堀井On-Line



5490,閑話小題 〜移民で行き詰る欧州

2016年03月27日(日)

 ベルギーのテロ。もっと大きな規模だったのでは? と報じられている。
パリの二つのテロと、このテロが一連のテロとして繋がっているが、何処で、
何が起こっても不思議でない様相になっている。 自殺願望の人が、どうせ
死ぬならと、勝手にISに入ったふりをして、テロを起こす可能性もある。
 何か世界的に、いやな空気が覆ってきている。IS支配地区では、世界中の
国が、彼らを殲滅しようと、彼らからすれば、虐殺がおこなわれている。
 昨日借りてきた月刊誌の『新潮45〜1月号』の特集、
〜イスラム系移民で行き詰る欧州〜 が、ずばり問題の核心をついている。  
   ーその一部を抜粋ー
≪ ドイツ政府が難民・移民の受入れに前向きだったのは、人口減社会への
対策という将来的な計算もあった。それは人口減に悩む日本にとっても他人事
ではない。だが、西欧のイスラム教徒を取材した経験から言って、私には移民
や難民を単に「労働力」と見るのは、もはや無意味であるように思われる。
イスラム教徒を西欧キリスト教社会にうまく融合できない限り、彼らは社会の
異分子であり続けるからだ。 現在、EU人口五億人のうちイスラム人口は
約二千万人を占める。同時テロ事件があったフランスはもちろん、ドイツ、
英国でもイスラム教徒は別世界を構成し、容易に白人社会に融合しない。
人道上の観点から、移民受け入れに熱心な北欧諸国では、ソマリア人たちが
都市部にゲットーを作ってしまった。今の欧州には、イスラム教徒を巧みに
取り込んでいる「モデル」は存在しない。
 それどころか、イスラム教徒たちには、経済格差に加えて、白人社会の目に
見えない「壁」が厳然と立ちはだかる。知人の三十代の男性アラブ系フランス
人は、「求人広告を見て電話すると、名前を告げた途端に、だめですね。
『もう決まってしまった』と言われますよ。時には名乗る前に拒絶される。
声の様子で移民出身だと分かるから」と言う。表には出ない就職差別だ。
 アバウドが逃げ込んだパリ郊外のサンドニは失業率が公式統計で18%、
貧困率が27%で、それぞれ全国平均の約二倍だ。ベルギーも事情は同じ。
モロッコやアルジェリア、チュニジアのマグレブ三国からの移民やその
子孫の就労率は44%で、全国平均の76%を大きく下回る。こうした環境で、
イスラム教徒の若者は疎外感を募らせる。イスラム過激派対策に詳しい
フランス人の危機管理コンサルタントに
・「彼らはなぜ過激思想に走るのか」と聞いた時、彼の答えは明快だった。、
・「心に穴が開いているからです。ぽっかりとね」。ローランはシリアや
イラクに何度も渡航し、過激派に走る若者と接触してきた。さらに、
・「欧州経済はお先真っ暗で、若者は将来を描くことができない。自由だけを
与えられ、彼らは何をしていいか分からない。コーランは何をすべきか、何が
禁じられているかを明確に示してくれる。イスラム教を理解していなくても、
過激派仲間と一緒に戦反意識を分かち合うことに生きがいを感じるのです」。
 欧州に到来した百万人以上の難民は、相当長期にわたって難民キャンプ
で暮らさなければならない。難民申請が認められた後も、以前より敵対的な
キリスト教社会に溶け込むという障害が待ち受けている。彼らが、現在の
イスラム教移民社会よりもうまく融合できるという保証は、今のところ
どこにもない。〜 ≫
▼ 5億の人口に2千万人のイスラム難民とすると、日本に 五百万人の
 イスラム難民が存在することになる。考えただけでも、いや日本では、
考えられないことである。 中国人が観光ビザで入国して、そのまま滞在
している人が案外、多いのでは?いつの間にか、実は数十万も? は、
ないと思うがどうだろう? 砂漠の民用につくられたイスラム教徒が、
女・子供・奴隷などの弱者用につくられたキリスト教圏の欧州に、馴染める
わけがない。だから、目立たないように、生活圏を分けている。そこに、
当然、摩擦が起こり、その鬱憤が見えない戦争、テロになっていく。

・・・・・・
5125,洞窟の壁画 
2015年03月27日(金)
  * フランス、ラスコー洞窟の洞窟画
 8年前に購入した写真集、『世界のスピリチュアル・スポット』を
見ていたところ、「ラスコーの洞窟画」があった。以下は、そこに
書かれている説明文である。そこで、ネット検索をしたが、その規模の
大きさと、絵画の躍動感に改めて驚いた。面白半分の落書程度と思って
いたが、現代の画家も驚くほど、高度の技術を持った本格的な壁画・・
≪1940年、フランスのドルドーニュ県で、ヴェゼル渓谷の土手を探索して
いた4人の少年が迷子の犬を探していたときに木の下に穴があるのを見つけた。
そしてそれがきっかけとなり、地元の住人すら存在を知らなかった洞窟が
発見された。洞窟の中には約17.000年前、数世代にわたって創作された、馬、
野牛、鹿などの彩画、線刻画が保存されていた。はるか昔に衰退してしまった
文明で、ある特定の物事がなぜ行われたかを正確に知るのは困難である。
 だが、この洞窟が気軽な落書きの場でなかったことは明らかだった。
科学者で探検者でもあり、「先史学の父」と呼ばれたブルイユ神父は、道具や
ランプは散乱しているものの、人間が住んだ形跡がないことを指摘した。
この洞窟は何か特別な目的、おそらくは神聖な目的に限って使用された場所に
違いなかった。惰報が十分でないがゆえに、こうした場所がどういうかたちで
神聖だったのかについては、さまざまに議論を呼ぶものである。文書のかたち
でも口承ででも歴史が残されていないため、それぞれの主張を裏づけるものが
ないからだ。これらの壁画は狩猟の成果を表現したものと主張する説があれば、
猟の成功を祈願する共感呪術か、大地の「子宮」の内部で豊穣を願うシャー・
マンの儀式だったという主張もある。芸術的な内容から見るなら、壁画を描いた
人々の技術はそうした文脈を表現する上で大いに貢献した。彼らは洞窟内部の
凹凸を最大限に利用して多くの動物に立体感を与えることに成功し、なかには
高い天井を駆ける動物すらいた。画家たちの観察は正確である。彼らは対象を
熱知し、動きやカ、速さを表現することに多大な努力を払った。壁画は、
それを描いた人々にとって、単に目を楽しませるもの以上の重大な意味が
あった。これは、日常とは異なったレベルの意識領域に属す絵なのである。≫
▼「地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などが幾つ
 かあって、洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿 ・人間
・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印してあった」という。
それも、数世紀にわたり描かれたというから、呪術のひとつだったのだろう。
最古の洞窟壁画は、20年前に発見されたショーヴェ洞窟絵で3万2千年前のもの。
古代人の魂そのもの。世界は広く深いわりには、現代人は、あまりに底が浅い! 
・・・・・・
4760,そんなに長生きしたいですか ー8
2014年03月27日(木)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 死に時を忘れた日本人が多過ぎる!
ここでは「ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢がある」
ことを提案している。
寝たきり時間が、男性6・1歳、女性7・6歳もある。問題は、不自然な形で、
生かしておくこと。それなら、ある年齢になったら病院に行かないこと。 
                   ーその辺からー
《 病院へ行かないことの利点として、
 ・第一に、濃厚医療による不自然な死を避けられること。
 ・第二に、つらい検査や治療を受けなくてすむこと。
 ・第三に、よけいな病気を見つけられる心配がないこと。
 ・第四に、時間が無駄にならない。第五に、お金が無駄にならない。
 ・そして最後に、精神的な負担が減るということを挙げられる。
誰もが死ぬことと、苦痛に対して恐怖を覚え、自然の寿命を受け入れられない。
多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い、
そちらの方が死よりも苦しい余生になる。》
 ナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』引用の
「タオス・ペブロの古老の言葉」(ネイティブ・アメリカンの詩)がよい!
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
▼「自然体で、死時がきたら、受け入れなさい。介護9〜14年、寝たきり
 6〜7年半で長生きするより、病気を受け入れ、放って、早そう死んだ方が
良い!」というのも道理で、老人ホーム医の言葉だから重く響いてくる。
「ある年齢」とは、各自違うのだろうが、還暦から古希の間だろう。私は医者
に一切行かなくなったのが4年前の64歳。私の死に時を75歳にしているが、
どうだろう? 今の酒量では無理? もう充分生きた気がする。
 最近、ー私は、生きていることが好きなんだ!ーの言葉が、心に焼き付いた。 
今の私の心境である。生きてきて、実感で、良いこと二つに嫌なこと一つ
だったが、歳をとるにつれ、その比率が近づいて現在は半々。
これからは逆転し、最後は嫌なことが多くなるのだろう。 
それでも「生きることが好き!」と、思いたいもの。
・・・・・・
4393,閑話小題 −つれづれに
2013年03月27日(水)
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど
散歩する姿はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さ
を凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったこと
になるが、自転車はボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電
で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、
持つかどうか。あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走った
ことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの
脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根
をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。
これで春の訪れを知るとは・・・
 * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。アフリカ大陸に
グーグルアースの地球儀を回転すると、画面の下に各地のツアーガイドの写真が
10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。
YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすく
なった。 また以前より写真とHPなどの貼り付けが多くなっていた。スマート
フォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。
改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。
マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾンなどが世界に与えた変化は、
あまりにも大きい。
 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。
こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。ところが一昨日、
一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断され
コルセットを付けて帰ってきた。私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。
しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。
時間が解決するのを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは
酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は重い腰痛はない。
スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、
季節の変わり目は鈍痛になる。50,60歳代の4割は腰痛に悩まされる
というが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 
・・・・・・・
4019, シングルイン、31年間の総括 ー2
2012年03月27日(火)
 ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めて
しまうと、30年は維持しなければならない。その間に経営環境は激しく変化
するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。立ち上げは
華々しく面白いが、その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、
やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、「ビルは
長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。
具体的には、骨組みを太くして、可能な限り柱を入れないこと。構造上、
難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の
「ビルは、神からのさずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」
が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化
するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。だから、
売りに出すと即売になって当然である。買い手の全部が、ホテルか建設関係者。 
それが分かるのだろう。この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚は
一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。また初期投資二億全てを
失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、
平然としていられるのは、その覚悟の上で始めたため。妻子を会社に入れ、
連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さない
ため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、その家族にも多大な
迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を
言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。この人たちは明日から失業者。 
その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。取引先に支払う分、最後まで
残って残務整理をしてくれた社員に回すべきだったのか?これで良かったのか? 
自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・ 倒産の虐めの一つに、計画
倒産疑惑の流布がある。銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 
私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。  
・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 
で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。で、何だったのか? 
常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。
ここで何年に一度、書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が
培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない
存在になっている。常に変わったことや、面白いことに出合うと、その場で
自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。
「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、現象に隠された本質を、
あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッと
したところもある。この随想日記を休むことも考えている。一度休むと、
再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 
何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり自由を獲得している部分がある。 
それにしても、10年も続いたものと自分自身が驚いている。
「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 
それを分かっていても、偉そうなことを書くことで、自分を開放をする
面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は
少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある膨大の世界を僅か
ながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 
節目の時であることは間違いない。 


