堀井On-Line



5440,人生で最も大切な技術 ー心の自由

2016年02月06日(土)

      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 自由への大いなる飛躍
 ここで、エゴから開放されることが、心の自由という。御隠居生活は、
今さら、老いさき短いのに、エゴもなにもないだろうという諦観が、拘りから
自らを解放させる。森の生活から、サバンナの生活の移行が、「心の自由」を
実感させる。森は森で面白いが、サバンナにはサバンナの面白さがある。
 心を自由にするにエゴからの解放を勧める。遺伝子科学は、遺伝子の進化
の本質はエゴにあると解明したが、そこは知的生物?たる人間様。せめて
心の自由を、「私の・・」からの解放が必要である。 〜その辺りから〜
≪ 自由になる、ということは、自分の運命の支配者になることである。
 ただ、自由と聞くと、行為、動作、意見等の自由、自分が決めた目標達成
の機会を獲得する自由、等というふうにとかと解釈されがちである。
そのように自由を納得することは、自分の外側に自由を置いて、思考の横暴な
振る舞いを看過することになる。実際、西欧では、自分のしたいことをして、
衝動おもむの赴くままに行動するのが自由、という解釈が一般的である。
しかし、そうした考え方はおかおとししい。したい放題とは、心を混乱させる
思考の慰み者として、自分自身を決めるのも同然である。それは、山頂で吹き
まくる風によって、あらゆる方向にへし曲げられる草と同じ状態である。
「私にとって幸福は、したいことを誰にも一切ロを挟まれないですること」
とBBCのインタビューに答えていた英国の若い女性がいた。無秩序な自由の唯一
の目標は、欲望を即座に達成することである。だが、果たしてそれが幸福を
もたらすだろうか、という疑問が生じる。その疑問には十分な根拠がある。
 自然で自発的な行動は、精神的な混乱がない限り、長所となる。しかし、
心の中で渇望、嫉妬、傲慢、恨みなどの狂犬を荒れ狂うままにさせておくなら、
間もなく、心はそれらの狂犬に占拠される。一方、自由な心は、膨大で、
明確で、静寂な空間で、そこに痛みはなく平安だけが強化される。・・(略)
心の自由は、とりわけ、「私に」と「私の」という独裁者エゴからの解放で
ある。エゴは自分が嫌うあらゆるものと衝突し、自分が欲するあらゆるものを
自分のものにしようと必死になる。それ故、自由になることは、心を支配し、
曇らせる苦痛の絆を断ち切る作業と言える。それは、自分の人生を、習慣と
心の混乱によって作りだされる性癖や性質に明け渡す代わりに、自分の手中に
収めることである。水夫が船の舵柄を緩めて帆が風にはためくままにして、
潮の流れに漂わせている場面を想像すれば、それが自由な航行とは呼ばれずに
漂流した状態だとわかるだろう。自由な航行とは、舵をしっかり握って
自分の選んだ目的地に向けて航行することである。
 日常生活でこうした自由が体得できたなら、他者に対して心が開かれる上、
忍耐力が備わることになり、自分の選んだ人生の方向からまったく外れずに、
断固として突き進む覚悟ができるだろう。実際、方向感覚を持つことは
生きる上で不可欠である。ヒマラヤをトレッキングする際には、何日でも
何週間でも歩く覚悟をしなければならない。・・≫ 
▼ 英国の若い女性が言った、「「私にとって幸福は、したいことを誰にも
 一切ロを挟まれないで・・」の「したいこと」を、「幸福になるために」
に替えれば良いこと。そのために、少々自由を犠牲にしなければならない。
・・・・・・
5076,閑話小題 〜火あぶりの処刑
2015年02月06日(金)
   * 火あぶりの処刑
 イスラム国のヨルダン人パイロット兵の処刑の映像には驚いた。
ブログに掲載するかどうか迷ったが・・ 少し考えてみれば、ガンで死ぬ時は、
少しカタチが変わるだけ?いや、違うか? これ、殺伐とした時代の象徴である。
彼らはイスラム原理主義の名を借りた殺戮集団。世相が20世紀前半の第一次、
第二次世界大戦辺りの、ニヒリズム的様相になってきた。 ウネリの元は、
情報端末とネットの普及による情報革命。それはグローバル化と、一強多弱を
推し進め、弱者に格差と差別が曝け出され妬めと怒りが充満していく。
島国日本にとって、テロの不安は少ないが、今後は、そうはいかなくなる。
 初めてイスラム圏に入ったのがエジプト。深夜に入国し、数時間後に飛行機で
ルクソールに向かったが、早朝、街から聞こえてきた、アッラーの祈りの音声。
丁度、ラマダン(断食)の最終日で、ホテルの従業員が殺気だっていた。
 現地の日本人ガイドに、飛行場からホテルに向かうバスの注意。
『ここは、イスラム教の国。私たちは欧米文化の国。まず全ての常識を
横に置いて下さい。違うのです、全く違うことを忘れないで下さい!』と・・
「これだから、秘境・異郷は面白い!」と、思うようになるに、何度かの
経験を要した。世界は、それぞれ違うのである、全てが! 旅行は、日常生活
との差異を求めて外に出て、日常を外の目で見て、考える機会でもある。
原理主義者としても、誘拐、殺戮を容認する思想が現に存在している。そして、
それを脅しとして公開する。彼らにとって、テロも戦争の一つでしかない。
欧米が勝手につくったアラブの、いや世界の国家を否定し、イスラム原理
主義国家という共同幻想を優先し、地域を州と見なすとは、考えたもの。
共同幻想のイスラム原理主義に感化され、『そこでテロで、戦闘に参加せよ!』
と煽られれば、誰にもチャンスがある。まさか、半年前まで、こんな現象が
出るとは誰も思ってもみなかった。 恐ろしい時代である。
 良い時代を、数限りない良い思いで過ごせたと、感謝する日々である! 
東京オリンピックに大きな不安要素が加わった!幻に終わらなければよいが。
・・・・・・
4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている
2014年02月06日(木)
   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、
何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。その物語こうだ。新潟駅前の
何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。何か変だと、
店外に出ると、そこは目的先ではなく別の店。仕方がないと、他の店に入るが、
そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに長岡の帰りの切符がない。
もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の
広場に戻りながら、これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の
広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた再開発ビルが、
見あたらない。これは、20〜30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、
鮮明な光景が急に曖昧になる。よくあるケース。せっかく夢なら、駅内の
店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。
図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』を借りてきて、読み返し
ながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。基本は位置法で、
まず10ヶ所の家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを
置いていく。もう一つが、数字を4桁に区切り、身近なモノの値段にしてしまう。
9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。
7桁の場合は、マイナス一円。39885269なら、3980円+8円の、
いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージする。意味付けをしていることになる。
もう一つは、よく通販のコマーシャルで数字をメロデーですること。
「三九八八♯の、五二六九♭〜〜」これを何度か繰り返すと良い。
遊びとしては手軽で面白い!次に思いついた7893の4251、確か憶えた
と思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
・・・・・・
4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」何気なくネットで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち
上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した感動は疲れの全てを
取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にし実行する。
自分の持っている全てを叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。
成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。
準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、事業の一環。愛した会社の
最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。謹慎期間二年が近づいたが、
一連の疲れが取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが
残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な症状は、
ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。
秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、心地よいものに転換する。 
事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、
既に元を取っている。そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようが
なかった。それは経験してみないと分からないこと。その辺の人が想像する
挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 
私の人生で、「感動」の場面には恵まれていた。感動は、求めれば与えられる。
絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に
 感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。「感激」は、物事に触れて
激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。
かなり感情的で個人的な場面が多い。】とあった。私は、心が動かされることを
感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。「感謝、感激、感動」 
体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを
味わなければ生きている意味(価値)がない。味わった価値は、あの世に持って
いける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、
実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・
・・・・・・
3969, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー3
2012年02月06日(月)
    * 情報(言葉)の恐ろしさ
「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的
だったが、土曜日の朝、BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下
型地震について話をしていた。「首都直下に7割起こるとはいっていない。
 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、
建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する
上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった情報が一人歩きをした」。 
それも研究員個人の見解で、東大地震研究所が発表したのではない、という。 
記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、
記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 情報とは、こんなもの。 
言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが違ってくる典型的事例である。
 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 
マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。それが南関東で
起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で
7割の可能性が出てきたようだ。東北の沖合で500年に一度の大地震が起こった
ため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は
特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用
グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。多くの家庭で準備が始まったようだ。
世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐としてきた。
 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 
・・・・・・
3604, 旅ばなし 小題 
2011年02月06日(日)
   * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 
これが地球上に存在しているのか?と。バスの中で眠り込んでフッと
眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。
「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の線がひかれたようだ!」
という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。
タイミングとして初めて広大な大自然を見たのが良かった。グランド
キャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。
大自然の壮大なパノラマに対する感動が、自分の心に深い何かを与えられた
初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも
慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。それを逆に楽しむのが通
というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じ、
受け止め方の問題になる。波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが
激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味。
良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。(例外もあるが?)そして、遠く
離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。神とは宇宙の織り成して
いる力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが
神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の
「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。4人のりの馬車に一緒に
のったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入って
いたか、もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか
話しまくっていた。その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。
その街の景色が素晴らしさと、どっちに気持ちを集中してよいのか迷っていた。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも
面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まる。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?
機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。誰も知らない秘密を私だけが
しっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら
「実をいうとそうだ!」と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、
よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。
まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。同行の娘が傍でハラ
ハラしているのが手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで
使っていた。  ネタはツキマセン! このての話しなら!
・・・・・・・・
3239, 閑話小題
 2010年02月06日(土)
 * 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情は少ない。
「一人横綱を4年続けたプレッシャーは想像を遥かに超える。それを一年経験
しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 
解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレード
でモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、「あれは変だ」とマスコミは口を
噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて
一番強い力士。あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無い。 
来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、もし残留しても同じような問題
を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。
その段差に、数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
  * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計り
しれないが、それ以上に、この社会に与えるインパクトは大きくなる。要は
モバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
 (字数の関係でカット 2012年02月06日)


