てらさき雄介の日記
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2009年08月15日(土) 要諦は投票率

森山浩行が衆議院選挙の候補予定者になってから、堺に来るのは3度目だ。段々と街並みを覚えてくるし、駅の配置などもわかってくる。

告示を過ぎ選挙期間に入れば、相模原から離れることは出来ない。責任がある。心残りはあるが、これが恐らく最後だろう。

今日は党本部より野田佳彦幹事長代理が来て、森山浩行と支援する仲間で、複数箇所の街頭演説を行った。マニフェストやビラも多く配布した。

ここは公明党幹事長の選挙区。森山浩行も苦戦している。しかし勝機はある。かの組織力を上回る投票率を、運動によってはじき出せばいいのだ。

現政権の間違いは、その多くが自民党によるもの。しかし公明党も与党である。結果の責任は重大である。堺から政権交代!必勝を期待している。

●今日一日
【午前】
森山浩行(大阪16区)支援活動/大阪府堺市
【午後】
森山浩行(大阪16区)支援活動/大阪府堺市
相模原に戻る
大阪16区森山浩行と野田佳彦党幹事長代理の街頭演説


2009年08月14日(金) 2700円のホテル

明日は大阪16区で森山浩行の支援活動をする。前泊で大阪に夜着いた。どうせ寝るだけだかからと、思いきっり安い宿を探すと、ネットでは2000円台からある・・・。

新今宮駅そばの1泊2700円のホテルにチェックインすると、意外と過ごしやすい部屋だ。ベットでなくふとんがいい。部屋にシャワーはないが、下には大浴場もある。

ここは西成区。宿に暮らしながら働いている人も多い。近くの居酒屋に行くと、メニューは100円からある。チューハイ2杯とツマミを少々頼んだ。会計は何と1030円。リーズナブル!

つい最近相模原市内の知っている飲食店が閉めてしまった。比較的安い飲み屋さんだったが、この不景気に耐えられなかったとのこと。頑張っても生活できない世の中。寂しいことだ。

しかし私は評論家ではない。この社会を創っていく責任がある。そのための衆議院選挙だ。

●今日一日
【午後】
本村賢太郎支援街頭活動/相模大野駅
森山浩行(大阪16区)応援のため大阪府へ
2700円のホテル


2009年08月13日(木) 与党は実績を

朝の駅立ちから横浜市戸塚区へ。神奈川5区田中慶秋氏の応援だ。駅頭が終わった後は、推薦を得た地元医師会所属の病院まわり。数時間で30軒ほどまわった。医師会も非自民の時代だ・・。

午後は同じく横浜市の港南区。上大岡駅で神奈川2区三村和也氏の応援演説。私より若い33歳の候補予定者。地元塩坂源一郎県議が、以前より全力で支援しているので、顔だし程度で申し訳ないが激励のつもりで訪問。

夕方は市内相模大野駅で、地元本村賢太郎の街頭活動。神奈川・東京の合同演説会という趣旨で、東京より大河原参院議員が応援に来る。神奈川の千葉参院議員も一緒。

司会は先輩の吉田大成県議(川崎市麻生区)にお願いする。私と同じ‘タックル’だ。今回の衆議院選挙では県議会より挑戦するのは、超党派で本村賢太郎ただ一人。その期待もあってか、多くの県議が応援に来てくれる。

さてここ数日の街頭演説では、‘与野党の評価’について話している。与党と野党では、選挙の際、問われるべき点が自ずから異なるはず。しかし最近の自民党は、そのことを忘れていると思う。

野党は政策を実行出来ない。したがって「政権をとればこれをする」と訴える。一方与党は実行出来るわけだから「これをやってきました」と実績を問うべきなのだ。

先日の鳩山代表と麻生総理の討論を聞いても、どちらが与党で野党がわからない。与党は民主党の批判をする必要はない。その姿はむしろ情けなくさえ思う。

8月30日に向けて、与野党それぞれの態度が、果たしてどう変わっていくか。松沢知事の言い草ではないが、足の引っ張り合いではなく、マニフェストのプラスを競い合う選挙にしたいもの。

●今日一日
【午前】
田中慶秋(神奈川5区)支援活動/横浜市戸塚区
【午後】
支援者訪問/鎌倉市
三村和也(神奈川2区)支援活動/横浜市港南区
本村賢太郎支援街頭活動/相模大野駅
支援者と懇談/淵野辺
支援者と懇談/中央
相模大野駅で街頭活動


2009年08月12日(水) 良い巡り合わせに

人生色々。良い言葉であるが、小泉元総理がミソを付けた。まあ彼のことは置いておこう。この37年間で本当に多くの人と出会った。すべての方とずっと付き合っているわけではないが、それでも本当に良い巡り合わせが多かったと感謝している。

葬儀に行くといつも思う。若輩ながら政治をやっている。当然支援者ほか知人の多くが先に亡くなり、その葬儀に参列する機会も多くなる。年の順になのは自然の摂理だが、それでも人生の無常と悲しさを感じずにはいられない。

