思い出に変わるまで
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2008年10月02日(木) 退院

本日退院です。
さとしクンは仕事なので車の運転が出来ないお義母さんに頼む事も出来ず、実家の義妹に迎えをお願いしました。

ずっと気になってた入院費用。
当日の9時過ぎにならなければ分からないのよ。
だから病室に大金を置いておくワケにもいかず、義妹にお義母さんを迎えに行ってもらい、その足で二人で病院に来てもらう予定でした。

入院費用は二人部屋だったのでかなりお安く済んだ。
五日間で\398,000-
タメの時は40万越えだったからなぁ・・・。
早速お義母さんに金額を伝え用意してもらい、義妹からも家を出てたという連絡を受けた。

病室で荷物をまとめてると
義妹からのメール
「おねぇん家に着いたけどピンポン押しても誰も出ない・・・自転車もないけどお義母さん居ないの?」

えぇっ!!

早速さとしクンに電話。
「義妹がお義母さんを迎えに行く事話してないの?!」
「言ってあるって、でも天気がいいから自転車で行ったかも?」

はぁ?

だったらわざわざ義妹に家に向かわせる必要ないじゃん!!

授乳時間が迫ってた為、一度授乳室に行き、義妹にそのまま病院に向かってもらうようにした。
授乳後、部屋に戻るとお義母さんの姿。

やっぱり自転車で来たみたい。
いちお義妹が迎えに行った事教えたけど
「天気がいいから運動がてら自転車で来たねん」

・・・・。
ちょっとイラッときましたよ。
マイペースすぎるっ!!

お金を受け取り支払いを済ませると既に病室に義妹の姿。
後で義妹にごめんって謝りましたよ。
私が居ない時にお義母さんが義妹に謝ったのかは分からないですけどね。

三人で家に帰り、しばらくお茶を飲みながらまったりし、義妹は帰り、お義母さんと過ごしました。

どうやら今度の日曜には大阪に帰るようです。

正直、ホッとしました。
産前から二人っきりで昼間過ごしていたので、産後は赤ちゃんも居る事だし、一緒に居る事が幾分か楽なんですけど、お義母さんが居て意味もなくゴロンと横になる事がしずらい。
本当に体がキツイと横になる事もぜんぜん平気なんですけど、私の体調も産前と変わらず普通に歩けるし、普通に生活できる。
重いものとか持つ事とかはさすがにムリなんですけど家事くらいならヘッチャラなんですよ。
自分の体力と体調の良さにビックリしてるんですけどね。

ムリしてる訳じゃないんです。

普通に生活できるもんなぁ。

私って頑丈???






2008年10月01日(水) 入院生活2

赤ちゃんの授乳は3時間おき。
一日に8回授乳室で行われます。
タメの時は個人クリニックだからか、おむつ、ミルクも1パックづつ与えられ個室・母子同室だったので授乳・おむつ交換、全て自分の部屋でやりました。
でも、総合病院だからなのかミルクも授乳室に既に作られており、必要な分だけ持っていく。
おむつも所定の場所にあり、必要な分だけ持っていく。って感じです。
エステ、お祝い膳など余分なサービス一切なし。

病院から貰ったものはお産に使うパット、クリーンコットン、授乳用ブラ、産褥ショーツ、おしり拭き、母乳パット1組、臍消毒セット。
あと、栄養指導で試供品として小サイズのミルク缶貰ったくらい。

ま、そんだけだからクリニックより比較的安く済むんかな?

経産婦にはありがたいけど、初産の人には哺乳瓶とか欲しいよねぇ。
クリニックだったら貰えると思うんだけど。

授乳時間の授乳室は満員御礼。
さすが出産ラッシュ。
15人は常時居ました。
退院ては出産で入院。
毎日繰り返しみたいです。

同じ日に出産したのは同室の子以外に2人程いるらしく、もう一人の子とも友達になり連絡先を交換しました。
後になって判明するんですが、このもう一人の同日出産のこの子。
私が高校生の時、お好み焼き屋でバイトしてた時
一緒にアルバイトしていたおばさまの娘さんでした。
実家の場所聞いて、もしやと思って聞いてみたらビンゴ!!