5489,人生で最も大切な技術 ー34 瞑想の実践 

2016年03月26日(土)

      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー①
 スポーツジムのヨガに参加して、まる4年になる。ヨガは瞑想に合間にする、
足腰の鍛錬や呼吸法で、その目的は瞑想。当初の二年間は週2回、後半の2年間
は週4回、所要時間は45分。その最後の5分の「死者のポーズ」。大の字になり、
全身の力を抜いて、宇宙と一体化したイメージで横たわる。
 自宅で横になった半睡眠の状態との違いは、瞑想は、それらの一環で、
集団の一人として参加すること。夜半寝ている時に、この状況を頭に描くと、
似た感覚に簡単になれる。 ヨガは、生気を溢れさせてくれる。 
≪ * 瞑想を始めてみよう!
 自分を取り巻く環境がどうであれ、生気溢れた状態にさせる可能性は誰の
心の中にも必ず存在する。それは、愛情豊かな親切心、思いやり、心の平安
を体得する可能性のことで、あらゆる人の心に秘められたものである。
天然に転がる金塊と同じで、掘り当てられ、磨かれ、現実のものにされない
限り、価値が高まらない。こうした可能性を引き出し、強化育成することに
より、精神的な健全状態が一段と定着化するだろう。可能性を放りっぱなしに
していても強まることは期待できない。それは一種の技術とし習得しなければ
ならない。手始めとして、自分の心に習熟することから始めること。それこそ
が瞑想修行の第一歩なのである。まず、バランスのとれた無理のない姿勢で
静かに座ろう。座布団の上で足を交差させた蓮華座が無理なら、椅子に座って
も構わない。どちらの場合も、常に緊張のない程度に自然に背筋を伸ばした
姿勢をとることが大切である。手は膝または腿の上に置き、目は自然に前方に
置き、呼吸は自然にまかせる。心の中に、思考が浮かんでは消えるのを見つめ
ていよう。最初は、思考が消えるどころか、滝のように心の中に乱入してくる
かもしれない。その場合は、思考を停止させたり、逆に、焚きつけたりせずに、
浮かんでは消えていく様子をただ眺めているだけでいい。作業の終わりには、
次第に静寂になった心によってもたらされる温かみと喜びをしばらく味おう。≫
▼ 学生時代に座禅を知り、野狐禅としても、静かに座り、心の底から湧出る
 雑念を見つめる、もう一人の自分の影を見ていた。それが魂なのか、自分を
見つめる第二、第三の自分なのか? それは、誰も持っているはずだが・・ 
フッと思いたち、般若心経を呟いて没我の状態を瞑想と、どこが違うのか?

・・・・・・
5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
  * つれづれに 〜ボンヤリしながら
「はてな」のブログのアクセスが3月3日から、何故か5倍の1500に
増加した。不自然なので一時的と思っていたが、なかなか減らない。ところが、
数日前の連休から、以前の300前後に戻ってしまった。突然、増えた理由も、
減った理由も分からない。300でも多いと思っていたが、1500になった、
アクセスが20日近く減少しないので少し自信を持ちかけていたが・・
 内容からしたら、300でも、出来過ぎだが。14年近く、毎日2〜3時間
かけて、一日一文を書いてきたが、気がつけば、5000以上。自分のデータ
ベースを公開し、自己コントロールするため、どうしても、他者の目線を意識
をしてしまうが、こうともしないと5千日も続けられなかったことも確か!
 ところで、一昨日の早朝、一時間ほど早く起きて机に向かったため、ブログ
のアップも、一時間早く終わった。そこで、意識的にボンヤリとしてみた。
目の前の書棚の本や、図書館で借りてきた本を次々と流し読みをしたりしたが、
この何をするでもない時間が良い。午前中のネットサーフィンでも、この間
(ま)でするが・・  
  * オープン戦の原・巨人が変? 
 明日からプロ野球の開幕だが、パ・リーグは、ソフトバンクとオリックス。
セ・リーグは広島と巨人の前評判がよい。しかし、どうも巨人の原監督の
監督としての賞味期間が切れているのは確か。巨人というブランドの監督の
消耗度はただ事ではないはず。もう無理である。新監督は、江川か、桑田辺り
がベストと考えられるが、どうだろう! それにしても、あの戦力、他チーム
を圧倒している。それを賞味期限を終えた監督で勝てないゲームを観るのも、
味わいがあることも確か。三年期限で、江川監督、桑田ヘッドコーチにし、
その後、江川が退くシナリオ。何故か、誰も言わないのは何故だろう!
原に実績があるため? 
・・・・・・
4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
              ーひと言でいいのですー吉川直美編
  * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験
する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。 
 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から
生じてくる  ーその辺りから!ー
《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の
 あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し
合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした
人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。 
ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも
愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに
心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に
命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、
寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り
戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の
痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、
 最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、
そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の
先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった
現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、
そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま
生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀
に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で
洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした! 
自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも
人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!  
・・・・・・
4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
  * 待つことをめぐる考察 ー時間編  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば
「待つこと」で大半は占められている。列車を待つ、車内で目的地に着くのを
待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち
合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチでネットサーフィンやゲームを
していればば、別に喫茶店でなくてもよい。それは待つ喜びも失われたこと。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。
現在、そんな気持ちになることなど殆どない。主体的な待つのは良いが、
相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代はムダな時間を排除するのが
求められる。そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなり
つつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。そして定年や人員
カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られ
がちになる。それに苛立ちと焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した
発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨が
きて、試験があり、やっと夏休み、・・と長い日課が延々と続いた。それが、
今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されて
ないのに、思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために
生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。そこではマイナスの
フラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで
割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の
書き上げとアップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。
8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、帯グラフに従って一日を
こなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、
マシーンが介在する。どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人に
とって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、iPod、
パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及を
始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の
前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと
私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。それが本来の姿ではなかろうか。
生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つ
ことも大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。
「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、
   閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が10億だったので返済額20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、
   勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな
   右下がり、2001年の9・11テロから4年かけて売り上げが
   三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック
   以来、二年半で半減。11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 
   東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。破綻の直接原因は
   9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 
   東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、
   ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%
   の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)役員は、役員就任時に一度、
   退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 
   それも、半年後に売却。( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れる
   と思ってなく、慌てていた」。自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけた
   ビルは、売り出すと同時に即売。設計の中に売却前提で計画してあるため。
▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。三つの経済・自然災害
 が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、借金をしてする事業ではない。
そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネス
のあり方が変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになった。 
結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
・・・・・・
3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、
現れ出てきている。御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立って
いる民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、現在流されて
いる事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。東北は壊滅
状態とは間違っても記事に出来ない。毎日、枝野官房長官の発するコメントは
建前の上っ面の情報でしかない。外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて
否定することしか、パニックを抑えるしかない。現状の進展を一般には小出し
にするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間
にか数千倍になっている。しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、
そのギャップがみえてくる。 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に
向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを
聞きながら案内したという。その内容とは、「自宅が30キロ以内にあり、
家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に
近い比較的良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全
というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。
大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で暮らしているとか。30キロ
以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視
できなかったという。駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多く
みられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。この事態で、
経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の
取り消しと首切り、そして倒産が大幅に増加することになる。身が凍る思い
である。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。


5488、閑話小題 〜人間の尊厳とは

2016年03月25日(金)

   * 「人生の意味」の、コペルニクス的転回
  〜主語を入れ替えるか、逆照射をするか
 カントは、認識について、「対象が意識を規定するのではなく、意識が
 対象を規定する」と、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に
従う」と、コペルニクス的転換を示した。かってテーマとして取上げたが、
フランクルは、アウシュビッツで、『私が人生の意味を問う』のではなくて、
『私自身が人生から問われたものとして体験される』と、転換してみせた。
この逆照射の視点から、人間の尊厳の問題が提示される。
『生きるとは、人間としての尊厳を大事にすること』と。
・『幸福とは、上手くいったからなるのではなく、幸福だから上手くいく』
という、幸福論がある。学生時代に、ある2つのグループに属したことが
あったが、上記の通りである。彼らは、明るく、物事に動じず、教養があり、
気楽で、積極果敢の要素を多く持っていた。
  〜フランクの哲学をネット検索〜
≪ 「 私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」
 そう言って生きることをやめようとした囚人に、フランクルは説く。
「他人によって取り替えることができないこと、かけがえのないあなたを
待っている仕事、待っている愛する人がいる。人生はあなたからあるものを
期待している」と。 フランクルたち囚人は、そのすざましい生活において、
生きるための「なぜ」を常に問わなければならなかった。そして、生活目的
を意識する。 目的が無くなったととたん存在の意味も消えてしまいます。
拠り所が無くなった人は死んでしまうのです。
 そして、生きのびるために、人生の意味をひっくり返した。
『人生から何をわれわれは期待できるか』が、問題ではなくて、
『人生が何をわれわれから期待しているか』が、問題なのだと。
『私が人生の意味を問う』のではなくて、『私自身が人生から問われたもの』
として体験される。人生は、私に毎日毎時問いを提出し、私はその問いに、
詮索や口先だけでなくて、正しい行為によって応答しなければならない。
「われわれ」「私」と「人生」を入れ替えることで、まったく違う世界を
出現させたのです。≫  ー別の検索結果はー
≪「生きる意味」は強制収容所の中でのみ必要だったのではなく、強制収容所
 は単なる野蛮な装置ではなく、凝縮された異形の近現代でもあった。
人生の無意味さに悩み、人生の意味に憔悴する「時代の精神病理」は、
これから近現代が極まろうとしている21世紀において、ますます世界を覆って
いるのではないか。これは、飽食と並ぶ先進国病理ではなく、近現代の成り
ゆく果ての病理としてとらえるべきではないかと。「ぜいたく病」ではなく
必然の摩擦ではないのかと。
「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味が
あるはず。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも
生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という
存在ははじめて完全なものになるのだ。」 池田香代子訳『夜と霧』より≫
▼ フランクルの強制収容所の経験の後で書くこと自体が、そぐわないが、
 私自身にも、かって心の変化があった。どん底の時節に、沸いて出た言葉が、
『この最悪の状況は、私にとっての最高の状況ではないか。最悪と思っている
現在こそが、事業に耐える力を培っている。何を勘違いしているのだろう』
 という心の大転換だった。5年前の会社整理の時に思ったことは、
『この結果に意味(価値)がある。事業の準備から、創業、会社清算の一連
を含めた45年間の一括りを、「学び、遊び、働き」のきり口で物語化して捉え、
自分で納得できれば、それで充分。他者の視線、批判に惑わされることはない』
である。で、直後に、シリーズのテーマとして、ここで書いていた。 
 残ったのは充実感だけだが、それで十分。 ・・として思うしかない!
で、これも丁度良く、以下に続いていく。

