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2011年05月18日(水) 『イニエスタ「もう戻れないことはわかっていた」@EPSインタビュー Part.1』


#La Roja
#Iniesta
 イニエスタ「もう戻れないことはわかっていた」@EPSインタビュー Part.1   
  22:50:09, 水曜日 18, 5月 2011



ラ・ロハの中でも、チャビとイニエスタのインタビューに限っては毎度ハズレなし。今回もまたその好例です。El Paisの週末版にイニエスタのロング・インタビューが掲載されました。前後篇に分けてご紹介します。

***


バルセロナ市議会の統計課が出生地を元にはじき出した移民の流入に関するデータによれば、1996年には、11,028人が市に定住し、そのうちの99人がカスティージャ・ラ・マンチャ出身だった。その中に、フットボール選手になることを夢見る12歳の少年、アンドレス・イニエスタ・ルハンがいた。イニエスタは彼の夢を実現した。彼は、建設作業員だった父親を40歳でリタイアさせ、初めてプロ契約した時、母親には家を買ってあげた。今日、27歳にして、彼は世界王者であり、ちょうど父親になって間もないが、好きな食事はまだチキンのポテト添えで、ピッチを離れると、ウェイターと間違われるほどに目立たない(こんなことが起きたのはそう遠くない昔である)。彼にはまだ果たすべき約束がある――サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路(El Camino de Santiago)を歩くこと。そして、タージ・マハルを見にインドへ行くという夢もある。

「ぼくは運命を信じている。なぜなら物事というのは起こるべくして起こっているから。神のことも信じている。だけどほどほどに。(宗教)儀式は行わない」アンドレス・イニエスタは父方の祖父の名を取ってアンドレスと呼ばれる。フエンテアルビジャ(アルバセーテ)には3人のアンドレス・イニエスタがいる。フットボール選手である彼と、彼の二人の従兄弟――父親ホセ・アントニオの兄の息子たち。偶然にも、彼の母方の父親の名前もまたアンドレスだった。アンドレス・ルハン(母方の父)は故郷に、娘と経営していたバルを持っていたが、10年前に店じまいしている。
我々はこのバルサの選手と練習施設シウダ・デポルティバで、トレーニング前に話をした。アンドレスはナイキのシャツを着ていた。今日、彼はアメリカのブランドのシンボルの一人だ。アンドレスが子どもだった頃は、彼の父親は息子にアディダス・プレデターのブーツを買ってあげるために3ヶ月間、生活費を節約したものだった。





小さかった頃、アンドレス・イニエスタ・ルハンは『ラ・ピスタ』と呼ばれる、セメントの床の、一組のフットサルゴールとバスケットゴールがある故郷のスポーツ・センターでフットボールをプレーしていた。彼はそこで、8歳――家から80km離れたアルバセーテの下部組織の入団テストをパスした年――になるまでプレーした。
「ぼくはアルバセーテをサポートしている。多くのことがこれまで言われてきたけど、これが実際のところ。父はアスレティック(・ビルバオ)のサポーターで、ぼくはアルバセーテとバルサ……ぼくの第二のチームを応援していた。週末になると、アルビン・チームでプレーしていたために年間パスを持っていたから、一部のチームを見に行ったよ。ジョシコ、サラサル、カタリ、バルサからローンできていたウーゴ・オスカル、ベリカ、ノリーナ……あれはいい年だった。彼らが昇格した年。ぼくは町と共に祝ったよ。ある日のこと、バルサが彼ら相手に7ゴールを叩きこんだもんだから動揺してしまった」

彼は、ジャーナリストたちによって企画されたブルネーテ・トーナメントで最優秀選手に選ばれるまで、アルバセーテで無名の選手としてプレーした。この少年を無視することは不可能だった。試合中、彼はあまりに爛ラフル瓩世辰拭宗祝紊畔貎討忙て色白ではあったけれど。現場にはレアル・マドリーやバルサといった有名クラブのスカウトたちがいた。バルサのユース世代の責任者であるアルベルト・ベナイゲスが、いくつかの名前が書かれたリストを持ってカンプ・ノウに現れたが、その手の中にはイニエスタの名前もあった。

