てらさき雄介の日記
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1週間にわたった堺市長選挙の手伝いも、本日で終了しました。マイク納めは街頭演説もかねて、南海鉄道「堺駅」で行いました。ずっとベタで入っていたので、最後はやはりジーンときます。
このマイク納め演説会で、最後の応援演説をしました。以下その内容です。この日記を書いている現在、いまだ期間中のため候補者名は書けません。ご理解ください。
「私は1週間にわたり候補者宅に泊まり選挙を手伝った。その間数百カ所のスポットで言っていたことは、まさに自分の活動を休止してまで堺にやってきた理由とイコールである。
�,弔蓮∋笋燭疏衞聾胸毀韻浪甬遒里泙舛鼎�りにおいて堺市をモデルにしてきた。中核市指定の際、保健所設置の際などである。
そして政令市を今後政令市を目指すにあたっても、おそらく堺市はモデルになるであろう。だからこそ私のふるさと相模原がモデルにしている堺市は、政令市に相応しい市長選挙をしてほしかった。
堺市民がもういらないと言った大阪府から、官僚を市長として天下りさせるのは、政令市の意義をないがしろにすることだ。
�△弔蓮�現職の事務所には、各政党と数百に及ぶ各種団体の推薦状が並んでいる。私は民主党員として2週間前まで衆議院選挙を戦っていた。民主党は自民党と戦い、自民党もまた民主党と戦っていた。その余韻も醒めやらぬこの堺市長選挙で、どうして相乗りができるのか。理解できない。
各種団体の推薦の多くも、候補者が現職というだけで推薦し、決して対立候補との比較検討は行わない。
まちづくりに携わる多くの組織団体による“惰性”と“馴れ合い”を打破することが、私たち若くして政治をやっている人間の共通の目標だ。
��つは、候補者と私は明大雄弁部で同じ釜の飯を食った。神田駿河台で酒を飲みながら、政治について、互いの将来について何度も話した。
政治を志望する人間のほどんどは‘国政'志望だった。かくいう私もそうだった。しかし候補者だけは違った。
かれは当時から「自分の目指す政治とは、生まれ育ったふるさと堺のまちづくりだ。それを行う市長になりたい。」と言っていた。
その言葉を私は覚えていたから、堺に来て今ここで候補者の支援をお願いしているのだ。」
色々感じることのあった1週間でした。彼が府議の職を投げ打って立候補した意味は大きかったと思います。
結果はもはや待つしかありませんが、オール与党対共産党という構図に飽き飽きしている多くの市民に対して、感動と選択肢を与えられたと確信します。
本当の意味で戦っている政治家の演説は、本当に美しく見えるものです。後輩ながらあっぱれでした!
さて最終日の夜なので、候補者宅に泊まるのも迷惑かと思いビジネスホテルにしました。
明日の出発も考えて、堺ではなく‘なんば’にしました。「ミナミの帝王」のまさにその場所。以前も何度か来たことがありますが、繁華街としては日本一の規模でしょう。
今回学んだことを活かして、明日からは自分の活動に邁進いたします。
ありがとう堺!
堺6日目です。今日の朝立は、泉北高速鉄道の「泉ヶ丘」駅です。
駅が28もある堺市では(相模原は15)、選挙期間中にその一部しか候補者は立てません。乗降客数の多い順に計画しています。
6時前に到着すると、二十人ほどの行列が出来ています。朝早くから一体何事でしょうか。更に数分たつうちに、列は五十人くらいに膨れ上がります。
行列の先頭は何と駅の売店。この現象が何であるか、人に聞いてしまうのもつまらないので、ビラを配りながら少し考えてみました。
すると閃きました。そしてそれが正解だったのです。行列は・・・何と。
阪神タイガースの優勝記事が載っている新聞を、全紙買いたくて並んでいたのです。
個々で配達される新聞は大体一紙から二紙でしょうし、コンビニ売ってるのも数紙に限られています。
だから駅までわざわざ買いに来るのです、売店がまだ開店してなかったため行列になっていたのです。
売店もしっかり準備していたようで、「阪神優勝記念」のビニール袋も一緒にお客に渡しています。行列の整理係も配置しています。
プロ野球球団が地域に密着していることと、ファンが熱烈なことに改めて感心しました。
いよいよ明日が堺市長選最終日です。あさって日曜日に帰相します。
| 2005年09月29日(木) |
関西弁「さかいひがし」 |
堺5日目です。顔見知りの地方議員も全国から応援に来るなか、Tシャツ姿で運動しています。
