堀井On-Line



5500,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜③

2016年04月06日(水)

          『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。

・・・・・・
5135,知の逆転 〜�
2015年04月06日(月)
              ー知の逆転ー
   * 帝国主義の終わり ーA
             対談相手 〜ノーム。チョムスキー
  名前は聞いたことがあるが、成るほど面白く、鋭い。
 〜まず、チョムスキーの人なりと、学説から
≪・ノーム・チョムスキーは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用
 回数の多い著者であり、「生きている人の中でおそらく最重要な知識人」
(ニューヨーク・タイムズ)と形容される、MITエ科大学の言語学教授にして、
哲学者、政治活動家。 著作は200冊を越え、50ヶ国語に翻訳。
・全ての言語にはその深層に共通する文法が存在し、そこからさまざまな表層
構造が生成されるのであり、人間は言語の基本文法を生得的器官として持って
生まれ、不十分なインプットで十分な言語能力が発揮されるような脳の仕組み
になっているとする。この「普遍文法」の提唱(1955年、57年)は、言語学分野に
革命をもたらした。
・1960年代のベトナム反戦演説を皮切りに、反戦、反暴力の姿勢を貫いて、
アメリカが「デモクラシーを広める」という名目のもとに行っている、自分の
言うことを聞く抑圧的な政府(チリのピノシエやニカラグアのコントラなど)を
支援して民主主義を阻止するというような他国への軍事ならびに経済介入は
テロリズムそのものだ。そのお先棒を担いでプロパガンダを煽っているのが
アメリカのマスメディアであり、特にエリートは常に提灯体制の提灯持ちに
なりやすいと、アメリカの覇権主義を厳しく批判する活動を続けている。
・また、広島と長崎への原爆投下は人類史上最もひどい犯罪の一つであると
明言すると同時に、第二次世界大戦における日本帝国主義の犯罪も厳しく糾弾。
・さらに、世界経済は多様化したほうがショックに強くなる一種の存続と同じ、
多様性を保つことが社会全体の体力を強くする。・・
・細々とした講演活動を地道に続けて少しずつ人々の目を事実に向けていき、
いまでは時代がチョムスキーに追いついてきて、講演は常に人があふれて、
世界中からのインタビュー依頼がひきもきらない。≫
▼ 「資本主義の将来は、市場原理主義だけでは必ず破綻するとし、民間
 ビジネスは、強い政府によって守られることを望んでいる。」という。
中国のような大国で、流砂の民といわれ、個人主義の強い人民の国では、
特に、中央の統制が強くなければ体制が維持できない。それは、アメリカの
市場経済主義も同じ。
・・・・・・
4770,ぼんやりの時間 ー3
2014年04月06日(日)
           「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) 
  * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
  まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」
 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」
が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた
人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている
時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。
むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり
時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を
『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて
灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの
だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、
自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって
きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて
もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら
聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな
時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく
生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは
「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ
ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る
ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと
仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード
とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて
無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと
なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって
いるのではないかとエンデは問いかける。》
▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った
 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く
ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など
の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。
豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。
だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? 
その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では
ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした
時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
        『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手
* 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
   ー人生二毛作の進めー
 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう
作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。
人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える
ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて
用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた
 サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり
返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生
は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。
そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな
隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。
ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて
もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を
二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、
二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の
ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね
 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら
ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も
そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても
成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と
 いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、
嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・
世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目
 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう
としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし
もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の
勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。
 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作
でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、
それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。
死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
4029, 「人生の知恵」ノート ー2
2012年04月06日(金)
     ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
  * 情報や知識が少ない場面では
「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。
手堅いことは独創であることよりも大切である。」これも人生を振り返ると、
骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
  * あえて敵をほめること
 敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容に
すべき。その品格が求心力を生む。ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に
対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。
しかし、決して愚弄してはならない。憎い相手ほど、冷静に褒める。
それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
  * 放っておく術を知る
 人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時、
港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。殆んど時間が解決する。
複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に
収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
  * 見かけも重視すべし
 信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 
正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい敬意を受けられない。
きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装
を着るだけでなく、時計も靴にも高級感のあるものを選んで、いつも磨きを
かけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。
第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。
  * 感情の波を乗り越える
 感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を
間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。
  * 失うもののない人と争わない
 人物を選ぶこと。危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 
  * 言葉はやわらかく、態度はやさしく
「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」
言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、やさしく使うことが、品格を作る。
▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」
 が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・
・・・・・・・
3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2
2011年04月06日(水)
 この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説
の上で、この今後の行末を考えてみる。それだけ大きな事象なら、これから
生じる問題は想像するだけで恐ろしい。
 * 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの
 攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。このテロは、白
(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、
 文明の衝突である。
* 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めた
 ばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を根底から変える歴史的
 大転換の大事件である。。
* これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波
 が発生し、沿岸の原発に直撃。その結果、放射能汚染が日本の国そのものを
 崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる
 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。
 事実には、真実と虚偽が混ざる。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、
 政府筋がコマーシャルを流している。
しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知
している。 ネットで、政府より国民の方が情報を素早く得ているのである。
政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が
最大の被害者。あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、
この様である。それを今さら「風評に気をつけてくだい!」といわれても、
誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」
と、ある筋から聞いたときは、それでも心の何処かで「まさかだろう」
と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、
「もしかしたら?」でなく、その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を
考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めて
いる」とかが、決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、
列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、風評として見逃している
情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 
  私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である!
 ・・・・・・・
3298, 一年の重み
 2010年04月06日(火)
図書館で小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。
例の「ありがとう」教の本を書いた人。それで一番ありがたかったのは、
彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような
面白い内容があった。(字数制限のためカット 2012年4月6日)


5499,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜②

2016年04月05日(火)

            『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 出かけようにも、何処に? 
 『男って、定年になったらいらないのよね!』 リタイア後に、
こんな言葉を投げかけられたら夫は、グサッとくる。これに近い言葉を
週一は投げかけられているが、長年かけられたら生きる気力がなくなる。
 著者は私より12歳年上。この本を発行した2年後に80歳で亡くなった。
私にとって、70歳代を生きる道標のような内容。75歳からの後期高齢期は、
右下がり一方で厳しいらしい。 教訓として、『あと5年間、捨身で生きろ!』
  〜世田谷区内の高齢者10万人のデーターによると、
・65歳以上の高齢者の4人に3人は、自宅内から一歩も外に出ない。
・近所付き合いは、「ほとんど付き合いがない」「挨拶をする程度」が6割弱。
都会の高齢者、特に男性は家に篭りきりで、外には滅多に出かけないため、
急速にボケるらしい。外に出かけようとしても、何処に行っていいか分からない
上に、手持ちの金が少なく、足腰が痛んだりして外出が億劫になる。
 それに比べ女性のキャリアが長いため、日々を楽しんでいる。
 ここで、著者は妻の禁句として、『どこかに出かけたら』の言葉。
これを言われると、すべての夫は居たたまらなくなり、「うるさい!」と、
言いたいが、その気力もなくなり、それが痴呆化を促す。だから、人生設計に
ライフワークを長年かけてつくっておく必要がある。 そこで、『自伝』の作成
を勧める。誰のための自叙伝でなく、自分のための自叙伝と割切ってしまえば、
過去の思い出は、次々と湧き出てくる。
 独立独歩で生きてきたので、リタイア以後の生活に全く戸惑うことはないし、
部下を介して何かをするのより、一長一短があっても、自分の手足でする方が、
物事がはかどる。 以前から実行してストレス解消になっているのが、週一の
酒とツマミと飲料の買い物。買物症候群という精神質症があるが、私のは小さな
ストレス解消。それと嫌なことがあった時の「百均」の買物。一時間で、7〜8個も
買えば、心が晴れる。  高齢期は特に、
『おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり』の高杉晋作
の言葉のように生きるしかない。 目を凝らすと、面白いこと、楽しいこと、知りたい
ことが、あまりに多い。 如何に馬鹿の壁のため、それに気づかなかった? か。
 「犬も歩けば 棒にあたる」と、成るほど、昔の人は良いことをいった。

