てらさき雄介の日記
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2011年07月25日(月) 議会閉会中に行うべき仕事

民主党・かながわクラブ県議団として、来年度に向けて9月から10月をメドに、知事あての予算・施策の要望書を提出する。

その準備として所属30名の議員を4班に分けて、各種団体からヒアリングを行った。

二元代表制の議員として行政をチェックする立場として、また政権与党として国政あて意見する責任もある。

頂いたご意見については、各常任委員会ごとに検討を深めていく。不祥私は環境と農政分野の責任者である。

以前‘ヒアリング’は自民党の専売特許であったと聞く。民主党の先輩方が数年前「それではいけない」と始めて今日に至っている。

地方議員の位置付けは、公式には非常勤特別公務員。しかしその報酬を鑑みれば、非常勤であっていいはずがない。

議会閉会中だからこそ、県民の声を聞く努力が大切。明日とあさっての3日間、真摯な姿勢でヒアリングに臨みたい。

●今日一日

【午前】
党県議団予算施策要望ヒアリング/県庁
�‖膂翊�
�∋唆版儡�物協会
��私立幼稚園連合会
�せ葦沙�

【午後】
党県議団予算施策要望ヒアリング/県庁
�シ�物解体業協会
�Γ複卅輜�
��農林水産団体協議会
��農協中央会
��農協会議
��民間保育園協会
��私学団体連合会
��連合神奈川