朝立ちは、南海鉄道「堺東駅」です。「堺東駅ご利用の皆様!」というフレーズの「さかいひがし」の発音が、どうもご当地と私では違うようです。
「発音違うやん!」と突っ込みを受けてしまいました。
早速候補者をまねて練習した結果、何とか周りに理解頂ける発音になりました。
関東の「さかいひがし」について説明する必要もありませんが、関西の「さかい」は関東で言うところの「境」と同じ発音です。
「さかいひがし」も「境東」と読む感じです。
もうひとつ発見です。応援に来ている関西の地方議員などの演説を聞くと、マイクを通すと関西弁でなくなる方が多いです。
逆に関西弁の演説は、キツく聞こえます。今回はチャレンジャーなので、その方がしっくりもきます。
今日34歳になりました。相模原で政治活動を始めて9年になります。初心を忘れず、これからも頑張ります。
| 2005年09月28日(水) |
仁徳天皇陵の横で街宣 |
堺市4日目です。朝立ちは始発から行っています。今朝は南海鉄道「三国ヶ丘駅」でした。駅前に広がる“森”は、なんと仁徳天皇陵です。
航空写真は見たことがありますが、実物は初めてです。
世界最大の墳墓であり、堺市では他の古墳群とあわせて、世界遺産への申請を考えている人もいます。
日中再びこの近辺に戻り、街宣車で近隣を流しました。近くには少し小さい(と言っても大きい)天皇陵が2つあります。すべて前方後円墳です。
いくらお金を出しても買えない財産があることは、羨ましい限りです。
世界遺産と選挙運動・・・、少しギャップを感じました。しかしそれは、異邦人である私の感傷ですね。
堺市3日目ですが、改めて堺市の現状を確認してみます。
人口83万5千人、面積150平方kmです。ちなみに相模原は人口63万人、面積90平方kmです。
二十数年前から政令指定都市を目指し、総務省から突きつけられた最後の条件「合併」も、隣の美原町と完了しております。
そして来年4月に、ついに政令指定都市となることが決まっています。今回選ばれた市長は、政令市初代の市長となります。
行政区は7つできる予定で、既に数年前から機能の移管は進んでいたようです。
私が市議をしていた時代、少なくとも3つのテーマについて、堺市に来て担当者の話を聞きました。
ひとつが、保健所設置について。ふたつが、中核市の指定について。みっつめが、政令指定都市を目指していることについてです。
都市化の進行をはじめとした、自治体を取り巻く状況は、相模原と似通っていると言えます。
相模原と明らかに違うのは、過去市長が常に「天下り」であったことです。前の市長は旧自治省から、今の市長は大阪府から、オール与党で引っ張ってきたそうです。
どこもそうですが、この街も新旧入り乱れているようです。
堺市長選挙2日目です。堺はとても広いです。日本で一番人口が多い一般市だけに、面積も相模原市のだいたい1.5倍くらいあります。
選挙事務所は市の真ん中にありますが、宿泊している候補者宅まで深夜でも30分以上かかります。
前回の投票率が34%ということもあり、市長選挙についての関心は正直低いと感じました。まあ1月の相模原市長選挙も33%なので、他市のことは言えませんが。
オール与党対共産党という、ありがちの構図と対決しているので、関心ある方々の注目は伝わってきます。
しかし低投票率であっても、10万票を争う選挙。浮動層に支持を頂かなくては当選できません。
とにかく例え薄く広くでも、できるだけ多くの方に接触するのが目標です。
与えられた役割は、候補者街宣車(他に団体車というのもまわせます)のカラス兼弁士です。駅立ちも始発から候補者と一緒にやってます。
昨日も書きましたが、出来るだけ多くのことを経験し、相模原に持ち帰れるよう頑張ります。
午後友人の結婚披露宴に出席した後、大阪の堺へ向かい、先ほど到着いたしました。目的は堺市長選挙に立候補している友人の支援です。
衆議院選挙もそうでしたが、ネット上での選挙運動は基本的に禁止されています。
既に期間中なので、候補者名などが記載できませんが、せっかくの機会なので日記で報告をしたいと思います。
候補者は明大雄弁部の後輩で、堺市議・大阪府議をつとめた後、今日から始まった市長選挙に挑戦しました。
今回の堺行きは、友人の支援とともに、もうひとつ別の目的があります。
それは来年4月に政令指定都市になることが内定している大都市で、果たしてどういう市長選挙が行われるのか見てみたかったのです。
「堺・熊本・岡山・相模原」とは日本の一般市で大きい順番です。私も相模原の説明をするときに、何度となく堺市の名前を使いました。
