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堀井On-Line
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2016年04月22日(金)
* 道化師の泡沫候補の鼻息 「トランプの暴言集」とネット検索をした結果の一つに以下の内容があった。 典型的な泡沫候補が、共和党候補になる勢いだが、保守白人の本音がこれ! 共和党内の支持者の91%が白人、「移民が米国民の雇用や医療保険を 剥奪している」と考える人が83%、「黒人が貧しいのは本人の責任だ」と 考える人が93%だった。男性のトランプ支持が女性の倍。つまり、弱者への 優遇に不満を持つ白人がトランプの暴言に溜飲を下げている。末恐ろしが、 これがアメリカ白人の本音。 〜「トランプの暴言」で検索すると〜 【 1年前は“道化師”とからかわれたドナルド・トランプ候補(69)だが、 今や大衆に強く支持されて共和党候補のトップを走っている。 その理由は全身をポピュリズムで武装しているからだ。 ・「ポピュリズム、いわゆる大衆迎合主義というのは支持基盤がもろいので、 トランプブームは一過性というシナリオも描いておく必要がある。ただ、 8年前にオバマ大統領が『チェンジ』を掲げ、彗星のごとく登場したときの ように、既存の政治と政治家に対する不満を一手に引き受け、国民に夢を 抱かせるような候補者がトランプ氏以外に見当たらないのも事実です」 (在米日本人ジャーナリスト) トランプ候補は、いわば民衆の“怒り”のはけ口となっているのだ。 しかし、陣営には政策担当者がいない。それもあって、誰もトランプ氏の 暴言・失言を止められないでいる。暴言を幾つか拾うと、 ・まずは【移民、難民、イスラム教徒、女性蔑視】について。 「メキシコ人は強姦犯だ」 「(不法移民を締め出すために)国境に万里の長城を築く。 ただし費用はメキシコ持ちだ」「移民なんかクソくらえ」 高卒の保守層労働者にとって、メキシコ移民は自分たちの仕事を横取り する存在だ。暴言には違いないが、労働者は怨念を晴らしてくれたと 拍手喝采を送った。とはいえ難民、不法移民は米国に1400万人もいる。 彼らはすでに既得権益化し、強力なロビー活動を頻繁に行っており、 簡単には解決できない。 「すべてのイスラム教徒の入国を拒否すべきだ」 この発言には与野党一体となっての非難の大合唱。イスラム教徒や メキシコ人排撃は、ポピュリズムの極端なアピールだが、そもそも移民の 連邦国家がアメリカであって、WASP主流(白人エリート支配)という考え方が 成り立つはずもない。 また、女性蔑視発言は大の得意技。特に強烈な2つを紹介しよう。 まずは同じ共和党唯一の女性候補だったフィオリーナ氏について。 「あの顔を見てみろよ。誰があんな顔の奴に投票するってんだ?」 民主党ヒラリー・クリントン候補にはこんな一言。 「夫を満足させられないヒラリーが、アメリカを満足させられると思うか?」】 ▼ まあ、いくら本音といえ、こういう人物が、共和党候補になること自体が アメリカのジレンマが現れ出ている。これはモンロー主義そのものになる。 世界にとって他山の石でない。それだけ、世界は動乱期に入ったということ。
・・・・・・ 5151,知の逆転 〜⑨ 2015年04月22日(水) ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス * 人間特有の能力とは 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの 読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった ことがハンデになって現在に至っている。それでも、読書習慣で助けられた。 文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。 ≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。 人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが 不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する 手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。 音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。 ・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。 しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために 使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて 人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫ ▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と 「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。 「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。 14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の 効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は 言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、 それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。 読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。 ・・・・・・ 4786,自分の頭で考えるための哲学講義 2014年04月22日(火) 「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜 * 価値教育とは? 20歳から30歳までは、変化の連続になる。社会人、結婚、早ければ父親、 と、色いろと変化をしていく。そして、年々、就職先、結婚相手の選定など、 人生を大きく左右する決断が突きつけられる。その中で、大きは危機が 体質の変化時の24歳頃にやってくる。それが人生の大きな分岐点になる。 ここで悩み、基礎を固めておかないと、長い実社会の中で、大きな落とし穴 に落ち込んでしまう。精神的には鬱病、分裂症など。社会的には突然の失業 とか大病とか・・ そこで直面するのが、人生の意味と、価値感である。 その辺りを「アメリカ道徳教育からわかること」の小項目で取り上げている。 ーまずは、その辺りを抜粋するー 《 価値教育とは、子どもの全人的尊重と、その自主的な全人的な働きによる 価値の明確化を援助する方式をとる。従って確定した知識を権威として教師 中心に教え込む指導方式とは根本的に違う。・・ アメリカの教育学には、 二つの大きな流れとして本質主義と進歩主義がある。 ・前者は、歴史の試練に耐えてきた文化遺産の教育的価値を重視し、学校には それを次世代に伝達するという、社会から依託された任務があることを強調 するのに対して、 ・後者は、子どもの興味・関心・成長欲求を受けとめ、自発性・主体性を尊重 して活動意欲を引き出すことを重視する」と。 そして、本質主義に基づき 価値の伝達に主眼を置く教育が、価値の押しつけにすぎないとして批判される につれ、進歩主義に基づいて子どもの価値表現や価値判断を重視する教育が 主張されるようになったといいます。そして現在では、両者の統合が課題に なっているそうです。私が注目したいのは、もちろん後者です。 つまり、子どもたちの価値判断を重視する進歩主義的な教育です。たとえば、 ラス、ハーミン、サイモンらが『道徳教育の革新』のなかで主張した 「価値の明確化」という概念があります。彼らは、すべての人が同じ価値観 をもつことはないという前提のもと、それぞれの人が自分なりの価値観を 確立する手法を明確化しようとしました。 それが次の7つのステップです。 選択すること:①自由に選択する ②複数の選択肢の中から選択する、 ③各々の選択肢の結果についての十分な考慮の後で選択すること 尊重すること:④尊重し、大切にする、⑤肯定すること、 行為すること:⑥選択に基づいて行為すること、⑦繰り返すこと。 これらの七つを満たしたものを「価値」と呼ぶそうです。 》 ▼ アメリカ的価値観が、そのまま現れ出ている。「神の前で、それぞれが 経典に従い、自主独立で、前向きに生きなさい」という事だが、更にマトメル と、【自由に、複数の選択肢の中で、充分考慮した上に、大切に、肯定的に、 選択した行為を、繰り返すこと、を満たしたのが『価値』】ということになる。 価値観は、それぞれの年齢で変転していくため、人生は、何時も学び続け なければならないことになる。まずは両親など家族からの価値観から脱皮する には、この7つのステップは有効にはたらくだろう! そのためには、教養が 必要条件になる!三年前の【3679, 自己を見つめる−6 2011年04月22日 「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) 】が、続きになる! ・・・・・・ 4419, この結果に感謝している! 2013年04月22日(月) 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、 「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。 他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、 こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、 右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。 経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目! と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で 新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外 は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産 しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で 済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか 今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、 この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、 自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が 隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない 自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま 受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを 与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、 「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、 半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。 過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。 思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた 日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、 「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、 不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達 できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う 目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、 何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」 の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い。 それを味わうのが、これからの人生。 ・・・・・・ 4045, 末っ子はつらい ー3 2012年04月22日(日) 私は10人家族の末っ子。 家が商家だったので誰も自分のことで手一杯、 互いのプライベートを見せないのが暗黙のルール。4〜10歳までは1Fが店舗、 2Fが倉庫と事務所、3Fが住居、4Fには住込みの女子従業員7〜8人が住む。 食事は、何時も従業員と一緒。 小学校5年になって、7〜8分離れたところに 住居部分が移動した。雑然とした商家では独りで遊ぶしかなかった。末っ子は 親の目が行き届かない分、姉や兄の虐めから自らを守らなければならなく、常に 周囲の顔色を窺がう性格になっていた。特に父親が店と家族と親戚を束ねていた 絶対的存在で、父に媚びるのが効果的であるのを知っていた。そのため?末っ子 の私に甘かった。数年前、新幹線の乗客の会話で、「私は多人数兄弟の末っ子で、 常に親や兄弟から許されてきた。それが今でも直らず、失敗をしても許される だろうという思い込みの性格が身について、大きな壁になっている」というのを 聞いて、「まさに自分そのもの!」と、驚いたことがあった。家族間では絶対に 互いの陰口はタブーで、兄や姉が他人の噂話をしたのを殆んど聞いたことがない。 児童心理学では、家族は5人以上が必要という。一人っ子は同年代の心の内を知る 機会が少なく、孤独になりがちになる。 さらに親のかまい過ぎと、兄弟がいない ため自己中心になってしまう。 家族の立ち位置で、性格が形成されるのは自然 の摂理。数年先が、それぞれの姉、兄の姿から見え、学ぶことが多い。 7歳年上の姉が勉強の仕方とか、自分の夢をイメージ化する重要性などを、 節目ごとに教えてくれた。ある意味で、一番、世話になった人である。末っ子は、 末っ子の欠点と利点がある。冷静にみて、やはり大家族は利点が多い。 両親の要素もあるが。 * 末っ子はつらい ー2 2002/05/08 末っ子は辛いと、姉が聞いたら、「なにをいっているか!」と怒鳴られそうだ。 「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!」と。確かにそうだ。特に両親にとって、 ペットみたいな存在で、亡くなる時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に 関しても、不利にならないようにして亡くなった。 家は両親が死ぬまで常に お手伝いがいて何時もチヤホヤされてきた。末っ子の特権を充分享受した。 それと大家族は逆に孤独に強くなる。一人でいつも遊んでいた。後年になって 長姉がいうには、いつも一人で三輪車で遊んでいたとか。今も一人遊びが好きだ。 ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人。 幼児期・少年期は事業の立ち 上げ時で非常に刺激的な環境。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。 それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、 微妙に変わってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 すぐ上の兄は、私の影的存在で?大人しい性格。「積み木崩し」というタレント 手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねて非行に走る ケースが多いという。 兄妹の立ち位置で、性格が決められる。 * 末っ子はつらい ー1 2002/05/07 8人兄弟の末っ子である立場の自分を書いてみる。少年期まで、末っ子は 上からの虐めがきつい。特にすぐ上の兄のそれがきつい。常に気を張って いなくてはならないのがその宿命。食事も早く食べないと食べ分がなくなる為、 早食いが癖になっていた。多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 他人の気持ちを読む習性が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は長女が いいとも最近聞いた。たまたま家内がそうだった。そういえば過去に惹かれた 女性は長女で、A 型で、おっとりタイプが多かった。また末っ子は口が堅くなく てはならない。立場上、それぞれの兄姉の秘密を知る機会が多い。しかし万一 告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会。 ・・・・・ 3679, 自己を見つめる −6 2011年04月22日(金) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 自己を見つめる、その自己とは? そもそも何だろうか? その自己は、 「少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いた」のである。 この世に表れでたのは、その存在理由があったのである。 ー 第五章 自己 ー 【 およそ、あらゆる芸術家、学者、政治家、実業家などの、人類社会に 貢献した人々はみな、その生涯において、自己決定の稀な瞬間を生きとおして、 それぞれ個性ある一生を築いて、この世を去った。もちろん、際立った、選り 抜きの人々以外でも、考え直してみれば、あらゆる人間がみな、それぞれなりに、 自己の人生と運命を生き抜き、そのかけがえのない人生の軌跡を描いて、 自己の人生を全うしようとして、一生を走りとおしたと見なければならない。 むろん、この世の人生においては、不運や事故、挫折や失敗が付き物であり、 多くの人々は、志半ばで、不幸のうちで倒れ、意に満たない、悲運のなかで 一生を終えた。けれども、人間はすべて、最後には、自分らしい生き方を、 運命として肯定しながら、この世に別れを告る覚悟で人生を生きるものである。 そこに、ほかならぬ、掛け替えない当の自己自身の人生が一回限りの形で生起し、 代りの不可能な、それなりの個性と必然性をもったものとして刻まれ、こうして、 永遠の闇から闇へかき消え、あるいは不減の魂のなかに久遠の記憶として残され、 少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いたのである。 】 【 大切なのは、人間の存在の必要条件と十分条件とを峻別することにある、と。 人間が生物としての機能を果たして生きるということは、人間の存在の必要 条件を満たして生きるということにほかならない。また、人間が社会的存在と して、なんらかの環境や境遇のなかに置かれて生存を営むということも、人間 の存在の必要条件を満たして生きるということのうちに入る。けれども、それだけ では、真に人間的な自己自身として生きるということの十分条件が 満たされた ということにはならない。衣食住の欲求を満たし、胃腸や呼吸が正常に機能し、 なんらかの社会的環境のなかに置かれて生きるということならば、誰もがやって いることである。むろん、そこに、胃腸の丈夫な人とそうでない人、あるいは 比較的恵まれた環境に生きる人とそうでない人との差異はあるであろう。 けれども、そうした所与の心身の資質や社会的環境のなかにただ置き入れられて、 それにまったく受動的となり、なんら奮起することがないのならば、その人は、 ほんとうには、まだ自己自身に目覚めてはいないと言わなければならない。 】 ― 自己の存在の十分条件を満たしたかどうか、それも充分かどうか、 それぞれあろう。それは個性を発揮できたか、どうか。
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| 5515,閑話小題 〜「はてな」のブログ、100万人超え |
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2016年04月21日(木)
* 「はてな」のブログ、100万人を超えた! 「はてな」ブログのビュアーの数が、昨日で延べで100万人を超えた。 開設以来、9年4ヶ月、一日あたり300弱になる。現在も、月当たり を均すと、同じ300人になる。 月の4分の3が、250前後だが、 月に一週間ほど、その2〜5倍のウネリがある。なぜか、内容に力が入った ときにビュアーが増える。 当初からの個人HP「えんぴつ」が、ちょうど丸15年。この「えんぴつ」 のブログは一日40人前後。当初から増えも減りもしない。旧来からの知人を 中心にしたビュアーが見ているようだ。 内容が「はてな」と同じため、二つ とも見る人もいないから、合計で一日330人が見ていることになる。 一つにしないのは、万一の炎上したときのリスク分散のため。 それにしても100万人とは驚き。それと15年と、9年4ヶ月も。 * ああ、お金ですか 誰かの言葉に、『 人々は、お金では貴いものは買えないという。 そういうきまり文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠なのだ 』 がある。学生時代から社会に出だしの頃、自分のお金が手元になかった。 誰ものことだが、金が無いと、希望も夢も、遥か彼方にしか見えてこない。 そして10年、20年経ち、それなりの金額が、資本として見えてきた時、 自分の言葉と、目の前の具体的な夢と自信が見えてきた。貴いものも、貴く ないものも、具体的な自由を現前に現してくれるのが、お金。問題は、それを 生き金か、死に金にするかである。 それもこれも妄想でしかないなら、 持った上で妄想をみたいもの。