・・・・・・
5134,知の逆転 〜文明の崩壊 
2015年04月05日(日)
   ー知の逆転ー 対談相手 〜ジャレド・ダイアモンド
  *  文明の崩壊                
 ― まずは、『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド ―
 条件と原因は、ほぼ同じ。環境条件が、そのまま、文明や、人間そのものに
当てはまるだけ。人生に意味など求めるなど愚の骨頂、条件次第でしかない。 
現実世界の上に、ネット社会が出来上がり、グローバル化が進んでしまった
世界は根底から激変している!しかし、一般は、その辺りの認識が甘い!
  〜その幾つか抜粋してみる
・西欧の発展は、そこに住む民族が他より優れていたわけでなく、たまたま地の
 利がよかったことと、農業を可能にする動物・植物が、その地域にまとまって
 生息していただけのことであり、文明はわずかな決断の誤りでもろくも崩壊
 すると見抜いてみせた。要は、地理的条件が文明の発展を決めていた。
・現在のように消費量の格差がある限り、世界は不安定なまま。だから 安定
 した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。
 たとえば日本がモザンビークよりも100倍も豊かな国であるということが
 なくなり、全体の消費量が現在より下がる必要がある。(p30) ・・(略)
 国家間格差がある限り、紛争は無くならない。ということは、国際紛争は
 永遠に続いていく。概していうと、欧米と日本の生活水準は下がっていき、
 中国、インド、アフリカ、南アメリカの生活水準は上がる。
・たとえば日本は三分の二が森林に覆われているが、使われている材木は輸入
 されたもの。その意味で、日本は結果として森林資源を守っている。(p33)
・人類が成功をしたのは言語のせいと考えられる。言語を獲得すれば、発明も、
 思索も、道具を作り出すことも、知識を後世に伝えることができる。
 だから、直立歩行と脳の肥大化に加えて、人間の言語の発達が、人間進化上、
 最も重要なステップだったのでしょう。(p38)
・「人生の意味」というのを問うことに、何の意味も見出しません。
 人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在すると
 いうだけのことであって、意味というのを持ち合わせていない。(p56)
・アメリカの産業のリーダーたちが環境に関心を示すようになる大きな理由の
 一つは、彼らの12歳の娘や息子が、パパやママが会社でいったいどんなことを
 しているのか、環境のために会社は何をしているのかを聞いたときに、CEOが
 「環境問題なんて取るにたらない、あんなのはデタラメだ」などと一蹴しよう
 ものなら、「パパ(ママ)大嫌い、サイテー、二度と口をききたくない!」と
 大泣されてしまいます。これが実は、信じられないくらい効果的です。(p59)
・大よそ5500年前に初めて大社会が出現するまで、世界の全ての社会は、
 小さなものでした。過去700万年にわたる、われわれの社会の進化の過程を
 考えるうえでは、小さな社会が最も適したモデルだと思います。大社会は、
 ここ数千年で出現したもので、ごく新しいまとまりであるからです。(p61)
▼ 『銃・病原菌・鉄』の、銃はテクノロジー、病原菌は家畜化された動物から
 移った細菌によって免疫力がついて、新大陸征服時に、この3つが威力を発揮
した。ここで、宗教は支配階級を維持するための強力な道具であったと指摘。
支配するものには、これほど都合の良いものはない。天皇制も一種の宗教制度。
島国での統治には必然だったかも? そのミニ化したのが世間様、娑婆(O皿O;)。
・・・・・・
4769,閑話小題 ー高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
2014年04月05日(土)
    * 高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
 先日のTVで、「何故、高速道路のサービスエリアで高額品が売れる?」
をテーマにしていた。これは長距離移動で車中に束縛された反動で、ストレス
を発散しようとする無意識のはたらき?を二組の男女学生5人で試みるもの。 
まず一組目に郊外で散歩させ、その後、寿司屋で自前で、寿司の松竹梅を注文
させたところ、一人だけが松を選び、他の4人は竹と梅を選んでいた。
もう一組には、目だけ空いた仮面を被って同じように散歩をさせ、同じ寿司屋
で注文をさせたところ、全員が松を注文をしていた。この結果、ストレスが
高額品を選ばせる証明と結論づけていた。10年ほど前の話だが、新潟の、
ある親睦会で、知人が大きは手術後、暫くし出席をしたおりに、「退院して、
何が無性にしたくなったか、分かりますか?」と、全員に問いかけてきた。
「驚いたのは、買物!とにかく何か買いたくなる衝動には、驚いた」と。
成るほど、ストレス解消には買物が良いようだ。女無頼作家の中村うさぎは、
重度の買物症候群をネタをエッセイ風に書いている。殆どが買ったままの袋詰
状態で、家に置いたままと宣う。 それが高額のブランド品のため、借金地獄。
その実録の迫力の吸引力はすざましい。以前からムシャクシャすると、スーパー
か、百円ショップで買物をするが、お陰で机周りと居間は、得体の知れない
小物が溢れている。成るほど、百均はミニ・レジャーランドである。
   * ローリングストーンに苔ははえない
「転がる石には苔が生えぬ」とは、同じ場所にとどまらない石には、苔も
生えない事象を肯定的にとられている。私は今まで、頭も身体を動かしていれば
病にならないなど、マイナスにとらえていた。 本来は英国の諺で
「A rolling stone gathers no moss.」で、「職業や住まいを転々とする人は
成功できない」という意味で使われるが、米国では「活動的にいつも動き回って
いる人は能力を錆びつかせない」という意味で用いられる。 この違いは、
イギリスは保守的、アメリカは改革的な考え方をするためである。類義語では、
「度々植えかえる木は根が張らない/使っている鍬は光る/転石苔を生ぜず/
流れる水は腐らず」などある。30年前からは、身体と脳をフル回転させて、
ウツ病とか、ガンの予防対策にしていたが・・ 
・・・・・・
4402, 自分の世界の自覚  ー世界内存在
2013年04月05日(金)
  * 象の皮膚の皺につく寄生虫  「知的余生の方法」渡部昇一
10年位前に、何か哲学書の中で、象の皺を全世界、そこにつく寄生虫を
人に喩えた「世界内存在」の説を知った。寄生虫は、全体の象の姿を知ること
が出来ない。だから旅行や小説などで時空を超えて象の皺から出てみないと・・
この随想日記でも度々、世間とかいう枠組の批判に、この喩えを使ってきた。
 ーその出所が、ここに詳しくあった。 
≪ 象の皮膚の皺につく寄生虫は、自分がくっついているその皺だけが
 自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らないー
というようなことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイユイ。
このように虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外
の動物の目から見る世界という「視点の転換」を教えたのはJ・J・ユクスキュル
というドイツの動物学者。哲学史でどう取り扱われているか詳しくは知らないが、
人間の思考法を大転換させる業績だと思う。・・・(略)
 ここから類推すると「人間は世界内存在である」という場合の「世界」は、
人間の五官が認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間を
入れてもせいぜい四次元の世界である。五次元や六次元の世界がどのような
ものであるかは想像もつかない。音も光も人間が五官で羅できる周波数の範囲は
限られている。それは象の皮膚の皺の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香りが
存在しないようなものでないか。人間は五官の世界内に閉じ込められている。
これから逃れる方法がない。この状況を「人間の世界内脱出不可能性」という
らしい。・・・(略) 人間は、象の皮膚の皺の中に住む寄生虫とは違う。
人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから脱出
しようという努力をしたり、脱出することを祈ったりするからである。
そしてそれに成功している人もあると主張する人もいる。それがオカルト。
オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから
有難いのである。神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。
ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でも
あるから悪い気はしないので、それを信ずるわけでないが、有難く承っている。
こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越している
普通の人間は、解剖学的制限の下にある。これが哲学的に言えば「世界内存在」
の実体である。だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。人間は
いくら解剖をし、すぐれた顕微鏡や検査法を用いても、その存在は認めらない。≫
▼ カントが同じようなことをいっていた。人は5感の範囲でしか、経験の
 範囲内でしか認識できない。認識できた範囲を、対象に貼り付けているだけ。
「知っている範囲しか、知り得ない!」当たり前のことだが。これが自覚
できないのが問題。カナダのロッキー、テーブルマウンテン、ケニアの大草原、
カラコルムハイウェーなどなど、どれもこれも、想像を遥かに超えた世界。
問題は、帰国し日常に帰った時、象の皺の世界が逆照射し、元に戻れないこと。
・・・・・・
4028, シングルイン、31年間の総括 ー8
2012年04月05日(木)
   * 3・4の法則
 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」。
「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。
4年目から右上がりを続けるためには、二年から新たなへの字=革新を
つくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。この法則から
すると、ホテルの場合は長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、
確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、最盛期
から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。新潟駅前シリーズの事業も
創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、日本経済のバブルが崩壊した。
それからするとバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだった? 
終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして
無理か。 バブル崩壊が日本にとって、衰退期へ大断層だったのを読みとく
ことが出来なかったのである。偉そうに書いているが、これが私の限界。 
バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を
500室に増加の戦略ミスの選択をした。 それが18年の下り坂の節目。 
1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル
崩壊で日本は致命的打撃を受けた上に、2001年の9・11テロと、
2008年のリーマンショックである。私の事業も日本経済と全く同じ運命を
推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 
その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、
振り返ると、大方あてはまる。同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、
「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。
・・・・・・
3662, 閑話小題
2011年04月05日(火)
  * 大相撲の八百長処分
 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。
幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割
が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 「今さら何が八百長?、
何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。
まだまだもめるはず。日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 
結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して談合
システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについて
いけなかったことになる。今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。
伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
  * 都知事選挙TV討論をみて
 日曜の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他候補のレベル差に驚いた。
一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 
石原慎太郎が良いということでなく、他が東京都知事としての素質がないのが、
議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、
あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持った
フィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。この大震災の中で、他の誰に
都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
・・・・・・
3297, 不思議現象の正体を見破る ー2
2010年04月05日(月)
 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。
それは後として、イスラエルのユリの経歴に興味をそそられた。
1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに
入れられ、色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり2年間の訓練を受ける。
そして21歳の1967年にイスラエル兵として第三次中東戦争に従軍し、
戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、
シュトラング(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、
初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、後には、クラブのショーなど
に出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれる
もので、目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を
書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。すると、ユリ・ゲラー
がおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。
つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。そこで、客に
念じ方が足りないとか、色いろけしかける。やがて、おもむろに「5でしょう」
などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらと
いった暗号に基づいて信号を送っていただけの話。あまりに単純のため劇場の
支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、裁判沙汰まで
なっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカから
プハーリクなる超心理学者がきて、ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んで
しまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに
連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰
だったようである。相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、
その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカの
TV局も考え始めた。プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定、
ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、彼の売り物の超能力は
全く起きなかった。これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、
サスガ超能力者、失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、
とされるようになった。 アバタもエクボである。ユリが1974年に日本に上陸、
TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで
仰天させた。当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、
日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、その超能力があると、
一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから
投げていたのである。 ー つづく


5498,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜①

2016年04月04日(月)

           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係が幅が違う。『あの人は、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。 ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けない。 「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から家から、
追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCのベンチで、
人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
   
・・・・・・
5133,知の逆転 〜①
2015年04月04日(土)
   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学に
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド。
・生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー。
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、
・人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽、
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクルの
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。
 ・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
 ・・・・・・・
3296, 不思議現象の正体を見破る ー1
2010年04月04日(日)
            「不思議現象の正体を見破る」安斎 育郎 (著) 
―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
   ー内容ー(アマゾンより・・・)
 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、
予言など)のトリックと、それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。
同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、不思議現象が存在
するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてが
いかに信憑性がないか(あるという証明になっていないか)を示している。 
世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純なトリックである
ことに改めて驚く。圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、
いかにも予言であるかのように曲解して読み取ることが可能かを示した点。
例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火にぴったりと
符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少
符合しても、それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 
現に、世紀末には何も起こっていない。
▼ ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、
 その嘘を一つずつ解明している。 ユリゲラーも、ミステリーサークルも、
念写などをTVで取上げなくなった。これはブログなどの情報化のため。
もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。
それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。
この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになった。
<二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だった
と白状していた。二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーション
もやってみせた。いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。
この現象をプラズマ物理学の立場から研究したミーデンは真面目に、この現象
は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた>
 彼らは二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の
正体を暴いているから、読んでいて飽きない。次回は、あのマジシャンの
ユリゲラーを。今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを
超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、
その稚拙な手法がコミック的。


5497,幸福 ーあなたはなぜ満たされないか ―池田晶子の言葉 〜③

2016年04月03日(日)

     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),                
 〈 幸福 ーあなたはなぜ満たされないか 〉
   
   * 人は何ゆえに満たされないのか?
《 幸福」の名で、反射的に、人は「暮らし」もしくは「暮らしぶり」と
 思ってしまう習性それ自体が、実は見事に不幸を示している。幸福の言葉で、
あれこれ中身を考える人の不幸は、そこに比べる心があるからだ。自分の幸福
に完結している魂が、どういう理由があって、他人のそれを気にするのだろう 》
 ☆「暮らしぶり」とは、生活水準や、その満足感をいうが、それは幸不幸に
 関係ない。要するに、充実感を持ちえるかどうか? 振返ってみて、どん底
と思っていた、正に、その時が、実は一番充実していた。どん底と思うという
ことは、その下がないから、底を蹴り上げることが可能になる。
 ――
   * 人を愛せないと悩む人へ
《 愛する人がいないから幸福になれない、と思い込んでいるから、
あなたは不幸なのです。どうして他人がいなければ、あなたは幸福に
なれませんか。他人がいなければ幸福になれないというまさにそのことが、
「愛する能力に欠けている」というそのことなのです。だって、
自分を愛することができない人が、どうして他人を愛することができますか。
愛のない人が、どうして愛することができますか。すべては順序が逆だった
ということに、気がつくことが、始まりですね。》  『人生は愉快だ』
 ☆ 学生時代から50年、早朝の読書が私にとってベストの習慣だったと、
 実感する。最後に残ったのは、読書を含めた行蔵と、習慣だけ。人は、
知っている範囲しか知りえない。そして、知っている他者の知識については
知りえないため、誤解する。それが小さく、浅いほど、その分厚いレンズは
歪んでいる。他者との触媒は必要だが、それは読書でも可能。身近に、
「友人が出来ない。孤独だ!」と、愚痴をいっている人が多い。読書の深読み
が出来てない。そのこと自体が、友人が近寄いてこない理由に気づかない。
 ――
   * どんな困難に出合っても
《 どんな生活、どんな職業であっても、生きている限り、不幸は必ずやって
 くる。つらくて苦しくて、自分はなんて不幸なんだろう、そういう時は誰に
でも必ずやってくる。だけど、不幸は、いかにそれが外からやってくるものの
ように見えても、やはりどこまでも自分の心が作り出しているものなんだ。
不幸だと思うその心が不幸なんだ。幸福だと思うその心が幸福なんだ。
幸福も不幸も自分の心のありようなのだということを忘れさえしなければ、
これからの人生、どんな困難に出合っても、君は幸福になることをあきらめず
にいられるはずだ。》              『14歳の君へ』
 ☆「 ポジティブ3に、ネガティブ1の割合が、幸福の状態。逆に、
 ネガティブ3に、ポジティブ1の状態が不幸の状態」と割り切って、幸福の
状態におく幸・不幸管理をすれば、どんな困難にも立向かえる? これは生活
習慣のデザインから始めなければならない。そして、一つずつ積上げなければ
ならない。そう簡単に人は前向きになれはしない。

