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堀井On-Line
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2019年04月16日(火)
* 遊びについて これまで‘遊び’について、数多く書いてきた。 HP内検索で引き出して よみ直すと、納得することが多い。人は、年代によって、その比重が変わる としても、「良く遊び、学び、働くこと」の質量の拡充が必要である。 人生を振返えると、まず、「もっと遊んでおけば良かった」と、次に 「もっと学んでおけば」と。最後に「もっと働いておけば」と思うのが人の常。 その逆は少ない。「死を恐れる主要因は、やり残したことが多いため」。 その荷重が強いほど、「もっと楽しんでおけば」という後悔。底意地が悪い人の 性格形成の元が、これである。 目先の現実に溺れて、外海に出ようとしない 人たち。 地下の石牢の囚人のように、一生を常識の石牢の中で微かな光をみて、 外界の世界を思い知るしかない。その妄想は、所詮は石牢のそれ。遊びには、 うしろめたさが付きまとうことがある。それを払拭するには、遊びについての、 知識と経験が必要となる。内的、外的悩みや、心配事、不安を抱えた遊びでは 面白味が少なくなるが、それを背負って遊ぶことも遊びを面白くすることもある。 忙中閑の遊びである。 躊躇するのは、その終わりに、虚しさ、寂しさを伴う 予感があるため。それでも、遊んだ後の爽快感と、満足感は、この上なく良い。 遊びには、 ・無邪気に遊ぶ解放されたものや、 ・創造性の原点となる完全リラックスの遊びや、 ・車のハンドルの遊び、 ・日常からのトリップのための遊びがある。 ウィトゲンシュタインが、「私の言語の限界が私の限界だ」と宣っているが、 ‘遊び’も然り、<遊び楽しんできた限界が私の限界>。 その意味で、18年間 のブログの「テーマ日記」と、30年にわたる「秘・異郷ツアー」の集積には、 少なからず満足を…。 他人は人、私は自分の分際のこれ!と、思うしかない。 これが際どい遊びほど、面白い! とくるから… もっと際どくともという、 後悔は有るか、無しか? 遊びは際モノほど面白いというが、過去形で想うと、 実に面白かった。
・・・・・・ 2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」 2008年08月14日(木) ー遊びをせんと生まれけむー −読書日記− 亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、 口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。 ・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。 美に感応する心である。 ・「感」は、感性、感動、共感。旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、 絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。 ・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は 「ホモ・ルーデンス」。遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。 ・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。 一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。確かに、人生はこれを 磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が人間にとって最も有用な行為に。 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて 次のように述べている。 《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源 がある。最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、 もつとも遊び好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。 最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と 灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。車輪・帆、煉瓦なども遊びの 中で発明された可能性が強い。たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を 使わなかったが、足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。 装飾が衣服に先行した。 (字数制限のためカット2010年8月14日)
・・・・・・ 2007/06/18 2267, 「遊び」 (゜∇^*)オハヨ♪ 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から 「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。 その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」 の中の充実感である。 「遊び」をネット百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみた。 ーーーーwww**ww*w(/⌒∇⌒)/〜∞**www***w ーーーー 楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス (生体)解消などの目的で生物が する行動の総称。普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら 臨んで行われない労働などは含まれない。 また、工学などにおいて作られる、 ある一定のたゆみ、ゆるみ、余白のこと。これを作ることを「遊びを持たせる」と。 ハンドル等、機械で人間が操作する部分の遊びは、不覚筋動を機械の動きに反映 させないという効果遊びとは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消 などの目的で生物がする行動の総称とされます。どのような時代においても遊び は存在し、太古の昔から現代まで私達の心を楽しませてくれています。
人間以外で、動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。 ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟する とあまり遊ばなくなるが、ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後 も遊びたがる傾向があるようであり、野生動物でもカラスには、成熟した個体 に遊びと思われる行動が見られる。
フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」 に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。 その中でカイヨワは遊びを次の4つに分類している。 ・アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ ・アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など) ・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと ・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ カイヨワの説は遊びはこれらの4つの区分に分けられるとしたものであったが、 遊びは必ずしもこれらの単一の要素からなるものではなく、 複数の要素を含むものも多いとする説もある。 ーーーー (^Q^)/゛ d(o^v^o)b !!(^Q^)/゛ \(^o^)/!! なるほど、と思うが・・・
「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。 人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。 そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。 何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。 私の場合、ゲーム化が楽しみへ持ち上げるポイントであった。 ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。 到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、 遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として 一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、 漠然とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象 を与える。
学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。 遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。 一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。 同じ人生、楽しまなくては! 何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、 動物学者の研究観察から認められている。 その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。 ・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような 行動で仲間と遊んだり、 ・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、 ・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが 面白くて始めた“遊び”といわれる。 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。 「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた 場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにする ことが、高度な知的行為である。 ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に 遊びが入っているところが、注目に値する。 d=(^_^)=b 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜! 何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、 ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、 ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。 ・・・・・・ 2004/05/12 1135, 「ライフ・レッスン」−13 ー遊びのレッスン 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。 何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から 答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。
遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、 実際の時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊び。 遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。
散歩もわたしにとって、最大の遊びである。 初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。 歩いて楽しいのだ。
晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという 記憶に残るのはやはり無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代に おいて、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋 ・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを 趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。 好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。 しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。 売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。それは仕事である。 そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことにゆがめて いく人が少なくない。
・おもしろくって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、 欲求を最大限おさえて生きていくなんて、何ておぞましい人生だろう。 遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。 しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に 住んでいるのは何故かということ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。 愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。 ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた 必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになっていた でもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。
ーーーー 20022002/01/05 一人遊び
孤独に強い人とは、一人遊びができるかどうかにある。 一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、 それって「お宅」でないか。 似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか? 結局中途半端のそれをいうのではないか? 字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。 別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。
自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても そこに何もないことを、経験上知っているためだ。 結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。 そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人) ということを示すことだ「示単」。 これはある有名な禅僧から直接聞いたこと。 そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくては ならない。その積み重ねが個性を作る。
ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。 常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。 ―― 2002/02/24 遊びについて−1
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。 そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。 一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、 父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の 不幸な死で今の重症のノイローゼーなった。 心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。亡くなった時、医師の要望で 心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。 約40年近く遊びきって亡くなった。 日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。 毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。 遊びの重要さもそのため学んだ。重点としてだが父は「働く人」、 母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。 ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、 罪悪と教えられてなかったか。 子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。 あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。 その為に働かなくてはならない。 競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。 どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。 どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。 そして厄介な不安という心理がある。 その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、 「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。 そうすると、仕事も遊びになりうる。 天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。 純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」 と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。 初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。 純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。 何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。 それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。 そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。 「遊びになるまで集中する」という事か。
これから散歩だ!
・・・・・・ 2001/12/21 [164] 目的と手段
目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。 ‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。 営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、 営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。 手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。 ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、 イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’ とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、 いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって 逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?
ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー H0609歩行とダンス
丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が 面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。 ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。 それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ある!”と。 非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。 今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。大手商社に勤めている友人 と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく “私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間 でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!” 当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスと してリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに 向かう事となると誰にでもできない。ついドアを忘れたり、ダンスを忘れて しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。 2001/09/28
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2019年04月15日(月)
* ブラックホールの生写真をみるとは ・私たちの国は太平洋戦争の敗戦国で、アメリカの隷属国家である。 日本の富はアメリカの含み益。その回収は、軍事用品の高額買取だったり、 為替相場の操作や、バブル誘導と崩壊などの国家的誘導で搾り取ること。 そのアメリカは、現在でも国民の40%以上が、ほんの一万年前に神が人間を 創ったと信じており、科学の研究結果は、政治を操る冷笑的な人々にとって、 常に退けられてきた。科学こそが、私たちの倫理観の元であると示そうとする 試みまで、そうである。
・アメリカだけでない。世界は、いまだに2千数百年前につくられたアッラー の神を大元に抱いた虚構の神の幻覚に支配されている。この通りに、世界は、 偽物に支配されている。それもあって、世界には驚くほど多くの御宝が存在 している。その代表的なのが、知識と情報。この情報革命は、生命誕生以来の 断層の時節の到来を意味する。
・ほんの十数年までは宇宙は一つで、ビッグバンなど、一つの仮説にすぎない と多くが信じていた。そのブラックホールの撮影写真の撮影に成功。想像図は何度 か見ていたが、実際の映像をみれるとは信じ難い。これも科学技術の進化のお陰。 〜ネットニュースによると… ≪ ブラックホールの姿が史上初めてとらえられた。ブラックホールはいわば、 近くに迷い込んできたものを手当たりしだいにむさぼる怪物。恒星、惑星、 ガス、塵はもちろん、光でさえも「事象の地平線」と呼ばれる境界をひとたび 越えてしまったら、この怪物の手から逃れることはできない。 これは 「星を食らうブラックホール」である。 科学者たちがとらえたのは、太陽65億個分の質量をもつ超大質量ブラックホール。 地球から5500万光年の彼方、おとめ座銀河団の中心にある巨大楕円銀河M87のさらに 中心にある。画像には、いびつな光の輪に囲まれた暗い部分が見える。 これはブラックホールのシルエットを世界で初めてとらえたもので、ブラック ホールの入り口に限界まで迫った画期的な画像である。 今回の画像は、200人以上の科学者が参加した「イベント・ホライズン・テレス コープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)」プロジェクトの成果。これは、ハワイから 南極まで世界各地6ヶ所の望遠鏡をつないで一斉に観測を行うことで、地球サイズ の巨大望遠鏡を実現しようというプロジェクトだ。 2017年4月にM87のブラックホールの観測が行われ、5ペタバイ(1ペタバイトは 1000兆バイト)におよぶデータが収集された。科学者たちがこの膨大なデータを 解析し、ブラックホールの顔写真を構成するには2年もの歳月を要した。≫ ― ▼ これから10〜20年が本当に面白くなる時節。少しでも多く、断層面にへばり 付いて知的死に欲を満たしたいが、何てことっちゃ! でも、何とか? そう考えるのは、まだ健康体?なればこそ。ところで、ブラックホールを死。 ホワイトホールを生誕、他(多)宇宙をアノ世と喩えると… ブラックホールの 写真は、死の光景ですか。10の500乗も存在する他宇宙の入口?ですか、これは。
・・・・・・ 6241,読書日記 〜‘人生に生きる意味はない!’ 2018年04月15日(日) <「真理の探究」ー仏教と宇宙物理学の対話 佐々木 閑,大栗 博司(著) > * 人生に意味がありか、なしか? ここで、数多のテーマで取上げてきた問題。‘人生に生きる意味はない!’ とは、身も蓋もない。青春から老いるまで、誰もが考え、悩む問題である。 最期の自らへの問いかけは、『私の人生って何だった?』『何で生まれてきた?』 『生き直せるなら、どんな人生を過ごせた?』 でプツン! それらの問いには <人生の意味とは何だろう?>がある。 「意味」の意味を考えるに、近い「価値」から類推すると解りやすい。 価値観は、その人にとっても、地勢上、国家、人種、宗教によって、当然違う。 それを仏教学者と、物理学者が普遍的な事として語ると、妙に納得する。 一休の名言がある。 「世の中は、食うて糞(はこ)して寝て起きて、さてその後は、死ぬるなりけり」 小難しく考えることもない。こんなものだが。猿の世界を見ればよい。 〜Amazon・内容紹介〜 ≪ ‘人生に生きる意味はない!’ 大いなる叡智が告げる、この世界の真実 心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。 自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。 アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、 「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、 そもそも生きることに意味はない」という結論だった。 そのような世界で、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。 なぜ物事を正しく見ることが必要なのか。 当代一流の仏教学者と物理学者が、 古代釈迦の教えから最先端の科学まで縦横無尽に語り尽くす。 〜レビューより〜 ≪ 物理学者・大栗博司教授及び仏教学者(仏教者)佐々木閑教授の講演、 対話などを簡潔にまとめた本である。 この本では、大栗氏の講演、対話などから、物質の究極が、分子→原子→ 素粒子→17種類のクウォーク等に還元されてきた歴史と、現在では17種類 のクウォークすらが超弦理論に還元されようとしている物理学の現状を概観する ことができるとともに、佐々木氏の講演、対話などから、仏教の概要とブッダ の述べた思考について概観することができる。 この本の中で両者が語った内容で、興味深かったのは、次の3点である。 ・第1点は、死後の世界はあるか、霊魂は不滅かという問題について、 両者とも、明確に否定する見解を採用している。 ・第2点は、人生に客観的な意味、目的、価値はないことに、両者とも、 異論がない点である。両者とも、人生の意味、目的、価値は、神や仏が与える ものではなく、個々の人が、自らつくっていくものであるという。 ・第3点は、自由意思の存否の問題について、両者とも、断定的ではないものの、 自由意思は、客観的には存在しないであろうが、人の認識の上ではあるように 感じるものであるという考え方を示している。≫ ― TVで見た若者向け映画『リライフ』が、人生の意味について考えさせられた。 【大学院を卒業後、新卒で入社した会社を“ある事件”をきっかけに、わずか 5ヶ月で自主退社した27歳の海崎新太。今はコンビニでバイトをしながら、再就職 を目指すが、なかなかうまくいかない。そんな新太に、リライフ研究所の所員を 名乗る謎の男が「人生、やり直してみませんか?」と声をかけてきた。 男の言葉に乗せられ、「年齢はそのままに、見た目だけ17歳」になった状態で、 新太は約10年ぶりに、2度目の高校生活を始める。】 ― ▼ 一年後、無事、再生していくが、そこで出会った美少女が、「人生の意味を 見出せず、自らリライフの一年延長を願い出ていた」ことが、最後に分かる。 「もう一度、全く同じ人生を与えられるとしたら、受けますか?」の厳しい 問いかけがある。大方の人は、「ノー」と答えるそうだが… 父親が、死期を 悟った時に、絞りだすように呟いた言葉、 「今度、生まれてきたら、全く同じ人生を、再び過ごしたい!」 私も、死期を悟った時に、同じ言葉を心の底から絞り出せる生き方をしたいと。 「20歳、30歳代の人生」が非常に満足できただけでも、有難いことである。 私の人生の意味とは、<「同じ人生を再び!」と思える生き方を貫くこと。> これでも? そのまま結構! 面白かったこと、この上、なかったからね。 ― 大家:まあ周囲の人は大変だよ。 寅:まったくだよ。その毒舌に、どれほど苦しんだか。 熊:「自分のための人生を生きろ!」っていうけど、 「自分だけのための人生」じゃないか。調子にのって、バカまるだし。 寅:御前が、言えるガラか。でも、大家さんを見ると、ツマラナイよな。 八:少しは反省をしてるけど、じゃあ、如何すれば良かったと思うと、 『ご覧の通り、そのまま、結構!』と、開き直るしかないね。 私は私だからね。仕方がないよ。それと、良かった良かったと思えば、 何事も、感謝できるしね。感動、感激、感謝ですよ。最期はね。 この三大感情の満足度は、感謝、感激、雨あられ、ですよ。 寅:天上天下唯我独尊じゃないですか。あんたの場合は当然、悪い意味さ。 大家:まあまあ、今日のところは、この辺で、〆ますよ!
・・・・・・ 5874,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1 2017年04月15日(土) * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる、北朝鮮への攻撃が想定 されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。 戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。 大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が 配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が 付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう 原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。 交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事には息をのむ。 ―― ≪ ■ 米軍はどう動くのか 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。 ・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。 だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、 金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも ないことは重々心得ている。 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。 それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは 参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角 である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」 ・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の 張容碩博士も続ける。 「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。 ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった 場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」 を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の 行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を 記した、おどろおどろしいパンフレットだ。 ―― ▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」 の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、 本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への 圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを 画策しているのだろうが… 根が深いだけに? 〜つづく
・・・・・・ ・・・・・・ 5509,閑話小題 〜今年の桜の総括 2016年04月15日(金) * 今年の桜の総括 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、 飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、 「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大 イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車 で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の 『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の 裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、 そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。 なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、 週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、 この40年間で、数回かあった。 ・・・・・・ 2003/04/21 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。 毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。 季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、 満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。 いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。 それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。 最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、 悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。 「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」 という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。 参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ。 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。 ・・・・・・ 2003/04/19 「散る桜、残る桜は散る桜」 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。 他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。 この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。 桜は生臭い死の臭いがする。 人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。 2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。 「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。 悠久山の桜も絶品だ! 5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に 関係してくる。 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。 以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。 ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。
また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。 多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。 ・・・・・・ 2005年04月22日(金) 1480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。 もう散りかけてもきている所もある。 近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。 満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。 車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。 「どうして?」と聞いても解らないと言う。 「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、 「恐らくそうじゃない」と答えた。 私は、すぐ散るから気にいっているのだが。
10年に一度位は大当たりになる。 悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な 光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。 サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。 現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が 無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、 吹かずともと言う文章を書いていた。 桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。
庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。 本格的な散歩が、この時期から始まる。
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| 6603,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −3 |
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2019年04月14日(日)
『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』 ユヴァル・ノア・ハラリ著 * Amazon読者の投稿より 〜何ゆえにホモ・サピエンスは生き残ったか?〜 復習のため、再度、確認のため、Amazon読者の投稿を… ≪ かつて地球上にはさまざまな人類種が存在したが、なぜホモ・サピエンス だけが生き残ったのか。ハラリはその理由を、7万年前にホモ・サピエンスの 脳に起きた「認知革命」に求めた。これによってホモ・サピエンスは、 「虚構」を操る力を手に入れたのだ。 この能力によって人類は、言語を獲得し、 「神」や「国家」などの概念を生み出した。目に見えないものを崇めたり、 自らの身体スケールを遥かに超える大きさの共同体をイメージして、互いに 協力したりするようになったのだ。 今よりも豊かな生活や、まだ見ぬフロンティアなどを想像する力を手に 入れた人類は、文明を生み出し、イノベーションによって進化のエンジンを 加速させ、この星の歴史上、もっとも繁栄する生物となった。 「虚構」というコンセプトひとつで人類史をクリアに見通してみせた < 私たちはどこから来て、どこに向かうのか、私たちは何者なのか──。 人類(ホモ・サピエンス)の来し方行く末こそ、私たちにとっての最大の謎。 気鋭の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は、この究極の 問いのうち、「私たちはどこから来たか」を解き明かそうと試みたものだった。 ―― 〜ホモ・デウスとは何を指すのか〜 人類の歴史を振返ると、飢饉や疫病、戦争によって人々の生存は脅かされてきた。 ところがいまやこれらは克服されつつある。もちろんこれらの問題が根絶された わけではないが、実際には飢饉で死ぬよりも肥満で死ぬ人の方が多く、疫病より も老化で、戦争よりも自殺で死ぬ人のほうが多いのが現実だ。この3つの問題を 克服しつつある人類は、次のステージに向かうのではないかと見ている。 次なるステージで人類が目指すのは、不死と幸福と神性の獲得。サピエンスは 自らを神(デウス)にアップグレードさせ、ホモ・デウスになるのではないか というのが、本書の予見する未来である。 サピエンスは認知革命によって知のネットワークを拡大させ、やがてそれは 科学革命へと発展していった。科学革命は人間を自然から切り離し、世界の中に すえる人間至上主義を生み出した。人間の命や心、意識などを特別視する世界観 が支配的となったのだ。だが現代の生命科学者たちは、すべての生命はアルゴ リズムであるとする。 私たちの意識は、ニューロンが発する信号によって脳がデータ処理を行う プロセスの副産物に過ぎない。現代の脳科学では、私たちの自由意志ですら虚構 だとされる。魂や自由意志にかわってクローズアップされるのは、遺伝子や免疫 機能である。「ホモ・デウス」が描き出すのは、私たちが想像もしなかった未来。≫ ― ▼ この情報化社会の変革は、人類誕生だけでなく、生命誕生以来の革命とまで 言い切る論に、妙に納得する。世界が情報機器で結ばれ、ネットで覆われた 現象。個々人がスマートフォン、タブレットPCなどの受発信基地(サテライト) を持ち、現場から、個々の生情報を受発信を始めた。これは、個々の脳がネット で結ばれ共同活用が可能になってしまった。それと結びつき、超人に至る人を 「ホモ・デウス」というが、この超人は、何をしでかすか? 超人といえば、ニーチェが思い浮ぶ。「何に、神も悪魔も所詮は立場の違いで しかない。自分が信じる神が他人さまから見たら悪魔だって事もあるし、一生 大切にすると子供の頃思っていた物がゴミへと変わる事もある」 結局は、その人間が「ホモ・デウス」になっても、その本質は変わらない。 で、そこで待っている事態が、崩壊。
