堀井On-Line



5530,若者よ、外に出よ! ー⑩ 日本には限界がある

2016年05月06日(金)

               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 日本だけでは限界がある
 40歳前半までは、自宅に中・高の二人の息子がいた。そこで、行くところ
といえば国内の自動車旅行が中心だった。その二人が学園生活のため、上京
していったのを機会に、海外ツアー切替わっていた。その非日常の面白さに
惹かれたのが家内もである。一人では躊躇する秘境・異郷でも、家内と一緒だと
何とか行ける。また、非日常の中に家庭の日常を持ち込むのも慣れてしまえば
悪くはない。 夫婦してのホテルのレストランの朝食が何とも豊かな気持ちになる。
 学生時代の昭和42年に、大学の「海外旅行研究会」というクラブが企画した
『世界・30日の旅』の存在を知り、行ってはや、49年になる。当時の海外旅行者
は20万人。信じられない数だが、これがツアー観光の愛好者になる切欠となる。
何もかもが新鮮で、ただただ面白い経験だった。人生観が一変した経験である。
 なかにし礼の、以下の内容には大いに賛同するが、自分では書けない。
書けば上から目線が、露出する。 しかし、事実は事実である。
≪ 旅に出るならば1日でも早いほうがいい。自分の感受性が全部そこで
 晒されて、カメラにたとえるならいろんな映像を受け止めていることになる。
そのインプットは大きいものだ。そのインプットは日本にいてもできない類
のものなのだ。これは賭けてもいい。日本という国には限界がある。
刺激の限界だ。食べものだけ見ても、なんの刺激もない。それが日本の料理
だといえば、それは確かにそうだ。だが世の中の料理はそれだけではない。
「肉じゃがを作れる女性がいい」、とか言う男がいる。こういう人も旅行を
していない男と思う。世界の味を知らないからこうした面白くない発言になる。
 北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイにも肉じゃがはある。
それはスープという形で出てくる。肉じゃがの原型はビーフシチューだが、
これはさらにその原型だと言える。牛肉と芋が入ったこの肉じゃがの原型を、
現地の黒いビールを飲みながら食べる。これがうまい。明らかに元祖の味。
日本の肉じゃがよりも断然おいしい。だから日本は食事にしても、もっと研究
しなければいけないと思う。日本の文化は確かに素晴らしいものがあるが、
そこに踏みとどまって進化をストップしていい理由にはならない。・・(略) 
日本人のいいところはいっぱいある。創意工夫とか、細かいことに関する
こだわりとか・・ しかし、一方では何かにつけて「疑いを持つ」ことが
非常に罪悪視される環境になっている。それで画一的な価値観を植付け
られて、「肉じゃがを作れる女性がいい」などという頭になってしまう。
これではもったいない。
 だから若者よ、疑いを持つために旅をしなさい。
 そしていろんなものを自分にインプットする。
 インプットしたらさらに視野を広げて守備範囲を広げる。
 そうしないとインプットする内容も尽きてしまう。
だから何度も言うように、限りない欲望と探究心、好奇心を持ち続けないと
いけない。それは、夢という非日常の世界を見続けるためである。
寝たときにだけ夢を見るのでは寂しい。目醒めて、そこで夢を見るべきだ。≫
▼ 何度か書いたが、成田へのスカイライナーに乗って暫くすると、
「あ〜帰ってきた!」という妙な感覚になる。そこから非日常の刺激の強い
時空になるため、その蓄積が、磁石となって、旅を誘い、その非日常の世界が、
真なる時空、真実の自己であるような錯覚をもたらす。だから、別腹の
世界を自分の中に持っていて、暇な時間にトリップすることが出来る。
この現実世界に、世間の常識に対し、疑問を持ち続けることが出来る。
<目醒めて、夢をみることができる> 

・・・・・・
5165,閑話小題 〜一昨日で、まる14年になる
2015年05月06日(水)
  * 一昨日で、まる14年になる
 この随想日記を書きはじめて満14年目になる。その頃、通勤途中の長岡駅裏
近くにパソコン教室がオープン、渡りに舟で通うことにした。予め、「私の希望
は個人のHPを開設し、続けることと、ネットサーフィンを楽しみたいこと」
と、ハッキリしていた。丁度、ブログなるものが普及を始めた頃でもあった。
満14年となると、2001年5月で、9・11テロの4ヶ月前である。この頃から、
ブログが普及を始め、携帯電話の高度化も含めて世界が一変を始めた。
毎日毎日、傍からすれば、どうでもよいことを、飽きもせず、書き続けた
ものだが、あれだけ文章化が苦手だったのが、日を追うごとに面白くなって
いった。人間は、誰もが自分の話を聞いてほしいもの。書き始めると、周辺の
人が、毎日のように見てくれるようになった。そのため、力が抜けなくなる、
それが最大の効果と気づいた。それならと、読書日記などを中心としたHPと、
何気ない思いを書連ねるブログに、分けることにした。書き続けていると、
その積み重ねの効果が実感できるのが良い。それと習慣の力を実感する。
月に1〜2度、この数日もそうだが、書くテーマが思い浮かばなくなる。
しかし、習慣の力で、14年も続けていると、その乗り越えかたが、身に
ついていて、馬鹿力が湧き出てきて、普段より面白い文章が書ける。
次の目標は、あと6年の、まる20年間になるが、生きているかどうか?
とすると、まず来年のゴールデンウィークが目標になる。
 毎年、この時期には同じような文章を書いてあるのだろうが!
・・・・・・
4800,年金破綻報道の罠 ー②
2014年05月06日(火)
        <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>
                 ー細野真紘 (2014年の論点100)
  * 基礎年金と、厚生年金と、老後の預金
 あくまで年金は老後生活の資金補助の位置づけ、とは知らなかった。
まず、老後の預金に、基礎(国民)年金が加わり、最後に厚生年金が加わる。
これを40年にわたって、かけてきたかどうかで、既に老後格差が、ついて
しまっている。父親の代から、連れ合いに別立てで給与を与え、健康保険と
厚生年金をかけるのが当然のようにいっていた。それは私の知識・知恵ではない。
 ー以下の部分は、年金を分かりやすく要約してあるー
《 ◎ まず国の年金は、大きく2種類があるのです。 1つ目が「自営業者」の
 「国民年金」です。中小業者は定年がないため、60歳以降も収入を得ることが
 できます。そのため、年金をもらうための保険料は(会社員などと比べると)
 安くなっていて、給料を預貯金に回せる割合が多くなっています。その老後
 にもらえる「国民年金」は満額で月6万6千円程度。つまり「自営業者」の
 ための「国民年金」は、「弁当」でいうと保険料を安くして、老後は最低限の
 「お米」だけもらえる位置づけで、「おかず」については60歳以降に働いた
 お金で買ったり、それまでの貯蓄で買ったりできる。
◎ その一方、「会社員」の場合は定年退職のため、定年以降は、収入を得る
 ことが難しくなってしまいます。そのため、会社員の場合は、現役時に(自営
 業者よりは多めに保険料を払うことで、国から「厚生年金」を死亡するまで
 受けとれることになっているわけです。これは「弁当」でいうと、会社員は
 定年があるので、現役時に(自営業者より)多めに保険料を払い、引退後に
 死亡するまで、国から「おかず付の弁当」をもらえるようにするものなのです。
 その「厚生年金」は月16万円程度となっています。合計で22〜3万になる。
 ちなみに、公務員の場合も会社員と同じ定年制になっているため、「共済年金」
 は「厚生年金」と同様に「おかず付の弁当」となっています(厚生年金と共済
 年金は分ける必要性が乏しいため、一元化する方向に向かっています)。
◎ 今では日本は「世界一の高齢化率」で、世界で最も65歳以上の割合が多い国
 となっています。そして、国の年金制度は仕送り方式なので、「将来は年金が
 もらえなくなる」という声がよく聞かれます。そこで、「現在の少子高齢化で、
 年金は破綻する」という論を考えてみましょう。まず、日本も含めて世界の
 先進国では、基本的に国の年金は、個人が自分のため蓄える「積立方式」
 ではなく、現役世代が高齢世代を支える「仕送り方式」です。そのため、
 テレビなどでは図表を使い、もっともらしく"年金破綻論"が展開されている。
 「今の年金制度は仕送り方式で、2010年現在では現役世代2・6人で高齢者1人を
 支えている騎馬戦型が、高齢化のピークの40年後には現役世代1・2人で
 高齢者1人を支える肩車型になる。こんな仕組は破綻する!」 これは一見、
 もっともらしく思えますが、実は単純な「ひっかけ問題」にひっかかってしまう。
 まず、国の年金制度は「仕送り方武」ではあるのですが、この「仕送り方式」
 にも「ひっかけ問題」が潜んでいて、多くの人は「これまでの保険料が、
 すべて高齢者の年金に支払われている」と錯覚している。ただ、現実に、
 そんなことになってなく、かっての現役世代が多かった時の保険料については、
 きちんと今後の年金の支払いに備えて国が「年金積立金」として保有してある
 わけです。そして、なぜ日本ではこのように極端な人ロ構成になっているのか、
 というと、「団塊の世代」の存在などの特殊要因があるためで、そのため
 「年金積立金」も世界一の水準にまでなっているのです。さらに年金の財源は、
 保険料だけではなく、あくまで「国の保険の仕組み」なので、財源として
 「税金」も入っているのです。 》
▼ ネットで積立残高を調べてみると120兆円あったが、問題は多くが日本国債に
 ばけていること。また、年金支払に税金も含まれていることは全く知らなかった。
だから、さほど心配する必要がない? 私の場合、家内も厚生年金に40年近く
入れていたので、合計で税込で350万(税抜きで300万余り)。持出しが
家内の預金から年間で??万になるが、地方もあって生活には不自由はない。
欲しいものや、旅行も、外食も、現役時代に十分、楽しんだため、TV番組で
追体験をしながら見ていれば充分。 中小企業者や個人営業の場合は、別立て
預金は当然のことで、敢えて言うことでもはない!でも、周辺で、してない人が
多い? また、保険屋と証券屋に騙されていたことすら気付いていない? 
他人事ではないが。今さら年金の話題に熱中するようじゃ、B層もいいところ? 
まあ、面白いが!
・・・・・・
4433, 閑話小題ー次のグーグルの新製品が面白い
2013年05月06日(月)
   * 次のグーグルの新製品が面白い
 ニュースでグーグルの次世代端末「グーグルグラス」を紹介していたのを
Youtubeでみたが、これは面白い。メガネのフレームの上部だけの柄に
超小型カメラがつけ、視線が、そのままネットの生中継で世界に配信される。
見知らずの人の視線が、そのままリアルで見れる面白さは格別。これは視覚の
ツイッター。「カメラ、ビデオ」と発音すると、その機能が立ち上がり自動撮影
するという。これをグーグル・アースに繋げると、アフリカや南米のある地域を
クリックし、見たいシーンを打ち込むと、誰かの目線が現れ出てくるのだろう。
ジンバブエのバンジージャンプが見たいといえば、飛び降りる画面を生で見る
ことも可能に? 日本橋三越本店の客か、店員の目線のアクセスも可能になるはず。
日本で売り出されるのは来年辺りだろうが、これが当たり前になるとしたら、
まさにSF世界。 いや現在もそうか。他のメーカーも、こういう類の情報端末
が出してくるはず。情報端末の進化は止まることはない! 良いのか悪いのか?
   * 何歳まで生きたいですか?の質問に
 ある調査で、「あなたは何歳まで生きたいですか?」の質問に、60歳未満が
8・5%、70歳未満が15・1%、80歳未満が31・1%、90歳未満が54・1%、100歳
未満が60・9%、百歳以上が僅かに9・3%という。更に150歳以上は6・5%。
私なら、90歳未満と答えるが、酒の飲み過ぎで無理。それにしても意外な結果。
神様がいたとして、「幾つまで生きたいのですか?希望を重視しますから」と
問われたら、やはり90歳と答える。「寝たきりでも良いですか?」と問われれば、
躊躇する。元気が前提、いや絶対条件になる。死ぬまで10年間は、何らかの形の
介護を要するというから、80半ば?これだけ面白い情報が手軽に入手できる時代、
出来るだけ長生きしたいが、「生老病死」の苦痛を考えるとどうだろう? 
不摂生もあり、せいぜい7〜8年か。
・・・・・・
4059, つれづれに ーネット社会の現在
2012年05月06日(日)
  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を
読むことがある。 最近、店内に入ると、iPhoneかiPadで、その店が
契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。
よく考えるものである。前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に
依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、
契約はしなかったが、これも面白い企画である。現在、私が契約しているのは、
朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューン。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん
有料でアクセス出来るブログがあるが、写真集のデジタル本に有料でアクセス
出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて
売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、インプットに戸惑って使いこなす
ことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから
購入すること。それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買う
ことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が世の中を変えたように、
世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど
書き込みや閲覧の端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。
電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。何ども書いて
いるが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。PCは居間の
TVの前と、仏間の書斎コーナーにiMac一台ずつ、とiPad、合計三台
を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝の
ポタリングと、週二日の近くの店のランチで息抜きをしているのが日課。 
これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 
 ・・・・・・・
3693, 自己を見つめる −15
2011年05月06日(金)
  * 幸福について (不幸について) ー2  
                「 自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 不幸は、その出来事の客観的説明の当否のいかんを越え、また、その人の
 主観的資質の鋭敏さの度合いのいかんを越えて、その人に、いやおうなく襲い
かかる絶対的事実である。 不幸は、その人の時間的歴史的な人生遍歴の過程の
なかに突如、痛苦を与える刑罰として立ち現れる、不可抗的な不倶戴天の敵。
不幸とは、その人を根底から震憾させる苦悩の化身である。そうした不幸は、
この世の中のいたるところで、不運、事故、災難、災害、病気、心痛、貧困、
労苦、不遇、虐待、軋礫、失敗、挫折、対立、不和、紛争、戦争などの種々
様々な姿において、たえず出現の隙を窺っている悪夢である。したがって、
不幸は、ものの見方を変えることによって、消去したり、転換したりすることの
できるような、たんに主観的な事柄では断じてない。それは、深刻な苦難として、
この世の中に、乗り越えがたい障壁の姿で、厳然と存在する。それゆえに、
こうした不幸においては、何よりも、その出来事が、その人にとって、この上
なく不当で、許し難いものとして感受されるという点が大切である。
なぜ、自分は、このように、辛く、苦しい、耐えがたい悲惨や屈辱や困難を
課せられねばならないのか、どうして、自分は、このように、見捨てられ、
罵倒され、除け者にされ、迫害される憂めに会ねばならないのか、と、いくら
自問しても、その理由が分からず、ただひたすら、苦悶し、絶望するところに、
不幸と苦悩の本質があるのである。そのことは、旧約聖書のヨブ記のなかに
典型的に示されているとおりである。善人のヨブは、あるとき、理由もなく、
身の毛もよだつような苦難と不幸のすべてに襲われ、ついに、ヨブは、神を呪う
ほどの絶望と絶叫のなかに陥ってしまう。こうしたヨブの心境こそは、この世の
不幸と苦難に逢着したすべての人間が抱く感懐であり、苦悶であろう。・・・】
▼人の間で生きている人間は、他者と自分とを比較し、色々憶測する傾向を持つ。 
従って、大小種種の、不平不満、卑下慢心、確執や争いが、あらゆるところに、
絶え間なく起こる。 それは絶えず、出現を窺っている悪夢であるが、一度、
檻から出たら、本人とて抑えることが出来ない猛獣として暴れまわる。それが
他虐になり、次に自虐として、深手を負うことになる。ニーチェが度々引用した
ように「難破しながらも、よく航海したものだ」と授戒することが出来た人なら、
直ぐに次の新たな取り組みをすることができる。 しかし、意志薄弱者は、
ただ恨む対象を探し、そこに執着し前進が出来なくなる。その辺のことが理解
できないのは、それまで生きてきた中で経験を消化してこなかったことに
由来する。不幸は自分で招くこともある。


