堀井On-Line



5640,女はギャップ  〜②

2016年08月24日(水)

 <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 女の鎧はプライド
〜テーマから離れ、女性の心根を、私の持論で論じてみる。
 さてお立会い!〜
≪「男はギャップ」という切り口で、「若い女性の心の鎧」を脱がせるには、
< 気楽に褒める、安心感を持たせ、優しくすること、身方になること。> 
 美人ほど、プライドを満足させる言葉や態度で表して欲しいようだ。
鎧を堅くするのは、< 下ネタと、女性蔑視と、嫌らしい視線と気持ち。>
「自分は特別な存在」と心の奥で信じて疑わない。 つくづく思うのは世の中、
不平等に出来ていること。 女性は、価値が外形で決まるから複雑になる。
 男としての第一歩は、センスと美貌を褒めること。簡単そうだが、タイミング
が難しい。更に、言葉以前に好意を持つこと。 これだけは簡単! 
そのためには、気持ちが自由であること。
 世の中、「不平等で、不自由で、憎しみで満ちている。」その別名が「世間」。
特に、女子供には、強い。 それから解き離れるには、心が、自由で、平等で、
博愛を求めてなくては・・ 
 自由を求めれば、平等と博愛が希薄になり、
 平等を求めれば、自由と博愛が犠牲になる。
 博愛を求めれば、自由と、平等のバランスが崩れる。
女の鎧はプライド。このたった一つの拠りどころが、最後の砦。
特に若い時は、自尊心が異常に強い。褒め言葉は、その確認のため、
絶対に必要なこと。ところが、それが意外と少ない。だからこそ、
軽く褒めてやればよい。 まず、一人あたり3回。それがベース。
 女性の気持ちをコントロール出来れば、世界を支配できるという。
それほど、複雑怪奇で、得体の知れないのが女心。女性はシンデレラ・
コンプレックスと、ファザー・コンプレックスがベースにある。
現状の世界から、外に連出してくれる相手が欲しいのである。
これは結婚した後も、心の底で燻っているが、その人は現れない。
 で、最後は、諦めで、思いの他の人と妥協して、結婚と相成る。
旦那として姉たちの中で一番条件は揃っている姉の一人が、結婚10年も
した頃、『今でも、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれると思っている』
と、のたまったのを聞いて、思わず顔を凝視したことがあった。
 女性にかかわらず、人間は、それぞれが、小さな殻の中で、窒息しそうな
殻の中で、必死に息をしようと蠢いている存在ということ。 ヨガに週3〜4回、
4年半に亘って参加しているが、これは、一時でも、人間の身体に押込まれた
魂を開放しようとする試みでもある。プライドは大事だが、それに囚われる
のも、自分を不自由にする。<「掃溜めに鶴」の私。どうすれば開放されるの>
が、おんな心の偽らざる本音だろう。 この妄想から、いつ開放されるのか?≫
 ▼ 以上!
・・・・・・
5274,クオリア再構築 ー①
2015年08月23日(日)
      ークオリア再構築〜島田雅彦:茂木健一郎、対談集ー
 森の生活(現役)からサバンナ(御隠居)に移動して、過去を振り返ると、
分岐点の判断に対しての後悔が出てくる。現場では、取り返しのきかない
ことや、逆に適切な判断などが、思いやられる。 しかし、現在の私は、
その多くの過ち、成功の結果の現れ。だからこそ面白い。鋭い対話集である。
  * 取り返しのつかないことやってしまう現場 ー島田雅彦
≪ たった一度の過ちが運命を大きく左右する。
タイムマシンで原始時代に出かけ、美しい花を一輪摘んで、現代に戻ったら、
世界は滅びていた、という話があるが、人生も同じだとしたら、身がすくむ。
 過去を振り返る時、いくつもの転機があったことに思い至る。たとえば、
妻に浮気がばれた夫は、あの時、携帯電話を机の上に置いておかなかったら、
隠し通せたのに、と考える。大きな契約を逃したビジネスマンは、あの時、
話題を政治に振らなければよかった、と後悔する。事故に巻き込まれた人は、
あの時一本早い電車に乗っていれば、避けられた、と嘆く。
しかし、誰もが占い師ではないのだから、今この瞬間の行為があとで取り返し
のつかない事態になると予測することはできない。運命は刻刻変わるので、
その瞬間に正しい未来予測を立てても、五秒後には変わる。まさに、一歩、
一歩が命懸けである。占い師を過信するものは痛い目に遭う、と相場は
決まっている。細木数子もそれを認めるだろう。
  ともあれ、時間は無情に先に進む。
  迷っている暇はない。
  人も歩けば、過ちを犯す。
  だが、諦めを知る人には救いもある。
  人生にはオプションがあって、挫折すなわち死ではない。
凡庸な人生を振り返る者より恥多き人生を振り返る者の方の回想は甘い。
輝ける栄光の人生には同じだけ恥に満ちている。英雄も凡人も今際の際
では平等だが、凡人にはこんな思いもある。
 どうせ滅びるんだから、もっと過ちを犯しておくんだった。
 ワルハラの城は炎上し、ライン川は氾濫する。
 きっかけはスワッピングと裏切られた妻のヒステリー。
 戦争も革命もそのきっかけは感情のもつれだったり、指導者の勘違いだったり。
 英雄がしゃしゃり出ようが、凡人がのらくらしようが、歴史は痛くも痒くもない。
愚か者が英雄になり、売れない画家が独裁者になり、アル中の狂信者が大統領に
なり、田舎のモテない男が億万長者になるのだから、歴史は長い目で見れば、
万人に平等だ。≫
▼「輝ける栄光の人生には同じだけ恥に満ちている」が、
「暗い凡庸の人生にも、多くの光が満ちている」。凡庸の人生も、
輝ける人生も、振り返ってみれば、遠くから見れば、砂利の一つでしかない。
とはいえ、人生は生きているうちにある。
・・・・・・
4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3
2014年08月23日(土)
        『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
   * 「小さな神様から、小さな物語へ」 
 著者は、東北震災の地で、苦しんでいる被災民それぞれの「小さな物語」
を見つけ出す。起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか
救われないのである。 ーその辺から(P222)よりー
≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと
 思っでいます。夫は私を助けようと命を落としたのだと考えたいのです。 
消防団員からすれば、「町のために死んだ」と考えた方が死を受け入れやすい
はずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助けようと
死んだのだ」と思った方がどこか納得できる。「小さな物語」が落としどころ
となって前を向くことができるようになるのです。 
 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとし
流されてしまったんだ。私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこう
とする姿を見て、こみ上げる感情を抑えきれなくなった。彼女にとって、
この物語がどれだけ大切なものであるか。それは闇に閉ざされた海に灯る灯台の
ようなものです。この光があるからこそ、彼女は闇の中を進んでいけるのです。≫
▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、
 これに近い。書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、
このブログが、毎日の「小さな物語」。「死んで3日も経てば、300年前に死んだ
と同じこと」というが、書き残こせば、痕跡になる。成るほどブログは墓場。 
毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、これは過去の自分自身
への墓参りでもある。
・・・・・・
4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3
2013年08月23日(金)
   * 種銭は、まず一億が目安
 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。
そして次は三億。何はともあれ、その金額を用意すること。」と語っていた
言葉が記憶に残っている。20数年前のことだが、その間にデフレもあり現在
でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上というから、
これがロットしての目安のラインとみてよい。ミリオネアが、世界では1千万。 
日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり2・46人とすると、467万人、
総人口1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。
「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を
持っている」と、家内の反応をみたら、「そんなにいるはずがない!」と
取合わない。 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の
友人を見ると、有り得ること・・ 
 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。
それに1億8千の借入で、総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業
としてのロットとすると、こんなもの。 ホテルは創業は華々しいが、一度、
投資をすると20年〜30年かけ回収する地味な装置産業。結果からして、10年を
節目で売却、転身すべきであった。その辺りが私の限界である。事業年齢から
みて30年経過後の老衰死。 残ったのは、家内名義の自宅と、家内名義の
幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。
子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内
にも、「家のために」「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。
それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業などしない方が得策。ところで、
100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 今さら、何もない! 
50歳代までに遣り尽くした感があるので、今さらハワイかシンガポールへの
移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 
あとは人生をスキップしながら、適当に生きていければ充分。
世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。


5639,女はギャップ  〜①

2016年08月23日(火)

 
   <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 ・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。
 ・・・・・・・
3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊の
プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊は人間性の崩壊になる。
階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が
無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 
時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリスは階級制度
のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように
受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値
の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、家柄より学歴を優先する
社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
・・・・・・・・・
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば
毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが
歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、
この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では
6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には
散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、
敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は
歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前
を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ
どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が
生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。
私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて
いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて
いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など
出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も
取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識
しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら
歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、
というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った
年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに
話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)


5638,かわいい自分に旅させよ ー④

2016年08月22日(月)

