てらさき雄介の日記
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2006年06月18日(日) 頑張れ日本、韓国 inソウル

消防団の旅行で、昨日から韓国に来ている。昨日の結婚披露宴終了後、夜便で、羽田発金浦行きにギリギリ飛び乗った。

皆は昼間に着いていたので、地下鉄に乗り、ひとりでホテルに向かった。到着すると深夜だったので、皆に付き合ってもらい、外で簡単に夜食のみ食べて寝た。

さて今日は、日本から予約したガイド(兼タクシー運転手)が同行し、一日市内観光をしたが、どちらかと言うと食い倒れツアーだ。

昼は海鮮、夜は豚肉を食べたが、値段が安くてなお且つウマイ!途中世界遺産の昌徳宮にも寄った。

しかし何と言っても、丁度ワールドカップ中。夜の焼肉屋さんは、幸い私たちしか客がいなかったので、夜10時になると、テレビを日本戦にあわせてくれた。

日本戦のみでなく、ほとんどの試合いを中継しているそうだ。結果は残念だった。さてサッカーと言えば、韓国の�爛譽奪疋妊咼覘瓩澄F�に鬼の角をつけた人や、赤いTシャツを着た人が大勢徘徊している。

私はホテルに帰り寝てしまったが、他数人は、韓国戦を巨大スクリーンで中継しているソウル市庁舎前に出かけた。人手と熱気で凄かったそうだ。

日本では、サッカーと野球、どちらが人気があるか、やはりまだ野球だろう。しかし韓国では、皆サッカーと答えた。

韓国も残念だったが、1試合取っているので、次回に期待しているらしい。日本もまだ可能性はある。前回の野球WBCの例もあるので、最後まで望みを捨ててはいけない。

飯を食いながら、たまたまガイドと政治の話になった。現在の盧武鉉大統領は、過去最低の人気だそうだ。この前の統一地方選挙で、与党が惨敗したことは日本の記事にもあったが、現在でも支持率は低下中らしい。

大統領は、1期しか在任が認められないので、ある意味次の選挙は考えなくていいわけだが、このままでは野党に政権がわたるとのこと。

テレビも、町並みも、服装も、良い意味でも悪い意味でも、日本により似てきた。しかし置かれている国の状況は、緊張感に包まれているのだろう。

テレビでは、ヘギョンちゃんの父親である、金さんのニュースが多く出ていた。日本で言われているより、拉致問題にも関心があるようだ。

2泊3日(しかも出発夜便)という、過去最短期間の海外旅行だが、行った以上は、様々なものを吸収していきたい。


2006年06月17日(土) 結婚披露宴、感無量でした

支援者の結婚披露宴があった。先輩でもあり、友人でもある。素晴らしい人柄で皆から好かれている方で、今日も多くのメンバーで新しい第一歩を祝った。

過去、この方の一言一言で救われたことが何度かある。窮地なほど、覚えているものだ。また今日も浪人の私にスピーチ時間を頂いた。

事前に「選挙区の人間がたくさんいるから、どんどん宣伝していいよ。」と言っていただいたが、今までの感謝の気持ちを正直に話したつもりだ。

二世でない私には最初からの支援者はおらず、ひとりひとりと、出会いから今日に至る多くの思い出がある。これこそ政治活動に邁進できる、財産であり原動力でもある。

狭い地域で暮らしていれば、色々なことがある。しかしまだ34歳。これからもたくさんの方と出会えるよう、多くの活動をしていきたい。


2006年06月16日(金) 町田市での政権交代

友人の若林章喜町田市議に相談ごとがあり、町田市議会を訪問した。久しぶりだ。丁度議会開催中で、ドタバタしていた。

色々な話すなかで、新市長についても話題になった。町田市は、今年2月に長くつとめた前市長が引退し、横浜市職員出身の新市長となった。

総じて、良い市長と評判とのこと。更に印象的だったコメントは、市長が代わる、つまり政権交代をした意義が大きいということ。

新市長独自の政策は無論、過去わかっていても変えられなかった部分が、首長が交代することによって、名目ともに変化しているそうだ。

最近津久井との合併がらみで、町田市の情報収集がおろそかになっていたので、今日は貴重な話が聞けた。

別の話でもうひとつ。控え室で話していたら、同じく友人の友井和彦市議が入ってきた。自ら提出した議案について、委員会で答弁してきたばかりとのこと。視察の際の日当を廃止する条例だ。