・・・・・・
5132,閑話小題 〜奇跡的二打席連続本塁打に続いて、翌日は
2015年04月03日(金)
  * 奇跡的二打席連続本塁打に続いて
 高校野球には魔物がいるというが、幸運の神様もいるようだ。
 〜ネット上の記事によると、
《大阪桐蔭との決勝戦で、同点で迎えた八回、試合を決めたのはまたしても
 背番号17の松本哲幣。前日の2打席連続満塁弾に続く決勝2点本塁打で甲子園
 のヒーローとなった。・・》
準レギュラーの全く無名の選手が、準決勝、決勝戦で、2打席連続満塁打と、
勝越しの2点本塁打を打って一躍、ヒーローに・・ 昨年秋から右翼ポジション
争いに敗れ、背番号「17」に甘んじていた男が、その素質を一気に開花させた
場面である。これまで、数多の試合を観てきたが、無名選手が、これほどの劇的
活躍を目の当りをしたのは初めて。満塁本塁打の後、再び満塁の打席に立つこと
自体が出来すぎ。更に翌日、決勝の勝越し打を打ったから驚き。 記録として、
1試合8打点も史上最多。当時星稜の松井、PL学園桑田らがマークした
7打点を上回った。プロ野球では2006年に巨人二岡が史上初の2打席連続
満塁本塁打を記録しているが、元々、それだけの実績のあった選手である。
 この場面の巡りあわせに、日ごろの練習で培われた才能が爆発をしたもの。
因縁とは、因が直接原因、縁が間接原因とすると、その二つがタイミング良く
巡りあったことになる。平沼というピッチャーが、いたため、野手に転向した、
右翼ポジションの争いにも敗れた控え選手だからこそ光り輝く。
高校野球史に残る快挙の物語として残る。 それより、両親が喜んだろうに! 
たまたま億以上の宝くじが、三度続けて当たったような? いや、それ以上。
 ところで、スカウトの経験からして、こういう選手?の扱いは、冷ややか?
・・・・・・
4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう!
2014年04月03日(木)
  * 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に
本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、
本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、
そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の
座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 
更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。
しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の
一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、
事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に
なっている。今では早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、5時間はいる。
ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、
自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。
男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、
『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。
私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 
私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の
一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、
面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が
あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが!
「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、
「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎
と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
・・・・・・
4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
2013年04月03日(水)
      『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内を
みると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青く
なったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。〜以下の対話は、なかなか面白い!
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側を
 のぞいてみたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。
 動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を
 与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に、「なんで
 真面目に働いでばかりいたんだう。こんなことのたために生れてきたのか?」
 という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、多くの
 隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは
 働くことも大切なんだけど、でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう
 一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。それで『猫の自由に学ぼう』
 を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に
 放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。
どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。青年期までの猫、
成年期の犬、そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。
両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。「犬は家につき、
猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。
縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。家では嫌われ、
紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ!
・・・・・・
4026, 「人生の知恵」ノート
2012年04月03日(火)
 4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、
ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。少し読んで、いま一つピンと
こなかったので途中で止めていた。ところが先日、図書館でー本当に役立つ
「人生の智恵」ノートーというグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 
今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、
サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、追放されたタラソナ
という村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさ
すぎることが分かるが、内容は、現在も納得するものが多い。“善人が損を
するのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、
伝道師にしてはシビア。人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、
問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要
とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、今日使える術こそ
真の知識。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが
改めて見えてくる。 ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
 1 愚か者とはつきあわないー愚か者ほど優秀と思っている。
   指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれる?
 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。
   自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
 4  口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。
   自分の好みは相手の好みとは限らない。
 5 突飛なふるまいをしない ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。
   被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
 7  不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と
                 関わる余分な時間はない。
 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
 9  多数派とともにある賢者たれ 
  ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
 11 賢者を見つけ助言を求める  
         ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。
                  相手に合わせよ。
 14 親切をおまけにつける  ー親切は費用対効果が高い。
                 相手より先にするのが技。
 15 相手の急所を見つける  ー殆どの人が求めているのは快楽。
                 その急所を見つけよ。
▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 
  見上げても見下げても、全て自分の範疇。
    ・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
 * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。
安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。
それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要とは! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを
 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、
急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の
方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ
農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 
その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。
そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒がきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、
止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、
ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。
命は助かったが・・ 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 
ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、
避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン
を新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で
滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。
終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・
それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。
他人ことではない、まさかまさかの日々。
・・・・・・・・
3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
 昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、
時が時だけに注目して読んでみた。 ーその内容を私の主観でマトメテみたー
日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で
最悪の借金体質」といわれる中で、国債発行余力を探った。  
 (字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・
2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
 ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に
 「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。これは考えてみたら
シミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」という
のが本当だと既に嘘をついている。河合さんは、この言葉に「言葉など当てに
なりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
 なるほど面白い。哲学に似た問題提起があった。「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真なら,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』
自体が嘘で,クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が
真という仮定と矛盾する。もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人
は嘘をつかないことになる。つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となって
しまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こるー
言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」
の口癖の人がいた。これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほう、
騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、ボケ漫才の
ように気づかないから始末が悪い。なら「私は嘘しか言いません」の方が良い。
それも哲学的ときているから面白い。しかし、それでは世界が回らない。
詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。
言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は
拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか?「私は嘘を言わないように
心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」
これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・
冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。ところで本当(真実)って何?


5496,閑話小題 〜高齢者とは何歳からか?

2016年04月02日(土)

   * 四月バカに騙された
 昨日の朝のモーニングショーで、「ソニーが幽霊バスターの開発に成功、
製品化にこぎつけた。そして、その商品と、捕まえた幽霊の映像を紹介します」
と真面目な顔で報じた。何の抵抗もなく「ああ、そうか、それも在りか」と見て
いると、何も知らない一人のキャスターに、メインのキャスターが、『今日は、
何の日かご存知ですか?』と、笑って聞いた。 私も、その時に初めて、それが
四月バカに気づいたしだい。学生時代の寮で、後輩に、『おーいブーちゃん、
母屋から、電話がきているって言ってるよ!』と、騙したことを数十年ぶりに
思い出した。そういえば、嬉しそうな足音が、いやにリアルだった。
  
   * 高齢者とは何歳からか?
 医師であり、作家の、先年、亡くなった渡辺淳一著の『老いかたレッスン』
の中の ー高齢者とは何歳からかー が、現在70歳の私に参考になる内容。
実感として、高齢を自覚する日々である。   〜要約すると、
< 自分が70歳半ばを超えた実感からして、75歳が妥当。この頃から
 急速に弱りだし、手足もいうことがきかなくなり、内臓などの疾患が出始め、
当然、病院に行き、治療を受けることが多くなるが、医療を75歳から後期
高齢者として分けたのは、まさしく妥当の分類。この意見は、医者仲間からも
賛同を受けている。75歳から高齢者と言われても、元気な期間が短いため、
5〜6年は、そういわれても、元気でいたい、ということからして、70歳
から上を高齢者というのが、もっとも妥当。>
 70歳代になりたての実感として、この内容と同じ。何か75歳が、寿命
のような気がしたため、一度、そこに、「この世の終わり」と設定を数年前に
したが、その時から、何かが変わったような? こと足腰、内臓の具合から
して、65歳が一つの目安で、年々、弱っている。(ちなみに性欲は55歳)
今年、70歳になって以来、『生きている、元気なだけでも儲けもの!』
と、実感するようになったが、これも高齢のなせるわざか。

・・・・・・
5131,失業率9割の国、ナウル共和国 〜3
2015年04月02日(木)
  * 日本にとってのリン鉱石とは?
 ナウルのリン鉱石、日本にとって何だろか考えてみた結論が、戦後から、
この方コツコツと貯めてきた預貯金。しかし、リン鉱石と同様、その多くが
日本国債と米国国債に替わっている! 総預金と、国債などの負債が同額に
なるのが今年。 そこに、5年後にオリンピックの開催とは何ぞや・・ 
 わずか4年前に、千年に一度の大地震と津波で、大きく痛んで復興半ば。
今だ福島原発では溶解が進行中。このクラスの大地震の10年以内後には必ず、
それに匹敵する地震か火山の大爆発が起きている。これらが複合し、近未来に、
国民の弱者に皺寄せが大きく直撃をする。「現状さえ良ければそれで良し、
未来は未来!」の、‘いいじゃないか’騒ぎ! 〜その辺りから〜
≪・ナウル人は、Buada Lagoonで捕れた魚や、ココナッツやパンダーヌスを好む。
 しかし、現在、ほとんどの食料は輸入に頼っていて90%は輸入で、ほとんどは
缶詰。そこにはたっぷりと保存料が入っている。その食料が不足している上に、
ナウルに入る航空便も頼りに出来ない。それはスカスカの店の棚を見ればわかる。
ナウル人の平均寿命は男性で58才、女性で64才。日本より20歳は早死になる。
・ナウルの状況はダイヤモンド著の『文明崩壊』で語られるイースター島の
崩壊の物語を彷彿とさせる。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画
な開発と環境破壊を続けた結果、ついに資源を消費し尽くして文明が消滅して
しまい、島民の生活は石器時代に戻った。両者の大きな違いは、イースター島は
他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また森林破壊等が国土に与える
影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは
地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と
隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、
それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点・・ ≫
▼ ナウル人も、日本人も、公務員、金融関係者と、一部の上層階級は、
 万一に備えた準備が完了してあるという。リン鉱石(預貯金)を
 掘り尽くしてしまった日本、現象面では、国債と株式と円相場の暴落で、
 その正体が現れてくる。 ナウルは、そのまま露出されているだけ。 
 私も似たようなものだが! 裏山の中腹から外海が見えるからこそ、
 断言できること。刻々と時は進んでいく。 老化の戯言であればよいが!
・・・・・・
4766,ぼんやりの時間 ー1
2014年04月02日(水)
                ぼんやりの時間  辰濃 和男 (著) 
 リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、
そうでない。ウツ病に陥らないために、早朝から寝るまでのスケジュールを
決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、
 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。
それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる?
   ーまずアマゾンの内容紹介ー
《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊し
 つつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのでは。
では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさ
が生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながら
つづる思索的エッセイ。 》
   ーカスタマーレビューよりー
【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、
 だから、人間にも本来、「ぼんやり」は許されないのだ。幼い時から、
悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような
絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。
すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る
よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に
根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、
「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、
「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々
に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて
いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの
ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと
いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った
日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩
には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、
「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと
を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ
のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵
の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、
人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって
いることを見逃してはなるまい。 】
▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり
 過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。
日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって
いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、
毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を
支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、
ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、
ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。
どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
    『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。
しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。 
同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と
していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを
遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して
生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」
ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。
当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、
全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に
至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も
気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。
傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ
道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を
遊べるかどうかである。   まずはー内容紹介ー     
【こんな時代こそ「隠居」を見直そう!原始、「隠居」は遊びの達人だった。
 若いモンの憧れだった。目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、
外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪年を取るって、
いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。
オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。】
老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある
喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。考えてみれば「良く遊ぶ」のは
非常に難しい!次回は、一時限目の「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より
 ・・・・・・
4025, シングルイン、31年間の総括 ー6
2012年04月02日(月)
  * リストラは、どうだったか ?
 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、
三年間で3分の2まで減少していった。それに対し、ボーナスの半額カット
(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、
キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 
それまでの正社員と役員20数名のうち、三分の一まで減らし、パート・
アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用
のテナントスペースに切り替え貸店舗にした。さらに第三シングルインを長期
滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、一つにして自動車
学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、
目処がたった矢先のリーマンショック。これも2割以上の売上減が三年目に
入っても続いた結果、事業断念に至った。新潟駅再開発も大幅に遅れ、二つの
ホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで
規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。そのリーマンショック以来、政府の
緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく持ちこたえていたが、
売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 
これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因はリーマンショック。事業構造の
転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。もちろん
返済額の減額交渉に、リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、
その効果が出始め目処がたった矢先のこれ。十年間、やれることはやった
思いがあるので、後悔は全くない。シングルインというホテル名と建物は、
他の事業主が引き継いだので、ここで経営のリストラが断行されたことになる。
6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 
長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立って
いる一事例。
 ・・・・・・・
3659, つれづれに
2011年04月02日(土)
  * 原発事故の深刻さ
 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 
経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。業界格差は明らかに
出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から
深刻度が深くなっている。東北、関東地区の農水産も壊滅状態、米の生産者も、
今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。伝え聞くところ
によると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの
状態が続いているとか。この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという
時に、地震と原発事故である。特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾を
のんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 
毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の
成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、ハイパーインフレになるのが、
一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。
日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。
それ以上の危機になっていくのだろうか? 東京では、一部の子供たちの疎開
が、静かに行われているようだが・・
・・・・・・・
3294, エッ何!
2010年04月02日(金)
 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。
閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに決定したカタチをとった
のは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを
見越し郵貯の限度額を上げて、郵貯残高を増やそうという目論見。
穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、
その受け皿をつくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融
大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、
それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の
破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」
と述べていた。 
(以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
 ・・・・・・・・
2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。
ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、ウィトゲンシュタイン
は死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようと
しても無理であると彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識が
なくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験
できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」と私が考えた内容と
酷似はしている。しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の
一秒の感覚を、寝入る瞬間に直感したのである。実際にスット意識を失う刹那
(瞬間)を感じたのである。「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、
寝入る瞬間ではない」と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、
 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を
如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。その直前の刹那が
果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を
感じたのだから、何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」
と言われれば 証明のしようがない。
 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をした
ことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、ここでも多く書いて
きたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。このテーマとは
関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと?って。 
ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、私にとって大事なことです! 
毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。
それを経験したのだから。