また相模原市行政も議会も、中核市指定や保健所設置などで堺市に研究に来ており、非常に身近な自治体といえます。
現職市長との対決、しかも政党相乗り状態です。日本の地方自治を歪めてきた“オール与党”体質への挑戦でもあります。
しかし変わってると思うのは、これだけ歴史のある街で、市長が過去旧自治省や大阪府の天下りだったことです。今の市長も同様です。
この部分は相模原市民としても、理解しがたい部分です。
とにかく多くの体験をし、相模原に持ち帰りたいと思います。
| 2005年09月24日(土) |
忍と室井慎次と四月の雪 |
最近見た映画3本です。
「忍」はイマイチでした。SFXもびっくりするほどではないし、主役2人のラブストーリーも深くありません。
仲間由紀恵とオダギリジョーの対決も、すんなり刺され過ぎた分、悲しさが伝わってきませんでした。
良かったところは、日本の風景と、最後に仲間由紀恵がある決断をするシーンです。
日本映画のひとつの限界に、2時間枠をなかなか越えられないことがあります。こういう大きな物語は、どうしても中身が希薄か、最後が中途半端になってしまいます。
大企業のみが制作費を負担するのではなく、一般視聴者が投資できるようになって欲しいものです。
「容疑者室井慎次」は面白かったです。真下正義も見ましたが、こちらの方が上ですね。
‘踊る系’らしくないストーリーと、トーンの低さが良かったです。暗い映画が好きな私にピッタリでした。
ひとつ気になったのは、室井慎次が辞表を出したことです。真実を知るためとは言え、釈然としませんでした。結果元の木阿弥になりましたが、少し安易だった気がします。執念で組織にへばりついて欲しかったです。
「四月の雪」は、進んで見たわけではありません。しかしはやっているには、それなりの理由があると思い、興味本位で足を運びました。
相変わらず映画館内はすいてましたが、客層がいつもと違います。ヨン様の中心的支持層である、中高年の女性が多かったです。やはりそうなのかと、感心しました。
元々ラブストーリーは余り見ません。感情移入がしにくいからです。(もちろん面白かった作品もありますが)
この作品も、正直人に勧める程ではありませんでした。
ただタイトルにもなった「雪」景色と、韓国の風習が垣間見れた点は、良かったと思います。
韓国の戦争映画などは、血を血と表現するとことが良い点です。しかしラブストーリーだからといって、必ずしも裸を出す必要はないと思いました。
亡国のイージスを越える、次の作品は何でしょうか。期待しています。
| 2005年09月23日(金) |
構造改革特区の意義と欺瞞 |
ソレイユ橋本で行われた「構造改革特区」に関する勉強会に参加しました。主催はJC(青年会議所)です。経済産業省の若手官僚による講演で、とても勉強になりました。
閉塞した地域自治のあり方に風穴を空けるという意味において、非常に意義深い制度です。また逆説的ですが、この制度導入によって自治体の創意工夫を促したことも、地方自治の発展に役立っています。
一方で、この制度に隠された欺瞞を、今日も強く感じてしまいました。
「地域の自主性を阻害する規制を外す制度である。」これが政府のひとつの見解です。
全国数百箇所の特区を、是非皆さんもHPなどで見てみてください。今日の講演でも「どぶろく特区」や「自家用タクシー特区」が例に挙げられました。
しかし、これらの規制は、その地域だから問題なのでしょうか。逆に言えば果たして相模原市では、『どぶろく規制』や『自家用タクシー規制』が必要なのでしょうか。
否です。
元々そんな規制があること自体が問題なのです。
現場の官僚が苦肉の策として生み出した制度であるならば、その勇気と努力に敬意を表します。
しかし「構造改革特区」は小泉総理の目玉政策であります。それぞれの地域に法の不備を見つけさせるのではなく、まず政府自身が規制緩和に向けた点検を行うべきなのです。
ただ高度な政治的判断として、将来の規制緩和に向けての実態調査をしているのなら理解もできますが。
講演をされた私より若い官僚は、意欲的で素晴らしかったです。上に対してもガンガン意見して、地域の実態を政府の政策に反映してくれることを期待します。
| 2005年09月22日(木) |
藤井裕久先生と 最終回 |
少し話が戻ります。自自公連立の瓦解と同じくして、小渕恵三総理が亡くなりました。後任の森喜郎内閣は様々な理由により支持率が低下し、あわせて自民党の信頼も失われていきました。
相変わらず民主党の支持率は一ケタでしたが、一方で自民党もついにここまでかと、新しい政治の流れが起こることに期待しました。