 ・・・・・・
2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
「人間にとって、その人生は作品である」これは司馬遼太郎の言葉である。 
「人間には志がある。その志の味が、人間の味である」という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品という
ことが理解できる。そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 
死んだ時に完成するが、その時は自分にとって関係ないことになるから絶妙。
哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 
本人の意志に従う物語。従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄
合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者
の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると顔から火が出ること度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの
内容が物語を決めることになる。だから、問題に対して嘆いてはならない。
(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 
 (以下、字数制限のためカット 2015年3月25日)

・・・・・・
5123,「魂」の思想史 ー③
2015年03月25日(水)
     〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
   * ソクラテスを魅惑する魂
 ソクラテスといえば、「魂の鍛錬」「対話術」「無知の知」がキーワード。
魂とは「神的でダイモン的な何か」として、その鍛錬を説く。〜その辺りから〜
≪(p17) ソクラテス自身に最も人知の限界を意識させたのは、ほかならぬ
 彼の内部から立ち上がってくる声。いくら知ろうと思っても認識できない。
声といっても、明確に言葉を発するわけでなく、いつ心のなかに発生するかも
分からない正体不明の存在です。自分のなかに棲む謎の他者。分からないまま
現れて自分を翻弄する何ものか。この声は自分を毒したと正義のソクラテスは
強弁していますが、はたしてそうだったのでしょうか。
 この声が国事への公的参加をソクラテスに拒ませたのはたしかに正しかった
と思われます。しかし彼が公的な場にいようと、私的な活動の場にいようと、
あの「神的でダイモン的な何か」は曖昧な動きを呈します。しっかり動かない
既存の制度、慣習、信仰とは反りのあわない暖昧な動きです。そして彼の意識
の底で果ての知れない広がりを呈しています。大きな魂と呼んでもいいでしょう。
彼の「無知の知」の教説、彼の正義、心、そして自分自身のものと彼が考えて
いた魂は、この大きな魂と表裏一体になっていて、しかもその底から、大きな
魂を定かには見えないかたちで溢れ出るにまかせていたと思えてくるのです。
そのことは、はたしてソクラテスにとってよいことだったのでしょうか。
無知を人に悟らせるのは間違ったことではありません。立派な正義です。
しかしソクラテスの言動は正論であると同時に正論を超える何かを放っていた。
彼を死なせるほどにです。公開裁判で、彼は、五百一人の民衆裁判官に対し、
まるで自分を有罪へ、そして死刑へ、煽り立てるように挑発的正論をぶった。≫
▼ ネット検索に(ソクラテス ダイモン)と入力すると、
 <ソクラテスは、自然に際して合理的思考を、対話・議論には論理性を重視
するが、その一方で内面にダイモンという神霊の声を聞いて茫然自失の態に陥る
ことが多かったと言われます。ダイモンは『善なる神霊あるいは悪なる神霊』
とされますが、その実態は詳らかではなく、ソクラテスの意識に突如飛来する
神秘的現象であり、ソクラテス自身には『内なる道徳律を示す声』のような
認識が為されていたようで、自らが道徳律に反する悪しき行為を為そうとする
時に『それを為すべからず』といった形でダイモンの合図がやってきた。
現代の脳神経科学的な見地からは、てんかん発作に近い意識消失を起こしたと
されます。しかし、ソクラテスの脳内現象とダイモンの出現を結びつけて、
神霊としてのダイモンは幻影に過ぎないと科学的判断で切り捨ては出来ますが、
心的リアリティとして『内面的な良心や倫理観の象徴としての神霊』は実在した
こともまた事実です。> とある。彼は、一切の著書を残さず、その言説は、
弟子のプラトンによるもの。欧州の発生の地で、2千5百年前のギリシャで、
こういう議論が戦われていたとは、驚きである!それにつけても私の脳は・・
 ー思いまどうことはない、人生は無意味なのだ ーサマーセット・モーム
・・・・・・
4758,閑話小題 ー冒険家の憂鬱
2014年03月25日(火)
 ーベスト・エッセイ2012ー探検家の憂鬱 角幡唯介
  * 35歳の冒険家の憂鬱 
 ある随想集で見つけた少し哀しい話題。友人に晩婚の人が何人かいたが、
35歳ぎりぎりで結婚をした。モテ過ぎの人は、女性が逆に敬遠するようだ。
以前、女性の適齢期をクリスマスケーキに例えた時期があった。
22、23をピークに、24、25と日毎に価値が下がっていく。現在は違うが、女性の
職場には、23歳停年制の暗黙の戒律があった。若くて綺麗な娘が毎年、入社して
人気が日毎、凋落するのに耐えられない。そこで、早めに本命を掴んでおいて、
あとは少しでも良いのを探す! が、最後は、この程度と諦めて結婚していく。
著者は、35歳男の婚活についての本音だから、納得させられる!ーまずは、抜粋ー
《 婚活女からみた人間の価値判断の基準は意外と単純なところにあり、男で
 いうと34歳と35歳の間に引かれるラインが、それにあたるのではないか。
つまり女性陣の多くは私の年齢を聞いた瞬間、頭の中で四捨五入して、35歳は
40歳側の人間ーおっさんーという仮借なきカテゴライズをしているような気が
するのだ。さらに悪いことに私は探検家という日本で数人しかいない珍しい
肩書を名乗っている。名刺的には「ノンフィクション作家・探検家」としている
のだが、ノンフィクション作家などという普通の肩書は探検家を前にすると、
アマゾン州にそそぐタパジョス川みたいなもので、ほぼ存在しないに等しい。
そのことを証明するように、私はこれまで何度も、どんな文章を書いているん
ですかと質問されたことがない。聞かれるのは、どんなところに行ってるんです
か、そこで何をするんですか、何のためにそんなことするんですか、マゾか
サドかといえばマゾですか、といった質問ばかりなのだ。 ・・ 酒も入って
気持ちよくなってくると、ついついキャバクラにいるような気分になってきて、
あることないことをペラペラしゃべってしまう。やれ雪崩に三回埋まって死に
そうな目に遭ったとか、チベットで滑落して九死に一生を得たとかの話を
お酒の力を借りて講談調で話すのだ。面白いことに、そういう話をすると女性
の目は必ず変わる。もはや場の主役に躍り出たような気分になっている私は、
その目の色の変化を肯定的に捉え、今、女たちは俺のことを男の中の男だと
思っている、などと有頂天になるが、実際のところ女性陣の目の色が変わった
のは、私を男の中の男だと思い始めたからではなく、対象外と思い始めたから
であることにはその場では決して気がつかない。翌日に次回の約束を取り付け
ようと、お気に入りの女性に意気揚々とメールを出し、数日待っても返事が
来なかった時に初めて気がつく。コンパに来る女性は通常、交際相手を求めて
いるから、四十歳の側に属した探検家を名乗る、安定的な生活基盤がない
どころか生存基盤すら危うい男をつきあう対象と見なすわけがないのだ。
もし年齢と職業がネックになっているという推測が正しいのであれば、長年
憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、いよいよしぼんでいく。》
▼ 私自身の経験では、それが27歳。21歳から26歳までは、終戦直後の生まれ
 のため、同年代の数が極端に少ない上に、数歳下の数が異常に多いため、
在庫からして非常に有利の状況。その割に?だったが、それでも早いうちから
声がかかっていた? しかし、姉4人の最低ラインがあるため、クリアーする
相手は、なかなか見当たらない。要は、さほど持てなかっただけだが、
27歳になると同時に、塩を引くように、声がかからなくなった。ここが潮時と、
思った矢先、紹介されたのが家内である。家内も同じような動機だった? 
だから、著者の悩みが分かるのである。先行きどうなるか分からない事業を
創業をするといっても、何の手掛かりもない。誰も、結婚相手として認めない
当時の私の状況に似ている? 結婚の時節は、それぞれあり、それを逃すと・・  
生涯独身が男3人に1人、女4人に1人の時代が来つつある厳しい時代である。
特に女性は、相手の選択で大きく人生が変わってくるから・・
・・・・・・
4391、大衆は何も考えない
2013年03月25日(月)
    * 劇場版「相棒の映画感想
 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、
物語に捻りと味わいがあって面白い。一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。 
 ーまずは、専用サイトの内容よりー
【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。
 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、捜査一課刑事
・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行
本店システム部の中山雄吾。ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた
疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う
伊丹、不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めて
いく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は行き詰っていく・・。】  
 ー私の主観で要約するとー
≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容が
 ネット上に流され、それを知った暴力団関係のトレーダーが、そのXデーを
知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察
トップが、銀行閉鎖の計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然と
マスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 
キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや
銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。金融庁などの各省官僚と政治家の
打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。
 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。
 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。
 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。
  現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、
アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。
貨幣も国債も信用があってこそ通用する。誰も信用しなくなったら只の紙切れ。
映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクスで
Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから
立て直さなければならないならば。それにしても、あまりに国民は無知と
(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、
「シリアへの攻撃と、イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認が
あった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。
・・・・・・
4017, 事業生活39年の、独り語り ー5
2012年03月25日(日)
 最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞めて、一年間の遊学時に
見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。父は自分の死期を悟り、ビル建設
の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後
に父は亡くなった。千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、
ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだことになる。 
この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・
ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、捨て身でよくやった!もの。
ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。急遽、店舗二店とも
知人の伝手で経営委託をして長岡にUターン。危ない綱渡りである。
人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が湧き出てくる
ことを、この経験から知った。ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟
のホテル開設資金の資本金になった。千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大
に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の
商業地区の売却を目にしたのが始まり。ところで父は、実家の事業に携っている
婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。 そのため亡くなる
数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、
私と、母と、兄と、姉に、4等分の相続を宣言し、名義を変えてしまった。
これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦
を見限っていた。ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が
都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」
という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が社長になっていた。 
私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。それもあり、
私が千城台ビルで、二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった
従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発。 
起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り
心頭だが、私には、想定とおり。 大学を出てからの熾烈な日々が、
「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。
千葉の知人に相談したら丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託
をして実家に戻ることになった。これも丁度良い、節目。しかし朝飯前と思って
いたが、ここも過酷な日々が待っていた。地方名士を自認していた姉夫婦の
後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして帰ってきたという街の冷たい視線と
流布の中で、私にとっては第二の創業。姉夫婦にとって、手際よくUターン
するとは思ってもいなかったようだ。それより我慢を重ねてきた母の激怒が、
全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。