5439,人生で最も大切な技術 ー⑲

2016年02月05日(金)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 憎しみ
 5年前の節目から、この方、聞こえよがしの言葉を多く投げつけられた。
これも帰り矢かと凝視すると、その憎悪は共同幻想で作られた魔物に誘発
された当人自身の猛毒。周りまわって本人への返り矢になっている。2〜3年
以内に8〜9割の確率で、本人か、連れ合いにネガティブな事態が起きている。
不幸な人間の性で、共同幻想の媒体を通して当人自身に猛毒が発するため。 
で、残りの1〜2割は? 聞こえてこないだけ! と思えば心が晴れる。
 自分の人生、境遇の不遇の憎しみの毒、その血の投げかけの対象探しに
目を凝らし、何時の間に「鬼の形相」の「ネガティブ3、ポジティブ1」
のマイナーに陥ってしまった人の憎しみは、何とも? 〜その辺りから〜
≪ 憎しみは、心の猛毒である・・あらゆる大量殺数、あらゆる人間の尊厳
 に対する攻撃の駆動力となる。誰かに打たれたら、本能的に打ち返す。
それ故に人間社会は、正義の御旗の元に、文化度に応じたさまざまなレベルで、
報復権を構成員に与えている。通常の場合、寛容、赦し、攻撃者の状況に対する
理解などは、任意の選択と解釈される。犯罪者は自分の憎しみの犠牲者である、
と考えることは滅多にない。 復讐願望とは、基本的に、攻撃者が攻撃する
ときと同じ感情に由来している、ということを理解するのは稀だろう。
一人の憎しみが他者の憎しみを生じさせる限り、敵意、恨み、報復そして
苦しみの悪循環は永遠に断ち切れない。「憎しみに対して憎しみをもって
報いる限り、憎しみは消えることはない」は、釈迦の教えである。したがって、
流れ続ける思考から憎しみの感情を排除することが、幸福の旅への決定的な
第一歩となる。
 ネガティブな怒りは憎しみの芽生える前兆。この怒りは、衝動に従い、他者
の幸せを一切省みず、セルフの要求を遮る者を誰かれなく乱暴に追い払おうと
する。この怒りは、セルフが脅かされるときに感じる敵意、あるいは、セルフ
が傷つき、軽蔑され、無視されたときに感じる恨み、等の形で表れる。
 悪意は、憎しみより暴力的ではないものの、相当に油断がならないものだし、
同じくらい破滅的である。悪意は、直接または遠まわしなやり方で、誰かに
害を加えようとする願望と行為であり、煽られると憎しみに変わることもある。
 憎しみは、対象の欠点を誇張し、美徳を無視する。アーロン・ベックはこう
表現している。「認識と思考が偏る、万力のように心をぎゅうぎゅうと締め
つけ、実際上または想像上の脅威に反応する。この堅固な枠が心を牢獄にし、
我々を煩わせる憎しみと暴力の主な原因となる」。
 心が恨みと憎悪にどっぷり漬かると、幻想の中に閉じこもり、自分が
何にも満足できない原因がすべて心の外側にあると確信する。 人間は、
不当に扱われている、脅かされている、といった認識を持つと、個人または
集団のネガティブな側面にのみ焦点を当てるようになる。・・≫
▼ 5年前、直ぐに反応してきた共通点が、「人生に充実感」が持てないと
思しき人々。「幸福な人には、幸福なことが擦り寄ってくる」の真逆の人達。
それが見て取れるため、平然としていられる。嫌うから嫌われるのは分かって
はいるが卑しいのは・・ そういう人を父は「下衆」と、割切っていたが。
ポイントは、閑静の「閑」の塀を、時間をかけ自分(木)の周囲にめぐらし、
内側を綺麗にしておくこと。 泥棒がいても、門は出入自由に。〜で、以下に〜
 ・・・・・・
5075,強みを生かす
2015年02月05日(木)
  * 強み生かす ー無駄な努力はダメ―  
 ドラッカーのマネジメントの法則に「自分の強み生かす」がある。
この「強みを生かす」について、ネットで簡潔にまとめてあった。
≪ 卓越した仕事を生き生きしている人がいる。彼は単に有能な働き者
 ではない。自らの強みを知り、自らの属する場所を得た人がゆえと、いう。
誰でも、自らの強みはについてはよくわかっていると思っている。だが、
たいてい間違っている。気づいているのは、せいぜい弱み。それさえ間違って
ることが多い。しかし何ごとかをなし遂げるのは、強みによってである。
弱みによって何かをおこなうことはできない。どうすれば自らの強みを知る
ことができるか。ドラッカーは、フィードバック分析しかないと言う。
 ドラッカー自身が五十年以上続けてきた方法だ。方法は簡単。まず何かを
することを決めたら、「自分はそれに何を期待するか」を記録しておく。
そして九ヵ月〜一年後に、自分が期待した内容と実際の結果とを比較。
フィードバック分析により、強みを生かすために行うべきことが明かになる。
①成果を生み出す強みに集中する
②誰にでも学べる技能や知識は身に付ける
③専門馬鹿にならない
④成果を挙げるうえで邪魔になっている悪癖は仕事ぶりは直す
⑤人への対し方、礼儀はわきまえる
⑥苦手の分野の仕事は引き受けない
⑦努力しても並にしかなれないことはしない
              ―(プロフェッショナルの条件』)≫
▼ ポジティブ思考は、ただ楽観的だけでなく、己の強みを生かすことで、
 ものごとをプラスに発展させる。幸せは、己の得意分野を生かしている
状態とすると納得できる。「得手に帆を揚げ」、フィードバックをする。
御隠居生活の強みは、「好きなことだけをして、嫌なことをしないで済むこと」
で、因業になっていくが、それで良い。まずは周囲に迷惑をかけないことだ。
・・・・・・
4710,閑話小題 ー遺体の生ゴミ化 
2014年02月05日(水)
 * 献体という死体処理 ー日経新聞2011〜「上手な逝き方」嵐山光三郎ー
 現在、遺体の生ゴミ化が問題になっている。20年以上前だが、姉の一人が、
「私が死んだら、自分の遺体を大学病院に献体する手続きをとった。
葬式は無しだから悪しからず」と宣言。何か呆気にとられた思いだった。
75歳で健在だが、その後、撤回したかどうかは分からない。
当時、思い切った決断だったのだろうが、時代は、大きく変わったようだ。
先日、借りてきた随想集に最近の献体事情があった。
《 いま、大学病院への献体が増えて、病院が困っているという。
 献体は医学生が解剖実習に利用するものだが、解剖したあと、遺族に連絡
すると「お骨はいりません」といって引きとりにこない。献体という名の遺体
処理である。斎場でも「遺骨はいりません」という遺族が増え、火葬場が
合同の収納施設へ入れる。遺体は生ゴミ化した。墓場も火葬場も足りない。
東京では夢の島へ散骨する計画が申し込まれている。海への散骨、樹木葬は
骨をパウダーにする。骨壷に骨をいっぱいつめるのは時代おくれだ。
高齢化社会で死亡者が増えると火葬場の能力を超えた遺体数となり、遺体を
保存する冷凍庫も足りない。さあ、どうするか。この半年間で五回の葬儀へ
行ったが、火葬場でお経もあげずにすます直葬が二回あった。火葬のみの
遺体処理である。ただ、棺の中には花が埋められ、遺体の顔には美しい化粧が
ほどこされている。大村さん(関西学院大学教授、僧侶)は、いまの死に化粧は
アメリカ流儀のエンバーミングで、ベトナム戦争で死んだ兵士をドライアイス
に詰めて本圃へ帰すころから流行した。死人を生きている人のように化粧する
エンバーマーという職業かある。真宗では死体を化粧をせずに、頭を剃り、
遺体から色も欲もみな抜け出して、この世の未練をすべて捨て浄土へ行かせる。
生きているような化粧をしたら、この世への執着が残る。 大村さんに
そういわれると、たしかにそうで、「はよ向うへ行きなさい」
と成仏させるために、エンバーミングなんてしない。・・・》
▼ ネットで遺体の日本人感を調べると、以下のような考え方に出会った。
【精神と肉体の混同、未分離の日本人の死生観が最も露骨に出る。
冬山で遭難死しても、キリスト教なら「霊は去っている。遺体自体はそっと
その場に眠らせておけばいい」・・というのが日本人には「罰当たり」になる。 
精神、霊と肉体、遺体との混同、未分離の考えが習俗の建前となるとき、
極度の遺体自体の重視となる。】
 葬式は、遺体を火葬にする前の家族による当人を見送る儀式。
一神教の場合、天国の神のみもとへ召されるが、無神教に近い日本人は、
それぞれの心の中で生きるという思いがある。そのため、焼かれる直前まで、
生ゴミと分かっていても美しい姿であることが、必要になる。
結局、残るのは写真と言葉と三代残る?資産だけ。
・・・・・・
4343,閑話小題  ーテレビの現状と未来 
2013年02月05日(火)
 先週金曜日のNHK・60周年記念「テレビの未来」について千人アンケートを
しながらパネラーが討論する番組が面白かった。NHK以外の各局のディレクター
も参加していたが、内容は冒頭からシビア。「現在のテレビはツマラナイ、
面白くない」と、街頭インタビューが辛口のものばかり。その上にTVを持たない
人や、不満の多さに各局のディレクターは言葉を失っていた。
無くて困るものの第一がパソコンで47%、携帯が24%で、テレビが22%
には驚いた。これではテレビがパソコンに凌駕された結果になる。 私の場合、
「未来型のTV」を買い替えて二年半になるが、見るのは殆どが録画したものか、
再放送のもの。「テレビが面白くなくなった」「無くても困らない」という
街頭での意見が多いが、私は逆で、「スマートテレビ」に買換えて、バカ
みたいだが、俄然に面白くなった。地デジの全番組を30時間分を自動的に
録画してしまう。ゴールデンタイム19時から24時までを設定すると、
6日間分の全チャンネルが自動的に録画される。それを週間のテレビ欄をみて、
面白そうな順に見る。2〜3日に一本の割合で面白いのが必ずある。 
設定無しだと、全地デジの30時間分が自動録画され、時間が過ぎたものは
自動的に消去される。これに面白そうなBSの旅番組やWoWoWを録画しておけば
見切れないぐらいの面白い番組がストックされる。どんどん録画をし、どんどん
除去する。だから「面白くない番組がない」というのは、面白い番組を見逃して
いることに彼らは気づいていないだけ。 実際、テレビに嵌るのは良くないのは
分かるが、面白いものは面白い。その上に、パソコンでも、TVでも、Youtubeなど
の投稿録画を見ることが出来る・・ ネットゲームを知らない人と気ままに
遊びたくなってきた。 で、再びパソコン教室に通う時期が来たようだ。
居間では横にiPadを置き、TVドラマの合間にネット・サーフィンかゲーム。
ますます馬鹿になっている。 大馬鹿ならよいが、中馬鹿のようだから、
どうもこうも! 最近の話題はTVの内容が多いか。
 ・・・・・・
3968, 民主主義への疑問 ー2
2012年02月05日(日)             
 * 明治元年の五箇条の御誓文 「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、
 店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、われわれはよく目にする。
愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは
正しいふるまいをしているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な
行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の
偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした
愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとかうまく使いこなす方法は
ないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形
それ自体は、活気にみちた健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠な
ものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、
「国民のための政治」が実現するはずはない。・・明治元年の五箇条の
御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。
 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ
 一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ
 ここでまず注目すべきところは第二条である。 
この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、
ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、
すべて心を合わせて、政治・経済の活動に積極的にかかわろう、ということ。
あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も
下も心を一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。
しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、まさに
民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて
根本的な民主主義批判ともなっている。】
▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要。
 一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に求められること。相手の論を叩き
潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、
公論が可能になる。声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。
現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、
 この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。 
・・・・・・
3603, 閑話小題
2011年02月05日(土)
  * ほんの5年前までは
 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、
中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。現在はどうだろう? 
中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 
2005年に下流社会という言葉が流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。
この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 
貧困に「相対的貧困率」という数字がある。平均世帯所得の半分以下の世帯数が、
全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には
一挙に倍近い15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えて
いるのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値
(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。これは、単身者
では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、
4人世帯では254万円に相当する。≫ 
リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は貧困層。
ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 感覚的にみて、
日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していく
プロセスに入ったということか。
  * 百円ショップの楽しみ
 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。新潟では昼休みの運動に歩いて
10分ほどの駅南の「セリア」に。通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの
越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの
商品で溢れている。ノート、電子機器などを入れる袋もの、小物を一時的に置く
カゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。電動アシスト自転車
を千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 
そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く「百円ショップで、一度見てから
にしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付の
ものがあった。百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んで
ある考え方は非常に良い。
・・・・・・
2010年02月05日(金)
 * 狂ってしまった猿
 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に
「鏡の間」という場所があり、そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。
その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」
などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、生存を賭けた人間世界形成。
鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の
動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」と付記されていた。
(字数の関係でカット2012年2月05日)
・・・・・・
2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
 2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、
これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり
 3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
(字数の関係でカット2009年2月05日)


