てらさき雄介の日記
DiaryINDEX|past|will


2006年12月27日(水) 市長巡視変更

昨日から消防団の歳末警戒だ。来年に向けて多くの忘年会にお誘いを受けているため、今年は昨日と大晦日しか詰め所に行けない。

さて警戒の初日は例年市長巡視だったが、今年より団長激励という形式になった。理由としては、津久井地域との合併によって、市長がまわりきれなくなったらしい。

市長巡視の内容変更を、市議時代から訴えてきた私としては、結果オーライというところか。

消防団は津久井と別組織にしている。これは悪いことではない。合併して効率化する部分と、しない方がいい部分もある。消防団は後者だろう。

恒常的団員不足だが、消防団の存在意義は大きい。地域コミュニティをしっかりすることが、治安対策でも教育問題でも重要な時代だ。その一員として、これからも役割を果たし続けるだろう。

一方小沢党首の言い分ではないが、変えてはいけないものを守るためにも、内部の問題点は果敢に改革する必要もある。現在消防団内に、そのあり方を検討する会議が、公式に設置されたことは良いことだ。

消防団に関わりをもった者として、これからも多くの発言をしていきたい。


2006年12月26日(火) フセイン氏の判決

イラクのフセイン元大統領に死刑判決が出た。正確には数ヶ月前に出た判決の控訴が、棄却され確定となったものだ。30日以内に刑が執行されるとのこと。

フセイン氏は多くの罪を背負った。アメリカの影響力を受けているとはいえ、イラクの法廷で出た判決なので、内容については特に意見はない。一国の元首をつとめた以上、その結果について命をかける覚悟は出来ているはずだ。

しかしアメリカンデモクラシーが、イコール民主主義ではない。ましてやイラクでは、そもそも政治や国家に対する概念自体が異なっているのだ。

他国に対して、武力で押し付けたものが、健全な民主主義であるはずはない。今回のイラク"民主化"のプロセスを、今一度冷静に検討すべきだろう。

イランに対する圧力が国際社会で強まっている。悪質という意味では、北朝鮮の方がひどいと思うが、所詮は正義や平和ではなく、一部の大国の国益云々の行動でしかない。

さて日本はどうすべきだろうか。非核三原則すら見直しが言及されるようになってしまった。本当に新しい憲法をつくって大丈夫だろうか。

流行り廃りで右往左往する、政治家の底の浅さに不安はある。しかし今こそ国民総出で、新しい社会の姿を考えるときだろう。

かつての戦争を決して忘れず、そして現在の世界情勢に思いを馳せ、本当の平和憲法をつくっていきたい。


2006年12月25日(月) 議員宿舎について

昔は神奈川県議会にも、議員宿舎があったそうだ。箱根など遠方からやってくる議員のためだったそうだが、交通の発達で廃止になったと聞く。

現在、国会の赤坂議員宿舎が改装されることについて、多くの批判を浴びている。確かに批判を受けて内容変更になった最上階のラウンジなどは、そもそも設計する感覚がわからない。

また食堂などについても、実際使う議員が少ないことと、近隣に飲食店が多数あることを考えれば、経費を考えれば設置する必要はない。

私が秘書をしていた時代、国会から宿舎に行く専用バスが走っていた。自家用車使用が多いので、乗っている議員はゼロに近い。その後廃止されたと聞く。

しかし一方で、議員の仕事環境整備のため、しなければならないこともある。仕事場である議員事務所(議員会館)などそうだ。初めてこの部屋に入ったとき、その狭さに驚いた。国会議員として、十分な仕事が出来るスペースではない。

秘書制度もそうだ。公設秘書を選挙要員にしている議員の姿は情けないが、それでも国会議員で3人は少ないだろう。また地方議員にいたっては、秘書制度そのものがない。

必要な経費は存在する。しかしその使い道は宿舎ではないと思う。プライベートな住まいである宿舎は、ホテル代支給とかでもいいし、それなりの定価格マンションでいいと思う。


2006年12月24日(日) クリスマス街宣

クリスマスイブだが、昨日に続いて街宣活動を行った。特に変わったことをするわけではないが、人がたくさん出ている場所で演説とビラ配りをした。

相模大野の伊勢丹前は、相変わらず人通りが多い。ご存知の方から、多数お声がけ頂いた。「市内ではない。」とわざわざビラを断られる方もいる。外から人が来る場所。相模原にとって貴重な場所と思う。

その後近くの団地に移動した。数箇所演説をしながら、ビラをポスティングした。スピーカーから聞こえる音は、上の階にいくほど、反響して大きく響く。長く話すのはご迷惑なので、一箇所3分と決めて演説した。

