思い出に変わるまで
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どうも最近タメの態度が反抗的。 てか、この頃の子供は言葉が段々発達してきてるから自分の気持ちを言葉で表現し、意思表示がをするんだけど、まだ親にも理解できない言葉もいっぱい。
「○○したいのぉ〜」 の○○が何言ってるのか分からない事も多々。
「はぁ?」が沢山ある。
そんな中、紅茶を作ってる私の姿を見て自分も欲しいと言い出したのまでは私にも理解できた。 いざ、与えてみると 「いらない」 「○○するの」 まただ・・・。 ○○が何なのかさっぱり・・・。
「○○するの」の一点張りで段々イライラしてきた時さとしクンがどうしたの?と聞いてきた。 様子を話すと 「ここはいいからmami紅茶のんでな」 バトンタッチをしてゆっくりテレビを見ながら紅茶を飲んでキッチンの二人の会話に耳をすます。
「コレがしたかったん?ハイ、いいよ」
どうやらさとしクンはタメの言葉が理解できた様子。
アレコレ会話してるのを聞いてホッとしながらテレビに視線を戻した。
しばらくすると 「飲みたいんやろ、飲みや」 「なんでそんな事するん」 さとしクンの言葉も段々荒々しくなってきてる・・・。 とうとうタメが泣き出し、泣き声もますますヒートアップ。 さとしクンの声も結構キツくなってきてる。 タメも声を張り上げて泣いてるし・・・。
様子を見に行くとココアの粉が山盛りになって一部水分でドロドロの状態のカップをタメの前にしてさとしクンが 「コレが飲みたかったんなら飲めや」 と怒ってる。 涙とよだれで顔をグシャグシャにしたタメが私に助けを求めるように顔を上げる。
どうやらココアが飲みたかったけど作る途中で遊びに変わって飲むより遊ぶ気が大きくなってしまったらしい。
遊びを気の済むまでさせたけど、結局気が済まず「○○飲みたい」と変わらない主張をし続けるタメに今度はさとしクンがキレた!
「いいか、おまえが言ってる事は結局わがままなんだ」 泣いてる子供に向かってほっぺを軽くペシペシしながらキツい口調で怒るさとしクン。 しつけと思い静止してはいけないと思ったけど無理やりココアを飲ませようとした時に付いた鼻から口にかけて黒く汚れた顔が可哀想でキレイに拭きながら 「おとうさんにごめんなさい言えるよね、タメ。せっかくおとうさんがココア作るの手伝ってくれたのにこんなんじゃ飲めないよ」
しゃくりあげながらごめんなさいを言えたタメをなだめながらさとしクンも落ち着き始め、段々雰囲気が和らいでいった。
イヤイヤやわがままが段々強くなるこの時期 叱り方ひとつで子供の反応も変わってくるのも分かる。 今回みたくあまりにもひどいわがままならコレくらいのレベルで叱ってもいんだけど、お腹の子供が生まれたらタメはどんなわがままが出てくるんだろう。 ちょっと不安になってしまった。
躾もこの時期からしていかなければならないしね。 叱り方も考えたほうがいいのかな?
二人目の妊娠が判明してはや1ケ月が経とうとしています。
タメの時とは違い、今回は体調も異なる。 つわりがある 出血がある 腹痛がある 体がダルい時がある
タメの時は全てナイナイ尽くしで妊娠前と変わらない体調で過ごす事が出来た。 でも今回は1年半前の流産の経験からまた流れてしまう事を恐れているからなのか、自分でも神経質になってると思う。
今はようやく無くなった出血も10日程続き、流産の兆しじゃないかってビクビクしてた。 キムチの臭いや青魚の焼く臭いがダメで気持ち悪くなったりして食欲が落ちたけど、それも最近落ち着いた。
流産経験のある友達に聞いたら今まであったつわりが無くなるのも危険のサインだとか・・・。 つわりは妊娠が継続されているサインであって、その子曰く、自分の場合つわりが無くなったのが気づいてから次の検診でお腹の子供の心音が止まっているのが分かったらしい。 一番確実なのは基礎体温を毎日測り、高温期が続いているようなら大丈夫なんだって。
そんな話聞いたら余計に不安になってしまった・・・。
ダメだな、前回の流産がトラウマになってる。 今回は無事に産んであげたい。 ううん、産むんだ。
自分を大丈夫だと励ましながらも腹痛があればドキドキしたり、ダルくなったらすぐ休んだり。 そんな生活が数日続いております。
病院へ行けばすぐ分かる事なんですけどね・・・。 気持ち的に怖いんですよ。 次出血したら行こう。 次腹痛があったら行こう。
そんな事思いながらズルズル・・・。
もっと、デーンと構えられたらな・・・。
頑張れ私。 頑張れ赤ちゃん。
先週の水曜日 大好きな祖母が95歳で亡くなった。
検査の為、行った病院先でいきなり心不全になり、あっと言う間の最期だったらしい。 年齢も年齢でなので、障害を負った母を連れての帰省が簡単に出来ない為、昨年の11月に長野へ行き、おばあちゃんに会ったのが最後。 母も久しぶりに会うおばあちゃんとゆっくりじっくり過ごせて満足した度の三ヶ月後に本当の最後になるとは・・・。
