てらさき雄介の日記
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ご支援いただいている皆さんの宴会があった。相模原にお住まいの方ばかりだが、縁あり町田市木曽町にあるレストランで行われた。
宴会中店内をふと見渡すと、カウンターにお顔を知ったいる方がいる。衆議院選挙の際にお見かけしている。先方も私に気づきご挨拶のみさせて頂いた。
こういう偶然は貴重な機会だが、一方で因果な仕事柄とも思う。幸い‘プライベート’という感覚自体がないので、私は気にもしないが、ローカル政治家でもこうなのだから、テレビに出ている芸能人などはさぞかしと同情もする。
またどこでも注目を集めることが好きでないと、選挙などには出られないのかもしれない。人前に出ることがそんなに好きでない(本当)性格は、改善すべきことかもしれない。
この仕事を一生と考えるならば。そしてプロで生きていくためには。
市議会本会議を傍聴した。民主クラブを代表しての長友克洋議員の総括質疑だ。答弁は療養中の市長に代わり、大部分を助役が務めていた。
予算や多くの条例が提案される3月議会なので、間近に迫った合併も含めて重要な課題についてのやり取りがあった。
特に旧町の精算金についての質疑では、答弁から市としても不満があることが滲み出ていた。津久井町と相模湖町の抱えている負債を背負うのは覚悟しての合併だが、一方で旧町の過去の行政改革が不十分だった点も事実だ。
さて日本の議会は大概が「通告」制度を採っており、事前に答弁書が出来上がっている。答弁者はそれを読むのだ。特に相模原の「通告」は詳細について行われ、「通告」外の話をすること自体否定する議員も少なくない。
しかしテレビで見る総理大臣はどうだろうか。予算委員会などでは原稿なしで質問者と真剣勝負をしている。市議会や県議会で出来ないはずはない。そろそろ「通告」制度を見直すべきだ。
そうすれば今日もほとんど居なかった、一般傍聴者の数も増えると思う。
| 2006年02月16日(木) |
新しい憲法について�仝饗� |
憲法改正の議論が行われている。積極的に参加していきたい。「護憲」か「改憲」かと問われれば、私は「改憲」論者だ。
自ら理想の社会を求めている政治家が、その規範である憲法を自ら作り出そうと考えるのは自然なことだ。また政治家であるならば、それぞれの中に新しい憲法草案がなくてはならない。
残念ながら新しい憲法について、全ての部分で考え方がまとまっているわけではない。しかしながら最近段々と、自分のなかでカタチになりつつある。
それを今後数回にわたり発表していきたい。条文としてまとまっているものもあれば、そうでないものもある。いまだ経過と捉えていただければ幸いだ。
新しい日本国憲法の基本をどこに置くか。現在は「平和主義」「主権在民」「基本的人権の尊重」の3つだと言われている。これらを単に継続することはすべきではない
〔てらさき雄介の新しい憲法〕
○原則 1、民主主義の実現 2、世界平和の実現 3、環境共生社会の実現 4、地域主権国家の実現
以上だ。4つという数字は縁起が悪いかもしれないが、結果そうなった。今後この原則に基づき、詳細についても考え方を列挙していきたい。
政治の世界に限らず情報化社会では、様々な情報や噂が飛び交う。それも人から聞いた話をまた人に伝えるのだ。人に伝えるときは誰でも最もらしく言うので、大概は真実味を帯びながら伝達される
しかし情報というものは伝わる間に、1人でも誰か挟んだだけで違ったニュアンスになる。そして2人挟んでしまった時には、全く違う話になっていたりする。
難しいものだ。情報を伝える人間が善意か悪意かに関わらず、曲解して行ってしまうのだ。
では全ての噂や情報が誤りかというと、実は人の噂とは意外と当たっていたりする。また人様との会話なくして人間関係も培えないので、信じる心も必要だ。
そんな中心がけていることは、安易なことを人に伝えないことだ。逆に腹黒いとか、何を考えているかわからないとも言われる時もあるが、ペラペラしゃべるよりはいいと思う。
政治家の中には情報操作を武器にする方もいる。それ全てを否定はしないが、少なくとも悪意のある伝え方は遠慮してもらいたい。