・・・・・・ 5150,知の逆転 〜⑧ 2015年04月21日(火) ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス * 没頭している「平和の時間」こそが 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、 落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、 何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・ この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。 ーその箇所を抜粋ー p149 ≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が 消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。 われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイトの精神分析 では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな 平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では ないでしょうか。≫ ▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も 「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる 自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」 に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。 それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様! ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。 ・・・・・・ 4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜② 2014年04月21日(月) * 倒産よもやま話(三年目の実感) 〜② 「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、 弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。 苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。 この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」 という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』 と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ 変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。 10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震、 柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、 その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、 「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、 排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット 社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化。 これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。 その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、 国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり 明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、 飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、 事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。 で、近く避難先で、町を見下ろしている。 ・・・・・・ 4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7 2013年04月21日(日) * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、 十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して 分かりやすく説明している。 ≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、 統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌 『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは 資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、 ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような 大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。 もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、 極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。 マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで 暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、 その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも 不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。 彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより 過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。 もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件 ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。 ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件 のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。 日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、 お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで 一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。 買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに 気づくのだ。 ・・・ ≫ ▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」 して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は 先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の 先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。 中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。 東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。 豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを 見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの? でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、 今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」 など感じようもない。 ・・・・・・ 4044, 一時停止 ー4 2012年04月21日(土) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 他人との出会い ≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長 に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、 考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから 私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、 すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と 同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、 子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。 もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、 いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって 最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人 として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。 似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね あてはまるだろう。 ≫ ▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。 それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと 暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、 その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に 見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡 となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。 ・・・・・・ 3678, 自己を見つめる −5 2011年04月21日(木) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ー 境遇 ー 【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、 自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の 過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的 歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール (旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・ 遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。 格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、 他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、 私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の 過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。 こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、 裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的 経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる 人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】 ▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型 である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、 そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に 出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ 初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は 大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは 異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。 ・・・・・・・・ 3313, 対話について 2010年04月21日(水) 「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著 * 対話について プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。 以下は、そのエッセンスの部分である。プラトンと、ソクラテスの立場を 簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28) ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」 として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと 書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく 営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、 一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、 時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と 言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と 状況は、その対話を通じて変化していく。対話を交わした人のあり方は、もはや 以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を 形作るものである。そして、対話は、二度とくりかえさることはない。 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか 起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものと なった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが 対話を反復させる。私たちの心には、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの 手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる 著者と、それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、 そのようなもうひとりの対話者なのである。しかし、ソクラテズが従事する 生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的な隔たりがある。 このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話という形をかりて 語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のための すぐれた発明であると自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。 書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。 〜〜 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読んでいたが、何を理解して いたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と 一度限りの対話があった。その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。そして 自分の壁を破壊してくれていた。現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、 あれは会話?でしかないのか。それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが!議論すること、書き留めること! その青さを持ち続けること! チロリチロリだけでは、だめか?
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2016年04月20日(水)
「人間の人生は豊かとは」を何をもって言うのか? の問題が残るが、 私が生きてきた実感は、人間は、他の動物から比べ豊かといえる。 それは、人間は雑食者で、利己主義に加えて利他的であり、人生に意義を求め、 豊かさを実現しようとする言語手段と、その記録方法を早くから身につけて いたからである。その人生を楽しまなくて、何のための人生ぞや。 * 人間の人生は豊か ≪ 人類の中でも人間とはいかなる存在か、人類ばいつどのように人間に なったのかを、探るのが、人類学の重要なミッション。〜主な事項を拾うと〜 ・まず人間は、驚異的な雑食者。霊長類は基本的に植物食だがが、人間は各種 植物に加え、鳥獣肉から魚介類まで手を出す。人類進化史でそのような選択を 迫られるきっかけがあったらしいのだが、ここまでメニューを広げられたのは、 陸.海.空の資源を利用する技術発達があってのこと。不安定な自然環境下では、 雑食者は偏食者より有利である。その利点に加えて、高い食料調達技術を持つ ようになった人類が結果的に成功したのは、理解しやすい。 ・人間にも、他の動物と同様に利己的な側面がある。しかし仲間を思いやり、 仲間と通じ合いたいとする感情が一段と強いのも、人間である。血縁のない相手 とも積極的に食物を分け合ったり、他人に教えてあげたりする行動が、人間に 独特であることをご存知だろうか? 例えば集まって会食している人間以外の 動物など、見たことはないだろう。野生動物界ではふつう、採食=争奪である。 外敵から隠れてひっそりしている、あるいは暇があったら寝ているというような 通常の野生動物たちに比べ、人生は楽しみに溢れている。前出の会食のみならず、 スポーツや音楽や芸術があるし、旅行や読書や勉強だって楽しい。他の生物の 生き方を否定しようとは思わないし、恐竜の生き方に至っては実態がよく わからないが、「人生に意義を見出そう」という発想があること自体が、 何とも素晴らしいではないか。人間は、生きるということを豊かにした 生き物なのであると私は思う。 ≫ * 人間の共通の祖先は既に凄かった ≪ 一昔前には進化は漸進的に生じると考えられていたので、例えば3万年前の 祖先ともなれば現代人よりかなり知的に劣っていると、決めつけられていた。 しかし世界各地の現代人が共有している種々の能力は、言語力にせよ芸術を 生み出す創造性にせよ、アフリカにいた現代人の共通祖先に既に備わっていた 可能性が高い。4万年前頃に日本列島にやってきた人々も、その例外ではない。 例えば種子島や富士・箱根地域には、3万年以上前から、狩りのための落し穴が 作られていた。これは、罠という動物行動を先読みした高度な狩猟法の、世界 最古の直接的証拠として、たいへん貴重。新石器時代になって世界に普及する 磨製石器の技術も、日本とオーストラリアには2万5000年も前からあった。 さらに面白いことに、琉球列島や伊豆諸島においても、相当にチャレンジング な海洋渡航が太古の昔から行われていたらしく、さらなる探求の価値がある。 人類学とは人間の凄さ・面白さを知れる学問なのだと、研究を20年積み重ねた 最近になって、ようやくわかってきた。 ≫ ▼ 人類は、言語手段と記録方法を身に付け、探求し、生きることを楽しむ ことが、人類の人生を豊かにしてきた。これを、そのまま、個人に当てはめる と、人間、如何に生きるべきか、「良く遊び、良く働き、良く学ぶ」を、実践 して積み上げた分、豊かな人生を過ごしたことになる。問題は「良く」!「欲」 に何時の間に変質するから困ったもの。で、このザマ! お後が宜しいようで ・・・・・・ 5149,閑話小題 〜家族という病 2015年04月20日(月) * 家族という病 NHKアナウンサーだった下重暁子が『家族という病』という本を出した。 家族も、国家同様、共同幻想とみることも出来るが、「欺瞞を信じること」 が問題と、いう。 〜アマゾンの内容紹介から〜 ≪ 日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならない という呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほど すばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げれば キリがない。なのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。 一方で、 「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。 そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真 入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、 「家族とは何か」を提起する一冊。≫ 〜ビュアーからの投稿より(アマゾン) 【 世の中には口にすること自体タブーとされる領域がいくつかある。 出生、能力、死、犯罪歴、宗教、遺伝、国籍などである。 本書は「家族はすばらしい」は欺瞞である、という斬新な切り口から 家族観における1つのタブーに挑んでいる。これまでにないテーマだけに 読後感は様々だろう。本書の主旨、提言などと全く無縁なまま一生を終える人は ある意味安泰で幸福な人生かもしれない。しかし家族の中にも修復不能となる アクシデントがなかなかの頻度で発生するものだ。配偶者との離別は無論、 血縁者間でも家族内崩壊は起きる時には簡単に起きてしまう。 一家団欒を無邪気に肯定するのも悪くないが、ある種の読後感の悪さを 犠牲にしても筆者の視点に一度触れておく効用もあろう。読み進むと上記の 保険的効用だけでなく筆者のより普遍的な家族観を垣間見ることができる。 いかに生きるかは正しい死生観が前提となるように正しい家族観には 本書の主旨の理解が前提になるのかもしれない】 ▼ 家族のあり方は、時代により変化していく。TVのインタビューや、 上記の内容を見る限り、納得する部分と、違和感を感じる部分がある。 国家幻想論を、その構成要素の一つの家族に当てはめると、これまた共同幻想 でしかないことが分かる。その家族の形態が情報化の時代の中で、大きく変化 を始めてきた現在、そのあり方を根こそぎ否定してみる必要がある。 殺人事件の過半数以上が家族内殺人という現実がある。 商家の大家族の 末っ子の環境で、下目目線で家族を見てきた経験から、また両親から孫の ように扱われたため、その温みが今でも残っている。それもあって、著者の論 は、あくまで一面でしかないことも見て取れる。 私の家族は、戦前、戦中、 戦後と、生き抜く中で、全員が病というより、戦傷の深い痛手を受けていた。 誰一人として、家族が素晴らしい!など思ったことはなかった。ただ自分ひとり を守り、生きていくだけで精一杯。 