデオを借りにいって、ちょっとだけ手の込んだ晩ご飯を食べる。
本当に「大過なく」すぎていく平和な休日。
当たり前のようで、ここ数週間、忙しく走り回っていた我が家にとっては貴重なのんびり休日だ った。
「キコンカイ」
父さんがこの言葉を漏らすのは本当に年に一、二回。
実際、我が家の休日は子供らの剣道やおでかけ、父さんの仕事や陶芸教室でなかなか揃って 「おうちでタラタラ」にはならない。
「な〜んもせんかったなぁ。」
そんな日もいい。
「キコンカイ」にいこう。
実家の父から突然の電話。
「鯛の切り身が3切れあるんだが・・・」
「はあ・・・」
父の電話はいつもいきなり本題に入る。
「これを煮るには、鍋に何をいれる?」
「はあ?」
すぐには事情がのみこめなくて、間の抜けた返事をしてしまった。
「いやあ、お母さんが留守でな、帰ってくるまでにこれを煮ておいてやろうかとおもって・・・」
「ああ、そういう事ね。じゃ、お酒とお砂糖とお醤油とね・・・」
煮付けの作り方をざーっと説明しながら、父がお台所で空っぽのお鍋と切り身魚を前に思案し ている図を思い浮かべて楽しくなってしまった。
「煮汁が『あわぶくたった』になってからお魚を入れてね。」
母が嫁入り前の私に何度も念をおして伝えてくれた煮魚のコツ。
私が父に教えるようになるとは思わなかった。
数年前に定年を迎え、「毎日が日曜日」生活に入った父。
近くの「老人大学」に通ったり、四国八十八カ所を歩いて回ったり、次々に新しいことに挑戦し ていわゆるシルバーライフを充実させているように見える。
私が実家にいた頃、専業主婦の母と元気な頃の祖母が家中の家事は取り仕切っており、父が お台所にたつと言うことはごくごくまれだった。
仕事を辞め、「おうちの人」になった父は、母の家事にも精力的に手を貸しているらしい。たま に実家に帰ったとき、父が生ゴミの袋を当たり前のように下げて出るのにちょっとびっくりしたこ とがある。
母は昔からお料理上手だが、母の料理に対する父の評価もまた基準が高かった。
休みの日の夕食には、よく魚の棚の市場で買ってきたお魚を母が料理した。
ことに父が好きだったのは「鯛のあら煮」。
拍子木に切ったゴボウと共に甘辛く煮た鯛のあらは、父のための特別の一皿だった。
鱗の処理がたりない、煮汁が少ない、味が濃い、味が薄い・・・。
父は母が用意したあら煮をつつきながら、毎回毎回、注文をつけた。時にはとても不機嫌にな って食卓に緊張が走ることもあった。そのくせ父は最後のひとかけらまできれいに母のあら煮 を食べた。
そんなやりとりを見て育った私にとって、「鯛の煮付け」は緊張を要する特別な料理の一つとし て、刻み込まれていた。
新婚当時の私にとって、煮魚はいつまでも苦手メニューだった。「鯛のあら煮」はたまたま主人 にとっても大好物の一つだったが、何度やってもこってりと煮汁の絡まりほろりと身のほぐれ落 ちる母のあら煮に近づくことはなかった。
幸い、私が選んだ人は新妻が苦心してこしらえた料理の不出来に不機嫌になるようなタイプの 男性ではなかったが、それでも満足のいくあら煮を食卓に上げることが「良き妻」「あるべき主 婦」の基準であるかのように、私はいつまでも母のあら煮の味にこだわっていたような気がす る。
「夫には生ゴミの袋をださせない。」
「ご飯をつぐのは、まずお父さんから。」
「鯛の頭は、父さんが食べる。」
そんな古くさいこだわりが、いまだに私の頭のどこかに引っかかっている。
「男子厨房に入らず」
食卓で厳格に「不動の父」の姿勢を守っていた父が、最近では食事の調理や食後の後かたづ けにも挑戦している。
主婦の城に介入してきた父の姿を母はうふふと笑いながら見守っている。