・・・・・・ 6240,閑話小題 〜加山雄三とヨット −2 2018年04月14日(土) * 加山雄三、ヨット全焼で何を思う? 寅: 悲しいだろうにな〜 八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの 問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を 考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。 大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも すれば、不幸中の幸いになりますよ。 寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。 幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。 熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや 自分さえ分からないからね。 八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。 世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。 大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、 羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も 入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。 八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、 遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。 早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。 熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな〜。 八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。 寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない ようだが。如何して? 大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。 そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。 八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに 20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。 大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。 八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。 熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って 言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。 八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。 熊: なら普通だ。 大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。 それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。 後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。 八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生 だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。 寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。 大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、 周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。 八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら… 大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、 悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。 八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、 年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、 私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。 大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。 キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢 に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。 八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を 味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の 金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、 自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら 日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。 大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。
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2019年04月13日(土)
お笑い、小噺ほど白けたら、これほど下らないものはない。逆に、その場に 同化してしまえば、これほど楽しい時間はない。一時期、凝った時節があり、 この分類に<お笑いコーナー>に納めてある。これはという一品に出会うことは 少ない。笑いのツボが人によって違うことが多い。 私の特技が、心の底から 笑うことが出来ること。これで何とか、人生を乗越えてきた。これは日頃の訓練 が必要となる。笑いとは喜怒哀楽の感情を豊かにする切り口になる。これは常日頃 の訓練を要する。確か、インドにツアー仲間の女性が、中東で大麻を吸った時の 状態を話していた。 腹が捩れるほど笑っている状態に似ているとか。 笑いも、つい振り向いてしまう美人と同じ。 明るさと、下ネタとしても、 アッサリした清潔感が必要。その最低条件は、具体的な生々しさを消すこと。 ― 世界一短い小噺特集 ― 1.天国の話 :「アノヨッ」 2.ほんとうにあった話 :「ジツは(実話)」 3.旅行の話 :「この度(旅)は」 4.十二支の話 :「エット(干支)」 5.ピカソの作品 :「エッ(絵)」 6.四谷怪談 :「今からユーレイ(言うでぇ)」 7.気分が良くなる話 :「そうかい」 8.テレビラジオの話 :「ホーソウかい」 9.おならの話 :「ヘェー」 10.「こんな所に魚の頭が落ちているよ」 :「アラッ」 11.「向こうから来るのは坊さんかい?」 :「ソウ」 12.「小さな鳥が落ちた」 :「コトリッ」 13.「お母ちゃんカギ落とした」 :「キィーつけや!」 14.「台所使ってもいいですか?」 :「勝手にしなさい」 15.「この野菜何と言う野菜?」 :「きくな」 ― 〜他にいくつか ・日本酒を飲んで、飲酒運転してるやつが突然言いました。 ゲッ!警官(月桂冠) ・これは、ソースですか? そうっす! ・この椅子に座ってもいいですか? いいっす! ― 〜 おまけ 魚屋さんの店先で、あるお客が「このイカ、タコかな」 「お客さん、イカはイカですよ」 「はい、わかってます。 このイカを炊たこかなと思って」 ― ある母子が、京都の都をどりを見に行きました。しばらく踊りを見ておりまして 「お母さん、あのおねえさん、まだ着物脱がないの?」 「バカね、着物なんか脱ぎませんよ」 「でも、この間、お父さんと行った時は、全部脱いだよ」 ― * 笑いの真髄 (一度書いた内容だが、私が最も好きな小噺) ある男暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。 「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって 待っているように言われた。 その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。 鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。 1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。その部屋に行くと、 数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。 一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかけると、 その男曰く「いや1週間前はもっと面白かった! 馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」
・・・・・・ 3670, 節目どきに ー5 2011年04月13日(水) * 娑婆には知らないことばかり 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、 10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始 されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。 「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と 思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、 成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。 家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると 聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない 上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、 ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。 平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、 ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、 そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の 平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、 一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の 運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く なった分、身体を動かさないと! ・・・・・・ 5872,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜6 2017年04月13日(木) * 30歳辺りが最大の転機というが ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。 責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る 難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、 真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の 基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、 30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、 出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、 何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を 目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。 血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、 本番の創業に向かうことに。 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。 34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、 余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、 準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。 背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、 人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。 18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回 のヨガで持ちこたえているが… 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から 見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、 もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか? 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。 石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。 ・・・・・・ 4410, 夫源病と妻源病 2013年04月13日(土) 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、 「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人 いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー ≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、 妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の 役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす 病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、 激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、 不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満 が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、 と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、 プチ家出をする、などがある。≫ ▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦 の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。 また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の 「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、 団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして 今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。 多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。 で、やはり強いのは大方は御夫人の方? ・・・・・・ 5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー� 2016年04月13日(水) 〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜 〔国立科学博物館 海部洋介〕より 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。 以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の 70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の 己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の 人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。 * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い ≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を 越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。 ・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。 恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし 数字の大きさが全てだとは、私は思わない。 ・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中 緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。 ・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、 つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え 無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が 植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など 様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。 ・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物 がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。 衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を 開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。 ・かつての世界には、ジャワ原人、フローレス原人、ネアンデルタール人など の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。 世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。 私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫ ▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する 権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。 権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代 のアメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに 包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える 仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、 以下につづく。 ・・・・・・ 4036, 一時停止 ー2 2012年04月13日(金) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 昼と夜 ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より ≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。 私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは 詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、 人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い 行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」 詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら 詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが 言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです 「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは 黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、 ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間 の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を 諦めているわけではないのです。」≫ ▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも 夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。
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2019年04月12日(金)
* 早朝、つれづれにお笑い! ◉ フランスに逃げ帰った?ゴーンの妻が帰ってきて検察に出頭をした。 ‘これでは正にコント’と数日前に、ここで述べた。 「だから、ゴーンの身柄確保に踏み切った」検察の主張を妻自らが実証した ことになる。それに気づき再来日してきたのだろうが… 逮捕かどうかは?