城山町である方と話をしていたら、現在行なわれている町長のリコールが話題になった。公職選挙法に準ずる扱いを受けるようで、買収や戸別訪問禁止なども適用されるらしい。
相模原と城山の30分くらいの往復にも、数回関連の街宣車とすれ違う。こちらは通常の選挙とは異なり、特に台数制限はないとのこと。
投票は○か×の下の空欄に現町長の名前を書き入れる方式らしい。「○小林正明」「×小林正明」といった感じだ。ちなにみリコールに賛成の町民が○なので、信任したい方は×の方になる。解りにくいかもしれない。
またどちらにしろ、皆んな町長の名前を書く点も驚きだ。町長の名前の上に○か×を書くほうが簡易と思うが、法律の規定なので如何ともし難いらしい。
さてこのリコール投票が今度の日曜日19日、そして翌週26日には同じ城山町で合併の是非を問う住民投票が行なわれる。こちらの方は投票率が50%を下回ると無効になり、開票自体行なわないとのこと。
城山町は合併賛成の町民が多いことで知られているが、賛成派からはこの50%を越えられるかが‘山’との声も聞かれる。
さて相模原市の合併もいよいよ来月になった。しかしながら行政や議会関係者以外で、余りその話をする人は巷にはいない。本当に静かだ。市役所の「新市云々」の横断幕が寂しく見える。
その点城山をはじめとする各町は、多くの苦労をしながら議論してきた経過がある。1市4町による新市が出来た後、このことが差となって現れてくる気がする。
市議時代に地方視察へ行ったとき、初めて花粉症の症状が出た。東北地方の某市だった。
それ以降年々ひどくなり続けたが、昨年はそうでもなかった。免疫がついたのだろうか。
そして今日、今年初の症状が出た。朝から鼻がムズムズし、目も少し変だ。今シーズンの行く末を考えると気が重い。
何故こんなことになったのだろうか。人によっては贅沢病の一部とも言い、一方地球環境の悪化が原因とも言われる。
少なくとも人間が生きていることと、周辺の自然環境がミスマッチを起こしていることは確かだ。
体質‘改善’は気の長い話だ。何か抜本対策がないかと思ってしまう。安易かもしれないが。
県議会2月定例会で、県議選の定数改定が行なわれるらしい。神奈川新聞の記事で知った。
各選挙区の定数を人口比例で改定することは、県議会では四年に一度必ず行なっている。しかし通常は県議選が実施されるギリギリに行なわれるので、本来ならばいまだその時期ではない。
しかし3月20日に相模原市と津久井郡の一部が合併すれば、そこについての決め事をしておかなければならず、併せて他の選挙区も改定してしまうらしい。事後に送るよりも責任ある対応と言える。
さて有力な案は4増4減らしい。人口の増えた選挙区4つについて定数を1ずつ増やし、人口の減った地域4つを1ずつ減らすというもの。相模原市は相変わらず人口が増加しているが、相対的には議員定数を減らすことになるそうだ。
加えて来月の市町合併によって、既存の津久井選挙区(定数1)と合区するかも決めなくてはならない。
幾人かの県議に話を聞いたところ、相模原市選挙区(定数8)と津久井郡選挙区(定数1)を合区し、そこから定数を1減らし、結果相模原・津久井選挙区で定数8というのが落とし所らしい。
津久井選出の県議が有力者であることを考えると、実質定数が1減と言える厳しい内容だ。私にとっても重大な問題である。
しかしながら、こればっかりは人口比例なので致し方ないし、市町が合併しといて別選挙区というのも論理矛盾だ。決まった枠内で堂々と選挙戦を行なうしかない。
| 2006年02月11日(土) |
選挙でのハマスの勝利 |
パレスチナ自治政府で選挙が行なわれた。結果ハマスが第一党になった。アメリカはじめ欧米の一部は反発を強め、経済的支援の打ち切りまで取り沙汰されている。
しかしながら今回の結果は「選挙」によるものだ。ここをしっかりを踏まえなければならない。国際社会で“民主化”プロセスと呼ぶのは、この「選挙」をすることであって、その結果について介入することはあってはならない。
ハマスが勝利した理由について評論家などの意見を総合すると、PLOの長期政権に人々が飽きたということらしい。選挙とは複数の要素によって結果が導き出される。今回のことも短絡的に捉えずに、しばらくはハマス政権の様子見をする必要があろう。