5438,人生で最も大切な技術 ー⑱ 

2016年02月04日(木)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 厄介な感情と、その治療法、        
 ネガティブな感情に対してのアプローチに、「解毒剤」「解放」「活用」
の三原則をあげる。問題を直視し、根本問題レベルに下がって解決しようと
するもの。私が取入れてきた問題に対する「正中心一点無」である。
何事もネガティブのまま放っておけば、ポジティブの感情まで歪む。
  〜以下の瞑想の解釈が分かりやすい。
≪ 瞑想は、退屈な日課を小休止して、木陰に静かに座ってリラックスする
 こととは違う。物事の新しい見方に慣れ親しみ、心に生じる思考を正しく
管理し、人々に対する見方と世の中での経験の仕方を体得する新たな道である。
 仏教は、以上を「習熟」するために、様々なアプローチを提供している。
とりわけ、「解毒剤」と「解放」と「活用」を三原則とする方法が最も主要と
なっている。「解毒剤」の方法とは、各種のネガティブな感情に対して
処方された特別の解毒剤で対応するというものである。
・一番目の「解毒剤」とは、生じてくる感情を即座に直視し、
それが自然に溶け去るままにする方法である。毒を中和させるやり方。
二番目の「活用」法とは、感情に自然に備わった力を、心の変革の触媒として
利用すること。どの手段を選ぶかは、使おうとする瞬間、状況、能力によって
決まる。これらの方法には、対立する厄介な感情の犠牲になるのを防止する
のに役立たせる、という共通の側面と目的がある。
・二番目の「解放、解脱」。この方法は、苦痛をもたらす感情に適した、
個々の解毒剤を処方することで、感情を抑えようとするのではなく、根本的
レベルに下がって、すべての心の苦しみを一つの解毒剤で退治するという方法。
心の自然の活動を抑え込むことは、不可能であると同時に望ましいことはない。
また、思考を遮断するのは無駄であると同時に不健康である。感情をつぶさに
調べれば、それがダイナミックに流れていて、それ自体には本来備わった
固有の実体がない、ということに気がつくだろう。こうした現象の非実在性
を仏教では「空性」という言葉で表現している。厄介な感情を正反対の感情
(例えば、怒りに対する忍耐)で相殺しないで、単純に感情そのものの性質を
熟考するだけにとどまった場合、何か起こる感情を解き放つ術。
・苦痛を伴う感情を無効化する三番目の「活用」の方法は、最も繊細で
神秘的、その上、罠に嵌りやすい。感情を熱心に調べると、楽譜のように、
無数の要素とハーモニーで成り立っているのがわかるだろう。例えば怒りは、
時に人を奮起させ、行動に導くし、障害を克服させる力ともなる。その上、
それ自体が有害とならずに、明快で焦点が合って、効率がよい側面もある。≫
▼ この4年間、前半は週二回、後半の二年間は週三回、ヨガに参加。
 そこはポジティブの空気が満ちており、ヨガマット内の独りの世界が良い。
ヨガは静かな運動と、深く長い呼吸が主の瞑想世界だが、浮世からの
トリップは、慣れるほど深くなる。やはり、般若心経は暗記した方がよい。
・・・・・・
5074,ツィッター、その雑念のゴミばこ 〜2
2015年02月04日(水)
         『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾忠則(著)
   * 単純ですから・・
 単純にも、様々ある。シンプルに物事の要点を考えるのも、『20対80の法則』
の20への集中と、同じこと。問題は、その組み合わせになる。服装一つとっても、
欧州では、黒が基調。そこに白か赤の小物をポイントに置く。
以前『すべては「単純に!」でうまくいく』ザイヴァート(著)を読んだが、
概要といえば【人は単純なことを複雑に考えてしまう? モノ、金、自身を
シンプルにすれば、ストレスが消えてゆき、仕事も人生もラクになる。】である。
 〜まずは、その辺りから〜
―「私は単純ですから」と卑下とも謙虚ともとれる言い方をする人が結構多いが、
この人は単純の意味が解ってない場合が多い。「あんまり頭を使わない」という
意味だと思うが、単純こそ人間の究極の理想の姿じゃないかね。ぼくも一度は、
「ぼくは単純なんですよね」と言ってみたいものだ。   ーMay 10/2010 13:41
― 人はなかなか単純にはなれないものだ。問題をあれこれいじくり回し、大抵
は複雑にしてしまうので、なかなか問題から開放されない。ーMay 10/2010 13:44
― 単純って、いわゆるアホになること。黒住宗忠という江戸時代の神道の教祖、
ある時、手相を占ってもらった。すると「あなたの相はアホです」といった。
怒られるかと思ったら、忠神は「そうか、わしは長年アホになる修行をしてきた。
それが顔に表れたのか、実に嬉しいことだ」とおっしゃった。ーMay10,201013:49
― 子供の頃、田舎で、「アホ・ボケ・マヌケ」と相手を罵って喧嘩をしたもの
だが、このアホと黒住神のおっしゃるアホとは格が違う。
アホな政治家というアホは馬鹿というアホだ。     ーMay10,201013:59
― ぼくの中にも複数のアホが住んでいるが、なかなか立派なアホになれないまま。
「ツイッターをやっている人間はアホだと週刊誌に書いてあったわよ」と瀬戸内
寂聴さんから電話があった。「私もやろうと思っているのよ」。折角悟った
瀬戸内さんが、ツイッターでこれ以上悟ることになるのかな。ーMaylO,201014:10
▼ 単純といえば、カントの二番目の二律背反、『◎テーゼ:世界は単純な部分
から構成され、世界は単純なものか、またはその単純なものの合成されたものしか
存在しない。◎アンチテーゼ:世界はいかなる単純な部分で合成されたものでない。
また、世界に存在するものは単純なものを含まない。』がある。コンピューター
が、飛躍的進化をしたのは、0と1の組み合わせの二進法をベースにしたから。
 レーガン元アメリカ大統領が、問題に対し、重要度を3つ羅列させ、その3つを、
3つに分け、さらに3つに分けて報告させ、対応をしていたという。
・・・・・・
4709, 閑話小題  ー三毒
2014年02月04日(火)
   * 三毒
「妬む」「怒る」「愚痴る」を三毒。特に女性の職場で、その毒が猛威をふるう。
女の職場は一見、花園だが、一歩立ち入ると、この毒素が満ち溢れている。
だから、そういうものと割り切るしかない。その毒の塊のような元ファースト
レディ(デビ?)が、時どきマスコミを賑わすが、自分をコミックの悪女?
と割り切り、演じているところが良い。 三毒の逆、「敬意」「喜び」「賛美」
をすればよいが、それには訓練がいる。そのため、心身とも豊かさが前提になる。  
   * 母ちゃんこわい!
 最近、どうも図書館で借りてくる本が、<「余命三ヶ月」のウソ>とか、
<末期がん、その不安と怖れがなくなる日>とか、<妻と夫の定年>とか、
マイナーの本が多い。ポジティブも良いが、こういう類が心休まるのは年齢?。 
 先日借りてきた <妻と夫の定年塾ー西田小夜子著>は、どこを開けても、
全てが定年夫婦の『諍い』ばかり。それまでの生活が一変して、妻の支配下に
夫は置かれる。それまで上司の顔色を伺っていたのが、今度は、妻である。
 夫は、「なにかする人」と「何もしないで家でゴロゴロしている蓑虫」
に分かれ、その八割が蓑虫夫という。ところが妻は、数十年かけ進化していて、
その格差が膨大。妻からしたら、そんなバカが鬱陶しいのである。
 著者は「定年よろずもめ事仲裁」を生業にしているが、その実態の事例を
文章にしている。 構図は、「進化妻」と、その配下の「蓑虫夫」の揉め事の
具体例と、解決方法などのコメント。どの事例も、身につまされるものばかり。
   * 我が内なる獣性
 ふと見ると、去年の今日、<トラと漂流した227日 ーシネマ評>があった。
最後の最後の落ちには驚かされた!創業は、この獣性をオブラートにつつみ、
新しい業態をつくること。トラに食べられたハイエナ、キリン、コックが、
旧業態と喩えると、納得する。としても、あの荒れ狂う海で助かればこそ。
その獣性も、もって10年。いつの間に、現象に因われ歯抜けになっていた。
最期に、少し獣性が目覚めたが、それでも、子猫? 
・・・・・・
4342, トラと漂流した227日 ーシネマ評
2013年02月04日(月)                   
 * すごい落ち!ーファンタジーに隠された人肉嗜食?  
  「ライフ・オブ・パイ/ トラと漂流した227日」−シネマ評
 ー まずは、ネットで見つけた「ライフ・オブ・パイ」の評論である。
≪ 獰猛なベンガル虎と16歳の少年が小さな救命ボートで太平洋を漂流する…。
 え?どういうこと?…。「ライフ・オブ・パイ」の奇想天外な設定を聞けば、
こんな絶体絶命の状況から一体どんな物語が展開するのかと、好奇心を
そそられずにはいられない。そして、喰うか喰われるかの緊張関係の中でパイが
見つけた究極のサバイバル方法に、この物語が示唆する命の不思議なパワーを
感じて感動するはずだ。 最初、虎から逃げることばかり考えていたパイは、
やがて、虎を生かすことが自分を生かすことに繋がると気づく。
そして、一緒にサバイバルするという不思議な共闘感を感じるようになる。
敵の存在に、自分を生かしてくれる力をみつけたのだ。この物語には、
こんな東洋的な調和の精神が随所に出てきて、単なる冒険物語を超えて、
生きることの素晴らしさを教えてくれる。敵がいるからこそ、最後まで
生き抜こうと願う。そんなパイの想いに、自分と考えの違う人たちを肯定する
意志が込められている。宗教の違い、民族の違いが多くの紛争の火種になって
いる今の世界で、すべての命を肯定しようとする意志は希望の光だ。
この映画には、その光をあなたの胸に送り届けてくれる力がみなぎっている。≫
▼ 終わりに近づき、ああ面白かったと思っていたところに、最後に「落ち」
 があった。 助けられた後に、遭難した船舶の所有会社の二人が事情を聞きに、
救助され入院しているメキシコまで来る。一通り少年の、この物語を聞いた
二人は、「こんな物語は、誰も信じてくれない。もっと信じられるような
物語が聞きたい!」という。そこで少年が話した物語は、当初、救命艇に
乗っていて、トラに食べられたハイエナやキリンなどは、船のコックなどの
船員の置き換えたもの。トラは少年の中の野獣?で、殺しあい相手を食べ?
生き延びたという筋書き。どちらが本当かは、ハッキリさせてなかった。 
それまでのファンタジーのストーリーが、そこで一変。この落ちが無かったら、
奇抜なファンタジーもので終わったが・・
 映画の導入部分で少年が幾つかの宗教に興味を持って入信していたことや、
動物園で育ち、調教や猛獣の恐ろしさを父親から教えられていた背景を組み
込んであった。ファンタジーとしても、それなりの筋たてがある。
特撮とはいえ、満天の星空の中、鯨が近くで飛び跳ねる場面は圧巻。ベンガル
ドラとの行き詰るような生死をかけた攻防も見ごたえがあった。 95点評。
 ・・・・・・・
3967, 民主主義への疑問
2012年02月04日(土)           
* 近代日本の出発点に立ち返れ! 「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった
民主主義そのものに疑問を持つようになった。中国も、ロシアも体裁は独裁国家
ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、国家の
トップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には
有効だが、大きな時代の変わり目には厄介な代物になり、その使いこなす技は
非常に難しくなる。その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。
 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。印象的部分を要約してすると、
・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。
 だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。この原理に従えば
 従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそむ。
・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての
 行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。
 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という
 原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な夾雑物であり必要悪。
 そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の
 時は、それでも、ちょうど水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、
 ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければ
 ならない時、深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、
 操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。
・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく
 間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。
 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱に
 なってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。
▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。
 一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。
その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳も
あったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった現在、何とか切り抜け
なければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年の五箇条の御誓文に、
民主主義のバイキンの毒素を取り除き、それを最上の活性化酵素として活かす
ヒントがあるとしている。  ーつづく
・・・・・・・
3602, 閑話小題
2011年02月04日(金)
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。
社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。
あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅
するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。で、果たして
日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 
実は世界で一番の水脹れの国家になっている。それも国家財政破綻直前で
悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわん。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが
母屋の5倍以上はゆうにある。国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党
が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても
何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府
総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。
日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。
その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。
  * パン屋の恵方巻き
 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などと
いうのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。一週間前から、
そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを
買おうと思い入ったが、サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。
面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、
カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりに
パンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。節分の日には、豆まきを
しないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったもの!
  ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた
《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きが
 ブームになっています。節分の夜にその年の恵方→歳徳神の住む方角で、
 その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、
 無言で太巻きをまるかじりするそうです。》
・・・・・・・・
3237, 白川義員
2010年02月04日(木)
*「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の
 宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。その粟粒が、鮮烈荘厳で
神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、
この世界に何人いるだろうか、と思い始めたわけです。それならば、
このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめて
やったらどうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で
1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も限られ連帯感も
生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」
*「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で
 凄い写真にするウルトラCなどないということ。小手先の技術だけで
 凄い写真が出来るわけがない。」
*「世界は『使われなかった人生』であふれている」
*「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。
  神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから
  祈るしかないのだ…… 」
*「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」
〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。
「世界の100名山」のDVDを持っているが、素晴らしい映像が次から
次へと映し出される。20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる
切っ掛けになったスイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。
天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。
その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の
秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との出会いをするからだ。
「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は
出会っている。それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山など
でも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 
その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が
最小に押しとどめてくれている。