【夜】
会合(議会)/横浜市中区


2011年07月24日(日) 自粛解禁に敬意を表する

住まいのある地元上溝の夏まつり。2日目の今日が本宮である。午前中は消防団の警備活動。午後は仲間に申し訳ないながら、抜けさせてもらい各所を挨拶まわり。

さて東日本震災後に相模原市は、いくつかの大型イベントを自粛した。「被災地の為にもやるべき」と主張していたが、奇しくも地元上溝のまつりが再開第一段となった。

色々困難もあったと推察。決断した地元及び行政関係者に敬意を表する。何事も‘最初’は大変。お陰様で多くの皆様と出会えた一日となった。

●今日一日

【午前】
消防団警備活動(上溝夏まつり)/上溝

【午後】
支援者絵画展鑑賞/相模原
上溝夏まつり/上溝
星が丘夏まつり/星が丘
JP労組さがみ支部定期大会/富士見

【夜】
上溝夏まつり/上溝

消防団で警備活動


2011年07月23日(土) 党支部で予算施策ヒアリング

数日間失礼した。お陰様で‘英気を養えた’だけでなく、その間色々勉強になることもあった。

復活第一日の最初は、民主党地元14区支部の予算施策ヒアリング。国会・県議会・市議会の議員で、各種団体から様々なご要望を頂く。

全ての団体からの全ての要望に応えることは出来ない。それをすれば自民党と同じになってしまう。

取捨選択をするには政治的価値観が必要。福祉社会保障と、生活に密着した課題を優先すべき。

一方で、今や‘贅沢’な要望は少ない。そこが悩ましいところである。これだけ疲弊した世の中で、どのボタンをどう押せばいいのか・・。

答えを出すべき自分が悩んでいる。特に最近は。申し訳ないと思いつつも、安易に割り切ることも避けたい。

いくつかの団体からは、かなり厳しいご意見も頂いた。面と向かって言って頂ける。そのことに感謝したい。

●今日一日

【午前】
事務作業/事務所
党支部予算施策ヒアリング/中央
�.肇薀奪�協会相模支部
��道路安全施設業協会
�B襍�協会相模南支部
�ど賊ゞ┣�

【午後】
党支部予算施策ヒアリング/中央
�グ綮嬾¬�
��腎友会
下九沢団地ビア祭/下九沢
福祉施設夏まつり/南橋本
会合(議会)/緑区中沢

【夜】
緑ヶ丘2丁目自治会盆踊り/緑ヶ丘
田名地区陽原自治会盆踊り/田名
田名地区葛輪自治会盆踊り/田名


2011年07月22日(金) ‘GANTZ’は辛い

流行っている作品には、それなりの理由があると思い、気は進まなかったが‘GANTZ’を見た。

30分ほどで止めた。本当にツマラナイ映画が少ないが、まさに見るに堪えない映像と内容である。

二宮和也と松山ケンイチも残念。来年の平清盛は大丈夫か・・・。またSFXも情けない。単に気持ち悪いだけで爽快さがない。

人(怪獣?)をやっつけるところも、結果として嫌な印象しか残さない。原作の漫画を読んだことはないが、売れるからと安易に映画化した悪い例である。

そもそも映画とはメッセージがあるはず。言葉に出来なくても、感動しなければダメだ。寅さんが毎回感動出来たのは、製作者がきちんと意図していたから。

映画用の原作をしっかり創らねば。それが出来る作家を社会で育てねばならない。今後はマイナー映画もより見にいきたい。

●今日一日

終日 私用


2011年07月21日(木) なぜ議員で威張れるのか・・・

元来人さまの好き嫌いはない。しかし苦手なタイプはいる。仕事柄ご一緒はするが、やはり長くはいたくない感じ。

第一に「いばる人。」人間は不完全なものなのに、何んでそんなに威張っているのか!特に同業者(議員)にその傾向は多い。

第二に「酒グセの悪い人。」自分が酒好きなだけに思う。自分が楽しく飲みたいのなら、一緒にいる人にも気を使うべき。

‘本気(マジ)’というヤクザ漫画がある。かなり泣ける作品。その主人公は「ヤクザは端っこを歩け」と子分に教え、実際歩いているときカタギに道を譲る。

税金から給与(報酬)をもらっている人も、肝に銘じるべき精神であるはず。ちなみに気を付けていることがある。最近はファミレスや公共施設、更には企業などで、年下の人と接することが多くなった。

しかし丁重に敬語を使う。「自分の給与はこの人からもらっている」と念じ、丁寧に対応するよう心がけている。ほぼ大丈夫なはずだが、もし違っていたら指摘して下さい・・・。

●今日一日

終日 私用


2011年07月20日(水) かつての戦争を検証しない政府

歴史を学ぶことは尽きない。先輩面して「お前たちも歴史を学べ」と言っても、かなりの学者でない限り、不詳私も浅はかなレベルであると実感。

しかし政治に携わる人は少なくとも、子どもの教科書に書いてある位のことは、時系列的に概要を把握していなければならない。

もう10年以上前になる。市議会友好訪中団のメンバーに入れて頂き、友好都市の無錫を訪問した。現地で無錫市政府の幹部と対談したが、ある相模原市議が「ここも日本との戦場になったんですか?」と聞いた。

その場が氷ついた・・。KYとはこのことだ。訪問団長の議員が良い方だったので、上手く言葉を繋いで事なきを得たが、全くもって相模原の代表としてお恥ずかしい話。

無錫は、上海から南京へ向かう途中にある。上海に上陸した日本軍が、南京を攻略する途上にあり、まさに想像を絶する被害を受けた地域だ。その解釈はともかくとして、事実を知らなかったことは残念である。

さてどのような切り口で歴史を学ぶべきか。私は幕末史が好きだ。明治維新の画期的な成功と、何だかんだ言っても現在の日本の経済的発展。その経過で不本意なのが先の敗戦。

「何故負けたのか。」それを考えることが、歴史を学んだ最初からの思いになっている。更に現在に至るまでアジア諸国の信頼を得られず、外交でも後手にまわっているのは何故か。

なぜ勝ち目のない戦争に向かってしまったのか。何故真珠湾を攻撃したのか。何故ドイツ・イタリアを同盟を結んでしまったのか。何故国際連盟を脱退したのか。

なぜ何故満州国を建国し、盧溝橋を爆破してしまったのか。その検証を現政府はしていない。どのような見解が出るかは別の議論として、諸外国が一定の見解を持つなかで、当時者が「忘れました」ではお話にならないはず。

日本を真に誇り高い国にしたい。だからこそ過去と率直に向かい合いたい。そのように考える自分は、改めて‘非国民’ではないと思う。冷静に考えること。政治家の基本と考える。

●今日一日

終日 私用


2011年07月19日(火) 日本人の跡をたどる旅

自分の旅には傾向がある。それは日本の跡を辿っていることだ。人さまから‘非愛国者’‘アナーキー’と冗談半分?で指摘されることもあるが、自分ではかなりの愛国者と自負している。

かつての戦争について、その政治責任を厳しく問うているのは、日本を愛するからこそ、自らの過ちを見つめられる国であって欲しいと思うからだ。

さて生まれて初めて行った外国はタイ。目的地はアユタヤだった。山田長政の遺跡を見たかった。戦国時代に海を越えて日本人街をつくり、最終的には同王朝の武将に列せられることになった人物。