             <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * オヤジのためのラスベガス
 直木賞作家の浅田次郎がラスベガスに嵌り、その内実を書いた内容。
一度、行ってみたかった都市。 数年前に、グランドキャニオン、ヨセミテ、
イエローストーンなど大自然を 楽しむ『アメリカ西海岸国立公園の旅』。
大自然のほかに、ラスベガス・サンフランシスコ などのコース。
 ところが出発前日、公務員ストで、急遽、中止のため断念したことがあった。 
映画でラスベガスを舞台に多くの場面を見てきたが・・ 
 ≪ ラスベガスのカジノはデカい。「無限」と表現してもいいくらいである。
 たとえば今回の取材で協力して下さった「MGMグランド」一つを例にとっても、
総面積4777坪、ゲームテーブル150台、ゲームマシン3073台、だそうであるから、
「見渡す限りの鉄火場」と言ってよかろう。 この種のメガホテルが、
ブルヴァードを挟んでみっしりと建ち並んでいる。この規模はまさに「無限」。
 日本人の視野でこれを小さくしてはいけない。常々思うのだが、日本人
ギャンブラーはたいはてい狭い場所に嵌まっている。毎日を旅打ちの気分で、
カジノからカジノへとさすらうのがラスベガスの醍醐味である。
 ゲームの種類はあまたあるが、最もラスベガス的といえぱ、やはりマシン
であろう。ルーレットやブラックジャックは世界中どこのカジノに行っても
同様に遊べるが、スロットやポーカーマシンを打ち倒すとなれば、規模のある
ラスベガスでなければならない。そうした意味から、私は同行者にはたいてい
マシンを勧めることにしている。レーティングさえ守っていれば、あんがい
怪我が少いのもこれだからである。
 日本人的なレーティングといえば、25セント台、もしくは1ドル台であろうか。
ただし上限は一勝負3000ドルという怪物まであって、こうなると一時間で億の
金が動く。神域のごときハイリミット・エリアでは、このスーパーマシンの前に
座って淡々とゲームを続けるハイローラーの姿を拝むことができる。見ている
だけで有難い。
 ヨーロッパのカジノではテーブルに根を生やしている私も、ラスベガスでは
ほとんどマシン・ギャンブラーである。十年前はおそるおそる1ドルマシンから
デビューしたのだが、このごろではハイリミット・エリアの常連になって、
めでたく宿泊代も飲み食いもタダになり、空港までは送迎のリムジンが付く
ようになった。 常宿はかつて「ベラッジォ」だったのだが、数年前に
「ヴェネッィアン」に鞍替えした。日本人ギャンブラーが比較的少く、
使い勝手もサービスもよいホテルである。≫
▼ 賭け事に向いてない私にとって、異次元の世界の話。だからこそ面白い。
 日本では、コンビニの売上高より多いと言われているパチンコ店が、郊外に
ある。韓国も日本から上陸したパチンコ店も、その熱狂ぶりに、禁止された。
ラスベガスといえば、『ハスラー』など、多くの映画の舞台になっている。

・・・・・・
5273,「読書の腕前」 ー�
2015年08月22日(土)
        「読書の腕前」ー� 岡崎武志著 ー 読書日記 〜
  * 本は「即効性のない」メディア
 倉庫内の書棚で見つけて再読しているが、HP内の検索によると、
2008年1月31日に一回だけ、書評を書いていた。(後にコピー) 
当時、熟読はしてなかったことは、読書日記が一回で終わっていた
ことでわかるが、この本、改めて精読すると、なかなかの内容。
ここで、著者は「人間の土台は、『読書』がつくる」というが・・
それにしても、半世紀以上の読書を続けてきた割に、人間としての土台が、
軟弱なのは、20歳までの読書の絶対量が、あまりに少なかったためと、
自覚をしている。 〜その辺りから抜粋〜 
≪ 本というのはじわじわ効いてくる。あるいはそのときには気づかなくても、
 後になって考えると、ちゃんと効果があった、とわかる。または、効き目が
なくとも、いつのまに溶けて、静かに体内に吸収されてしまっている。
本とはそういうもの。だから、「本というのはもともと不便なもの」だと
北上はいう。 注目すべき発言である。ところが、現代は「不便」を嫌う。
効率や至便性を重んじて、極力「不便」を切り捨ててきた。
 その点、本は、いやでも読む場所を固定し、そこに自分の肉体を釘付けにし、
いくばくかの時間を費やさなければならない。「読む」という意志も必要だ。
「不便」なことこのうえない。「そこに便利なものを求めてしまったら、
ものの中身が変質してしまうという怖さがあるでしょう」 北上は非常に重要な
ことを、静かに主張している。なぜ、そんなに急ぐのか。なぜ、とりあえずの
結果や答えを求めようとするのか。仕事のことでは、大切なことかもしれない。
しかし、それは本の役目ではない。「あらすじ」だけ知って事足れりとした
のでは、その本と出会うチャンスを永遠に放棄してしまったことになる。
 本を読んでいる時間が惜しい? いや、ほんとうに惜しいのは、
読書の時間を失ってしまったことのほうだ。
『だれが「本」を殺すのか延長戦』で、デザイン評論家の柏木博と対談した
佐野は、こんなことを言っている。「幻想かもしれないけれど、僕は本という
ものは、時間の流れを一瞬で止めることができるメディアだと思うんです」
 われわれは否応なく時間によって動かされている。現代に生きる以上、
それから逃れることなどできない。画家のクレーは「人間という動物」を
「血でできた時計」と定義した。われわれはまるで、血という電池で動いて
いる時計、なんだと。 読書はそんな時間の流れに逆らう行為である。
視覚と脳を通して、読めない人にとりては記号や模様にしかすぎない文字を、
速やかに解読し、心と身体になじませていく。こうした奇跡のような行為は、
文字通り、時間を忘れて没頭しなければできない。天体の運行も、この地球上
のすべての時計の針も止め、ひとところにじつとして、ただ本のなかを流れる
時間だけに身を委ねる。そんな至福の時間を放棄して、「あらすじ」だけで
答えを求めて何になるというのだろうか。 〜p18・19 ≫
▼ 人間を、「血で出来た時計」とは、いい得て妙である。
 大学に入るまでは、試験勉強に追われ?面白いと思える純粋な読書習慣は、
あまりに少なかったが、20歳・30歳代は、一日、2〜3時間、40歳代は4時間、
50・60歳代は5時間は、読書に時間を当てていたが、ノートや手帳に記録する
習慣がなかったことが悔やまれる。 50歳半ばから、この随想日記に書き残して
きたが、それまで大学ノートに、せめて1〜2ページの読書録、備忘録を書いて
いたら、格段に豊かな知識の相乗効果があったはず。知識の蓄積の量と質は、
直ぐに露出するから怖い。 〜つづく
――――
2008年1月31日
「読書の腕前」ー�
 