5437,人生で最も大切な技術 ー⑰ 感情の川

2016年02月03日(水)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 感情の川
 感情といえば喜怒哀楽を思いつくが、そこに感激、感動、感謝という
「魂の感情」を加えることができる。人生は、その質量で大方決まるが、
これも本人しだい。人の心の内側は、他者からはハカリ知ることはできない。
「感情の川」とは、言いえて妙。淀んだり、激流だったり、穏やかだったり。
≪・情念が心の最大のドラマであるなら、それを演じる役者は感情ということ
 になる。人生の最初から最後まで、さかまく激流のように心の中を駆け抜け、
無限に近い数の幸福と不幸の状況を決定する。この激流をなだめる必要がある
だろうか。そして、それは可能だろうか。可能ならどのようにすべきだろうか。
ある感情は、生気で一杯に満たしてくれるし、別の感情は、しばしば神的健全
性を損なわせたり、萎ませたりする。
 エウダイモニアというギリシャ語がある。これは「幸福」と訳され、生気に
溢れ、満足し、達成する、などを意味する。他者の幸せに向けられる愛、他者の
苦しみに関心を示す思いやり等の思考と行為は、幸福を生みだす滋養のある感情
の例である。極端な要求、貧欲、憎悪などは人を消耗させる感情の例である。
破壊的な感情を払いのけて、建設的な感情を強める方法はあるのか。・・(略)
・仏教には、多種多様な精神的事象を表現する用語が実に豊富に存在する。
にかかわらず、古来より仏教語には感情そのものを表現する言葉が一つもない。
それはおそらく、あらゆる種類の精神的活動(合理的な思考を含む)は、快楽、
苦痛、無関心などの感覚と結びついている、という仏教的考え方に起因して
いるものと考えられる。愛とか憎悪などの最も感情性の強い状態は、破壊的な
思考と一緒に生じる。
 感情という言葉は、ラテン語の「動く」を語源としており、有害、
どちらでもない、ポジティブな思考等、心を動かすあらゆる感情を含む。
感情は、心を条件づけ、特定の見方を採用するように心を促す。・・(略)
・感情分析の最善の方法は、内省と自己観察である。
分析の第一段階は、感情がどのようにして生じたかを突き止めることである。
ここでは、精神がどのように活動するかを注意深く見つめること、破壊的な
感情と幸福を育む感情とを区別すること等が要点となる。この分析を繰り返し
実行することは、精神障害の状態を好転させる、最も重要な準備作業である。
仏教徒は、この作業を遂行する方法として、厳格な内観を行うことが要求
される。具体的には、精神を集中し、思考の透明性を高めるための修行である。
このアプローチは、近代心理学の草分け的存在であるウィリアム・ジェームズ
が開発した「持続的で自律的な集中力」に似ている。ジェームズは、自律的な
集中力を数分以上維持することが可能かについては疑問視していたが、仏教の
瞑想者たちによって、この能力が大幅に改善できる。・・(略)
・仏教では、感情処理の唯一の目的は、人間に根源的に備わった苦しみの原因
から自らを解放すること、と教えている。特定の精神的な出来事は、いかに
強いものであろうが、どのような状況で生成されたか、などとは関係なしに、
常に苦痛を伴うという原則に出発点を置いている。特に、欲望(渇望やひどい
苦痛を伴う貧欲の意味での)、憎悪(害を加える意思)、妄想(現実を歪めた見方)
など、基本的に「心の毒」となる三つの精神的プロセスにこの原則は該当する。
仏教では、自惚れ、羨望もこれに加えられる。これら五つの心の毒は、六十余の
ネガティブな心の状態に結びついている。仏教では、その他に「八万四千の
ネガティブな感情(煩悩)」があると説いている。・・ ≫
▼ どうも歳を重ねると、否定的な人の感情に引き込まれるケースが
 多くなる。そういう私も、その自覚がない。この夜半にみた夢が、これ。
<刑事と、知人と、何処かの軒先で、近くでおきた事件の話をしていると、
 若いお母さんが来て、「内容がまる聞こえで、子供が怯えているので、
遠くで話をして下さい」と悪そうにいう>目が覚めて、「ここで好き放題に
語っている内容の自己批判?」と思ったが、全身全霊で内観した目で社会批判
をすれば、何処かで人を傷つけて当然だろう。しかし、基本的な心の毒の、
欲望、憎悪、妄想の垂れ流しの怖いものみたさもある? で、偶然だが、
去年の以下の恐ろしい夢が、これ。 得体の知れない自分の心の底が、垣間
みれる。内観そのものである。 この偶然の脈絡の繋がりに驚かされる。
当時、感情の激流が渦巻いていて、その激情は、今でも深く渦巻いている?
〜読返してみて、そこにも生身の自分がいて、現在に繋がっている。
傷が深いほど、人は癒され、恩寵を受けるようである。 
・・・・・・
5073,閑話小題 〜夜明けのスキャット 
2015年02月03日(火)
   * 夜明けのスキャット 
――前日の夜半(2時半位)、半睡状態の中、淡い金色の球体を思い浮かべ、
その中に入り横たわるイメージを持ったいた。暫くすると、何と20歳代
半ばの金沢時代にスリップをしていた。何故か、金沢時代の写真が一枚も
残ってなかった。境遇的には、どん底だったが、そこは金沢。人間関係も、
華やかで、職場も美人が多く、楽しい面白い時間を過ごしていた。
夢の中の人達は、さらに光り輝いていた。一番辛い時ほど、裏腹に楽しい
ことが張り付いている。それから40数年後に、こんな夢を見るとは、
そろそろ危なくなってきたか? 当時は、「嫌なこと3つに良かったこと、
1つ」だったが、だから、輝くのだろう。それにしても、ほぼ忘れていた
当時の人たちの姿形が、映像として輝き現れ出るとは、脳は不思議である。
――で、今朝方の夢は恐ろしい物語。半睡の中、同じように金色の球体に
入って暫くすると、丸の内の大きなオフィスビルのロビーに、誰か二人と
居た。ところが、トイレに行きたくなって、外に出たが、見つからないため、
戻ってきたが、二人が見つからない。そこでビル内を探していると、
小さな部屋がある。そこに一人の男が居て、『何で自分が、こんな部屋に
居なければならないのだ!』と叫びながら出て行った。どうも、閑職に
追いやられたようだ。そこで、再び探し回ると、違った部屋に入った。
そこに10人位の人が、ノウネクタイのYシャツで、並んで立っている。
机は有るが、椅子がない。そこは退職を促すタコ部屋。
 その内の一人が突然、『謝って元に戻してもらいたい!』と叫び、
入口にいくと、自動的にドアが開き、出て行った。監視カメラがあって、
外出を認めれば出れるようだ。その後、数人が出て行った。
そこに、昼休時に数人の女性がジャケットを持ってきた。寒いらしい。
オフィスビルを探しまわった結果、そこで、サラリーマン残酷物語を
垣間見たみた夢だった。
――何ゆえに、こんな夢を見たのか? その直後、考えてみたがサッパリ
分からない。あの10人がうな垂れた暗い部屋!何だった? それぞれ、
色いろあったのだろうし、辞められないのだ。実際は、これより酷いはず! 
――今になって気づいたが、前日の夢と関連付ければ、当時の私のドン底の
心象風景が、この10人と同じ? 夢は結構、複雑な己を自分に提示する。
夢分析とは、成るほどこれか!前段(前日分)が、光、輝き。後段が、
その背景の暗闇の物語。ビル内を探し回って見たものは、当時の自分の姿。
とすると、あのジャケットを差し入れしてくれたのは? 辛いほど、
人には優しくなる。 同時に、人から優しくされる。これが娑婆!
・・・・・・
4708,末期がん、その日のための予習を ー4
2014年02月03日(月)
      「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
   * 第三章 がん細胞が教えてくれること
 ・顕微鏡の下のがん細胞
 ・がんは「身の内のもの」
 ・見た目は悪いが生命力は旺盛
 ・コピーミスは細胞分裂につきもの 
 ・がんは「不良息子」
 ・ギブ・アンド・テイクで水車のように生きる
 ・コントロールからはずれて自由に
 ・がん細胞の驚くべき柔軟性
 ・「尺取虫運動」の着実な歩み
 がん細胞は、みずから生まれ育った場所から、新しい場所位に移動する
 能力を持っている。転移である。
 転移は、播種と、血行性・リンパ行性の二つに分けられる。
  ☆ 播種は、種が飛ぶようにして、広がっていく。
  ☆ 血行性・リンパ行性は、血管やリンパ菅を通って運ばれる転移。
 転移は何故起こるかは分かってないが、それが、彼らの生存理由に
 なっている。がんは転移がなければ、さほど恐くはない。
▼「がんは不良息子」は、言い得て妙。その扱いは、まず理解し、なだめ
 すかし、暴れないよう扱うしかない。不良になるには長年の生活習慣が
 起因していて、頑固で、性格が歪んでしまっている。だから、早めに歪み
 を取り除くことが重要。生活習慣による身から出た錆の要素が大きい。
 不良息子には、多方が良性と悪性の二種類がいること。悪性は、どのみち
 助からない。反面、良性はがんもどきである。がんの成長は、意外と
 ゆっくりしている。1センチのがんは、まず治るサイズだが、その大きさ
 になるに30回の細胞分裂が必要で数年〜十年はかかる「尺取虫運動」。
・・・・・・
4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
2013年02月03日(日)
「イタリア人と日本人、どっちがバカ? 」ファブリツィオ・グラッセッリ(著)
   * 「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」
 日本在住のイタリア人が書いた本だが、なかなか面白い。イタリアは、北と南
では民度が大きく違っていて、著者も、その一人だが、北イタリアはドイツを
しのぐといも言われる。 南イタリアは北の植民地的存在で・・ 首都圏と、
他の地方とかいう日本の感覚に似ている。最近の日本は欧州のPIIGSと同じ
レベルか、その下にまで成り下がってきた。まず、ーアマゾン〜内容紹介ーより
《 アメリカ型経済を真似て、私の国はメチャクチャです」。在日20年以上の
イタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリは、こう語ります。 敗戦後
の奇跡的な復興から、近年の政治・経済・社会の劣化、教育制度の危機、
アメリカ主導のグローバリゼーションまで長い歴史を誇りながらも、今では
「立派な」借金大国である日伊両国には多くの共通点が存在します。国家破産
に向かう今日のイタリアは、明日の日本の姿なのでしょうか。架空のイタリア人
一家(ビアンキ一家)。ミラノの工場で働き、賃金カットの危機にある
ビアンキ氏と憧れの国日本にやって来るニートでオタクの息子。彼らを主人公
にストーリーが展開し、かの国で今、何が起きているかを描くとともに、日本
を少しでも良い国にするための、ウィットに富んだ提言を行っている。》  
 ー 要所を抜粋してみる ー
・「北イタリアだけを取り出してみれば、その経済の成長力や生産性の
 高さは、ドイツよりも上で、事実上「ヨーロッパ随一」であることが、
 よく言われます」(30頁)。
・「お互いがギブ・アンド・テイクの関係で成り立つこうした縁故関係を、
 イタリアでは「クリエンテリズモ」と言います。そしてイタリア人の
 社会は、この縁故関係をもとにした、無数のいわば「利権集団」の集まり
 から成り立っています」(38頁)。
・「イタリアは、近代国家建設の時点で、南イタリアを「絶対に」必要
 としていました。・・・ それは、一種の「コロニアリズム」=植民地主義
 だったと言って良いでしょう」(70頁)。
・「今もなお、イタリア人が「あまり働かない」国民であるというイメージが
 根強く残っているのは、はっきり言って「偏見」でしかありません。それは、
 ヨーロッパの労働者について調べた具体的な統計にも、はっきり表れている」
・「ベルルスコーニは ・・・ イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の
 「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を本格的に
 「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけ。 
 ・・ にもかかわらず、その政策遂行に当たって、ローマ政界の政治システム
 に頼らざるを得なかったのです。・・ 結果、ベルルスコーニは、彼のバック
 についていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになった」(178頁)。
・「彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、
 「国際金融システムを、健全に保つこと」です」(189頁)。
・「バブル経済の興隆と崩壊、そしてその後の「空白の20年」と言われる
 時代に、一番大きく変わってしまったものは、日本人のメンタリティー
 だと私は思います」(207〜8頁)。
▼ 青の洞窟内でイタリアの船頭が、カンツォーネの歌の合間に、
「がんばれ日本」と言っているのをTVでみた。北が南を植民地化しているのを、
この本で初めて知った。その視点からみて、日本も首都圏が日本を支配している。
ということは「地方は首都圏の御荷物」であり、「南イタリア人と、日本の地方人、
どっちがバカ?」の質問になる。その首都圏も8年以内に100%、直下型地震がある
・・「人からコンクリート」は、埼玉周辺の副都心造りが最重要になる。
何がオリンピックか! まだ高度成長期のバイアスが罹っている石原。 
戦後日本のバイアス(偏見)そのもの。
・・・・・・
3966, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー2
2012年02月03日(金)
 京都大の地震研究機関の発表では「5年以内に3割の確率」と東大より
緩めの発表をしている。二つを合わせると、「4〜5年以内に5割前後の確率で
直下型地震が起こる」ことになる。 災害の場合は、厳しい東大の確率に標準を
合わせるべきである。それに東海・東南海・南海地震の可能性は含まれてない。 
それに3・11直後の3月15日に起きた富士山の地震による噴火の可能性もある。
それらを考え合わせると関東・東海地区は何時、何が起きても不思議でない事態。
 前回、「一年以内に9割の確率」に時間を短縮し、確率を高めた仮説を立てた。 
まず何をすべきかの対策が見えてくるからだ。大企業は、その情報は数ヶ月前から
入っていたはず。 スマトラ沖地震に、中国・四川の地震、ペルー地震、
ニュージーランド地震、そして東北大地震は、太平洋を挟んだ地球規模の地殻
変動であり、東北大震災は、東北から千葉にかけての沿岸ぞいに幅200キロ、
長さ500キロにわたる震度7、M9の400〜500年に一度の歴史的大地震である。 
この規模の地震は、近くの地震帯や火山に大きな影響を与え、数年以内に新たな
大地震や噴火を誘発する。 3・11以降に関東の地震帯に異常な動きが見られ、
直下型地震の可能性が7割という予測。ことの重大さは分かっても、職を辞して、
一家で地方に移住できる人は限られる。座して地震を待つしかないのが殆ど。
しかし、東北大震災の惨状を連日ニュースなどで見ているため、出来る範囲の
準備に取り掛かるから、それぞれの静かな疎開が始まる?新潟などは移住に、
もってこい?である。米と、水と、魚があれば何とかなる。それに酒?
 首都圏崩壊の事態にでもなったら、バブル崩壊、そして経済震災二つ、
東北大震災に引き続いて大打撃。国家破綻となり非常事態。
第二次世界大戦の敗戦直後の日本に逆戻り。 銀行閉鎖や通貨切替で、国民は
丸裸にされる。それが7割の確率としたら・・ 外国への疎開も資産家にとって
現実問題になる。他人事ではない、現に私が3つの震災を受け、一歩先んじた。 
 布置という言葉がある。 大きな変わり目に、思いもよらない大きな出来事が
次々に引き寄せられ重なる、という意味。表向きは違う体裁をとった非常事態
政府が出来るはず。首都圏の問題であり石原都知事が首班になるのが自然。 
まともならだが!
 ・・・・・・・
3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)
 * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが
億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように色いろのことがよぎってくる。
「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、
小題として幾つか書いていた。しかし、その方が面白いと指摘され、読み
返してみて成程と思った。何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、
せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が残せる。この小題を幾つか書き
続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 
47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。 現在、
「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに思いのまま乗っけて
いるが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  
 ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
【《 2005/11/26  辺境へ−2 》ー私が行った辺境を印象深い順にあげる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル
 〜パキスタン国境のクンジュラフ峠〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜
 アフガン国境のペシャワール〜イスラマバードである。
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方 3、南米のベネゼイラのギアナ高地 
4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 
8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 
11、エジプト・・・・   】
 カラコルムハイウェーに入って、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、
倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの土砂崩れと、その手配と、難問が
次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、それを責める人は
誰も居なかった。ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなく
なり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りのマイクロバスに乗り換え。 
そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百m
走って渡った。上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百mの
勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。その現場ではなかったが同行の一人
が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。しかし、面白いといえば
面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人
ばかりである。