帰りの道路は、とても混んでいる。びっしりだ。まあ今日くらいは仕方ない。久しぶりに、街全体がにぎやかになっているのを嬉しく思う。


2006年12月23日(土) ブラジルのマナウス

ブラジルのマナウスから、先輩が帰国した。他数名の先輩方と一緒に、有楽町でゆっくり食事をした。

マナウスまでは、片道約30時間、料金も20万円以上するそうだ。何故直行便がないのかと聞くと、現在のジャンボジェットの燃料タンクが、それしか入らないとのこと。

その先輩は、ホンダのエンジン部品をつくる会社につとめながら、学校卒業後ブラジルに定住している。「ブラジルで暮らしたい。」と、学生時代から言っていたので、ある意味夢をかなえたことになる。

ブラジルのバイクシェアは、80%がホンダだそうだ。他企業も含め、多くの日本人がマナウスにいて、先輩は現地が長いので、ブラジル人と日本人の架け橋的役割も果たしているらしい。

地球の丁度反対側だが、当然にインターネットは繋がっている。アドレス変更前は、私の�爛瓠璽襯縫紂璽広瓩鯑匹鵑任�れていた。NHKも見れるそうだ。

最近全く行ってないが、唯一と言っていい趣味は“旅”だ。マナウス、ピラミッド、シベリア、旧満州等など行きたいところは多数ある。

現実逃避ではなく、前向きに生きていく意味でも、いずれ必ず行ってみたい。


2006年12月22日(金) 政党に所属する悩み

拘束があるのは仕方ない。組織に入っている以上、時として意に沿わぬ場合もある。それは覚悟して入党した。

「民主党が不甲斐ない。」というご意見もそうだ。実際そう思われても仕方ない局面が多すぎる。甘んじて受け止め、党内改革に向かっていきたい。

二大政党になってから、主権者の政治家を見る目も変わった。選挙に向けて、日々活動を大きくするなかで、当然たくさんの方からご意見を頂く。

その半分以上が、民主党に対するものだ。地方議会の特徴もあって、個人と党のウェイトは、当然に個人の方が大きい。しかしご意見は政党関連・・・。

二大政党とはそういうものかもしれない。またテレビなどメディアの物量に、個人で太刀打ちできるはずもなく、すべてを背負っていく覚悟が必要だろう。

一方で、目に見える形で応援して下さっている支援者の方々はどうか。いわゆる後援会の皆様だ。民主党だから応援しているという方のほうが、圧倒的に少ない。これもまた確かな現実だ。

双方の調和をとって、それぞれの期待に応えうる政治家になりたいと思う。まだ35歳。来年4月は後がない勝負だが、必勝の体制で臨む。まだまだすべきことは多い。


2006年12月21日(木) 亡くなった先輩が語ること

万博中止の青島幸男さん、八墓村の岸田今日子さん、カンニング竹山の相棒である中島忠幸さん、多くの訃報をテレビは報道している。

そして今日の朝、ある訃報を目にした。今まだ昼だが、日記を書こうと思った。言い知れぬ悲しさ、そして感動・・。何と表現すればいいのだろうか。

亡くなったのは堀本崇さんだ。所要で横浜に行き、約束の時間まで間があったので、マックでコーヒーを飲んだ。その際近くのコンビニで買った新聞の“横浜版”に、『堀本崇さんあす偲ぶ会』とある。

亡くなったのは、先月10日のことらしい。場所はカンボジア。バイクの事故だ。39歳だった。

堀本崇さんは、明大雄弁部の2学年先輩だ。神奈川県に住まわれていたこともあり、何度か飲みながらサシで話をしたことがある。最後にお会いしたのは、十数年前だろうか。

その際先輩は、「ついにカンボジアに学校をつくることになった。これから現地へ行って最終調整する。」

私はまだ、学校を卒業したばかり。議員秘書に成り立ての頃だ。たった2年の先輩なのに、既に社会のなかで成果を出していることに憧れ、そして多くのことを教えてもらった。

記憶が正しければ、先輩がカンボジアを選んだのは、同国PKOの選挙管理官をやった経験からだ。アジアの発展途上国に、活動拠点を決めていたのだ。

さて新聞記事には、「多くの幼稚園、小中学校の改修、建設を手掛け、貧困子女のための職業訓練所、児童養護施設もつくった。」とある。また、「カンボジアで活動12年・・・」とも。

そうなのだ。先輩はあの時からずっとカンボジアで活動を続けていたのだ。亡くなったこともショックだ。しかし、その後消息を聞かなかったこともあり、この12年間の実績に涙の出る感動を覚えた。