この時代は誰もそうだったのだろう。 家族は素晴らしくあらねばは、占領国アメリカの洗脳の一つでしかない。 確かに家族は病であるが、魂の故郷でもある!家族が病と割切って良いものか? ・・・・・・ 4784,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜① 2014年04月20日(日) * 倒産よもやま話(三年後に思うこと) 倒産など滅多にできない経験である。姉夫婦、兄夫婦の倒産劇を身近にみて、 相談にのっていたのが予備知識になっていた。お陰で、右往左往することなく 比較的冷静に対処できた。「人助けは、結果として自分のため」になる。 幼馴染が10年前に訪ねてきて、倒産の生々しい話をしていたが、姉・兄と共通 する点が、弁護士などの代理人をたてること。そのための資金を必ず確保する ことを強調していた。それもあって、迷わず弁護士に依頼した。30年来の経理 事務所の合同センター内の弁護士に依頼することになった。兄の倒産も手がけて いたので、内情を知っていたこともあり、順調に手順が進んでいった。 無我夢中の渦中、何もかもが新鮮な体験で、ドラマの主人公のような気分。 過酷というより、「痛・面白い日々」という感覚で、惨めとか、恥ずかしいなど、 思う余裕などなし。動物的本能が自らをつき動かしていた。 2011年3月30日 午後5時に、担当弁護士の主導のもと、弁護士二人と、女子事務員と、私たち 三人の役員が起立をして礼をした後、「これで会社は消滅しました!」と宣言。 その後、経理総務は全てが弁護事務所に引き継がれた。その時から、二人の役員 は弁護事務所の引継ぎと、資産処分の補佐になる。と同時に、私は倒産会社の 前社長。翌日の午前、弁護士と二人で、地元銀行に報告を兼ねた御詫びまわり。 午後からは、従業員への事情説明と解雇の宣言。その後は、取引先からの問い 合わせは一切なく、私個人の身の回りの整理だけ。そのため、40年近い事業 人生の緊張感が切れて、浮いたような軽い気持ちになる。数日間は、町内と、 取引先しか情報は流れてないため、普段通りだったが、一週間経ってから、 マスコミが騒ぎ出す。どのチャネルを回しても、倒産騒ぎ。それも、震災絡み もあってか、日テレ「真相報道バンキシャ!」(毎週日曜18:00〜放送)から 自宅に取材依頼の電話。尾ひれ羽ひれが流される位は解っていたので、迷わず 断る。東北震災絡みで、数軒のホテルなどが廃業・倒産をしていたが、規模 から見て、当方が最大規模の為、あわや全国版ニュースになるところ。 振返ると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、「痛・面白い」など、とんでも ない事態ではあった。時間が経つにつれ、記憶の書き換えをするしかない 典型的事例か! ーつづく ・・・・・ 4417, 閑話小題 ー昨夜は高校の同級会 2013年04月20日(土) * 審判のミスジャッジ 一昨日の巨人対阪神戦で、一塁審判が明らかにセーフのジャッジをアウト にした。残酷なのは、走者の足が一歩先に塁に着いているのをビデオで何度も 流していること。後で注意勧告されるのだろうが。目から火が出る思いだろう。 恐らく、ビデオで流されているのだろうと気が気でないはず。甲子園の高校 野球で審判のミスジャッジを見かけるが、これも純真な子供の心を傷つける ことになる。審判もミスをするが、致し方がないと割り切るしかない。 ビデオの方が人間の目より明らかに優れている。その結果の現象だが・・試合が 流れているため、ミスとしても後に戻せない矛盾がある。これと同じことが、 政治にもある。誰が見てもミスジャッジの政治判断としても、変えることが 出来ない。私利私欲や党略で、正当な判断が出来なくなり方向を誤ってしまう。 * 昨夜は高校の同級会。 昨夜は高校の同級会。幹事は気をゆるして酒が飲めない役回り。このところ 二回に一度は、私と幹事相棒Mの役目。別に好きでやっているわけでないが、 大学の寮とか、会社経営をしていた頃の宴会を含めると、間接を含めて二百回 以上は仕切りをしてきた。いや、もっと多いか。まずは盛り上げに役回りに 徹すること。酒を飲むのも一期一会。人生を振り返ると、いつも、「宴会ととも にあった」。 気の合う相手であれば二人でも宴会。 ネットの「日本大百科全書」によると、 ≪ 酒や歌舞などを伴う高揚した心の触れ合う機会。宴とも饗宴ともいう。 また宴会の性格によって祭宴、祝宴、招宴、酒宴、狂宴などとよばれる。 一般に宴会は季節ごとの折り目や人生の節目に行われ、忘年会や新年会が年末、 年始という折り目に行われる宴会とすれば、子供の誕生祝いや結婚の披露宴は、 人生の節目に行われる宴会ということになろう。≫ とあった。以前は、各家ごとに料理をつくって御客を招待したり、料理屋で 宴会を開いたが、今では居酒屋の大部屋で開くケースが多いという。小・中学校、 高校、大学の同級・同期会だけは、最優先に出席にしてきた。同級会は魂の世界。 心の故郷が魂とすると、年々「遠き日は 年とるごとに 近くなり」というのが 実感できる。結局、家に帰ったのが一時過ぎ。 ・・・・・・ 4043, 一時停止 ー3 2012年04月20日(金) * 出会い ーフェルメール 1967年 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 ≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。 本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、旅に出ずに複製しか 見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかった かもしれない。現代の進歩した印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに 小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりは ないという絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる 絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、越え がたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。本物を見ても、複製を見たのと 同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。 そういう形で感動した絵は実は私にはまことに少ないのだが。 はじめて見た フェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、 それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということに しかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。その沈黙の中に、 無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、 少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。沈黙はもっと深く、ことばにならぬ ことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。 ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは 謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、絵の美しさにほんの 少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫ ▼ 本物の絵画や美術品を数多く見てきた。TPOもあるが、その前で 立ちすくし、身動きが出来なくなる。ダビンチのモナリザ、サンピエトロの ミケランジェロ作ピエタの像、ゴッホのヒマワリなどを目の当たりにした感動。 対象が浮き出てくるようなエネルギーが満ち溢れていた。 特にゴッホの ヒマワリは、周囲に誰もいなかったこともあり、10分間ほど、釘つけになって しまった。出会いである。そういえば、近じかフェルメール展が日本で開催される。 ・・・・・・・ 3677, 自己を見つめる −4 2011年04月20日(水) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に 直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが指摘している。 その限界状況に 「人生の不条理」に突き当たる。その時、それまで隠されていた真実が現れ出る。 節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。 正中心一点無になり、変化を受け入れること。 ー 第三章 境遇 ーから、抜粋 【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ 出され、置き入れられて、人生の途上にある。その私たちの無に貫通された 現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが 刻印されている。ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、 どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。限界状況とは、 それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越る ことの不可能な壁に直面した状況を言う。そうした限界状況に面座して、 私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の 根源的事実に突き当たる。しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとう の「実存」が目覚めてくる。実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、 その拒否できない現実のあり方のことである。自己の実存を自覚し、それにも とついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】 【 ハイデッガーが述べた通り、私たちは、それぞれ何らかの世の中に投げ 出されと「被投的」存在である。その「現事実性」を引き受けて生きて いかなければならない存在である。その存在としての自己を生きていかなければ ならない辛い気分を取り払い、重みや憂いを取り払い、それらを忘却させよう という気晴らしや、慰めを求めて、無邪気な明るい朗かさ愉悦を、好んで受け 入れようとする傾向にある。しかし、そうした気晴らしが、瞬時の儚いもの ということを骨身で知っている。その人生の底を見つめ、底知れぬ深遠を 予感し戦慄をする。その深遠が、「限界状況」の時に直面する実在である。】 自己を見つめるとは、節目の境遇の人生の底を見つめ直すことと、 言われると、挫折体験を振り返ることになる。その意味で、挫折体験の中には 多くの教えがある。 が、時間がたつにつれ、それを忘れてしまうのが 人間の性である。そう人間、皆、馬鹿! ・・・・・・・ 3312, ゴールドマンを訴追 2010年04月20日(火) 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。 しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。何か不思議な感がして いたが、やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。アメリカは金融 マフィアが仕切る国でも、歴史に残る犯罪を、見逃すことは歴史が許さない。 以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、 トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。 例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。 〜まずは、その部分から〜 = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 = (字数制限のためカット 2011年4月20日) ・・・・・・ 2937,レーシック専門眼科医院 2009年04月20日(月) 姉三人が私と同じく強度の近視。その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」 という。知人の何人かが経験者、聞いてみると「白内障の手術時にレンズを 入れたが、出来たらやらない方がよい」と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、 去年の半ばに、春先になったら決断しようかと決めていた。そして春は過ぎよう としているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、何と自宅から 数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た (眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな医院があったが、まさか、そこが気に していたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと 見えてこないものである。(字数制限のためカット 2012年4月20日)
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2016年04月19日(火)
* 団塊世代の老人漂流問題 先日の、放送のNHKTVの、シリーズの 「老人漂流社会」の【団塊世代に忍び寄る老後破産】の内容が、シリアス。 このシリーズは毎回、見ているが、続いているのは、誰にとっても他人事では ないため。「毎月の家計の赤字が10万。2百万の預金が無くなる2年後、 どうなるのか」の真剣な悲痛などが、次々と映し出される。家内が、「駅前の ヨーカ堂は、年寄りばっかし!」と帰って早々、愚痴るが、そういう当人も、 団塊世代で、あと一月あまりで66歳。当人、年金支給日の銀行の窓口の年寄り の殺気立つ、あの空気を知らない。それでも、まだ貧困者に向けた炊出しの行列 がないだけ、良しとしなければ。 〜NHKのHPによると、 < 超高齢社会の課題を伝えてきたシリーズ「老人漂流社会」。 今回は日本の屋台骨を支えてきた「団塊世代」に忍び寄る老後破産の現実を 伝える。終身雇用制に守られ、経済的に余裕があると思われてきた世代だが、 長寿化した親の介護負担が重くのしかかる上に、不安定就労の割合が高い団塊 ジュニアを支えていることが分かった。番組では、親も子も支える「板挟み」 に直面する団塊世代のリスクを密着ルポとデータ分析で明らかにする >とある。 ▼ 私も現役と比較すると決して楽ではないが、夫婦して厚生年金と、家内名義 の預金の取崩しで、何とか人並みの生活が出来ている。 同級会で、真剣な 眼差しで、『こういう会費を、そのつど、奥さんから貰っているの?』と、 聞かれた時、『そのたび、土下座してもらっている』とのジョーク?の替りに、 思わず、『桁の違うお金ぐらいは持っているよ!』と見栄をきっていた。 で、後で、「桁の違う金とは、幾らだろう?10万、百万、一千万、一億?」と、 想定してみたが・・ ここまで来れば、一桁二桁の違いは同じ? 「老いたら、 金が無くとも、有るふりをしろ!」と、聞いていたが、「なるほど!」。 「落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる」を捩って、 「老いてきて 腰の痛みに涙して 人の心の奥ぞ知らるる」となる。
・・・・・・ 5148,閑話小題 〜原監督の休養 2015年04月19日(日) 〜つれづれに ー原監督の休養 巨人の原監督がインフルエンザで休んでから、俄然、巨人が負けなくなった。 これを知ったとき、「少し休ませろ!」と球団から命令があったと直感したが・・ 監督本人に挫折経験が少ないため、中途半端な負けが、開き直りが出来ない、 そのことが選手の動揺を抑えることができないため。 捩れの要素として、 ・安部を一塁専任し、キャッチに戻すことはないと断言したことが、彼にとって 負担になったこと。その動揺が、他の選手にも大きく影響をしてしまった。 またキューバの有名選手の不振も、これに呼応した。 ・問題は原監督の耐用年数を超えてしまったことにある。元に戻って、 監督を続けることになるが、これで今期で退くことになるのが決定的? ・さらに毎年、各球団の良い選手を次々と入団してくるため、既存の選手が萎縮、 監督。コーチに対し異常なほど神経質になるのは自然の理。特に負けが込むと、 「二軍に落とされるのでは?」と、萎縮の連鎖が全体を覆うパターンである。 村田、片岡、井畑、今年は金城、相川という名だたる選手が、次々と入団 すれば、既存選手の出場機会が、それだけ減っていく。大田、矢野、中井など 他球団に行けば間違いなく、即、レギュラーになれる選手が燻る病である。 とはいえ、この現象は、巨人の例年のパターン。交流戦を終えた頃には、何事も なかったように、その地力が表立ってくる。病も時には必要である。 さて、悠久山の花見でもいってきますか! ・・・・・・ 4783,葬式は、要らない ー1 2014年04月19日(土) 「葬式は、要らない」島田裕己著 葬式の希望を書きおく時期になってきた。現時点での希望の大枠は、 《 会場が3百メートル先のセレモニーホールで、直葬に近い家族葬。 ごく身近な人たちだけにし、遺骨は実家の墓に。戒名は自作のものを 仏壇の引き出しに。その後は、「墓参り仏教」に従うことなく、命日に それぞれが仏壇に手を合わせてくれれば充分。》 これだけ! 内容(アマゾンより) { 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円 と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画 等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国と いえば巨大な祭壇、生花、高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。 どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の 変遷をたどりつつ、いま激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。 葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。 ーアマゾン読者のレビューよりー ・日本の法律で葬式が義務となっているわけではない。医師に死亡診断書を 書いてもらい、役所に行って死亡届を提出、埋葬許可をもらう。決まって いるのはそこまで。遺体の処理については墓埋法で、 1.死亡後、24時間経たなければ、埋葬も火葬も行ってはならない、 2.火葬は火葬場以外で行ってはならない、 3.埋葬は墓地以外で行ってはならない、とされるのみだ。 焼いた遺骨をどこかに撒くのなら、葬式もいらなければ、墓もいらない。 宇宙葬の費用ですら100万円である。もっとも現実には葬式を行わない ケースは少ない。人は誰かかかわりあった人が亡くなれば、その死を確認して けじめをつけたい。葬式への参列ほど明確なけじめの機会はない。ただし 葬式を出すことと、葬式に多額の費用をかけることとは直結しない。 ・家族葬は近親者だけで行う規模の小さい葬式全般を指す。以前は密葬と 呼ばれていた。通常なら通夜と葬儀・告別式で二日かかるところを、一日に まとめたワンデーセレモニーという形式も生まれている。もともと通夜は 近親者だけで営むものという感覚があり、一般の会葬者が参列するのは葬儀・ 告別式のほうだった。結婚同様に、葬式も組織の儀式から個人儀式へと変化 してきた。昔は商家も農家も家は生産や経済活動の単位であり継続が不可欠 だったが、サラリーマン化が進むことで、養子をとったり婚外子を作って まで家を存続させる必要がなくなった。 自営業の場合なら家の存続が重要で、 伝統的な祖先崇拝の信仰を取り入れる傾向が強く、喪主になるのは後継者 であり、葬式は後継者を披露する場ともなる。 が、サラリーマン家庭の場合 は家は生活の場でしかない。永代供養墓は跡継ぎのない家が増えたことで 生まれた供養形態。墓を求める際に永代供養料として一定金額を払うことで、 墓守となる跡継ぎがいなくても、寺が命日に読経するなど供養を続けてくれる。 ・直葬は密葬、家族葬の一番簡略化された形態だ。現在、東京では20%が直葬。 直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置 場所に搬送し、とりあえずそこに安置。そこで納棺し近親者だけで通夜をする。 会葬者は呼ばない。翌日、霊柩車で火葬場へ出棺する。そして、やはり近親者 だけで故人に別れを告げ、遺体は荼毘に付す。最後に、収骨、骨あげをして 葬式は終わる。直葬の費用は多くとも30万円ほどで、僧侶に読経を頼んでも 50万円以内でできる。もっとも簡素な形式を選んで近親者だけが集い、 会食もしなければ10万円程度で済む。 ▼ ますます直葬、家族葬が増えることになるが、長く続いてきた家族中心から 個人中心主義になる御時世では当然の流れ。これが不景気になるほど、簡易な 葬式が増えてくる。直葬、密葬を宣言してしまえば、残された者は楽。 私の墓は、このブログ。閲覧は墓参りのようなもの。 時どきの墓参り、本当に有難うございます。 ・・・・・・ 4416, ふしぎなお金 2013年04月19日(金) 「ふしぎなお金」 赤瀬川原平著 子供用の絵本だが、人は当たり前のように使っているお金について、あまり 考えない。お金は自由の、エネルギーの、塊。日本人は金を不浄なものと考え がちだが、お金は血液のようなもので、人間にとって非常に大事である。 人を生かし、また殺してしまう力を持っている。 子供に諭しながら、実は 大人に語りかけている。 ーまずは、印象的な部分を抜粋ー ≪ *「冬のバーやレストランで、席につく前に、「コートお預かりします」 と いわれて、なんなドッキリとしないだろうか。だってコートの内ポケットには 拳銃が入っている。それをそのまま預けて大丈夫なのか。というほど錯覚を持つ ほど財布は拳銃に似ている。だから「貴重品はよろしいですか」といわれると、 何だかもっていかれるかと思って、その護身用の拳銃みたいな財布を、身近な ポケットに移し替える。でも移し替えながら、どことなく後ろめたい、とうより、 どことなく情けない気になる。「お前はそんなに相手が信用できないのか。 そんなに拳銃なしで丸腰に、なるのが怖いのか、という`声が追いかけてくる。 そういえぱ、昔の西部劇映画には、ガンペルトそのものを外す場面があった。 宿について、あるいは自分の家に戻って、外敵なし、大丈夫、という状態で はじめてガンペルトを外して椅子の背に掛ける。ガンマンがくつろぐ一瞬。 ところであのガンペルトとは、実はむき出しの現金を装着したベルトなのだと、 そんな感じがしないだろうか。ガンマンはその現金でいつも勝負している。 *「日本の場合は刀の大小だ。明治以前、武士はみんな刀を差していた。 男子、一歩外に出れば七人の敵、といわれるくらいで、刀の大小を肌身離さず 持ち歩いていた。刀は護身用であり、権威でもあるところは、やはりいまの お金に似ている。武士の世界の文化の一つに茶の湯があった。招かれて行く お茶室には、小さな躍り口が設けてある。あそこを入るには腰の大小を外して、 外の刀がけに欠けねばならない。武士はみな一瞬、躊躇したのではないか。 財布は刀やピストルと違って、人を殺める道具ではないのではあるが、人は 金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり 隠然たる凶器の光を忍ばせている。拳銃も財布も、緊張の物件である。 いざとなると拳銃をぶっ放すように、札びらを切る。でも「いざ」とならない ときは、それはそっとボケットに仕舞われている。