堀井On-Line



5340,もし上野さんが美人だったら? 〜身の下相談

2015年10月28日(水)

               〜社会学者の身の下相談
  * もし上野さんが美人だったら?
         ー身の下相談にお答えしますー 上野千鶴子 
「私は美人故に読書量が少なかった。そうでない貴女は読書量が多く、知名な
学者になっておられる。その私は、どうしたら、その深みに到達できるのか?」
という辛らつな質問。 何かやらせ?のようだが、それはないという。
  ● 質問: もし上野さんが美人だったら? 相談者主婦60歳
≪ 60歳の主婦です。 愚息たちが独立し、ひとりの時は本ばかり読んで
 過ごしています。が、読んでも読んでも足りないくらい読みたい本が次々と
出てきます。若い時代に「きれい」と言われるような部類に入っていたため、
ちやほやされながら過こしたことが悔やまれます。
 そこで上野千鶴子さんにぜひ質問したいことがあります。
もし上野さんが絶世の美女に生まれついたとしたなら、現在のように、社会
の底辺にまで目をやる社会学の道に進んでいたでしょうか? フエミニズムや
ジエンダーの問題、引きこもり、おひとりさまの考察も、ミソジニー
(女性に対する憎しみや軽侮)のあの深さに到達したのでしょうか。≫
  ● 回答 人生がそんなに単純ならねえ…
≪ アメリカにこんなジョークがあります。
 キャンパスをメークの似合うきれいな女性がパンプスで歩いていたら、
教授秘書。すっびんで、さえない、若くない女性なら、教授、なぜかというと
花のハイスクール時代に、きれいな女の子は男の子にもててデートに忙しく、
勉強どころではないのに、きれいでない女性はこつこつとお勉強して名門大学
へ入り、成果を上げるから、と。かのボーヴォワールも、妹と何かにつけ比較
され、親に「あなたはかわいくないから、お勉強をいっしょうけんめいしなさい」
と言われ続けてきたとカそれならフェミニズムは「ブスの女のルサンチマン」
だという(今か40年も前にオヤジメディアが唱えた説は正しいのでしょうか。
娩曲な言い方ながら、あなたは全く同じことを言っていることになりますね。
あなたの説は容貌人生決定説です。人生がそんなに単純なら、どんなにいいで
しょう。証言しておきますが、ウーマンリブに参加した女たちにはきれいな
女性がたくさんいました。きれいな女性は男にセクハラされ、ストーカーされ、
利用されていましたし、ブスの女性は男に無視され、黙殺され、からかいの対象
になっていました。きれいでもブスでもない、その中間の大多数の女性は男に
つけこまれ、ふりまわされ、あなどられていました。残念ながらそれが40年前
の女性の現実でした。察するにあなたはそこそこ幸福な人生を送ってこられた
ようですね。それを容貌のせい、とお考えでしょうか。「若い時代」と限定が
あるので、女の容貌の価値が賞味期限付きだとは知っておられるのですね。
ということは「若い時代」が幸福のピークで、それからずっと下降線をたどって
きたということでしょうか。察しのとおりわたしは「顔の不自由な」ひとですが
(笑)、これまで生きてきた上で男女を問わず他人と関係をつくるのに、
そのせいで不都合があったことは、一度もありません。弱者に想像力を持つ
ためには、自分自身が弱者でなければならない理由もありません。
この年齢になって読みたい本が次々に出てきたんですって! なんてすてき。
本と読者は出会いもの。若いときに本を読まなかったことを容貌のせいに
してはいけません。容貌は容貌、幸幅は幸幅、知織欲はそれとはまた別、
その間に何の相関もない、っていうことぐらい、本を続めばわかりますよ。≫
▼ 美人カースト制で恵まれた人だった質問者が、それ故に読書の絶対量が
少ない自分を責めている見識そのものが低い。容貌には賞味期限があり、
知識は絶対量が増すほど質に転化する。女性は容貌で大きく人生を左右する。
しかし、そこに品性と教養が伴なって、光の色が変わってくる。 
人生に、「もし」や「たら」は無い。一期一会の積重ねが、その人となり。
「女性のセックスの質量は、容貌に大きく左右される」、統計があるとか。
容貌が崩れる前に、『やりたい時が、やれる時』と知るべし(笑い)。
・・・・・・
2014年10月28日(火)
4975,閑話小題 〜好きなこと、非日常
