てらさき雄介の日記
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2024年07月26日(金) 市議から総理になったのは2人だけ

全国若手市議会議員の会が30周年を迎えた。そのOB会によって記念事業が催された。全国から百数十名が憲政記念館に集まった。

横浜市議だった菅義偉前総理大臣に講演をもらった。歴代総理で市議の経験があるのは2人しかいない。もう一人は村山富市氏だ。また会のチャーターメンバーであった維新の馬場代表も会場に駆け付けた。元々超党派で交流を深める会なので問題はない。

さて最近は若い議員が多くなった。もう新しく「若手の会」はつくれないだろうし、その必要もない。四半世紀を経て流れは少しずつ変わっている。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所
地域まわり/相模原市中央区内
県立津久井やまゆり園献花/相模原市緑区千木良

【午後】
全国若手議会議員の会30周年記念事業/千代田区

【夜】
事務作業/事務所


2024年07月25日(木) 友人のご逝去に黙祷

ライオンズクラブに所属する友人が亡くなった。急な訃報を聞いたとき、まさかと思った。今日の例会はメンバー全員で黙祷を行った。司会をつとめていたので、悲しくやりきれない思いがした。

その方とのお付き合いは長い。もう二十年以上前になる。私が相模原青年会議所の渉外担当をやっていた時に、その方は商工会議所青年部で同じ役だった。交流しようということになり、数人で市民会館近くの今は無い居酒屋で飲んだのが最初。

外の議員の熱心な支援者でもあったが、ある時を境に陰ながら応援してくれることになった。特に参議院選挙の落選後は、その方からお電話をくださり、その後のことを心配して頂いた。昨年の出戻り県議選では公営掲示板のポスターまで張っていただいた。

ライオンズクラブで初めて役員をやることになった。その役は「テーマー」という重責。その前任者がその方だったので、数回にわたり引き継ぎを行ったのが先月のこと。それが最後の思い出になった。

齢62歳と若い。残念である。人は急に居なくなってしまう。生きていることに感謝して、限られた時間を大切に進んで行こう。ご葬儀は近日行われる。お手伝いに伺うつもりだ。ご冥福をお祈りする。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所

【午後】
打合せ/中央区中央
行政相談対応(福祉)/相模原市役所
地域まわり/中央区内

【夜】
相模原シティライオンズクラブ例会/中央区中央


2024年07月24日(水) 自家製のピーマンを炒めた

ベランダ菜園のナスとピーマンが成長した。ナスはまだ小さいものが3つ。ピーマンは大きいのが1つ。そこでピーマンを頂くことにした。ちょうど豚肉がある。一緒に炒めてみた。

スーパーで買うものより美味しい。手前ミソだが。水分が多く含まれている気がする。何より新鮮なのは一番。枝を切る時に少し可哀そうな気もしたが、本体の命が失われる訳ではない。感謝である。

●今日一日

終日所用


2024年07月23日(火) 先ほどまで明洞にいたのに

帰国するために友人と明洞のホテルで待ち合わせしたのは夕方の4時。そして今は深夜の11時である。上溝の自宅でパソコンを打っている。その「近さ」にいつもながら感じ入っている。

戦前は今よりも多くの日本人が朝鮮半島に暮らしていた。下関から船に乗って釜山や木浦に着き、そこから陸路等で北の方へ向かったと聞く。数日はかかる行程である。世界が狭くなった分、仲良く出来れば素晴らしい。

●今日一日

終日所用


2024年07月22日(月) カンジャンケジャンは明洞に名店が多い

明日は帰国日なので実質は今日が最後。友人と話し合い、晩餐はカンジャンケジャンにした。ネットを叩くと、明洞に名店が多い。そのうちの1店を訪問。開店して間もないのに混んでいる。遅かったら待ちだった。

ビッグサイズである。値段は張るが元々高級な料理なので仕方ない。付け合わせのおかずもたくさん。これは明洞では珍しい。元芸能人が経営する「オダリチプ」という店。お勧めなので是非行ってみて欲しい。