昔よりも落ち着いた現代 社会では、さらに奥深くの内ポケットに移行している。」 *「足元にお札が落ちている。それを見たとたんにハッとする。千円札の四つ 折りにしたわずかな面が見えているだけでも、何か異様にハッとするのは何故 だろうか。足元に血が垂れている。それを見たとたんにハッとする。ちょっと した赤い液体なのに、何か異様にハッとする。見てはいけないような、 一歩踏み込んだ秘密を見てしまったような、緊張感が走る。」 *「人間の血はだいたいみんなと同じで、成分にほとんど違いはないが、 自分の血は自分のもので、自分の体内に密閉されている。でも場合によっては 人助けで献血をする。場合によっては寄付したり、プレゼントしたり、投資で 失くしたりする。」 *「お金も血も、命にかかわるエネルギーの源である。流体である。 生臭いものである。でも、輝いている。いきなり見せられるとドキリとする。 プライベートでありながら、共有のものでもあるところが不思議な関係。」 ▼ 財布を拳銃に、そして刀に喩える切り口がよい。撃たれ、切られたとき、 血が吹き出る。それからみて金はエネルギーと同じ。一万は一万の、一千万は 一千万、一億は一億のエネルギーがある。無駄を廃し、使うべきときは使う、 それが金の効用。 ・・・・・・ 4042, 世界の旅行記101 ー3 2012年04月19日(木) * 旅行記は、旅人により再構築された言説 ≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説 として再構成されている。おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに 出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、 一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点から みれば、「文体」といいかえてもよい。見聞され体験された隔遠の地における 非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と 読者とが共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる 「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録 性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。 旅程のすべてを記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく 叙述説うるわけでもない。しかも、だれにとってもひとしく共有される述法の ルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射 した特定の視線が、対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。 使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんでいうならば 価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。別のいいかたをすれば、 中世ヨーロッパ人と近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに 採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、出自、性別、教養 のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫ ▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の 視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、面白さになる。 だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間 見ると分かりやすい。それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出る から面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。 ・・・・・・・ 3676, 自己を見つめる −3 2011年04月19日(火) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで 満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、思いは過去に向かう。 そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。 豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、 その姿を突きつけてくる。 ー 第二章 時間 ーより 【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえず なんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、本質的に 具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、 期待は将来の出来事に向けられ、しかも、それら三つが別々にあるのではなく、 むしろ、私たちの心のなかに、それら三つのものがすべて取り集められる。 したがって、「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が、 直観であり、将来のものの現在が、期待である」とアウグスティヌスは言った。 いわば心という大きな現在のなかに、過去の追憶と、現在の印象と、将来の 予期とが、すべて取り集められているわけである。たえず現存し続ける その大きな心が、うしろを振り返って追憶に浸るときに、過去が浮かび上がり、 いま周囲を注意深く見回すときに、現在が印象深く迫ってき、行く末を思って 期待や予期に心を震わせるとき、将来が思い描かれるのである。 時間とは、 このように、振り返ったり、見回したり、行く末を思ったりする心の働き、 すなわち記憶や追憶、知覚や直観、期待や予期といった心の作用に由来する わけである。逆に言えば、大きく静かで揺らぐことない「立ち止まる今」と いう現在の心の場、いわばそうした明鏡止水の心眼という現在の鏡のなかに、 さまざまな過去と現在と将来の出来事が映し出されてきて、それらが追憶され、 知覚され、予期されるとき、そこに、それらの出来事が、過ぎ去り、現れ、 到来する時間の諸相において意識されてくると言えるであろう。】 ▼ 現在置かれている、この節目どきに、これまでの記憶と追憶と、現在立た たれている分岐点、そして、これから予期されること、その三つが、心の中で 濁流のように渦巻いている。この自分の中に、多くの節目があって、それが 現在という幅のある時間の中で自分という確かな存在が見えてくる。これは 晩年期に差し掛かった人間に共通しているが、心が、これほど激しいものと。 人は生きてきた、そのままに老いるとは、その意味である。 現在は、 その「立ち止まる今」である。 それでも時間は止まらない。 ・・・・・・・ 3311, 笑われ力 −3 2010年04月19日(月) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー *「笑われ上手」に「背伸び」禁物 ・まずは「私は凡人」とみとめる。 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。 そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを 持つこと。この一歩下がった気持ちが必要となる。 *「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。 失敗したその場でつくる。 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。 ・キーワードを決めておく ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく ▼ 20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、 飲み歩いたことがあった。小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、 花柳の世界を垣間見た。芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。 あれから10年も経ってしまった。彼には、ここに書いてあることは、ほぼ 身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、当たり前。 自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。芸者に三味線を弾かせて 都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。話術も自分を嫌味なく下座に おき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業)こういう 時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感! (逆に遊び過ぎ?もあったか)「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが 笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中のダメな部分や 矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。 それが受けたからと言って、もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。 その「笑われ力」のきほんステップとは 1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 3、自分で笑い飛ばしてみる 4、笑顔で他人に話す 5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。 「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。カミサンに耳にたこが 出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカ にする動物である」と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場 の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。
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2016年04月18日(月)
〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時 熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト * 中国の成長モデルは賞味期限切れ 隣りの中国は、今や世界恐慌をもたらすかもしれない火薬庫でもある。 経済の失敗を覆い隠すために、戦争を仕掛ける可能性もあり、その時期が、 3〜5年先かもしれないというから、尋常の話でない。日本は、大地震と 大噴火、そして異常な国債過剰などを抱え、中国経済の問題は、他山の石 ではない。現役だったら、その危機感は想像を超えたものだろう。特に、 地方は、激流の波の被害を一番早く受けることになる。問題は、その後の、 日本への難民の処遇問題になる。 グローバル化とは、こういうこと! ≪ 中国の成長モデルは最早、賞味期限切れが近付いている。 構造問題が山積しており、経済的・社会的な矛盾が臨界点を超えつつある。 経済面では、政府との癒着が続く中、国有企業の改革は遅々として進まず、 労働生産性が低迷している。 国有企業は利益を配当として政府に還元する ことなく、非効率な事業への再投資を続けている。経済の牽引役は依然として “箱物”中心のインフラ投資で、経済のサービス化も遅れている。 結果として民業は圧迫され、規制緩和等を通じた民間企業のイノベーションは 進展していない。社会構造の面では格差が拡大・固定化し、低賃金労働者の不満 が溜まっている。社会保障・教育・医療等のセーフティーネットの整備が不十分 であることも、消費低迷を助長している。 中国には“ネズミ族”という、地下の明かりの無いところで共同生活を送る 貧困層が100万人以上存在すると言われる。その多くが地方からの出稼ぎ労働者 (農民工)だ。彼らの部屋に窓は無い。その暮らし振りは、宛ら洞窟で生活する ような印象だ。 これらの構造問題を根本的に解決しない限り、中国がどれだけ 公共投資等のカンフル剤を打っても、それは問題の先送りに過ぎない。 将来的には、より一層膨張した“バブル”が弾けるという最悪のシナリオが 不可避となるだろう。 ここで、中国で“バブル”が崩壊した場合の潜在的なマグニチュードを定量化 しておきたい。 筆者のシミュレーションに依れば、 〔資本ストック調整が本格化する“メルトダウンシナリオ”では、中国の潜在 成長率は1.6%まで低下し、実際の経済成長率は大幅なマイナスに陥る。〕 勿論、一般論として言えば、世界経済のドライバーは依然としてアメリカで あり、決して中国ではない。仮に中国経済が少々減速した場合でも、日本経済に 与える影響は軽微なものに留まろう。しかし、中国経済が“メルトダウン”する 場合には、全く別次元の話となる。その影響は、〔世界経済を奈落の底に叩き 落とす程の強烈なインパクトを持つ〕ことになりかねない。中国の政策当局には、 自らが置かれた状況を的確に認識した上で、中長期的な構造改革と、短期的な カンフル剤に依る景気刺激策をバランスよく講じて、何とか中国経済を “ソフトランディング”に導くことを切に期待したい。尚、中国での“バブル” 崩壊に伴う日本への悪影響は、主に中国向け輸出の低迷と、消去法的な 円高進行を受けた他地域向けの輸出低迷という2つのルートから生じる。 中国人に依る“爆買い”の消失を懸念する向きもあるが、2014年のデータでは、 日本の対中輸出は13.3兆円程度と、訪日中国人の日本での消費額(5600億円程度) の24倍に達する。つまり、中国向けの輸出は中国人に依る爆買いよりも、日本 経済に与えるインパクトが遥かに大きい。中国経済の減速に備えて、我が国の 政策当局は何をなすべきか? “Do your homework.(自分の宿題をやれ)”と いう言葉があるが、日本政府は自らの積残した課題に粛々と取り組むべきだ。 現時点では、当初のアべノミクスの3本の矢の中で、“第1の矢”(金融政策) に過度な負担が集中しており、構造改革は若干遅れ気味である。今後は、 ①農業・医療・介護といった分野における所謂“岩盤規制”の緩和 ②社会保障制度の抜本的な改革を通じた財政規律の維持等の国民にとって 耳の痛い構造改革を断行することが、最大の課題となるだろう。≫ ▼ 今回の熊本地震、まさか九州の中部で大地震が起こるとは思っても いなかったようだ。そして、いざ災害になると、その準備態勢が如何に 甘いか知ることになる。これは、中国のメルトダウンに対しても言えること。 問題は、弱者ほど、その対応が不十分ということ。「弱者だから準備ができ なかったからではなく、準備をしてないから弱者」 とも言えることになる。 「南海トラフト地震が本陣とすると、その一部の部隊が動いた一現象」か! 東北大震災が本陣とすると、中越地震、刈羽沖地震、一連の東北地区の地震が、 熊本大地震にあたる。 直近でないとしても、本陣が控えていることは事実。
・・・・・・ 5147,1%による1%のための勝利戦略 ー② 2015年04月18日(土) 【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 ー内容紹介ー 〜ネットにあった概要の後編より ≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。 「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし 戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」 から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。 ・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら 99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。 「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の 連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。 ・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として 褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、 実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに 伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、 ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、 本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて 納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム (新自由主義化)の一環であることを改めて教える。 ・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、 そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが 目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、 ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫ ▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード (すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。 この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪 すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が 払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として 大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。 ・・・・・・ 4782,大不況には本を読む 2014年04月18日(金) * 「本書のまとめ」 「大不況には本を読む」橋本治著 今さらだが、時代を鳥瞰するにクリアーで解りやすい。 ー(P183) 《【十八世紀の後半に起こった産業革命は、それまでの世界のあり方を変えて しまった。その新しくなった"世界秩序"が日本にやって来て、日本は150年前に 開国した。開国した日本は、その時の世界秩序にのっかって、見事に成功した。 成功して行き過ぎて、第二次世界大戦とバブル経済という二度の破綻を経験した。 成績トップになった優等生の日本は、それゆえに"見事な破綻"を経験するが、 その他の国はまだそこまで行っていないので、相変わらず"産業革命以後の体制" は健在だったが、今度はアメリカが新たな破綻にぶつかった。産業革命以降の 体制は、アクセル全開の自由貿易主義だったが、そのこと自体にブレーキが かかってしまった以上、改め"ブレーキをかけることの意味"を理解した方がいい。 そんな世界的なあり方は、″会社の仕事に追い回されて、自分及び自分の家族 やその周辺のあり方を省みない゜という日本人のあり方にシンクロする。自分の あり方を省みるために、もう一度‘本を読む’というところに立ち戻ったらいい】 この考え方をエコノミスト的に裁断すると、私は「保護主義のイデオローグ」 ということにもなるが、私はエコノミストではない「人間のあり方に立脚する」 文芸関係者なので、「そりゃお門違いだろう」ということにしかなりません。 バブル経済へ向かって進行する中で、いくつもの誤解は生まれましたが、 「経済が分からないのはバカだ。物事は経済的見地’にのっとって見なければ ならない」ということになってしまったのも、その一つです。 経済の方で 「保護主義的」と言われるものは、「人間のあり方に立脚する」立場からすれば、 「人が生きて行くために押さえておかなければならない基本」でもあって、 だからこそ私は、経済の方では「保護主義的」と言われるものを「自立」と 関連づけるのです。「金儲け」のことをあまり考えない、その能力があるとも 思えない文学や思想、哲学といったもの ーつまり「文学」「その他」は、 「働いて金を稼ぐ」に代表される現実生活のことを、ともすれば忘却しがちです。 ・・・ 2008年秋以降の・金融危機・経済危機はそれで、「破綻してよかった」 でもあります。しかし、でありながらも「世界」の方は「豊かさの達成は進行中」 という前提に立って、相変わらずの「富の均質化」を求めます。だから、輸出量 や輸入量の調整は求められるのですが、この「調整」の向う方向は、一つです。 「豊かである国の、既に達成された豊かさを目標にして、世界中を均す」です。 既に経済危機で「豊かな国の豊かさの基準」はぐらついているのですが、世界が 「豊かさの達成はなおも進行中のはず」という前提に立っている以上、目標と される基準値は「豊かな国の豊かさ」です。そしてこれは、「工業に追い抜かれ、 工業にすがりついて追いつこうとする農業の哀れさ」と同じ質のものなのです。》 ▼ 大きな節目時に、読書をして行間を読むしかない、ということ。 特に、アメリカの露ばらいをさせられた日本こそ、新たな解決をしなければ ならない。「経済の自立=保護主義的になりざるをえない、という基本を押さえて おくこと」には、考えさせられる。日本は明らかに衰退の道を歩き始めた。 しかし、現実をみると、誰も直視しない。そのツケは、株価と国債の暴落という 突然の崩壊で生じることになる。日本は近い将来、豊かさとは、かけ離れた国の 悲哀を味わうことになる。150年の間の政治経済のマクロの流れを振り返り、 今後の方向性を見つけることは至難の業だが、それでも見つけ出すしかない。 「普通の国」が、キーポイントだが、地政学的に見て、日本は中国とアメリカ の間にある海洋国家。その辺りが鍵になる。今後10年間は、これまでの10年間 より遥かに厳しい事態になる。この20年間の変化が、10年間に圧縮して襲い かかるとしたら、考えただけでも身震いがするが、興味もそそられる。 気の毒なのは、若い人たちである。 ・・・・・・ 4415, 余生を過ごす場所は? 2013年04月18日(木) * 今の場所で快適に過ごす工夫を! 「知的余生の方法」渡部昇一 余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在 住んでいる場所か、迷うところ。著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」 と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。 「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。