   * 嫌いなこと、無感動
 酒席での、ある人の一言が気に入った。
『私の好きなことは非日常!嫌いなことは無感動、無反応!』
私の趣味の秘境ツアーは、非日常と感動を求めて海外に出ることにある。毎日1〜2つはみる
TVドラマも、週1度は、通っているシネマも非日常世界の仮想体験をするため。人生を振り返って
みて、思い出されるのは非日常的のことばかり。しかし本当に大事なのは、その時節の日常。
その背景があればこその非日常。したがって、この二つの組合せを知恵で生かせば良い。
老いるということは、日常に埋没し無感動になること。子供の頃の、青春時代の、あのキラキラ
した気持ちは、どこにいったのやら。
  * 塩の話
 サラダは、だいたいが塩がする。このサラダは塩の意味から派生した言葉。
ラテン語で塩のことをサルsalと呼ぶ。このsalから様々な言葉が派生した。例
えばサラーリーマン(salary man)がそれ。サラリーマンは和製英語だが、そのサラリー
salary(給料)は塩sal。古代ローマでは、兵士の塩代のことをラテン語でサルsal(塩)
にちなんでsalariumといい、これがsalaryサラリー(給料)となった。 塩と同じくらい
貴重なものという意味で、給料salarium が使われていた。他にも、例えばsauce(ソース)、
sausage(ソーセージ)、salami(サラミ)、soldier(ソルジャー:兵士:塩をもらう人)がある。
 塩は空気や水とともに、人や動物が生きていく上で欠かせない。これは生命が海から誕生した
ことと関係がある。世界で生産される塩の三分の二が、岩塩を材料としている。
岩塩は5億〜2千万年前に地球の地殻変動で海が陸地に閉じ込められ、水が蒸発後に土砂が
堆積してできたもの。人類は魚介類や獣肉を食べて自然に有機塩を摂取する以外に、塩を意識
しだしたのは5千年前からと推定される。食物の味を高め腐らせない塩は、古くから霊力を秘めて
いると崇められ、お清めや、相撲などで土俵にまくなど、清浄の力で穢れを払う目的がある。
「しおらしい」は、「塩を欲しがる」女性の仕草が由来のようだ。 「塩梅がよい」「塩加減がよい」
「敵に塩を送る」「青菜に塩」「ナメクジに塩」「傷口に塩」など、諺にも多く使われている。
・・・・・・
4608, 孤立無業
2013年10月28日(月)
 朝日新聞の書評に、『孤立無業(SNEP)』 玄田有史〈著〉があった。
ネット検索で調べると、多くのレビューが出てきた。そこで、その幾つかをまとめてみた。
孤立無業から独居老人に、そして孤立死を迎えることになる。死ぬ時は、誰もが孤立死だが。
《  * 孤立が就労意欲を奪う
 日本の若年無業者を「ニート」概念を用いて論じた東大社会科学研究所の玄田有史が、
新たな分析視角を提唱。ニートが15歳から34歳の無業者を指すのに対し、本書が取り上げる
「孤立無業」は、20歳以上59歳以下の未婚で無業者のうち(在学中を除く)、ふだんずっと
一人でいるか、一緒にいる人が家族以外にいない人々を指す言葉。  孤立無業者は、
家族と一緒にいる時間がふだんある「家族型孤立無業」と、ずっと一人の「一人型孤立無業」に
分類される。この春、ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版ウェブサイト『JAPAN REALTIME』
が「孤立無業者『SNEP』が急増中」という記事を掲載したことで、ネット上で「SNEP」に注目が
集まることとなった。玄田教授によると、「SNEP」のインターネット利用率は41.3%にとどまり、
孤立していない無業者に比べると20ポイントも少ない(2006年のデータ)。 
 〜玄田教授への質問〜  ――孤立無業と聞いても新しい概念とは思えませんが。  
玄田:孤立無業は、英語でいうSolitary Non―Employed Personsの頭文字を取ってSNEP。
 Solitaryには「ひとりぼっちの」「他人とつきあいのない」「孤独な」「寂しい」といった意味が
あるように、無業者の中でも、ふだんずっと 一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々の
ことを指します。
  ――ニートや引きこもりとどう違うのですか。