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。
なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いてしまった。
 ーー
川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って
流されている。中には錨を下ろしている舟がある。
川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、
本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。
川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。
そんな悠久の流れを、ひととき止めたりを舟の中で感じる。
本を読むということは、そういうものだと思っている。
 ―ー
寝床で読む、喫茶店で読む、電車で読む、バスで読む、食事中に読む、
トイレで読む、風呂で読む、眼が覚めている間中ずっと読む。
 ーー
 飯島耕一が
「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /
目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / 
ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて/隣の部屋まで駈けていた。」
「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 ーー
読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに
置き換えられなかったのか。そんなふうに悔やんだことは一度もない。
一度もない、といま気づいたことに驚いている。
ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。
だから、明日からも同じように生きていく。
 ー―
「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」
                            色川武大
「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、
 他人になれる喜びかもしれない」            遠藤周作
「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」 大江健三郎
本は膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、
思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。 
 ーー
田辺聖子が読書論の中で、
「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、
同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。
いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて山頭火になる・・。
しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」 
 ^^^^^^
 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。
最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、
それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐに
アマゾンの中古本を発注したが、まだまだ面白い箇所が多数ある。
              バイ(´・ω・`)ノ     ーつづく
・・・・・・
2333, ホッファー  −2        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2  
2014年08月22日(金)
         『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
  * 小さな神様見つけ方〜� 相手の文脈で大切にしている神様を見出す!  
 人生は妄想によって生み出した「小さな神様」に頼って生きるしかない過酷
の旅でもある。それが過酷であるほど、しがみつくしかない。
宗教の原点が、そこにある。 ーその辺りから抜粋ー
《 ムンバイの売られたレンタルチャイルドでさえ、マフィアを心の拠り所
 としている。これまでの旅で出会った人たちも同じでした。 たとえば、
ヨルダンのナイトクラブで会ったイラク人売春婦は男性客を不安に怯える自分
を支えてくれる大切な人と見なしていたし、バングラデシュの公園で暮らして
いた少女は変質者の男性を一緒にいてやさしくしてくれる大人と見なしていた。
みんなそれぞれ闇の中で何かしら心の拠り所をつくり上げ、それにすがり
つきながらがむしゃらに生きていたのです。人間は絶望の底につき落された時、
懸命に光を見出そうとします。それは、救いを求める人が神にすがる行為に
通じるものがあります。「貧困に生きる人々が苦しみの果てで生み出すのは
神様のようなものだ」といえるはずです。もちろん、ここでいうのはキリストや
お釈迦様のような存在ではありません。教義を有する宗教における神ではない。
ただ、個入にとっての救い主という意味では、同じような存在であり、私は
それを「小さな神様」と呼ぶ。マレーシアであった兄妹の彼女は、誕を垂れ流し、
会話もできないほどに精神を病んでしまっていた。そこで兄は妹を連れて祖国の
スーダンを離れ、知り合いを頼ってマレーシアに辿り着いた。コタキナバルで、
兄は妹にリハビリを施していました。心の闇を吐き出すために絵を描かせ、
静かな公園へ連れて行って気晴らしをさせたりしていた。 私はそんな二人と
何度か話をしたのですが、妹が妙なことをいいだしたことがありました。
こんな話でした。「スーダンの故郷には、私のことを待ってくれているやさしい
人がいるの。兵隊さんなの。私は彼と結婚するつもり。だから、国に帰りたい」
どうやら彼女を拉致監禁した武装組織の兵士と婚約をしているということでした。
なぜ自分をつかまえてレイプをした側の男性とそんな関係になったのでしょうか。
兄はその話題について詳しく説明しようとしませんでした。ことの真相を知った
のは、しばらく経った日のこと。その日、私たち三人が暮らしている安宿へ
赴きました、そこで兄から妹が語る「婚約者」について・・・
 それは彼女が作り上げた妄想でした。(略)・・・そうやって生み出された
個人のごく小さな希望や幸福が「小さな神様」となる。私は他者を見つめる際に
大切なのは、相手がどんな小さな神様を抱いているかを知ることだと思います。
その人にとって希望だとか幸せだとかいったものは「小さな神様」に集約されます。
それを発見することが、その人の価値観に寄り添って物事を考えることにつながる。
 ・・それでは、小さな神様を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。
決して難しいことではありません。 一言で表せば、「自分の文脈で勝手な
価値観を押し付けるのではなく、相手の文脈で大切にしている物を探すこと」
その人が何を小さな神様と見立てるかには、きちんとした理由があります。
何かしらの文脈で小さな神様ができ上がっているのです。従って、その文脈で
考えさえすれば、ちゃんと小さな神様が何であるか、つまり何を幸せとして
いるかが見えてくるはずなのです。》
▼ いかなる惨状の中でも、必ず希望を見出して生き抜く人間の生命力、
 そこには、惨状だからこそ、浮かび上がってくる小さな神がいる。
そこでは、世界がひっくり返るほどの感動、美しさが見えてくる。
それが、著者が伝えたいこと。 ところで、私の小さな神様は何だろう?
・・・・・・
4541, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー3
2013年08月22日(
 * 宗教の伝統的な実践による心の治瞭 
           「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 
 私が学生の頃、親戚が末期ガンと知らされ、その苦しみ恐怖から逃れるため
『写経』に没頭し亡くなっていった。この本で、死の恐怖を克服する実践に
『写経』と『散歩』を上げている。『散歩』には遍路や巡礼が含まれる。
早朝の散歩で、吐く息に身体の毒を、吸う息は大自然の霊気を入れ込む
イメージすれば、身体に良いはずである。 ーまず、その辺りを抜粋ー
《 三十代で、絶食によってわが身体とは何かを考えるようになった私は、
体と心の関係に強い関心を持ち始めていました。そして四十代に入ると、さらに
興昧深い出会いが待っていたのです。さまざまな経緯があり、私は母校である
東北大学の文学部に宗教学の助教授として迎えられることになり、東京から東北
に戻りました。当時の母校の医学部には、最近亡くなられた鈴木仁一先生という
心療内科の助教授がいらしゃった。心の病がからんで、どの科でも回復の望めない
患者が、心療内科の鈴木先生のもとへ送られていました。彼は患音の心の病を治療
する、今でいう心身医療の専門家でした。その鈴木先生がやっていたのが絶食療法。
もともと戦前の東北大医学部では、女性のヒステリを治す治療法として絶食療法が
行われ、基礎が出来上がっていた。その診療法で女性のヒステリーの60%近くが
治ったという結果もある。先生は、その絶食療法を中心に治療している。ただ、
絶食療法は、誰でも有効というわけでない。どういう人が効くかというと、
意志の強い人だと、いっておられる。そこで思い浮かんだのが山頭火。
山頭火のような修行ができる人間というのは意志も意地も強かったはずです。
意志の弱い、普通の人は、なかなか絶食療法ができない。
 私が「死ぬきは断食で死ぬよ」と言ったら、賛成する人もいるが、
「それは思った以上に大変なことだよ」と、反対する人もけっこういます。
やはり食を断つということは並大抵の覚悟ではできないのです。 それでは
意志の弱い人には、どういう治療をほどこすのかを尋ねると、「写経」という
方法あると先生言下に言われた。それから「散歩」とも。俗世の欲望を捨てる
ための修行のひとつに「とそう」というものがあります。「行脚とそう」
ともいう。これは徒歩で修行のために諸国を遷ることです。お遍路も含めて
巡礼というものは、みんなこれに入るでしょう。けれども写経や散歩はいろんな
レベルのものがあって誰にでもできるので、人それぞれに応じたことを薦めます。》
▼ もうダメと悟ったら、断食を考える。無理なら、四国のお遍路に出るか、
 身体が動ける範囲で近くを歩き回る。 天候の具合で、疲れて家に居るときは、
写経を書いて過ごす。それも終わりに近づいたら、点滴などを拒否し、可能な
限り、食を絶って、自然死を待つ。そのぐらいしか出来ないが、身内に今のうちに
伝えておくこと。 死に時には死ぬ覚悟が必要!以下の、去年の文章が丁度よい
内容である。老いの準備から、死に準備の移行である。
あと一年数ヶ月で「古希」になる。
・・・・・・
4166, 老年行動学 ー3
2012年08月22日(水)
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
   * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる
「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になる。
先がないので抑えていた我がままが表だつ。 長寿の共通点が「わがまま」。
わがままと因業は紙一重。  ー その辺りをまとめてみた。
【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人
 しかいなかったというから300倍以上。10年前で1万人をこえたという
から、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、フランス女性の122歳。
100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、心理学研究
では、ある程度共通した性格ががわかっている。男性の場合は、性格が几帳面で、
自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとした人。
女性の場合は、明るくてわがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにして
くれる‘大阪のオバチャン’みたいの人。男女とも「わがまま」の人が長寿。
「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。「わがまま」の意味は、
「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気がない時、
その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」こと。
自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの
心理学者が、面白い実験をした結果がある。 
≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。
一匹目は、電気ショック を与えたら、鼻でパネルを押すと電気ショックを
押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、電気ショックが止むが、
自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、
それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、
二匹目の犬は、すぐに飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、
逃げようとしなかった。この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】
▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる
 大方が二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似た
ような人がいるが、人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り
娘が果たして長生き?かというと、そうでもない。それぞれ気苦労がある。
ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、10年20年が必要。 
今からでも遅くはない。


5637, かわいい自分に旅させよ ー③

2016年08月21日(日)

            <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * 芸術とは
 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
 それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。
 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
 僕には夢があります。
バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
「大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

・・・・・・
5272,「エリック・ホッファー自伝」〜⑦ 『希望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット、
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
  * TVが比較地獄をつくった  「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 
自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない
人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の
術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを
チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。
そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような
群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が
ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。
テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を
重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと
一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。
この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 
 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに
耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、
現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較
地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、
自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、
群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、
ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を
 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」
とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」
になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の
理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか
なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、
ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、
シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで
「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 
「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、
「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
・・・・・・
4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
  * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが
再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、
居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。
それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを
冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、
冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、
今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の
就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。
夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
  * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)
の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。
車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身
麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車の良さを説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、
背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動車椅子を畳んでいた。
本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。その前に何か
(熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、
続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   


5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定

2016年08月20日(土)

   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、
助けられたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
 事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階
で、最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを
畜群には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

・・・・・・

5271,閑話小題 〜天津の大爆発 
2015年08月20日(木)
   * 天津の大爆発 
 〜まずは、この事件のニュースの一部から
【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え
 爆発現場の倉庫には700トンのシアン化ナトリウムや、800トンの硝酸
アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。
中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ化
したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の
ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器
系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】
 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、
実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の
隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、
株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。
 ネット上の、この事件による影響についてのコメント、
≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。
 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、
この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。
ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。
大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫
を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である
鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント
工場の設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして
期待されている医療、教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。
現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと
いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。
そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという
「伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出
を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、
近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫
▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス、化学兵器
 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発
だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内
の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを
隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる?
・・・・・・
4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1
2014年08月20日(水)
     『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
  * 小さな神様見つけ方  〜� 幻のプロ歌手への夢  
 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を
図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 
その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
 まず、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、
 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、
肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの
精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を
知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある
ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。
だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる
んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が
いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサーに
スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功
する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 
 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。
彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。
ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは
ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を
うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、
「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店
を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った
子供は社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。
 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、
小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。
ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアを
慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、
それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。
ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、
『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って
いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、
極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 
ただ末っ子のファザコン、マザコンでしかないが・・ 有難いことである!
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の
低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。
所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や
 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。
こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 
所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。
日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や各国の思惑を
取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で
 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)
以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を
キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復
もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち
4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。
2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国
(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。
景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。
富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル
(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格
 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリで
スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報
が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本
では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に
2万6千人存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、
ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上
の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。
 ・・・・・・・
3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って
驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に
して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  
売り場で感じたことは
・ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
・MacのiPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、
 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。
その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも
あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも
後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢
するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る
必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な
ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 
数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 
 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動
するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた
ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて
きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に
なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の
一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、
タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。
その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、
説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 
今さらか・・・
・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で
(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、
助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。
同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける
ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると
思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから
「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、
生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の
果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を
緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、
肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、
「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き
毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、
延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、
断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、
何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者
とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた
のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが
死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で
生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。
死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして
最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など
言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ
飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。 


5635,「賢い子」に育てる究極のコツ

2016年08月19日(金)

          <「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)>
   〜まずは、内容紹介より
《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、
 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。
世界最先端の脳研究から、「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が
見えてきました。「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが
他の子どもより高いのです。
  好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。
「秘密道具1ー図鑑」
「秘密道具2ー虫とり網」
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく
ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる
賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや
運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》
▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。
 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を
与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。
「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。
「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは
「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強
だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」
しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと
何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、
ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。
 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、
『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ 
で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、
『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、
人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。
両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。
幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。
 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。

・・・・・・・
5270,閑話小題 〜久々の大物が出現
2015年08月19日(水)
   * 久々の大物スターアスリートが出現
 高校野球に、久々の大物・清宮選手がデビューをした。まだ15歳だが、
風貌は20歳後半。三年前のTVの報道で、彼の大物ぶりを報じていた。
当時のプロの目から見て、「ベーブルース並み」の潜在能力があると
報じていたが、「まさか!」と思っていた。当時の身長は、現在とほぼ同じ。
 この4試合を見る限り、決して、その言葉が大げさに思えないが。
球をとらえる前さばき、全身のシナリ、バットの鋭さ、ふてぶてしさ、
風貌、どれもを見ても、イチロウ、松井秀樹レベルか、それ以上?
 しかし、ネット上の記事の辛口のものもある。
《 準々決勝含む4試合で16打数8安打の打率5割。2試合続けて本塁打を
放つなど、計4試合で8打点。本塁打まで打った1年生のどこが「まだまだ」
で、「パワーヒッター」じゃないのか?。「脚力を含めて絶対的なパワーが
ないしフォロースルーも小さい。打つポイントが体に近く、ボールを最短距離
でとらえているので基本的にはセンターから左方向へライナーを飛ばすタイプ。
スイング自体もコンパクトで、レベルよりダウンスイングに近いため、打球も
上に上がりづらい。ホームランバッターがよく、とんでもなく高いファウル
フライを打ち上げますけど、そういう飛球がいまの清宮にはありません。
松井や清原が1年生で甲子園デビューしたときと比べると体のキレ、躍動感、
スピード、パワーで物足りない印象ですね」(同)
 別の球団のベテランスカウトによれば、「東海大甲府戦(15日)の本塁打
にしても、芯でとらえればあれくらいの飛距離は出て当然。それより何より
対戦する投手のレベルがヒド過ぎる。130キロちょっとで、打ちごろのボール
が甘いコースに来れば打って当たり前。清宮だけがとらえているならともかく、
それ以外の早実の打者までボカスカ打ってるじゃないですか」。》
 少し買被り過ぎに、この位の内容で少し冷静に見た方が、本人にも
良いのだろうが、問題は今日明日の内容になるが、やはり逸物である。
 相撲でも、同年代の少年に清宮並みの大物が、何かの大会で優勝をした。
こっちは買被り? それぞれのスポーツに、こういうのが次々と現れてきた。
親がかりのマシーンをつかった天才教育の結果だろうが、清宮は、まだ12歳で、
既に183㎝のアスリートとして出来上がった身長があったところがポイント。
 一風変わった、沖縄のトルネード投法のピッチャー、アフリカのハーフ、
オジサン顔の15歳の超大物など、面白いのが出てきた。時代は、変わった。