5529,若者よ、外に出よ! ー⑨ 会話は、プチ礼賛から

2016年05月05日(木)

               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 対話ならいいが、どうも会話が苦手で
 リタイア後、、新しい出会いの場が極く稀になった。スポーツジムとか、
数少ない飲み会の場で、話したことがない人との会話が出来ない。
学生時代に、カーネギーの『人を動かす』の <人を動かす三原則>や、
<人に好かれる六原則>などを読み、実践してみたことがあったが、
効果は抜群だった(後でコピー)。年齢とともに、これらを忘れていた。
 その一つが「プチ礼賛」の勧め。これに「ありがとう」の口癖を
加えれば会話導入は効果抜群のはずだが、何時の間にか脱落していた。
 早速、兄弟の49日法要で、久々に会った親戚との会話に「プチ礼賛」を、
応用したところ、会話が捗っていた。要するにリタイア後に、何もかも
メンテをすべきだったのである。 <会話は「プチ礼賛」でうまくいく>を、
ほぼ全文、コピペし、考える。会話は真実より礼賛に重きをおくべし。
対話は真実の交換、掘り下げということ。男は対話、女は会話が似合うが。
≪ 日常会話で必要な会話術とは、自己紹介に始まる。自分のことを、嘘を
 交えてもいいから、面白く話せるかどうか。自己紹介イコール自己表現だし、
相手に自分を理解してもらうのは一番大事なことだと思う。そうすると相手も
自己表現するから、お互いが理解し合える。そしてプチ礼賛をすること。
 パッと会ったときに必ず相手を褒める。これは、日本ではなく、外国の流儀。
外国では当たり前の常識になっている。周りがゴマをすっていると思ったと
しても、そんなことはかまう必要はない。たとえば、服を褒めるとその服を
選んだその人を褒めていることになるわけだから、「素敵ね、これ、いくら?」、
「1900円」、うわ1最高」と褒める。しかし、うわべだけの礼賛だと底が割れて
しまう。真実そう思うように自ら努力することだ。そうすれば顔に嘘は出ない。
なぜかというと、相手を喜ばせなければ話は始まらないから。
中には「服を褒めないで私自身を褒めて」って言う人がいるけど、よっぽど
ヘソ曲がりなんだ、そういう人は。さて、人を褒めるときにほかに何を褒めれば
いいのか。実はなんでも褒められる。背が低ければ低いことを褒めればいいし、
背が高ければ高いことを褒めればいい。出身地を聞いたら、「あそこは大好き
なんですよ」と言えばいい。最初は嘘が混じっていてもいいが、次第にその
気持ちが本当になっていくものだ。だから人に会ったら、なんとなく褒め、
逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなくて、会話の糸口なのだ。
会話の小ネタといってもいい。そこから本題に入っていくときに、お互いに
気持ちのいいスタートを切るための潤滑剤だと思えばいい。≫
▼ 褒めるだけでは、ありきたり。そこで、「プチ礼賛」まで、心から褒め
 ないと相手の心は開かない。礼賛すると、みるみる、顔つきが変わっていく。
そうは礼賛されないため、心の奥から褒めると、それが礼賛になっていく。
好かれる前に、まずは人好きにならないと! それにしても、オバちゃんの、
あのフレンドリーは見上げたもの。 まずは褒める、その手際の良さ。
 ――――
  =人に好かれる六原則=
1.誠実な関心を寄せる
2.笑顔を忘れない
3.名前を覚える(名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。)
4.聞き手にまわる
5.関心のありかを見抜く(相手の関心を見抜いて話題にする。)
6.心からほめる(重要感を与える――誠意を込めて。)
 
・・・・・・
5164,パレーシア 〜真実を語ること
2015年05月05日(火)
  * ソクラテスのパレーシア 
            〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。
・・・・・・
4799,よくもここまで騙したな
2014年05月05日(月)
   「よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!
       ーいのちを奪いながら金を奪うワンワールド支配者」
            船瀬 俊介 , ベンジャミン・フルフォード (著)
 以下の内容紹介だけでも、この書の半分は言い尽くしている?
あのベンジャミン。これぐらいでないと、面白くないが、医者の世界では、
今さらのこと? こういう視点も知っておいたほうがよい。ー内容紹介ー  
〜医療を殺人ビジネス化した者たちよ! 化けの皮はすでに剥がれている!
◎ がん患者1000人殺して一人前!
◎ 日本の内科医は1人平均1000人のがん患者を殺している
◎ 命を奪う、カネを奪う!  医者は完璧に白衣の殺人鬼、白衣の詐欺師!
◎ 日本の近代医学はどこをほじくり返しても詐欺とペテンと強盗と殺人だらけ
◎ 欧米医療というのは基本的に軍隊の医療
◎ 足を切断や伝染病の治療には欧米医療はいいが、糖尿病とがんといった
  慢性病のときは絶対に関わらない方がいい
◎ 漢方も鍼灸も食事療法や整体療法も弾圧された
◎ マッサージ、カイロプラクティック、サイコセラピー、
  ホメオパシーも弾圧された
◎ 自然治癒力をサポートして病気を治す伝統的なテクノロジーは
  全部弾圧され、薬物療法だけが生き残った
◎ 伝統療法は、金融マフィアによって保険対象外にされた
◎ 強制的に保険料を取って、自分たちの息のかかった殺戮医療マフィア
  にだけおカネを回すシステム
◎ 医療の問題は上に行くとラムズフェルド、ブッシュ、ロックフェラー
  らに行き当たる
◎ 医者に金も命も投げ出す崖っぷち日本人よ! 今こそ、自分の脳を疑いなさい
◎ 薬漬け、検査漬けの放射線大量照射に生物兵器の毒物注入まで
◎ 抗がん剤は元々は廃棄に困った化学兵器の原料
◎ 失敗する医者ほど儲かる /治す医者は失業  
◎ 医療は世にも不思議な失敗報酬の世界!
◎ 一番高い抗がん剤ペグイントロンは1グラム3億3170万円する
◎ マイクログラムまで薄めて使っても1回当たり何十万円、
  利益率は何万%にもなる
◎ 白血病はがんではない。 団十郎を殺した!?マイロターグという
  白血病の治療薬は、1グラム4800万円
◎ マイロターグは投与した患者の90・5%が死ぬ!  
◎ 輸血は人命を助けていない、むしろ殺している!?
◎ お年寄りが死ぬとわかるとここぞとばかりに点滴、投薬をやる香典医療
 というのがある。稼ぎどきならぬ殺しどき!
◎ 「現代医学の神は、唯一人しかいない、それは死神である」と
 ベストセラー書籍『医者が患者をだますとき』の著者ロバート・メンデルソン
 はいっている!  だから病院が営業停止中には死人が減る!?
▼ 少し?過激に思えるが、何度か目を通すと決して過激ではなく、こんな
 ものと気づくはず。医者にすれば、見送りの手助けだが、患者からすれば殺人? 
更に言えば、人間ドックや、健康診断が一般的に行われているのは世界で日本だけ。
先日、週刊ポストの広告見出しに、ー「血圧147は健康値」の怪奇ーがあった。
《人間ドック学会が健康診断の基準値を大幅に緩和。他に「総コレストロール
199ー>254」「悪玉コレストロール119ー>178」「中性脂肪149ー>196」など、》 
「これを元に、それまで飲んできた薬は何なんだ?」の疑問が起きて当然。
この変更だけをみても「健康人」を「病人」にして、薬漬けにする利権の闇が
見えてくる。医療行政と製薬会社の利益のため、一般国民が弄ばれている図式が
透けてくる。昔、父親が高血圧で何時も気にしていたが、当時、年齢プラス90が
目安と言う。ところが、5年前に医師から聞かされたのが130。
『これも、いい加減なので』と、言葉を加えていたが・・ で、健康センター
で測ってみると125〜160の間で、平均すると140辺り。父から聞いていた数値から
すると、私は158が目安。140は少し高めだが、これで良しと思っていたが正解。
これからして、医者は偉そうにしているが、詐欺、たかり、殺人集団?
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!
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4058, B層の暴走と価値の錯乱
2012年05月05日(土)
 二年前の5月2日にー3324, 「B層」という「IQ]が低い人々ー 
という文章を書いていた。(3日前の、ここにある)
 ところが昨日の産経新聞の一面の【賢者に学ぶ】「素人の暴走と価値の錯乱」
で、このB層の人たちを取り上げていた。選挙対策として、この層を的にして狙い
打つには問題がない。しかし、彼らB層の価値観を押し付けようとする機運が、
全体を導き始めたため、社会が混乱を始めてきている。その危険な状況を
理路整然と論じた問題提起が以下である。
【賢者に学ぶ】ー素人の暴走と価値の錯乱ー(哲学者・適菜収)産経新聞5月4日
≪ ・・19世紀ドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、
 西欧において 価値の根拠とされてきた《神の視点=普遍的真理》を設定する
ことが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や
民主主義といった近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底
にあるのは「神との距離において人間は等価」という信仰だ。近代大衆社会は
こうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。 
また、《本当に価値があるもの》《偉大なもの》《美しいもの》は貶められ、
《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。
その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力
をもつようになってしまった。テレビの音楽番組では、芸術の対極にあるジャリ
タレが「アーティスト」と呼ばれ、ワイドショーでは有象無象の評論家が専門外
のトピックについて無責任なコメントを垂れ流している。こうした価値の錯乱の
上に成立するのが《B層文化》だ。前回も述べたように《B層》とは平成17年の
郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに
踊らされやすい知的弱者、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す。 
この《B層》が現在消費者の主流になっている。そこでは大企業のエリートが
マーケティングを駆使し、大量の資本を投入することで《B層》の琴線に触れる
コンテンツを量産している。 ・・ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や
超人がいだくのとは異なった事物のところで美の価値感情をいだくであろう」  
畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》
は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。
そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。
ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を
導こうと決心する。これこそニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的姿。 
与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全
保障の素人」と誇らしげに語り、続いて防衛相になった田中直紀は素人以前の
「ド素人」だった。 閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に
進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という
問題が潜んでいる。
▼ 恐ろしい末期現象に日本は置かれている。その一つにマスコミが流す
 世論調査がある。世論の大方を占めているのがB層の人たち。彼らは質問で、
どのようにも誘導可能。政治のトップ判断の重要事案に、それを使い権力を
駆使する。その背後に、アメリカの巧妙な誘導が見え隠れする。B層が
「近代的諸価値を妄信する層」なら、過っての?私も当然、その層。
この10年、哲学に目覚め少しは盲信から抜けてはきた、しかし森林は
面白かったが・・で、サバンナでは?この蓄群が屯する。