玄田:まず年齢の定義が違います。ニートは15〜34歳の若年無業者を指す一方、孤立無業は
20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業者。仕事をしていない点ではニートと同じですが、
ニートは仕事を探す活動や準備をしていない無業者、SNEPは友人や知人との交流のない無業者、
約9割が6か月以上働いていません。 外出をめったにしない人もいますので、その意味では
引きこもりはSNEPに含まれていると考えていい。 また、過去1年にスポーツや旅行、ボランティア
などの社交活動を一切行っていない割合が高いのが特徴です。
  ――孤立無業者はどのくらいいるのですか。
玄田:総務省統計局の「社会生活基本調査」から導き出したところ、2006年に112万人いた
孤立無業が2000年代に急増し、2011年時点で162万人に達していることが分かりました。
これは60歳未満の未婚無業者の実に約6割を占めています 》
▼ 老後にも「孤立無業」が待っている。特に男の場合、縦社会に慣らされてきたため、
横社会では、孤立しやすい。それでも160万以上は驚き。 何とか60歳に辿りついたが、
それまでに一つ間違えれば『孤立無業』があった。 倒産は、ほぼ、孤立無業が待っている。
事業は船底一枚下が地獄。だから必死に考え、力と知恵が湧き出る。 最後は挫折で、
孤立無業である。特に大都会での「孤立無業」は厳しい。「独りは良い」というのは、独りでない
 からこそ 言えること。人の間にあってこそ、人は人間になる。先日、初老の独り暮らしの人が、
アルバイトで何とか生活している状況をリポートしていたが、鬼気(危機)迫る深刻なもの。 
あの時、何もかも放り出し、独り東京の郊外に身を隠し、年金暮しか、生活保護の道もあった。
大部分が、それに近い。そこで寂しさと、心の傷を癒すため、酒に溺れアル中、そして孤立死・・ 
としても、一歩も、かたい岩場の穴に閉じこもった人生より遥かにまともに、思うのだが、
当人は、凍りつく日々。緩んだ方々より凍死? 何か最近、緩んできた?
・・・・・・
4233,プレイボーイの人生相談 ー1
2012年10月28日(日)
以前、この中の今東光の回答の幾つかを取り上げたことがあった。
先日、図書館で再び借りて読んだが、今東光の珍妙な味わいある内容に決して劣らないものが
多くあった。回答者は、他に柴田錬三郎、吉本隆明、アントニオ猪木、開高健、赤塚不二夫、
岡本太郎、武田鉄矢などなど。 その幾つかを取り上げるが、面白い!
若者向けの雑誌のためか、「性についての悩み」が多い。 『プレイボーイの人生相談』(集英社)
   ーまずは武田鉄也からー  <愛につながる性の道>
相談:「彼女はいるのですが、どうしても風俗通いがやめられません。
    風俗に行くと、彼女には要求できないことも要求できて、とにかくハマってしまうのです」。
回答:「実はセックスというのはお互いを汚しあうことなんです。だから、本当にキミが彼女のことを
好きなら、彼女と一緒に汚れる性を体験しなければ本当の性は完結しないんだ。(中略)・・・
お互いを汚し合い、互いを洗い合うところに本質があるんだ。キミが風俗にハマっているのは、
相手を洗ってあげる必要がないからなんだよね。例えばレストランと一緒で、自分が食べたものを
後片付けする必要がないから、気楽だし、好き勝手注文することができる。毎日レストランじゃ、
飽きちゃうし、お金も続かなくなる。そうすると、やっぱり自分の家で食べるご飯が中心になるし、
いちばん落ち着ける場所になる。だから自炊をするんだけれども、自炊をするために魚を買って
さばいてみれば、はらわたは出るし、生ゴミなんかたくさん出るわけだ。すると当然、部屋は汚れる。
実は本当の性、セックスというのはそういうことなんです。今のあなたは彼女とのセックスを
汚さないように、散らかさないように、後片付けがしやすいようにやってると思うんだ。でもさ、
若いんだったらふたりで片付けないと片付けきれないぐらい汚したりしていいんじゃないかな。
キミはもっと獣性や野生を出して彼女を汚すべきなんだ。そして、その汚れをふたりできれいに
片付ける。そんなところに、本当の愛につながるセックスの道というのがあると思うんです」。≫ 
   <何のために生まれてきたか? と考えて>