ーその辺りよりー ≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の 『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、このホームがそうだ。ホームは 単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを 伴って、「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになった。 だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、切り離せない関係にあるといえる。 そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景。 そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に 「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、つまり自分の「ふるさと」 「故国」という意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、 救いになる言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、 そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ「ふるさと」である。 都会でうまく生活しているなら、都会こそ自分の「ふるさと」と腹をくくるべき。≫ ▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、 ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、「平気で死ぬのが悟りでなく、 平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切れば別に何とことはない。 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、 軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。 いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、 今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。 ・・・・・・ 4041, 世界の旅行記101 ー2 2012年04月18日(水) * 旅行記は事件簿でもある はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている ≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の 起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって 旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴 の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。 「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、 旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の 域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と 遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、 不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。 そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に 参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という 事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、 旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、 旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。≫ ▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。それぞれのダイジェスト は50数人が書いたのを編集したもので、紀元前から近代まで至っている。 2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。 2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワーク を編集しているから、面白いはず。とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、 これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間 見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということ にも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。 ・・・・・・・ 3675, 節目どきに ー8 2011年04月18日(月) * 体重が減り始めてきた! 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか 体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは 明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった肉体年齢が私の 肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキング の蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 肉体的には健康的な日々だが、 精神的には、どうだろう。 * CTスキャンは大量の放射能を? CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後に がん発症リスクは被爆で高くなるという。私など毎年の検診で20年近く CT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。そろそろ被爆の 結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。チャンとした説明を 受けていれば、三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、 細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。 * 今でも、私にとって3月11日が止まっている TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 「私にとって3月11日がそのまま止まっている。毎日が、そのまま3月11日の 繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、 その日の出来事は大変事で、その日をもって生活環境が一変してしまった。 被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に 一生を得たドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発 事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。我々が自覚して いるより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。
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| 5511,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが 〜② |
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2016年04月17日(日)
去年の[2015年04月12日(日)}に以下のテーマで書いた文章が、数日前、 目にとまった。そういえば一ヶ月前、「通貨量が三倍になった」との ニュースが流れたから、この一年で、1・5倍の通貨量になったことになる。 問題は、通貨量を三年で三倍にしても、デフレも景気も浮上しないこと。 預金総額が1700兆円に増加したが、それは平均であって、一般大衆の預金が 増加したのではなく、あくまで一部の富裕層だけ。 〜まず、去年のコピーから〜 【 * 二年間で円の通貨量が二倍に! 二年前、日銀の黒田総裁が、「2012年末に138兆円だった資金供給量を14年末 には約2倍の270兆円に拡大。長期国債の購入量も2年で190兆円と2倍強にして、 上場投資信託などリスク性資産の購入も増やす。インフレターゲットは2%。」 と発表した。ところが、先日のニュースで、「2年間で円の通貨量が2倍に なったが、インフレ目標の2%はゼロのままと、日銀が公表」と報じた。 リーマンショック後、米国は数ヶ月で二倍、現在は三倍以上にドルを増刷、 為替相場が3分の1になったかといえば、7年前と同じ。 日本の供給量は2年で二倍。しかし為替相場は3分の2。株価は安倍首相が 就任した2012年12月26日の終値は1万0230円36銭だから、2倍になった。 日本も米国も通貨量を2倍にしたにも関わらず、インフレにならないところが 摩訶不思議。アベノミクスは中長期的にみて明らかな失政が見てとれるが、 保守本流の頭脳は膨張以外、考えが至らない。「後は野となれ山となれ」である。 現在は太平洋戦争突入の数年前の様相と似ている。家内を見ていると、物価の 値上げに対する反応に敏感だが、これは一般主婦の趨勢。スタグフレーションの 様相を示している。保守本流は、アメリカの忠実なポチ。強者に優しく、弱者に 厳しい。先日、図書館で借りてきた、『金持ちが確実に世界を支配する方法』 の「1%による1%のための勝利戦略」が、まさに現在の政権と酷似している。 とって付けの、政策など、直ぐに、その正体を現れ出るが、その前に衆議院選挙 を昨年末に断行した安部も、強かである。この国民をして、この政府。 とはいえ、激動期には保守本流で中心を固めないと、学芸会のような政治 ごっこの政党に、国は荒らされる! まだ、マシ? 】 ▼「通貨量が三倍に増加」のニュースが何故か消えてしまった。聞き違いの 可能性があるため、この文章を書くのを控えようか迷ったが、記憶を辿って みても、間違いない? そこでネット検索でやっと見つけたのが、 【マネタリーベースは12年末の138兆円から昨年末は365兆円と2.6倍 に膨らんだものの、15年平均の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は2% 目標には程遠い前年比0.5%増。誰が見ても「黒田バズーカ」は失敗】 があった。 とすると現在の三倍のニュースは、間違いない。これからみても、 アベノミクスは間違っており、この失敗は、次世代の弱者に更なる負になる。 その札束は、そのまま富裕層に移動する。〜で、これも偶然で、以下につづく。 ・・・・・・ 5146,1%による1%のための勝利戦略 ー① 2015年04月17日(金) 【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 まずは〜内容紹介〜より < 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに 見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、 一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者 が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。> ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。 ≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1% への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、 アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕 層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。 各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、 このような事態を引き起こしているのか。 ・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空 の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、 鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを 暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、 実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。 「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、 秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが ピッタリである。・・ 〜つづく ≫ ▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、 ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界 の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。 仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、 公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、 事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の 『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、 内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ! ・・・・・・ 4781,閑話小題 ー怒りの取り扱い方 2014年04月17日(木) * 怒りの取り扱い方 一昨日こと。家内に「同級会の席や二次会などで、誰かに見られているかも しれないから気をつけて!」と言われて出かけたが、案の定、二次会のスナック でハイになっている中、銀行OBと思われる男に「誰かに見られているぞ!」と、 通りすがりに声をかけられた。「うるさい、人のことより自分をみてろ」と、 言えないし。軽さが、そのまま出ていたが。他人ごとではないか?スポーツジム でも、露骨なイヤミな視線を数ヶ月に一度は感じる。で、悟りが深くなる。 ー悟りとは、平気で死ぬのではなく、平気で生きることーというが、何事も慣れ。 最近、腹が立つとすることがあるが、書くのはやめておく。 ヒト指先で人をさすとき、親指は上(道理)、他の三本は、自分を指している。 哲学でいう認識である。他人の指摘は自分の世界観を言っているに過ぎない、 という自覚がない。ネズミ集団=世間の戯言ネタに、一々怒ってもいられない! 世間教の下世話ネタが、ネズミたちの集団念仏。気の毒といえば、気の毒だが、 こんな??のことを書いている私こそ遥かに気の毒? そのために、ぼんやりの 時間を持たなければ、せっかくの人生は台無しになってしまう。それにしても、 バカなことを書いている、自分に驚いているが。で、ぼんやりする時間が必要。 [・現実の背景にある膨大な漆黒の闇を意識する。・その為に独りの世界を大切 にする。・その時空をつくる為に、閑居の世界を身近に持つ。・働いてばかり いないで、怠けること。・その中での心の余白を良しとする懶惰の気持ちが鍵] 。 ぼんやり時間のエネルギーこそ、己を包み込む。 怒りは、エネルギーの源。 大事に扱うべきだが、因われないことも重要。・・人生は、面白い玩具で一杯。 老いも、喜怒哀楽も、楽しか! 目を本質から逸らさなければだが。 長岡という出生の地に飲み込まれない知恵こそ、今こそ必要だが、老いは、 その知恵を弱らせる。私の人生は、50歳辺りから二毛作目と思っていたが、 二期作でしかない?(二期作は、同じ農作物。二毛作は、違った作物) それとも、50歳から三年前まで、二期作目で、その後が、二毛作目? ・・・・・ 4414, ボストン爆弾テロについて 2013年04月17日(水) * この結末は、どうなる? ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。 アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、平城でマラソンが行われた直後、 ボストンのゴールのカメラの多い中で、二つも爆発させたのは脅しの効果として 抜群。他に二つの爆弾が発見されたというから、明らかに何かの警告。 刑事ドラマのシリーズ「相棒」で、東京マラソンを狙った爆弾テロを阻止する ストーリーがあったが、手口は同じ。とすると近くの国の??と連想するのは 私だけでないはず。 ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。 そのゴールを狙うとは大胆。それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・ ミサイル実験の前のデモンストレーション、としては危険すぎる? 今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。タイミングから して確率は高い。アメリカが黙って見過ごすか、全面戦争の切り口になるか? 関与していなければ、北朝鮮は震え上がっているはず。これだけ全面戦争と 騒いでいた最中、タイミングが合いすぎ。 覚悟があってだろうがまずは、 この数日が境目だが、数ヶ月後には、全面戦争?が現実味を帯びてきた。 まさかと思っていたが、やはり! その最中、ミサイル発射実験、やるか、 やらないか、見もの。 これで軍事的に一触即発になった。しかしアメリカも 軍事産業立国の要素が強く、得体の知れない国家。さらにシリアもイランも、 アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。またCIAが北の仕業にした先制攻撃 の口実作りも考えられるし、アルカイダがビンラディン殺害の復讐のため、 北朝鮮と見せかけ、全面戦争の‘けしかけ’の可能性もある。どの切り口も 前面戦争の方向。その最中のシナリオ、あの坊やの考えそうなこと。危ない! アメリカは金がない、中国も新体制が整ってない、欧州危機は深刻だし、 日本は衰弱。 最初のブラックスワンは何から? ・・・・・・ 4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3 2012年04月17日(火) 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の 心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、 若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと 思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。 長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを 遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、 血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分 の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 2005年04月17日(日) 】 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、 「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分 ー倒れてしまった悲しみにー 倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる 倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる 倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる 倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう 倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ 倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき 倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ 倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす 倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯 倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき 倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは ▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。 ・・・・・・・ 3674, 自己を見つめる −2 2011年04月17日(日) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、 人生を豊かに、実りあるものにする。 ー 第一章 経験 の中より ー 哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。 ・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、 まったく予測することができない。 ・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、 とガダマーは断じる。 ・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。 ▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して 行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を 見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を 踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? ・・・・・・・ 3309, 笑われ力 −1 2010年04月17日(土) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。 