だが、問題があった。ラ・マシアに入寮できる最低年齢は14歳。アンドレスはたったの12歳だった。クラブは両親に、ご子息には特別な注意を払い、向こう3年は彼の居場所を保証する、と話し聞かせた。
「あの時代の典型例だ。今はすべてがもっと素早い」と、元ラ・マシア監督、現リヴァプールの下部組織監督ロドルフォ・ボレールは言う。イニエスタは一人ではなかった。ホルヘ・トロイテイロという同年齢の少年の名もまた、ベナイゲスのリストに含まれていた。ブルネーテ・トーナメントの二週間後、トロイテイロの父親は息子とともにラ・マシアへやってきて「あんたらが決めろ。この子はここに残るか、さもなくば我々はマドリーへ行く。なぜなら私の息子はフットボール選手にならなければならんからだ」と言った。下部組織のコーディネーターとして知られるトルト氏は、最良の解決策を手にやってきた――クラブは彼らの申し出を受け入れ、フエンテアルビジャのイニエスタに電話を入れた。「少なくとも二人いれば、お互いの面倒を見るだろう」ロドルフォ・ボレールは回想する。

アンドレスの母親は、息子をバルセロナへ送り出すことを許すことなど考えもしなかったが、彼女の夫は、バルサからのオファーは自分たちの息子のキャリアにとって最高の出来事だ、と妻を説き伏せた。
アンドレスは覚えている。「父はぼくに言った。『時として電車は、人生に一度しかやって来ないんだ』でもぼくは父に言った。『行きたくないよ』」その返事は頑固なものだったけれど、ベッドに入ってからも、頭上に貼られたラウドルップやグアルディオラのポスターを見上げながら、彼は父親にアドバイスされたことをまだ考えていた。ある日、アンドレスは父親に言った。「パパ、バルセロナに電話して」そして彼の父親は電話をかけた。

ブルネーテ・トーナメントの最優秀選手賞にはタラゴナのポルト・アヴェンチュラ(テーマパーク)への訪問も含まれていた。そこで、ホセ・アントニオ・イニエスタはラ・マシアの訪問をその旅に組み込んで、トルトとベナイゲスと話し合いを持った。
「ぼくたちは設備と練習場を見た。父と話したオリオル・トルト、アルベルト・ベナイゲス、ジョアン・マルティネス・ビラセカはとても親切で、ぼくたちにいい意味で刺激を与えてくれた。だからノーと言うのはとても難しいことだったんだ。だけど、ぼくはとても若かった。彼らはぼくたちに、家族と別れることは劇的なことだろうから、来年来くることもできる、と言った。ラ・マシアへのドアが開かれている中、ぼくたちは家へ帰った」





少なくとも、その年のうちは戻らない考えだった。だが、あの響き――狹甜屬録誉犬飽貪戮靴やって来ない瓠宗修魯▲鵐疋譽垢凌瓦飽っ掛かっていた。数週間後、学校が始まる少し前に、アンドレスはラ・マンチャからカタルーニャへ向かう99人の一員になることを決断した。1996年、夢を叶えるために。
ずいぶん考えた後、ぼくは両親と話し合った。『行きたい』と言った。そう言った時、どんな犠牲を払ってでも自分はそうするだろう、と確信した。それがぼくだから。ぼくに兼ね備わったものだから。自分にとって良い決断を下した時は、たとえそのために大きな犠牲を支払わされると気づいていたとしても、もう後には引かないことは自分でわかっていた。人生においても、スポーツにおいてもとてもよく似ている。トップチーム入りを果たした時、あまり多くプレーできなかったけど、ぼくはここで成功して夢を叶えるんだと覚悟していた。移籍の噂はあったけど、ぼくはここで5分でいいからプレーしたかった。ハードワークと熱意があれば夢は叶えられると確信していた。だから父に『行こう』と話した時は、もう戻れないことはわかっていた」

≪続≫   

コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)



2011年05月17日(火) 『マンC、FA杯優勝』『イニエスタのインタビュー@EPS』『SNSブーム』『カンテラーノス!』


#Foto_Del_Dia
 FOTO DEL DIA 〜Picture Of The Day〜      19:58:26, 月曜日 16, 5月 2011



カンテラーノス! Visca la Masia!!! Visca el Barça!!!

トロフィー授与式も最高でした ↑これの正式な写真(プロカメラマンによるもの)が早く出て来ないかな。







#La Roja
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#Ramos
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#Llorente
#Javi
 Trivialidades del La Roja   21:31:51, 日曜日 15, 5月 2011



ラ・ロハ・スケジュール

先日、ベネズエラ戦が6/1に行われると書きましたが、この試合は6/7に変更となりました。
またスペイン代表は6/1にマドリーからワシントンへ飛び、翌6/2、ホワイトハウスでバラク・オバマ大統領と懇談することが決定。ただし、大統領の予定が変更にならなければです。ラ・ロハの中にはオバマファンも多いので、きっと喜んでいることでしょう。結局、昨年バチカンでローマ法王に謁見するというチャンスは逃したままです。
代表は6/3にボストン入りし、6/4に米国代表と親善試合を行います。その後、ベネズエラへ移動します。