いやはや・・・世間って狭いですね。
びっくらこいたって。

経産婦は初産婦より一日入院日数が短いので明日退院日となります。


2008年09月30日(火) 入院生活

入院前から病院に提出した書類で個室を希望していた。
だけど、どうも出産ラッシュらしく個室が空いてなく、二人部屋が割り当てられました。

病室に入ると相方さんはまだ分娩室にいるらしく、だれもいませんでした。
窓際のベッドを選び、荷物をロッカーに入れ、お義母さんと話してるとしばらくして義妹が甥、姪、タメを連れて来てくれた。続く様にして仕事が早く終わったさとしクンが到着。
その時既に赤ちゃんは部屋に来ており、早速姉、いとこの洗礼を浴びる赤ちゃん。
みんなかわいい、かわいいとほっぺ、頭をなでなで。
7歳の姪はうれしそうに抱っこしていました。
夕方にはディサービスから帰ってきた母が父と一緒に来てくれ、安産だった事に安心したみたいだった。

だってね・・・・
母なんて何日も前から毎日のようにウチに来たがってたらしい。
私の事が心配だったんだって。


ま、こんな感じで一日目は過ぎようとしていました。

夜の10時過ぎに相方さんが病室に入り、半分眠ってた私はうろ覚え。
一日目は母子同室ではなく、預かりだったのでぐっすり眠ろうとしてたんだけど、気が高ぶっているのか何度も目が覚めた。
すると、カーテン越しにお隣さんもシーツの擦れる音がしているので
(あぁ、同じなんだな)と思いながらも一日目の夜は更けていった。

翌日、洗顔しにカーテンから顔を出すとイスに座ってるお隣さんとハチ会わせ。
挨拶をし、少し話しをしていると12時間の難産だったらしく、産道の中に胎児が出るのに邪魔なヒダ?か何かあり、それを切り、産道出口が裂け、会陰切開をした上に何針か縫ってるので痛くて眠れなかったんだって。
陣痛を何時間も耐えた上、産んでもまた一夜苦しんだなんて・・・・
聞いてるだけでも子宮が痛くなりそうだった。

同じ日に出産をしたという事もありすぐに仲良くなりました。
母子同室になっても授乳は授乳室まで行くので一緒に行ったり、色んな話をした。退院後も連絡を取り合おうって連絡先を交換しました。
その子は実家がこちらで住んでるのは車で40分程離れたところだけど
実家に帰った際は遊ぼうね。って。

個室ではこんな交流はなかったから相部屋でよかったかも・・・。


2008年09月29日(月) ☆続き☆

タメの出産時は産まれて間もなく体力尽きて眠ってしまい、気づいた時には後処理も終わり二時間分娩室で安静にしてる状態だった。
でも今回は意識もしっかりしており、助産婦さんに胎盤を見せてもらった。片手広げた位のレバーみたいな胎盤。私と赤ちゃんを体内で繋いでたんだ〜。血まみれだったけど全然気持ち悪くなかった。 今回も会陰切開はしなかった。皮膚が伸びきらず少し裂けた部分の縫い合わせで計3針の縫合でした。
先生とも世間話をしながらカンガルーケアで運ばれてきた赤ちゃんを胸に抱いて携帯からさとしクン、身内、友人に産まれたよメール。
40分程抱いていられた。まだ産まれて数十分しか経ってないのにおっぱいを探す生命力に感動しましたよ。人間も動物なんだな。すごいなって。カンガルーケア後昼食をペロリと完食し、病室に移動。切開してないからかスタスタ歩く姿に助産婦さんもびっくりしてました。
食堂で待ってたお義母さんと合流し、病室へ。
体が興奮状態だからか全然眠くない。
三時過ぎにさとしくん、夕方には実感から義妹、タメ、甥、姪が来て早々にペタペタに触られ洗礼を受けました(笑)
夜には実家の両親が来て赤ちゃんと対面。
忙しい1日でした。


2008年09月28日(日) 続き

既に昨日から子宮口は4センチ開いてたから開くのなんてすぐだと思ったのが甘かった…。
なかなか強い陣痛が来ない。
それでも10時近くには波の強い陣痛が来て何度かイキむ事が出来た。
仰向けになると陣痛が何故だか逃げる。この時が一番辛かった。
横向きになりながら深呼吸を繰り返し、体をくの字に曲げながらイキむ。おしりと膣の間に赤ちゃんの頭が降りるのが分かった。
一気に子宮口が開いたら頭が出るのはすぐで横向きでイキんで頭がある程度出たら仰向けにならなければいけなかった。
痛さが先走り、とてもじゃないけど体制変えるのなんてムリ!
「痛くてムリです〜!!」言ったけど体制変えなきゃ産まれない。
えいやっ!と気合い入れた途端赤ちゃんの頭が股に挟まってるのが分かった。
ムリな体制を立て直すヒマ無く痛みから逃げる為2、3度イキんだら泣き声が…。
次女の誕生の瞬間だった。
息を整え、乾いた喉を潤したお茶の美味かった事。タメの時と同じで陣痛が強くなるにつれて全部吐いちゃったもんね。胃液しか出ないのにまだ吐き続けてたもん。
あ〜ビールが飲みたい!
産まれたての我が子。
可愛い〜。小さい〜。キレイな顔してる♪

今回の出産。私はかなり冷静だった。

☆続く☆


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