・・・・・・
4905,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー49
2014年08月19日(火)
   * 総括の総括 ー①
 このテーマのシリーズも、目安だった50回に近づいてきた。
しかし、思いついた時々に‘つれづれに’加えていくことにした。 
ホテル事業の準備段階までのことは、今まで、深く振り返ったことが
無かったので、書き出してみると面白い。しかし肝心のホテルは転売時期を
逸し、後半の15年間は、2001年の9・11テロと、2004、2007年の中越地震と、
刈羽沖地震が発生。 2008年のリーマンショックを経て、2011年の3・15の
東北大震災を向かえ、その直後の3月30日に倒産に至った。 
 経営的には、2001年の9・11以来、右下がりの坂を駆け降りていた。
1985年から始まったバブルは、1989年の株式の納会で最高値をつけた翌年
11月に、半値の20000円まで下げた。更に、数年かけ、最高値の5分1の8000円
以下まで下げた。「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬に起きた現象ではない。
崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象で、その進行は
地域や指標の取り方で異なる。崩壊は1991年10月ごろ始まったが、その頃、
ソ連、東欧の共産圏の社会主義圏が崩壊をした。中国は実質的に社会主義を
放棄、資本主義に変わり始めていた。バブルとバブル崩壊が日本の大転換期で、
欧米に先立って、崩壊過程に入っていた。事業は改革を続けないと、「へ」
の字のように右下がりの結果、消滅をしていく。時期的に3分1が上り坂で、
3分2が下り坂になる。これは店も同じ。 開業以降、バブルを含めて10年が
利益の面からみて上り坂で、後の10年はナダラカな下りで、最期の10年は、
急激な下りになっていた。リーマンショックで地方経済は大打撃。
 しかし、新潟駅前に留まっていたのが、撤退には都合が良かった。
 現在も、4棟のうち3棟が、同じ名前でホテル営業が続いている。 
買い手が、名前を引き継ぎたいというから、快諾をした。同じホテル名なら、
表向きオーナーが変更しただけで、事業体の生命が続いていることになる。
拒否も真剣に考えたが・・ まあ、いいだろう! と。

・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
         「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手に
とった時に、「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を
目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」
でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、話をしたい
とかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に
決心した第一歩が「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、
人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を中心にした独学が芯になった。
振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、
独(ひとり)になること。スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的な
テリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  
 まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、
 はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じ
られます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」
が込められているからです。2011年3月11日。そこから意識され始めたのが
「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」
があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」
になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や
「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した死を迎えるためにも、
いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか… すべての
答えが「ひとり」の中にあります。どうやったら「ひとり達人」になれるか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、
「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」
が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。感激、感動
で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること
自体で、既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出た
ことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していること
になる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、
誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!

・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
    「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から
離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを目前に突きつけられた感がする。 
思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に
閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、
面白い本がある。 要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。  
  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【  =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、
思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、
毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに
頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒って
いる人....。 ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような
行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と
心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」
の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。
 うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。
なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている
意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という
自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、
無意識のうちに集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ
寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も
老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい
写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る
時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で
必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人は
どのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、どのように
苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられる。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、
もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢に
なって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブな
ことに目を向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’
を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。
なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。
実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。
アメリカでは、男が15〜16歳、女が22〜23歳もある。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。
・・・・・・・
2011年08月19日(金)
3798, まずは「自分の世界の自覚」から!
  * 世界内と世界外
 40歳の頃から20年間にわたり世界の秘境・異郷に熱中したのも、
その世界の凄みに引き付けられたことがある。それぞれの世界は、それぞれ
他から隔絶され、それぞれの時間が流れているのを実感させられる。その世界
を対比することで、いかに自分の世界が小さく、脆い現象世界に存在している
ことに気づかされる。ここで世界を象に喩えているところが面白い。その皮膚
の襞が、それぞれの社会。そこの寄生虫が我われと見ると、わかりやすい。 
問題は、それぞれの寄生虫は、そこが全世界と思っていること。それを知るには、
世界外に出てみないと分からない。 人間は世界内存在とハイデッガーが
述べたのは、そのことである。 
ーまずは、渡辺昇一著「知的余生の方法」の≪自分の世界の自覚≫ よりー
【 ここでは人間の「世界内」と「世界外」について述べてみたい。
 こんな句がある。< 虫けらは やはり自分の世と思い 阿部佳保蘭 >
毛虫は、住む木の種類が決まっているという。Aという毛虫はKという木の葉
しか食べない。その毛虫にとってはその木の傍に美しい花咲く種の木があろうが、
おいしい葉を持つσ種の木があろうが関係がない。Kという自分の木だけが
全世界だと思っている。この応用はいくらでも応用できる。
「象の皮膚の襞につく寄生虫は、自分がくっついているその襞だけが
自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らない」というような
ことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイであったろうか。このように
虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外の動物の目
から見る世界の「視点の転換」を教えたのはユクスキュウルという独の動物学者。
哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、人間の思考法を大転換
させる業績だと思う。 木田元さんは近代西洋哲学の、特にドイツの哲学者
ハイデガーの権威である。・・・木田さんはハイデガーの『存在と時間』の訳を
読んで発奮されて東北大学の哲学科に入学され、哲学者になられた。
ハイデガーを本当に理解したいと思ったからだと言う。当時の私は中学の教科書
のほかには、佐々木邦の『珍太郎日記』とか、吉川英治の『三国志』を耽読して
いたのだから、暦日年齢的には三、四歳ぐらいの違いなのに、精神年齢としては
十歳以上も違っている。そう言えば、同じ中学の五年先輩の丸谷才一氏の読書歴を
見ても、私とは確実に十五歳以上の精神年齢差がある。その木田さんは比較的
早い頃からハイデガーについての著述をなされていたが、ハイデガーを本当に
理解できるようになったのは、ずっと後年で、ハイデガーがユクスキュウルの
動物学の影響を受けているのがわかったからであるという。象の寄生虫の存在を
「象の皮膚の皺という世界内存在」ということになる。」・・・ 】
▼ この辺は、カントの論に似ている。カントは五感の能力内でしか世界を
 認識できないと初めて論じた人。寄生虫と、人間の違いは、自分が象の皺の
中にいることを実感しているかどうか。それを知るには、長年かけた教養を
積むか、その地を遥か離れなければならない。そういえば、力・愛・知の追求
の他に、それらから一歩離れた価値の追求をしてきたのは、五感の外の
(世界外)存在も念頭に入れていたため。
 


5634,終わった人

2016年08月18日(木)

* 終わった人、ですか!
         <『終わった人』内館牧子(著)>
 これは、アマゾンのHPで見つけた本。 リタイアをした身にとって、
『終わった人』は、ドッキとし、身にしみる。 団塊の世代が、この数年で
大量に職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わって
ない、端にいる人ほど一歩先に終わった人に、言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
 まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の★「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」      (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                   (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」   (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」          (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」★卒婚(292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、実家の関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
「終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