5436,人生で最も大切な技術 ー⑯ 自分の一番の敵(苦脳)への即効薬は

2016年02月02日(火)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 自分の一番の敵(苦脳)への即効薬は
 苦悩の危機管理である。終戦直後の幼児の頃、両親が創業に大わらわで、
家庭内は多くの問題を抱え、日々戦場。その中で、長兄、次兄が、戦死?した
こともあって、小中高校時代は、神経質で暗い性格だったが、表立っては、
明るくふるまっていた。大人数の兄・姉達も、越後の特質もあり、それぞれ
が独りの世界に閉じこもっていた。しかし、私には、父親が何かと骨董品を
愛でるように(ペットのように)外出時には、何時も連れ歩いてくれていた。
そこで聞く世間話が何とも面白こと、この上なかった。特に倒産、夜逃げ話、
妾など男女間の話題は、生々しい悲喜劇に満ちていた。
 相続もトラブルを前提に、生前贈与でそれぞれの持分を確定したうえ、
亡くなっていった。その環境の中で、自分の身は自分でしか守れないことを、
商家の環境が知らしめていた。 久々に会う大学時代の何人か友人が、
『お前は、用心深かった!』と言われるのも、幼児からの生活環境がある。 
 会社整理は、厳しかったが、問題から目を逸らさず、『正 中心 一点無』
を心の中心に据え、そこから湧き出る考えに従うことで乗りこえた。
 これは創業期から実践してきたこと。マイナス期には、ハイエナ人間が、
臭いを嗅ぎつけて擦り寄っていた。 得たこと3に、失ったこと1と割切れば、
人生、まんざら悪くない。 〜その辺りから〜 
≪ 外界で激変が起こっても、それが必ずしも最大級の苦悩をもたらすこと
にはならない。戦時中に、自殺とうつ病の発生率が大幅に低下することが
実際に観察されている。天災も、勇気、連帯感そして生きる意志などの人間
としての最高の徳をときに導きだすゆ利他主義ど相互援助の心は、悲劇的な
経験による外傷後ストレス症を軽減するのに役立つ。心の安定を維持するのを
妨げたり弱らせたりするのは、大概の場合、外界の出来事ではなく、自分の
心とネガティブな感情である。
 矛盾する感情どうしが胸の中で手を結び、その手を解くのを頑なに拒む。
これらの矛盾した感情と戦ったり沈めたりの努力は、無駄な抵抗である。
漸くそこから抜け出せたと思っても、新たな力で襲いかかってくる。
この種の感情的な苦痛は、鎮めようとすると抵抗し、取り除こうとする試みは
ことごとく失敗に帰す。こうした戦いの間、自分の世界は、矛盾だらけの様相を
呈し、不幸、圧迫感、苦痛などの感情が生じる。一体、自分のどこが間違って
いるのだろう。 思考は、最高の友にもなれば最悪の敵にもなる。
世界全体が敵に回った、という考えが生じると、あらゆる認識、あらゆる経験、
そして世界が存在することさえが苦痛源となる。そして、敵として立ちはだ
かっているのは、他でもない自分の考えである。厄介な考えが、群れを成して
心にどっと押し寄せ、それぞれが混乱の度合いを深める筋書きを捻りだす。
自分の内側がいい状態でなければ、外側がうまくいくはずはない、日常浮かん
でくる思考の中身を注意深く観察すると、世の中のスクリーンに映しだされる
自分の内面の映像がどれだけ色づけされているかが実感できるだろう。≫
▼ 事業当初から、苦悩、怒りの質量を推測し、不快の気分は何日?何ヶ月?
 の痛みか推定、ほぼ日程とおり収まった。時間薬である。応急処置として、
問題の中心点を凝視、ただただ、見続けていると、それが思いの外、大した
ことがないことに気づく。吠え付かれた時には? ・・書きだしたが、
それを楽しんでいる自分が生々しいので止めた! 何事も楽しめばよい!
・・・・・・
5072,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー7
2015年02月02日(月)
        『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
* 進化は必然か偶然か 〜ブライアン・スウィーテク著『移行化石の発見』
 地球の大気圏が一度、消滅をして、再び同じ状況下で、同じようなプロセス
を経たとしたら、同じような生命と類人猿が生まれるだろうか?という素朴な
疑問があるが、それに対して「存在は偶然の積み重ねでしかない!」と!  
と断言している。 〜その辺りから
≪ 昔から、ダーウィンの進化論を信じない主要な論拠の一つが、種が進化
するときの中間形態の化石が発見されていないということにあった。
しかし、近年、見つからないがゆえに‘ミッシング・リンク’と呼ばれてきた
中間形態の化石が続々と見つかりはじめている。ブライアン・スウィーテク
『移行化石の発見』は、そのような驚くべき化石の発見史の物語。
 たとえば、クジラは陸にあがった哺乳類が再び海に戻った種だが、陸上を
四本足で歩いていた時代の化石が見つかっているし、鳥は恐竜から進化した
という説が長らく本当のこととされなかったが、移行期の羽毛におおわれた
恐竜の化石が発見されて本当だと信じられるようになった。
 面白いのは最終章「進化は必然か偶然か」。ある環境が与えられたら、
ある進化が起こるのは必然なのか。別のいい方をするなら、この地球環境が
人間を産み出したのは必然なのか。ある進化が起きたとき、やり直したら同じ
進化が起きるのか。一九八八年ミシガン大学で大腸菌を使って壮大な実験が
行なわれた。全く同じ大腸菌群を育て、五百世代ごとに冷凍保存していった。
 三万千五百世代で重大な進化が起きた。世代をずっとさかのぼって、サンプル
解凍で多数のやり直し実験をしたところ、また三万世代で大きな進化が起きたが、
進化の方向は違っていた。さらに実験を続け四万世代まで来ているが、結論は、
進化は偶然の上に偶然が積み重なって起きるのだから、同じ進化は二度と
起こらないというもの。人間も同じで、この進化は偶然の積み重なりで起きた。
地球環境がさらに数億年続いても同じ進化は起こらない。我々人間が滅んだら、
人間が再生することはない。・・・ ≫
▼ これは、個々の人生でも同じ。偶然の積み重ねが現在の自分であって、
 何事も一期一会である。だから、志や、信条を明確にして、日々、生きな
ければならない。志、信念を強く持って、偶然を機会として、将来を切り開いた
結果が必然のように錯覚してしまう。それにしても存在は、不思議である。
・・・・・・
4707,<つまずき>の事典 〜分別  ー2
2014年02月02日(日)
            <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう?
『ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、
どうして神は他の明かにもっと優れている候補をさしおいて、人類を被保護者と
して選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんど
は人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持
していたら、神への不服従にしたって人間の半分も犯さなかったんじゃないか。
そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一バーンズー
 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者
として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば取り返しのつかぬ〈過失〉
であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、
紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし
猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。したがって、ある
フランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿で
あることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしない
だろう」。』
 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。
   * 分別
 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間
   である必要がある』 ーサミュエル・バトラー
 ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から
  目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて語ることこそ、分別ある
 人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 
 真理と真実を直感したまま書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、
 愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に
 似ていた。失敗というのは明快で、そして確実なものだ。確実なものの中には、
 いつも安らぎがあるのだ。』ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な
 心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の緊張が切れたこともあるが、
 この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など
 考える必要もない。実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に
 引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
 確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が
 常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。
・・・・・・
4340, 自己とつきあうということ −6
2013年02月02日(土)
   * ソクラテスと自己の問題     
 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)   
「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテス
の言葉が広く知られているが、それを本当に我われは理解しているかというと
疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮すること
と2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる 
≪ ー汝自身を知れー  吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、
 よく生きることこそ人間のつとめだと考えたギリシアの哲学者、ソクラテス
(前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。神殿の壁に記された
「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住と
しての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬほかはない人間に与えられた
「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に
訪れる者たちに「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものと
みなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。そのために、自己は
配慮されなければならない。無知な状態に脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。
【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力に
 おいても、最も評判の高い、偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、
できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気に
かけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、
心配もしていないというのは。】
 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして
精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑
と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調している。
彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければ。≫
 ー「よく生きる」という実践ー  しかし、自分自身をよくするとは、いったい
どうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということ
ではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、
どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか
「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、
ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫
▼ 一生かけて自分を覆っていた固定観念を叩き壊してきたつもりだったが、
 振り返えれば、あまり壊れていなかったようだ。壊すほど、その奥には、
さらに頑強なバイアス(偏見)の岩盤が表出してくる。周辺を見渡すと、ゾンビの
群れが、彷徨っているのを見かける。己を忘れ、現実に溺れ死に、墓に埋められた
ミイラが死に切れず徘徊しているのが、ゾンビ。 
・・・・・・
3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
2012年02月02日(木)
 数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラス
の直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」という研究結果を発表した。
(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・
延焼が85万世帯」。東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。
85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、それも
仕方がない」と安穏としてはいられない。私が都内在住で幼い子持ちなら
移住を考えざるをえない事態である。外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 
直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。ビルは津波には避難場所に
なるが、問題は古い建物の倒壊。それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、
あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、それぞれ生活事情がある。 
これまでは福島原発の放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、
そこより遥かに危険地区に住んでいる現実を突きつけられたことになる。 
神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、
神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして
6〜7万以上が亡くなる可能性がある。その上、首都の一極集中の機能が壊滅
をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、
9・15、3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本に
とって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。
  * ここで、仮説を立ててみる。
≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が
 年以内に90%の確率で発生する」という仮説。東京はパニック、現実問題
として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、
あの疎開が始まることになる。今まで小さな地震に対して気にしてなかった
都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。
富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に
家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫
 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故
以降に起きている。それが更に徹底して始まる。現に私の会社が3つの災害で、
あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられない
のが本当である。まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート�とする
「東北関東大地震のパート�」が動き出した、という見方をすべき?
 あの地震と津波は、東北関東大地震パート�でしかないとすると? 
パート�が東海・南海・東南海地震の可能性もある。
しかも、景気に対する悪影響は大きい。誰が、この事態で家を建て替えるか、
自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか?
・・・・・・・
3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −3
2011年02月02日(水)
 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。
そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本
の一面が見えてくる。日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは
想像以上に「家族」を大事にしている。その一つとして、子供と一緒に過ごす
時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。
それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、
日本人は16パーである。8割の人が「天国に行くか地獄に行くかを神が判断
する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒なら
いざしらず、殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。
その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ非常に低い。
競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。
彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、教会が心の拠りどころとしてある。
もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での
雄大な自然である。そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に
敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、豊かな農業があり、
聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、
他人の成功に一々目くじらを立てないで済むのである。英国人も日本人も
アメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。
それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 日本青少年研究所が
2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると
・「私には人並みの能力がある」  日本人15・6パー 米国人56・5パー
・「私は他の人々に劣らず価値がある人間」日本人8・8パー 米国人51・8パー
  私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。
・「自分に起こったことは、すべて自分の責任」日本人25・2パー 米国人59・7パー
 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。
 他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。薩摩芋なら薩摩芋のままで
 良かった? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 
 我々は日本産バナナ? 