5487,閑話小題 〜人間原理とは

2016年03月24日(木)

   * 人間原理とは何か
 ベルギーのテロが、やはり起こってしまったが、イスラム教は恐ろしい。
というより、イスラム原理主義が恐ろしい。 考えてみれば、アメリカも
キリスト教原理主義国家。旧約聖書によると、この世界が現れたのが7千年前。
それを信じろというのは土台無理。イスラム教徒とキリスト教徒が、アブラハム
のX(エックス)たる神の存在を信じているというから・・ この当り前の
矛盾の指摘を、ただの無神論者として軽く退けられる。そこで、最近よく目に
するのが、『人間原理』たる言葉。この宇宙には、なぜ私たち人間のような
理性的な存在者がいるのか。人間は偶然この世に現れたのか。それとも現れる
べくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのかを神抜きで
論じた原理。 〜そこで検索すると〜
≪ 1. 人間の存在は奇跡である
 人間のような理性的存在者が、それどころか原始的な単細胞生物であっても、
宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張
速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や
銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開し
なかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は
数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。
生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10の−1230乗と試算されている。
宇宙開闢の段階で、生命誕生はもう既に十分偶然的と言えるが、生命が誕生
する条件が整うためには、これ以外にも多くの偶然が重なっている。
プランク定数、光速度、電子と陽子の質量比などが現在の値と異なっていても
生命は存在しなかったはずだ。またこうした基本的な条件がそろっていても、
もし太陽系の適正な惑星数、太陽と地球の間の適当な距離、地球の程よい重力、
大気の温暖効果、太陽風や紫外線のカットなど様々な偶然のうち一つでも
欠いていたら、地球上に人間は誕生していなかっただろう。
  2. 結果から原因を説明する
このように、宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。
この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を
説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟
のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとする
と説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的
説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する
科学者も少なくない。 人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。
・前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素から
できている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった
重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、
そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、
常識の範囲内である。
・強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の
認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の
存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。
 こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者に
とっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的
観念論である。≫
▼ キリスト教圏、いや一神教圏では、その大元がアッラーの神の名の下、
 解決してくれていたが、現代社会では、それでは納得することは出来ない。
で、現れてきたのが、人間原理である。これは、哲学者にとってはおなじみの
超越論的観念論である。だから哲学は面白い。今だに一神教が支配する世界に
アッラーの絶対神をアナザーワンとして論じるのだから面白くない訳がない。
 で、ユダヤ教の現代版の生活共同体の応用の社会主義が現れ出て、壮大の
実験の結果が、以下の結果。狂信的独裁者にとって、これほど都合の良い
システムはない。 が、一般大衆にとって、それは悪魔でしかなかった。
しかし、大衆は考えない羊でしかないことも確か。だから問題は続いていく。

・・・・・・
5122, 社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜3
2015年03月24日(火)
      ―ポル・ポト―ある悪夢の歴史〜フィリップ ショート(著)ー
  * ポル・ポト ―自国民の二割を虐殺した男
 国家権力は絶大だが、空想的社会主義者が持つと、こうなるという事例。
家庭を否定し、産まれると、引き離し、数字を記印し呼んでいた。
虐殺の実行者が、その少年達が担っていたというから恐ろしい。
   〜まずはアマゾンの商品説明より
≪ カンボジアで二十世紀の歴史に汚点を残す大量虐殺がなぜ起きたのか?
 人口700万人のうち150万人が犠牲になった、クメール・ルージュ/カンボジア
共産党首領ポル・ポトの伝記。極度の秘密主義を貫いた彼の生涯は、これまで
闇に包まれていた。しかし本書は、その軌跡を追い、クメール・ルージュ組織、
粛清、権力奪取、大量虐殺、失墜、死までを、綿密な取材とインタビュー、
膨大な資料を駆使して克明に描き出した、「決定版」といえる大著。
 パリ留学から帰国したポル・ポトはクメール・ルージュを組織し、「都市=
ブルジョア思想に毒された場所」「農村=革命の前衛」という図式を掲げて農村
をオルグ、独自の共産主義路線を推し進める。彼は背後に隠れ、血の粛清に
基づく恐怖政治で支配を固め、プノンペン占領を果たす。都市人口の大量移動、
通貨・商業の廃止、家族制度の廃止と共同の食事、強制労働など、極端な空想
社会主義は多大な犠牲者を生むことになる。まさに「悪夢の歴史」だ。
大量虐殺はなぜ起きたのか? 蛮行と悲劇の全貌を暴いた本書は
我々に問いかけるが、それは重く、根深い。≫
▼ ポルポトは空想社会主義を信じ、通貨・商業の廃止、強制労働、家族制度
 の廃止を貫き、反抗する者はすべて拷問・虐殺。国民の4分の1を抹殺した。
両親から引離された子供が、その拷問の執行者。1970年頃から2000年までの
30年の間、カンボジアで起きた権力闘争や虐殺の詳細の多くが書籍で語られ
ているが、その内容たるや、想像を絶している。出世のため、地方の役人が
しでかし、それを見て見ぬふりの毛沢東とは違い、ポルポトは、その具体的
指示を出した確信犯。 ヒトラー、毛沢東、スターリンに匹敵する虐殺が、
10数年前までアジアであった事実は痛ましい。国力の向上には優勝劣敗の弱肉
強食のシステムが必要だが、大多数を占める弱者を如何に守るかが問題になる。
それも文化人を狙いうちにしたのだから、国家として絶望的な所業である。
他にも、中国による、チベット民族120万人の虐殺があるが、何故か世界の
マスコミは誰も語ろうとしない。最後の最後、守ってくれるのは国家だが、
ひとつ権力者の選定を間違うと、こういう事態も有りえるということ!
 で、日本では、世界恐慌へまっしぐらの中、東京オリンピックに向け、
アフォノミクスと、お金を無制限に漆黒の闇に、ばら撒いているのだから!
・・・・・・
4757,閑話小題 ー今場所は、面白かった!
2014年03月24日(月)
  * 今場所は面白かったが
大相撲が再び人気が戻ってきつつあるが、今場所が思わぬ展開で面白い場所。
不調で負け越しの瀬戸際だった琴奨菊が、二人の横綱に勝ったことで、俄然
面白くなった。結果は鶴竜の優勝と、横綱昇進が決まったが、大相撲の醍醐味が
楽しめた。 まだ入門一年の、遠藤が三役力士と互角で闘うのだから、古参力士
のプライドに火がついたこともある。後半まで全勝だった二人の横綱が、
二人の大関に負ける展開は近年、珍しい展開。更に若手に突然、超大物?
二人が現れ出てきた。今場所は、白鵬時代の終わりの始まりの場所。
鶴竜は、その性格の大人しさのため、実力があるにかかわらず、いま一つ
だったが、先々場所の前半に負けこんで、大人しい性格に火がついてしまった。 
これで、モンゴル三横綱の時代が2〜3年は続き、遠藤、豪栄道と、
二人の超大物?の時代に移っていくのだろう。
  * 高校野球も田中の御陰で、面白くなってきた
 田中投手のヤンキースへの破格の契約金で、高校球児に大きな夢を与えた。
「アメリカンドリームを、自分も?」である。まさか田中が、イチロウ以上の
評価の選手になろうとは、驚き! 情報化で誰でも情報が入手可能の時代。
親子鷹で、科学的にノウハウを積み上げれば、異能の投手術を持つ選手に
育成可能である。逆に天才的スポーツ選手は親子鷹でないと難しいのだろう。
そこには当然、科学的な管理がある。冬期オリンピックで活躍した選手は
全て、そうである。あるところまで行くと、国がコーチをつけるのだろうが。
  * 一昨夜半見た夢
 一昨夜半見た夢が、驚き。 あるコンサルタント事務所の一室で、
マネジメント・ゲームの進化した研修を数人がしている。誰かに紹介されて
特別見学をしている自分が、疎外感に陥る。そこで、そのゲームに参加したい
と申し出ると、「ある私立小学校の創業の計画書」と、進化したタブレットPC
を渡される。計画書には、創業参加希望者の名が数名あって、まず、タブレット
で希望者の履歴を調べ、面接をするように、更に、資金計画書の作成も
タブレットでするように申し渡される。それを遂行するには膨大なエネルギー
を要する。しかし、その気力が私には全くないことに気づき、その場で参加を
取りやめる。その隣の部屋には、どこかの新興の社長が、ある事業計画の報告を
自慢げにしている。 ところで、そのタブレットが、面白いのである。
ある居酒屋チェーンの店頭に、タブレット(付属しているカメラ)を向けると、
その情報が自動的に出てくる。(誰が社長で、役員の経歴、財務内容、
コンセプト、店内の様子)が、である。このマシーンを使った事業の創業
ゲームで、ほぼ現実と変わりのないリアルなもの。 何か私の潜在意識の
一部を垣間見た思いである。その担当者の冷たい視線と、あの部屋は、
資本主義社会と私の脳内? あの部屋の中に過っていたのである。
・・・・・・
4390, ブラック・スワン ー3
2013年03月24日(日)
「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
  * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。
大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。今世紀に入って13年だがが、9・11テロ、
リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 
地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。
しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 
人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の
境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識
は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を
除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。1〜2年スパンでは、
イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮
戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、
こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで舞い降りて
きた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」劇場版をみてきた。
《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上
での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。数日前にキプロスで
銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで
書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレを
起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、黒鳥が
一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に
至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・
4016, 事業生活39年の、独り語り ー4
2012年03月24日(土)
 昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、
新たにスーパーが現れてきた。既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が
対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、並ぶ
ようになっていた。実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは
自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの「チェーンストアへの道」下地にした
「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。それもあり、就職先が
「ジャスコ」。その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、
合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、産能大に編入し、
その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」
(後にジャスコに吸収合併された)に一年半、勤務した。フィールドでの、
ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の
二階に居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として
千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、貸家を持った直後だった。 
姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の
四つ角が格安で売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると
新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、「大規模団地
を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 
外れて元々と、申し込みをして、公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と
10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍
になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと いうのでなく、会社名義で
買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。
もちろん会社名義である。その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での
一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」
に二年の条件で入ることになった。その後、そこで私が何か事業を立ち上げる
前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下
に入った直後で、社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、
気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、
内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の惨めな空気が
ドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から
「父が末期ガンで、あと一年!」という知らせが入った。20歳の時に創業
人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 
振り返ってみると、激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。特に、
産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカー
 と派手になってしまうのは、今の「自分」への不満がそれだけ強く、相手を
脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・ 恋愛とは、本来、相手の
幸福を願うことであるから〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること
〉と定義すると、ここでも、�−1お互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、�ー2 お互いが人生に満足できる人間に
なることを望み、手助けすることのふたつの領域があることになる。しかし、
恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが
新鮮になるという脱自が起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。
つまり�こそが、恋愛の本質的な領域だということになる。それはどういうこと
かというと、�の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を共にし、一緒に
旅行・映画に行き、楽しい会話をする… といったモノ・コト(経験)の数々は、
それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種
のサービスを提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで
下さい」と断ったものだった。次に�の領域はというと、これまたふたつあって、
�ー1 は、一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて
回ったりすることに象徴されるように、かなりはっきりとした幸福感のような
ものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く
挙げられることからも分かる。それに対して、�−2の領域の、二人が互いに
高めあうというのは、今は、全く人気がない。というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉
されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、�、�−1、�−2の間で揺れ動く
 ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。この視点で、
色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。
その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。