5528,若者よ、外に出よ! ー⑦ 大自然との邂逅の衝撃を体験しろ

2016年05月04日(水)

               『人生の教科書』なかにし礼著 
   * 大自然との邂逅の衝撃を体験しろ  
 ーピラミッドという衝撃を体験しろー のテーマから、さらに世界を広めた
ー大自然の神秘の衝撃を体験しろー のテーマが浮かんだ。ピラミッドは人間の
創造物だが、自然の神秘と美しさは、大自然自ら創った作品。その神秘の衝撃は、
魂まで振動が直撃する。 大自然には、山脈、大平原、滝、氷河、大海原、天空
のオーロラなどがある。 世界的遺跡など人間の創造物に驚愕するが、手つかず
の大自然の創造物にも驚かされる。『大自然は、自らの創造物を見たいため、
記録したいため、人間を創られた』というが、成るほど、納得することしばしば。
その幾つかの内の一つがギアナ高地。 〜ネット検索によると〜
【ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア
時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が
知られている。現在の形になったのは6億年前】とある。生物としての何かの記憶
が蘇るような懐かしい不思議な感覚。それは、現地まで汗し、辿り着いたから
こそ、味わうことが出来る感動である。己は宇宙の微細な地球の、小さな存在で
しかない実感が、その時、現れ出てくる。「現象界」と、「理想界」が、そこで
だぶって存在しているような世界である。「生きてきて良かった!」の実感が、
感動の後に、訪れる瞬間である。山は動かない、自ら汗して山にいけばよい。
――
H0909
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。更にそこから
オリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が
広がっていた。インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で
一番有名なのが、世界最長の落差のエンゼルフォールである。
その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた
滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。
ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。
そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
(H9.8/23〜9/)

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5163,「現象界」「理想界」とは何
2015年05月04日(月)

   * 「現象界」「理想界」とは何のことだろうか。
              〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 日常にある「現象界」と、頭に浮かぶ「理想界」とは、そもそも何だろう。
その辺りを、『哲学で自分を創る』瀧本行人著に、分かりやすい内容があった。
青年期の理想に燃えた時、現象界そのものが、輝いて見えていたが、現在では
自ずから大きく違って見えている。人生を振り返ると、現実世界は、まんざら
悪くもなかったし、幻滅するほどでもなかった。 〜まずその部分を抜粋
≪・当たり前だが、世界は、ある人間の意のままにはならない。しかし私たちは
 そのような世界を想像することができる。この想像した世界が「理想界」。
 そしてそれを可能にしているのが理性。
・「現象界」とは単純に、日常的に把握できるありようだ。普段見えている
 この世界、感じとり生きている日常、である。
一方、「理想界」は、むしろ日常から離れて空想したり想像したりする。
もう少しカッコよくいえば思索したりする中で現われる想念とでも言おうか。
現象界においては、人それぞれの経験によって認識対象が異なって把握される、
ということは、人種や民族、大人と子ども、男と女によっても、私とあなたに
よっても、それぞれ異なって立ち現われるということである。更には時代も
異なればまた別の様相を持つことになる。だが実際人は、言葉を使って、
いろいろなものを一つにまとめあげ説明することができる。それが経験である。
現象界には直接存在しないものを、言葉、概念、用語、カテゴリーによって
まとめあげることによって、それらはこの世に登場してくる。
カントのこのような認識論は、理想界への言及と平行に走る両輪であった。
実際彼の大学での講義内容は人文地理学や「実用的な見地からの人間学」が主で
あったが、彼は現在ロシア領となっている一商業都市であるケーニヒスベルク
から一歩も外に出ることなく世界の諸現象を語ることができた。そしてカントは、
このとき「理想界」という抽象的なものを打ちたてることによって、人類共通の
普遍道徳のようなものがありうる、という議論をも可能にした。この点が重要な
意味を持ってくる。 いずれにせよ、デカルトやベーコンが人間の理性は
無際限に活用しうると考えていたのと比べると、理性に対するこのようなカント
の線の引き方は、まさしく「批判」であった。つまり、「非難」ではなく、
「限界づけ」なのである。そう考えると、私たちが「敵」と認識する対象は、
それが「敵」であると思うかぎりは、「敵」でしかない。敵という概念にある
人物やあるイメージをあなたが付与した時点で、その敵は、現実にそこにある
対象となると同時に、あなたの想像の産物にもなる。・・ ≫
▼ 「現象世界を、言葉を使って、一つにまとめあがることが、経験」とは、
 分かりやすい。体験を時間の経過をして言葉とイメージを記憶として、残った
のが経験ということ。我われは、どうも現象界と理想界を、混同してしまい
がちになる。しかし、現象界の中での理想界を思い浮かべる視線も必要である。
世界は想像の産物の幻想・幻覚なら、「幻滅界」もあって然るべき。
ところで、秘境ツアーなどで世界の観光でみた光は、これまで経験した、
「理想界」や「現象界」を遥かに超えたものだった。理想世界は、想定内で
しかない。そのことを、まずは実感してみないと!理性、感性より至高体験。

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4798,年金破綻報道の罠 ー①
2014年05月04日(日)
<世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>ー細野真紘(2014年の論点100)
   * 年金の根本的誤解
 これを読むまで、年金を根本的誤解をしていた。<「それで老後の生活は十分」
というものではなく、あくまで「老後の最低限の 補助」という位置づけ>という。 
そうすると、我われ国民が、ほぼ誤解していることになる。我家も、家内の預金
を取崩し、年金に加えて生活しているが、この根本の考えが間違いだった!
 ーその辺りからー
《 年金について、TVで次のような街頭インタビェーが出てきます。記者:
「あなたの年金で生活は十分ですか?」年金受給者の主婦「いや、月5、6万円じゃ
全然足りない。だから、仕方なく預金を取り崩さないといけない状態だ」
 このようなやりとりが、何の疑いもなく放送され続けているが、これに基本的な
「誤解」があると気付いている人はどれほどいるのでしょう? まず、この記者の
質問自体がおかしいが、そもそも年金は、「それだけで老後の生活は十分」と
いうものではなく、あくまで「老後の最低限の補助」という位置づけ。
だからこそ昔から人は、自分自身で貯金をするわけです。これは、特に、日本
のような「低負担」の国では必然的な行動の結果です。 さらに言うと、
インタビェーでコメントしている入も、誘導尋問に乗っかっておかしな発言を
しています。それは、そもそも貯蓄は「老後の備え」として貯めていたわけで
「老後に取り崩す」というのは、極めて当然の行動のはず。それなのに
「国に感情をぶつける」ように答えてしまっているのです。なぜこの「矛盾
だらけのテレビ報道」に対して、これまで誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? 
これは、一言でいうと「社会保障に関する教育の欠如」に尽きます。つまり、
教育が全く機能しでいないので、視聴者が判断できなくなってしまっているわけ。
 では、どのように「国の年金」を捉えておけばいいのでしょうか。これは、
日本の年金とは「老後に国から死亡するまでもらえるお弁当」だと捉えて
おくとイメージもしやすいし、根本的な誤解も減っていきます。・・・ 》
▼ 弁当の飯とおかずの例えが,解りやすい。ということは、大部分の人たちは、
 老後は飯だけの生活が待っていることになる。ネットで中小企業の数を調べて
みると、【2006年で、420万社で我が国の企業数の99.7%を占め、中小企業の
従業者数は2,784万人で我が国の雇用の約7割を占めている。また、国民総生産の
約2割を占める製造業においても、2008年には、中小企業は48.4兆円と製造業
付加価値額の約5割を占めている】とある。そうすると、国民の多くの老後に、
決して楽ではない生活が待っているのが現実。それから考えると、少ない
給与の中で2割は別途積立など蓄財が必要になる。消費税の3%値上げや、
インフレターゲットなど、国民にとって、実際には、聞捨てにならないこと! 

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4431, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −3
2013年05月04日(土)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート2:直ぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道
                       (時間的俯瞰思考の道)
 人はいずれ死んでしまう。直ぐか、そのチョッと先かの差でしかない。 
で、悲観的になるか、楽観的になるか。誰もが楽観的の方が良いと思うが、
悲観も時に必要。ブラック・スワンが80年の人生に、必ず何羽かが舞い降りる。
思いもよらないことだらけ、これが人生。だからハリケーンや地震多発地帯
の住宅ではシェルターが必要。それを人生にも組込む必要性がある。
そのためにも悲観は必要。悲観のレールに楽観の列車で走れば良い。 
  ー次の箇所が面白い!ー
≪ 人生は絶望か、希望か?では、本質的には意味のない人生を、
 どう生きればいいのだろうか。 以下の二つの方向性がある。
(1)どうせ人生は無意味なんだから、はかなく悲しい、と絶望に向かう生き方。
(2)人生には定められた意味などないから、人生の足かせを取り去り、むしろ
 自由に人生をデザインし軽やかに生きていこう、とう希望に向かう生き方。 
 (1)と捉えるか、(2)と捉えるか・・ 
あなたはもともとお金を持っていなかったとしよう。ところが何らかの理由
で今は一万円をもっている。しかし何らかの理由で、そのお金はなくなる。
これをどう捉える? どうせお金はなくなるんだから、はかなく悲しい、と
絶望するか、たまたま一万円持っていると希望を持つか。これと同じ。あなた
はもともと生きてなどいなかった。ところが、何らかの理由で今は生きている。
しかし、いずれまた無に戻る。中島義道だったら「この世に自分の意志では
なく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねばならないから、はかなく悲しい」
と絶望するかもしれない。 (1)型の捉え方だ。 
 しかし、見方を変えれば「なんと幸運なことに、何の因果か、たまたま、
生きているかのような幻想を一時的に手に入れた。なんてラッキーなことか」 
これが(2)だ。 つまり、人生とはあぶく銭。生まれる前には何もなかった。
ところが、何の因果か、宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、それが進化
して、人間になった。その中の一人として、何の偶然か、あなたが生まれた。
生まれたての時は、何も考えなかったが、脳が成長・学習して今に至った。
これがラッキーでなくて何? あなたにとって、宇宙史上最大のラッキー
の一つ。死刑というより、恵みだ。信じられない、鮮烈な奇跡である。
そんな奇跡を楽しまずして、この奇跡が再び失われてしまうことにフォーカス
を当て続けるなんて、もったいない。それよりも、この刹那の偶然を、大いに
楽しもうではないかが、それが、(2)だ。
 一万円を得たこの奇跡的な現在を喜ぶか、その一万円を失う未来を憂うか。
その違いが(1)と(2)の違いだ。(1)は、いま一万円を持っていることから出発
しようとするから、失うことの絶望に向かう。それって近視眼的ではないか。
一万円を得たという既得権は、既得権。それは当然としておいておき、一万円の
維持にフォーカスしている。それよりも、人生をその始まりから俯瞰する視点に
立ち、もともとゼロだったものが一万円になったこの人生のあぶく銭を楽しもう
ではないか、というのが(2)だ。 視野が広い。 ルートと関連付けるなら、
今一万円を持っていると思っているのは、幻想だ。本当は持っていないのだ。
誰かが「自由に使っていいよ」と言い、そっと貸してくれたのだ。
このラッキーな一万円を、幻想だと知りながら、ぱーっと使おうではないか。 
そして、なくなったら、なくなったとき。くよくよしたって仕方がない。
もともと持っていなかったのだ。・・・ ≫ 
▼「要は生のラッキーを楽しみ、死の恐怖を超越すべし」からすると、
 この辺りを理解してないと人生を誤る。それを教えるのが親の務めである。
必要なのが教養。生まれたときからの環境などが備わっているかどうかもある。
幸せな家系は幸せに、不幸な家系は幸せになる傾向が強い。26歳で千葉で、
34歳で新潟駅前で創業を決意をした時、特に新潟駅前の時は、500%の成功する
だろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価
を含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。
で、自然考えたのが、上記のこと。「せっかく与えられたチャンス。もし失敗
しても、全てを失っても後悔はしない」と!だから現在、さばさばしている。
  万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、
そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!