スピルバーグの新作に「ミュンヘン」がある。暗く悲しい物語だ。最後に報復の連鎖を、主人公が否定したことが救いだ。「シンドラーのリスト」でスピルバーグは自らユダヤ人であることが、この作品を創らせたと言っていた。日本にはユダヤ系が少ないため解りにくい感覚でもある。
パレスチナは日本人からは遠く感じられる。22歳のときエルサレムに行ったとき、どの人がユダヤ人でどの人がアラブ人かの区別はできなかった。この聖地でさえ、線や壁で双方が仕切られているわけではない。
現在世界平和を阻害している主要因のひとつが、このイスラエルとパレスチナの紛争だ。ここを収めることは世界に良い影響を及ぼす。国連常任理事国はこの地でも代理戦争を展開するが、日本は幸いイスラエル建国に携わっていない。大きなチャンスがここにある。
小泉総理はハマス勝利の選挙結果について、相変わらずの対米追従コメントを出した。日本政府はかつて東京会議などを主催し、独自の立場で中東和平に貢献してきたことを忘れないで欲しい。
| 2006年02月10日(金) |
中田市長の再選出馬と議会 |
中田宏横浜市長が3月末の市長選挙に、再選を目指して挑戦することを表明した。規定のことなので当然との受け止め方が大勢だったが、むしろ表明に至る経過と手法が注目されていた。
全国の多くの市長は市議会で議員の質問に答えるというカタチで、再出馬表明をすることが多い。相模原市長も過去2回そうしてきた。
ただし中田市長は前回の市長選挙で、現職の全党相乗り市長に対抗し立候補した経緯がある。故に当選したという見方もある。故に表明の際は、別の手法を採るのではと期待もしていた
このことは市政の優劣を測る指標にはならないが、市長と議会・政党の関係を点検する上では大きな要素だ。
中田市長は議会との円満な関係を志向しているのだ。市長として行政運営を進める時、「車の両輪」という意味ではその方が良いのも理解はできる。
しかしながら地方議会のオール与党体制がもたらしてきた弊害は大きい。中田市長もそれを打ち破ったところに前回選挙での勝利と、その後の各種改革があったのだ。
さて当時は反目だった議員の多くが、現在中田支持を打ち出していることは、この世界では珍しいことではない。その逞しさ面の皮の厚さは、皮肉でなくさすがとも言える。
いまだに知事と議会の抗争が収まらない県議会と比較して、横浜の方が“大人だ”と言う人も少なくない。
しかしながら知事と議会は「車の両輪」であると同時に「相互監視機関」である。二元代表制の価値はここにある。特に議会は常に野党的な目で、執行機関である行政を見つめなければならない。
今回のことは筋からすれば、市長たる中田氏に言うべきことでない。あり方として不正常でもないし、間違っているとも言えない。
しかし些か拍子抜けしたのも事実だ。中田氏は過去日本に例がないニュースタイルなので、今後この先に私の想像していない姿が待っていると期待するしかない。
横浜事件の再審が免訴となった。当然原告は控訴するらしい。拍子抜けの判決だ。
裁判所の出した結論には、一部理解できる点もある。治安維持法の廃止は明確な免訴理由になる。しかしでは再審決定は何の意味があったのか。裁判所や管轄の違いだけでなく、司法全体としての判断としては疑問が残る。
また免訴理由のなかの‘言い訳’もよくわからない。「免訴自体が被告の名誉回復の妨げとはならない」という趣旨だ。確かに別の手段で名誉回復は可能だが、それでは根本的解決にならないからこそ再審請求をしたわけだ。
更には被告に対する当時の裁判が不当であったことは、この‘言い訳’からも滲み出ている。ならば無罪をと思うところだが、やはり裁判において先例を越えることは容易ではない。
検察官の姿勢も残念だ。何も免訴を主張し、当時の特高の方を持つ必要はない。戦後の警察(検察)機構は対国内には、既に別の概念による別組織なのだから、黙って見てもよかったのではないか。ここにも如何わしさを感じた。
この裁判に関心があったのは、言論の自由を保障することを、国が時代を越えてどう考えているかだ。結果そこまでの考慮はされなかったが、控訴審についても注視していきたい。
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