5486,人生で最も大切な技術 ー33 聞き、考え、瞑想する

2016年03月23日(水)

   『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 聞き、考え、瞑想する
「聞き、考え、瞑想する」の「聞き」を、「読み」に置換えてみると、
この随想日記は、「考え」のプロセスになり、その後、「瞑想」で血肉化する
ことになる。特に、数年前の同月同日のテーマを読返すことは、一度、記憶
から消えていることが多いため、新たな視線が瞑想かわりになる。得た知識、
情報を地頭で考えられるまでには、噛み砕く必要性があり、何度か考え、
かつ、瞑想する役割を果たしてくれる。 
  〜その辺りから〜
≪ どのような分野の見習修行にも共通することだが、精神的な鍛錬に
 おいても、いくつもの段階を経て前進する。最初は師の教えを受け、次に、
その教えを自分のものとして吸収することが必要となる。生まれながらに
知識を備えた子供はいない。そして、体得した知識が、ほとんど開かれる
ことのない美しい装飾本のような無用の長物とならないよう、活用することを
心がけねばならない。教えられた知識の意味を深く考えることも大切である。
 釈迦は弟子たちにこう説いている。「私への尊敬の念だけで、私の教えを
鵜呑みにしてはならない。金の細工師が金を切り、熱し、叩いて調べるように、
私の教えを吟味し、試しなさい」。 師の教えを頭で把握するだけでは不十分。
それは、医者の処方箋を枕元に置きざりにするとか、「治った、治った」と
唱えることが、病気の治癒を意味しないのと同じこと。 学習した知識を、
心を流れる想念に一体化させ、包括的なものとしてまとめる作業が必要。
 こうすることで、頭の中で組み立てられた理論が、具体的な自己変革に
結びつく。これまでにも触れたように、これが瞑想の意味するものである。
 すなわち、これまでとは違う、新しい在り様に慣れ親しむことである。
瞑想を実践することで、親切、忍耐、寛容などのポジティプな特質が自然に
身についてくる。そして瞑想を続けることでは特質は強化されない。
 最初は短時間でもかまわないが、この訓練を規則正しく続けているうちに、
特質が自分のものとして同化し、隅々にまで浸透してゆき、ついには第二の
天性として習慣化するようになる。平常心を体得するための瞑想を続けるのも
いいだろう。それには、例えば、花、感情、アイデア、仏像などの対象を決め、
それに精神集中するという方法も推薦できる。最初は心がぐらつくかもしれ
ないが、訓練するうちに鎮められるようになるだろう。蝶が花から飛び立って
も、またその花に戻るように、精神集中に心を戻せるようになる。
退屈しつつも義務を果たす生徒になる必要はない。
 瞑想の目的は、弾力的で、安定していて、力強く、明晰で、しかも注意を
怠らない心の状態を維持できるようにすることである。瞑想の訓練とは、
勉強を嫌がって駄々をこねる子供を増長させるようなものでなく、心を放置
して台無しにしないで、変革のための有能な道具として鍛え上げることである。
 瞑想の仕上げの段階に到達したら、思考のべールの後ろ側に常に存在する、
純粋な気づきの状態、具体的には、自分が壮大な宇宙に存在するように、
心を完全に解き放った状態にする仕方で、あるいは、心をよぎる思考の本質を
つぶさに見つめる方法で、意識そのものを抽象的で概念的にではなく、直接に
凝視することができるようになる。瞑想方法は多様だが、どれもが内的変革
プロセスの一環という共通の機能を持っている。瞑想は、単に知性が反映
されるものではない。なぜなら瞑想とは、同一の内省的分析、同化の変革努力、
そして同一の熟考であり、それをたゆまず反復する経験である。 ≫ 
▼ 海外旅行での目的地までの列車や、飛行機内で、ひたすら黙想するが、
 これは、一種の瞑想である。行きの機内と列車内は、日常から非日常へ。
帰りは、非日常から日常への心の切替えと、旅行の総括のための沈思黙考
の場。「聞き、考え、瞑想する」ことは、体験を経験にかえるプロセスになる。
ー偶然だが、以下の内容につながる。〜瞑想とは心が魂と一体化した状態。
・・・・・・
5121,「魂」の思想史 ー�
2015年03月23日(月)   
         「魂」の思想史: 近代の異端者とともにー酒井 健(著)
 魂と心について、これまで多くここで取り上げてきた。秘境の大自然で
感じる神秘的感動は、そこに宿る神霊と、自分の魂との邂逅になる。
だから、おい立てられて、行くのである。この邂逅は、心の奥底に蓄積
され熟成され、次の神秘的感動に磁石のように引き付けられていく。
  ーまず、アマゾンのないよう説明よりー
≪ 合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレール
から岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の
声に引き寄せられ、思策と表現を行った。曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。
近代の異端者を通して生の息吹に触れる異色の思想史。≫
▼ 魂の振動といえば、大自然や芸術作品だけでなく、父親との魂との邂逅
 の経験がある。それ以来、10年あまり、変な感覚がとりつかれていたが・・ 
 今では抜けている。 〜以前書いた内容から〜
≪  霊的体験‐  平成4年 7月
20年近く前になるが、父の死後49日まで何度か不思議な体験をした。
死後一週間位か妙な夢をみた。私自身父の気持が乗移り、“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい!”という“念”になった夢である。
夢の“念”は父そのもの。父と一年身で苦しんだ為に“念”が自身に、
実感できた。目覚めた時、父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的体験。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった実感。
これだけは経験した人間ではないとわからない。また死後二〜三日後の夢も
強烈な夢(?)であった。夜半に強烈な恐怖感がおそってきた。その時、
父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と思ってしまった。
と同時に廊下を隔てた仏間より強烈な“引力”が足をひっぱった。
その瞬間ベットにしがみついたが、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりになっていた。まだまだ不思議な
出来事が多くあった… あれ以来、10数年にわたり、幽体離脱とか、
妙な霊的体験などを多く経験した。 最近は少なくなったが・・ ≫
魂とは何かの解釈もあるが、脳には底知れない何かが刻みこまれている。
そこには地球上に生命が誕生して20億年の経験が記憶されているのだから。
・・・・・・
4756,閑話小題 〜スポーツセンターの景色
2014年03月23日(日)
  * ホリデイ・スポーツセンターの景色
 スポーツセンターに通い始めて3年になる。中学、高校の同級生数名が
来ているが、時間帯が違うため、あまり顔を合わせることはない。色いろな
コースがあって、フルコースが8100円(税抜)、デイコース10〜17時が5500円
(税抜)、他にもペアーコース、夜間コースなどがある。私が通っているのが
デイコースで、金曜日定休と、日・祭日が不可である。 閑散の時間帯が
12時から14時で、13時前〜15時前が私の滞在時間である。デイ会員の時間帯は、
30〜60歳代の中高年の女性が過半数以上を占めている。その他は、リタイアー
の初老から、夜勤の仕事の人、夜間高校生、スナックのママさん風の人。
おお方、群れる人と、ソロの人が分かれ、私はソロ。見知らぬ人との何気ない
世間話が私は苦手。そのため学校関係と仕事関係の知人と挨拶をする程度。
ジムで顔見知りの人とは殆ど挨拶も会話をしないで、自分の決めたコースを
消化して、帰ってくる。それでもスポーツクラブの雰囲気が、明るく開放的で
気に入っている。ここのキャッチコピーが『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』 
《身体を動かすことの楽しさ、汗をかく爽快感を求めていて、「楽しく体を
動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」というような、初心者や運動が
苦手な人が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくり》とあり、
そのままが雰囲気として現れ出ていて、私にはベストのシステムである。
早朝から、読書、パソコンなど、独りで、決まった日程を淡々とこなして
いる中、人いきれの中でのエアロなどの共同動作が気持ちを和らげる。 
     ー以下はホリデイHPの紹介文ー
【 従来のスポーツクラブはどちらかと言えばアスリートやスポーツ愛好家を
 ターゲットにしてきたが「当スポーツクラブ」は競技力や技術力の向上を
目指すのではなく、運動本来の「楽しさ」を伝え、運動を通じて「健康」に
なってもらうことを第一に考えています。「ホリデイスポーツクラブ」が
目指しているのは、会社員が会社へ行ったり学生が学校へ通うように、
「ホリデイスポーツクラブ」が人々の日常に溶け込み、継続して毎日楽しく
適度に体を動かしていただくことで多くの人々が健康になっていくことです。
『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』をキャッチコピーに、まずは体を動かすこと
の楽しさ、汗をかくことの爽快感を多くの方に知っていただき、「楽しく体を
動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」と言っていただけるよう、
初心者や運動が苦手な方が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくりに
取り組んでいます。】
 自宅から車で3分のSC内に、月に6千円足らず(20日間として、
一日に3百円)とすると非常に価値がある。
・・・・・
4389, 「うつ」かもしれない ー4
2013年03月23日(土)      
 * 「うつ」による自殺  ー「うつ」かもしれないー 〜磯部潮著
 自殺の八割が精神疾患になっていて、その六割がウツ病。何と自殺者の
半分がウツ病による。自殺は一昨年まで10数年間、3万人を超えているが、
実際は4万と推測される。ということは二万人がウツ病による自殺をして
いる恐ろしい病である。もし原発の被爆で毎日55人が亡くなったとしたら、
外国人の大方は即刻、帰国するはず。それが何故か、ウツ病に対して
騒がない。ガンと同様に初期発見・早期治療をすれば大部分が治るのに、
それには疎い。「ウツ」による自殺を促進する最大の因子は「視野狭窄」。 
絶望感にとりつかれ、「自分は絶対に治らない」「治ったところでどうなる」
という考えにとれわれ、結果として死にたくなる。全ての人に心を閉ざし苦しむ。
前の会社の取引先の営業が高校の後輩もあり懇意にしていた。 ところが、
責任者になって暫くすると重い躁鬱病になった。その過程で、私のところにも
相談に来ていた。「躁鬱は、あくまで病気の一つ、恥ずかしがることはない。               
医者に行って治療すれば回復する。ただし放置したりすると手遅れになる
恐ろしい病」と、再発する都度繰り返し説いていた。そのうちに、会社の
役職を降り、平社員として営業を続けいていたが、最期は癌で亡くなった。
 親戚の人の自死の葬式に参列した時に、誰かが「何で自ら死ななければ
ならないのでしょうね」と囁いたところ、「死ぬほど苦しかったためですよ」
と、誰かが答えたのが印象に残っている。心も治療しないで放置しておけば、
傷口がタダレて苦痛は耐えきれなくなるが、第三者は全く気づかない。
数年前、幼馴染が倒産、離婚、引きこもり、アル中で崩壊していく過程をみた。
最後は娘の住んでいる県外に行ったが、壮絶そのもの。幼児期から、このような
話を聞かされ育てば、万一に備えるのは当然。ウツは、その知識と前向きの心
(言葉)の習慣化が必要である。心は壊れやすく、儚く、繊細。 
だから大事に扱わないと!
・・・・・
4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に
住む人たちは、直下型地震で不安だろう。震度7は、観測以来、神戸震災と
中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の
場合、なすスベがない。引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の
軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。勤務が東京で仕事上、
難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。夜間か土日の直下型地震の
場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、
帰る家が残る。 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の
手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、非常事態の
刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 
決断を少し早めると打撃は半分で済むが、少し遅れると二倍になる経験則を
持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、
あの三月末しかなかった。 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、
奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 
冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで買ってくる「ウドンの素」
を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える
料理の紹介特集をしていた。鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、
生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシ
といえば、昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。
何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。家での隠し味は昆布の
出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 
以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を粒状にしたダシ専門
会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。
色いろなフリカケがスーパーに並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。
春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白い。
 ・・・・・・
3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
  * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。
  そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、
  経営の根幹に関わる問題になっている。物から人へと民主党の政策のため、
  今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、
  当てにしてきた飲食店も大打撃。駅前などの繁華街は閑散としており、
  入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンから電話があったが、
  「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで
  家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテル
  などが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12〜16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、
  その何倍になる。国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。
  ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。
・・・・・・・・
3284, リーマンブラザーズ、最後の4日間
 2010年03月23日(火)
この三連休は、家で大相撲やプロ野球、そして録りだめていた映画を見てすごス。
その中で「大暴落 サブプライムに潜む罠」の続編 「リーマンブラザーズ 
最後の四日間」を二度みてしまった。実録的なドラマ仕立ての内容だから緊迫感
が満ちていた。多くの本やNHKのドキュメントを見ていたため、引き込まれて
しまったのだろう。ギリギリまで何とか救済されると思っていたリーマンの
重役達の姿がリアルである。
 ーまず「リーマン・ブラザーズ最後の4日間」の解説をWOWOWのHPからー
世界金融危機を象徴する、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズの崩壊。
それまでの舞台裏を、実話に基づいて描いた英国発ドラマ。歴史に残る4日間を
再現した衝撃作。2008年秋に始まった世界金融危機を象徴するリーマン・
ブラザーズの崩壊。それに至るまでの内幕に迫った英国のTVムービーを
《WOWOWプレミア》で日本初放送。 世界金融危機からほぼ1年後の09年9月に
英国BBCで放送されたばかりの最新作だ。 2008年9月12日の金曜日。
NYのタイムズスクエアにあるリーマン・ブラザーズの本社に激震が走る。 
米国第4位の規模を持つ証券会社・投資銀行であった同社だが、前年に発覚した
サブプライムローン問題の影響で、同年6〜8月期の純損失が39億ドルにも達した
と判明したからだ。それから同社が倒産するまでの4日間、同社の経営陣は
合衆国政府などに救済を求めながら何とか社の延命をめざしたが、同社の株価
の急落を止めることはできなかった。 しかしその背後には金融界や米政府を
含む様々な思惑がうごめいていた…。
実話に基づき、歴史に残る数日間をリアルに再現した衝撃の実録ドラマだ。
▼ メルリリンチ社社長とバンク・オブ・アメリカの社長の買収交渉の株式
買取の値段交渉の場面がシビアである。当時の財務長官のポールソンが
アメリカの金融機関の長たちと難局を協議する場面も圧巻。ポールソンが、
リーマンを見放したときの言葉、「何処から倒れるかだ、まずリーマンが
倒れただけだ」が印象的。
・「人は99パーセントが動物で、1パーセントが人間。その一パーセントで
変になってしまう。しかし貴方たちは、その逆と思っていないか?」
(字数の関係でカット2012年03月23日)
 