・・・・・・
5269,凶器としての狂気    〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月18日(火)
            〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 凡庸な人生からの離脱 〜凶器としての狂気
 創業には、準備、準備、準備、そして準備が必要である。
新たな絵図面を信じ、ただヒタスラ、日々を過ごしている姿は狂気でもある。
そして、いざ実行段階では、自身が凶器そのものである。それも軟弱な
我が身を知れば知るほど、その刃を鋭くするしかない。それが若さでもある。
「人生、小説とは違う。弱者は悪、強者は善」と、目先の問題解決に立向かう。
 ある哲学入門書、『哲学を自分でつくる』瀧本往人著、の小項目、
「凶器としての狂気」を目のあたりにした時、ピンときた。この年齢まで生き、
人生を達観すれば、競争社会を生きること自体が「凶器としての狂気」の意味が
少なからず実感できる・・ 極限の境は狂わないと越えない! 〜その辺りから
≪・精神の三態、つまり駱駝から獅子、幼な子へ、という精神の変化をニーチェ
 は描いていた。 駱駝とはたくさんの荷物を運ぶ存在で、重ければ重いほど
そこに自分の強さを感じとる。ギリシア古典の文献学的研究に勤しんだころの
ニーチェは駱駝だろう。
・しかし駱駝は荷物を運んでいる途中で突然獅子となる。それは、つまり世界
が見通せたことにより明確な探求の対象がくっきり見えたということであろう。
ニーチェの場合は、キリスト教道徳である。獅子はそのもっとも強大な対象と
正面から対峙し克服しようと試みるものの、批判することだけが可能である。
・そこで獅子は幼な子へと変わる。幼な子は何も知らない。何のしがらみもない。
そこで新しい価値が創造される。幼な子は、「ひとつの新しいはじまり」
「ひとつの遊戯」「ひとつの自力で回転する車輪」「ひとつの第一運動」
「ひとつの聖なる肯定」である、と二ーチェは言う。
実際にニーチェは、生を絶対肯定し、「永劫回帰」といった指標を示し、
「超人」としての生き方までも描きだした。それはまだ「駱駝」や「獅子」
を経ていない人には、理解しがたいのかもしれない。
その過程を経ている人にとっても、得体がしれないかもしれない。
私自身、自分がいずれにあてはまるのか、うまく考えられない。
 〜幼な子の超人とは、一体何者であろうか。二つの道筋が想像できる。
 一つは、ニーチェ自身もそうであったが、過去の記憶を忘却し世間のしがらみ
に束縛されないような生き方である。幼な子というよりも老人に近いイメージ。
この場合、「永劫回帰」という考え方も親近性がある。しかし、これは当初の
二ーチェが考えた超人とは少し異なってくる。つまり、自らの「強さ」を有し
新たな価値を創造するような存在ではなく、老成、老熟、高熟、つまり
「人を超えた存在」というよりも「熟した人」である。 
 そこでもう一つのイメージが現出する。自らを狂気にするか、もしくは、
狂気のふりをする、というものである。しかもそれは、本当は狂気に陥って
いるわけではないのにもかかわらず、そのような生き方を選ぶ。
 ・・(中略) 誰にも理解されないで生きることはたやすいことではない。
他者からの承認を媒介にせずに、どうにか生きようと努力すること、人間一般
ではなく、人間を超え出ようとする意欲を持ち、それを実践すること、
それがニーチェの「生きる意志」である。自立とはそういうことではないか。 
 いかがだろうか、「自立」とは、両親と別居し、自分で稼いで、生活をして
いる、ということとは、実は程遠い。それは「自炊」や「自活」にすぎない。 
 自身を追いこみ、他者とのしがらみの中で、孤高に生きること、そこにしか
自立はないとすれば、あなたはそれを望んでいるのだろうか。結局、私たちは
「主」でなく「奴」としてささやかな幸せをもとに生きていれば満足なのでは
ないだろうか。 超人への一歩を踏みこむことは、まだたやすい。しかし、
その渦中で生き続け、死んでゆくのは、敢然たる気概と勇気が必要。
あなたには、それがあるだろうか。 ≫
▼ 準備15年を含めた創業45年の人生は、精神の三態、つまり駱駝から獅子、
 幼な子へ、という精神の変化を経験する。だから、結果がどうであれ、
充実感が残る。別に誰に理解してもらえるかどうかは、問題外である。
問題は、孤高の世界で自立出来ているかである。だから、あれはあれで良い!
 私が最も嫌うのは、何事もなく御堅い地元企業で何事もなく、定年を向かえ、
凡庸を最善と信じ、OBとなっても群れ、比較社会で満足している幸せな方々。
・・・・・・
4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?
2014年08月18日(月)
   * レンタルチャイルド
 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、
9人の乳幼児が保護された件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と
発表、それが日本人のタネかは今だ不明。 これで直ぐに思い出したのが
『レンタルチャイルド』石井光太著である。ーまずは、レビューからー
《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィア
にインタビューまで。目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし
沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の間に挟まれる街の描写がえげつない。
だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。 黄ばんだ砂埃、
どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が
蠢き、虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。
文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜
が痛くなるほどの激臭だろう。インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われ
ている。中にはイモムシみたいに這いつくばって物乞いをしている子供もいる。
憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理障害児にされたのだ。
時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを父と
呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。自らマフィアになり、
子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、その子供が
またレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない
不幸の連鎖。彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。
だから自分より弱者を見つけて奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で
目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや売春婦を買う。売春婦にも相手に
されない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、弱い者は死んでいく。
生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても努力で
這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。
しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から
抜け出せない。しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、
全然わからない。結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》
▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。
 そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵の
ような姿。今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り
出されるか、この事件、表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。
そこには、非情な世界が垣間見れる。欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の
人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネかどうかである。それ以前に、
生きて出てくるかどうか? マフィアにより?世界の深い闇が、表立ってくる。 
今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である! 一部マスコミ
以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。
・・・・・・
4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2
2013年08月18日(日)
   * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億
 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならない
ように条件づくりをしていてくれた。末っ子という不利な立場でも何とか自分の
相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの事業資産を
兄と私と姉と母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。
強引に我田引水をしようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のため。
こっそり父に「お前のためにしたことだ、憶えておけ」と言われた。で、軋轢の
結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、
渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。
耳を疑ったが、母と兄は激怒、『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』と。 
 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、「この程度の案件
など朝飯前!」という思いがあった。そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、
34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。結果として、当時の
物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 
しかし最後はこれ、悪銭?身に付かずである。しかし、後悔は一切ない! 
長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っている。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。
決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。 父の、「長い事業の中では、
何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けた
ビルは、壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。
売りに出したとき、買い手に潰しが効く(スケルトンが可能)構造になるため。 
そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)
・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 
・妻子の連帯保証はなし。
・家内の銀行口座は別。 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで
通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、お金の恐ろしさを
感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される
獰猛な虎は、長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界
は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか認めないかである。
大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
・・・・・・
4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、
 一息ついた時。二つ目のホテルの土地を近くに見つけ、買収交渉に入り
 つつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
 ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテル
 が満室で、土日は学生服の売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。
 この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と裏日本といわれた
 日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。
 バブルで日本中が湧き上がっていた。ホテルも280室になり、利益体質が完成
 していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
 500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、
 戦後の日本経済と命運が全く同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。
 日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。それでも、バブルの予熱が日本を
 覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
 この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、
 夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。人生を俯瞰して「やり残したこと
 を還暦まで圧縮して生きる。30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。
 今から考えてみて、これは正解。バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行
 など無我夢中。個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 
 意味・人生を謳歌していた時期。しかし売上は下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、
 何とか目安がたちホッとしていた。二つのホテルが道路拡張工事で買収が
 近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、
 夢にだに思ってなかった。
・そして現在である。やはり、この10年も激動期。二つの中越地区の大地震、
 そしてリーマンショック、東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・
 ショックによる大津波が襲ってくる。そうこう考え自分の人生を振り返えると、
 日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。経済大震災と東北大震災からして、
 やはり去年三月が引き時。
▼ 5〜10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的
 視野で決断できない姿が見えてくる。振り返るってみて、人生の折り返しの時節
は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも無我夢中。そして、
人生の後半に入った。11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと
三年続き、その後に中越地震。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、
何とか目安がたってきた2008年9月のリーマン・ショック。この日を境に、
毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。
10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。
「年内に、大津波の本体の一波が押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、
末恐ろしいが。


5633,お金に強くなる生き方 〜⑥

2016年08月17日(水)

            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 高い学歴も、金で入手可能
 ここで、「子供を幼児から投資対象にする辛らつな世界が現実に存在する」
という。こうしたのが、官僚、弁護士、医師などになって、世の中を牛耳る
のだから、一般人はたまったものでない。中国の一人っ子政策で、親が自分の
将来を託すために子供教育に全てを捧げている。大学でも、付属の小学校から、
エレベーターで上がってきた人は、受験勉強で魂を磨り減らしてきた連中より、
違った強みと弱みをあい持っている。卑近の例で、幼稚園、保育園に通った人
と、通ってなかった人は、何かが(温みの有無)違っていた。〜その辺りから〜
≪ 資本主義社会において、お金は絶対に必要です。私たちは、生きていくため
 に必要な食料、衣服、住宅、水道光熱費、サービスなどを商品として購入します。
自分で商品をつくってもそれが必ず売れるとは限りませんが、お金があれば
どのような商品でも買うことができます。商品は、いつもお金に対して「片思い」
をしているのです。
 高い学歴も、生後10カ月から月24万円の授業料がかかるプレスクール(保育園)
に子供を通わせれば手に入ります。主流派の経済学者(近代経済学者)は、人間を
投資対象と見ることを躊躇しません。
 慶応義塾の中室牧子准教授は以下のように指摘しています。
【 人的資本投資の収益率は、子どもの年齢が小さいうちほど高いのです。
 就学前がもっとも高く、その後は低下の一途を辿っていきます。そして、
一般により多くのお金が投資される高校や大学の頃になると、人的資本投資の
収益率は、就学前と比較すると、かなり低くなります。 (中室牧子著
『「学力」の経済学』ディスカヴァー・トゥエンティワン・2015年)】
 中室氏の言説にはそれなりの説得力があります。新自由主義的な弱肉強食の
競争社会では、富裕層の子供は幼児期から良質の教育を受け、集中して机に
向かう習慣と礼儀正しさが身につきます。だから小学校に入ってからも自発的
に勉強し、その流れで進学校に進み、偏差値の高い大学に入ります。
すると官僚、起業家、弁護士、医師、公認会計士など、社会のエリート層に
なる可能性.が高まります。≫
▼ オリンピックでメダルを取るのは、幼児の頃からの天才教育が背後にある。
 そこまでしないと、そこは、戦えない世界。最近、日本も外国に比べて
劣らないのは、こういう幼児から教育を取り入れた成果。20歳の頃から、一日、
2〜3時間の読書を自分に課してきたが、半世紀も続けた割に、効果というと?
これは、効果とかいう問題ではないが、としても。 5歳までの生活環境と両親
の教養レベルがあったということ? 尤もこれは、全ての人に言えることだが!
5年前の事業整理から5年半、めげなかったのは、多くの日常生活の「独行」の
生活習慣があったことがある。  〜で、これも偶然だが、以下につづく!