相談:「最近、ボクはなんのために生まれてきたのかと考えることがあります。
人間ってなんのために生まれてくるんでしょうか」。
回答:「ただ、その問題を考えている人たちは、みんな悩みながら、なぜか突拍子もない
ことをやり始めているんです。簡単な例を挙げてみましょう。桃太郎という昔話があります。
よく考えてみてください。 桃太郎っていうのは実に変なヤツですよね。桃から生まれたと
いわれて、ある日突然、鬼ヶ島へ鬼退治に行くわけです。だいたい桃から人間が生まれるわけ
がないと思っていますね。そんなことは子供でもわかります。それに、自分にはおじいさんと
おばあさんしかいない。村の友達と比べれば、なぜなんだろうと不思議がるでしょう。
そこで、桃太郎は鉢巻を締めて考えたんでしょうね。「オレはなんで生まれてきたんだろう?」。
その結論は「オレは鬼退治をするために生まれてきたんじゃないだろうか?」だったと思うんです。
オレはどうやらふつうのやつとは違う、なにか突拍子もないことをするために生まれてきたんだ。
その突拍子もないことはなにかと考えたときに、それが「誰もやらない鬼ヶ島を攻めること」だった。
突拍子もないことをやることで桃太郎は、オレはなにか?という答えを見つけたんだ」。
▼ 私なら、こう回答する。 ≪そんな人生の大問題の手軽な答えなどないよ。
「何のため生まれてきたのだろうと頭の中で繰り返しながら、本屋と図書館を見て回りなさい。
必ずあるから。そしたら、まず、おわりと、最終章を読みなさい。そこになかったら、序文を読めば、
多くのヒントがあるよ。とにかく、自分で答えを探すこと、それが一番大事なことだよ!≫
 ・・・・・・・
3868, 嘘みたいな本当の話 ー5
2011年10月28日(金)                  
 * 祖母とロック      「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
祖母と歌番組を見ていた。とあるロックバンドが演奏していた。当時とすると若者に人気のバンド。
祖母がひとこと「彼らはロックがわかっていない」と言った。そして祖母は無言で演奏を見続けた 
ー奈良県うさど
  * 彼女だけの階段
「あの階段、どこですのん?」ターナル駅の地下街で呼び止められた。
「ほら、あのいつも通る階段よ」 私は一瞬とまどったが、困っているおばあさんを無視することも
できず、「その階殴を上がると何が見えますか?」と聞いてみた。しかしおばあさんは私に聞いても
だめだと思ったらしく「あの人に聞いてみたろ」とそそくさ行った。  ー大阪府 馬山鱒由紀
  * もうひとりの私へ
 研究室に入ると、先輩が詰め寄って来た。彼女は日本古代史専攻の学究の徒。「あなたは、
歴史を学ぶ者として恥ずかしくはないの〜」はい〜「なぜ、○○遺跡発掘を邪魔するのか?」を
知りたい。「私は、この目で見た。あなたが、その遺跡でしていることを。嘘はつけないよ。
なぜ、そんなことをするのか」何が何やら、さっぱりわからない。「私、その遺跡のことも発掘の
ことも、何も知りません」「よく、そんな言い訳ができるね。私は、この目で見たんだから」はい〜
 四十年近く経ったいまでもわからない。在学中、彼女はずっと糾弾の目で私を見つめていた。
よく似た人がいるのだろうか。もうひとりの私は、そこで何をしていたのだろう。どこの遺跡で
何をしていたのだろうか。いまはそれが知りたい。  今日、知人に言われた。『○○スーパーで
パート始めたの?』『牛乳の補充してたでしょう』エーッ! もうひとりの私、頑張ってるね。
▼「彼女だけの階段」を読んで、学生時代に住んでいた寮の近くでの出来事を思い出した。
それも、いやに鮮明に憶えている。5歳ぐらいの女児が、「私の家を知らないですか?」と、
道を迷ったらしく私に聞いてきた。「町名は何というの?」と聞くと、その子、「何を言ってんの。
ほら私の家よ、私の家よ」という。 私、「 ・・・・ 」 不思議そうな顔をして走っていった。
痴呆症の老婆と私の出会った少女の話と、実は同じような思い込みを我々はしている。
自分が知っていることを他の人まで知っていると思い込む一人合点。 それが長年、蓄積
されているから問題。それより、自分が何にも知らないことを、知らない恐ろしさの方が悲惨。 
悲惨さえ自覚出来ない悲しい過去と、そして現在。 軽い話が重くなったか!