しかし森内閣が総辞職後、自民党は切り札として小泉純一郎氏を総理にしたのです。そのブームの‘凄さ’や、内閣支持率の高さは、まさに異常でした。
「このままでは二大政党は潰える。自民党の中身が何も変わっていない中、今民主党を潰すわけにはいかない。」
大上段に構えた決心ですが、一方で自分がやらなくてはいけないという使命感でもあったのです。
また、「政党に入らず無所属でいる人間が、果たして自民党の批判ができるのか。」という長年感じてきた思いも重なりました。
決断後、残念ながら地元で色々あり、結局松沢成文代議士(当時)にアポを取り、議員会館の事務所で決意を伝えました。松沢氏は入党の紹介者になることを了承し、その場で党神奈川県連に電話をしてくれました。
さて行動が先に立つのが悪い癖でもあります。民主党入りをするにあたって、藤井先生のまわりの方々に理解を求めることを怠りました。これは反省です。決して少なくない方々が、私の決断で迷惑を被ったと後で聞きました。
藤井先生に対しても、割り切れない申し訳なさが残りました。無所属なら可能だったことが、正式に他党の党員になれば出来なくなるからです。藤井事務所の信頼している地元秘書の方から、藤井先生に趣旨を伝えてもらいました。
藤井先生「そうか。まあしょうがないな。」と言われたそうです。(伝聞)
その後です。入党した民主党地元支部内において、藤井系だった私に対し冷たい言動もなかったわけではありません。しかし信念で入党したわけですから、雑音など気にもなりませんでした。
年が明け、民主党公認候補として県議選に立候補することを決めた私は、改めて藤井先生とお会いしました。これも信頼していた秘書の方が、段取りをして下さったのです。場所は相模大野のある喫茶店です。
寺崎「県議に立候補します。」 藤井先生「政党からかい?」 寺崎「そうです。民主党に公認申請したいと思います。」 藤井先生「無所属なら、色々やりやすいんだがな。」 寺崎「いえ、やはり民主党でやります。」
そして藤井先生は、はっきりと言いました。
藤井先生「まあ一緒にやる日もくるから、お互いそれまで頑張ろう。」 寺崎「二大政党は夢ですが、遠い話でしょうか。」 藤井先生「いや、ここ2、3年のうちだな。」
最後の部分については、正直その様になるとは考えませんでした。もちろん期待はしていましたが。
その後正式に民主党公認候補として県議選に挑戦し、平成15年4月に敗れるまで、藤井先生と藤井事務所そして後援会の一部の方々は、様々なカタチでアドバイスをして下さいました。
落選した後、次回を目指し活動を始めました。しかし4年という月日は、とても遠くに見えました。
夏になり、テレビを通じて民主党と自由党の合併を知りました。程なく以前お世話になった藤井事務所の方や、後援者の方からご連絡を頂きました。選挙の支援要請です。
浪人中ではありましたが、要請されるまでもなく自分の選挙のつもりで活動しました。結果藤井先生は5回目の当選を果たし、民主党も躍進しました。
そして有権者は口々に言いました。「二大政党の一翼を担う民主党」と。
この言葉をテレビや新聞で聞くたびに、自分のひとつの想いがかなったことに感動しました。そして次のステップは「政権交代」だと確信しました。この時期に現職でないことが、悔しくてなりませんでした。
今日現在、私は次期県議選の民主党公認候補予定者です。一年半後の選挙に向けて、この時期に公認候補を決定することは前例がありません。
党神奈川県連の方針もありましたが、藤井先生の多大なる後押しがなければ、私の公認はあり得なかったでしょう。
藤井先生が引退の直前に下さった、この公認を大切にし、一日も早く現役議員として発言の場を得ることが、ご期待に応えることに繋がると考えます。
長々と書いてまいりました。藤井先生も政界を引退されたとは言え、第三の人生を違ったカタチで歩まれて行かれるはずです。
何年前からでしょうか。藤井先生の演説や話は、若い人間に対して何かを教える教師のようでした。
「かつての戦争は政治の失敗だ。これを繰り返してはならない。」
この言葉を、私の政治信条の中心に据えて、これからも頑張ってまいります。
そして将来は、藤井先生からお世辞ではなく「良い政治家だ」と言われるようになってみせます。
平成17年(2005年)9月22日。藤井先生と出会ってから15年の月日が流れました。
もうすぐ34歳になります。
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