5485,閑話小題 〜51回の海外ツアーで ー②

2016年03月22日(火)

    * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の元で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 〜『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーがレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。

・・・・・・
5120,「魂」の思想史 ー①
2015年03月22日(日)    
       〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともにー酒井 健(著)
   * 「魂」とは何か
「魂」の思想史などと、難しい問題を勇敢に取上げたものと恐れ入る。
それもゴッホ、ニーチェ、ボードレールの魂についてなら、面白いはず。
 その‘まえがき’の魂の解釈が、明快で、解りやすい。  
≪  〜魂、その捉えがたさ、その恐ろしき魅力〜
 もやもやとした何か、そのたましいとは何なのでしょうか。
「人の生命のもとになる、もやもやとしていて決まった形のないもの。
 人が死ぬと、肉体から離れて天にのぼると考えられていた」 が、
 辞書にある説明です(『新漢和大辞典』)。
漢字で「魂」と書きますが、同じ辞書によれば、左側の偏「云」が
「雲、もやもや」を表し、右側の「鬼」は「おぼろげな形をして、
 この世にあらわれる亡霊」となります。似たような言葉に霊があります。
漢字の成り立ちから意味をさぐると、上部の「雨」と「一」の文字が
「連なった清らかな水たま」、下部がそれに接する清らかな(巫)を表し、
合わせて転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神の力や
たましい」となります。魂の雲、霊の雨水は、単なる比喩ではありません。
これら漢字の文化を成り立たせ支えてきた人々は、雲や雨水に霊魂を感じて
いたのです。人間の内部だけではなく、外部の自然界にも魂や霊を感じて
いたのです。 この感じ方は、西洋の宗教用語でアニミズムにあたります。
生物だけでなく、石や水などの無生物にも生命、霊魂を認め、その特別な
表出に神聖なものを感じとっていく立場です。洋の東西を問わず、宗教の
基層になりました。 注目したいのは、このアニミズムという言葉の語源、
ラテン語のアニマです。このアニマのもともとの意味は、そよ吹く風の息吹
であり、そこから大気、人間の吐く息、生命、そして魂という意味が生まれた。
魂という言葉はここでも自然界とつながりを持っていたわけです。仏語
で、魂を意味する言葉、アームの語源はこのアニマです。英語で魂はソウル
ですが、この語源はどうやら、ドイツ語の魂ゼーレと同じく、古ゲルマン語
の湖あるいは海を意味するサイウィズにあるらしいのです。人間の魂は湖
あるいは海から生まれ、肉体の死後そこへ帰っていくという古いゲルマン人
の伝承に端を発しているようです。もやもやとした雲、数限りない雨滴が
どこからともなく吹き寄せる風の流れ、大きな水の広がり。・・ ≫
▼ 42年前に、父親が亡くなって数日、父親の魂が、私の魂に入ったような
 体験をした。以前書いた内容は次回で再び取上げるが、不思議な経験である。
これだけは、実際に体験しないと分からないこと。 人の心は複雑怪奇で
奥行は深い。池田昌子の著書に、『魂とは』を図書館から借りてきて読み
始めたが、これが面白い。5年ほど前に『魂』をキーワードに、本人の
著書を元に、再編集したもの。  ー宿命は魂にありー 池田昌子

・・・・・・
4755,そんなに長生きしたいですか ー7
2014年03月22日(土)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 早いーうまいー安いー
 現状の終末医療の現状を知れば知るほど、恐ろしくなる。以下の内容が現実。
《 ある医療講演会で、こんな話を聞きました。「早い!うまい!安い!」
 という看板のスライドを見せて、これはある牛丼屋の宣伝文句ですが、
うしろに「治療」という言葉をつけると、そのまま病院のキャッチフレーズに
なるというのです。たしかに、早い治療、うまい(上手い)治療、安い治療は
患者にとって最良のもの。講演者はさらに続けて言いました。
「『治療』の代わりに、「死」という言葉をつければ、今度は理想の末期医療
になります」早い死、うまい死、安い死というわけです。なるほど、うまいこと
を言うなと、私は感心しました。・・ その発想だけでは現実は立ち行かない。
患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ
儲かる、この状況では、医療費が膨大になって当然。そろそろ冷静になって、
現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から死を支える医療に転換すべき
ではないでしょうか。 死を支える医療は、よけいな治療をしません。
医療費が安くなれば、患者側も自己負担が少なくてすむし、国民の医療費も
削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。
早い死というのは、患者を見捨てることでありません。苦しむ時間を短くする
という意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が
近づくとどうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ
以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。それを理想主義的な
励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。
死は自然の成行きですから、どこまでも抵抗するのは不毛です。極論かも
しれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、
手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分あったはずです。・・・ 》
▼「終末期医療費が全老人医療費の2割を占める!とか、国民一人が一生に
 使う医療費の半分が、死の直前の二ヶ月に使われる!」という報告がある。
だから、医療側からすると、可能な限り生かしておいて方が良いことになる。
生かしておいて拷問の苦しみを与え、その治療費を膨大に絞るとる末恐ろしい
現実が、そこにある。末期ガンは、どのみち助からない。だったら死をサポート
する医療があるべきである。これでは入院前に、青酸カリか、致死量の睡眠薬を
準備をしておくべきと、考えてしまう。そう簡単には、死ねないのである。 
良くも悪しくも死ぬまでは生きている。死ぬのは挫折でも、何でもない。
目出度いことなに、何で延命をするか、それが利益のためなら、
犯罪的システムではないか。
・・・・・・
4388, 「うつ」かもしれない ー3
2013年03月22日(金)           
* ウツの治療 ー「うつ」かもしれないー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、
「死にたくなる度合い」がが目安という。逆にいえば、それだけ苦しいのである。 
身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情
は表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、
自分一人に固まっている。 こういう人が暴発すると秋葉原の無差別殺人のよう
になる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れする
かである。人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところが
ないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、「薬事療法」と「認知療法」
がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療
すること。それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方
を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を身近において常に手に
取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。
これは本当によい。 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、
自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し気持ちが落ち
込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、
「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や
自分の考えを書き留めていく方法で、頭であれこれ考えるよりも、冷静に
客観的に検討することができる。5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)
の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて
書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が
数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の習慣づけは大変なので、
第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。
書いるうちに自分の思考の癖が見えてくるだけでも効果がある。
心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
  * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
 高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろ
の教授に触発された。その最大の恩師が、人事管理の武澤教授である。
その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2   ー武澤ゼミについて
 何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと
寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、ほとんどを占めていた。その中で
武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。
ゼミでは、一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を
渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの
出した結論と、その差異について更に議論をする。また二班に分かれて、
それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている
限界の知識と体験をもとにした、それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 
教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして
「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。そこに各自の
知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、
ソクラテスの「対話法」の真理追究を、そこで体験させていたようだ。 
素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。
対話の訓練が友人に受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中
してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。武澤ゼミで学んだ
ことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の
把握と、仮説の積み上げと崩しの、繰り返しの中で計画の練り上げをして
いくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの
 渥美俊一に大きな影響を受けていた。渥美コンサルタントは、カリスマ的
流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に「分析(冷静)」を学んだ。
独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、
基本的な問いが、立ち上がっては消える。人生など何の意味(価値)もない
こと位は分かっていても・・哲学を学生時代に、より深く追求しておくべき
だった。それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
  * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や
箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。魚河岸では7割も普段
よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っている
かもしれない中、外食も買い物もする気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中
専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。朝から晩までTVで、
100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、
買い物や外食をすること自体、後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象で
すめばよいが、そうはいかないだろう。3月11日から日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも
時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への不安心理が景気にもたらす
影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民
のグループで満席であった。 着の身着のままの服装が痛々しい。
  * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が
壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、それより被害を
最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めた
にも関わらず拒否をした。彼らは今だ、この惨事に対する認識が薄い証拠である。
現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り
落としてしまった。数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。
民主も酷いのは分かるが・・・ 
 ーー
3283, 人みな骨になるならば −3
2010年03月22日(月)
 人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に
一度の大恐慌である。「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を
取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出る。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。
丁度、良いタイミングにー「人生の課題」という幻想ーという言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の
同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。その彼等の天国からの代弁
とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。
それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを
幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を相対化してみるのは、どうであろうか。 
『人生の課題』というのは一つの幻想である。事業といっても世間に流通して
いる貨幣や評判を集めているだけである。国事に奔走するといっても、特定の
サル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、
そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる人参ほどの効果はあるだろう。
馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった
走り方より、何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、
虎から逃げている馬より、幸せだろう。何よりも重宝するのは、このような
鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた
時にそれを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを
容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。われわれが失恋したり、
事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベル
でしかない」(p116) ー幻想としても、目先の課題をキーワードに
解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ
云えるのではないか。これも、幻想か?