「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」 と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談 を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、 ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、 場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。 私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。 実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より 知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、 躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、 基盤がないと出来るものでない。 まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫ ≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。 しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、 人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで 「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、 人をネタにするのではなく、自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人 のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、 「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くための プロセスに過ぎません。大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」を プロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫ ▼ 「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう! あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、あなたの人生にとって、 大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」 とあり、最後の方には「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。 この随想日記やブログも早くいえば「笑い」というより自嘲の披瀝。そうでも 思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになって いる。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるよう にしている。それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。決して、 この本を読んだぞ!でなく、やっと読みおえた!でないと続かない。 この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、 怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、 実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。笑われてナンボの世界か、 珍獣?の世界は。10年以上は行ってないが、歳のせいか気持ち悪いが先にたつ。
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| 5510,閑話小題 〜魂の致命的な敵は、毎日の消耗である |
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2016年04月16日(土)
* 『魂の致命的な敵は、毎日の消耗である』 ロマンローラン『ジャン・クリストフ』の言葉である。 リタイア後の最大の収穫は、毎日の消耗が大きく減ったこと。 何も期待されないし、誰にも気を使うことがない気楽さが、こんなに よいとは思いもしなかった。WOWOWの「ドラマW」枠の「双葉荘の友人」 の中で、主人公の妻が、職場の御産で退社する上司の仕事を受継いだ後、 訪ねていった時の先輩の言葉、『辞めて、家事専門になって慣れると、 思いの外、これがいい』である。 これと同じ感覚を5年前から実感して いた。 仕事のプレッシャーの累積は、実は魂の致命傷になっていた。 いや、逆に 魂の消耗の果ててこそが人生じゃないか? もある。 * 負いかた一つで、重荷も軽い 『負いかた一つで、重荷も軽い』 こんな、言葉があった。 傍からみたら、現在の自分が、重い荷物を負っていると見えるだろうが、 何故か羽根が生えているかのように軽い。 私より、一ランク上?の 人種の24時間のスケジュールをたて、こなしていることが、重荷?を軽く している。これをこなしている限り、重荷になるはずの状況(環境)下で、 重荷も?軽くなって当然と実感。気を強く持ち、日々を真正面に過ごせば、 気持ちの揺らぎも、一時的で終わる。 生老病死などの四苦八苦の重荷は、 老いるほど肩に食いこんでくる。「負いかた」を「老いかた」と置き換えて、 『老いかた一つで、重荷も軽い』にしたいもの。 ルソーがエミールの中で、『もっとも長生きした人とは、最も多くの歳月を 生きた人でなく、もっとも「よく」人生を体験した人だ』と語っている。 「人生の重荷の負いかた」を知り、可能な限り、遊ぶ、学び、働くこと、 特に、遊びは、その重荷を軽くする。これでも、まだまだ、遊び足りない? さて、今日は、何をして楽しみ、遊ぼうか?
・・・・・・ 5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る 2015年04月16日(木) * シネマは、漫画本を読む感覚で・・ 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて 『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館 で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、 大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、 その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人 位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週 金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の 進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに 劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。 そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。 ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情 の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。 この文章を書く習慣も、その一つ。 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。 そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。 あれは、 恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。 その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋 や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、 振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、 ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。 人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる! ・・・・・・ 4780,ぼんやりの時間 ー9 2014年04月16日(水) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * ぼんやり時間について ーつれづれに 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた 真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー 《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。 「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが 集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な 意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように 否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を 忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、 ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し 説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの 場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に 対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では 実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、 「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」 的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、 生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか 大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを 考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。 「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や 「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」 もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、 私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、 「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」 であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。 ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる ためにも必要なのだ。》 ▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、 背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、 ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが 経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない 秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と 案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、 バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛 だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ ・・・・・・ 4413, 早起きの話 2013年04月16日(火) 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。 父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると 決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。 40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書 の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。 それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり 就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。 その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を 目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜 4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。 早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、 「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く 時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間 に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった 時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が 農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を 思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。 早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、 独りで物思いにふける時間は至福である。 ・・・・・ 4039, 世界の旅行記101 ー1 2012年04月16日(月) ー 内容(アマゾンより)ー 「世界の旅行記101」 樺山 紘一著 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に 読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ の旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の 歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ ながら、旅行記の魅力に浸れます。 この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。 ◎ アマゾン読者感想 ≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の 在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると 助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物 に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。 また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、 そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームやゴーギャン の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の 旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。 そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から 現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や 写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。 関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆 年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手 は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、 併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、 精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫ ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿 でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。 ・・・・・・ 3673, 自己を見つめる −1 2011年04月16日(土) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように 受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が 自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー 《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェや ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き 締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」 「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。 ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ― * 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを 忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも 接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の 営みは展開している」 (「生き甲斐」) * 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、 人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で 強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の 根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」) * 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる 失われた桃源郷である」 (「不幸」) * 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと 気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、 ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」) * 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、 こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書 『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした 優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、 しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より) [目次] まえがき 第一章 経験 第二章 時間 第三章 境遇 第四章 遍歴 第五章 自己 第六章 生き甲斐 第七章 仕事 第八章 孤独 第九章 愛 第十章 他者 第十一章 世間 十二章 運命 第十三 不幸 第十四章 老い 第十五章 死 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を 振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。 青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の 石にすることができた? 内省も面白いものだ。 ・・・・・・・ 3308, 万田酵素 2010年04月16日(金) 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、 玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。 ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が 出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック 2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。 通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが 一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、 3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 今さら、大して用がないか!