◉ 塚田副大臣につつき、桜田五輪担当大臣が失言をして辞任をすることに… この時節に、『災害対策より、候補者の勝利が先!』と本音…。これでは 首相が首を切って然るべき。 大臣として、最も顔を売れる恩恵を受ける職責。 ここまで失態を重ねる中で、野党がこの地方選挙で大勝できないとは不甲斐ない。 今まで問題にされなかったリップサービスも、ネットで瞬時に拡散される。
〜〜〜〜 現実社会そのまま描写するとお笑いそのものだが、他人事ではない… そこで小噺でも…
〜老夫婦 (以前、紹介したが… 何か身につまされ再び) ある田舎町で結婚50周年を迎えた老夫婦に地元の新聞社がインタビューした。 「50年間も結婚を続けてこられた秘訣は?」 すると夫が昔を振り返って懐かしそうに答えた。 「わしらは新婚旅行でメキシコへ行ったんじゃ。そしてロバを借りて二人で砂漠を のんびりと歩き回った。すると妻の乗ったロバが急にガクンと膝を折り、妻は落ちて しまったんじゃ。妻は『1』と言うと何事も無かったようにロバに乗り、再び散歩を 続けた。するとまたそのロバが急に膝を折ってな、妻はまた落ちてしまった。妻は 『2』と言うとまた何事も無かったようにロバに乗った。そして三度目に落とされた とき、荷物の中からリボルバーを取りだして、ロバを撃ち殺してしまったのじゃ。 わしゃあ、びっくりしてな。いくらなんでも撃ち殺すことはなかろうと妻をひどく 叱ったんじゃ。そうしたら妻が言ったんじゃよ」 「何て?」 「『1』」 ― 〜味噌汁の味 ある所に息子夫婦と舅(しゅうと)が三人で住んでいた。 一年前に他界した 姑女は、とても温和で上品な人、嫁にも優しい人であった。 が、舅の方はそれと反対に、頑固で少々意地の悪いところがあった。 かいがいしく世話をする嫁の行動に、いちいち文句をつけるのだ。 中でも味噌汁については 舅:「婆さんとは全然味が違う、なっとらん!本当に覚えが悪い嫁だ!」 と毎日嫁を怒鳴りつける始末。 ある日、とうとう頭に来た嫁は舅に出す味噌汁 の椀に、こっそりと殺虫剤を振りかけた。 その味噌汁を一口すすった舅が一言。 舅:「これじゃよ!この味じゃよ!! 婆さんの味噌汁は!!」 ― 〜チュウ 家の大掃除をしていると、一匹のネズミが走り去りました。 「キャッ、びっくりした。今のネズミ大きかったなぁ。」 「なぁに、たいしたことはないよ」「いや、大きいよ」「小さいよ」「大きい」 「小さい」「大きい」「小さい」・・・・、二人で言い争っていると、 さきほどのネズミが、「チュ-」 ― 最後は …とっておきの("^ω^ 〜誰の物まね? 「誰の‘真似声’で電話をしているの?」 「うちのマネージャーっぽい真似じゃ」 <マネジャーを雇う余裕のない事務所にて>
追:ところで、書き残こしておけば〔私にも歴史あり、過去有り!〕に。 去年の出発の日は桜は散っていたが、今年は、これから… 平成最後の桜見だ。 たしか同級会と重なっていた。今年も、花見を兼ねた会が開かれる通知が… 30分早いが、さて福島江と信濃川土手の桜見のポタリングに出発…
・・・・・・ 6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2 2018年04月12日(木) * こんにちは、わが青春の金沢へ 日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、 夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主… その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、 国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて… 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。 バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み こんでないようだ。 今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、 「あさひ舟川」の花見』が主である。 『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。 写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で 着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、 観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の 若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の 3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが 悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の 団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端 に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある 美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。 それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り 歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。 何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節! 〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜 <江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川 東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形 な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街 の1つである主計町がある。 茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年 12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。> ―――― 2001/12/21 [178] 忘れられない店ー4(金沢) ー平家ー鉄板焼き 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。 4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。 落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。 今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が 油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような 親父で、その話を聞いているだけでよかった。 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、 必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。 「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。 たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。 何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で 大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴 を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。 それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。 ―――― 5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月 2015年04月11日(土) * 北陸新幹線開通1ヶ月 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、 富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と 引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在 でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を 一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に 習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。 特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。 その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半 で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の 会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。 高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。 ―――― 2014/06/05 「事業人生を決心して45年」の語り直しー8 * 「語り直し」を始めて驚いたことは 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。 ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。 嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。 むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、 多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、 大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、 抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との 東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋 で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。 同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下 を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの 家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの 若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。 それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。 ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、 「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。 「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、 「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」 と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も 考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。 一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが 青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、 「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、 創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、 人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を 自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。 ―――― 2014/06/03 「事業人生を決心して45年」の語り直しー6 金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから 始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、 円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か 質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。 曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。 ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、 グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 ーそれについて以前書いた内容が以下である。 ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー 【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。 研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。 センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は 感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声 で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り 返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを 互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。 その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、 はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく 過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。 ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう 決まっている、その人のソフトのベースもある。 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、 人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。 人生に無駄なことなど何もない。 * ST訓練とは? ーネットで検索ー 《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し 行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では 「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。 すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり 「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。 従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を 柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。 一般的な効果としては次のような点があげられます。 (1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。 (2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。 (3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。 (4) リーダーシップを体験的に学びます。 (5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》 実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
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| 6600,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −2 |
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2019年04月11日(木)
『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』 ユヴァル・ノア・ハラリ著 * “衝撃の書”が語る人類の未来 〜サピエンス全史/ホモ・デウス. NHK 2019 年1月1日〜 先回、この番組をみた直後、この本を図書館で借りてきた感想を書いた。 その後、録画した番組を三度見直す度に新たな認識を持つことになる。 「人類種のなかでなぜホモ・ サピエンスだけが生き残ったのか」など、人類 の歴史を独自の視点でひもといた構成。 人類250万年の歴史から、 「小麦に人類が逆に家畜化された」など独自の視点でひもといている。 ホモ・サピエンスは、AIやバイオテクノロジーにより、ホモデウス(超人類) に進化して別の存在になろうと。 とすると現在、子供が学んでいる知識は、 将来何の役に立たなくなることになる。 現在の情報革命と、それがもたらす 新しい事態は、人類の枠を超えた『生命の発生以来の40億年以来の革命』と アッサリ言ってのける。 現実社会を僅か20〜30年の間で、情報ネットが覆って しまい、支配権を奪ってしまった上に、現実を革命的に変えつつある。 10年前は、20万年来の革命」と聞いた時には眉唾に感じたが、その後の現実 からして、「40億年来の大革命」も妙に納得する。外国にいる子供たちと、 スマートフォンで、互いの顔を映し出し、生映像でやり取りする現象は、 一時代前には考えられないこと。 〜印象に残った個所を数回、抜粋する〜 <「人工知能とバイオテクノロジーで、人類は神に昇格する。 乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な「無用者階級」ができる 『欲望すらAIに支配される無用者階級』という強烈な事態。AI時代に 取り残された人達は「無用者階級」となり雇用不能者に…> <人間が取残されないために、一生を通して学び続けなければ、繰返し、 自分をつくりかえるしかない> <文明は「虚構」の上に成り立っている。文明が発達するほど、我々は 不幸になっていく。なぜならその文明は「虚構」の上にもたらされた からだ─。> <西ヨーロッパは近代以前、巨大な帝国の中心地だったこともなければ、 経済の中心地だったこともありませんでした。西ヨーロッパから広まって いった世界宗教もありません。ローマ帝国は、西ヨーロッパの帝国ではなく、 地中海を中心とした帝国でした。そんな後進地域だった西ヨーロッパが、 なぜ世界を支配することになったのか。 その謎を解く鍵は、 「近代科学」と「資本主義」の二つが西ヨーロッパで組み合わさったこと。 じつは「近代科学」と「資本主義」には、共通点があるのです。それは、 「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく次の未知の 領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは誰も 知らない。だから探検しに行こう。そうすれば、何らかの知識を得ること ができ、その知識は自分の力になるはずだ」> <『サピエンス全史』の第四章で「ホモ・サピエンスは、あらゆる生物のうち、 最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ生物史上最も危険な種だ」と。> ― ▼ 『何ゆえ、私が「秘・異郷ツアー」をライフワークにしてきたか?』が、 事例が変われど、道理は同じく書いてある。 《 …それは、「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく 次の未知の領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは 誰も知らない。だから探検しに行こう。 そうすれば、何らかの知識を得ること ができ、その知識は自分の力になるはずだ」と… 》。 これをツアーという システムを使って楽しめたのだから、ツアー御宅も悪くはなかった。それは、 何らかの知識ではない。私の小さな世界にとって膨大の知識と経験を得ること が出来る非日常の世界。何かのコマーシャルに、「思い出は金で買えない!」 のフレーズがあった。永遠の彼方に持っていけるのは、未知の領域で得た経験と 知識だけ。それをいとも簡単に現代科学はVR(バーチャルリアリティ)で 仮想化技術で… それがSF映画として、私たちの仮想体験を可能にする。 YouTubeに6畳間に65㌅の高性能のネットTVの導入事例があった。一歩部屋に 入ると、嫌な現実からトリップできる、良き事例として…。 『凄いな!』 と感心したが、『この寝室は8畳間、大して変わりはしないじゃないかい!』 17世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーが <平穏は、地下牢のなかにもある。だからといって、地下牢を暮らしやすい場所 にするだけで充分だろうか> …は、閉鎖的城下町でつくづくと思うこと! 石牢の呟き嘆きが何ともうら哀しく、時には悲鳴に聞こえてくる。時に慰めに?