5435,人生で最も大切な技術 ー⑮

2016年02月01日(月)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * セルフの分解
 セルフをネット辞書でみると、
☆ 「自己・自我・自身」「自身で」と、
☆ ユング心理学で,無意識を含む心全体の中心であり,かつ心の外
 にもあって意識と無意識の調和を図る超越的な存在。
ここでは、「私」+「人格」=「セルフ」の分解 が明快。〜その辺りから〜
≪ この問題をより深く理解するために、詳細な分析に再挑戦してみよう。
個人的アイデンティアイの概念には「私」「人格」「セルフ」の三つの側面が
ある。これらの側面は基本的にはたいした違いはないが、自分は自分である、
というアイデンティティへの執着の仕方が違うことを反映している。
・「私」は現在に存在する。「空腹だ」とか「存在する」と考えるのは「私」
 であり、 意識、思考、判断、意思の発信源である。要するに、現在の状態
 を経験するのが「私」である。
・精神神経学者、デビツド・ガーリンは、「人格」の観念はより広範囲である
 として、 次のように結論づけている。「人間の肉体的、精神的、社会的な
 存在の多様な側面が組み込まれた過去、現在、未来を通じ、ダイナミックに
 流れる流動体であり、その境界線は流動的である。
『人格』は以下のように広い範囲に該当する「肉体(健康状態などの)、
 個人的な考え(極めて個人的な感情などの)、性格(良い人などの)、社会的
 関係(個人的生活と職業生活を分離するなどの)、一般的な意味での人間
 (人格を尊重するなどの)」。このように時間を越えた連続体は、過去の
 自分のイメージにも未来の投影にもつながり、個々の人間が他と異なって
 いて、独自の質を備えていることを明示する。・・・(略)
 今この瞬間を経験する「私」を、存在の連続体である「人格」に結びつけると、
「セルフ」が出現する。デビッド・ガーリンの説明にあるとおり、人間には、
複雑なグループ分けを、「実体」という一つのグループにまとめることで単純化
を図り、次に、その実体は恒常的特性を持つ、と結論づけようとする傾向がある。
環境が刻一刻変化することがなく、ほとんどの現象が永続するという考え方を
受け入れたほうが、世の中で楽に機能できる。・・・ ≫
▼この「セルフの狭い世界を、コップ一杯の水に喩え、一握りの塩を入れれば、
飲料水に相応しくなくなり、セルフの壁を突破すれば、同じ一握りの塩を入れ
ても、味が変わらない巨大の湖のように心が広がる。」と例える。
 老いていく利点が、この湖のように広がることだが、一つ間違えると、溝沼
のように淀んでいく。大方の人にとって、老いるとは無念である。〜纏めると、
「私」+「人格」=「セルフ」。現在の状態を経験するのが「私」。
「人格」は存在の連続体。「存在の連続体」を「習慣の集合体」にすると、
そこに天性が現れ出る。5400のテーマの、その日分の内容が「私」。
その全ての内容に、私の「人格」が現れ出ている。「そのまま結構」だが、
どぶ沼のボウフラや、逆に湖の大魚と自己錯覚した比較社会の小魚には? 
・・・・・・
5071,ツィッター、その雑念のゴミばこ 〜1
2015年02月01日(日)
         『ツイッター、その雑念のゴミばこ』横尾 忠則(著)
 ツイッターを、そのまま本にした面白い本である。たしか糸井重里の
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』という、同じようなHPサイトの舞台裏や
対談などを書いた本があったが、この著者・横尾の呟きは、どのページを
ランダムに開いても、引き付けられる内容である。その場で思い浮かんだ
雑念?を、そのまま公開することで、それ自体を価値ある素材にしようと
している。私の随想日記は、一応、起承転結に捉われているが、ただ、
思いのままの雑記。だからこそ、光っていて鋭い。そこで、時系列でなく、
ランダムにパラパラと開いて感応した箇所を拾い上げてみる!
――人生の中で一番初めに自由になった! と思ったのは父が死んだ時だった。
その次に自由になったのは母の死だった。    May 10/2010 13:14
 愛情は実は執着だったことをその時初めて知った。
 愛は相手を自由にさせるが、情は相手を束縛する。 May 10/2010 !3:21
▼ 私にとって父親の存在があまりに大きかったため、父の死に自失呆然。
 その時、創業準備を父親と供にしたこともあり、その死は、『さあ、
これからは、お前一人でやりなさい!」というタイミングになった。
そして、孤独、自由の中の決断の恐ろしさ、不安が、そのままエネルギー
の源と知ることになった。 それから24年後の母親の死。これも、哀しい
出来事であったが、ただ姿が見えなくなっただけで、極く近くにそのまま
いるようで、今でも数ヶ月に一度は夢に出てきている。「愛情は執着」とは、
成るほど! 準備を含めた45年の事業人生、結果のいかんに関わらず、
離れてしまえば、夢幻。執着、後悔、無念など、跡形も無くなってしまう。
残ったのは、行蔵の記憶と、幾つかの書類のダンボールと、冷たい視線だけ。
だからこそ、むしろ、胸の中で愛おしまなければ、生きてきた甲斐がない!
 父母の愛情も、子供にとっても、親にとっても、執着。まず、第一歩は、
そこから離れることだが・・ 愛も、情も、人にとってのベース。
 何をしてきたのだろう、お前は! 外は雨と共に風が吹いている。
で、昨年、一昨年の、以下の内容に続く!偶然だが、お後が宜しいようで?
・・・・・・
4706,<つまずき>の事典   ー1
2014年02月01日(土)                      
            <つまずき>の事典> 中村邦生編著
図書館内を彷徨っていると、そこに住む天使が、その時どきの最適な本に
導いてくれる。今回は、これ。そろそろ節目も終わり、切り替え時期。 
冷静に<つまずき>を見つめ直すに丁度よい本である。
新たな創造前には、崩壊が必要。この挫折経験から、傍からみえた現象は
ワーストだが、私の人生にはベストと仮説をたてると、そう思える。
「これまで信じていたことが、ほぼ全てが間違っていたのでは?」という
視点が、大きな収穫。実際に経験すればこそである。
  ーアマゾンの内容紹介ー
【 世の中楽しいことばかりじゃない!様々な挫折があればこそ生まれた
 名言・名句の数々。"つまずき"の中に人生をみつめ、自分の失敗を笑う
勇気がでてくることばのアンソロジー。英米・日の文学作品・映画・芝居や
ヒットソング・広告コピーから選んだ237句にスパイスの利いたコメントと
原文を添えた。小さな文学事典を兼ねた作家・作品案内でもある。】
   * 新たなチャレンジに迷っている時に
「君はこれまで何度も失敗した、覚えてはいないかもしれないが。
 はじめて歩こうとしたとき 君は転んでしまった。はじめて泳ごうと
 したとき 君は溺れそうになってしまった、そうだったろう?」
▼ 転ぶことも人生の一部。自分の手と足で立ち上り、新しい人生に歩き出す
チャンスでもある。つくづく実感したのは、私にはこれがベスト!ということ。
で、次のチャレンジは?そう、あれ? いや、まだまだ、楽しみが足りない?
   * 世界の涙の総量は一定なのさ
《『世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、
 どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにもあてはまるよ』と、
サミュエル・ベケット(二十世紀を代表するアイルランドの文学者)は、
ある登場人物に言わせています。もし自分が悲しみに沈んでいる状態にある
とすれば、この世界の誰かのところにあった涙がたまたま自分のところに
集まっているのに過ぎず、そのことによってその人の悲しみや苦しみを密かに
和らげていることになるからだ。もちろん逆の喜びの総量に関しても同じことが
言えるだろう。涙も笑いも実は私たちすべての者が分ち持っているのである。》
▼「泣いても笑っても同じ空」 (ノ∀`)っても(;_;)ても、同じなら、
 笑っていた方が良いが、時に悲しみも必要。「人生、あざなえる縄のごとし」
で、哀しみも、笑いも、同じ束の藁。それが人生。そう思えば、冷静でいられる。
喜怒哀楽のどれもこれも、人類の一定量の共有物と思えば、バランスをもって、
引き出せばよい。ところで、私の人生には哀しみが足りなかった! 実感として、
「喜3、怒2、哀1、楽4」の割合。楽の4を2にし、哀を3で丁度良い?で、
神様は、この結果を与えた!が、今で2? いや1のまま? σ@(゚∀ ゚) クルクルパ
・・・・・・
4339, 自己とつきあうということ −5
2013年02月01日(金)
      「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
ー 人間が壊れやすく、制御が容易でないことについて、ヘラクレスと
 同じ頃にブッダは以下のように述べている。まずは、その辺りを抜粋。
  * ブッダが説く「自己制御」の必要性!
▽「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?  
 自己をよくよくととのえたならば、得難き主を得る。」おそらく、ブッダ
 ほどに自己の危険性、脆さ、悪への傾向を意識していた人はいない。
 彼は、自分が自分の主になることのむずかしさ、自分をよく整えることの困難
 さを知りぬいていたがために、ことあるたびに自己制御の必要性を説いた。 
▽「善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、
 善いことは、実に極めてなし難い。」 ブッダは、不要なことに心傾けて、
 必要なことをしない人間、自分を制御することから遠い人間の現実を直感。
  ブッダはまた、ヘラクレイトスの強調する「思慮を健全にたもつこと」から、
 人間がいかに遠い存在であるかを繰返して述べた。 
▽「避けねばならぬことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ
 (=必らず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、
  邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。」ブッダによれば、
 真に必寝なことを考えることよりも、邪悪な思いにかられ、嘘をつき、
 愚かしいことをたくらむことに忙しく、汚れ、滅びていくのが人間であると。
▽ 「人間が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口を
 言って、その斧によって自分自身を斬るのである。」ブッダは、自分のことは
 棚にあげて、他人のことをけなじたり、悪く言わずにいられない人間の傾向を
 巧みな比喩でいいう。
  * 自己を乱す力!
▽「この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように堅固に
 安立してー知恵の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。――しかも
 それに執着することなく。」ブッダは、身体が愛欲や欲情、妄執の源泉であり、
 心を汚れたものにする不浄なものであると見なし、身体の誘惑から身を守ること
 の必要性を強調した。心は不断に身体によって汚染される危険にさらされており、
 制御されなければならないものであった。
▽「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心を
 おさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」
 へラクレイトスと同様に、ブッダも欲情や危険を身体の内に見ていたことは
 否定できない。ブッダは、先にも述べたように、自己を、自己の主となるべき
 ものであると見なしていたが、それはまた、自分の心に一定の方向を与え、
 乱れやすい自分の心を制御するという課題を担うことを意味しでいた。
 ブッダにとっての自己とは、自己によって注意深く配慮し、支配、制御すべき
 ものだったのである。ブッダが身体をネガティブに捉える観点には賛同しかねる
 としても、注意を促している点は共感できる。
▼ 釈迦は弟子たちに向かい「修行僧たちよ、 すべては移ろいゆく。
 怠りなく努め励めよ」 と言い残され入滅された。世の変化に対し、己も変化する。
そのために己の中の動物性をコントロールし、心を整えることが目指すところである。
・・・・・・
3964, ゲーミフィケーション ー2
2012年02月01日(水)
 【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 
                 25日NHK・クローズアップ現代 】
  * 結構、面白いゲーム化
 私の趣味の一つが「秘境・異郷ツアー」だが、いや、だったが? 
回数を重ねるにつれ、いつの間にかゲーム化になった。旅行中の楽しみの一つに
ツアー仲間の情報交換があるが、ベテランほど旅先をゲーム感覚で構成している。
パリ、ロンドン、ローマとか都会文化を楽しむ都会派。 アフリカ大陸専門の
サファリ派、南米派、インド派、シルクロード派、秘境・異郷派など、それぞれ
の趣味に合わせて行き先を組み立てていく。そして、まず予算と行き先の選定、
旅行代理店のツアーの選定、そして、旅行準備。それが面白く楽しい。 
それで一ヶ月は楽しめる。そして旅行中の10日間、帰ってから、写真や資料の
整理の一ヶ月で、大よそ三ヶ月近く楽しめる。その上、行った先は、毎日何処か
のTV局で放送している。見るたびに、その旅行の延長にいるような気持ちになる。
何ごともゲーム化をして楽しめば、それが記憶をパッケーをする効用になる。
「面白くなき世を面白く」は、自分の経験を、上から目線でゲーム化することと
同じ。その意味で、ゲーム化は日常生活を面白可笑しく活きるノウハウでもある。 
ゲーム機メーカーや、ゲームソフトメーカーには、大きな事業チャンスが限りなく
広がっている。ゲーム機メーカーが、ブルーレイ録画を売り出したが、これなど、
その典型。ゲームは、簡単に知恵が発揮できる場面を提示してくれる。
面白いとは知恵を発揮し生じる感情である。ゲームといえば、最近は聞かなく
なったが、「マネジメント・ゲーム」があった。 社員教育のソフトで、
各自が会社を設立して、戦略をたて、市場の想定をした基盤の中で競争する。
企業とは何かを知るに、もってこいだが、麻雀や将棋を多くこなしたものが有利。 
私は経験ないが、「人生ゲーム」というのもある。これも若いうちにやって
おけば、人生を鳥瞰でき、目先にとらわれない生き方が出来よう。
男女の遊びをゲーム化しているのもいるが。「準備のゲーム化を手順に入れる
習慣」に、人生の秘儀があるようだ。平凡な一日をゲームと生きるとしたら・・
 ・・・・・・・
3599, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −2
2011年02月01日(火)
 ーアマゾンー〈レビュー2〉
150年に亘る交流(良いも悪いも)を重ねてもなお違和感を残す日米関係の
底流に何があるのかを的確に指摘。最大の楽天主義国米国と最大の悲観主義国
日本が同じ規範を持ち行動する事はできない。確かにレビューアーの経験でも
80%できれば成功とする米国流positiveさに対し20%できなければ失敗とする
日本流negative思想の差は大きく、常に確執と挫折を経験してきた。
 その原因に筆者は米国(の本流たる人たち)に特徴的な宗教観、価値観、
家庭観等を挙げる。 同時に現在の金融資本主義者は米国の一部の「深刻な
ノイローゼ患者」であり、それを米国の真の姿と誤解したまま日本に導入し、
そうでなくとも 破壊されつつある「心」を失わせた者と日本社会も糾弾。
(著者近著「非社会性の心理学」にも関連)余談だが、日米のpositive/
negativeさはある特定遺伝子の長さ(米国人は長く日本人は短い者が特に管理者
レベルで顕著)が影響しているとの説もあるようだ。こうなると最早理解しても
埋めきれない差異というべきかもしれない。米国の姿を通じて日本を知るための
必読書    〜はしがき〜に、要約が分かりやすくまとめてある。
 要するにアメリカは、「家族」と「宗教」と「権威」を非常に大切にする国民。 
これがアメリカ理解の基礎である。このアメリカの本質を間違えると、アメリカ
理解はとんでもない間違ったものになる。さらに私たち日本人は、我がままと
無責任を個人主義とはき違えるというおまけまでついてアメリカを理解してしまい、
それを受け継いだ結果、日本人の心は崩れてしまった。簡単に日米基軸というが、
世界一楽観主義の国であるアメリカと世界一悲観王義の国である日本との相互理解
がいかに難しいものかを分かっている人は、日本の政治家の中にいる。
アメリカはスーパー楽観主義の国であり、日本はスーパー悲観主義の国。
このことは本文中に詳しくデータを示しながら説明してある。
残念ながら、日本の歴代首相は誰としてこのことを分かっていない。
さらに世界一楽観主義の国でかつ戦勝国が世界一悲観主義でかつ無条件降伏を
した敗戦国に押しつけた憲法が、これまた世界一理想主義で世界一楽観的である。
アメリカを間違って理解することの中には、いろいろと理由はあるが、そのうちの
ひとつは次のことである。アメリカは基本的には今もなおプロテスタンティズム
の倫理が支配している国であるが、アメリカについての情報発信地は偏った局部
の地域になっている。1970年版のギャラップ世論調査で見ると、プロテスタントが
六五%である。ユダヤ教徒が三%であるが、所得の最も高い層の人たちでは倍の六%。
東部の所得の高い人たちの層では、なんと一四%にもなる。
東部の大都市では住民の一七%である。
▼ 一神教のシステムを多神教の日本に入れたマイナスの矛盾が、
 ここにきて一挙に吹き出てきた。とはいえ、それを乗り越えるしかない。
・・・・・・・
3234, 閑話小題
2010年02月01日(月)
  * 何か変である
 民主党が政権をとって動き出したのはよいが、どうも変である。
党是の官僚主導の打破は良いが、検察と元大蔵省査察が官僚の権益を守るため、
権力闘争の尖兵として露骨に動き出した。前より現在の検事総長が??と思って
いたら、八月が交換時期。その先手と思えば合点する。民主党は民主党で、
「次官制度の廃止」の構えである。これは官僚にとって致命傷になる。
官僚の自己保身で行政が混乱させるのは当然の成り行き。国が壊れていく時は、
こんなもの?。「現在の検察はボロボロの汚れ雑巾。これが社会を掃除をすれば
逆に汚すだけ」と、誰かがのたまっていた。今年は日本も世界も恐慌三年目の
土壇場の一年になるのに、この様である。隠されているプライムローンなどの
債権が表面化してくるのが今年辺り。 カンフル剤効果も、何時までも射ち続ける
ことは出来ない。ホテル宿泊からみる景気状況は、明らかに深刻な恐慌の様相を
呈している。今のところまだ失業率が5パーセントそこそこに抑えられているが、
ある日、欧米並みに10パーセントに向け動くはず。結果、社会不安が増大する。
何とも重い雰囲気が増大している。まず現象として出るのが疲弊した地方経済。 
地元の最大規模の会社の悪化の問題が、今週に表面化するという噂がある? 
どうなるのだろうか。
  * 新インフルエンザを、誰も騒がなくなったのは何故?
 最近、如何いうわけかマスコミで新インフルエンザを取り扱わなくなった。
そう、どうもパンデミック騒ぎは、WHOに入り込んだ製薬会社の連中の、
その薬を売らんがためのパフォーマンス?と囁かれ始めた時からマスコミは
製薬会社の謀略説すら報じない。不思議なことに、毎年起こるインフルエンザ
が、ほぼ消えたという。新インフルエンザと、とって代わった!というの変。
成田で、あれだけ水際作戦とかいったのも何だったのだろう。
私も、9月末に東欧旅行をキャンセルをした。世界は、どうなっている?