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2016年04月15日(金)
* 今年の桜の総括 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、 飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、 「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大 イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車 で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の 『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の 裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、 そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。 なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、 週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、 この40年間で、数回かあった。
・・・・・・ 2003/04/21 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。 毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。 季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、 満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。 いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。 それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。 最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、 悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。 「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」 という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。 参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ。 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・ 2003/04/19 「散る桜、残る桜は散る桜」 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。 他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。 この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。 桜は生臭い死の臭いがする。 人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。 2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。 「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。 悠久山の桜も絶品だ! 5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に 関係してくる。 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。 以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。 ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。
また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。 多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・ 2005年04月22日(金) 1480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。 もう散りかけてもきている所もある。 近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。 満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。 車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。 「どうして?」と聞いても解らないと言う。 「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、 「恐らくそうじゃない」と答えた。 私は、すぐ散るから気にいっているのだが。
10年に一度位は大当たりになる。 悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な 光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。 サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。 現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が 無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、 吹かずともと言う文章を書いていた。 桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。
庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。 本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・ 2006/04/20 1843, 桜の話 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。 「花」と言えば桜を意味するくらい、桜は日本人にとって特別な花である。 今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。 私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、 桜の花が多い。
長岡にも幾つかの桜の名所がある。 自宅から数分のところにある、福島江の桜と、悠久山の桜だ。 毎年、開花を楽しみにしている。 5年に一度は大当たりの年になるが、 今年はその年か如何か?
桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。 文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとってみても、 桜は大事な役割を果たしている。 日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。 春になると「桜前線」が、天気予報のように、 (今どこが満開かと)放送される位だ。
十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が、 桜の散り際を待っていたように「自死」をした。 その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。 ゾクッとするような不思議な体験であった。 5月3日に、その法事に行くことになっている。
(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? ー幾つかの花に関する和歌・俳句を HPからコピーしてみた。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける 紀 貫之 こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな 紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける 紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける 古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行 吉野山 こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき 西行 浮世には 留め置おかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり 西行 仏には 桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば 西行
吉野山 梢の花の色々に おどろかれぬる 雪のあけぼの 太閤秀吉
咲く花を ちらさじと思うみ吉野は 心あるべき春の山嵐 徳川家康
花咲くと 心にかけず 吉野山 またこむ春を 思いやるにも 前田利家
花にねて よしのや吉野の吉水の 枕の下に石走る音 後醍醐天皇
吉野山 陵ちかくなりぬらん ちりゆく花も うちしめりたる 昭憲皇太后
まだ咲かぬ 花のあかりや 蔵王堂 芭蕉 古寺に 誰が植え捨てし 花一本 芭蕉
妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ 蕪村 そのくせに 花はくれない 人は武士 古川柳
難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花 古今集
こち吹かば 想いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ 菅原道真
さくら さくら やよいの空は 見渡す かぎり かすみか くもか におぞ いずる いざや いざや 見に ゆかん
ーー 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。 それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。 こういう日の強風は、 何か腹立たしくなるものだ。 ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・ 2005/04/22 1480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。 もう散りかけてもきている所もある。 近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。 満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。 車で10分ほどの悠久山の桜も良い。 特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。 「どうして?」と聞いても解らないと言う。 「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、 「恐らくそうじゃない」と答えた。 私は、すぐ散るから気にいっているのだが。
10年に一度位は大当たりになる。 悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な 光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。 サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。 現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が 無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、 吹かずともと言う文章を書いていた。 桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。
庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。 本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・ 2567, 閑話小題 2008年04月14日(月) *桜咲く 今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と 自分の人生を開花の中にみる。毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。短時間 に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。 そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく 見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。
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2016年04月14日(木)
〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時 熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト アメリカ、欧州、日本、中国、そしてロシアも、政治経済の行き詰まりを 見せている。その中で、経済で中国が最も危ないことは誰の眼にも明らか。 短期的に力で押さえつけても、市場は中長期的には、何処かで火がつく。 〜以下のレポートが解りやすい。 ≪ 2015年の夏場以降、中国における“バブル”崩壊の懸念が急速に強まった。 中国が突如、人民元の切り下げに踏み切ったことをきっかけに、グローバルな 金融市場は激震に見舞われた。我々は、中国経済が抱えるリスクをどのように 捉えればよいのだろうか? 筆者の中国に対する見方を一言で述べれば、 “短期=楽観”“中長期=悲観”である。中国は所詮“社会主義”の国なので、 公共投資を中心とするカンフル剤を打てば、問題を1〜2年程度先送りすることは 可能。しかし、向こう3〜5年程度の時間軸で見れば、中国では“バブル”崩壊の リスクが高まると見ている。 最初に、現在の中国には膨大な2つの過剰が存在することを指摘しておきたい。 ・第1の過剰は、金融面での過剰融資である。中国における過剰融資の総額は 1000兆円以上と推定される。将来的に、 この内の何割かが焦げ付く場合、 数百兆円規模の不良債権が発生することが懸念される。我が国の“バブル” 崩壊に伴う不良債権額が100兆円規模であったことを勘案すると、文字通り “人類史上最大のバブル”と言っても過言ではない。 ・第2の過剰は、工場や機械といった所謂“資本ストック”の過剰である。 その総額は400兆円以上と推定される。外資を自転車操業的に呼び込んで、 資本ストックを増やすことに依って成長する中国の経済成長モデルは、大きな 曲がり角に差し掛かっている。これに対し、中国の財政出動余地はどの程度か? 「中国が諸外国並みにストックベースの債務残高を拡大する」という前提の下 では、600兆〜800兆円規模の財政出動が可能だと推定される。つまり、現在の 中国経済を取り巻く状況を極めて単純化すれば、 「“1000兆円以上の過剰融資”“400兆円以上の過剰資本ストック”に対して、 中国政府が600兆〜800兆円規模の財政資金で立ち向かう」という構図である。 中長期的に見て、中国経済は決して楽観視できない。仮に、政府が大型の財政 出動を行ったとしても、中国が抱える本質的な構造問題は解決しないからだ。≫ ▼ 中国の混乱の影響は、欧州に飛火、シリア・アフガン難民を抱えている 欧州経済の混乱は計りしれない。そこで、日本は、表向きは目先のリオと、 4年後の東京オリンピックに向くが、その間に、世界情勢は一変している。 特に、中国の経済難民の問題が、今後、大問題として表立ってくる。
・・・・・・ 5143,知の逆転 〜� 2015年04月14日(火) ー知の逆転ー * 5万年の間、人間の認識能力は進化してない 対談相手 〜ノーム。チョムスキー フランス、スペインに多くの洞窟壁画が、近年発見されたが、発見当時は、 プロの画家や学者は、3〜4万年前に、これほど高度技術の壁画の存在を認めず、 最近、いたずらで描かれたと譲らなかった。ラスコーの壁画は、霊媒師のような 存在の人が、百数十年にわたり書き加えていたという。 ≪ ・わかっていることとしては、約五万年前、ごく小さなグループの人間が 東アフリカを出て、急速に全世界に広がっていったということ。それ以来、 知る限りにおいて、認識能力の進化は起こっていない。 つまり、たとえば アフリカを出てから全く他の人種との接触のなかったパプア・ニューギニアや アマゾンの原住民の子供たちと、われわれの子供たちとは、認識能力に全く差が ないということです。当時の原住民の子供をボストンに連れてきて育てれば、 私の孫たちとなんら変わらないはず。種族間の遺伝的な差異は見つかりません。 同じ種族の中での差異はありますよ。たとえば、病理学上の違いとか。 でも基本的には認識能力に差はない。ですから、過去五万年の間に、進化上の 変化は全くなかったと言っていい。たとえば髪の毛の色といった表層的な 変化はありましたが、認識能力上の変化は起こっていない。 ・考古学上の資料によれば、約5万年から10万年くらいの周期で、重要な 創造力の爆発があるといいます。ですからそれくらい前に人類学者が「大躍進」 と呼ぶような何かが起こったらしい。その頃、記号を使った行動や表記が始まり、 天体の記録や複雑な社会構造が生まれ、考古学上の記録だけでも、人間能力の 突然の進化や向上が見られるわけです。それ以前にも進化はあったけれども、 この頃に急激な変化が起った。 ・カンブリア紀の生命爆発の頃に、生物の基本的なパターンというものが 整ってからは、生物の発達というのはみなほとんど同じなのです。 遺伝子の保存についても十分にわかってきている。多様な生物は、実は一種類が 非常に長い時間をかけてわずかずつ変化してきた結果であるとする論文も発表 されているくらいです。しかしそれらとは違って、言語を含む人間のさまざまな 能力は、非常にごく最近、突然現れたものなのです。・・ ≫ ▼ 「5〜10万年の周期で、創造力の爆発がある」というが、まさに現在の ネットの世界的普及が、これに当る。認識能力が、このネットで飛躍的に 伸びることになる。ハッキリいえば、最近、同年代の人を二つに分けている。 「パソコンをどのように使ってますか?」「ネットサーフィンしてますか?」 人類にとって、これは有益かどうか?など、考える必要はない。奈良時代に ヘリが空から舞降りてきて、誰でも使えるようになったようなもの。こんな 面白いものを使えないのは、知らないから。認識の飛躍的拡大が可能のマシーン が、各自が手にしたのである。 人類にとって、断絶の時代である。 ・・・・・・ 4778,閑話小題 ー 二度のポタリングの試み 2014年04月14日(月) * 先週から、一日二回のポタリングを開始 先週から、早朝に加え午後の一時間のポタリングを加えた。 午後はスポーツジムを早めに切上げ同じコースを走る。健康もあるが、 グライダーで空中遊泳をしているようで気持ちが晴れるからだ。 音楽を聴きながらの土手の時間は特上。 NHK・BS/TVで、朝食時に日本各地を火野正平が撮影チーム4人と自転車で 駆け抜ける番組を放映している。数ヶ月先のコースを予告して、視聴者が、 どの道を走って欲しいかの便りを元に走る内容である。朝ドラの直後もあって か、視聴率が高いという。平凡な毎朝の、私の定番だが、ツーリストの 自転車目線が好き。 その一つの便りに、「先年、亡くなった父親が生前、 行き先は何も言わないで早朝から夜遅くまで、出かけていた。ところが最近、 父親の日記帳を見たところ、自転車でお寺や名所廻りの行先の記録があった。 その一つの寺院のコースをまわって欲しい」とあり、そのコースを辿っていた。 「早朝から夜まで、自転車に乗って、独り、何処かに行っていた」という 言葉が妙に引っかかった。 私の自転車歴は4年半だが、その人は、一日中、 どんな気持ちで走っていた? チャリダー? ポタリスト? 私の命名は、 「一日ツーリスト」。 少なくとも、家でゴロゴロしているより遥かに良い。 そこで「現在、一時間のポタリングも、2〜3時間にしたら?」と思いたち、 先週から二回目を挑んでいる。で、私は、「一時間ポタリスト」というところ。 ただ、自転車は危険なこと、この上ない。それもあって、土手と、バイパス 脇の道路以外は、避けている。最近、始めたのが、ある本をヒントに、 ベンチで「ぼんやり時間」を持つこと。これが、なかなか、難しい。 自転車があるので、道の傍のベンチに座るが、ウォーカーが通ると、 何か落ち着かない。ボ〜っとした自分の姿を他人に見られたくない気持ちが 動くのだ。 まだまだ「ぼんやり道」の初心者でしかない。 * 面白い公園 ツアーで、世界中を旅行していると、行先の都市の美術館、博物館、寺院 などの観光の中に、公園がある。公園は、その国の文化が、そのまま現れ出る。 その中に、ノルウェーのオスロの彫刻家のヴィーゲランの作品をテーマにした 公園がある。 幼児期から老人期、そして死、愛、感情など、一生の出来事を テーマに、人生を考えさせられる像が、様々なテーマごとに並んでいる哲学的 空間である。初めて、その空間に入った時の驚きは、今でも憶えている。 人生をテーマに国をあげて公園をつくる、そのセンスの奇抜さに・・ 一日がかりで、それぞれのコーナーで、自分の人生と重ね合わせると、 記憶が生々しく立ち上がるのだろう。 ・・・・・・ 4411, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −8 2013年04月14日(日) * 心清く、よく遊びよく遊べ ーつれづれに 老後を考える上で、なかなか面白い本である。何事にも自然体で、拘りを 持たず、自由に気楽に生きることがベース。人間は、それぞれ固いバイアスに 囲われている。それを一枚一枚、そぎ落としていくのが人生。老いるにつれ 何事も面倒になり、過去に目を向けて、周囲の現象には上から目線になりがちに。 両親の晩期を供に生活をし、冷静に身辺整理をした父の姿を見ることが出来た。 母からは何事にもチャレンジする姿を見た。「始める前に、あるレベルまで 到達できるかどうか見極めること。決心をしたら、先生を見つけ集中すること。 ライバルを見つけること」と、教えてくれた。道を極めようと一心不乱で 日々過ごすと、心が純化されていく姿が見て取れた。「心の純化」こそ極意。 以前「何かに集中していると、あるゾーンに入る瞬間がある」と書いたが、 それは心の純化の状態。 何事も純化の心から生まれ出てくる。「童心に帰り、 純化の心で、遊べ遊べ!」である。人生を振返ると、その時々、面白く遊んだ ことが思い出される。 事業も、遊びも、何でも、遊びになるまで対象に入り 込まないと。それは楽しむことから始まる。楽しみになるまで対象に同化する こと。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」 これは高杉晋作の言葉だが、その心は純化した心。 論語の雍也第六に 『子曰。知之者不如好之者。好之者不如樂之者』がある。「師曰く、真理を 知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」 という意味である。真面目に学べば「知ること」ができる。 しかし、知った ことは、よく忘れる。だが、好きでやったことは身に付くから忘れることも 少ない。更に良いのは「楽しむ」こと。・・・更に、楽しみを遊びにしていく ことである。遊びは、現代風にいうと、ゲーム化することになる。 ゲームは仮想世界の競争である。人生を夢幻として、難関を乗り越えて いくことになる。人生のゲーム化。 夢幻の劇場で自作自演の役割を演じ、 それを味わい楽しむことである。心清く、遊んでいれば、その役をこなすこと が出来る。 「うれし、たのし、おもしろし」の世界を、持つこと。ただし、 節度を持ってである。だから、そこに「良く」がなければならない。 その辺りに少し気を使いながら。 ・・・・・・ 4037, 閑話小題 2012年04月14日(土) * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。 前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、M8・7の大地震に しては大津波は発生しなかった。地震学者は、「これは東日本大震災も震源地の 隣接地域で10年、20年単位で誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、 注意が必要。」と、忠告している。東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型 地震の可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに原発が54もあれば、 危険極まりない事態。 * ポタリングを再開 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4 月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから 7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、 午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の 組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車 の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、 お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう (ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え 始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。 * チョッと騒ぎすぎでないのか? 打上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打上げ少し騒ぎすぎ。 また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。