やさしくて、いつも手を合わせ感謝の心を忘れないおばあちゃんの姿は私が子供の頃から変わりなく、大好きな存在でした。
母は9人姉妹の下から三番目。 孫の代まで式に参列すると恐ろしい程の人数になるので喪主の長男から孫の代の出席は辞退してくれと言われていた。
だけど、せめて最後に顔が見たくて、姉と相談し、通夜、式には参列せずに顔見てすぐに母の実家を後にする事を決め、金曜の夜中に出発した。
式に参列したい気持ちは山々だったんだけど、先に長野入りした親戚が孫を連れてきた事によってモメたと言う事を事前に聞いてたので仕方が無かった。 みんなに愛されたバァちゃんだもん。 みんな会いたいんだよね。 だから、むこうの家に迷惑がかからないようにすぐ顔を見て帰るのが一番いいと思ってさ。
結果、一部の親戚の人にしか会わなかったけど、眠るような安らかな顔のおばあちゃんに会えて、仏間に居た母の弟からも何一つ文句言われる事も無く、最期の様子を聞け、遠いトコよく来てくれた。って涙ながらに礼まで言われてこちらまでウルウルでした。 だってね、おじさんの子供もすごいおばあちゃんっ子で本心言えばおじさんだって子供を連れて来たかったはずなんだよね。
どこもかしこも冠婚葬祭、特に葬祭には細かなモメ事が出てくるもの。 仕方ないと思いながらも故人を偲びながら心を込めて送りたいと思うのが本心ではないのでしょうか?
でもね、行って良かったと思います。
岐路は温泉入って、街を少しブラブラして、午後には高速に乗りました。 トンネルを越える度に雪が深くなり、行き4時間かかった道のりが帰りは7時間。 チェーン規制、通行止め、交通渋滞のオンパレード。 ずっと運転手を勤めてくれたさとしクンには本当頭が下がりました。
ありがとう。 本当にありがとうね。
そしておばあちゃん。 長生きしてくれてありがとう。 たくさんの愛情を与えてくれてありがとう。 沢山の思い出の中でいつも笑顔を絶やさないでいてくれたおばあちゃん。 本当に大好きでした。
安らかに天国のおじいちゃんと過ごしてね。 そして優しく見守っててください。
先日の出血があってから二日間は出血が止まりましたが再び三日目から出血。 即、産婦人科に行って診察をしてきました。 先生曰く、子宮内の胎児には異常は無く、びらん(ただれ)があるからそこからの出血かもしれない。 そう神経質にならないでも大丈夫だよ。と言われ薬を処方してもらいました。 それでもうっすらピンクかかった出血は止まらず、この週末には大阪へ。
さとしクンのお父さんの古希の祝いとお母さんの誕生日祝いを兼ねての大阪。妊娠の報告をするべきか・・・また流れてしまったらどうしよう。 迷いましたが、祝いの席でもうヒトツの祝いを言ってしまえば子供も持ちこたえてくれるんじゃないか。って思って公表。 出血をしている事も伝えました。 喜んでくれましたが、体を大事にする事だけ念を押されました。
その夜、いきなり、突然つわりらしきものが発生。
焼き魚の臭いでおぇぇぇっ。 ごはんも進まなくて、目の焦点もぼんやりしてきたり。 背筋もゾクゾク。 どうも風邪も併発したらしく体調は絶不調。
ほとんど寝てすごしました。
大阪を離れる時もさとしクンが買ったコーヒーの臭いでおえっ! 胃がムカムカする状態をキープしたまま帰宅。 その頃には出血は止まっていたけどいきなりの体調変化にとまどうばかりでした。
タメの時にはつわりも無かったし、全く体調の変化も無かった。
やっぱりその子、その子によって違うんだな。
このままお腹の中でスクスク育ってくれますように・・・。
増え続ける体重・・・。
なぜ?? ナゼ??
たいした暴飲暴食もしていない。 なのに量るたび増加の一途をたどる体重。
これは運動不足だ。
早速ビリー隊長と一緒にエクササイズ。 腹筋プログラムはキツいとこがあるから自分のペースでムリの無いように約20分程のエクササイズをしました。
お腹の赤ちゃんの事もあるからやりすぎには十分気をつけて、体がほんのり温かくなる状態をキープしながらやっていました。
お風呂に入って寝る寸前、トイレに行ってみたら薄い出血。
!!!!!! !!!!!!
えっ!?
心臓がバクバクしたよ。 だって一瞬流産した時の事がフラッシュバックしたんだから。
やっぱりやっちゃいけなかったんだな・・・。
どぉしよぉ・・・。
不安な気持ちを抱えつつ就寝。 今朝起きてトイレに直行。
やはり出血がありました。
朝イチで病院行こうかな。 様子見ようかな。
アレコレ考えているうちに8時を過ぎ、もう一度トイレに行ってみたら出血は止まっていました。
あぁぁぁぁぁぁぁ。 安堵のため息。
でも油断は禁物。 ビリーのエクササイズはしばらく封印(当たり前か) 体にムリがかからないようにしなくちゃ
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