・・・・・・ 6237,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 2018年04月11日(水) 昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。 地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、 早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅 への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 ・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、 ・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』 ・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。 家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの 秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、 桜の開花が一週間早まり満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。 それでも、満足できる散策。 その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、美味しかった。 「ひがし茶屋街」の散策を1時間ほどして、帰路についた。 金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。 立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、 マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、 女性専用のマンション寮が大うけで、若い女性の就職希望が殺到していた急激 な右上がりの会社で知られていた。しかし、勤めて半年もしないうちに、ドル ショックが起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る 激動の最中。社長と、ナンバー2、3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの 相談と、信頼の構築。 肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。 最悪が故に、面白いことが多かった。女子寮内に、誰か茶道に通っている人 が居ないかと聞いて、寄宿していた寮の近くの一般家庭の主婦が 教えている家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに数人、 金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通いながら、 様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでいた。金沢は外モノには優しく、 仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いが歴然としている階級社会。 男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、男をたてる世界。 富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、金沢に… 。 当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる茶屋街が「ひがい茶屋街」 「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで集められ、現在 に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店のパンフレット 配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられない。 出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、芸子の スッピン顔だったと、今回の散策で気づいた。それでは綺麗なはずだ。 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除いて、四日市、神戸、金沢、新潟、 長岡市と、仕事で渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が 一番の粒揃いで‘粋’があった。文化面で一番、影響を受けているのが、 京都の文化である。北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、 他に、料理文化の深さ。現在はどうか知らないが、おでん屋、小料理屋、 喫茶店に味わい深い店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、 どの場面も、青春の真只中の思い出は尽きない。時代は、経済が激動の 中でも、右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。 ドップリ地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。 これを書いた20分後に、ポタリングに出発し花見をする予定。 長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。 習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ…日常の世界に 舞い戻った。一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくること になるが…
追: いま気づいたが、3年前に、以下を書いていた。 少し出来過ぎだが、こんなものか。話題の在庫が少ないだけだが。
・・・・・・ 5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月 2015年04月11日(土) * 北陸新幹線開通1ヶ月 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、 富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と 引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在 でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を 一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に 習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。 特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。 その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半 で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の 会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。 高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。 * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評 ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、 これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。 《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。 彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を “さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症” になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに 襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」 と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給 自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略) クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見 どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息 していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人 たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を 続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、 タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村 に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》 ▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、 主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、 脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・ 4775,ぼんやりの時間 ー8 2014年04月11日(金) * 「懶」 ー心の余白 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが 懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。 事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を 知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、 お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。 《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の 人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。 懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎) の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?. 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、 それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の 定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、 東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化 しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと 動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を 捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは 思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。 「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的 瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》 ▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。 それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が 似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! いや、埋めようがない!
・・・・・・ 5870,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜4 2017年04月11日(火) 昔から、「逆境には根を、順境には枝をはれ」と言われてきた。 若い時の大病、浪人暮らしなどニュートラルゾーンの七難八苦の苦労は買って でも、するだけの価値は充分ある。その空虚感は、当人には一大事だが、なれば こそ、多くのタネがみえてくる。孤独の極みが、強力な磁石に自らなることに、 ということ? ★ 第2段階……ニュートラルゾーン ≪ ニュートラルゾーンは、何かの終わりに伴うさまざまな喪失感を受け止め、 耐えるべき時期です。ニュートラルゾーンにおいて人は深刻な「空虚感」を 味わう。始まりとの間にある空白の期間であり、進むべき方向が分からず、 ただ立ち止まって逡巡しているだけに思えるが、決して後ろめたく感じる必要 はない。空虚感は、終わりまでのプロセスの自然な結果であり、実は、新しい 人生のための下地が準備される時期だからです。 だから、こうした空虚感から逃れようとじたばたせず、むしろその感覚に 素直に降伏するのです。もちろん、これはとてもつらいこと。しかし、新たな 「再生」のための「死」(過去の自分との決別)を象徴しているのが、こうした 空虚感です。この空虚感の中からこそ、新しいあなたが再び誕生するのだと考え ましょう。ブリッジズは、ニュートラルゾーンの体験を意義あるものにする ための具体的な対応を6つ示しています。 ●1.1人になれる特定の時間と場所を確保する (孤独の中でこそ、人は内なる声を聞くことができます。早起きをして散歩 する。仕事の後、落ち着けるカフェでゆっくり休むなど、一時的にでも離れて 真に 孤独になれる時間と場所を確保をする。) ●2.ニュートラルゾーンの体験の記録を付ける (ニュートラルゾーンにおいて自分の心をよぎるさまざまな 気持ちや考え、アイデアを書き留めましょう。) ●3.自叙伝を書くために、ひと休みする (自叙伝を書くことで、過去の振り返りと整理ができ、 上手に何かを終える ことができるのです。) ●4.この機会に、本当にやりたいことを見いだす (とことん自分と対話する機会です。さまざまなしがらみや固定観念や他者の 影響を切り離し、素直に自分の心に「何がしたいのか」と問い掛けてみる。 ●5.もしいま死んだら、心残りは何かを考える (ブリッジズは、自分の「死亡記事」を書いてみることを提案しています。 自己分析の練習になります。生年月日、両親、兄弟、学歴、所属、賞、 趣味、そして、最後の言葉をメモ程度でいいので書いてみます。死亡記事を 書くのはぴったりの作業です。この死亡記事から、過去の自分の人生で やりきれてないこと、本当にやりたいことが見えてくるかも。) ●6.数日間、あなたなりの通過儀礼を体験する (昔、若者は、一人前の成人として認められるために、15歳など、特定の年齢 に達すると住む村から一定期間離され、そこで何らかの試練が与えられ、 また孤独な時間を過ごす「通過儀礼」を体験させられたもの。≫ ―― ▼ 始りと終りの間のニュートラルゾーンに、「空虚」と「発芽」がある。 空虚が強いほど、「発芽」の力、新たな「心、観、学、術、体」の‘芯’が、 自ずと蓄積される。<心の芯を強固にし、その観方で、学んだ事を術に高めた 結果、それが体として具現化。> それを水面下で準備する時節が、この時節。 99%が、落込みからの諦念が、その肥しになるが、そこに自然と楽観が出る。 そうこう考えると、トランジション理論は、創造論、創業論のベースである。
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2019年04月10日(水)