子供らが巣立ち、祖母を見送り、家族の形態が変わっていくのに伴って、夫婦の形もいつしか 大きく変わっていくのだろう。
我が家でも、日々の食卓に何度も当たり前に煮魚がのぼり、主婦歴14年にして、煮魚の苦手 意識はなくなったが、いまだに「鯛のあら煮」を作るときには、ちょっと気合いが入る。
母があら煮の一皿を父の前に饗したときのあの微妙な緊張感が私の意識の中に染みついて いるからだろう。
父が外出中の母のために、鯛を煮る。
実家を離れて久しい私の胸にはまだ、あの微妙な緊張感がきらりと残っているというのに、父 母二人の日常は年齢を重ねて刻々と変化していく。
「なんか、父さんも母さんもズルい・・・」
ちょっとすねるような思いで、電話を切った。
父の鯛の煮付け。
上手に出来たのだろうか。
****
5月27日朝、母からの電話。
「父さんが『さすがに娘も40才にもなると、料理もうまいこと教えてくれるわい』と、いってたよ。」
よかった、おいしく出来たのね。
「40才にもなると・・・」は余計だけど・・・
工房のお茶室の庭掃除に出る。
日曜日のお茶会に向け、落ち葉を集め、伸びすぎた新緑の枝をパチンパチンと払い、雑草を 抜く。
冬場の大がかりな落ち葉掻きと違って、この時期は落ち葉の量は少ないが、庭木の根本から しゅうしゅうと生え出てきたひこばえや若芽に邪魔されて、面倒だ。
子ども達を使って、「それいけーっ」とブルドーザーのようにすすめる冬の落ち葉掻きは楽しい が、苔の上に膝をつき、軍手で拾うように常緑樹の落ち葉を集める作業は、おおざっぱな私に は向いていないように思う。
新婚の頃、新居から工房へ「出勤」してくると、私の仕事は義母と一緒に作品を包装、発送す る事と、お茶室周りの落ち葉掻きだった。
山の地形のままに建てられたお茶室は、庭木とも山の自然木とも区別できない木々に囲ま れ、掃いても掃いても木の葉が舞い落ちてくる。
義母は、小さな手箒を手に、膝をついて庭木の裾の落ち葉まで丁寧に掻きだし、箒目もきちん とそろえて、几帳面なお掃除が出来る人だ。
若い新妻も、お姑さんのあとについて黙々と落ち葉を掃き出すが、生来のおおざっぱが災いし て、どうしてもやり残しが目立つ。
「すぐにまた、落ちてくるのに・・・」と落葉を見上げて、ついつい気を抜くからだ。
「同じ掃除をするなら、誰の目から見てもきれいなように・・・」
と、言われて身の縮む思いがした。
・・・と書くと、いかにも厳しいしゅうとめさんのしごきに耐えるけなげな新妻という図が思い浮か ぶかもしれないが、実際の義母は意地悪でもなければ、几帳面でもない。
私のおおざっぱを「よしよし」と大らかに見逃して、笑って下さる。
思えば、あの時期、初めて窯元に嫁に入った私と、次男坊がどこからか連れてきた新しいお嫁 さんの人物を見定めようとしていた義母が、お互いに相手との距離を探りあっていたのだろう。
時が過ぎ、私と義母は今も時々一緒に庭掃除をする。
「ブローワー」という、落ち葉を強力な風で掻き出す機械を買い、大きくなった子ども達が手伝っ てくれるようになって、冬の落ち葉掻きはおおざっぱな私向きにどんどん進化した。
義母も、新兵器と幼い「日雇い労働者」達の介入をあっさりと受け入れ、庭掃除の世代交代も すんなりと進んでいく。
箒目のさわやかな風情は薄れていくが、子ども達を巻き込んでのイベント的な楽しみも増えた 気がする。
今年、お茶会を前に体調を崩した義母。
恢復期に無理をさせては・・・と、声をかけずに、内緒でお茶室の周りの落ち葉を拾い始めた。
秋になると、一斉に紅葉して散る落葉樹のと違い、常緑樹の古い葉は新しい若芽が育ってき たのを見届けてからハラリハラリと人知れず地面に落ちる。
義母の几帳面な庭掃除を一人で真似てみる。
しばらく作業して振り返ると、やはりパラパラと取り残した木の葉や枯れ枝。