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4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
 11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。
旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとにアップしていた。12周年
を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、
ここまで続けることが出来た。内容はともかく、「自分に納得できる文章に
すること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、
手を抜いた文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず
同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。読んでいると、
変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。ここまで書き
ためると自分自身の墓場そのもの。飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。
従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。
言葉の力は大きい。大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象
と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに
気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、脳から文として出し、
吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し
11年分の自分に出会っているが、そこに自分の小さな歴史をみている。 
もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思う
ことさえある。 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かった
こともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら面白い断片が
数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。
このシリーズは心底では自分に120点。だから逆に書き残さなかったのが
良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・
また人を傷をつけるのか? 毎日、書き出す習慣も慣れるとゲーム感覚になる。 
ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。

・・・・・・
3691, 自己を見つめる −13
2011年05月04日(水)
         「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 運命について  ーp226
【 ハイデッガーの言い方に従えば、私たちは存在の真理の「呼び求める促し」
 の中に立たされていることになる。私たち人間は、そうした運命的なものの
呼びかけに聴従せざるをえない、あり方を、根底に宿し、それに聴従することに
よって初めて、真に生きることを果たしうるものというように捉えていった。
 ・・ 自己と歴史の由来を、その根源から聴き取って、それをその将来と結び
つけることによって初めて、人間は、自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り
当てることができるようになると説かれたわけである。ここに、現代における
 優れた運命思想の一つがあると言っても過言ではない。ハイデッガーによれば、
私たちは、この世の中に生きるときに、予期しえない形で「降りかかってくる」、
さまざまな「偶然」の出来事にさらされているのである。ということは、
人間は、出来事の出現をすべて見通し、それを支配することのできる神ではない
ということである。人間は、非力で、無力なのである。 しかし、それでいて、
人間は、自分なりの情熱と威力において、自己の本来的存在の証を立て、それを
刻み残そうとする。そうした覚悟のうちで初めて、立ちはだかる宿命的な困難と
格闘しながら、人間は、真の存在の呼びかけを、運命の声として聞き取りつつ、
それに聴従して本来的に実存しようとするのである。ここに、優れた運命思想が
あることはたしかである。 】
ー 
「運命」について、考えさせられる内容である。(存在の真理の「呼び求める促し」
に立たされ、運命的なものの呼びかけに聴従せざるを得ない、あり方を、根底に
宿し、それに聴従することによって、真にいきることを果たしえる」
これが運命に従って生きるということである。これが本来的に実存しようとする
ことである。それぞれ天命、宿命、運命がある。その中で、運命は自分で切り
開いていくもの。 自分で真の存在の呼びかけを聞き取り、聴従し、実存しようと
することである。そうこう考えると、運命に対する見方が変わってくる。 
自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当て、前に進むことが運命に従うこと
になる。それとて、下記のような虚無的見方からすれば、些細なことでしかないが。


5527,若者よ、外に出よ! 〜⑥ カースト制のインドを知る

2016年05月03日(火)

 学生時代からインドのカースト制の露骨な差別社会を聞いていた。
で、あまり行きたくない国だったが、ペルーの山中で、軽い高山病になって、
三人が途中でダウン、一時間ほど仲間の帰りを待つ間に、互いに行ってない
旅行先の情報の交換をしたが、その人のお勧めが、インドだった。
『あまり気がすすまない』という私に、『もし、旅行道という言葉があると
すれば、インドだけは欠かしてはならない!』の言葉が、妙に説得力があった。
 当時の会社の取引先に‘一人旅’が好きな人が二人いたが、そろって、
インドの素晴らしさを話していた。「学生時代にガンジス川の日の出をみて
人生観が一変してしまった」話が、妙に頭に残っていたこともあり、インド行き
を決めたが、成るほど、そのとおりだった。妙に懐かしさは仏教国の為だが、
湧き出るような群集と、牛と乞食などが、街中で屯した雑然とした社会の
真っ只中に投げ出された感覚が、これまで経験したことがない世界だった。
 ー まずは、帰国直後の旅行記の幾つかをコピーする。
http://news.sina.com.cn/s/p/2010-08-23/074820954155.shtml
――――
2002/10/30
ある逸話ーインドで見たこと

インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本を
つきながらやって来た。素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。急を聞きつけた警察が数十名が周りを
取り囲んだが誰も手を出せない。空港の制服の女の人が間に立って説明をして
いるが、どうしても折り合わないのだ。パスポートも持たないでパンツ一枚で
国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。状況から、恐らく「神の指示で
乗れといわれたのに何故乗せぬ!」と言って、強引に搭乗しようとしている
ようであった。最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を
最後まで見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と
街を我が物顔で歩いているのだ。宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20%のある階級は餞民で人間とみなされない。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。轢いた本人も犬を引いた程度
としか思ってなかったのに驚いた、と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

*4年前に書いた文章をコピー。
――――
 H1011 インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
� 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

� 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

� ヒンドゥ−教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

� インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ−バ−でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
−完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

� インドはヒンドゥ−教とカ−スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ−教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れない。

・・・・・・
2007/08/15
2325, ベナレス −1               
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と
文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
 ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
<その内容の一部を抜粋してみる>
 −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、
ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。
「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。

全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために
屋根から降ろされ、人びとの手によって担がれ火葬場へと向かう。
「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどで
あろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで
十数体の遺体がいちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、
 このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へと
つながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。そして組み上げられた
薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は
火葬場に立ち入ることはできない。喪主は、マニカルニカー・ガートに
ある床屋で髪の毛やひげをそり、白い装束を身に付け身を清めた後、
自分の父親や母親の亡骸に最初の火を自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。
聞こえてくるのは薪がはぜる音、人びとのささやかな声、
そして、遺体がまた運び込まれたことを告げる
「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。
ヒンドゥー教では、人生は「生老病死」といった苦しみに満ちていると
考えられ、そして生まれ変わるたびに、その苦しみを味わわなければならない
とされている。この考え方は、仏教にも影響を与えた「輪廻」という思想。
この「輪廻」の輪から抜け出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。
こうした考えを信じる人びとにとって、ベナレスは生きることの苦しみ
から抜け出させてくれる救いの場所なのである。
遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。
しかし、読んでいても暗さがない。
いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
本の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、
何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                        つづく
・・・・・・
2007/08/17
2327, ベナレス −2
           。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、実のところ
ホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけ
ショックであった。ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・
マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、そして古代から現代
までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。

その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。
ガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。
そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。

この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。
生死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。
それが日本とは対照的なのである。
人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、老齢になった
ことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる
前に移り住む人もいる。

この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、
深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。
なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。
ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。

ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。
この街が私を呼んだのだ」と答えて、平然としている。彼らにとって、
ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、
その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。
 死が喜びとは!素晴らしいではないか!
                   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・
2007年09月08日
ベナレス−5
  ー多様なるインド世界ー
インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。
これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。
そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。
多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。
古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀
頃に相次いで生まれた。紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には
唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。
またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も
十五世紀に興起する。
ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のような
ものである。兄たるヒンドゥー教は古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、
そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。一方、弟の仏教は
そういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは
十三世紀にイスラーム教徒の仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。
仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では
現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。
庶民は心の底から平和を祈っているのである。
ーーーーー
解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民
との混血が、自分達の存在を脅かすと考え創った物語が三千年の時間をかけて
白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれ交わることなく現在に至って
いる。そして、今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。
人間は平等です? そんなことは有りえない!それはあくまで奇麗事というを、
インドの社会が正直に露出している。考えてみれば平等などあるわけがない。
それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。
優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。

・・・・・・
2007/04/16
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
          おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。その一つが交通事情。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から
正面に向かってギリギリのところまで迫ってくるあわや正面衝突!と、
思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、
国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの
断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
ーベトナム交通戦争ー       (略)

・・・・・・
2006/08/30
1975, 写真家はインドをめざす
              ー読書日記 \(^▽^*)おは!                     
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、
この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。
読めば読むほどに何とも魅力のある本である。いや本が魅力がある
というより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。

カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、せめて屋根の
ある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を
冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。

インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7〜8頁の文章と、
10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、
ここまで優しく鋭く人の心を捉えるのだろうか? 恐らく、一瞬の被写体
の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。

チャイ屋で一服するのが、インドの楽しみである。
土蔵のような店の天井に吊り下げられた扇風機が、
湿気の無いヒンヤリした風を送ってくる。何げなく帳場をみると、
ゴキブリが油で揚げた菓子の上を通過し、ネズミが茶碗の周りを這いずり回る。
隣の男が茶碗にハエが入っていると怒ったら、店の主人が平然とした態度で、
スプーンで取り除いた。ハエや蚊は空気の成分と同じだという感覚が、
この土地で生活する条件の一つかも知れない。インドに入国してから
一週間も経ってない私だが、その状況に少しずつ慣れていった。
 −
という具合で、もう自分がインドの茶屋で、
お茶を飲んでいるような錯覚に陥ってしまう。

また7人目の「インドに想う」−鎌澤久也の写真も、文も素晴らしい。

カルカッタといわずインドは楽しかった。人と動物が一体となり、
平等な姿で共存するインド、大通りに牛が寝そべり、交通の妨げに
なっても、決して文句を言わないインド人、ヒンドゥー教においては、
牛は神聖視されているからなのだろう。

しかし、乞食に堂々とした態度で、お金をくれといわれたのには
ビックリ。いまだに残っているカースト制度に起因をしているのだろうが、
君はお金を持っているのだから、持っていない自分にお金をくれる義務
があり、自分は貰う権利がある。確かに理は通っているが、いまひとつ
納得がいかない。・・・それはそうと、ある夜、デリーの安宿で、屋上
から街灯で浮かび上がる街並みや、華やかな通りを眺めていると、
見るからに長期旅行者といった、20代後半の男性から、
「人生とは何でしょうか?」と、突然話しかけられた。
ウ〜ンと私はうなってしまった。
  ーーーー
「写真家はインドをめざす」
         青弓社(共同 著書)
なぜインドを撮るのか。混沌、喧騒、氾濫――。
人々は渦を巻き、聖なる河はすべてのものを飲み込む。
写真家というフィルターを通して切り取った凝縮のインド、悠々の営み。
(カバーのコピーより)
 ▼目次
1 インド合掌  日比野宏
2 旅と写真とその理由  青柳健二
3 インドへ、その向こうへ  富張佳子
4 サドゥ  石川梵
5 マルチサーカス  三浦麻旅子
6 ドッグズ・アイの旅  小野寺誠
7 インドに想う  鎌澤久也
8 ブッダロードに微光を求めて  永橋和雄
9 サドゥとともに  栗脇直子
10 死を待つ家  松本栄一
11 幕のない劇場  武藤滋生
12 「水に祈り、水になる」  伊東恭介
13 インドの宗教空間のなかで  田村仁
14 インドで写真を撮る  山田和
▼著者プロフィール
日比野 宏(ヒビノ ヒロシ)
 ●著…1955年、東京都生まれ。
 最初はファッション写真をめざしていたが、80年代後半より、
 アジアを中心とした旅が始まり、写真と文章の本を出していく。
 ー出版物に
『アジア亜細亜――無限回廊』『同――夢のあとさき』(講談社文庫)、
『エイジアン・ガール』『快!撮!アジア旅の写真術』(新評論)、


5526,若者よ、外に出よ! ー 世界の祭り  

2016年05月02日(月)

             
   * 祭りから世界の楽しさを知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナの牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  
 ・・この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナを
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫
――――
≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)
この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。
 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。
ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー
H0703  ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で
行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の
持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で
厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV
新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝
チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして
“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――
▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の
『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリア、スペインのラテン系の国の
祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで
充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。
 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、
捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。