●今日一日

終日所用


2024年07月21日(日) 朝鮮半島経由なのかもしれない

毛が薄い人は朝鮮半島経由、濃い人は東南アジアから。日本列島が大陸と繋がっていた当時、そこからやってきたかを表現する言葉。

私は前者なので朝鮮半島経由となる。初めて韓国に訪れて漢江を見たときに、言いようのない懐かしさを感じた。記録のある直径の先祖にそちらの人はいないが、それ以前の大分昔の出来事はわからない。

近い国は仲が悪いと言われる。確かにそういう傾向はある。しかしそれでは寂しい。韓国とも一時は良かった。取り戻そう。

●今日一日

終日所用


2024年07月20日(土) 光州事件の現場で

光州訪問のもう一つの目的は、光州事件の現場をまわること。自分だけでは困難と考えて、現地のガイドをお願いした。その分野に精通する在韓日本人で、過去も多くの人を案内してきたらしい。

43年前の事件。当時20歳だった人は現在62歳。記憶が鮮明に残っているはず。軍国主義に対する民主化運動と定義付けられ、被害者の保障も行われている昨今だが、詳細な記録が現存しないことで疑惑は残っているとのこと。

全斗煥元大統領の石碑を踏みつける場所は、日本とはまた違う文化も感じたが、歴史を総括することをモットーにしているのだろう。資料館では和訳した事件の詳細を書いた本をもらった。熟読したい。

●今日一日

終日所用


2024年07月19日(金) オリタンを食べに光州に来た

光州を訪れた目的のひとつは、オリタンという鍋を食べること。大分以前から憧れていた。アヒルをどろっとしたスープで煮込む。セリをたくさん入れる。シンプルな料理と聞いていた。

例によって専門通りの専門店。入ると有無を言わさずに鍋が出てくる。写真通りの見てくれだが、口に入れると想像と違う風味だ。濃いゴマのスープだ。ミソも入っている。韓国歴数十回、初めての味である。

値段はそこそこ。タッカンマリと同じくらい。肉の質は鶏に劣るが、だからこそスープとセリに凝っている。この為に光州まで来るのは私くらいかもしれない。しかしここに来る機会があれば、是非食して頂きたい。

●今日一日

終日所用


2024年07月18日(木) 中村たけと県議が衆議院に挑戦する

中村たけと県議が衆議院に挑戦する。エリアは横浜市の鶴見区と神奈川区である。今日は私自身の横浜市内の知り合いに、彼を紹介するため一緒に訪問した。

彼とは長い付き合いなので、公私ともに色々な思い出がある。そのうちの2つは絶対に忘れることがないだろう。

まずは立憲民主党神奈川県連の結成大会に一緒に行ったこと。県議は私含めて3人だけだった。誰が参加するのか当日まで詳細は不明だった。自分1人であることも覚悟していた。だから嬉しかった。「同志」がいたことにより、その後の拡大に繋がった。

そして一昨年の参議院選挙だ。事務局員として夜討ち朝駆けで応援してくれた。候補者である私も100%信頼していた。彼をはじめとする強固な選対ゆえ、その勝利を確信していた。結果を出せなかったのは、まさに候補者である私の非力である。

県議同士では選挙日が同じなので何ともしようがない。しかし今は違う。選挙で友誼のお返しが出来る。次期衆議院選挙に向かって、全力で応援する。

●今日一日

【午前】
団体訪問/横浜市内
行政相談対応(施設)/区役所

【午後】
地域まわり/中央区内

【夜】
会合/中央区富士見
相模原シティライオンズクラブ理事会/中央区中央


2024年07月17日(水) 竹内まりやの駅で気になる歌詞が

県庁に向かう車の中で、竹内まりやの「駅」を聴いた。とても好きな歌だ。少し口ずさんでいると、歌詞の中に、今更ながら気になる部分があった。

「昔愛してたあの人なのね」とのフレーズで、「二年の時が変えたものは」と続く。あれ、もっと前の恋人だと思っていた。実は二年だったのか。二年前をあえて昔と表現したのか。

時の流れは人によって、空間によって違う。この主人公にとっては長い年月だったのだろう。

ぼうっとしているとすぐに過ぎてしまうので、気を付けて生きていかなればならない。人生が有限であることに変りはないのだから。

●今日一日

【午前】
会派予算施策の団体ヒアリング/県庁
行政相談対応(文化振興)/同

【午後】
会派予算施策の団体ヒアリング/同

【夜】
会合/横浜市中区


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