5495,女子漂流

2016年04月01日(金)

        〔女子漂流 ーうさぎとしをんのないしょのはなし〕
             中村 うさぎ (著), 三浦 しをん (著)
   * 女子は漂流し続ける
 中村うさぎの著書は、図書館にある限り読んでいる。4人の姉の中で、
揉まれたこともあって、うさぎのリアルな話も、免疫があればこそ、
面白く読むことが出来る。それにしても、『ズリネタ』とか、
『女性器の構造の生々しい話』などは、夢も希望もなくなる。
 以下は、女目線の世間のありようを、シリアスに語りあっている。
≪ うさぎ: あたしは女子校時代から、女子力まっただ中みたいな環境に
 生きてきて、40歳を過ぎて、整形をはじめ、エロス権力をいかに長引かせる
 かに 力を入れてる。同じ女子校出身なのに、真逆の人生を歩んできたよね。
 だけど『根底の女子力に対する考え方は、似ているところがあるような』 
しをん: 2人とも、岸からだいぶ離れちゃったところは似てますね。
うさぎ: あたしは派手なグループの島にいて、いかに男にモテるか考えて、
 女子力まっただ中を歩んできたつもりだったのに、いつのまにか岸から離れ
 ちゃって(笑)。
しをん: 私は地味なグループの島で、漫画に没頭していたら、いつのまにか
 岸から雛れちゃって(笑)。
うさぎ: まさに漂流だよ。女子がいかに王道を生きょうとも離れ小島で
 生きようとしても、どっちみち漂流してしまう。じゃあ、漂流しなかった
 女子って誰なの?
しをん: 私も今、考えてたんですけど、沖から大陸に向かって「おーい!」
 って手を振ってみるものの、実はそこには誰もいないんじゃないかと。
うさぎ: 無人の大陸なのか。
しをん: そうなんですよ。つまり、海の上に、大小さまざまな無数の島が
 ぷかぷか浮いてて、そこだけで女子は生息しているのかもしれないですよね。
 それで、たまに別々の島の住人が、ガラスの瓶に近況報告をしたためた手紙
 を入れて送り合っている。だけど、大陸には女子はいないんです。
うさぎ: 大陸には、男がいるんですか?
しをん: 男たちは……、海中でモゴモゴしてるのかな、海藻みたいに(笑)。
うさぎ: 男たちも、それぞれの小島で生息してるかもしれないよね。そう
 考えたら、大陸に人がたくさんいるかもしれないって思うのは、幻想かも。
 大陸という世間体があると思うから、生きづらい。
しをん: そうですよ。上陸許可を得たいと思って、必死で大陸の岸に向かう
 んだけど、いざ着いたら無人なわけですからね。
うさぎ: その岸にマジョリティーがいるって信じているから、生きづらさが
 生まれるけど、そこに誰もいないと分かれば、急に楽になるね。
しをん: そうですね。岸についたものの、生息しているのは見たことのない
 新種の動物だけ(笑)。そう思えば、女子力があろうが、なかろうが、別に
 どっちだっていいんだって割り切れそう。
うさぎ: 本当ですよ。っていうか、女子力って言うあたしって、
 その時点でどうかと思うよ(笑〉。≫
▼ 世間教徒が大半を占める島国日本。舟を自分に例えれば、その舟ベタに
カキの貝殻をつけたままでは、動けなくなるか、沈んでしまう。世間も、妄想・
幻想とみれば、目くじらを立てることもない。あるのは、その後、どんどん
生まれてきている見たこともない新種だけ。アレラは世間とかいう幻覚に取込
まれた群れと見ると、事実そうである。女流無頼漢作家の視線からみれば、
アウトサイダーと自認している私など、世間の垢に塗れた凡人だろうが・・
そりゃそうだ。特殊だから面白おかしいのだから。特殊で無くなったら亡国?

・・・・・・
2015年04月01日(水)
失業率9割の国、ナウル共和国 〜2
   * ナウル共和国の現状
≪ ・最盛期には年間200万トンの鉱石を輸出していたナウルも資源枯渇が進み、
 2002年時点で数万トン、2004年時点で数千トン規模にまで採掘量は減少した。
リン鉱石は島の真ん中に集まっていたが、リン鉱石が掘り尽くされた今、ナウル
の8割の地表はめちゃくちゃだ。かっては森で覆われていた地表は、石灰石が
転がる灰色の大地になってしまった。海外からの資金流入と国際金融業の参入を
狙って、ほぼすべての規制を廃したが、マネーロンダリングの抜け穴になること
を理由としてアメリカ合衆国から批判を浴び、頓挫!
・そこで、アフガニスタン難民を受け入れる事と引換えにオーストラリアから
援助を受け取る事にした。が、難民は国民の2割程度まで増加。政局は混乱し、
難民の管理どころでは無くなり、難民たちから「オーストラリアの方がいい!」
と言われる始末。当然これも失敗した
・リン鉱石枯渇を見越して、その利益を他の事業に振り分ける開発グループが
存在したが、ハワイやメルボルンにホテル建設などを行なうものの、こちらも
外国人任せの経営で利益は出ず、失敗に終わっている。
・2003/01/19-下旬: ナウル大統領官邸がナウル国民の暴動により焼失。
海外と繋がっていた唯一の電話回線が不通に。電力供給も滞り,国民の生活
も麻痺状態に。大統領が各国に緊急支援を求める声明を発表するも,電話回線
不通のためか外部に届いたのは3週間後。地表を覆っていたリン鉱石がナウル
の富の源で、1960年代、1970年代には世界でもっとも豊かな国の一つだった
ナウルはこのリンの生産に国の全事業を投資し、リンが取れなくなった現在、
経済が破綻した。 ≫
▼ 童話のような物語だが、残酷といえば残酷。 現大統領も超肥満体だが、
 歴代の大統領は、糖尿で次々と亡くなっていたというから、笑うに笑えない。
この話、何故か現在の日本に重なるところがないだろうか。国家収入の二倍
の予算を削る意欲もなく、世界恐慌が迫る中、オリンピックの開催に向かって
お祭り騒ぎ。反対の論は国賊扱い。そのツケの全ては、10〜20年後の若者へ
引継がれるが、誰も、目を背けている。このナウル国の現状が、未来に・・
 ・・・・・・・
4765,閑話小題 ー感動の書換え
2014年04月01日(火)
   * 感動の追体験
 以前、少し書いたが再び。 現在、ヤフーのブログ‘バードウォッチ’
に、以前に行った先をネットでひろった写真を載せている。これが面白い! 
現地で思いもよらない光景に出あった感動は心の大きな財産だが、その瞬間は
決して写真や映像では残せはしない。対象と同化し振動しているからで 夏の
花火と同じである。ところが、デジカメの進化もあって、ネット上には違う
視覚の感動の瞬間(写真)が溢れているのを最近、知った。実際の感動の方が
遥かによいのは当然だが、ネット上の写真を見ていて、<ああ、これだ!>
と感じた瞬間に、その時の感動が再度、浮び上がるから不思議。 エーゲ海
クルージングで、寝椅子に寝転がってエーゲ海の美しさの中、リラックスする
心地よさは、何ものにもかえがたい。一期一会の自分だけの至福の時である! 
今では、誰でも、そのTPOSの光景をカメラやビデオで撮って、ネット上に
公開するようになった。その御陰で、その瞬間と似た体験をした者にとって、
手軽に感動の追体験?が可能になっている。カメラ目線が違っても、その瞬間
の感動は同じ。それは記憶の復習効果、書換えにもなる。 所詮は、全ては
幻想である。カメラ性能が格段にアップし、誰もが気楽に撮れるため、ネット
上には素晴らしいのが多い。豊かな気持ちは感動の質量の掛け合わせに比例する。
  * 猪瀬の贈収賄、不逮捕されないの? 
 何ゆえに、猪瀬が逮捕されない? 次の東京オリンピックの汚点にしたく
ないため? とすると、支離滅裂。ここまで真実(汚職)が露呈しているのに、
この結末はない!上記の御二人の、御意向か? 何が東京オリンピック? 
江戸末期打ち壊しの「ええじゃないか、ええじゃなかい」の騒ぎに酷似。 
同じアフォ(アフォのミクス)なら踊らな損!と笑ってられない。最も地政的
に危険な立ち位置にいるのが日本なのに!20世紀前半に酷似している。
  * アベノミクスで生温かい風が吹いているが  
        ー偶然、去年の今日に似たタイトルがあったー
 何かが変なのは分かってはいるが、それでも?首を傾げることが多い。
それと6年後の東京オリンピックも。「デフレ脱却のため、無制限まで通貨を
増やしましょう、後は野となれ山となれ!そのため注意をオリンピックに
向けましょう」」ということ。それも、日本の財政破綻の責任者だった二人の
元首相が、現首相と副首相に居座り、更に悪化に向けた舵きりをするのだから! 
電気光熱費と、消費税の値上げは、一般の消費者と、中小企業に大きな負担
になる。それと、欧米も、新興国の経済も波乱要素が大きい。
恐ろしいのは、突然の世界同時株安である。
・・・・・・
4398, 閑話小題 ー 円滑法が4月から期限切れになるが
2013年04月01日(月)
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。
「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。その二人が偶発的に首相と
副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗した
ところで、政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの
付けは、国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、銀行を通して国債を
買わせることで周りまわって戻ってくる。一度、ハイパーインフレにし、銀行
閉鎖するなどの荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。世界は
通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、一より出直しすべし」
ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。そして、
責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
   * 同級会の幹事
 毎年行われている高校の次回の幹事になった。この10年近くの会の半分近くは、
私とコンビのM君二人がしている。二人とも飲み会の幹事は手馴れたためである。
名簿を振り分けメンバーに連絡をすると、それぞれの様子が直に伝わってくる。
ここで多くがリタイア、年金生活に入ったか、事業整理か倒産とか、その一歩
手前など色いろあるようだ。それと、名簿に横棒で消された亡くなった名前が
目に入る。あと10年もすれば、横棒が半分になる。
   * 円滑法が4月から期限切れになるが
 円滑法案が延長されていたが、4月から期限切れになる。一昨年、整理をした
事業の実情からして、この打ち切りは厳しい。今から4年前に施行され、その
御蔭で運転資金のマイナス分を、これと、雇用調整助成金・中小企業緊急雇用
安定助成金をプラスした分で二年間を持ちこたえた。そして限度にきた時に、
3・11の東北震災が起き、迷わず事業整理に入った。その円滑法が切れるという
から弱体化した中小・零細は破綻が増えと見るべき。それもありマスコミが
騒ぎ出した。特に首都圏から離れた地方ほど、不景気の影響が大きい。
それでも参院選挙までは何とか持たせるが、問題は、その後。
・・・・・・
4024, 事業生活39年の、独り語り ー7
2012年04月01日(日)
 11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。  
   ―まず、そのコピーからー
≪ [103] センチュリーベーカリー 〜昭和50年3月ー8月31日(2001/08/09)
 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’
に目をつけた。冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの
子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという新聞記事をみて、
ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。
東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起き通う。そして二カ月後にオープン!
 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、
応用が利かない弱点が出る。その時期に長岡の実家で問題が発生。 
このタイミングを狙われたのである。そこで第三者に経営委託をして急遽
長岡へUターン。恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われる
ほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると‘開発型委託経営ビル’を
造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、
ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、実家の衣料デスカウント・
ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。≫
▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の
 一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、養老の滝のオープン以来
一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、
空きテナント部分で新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで
見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、
数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。
配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、など次々に任される。
品種変われど、商品管理の本筋は同じ。居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握
して全力で取り組めば、何でも可能ということを知っていた。そのため実家の
仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 
 何事も、表面が違っても、本質は同じである。
・・・・・・
3658, 価値とは思い込み
2011年04月01日(金)
 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わる。
価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より
分かりやすい。人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは
子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。その刷り込みから脱皮していく
経験と知識の蓄積が教養になる。大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 
創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが
節目の切欠になる。「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」
ことでしかないのが分かる。まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、
第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。価値、意味、思い込みを、
絡めて一文をつくると「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは
思い込みという意味でしかない」
・・・・・・・
2010年04月01日(木)
3293, 人みな骨になるならば ー9
  * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの
現われである。あの広告塔も、こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感
する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、目の前にある山川
草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚を
わずかに持つことができる。一番難しいのは、むしろ他の人間と通底している
という実感である。これは予想外のことだ。人間は他の人間との差異に対して
最も敏感である。もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」
と連帯しているような感覚を持つことができる。われわれはスローガンとしての
連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした
観念上のものではなく、目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくる
ダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において
自己と他の具体的な成員と区別をするために発生したのではないかと疑わせる。
人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を通じて進化してきたと
主張する学者が多い。人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベル
タイガーやマンモス相手に開発されたものではない。異性や仲間との付合い上、
是非とも必要だったのだろう。自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の
気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の社会生活を
生き抜くために必要だったからだ。
▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、
 これを読んで浮かんできた。人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団に
おける自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、鋭い指摘。 
40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の
分派達との争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が
家庭・親族という事実と同じである。人間の遺伝子の性格は利己主義という。 
それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、社会の
有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と
割り切るのではなく、エゴを野獣、いや野性と看做、コントロールすることが
教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?
 ・・・・・・・・
2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
 新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽の
プロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が
発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、
人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンド
するような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストと
危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
それらは私たちの「仕事」の中にしかない。 ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、
趣味の世界に生きる人間に対する一撃。しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、
趣味の世界を持っていたために救われることがある。 仕事のできる男ほど、
それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という
底知れない荒海が舟板一枚下にある。趣味だ娯楽など、余所見をしている暇など
ないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで居酒屋
通いをしてきたものとし、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとし、
そこには失望も歓喜も興奮が満ちていた。そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が
存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、その数倍
の豊穣な世界があったことも事実である。要は、「力、愛、知」の「力」の
部分に力点を置くべし、ということだろう。少し、趣味に力を入れすぎたか? 
そうでもないか? 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。
その一つが  ー効率化とゆとりー 
「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は
全体の一%もいない。」が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも
思われるが、如何だろうか?  身近では、一人も存在していないが、
いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)