結果採決に至らず、継続審議になったそうだが、議員が条例案を提出し、それについて議員同士でやり取りがあるのは羨ましい。いや、それが当然か。では、それが出来てない議会は一体・・・。


2006年06月15日(木) 世界が100人の村だったら

「世界がもし100人の村だったら」の作者、池田香代子さんの講演会を、相模原青年会議所の主催で行なった。

多くの国々で子どもたちが、戦争や貧困に巻き込まれている現状がある。同じ地球に生きる者として、互いにイメージし合うことは大切だ。

日本人が他の国に比べて、必ずしも幸せかと言えば、そんなことはない。いや、そもそも比較が成り立たないのだろう。それぞれ皆んな、一生懸命生きている。

政治とは、まさに公共の福祉のため存在する。一人で出来ることは、個人で自由にやった方がいい。しかし大勢でなくては出来ないことは、政治が担うしかない。

池田さんは、他反戦運動にも熱心だ。よく戦争という行為を、人間の闘争本能と結びつける見解があるが、それを否定し、戦争が生み出される過程を明らかにしている。私も同感だ。

一方で、「憲法9条を世界に」的な平和論では、現実に平和を生み出すことは出来ない。何故ならかつて日本がそうだったように、戦争の悲惨さは、それを遂行している人々が一番知っているのだ。

戦争は、偶然や、抽象的な要因では起こらない。だからこそ、その原因を追求していけば、戦争を根絶することは可能なのだ。

もちろん池田さんが、作家として、平和運動に取り組まれることは貴重だ。しかし政治家には、違うアプローチの仕方もある。双方が相まって、初めて良い結果が出るだろう。









2006年06月14日(水) 決起大会開催決定

「てらさき雄介を県政に送る決起大会」を開催して頂くことになった。今日の後援会役員会での決定だ。

日時 9月9日(土)午後2時〜
場所 けやき会館 大樹の間
会費 2000円(飲食代実費分)
主催 てらさき雄介後援会

多くの方に参加頂くべく、今日からお願いを開始する。また支援者の皆様からの、大きなお声がけに期待もしている。

私本人としての最大の使命は、「何故てらさき雄介でなくてはならないのか」を、当日参加頂いた方にご理解頂くことだ。

3年間温めてきた多くの政策のなかから、来年の県議選で訴えるポイントについて、当日は工夫を凝らして発表していきたい。






2006年06月13日(火) 党総支部代表の辞任について

本日、党総支部常任幹事会が開催され、代表である宮崎雄一郎氏の辞任が報告された。

6月9日付けで、本人から県連に対して辞表が提出され、昨日県連が本部に届け出たとのこと。

藤井先生引退後、後継者が宮崎氏に至る経緯には、多くの議論があった。しかしながら、結果決まったことについては従い、皆で一丸となって活動を始める、まさに矢先の出来事だった。

自分自身納得できないが、本人の意向による辞職であるから、これ以上何を言っても致し方ない部分もある。

私と党の支持者に対して、多くの主権者の皆様に対して、申し訳ない気持ちで一杯だ。心よりお詫び申し上げる。

さて今後についてだ。次期代表者(衆議院候補)については、出来るだけ早く決定しなければならないが、状況を総合的に考えると、早くても秋、遅くなると来年以降と推察される。

しかしながら、過日宮崎前代表の元で開催された、党支部大会においては、「来年の統一地方選挙に向けて、支部として選対を設置する。」ことが確認されている。また参議院選挙もあるし、今年10月には、相模原市の一部と津久井郡を含む神奈川16区で衆議院補選も行なわれる。

党のルール上、代表者(衆議院候補)のいない支部は、存在自体が認められないことになっているが、そんなことも言ってられない。残された意思のある者で、暫定でも活動の出来る基盤をつくっていくしかない。