・・・・・・
・・・・・・
5161,不幸不利の7つの法則 〜�
2015年05月02日(土)
   * 不幸不利の法則を具現化した人
 絶対的に不幸な人も、幸福の人も存在しない。それぞれの人生の時節で、
孝不幸の比率が変わる。それと教養レベルでも・・ 不幸不利の法則を、
そのまま具現化したような人を、周辺に直ぐに見つけることができる。
内幕情報屋を売りにした「あの人!」。人の不幸を探し出し、噂話を探し
まわって、転々と人々の間を、尾ひれはひれを加え、舞いまわる人たち。
最近はネットに移行したから、始末が悪い。聞いている方は、その人間の
卑しさに気づいて軽蔑をしても、顔に出さない。情報化や都会化で、人は
表面的には誰とでもフレンドリーだが、実は、彼らは「孤独の群集」で、
他人の内幕を知りたがる。だから、こういう、「内幕情報屋」の存在が
必要となる。学生時代に読んだ、リースマン著『孤独の群集』の中で、
都会化が進むほど、「内幕情報屋」が、多く現れると論証していた。
自分の趣味と、一般教養を持たないと、現象界をそのままを現実、真実
として受入れてしまう。(偶然だが、一年前と4年前の同月同日の内容が、
そのまま書いてあった) 普通の人であれば、噂話も世間話をするし、
敢えて、特徴を取り上げることもなし、ただ無知なだけ!と割切ればよい。 
ところが、実は、その内幕情報屋の流される噂話が、個々人には、
「掟というトリック」が含まれている。それが各人の牢獄をつくり上げる。
これが「絶対不幸」の人たちを作り上げる。その結果、「不幸不利」を
なってしまう。そして、自分の世界を小さく小さくしていく。
「不幸不利」のスパイラルは、強力なマイナス磁力がある。
己の「不幸不利」に気づくには教養のベースか、死線を漂う経験などが
必要になる。小、中、高、大学の同級会に毎年、出席しているが、不幸不利
の人の比率が、進学するにつれ減っている。鬼のような形相のオバサンや、
時代かかった成金は皆無になる。豊かさ貧しさは、置かれた状況でもある。
幸福であれば、他人の不幸には興味が無頓着になる。不幸不利の人は・・
・・・・・・
4796,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜�
2014年05月02日(金)
   * 何かが変?なのは、自分? それとも巷の常識?
 先日取り上げた【「道徳」を疑え!〜自分の頭で考えるための哲学講義
  ー小川仁志著】の中で、イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンの
「イドラ(本当のことを隠してしまう臆見)を取り上げていた。
 彼によると、人間には四つのイドラがあるという。
《・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じる。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できない。
・二つ目は「洞窟のイドラ」。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んでしまった
 かのように、個人の狭い事情により生じる思い込み。その人の受けた教育、
 影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込みです。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いものです。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。それぞれの都合の良い物語を疑おうと
 しないで信じてしまうことをいう。》
:この結果、世間とかいう、ほぼ嘘で固められた常識を疑うことなく信じる九割
 以上の人達がつくられ、現に存在する。この方々は、殆どのイドラが全存在。 
 覆い隠されている真実の世界の存在など想像すら出来ないため、厄介そのもの。
 彼らには、「嘘もほどほどにしろ」より、「本当のことは、ほどほどに」と、
 対応するしかない。何故なら、本当のことは、イドラの世界からは見ることが
 出来ないから。本来、人間は共同幻想の中にしか生きることが出来ない存在。
 とすると、変なのは社会と、その中で生きる、私たち(個々人)になる。
 問題は、それを常に自覚できるかどうかが、境目になる。リーマンショック
 から、一段と世の中が変になっている。ところが何故か、それを覆い隠して
 いる何か、恐ろしい力。それが何だろう?「世界恐慌は静かに浸透しているが
 誰も声高に言わない。いや、言えない」のだろう。石ころの大小を言っている
 自分も、その中の砂利でしかない。結論は、「私も、一般常識とも、変!」 
 ということ。
・・・・・・
4429, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか 
2013年05月02日(木)
 * 死の恐怖を克服する七つの登山道とは   
           ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 人生で最大の難関が最期の死。ここで、死の恐怖を克服する著者の椎奨の七つ
の登山道が書かれている。スッと眠るように死にたいが、そうは簡単にいかない。 
長生きすれば「死に損ない」と言われそうだし、癌で、あと一年、数ヶ月と
区切られ悶々と死んでいくのも厳しい。現に父親が、そうであった。一年間、
傍にいたので、直に伝わってきた。砂漠の真只中に置かれたような生の渇望の
乾きは残酷である。実際に、その立場に置かれて経験しないと分からないこと。
死の恐怖の克服法は知らないより、知っていた方が遥かによい。生への渇望の
克服など無理といえば無理。肉体的に精神的にも、のたうちまわって死んでいく
しかないのが実態。だから恐れる。著者が死への登山道は言い得て妙である。 
  ーまずは、7つのルートとはー
ルート1  心が幻想だと理解する道(脳科学の道)
ルート2  すぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道(時間的俯瞰思考の道)
ルート3  自分の小ささを客観視する道(客観的スケール思考の道)
ルート4  主観時間は幻想だと理解する道(主観的スケール思考の道)
ルート5  自己とは定義の結果だと理解する道(自他非分離の道)
ルート6  幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
ルート7  リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ(思想の道)
▼ 次回から、それぞれのルートの要点を書き出してみるが、最近読んだ、
「宇宙は本当にひとつなのか」と「宇宙は何でできているいるのか」(村山斉著)
を読んで、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している可能性がある
と知り、単純だが、自分の人生も、死も、大した問題でないことを改めて知った。
これはルート3の、客観的スケール思考の道になる。この7つのルーツの道を繋ぐと、
≪ 人間の心は、本来幻想。人の一生は宇宙的スケールでみれば、瞬時でしか
 ない、直ぐ死ぬのも後で死ぬのも同じ。また微細な存在。知情意で捉えている
時間も幻覚。自分という枠組も定義で変わるもの。恐怖が幸福の対角にあるとし、
その幸福という感覚も幻覚。ただそれだけのこと。≫ ということになる。
般若心経そのものになる。だから、死に直面すると、写経を始めるのは効果がある。
こう、まとめると、各ルートを歩くのが面倒に思ったが、よく読むと、道筋には
含蓄に満ちた景色がある。目先の死を知ってから、それまでの一生分を生きる
のだから、学び足りないのは当然。


5525,若者よ、外に出よ! 〜ぁ.ぅ好薀┘襦聖

2016年05月01日(日)

              
 文化.文明面の異郷といえは、インドとイスラエルである。それも青年期では、
カルチャーショックは大きいはず。旧約、新約聖書の物語の現場が、そのまま
存在する。現在でも、聖書の内容どおりの新しい発掘があるという。ギリシャと、
イスラエルは欧米社会の原点。旅先の飛行機で隣合せた旅行代理店の社長が、
『とにかくイスラエルが素晴らしい。「山上の垂訓」や、「イエスが十字架を
担いで歩いたゴルゴダの丘と、その道」」や、「生誕の馬小屋」や、処刑の後に、
身体を洗い流した岩」に、次々に辿ることができる。それと、イスラエル兵と、
アラブ人が、エルサレムの街中で一触即発の緊張した空気も知った方がいい。』
と。そして勧めどおり、行ってみたが、その言葉以上の感動の連続であった。
 私自身、大きな挫折を経験するたびに、聖書と、聖書関連の本で、何度も
魂を救われたことがったことも、その感動は振幅させてくれた。
 〜以下は、17年前に書残した文章である。  
   * イスラエル。聖なる旅(H11・05)  よく行ってきたもの。
≪ この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅である。
 四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の
連続であった。その為、帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事が
できた事が最大の成果となった。関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで
読んでいた。 考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本
との出会いがあった。人生のより早い段階で、じっくり読むべきであった!。
 旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容である。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
  ー印象の強い順に列記してみるとー
・まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されている
といってよい。四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦い
の舞台となった。そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の
生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
・次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。 ・
“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、
キリストが死んだ四十年余り後に、ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員の
ユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の
集団自決のあった場所であった。その時の詳しい内容が生き残った者の証言
で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
・イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
・ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。1947年、
近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々が
記されていた。今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事
が記された文書があった。−イエスキリストが主張された大すじが、その
ずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問
がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
・十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。旅行は外界を訪れるだけでなく
内奥の自分との出会いの機会でもある。
 【別記】この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。現在も一歩
間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った
兵隊がいた。一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。
といってその手の事件は一切ないという。その銃の目的は敵に使うもの、
国を守る為のものというのがはっきりしているからである。 日本の防衛に
対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。  ≫
▼ 長男に、インドとイスラエルに、転職の合間に行かせたが、何を感じて
 きたのだろうか? 日本だけの、自分だけの世界だけ見ているだけでは、
世界の現実を知ることは少ないまま生涯を終えることになる。 ユダヤ、
キリスト、イスラム、ヒンズー教、そして仏教圏が世界に現存し、これまで
血と血を洗う戦いをしてきた。その背景には弱肉強食の厳しい力関係が
働いている。神が存在するか否かではなく、神は存在しなければならない
のが現実社会である。最後は、神様の元に返るイメージが、人間を救う。

――――
2002/03/30
イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと
次々と、ああそれとパキスタンとネパール。
それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が
駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。
これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。
4000年の対立は致し方ないのだろう。
――――
[98] 現地日本人ガイド
イスラエル2001/08/04 17:00
旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。
考えると話題はいくらでもある。現地日本人ガイドのことである。
彼らによって印象が全く違ってくる。添乗員から聞いた話だが、
彼らが言い出さない限りあまり聞かないほうがいいらしい。
彼らは考えてみれば、色々な事情でガイドをやっていて当然である。
でもそれなりに見えてくる。ここで数回に分けて事情を書いてみよう。
  * イスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。
日本の客は本当に少ないらしい。滞在中一回しかシスターの数人連れしか
会わなかった。本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて仕方がないらしい。
マイク口からはなさず、喋りっぱなし。
一年前癌の手術をして、放射線にかかっているという。
神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。
旧約聖書にしても、新約聖書にしても博識だ。
ただいつ死がくるかもしれない不安と、外地で虚無になってしまうかも
しれない不安がそのまま伝わってくる。
それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。
あまりに面白いのでメモをとりいっぱなしであった。