5494,人生 〜何のために生きるのか ―池田晶子の言葉 〜②

2016年03月31日(木)

   『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
                
  〈 人生、何のために生きる? 〉
* わからないのは当たり前    ☆ は、私の感想
≪ そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で
 死ぬのでもない。生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、
私たちの意志は全然関与していない。 気がついたら、どういうわけだか、
こういう事態にさらされていたわけです。このことの不思議に思い至れば、
人間が自分の人生について、自分のことか意志で決断してどうのこうのという
ことが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。
人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れている。
人生は自分の意志を超えているのです。≫     『死とは何か』
 ☆ 人の心は、その意志あればこそ。「たかが意志、されど意志!」
 「最善を尽くして、後は神の意志に任せる」しかないが、最善を尽くさない
限り、神の意志は働かない。 問題は、その問いを発し続けるかどうか。
――
  * 信じてはいけません
≪ 苦しみから救われるためには、信じなければならないと、皆さんは
 思われるでしょう。しかし、考えてもみましょう。苦しみを苦しみだと思う
のは、なぜ。人生に意味はありやなしやと苦しむのはなぜでしょうか。
それは、人生には意味があるものだと思っているからです。しかし、もしも、
人生にはとくに意味は最初からないとしたら、「どうでしょう。意味はありや
なしやと苦しむこと自体が、ひょっとしたら、勘違いなのかもしれませんよ。≫
                        『41歳からの哲学』
 ☆ 意味ない人生を、いかに意味付けるか。意は心。その意に味付けを
 していき、『意味』にする。どの道、人生など錯覚、その錯覚を、 己の
意志で意味づけしていくのが人生。だから面白い。どの道、死ぬのだから。
 ―― 
  * 定点をもつ
≪IT革命を究めたところで、我々が生身であることに変わりなく、自然災害の
前には降参するしかない。自然すなわち人智には絶対不可解な大宇宙に、この
自分が生きて死ぬとはどういうことなのか、考えて気がつくだけでも、我々の
人生は変るのである。なんだ人生というのは、あんがい変らないものだなと。
変わるものにおける変わらないものとは、定点である。定点からみると、
先行きどうなるかわからない地球上のこの状況も、永劫の宇宙史における
一風景、そんなふうに見えてくる。 定点とは、相対化する視点である。
これを手に入れるとラクですよ。 ≫        『週刊ポスト』
 ☆ 定点とは、考えること? 変化する自分を見つめる視線? 
  自分の中の、他我? それとも、揺れ動く心を見つめる、小さな自分? 
 ――
  * 何のために生きるのか
≪この人生、何のために生きるのかとは、生きている限り避けられない問い
ではありましょう。それは人間にとって最も根源的な問いであって、だから
こそこんな問い、人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、
自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです。もしも本当に答えを得たいので
あれば、生きている限り一度は必ず自らに問うてみるべきでしょう。
「私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。≫ 『人生は愉快だ』
 ☆ 旅先で、何のために旅をしているのか、とは考えない。答えが出るのは、
 目的がハッキリしている時で、それを旅行という。そのプロセスを楽しむ、
味わうのが旅。とすると、人生は、与えられた条件の中で、可能な限り人生を
味わい、生を全うすることになる。で、それを前提として生きているかどうか!
 
・・・・・・
2015年03月31日(火)
5129,失業率9割の国、ナウル共和国 〜1
 先日のTVレポートで、ナウル共和国の現状を報じていた。
街中、大相撲の小錦、曙のような肥満体の人が、何をするでもなく
ブラブラして姿があり、国民の9割が失業者。 欧州諸国に"発見"される
前は主に漁業で自給自足の生活をしていたが、イギリスの植民地時代には
強制労働に徴用され、そして独立後はリン鉱石の輸出により何もしなくても
基本給が勝手に口座に振り込まれるようになった結果は・・ 〜ネットより〜
≪ 2007年に日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』の取材班が訪れた際、
 日中の街中を無為にうろつき回る多数の島民の姿が映し出されていた
・面積:21平方キロM 〜バチカン、モナコ公国に次いで世界で三番目に狭い
・人口:9322人(2011年)〜バチカン、ツバルに次いで世界で三番目に少ない
・失業率は実に90%。そして、残り10%のうち95%は公務員
 働いていない方が「正常」とみなせるレベルの数字。
 アメリカ国務省によると、公務員以外の労働者は僅か300人。
 ほとんどの国民が労働を知らず、勤労意欲もない国民が労働しなくなった
 ため、肥満も加速。肥満比率は8割を超えて世界一
ナウル国は、サンゴ礁の上に何百万年もの間にわたって海鳥のフンが堆積して
できた島。その海鳥のフンは長い年月の間にやがて良質なリン鉱石へと変質。
そのリン鉱石を採掘し、海外へ輸出することによって、ナウルは莫大な富を
得ることになった。そのため、
・税金無し、教育、病院、電気代は無料
・結婚した人には政府から新居が提供され
・飛行機をチャーターして海外にショッピングに行く人も
・自炊なんてしない。缶詰やミネラルウォーターを買う
 もしくは、外国人経営のレストランに行く
・徒歩で出かける人もまばら。移動手段は車かバイク
・リン鉱石の採掘作業も他国からの出稼ぎ労働者に。
 働いているのは、国会議員と政府の役人だけ(100名足らず)
・1980年代には国民一人当たりのGNPがアメリカ以上、日本の倍に
・全世代に年金(基礎給与)を支給 ≫
▼ ところが、そのリン鉱石が掘り尽くされ、枯渇した現状は、糖尿に
蝕まれた無気力な肥満体の住民だけ。 欧米文化に翻弄され、最後は、
こうなるという事例で知られるようになった。「リン鉱石立国」として
1968年に独立国家となった繁栄は、無計画な採掘で15年と持たなかった。
採掘できる資源には限度があることは、分かっていたはず。
しかしリン鉱石で稼いだお金の半分は国民に分配、残り半分は政府
により国外への投資に向かったが、これもホボ失敗。
・・・・・・
2014年03月31日(月)
4764,閑話小題 ー3年前の日記より ー2
  * 昨日で、あの日から三年になった
 先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、
3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、
2011年3月20日〜4月2日の二週間。(一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社
の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、
無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんな
ことは出来よう筈がない。事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理
(下の数値ライン設定と、避難のためのシェルターを長年かけ用意)をしていた。
これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ これを書き写していて、
涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。
・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。
    モーニングショーでは、大震災を詳しく報じている。それもあるが、
    私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない!
・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など
    中継していたが、震災のためいずこも閑散。昼食は近くの
   ‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。
    これが現実である。
・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。 昼飯は
    ケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの林氏にメール。
    今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。
    この災害が、後押しをしたのは確か。
・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について
         最後の話合い。17時〜18時半。
・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない!
・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認。
・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。
・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。
・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、
頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。 
・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。
久々に際どい危機感の中の自分が、いる。
・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門
の引渡しを大矢と私、5人で始める。そして、17時に正式に
弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。 
全員、起立をしてm(_ _)m。
・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金
の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。
        :13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな
顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。
        17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、
これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の居酒屋で酒を飲む!
Iさんも、まさかと信じられない顔。
・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。
15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。
         18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。 
21時44分で長岡に帰る。
・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。仙台の学生時代の行方
不明だったO君より無事の電話。5分の差で助かったとか。
前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いていた。
▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。
 目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。それは今も同じだが。
それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。
陰湿の嫌がらせはないことはないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で
見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと
分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験。 
救ったのは長期のリスク管理?

・・・・・・
2013年03月31日(日)
4397,「武士道」という諸悪の根源         
  * 「武士道」という諸悪の根源   《「世間」の捨て方 ー3》
「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前
のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。
その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。
それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。ーその辺りから抜粋ー
≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。
「武士という者が日本を悪くした存在です。(略)武士の頭の中にあるものは
主君に使えるということだけ。端的に言えば、奴隷ですよ。(略)・・
この奴隷というものを、武士道だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。
・・(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。
戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、
雇われの用心棒だった。「日本は典型的な武士の社会。
鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫
▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と
 役職と禄高で、社会的評価がされている。そうこうみると、我われは現在でも
奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、
人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の
身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた武士のつくった武士道など
信じるなどもっての外。  ーウィキペデアで葉隠れをみると
≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。 
 葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈
されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、
山本常朝自身は「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、
死を美化した書物と一括りに出来ない。現代でいうビジネスマナーのマニュアル
に近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に
近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国
主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活
に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本
としての一面もあり『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。
 奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を付けたがる。
商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が
必要だから、道を思い浮かべたのだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を
遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。
絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、
世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。

・・・・・・
2012年03月31日(土)
4023, シングルイン、31年間の総括 ー5
  * どこで間違えてしまったのか?
「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額の
ランキング分析を基に唱えたもの、とあった。私の事業も、この説のとおり
30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと、
次長は20歳半ばから後半。30年後の現在、3人の平均年齢が60歳近くになって
いた。ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 
 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、
「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 
◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に
  落込む予測が出来なかったのが大きな原因。
◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わった。
  20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で東西の垣根が無くなり、
  グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。その意味を捉える
  ことが出来ず、思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 
◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、
  パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。
  それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。
  これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、経済も社会も、
  スピードと変化が激しくなり、それが資産デフレと物価デフレをもたらす。 
◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが
  変わっていった。そのため、日本の地方の力を大きく削いでしまった。 
  それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になった。
 ー 以上を、簡約すると、
* 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる
  重大性が理解できなかったこと。
* 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。
* 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を
  根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。要するに、バブル崩壊と
  情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。
  30年前は新潟駅に新幹線がオープン。新潟駅周辺は活気に溢れていた。
  しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も三行になっていった。 
  時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加。
  これが最大の間違い。間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が
  襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
  間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、
  良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。