更にこの先輩は、政治志望だった私に、忌憚ない意見をいつもぶつけてくれた。そのなかで、今でも忘れ得ぬ言葉がある。


寺崎「先輩は政治家になろうとは思わないのですか?」

堀本「それも手段かもしれない。しかし自分のやりたいのは、アジアの平和をつくることだ。発展途上国の貧困をなくしたいし、既に現地で子どもたちに向けた活動を始めている。そのためには政治家でない方がやり易いんだ。」


�狎�治家でないほうがいい�瓠�そう明言された先輩が、とても印象的だった。今思えば、こういう人こそ政治家になるべきなのだろう。

「自己顕示、名誉、権力には関心がなく、純粋な志の実現だけを考えていた。」同じ新聞に載っていた、ご友人の哀悼の言葉だ。

省みて自分。それなりに懸命に走ってきた12年間、果たして何を為したのだろうか・・・。

現在、選挙のみを考え、それが手段であることを忘れてはいないか。政治家でなく、選挙屋になってはいないだろうか。

自分が小さく思えた。3ヶ月後に立候補する資格が、本当にあるのだろうか。朝からずっと自分に問いかけている。

今日偶然目にしたこの訃報。既に亡くなっている先輩が、何かを私に語りかけている気がした。

ご冥福をお祈り申し上げます。


2006年12月20日(水) 議員も多選は禁止すべき

首長の多選は弊害が多い。最近おこった全国の汚職や談合事件を見るまでもなく、以前から言われていたことだ。

神奈川県議会で、知事提案の多選禁止条例が否決された。反対の人は、色々な理由を言っていたが、潜在的に自らを省みている議員も多いと感じる。

政治における多選の弊害は、何も首長だけではない。確かに首長は議員より権限は大きいが、それは程度の差であり、今こそ議員の多選についても考えるべきだろう。

首長は3期12年までと相場が決まってきた。では議員は何年だろうか。議論すらされていないので、判断は難しいが、実感としては5期20年が限度かもしれない。

何期やっても立派な議員がいることは、多選禁止の理由にはならない。多選禁止はあくまで原則であって、今回の条例も強制力のない指針に過ぎない。

特に地方議会の選挙は、現職議員が強い。多くの選挙を見ても、その傾向は間違いない。その現実も踏まえて、新陳代謝を図ることも必要だろう。

政治家のあり方として、今後のテーマにしていきたい。


2006年12月19日(火) 西東京市議選応援

西東京市議選の応援に行った。明大の2学年後輩だ。現職で2期目の挑戦をしている。所属は同じ民主党。

橋本→八王子→西国分寺→秋津→ひばりが丘、長い行程で約1時間半もかかる。

そこから徒歩10分くらい行くと選挙事務所だ。途中他陣営の事務所前も通過したが、総じて静かな感じだ。盛り上がっているかどうかは、異邦人にはわからないが、市議選とは元来こういうものかもしれない。

選挙告示日には既に勝敗が決していて、1週間の期間はあくまでその最終確認なのだ。応援した候補も、着々と選挙を進めているように見えた。

朝9時から午後3時半まで、候補者の街宣車に乗り、いわゆるカラスをした。久しぶりだったが、自分の駅頭を毎日やっているせいか、すぐに慣れた。

この地域は中選挙区時代、菅直人氏の地盤だった。現在は、私の決起大会にも来て頂いた末松義規氏が、4期目の代議士をしている。

投票日はクリスマスイブの24日。公職選挙法の規定で名前が書けないのが残念だが、知人への声がけなど、相模原から出来る応援を、しっかりしていきたい。


2006年12月18日(月) 青年会議所打ち上げ

青年会議所の打ち上げ(忘年会)があった。慣例で委員会ごとに行う。本年度所属した会員拡大委員会メンバーで、一年間の労をねぎらい合い楽しい時間を過ごした。

仕事を通じても分かり合える友人を探すべく、入会してからもうすぐ10年になる。互いに社会人なので、正直楽しい思い出ばかりではないが、ほとんどが為になる経験だった。また友情を実感する機会も得た。

40歳定年なので、あと5年しかない。現在は仕事がままならないので、なかなか活動も出来ない状況だ。しかしまだJCでやりたいこともあるので、来年の選挙以降結果を出して、今一度積極的に活動してみたい。

来年度は地域主権を考える委員会に所属する。政策系と呼ばれる活動だが、仕事柄皆んなの役に立たなければいけないと思っている。頑張りたい。


てらさき雄介 |MAIL |HomePage