・・・・・・
5268,人生を愛する気高さを持つ 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月17日(月)
                 〜ニーチェ「超」入門〜 白取春彦著
   * 人生を愛する気高さを持つ
 人生は、何事が起きようが絶対肯定!にある。
どの道、私たちは宇宙のチリとして消滅していくのだから、せめて、
己だけは「天上天下、唯我、独尊」「絶対肯定」の覚悟で生きたいもの。
 以下は、著者がニーチェの人生の全面肯定を要約した部分。
≪ 人生を愛さないのならば、生きている価値はない。
 人生はすでに始まってしまったのだから、人生そのものを愛するのが、
人生を味わいつくすベストな方法だ。自分の人生なんてと嘆く人は、
今の人生から逃げたがっている人だ。しかし、どこへ逃げようとするのか。
熱狂へか。享楽へか。陶酔へか。安逸へか。癒しへか。あるいは死へか。
 しかしそれらもまた、死でさえ人生の中にあるのだから、人生から逃げる
ことなどまったくもって不可能。人生はゆったり全面的に享受するしかない。
自分の身に起こったいっさいの事柄を享受し、肯定するのだ。それは人間
として気高いことなのだ。 自分の身にだけはつごうの悪いことが起こらず、
幸せと良い出会いと潤沢さだけが舞い降りてくるように、と多くの人は願う
かもしれない。もしそのようなことがあるならば、人の生ではないだろう。
生そのものが成り立たないだろう。すると、人はやっぱり逃場がほしくなり、
宿命とか運命とかを信じようとする。何もわからならないでいる状態よりも、
オハナシでもいいから、ストーリーがほしくなるのだ。 自分の意思では
どうにもならない事柄、なんとも理由がわからない事柄を選んで、宿命とか
運命といったカテゴリーへと納めてしまう。そういう傾向をあてこんで、
領収書が発行されない商売を開く輩。 占い師たちだ。
 ところで、ニーチェは運命愛を持つことを勧めている。
すると、ニーチェは占い師たちのように運命や宿命を信じていたのだろうか。 
そうではない。二ーチェは、人の身上に起こる事柄を運命と呼んだにすぎない。
そして、どんなことが起きようとも、いっさいを受けとめて肯定するようにと
くり返し主張したのだ。これがニーチェの運命愛だ。あるのは人生の全面肯定。
何が起きようとも、「よしっ」という態度だ。決断がつらい結果を生んでも
「よしっ」という態度だ。自分のなすことすべてを肯定する態度だ。
・・(略) 部分的な時間を人生と呼ぶのではない。人生はすべてを指す。
部分的になんらかの物差しをあてて測定して結果とするのはあまりにも小さ
すぎはしないか。人生を全面肯定する人は、今のこの人生がもう一度そのまま
くり返されても、ツァラトゥストラのように「よしっ、もう一度」という。
 なぜならば、どういう決断をしようとも、まったく悔いがないからだ。
すべてを享受するのだから、反省や後悔など起こりようがないのだ。
むしろ、人生とはこういうものかとおもしろがるだけなのだ。
それは、人間としてとても気高いことではないだろうか。周囲の人々に
人生の尊さと、生きる意欲を我が身をもって教える人ではないだろうか。
それよりも、何が起きてもひるまず、たじろがず、むしろ不敵な笑みを
浮かべて取組む生き方のほうが人間としても高貴ではなかろうか。≫
▼ 中村天風の『積極一貫』の主張が、ニーチェの引用であることが
 見て取れる。 父が死期を悟り、死に逝くときに、母親に、
『再び生れ変わって、全く同じ人生を生きたい』と言ったという。
戦中、戦後の動乱の中を激しく生きたのを知っているいるから、
よくぞ、言えたものである。羨ましい限りである。激しく生きただけ、
後悔が少なくなるということか。 振返ってみて、本当に良い時代に
生を受けたことに感謝する。人間として生を得ただけでも奇跡だが!
・・・・・・
4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!
2014年08月17日(日)
   * ポタリングは、危険! だから面白いのだが
 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。
急なドシャ降利の中、赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし
転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。心臓が固まり、息が止まり
そうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。
それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。
乗り続ければ、大事故の可能性が自転車にはある。 近くに住む従兄は、
ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険なことを察知して、
一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には
注意をし、数回は右後ろを振り返っている。
 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの
農家風の夫婦が話に夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念の
ため、一度、急ブレーキをかけたところ、旦那らしき運転手が、左を見ない
まま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、臨席の
奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に
注意してなかったら大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回の
ポタリングでは、危険を最小にするため、車の少ない土手とバイパスの沿道が
95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故の可能性は大。
土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! 
それにしても、乗っている開放感は格別である。
   * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは
 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく
残っている。故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随に
ならずに、少しだが足をひいて歩いていた。去年の同級会の三次会に二人で
スナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、缶ビールを5本は飲んでいる』
という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 発見された時には、
末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 
ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも
聞いていたが・・ 私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、
どうしても、ウィスキーのオンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。
これでも、何か危ない領域の感がする。
・・・・・・
4536, 閑話小題 ー種銭の話
2013年08月17日(土)
  * 山種証券の創業者の種銭
 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。
山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。
《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。
 それを保健所に持っていくと、一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、
ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の許可を得てヒヨコを飼って
雑米を与え育て、卵を産ませて、売って投資資金の種銭をつくり投資を始めた。》 
 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、
父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、
年末にお年玉を子供達全員が貰う。それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、
父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。
そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高
を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
 子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を
持たせることが父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み
上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 
地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、
10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから何か値上がり
しそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見る
ようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の
値上になった。 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 
 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していた時
のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、さほど
豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、
その時に知った。当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 
私も決心をすれば行ける?との思いが出た。その時、考えたのが、あの種銭。 
 その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と
誘われていたが、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!あと25〜
30万、都合をつければ私でも行ける!』と、思い立った。アルバイト期間が
終わって向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。
そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に
相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると必ず逆を言うから、
夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
 父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいた
ようだが、後悔した様子はなかった。その欧州旅行が、人生を変えてしまった。
あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、呆然自失状態。
頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。
それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。それがわたしには良かった。
見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門、
ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで
知らなかった人種との接触。何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、
タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、お金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備に
なってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備が、
人生を決める」と、両親からと、学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだ
ことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルター?
が、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。
自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ
ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は
ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも
代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
 20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の
 住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで
 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。  
 成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も
 あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、
 異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって
 しまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった
 が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの
 術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が
 粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの
 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に
 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで
 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の
 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の
 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、
 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。
 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の
 できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、
 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い
 ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は
 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。
 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。


5632,お金に強くなる生き方 〜⑤

2016年08月16日(火)

            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 幸福のパラドックス
 ここで紹介している、イースタリンの「幸福のパラドックス」には、
考えさせられる。  〜ネット検索によると〜
・《『貧しい人は、お金により幸福感が増すが、中流に達すると、それ以上
の金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、年収が
7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。』
という、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないパラドックスを表した言葉。
これはリチャード・イースタリンという経済学者が考えた説である。》
・《逆に、「幸せはお金で買える。しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」
と、米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけ、逆説で挙げられるような、
飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と
平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」という説。
 彼らの研究で、国が豊かになると所得から得られる満足度は低下していくが、
(イースタリンの逆説で挙げられているような)幸福度の上昇がほぼなくなる、
と主張。「イースタリンの逆説」を否定している。》
・《今では所得が幸福に与える影響に関するデータは世界中ほぼどこにでもある。
一部の国(たとえば南アフリカやロシア)は、他の国(日本やイギリス)に比べ
相関が強いものの、それでもどこでも成立している。 人生満足度は国ごとに
すさましくちがう。トップの諸国(ほとんどが先進国)は満足度が十点満点の
8点をたたき出す。底辺の諸国(ほとんどはアフリカ諸国だが、ハイチとイラク
はたった3点。金持ち諸国は明らかに幸せだが、相関は完璧でない。
これは他の、おそらくは文化的な要因も作用していることを示唆するもの。
 アジア人は、所得が示唆するよりはちょっと幸福度が低いようだし、
スカンジナビア人は所得相応よりもちょっと幸せだ。たとえば香港とデンマーク
は、一人当たりPPP所得は似たようなものだけれど、香港の平均人生満足度は10点
満点の5.5、デンマークは8だ。南米諸国はえらく陽気だし、旧ソ連諸国は
とんでもなく惨めだ。そして一人当たり所得から見て地上で幸福度最低なのは、
ブルガリアだ。》
▼ イースタリンの説が正しいとすれば、750万を目安に必死になって稼ぎ、
 その辺りで、人生を楽しむような人生設計をすれば良いことになる。
小・中学校の同級生を振りかえると、貧富などの家庭環境と成績が正比例。
還暦、古希の会でも、それそのまま、拡大して現在まで続いていた。
 20歳代は、激しい浮沈みの環境にあったため、生活の幅があった。
やはり、「興産あって恒心」で、リッチであるほど、幸せ度は高い。
2倍の1500万円が、私の実感である。 いや、今と大して変わりはしないか!
「好きなことに散財をしてきたかどうか」が、分岐だが、その点、
「面白かった、楽しかった、充実していた!」と、心底いえる。
何処かから、<お金は、あればあるほど、良いに決まってるじゃないか>
<余裕があるからこそ言える言説!> という声が聞こえてきそうである。
「で、如何した?」「どうもしません!」 自問自答が趣味と誰かが言っていた。

・・・・・・
5267,忘れていた「ホッファー」
2015年08月16日(日)
 実は、この6月末に書いた、「ホッファー」は、8年前に4回シリーズで
書いてあった。書いたような気がしたので、HP内の検索で、チェックを
したが何故か?引っかからなかったが、改めて読んでみて、再び取上げる
価値は充分にある。 これを再読すると、要点は理解していたようだ。
 考えてしまうのは、8年前のシリーズの内容の方が上?と思えること。
としても、現在、書いた内容を補足とすると、丁度よいから不思議。
 以前は、図書館で借りて読んだ後、ネット検索を中心にまとめたが、
最近のは、具体的エピソードを中心にした内容で、微妙に違っていた。
 ホッファーを読んでいると、己の甘さ、軟弱さ、無知を突きつけられる。
一つの哲学を貫き通すなら、その他を、捨て去らなければならない現実を
彼の生き方から教わる。
 ネパールのツアーで、元学校関係者が参加していた。 ホッパー同様、
早死にの家系で、「実家・親戚が殆んど40歳半ばまでに死ぬ家系。で、一年
一年、可能な限り国内の「家族ドライブ旅行」に出ていた。 ところが、
何故か今でも生きている。恐らく、人から教わった、一日一個、生キャベツ
にドレッシングをかけて食べ続けてきた効果だろう。その結果、国内は隅々
行き尽くしたのため、還暦を過ぎた現在、毎年、海外に出ている」という。 
 数奇な激しい人生を送ってきた人が秘境ツアーには多いが、逆に、淡々と
何も考えずに生きてきたが、急に死の問題が現れ出て、慌てて世界の果てで、
その答えを探しに来ている人もいる。
 これだけ熱を入れて、まとめていたのに、全く忘れてしまうとは、我
ながら恐れ入る。成るほど人が看破する、『あんまり頭が良くない男』に、
私自身、大いに納得する。ただ、それは、万人に当てはまることと、
自分に言い聞かせておかないと・・ こうみると、パッケージにして
書き残す効果は、頭の悪い私には、最適だ。
・・・・・・
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   −読書日記−
 ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。