・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
 私にも大きな試練と転機がきた。65歳ということか。 
毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。本格的な恐慌へ一歩
踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、・・
違う意味でのメルクマールになる!偶然だが、去年の下の文章が身に沁みる。
 ・・・・・・・・・
2010年03月31日(水)
 3292, 人みな骨になるならば ー8
 * くぐり抜けた境地   (p−237)
ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー
            (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!)
 これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、
期待するほどには親切ではないが、危惧するほど冷酷ではないということだ。 
もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に慈悲深かったり、
また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などない・・
 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの
人生を積みあげることである。それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯で
しかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。
そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派
に砂の城を積み上げたのに。この事実だけは何も否定できない。神であろうと
宇宙であろうと。われわれの人生というものは、ひとつのモニュメント
≪記念碑≫である。それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。・・ 
誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。
われわれの人生は将来だれにも顧みられることのない記念碑なのだ。
歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント
でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑
こそが、われわれ一人一人の生涯である。無駄ならせめて輝く無駄でありたい。
この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」
という野次には抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いて
いた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。この「無駄である」
という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜け
きることが出来ない。「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな
意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、
これら総称したものである。・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、実は
何もないのである。それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に
戻るしかない。・・ 「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」
「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきる
ことができない」「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、
その先が実は何もないことを知り、それが解放と感じる境地が全てである」と。 
般若心経の色即是空、そのものではないか。それを虚無主義とかいうベールで
包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、
そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決して
マイナスではないのである。 


5493,幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 〜①

2016年03月30日(水)

    『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
               NPO法人わたくし、つまりNobody (編集)
 池田昌子は、青少年や女性向に簡潔に哲学について、語りかけるような
文章が支持を受けた人で、生前に書かれた本は、ほぼ読んだというより、
手に取った。簡易であればあるほど内容は奥深い。この切り口は、壮年、
老年向き。次回からは、各章のテーマを取上げるが、今回は総論の紹介。
  〜アマゾンの内容紹介〜  ー死の問題は哲学の究極のテーマ。
《 悩むな、考えよ。混迷の時代を照らす、ゆるぎない言葉がここにある。
 日常の言葉で哲学の核心を伝え、「哲学エッセイ」という新たな分野を拓いた
池田晶子。累計30万部のロングセラー『14歳からの哲学』をはじめ、その著作は
没後の今なお、人生を真摯に考える読者から熱い支持を受けて読み継がれている。
本書は、池田氏の著作の中から、目まぐるしく移り変わる時代の中で、私たちが
物事を正しく考え、よりよく生きるための指針となる言葉を11のテーマ別に精選、
1冊にまとめた「言葉集」です。時を超えて変わらない真理と、人の世への
洞察にみちた池田晶子の言葉を、今こそぜひ味わってください。
 -- 〜アマゾンのレビューだが、どれも含蓄がある。‐‐
☆ 2007年に病死した池田晶子さんの文章を「死」と「生」という切り口
からまとめた本。第1章では30人の哲学者、宗教者の「死」に関する見解を
紹介し、それに対する池田さんの考えを述べている。あくまで「死」という切り
口で、これら30人の偉人たちの思想すべてがわかるわけではないが、どういう
思考様式をもった人たちだったのか、という池田さんなりの解釈がわかり、
ときおり「そういうことだったのか」と新鮮な発見をするところもある。
難解な哲学書などには歯が立たない私からすれば驚異の理解力の人である。
あと、池田さんは、世間一般では誇大妄想と避けられがちなヘーゲルを
(少なくともカントよりは)評価している、というのがチョッとした発見。
 --
そもそも、もはや語りえないことについてどう語るか、という状況において、
「1.語りえないことを考えることをやめて生活のための生産活動に戻る」
「2.何かを信じないと落ち着かないので宗教に行ってしまう」
「3.そもそも哲学的なことは考えたことが無い」
「4.しつこく考え続ける」の4パターンがさっと思いつくのだが、
大半の人(科学者も含めて)は1を選んでいるのに対し、池田さんは
最後の4を選んだ(選んでも生きていける)稀有な人なのだろうと思う。
 --
「14歳〜」で青年、「41歳からの哲学」で中年、
そのほかの本が老年などをターゲットを網羅できたので、
『もう(書かなくても)いいのではないか。』などと漏らしておられる。
―――
▼ 老いを実感し、得体の知れない不安に取りつかれようとする日々に、
 身近に置き手軽に読むに丁度よい本。「悩むな、考えよ」が人生の要諦なら、
考え続けなければならない。「考え、楽しみ、達観する」のが、老いの秘訣?

・・・・・・
5128,閑話小題 〜副操縦士の心の闇
2015年03月30日(月)
   * 副操縦士の心の闇
 世に多く存在する‘うつ病’を持つ人は、副操縦士の心の闇の一端を理解
出来るだろう。子供の頃からパイロットを夢みて、すべてを捧げてきた純粋な
青年が、その世界の過酷の実態を知り、会社と社会を恨むようになり、
それが蓄積をしていったようだ。 報道によると《 ・・元恋人は同僚の客室
乗務員で、副操縦士と昨年5カ月間交際していた。副操縦士は普段は優しかった
が、仕事の話になると急変。「給料が安い」と怒りをぶちまける一方、契約が
更新されるか、不安を見せていた。突然、元恋人に怒鳴り散らしたかと思えば、
トイレに長時間こもったりした。「墜落する!」と叫んで目覚める夜もあり、
ある時、「いつか僕は全てを変えることをしてみせる。誰もが僕の名前を知り
忘れないだろう」と語ったという。当時、元恋人は気にもとめなかったが、
墜落を知って思い出したという。元恋人は精神疾患とは薄々気づいていたが、
本人は内緒にしていた。副操縦士は格安航空会社の親会社ルフトハンザ航空
によると、長距離便の機長になることを夢見ていた。「健康の問題から自分でも
不可能と分かり、思い詰めて(故意の墜落を)してしまったのではないか」と、
元恋人は話している。》 
 重度の‘うつ病’で病院から「勤務不可」と診断書を出され、自棄になり、
機体もろ共の思いが、こういう結果になってしまった。4年前の一連で、長年の
備えをしてあり、過去の経験も含め、想定内として辛うじて大きく落込むことは
無かったが、それでも一つ判断を間違えると、重度の‘うつ病’が、口を空けて
いた。だから図書館やネットで、節目時に読むべき本を探し、貪り読むしかない。
その危なさを楽しめるまで、突詰めれば、後は、時間薬が解決してくれる。
 副操縦士にとって、操縦士としてのエリートコースから外れ、格安航空会社の
待遇が、あまりに悪く、その不満で、‘うつ病’になり、その立場さえも、維持
出来なくなれば、スチュワーデスの彼女との付合いも、結婚も失われてしまう。
 操縦士というスペシャリストが、突然、その資格を失えば、恐慌一歩手前の
欧州では、新たな就職先は皆無。あるのは失業者か、ワーカーしか残されてない。
私が彼の立場なら、燃え尽き症候群になっている。 二年前に、高校の同級生が
老舗の自営店の不振から、‘うつ病’になって、自死をしたが、他人事では
なかった。ドップリと、小さな世界に浸かると、他の世界が見えなってしまう
のも致しかたがないが・・ ホテル業を30年していた中で、2〜3年に
一度は、自殺者が出るが、当事者として、その自殺理由が警察から報告がくる。
それには、そこに至る深い理由と、闇を垣間見ることができる。 過去を振り
返ってこそいえる戯言、『生きている内が花』などの世界は、そこには皆無!
そう遠くない近未来に、うつ病より恐ろしい?「余命○ヶ月!」が待ている?
 で、偶然だが、以下へと、物語は続く! 明日が無いという恐ろしさ!
・・・・・・
4763,最後だとわかっていたら
2014年03月30日(日)
  * 最後だとわかっていたら  ーひと言でいいのですー吉川直美編より
 アメリカのマレック という女性が、わが子を亡くしたときに書いたもの。
2001年の同時多発テロで、貿易センタービルに一機目が激突したあと、救助の
ために最初のビル内に突入した数百名のレスキュー隊の一人で、行方不明に
なってしまった29歳の消防士と言われたが、それは誤報)
 ー母親の悲しみが、そのまま直に伝わってくる文章である。少し長いが・・
 ーー
      『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら 
一言だけでもいい・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」
を伝える時を 持とう  そうすれば もし明日が来ないとしても  
あなたは今日を後悔しないだろうから
    「最後だとわかっていたなら」ノーマ・コーネット・マレック 
▼ もし漠然と80歳が自分の寿命と考えていて、来年にでも余命半年と突然、
 宣言されたと仮説をたてると、現在の年齢が68歳として、差し引き11年が
失われることになる。自分の未来を子供とすると、その衝撃と哀しみが、
この詩に重なってくる。そうすると、いま何をすべきかが浮かんでくる。 
『人生をもっともっと深く愛しなさい! 家族・友人を大事に、親切にし、
供にあることに感謝しなさい! もう一度、人生を見つめ直しなさい!』になる。 
今日一日、清く正しく美しく、何事にも興味を持って、感謝して生きることだが。
若き日の追憶で、もっともっと、人生を燃焼しておけばと後悔するが、
それを何故、いま現在しないのだろう?
・・・・・・
4396,宇宙は何でできているのか −2
2013年03月30日(土)
             「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
  * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 
【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、
 私たちが存在する自然界の「幅」。その両端にある宇宙研究と素粒子研究の
 あいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに
 見える2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 
  これが、この本のポイント。
今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。
137億光年の彼方より私を逆照射して、更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉
として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。
 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がり
を逆算した、更に8桁も小さな素粒子。そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 
何なんだろう、これは?  ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋ー
≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさ
 の比と同じぐらい。天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個
程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、10の−10乗メートル。
かつては、これが「この世でいちばん小さい素粒子」だと考えられていました。
しかし、やがて原子も「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」
ことが判明します。原子の中心には「原子核」と呼ばれるものがあり、その
まわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10M)」
とは、電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核
までの距離は、決して近くありません。地球と人工衛星ぐらいの距離感を
イメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに
小さく、10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろん
ミクロの世界の話ですから、私たちの目から見ればどちらも同じようなものです
が、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。
原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の
発見によって、「素粒子」のサイズは一気に小さくなりました。ところが、
話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造
があり、その陽子や中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 
その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、クォークこそが真の
「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても
10のマイナス19乗M。かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真中に
ある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そしてあとで説明する
強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは
10のマイナス35乗Mだと考えられています。≫
▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、
 宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて原理的に同じという。 
「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。
これが10の−10乗。素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。
ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し分かるような気がする。
振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギー
の96%が、他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」
と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い!
・・・・・・
4022, シングルイン、31年間の総括 ー4
2012年03月30日(金)
  * あの日から今日で会社の一周忌
 あの日から、今日で1年になる。17時を持って弁護士二人、女事務員二人、
私と、役員二人が同席の中、「今日の17時を持って会社は消滅をしました。
ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、31年間
の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。3つの会社実印と通帳の全てを
弁護士に引渡し、総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 
3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、全てドラマ
仕立てのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後
13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。その後に退職手続きに入った。 
修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の
当たりに見て、「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が
溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが進んでいった。 
丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいる
ような日々。新潟駅周辺には、自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 
自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。「交通事故だけは
気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が
事故にあいます。」と、弁護士に何度も注意された。実際にマスコミが騒ぎ出す
のは、その一週間後になった。弁護士が「直接原因は、東北大震災」と流した
ため、ニュースは全国レベル。家に隠れるのは精神上悪いので県外のホテルでも
行っていようか、弁護士に相談すると、「ここで後ろ向きの行為は、良くない。
家にいるべき」という。これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント
「バン記者」のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、
もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた会計
事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、
理解していないのでは」と、呆たようにいう。腹を据えてしまえば、後は冷静
にコトに従うしかない。全力で事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 
それが活き活き楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、
創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。
それが第三者には見えない。長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵
として強く残るもの。 死や人生と同じである。考えれば考えるほど、
この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。
「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」
・・・・・・・
30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。
当時の名前はベンクーガーホテル。その一月前の2月28日にホテルの一角で
デザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが
話題をよんだ。平日はホテルに集中。土日は学生服を販売する変ったホテル。
チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、創業前
に人材を集めるのが大変な時代。当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。
ホテルなど誰も経験者がいない中で、右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 
何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、
当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。平均給与は数倍に上がって
いるに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、
2008年の9・15のリーマンショック。そして、この大震災。その中で特に日本
は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請に
そって能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。
事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。


5492,人生で最も大切な技術 ー35 瞑想の実践 

2016年03月29日(火)