さてまわりはどうか。寺崎雄介と出会ったことで、何か良い方向に変っただろうか。そこまで求めるのは、むしろ不遜なことなのか。既に人生も半分だ。残された時間をどう過ごすべきか。気が早いようだが、期限があることを考え、生まれてきたことに感謝し、引き続き政治家として全力を尽くしていく。

●今日一日
【午後】
支援者ご親族告別式/大和市
支援者訪問/相模原


2009年08月11日(火) どんなご指摘でも

昨日のこと。事務所あて「マニフェストが欲しい」というご連絡を頂いた。今朝一番に早速お届けする。

“政策中心の政治”を目指すことこそ、政治改革の大目標である。そして“政策中心の選挙”を行わない限り、その後の政治が政策中心になることはない。

自分が議員として活動していると、政策中心の難しさを実感する。冠婚葬祭政治、料亭政治、良い意味での妥協ではないマアマア政治。

しかし政界が旧い体質を引きずっているなか、主権者の側が最初に目覚めてくれたようだ。盆踊りに行って缶ビールを飲みながら、財源論まで指摘されるような状況に至った。

大歓迎である。今回のマニフェストの中身について、すべて賛成しているわけではないが、その大方は私の理念・政策と一致している(当り前か・・・)。どんなご指摘でも、真正面からお答え出来る自信はある。

8月30日までの限られた時間。どんどんご意見を頂きたい。

●今日一日
【午前】
マニフェストお届け/上溝
支援者と打合せ/富士見
事務作業/事務所
マニフェストあります


2009年08月10日(月) 県議選も討論会を

衆議院選挙の公開討論会に参加。本村賢太郎の選挙を運営する立場としてだけではなく、一有権者としてもすべての候補予定者の話を聞いてみたかった。

かねてから希望がある。それは「県議選でも公開討論会をやって欲しい」ということ。公の場で考えと政策を述べる機会が欲しい。街頭演説とはまた違う、多くのことを伝えられるはず。

また国政選挙は既にマニフェストが確定し、テレビなどでも連日討論が行われている。政党公認で立候補する以上は、今日のような場でも、各候補はマニフェストの解説が主眼となる。この点面白みにはかける。

しかし私たち地方議員の選挙は、党としてしっかりした公約は創らない。このことの評価はまた別に述べるが、すなわち党ではなく候補者個人が何を考え、何をしようとしているかが選挙で重要になってくる。

だからこそ国政選挙よりも地方選挙の方が、討論会に向いているのではないか。知事や市長の選挙では既に一般的になったが、今後は地方議員の選挙でも行われるよう、候補者のひとりとして働きかけていきたい。

●今日一日
【午後】
事務作業/事務所
後援会打合せ/事務所
衆議院選挙公開討論会/富士見
支援者と懇談/中央
衆院選公開討論会


2009年08月09日(日) 唯一の被爆国として

相模原在住の被爆者他有志による、原水爆禁止祈念集会が開催された。来賓として挨拶の機会を頂いたので、かつての戦争と原爆投下における政治責任について意見を述べた。

久間元防衛大臣は原爆投下を「しょうがない」と言ったが、それは事実として正しいのだろうか。言葉狩りをするつもりはないが、過去を冷静に分析してた上で、少なくとも私は違う見解を持っている。

連合国の方針とポツダム宣言の内容には、まさに戦勝国としての身勝手が多く含まれていた。しかし当時の現状で、戦局の好転が図られないという現実的判断があれば、そこで戦争を終える政治決断は出来たはずだ。

宣言を拒否した日本に対して。2つの原爆が投下された。その後まさに‘無条件降服’を強いられた。歴史に�爐發鍬瓩呂△蠧世覆い�、政治の力によって違う結論が導けたのはではと悔やまれる。

かつての戦争の話になると、多くの政治家は思考停止に陥る。何がいけなかったのか。どこで止められたのか。どうすれば二度と戦争をしなくて済むのか。意見は違うかもしれないが、志ある同士で一緒に議論を深めたい。

また‘議員’と‘政治家’であることは違う。その判断基準を何点か持っている。そのひとつは、昭和20年に終わったあの戦争について、右でも左でもいい、自らの考え方を持っているかどうかだ。

残念だが、その意味で‘政治家’は少ない。最大の核保有国アメリカのオバマ大統領でさえ、本年4月プラハの演説で「唯一核兵器を使った国として」と自国を表現した。

「唯一の被爆国として」出来る努力をもっとすべきだ。

●今日一日
【午前】
原水爆禁止祈念集会/西橋本
事務作業/事務所
【午後】
橋本七夕まつり/橋本
事務所スタッフと夕食/星が丘
原水爆祈念集会の合唱


2009年08月08日(土) 知事会への違和感

地方分権の実現は、私が今回の衆議院選挙に臨むにあたっての、基本的目標のひとつである。その点では全国知事会が言っていることは、その内容の多くを理解することが出来る。