* ケーシー高峰 逝く 次々、私たち世代と供に生きた芸人が亡くなっていく。寂しいが、これだけは… 正月のNHKお笑い番組で必ず出演していたが、この数年、出てこなかった。 医事漫談の第一人者として、半世紀以上も活躍。 俳優としても渋い演技で 数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け。 〜ネット記事によると… < 黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰が 8日午後、肺気腫のため入院先の福島県いわき市内の病院で死去した。85歳。 山形県出身。葬儀は近親者のみで営まれる。医事漫談の第一人者として、半世紀 以上にわたって活躍。 俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチ タレントの草分けだった。 軽妙洒脱な話術が持ち味。30年以上前に移り住んだ いわき市内の病院で家族らにみとられて旅立った。> ― ▼ あと二年足らずで後期高齢者の時節の、現象とは、TVの映像世界 の芸人など有名人の死を見送ることにもなる。成るほど、人は死ぬべき時には 死なないと! その死に様も、芸人らしく下ネタお笑いらしく、グラッチェと。 このところ、芸能界で松方弘樹や、渡瀬恒彦(72歳)、野際陽子(81歳)など 昭和の時代から活躍してきた芸人が亡くなったいる。 ―― * 追悼の、ネットでみつけた小噺 その1:「徳利にお酒は残ってますか?」「はい、チョコッと」 その2:「あんた背高いね」「ハイ」 その3:「隣の家に囲かこいができてんてなあ」「へー」 「隣の家に塀ができてんてなあ」「カッコイイ」 その4:「ハトが何か放こきまったで」「ふーん」 「ハトが糞かけよったで」「くっそー」 「ハトが帽子に糞かけよったで」「ハット」 その5:「お母ちゃん、パンツ破れた」「またか」 「お母ちゃん、パンツの前破れた」「玉々にして」 「お母ちゃん、ケツ破れた」「尻ません」 「お母ちゃん、ズボン下破れた」「もう、そこへステテコ」 =魚シリーズ= その6: 「今、何時や「クジラ」 「この腹の大きい魚は、何という魚や」「ニンシン」 「この魚、何ぼや?」「タラ(ただ)」 「この魚、黒いなあ」「まぐろ(真っ黒)」 「夏に食べる魚は何や」「さんま(サマー)」 「やけどした魚は」「アジッ」 「寒がりの魚は」「サメー」 「やわらかい魚は」「フニャ(鮒)」 「この魚、めずらしいな」「久しブリや」 「けんかの応援の好きな魚は」「助っ人ダラ」 その7: 「お母さん、海は何で青いの?」「空が写ってるからよ」 「じゃ、空は何で青いの?」「海が写ってるからよ」 その8:「お母さん海に潜もぐって貝を取る人、海女あまっていうけど、 海女はどうして、お母さん達だけなの?」 「お母さんはね、海(産み)の親と言うでしょう」 (だから海の字の中に、母が入ってます) その9: ある人が海に潜って、貝を取っていたところ、地元の漁師さんに 見つかりまして、叱られていました。「ここは漁業権があるんや、 あんたら誰の許可を得て、貝を取っているんや?」 「すいません、もぐりでやってました」 〜お後が宜しいようで…
・・・・・・ 6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ) 2018年04月10日(火) * 寺山修司 ・語録より 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。 それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に 読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会 の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー などは特にそうだ。 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。 ――――
“カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」 と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。 「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。” ― “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは 変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが 幻影の体験なのである。” ― “われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を 生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”
“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから 「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、 すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”
“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”
“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。 回帰するやつは、みんなくたばれ。”
“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を 終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は 主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”
“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を 実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」 である―というわけだ。”
―――― ▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。 それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?… …人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、 いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。 老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。 閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。 今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も 圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、 伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… ‘生きていればこそ’ではあるが。
・・・・・・・ 3667, 節目どきに ー2 2011年04月10日(日) 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、 ・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての 立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。 ・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より 二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。 グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。 ・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、 部屋在庫を多く持ちすぎたことである。 ・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後 10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、 「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない 人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌 という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下 のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。 この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能 汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??) に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史 に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、 客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、 ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、 建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・ どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。 ・・・・・・ 4033, シングルイン、31年間の総括 ー9 2012年04月10日(火) * つれづれに ー9割がた終了 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを 加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件 で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。 これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに 逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。 夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷 が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中 し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、 深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測 される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。 その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、 拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、 銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。 ・・・・・・ 5869,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜3 2017年04月10日(月)
計画通りに予定挫折などの自己配転を続けるには、「ウエットな心情に、 ドライな頭脳」が必要になる。本来、心は弱く、傷つきやすく、その結果、 生じるのが、離脱、アイデンティティや、方向感覚の喪失感である。 それらを克服していくプロセスで生じてくる覚醒と、信念の芯の強化が自然と 生じてくる。 「正 中心 一点 無」を想念し、問題の中心点を只管、想い 続けるしかない。 それが予定挫折としても、厳しさは同じ。 トランジションを3段階に分けた内容とは ★ 第1段階… 何かが終わる ≪ 何かが終わるとき、自分の意思で終わらせられる場合と、自分は望まない のに外部の状況や他者の影響で強制的に終了させられる場合があります。これを 仕事でいえば、前者は自己都合による退社、転職。後者は企業都合による解雇、 転勤、異動などで、慣れ親しんだ仕事、職場から無理やり離される場合です。 後者は、自分が望まない変化であることも多いため、ひどく落ち込んだり、 やる気を失う人もいるでしょう。 強制的であれ自分の意思であれ、これまで持っていた何かから離れることは、 心理的な痛みを伴うものです。うまく物事を終わらせることが容易でないのは そのためです。しかし、何かの終わりは何かの始まりでもあります。 たとえ自分が望まない終わりだとしても、新しい自分を発見する良い機会だと 考えて気持ちに折り合いを付け、過去と決別する必要があります。ブリッジ氏は、 「アンラーン(un-learn)せよ」、つまり、「過去の考え方を捨てよう!」と 提案しています。 さて、何かの終わりをうまく処置するのが難しい理由は、終わりに 直面した人のほとんどが経験する以下のような感覚があるからです。 •離脱(Disengagement) それまで慣れ親しんできた場所や人から引き離されることから生じる感覚。 •アイデンティティの喪失(Disidentification) 過去の世界とのつながりを断ち切ることで、自己定義の手段を失ってしまい、 自分は何者であるかということが分からなくなる感覚。 •覚醒(Disenchant) 自分がこれまで属していた世界に抱いていた楽観的な見方は幻にすぎないと 気付く感覚(会社や他者に裏切られた場合により強く感じるもの)。 •方向感覚の喪失(Disorientation) 今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきかといった目標や計画が 失われる感覚(解雇など強制的な終わりによってもたらされやすいもの)。 何かの終わりに伴う上記のような感覚からは逃げることなく、 次のニュートラルゾーンにおいて、とことん味わいつくすことが重要です。≫ ― ▼ まず直面するのが、孤立と、孤独に伴う自己喪失感。そこで必要なのが 幼児時期から、これまでの親からの愛情の温み。それと、小さな成功体験。 そして読書習慣による時空を超えた他者との触媒。一度、生身の世界から離れ、 自分の信念と、能力の棚卸をすること。特に強みと弱みを見据えること。 そこにあるのは、何の力も、魅力も、温かみのない、小さな哀れな自分。 それを直視してから、具体的に歩みを進めるしかない。過去を引きずらない ことが、最も重要なことは、周囲を見渡せば一目瞭然。捨てきれない自分が、 ここにいる。どの道、誰もが直ぐに死ぬのだから… どの道、同じですか。
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2019年04月09日(火)
<「四苦八苦の哲学」永江朗著 > * 漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける 永江らしい厳しい言葉の羅列である。老いた自分の姿と顔を鏡で みる度に、愕然とする日々。とはいえ、老いは時間の問題で、誰の頭上にも 降り注ぐのはごく当然のこと。長生きもプラス面もマイナス面もある。長生きは 死損なった状況でもある。 ≪ ボーヴォワールは、老いについて ヒポクラテスによれば、人間が頂点に達するのが56歳と、 アリストテレスは肉体の完成が35歳。魂の完成は50歳とする。 ダンテによれば、人は45歳で老境にさしかかる。 今日の興行的社会を諦念退職させるのは一般に65最である。』 ある漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける。これは生きる姿勢にも通じる。 更に… ボーヴォワールは 『老人は社会からみれば猶予期間の死者にすぎない。』 『ジジイよりババアと言われた方が厳しい。雌は獲物。若さが枯れた老女は…』 彼女は、ジュアンド―の言葉を紹介している。 『半世紀の間おれは20歳でありつづけた。いまやこの不当所得を 返上するときがきた。』と。 『現在において、われわれは、われわれの過去を乗越える投企によって 未来を志向する』 ≫ 著者の永江は<人間にとって、死ぬのは二人称と三人称の死かしかないが、 ところが老いは違う。三人称あり、二人称あり、一人称まである。 笑い話がある。『50年ぶりの同級会に出席したら、じいさんばあさんだった」 そう笑う自分が抜けている。 ― ▼ これを書き続けてきた御蔭で、精神の起伏は少ないが、それでも同年代の 老いを合せ鏡で見る度に、数時間としても、突如として、老境の自分に愕然 とすることが多くなった。老いそのものは時間経過の状態で、問題は、その受け 止め方。 時間経過とともに、長くなっただけ過去は重くなり、我々の未来は 短くなる。偶然だが、先日、10年後の自分が、その時節の自分の書いたテーマを 読み返しているショートショートを書いていたが、明らかに下り坂のギアダウン した状態は間違いないためか、重い気持ちになってしまったが、それが面白く もあった。そこでは、「いま、ここ、わたし」への集中、永遠の感覚が救いに なるようだが。 その永遠も妄想ですか?