5484、地球以外に生命は存在するか

2016年03月21日(月)

              〜「立花隆の書棚」より〜
  * ハビタブルゾーン ー宇宙の生命の存在可能なゾーン
「今までは、地球以外に生命が存在しているか?だったが、今では地球
こそが生命の辺境』という説すら出ているという。今までは存在したとしても、
出会うにあまりにも可能性が低い、というもの。 最近のアメリカでは、
多く存在しているという説が浮び上がりつつあるとか。 〜P263〜
≪ 生命が存在するためには、まず水が必要であることは間違いない。
水がないところには、基本的に生命は存在しえないのだから、水が液体として
存在している必要がある。水はうんと冷たければ固体に、うんと熱ければ気体に
なってしまいます。そうなると太陽系の場合は、太陽からの距離で、液体水の
有無が自ずと決まると同時に、生命の有無も決まってきます。太陽系の惑星の
うち、水星と金星は太陽に近く熱過ぎて生命は存在できない。一方、地球や火星
よりさらに遠い木星・土星以降の惑星になると、今度は、水は凍ってしまう。
ですから、水が液体の状態で存在し生命が存在しうるのは、地球と火星だけだと
一般的には考、えられています。それはほとんど正しい。けれども、必ずしも
それだけだと言い切れないのは、実は木星や土星のようにサイズが大きい惑星の
場合には、その内部構造を考えなくてはいけないからです。つまり、表面は
凍っていても、中は液体という状態もありうるわけです。おまけに木星と土星
にはそれぞれ、地球で言えば月にあたる、その周りを回っている衛星があります。
そのいくつかの地中には、水が液体で存在しているものがあるのです。
その一つが木星の衛星エウロパであり、その二つ目が土星の衛星ラケラドスで、
その二つの衛星についてもう少し詳細な調査を行えたなら、宇宙で地球以外生命
が存在しているという証拠が見つかる可能性がある。これが一つの可能性です。
もう一つの可能性としては、太陽系の外に生命がいるというものです。この宇宙
には太陽系の太陽に相当する恒星は、それこそ無数に存在しています。夜空を
見上げたときに星として見えるものは、あれは全部恒星、すなわち太陽と同じ。
だとしたら、夜空の星の周りには太陽系と同じように、それぞれ惑星がいくつか
広がっているということになります。
その無数の惑星の中には、ハビタブルゾーンと呼ばれる、要するに生命が生命
として存在可能なゾーン、言い換えれば、水が液体で存在できるゾーンに入って
いるものがあることが予想できます。実際に、そのハビタブルゾーン内に入って
いる惑星がいくつあるのかについて、かつては単にコンセプトとして検討する
ことしかできませんでしたが、最近では観測することが可能となりつつあります。
具体的に言うと、数年前からケプラーという人工衛星が上がっています。
ケプラーは、太陽系の外にある恒星の惑星系の中に、ハビタブルゾーソが
どれだけ存在するのかを調ぺるために作られたアメリカの人工衛星です。≫
 ▼ 観測天文学の飛躍的進化で、これまで、想像すらできなかった
  宇宙のことが知られるようになった。 地球のような惑星の存在が、
 無数存在する可能性がいわれているという。10の500乗の他宇宙の存在の
 可能性には驚いてしまった。そうこう考えると、この現実の中で、ああだ、
 こうだと、日常の現象に右往左往している自分が馬鹿馬鹿しくもある。

・・・・・・
5119,がんばれ〜!の絶叫 
2015年03月21日(土)

    * 風に立つライオン 
 映画の冒頭の場面が、アフリカの大地を少年たちが横一列に手を組み
歩いていく。そして、暫くして地雷の爆発がする。子供を使った地雷探し。
ケニアの病院研究所から国境近くの病院に派遣された医師は、そこが
実質、野戦病院であることを知る。そこは戦闘で腕や足を切断したり、
縫い合せる治療が中心の中で、主人公が、日の出の中、大地に向かって、
「がんばれ〜!」と何度も絶叫する。しかし終盤、極限の日々の中で、
自身に向けた絶叫と告白する。 見終わった後、内容が重いため、面白い
とか、ストレス解消より、何も考えられなかった。しかし、夜半、映画の
様々なことが、思い出されてきた。最後は、殺された後、行方不明になる。
 さだまさしが、この話を知り、感動して書いた原作『風に立つライオン』
を映画化。 そのまま題名の曲名にした歌がある。 〜内容説明から
≪1987年、日本人医師・航一郎(大沢たかお)は、大学病院からケニアの研究
施設に派遣される。アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘
を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもいないチャンスだった。
しかし、それは恋人との長い別れも意味していた。父の跡を継ぎ、女医として
離島医療に従事する貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかった。
理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の
赤十字病院から1か月の派遣要請を受ける。物見遊山のつもりで赴いた彼は、
重傷を負って次々運ばれてくる少年が、みな麻薬を注射され戦場に立たされた
少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願する。
過酷な状況ながらも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚かった。
一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かな
スキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながら互に認め合っていく。
そして、心に傷を抱えた少年たちを「オッケー、ダイジョブ」と温く包み込む
航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていた。
そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれる。 彼は銃傷よりも、
両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大だった
 ― 航一郎は、そんな彼の心の闇に真正面から向かっていくのだが…≫
▼ 20代30歳代の頃、もう極限!という場面で、左手を充電池に、右手を
 手動のトッテに見立て回転をし自らに充電する仕草をしていた。もう一つ、
自分をボールにイメージをし、初めは小さく、徐々に、大きくバウンドさせる
イメージ。本能的行為だったが、不思議なことに、極限ほど、気力も体力も、
湧き出る。そうこう考えると、極限の彼が絶叫をしないでいられない気持ちが
現れ出ている。 重いが、心に残る内容。 エンディングの歌が良い!
・・・・・・
4754,そんなに長生きしたいですか ー6
2014年03月21日(金)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 「表の安楽死」「裏の安楽死」
 ガン末期の殆どは安楽死だが、当然、裏と表が存在する。ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。
 方法としては、人工呼吸器はずし、塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤や
インシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に
至らしめる方法を使う安楽死を、私は「表の安楽死」と呼びたいと思います。
それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指す。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、
「表」「裏」のほうが実態に近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のこと
ながら「表」よりはるか以前から行われていました。方法は、大量の鎮静剤の
投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減など。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を
投与するわけではありません。耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。
苦痛が激しいと、通常量では眠らないので必然的に大量に使われる。
そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが
 書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが留まった。その結果、一時的に
良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。懇願されたときに
死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  
普段は医者の口から語られない患者の悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。
死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸
装置を外し、息を止めている。時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が
生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」
あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
・・・・・
4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
               「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。
しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。特に大阪のオバチャンより
オジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めが
きかなくなったのだろう。数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、
傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、
顔を見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているよう
だった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは事件にならないという。
激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。
新潟駅前周辺の地元老人に、こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。
酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。ーアマゾンの内容よりー
【待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。
現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。その「暴走」の底に隠されて
いるものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら
「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の激変する「時間」感覚、
「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を
探るが、あくまでも「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、
暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」した
人間の反動的行動と指摘。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題ではなく、
暴走はあらゆる世代に共通する連続的な現象となりうるのである。
感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や
規範さえも、日々更新され続けており、今後も加速度的に拡大していくに違い
ない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後
どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。
 決して孔子の教えのようにはならない。「・・、40にして迷わず。50で
天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。
60で自分の人生を悔い。70歳にして呆然自失で暴走化する」これが、最近
みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに
切れてしまい暴走を始めたのである。あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、
あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。
そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
  * 野田一夫教授のこと(20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化
していった。専門課程の三年になると卒業後が見えてくる。そこでドラッガー
を日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2(随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者。 
忘れられない授業があった。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は
「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。学生時代の自分の中で
色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして
学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの「ベートーベンの生涯」
をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的。それを乗り越え、その心を作曲したのが
「運命」である。この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、不幸に
耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉
だから素晴らしいのだ。この本を買って繰り返し読みたまえ!これから諸君は
何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!
真ん中に座りなさい。】 大体がこんな内容であった。
 この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガーの
訳者として高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところが
あった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に駆り立てるカリスマが
あった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVで
お目にかかった。更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。
ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャー
 ショックは、あまりに大きな衝撃であった。21年間の小さな固定観念が
根こそぎ壊された。欧州文化と文明に直に触れ、また夜は連日、飲み歩き。
毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の
日本人である自分を逆照射はベストだった。自分は、世界の広さも、深さも、
実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、
経験も、富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。
その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
    「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
   * 汝自身を知れ  ー P28 ー
人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえ
ソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、すこしでも
無知でない状態へと自己を導くことであった。そのためにこそ、自己は配慮
されなければならない。 無知な状態を脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らか。 
世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く
自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくは
ないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神を
できるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もして
いないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、
真実をめざして精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な
老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固な
までに強調する。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいもの
であると考えた。