・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 
「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。
  遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 
確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、
人間にとって最も有用な行為になる。

「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
 遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び
好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された
動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして
行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 
たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを
つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器
であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも
有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育
するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを
銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より
もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。
必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。
人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに
生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
〜〜
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。
・・・・・・
2332, ホッファー −1
2007年08月22日(水)
                  オノヽ∋―_φ(゚▽゚*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。
彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。
日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で検索をして、
日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから
発注をした。「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、
今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。
これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の
「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。
・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、
 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。
 学校はまったく出てないかわり一日10時間、いや12時間、本を読みつづけ、
 綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、
「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。
・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーが
 ドイツに帰っていくと、本当の天涯孤独になった。
・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。
 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」。
 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。
 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア
 中を動きまわった。
・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、
 やっと思い知った。「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属する
 ということだったのだ。ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金
 労働者とはべつに、ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会。
 今でいうフリーターである。
・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、また読書に没入していった。
 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュを鞄の中に持って行ったのが、
 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えた。
・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで
 失格、その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。
・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。
 将来のことなんか心配することないのよ、エリック。
 お前の寿命は四十歳までなんだから」
 養育役のマーサのこの言葉は私の奥深くに刻み込まれ、そのおかげで季節
 労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。
 ーーー
 老年になるまで、ミス・フィットと沖仲士を続け、決して高ぶらず底辺の
人たちから学び続けた哲人の姿に全米の人たちから激賞を受けた。
その言葉の一言一言が重い。       − つづく                  
・・・・・・
2333, ホッファー  −2
2007年08月23日(木)
               *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
この特異な哲人ホッファーの存在が、今日のように我々に知られるに至った
のは、マーガレット・アンダーソンという「コモン・グラウンド」編集長。
「たった一人、彼女が東海岸で自分の原稿を待っているのだと思えることが、
自分の思索を持続させた」と、ホッファーは書いている。

世に出た著書は、好評だったが、爆発的に売れたわけではない。
あくまでも彼は本の“著者”にすぎない状態だった。
1964年にカリフォルニア大学のバークレー校で週に一度の学生たちとの
講義も担当するようになったときも話題をよんだわけではなかった。
ホッファーのような変わった人物を講師にするのは、バークレーのやり方。
しかし、ホッファーはひとつの感慨をもつ。「人にはこのように、世界の
どこかでそれを待っているところが、少なくとも一カ所はあるものなのだ」
ということを。
以下は、ある本からの抜粋である。
  −−
ホッファーが人気をもつきっかけは、テレビであった。
1967年、エリック・セヴァリードとの対談がCBSで放映され、大反響になった。
それから一年に一度、ホッファーはテレビ対談に登場する。
かれ自身はつねに目立たない存在を望んだが、どんな評価も名声もホッファー
の生活を豊かにすることも、その精神を危機から脱出させることもなかった。
社会や世間のほうがホッファーのような“例外者”を必要とした。
こういうホッファー・フィーバーのなかで、彼はまったく変わらなかった。
 
沖仲仕をやめて著述に専念するようになるのは六十五歳をすぎてから。
八十一歳で死ぬ(1983)まで、本を書きつづけ主要な著作は十一冊をかぞえる。
うち六冊は日本でも邦訳が出たが、現在も入手可能なものは一冊しかない。
これほど数奇な人生があろうかと思わせるほど波乱に富んでいるが、
これ以上に面白いのが、彼がいろんなところで出会った、
数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。

この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがつまってる。
その一つ一つが、まるで短篇小説以上の仕上がりになっている。こういった
出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっているのである。

自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって
生きつづける中で、「人間社会における不適応者の特異な役割」という、
彼の生涯を通じての思索のテーマ発見する。
「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、
「人間という種においては、他の生物とは対照的に弱者が生き残るだけでなく、
時として強者に勝利する」ということと思いあたる。つまり、「弱者が演じる
特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。そしてアメリカを
作った開拓者たちというのも、実は、社会的不適応者が故に、家を捨て荒野に
向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だったのであり、それがアメりカ
社会の独特の特質をもたらしているという考察にも導かれていく。
    ー「ぼくの血となり肉となった500冊」立花隆著よりー
ーー
ホファーの思想の根幹を成しているのは「思いやり」である。
不適応者に対する温かい眼差しと理解である。
不適応といえば、誰もが他人事ではない。
誰もが思い当たる自分自身へのレッテルである。
自己不一致こそ、本来もっている近代社会の中の特質である。
それぞれが情報化の中でも孤立しているから、
誰もが不適応の弱者と思い込んで自己嫌悪に落ち込んでいるのである。
組織内では、歯車の一つとして自分の自己存在の意識の希薄さに、
孤独感にさい悩まされる「自己疎外」に陥っているのである。
それぞれが孤立している中で、それぞれが自己認識を深め、その中で他人を、
弱者を思いやることこそ、アメリカ社会の特質と考えたのである。
 ボランティア運動も、このような思想の中から生まれてきた。
アメリカの開拓者は、実はそれぞれの国を追われたミス・フィットの人たち
放浪者だった!という説は、なるほど説得力がある!
逆に、ミス・フィットでない適応者?とやらが、哀れに思えてくる本である。           
                     −つづく              


5631,

2016年08月15日(月)

お金に強くなる生き方 〜④

            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 貯蓄率からみる日本の貧困
 バブル崩壊後の長年のデフレを含めた不景気で、日本国家の体力が大きく
後退した結果、貯蓄好きだった日本人の貯蓄率も激減した。他人ごとではない。
崩壊のプロセスで不動産を主とした事業も、デフレのため資産が目減りをし、
清算に至った。
 3人に1人が貯蓄ゼロ、単身者の平均貯蓄額は774万円、中央値は75万円。
これからすると、単身世帯の8〜9割は貯蓄ゼロになる。ということは、病気に
なっても、自己負担の1〜2割のお金さえ無いため、病院にも行けない人が
多く存在する。 そういえば、久しぶりに会った倒産した知人の歯が抜け落ち、
全身が剥れた異様な相をしていた・・  〜その辺りから〜
≪  〜国家体制の違いで貯蓄率が変わる〜
 少し前まで、日本人は貯蓄好きな国民とされてきました。
ところが、今や貯蓄率で見ると日本は先進国の中で最低ランクです。
2013年のOECDによる調査では、消費大国と言われる米国の2・4%を大きく
下回る0・9%になってます。ちなみに1970年代は20%台、1980年代は10%台。
バブル崩壊後の経済の低迷、非正規社員の拡大、少子高齢化などの影響が
重なっているのでしょうが、これほど短期間にお金に対する向き合い方が
変わった国というのも珍しいかも。
 お金に対する考え方や向き合い方というと、ラテン系の国は貯蓄率が低い、
アングロサクソンは投資好きなどと、国民性や民族性に左右されるものと
考えられがちです。しかし、その国がどういう体制なのか、どういう国家を
目指しているかということの影響のほうが大きいのです。
 なかでも一番影響を与えるのは社会保障と税金です。
米国などは政府を極力小さくして税金を少なくし、その分自由な経済活動を
することに最大の価値を置いています。そういう社会では競争と自己責任が
前提で、社会保障や福祉にはそれほど頼れません。そうなると当然自分頼み、
お金頼みになります。米国人のマインドは、自立して成功しお金を稼ぐこと、
それを投資で増やすことを最も重視しています。
 これとは逆に、社会保障を徹底的に充実させる代わりに税金が高いのが北欧
の国々です。たとえば、スウェーデンでは一定以上の年収の人は所得税率50%、
消費税率25%です。それでも、手厚い社会保障があるため国民が文句を言うこと
はありません。教育費は、誰がどんな大学や大学院に行こうが一切かからず、
医療にかかる費用も原則無料。失業しても1年間は高額な失業保険が下ります。
高福祉社会では貧富の差が小さく、将来の不安が少ないので貯蓄性向は低く、
家族との関係やコミュニティのつながりを重視するため出生率は高くなります。
面白いのは、スウェーデンの企業でもよく労働者を解雇しますが、高額な失業
保険が下りるため、クビになった当の本人はそれほど気にしません。
その間にじっくり別の会社を探すのです。 ≫
▼ ギリシャの経済危機の最中、アテネの歯医者が廃業して、失業している
 人のインタビューで、「歯医者の治療の資金的余裕のない人が殆どで、開店
休業状態で、廃業に追い込まれた」と、語っていた。終戦後からの右上がり
経済と、バブルと、その崩壊を経験しているため、貯蓄率の推移が実感として
わかる。欧米に比べ、日本経済は底が浅いのである。アベノミクスの崩壊が、
さらに日本経済にトドメを指すことになる。