アユタヤの駅に着くと、「ヤマダナガマサ。アンナイ。」と人が寄ってくるが、現地に着くとそれ自体は何んと言うことはない。最近タイ政府が建てた石碑があるだけ。

一番最近はある国の‘日本人街’を訪ねた。現地に出向している日本人が、多く住んでいるところだ。幾人かに声をかけて色々話した。まさに人間模様、人生劇場である。

大企業の社員ばかりではない。現地で細々と商売をしている人。結果として自らの意思で、その国を選んだ多くの同胞がそこにいる。

神奈川県議会議員は、県民の税金から報酬を頂いている。それを良い意味でのプレッシャーにせねばと、常に肝に銘じて納税者と接している。しかし発想はより幅広く持たねばならない。最近強く思うことである。

●今日一日

終日 私用


2011年07月18日(月) 桃園空港よりも松山空港

台湾に国際空港は2つある。今回降り立った桃園空港と、もう一つは松山空港だ。原則的には成田発着便は桃園、羽田発着便が松山にを利用する。

普通に考えれば新しい空港が良いと思われがちだが、戦前から使用している松山空港の方が市内に近く利便性は高い。ちなみに桃園空港から市内へは約1時間、松山空港からは何と約10分である。

元々神奈川県民からすれば成田より羽田が大分近い。加えて訪問する先でも市内に近い空港に着くのだ。これは韓国ソウルの仁山、金浦両空港の関係も同様だ。

羽田空港の位置づけは、益々高くなっている。日本は1県1空港という愚策を採り続けてきた。一般的に公共施設は小規模のものを多く創るべきだが、空港については逆であると感じる。

大型ハブ空港に投資した方が、コスト面でも環境面でも良い結果となる。一方で羽田が便利になるほど、周辺の道路は渋滞し、かつ電車も混み通勤者に迷惑をかける。空港周辺の整備もまた重要である。

終日 私用


2011年07月17日(日) 賠償を放棄した中華民国

昨日の昼、台湾に着いた。市内に入ってから連絡を取り合い仲間と合流。その後は、20年前もお世話になった方に案内してもらい、いくつかの名所を見学。夜は現地らしい食堂で夕食を共にする。

さて20年前のこと。当時台湾の政権党は国民党。実質的な選挙もなく、いわば一党独裁であった。その正統性と対中国共産党に対する政治的アピールを兼ねて、日本の学生を国内に毎年招待していたのだ。

その窓口になったは我が国の自民党。当時は同党所属だった藤井裕久先生の事務所から話を聞きつけ、興味本位で申し込んだところ、参加するとが出来た。メンバーは30人強だったと記憶している。

その多くは中国語や中国文化の勉強をしている学生。一方で私のように何人かは、政治ルートでの参加者である。皆んな今に至るまで付き合っているのは、本当に珍しくもありがたいこと。

さて台湾。いや敬意を表して中華民国と言おう。狭い国土と限られた国際関係のなかで、非常に優れた国家経営をしていると改めて実感。中国共産党もまたしたたかに、長い視点で穏便に接している。

政治的主義よりも民族ということなのか。そこに暮らしていない私には想像の限界がある。しかし少なくとも武力衝突は論外だし、今後については対話による平和的解決を望む。

台北を歩いていると日本人が多い。恐らく日本人率は世界一だろう。だからこそ私を含む日本人は、中華民国の歴史を知る努力をせねばならない。特に日本との関係ついては。

日本が侵略戦争を行い、そして敗れた中国とは、現中国共産党だけではない。当時の大陸における政府は中華民国であった。そして戦後多くの国に賠償をしていくなかで、その一切を放棄したのも中華民国であった。

「日本人ではなく軍国主義を憎む」と、その賠償を放棄してくれたことが、日本の経済的発展に大きく寄与したのだ。私が先輩方からそう教わったように、次に世代に向かって感謝の気持ちを伝えていきたい。

●今日一日

終日 旧全日本学生訪華団メンバーで台湾訪問

20年来の仲間と台湾で


2011年07月16日(土) 旧全日本学生訪華団で台北へ

現在午前8時16分。成田空港のラウンジでパソコンに向かっている。同9時40分初の中華航空で台北へ向かう。

今から20年前。19歳のときだ。‘全国学生訪華団’の一員として台湾を訪問した。現地の学生との意見交換など貴重な経験をさせてもらった。

その参加者で数年に一度集まり、酒を飲みながら旧交を温めていたが、今回その‘原点’を訪問してみようということになったのだ。

皆は2泊3日。私は1泊2日という強行日程だが、現地で向かえて下さる方々もいるので、今後に向けてもしっかりと親交を深めてくるつもり。

●今日一日

終日 旧全日本学生訪華団メンバーで台湾訪問


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