昨日の「日記」ではないが、ナチスの党運営は、よく政党論を考えるとき一例にされる。今の民主党はどうだろうか。

政策の柱に地方分権を掲げながら、その組織形態がそうなっているだろうか。共産党のような民主集中制に近づくことは、確かに統制力は強くなるかもしれないが、民主主義政党として根本的な余りを内包してしまう。

今は、これ以上は言うまい。自民党に代わる、もう一つの核をつくることは、私の政治家としてのライフワークだ。いささか時間がかかりそうだ。あと10年か、20年か、それでも頑張る!



2006年06月12日(月) アウシュヴィッツ

��ヒトラー最期の12日間�瓩鬘庁孱弔埜�た。ドイツ映画だ。そう言えば、歴史映画などでも、ヒトラーは余り登場しない。

この映画でも、演じた俳優は、「演じて良いのか迷った」とコメントしていた。存在自体が、タブーなのかもしれない。この物語の語り部も、ヒトラーを全面否定するナレーションだ。

かつて、学生時代最後の旅は東欧に行った。政治家を目指すキッカケともなった、東欧革命の現地が見たかったことと、もうひとつある場所に行きたかったからだ。

そこはアウシュヴィッツだ。ポーランドのクラクフから数十キロの所にある。そこで見たものは、人生のなかでの、かなりの衝撃だったのは間違いない。

よく、怖い夢を見て、途中でハッと起きることがある。いまだにそのシーンで、アウシュヴィッツが出てくることがある。深層に残るインパクトを与えられたのだろう。

ルーマニアのブカレストから、クラクフに向けて列車に乗った。途中別の国を通過するが、確か丸1日位で着いた記憶がある。2月だったので、当然寒く、朝方の木などは凍り付いていた。

クラクフに着くと、白タクおじさんが声をかけてきた。英語でないので何を言っているかわからないが、確かに「アウシュヴィッツ」と言っている。

50ドル支払ったのを覚えているが、そのままその白タクで連れてってもらった。1時間くらいだろうか。全く通じない言葉同士で会話をしながら、郊外へと走っていった。

到着した。原野のなかに風化した昔の施設があるという感じだ。言われなければ、工場跡か、大きな大学の跡地と言った感じだ。

以下をクリックし、HPを見ていただきたい。
アウシュヴィッツ収容所

ここには、見学者らしき人が大勢写っている。しかし私のときは誰もいなかった。(正確には後から、中でほんの数人見かけた。)リメイク版の白い巨塔で、唐沢寿明がアウシュヴィッツへ行き、ひとりたたずんでいるシーンがあるが、まさにあんな感じだ。

白タクおじさんは外で待っているので、誰もいない敷地内を、ただ一人歩いた。多くの建物のなかには、多くの展示物があった。ライトも暗いので、入って展示物にびっくりすることもある。

ある建物では、義足と毛髪があった。ガス室で虐殺する前に、義足を付けている人は外されるのだ。それが大きなガラス箱(水族館の大きな水槽くらい)に無造作に積んである。毛髪については、同じく事前に刈り取られ、布などをつくるのに使われるのだ。

日本の博物館のように、過大な解説や作り物はない。当時の‘遺品’が、ただ置いてあるだけだ。それ故迫るものがある。地下のガス室に至っては、長居は出来なかった。今でも庭を掘ると、人骨がたくさん出てくるとのこと。

アウシュヴィッツの隣には、ビルケナウという、より大規模な収容所があった。ここは撤退時に、ドイツ軍が破壊していったので、残骸しかない。しかしユダヤ人を運んできた、列車の引込み線は今でも残っている。

ヒトラーが、独裁者としての天才であったことは、事実だろう。しかしそれ以上に、ナチスという政党のあり方が、結果悲劇を生んだと思う。理念と組織形態が、悪いほうに連結してしまったのだ。

ナチスの指導者は、多くが敗戦で自殺するか、あるいは逮捕後処刑されている。加害者の側から、当時を語れる人は少ない。だからこそ、多少でも見聞きする機会のあった者が、それが過ちであったことを伝えなくてはなるまい。