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5266,人生に必要な洞察と困難 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月15日(土)
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
    * 人生に必要な洞察と困難
 創造とは、脳のイメージを具体的なカタチに仕上げること。同じく創業も、
計画段階で洞察が必要となる。そして、一つずつ、目先に出てくる困難を
処理していくプロセスそのものが仕事になる。だから、困難がたち現れると、
それが、解決の塊になる。人生とは困難の解決をするプロセスをいう。
困難の中心点を問題から洞察して、心を無にして、答えを探す。
毎回、問題は違うからこそ、面白い。ことに当たっていると、問題そのものに、
解決の答えが隠れていることが分かる。それを、遊びにするのがゲーム化。
 人生は、真剣に生きるほど過酷になっていく。 〜その辺りから ーp127
≪ 人生において必要なのは知識ではなくて、洞察だろう。
 確かに、知識は知恵を生む母胎になるものだ。しかし、おおかたの人は
処世の知恵で満足してしまう傾向にある。また、処世の知恵がいつもその時代
その場所で有効だとは限らない。 一方、洞察は正体を見破る力を持っている。
誰によって何がそこに隠されているのかを透視する。考えることなく、中身を
あてることができる。人生の中で決断しなければならないとき、洞察が役立つ。
知識だけでは足りない。洞察がいつも正しいとは限らない。それはニーチェの
洞察の哲学が証明している。しかし、まちがった部分があろうとも、ニーチェ
の洞察の仕方はわたしたちに新しい見方、新しいおもしろがり方を教える。
 ふつうの生活では、自分の洞察は秘密にしていたほうがいい。他の人には
とうてい理解しがたい.からだ。また、他の人はどうしてそう思うのかと根拠や
理由やデータを知りたがるものだ。洞察にそういうわかりやすいものはない。
洞察と勘は、似てはいるが、ちがう。勘は観察を土台としたもので、対象に
広く大きく網をかけるようなものだ。洞察のほうは鋭く切り込む。
すぱっと切って断面を見る。洞察は視線の一種の名人芸みたいなものだ。
洞察力が自分に備わると、何事をするにもコツを掴みやすい。
また、既存のものから離れた独特なものを生む契機に触れやすくなる。
そういう洞察力を養うには、どうしても感受性が必要だ。情感を豊かにし、
やさしい配慮の心を持っているほうがいい。さらには、耐え、くじけず、
幾度も立ち直り、絶対にあきらめない強靭な精神も必要になる。
そして、自分に対しても容赦のない視線が必要になる。
そんな洞察力を持つのは困難なように思えるだろう。 
しかし、この人生においては困難なことのほうが安易なことよりも多くの
喜びを与えてくれるものだ。克服していくこと、それは難しいのだが、
そういうものほど生の充実と自己の力を実感させてくれるものはないだろう。
洞察も、二者択一のときは困難を選べと教えている。困難から逃げ続ける
ならば、いつまでたっても本物の人生が始まらないからだ。老いて気力が
とぼしくなって、自分の人生はなかったのではないかと疑うほどの苦痛はない。
 単純で安っぽい価値観を土台にした一方的な観点から、二ーチェの人生は
悲惨だったという主旨の生涯をまとめた書物やメディアがあるようだが、
ニーチェ自身はまったくそうは感じていなかったろう。多くの困難に耐え、
それなりに克服してきた生涯でもあるからだ。彼の内なる喜びは他の人には
見えないのだ。それは山の高みにいる人を裾野からはっきり見ることが
できないのと同じなのだ。  二ーチェはこう述べる。
「何度も自問した。私の人生でもっとも困難な年月に対し、私はいっそう
深く感謝すべきではないだろうか、と。必然的に起きた困難。それは苦しい
ものではあるが、高い場所から眺めてみれば、また、人生の差し引き勘定から
すれば、そういう困難こそ私にとって有益なものだったからだ」 いくたの
困難危険。それらがなけれほ、人間はいつまでもそれにはなれない。
単純な価値観からは不必要にさえ思える人生のしんどさこそが、わたしたち
の生命力強め。より高い喜びを与えてくれるのだ。 ≫
▼ 感受性を高めるための情感を豊かに、鋭くするために、感動・感激の
 経験の質量を高める必要がある。大自然の美しさ、芸術作品、人生経験など
から、長年かけた蓄積が、それを高めてくれる。困難、苦難と、その解決過程
こそ、人生にとって有益になる。幸せの最上階の4Fに、解決できないほどの
不幸を設定してあるのが、このことから理解できる。
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4901,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー48
2014年08月15日(金)
  * 反省なら猿でもできる! ーご覧のとおり、そのまま結構
 最期は倒産というカタチの整理で終わったが、これも因果応報と諦めもつく。 
結婚以来、実家からの慣わしで、家内に給料を与え、健康保険と厚生年金を
かけるのは当然と考えて実行をしてきた。家内は家内で、実家の会社名義の
株式を家内名義に分与されていたのを清算。それに預金を加えると、この事態
でも何とか路頭に迷うこともなく、生活をしている。 また家内の両親も、
私の両親も、実生活は質素であったことが、そのまま私たちにも引継がれ? 
結果として、破滅から逃れることが出来ている。第三者からみたら、10億の
借財を残して倒産したのに、このままの状態でいるのが疑問のはず。 
世の中、甘くないのに。そこで計画倒産になる。 創業時の計画から、
長期スパンのリスクを織り込んだ創業設計が可能。 三条や燕の土地柄は、
倒産には慣れていて驚か少ない。平気で倒れ、何時の間に再起するケースを多い、
とか。 元もと、リスク分散のポートフォーリオのノウハウが染み付いている。
私の場合、家内へのリスク分散と、家族を社内に入れない原則を守っていた。 
そのことが結果として、守ってくれていた。末期に近づくにつれ、必ず銀行は、
まずは連れ合いの連帯保証を求めてくる。 振り返ってみて、「もし、あの時の
判断を実行していたら破滅をしていたはず!」というケースが、幾つかあった。
 逆に「何で、馬鹿の決断をしてしまったのか?」も、数限りある。その結果の
一つでもあるが。 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、まず自分で認めること。 
そうすると、見えなかった要因が、浮び上がってくる。 
・箱物などの長期投資は、有り余る資金が無い限り、すべきでないこと。
・やるなら早々に転売をすること。
・時代の潮目を読み、果敢に決断すること。
・世の中の99%は、目先の現象しか見えてない。現象の大元をを養うこと。
そのために、長期、中期、短期の目を持つこと。「10.10.10の原則」=10年、
10ヶ月、10日先の3つのスパンで考える視点を持つこと。その何れも甘いため、
この結果に終わった自分が浮き彫りなる。反省ならサルでも出来るのだが・・

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4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2
2013年08月15日(木)
 現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日に
テーマとして取り上げていた。あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを
見ているため、その差が歴然と見えてくる。三年使った実感として、ドラマとか
野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。しかし寝室の液晶TVには
録画機能が無いことと、W0WOWが見れないこともあり、不満が残る。
19〜24時までの地上波=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。
当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効。
ゴールデンの一週間分が自動録画、一週間後には当初分から自動的に消される。
 その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、一月も
かからなかった。ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。
電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、スポーツジムと同じ。この2〜4年で、
これらのシステム導入で生活パターンが全く変り、段違いに面白い日々。 
まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビがー2010年08月14日ー 
の一部をコピーする。
《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」
 もあって、思い切って買い替えた。 そのため今年に入って、どれを買おうか、
何時買うか、をゲーム感覚で、家電店とネットサイトで集中した。 昨年から
バックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、買うならこれと
決めていた。ところが、この春のエコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビ
が急に脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これである(略)》
▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンで
 Youtubeをみているが、家内は居間にパソコンがあるが、それをTV映像
で見ると格段と面白いとか。TVもバカ製造の側面が大きいが、割り切れば、
これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンとネット機能が、タブレット
とスマートフォンに繰り込まれた現在、次は居間のTV。 まあ、暇人?には、
特に面白い時代になっている。居間、書斎、寝室の小さな内的世界と、
スポーツジム、信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、平均して
月一度の飲み会と、年一度?の旅行が、外周世界。これが残された人生の世界。 
このように己を冷笑してみると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。 
好きなことをしてきた強みが、これ。
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4159, ペルシャ湾危機
2012年08月15日(水)
 * 既に水面下で戦争は始まっている! 
    (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。
EUのメルトダウンは前に取り上げたので、ペルシャ湾危機について考えてみる。
「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては軍事問題だが、日本にとって死活問題」
と、いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から中東原油を減らして
アフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は北海ブレンド原油があり、
中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズを通過する
原油が85%もある。もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響
を受けるのは日本である。原油備蓄が半年分あるとしても、閉鎖をされると
原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。現在、毎日のようにシリアの
内乱のニュースが流れているが、アサド政権が倒れると、イランにとっても
大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランと
イスラエルの代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、
サウジなどの湾岸諸国も対抗上、核抑止力として核とミサイルを購入するという。
それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃すことは考えにくい。
イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、イラン神権政治がイデオロギー
的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が
頻繁にイスラエルを崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの
領土は小さい。そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 
世界的金融危機、中東危機の、いずれにしても、際どい状況が表立ってくると
見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛隊基地で大爆発がおきて、
基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。また、
この数年来、核科学者が暗殺されている。これに対しイランも、今年一月に
バンコクのイスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカで
サウジアラビア大使を暗殺しようとした事件もあった。 最近では、シリアで
国防大臣などが会議で集まったところにテロがあり、国防大臣をはじめ要人が
暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、水面下では戦争突入状態が
分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が続いており、中国、韓国、
ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機に
あるにかかわらず、いまだ微温湯的体質が、そのまま残っている。
しかし現実は、ますます混迷に向かっている。
直近の年内だけ考えても、非常に危険である。
 ・・・・・・・
3794, 哲学人 ー�
2011年08月15日(月)
          『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだ
ブライアン・マギー著「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、マーカーで
真っ赤になっている。 一度読み終わった後にトイレに5年以上は置いて、
ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、
重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感
を最小にしてある本である。数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの
「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが出来なかったが、
一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。
350ページの分厚い、上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で
自分の哲学遍歴方式で書かれているので、最後まで読み終えることができた。
ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化
して、私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、
6章の要所を挑戦したい。著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の
「知の歴史」を何年かけて読んだため、続けそうな気がする。
  ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー
《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えて
 くれなかったが、それこそが哲学だった。「オックスフォード哲学」全盛期
の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」とする
潮流は、現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 
知覚論、経験論、論理学、科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついに
カント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。
学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画
制作の仕事を両立、第一線の哲学者と交流を深めながら、
自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》
▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、
 哲学的に考えていた著者に驚愕をした。知的風土の違いは子供に、そのまま
現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が
分かったことがある。「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。
だから、私には、どんな偉い哲学者が、それを意識出来る訳がない、と論じても、 
私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、管が細くなって
いく先に落ちていく、という感じである。
 

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