思い出に変わるまで
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お風呂あがりの8時過ぎ 弟から携帯に着信履歴があった。 コールバックしてみると神妙な声色で「後でかけ直すから」 数分後にかかってきた電話の内容は驚くべき内容だった。
既に弟は涙声 「おねぇ・・・これからちょっと色々助けてくれ。 ○○(姪の名前)の病名が分かった。・・・・小児がんだって。 白血病なんだって」
声が出なかった。 えっ?聞きなおし 「なんで?」 声が震えた。
7歳の姪はここ数週間熱が下がらない状態だった。 本人は元気そうでケロッとしてたんだけど熱だけが38〜39℃の状態。 二週間前も義妹が次男を病院に連れて行く際、うちに姪を預かった。 あまりにも熱が続くので病院に行き、感染症かもしれないと血液検査をしたところ血液成分のバランスが悪いという事で即入院となった。 検査を重ねた結果、小児ガンだという事が判明。 今入院している病院の設備では治療が出来ないので大きな病院への転院が決定した。
説明をする弟も涙声 説明を聞く私も涙が止まらなかった。
異常を察したさとしクンが会話を聞きながら横でパソコンを叩く。 「急性骨髄性白血病」「急性リンパ性白血病」 前者は生存率40〜70% 後者は生存率90%以上 姪は前者だと説明されたという。
転院すれば即治療に入る 面会も簡単にはできなくなるから、この週末には面会しておいてくれ 義妹もこれから姪に付きっ切りになるので家の事を手伝ってくれ という電話だった。
電話を切った後さとしクンに説明しながらボロボロ泣いた。 タメに取っては唯一のお姉さん的存在で、この夏も毎週の様にうちに泊りに来ていた。 姪もタメを可愛がってくれ本当の姉妹の様に仲が良かった。
どうして? どうして?
神様、あの子の命を奪わないで!! まだ7歳の未来ある子供です。 こんな事って辛すぎる。
そこから夜中まで病気の事を調べまくった。 とにかく、何も出来ないけど、何かしていなければ正常で居られない状態だった。 頭をよぎるのはもしもの事、最悪な結末。 白血病と聞き想像するのはそういう事でしょ? 不安材料しかない。
結局ほどんど眠れない状態のまま朝を迎えました
昨夜の事・・・ いや、正確に言えば今日になったばかりの時刻1時過ぎ
つんざくってこういう音なの?
ブリブリブリッ!!
静まり返った和室に響いた
「なにっ?どうした?」
日頃めったに起きないさとしクンも起きた。
お見事です、KANAちゃん・・・ 女の子なのにパパを起こしちゃう程のおなら+うんちができちゃうなんて。
もちろん母である私は起きてますよ。 なかなかゲップが出来ないKANAはおしりからゲップしちゃうタイプ。 まさかこんなに大きな爆音で起こされるとは思わなかったけど便秘で苦しくて泣かれるよりマシだし。
よしよし、しっかり出したかな? 今オムツ替えてあげるからね♪
だいたい就寝してから授乳に2、3回起きてる。 妊娠時からトイレが近くなったりして何度も起きるのもこの授乳の為の予行練習みたいなものって何かの本で読んだ。
母はすごいですね。
赤ちゃんのちょっとのウナリでも起きるし、泣き声にも過敏に反応する。 みんなこうやって大きくなってきたんだと思うと改めて母に感謝。
それにしても、どうして赤ちゃんってこんなかわいいんだろ。
わが子ながらマジマジ見てても飽きない。
タメもかわいいけどKANAもかわいい娘。
独身時代には四人家族でこんな心穏やかな日々が持てるなんて思わなかったもんね。 幸せです。 子供の顔を眺めてると本当に幸せを感じます。 泣けちゃうくらい。
ヤバ、年取ったかな? 涙もろくなってる、私。
産後の体調ってどんなだったっけ? タメの出産の時は丸一ヶ月実家で上げ膳据え膳、寝てばかりの生活を強いられてたから全然覚えてないや。
ナゼ体調が気になったかと言うと、お下の痛みなんです。 切開はしてないものの裂けた部分を三針縫ってるから少なからず釣る痛みがあるのは分かるんですが、生理痛の重い痛みと言うのでしょうか?下の入り口あたりの筋肉の痛みって言うのでしょうか? ズキッと痛むんです。 特に地べた座りをして起き上がる時お腹に力が入るでしょ? その時にズキッと。 恥骨の数センチ上の内部が傷む時もある。
ま、子宮が戻ってる時期だから・・・と言えば当たり前の痛みかな?って思うんですが、腰痛も相変わらずあるし・・・。
もう35歳の体に出産というものが耐えれないのか?