5434,人生で最も大切な技術 ー⑭

2016年01月31日(日)

      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * エゴの対応
 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め
ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。
スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている
のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを
こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。
 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、
ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、
目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。
それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、
内容は誰も同じような自問自答?  〜その辺りから〜 
≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で
自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。
対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に
精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、
「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。
教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者
がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。
これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。
 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。
これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、
まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気
づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係
ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地
からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを
希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」
と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。
▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、
 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。
 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの
対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。
 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。
・・・・・・
2015年01月31日(土)
5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット
 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章
≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。
 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、
先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを
持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ
を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、
目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の
光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 
「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、
実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 
ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、
私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? 
というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、
光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ
ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう
不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・
 ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。
〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 
 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫
▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、
横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。
その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 
面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、
際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは?
 そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ
直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け
止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた?
ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、
三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 
その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症?
・・・・・・
2014年01月31日(金)
4705,末期がん、その日のための予習を ー3
     ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』
に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように
過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと!
  * 第二章がんになって見えてくるもの
がんとの闘い・自分自身との闘い  
  ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分
がんは人を哲学者にする      
  ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする
ムダを捨てれば頭も心もクリアに  
  ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと
がんだからこそ手に入るものがある 
  ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。
まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける  
  ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう?
がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ 
  ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学
ほんとうの自分を見つける旅    
  ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる
使命感があれば充実した日々    
  ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる
自分が「なすべきこと」は何か   
   ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。
その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ      
   ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。
    暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時     
自分を変えることは感動のドラマ  
   ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる
がんは「人間力」を高めるチャンス 
   ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。
辛いががんは親しい人たちを大きく育てる 
   ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・
がんになっても「与える喜び」はある 
   ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝
最高のプレゼントは笑顔   ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ((〃゚艸゚)
本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが
               あった本と、読みたかった本を手に取ること
許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、
               「人に会うこと」と答える人が一番多い  
「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に
               すがりたい患者がいるが、あるわけがない?
死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。
               なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・
死は敗北ではない     ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか?
             これは何故生きる?の問いと同じ
人生の目的は「品性の完成」    
 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。
死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、
  それまでの一生分を生きることになる!
「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人
の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。
▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。
その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い
体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、
これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 
「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?((;◔ᴗ◔;))
・・・・・・
2013年01月31日(木)
4338, 嘘と真実
   * 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。
私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、
その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。
伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色
したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、
更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、
それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。
何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る
のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、
       誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム
・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。
   だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル
・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。
   そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。
   そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル
・ 半分の真実は嘘より恐い           ーフォイヒタースレーベン     
・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。     
                          ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは
ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。
『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは
その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、
何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。
事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ
ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、
真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる
しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」
ということか。深入りしないこと!
・・・・・・
2012年01月31日(火)
3963, 貧乏ばあさん
「女一生の働き方」―貧乏(BB)ばあさんから
       働くハッピーばあさん(BA)へ ー 樋口 恵子 (著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピー
ではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。 
が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在している。 
そこそこ蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 
その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って
 いますか?そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 
日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、
夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。さらに、
多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ
とする社会保障につながりにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあ)
に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HP」(ハッピーばあ さん)
になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。
老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 
これこそがこれからの日本女性が目指す道です。本書では、人生100年時代を
迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を
多数紹介。また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も
本書を読めばよくわかります。≫
▼ 世界一の長寿国になった日本。平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳。
その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、収入は
僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉
が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの
6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の
過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られる
という。本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、
その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
・・・・・・・
2011年01月31日(月)
3598、 閑話小題
 * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は
自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が
旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割
で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、英国が三割で52位。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に
抜かれたとしても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。
北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに
直面してないことが重なっているため。日本の自殺率の多さは北欧病に似ている
ためか? 日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 
政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、
飛び火が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など
2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)
が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に火を噴く可能性がある。
「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。
それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が
理解できる。この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が
不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ
消滅を始めてきた。20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、
人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が存在して
いるかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 
激変は辛いが、しかし ? ? !
・・・・・・・
2010年01月31日(日)
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。
通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。それぞれが
背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の
葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。
ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。
実は、この場面が好き。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。
故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの
声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 
ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。
ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を
焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ
切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、これほどの感動的な悲しい場面は
初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。奥さんと家族の感情が
自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が
止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 
無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 
すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を! 


5433,人生で最も大切な技術 ー⑬ 純粋意識

2016年01月30日(土)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 心の本質、純粋意識の経験
 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快
でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、
座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜
≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで
 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、
感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。
 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの
特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。
それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が
そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された
自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在
でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。
 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって
生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の
しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。
特別に存在するのか。 答えは否である。
 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対
の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識
に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考
ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。
「思考をゼロにする目的は何か」
「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。
 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安
や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて
後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。
このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを
つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと
がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。
それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が
理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。
この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟
するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、
どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に
妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。
 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く
聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた
概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、
仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫
▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。
 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に
没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の
眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、
どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、
考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。
これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。
・・・・・・
5069,あわいの力 ー�
2015年01月30日(金)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * 日本の「心(こころ)の三重構造」
 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、
< 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、
「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜
≪ 「心」は、三層構造である。 
 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、
 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり)
 ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。
― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。
 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう
違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。
こころ変わりという言葉があるでしょう。
― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な
 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」
という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を
いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、
その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を
さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が
戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら
「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて
しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。
 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。
言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍
された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め
させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。
 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという
ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍
された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの
「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。
― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも
通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と
いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、
一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫
▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い
 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、
「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、
現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、
渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で!
 * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
   *「考える」と、「思う」の違い  ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 
  ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと
考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに
補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた
ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の
うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、
「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」
「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ
(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」
「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が
どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。
英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。
だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり
して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。
「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。
積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン
・・・・・
4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
  * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が
何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。
だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、
その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の
コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる
タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。
大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」
と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の
中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。
別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。
一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。
仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に
数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、
こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。
糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。
ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 
家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。
時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい
のが目だってきた。
  * アップル株が
 アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 
時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。
「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった
が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。
カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 
問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。
「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が
出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の
テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。
検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。
それも、iPhoneが解決する。 
・・・・・・
3962, ゲーミフィケーション
2012年01月30日(月)
【ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜クローズアップ現代】
 * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む
最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの
手法を取り入れ活用している事例を紹介している。私も以前より事業や人生に
「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 
ここでも、ゲーム化について何度か取上げてきた。ネットが世界的に普及して
きた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。
 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視を
ゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。ポイント制にして最高で月3万円が
貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。
 −まずは、クローズアップ現代のHPより
≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”
 の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。その名も
“ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術
を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を搭載した新型車が登場。ゲーム的な
手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界の
グローバル企業の70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質
の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかったエイズ治療の
カギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決する
アイデアを競わせるゲームを通じて、人類が直面する課題の克服に役立てていこう
という試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫
■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人に
 とっての物語を生きることである。最期には死が待っているが、生老病死の
人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、
難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。何ごとも準備が
重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。何事も楽しまなくては続かない。 
楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難
は数分の一になる。航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして
恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、顧客の「私は、これだけ
ポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、
今では、当たり前のように使われている。これもゲーム感覚で、ポイント集めを
楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、そのチェック
として手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 
倒産劇も、途中から手順に落として実行しているうち、ゲーム感覚になって
しまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。
 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、
ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。毎日書いているこれも、
まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、
完成するゲームである。
・・・・・・
3597, 誤訳口臭論
2011年01月30日(日)
 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。面白い切り口である。
≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。
最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。
読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、
実際に指摘した人物の試訳を見ると、むしろそちらの方が誤訳だらけだ。
この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、
その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載
すべく、原稿を書き始めたが途中で馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。
このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から
指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると
思われ、自分口臭に気がつかないまま「おまえの口は臭いぞ」と言うことに
似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、
 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。
「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」
と、思いやられる。≫
〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、
 これって口臭でなく・・ これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」
がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている基礎教養の欠落
している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・
毒には毒をもって制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方が
よい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か!
このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 
凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが! だから誰も、ブログなど書かない! 
素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、
瀬戸内寂聴が書いていたが。  私など無理無理! 絶対に無理!