北朝鮮の存在で一番、都合が 良いのは中国。極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の 属国、日本と韓国の国境の緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。 更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、 国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、呪縛にとらわれている。 その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切る ことになる。 ・・・・・・・ 3671, 節目どきに ー6 2011年04月14日(木) * 都知事選の結果をみて 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。 東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性が あったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、 この国ではありうること。都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗を したことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。政治は 言葉で方向性を常に発し導くことである。石原を除いた他の候補は、論外も論外。 * 本州壊滅は本当だったのだろうか? この原発事故が発生した数日後、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」 と聞き及んでいた。ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列を なして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、 事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開の ニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪 レベル7に引き上げられた。事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7と いうことを外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、 ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、 両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。 * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。 前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。それも、 リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元の リゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえる。「過度の自粛を控えなさい」 というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。 だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。 気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。 その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、 いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。 ・・・・・・・ 3306, 日本破綻 −1 2010年04月14日(水) ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著) また恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安 と分かりやすい。現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙と いうのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。津波がきたところで、 今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れ の社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。 それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は 早まること必定。 まずはー 内容(amazn)から 《 バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く 「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた代償として「トリプル安」 による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか? 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに凍りつく。 *「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、 それは違います。日本でも株価が4000円を割り、円は200円まで 暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、 それは『市場』の自動調整機能を封印し、「計画経済」「管理経済」政策を 長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。 *2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで 落ち込んでしまった。この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が 15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。その結果、33兆円の赤字 を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。ところが、 2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。 それは民主党がいっていたマニフェスト「子供手当て」とホボ同額。 法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」 として、すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行 して、更に金を借りようとしているから驚きである。 *ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル 安が起こった結果としてハイパーインフレになった結果としては、貨幣の 価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん 小さくなる。国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金 をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策と呼ぶ理由はここ にあります。 ・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、 給料の低い経済弱者が酷いめにあう。 〜〜 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。
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2016年04月13日(水)
〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜 〔国立科学博物館 海部洋介〕より 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。 以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の 70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の 己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の 人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。 * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い ≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を 越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。 ・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。 恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし 数字の大きさが全てだとは、私は思わない。 ・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中 緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。 ・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、 つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え 無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が 植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など 様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。 ・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物 がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。 衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を 開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。 ・かつての世界には、ジャワ原人、フローレス原人、ネアンデルタール人など の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。 世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。 私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫ ▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する 権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。 権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代 のアメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに 包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える 仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、 以下につづく。
・・・・・・ 5142,知の逆転 〜⑤ 2015年04月13日(月) ー知の逆転ー * 帝国主義の終わり ーC (民主主義の限界と、ネット) 対談相手 〜ノーム。チョムスキー 帝国主義の限界が見え始めてきたが、まだ当分の間は続いていく。 新しい時代に入り世界の枠組みが激変を始めた現在、民主主義も 限界にあるようだ。 〜インタビュアーの質問に ≪ ー侵略者はいつだって、気高い志に燃えているー もしブッシュをインタビューして、真実についてどう考えるかと聞いたら、 おそらく真実は素晴らしいもので、自分は真実というものに挺身するつもりと いうでしょう。ヒョッとしたらヒトラーも同じように・・ アメリカ南部の奴隷所有者たちも実際かなり的を得た論理を重ねていた。 ー民主主義の限界ー アメリカは世界中で最も自由な国のはずだが、国内に力の不均衡がある。 情報システム、メディア、広告などが、ほんの一部の手に集中している。 巨大な力を持つアメリカの企業は、地球温暖化というのは根拠のない仮設 に過ぎないと、大衆の説得を試みていて、しかも成功しつつある。 人為的な理由による地球温暖化を信じているのは人口の3分の1にすぎない。 先の(2010年)中間選挙で当選した共和党の大部分は、温暖化を否定。 共和党の主要委員会の若いリーダーは、「そんなことを神が許すわけがない。 神が許すわけがないことは存在しない」と言ったのです。 ーインターネットなどの垂れ流しの情報は、情報がないのと同じー 生物学者が、ハーバード大学の図書館にある全ての論文を読んだところで、 ほとんど何の役にはたたない。 生物学でノーベル賞をとるような人は、 論文を片っ端から読むような人でなく、何を探すべきか、何が大事か、 ということがわかっている人です。だから、こちらで大事なことを拾い、 あちらで大事なことを拾うという風に働く。・・・ 世界事情も同じで、何が必要か知っておく必要がある。そのために、 理解あるいは解釈の枠組みというものをシッカリと持っていなければ ならない。これを個人で獲得するのは大変で、機能している教育制度や 組織が必要だし、他の人たちとの交流が必要になる。ちょうど科学分野の 大学院のようなものです。≫ ▼ 世界の富の半分は、およそ80人が所有するという。グローバル化が、 そのために大きな力に働いている。イスラム国は、それに対する抵抗 勢力とみると、その意味の一端が見える。アラブやアフリカの国は、 欧米の都合によってつくられた人工的国家であり、元首はポチと見做す のも、一理ある。そして、日本の保守本流も、そう見ると肯ける。
・・・・・・ 4777, 閑話小題 ー消費税3%値上げの実感 2014年04月13日(日) * スタップ細胞の真偽について 世紀の発見といわれたスタップ細胞の存在の真偽問題で、小保方リーダー の記者会見がライブでTV放映をされた。理化学研究所のトカゲの尻尾切りで 終わらせようとした目論見は失敗。冷静にみれば、やはり小保方氏に問題が あったとみるしかない。200回もつくったなら、期限を決めて201回目を専門家 を総動員してやればよい。共同研究者の上司が降りたことからみても、疑われて 仕方がない。世界的な大問題になった中での、彼女の会見の受答えには驚いた。 本人が撒いた種としても、問題が表沙汰になってからは地獄だったろうに。 彼女が醸し出ている怪しげな雰囲気が、ドラマ仕立てに妙にピッタリである。 「傷口が膿んだ後に皮膚が再生するのだから、それらしき何かがあって 然るべき」という専門家がいたが、いやに納得させられた。 * 消費税3%値上げの実感 毎週、木曜日のスーパーのシルバーディに酒とツマミなど一週間分を 買い込む。で、先日の値上げの実感といえば、思いの他、大きいというのが 実感。他の値上げを加えた家計は、これでは大きく響くはずだ。私にとっては 酒を控えるチャンスにもなる。ウィスキーの水割りと黒ビールの二本を、 350mlのノンアルコールビールと、黒ビールの二本にすればよいが。つい売場 で、他に日本酒かウィスキーのボトルに手がいってしまう。この値上で、電化 商品とか車などの売上が、駆け込み需要の反動で激減しているが、ファミレス とかコンビニは、影響が少なそうだ。 年金だけが収入の我家。家内の買物 行動をみていても、異常なくらいシビアになってきたが、何かゲームを楽しん でいるふう?これでは当分は、さらなる消費の落ち込みになる!それと価格に 転嫁の難しい中小企業も、厳しい事態である。世界的株価の暴落の可能性も 膨らんでいる現在、危険な日々が続くことになる。「10年前から今日まで、 何が起こった?」そして、「今後10年間で、同じレベルか、それ以上のことが 今後起こるとしたら、それ何?」とすると? それより我身の存在? ・・・・・・ 4410, 夫源病と妻源病 2013年04月13日(土) 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、 「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人 いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー ≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、 妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の 役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす 病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、 激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、 不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満 が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、 と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、 プチ家出をする、などがある。≫ ▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦 の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。 また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の 「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、 団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして 今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。 多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。 で、やはり強いのは大方は御夫人の方? ・・・・・・ 4036, 一時停止 ー2 2012年04月13日(金) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 昼と夜 ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より ≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。 私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは 詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、 人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い 行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」 詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら 詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが 言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです 「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは 黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、 ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間 の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を 諦めているわけではないのです。」≫ ▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも 夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。 ・・・・・・ 3670, 節目どきに ー5 2011年04月13日(水) * 娑婆には知らないことばかり 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、 10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始 されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。 「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と 思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、 成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。 家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると 聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない 上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、 ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。 平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、 ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、 そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の 平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、 一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の 運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く なった分、身体を動かさないと! ・・・・・・・ 3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2 2010年04月13日(火) ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。 前回のレポートからみて、投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、国家が金を吸い上げようと 思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、 金売りが殺到し暴落する。その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻す。 一般の国民は、一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど 不可能である。アメリカの金融占領国の日本は、そのコントロールから抜け 出すことは出来ないのが現実。近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。 金は世界共通通貨である。ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、 ドル体制を守るために金の価格をコントロール下におくのは当然。金が真実で、 ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、金の価格を可能な限り 下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに 買い集めたゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきた のである。ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。1〜2年か 遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。と同時に デノミなどを世界中が一斉に実施するだろう。その前に金融シンジケートは 何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、売りだされた金などの現物 商品を買いに入る。だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、 金は買い。「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、 99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」という、眉唾的な本を 度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを 得なくなる。G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在している はずである。今更何をいっているかだが!
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