うーん・・・。
そんな事考えてたら今日一日家でじっとしてて気づいた。
悪露が今日一日ない。
ずっと生理ナプキン当ててたんですが、今日は汚れてない。
でも痛みはまだある。
産後ムリをすると更年期が辛いとか子宮脱になるとか調べてたら出てきたのでちょっと過敏になってるだけかしら?
kanaを出産して家に帰ってきてからのタメの反応ですが・・・。
かわいいと思うのか頭をナデナデしたりほっぺにチュッとしたり おむつを取ってくれたり・・・ 色々世話を焼いてくれる面倒見のいいお姉ちゃんしてくれます。
その反面
頭をナデナデする力加減が強かったり 順調だったトイレトレーニングが全くダメになってしまいました。
ひょっとして子供ながらにガマンしてる? と思ったのが退院して一日目の夜 kanaを寝かせて左側に置き、右側に居るタメが 「おかあさんの所に行っていい?」 と聞いてきた時。
なんだかいじらしくて可愛らしく、そして可哀想になってきて ギュッと抱きしめて眠りました。
そして決定的だったのが 今日タメの保育園の運動会でした。 運動会自体午前中で終了と短いものなのですが、タメは幼児組なので最初から保護者一緒で観覧し、踊りの出し物とかけっこが終われば運動会の最中でも部屋に戻るOR保護者と帰る 、とまぁこんな感じ。
最初っから私の足にまとわりついて席に座ろうとしない。 かけっこの準備の為に先生方が園児を集めようとタメの所に着た時には泣きじゃくって離れようとしない。 とにかくベッタリ。 始終まとわりついていました。 ベビーカーにkanaがスヤスヤ眠ってくれてる事が唯一の救いだった(汗)
一人泣けば甘えた病が伝染するのか「おかぁさん〜」と泣く子がチラホラ。 タメもその一員で結局泣いてる子は保護者と走るかけっこになりました。
保護者と一緒に踊るお遊戯になるとタメもご機嫌でニコニコ。
見事な赤ちゃん返りにヘトヘト・・・。
早々にタメと一緒に帰宅し、11時から昼寝。 もう体を休めたい・・・。
3時間の昼寝のあと、このブログを書いてるワケですが、この間にも 隣の部屋で一度目が覚めたタメが 「おかぁさん〜、おかぁさん〜」 と泣きながら叫んでました。 抱きしめてなだめてもう一度眠りましたが 何を言っても三歳三ヶ月。 小さい体で色んな事考えているんだなって思いました。
お義母さんが本日大阪に帰ります。
2週間と短い期間でしたが、将来来るべきであろう「同居」のシュミレーションみたいでした。
出産を控えていた非日常なシチュエーションでしたのでプレッシャーや気を使う事が多く、めっちゃ疲れた2週間でした。 無事出産できた事もあり、入院生活がホッとする時間だったし。
でもね、プレッシャーを与えてくれたお義母さんもタメのいい遊び相手になってくれて大助かりだったんですよ。 お義母さんが居るという事で入院中も家の事一切心配しなくても良かったんだし。 入院3日目にしてタメが熱を出して保育園を休んだんですが、お義母さんが面倒を見てくれてたんだもんね。 魔の三歳児の面倒は私でさえ根を上げる時があるから元気だとは言え65歳のお義母さんには体力的にキツかったと思うもん。 今日電車に乗る直前に見送りに行くさとしクンの手からお義母さんに渡してもらおうと昨日お礼の手紙を書いた。 大阪で不自由な生活をしてたお義父さんに何か美味しいモノでも買ってくださいって小額だけどお金も包んで。 やっぱり最後には「感謝」の一言です。
だから退院後はなるべくお義母さんに赤ちゃんを抱かせてあげたり、自分が赤ちゃんを抱えこみ過ぎないようにした。 そうしたらね、ちょっと泣いただけで 「おぉ〜ヨチヨチ」 ってすぐ抱っこ。 嬉しそうに何度も何度も抱っこしては赤ちゃんの顔を眺めてました。
生まれたての赤ちゃんを連れて名古屋駅まで電車で見送りに行く事はさすがに出来ず、タメとさとしクンに見送りを任せました。 お義父さんにも見て貰うため病院で撮った写真やタメの写真を何十枚かお義母さんに持たせ、手紙もさとしクンの手から渡りました。
本日午後から本当に家族四人+猫1匹の生活が始まります。
そうそう、赤ちゃんの名前ですが「KANA」になりました。
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