5432,人生で最も大切な技術 ー⑫ エゴのベー

2016年01月29日(金)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   *エゴのベール  〜投影という防御機能
 これからすると世間は、「精神の錯乱を錯乱と気づいていない、ごく普通の
人たち」になるが、問題は自覚しているかどうか。誰もが、それぞれ屈折した
レンズの眼鏡をかけ、それを現実と勘違いをし、一生、気づくことなく終える
ことになる。そこで瞑想を身につけるべきと、いう。要するに、世の中の殆ど
が、実は精神の錯乱者? と、すると、私だけでは、ないのか(笑)。
 錯乱はエゴのベールが、原因。 〜その辺りから〜
≪ 精神の錯乱とは、現実の姿を正しく見ることを妨げ、事物の本質に対する
 理解を曇らせるベール、と表現できるだろう。具体的には、幸福を見つけ
だして、苦しみを避けるにはどう行動すべきか、という判断のできない状態。
外界に目を向けるとき、本来備わっている特性など不在であるにもかかわらず、
自分が目にする世界には確固たる実体が備わっているというふうに見てしまう。
また、内側に目を向けるとき、もう存在していない過去、そして未だ存在して
いない未来の間に「私」を存在させて、意識の流れをそこに凍結してしまう。
 事物を見るとき、目に見える表面の姿を実体として信じ込み、滅多に疑う
ことをしない。また、人や物を見るとき、「これは美しい」とか「これは醜い」
と考えるが、それらの人や物に自分が感知したままの特性を焼き付けている
だけであることには気がつかない。
 そして「美しい」や「醜い」が人と物の根源的な特性ででもあるかのように、
自動的に当てはめてしまう。人間はまた、世界全体を「好ましい」と
「好ましくない」とに区別して見たがる。しかも、短命で儚い存在を永続
する存在と受け取ったり、世の中が実際には常に変化し続け、相互依存の
関係で成り立っているのに、どこにも無関係に独立した固有の性質がある、
というふうに見たがる。また、事象、状況あるいは人間の特定の側面だけを
取りだして、その面の性質に焦点を合わせて、「敵」「善入」「悪人」などの
レッテルを貼りつけ、これらを本来の属性と勘違いしてそれにとらわれてしまう。
そうせずに、現実の姿を注意深く観察するなら、物事がそれほど単純なもので
ない、ということが明らかになるだろう。
 仮に、自分の目に入る対象が真に美しいか快適で、そうした価値が純粋に
その対象に属しているなら、その対象はいつどこでも望ましいものであるはず
だろう。とはいえ、誰も異議を唱えずに、「美しい」と普遍的に認められる
ものがこの地球上に存在するだろうか。 仏教詩の中に次の一節がある。
「美女とは、恋人にとっては欲望の対象、修行者にとっては乱心の元、
狼にとっては格好の獲物」。 同様のことが嫌悪についても言える。
対象が本質的に嫌悪すべきものなら、もっともらしい理屈をつけて、誰もが
それを避けるだろう。だが、物や人間にそうした性質や特性を単純に当て
はめているに過ぎない、ということに気がつけば、すべてが変わってくる。
 すべての美しい対象が、元々精神的に有益な価値が備わっているか、
というとそうではない。逆に、醜い対象物だからといって、それが精神を
阻害する性質が根本的に備わっているというものでもない。
 同じく、今現在、自分にとって敵である相手でも、他の誰かにとっては
愛の対象である可能性は十分にある。今日の敵と、ある日、友情の絆を結ぶ
日が来るかもしれない。自分が勝手に対象に貼り付けた特性が、対象とは
切っても切れない属性であるかのように反応する。かくして、現実の姿から
自らを遠ざけ、自分の心の状態を他者や物に映しだす、投影という防衛機能を
容赦なく活動させながら、目に入る対象に対して、これは魅力あるとか、
これは嫌悪すべき、と感じつつけるのである。 ≫
▼ 世間、社会のありようを、そのまま描写した内容である。これからして、
 あまり世間原理主義教徒を、とやかく言うべきでない。要するに誰もかも
が無知なだけ。問題は、その無知を自覚できるかどうか?家庭内で、それが
露出するため、親子、夫婦間で鬱憤が蓄積される。で、欧米では一神教が
発明され、絶対神の名のもとに、何とか破壊を防いでいる。 誰もかもが、
精神錯乱者と思えば、それも自分が最たる者と自覚すれば、許し許される?
 内観を怠らず、瞑想と、分析を日常に取り入れるべし!ということか。
・・・・・・
5068,あわいの力 ー③
2015年01月29日(木)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具
 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。
これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。
アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり
上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。
その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー
≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに
 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から
 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、
 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に
 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、
 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて
 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、
 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。
 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。
・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、
 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を
 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。
 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、
 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、
 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。
 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに
 つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、
 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て
 はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。
・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか
 と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた
 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て
 はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、
 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫
▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。
 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。
その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」
の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。
文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、
時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が
多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。
それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。

・・・・・・
4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題
2014年01月29日(水)
  * 若年女性”の貧困問題
 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する
“若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者
より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている
のを日々、実感する。  (まずは、NHKのHPの番組趣旨より)
《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、
 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を
抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。
中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ
シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化
していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り
にしていく。  ーあるプレビュー    \(;$д$@)\ カ.金-\\\   
 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、
57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と
いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。
朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。
コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。
別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは
考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の
シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円
未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた
風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する
住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。
公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る
というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。
▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が
 やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。
実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を
垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に
置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。
 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に
「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を
聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として
現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、
しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという!
・・・・・・
4336, 自己とつきあうということ −4
2013年01月29日(火)
  「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。
この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、
2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。
そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。
 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期
ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、
「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、
探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の
次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。
彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。
「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。
(断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を
ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる
ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。
よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて
いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。
「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて
購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで
かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。
人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため
にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた
ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、
自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。
 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、
そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った
ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。
ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩
という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目
には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は
守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」
「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。
このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と
「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは
「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、
問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。
これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、
その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。
・・・・・・
3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)
 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というのがあった。
私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、身につまされるテーマである。その子供
たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の
人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。その中で団塊世代の母親は
核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内
離婚を含めて過半数以上が家族崩壊をしているのが現状である。  
ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、
 男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に提案はあるか、
と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに
失敗した世代なので、その贖罪のために孫育てに励んで、働く次世代の女性を
支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。不登校や引きこもり、児童虐待、少年
犯罪、DVなど、家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた
団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の
伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。これまでは、自然に生まれていた
地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の
荒波から個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士の男性たちを
企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。それは日本社会独特の
家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。
今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声を
そろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。
そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、子育てである。 
なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」
に集約されると言ってもいいかもしれない。そして、その子育ての目標は、
すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波
へと押し出す役割である。けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、
この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなす
ことと、子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうと
したのは、結局、無謀な話だったのだ。そして、親の介護。 長寿社会では、
介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、
担いきれなかった。・・ 目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族
まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・
 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが
「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を家族の進化と考え、
知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、
本気で求められいると考えるべきだ。≫
▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。
 一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない男女関係を
含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。
あまりに価値観が多様化したこともあるが。
・・・・・・・・
3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
  * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で
加工するのに凝っている。カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を
一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、
百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すれば
するほど、その出来栄えに驚いている。これは人間のカタチはしてなくても、
「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵に
すると、別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい
加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、
既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、イラストに転換してくれる。
旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思って
いたのが、そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。何故に、
この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?というと、秘境の
一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った
写真が、数年を経った現在でも水彩画や、クレヨン画に変換出来るのが不思議で、
奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、
当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の
美しさを改めて意識させてくれる。気楽に使っている転換ソフトには限りない
ノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の
中に流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。
現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。


5431,人生で最も大切な技術 ー⑪ 〜苦しみを最大限に利用する

2016年01月28日(木)

        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみを最大限に利用する
 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。
父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 
ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み
をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか?
≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた
  カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。
【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛
 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。
心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。
私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で
燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福
を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ
この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを
理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、
肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを
発見させてくれるのである。】
 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。
逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、
心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。
こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる
のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない
だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に
受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、
というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応
を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと
失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、
シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに
何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫
▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、
 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き
出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、
『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔
で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕?
は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている
日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験
したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と
肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 
 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。
娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。
・・・・・・
3230, 死は‘別れ’のとき
 2010年01月28日(木)
 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の
近藤さんの訃報が入ってきた。癌である。これで5人目、2割強が亡くなった。 
ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。
岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終
の最後まで、死という問題を直視し続け、現実の死という問題に真向うから取り
組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことで致命的な癌。
あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書ク。
「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。昼はまだ良い。夜が問題だった、
夜、一人自分の部屋に入ると、激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた
私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭を
もたげてきたことを知った。腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくない
という強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、
そして全身が手足の細胞の末々に至るまで必死で死に抵抗するものであるか、
私は身をもって知らされた。」 岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、 
・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、
・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。
≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、
 人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。死はつらく悲しいことだが、それは人生に
いろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。
 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 
普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、死に対しても心の
準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができる
と感じがする」≫ という。
〜〜
 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛が
あっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を!
・・・・・
3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
  * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 
2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。
その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海
地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。
そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り
になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が
あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的
思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では
2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。
ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
 * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が
背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する
だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。
去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え
ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに
悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと
見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの
情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、
暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国
連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融
恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。

・・・・・・
5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い
2015年01月28日(水)
  * つれづれに 〜雑念そのままに
― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。
 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。
― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。
 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、
餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、
ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、
枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした
起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。
枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求
不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。
―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。
 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く
あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに
30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。
今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。
この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で
見る限り、飛躍的進化の兆しはない。
―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、
「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。
次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ?
何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。
―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した
のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに
従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。
 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を
振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく!
恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*)
・・・・・・
4702,漂流者たち
2014年01月28日(火)
  * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ     
                  ー『散文』谷川俊太郎著より
  ーこれは全文であるー  
【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代)
                       の心境に似ている?】
《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の
ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。
むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく
知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を
考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。
それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、
生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、
ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を
造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、
牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい
んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、
こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく
生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、
正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念
の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて
いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは
今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の
中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと
あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。
彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港
からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい
若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、
おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに
いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康
であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば
このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、
わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。
エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世
にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない
だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を
求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛
の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、
若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。
おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を
 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。
仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と
他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望
がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。
そして、今は家の中の漂流者?   (>_<)ゞ  (ノ_<。)うっ
・・・・・・
4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン
2013年01月28日(月)
   * ドラマ メイドインジャパン
 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 
三回シリーズの一回目。粗筋といえば 
≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命
 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。
財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏
に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業が
タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、
現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫
 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、
シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。
10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では
28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと
サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前
の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、
時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。
それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから
恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは
私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、
付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、
ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻
を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、
何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーに
なったタブレットPCやスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気
自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気
スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を
早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に
なるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、
中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。
制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。
・・・・・・
3960,ファイナル・クラッシュ ー7
2012年01月28日(土)
* 日本をいかに安楽死させるか ー  
  「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾
【2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクという
 名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。アメリカ議会では、
日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという
問題を公式に研究しているのである。誰がどう見ても、日本政府の財政破綻は
防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の
津波が押し寄せてくる。その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から
切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。
 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を
聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、アメリカ政府では
すでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する
一環として日本の大使を呼んだのだろう。日本を単独で安楽死させる方法として、
どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜
二段階下げてしまうやり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱。
しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後なら、日本国債がデフォルト
しても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・
 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。
市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。
5%になったら何が起こるか。この金利は、世界的に見ればごく普通の金利。
既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円のアップである。・・・ 
それは国債と同額の金額になる。】 
▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく
 政争に明け暮れるしかない日本。偶然だが、去年の今日(下記)に
「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、
自分の会社が大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている
内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、どっちにしても
同じ結果でしかなかったことも事実である。もう今さら国家天下でもないが・・ 
小高い中腹の山から大津波がよく見えるから、同じようなことを書いている。
金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。

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