8/10には、イタリアと親善試合を行う予定だそうです。伊サッカー連盟の承認待ちですが、恐らく場所はバリかナポリになるとのこと。また、11月には中国と親善試合を行うかもしれないそうです。


デル・ボスケは選手たちと話し合いを
数日前、デル・ボスケはマドリーとバルサの数人の選手と話し合いを持ったそうです。彼いわく、「すべては解決した。選手たちはプロフェッショナルだと信じているし、彼らが自国のカラーを守っている時に疑いを抱いたりはしない。彼らは、これまで行ってきたことを行うだろう」

6月の親善試合のための選手の招集は、5/25前後に行うそうです。

選手たちが続々SNSに参入


先日、ジョレンテのWEBサイト&facebookを紹介したばかりですが、このたびイケル・カシージャスも自分のWEBサイトfacebookを発表しました。イケルはこの告知をするために、プレゼンテーションまで行った気合いの入れようです(彼の発案とは思えないけどね)。
このプレゼンテーションで、彼は「おれとバルサの選手たちとの関係はとても良い。この件に関して、ゴシップ好きの人たちがあら探しをする必要はない。クラシコの20日間で緊迫したのはロジカルなことだが、時は過ぎ去り、すべては収まった」とのこと。

セルヒオ・ラモスも「この件がおれたち(の関係)に影響を与えることを許すのは大きな間違いだ、と言うのはおれだけじゃないはず」と言っていましたが……まあね、バルサファンとしては一言も二言も言ってやりたいけど、まあここは黙っておきましょう笑 ヽ(`皿´)/

一方、ピケは弟マルクのアカウントをTwで紹介。でもマルクはずいぶん前からアカウントを持っていたよね、ピケ



紹介といえば、ハビ丸は相変わらず人のTwitterアカを紹介するのが好きなようです。ビルバオの選手たち、アモレビエタダヴィド・ロペスのアカウントはこちら。ずいぶん前からハビとTwitter上で漫才を繰り広げてくれている、ボヤン@バルサにも匹敵するレオネスの萌えッ子、ムニたんことムニアインも。

ちなみに、ムニたんが今アイコンに設定しているのはティアゴ@バルサ(U-21のチームメイト)とのツーショットヽ(´Д`)/ ムニたんは、fbで私をフォローしているフォンタス、セルジ・ロベルト、ムニエサらバルサっこたちもフォローしています。「ばっばるさはおれの夢っすっ」と前に告っていたバスク人丸出しのムニたんはやっぱり、バルサっこたちと仲良しなんだねー。この子たちがいつかラ・ロハを背負ってくんだなー(´Д`)


アモレビエタが使用しているアイコンの一つは、ジョレンテとのツーショット

もう一つ、ラ・ロハ準隊員のボルハ・バレ―ロは、ビジャレアルのラ・ロハ仲間との写真をtwitterでUPしてくれています。





安心おし、ボヤン。ビジャレアルのおじさんたち皆いい人そうだよ




FA杯優勝おめでとう、シルバ!

マンチェスター・シティの台頭をちょっぴり心配しているフットボールファンは多いはず すでに4位以内を確定しCL出場権も獲得したシティは、そんなフットボール界に早速挑戦状を叩きつけるかのように、FA杯決勝でストーク・シティを下し見事優勝を果たしました。

元バルサのヤヤが決勝弾を決め、シルバもこの笑顔






完全にボヤボヤしている








他にも、シティの選手の可愛い写真やgifがたくさん出ていたけど、キリがないので少しだけ。コレコレコレコレ
かつて、バリーはスティーブンを嫁に貰う予定もあったんだけどな(私の中だけで)


イ、イニたんがスゴイ……!!

最後は素敵なイニたんで締めましょう。El Paisがプロデュースする日曜版マガジン『EPS』のカバーを、イニたんが飾ったー!


素敵写真満載。とっても中身の濃いインタビューがセットになっていたので、ヤル気がある時に訳します。



コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)



2011年05月16日(月) ラ・リーガ優勝特集 パレード in Barcelona! (3/3)


#Barca
 ラ・リーガ優勝特集 パレード in Barcelona! (3/3)   17:55:08, 土曜日 14, 5月 2011


ケイティのスピーチの後は、技術スタッフのぺぺ・コスタにマイクが渡りました。
ペペ・コスタ「おれたちは再びここに来た。そしておれは一つだけ言いたい:このチームには素晴らしい歌い手がいる。その名はビジャ、マラビージャ!


