思い出に変わるまで
DiaryINDEXpastwill


2008年11月28日(金) 今私に出来る事

今回、姪が白血病を発症して色んな事を考えました。

命の尊さ
五体満足で産まれてきてくれる事の有難さ
健やかに成長してくれる事に感謝
家族の大切さ
支えてくれる周りの人の温かさ

何よりもこうやって過ごせる毎日がどれだけ尊い事なのか。

当初「急性骨髄性白血病」と誤った病名で診断された時
骨髄移植の事まで頭がまわりました。
白血球のタイプであるHLAが一致する身内がいるかどうか
移植しなければ助からないのであれば骨髄バンクは??
とか。

まだ精密検査をしない状態から頭では悪い考えが先走ってしまって・・・。
それは弟夫婦も同じで。
わが子の生命の危機を感じた時、親はどうすべきなのか・・・。
最善の治療をうけさせてやりたい。
代わる事が出来るなら代わってあげたい。
金銭的な事など一切除外してそう感じるはずです。
藁にでもすがる想い・・・。

身内全員が切に願いました。
どうかあの子を助けてください・・・。

幸いにも急性リンパ性白血病であり、早期すぎる発見でもあったので命に関わる事でもありませんでした。
闘病生活は強いられますが、必ず元の生活に戻る事ができます。
誰もがホッとし、胸を撫で下ろし、うれしくて泣きました。

一方で、見舞いに行けば同じ病院、同じ病棟で同じ様な病気で戦っている子供もいる現実を身近に感じました。
全国にはもっと重篤な病気で治療中の方もいます。
その患者の全ての家族は同じ様に願っている。
その時の私達と同じように。

今考えもしなかった事を考えるようになりました。
母の闘病、介護も含め、何て言えばいいのかな。
【生きていく事】【生かされている事】
肌で感じ、目で見て、頭で感じる事が沢山ありました。
一言では言い表せないですね。

自分には何ができるのか。
自分は何をすべきなのか。
過去の自分では出来なかった事が今の自分なら出来る事があるのではないか。

手始めに骨髄バンクに登録しました。

医者でもない私が誰かの命を救えるかもしれない。
ただ、黙って祈る事しかできない自分でも、この体で手助けが出来るかもしれない。
献血も今まで何回もしていましたが、また違った心で受けました。

まだ36年しか人生経験を積んでない私ですが、36年なりの出来る事。
頑張ってみようと思いました。

今私に出来る事

思いつく限りやってみよう




2008年11月27日(木) プリンタ新調

先日、父に頼まれ喪中のハガキを作ってました。
原稿が出来、いざ印刷をしようとしたらプリンタの調子がおかしい・・・。
カラーでマゼンダ、シアンが出ない(汗)
ヘッドクリーニングしてもリフレッシュしてもゼンゼンだめ。
インクも変えたけど繁華なし。
まぁ、よくもったわ、何しろ8年戦士だもんね。
独身の時は仕事にも使ったし、結婚後は年一回の年賀状レベルの使用度だけどちょくちょく通常印刷してたもんね。

こりゃ寿命かも。

早速家電屋に行ってみた。

写真は出力しないから・・・。
だって18円で現像してくれるトコもあるし外注が圧倒的に安いっしょ?

そしたら・・・
今ってすごいんだね。
コピー、スキャン、カラー印刷ができて8500円のプリンターがあるんだもん。
キャノンのカラリオですよ。
ま、家電屋の赤字覚悟の特価品ですが、即買いでしたよ。

印刷品質も8年前の商品とは大違い。
いいっすね。

さとしクンも
「こんないい時期にプリンタが壊れるとはな・・・。おかげで安くていいプリンタを新調できたわ」
なんてね。

もう来月は年の瀬ですね。
早いなぁ〜



そして
今日でKANAは満二ヶ月。
最近は「アウゥ〜」「アックゥッ〜」
なんてお喋りするようになりました。



2008年11月19日(水) 三連休

今週末は三連休ですね。
みんなどんな風に過ごすんだろうね?

うちはと言うと・・・。
さとしクンは大阪に一人旅立つ予定。
・・と言うのも
さとしクンのバイク仲間がレースに出るらしく、ピットクルーとして参加してくれないか??
とのオッファーがあったのは一ヶ月前。
喜んでOKしたのはいいけど場所は岡山県だと・・・。
おいおい・・・
愛知から岡山まで遠征??

金曜日の夜に大阪の実家に向かい、翌日夜中の3時にメンバー集合で乗り合わせで岡山に出発するらしい(汗)

めっちゃハードですやn!?

帰宅は月曜です。

昨日バイクで行こうか電車で行こうか悩んでるさとしクンが
「一緒に行く?」
と言われました。
一緒に行くのはレースではなく大阪の実家に。

私、タメ、kana三人が大阪の実家にお留守番って事ですよ。

えぇぇぇぇぇ〜っ!!

