思い出に変わるまで
DiaryINDEXpastwill


2007年07月04日(水) 英語慣れ

この頃になると段々英語が耳に慣れてきた私。
結構デビ君とも会話できています。
てか、発音がよくなってきてるのが分かるのよ。

さとしクンからも「おまえすごいなぁ、英語ペラペラに聞こえるぞ」
なんて言われてちょっと嬉しかったりする。

そしてデビ君の日本語もとても聞きやすくなってきて私達の会話を聞いて「ありがとうございます」も「ありがとう」や「どうも」に変わってるし、より自然になってきてる。

さとしクンも大阪弁教えたり、ジョーク交えていろんな日本の文化を教えてる。
やはり外国人に「どうして・・・」と聞かれて説明できない事が多い。
でもそんな時ウンチク博士のさとしクンの出番!!

「ペリーが来て日本の鎖国が終わったけど、日本人はペリーの事をどう思ってる?」
なんて聞かれた時にゃ!!
わたくし
「・・・・・」
となってしまいましたわ。

さとしクンはここぞとばかりに勝海舟や坂本竜馬の話を出し、自分の意見を言ってました。(英語で説明できないから私が横で通訳してましたが)

歴史知ってないとダメだね・・・。
恥ずかしくなりましたわ。

11時過ぎまでドイツ語・英語の早口言葉を教えてもらったり、日本語の早口言葉を練習したり。

毎日がすごく面白い!!


2007年07月02日(月) 初対面

今日はホストファミリーの対面セレモニー。
我が家を代表して私とタメが行ってきました。

仕事を一時間早く早退させてもらい、タメを迎えに行き、高校へ到着。
すでに会場の会議室は数組の家族が来ていた。
全家族が揃うのを待ち、受入れにあたっての注意や説明。
一通りの質疑応答を終え、いよいよアメリカからやって来た留学生が教室に入ってきた。

みんな背が高く、人種もマチマチ。
黒人は居なかったけど日系やヨーロッパ系、アジア風な子もいる。
その中にウチの受入れるデイビットも居た!!
髪はブロンドで目も青い。
ほぉ〜、自己紹介も日本語がうまいなぁ。

その日本語のうまさに結構安心した。

その後全員で記念撮影をし、各家庭の写真撮影。
ディビットは私達に日本語で挨拶し、私は彼に英語で挨拶をするとてもおかしな対面でした。

高校を後にし、家に向かう車中から少しづつコミュニケーション。
よくよく話してみるとアメリカで日本語を勉強しているとはいえ、こちらの日本語を理解してくれる時もあれば無理な時もある。
だからつい英語で話しかけてしまう。
すると回答が聞き取れなかったり・・・。
それでもなんとかやっていけるのが不思議。
私も昔、英語を勉強してただけあって、時間が経つにつれ単語も思い出せる。
てな感じで6割英語、4割日本語の面白おかしい会話が始まった。

その中で分かったデビ君の情報。
お父さんがアメリカ人、お母さんがドイツ人。
だから家ではドイツ語で会話をしている。
現在18歳、先月高校を卒業。
9月から大学生で将来は医者を目指している。
大学で医学を学び、インターン、ジョブトレーニングを得て11年後には医者になれるように努力するつもりだとか。

日本語に興味を持ったのはお父さんが昔2年間日本に住んでおり、日本語が喋れるから興味を持ったんだって。
姉二人も現在大学で心理学などを学んでおり、医学関係に進みたいんだとか。弟はまだ若いので将来何になりたいのか知らない。

へぇ〜
って!!
すげぇ頭イイじゃん!!

それにね、すごく素直なの。
そこらにいる日本の高校生とは大違い。

さとしクンもカタコトの英語で会話してるけどしっかりと目を見て話をくみ取ろうとする姿は真剣そのもの。

すぐに打ち解けてくれてイイコだなぁと思いました。


2007年06月24日(日) バスツアー

M奈・NORIといつものバスツアーメンバーで行ってきました。
今回は静岡。
今回も??グルメツアーです(こればっかだな・・・)
その名も・・・

《大トロ・本鮪食べ比べツアー》

なんてゴージャスな響き♪

ま・実際はご膳が出て小さい3cm四方の薄っぺらな大トロでした。
が!!
う!!うまぁ〜い♪
口の中でトロけるってこんな感じなんだ。って初めて経験しました。
本鮪もとても美味。
なんてったってタメをさとしクンに預けて「ゆっくり食べれる食事」なんて久しぶり。
なかなか子連れだと食べる事に集中して食べれないからね。
はぁぁぁ〜ん♪し・あ・わ・せ☆

その後わさび工場・お茶工場を見学し、その度にわさび柿ピー、お茶羊羹などプチプレゼントを頂き、午後は静岡メロンの食べ放題。

おもいっきり食べまくりましたわ。

そして、そしてメインイベント!!