    『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー②
 学生時代、三番目の姉に「理想のイメージを具体的に持つことの重要性」
を諭された。『理想の生活、なりたい自分をクリアーにイメージを続けると、
いつの間にか、それが実現している。それも、今から考えると、小さな枠に
縛られていた。それなら、もっと大きな夢を持つんだった!』と。
そこで、書店で探すと、『夢ツリー』系の本があるある。
 以下の内容には、大きな示唆がある。瞑想で、苦しんでいる人たち、不幸な
人たちを変容する想像をすれば、自分と他者の苦しみを溶かす力があるという。
毎朝、仏前で、『因縁のあった逝きし人たちが安らかなることを! そして、
この世の人たちが良くありますように!』という想念で祈っているが、これを、
さらにクリアにしたのが、以下のメンタル・イメージ法。
≪  ☆ メンタル・イメージ法
 欲望・嫉妬・高慢、攻撃、強欲等の激しい感情に心が取りつかれたら、
おだやかで平和な情景を思い描こう。想像力を一杯にして、静寂そのものの
湖とか遥か彼方まで見通せる山頂に飛び立とう。雲一つない限りなく広い大空、
無風状態の大海原のように穏かな状態でゆったりと座っている自分を心に描く。
静寂をしばらく体験していよう。心の内に吹き荒れていた猛烈な嵐は鎮まり、
平和な気持ちが心の中に新たに広がってくるだろう。自分の受けた傷がどれほど
深くとも、心の奥にある本質はまったく影響を受けていないことを理解しよう。
心の奥には、純粋意識が常に光輝いているのである。
 まず、吐く息が、ひんやりと白く輝く命の水(ネクター)となったと
イメージする。そのネクターに、自分の幸せ、活力、幸運、健康等を乗せ、
苦しむ人々に向けて送り出そう。苦しむ人々がそのネクターを一杯吸い込んで、
苦しみが和らげられ、望みが叶えられる様子を想像しよう。危険に晒されている
人の命が永らえ、病に苦しむ人は癒され、貧困に喘ぐ人が必要なものを手に入れ、
不幸な人が喜びで満たされる状況を想像しよう。息を吸うときには、心が明るく、
光り輝くボールになったとイメージしよう。ボールは灰色の雲となって、人々の
病、混乱、心の毒を引き受け、それが白く輝く光の中に跡形もなく吸い込まれる
様を思い描こう。こうした作業によって、自分と他者の苦みは変容するだろう。
 だが、重荷を背負い込むといった感覚になることはない。他者の苦しみを引き
受け、溶かしてしまう際には、執着も固執も一切伴わず、この上ない幸福を
感じるだろう。あるいは、自分の肉体が無数に増幅され、広い宇宙を自由自在に
移動し、寒さに震える人々の衣服に、飢た人々の食料に、ホームレスの人々の
避難小屋に変容する様を想像する、というイメージ・トレーニング法も効果的。≫
▼ 大自然の景観に感動した『至高体験』を何度かしてきたが、この経験が、
 多くの問題に対処するときの純粋意識としてのバックグランドになっていた。
『正・中心・一点・無』の、無は、純粋意識。この純粋意識から、苦しむ人たち
に向けて、自分の幸せ、活力、幸運を送り出すことこそ、生きる要諦のようだ。
頭の中は、真逆の怒りなどの心の毒で、あの方々へ、黒ネクターを発している? 
で、「人を恨まば穴二つ」で、悶々の日々? 「吸う息は光り輝くボールの
雲になり。吐く息は白く輝く命の水になって、人々の不幸、心の毒を吸い込む」
このイメージを、週4回のヨガの最後の、死者のポーズで実践してみようか。
「泣いても笑っても同じ空」の雲なら、純白の雲になって、灰色になるまで、
不幸、苦悩を引き受け、白く輝く光の中に吸い込みたいものだがー
瞑想とは、魂の純白化、エネルギーの充足、そして他我への祈り。
 偶然だが、去年、二年前の同月同日のテーマにつづく。

・・・・・・
5127,「魂」の思想史 ー④
2015年03月29日(日)    
       〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
  * ゴッホの魂 ーA
 ゴッホの魂は、ルター派のひとつ、カルヴァン派の職業観から生まれ出て
くる「働く神」であった。貧しかった彼は、いつも神から「退けられた者」
という劣等感にさい悩まされ、それが、そのまま、魂のエネルギーとして
絵画の中に残っている。  〜その辺りから(p27)〜
≪ ドイツ人のマルティン・ルター(1483〜1546)がカトリック権力者たちの
 信仰姿勢にプロテスト(抗議)したのが始まり。ルターによれば、信仰は、神と
信者の直接的な関係を本質としており、両者の間で唯一認められる媒介項は
聖書だけだとなります。カトリックの総本山ヴァチカンの豪華な教会装飾などは
邪道の最たる例となります。質素に信仰に励み禁欲的に労働に従事することが
称えられ、贅沢、無駄遺い、怠惰は批判されました。聞くべきはイエスの言葉。
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」
天上の神も地上の神イエスも労働に専念しているのだから、神に喜ばれたけれ
ば、禁欲的に働かなければいけないというわけ。こうしたルターの禁欲的労働
思想をさらに神中心に改革したのがジャン・カルヴァ(1509〜1546)でした。
人類を救済する全権は神が握っている。救われる人を神はすでに選んでいる
(「予定説」)。 では、「選ばれていること」は何によって分かるか、その証は
何なのか。カルヴァン派の人々は、自分の職業を神から与えられた天職とみなし、
それに禁欲的に励んでいられることが「選ばれていること」の証だと考えた。
こうなると、誰しも、この証を示そうと自分の仕事に真剣に従事するように
なります。同時に、職についていない人間は、神から「退けられた者」と
みなされ、蔑まれます。カルヴァン派の労働論にはもう一つ注目すべき点が
ありました。労働を個人の問題ではなく、社会への貢献・社会にいる人々への
隣人愛と捉えた点です。隣人愛といっても、神中心に考えられているわけです
から。まず神への愛があり、それから同じ社会に生きる人々への愛があるが、
端的に言えば、人類を愛する神に愛をもって応えねばならないということです。
カルヴァン派にとっても神は基本的に「働く神」でした。その神は神自身に
合わせて人間の社会を働く集団にしようと欲した。人類の幸福を願って、
そう欲した。こうした人類に寄せる神の愛に応えるべく、労働社会に役立つ
労働をしなくてはいけない。神への愛の証とて社会に役立つ仕事、社会の人々
を愛する仕事をしていなければいけないとカルヴァン派は考えていた。
(略)・・「逆境にいる人々に平和と安ぎを与える。」これがゴッホにとって、
愛するということの第一義でした。この愛に照らして神学部の受験勉強は役に
立たないと感じられたため、彼はこれに興ざめし、アムステルダムの赤線地帯
の補助説教師に、ボリナージュ炭田の見習い伝道師に、身を転じていった。≫
▼ ロンドンのナショナルギャラリーのゴッホの‘ひまわり’の前に立った時、
 その漂っている空気に立ち竦んでしまったが、その作品が、ゴッホの2千点
ある作品の中で、最高傑作のひとつだったことを最近知ったが、納得である。
ひまわりに関しては、次回に取り上げる。

・・・・・・
4762,私を癒したのは、許しである
2014年03月29日(土)            
  * 究極の許しとは    ーひと言でいいのですー吉川直美編より 
 キリスト教的ケースの中の、私の規範を遥かに超えた世界である。
究極の心の傷には、究極の対応がある。8人兄弟の末っ子で、親の目が
届かないところで、いつも誰かから揶揄われてきた反面、許されてもきた。
そのため、許されるのが当然という甘さがつきまとっている。しかし、
許されないことが人生には数多くある。以下の許しのプロジェクトには、
非常に教えられる。人生には色いろあったが、許し、許されているのである。
  ーまずは、そのケースよりー
《『正義は私を癒してくれなかった。私を癒したのは、許しである。
 ーデビー・モリス』 米国には、人を殺して服役している被害者と、
殺された被害者の家族が面会をする、和解のためのプロジェクトがある。
コーディネーターが間に入って、文通からはじめて、慎重に長い時間を
かけて面会に向けて双方を整えていきます。実際の記録映像を観る機会が
ありましたが、若い女性を襲って銃で撃ち殺した少年と、その女性の母と
妹が初めて顔を合わせる場面。極度に張り詰めた空気の中で挨拶が交わされ、
当然、会話もはずみません。加害者の少年は顔をあげることもできず、
緊張と恐れで体調を崩していました。観ているだけでも胃がせり上がってくる
ような重苦しさの中、家族は、「ずっとあなたに一つのことを訊ねたかった、
そのためにやってきた」と切り出します。それは、愛する者を失った日から
知りたいと願って、叶わなかったこと。警察も裁判所も答えてはくれなかった。
やはり、「なぜ殺したのか?」「娘を返して」と訴えるのでしょうか。
  母親が静かに問いかけます。
「私の娘は、最期に何かを言い残しませんでしたか? 最期の言葉を
 知りたいのです、」
  沈黙のあと、少年は泣き崩れて、言葉を絞り出します。
「あなたを許します……。あの人はそう言いました。」
「……やはりそうでしたか。娘ならそう言うと思っていました。」
「……許してください。」
ひとしきり、肩を寄せ合うように涙を流すと、亡き人の許しの宣言が憎しみ
の連鎖を断ち切ったかのように、いつしか彼らは談笑はじめていました。
最後は、少年の体調を家族のように気遣って別れました。許しは簡単では
ありません。どうやっても許せるはずのないものを容赦することなのです。
ですから、この物語を理想として押しつけることをしてはならないのです。
それでもなお、これは誰にでも起こり得る、解放の物語であると信じています。》
▼ 結局、殺された側と、殺した側の溝は広く、深い。殺される間際に、
「あなたを許します」と言うなど、深い信心がなければ言えないこと。
そう言っただろうと確信していた母親も素晴らしい。そうこうみると、人間
には、宗教が必要である。例え、幻想でも、それが深まれば、やはり人間の
魂をすくうことになる。人生には、自分の力では、どうにもならないこと
ばかり。だが、一つずつ、一人で解決しなければならない。そして、最後は
許し、許され、生きていくしかない。それにしても、すざましい事例である。

・・・・・・
4395, ヘリコプター勉強法
2013年03月29日(金)
            ー超「超整理法」より
 ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、
ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。『超「超」整理法』
 野口悠紀雄著にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。
本など一番のキーポイントを見つけ、そこだけ集中して学ぶ方法である。
10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何ですか?」と聞かれた
ことがあった。直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。
その時に自然に出てきた答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を
分けている。後者の場合、読みに足りる部分を主観的に読む」であった。
その答えがベストでないが、初めから対象に従うのでなく、主観的に読む
ことでポイントを把握するやりかた。 随想日記を毎日書いていると主観的
でなければ続けることは不可能。そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター
読書法になる。この本の何処が一番の要点か、まず探す。小説と哲学書以外は、
まともに読まない。80対20の法則で、20だけ拾い読みをするだけ。図書館で
借りて読むことが多く、10冊は机の前に積んで置いて、時どきパラパラと流し
読みをし、その後アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピン
ポイントが表示され、関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば
八割は把握できる。それを纏め書き残せば、後々まで、残る。だから面白く
病みつきになって続いている。
 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。
ポイントだけに舞い降りると点で、「ヘリコプター旅行法」ということになる。 
旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私など、元もと旅行と思っていない。
専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと
思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。旅とツアーは違うのである。
情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。
検索にキーワードを入れれば、情報と他人の知識は幾らでも手に入る。
その意味で、幾ら時間があっても足らないぐらい、面白くて仕方がない。
幸せなことだが、いつ死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。
楽しめ、笑え、悲しめ! 今のうちである。
・・・・・・
4021, シングルイン、31年間の総括 ー3
2012年03月29日(木)
  * 計画倒産というが
 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで
倒産したのではないので、言われて当然である。売上が10年で三分の一に
減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。
それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。  
そこで計画倒産について考えてみる。何度か、ここで書いたが、私の理解して
いる意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、
現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 
そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、
≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり
 資金ショートをして倒産する場合をいう。しかし同じ倒産でも、事前に継続
不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」
という。計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、
噂のネタにする・・ 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、
「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。
 高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、
最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。幼児の頃から、何時も夜逃げ話を
聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産を
つぶさにみていた。それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、
運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。
それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。二年続けて2割半ば
減少していた売上が、三年目に入っても、とどまることなく続いた結果である。
そこで、色いろシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショート
が明白。会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の
資金繰りに駆け回っているのが実態。現時点は下から4割レベル」という。
しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、ある程度、払えるのは、
今しかない、とシュミレーションの数値は示している。 7月には地デジ化
のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え
予定がある。両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして
正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。30年の現事業
経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。春恒例の催事が、ほとんど中止、
宿泊のキャンセルが続いた。その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃
は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。この躊躇は、差引き4倍の打撃。」
そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、
答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。
 ・・・・・・・
地震 ーつれづれに ー14 
2011年03月29日(月)
 * 自主的退避の言葉の持つ意味とは?
「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。
この言葉の持つ意味を考えると、「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的
に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて自分で
退避してください」 ということだろう。当初より政府の発表は常にパニックを
起こさないように情報を流しているが、それも重要のことである。 ところで、
この原発事故で何で電力不足になるのだろか?それは関西と東京の周波数が
違う為、関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない国の解決できない
大問題がある。違っていた方が一部業者の利益になるためである。それが、
この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を
電器メーカーなどから得ているため、これを問題にできない面がある。
UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。
 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差
 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。
近くに、スーパー原信があるが、そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃って
いるという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを送ったが、
原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の
総合力が商品力に出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たち
の全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、平時より災害時対策を
している。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。
 ・・・・・・・・
3290, ツイッターが詰まらない?
2010年03月29日(月)
 ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。
《おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、加筆しております。
書きかけのメール完成させて、送信します。ツイッターのことですが、私、
どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。
と言うのは、ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無い
ように感じております。つまらないのです。貴方みたいな、「ツイ友?」でも
出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている
者はいません。良い方法があれば教えて下さい。》  
 以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 
 ― 何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。
・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに
 見ていると面白くなっている。
・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローから
 ネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。
・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。面白くなるまで、
 粘るしかない。(絶対に面白いから)
  ー以下は知人へのメールの返事。
 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。
実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽にフォロー先の人に
話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に
「美味しそうですね」とか、発信すると返事が返ってきます。 もっとも、
この二人と貴方だけですが。以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの
文を随想日記に去年8月に書きましたが、その人もツイッターを開始しました。
私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに仙台の同年代
といえば、彼ではないかと思っています。しかしツイッター上で話していません。
(字数の関係でカット2012年03月29日)