ついに登場、われらのエル・グアヘ


ビジャ「ここに今日いられてとても幸せだよ。こんな瞬間を過ごさせてくれたことに、たくさんの感謝を。
おれにとって、これは夢だった。ペペがああ言ったっておれは歌うつもりはないよ、コンニャロ!



で、どうなったかというと、、、

グアヘ、熱唱



彼が歌ったのは、フランク・シナトラのマイ・ウェイのスペイン語版だそうです。



さて、次にマイクが渡ったのは騒動の渦中にいるブスケツ。
「こんばんは、今年もまた、祝うためにここにいられて幸せだ。チームのみんなとここで祝えて幸せだよ。29日にまた、戻ってきたい」


やや物怖じしている様子だったのは、ブーイングを恐れていたのでしょうか?
もちろん、そんな必要はないよ、ブシ。だって、チャビがついてる

チャビ(マイクを取り上げ)「彼の名前を呼ぶ声が聞こえないぞ! 彼は素晴らしい選手なんだ、みんなが彼の名前を歌うのを聴かせてくれよ!」


ブシ「すべてに、ありがとうを。もっとタイトルを獲得できればと望んでいるよ」
何と言われようと、チャビはチームのために立ち上がる男



お次はペドリート

ペドロ「シーズン中ずっと頑張ってくれたことを、皆に感謝したい。このチームの一員になれてとても幸せだ。
おれたちはもう一踏ん張りして、またここで祝えるように努力するよ。
ありがと、VISCA EL BARÇA, VISCA CATALUNYA i VISCA TENERIFE!」





お次はアドリアーノそろそろジンたんの体力も限界

アドリアーノ「おれの初めてのリーガ優勝を祝うためにここにいられることをとても誇りに思う。
チームメイトたちが皆言うように、ここはクラブ以上の存在であり、まるでおれの家族のようだ。
VISCA EL BARÇA I CATALUNYA!



お次はイビ! イビ! イビ!
アフェライ「たくさんの感謝を皆に。次回はもっとスペイン語をうまくしゃべるよ。
VISCA EL BARÇA I VISCA CATALUNYA!」








さあマクスウェル、さっさとしゃべるんだヽ(`Д´)/
マクスウェル「こんばんは皆さん。今この瞬間、皆さんに感謝するための言葉は他にありません。
このチームは素晴らしい仲間です。ありがとう、みんな。VISCA EL BARÇA I VISCA CATALUNYA!」




みんな、ぼーたんがお話しするよ!


ボヤン「おれは自分の人生をこのクラブで過ごしてきたって言いたい。ここにやってきて以来、
このようなタイトルを獲得してきた。でも一番大事なのは、おれが心から愛している、
おれのことをたくさん助けてくれる彼らのような友達を持てたってこと。
VISCA EL BARÇA I VISCA CATALUNYA!



おまえが最後だという素敵な噂を聞いたぞ、ジェフレン?

ヤバいジェフレンをキャプチャし忘れてる

ジェフレン「こんばんは、みんな。おれはふたつの事を言いたい。まずは、カンテラーノとして、このチームに、
途方もなく素晴らしい人々でいっぱいのチームにいられてとても幸せだ。
二番目は、クレの全員、みんなに感謝したい。
だってリーガが帰ってきたんだ。これからは、おれたちは皆が待ち望んでいたタイトルを獲るだけだ。
チャンピオンズ・リーグ。おれたちは皆アイツを持ち帰るために結束しなけりゃ。
そうすれば、この途方もない、素晴らしいスタジアムで祝うことができるんだ。
VISCA EL BARÇA, VISCA CATALUNYA I VISCA Tenelife!」



ジェフィ―ごめーんネ
彼はこのスピーチをすべてカタラン語で行いました。少しナーバスになっていたようです。
来シーズンのことが頭を掠めていたのかもしれません(移籍の噂がある)。


残念ながら、ティアゴとフォンタスのスピーチはありませんでした。来年な!


カピタンたち可愛いっすヾ(´ε`*)ゝ





この場面、よかったですね。ママの腰巻を欲しがるパパ


で、飽きたら長男ピケトンに「おまえ持て!」


ピケトン「ハイハイ、わかりましたよ……」




ピケ「セスク〜早く来い〜♪」


ピケは試合後もプジとのツーショットをtweetしていました






すべてが終わった後、インタビューに応えていたチャビ





Dancing Pep is priceless












コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)




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