大井川鉄道SL列車に乗りました。
以前から行きたいと思っていたんです。
桜のシーズンになると旅行広告に写真が載ってるんですよね。
桜のアーチをくぐり抜けSL列車が走る姿が何ともノスタルジックな感じなんですよ。
初夏の緑の臭いが立ち込める中、古めかしい駅は映画の撮影にも使用された場所。
ホームの椅子に座り、ボォーっとしてると
聞こえる音はカッコウの声と虫の声。
そこだけ切り取られた様に過ぎていくゆったりした時間が雰囲気をかもし出していて癒されました。

いいですなぁ。

こんな贅沢な時間過ごせた事に幸せを感じながら名古屋駅に着く午後7時まではシンデレラ気分でしたわ。

また行きたいな。


2007年06月22日(金) 母・骨折入院

母が入院しました。
麻痺側の足の大腿骨骨折。

骨折をした理由は無理に歩こうとした為。
というのも
父は夜中にバイトしに出ています。
年金では生活していけないし、母の介護もタダではない。
母が起きてる日中はできるだけ側に居てあげたい。
ディサービスに行ってる間は睡眠が取れるし。
そんな理由で週に何日かは夜中不在なんです。

弟夫婦は二階で寝ていて、この日は運悪く父が不在の時でした。

夜中に胸の苦しみを感じた母。
ホイッスルで二階で眠る弟夫婦を呼んだんですが全く反応が無く、一人では立ち上がる事も出来ないのに無理に立ち上がり、弟夫婦が眠る二階に繋がる廊下まで行こうとしたらしい。

案の定、体重を支える事が出来ず座り込み、その際に麻痺側の足に全体重がかかり、支えきれなくて骨折したらしい。

朝、父が帰宅するとベッドの下に座り込んで「痛い、痛い」と痛みを訴える姿で父もビックリしたそうだ。

ただでさえ弱くなっている足が折れると言う事。
それは大きな問題だった。

今までより状態が良くなる事は無いって事。
下手すりゃ今まで支えがあってポータブルトイレで用を足せたけど最悪寝たきりになる場合も・・・。
リハビリも行われるだろうが母の状態でどこまで回復できるのか・・・。

母も弟夫婦さえ気づいてくれればこんな状態になる事は無かった・・・。と逆恨み。

なんだか問題山積みです。


2007年06月17日(日)

昨日ホストファミリー決定の知らせが高校から来ました。
最初電話で問い合わせして詳しく話しを聞いた時にほぼ決定と聞いてたけどやはりどんな子が来るのかはとてもドキドキ。

一週間程前に我が家の紹介と連絡先、家族の写真をつけた書類を提出した。
それをアメリカにFAXしてから受け入れる子の情報が来ると聞いてた書類が来たの。

7月2日から10日までの日程と同封されていたプロフィール。
食べ物のアレルギーや日常の生活に関する事が詳しく書いてある。
名前は・・・ディビット。
写真を見ると・・フムフム・・・まるでプロマイドみたいな笑顔の写真。
それともう一枚
家族写真。
六人家族で四姉弟の下から二番目ね。
どこから来るのか・・・カリフォルニアね。
暑いとこじゃん、それじゃあ日本の暑い夏も大丈夫かな???

なんて考えながらもう一枚の書類を見てみる。
日本語で自己紹介が書いてあるじゃん!!
それも漢字・カタカナ混じり。
キレイな字だし。

日本語を勉強して四年?!

ほぉ〜これまたビックリ!!!

さとしクンと話ながらいろいろと想像は膨らみ、何を見に行こう、何を食べさせてあげよう。
話は弾みました。

唯一心配なのは
空いてる部屋を一部屋渡すんだけどクーラーが無いんだよね・・・。

クーラーがある部屋はリビングだし・・・。
ま、なんとかなるかな??


楽しみだわぁ。


mamirin |MAIL

My追加