・・・・・・
5160,知の逆転 〜
2015年05月01日(金)
         ー知の逆転ー 対談相手: ジェームズ・ワトソン
   * 人間は、ロジックより感情に支配される
 人間は考えることが重要である。ところが、人は考えずに、そのまま受け
入れてしまう。そして忙しくしていたいだけ。考えるためには知識と判断力
を身に付けなければならない。それらは個人の中で熟成するしかない。
  〜その辺りが説得力を持って語られている
≪・「より良く知っていれば、より良い決断を下せる」。あることを学ぶという
 ことは、ある別のことを捨てる可能性がある。とすると、何を学ぶことが一番
良いことか。これらの問いかけは、「あなたの文化とはいったい何か」という
問いに繋がります。宗教社会では、聖書だけで十分だということになるが、
新約聖書の多くの部分はパウロによって作られた完全なるおとぎ話ということを
我々は既に知っているにかかわらずです。一般の人も、それを知る必要がある。
それは当然のことだが、でも、人は以前教えられたことを、教えたがるもの。
・ほとんどの人は単に物事を「受け入れ」てしまう。「これが小学校で教える
事柄である」と言っておしまい。常に、「これが最良の方法だろうか」と、
問いかける必要がある。考えることが重要なのです。この能力は記憶を主体
とする教育からは生まれない。
・多くの人はただ「忙しくしていたい」だけ。・・(略)
ある時点で、いまやっている実験は果たして思考を変えることが出来るのか、
と問う必要がある。解きたいと思っている問題の解決になるのかと。
単にできるという理由だけでこれをやっているのであって、それが決定的な
結果をもたらすものではないのではないかと。・・(略)
私が成功したのは、よく考え、よく読み、よく知っていたからだと思います。
ビジネスでも同じことが言えるでしょう。他の人が知らないことを知っていて、
それがいいとわかっているので、利益に繋がる。私の大学院でのモットーは、
「知識と判断をもって勝つ」でした。
・革新的なアイディアは押しなべて個人から出てくる。個人を大事にされる
組織や社会でないと発展は望めない。個人の違いを認め合おうと。そして、
何をするにしても、知識や知性よりも情熱が大事。そして、16歳位までに
人生の方向は大方わかっているはずと。≫
▼ 確かに、多くの人は考えないで、ただ忙しくしているだけ。よく考え、
 よく読み、よく知っていることの重要性は、成るほど実感すること。
その結果、教養がつくのである。考えずに現象を、そのまま受け入れている
人たちの薄っぺらさが、何よりも、その恐ろしさを示している。
・・・・・・
4795,「消費される物語」 ー4
2014年05月01日(木)
             朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 二つの大震災は「自然と文明」の大きな物語に開かれる機会だった!
 人生のテーマは、「創業と事業を遊ぶ」だったが、それもブラック・スワン
(思いもよらない震災クラスの事象)の何羽かの出現で終りを遂げたが、結果に
対して挫折感は殆どない。むしろ、自分の手で息の根を止めることが出来て、
良かったと手前勝手に思っている。で、これも、物語。物語とは手前勝手の
筋書きでしかない。無事にリタイアをして、事業を次に送ったとしたら、
閉じられた一つの物語だが、私の結末は、破壊により開かれた物語になる。
ものは考えよう。しかし、物語には節操が必要である。 ーその辺りからー
《 ー忘れられる節操ー  将来への不安がのしかかってなかで、私たちは
 小さく閉じたきな物語の方向に開かれる身近な物語に癒やされているわけ。
最近は作曲家を話題にするときに、作品と関係のない事柄が全面に出てくる。
女性の研究者の話題でも、メディアは研究の内容関係ないファッションや趣味
などを大きく取り上げる。それが節操のないことだという了解がなくなっている。 
STAP細胞を発見したのが、30歳女性ではなく、さえない中年の男性ならこれほど
社会的な関心を持たれることはなかった。本筋と関係ない過剰物語がつくられる
ことで、スタップ細胞について、よりよく理解できたかというと、そうではない。
 物語は自ら完結する性質があります。つまり物語の外を遮断して閉じている
ということですが、この閉じた物語をあえて開いて、外にまなざしを向けるのが
人間の進歩というものだったと思います。けれども、物語を外に向けて開くこと
なく、心地よい物語を作っては消費して、飽きたら捨ててまた新しい物語を作る。
その繰り返しでは社会の進歩はありません。阪神と東日本の大震災は、
「喪失と癒やし」といった小さな物語として消費されてしまいがちですが、
本来「自然と文明」という大きな物語の方向に開かれるいい機会でした。
人間の文明など、自然の力で一瞬にして押し流されることがある。そう気づいた
以上、「私たちとは何者か」と語りなおすことによって、内向きの物語が外に
向かって開かれる可能性があったのですが。結局、「復興」という美名を冠した
あまたの物語にのみ込まれてしまっています。 私が小説家として目指している
のは「閉じない物語」。いろいろな人間、価値観が混じりあって混然一体となった
空間。いたるところに破れ目や出口がある。あえて完結はしない、
大団円やオチがない物語が理想ですね。》
▼ 地元の城下町・長岡に戻ってきたとき、「アッ危ない!」と思った。
『閉じられた孤島の世界があって、この価値体系に飲み込まれると自分の一生
が潰されてしまう。とにもかくにも、距離を置くこと。自分の世界をつくり、
第三者をいれないこと!』であった。こう割り切ると、これほど面白い世界は
ない。で、今回も、その距離のおかげで、比較的、冷静にいられる。
「目くそ、鼻くそを笑う」というが、そんなもの、「ドくそ、目くそ、鼻くそ
(を)、笑う」でしかない。逆に「ドくそ、目くそ、鼻くそに笑われる」と、
割り切ればよい。所詮は、共同幻想でしかないのだから。挫折を個人にとっての
大震災と喩えると、その人を取り囲んでいる地球の、そして身近な「自然と文明」
に、気づき、開かれる機会になる。この東北大震災も、リーマンショックも、
日本人に、いや、人類にとって、「文明の行方の方向性を、根本から考え直せ」
になる。私も、この結果を含めて人生の意味を考えると、森の生活から、
サバンナの生活に移行し、早く馴染め! ということか。 これからして、
{『東京オリンピック』は、明らかに愚行そのもの!}いや、{オリンピックは
文明の象徴、これで良い!}と意見が分かれるが、私は、せっかくの再生の
チャンスを潰す象徴!の方が、正しいと思うが・・
・・・・・・
4428, 前期高齢者になって、気づいたこと!
2013年05月01日(水)
  * 老人教育の必要性
 前期高齢者になって丸二年になる。丁度、会社も無くなり、年金暮らしに入り、
丸裸の自分に直面、そこで改めて自分の年齢に驚いている。まず気持ちが年齢に
ついていけない。まだ50歳半ばというところ。数年前に親戚の法事に出たが、
宴席で80歳位の人の愚痴が始まった。「後期高齢者という命名が人を馬鹿にした
ようで気に入らない」「免許書換えで、返納を考えるように暗にいわれた」とか。
そこで、年寄りの愚痴ほど周囲を不愉快にすることを教わった。私の両親の愚痴を
殆ど聞いたことはない。 肉体の衰えが精神に転化し顕れるのが愚痴。
スポーツジムに毎日通って腰痛は軽くなったが、何かしらイライラする頻度が
多くなった。さしあたった心配事がないこともある。「前期高齢者」
「後期高齢者」という命名は確かに失敗。例えば前期を「グリーン高齢者」、
後期を「プラチナ高齢者」ぐらいにする心遣いも必要である。歳を重ねるたび
身体は重く、気持ちは暗くなり、身内や身辺の悪口、あら探しの度合いが強く
なるのが老化のようだ。 他人をみると分かるが、自分になると自覚できない。
それもあるから年寄りは意識して明るくなければならない。それと自立が出来て
なかった人ほど老人の甘えが強い。 政府が音頭をとって、地域自治体に
「お年寄りの心得」とかいうセミナーの聴講を義務づければよい。 私など
最も手のつけられない偏屈老人になりそうだが・・ 日本は世界の名だたる
長寿国になったが、それに備える知識教育はされてない。 その以前に、自立と
教養の問題に行き着く。御隠居学とか、余生の過ごし方のようなノウハウ本には、
長年かけた準備が必要とあるが、今日明日、そう簡単に良い老人への変身など
土台無理の話。そこで、せめて「明るく自立した生き方を目指すべき。
老人になると、人生で培ってきた要素の格差が大きく出てくる。老いていく
自分を自虐的に鳥瞰するのも面白いもの!
  ー たまたまだが、以下の内容が、丁度つながる。
・・・・・・
4054, 吹き来る風が私に云う
2012年05月01日(火)
  ー 帰郷 ー   中原中也
柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ
路傍の草陰が あどけない愁しみをする

これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと 年増婦の低い声もする

あゝ おまえはなにをして来たのだと・・・
吹き来る風が私に云う
  ーー
 この最後の二行が、現在の自分の心?でもある。 
自分だけでない、晩年の人間から湧き出る言葉。
「あゝ、おまえは何をしてきたのだと・・・吹き来る風が云う」 
ったく!お前という奴は!と、まともに人生を生きてくれば、
この言葉が出るのが自然。 秘境ツアーで、平々凡々に生きてきた人が
病気で突然、死に直面し慌てて人生の余白を埋めに来た人に出会ったこと。 
死線を彷徨った手術の後、壮大な景色に感動して夫婦して肩を抱き合い
泣いている姿も見た。ネパールで遠景のヒマラヤ連峰が一望できる丘だった。 
パタゴニアでは初老の婦人が何気なく、「親のいう通り生きてきたが、
ハッと気づくと、先が無い。私の人生で何もしてこなかった。このままでは
死にきれない。この旅行で、その穴埋めにきた」と、道すがら語りかけてきた。
「・・吹き来る風が云う」声で追われるように旅立ってきて、そこで何を
感じたのだろう。実は、この矛盾こそ実在。 生きてきた証である。 
エッ 証文が束になっている? 誰? ただ飄々と風がふく。


若者よ、外に出よ! ー 〜学生生活は人生の砂場遊び

2016年04月30日(土)

     * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震、刈羽沖地震、
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼著
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
―――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・
002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと  ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を
余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り
行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要
ということ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。

・・・・・・
2002/10/27
ある時間の断片ー7 
        1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」だ。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて
なかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。
一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で最後に
は友人が吹き付けるように集まったのは本当に良い青春の財産だ。

――――
1月14日  1969年

11時過ぎに起床。
食後、卒論の最後の仕上げだ。
16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。
酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
酒井君に「私は防御が強すぎる。そして直に針を出して、人から自分を
守ろうとする。如何でもよいことまでも突き詰めてしまうと。
自分をあまりに大事にしすぎだと。
もっと自分を下から見るべきである。

・「観念構成のために最もよい燃料は経験である。
 直接的な経験は一番上等な燃料になる。こういう経験はいつまでも
 身についてくるし、必要な時にはドンドンでてくる」

・「賢人の最も美しいあり方は、きわめて控えめな言葉を使って、
 きわめて強烈なことを言うことにある」

・「自分自身の考えを信じること、人知れず深く考え、自分にとって真理で
 あることは全ての人にとって
――――
1月15日  1969年

 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。

 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

 以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。

 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。

・・・・・・
2004/01/14

1月16日  1969年

9時起床。
10時前に大学にいって卒論提出。
万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。
あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。
あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけでしかない。
そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。
甘さといい加減さが、この内容が物語っている。
以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。

そういえば今日試験があったのを知らなかった。
これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。
一つ大きな心配が増えた。
ゼミの河村と石川と外山と4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。

その後、寮に帰りTVをつけると、
東大の校舎で反代々木系全学連が安田講堂にたてこもって8千人の警察官と
攻防を繰りひろげていた。
まるで戦場である。講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプターが
三機もいて催リュウガスを撒いている。驚くばかりである。
駒村の部屋に行く。彼とは大きな距離を感じる。
その後風呂に行く。
その後部屋に帰ってくると、先輩の永田さんくる。
先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。
先日よりズット落ち込んでいた。
あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。
もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。
午前一時過ぎに帰って、就寝。


5523,若者よ、外に出よ! ー② トルコ編

2016年04月29日(金)

             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 トルコは日本人にとって何か懐かしいような馴染深い感じがする。
東西の境目の地勢的位置がトルコという国を特徴付けている。それと、
極東アジアの小国が、敵国・ロシアのバルチック艦隊を撃破したことも、
彼らにとって大きな衝撃として今でも残っていて、異様な親近感がある。
  * トルコで自分の中の神秘を知る
≪ トルコのイスタンブールという街は紀元前からずっと途絶えることなく
 現在も生き続けている街だ。そんな街はイスタンブール以外にない。
パリなんて街として始まったのは12世紀からだ。ニューヨーク、ロンドン、
東京、みんなまだ新しい街と言っていい。 紀元前から栄えていまだに続く
大きな街はイスタンブールだけなのだ。ボスポラス海峡を挟んで2キロ先に
アジアがあり、手前がヨーロッパという風景の素晴らしさ、東洋と西洋の文化
が交差し、融合し、新たなものを生み出してきた街。人類の歴史が濃縮された
街が今もなお残って生きている。そこに飛び込んでいくことは計り知れない
刺激を与えてくれるはずだ。コンヤという街がある、「スーフィー」という
イスラムの愛の神秘主義者たちの街だ。高い帽子をかぶり、白いスカート状の
服を身につけてクルクルと無限に回って踊る。セマー(旋回舞踏)という
踊りだ。これが素晴らしい。彼らは踊ることによって自分の中の奥底にある
愛に達する。その恍惚によって踊っている人は皆笑っている。すべての
雑念を捨て去った美しい舞踏は、スーフィーという愛の哲学者たちによる
人類の神秘の領域を垣間見せてくれる。イスタンブールとコンヤを旅したら、
もう「夢がない」なんて言っていられない。 ≫
▼ 「今までの旅行で、何処が一番よかった?」と、ツアー仲間から、度々、
 聞かれることがある。しかし、その都度、答えに窮し、「3分の2は優劣を
つけがたい」と答えるが、「それでは3つ挙げて」と、決まったような質問。
そこで、その都度、相手をみて変えるが、文化的カルチャーショックの
大きいのは、「エジプト・トルコの旅」と、初回の「欧州30日間の旅」である。
イスラム圏のエゴ丸出しの文化も、想像の域を遥かに超えたもの。
世界は広く、深い。そして濃厚である。現在、欧州では「トルコに近づくな!」
が合言葉だそうだ。テロだが、今ではパリと、ベルギーが、次の要注意国。
こうして過去の文章を読んでみて、憑かれて行ったものと我ながら感心する。
行蔵として、残るから良い。「行きたいうち、行けるうち、元気なうち」だ。
若者だけでなく、壮年も同じ。 壮年のうちだったからこそ、行けたからだ。
老年は? 高めなら、いくらでもある。少々の勇気と、金と、元気があれば。
――
   ーH0805 エジプト・トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩を
くり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。まさにSF映画やアニメ漫画に
出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と
息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の
秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下の
マンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、
信仰の深淵さをみた思いであった。そして、その帰りのバスの中より夕景の
“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン
・サライ”も非常に印象的なものであった。十二列×八mの列柱が336本
整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの
石首が土台になっているのが神秘的。バック・グランド・ミュージックに
ベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったり。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中
より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットの
ダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、
四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も
圧倒された。私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれ
たのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか
触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 
 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると
逆に面白いものばかりであった。殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。(1996年.1月30日〜2月8日)