・・・・・・ 6235,閑話小題 〜変じゃないかい? 2018年04月09日(月) * 不可解な? この絶妙なタイミングに… 何か不可解な事件が起きた。大統領の自宅のあるビルの火災にしては、 マスコミは騒がない。このタイミングからして、家族に対する無言の威圧になる。 〜ネット記事によると 【 トランプ米大統領の自宅があるニューヨーク中心部のトランプ タワーで 7日夕、火事が発生し男性1人が死亡した。消防士4人も負傷した。原因不明。 大統領は不在だった。火災が起きた際、トランプ氏やメラニア夫人はワシントンに 滞在中で、親族はビルにいなかった。同タワーはトランプ氏が2017年1月に 大統領に就任するまでオフィス、住居として使用。現在もトランプ氏の私邸と、 長男らが経営する不動産会社トランプ・オーガニゼーションの本社がある。 市消防局によると、原因は調査中。火が出たのは分譲住居部分で、家具などが 燃えて室内はほぼ全焼したという。火災発生時に50階(58階ビル)の窓から赤い 炎が見られ、タワー付近は大勢の人が集まって騒然となった。(2018/04/08) 】 ― 寅さん:時が時だけに、何か薄気味悪い時に、嫌な火災が起きたよな。 大家さん:だろう!人の出入りの激しいビルの中で、チェックは難しいはず。 北朝鮮からすれば、斬首作戦とか言ってるが、他人事ではないよ。 ドローンで、強力爆弾を積んで突っ込めば、それで済む話。 大たい、そんな物騒な場所に大統領になっても住み続ける方が変ですよ。 熊さん:俺だって、その位のことは常識と思うよ。どうしたのトランプちゃん。 寅さん:俺もトラだけど、俺と同レベルかいな。 NHKの番組で、解任の続く ホワイトハウスの実情を取上げていたが、共和党内も、この大統領の存在 に、苦慮していると言っていたね。あれは間違って泡沫がロシアの力を 借りて、大統領になってしまった漫画の世界だね。 大家さん:でも、無謀な政策の実行の段になると支持率が上がるということは、 やはり、アメリカの本心を、そのまま実行しているだけということですか。 八つぁん:少し話が変わるが、北がオリンピックを機会に、中国に擦り寄ったり、 韓国や、トランプ大統領と会談というけど、その前に決裂の可能性が高い。 で、このタイミングに火災だろう。ミサイルの外に、この手もあるかも? の予告ということ? とにかく、あそこは移動した方がいいね。 大家さん:時間稼ぎの手段ぐらいは、知っていて、早期に決裂するのが、トランプ 大統領の思惑さ。ロシア取引疑惑と、無能隠しに、戦争しかないもんな。 八つぁん:金ちゃん、やり過ぎだったよ。あれじゃ核戦争になっても仕方ないよ。 最悪の事態には、最悪の役者が揃うというけど、よくぞ揃った物。これは 歴史に残る迷場面ですよ。 熊さん:俺もそう思うよ。これまで、騙しっぱなしだもの北は。いくら何でも、 もうだまされないよ。で、決裂さ。 大家さん:トランプ:金対談までか、その前の、韓国大統領:金対談までは 大丈夫だろうが、やはり、緊迫した事態を注視しておかないとね。 追) 何とかなるのかな〜 本当に? あれから7年、何とかなったじゃないですか。 ―――――― 4406, 大丈夫、なんとかなるさ 2013年04月09日(火) * よい先生、わるい先生 ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは 思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、 ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から 二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。 ≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問 したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。 独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校 で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の 仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」 と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。 「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」 を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも 変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。 「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫ ▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に 残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳 ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを 書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、 「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の 子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。 「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。 とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! ・・・・・・ 5503,エヴェレスト 神々の山嶺 ―映画感想 2016年04月09日(土) 「山岳遭難もの」は、苦手だが、『映画道』という言葉があるなら、 この『エヴェレスト 神々の山嶺』を避けてはなるまいと、シネマの日も あって、昨日の昼ごろ、心を奮い立てみてきたが、これが思いのほか、面白い。 私の邦画の評価で95点は上の上。 人間の極限状況は、そのまま、人生道 にも通じるところがある。 〜まずは、内容紹介より 《 日本のエヴェレスト遠征チームに参加していたカメラマンの深町誠は、 滑落事故で仲間を失い、登頂は中止になってしまう。 行き場を失い、ネパールの首都・カトマンズを彷徨っている中、骨董屋で ある古いカメラを発見する。それは、1924年6月8日、エヴェレスト登頂に挑み ながらも行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのカメラと 思われるものだった。 マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかと いう登攀史上最大の謎に魅せられた深町は、証拠となるカメラを追い、 一人の男に辿り着く。消息不明だった伝説のクライマー、羽生(はぶ)丈二。 彼はなぜ日本から姿を消したのか?その男がなぜカトマンズにいるのか? 「天才クライマー」と呼ばれながら、無謀で他人を顧みない彼の孤立した 過去を調べるうちに、深町はその生き様にのみ込まれていく。そして、羽生に 人生を翻弄されながらも、彼を愛し続ける女性・涼子と出会う・・・。 二人の男と、一人の女。それぞれの想いが交錯する中、己の人生を賭け、 世界最高峰の“神々の領域”へと足を踏み入れる男たちの挑戦が始まるーー。 岡田准一、阿部寛、尾野真千子、》 〜登山家の[羽生丈二]の言葉が良い。 ――
足が動かなければ手であるけ てがうごかなければゆびでいけ ゆびがうごかなければ 歯で雪をゆきをかみながらあるけ はもだめなら 目であるけ 目でゆけ 目でゆくんだ めでにらみつけながらゆけ めでもだめだったら それでもなんでもかんでも どうしようもなくなったら ほんとうにほんとうに ほんとうのほんとうの どうしようもなくなったら もうほんとうに こんかぎり あるこうとしても だめだったら
思え ありったけの こころで思え
―想え。 [羽生丈二] ――
そこに山があるからじゃない。ここにおれがいるからだ。 ここにおれがいるから、山に登るんだよ。 [羽生丈二] ―― ▼ 魂から絞り出た言葉が、これか、と思わせる内容。お勧めである。 ・・・・・・ 5138,閑話小題 〜二人の旅路 2015年04月09日(木) 前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集 『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から ≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫ 〜ネットに、心のこもった投稿があった〜 《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、 枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。 父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の 中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制 送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、 柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の 貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。 しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も 許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省 に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を 期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇 仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、 2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。 もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、 柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府 の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は 亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。 2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は 遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、 哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》 ▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。 その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。 それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。
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2019年04月08日(月)
* コントのような 人生をふり返えみると、自問自答を繰り返えす、正しくコント。 無知の知で、この程度の自分を笑えるだけ助かっている… コントと思えば 何ごとも許容できようというもの。 ・再度、逮捕された日産のゴーン容疑者の妻が、夫逮捕の翌日、没収された パスポート以外の他国籍パスポートで国外脱出をした。これはゴーン自身に とって極めて不利。再度の逮捕の正当性を妻が肯定したことになる。 それを知ってか知らずか? これってコント? ・地元出身の副大臣の御粗末な本音の「忖度発言」。自民党にとって極めて 甚大な失言になる。権力を持つ者の驕りが集約されている。安倍首相の忖度 問題が沈静してきたのに、この時期に寄りによって… リップサービスと いう言訳がコントそのもの。「また地元出身かよ」が自然と出てくる。 ・地元の県議選、談合疑惑で棄権かどうか迷った末に、野党の候補者に批判票 として投票。それでも当人はトップ当選ともなれば、何をか言わん… 支持者の 忖度があったということ? ここは城下町長岡。この程度では落選はない。
* 庭の梅の木に鶯が連日… 庭の梅の木の花が満開で、このところ連日、鶯がやってきて「ほ〜ほけきょ」 と声高らかに鳴いている。全身が黒目で鶯色が混ざった小型の大きさ。絵に なっている。何故か何時もカラスの鳴き声の直後に、飛び出していく。 この咲き具合だと梅の実が大量に穫れる。そして、梅の隣の桜、次が藤の開花に。 植えた両親は亡くなっても、花は、その時節に咲く。家庭とは家+庭の佇まいを いう。家主が替わっても、そこの草木は育ち続け、花咲き、野鳥を受入れる。 梅も、桜も、藤も、老木?になったが、毎年、この時節に忠実に開花する、 4月上旬の春の息吹きが何とも嬉しい。そして、平成が春と共に終わる。。
・・・・・・ 4772,ぼんやりの時間 ー5 2014年04月08日(火) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「独」―独りでいること ーぼんやり道 「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、 死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が 無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。 ー以下の部分に納得するー 《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば 「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、 群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」 が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、 心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという 気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。 「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに 過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか 何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを 分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」 というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。 「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」 ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは かなり重なっている、と私は思う。・・(略) 「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら 飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画 のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、 あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。 ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・ リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、 重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて 重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ 湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は 作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。 謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》 ▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、 完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、 孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、 急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。 この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が 混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して 楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって いくこと。とすると!
・・・・・・ 6234,閑話小題 〜ストーカーについて 2018年04月08日(日) * ストーカーの特徴とは 最近、元アイドルにつきまとっていたタクシードライバーが逮捕された。 相手にされず逆恨みによるストーカーによる殺人事件も定期的に起こっている。 そこでストーカー研究者が上げる特徴を調べると… ・他人をコントロールしたがる(支配的な趣向) 自らの言動を他人のせいにする(責任を持てない) 社会的に孤立しやすい(社会への適応能力がない) の三つの性格を持つ。 ・自分をつねに周りの被害者(犠牲者)と感じている ・日常的に嘘をつき騙すことが得意 ・怒りをともなう愛情を持つ ・権利を主張したがり、他人への要求が多い ・拒絶を受け入れることが出来ない ・他人がいなくては自己を確立できない(依存心が高く、自立心がない) ・標準的か、もしくはそれ以上の高い知性を持つ 思い込みの激しい、唯我独尊の人で、まず浮かんだのが、刑事モノTV ドラマ『相棒』の陣川公平、その人物像は、 【警視庁捜査一課の経理担当。階級は警部補。大阪府寝屋川市出身。 刑事を目指して部屋中指名手配犯の写真を張り巡らしているが、思い込みの 激しい性格のため、二度も誤認逮捕を起こして、一度特命係に左遷される。 すぐ捜査一課に復帰し、その後も度々登場するが、思い込みが激しく人の話を 聞かないキャラクターにどんどん拍車がかかって、あちこちの事件に首を 突っ込んではひと騒動起こしている。良くも悪くもお人好しなので、呆れられ つつも人物評自体は悪くないが、その性格を利用される事も少ない無い。 思い込みが激しいために失敗が多いが、冷静に全体を俯瞰すると先の事を考え 行動出来る漢らしさを持っており、当て馬となって他人の恋を援助したり、 下記では杉下を先んじた事がある。】 とある。このタレントの演技が抜群。 <日常的に嘘をつき騙すことが得意>以外は、そのままストーカー・キャラ。
この幾つかの要素は、誰にもあるのだろうが… それが好意のある異性に 集中し暴走し、つきまとうとストーカーになる。4人の姉たちの薫陶と生身を 見ていた御蔭で、冷静でいられたが、巷には相性の良さそうな理想に近い女性 は思いの外、多い。数多の人を観てきた中で、この特徴を備えた人の顔が思い 浮かんできた。己が作り上げた虚構の世界に支配され、それが特定の女性に 向かった結果だが。被害者は恐ろしい限り。こういう人を「内省的」という より、「内向的」、いや造語で、「内性的」というのだろう。 片想いなら誰もするが、それが発展して粘着し捻じれた結果だろうか。 元の連合いに、執着し発展するのもあるそうな! …で、図書館で、 『ストーカー加害者〜 私から、逃げて下さい』を借りてきた。 この本のサブタイトルで、粘着型、求愛型、一方型の分類が理解しやすい。 それぞれの好みがあって社会は成立している。その拗れた行為を言う。 当人曰く「隙だらけ!」というが。付いている機能は同じと考え及ばないから、 やはり無知の成せる業。何の世界は、男も大変だが、女は、もっと大変だ!