5491, 閑話小題 〜白鵬の涙

2016年03月28日(月)

   * 白鵬の涙
 白鵬が千秋楽の結びの一番で勝って優勝をした。が、横綱同士の相手は
負傷をおして出てきた手負いに、立会いに飛んでしまった。まさか、それで
負けるとは思いもしなかった言い訳もあるが、その瞬間、会場の半分近くが、
祝賀の式典を無視して会場を去っていた。「さっさとモンゴルに帰れ」とか、
「横綱の面汚し」とかが、TVの画面を通して聞こえてきた。解説の二人も、
口を極めて非難をしていたが、これも当然だろう。モンゴルの国籍が、引退後
の部屋持ち親方の道がないことなど、36回優勝なればこその不満が見え隠れ。
 今場所の半ばに、勝負のついた力士への駄目押しの力士が、モロに勝負審番の
親方にぶつかり、三ヶ月の重症をおわせて厳重注意を受けたことも、この
らしからぬ立合いに出たのだろう。引退勧告まではないとしても、大きな
汚点になってしまった。
≪ 立ち合いの変化に場内からは大ブーイングと罵声(ばせい)が飛び交った。
 取組後の優勝インタビューでは複雑な感情が絡み合い、涙を流して絶句。
異例の謝罪も口にした。
 水を打ったような静寂が、罵声とため息で破られる。36度目の優勝を
決める結びの一番。気も伝わらなければ、熱もない。わずか1秒1。
懸賞を受け取る白鵬の表情は、かたくなる。「勝ったらなんでもええんか!」。
土俵下で行われた優勝インタビュー。拍手よりも、痛烈なやじが白鵬の背中に
浴びせられた。「あの変化で決まるとは思わなかった。本当に申し訳ない」。
あふれる涙で数秒間、絶句した。 稀勢の里が2敗を守り、星を落とせば優勝
決定戦へもつれ込む。かたずを飲む観衆の前で、白鵬が立ち合いで変化した。
右手を日馬富士の顔の前に突き出し、左へ大きく体を開く。目標を失った相手
は何もできずに土俵下へ飛び出した。横綱の気概を捨ててまで、抱きたかった
36度目の賜杯。「36」という数字に、かねてから強いこだわりがあった。
母国モンゴル相撲の元横綱、父・ムンフバトさんは年に1度の国民的行事
「ナーダム」のモンゴル相撲で6度も優勝した偉大な英雄。年6場所開催
される大相撲に置きかえれば、36は6年分の優勝回数にあたるからだ。
やはり、そう長くは持たないだろう、モンゴル人とは肌合いが違うのか。
   * 琴奨菊の、この始末
 琴奨菊の結果は、白鵬の涙で目立たなくなったのが救いだったが、過去の
実積からみて当然といえば当然。押し相撲の勢いからみて、「もしかして」の
期待が無いでもなかったが、あのハシャギ用からしても、何をかいわんや。
それほど、勝負の世界は厳しい戦場。実力からして、この勢いで横綱に
なっても、直ぐに、引退が待っている。なら、この結果は、最良ということ。

・・・・・・
4761,ぼんやり時間をしてますか?
2014年03月28日(金)
         ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
   * ぼんやり時間
 これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が
少なかったこと。当時、心配したのが、心の空白からくるウツ症である。
それも初老性ウツを、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にする
ことを第一にすること。そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、
スポーツジム通いで運動をすること。そして、ブログ作成、ネット・サーフィン、
TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、まずは
3年間を乗越えることにし、合間に、寝室、書斎で空白を置くことにした。 
 それが私の「ぼんやり時間」。 〜その箇所から〜
《「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。
 単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識
しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」〜串田孫一より
  一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。
スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄に
しているようでそわそわしませんか。白紙の部分は無益な時間ではなく、自由
な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。
 箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェで
コーヒーを味わう。風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。公園の
ベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。仕事の合間にふと手を止めて、
雨の音に耳を澄ます。そんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》
▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間
 に余白時間を入れてきた。それが瞑想だったり、独りボ〜と物思いにふける
時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、ボ〜と
する時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、
ぼんやりベンチにいる人を見かける。散歩の休憩か、ぼんやりが目的なのか? 
「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。
今日にでも図書館で探してみるが、面白そう 欧州では夏場など、避暑地で、
何をするでなく浜辺で無為の時間を過ごすのが最高のレジャー。
生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間と
すると、早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが
私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇!

・・・・・・
5126,閑話小題 ー 大塚家具の顛末
2015年03月28日(土)
   * 大塚家具の顛末
 父娘の経営権をめぐっての争い、娘側が勝ったが、当然の成り行き。
百貨店的経営モデルか、専門量販大店モデルか、の経営方針の違いによる
仲違いに親子の情実が絡んだようだが、情報化社会は父親の経営モデルを
良しとしない。リア王に、何か重なって見えるのは私だけではないだろう。
専門大店への切替となると、会長・子飼いの社員の大部分がヘドロとして、
処分されるが、これを良しとしない彼らが会長と組んで生残りを図ったとも
考えられる。しかし出資者からみたら、娘サイドを支持するのは当然のこと。
この結果、アメリカのファンドが大儲けをしたというが。それにしても、
会長の老醜、見苦しい! 老兵は黙って去るべし。それは、このブログにも
いえる事。ただ沈黙を守っていれば良いものを、恥かしげもなく、ったく!
   * 旅客機乗の道連れ自殺
 ドイツのエアバス機墜落で、検察当局は、《同機を故意に墜落させた
副操縦士の自宅で押収した書類に「勤務不可能」とする内容が見つかった》
と報じた。数年前に、燃えつき症候群の傾向があったというが・・ 
これで、当分、機長と副機長、トイレに気楽に行けなくなった?
これは道連れ自殺というより、149人を巻きこんだ虐殺? 消息不明の
マレーシア航空でも意図的な事故であることを示す証拠があり、このような
事故はここ1年5カ月で3件となり、死者は416人に上る、という。
これだけは、実際のところ防止は無理。当初、このニュースを聞いた時、
<テロリストによる操縦士の家族を人質にとったテロの強要の可能性がある>
とみたが、乗員にも同じ宗教の人も混じっているため、それは無いか。

・・・・・・
4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
2013年03月28日(木)
           「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
  * 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
 村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ
本ではベスト。「現在、宇宙論はコペルニクス以来の大転換期にある」と素人
に分かり易く書いてあった。「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が
存在している」というから、驚きである。この「宇宙は何でできているのか」
は、その10ヶ月前に発行されたもの。比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・  
  =まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。で残り96%は
何なのか?物質を作る最小単位の粒子である素粒子。誕生直後の宇宙は、素粒子
が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。だから、
素粒子の種類や素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、
逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、
「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、
限りなく小さくて大きな物語。≫  ーキーポイントの部分の抜粋ー
【この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が
 関係あるのか? 最も大きいのが137億光年の宇宙で、最も小さいのが素粒子・・  
たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって1〜2m程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十mの高さ。東京タワーは333m、
建設中の東京スカイツリーは634mにです。それぞれおよそ「3×、10の二乗m」
「6×、10の二乗m」。高い富士山(3776m)、「10の三乗」という桁数。
では、富士山が載っている地球の直径は約1万2千キロmですから、メートルに
直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。その地球が太陽のまわりを公転
する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗m)のオーダー。
でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は
「天の川銀河」の片隅にありますが、この銀河は地球の軌道の約10億倍の大きさ
(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの銀河系と一緒に「銀河団」を形成して
おり、その銀河団は天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。
もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。それらを
すべてひっくるめたのが、宇宙です。そして、私たちがいま実際に観測できる
宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに1万倍(10の27乗)。こうなると
「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので
「10のX乗」という表現が必要になります。これがまさに、いわゆる
「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と
 極少合わせ10の62乗の世界。しかし、この他に宇宙が10の500乗もある
可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、宇宙観が変わってしまう。。
他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって暗黒エネルギー
を供給しているという。これを読むと、人生、社会、人間がつくり上げた神、
正義、愛、価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。
それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。少なくとも、何時の間に
刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 −つづく
・・・・・・
4020, 事業生活39年の、独り語り ー6
2012年03月28日(水)
 初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。
そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、
 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの
問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 この時、つくづく
時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして
商売を当て、ビルそのものを活性化しなければならない。父親の死の問題も
あって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的
にみて商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗
展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら客を確実に呼び寄せると直感。 
そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。その1ヶ月後の結婚と、
慌しい日々が続いていった。連日、朝の7時から23時までの激務である。
≪ ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、
自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。千葉の新興住宅地
(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という
人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、地獄のような
日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの
激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間
プラス2〜3時間、という立場が、‘24時間(休んでいても仕事のうち)
仕事’という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗する
のは前者より脱皮できない為である。大手ス−パ−の創業期に入社、異常に
近い厳しい世界に3年近くいたが・・ その厳しさが全く違う。はじめの
数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提が
あった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち
向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が
自然についてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”
を飲ませているのだ。それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさ
をそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件
が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で(他人にはわからないよう)
震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ
腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、お客に怒鳴る変わりに
従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。
フランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであった。標準化、単純化、
マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、
このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 
 創業は辛い!  1973.11.07〜   ≫
▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の
 出だしに経験することになった。現在からみると、良い経験だが、実際に窮地
に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギー
を集中していると、思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。
・・・・・・
3290, 地震 ーつれづれに  ー13
2011年03月28日(日)
  * メルトダウンが始った?
2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。
メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる可能性があるのか?
急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、
どうなるのだろう? 大使館が大阪や京都に移動したり、外国人が大挙して
帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は
日本人の茹で蛙だけか! 
  * 関東大震災
 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真只中に日本はいる。
この津波により破壊された原発事故も、現在も予断を許さない事態。最悪の
シナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」
レベルだが、これが「東北・関東壊滅」だけでなく「日本壊滅」もありえる。
実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。千年に一度の国家
的危機の大震災に発展するのか。  ところで百年来の大震災といえば、まず
思い浮かぶのが関東大震災である。
  ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー
【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、
 神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9、
海溝型の大地震(関東地震)による災害。死者・行方不明者14万2800人 
地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。
それが大惨事につながった。】
死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時
「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、数千人の朝鮮人が
殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災
が人的被害を大きくした。この東北関東大地震は人口密度の低い東北という
こともあり死者は関東大震災に比べれば少ない。しかし大津波と原発事故で
本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。   

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