・・・・・・
5158,不幸不利の7つの法則 〜②
2015年04月29日(水)
 そこで、幸福優位の7つの法則の真逆の言葉を書いてみる
  〜不幸不利の7つの法則〜
法則1: 不幸感の強い人は、周囲に人に違和感と、悲哀感と、絶望感を与える
  2: 心のマイナスへのレバレッジ化が強くなり、ドブ沼にはまりこみ、
     その毒を周囲にマイナスを振りまく
  3: 何事にもマイナス要素に対し敏感になり、何事もマイナスに考え、
     粗探しを求めて彷徨う、あの人たち
  4: 下降の勢いを他人に向けて、結果として傷口の血を周囲に塗りつけ周る
  5: ゾロ・サークルの円が、日々、小さく、固くなり、自分の首を絞める
  6: 20秒ルールが、悪く働き、下降曲線が身につき、悪い習慣が増強される
  7: ソーシャルに毒を撒き続けることで、その毒が返り矢で降りかかる
 多くは、四苦八苦に打ちのめされ、「貧すれば鈍する」の負の連鎖で、恨みを
買う劣者のスパイラルに入っていく。「順境には枝を、逆境には根を張れ」の
とおり、ただ、ジッと下を向いていれば良いものを。傍からみれば、私の現状は、
まさに、上記の法則のように見えているのだろが、何とか『不幸不利の法則』の
スパイラルから逃れている。 子供の頃から現在に至るまで、様々な『不幸不利」
の事例を見てきたが、それはそれは残酷なもの。とにかく、不幸不利の状況に
立たないことだが。 備えを普段からつくり上げておくしかない。
とはいえ、全ての人には、死という挫折が待っている。死ぬまでは生きている
のだから、死を悟る瞬間までは、幸せに生きなくては! 
ところで、毎年、小、中、高、大学と同級会に出席しているが、上に進むにつれ、
不幸不利の人の割合が、少なくなる。 これだけは、仕方がないことだが。
 『泣いても、笑っても、同じ空!』である。
 〜参考〜 「幸福優位の7つの法則」
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
・・・・・・
4793,「消費される物語」 ー3
2014年04月29日(火)
           朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 自己完結せず外へまなざしを        作家・高村薫
 毎日、一文章を書き終える自己完結に精一杯で、内々に凝り固まっている
現状を批判するに、丁度良い内容のようだ。 それも、13年間にわたって、
束縛されてしまっている自分にである。 ーその辺りからー  
《 ■「我々の社会」という物語が揺らいでいるため、物語は過剰な作られ方
 をしているー人間の社会があるところには必ず物語が誕生します。原始時代
でも自分たちの集落とその外を分ける物語があったはず。日本で「古事記」や
「日本書紀」が編纂されたのも、律令国家が確立して自らの国史を欲したから。
つまり、物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです。私たちの国、
私たちの王、家族、これらはすべて物語です。物語の特徴は、自分たちが見たい
もの、好ましいものを取り入れる一方で、見たくないもの、不都合なものは排除
することができるところにある。つまり虚構です。私たちは物語という虚構を
消費しながら生き、社会は虚構に支えられて維持されている。ですから、今日
さまざまな物語が次々と作られているのはそれほど不思議なことではありません。
 ただここへきて、その物語の作られ方が年々過剰になっているのは
「私たちの社会」という物語が揺らいでいるからです。例えはグローバル世界
では、人やモノの自由な往来が国境をなくしてゆくだろうと予想されていたのに、
実際には世界のあちこちで「私たちの国」という物語が不安定になって、その
穴埋めのために過剰な物語が生まれています。ナショナリズムの台頭もその一つ。
社会不安が増したり、経済状況が悪化したりして、人ぴとが自信や幸福感を
失うとアイデンティティーも揺らぎます。それを補うために、ことさら物語を
増幅させているのが今の世界です。これまでと大きく方向性の異なる安倍政権が
誕生したのは、新しい物語を語ってくれそうだという朋待が有権者にあるからで、
それが高い支持率の正体かもしれません。
 日本では、戦後続いた経済的な繁栄という物語が崩れた後、社会をまとめる
物語がなかなかできません。1990年代以降は、心の余裕がなくなつて、物語が
より内向きになっています。人は誰でも、より心地よい物語の方に惹かれます。
社会にはかって、本筋を外れてはならない暗黙の了解というか、節操があった
と思います。明るい未来が見えているときには、外に向かって積極的に開いて
いくことができたのですが、それが出来なくなってしまった。》
▼ 13年間で、5千近い文章、物語を書き続けてきたが、これが私を、更に
 内向けにしていた。これで、都合の良いように物語化して、都合の悪いことを
排除していたのである。混沌とするほど、それが大きくなっていくのを、冷笑
して、改めて読み返すのも、また、都合の良い物語である。小さく、小さく、
自己完結をしていただけだったのである。その知識を加えて、これからの文章を
書いていくしか、現在の私には術がないが。自己完結するから、次に進むことが
出来るともいえる。そういえば、単調な自己完結した日々を繰り返している
現状を、改めて考えてみようか? 読者の一部には、これが見えていたのだろう。 
今さら、自分は自分でしかない!と、思わなくては、ボキッと折れる。
・・・・・・
4426, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー9
2013年04月29日(月)
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
  * 日本人は実は会社が大嫌い
 これまで年功序列と終身雇用の日本的システムこそが人々を幸福にすると
信じて疑わなかった。が、実はサラリーマンは昔から会社が大嫌いでガマン
して働いていただけ。それが出来たのは高度成長でパイが拡大していたため。 
バブル崩壊で景気が落ち込むと、日本的雇用制度が虚構の上で成り立っている
のが露呈してきた。 著者は、ここで、
《 大卒内定率が50%を下回るのも、3人に1人が非正規雇用になるのも、
 中高年のサラリーマンにうつ病が急増するのも、日本人がアメリカ人の2倍
(イギリス人の4倍)の割合で自殺するのも、すべて、機能不全を起こした
日本的システムから生じる同根の現象》という。誰が好きこのんで年功序列の
終身雇用のラインにいるのではない。それなりの理由があるため。
  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ バブル最盛期の1980年代後半に行なわれた、仕事の満足度に関する
 日米比較調査がある。おそらくほとんどのひとは、日本と米国のデータが
すべて逆になっていると思うだろう。この調査結果は衝撃的で、私たちの「常識」
を根底から覆す。カリブォルニア大学と南カロライナ大学によるこの調査は、
日本の厚木と米中西部イソディアナポリス地区の製造業七業種の労働者それぞれ
4千人あまりを対象とした大規模なものだ。彼らは日本と米国の仕事観に際立った
違いを明らかにした。
* 結局のところ「いまの仕事にどれほど満足ですか」との質問に対し、
 満足との回答は米で34%、日本はその半分の17・8%。不満は米では
 わずか4・5%に対し、日本はその三倍の15・9%にのぼる。
*「あなにの友人にこの会社であなたのような仕事を希望したら、あなたは
 勧めますか」の質問には、米では63・4%が友人に勧めると答えたのに対し、
 日本はわずか18・5%だけだ。逆に勧めないと答えたのは、米が11・3、
 日本が27・6%だ。
*「いまあなたが知っていることを入職時に知っているとしてこの会社の
 いま一度、この仕事につきますか」の質問では、「もう一度やりたい」
 との回答は米ではじつに69・1%、日本は23・3%と三分の一にすぎない。
 二度とやりたくない」は米ではわずか8%、日本は39・6%と回答者の
 四割にものぼる。
*「いまの仕事は、入職時の希望と比較して合格点をつけますか」に対しては、
 合格点は米33・6%に対し日本はわずか5・2%にすぎない。否定にいたって
 は米の14・0%に対し、日本は62・5%と過半数を超える。もういちど
 繰り返すけれど、これは雇用崩壊が騒がれるようになった最近の調査結果
 ではない。80年代は日本企業が世界に君臨し"ジャパン・アズ、ナンバーワン"
 と呼ばれた時代であり、一方のアメリカでは、家族経営を信条としていたIBMや
 コダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれていた。
 それにもかかわらず、アメリカの労働者のほうが日本のサラリーマンよりも
 はるかに仕事に充実感を持ち、会社を愛し、貢献したいと思っていたのだ。≫
▼ アメリカの平均的家庭はプロテスタントで、働くことの価値の宗教的
 裏づけがある。日本にあるのは、儒教と朱子学の勤勉と、藩への滅私奉公の
意識ぐらい。それもアメリカの占領政策により、骨抜き。特に私は従属が大嫌い。
そのため会社に入らないで済ませるため、自分で会社を作る道を選んだ。
振り返ると、それが正解? 調査結果の内容は、国民の民度の問題でもある。
これでは経済の荒波が来れば、ヘチャルわけ。使われるのも大変だが、
使う方はモット大変。 * これらの質問の逆を考えて、何人肯定出来る? 
日本人と同じ比率? 肯定肯定、絶対肯定!と、感謝の言葉を繰り返す日々。
・・・・・・
4052, 閑話小題 
2012年04月29日(日)
   * ゴールデンウィーク
 ゴールデンウィークといっても、現在の私には関係ないし、敢えて人混み
の中に外出をすることもない。一般社会では、まとまった休暇は、この時期
しかないのが世の習い。大多数が行楽地に出かけたりするのを見ると、似た
ように動きたくなるのが人情。 ところで、現在通っているスポーツジムが、
この期間にオール・オープンのサービスを打ち出してきた。年中休みの私に
とって有難いことである。例年、ゴールデン・ウィークは昼か夜、隔日ごとに
外食するのが慣い。今年も何の予定も無し、サンデー毎日と同じ感覚である。 
5月の連休をゴールデンウィークとは、良い命名である。
  * 見切り千両
 撤収の決断のキーワードは、「見切り千両」である。 以前より節目では
「見切り千両」をキーワードにしてきた。見切りこそ生物的本能が生かされる。
攻撃の判断と、撤退の判断、この二つが決断の要。 そのためには経験と知識
の蓄積が必要。攻撃の決断より、撤退の決断は遥かに難しい。 
遅かったきらいもあるが、この時しかなかったのも事実。
  * 秘境の写真集とドキュメント
 趣味に、秘境・異郷の写真集とTVドキュメントを楽しむことがある。
(最近、秘・異郷ツアーに行ってないので写真で我慢もあるが)最近は、
もっぱらiPadで写真集にアクセスして見ている。 やはり一度、訪れた
ところが主になる。 一度行ったところは、それぞれの目線により対象が
違って見え新たな発見があり、その延長の旅を続けているような気持ちになる。
その点でiPadは便利。常に身近において置けるのでチョッとした豆時間
(隙間時間)に、開き見ることが出来る。質も大事だが、量をこなすことも必要。
多いほど、より対象により近づいていける。 現地で全身で情報を吸収すれば、
その後、情報は磁石のように吸い寄せられてくる。今ではネットから簡単に入手
出来る。 世界は面白いことで満ち溢れている。 やはり行動しなければ、
そして知識を満たさなければ!