5483,閑話小題 〜51回の海外ツアーで

2016年03月20日(日)

    * 海外ツアーのテーマの棚卸
 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。
知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー
に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、
諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。
「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。
・大陸別では、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ユーラシア大陸、インド
 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。
・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、
 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・
☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。
 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の
名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。
それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 
上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く
展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。
それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、
日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。
北スペインのパンプローナの牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。
☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、
 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。
圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、
数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。
石文明は、それが、そのまま残している。
☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、
 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、
文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。
 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と
すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、
5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、
体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、
これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって
きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには
チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや
25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

・・・・・
2004/11/19
ーー地域別分類ーー
『アメリカ大陸』

ー中南米
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)    −1995・02  
「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)         ー1996・06  
「23」べネゼイラ・(ギアナ高地)            ー1997・08
「34」メキシコ                     ー2001.01
「39」パタゴニア                    ー2002・12

ー北米
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス            ー1987・06
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)     −1989・04 
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社           −1990・05
「40」アラスカ                     ー2003・07

ーーーーー
『欧州』
ーーーーー
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅     ー1989・12
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)       ー1991・08 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12
「25」北スペイン パンプローナ              ー1998・07 
「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ            ー2001・06
「38」スイス                      ー2002・07
「41」アイスランド                   ー2003・10
「42」オーストリア                   ー2004・08


ーーーーーーーーー
『アフリカ・中近東』
ーーーーーーーーー

ーアフリカ
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)   −1996・02  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)  ー1997・12  
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「37」西アフリカーコート−ジボアール
    ・ガーナ・ベナン・トーゴ              ー2002・03
ー中近東
                   
「31」シリア・ヨルダン・レバノン             ー2000・04 
「28」イスラエル                    ー1999・04 

ーーーーーーーーー
『アジア・オセアニア』
ーーーーーーーーー
ーアジア
「6」香港の旅                      ー1986・10  
「9」中国(北京・けいりん・上海)            ー1988.09  
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「26」北インド                     ー1998・10 
「27」ネパール                     ー1998・02
「32」パキスタン・中国                 ー2000・06 
「36」ベトナム                     ー2001・11

ーオセアニア
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11  
「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・
  バンジージャンップ・ミルフォードサウンド)      −1995・05  


・・・・・・
・・・・・・

2004/11/01
海外旅行ー履歴

「42」オーストリア                    2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10
「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07

「37」西アフリカーコート−ジボアール
     ・ガーナ・ベナン・トーゴ              2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06  
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04  
「30」ノルウエー                    ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06   
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10  
「19」ニュージイランド
  (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)                                                        ・05  
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)        ・
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)        ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09   
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              ー1987・08    
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08  
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
   * つれづれに、哲学
 10数年前から、哲学に興味を持ち、初心者用の本を、読んできたことも
あってか、少しずつ、現象を自分の脳で考えることが出来るようになってきた。
意外と、人は考えてないことが解るようになってきた。 それと、考えない
ことは罪であり、その罪で、自分が罰しられていることに気づいてない。
まずは認識だが。対象に主観が従うのではなく、主観が対象を従わせることが
自覚できない。小さな脳の主観の妄想が世界と信じきっている自覚がない。

2004/10/31
1307, 一冊のアルバム

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。

事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。
一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。
そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。その結論として、
「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。
そして、それが良かった。何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。
「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。開けば、それだけでハイになる。

アルバムはそうそう開いて見ない。いちいちアルバムを開くのが
面倒だからだ。それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。
そして、常にカバンに入れておくことにした。
詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、
究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。

事業にしても、
お金にしても、
不動産にしても、
写真にしても、
古道具にしても、
後継者にしても、
残るのは、生きてきた実感としての
「真実としての言葉」と
「写真」
「信頼」そして
「子供」だけである。

話しが大きく逸れてしまったが、貼ってある順に紹介してみる。
・パキスタンの桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で
 一人で、足を開いて片手を上げているショット
・パキスタンのカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、
 現地人に手を引かれ走り抜けているショット
・機上から、天山山脈を撮ったショット
・タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、
 多くの運転手たちと0時を過ぎた瞬間の写真

・フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、
 一時停車をして写真を撮っていた。ところが、急に音楽が鳴り出して
 遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット
 (列車のお客に見せる為のショー)

・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。
 その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていて
 くれていて、送ってくれた一枚
・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン
・モロッコ・マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景
・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」
 幻想的な極上の写真
・ヨルダンのぺトラの前でのショット
・シナイ山の山上でのショット
・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを
 引っ張り空を飛ぶ)で、空から撮った写真と、地上からそのショット
 を撮った写真
・リオのカーニバル
・北スペインのパンプローナの牛追い祭り。
 最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット
・ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。
 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン
・メキシコのテオティワカン遺跡の「月のピラミット」の頂上のショット
・パルミラ(シリア)列柱通り
・ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景
・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間
 のショット(私の人生の最高の一枚である)
・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む
・イスラエルのマサダの砦の山頂からのショット。 ユダヤ人
 1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている
・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショット
以上だが、恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。

・・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみる

ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えは
ローマにひけをとらないほどだった。

悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と
火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰
の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息に
よる犠牲者の数は人口の1割にあたる2000人と考えられている。

そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい
遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、
犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップ
アウトしたようになるほど、リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかで
あったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。

幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが
通りに並んでいる。売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー
一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。

今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された
遺体は1000でしかなかった。15000〜20000人の人口と推測されるから、
遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があった。
逃げられなかった理由が遺体の様子から、それぞれ想像できた。

ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、
その近くの港で、300人の人骨が発見されたという。その様子から
エルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、
亡くなってしまったと推測される。

遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて
残っているのは、この遺跡だけである。
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。
世界は広く、そして深い!
・・・・・・
2004/09/21
1267, 書いてなかった旅行記ー2
カナダ旅行紀ー2
(字数制限のためカット 2016年3月20日)


5482,人生で最も大切な技術 ー32 幸福も苦しみも超えて

2016年03月19日(土)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福も苦しみも超えて
 悟りの心境とは、これほどのことか。「幸福も苦しみも、それからみたら、
相対的な真理でしかない」とは。悠然とした大自然と接し、我を忘れる感動の
一瞬を何度か経験してみたが、その心境そのままである。しかし、これは修行
の叡智から出てきた心境とは違う。  〜なかなかの内容である〜

≪ 絶対的真理という観点から見れば、幸福も苦しみも現実に存在しない。
 幸福も苦しみも相対的な真理でしかなく、それらは、混乱した心によって
知覚されるに過ぎない。物事の本質を理解している人は、何もかもが純金で
できた島に寄港する船長にたとえられる。船長は、ただの石ころを探そうと
しても、金以外何も存在しないことに気づくのである。チベットの渡り鳥と
呼ばれた隠遁者シャブカルは、悟りと慈悲の心を次のように詠んでいる
 ―――

リラックスして、自由解放状態でくつろぎ
壮大な空中王国に到達した
そこは無条件絶対の国
すべてを見通せ、静謐そのものの
壮大な空として、そのままにされるとき
毒を含み、苦痛を伴う心の拘束が
ひとりでに緩んでいく

どこまでも透明な空のような
この国に留まるとき
言葉も思考も表現も越えた歓喜を味わう

一切を包み込む空よりもさらに壮大な
叡智の目で見つめていると
輪廻転生と解脱の現象が
なかなか愉しい見世物になってくる
見事なその連続の中にいるときは
骨を折ることなしに
森羅万象は生起する
まったく安楽に自然に
完全な満足の中で

すべての感覚あるものは自分の母と知る
心の奥深くに潜む母の恩が思い起こされる
空しい言葉ではなく
今、利他の心をもって行為する 

―――
▼ 絶対的真理に到達した悟りと慈悲の心境が、そのまま言葉に現れ
 出ている言葉である。 感動、感動の心境に似ているが、それ以上の
叡智というと・・ 利他の心をもった行為が、人間の到達地点ということか。

・・・・・・
5116.社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜2
2015年03月18日(水)
  * 迫害されたウクライナ人
スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤとウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンがウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
・・・・・・
4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル版
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!


5481,人生で最も大切な技術 ー31 幸福も苦しみも超えて  

2016年03月18日(金)

     
      
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福も苦しみも超えて
 悟りの心境とは、これほどのことか。「幸福も苦しみも、それからみたら、
相対的な真理でしかない」とは、道理である。 その一片が、悠然とした
大自然と接し、我を忘れる感動の一瞬を何度か経験してみたが、その心境を、
そのまま表現してある。しかし、これは叡智から出てきた心境とは違う。
 〜なかなかの内容である〜

≪ 絶対的真理という観点から見れば、幸福も苦しみも現実に存在しない。
 幸福も苦しみも相対的な真理でしかなく、それらは、混乱した心によって
知覚されるに過ぎない。物事の本質を理解している人は、何もかもが純金で
できた島に寄港する船長にたとえられる。船長は、ただの石ころを探そうと
しても、金以外何も存在しないことに気づくのである。チベットの渡り鳥と
呼ばれた隠遁者シャブカルは、悟りと慈悲の心を次のように詠んでいる
 ―――

リラックスして、自由解放状態でくつろぎ
壮大な空中王国に到達した
そこは無条件絶対の国
すべてを見通せ、静謐そのものの
壮大な空として、そのままにされるとき
毒を含み、苦痛を伴う心の拘束が
ひとりでに緩んでいく

どこまでも透明な空のような
この国に留まるとき
言葉も思考も表現も越えた歓喜を味わう

一切を包み込む空よりもさらに壮大な
叡智の目で見つめていると
輪廻転生と解脱の現象が
なかなか愉しい見世物になってくる
見事なその連続の中にいるときは
骨を折ることなしに
森羅万象は生起する
まったく安楽に自然に
完全な満足の中で

すべての感覚あるものは自分の母と知る
心の奥深くに潜む母の恩が思い起こされる
空しい言葉ではなく
今、利他の心をもって行為する 

―――
▼ 絶対的真理に到達した悟りと慈悲の心境が、そのまま言葉に現れ
 出ている言葉である。 感動、感動の心境に似ているが、それ以上の
叡智というと・・ 利他の心をもった行為が、人間の到達地点ということか。

・・・・・・
5116.社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜2
2015年03月18日(水)
   * 迫害されたウクライナ人
 スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤとウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンがウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
・・・・・・
4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル版
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!
 

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