一方橋下氏や東国原氏などの発言に違和感も抱いている。その理由は他でもない。確かに霞が関はズレているのだが、同じように地方行政もまた現状では、多くの主権者の意を体現出来てはいない。

霞が関から権限を奪取するつもりなら、それに相応しい自己改革をもっと行うべきではないか。果たしてその心意気が今の自治体職員と、そして地方議員にあるのか。

「これは国の仕事です。」「実施主体は市町村です。」そう‘逃げ’を言う県職員。「これは県の方針です。」「これは国に言わないと。」そう‘逃げ’を言う市職員。何度も出会ってきた。

また私たち地方議会もそう。国会の体たらくは言うに及ばずだが、果たしてそれ以上の仕事をしているのか。役所に原稿を書かせていることが、他多くの問題を象徴しているのではないか。

十数年前に小選挙制を導入して、結果政治の‘中身’が変わらなかったように、地方分権もまたあくまで制度論でしかない。一番大切なことは何か。それぞれの個人がプロの意識を持ち、その責任を果たしていくことだ。

●今日一日
【午前】
書類整理/自宅
【午後】
打合せ(党)/共和
打合せ(党)/共和
支援者お通夜/古淵
事務作業/事務所
元町自治会盆踊り/上溝
丸崎自治会盆踊り/上溝


2009年08月07日(金) 悲しい逮捕状

押尾学が捕まった。体調が悪くなるくらい憤慨していたら、数日後に今度はのりピーのだんなさんが。そして今日ついに、のりピー本人に逮捕状が出た。ニュースを夕刊で見たとき悲しくなった。

麻薬に関わる問題について議論すると、世界のなかでこの犯罪がどう扱われているか、知らない人が意外に多いことに気づく。日本は特に刑罰が甘く設定されている。また初犯の場合は執行猶予すら付いてしまう。

アジアの国では、業として麻薬を扱った場合、死刑になる国も珍しくはない。所持や使用だけでも、無期や長期の刑に服することになる。実際に旅先でも、現地の刑務所で長く受刑している日本人の話を聞く。

また服役中の本人が、現地の日本人向け雑誌に「あなたは絶対しないでください」と投稿したりもしている。数か月前にも中国の大連で、麻薬を運ぼうとした日本人に死刑判決が出た。

「誰にも迷惑はかけてない」と犯人は言うかもしれない。しかし違う。麻薬は一度拡大を始めると、関係ない人たちをも巻き込んでいく。古今東西の実態がそれを現わしている。

さて麻薬によって一度�犇狄記瓩靴新歿戎佑�、しばらくすると再びテレビに出ていたりする・・。これが青少年が麻薬を軽く見る原因にもなっている。大麻を軽くみた大学生もそうかも。

忘れてはならないのは、押尾学と一緒にいた女性は、麻薬の服用によって死亡している。そう禁止されているだけの理由があるのだ。�猖稾�撲滅��
の対策を、政治もしっかり行うときだ。

しかし情けない。少なくとも十数年前までは、麻薬と銃器は日本においては、暴力団など一部の犯罪であった。なぜこうなってしまったのか。

●今日一日
【午後】
橋本七夕まつり/橋本
七夕まつりの飾り


2009年08月06日(木) 大田實少将の電報

今日は広島に原子爆弾が投下された日。3日後には長崎の日がやってくる。犠牲者を謹んでお悔やみするとともに、政治家として、戦争の根絶と世界平和の実現を改めて決意する。

先週研修会で沖縄に行った際、その合間をぬって訪問した‘旧海軍司令部壕跡’について書きたい。ここは沖縄県豊見城市に所在し、那覇市内から車で20分ほどで着く。

強く印象に残った点がふたつあった。ひとつが部屋だ。当時のままトンネル状の壕があり、そこに掘った穴の部屋がある。幕僚室に行くとその壁には、手榴弾の破片痕がはっきり残っている。幕僚の自決によるもの。

もうひとつは司令官大田實少将が、壕内で自決する数日前に本土あて打った電報だ。その現代文訳が壕内で配布されていたので、全文をここにご披露したい。

「次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、32軍指令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。

沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、砲弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵が既に出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。

さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これをまとめると、陸海軍が沖縄にやって来て以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公するのだという一念を胸に抱きながら、ついに(原文不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の現状は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。

沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。」

以上

この文章に論評は必要あるまい。沖縄と本土との関係。かつての戦争の実態。政治家の責任。在日米軍基地。他キリがない位多くのことを思うが、既に長くなったのでやめよう。

しかしひとつだけ。末尾にある「後世特別のご配慮」すら、その思いは既に忘れられている。沖縄本島は小さい。ここで数十万規模の戦闘があったとは、想像をこえて悲劇であったとしか言えない。

以前ある人が言った。「人は過去を忘れるから生きていける」。なるほどと思った。しかしそれは個人の話。社会や国を考えるとき、辛くとも過去に向き合うことを避けてはいけない。

●今日一日
【午後】
相模原ライオンズクラブ例会/市民会館
同有志懇親会/中央


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