5522,若者よ、外に出よ! ー① ピラミッドという衝撃を体験しろ  

2016年04月28日(木)

             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。
――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
5157,不幸不利の7つの法則 〜①
2015年04月28日(火)
 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。《起業では、何かを
しようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保してから、何をするか、
どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の事業を始めるところから
考えるのが理想なのだろうが。 創業というと、一人の強力な個性が必要になる。 
黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を守るため、かき集められた浪人が、
圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に合わせた人集めの典型。このことは、
教養についてもいえる。何かのために知識を得るのではなく、知識のための
知識のベースが、まず必要。それが教養である。大学も4年のうちの二年間が
一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。人生を振り返ると、本当に
必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎知識であった。教養課程は、
その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方の差は、そういう人材が
身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界があった。 
「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。
・・・・・・
4051, シングルイン、31年間の総括 ー10
2012年04月28日(土)
   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと
覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。会社経営から開放され
現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた
次第。日が経つにつれて、前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 
しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、去年の
11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在
に至っている。 世界の銀行と政府、企業の金庫の中に六千兆円の十倍の6京円
の不良債権が塩漬けになっている。何時、それが表面化するか時間の問題。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても
不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、かつ原子炉54基
すべてが、止まったままである。更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の
大統領選挙まで持ちこたえるのか。会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が
終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で
再稼働を始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち
無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。反面、倒産は倒産、
犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への
退職金の満額支払いは出来なかったが、国の一部たて替えを含めると平均八割
近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 
30年間、経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 
その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の何なのだろうが・・ 
今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含め
シラミはシラミ。 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で
何とか精神を保っている。好きなことだけが出来るからである。アウトサイダー
に徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい
因縁社会に組み込まれない生き方が、ここにくると楽。一歩、年金生活に入ると
景気とか社会に対する温感が鈍くなる。景気は最悪の筈だが、悲鳴が聞こえない。
・・・・・・
3685、 自己を見つめる −9
2011年04月28日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 孤独については、これまで何度も書いてきた。結局、人間は独りでは
生きられないのである。しかし孤独は、世間とかいうのがある限り必要である。
私の出身校の「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。 和して同ぜず。 
和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを
「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、
 その至福にみちた優しさを讃えた。孤独が終わるところ、そこに「市場」
が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった
蝿たちのうなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした
騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、岩陰にそびえ
立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を
澄ましながら、存在の声を聞こう、とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、
「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。
ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、「言葉」となって自分に開かれ
てくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、
ありとあらゆる生々流転が、その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 
このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。言い換えれば、
孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と
世界の人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、
私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときは、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。
たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いでいるときには、
私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく
事態を把握する余裕や冷静さを持つことができない。 人間は、それほど
までに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの
 世界に浸ることが最も手短である。それか、一度自分の住んでいるところ
から外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在
である一度だけの人生を自覚するためにも。 


5521,閑話小題 〜「しないこと」を決めることが先決

2016年04月27日(水)

   * 「しないこと」を決めることが先決
 政策についてのテーマで、以前、取上げたことがあったが、
 デル創業者/マイケル・デルの言葉、《「すること」それを決めることは
簡単である。難しいのは「しないこと」を決めることだ。》がある。
 日常の多くは、優先順序の低いこと、しないでよい事に、手をとられている
ことが大部分。すべきことに集中するには、しないでよいことから、切り捨てる
ことを明確にしておくべきということ。 これは、人生についてもいえること。
 それを明確にするには、死際を想定すること。それが無理だとしたら、死に際
から生還してきた人の死生観の本から学べばよい。そこには、人生で、しなくて
いいことが、列記してある。その結果、残ったことを優先順位をつければよい。
 それを先にしないと、あの世間様に、人生を食散らされてしまう。そういえば、
家訓も、「しないこと」が多い。 経営セミナーの経営計画の立て方で、
政策セミナーで、聞いた、【政策とは、「すること」より、「しないこと」を、
まず先決すること】の教えに驚いたことを、憶えている。で、何故か、しない
でよいことばかりをして、このザマ。人生も、何事も、すべからく同じ。
   * ノコギリヤシ
 新聞広告で、【1万人に抽選でノコギリヤシを無料進呈】にひかれて、
ネットで申し込んだものが、送られてきた。一日、三錠、一ヶ月分で5千円は
高過ぎるのでは? と、年齢から考えて、まず二錠を飲んでみて暫く経つと、
何か身体に精力が漲るような感覚が湧き出てきた。初回性もあるのだろうが、
とにかく一ヶ月間、飲み続けることにした。これを無料提供も、肯ける。
   * なに、これ!
 東京オリンピックのエンブレム、朝顔のエンブレムが、てっきり決まると
思っていたが、最も良くないと評価をした「なに、これ?」が決定した。
地味オリンピックには、これが丁度よいのか? 決定するに、広告代理店の
一線の人の意見を重視すれば、こんな葬式みたいなエンブレムを選ばない。
 柔道の山下氏が出てきて発表すること自体が変。決まったとしても、変は
変。チョッと否定的過ぎるか、動乱の世情からみて、東京オリンピックの
開催からして疑問が残るが、こういう時勢だからこそ、やるべきか? 

・・・・・・
5156,閑話小題 〜地球規模で、天変地異が
2015年04月27日(月)
   * つれづれに 〜地球規模で天変地異が
・ネパールで大地震があったが、太平洋岸で次々と起きている 大地震の一連? 
 それと、イルカが最近、太平洋岸に迷い込んだのも関連しているのか。
 それとチリの大噴火も、先年の大地震の関連。そうこうみると、三陸沖地震が、
 そう遠くない時期に起きても不思議ではない。
 ――
・自宅の極近くのSC内にある喫茶店チェーンのコメダコーヒー。今月になって
 二度行ったが、一人客が意外と多い。数ヶ月前、9枚綴りの回数券を買ったが、
 あと一枚残っている。近所のため、一人で行きづらいが、気分転換に良さそうだ。
 ――
・首相官邸の屋上に、ヘリコプターのクローンが着陸、発見されたのが二週間後
 というから国辱もの。ハッキリいえば、テロから逃れること自体が不可能。
 ネット上で、一気に100人が打ち合わせをして飛ばしたら、どうなる? 
 「原子炉の上空をクローンが飛んでいるのを何度か見た」と報じていたが、
 恐ろしい時代に入った。人類は22世紀を無事迎えられないという説がある。
 ――
・小学生の頃から超大物といわれた高1の野球選手が注目を浴びてきた。
 ラグビー元日本代表の清宮克幸の息子。成るほど、それだけの器のようだ。
 少年相撲にも、それクラスのがいるというが。
 ――
・幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著―
 の感想文を、書いたが、フト、真逆の「不幸不利7つの法則〜不幸と失敗の
 意外な感想」をテーマに思いついて、数日前から下書きを書き始めた。
 幸福優位と、不幸不利性が、あい絡まっているのが人生。その二つを意識して
 コントロールするしかないが・・ 傍から見たら、私など不幸不利の典型に
 思われているのだろう。不幸不利に思える人を多く見かけるが、両親から
 引継がれているとしか思えない。 身近な人をみていると、連合いとの
 相性もある。神様は、一番相性の悪いのをわざわざお選びになった?
・・・・・・
4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
        ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  
  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 
 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
   □ 憧れをかみ殺す
 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
はゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく  》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン
・・・・・・
4424, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー8
2013年04月27日(土)
      「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
  * 私たちが何故不幸か、進化心理学が教えてくれる
 チンパンジーからして、実は平等も格差も遺伝子に刻印されている。
この矛盾が、人間を不幸にしている。能力も、女性の容姿も、生まれながら
大きな差がある。それを克服するには、一生を要するが、それを失うには数年、
いや、数ヶ月で済む。女性が連れ合いの選択にシビアになるのは当然、それで
人生の大半が決まってしまうため。だから二段階上の相手を必死に探す。
それをシンデレラコンプレックスという。しかし殆どが夢幻の幻想で終わる。
だから神様は、男の性欲を過剰に与えて、仮装の相手に惑わさせるようにした。
で、男は一生、その付けを払わされる。平等欲求と格差の遺伝子を同時に与え、
不幸になるように創られたのは、神様の仕業。だから幸福など気の迷い。
「不幸なのは人類の宿命で、私や貴方だけでない!」と割り切るしかない。
 ーその辺りから抜粋ー 
≪ 二頭のチンパンジを真中をゴフス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリ
を与えるとすごくおいしそうに食べる。ところがもう一方のチンパンジーに
バナナが与えられると、いきなり怒り出し、手にしていたキュウリを壁に投げ
つける。さっきまであんなにうれしそろだったのに。霊長類学者ドゥ・ヴァール
は、こうした観察結果から極めて重要な発見をした。平等はチンパンジーに
とって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。 ぼくたち人間も、
「平等」に強いこだわりをもっている、人種差別で沢山の血が流れるのも、
バックパッカーがぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として
平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的
な価値観でなぜ世の中は格差社会になるのだろうそれは、「格差」もまたぼく
たちの遺伝子に刻印されているからだ。 初対面の二頭のチンパンジを四角い
机に座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと先へと互い取り合う。
負けけがつづと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に
所有権があることを認めているからだ。ところが同じことを何度も繰り返すうち、
どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴
から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジー
は上位者にエサを譲るようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で
遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、
この傾向は明瞭だ)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識のうちに
支配したり従ったりする強力なちからが働く。 人間の耳には、五〇〇ヘルツ
より低い周波数は意味のないハミング音としか聴こえない。ところがぼくたちが
会話をすると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。ひとは無意識のうちに、支配する側にハミング音を
合わせるのだ。 声の周波数分析は、アメリカ大統領選挙のテレビ討論でも
行なわれている。一九六〇年から二〇〇〇年までの大統領選挙では、有権者は
一貫してハミング音を変えなかった(すなわち相手を支配した)候補者を常に選んで
きた。わざわざ選挙などやらなくても、討論のハミング音を計測するだけでどちら
が勝つかはわかってしまうのだ(ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル』) ≫
▼ 誰もが不幸になるよう設計されていると思えば、少々の怒りや悩みは解消
 される。だいたい幸・不幸は一時的感情。だから格差を容認するため「公平」
という考え方を作り上げた。ここでチンパンジーに平等の意識が「基本的猿権」
 としてあるのに驚いた。数十、数百万年かけてつくられたのだろう。小・中・
高校、大学に進学する度に選択されていく。上に進むたびに格差された自分の上下
左右が鮮明に見えてくる。平等、自由、博愛、これは理念、現実は逆ということも!
・・・・・・
4050, 一時停止 ー8
2012年04月27日(金)                
 * 「好き」という言葉が好きだ     
          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ ・・ぼくは生きる上でいちばん大切なのは、好きになる気持ちだと思って
 いるんだ。好きになるのに理由はない。「好き」はじぶんのからだとこころ
のもっとも深いところからわいてくる。 むりして好きになるわけじゃない、自然
に好きになる。好きになる気持ちは人間に、そしてほかの生きものにも、はじめ
からそなわったすばらしい能力だと思う。何かを、誰かを好きになること、じぶん
が生きているこの世界を(それがときにどんなに苦しく悲しいものであれ)好きに
なること、そしてこれがけっこうむずかしいんだけど、じぶんじしんを好きに
なること。じぶんがきらいじゃ、ほかの人を好きになれないし、生きているのが
つらくなる。はじめきらいだと思っていたものや人が、知っていくにつれて
だんだん好きになるってことだってある。ぼくは「好き」ということばが好きだ。    
                  (母のひろば482号一 二〇〇四年) ≫
▼ 人生の早い段階で好きなことを見つけ、続けることは大事なことだが、
 それぞれの年代ごとに、蛇の脱皮のように、好きなことを変えることも必要。
それは男女の出会いに対していえること。節目ごとに好きな対象が変化するものと、
一貫して好きを貫くか、である。「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる 
ほど違う」という都々逸があるが、それほど好みは根源から湧き出るもの。 
反面、「好きになるまで取り組んだことを突き詰めれば、奥底好きになれる」
こともある。好きという言葉は、人生の鍵を握っているようだ。現在の自分が
好きになれるか?特に人生の晩秋に差し掛かった時期の自分が、どうだろうか?
 「日々、面白い!」と思えるかどうかが目安。ここまでくれば、
「突き抜けた自分を好きと思うしかないか!」自嘲的自己肯定か、最期は。
   ・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)          
  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 
 ・・・・・・・・
3319, 理性の「理」は、理由の「理」
2010年04月27日(火)
   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著
 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たち
に聞いてみたが、納得する答えがなかった。そこで字づらから、王の里で、真理
の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた『カントはこう
考えたー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著に、カントの
「純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 
 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する「ラテオ」は、同時に
「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の
「根拠」、物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と
答える能力が理性であると言ってよい。20世紀のハイデッガーは、理性と理由、
理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力。理性は物事を基礎づける
根拠である。根拠は純粋理性の理性的根拠以外にない」 ところで、この
「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。
それは「なぜ?」という問いである。「なぜ?」と問われて、はじめて
「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
▼ 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に
「なぜ?」と、問う能力である。分かっているようで、分かってなかったようだ。
そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が理性的という
ことになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる
物事の基礎を把握したいため」である。「なぜ?」「なぜならば」と、言っている
限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある
原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。認識に経験論と合理論があるが、
合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対し、
 合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。 −つづく

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