・・・・・・ 5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日 2015年04月08日(水) * 定年・夫婦で走った40日 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。 平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、 今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店 の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。 48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。 〜まず、NHKの番組案内より ≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた 中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。 伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の 心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫ ▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を 振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、 向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。 二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽? されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の 悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の 10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の 脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、 妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。 ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。 「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。 ・・・・・・・ 3665, 関係性が問題 2011年04月08日(金) カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の 問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという 問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの 立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、 そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の 組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・) 色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた 立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦 関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好 になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。 ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。 その結び目が関係性である。 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー 【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、 そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」 2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。 「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」 3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」 「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」 5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」 ▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
・・・・・・・ 5867,閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合 −2 2017年04月08日(土) * 大蔵直轄統治の大光は ・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は 下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、 前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から 他県の有力な地銀との連合が筋道なるが… 考えてみれば、今まで動きが 無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の 疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行 まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。 銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、 弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが 銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉 強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。 立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。 ・バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。 長岡市内の4行のうち、二行が統合なら、残り二行の統合案も奇抜でない。 しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。 ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。 また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、 元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。 ・大蔵官僚として、天領の天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、 問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは、官僚役人 の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は 絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ 浸かってしまった私。「事前の一策は、事後の百策に勝る」という。 この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、 文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!
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| 6596,閑話小題 〜即席・ショートショート −2 |
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2019年04月07日(日)
* 10年後の「技術的特異論者」の呟き ≪ 今から十年前の、この随想日記を紹介しよう。でも、83歳まで生きて いようとは思わなかった。成るほど「死にぞこない」である。しかし、 生死の際なればこそ、情報機器の進化の御蔭で、技術的特異の現象を味合う ことができた。 10年前の、この文章を読もうと思ってもみなかった。 一年近く前に1万テーマを書上げた。これらの内容を同月同日に読返すことで、 脳の活性化が出来ていた。老いるとは、老いという病気が重症化を していくことでもあった。 じゃあ、生きていて良かったかと言われれば、 「実に良かった」のが現実。世界は日々変わっていく。10年前に、 「技術的特異点」が2045年と言われていたが、既に、到達してしまった。 今では世界は、AIの判断を最大限に徴用する風潮になっている。そうするしか ないもの、正しいのだから。身体は老化で動きにくいけどね、小さなロボット に、これまで書いた随想日記をインプットすると、その時の気分に応じて、 呼出してきて、その関連映像を、自動的にゴーグルに360度の視界に呼出して くれる。嗅覚、味覚も、脳の神経を刺激することで再現できるとは… 自分の過去も、例えば20歳の1966年の映像が、瞬時に次つぎと現れる。 それは、10年前でも可能だったけどね。 当時、ドローンって有っただろう。 あれがAI化して進化して、配送の世界を激変させたの。自動車のAI化の技術が、 様ざまな分野に応用されてね。何でも自動化されて、人間を駆除したしまって。 通貨も今では、多くはネット決済。仮想通貨も当り前だもの。無用階級の 人たちが殆ど。何もできない… 誰の責任でもない。生まれが悪かっただけ。 当時、生命誕生から40億年来の革命って書いていたでしょ。まったく、その とおりになってね。 情報化って、何もかもが、直に評価され晒される。 この時代、物語化する能力が重要になってね。 何とか、それで昔を語っている から、娑婆?に繋がってるし。 ≫ ― ▼ 即席のショートショートだが、10年後の視点からの独り語りは疲れる。 8割かたは生きていないだろうが、死損なって、読返したら何と思うか。 以前、みた映画 「LUCY/ルーシー 脳が覚醒した女 」を想いだした。 【 ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの 闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは人間の体内にある物質を埋め込み、 その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシー の体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の 人間なら全体の10%しか機能していない脳の機能が、徐々に覚醒していく。 脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と 同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するため に動き始める。 …覚醒度が進んだルーシーは、他人の肉体、磁波、電波の制御 が可能になり、量子物理学、応用数学を含めた膨大な知識を脳にインプットし、 細胞核の無限の可能性を体感するようになります。】 恐らく、このままの生活習慣を10年間も続け、情報機器の進化に馴化すると、 ヒロインのルーシーの数十分の一まででないとしても、脳力は、現在と比べて 数倍、数十倍にアップするのでは? それが世界中の人々ともなると… 考え合わせると、人類の、そう遠くない未来に悲観的になる。 <アッラーの御望みで、一度、清算を…>などと考える輩が出てくる可能性が。
・・・・・・ 6233,閑話小題 〜「人は成熟するにつれて若くなる」 2018年04月07日(土) 『人は成熟するにつれて若くなる』ヘルマン・ヘッセ (著), * 成熟は、若さを誘う <「わがままこそ最高の美徳」>と同様、Amazon内検索で見つけたヘッセの本。 還暦、古希を過ぎて暫く経つが、肉体の劣ろいは感じても、気持ちは40、50歳時 と殆ど変わってない。後先が少ないためだろうが、好奇心だけは、ますます冴え わたっている。老化で「バカの壁」が薄れてきたためだろう。私としては、 「成熟のため!」と思いたいが、如何考えても思い当たる節がない。 以下のヘッセの言葉は、鋭く私に問いかける。 ―― <☆は、思い立ったこと> ≪・<老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじ ように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ。> ・<老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも 知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。 私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない。> ☆ 生贄ですか、あれが生贄… 。
・<六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの 心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たち を見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり 変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。 そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは 鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。> ☆ 最近、故人も、現に生きている人も、同列に思えるようになってきた。
・<見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練と なって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。 望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうである ように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、 期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。 ―そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から 逃れて『ヴィータ・コンテムプラティーヴァ』、すなわち『静観の生活』に 到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆する。> ☆ この過去文を読んで、毎日、実感している。
・< 若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、 私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、 私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったこと を思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年を とってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり辛抱強くなったと考えよう。> ☆ 上杉鷹山の言葉といわれる【 子ども叱るな来た道だもの年寄り笑うな 行く道だもの来た道 行く道 二人旅これから通る今日の道通り直しのできぬ道】 が思い浮かんできた。 人生の何れかの途上で世界をみている。そうこう言って いるうちにゲームオーバー、プッツン! そう簡単に死なせてくれないか?
― ▼ 老い先短くなると、寺山修司の<ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない> の言葉が空虚に聞こえてくる。 <ふりむけ ふりむけ 先には時間がない> になる。だから、焦り、苛立つ老人が徘徊する。その一人ですか? 女子供に近づくな!というが、あと、老人を加えた方がいい。耄碌とは呆けに 妄想が加わるから恐ろしい。その世界に一歩も、二歩も、踏み込んでしまった。
・・・・・・ 4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4 2013年04月07日(日) * 第三時限 いい加減にしなさい ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に 感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら 人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。 隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を 迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー ≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて しまったほうがいい、というふうに。 赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。 天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。 赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。 天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫ ▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。 ・・・・・・ 4771,ぼんやりの時間 ー4 2014年04月07日(月) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー� 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。 そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に なっている状態なのか。 その5文字は 1、「闇」―蛍と星とダークマター 2、「独」―独りでいること 3、「閑」―逆茂木に囲まれて 4、「怠」―「1日4時間労働」の夢 5、「懶」―心の余白 である。 ☆ まずは「闇」から 《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、 いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・ 崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、 一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、 銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの 視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。 花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を 放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 ・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、 緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》 ▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると 闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。 そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。 ・・・・・・ 4030, 一時停止 ー谷川俊太郎ー自選散文 2012年04月07日(土) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や 特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。 谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を 読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた 文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。 * 「青年という獣」1957年 ーより ≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活 するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は 少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると 危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに 抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。 一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり 得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。 人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての 夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を 喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。 倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、 青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。 彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。 彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。 死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、 コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、 コスモスと戦った。 ≫ ▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって 青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ 彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を 果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的 になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 本当の生活者になるのは、これから。
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