・・・イヤです!!

別にお義母さんやお義父さんがイヤってワケじゃなく、一人でわがままの拍車がかかったタメを相手にしながらkanaの世話をするのが嫌なんですよ。
気晴らしに外出しようにも大阪の街中を車で自由に走り回る自信も無く、お義母さんと一緒に外出するにも子連れでは疲れるし・・・。

もういいよ・・・
家で留守番してます。
外出するにも勝手知ったる地元ですもん。

せっかくの三連休もいつもと変わらない週末ですわ。


・・・実家行こうかな・・・。


2008年11月03日(月) 姪のその後・・

結構あいだが空いてしまいました。
もう、一週間がドタバタで・・・・。

姪のその後ですが・・・。
一家が揃った翌週の月曜に日赤病院に転院。
詳しい検査の結果、市民病院では急性骨髄性白血病と診断されましたが、日赤では急性リンパ性白血病との診断でした。
リンパと骨髄性とでは全く意味合いが違う!!

リンパ性であれば治癒率は90%で命の危険度もほぼ心配ない。
悪性ガン細胞もゼロだったので一同ホッと胸を撫で下ろしました。
抗がん剤治療は行われるので長い髪も抜け落ちてしまうけど、そんなの命を取られる心配をしていた数日を考えると全く問題なし。
もう、嬉しくて、ホッとしてまた泣いてしまいました。

義妹は転院時からずっと姪に付ききりになり、問題は残された実家の長男10歳、次男4歳の事。
私の母は重度の障害があり、父の介護が無ければ排泄も一人では出来ない程。
そこに長男、次男の世話が入り、弟も仕事を抱えながらの自分の子供は限度がある。
父も早朝の牛乳配達のバイト&深夜のスーパーマーケットの裏作業のバイトが交互に入ってる。
朝食の準備は弟が
次男の幼稚園の送り迎え(送迎バスの場所まで)、朝食の準備、掃除、洗濯
は父が・・・と負担は父の肩に乗っかり、父もかなりキャパオーバー。

幸い、一ヶ月の赤ちゃんが居る私も今は仕事をしておらず、実家に食事を作りに行ったり、洗濯を請け負ったりと毎日の様に実家に足を運んでいました。

毎日がバタバタと過ぎていく中で、残された子供達の事がイチバンの心配。
母親が居ない生活もガマンを虐げられ参っている感じ。
特に次男。
幼稚園から帰るとずっと泣き続けてる。
まだ母が恋しい年齢だもん。

週末はウチで長男と一緒に連泊させ、タメと遊びながら多少元気は取り戻した様子だけど。

義妹一人欠けただけで生活のバランスが崩れた様子を目の当たりにし、自分自身の健康も気をつけなければと実感しました。


2008年10月25日(土) 翌日

今日さとしクンは出勤日
見送ってから実家に向かう準備。
実家は車で15分程の距離。

昨日知らせを聞いて三河地方に住む姉も飲み屋の仕事が終わって夜中飛んで来たみたい。

今日はたまたま離婚した姉の元ダンナがKANAの誕生を知り、赤ちゃんを見に来る予定だった。
姉は知らなかったけど。
離婚したとは言え、元ダンナの元で生活している三人の子供達は姪のイトコ。
黙っているワケにはいかず、弟に相談し、病名は伏せ、長期治療が必要な病気だという事が判明したからナカナカ会う事が出来なくなる転院前に会ってやって欲しいと伝えた。
ただ、離婚した姉も居る事も伝えて。
電話の内容でただ事ならない状態を察した元ダンナも実家に来てくれるという事で仕事で来られないさとしクン以外のファミリー全員が揃った。

午前中に姉が弟と一緒に面会に行き、午後にしか来られない元ダンナと子供達は私と一緒に面会に行った。
さすがに離婚した元夫婦は一言も会話することなくお互い違う部屋で過ごしていたけどね。
私もKANAと姪にせっかく来てくれた元ダンナに気を使い、
さとしクンは明日病室を訪問する予定で夜は実家で夕食を取る為ピックアップする足として元ダンナと行動を共にした。

実家に着いた時には既に姉は飲み屋の仕事がある為に発った後だった。

こんな事で全員が揃う事が寂しかったけど、姪が心配なんだよね。

転院してから詳しい検査を終えない事には病気の重篤度も今後の治療も分からない。
今はただ、待つだけ。
何も知らず、転院し、入院生活が長引く事だけ知ってる姪を励ます事だけ。

親である弟や義妹の心情を察すると胸が締め付けられるけど、頑張って!!
気をしっかり持って!!


mamirin |MAIL

My追加