ナチスドイツと、大日本帝国は、いわゆる共同戦線を張るには至らなかった。しかし同盟国であったという事実が、かの戦争の日本の誤りを世界に証明してしまっている。外交の、後世に与える影響が大きいことを、今の政府も認識すべきだ。

ある司祭の話だ。「ナチスが、共産党を弾圧したとき、何もしなかった。次に社会党を弾圧したときも、何もしなかった。ユダヤ人を弾圧したときも、何もしなかった。そして教会の弾圧が始まった。抵抗したが、この時はもう遅かった。」

陰に陽に様々な規制が強まる現在、政治家は党派こえて、言論の自由を守るための行動しなくてはなるまい。










2006年06月11日(日) 大野伊勢丹前

この場所は、本当に人通りが多い。相模原市内はベットタウンの特性か、人が多く集まる場所が少ない。いわゆる大規模な街頭演説が出来にくい。

もちろん人気(ひとけ)がなさそうな場所や、また住宅街のなかなどでも聞いて下さる方はいるし、そちらの方が大事という考え方もある。

今日は今月唯一の、街頭ビラ配りを行なった。多くの支援者の方に来て頂いた。治安と、基地と、社会保障について、考え方を述べた。

県政と市政と国政には、役割分担が当然にある。しかし主権者の立場では、それはあくまで政治の世界の中での話し。「どこでもいいから、しっかりやってくれ。」が本音のはずだ。

ボーダレスとは、よく言ったものだ。あらゆる分野に�猜畢瓩�無くなっている。基地の問題など典型だが、全てに関係し、かつ全てで一致しないとうまくいかない。

県政は、その中間という意味で重要だ。中二階と揶揄されるが、その立場は逆に有効利用できる。

しかし演説は難しい。平成9年1月に、初めて上溝駅に立ったときから、あまり向上している気がしない。

しかし自己満足こそ貴重なカラオケと、相手にメッセージが伝わって何ぼの演説とは、明確に違うものがある。技巧ではなく、しっかり伝えるためのプロの技術は必要だ。

幸い連日のように街頭演説しているので、内容についても進化できるように、もっと頑張りたい。



2006年06月10日(土) 愛国心と愛校心

母校明八の卒業生の会「戸富貴会」の総会があった。2期6年つとめた会長職を辞任し(正確には次期に立候補しなかった)、一委員として今後は運営に携わることになった。

年に数度母校に行くと、愛校心について考える。また言うまでもなく、故郷相模原を仕事場にしていると、愛郷心についても日々考える。

夜は、ある異業種交流会に参加し、偶然にも教育基本法の改正の話になった。元来の主張を述べたが、ここでは愛国心についてだ。

�牋Ν瓩箸亙�雑な感情だ。綺麗とか、痛いとか、あるいは好きという感情とはちょっと違う。

よく、「相模原市の旧い政治風土を変えたい」と訴えると、「相模原市が好きではないの?」と聞かれる。愛郷心とは、マイナスの要因も含めた気持ちだ。愛しているからこそ、変えなくてはならない。








2006年06月09日(金) またしても訃報

今朝、学生時代の友人から携帯メールがあり、元明大学長岡野加穂留氏のご逝去が伝えれらた。

明大雄弁部OBでもあり、顧問(部長)を長くつとめられ、つい先年定年に伴い引退されたばかりだ。ラブビー部長もされていたので、そちらの方が有名だったが、部会の際などはご出席頂いたものだ。

講義も履修した覚えがあるが、「民主主義とデモクラシーは違う。」との見解を言われていた。日本の民主主義が、欧米デモクラシーの域に達していないとの批判からだった。

また比較政治が専門だったので、日本の政治を客観的に見た評論が多い。明治に強い思い入れがあり、OBでもある三木武夫氏や村山富一氏の指摘アドバイザーもやっていた。

初めて市議選に出るとき、郵送で失礼だと思ったが、文書で立候補をお知らせしたところ、直筆の格言をわざわざ頂いた。

ご冥福を心よりお祈り申し上げる。




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