若いけなげな新妻は立派なおばさんに育ったが、丁寧な庭掃除の技術はあまり学ばなかった ようである。
朝、登園の途中にアプコが、嬉しそうに話し始めた。
「ねえねえ、オカアチャン、昨日の晩ね、オニイチャンやオネエチャンと、オカアチャンのお誕生 日のお話をしたんだよ。」
次の日曜日は、私の40才の誕生日。
子ども達が、額を寄せ合ってなにやら悪巧みをしているらしいのは知っている。
「あのね、みんなで何か作るんだって・・・。オニイとオネエがね、お買い物にいってね・・・」
「ちょっ、ちょっと待って。それってオカアチャンには内緒のお話じゃなかったの?」
得意げにお話するアプコを、あわてて止めた。
アプコはキョトンとして私に問い返す。
「ないしょって、言ってた?」
「さぁ・・・」
「じゃ、いいよ。ないしょじゃないよ。」
「でもさ、『お母さんにはいわないでね。』って言われなかった?」
「言われた。」
「じゃぁ、内緒じゃん!」
あはは、アプコの秘密はじゃじゃ漏れだ。
私の誕生日は五月の末。
お嫁に来てからは、毎年、工房の恒例のお茶会の時期に前後してつきあたる。
庭掃除やら、おもてなしの準備やらであたふたしているうちに、あわただしく年齢を重ねてしま う。
「あー、今年はまるっきり、重なっちゃった。」
五月のカレンダーには、早々と「清翠会」の文字。
「いいのよ、お誕生日が嬉しい年でもないしね。」
去年は、私がうじうじ愚痴をこぼすフリをしたら、子ども達が内緒で、花の鉢植えをプレゼントし てくれた。
今年も何か、考えてくれているみたい。
「お母さんには言わないでね。」のわくわくする楽しさを、小さいアプコも一緒に味わっているらし いのだ。
「おかあさん、なにが欲しいの?」
ゲンやアユコも時々さりげなくリサーチしているらしい。
「別に欲しい物ないなぁ。愛するオトウチャンとかわいい子ども達がいるからね。」
軽く受け流して、気付かないフリ。
そそくさと引き下がって、再び密談して居るらしい子供らに、ふふっと笑ってしまう。
30代最後の1週間。
やはり今週もお茶会の準備や、遠足、子ども達の稽古事の送り迎えなどで、あわただしくすぎ て行くことだろう。
若い頃には、「40才」といえば、もっと落ち着いて、自分の行き先を見定めている年代かと思っ ていたけれど、実際には昨日、一昨日と変わらぬあわただしい日常の積み重ねがあるだけ で、30代とさして変わらぬ当たり前の日々が続いていくものなのだろう。
毎年進級し、新しい人に出会い、日々成長していく子供らに比べ、家庭を守る専業主婦の日常 には区切りがない。
「今日は久しぶりの晴れ間で、洗濯物がよく乾いた。」
「長いこと、花を付けなかったウツギが今年はようやく花開いた。」
そんな日々の小さな変化が、私の日常の新しいページをパラリとめくる。
「不惑」と言う言葉を、最近、同い年の友人が使っているのを見て、はたと思い出した。
自分の道を見定めて、惑わなくなる年齢がやってきた。
実際には、押し寄せる日常の雑事に流され、「惑う」事すら忘れてしまいそうな日々。
「お母さんは子どもの時、何になりたかった?」
「お母さんは子どもがいなかったら何をしたい?」
子ども達は時々、無邪気に私の人生を問う。
仕事を辞め、結婚し、次々に子ども達を産み、育ててきた。
それだけで、精一杯の30代だった。
その事には迷いも後悔もないけれど、これから先の十年、もっと先の十年を思うとき、子ども達 の問いは「不惑」の文字と共に、私の当たり前の日常に痛い杭を打つ。
「おかあさん、何が欲しいの?」
即答できない私は、
まだ30代のしっぽにしがみついている。
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