 ・・・・・・・
3503, フューチャリスト宣言 ー2
2010年10月28日(木)                
 *(ネット)システム一人勝ちの時代  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 最近、ネットなどの通販がコンビニ業界と、百貨店業界の売り上げを超えた。
10年前では考えられないこと。我が家では半分近くがアマゾン、楽天などのネットによる
宅配便の購入である。それも一回払いのカードで割引ポイントを稼いでいる。また楽天など
ネット商店街を提供する業者は売り上げの数%を出店先からはねている。
これは流通だけでなく、情報に対してもいえること。情報というコンテンツをつくる方は、
ネットをコントロール側からすると、消費される≪素材≫でしかなくなっている。ネット商店は、
実際に店に商品を並べ、販売するよりコストが格段と安く済むため、経費が格段と安く済み、
それでもネット・システムを利用する。それが、僅か10年もしないうちに、百貨店やコンビニの
売り上げを超える結果になったのである。そういえば「マトリックス」という映画を観たとき、
コンピューターが、それぞれのシステムと結びついて、エネルギーと情報を吸い取って生体
システムが、人間をコントロールしてしまう場面があった。 それは極端としても、ネット商店街
などの売り上げが、現実の店の売り上げを超えてきたという現実は、ネット一人勝ちを更に
推し進めることになる。 当方にも楽天の営業がきて「現在の売価を1・5倍にして、宿泊者に
販売をして、ポイントを上乗せをして相手に付ける」という提案をしてきた。宿泊者は、領収書を
貰えるので、会社から、その金額が返金になるが、ポイントの差額が楽天で使えるので、
優先的に選択をしますという。何か、これは詐欺の推奨でないかと疑問を持っている。
グーグルも、検索を無料提供し、その情報にヒットする広告が自動的に調べ手に流すことで
広告代が入るのだから、これは素晴らしい。ネット一人勝ちの典型である。新聞広告だけを
集めたネットが最近出来た。それまで新聞に挟まれてきたのが、地域単位でまとめたネット。
そこに出す商店が出すメリットは、広告の中の惣菜の何を大きくクリックするかで、その商品に
対して顧客が注目されているかを知ることができる。それ自体が、既にリサーチになっている。 
システム一人勝ちは、今後ますます激しく時代を動かすことになる。


5339,構造主義とポスト構造主義 〜②

2015年10月27日(火)

   * ポスト構造主義とは   〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 ポスト構造主義とは、現状を追認する保守的思想形態に陥りがちな構造主義を
批判、多様性を認める必要性を説いた。米ソ対立、自民党対社会党の二項対立
から、ソ連崩壊と中国の資本主義化などを経て、現在の、混沌とした社会を
語るに「ポスト構造主義」は、正にうってつけ。 〜その辺りから〜
≪「ポスト」とは、「の後に」という意味です。ですから、ポスト構造主義とは
構造主義の後に登場した思想のことを指します。ただし、「ポスト」構造主義と
いう呼称から想像できるように、実存主義における「実存」や構造主義における
「構造」にあたる明確なキーワードがそこには欠けています。
 これは、もはや現代が一つのキーワードで包括的に語れる時代ではなくなって
しまったことを反映しているのかもしれません。この名称そのものは、八○年代
にデリダを中心としたフランス現代思想を積極的に受容したアメリカで生まれた。
当初は主に文芸批評の領域で用いられていましたが、やがてフランスにも逆輸入
され定着していったようです。
 構造主義は、私たちをとりまく諸制度の中に潜んでいる諸構造の分析に
主眼を置いていました。ただそのために、ややもすると現状を追認する
保守的思想形態に陥りかねない危険性がそこには内在していたのです。
 このような構造主義のあり方に不満を覚えたデリダ、ドゥルーズ、リオタール
らは、西洋の文化形成を根本から疑問視したニーチェやハイデガーといった
思想家の考えを受け継ぐ形で、思索を展開します。この考えの中心は、哲学に
つきものの「同一性の思考」の批判にあります。「それはなんであるか」という
問いのスタイルを特徴とする形而上学は、本質という観点からすべてのものを
一様にとらえる営みです。ここでは本質からはずれたものは、すべて不純物と
して排除されるより他にありません。つまり、本質(A)か本質でないか(非A)と
いう基準だけですべてが選別される。ここに多様性や変化の余地がありません。
 ポスト構造主義は、そうした決めつけが哲学形而上学の常套句だと批判した。
ただし彼らは、対象への正面からの批判や否定を避けました。なぜなら、
このような態度は結局否定すべき対象と同じ土俵にとりこまれてしまうからです。
肝心なのは、Aか非Aかという二項対立的な価値付けにもとづく土俵そのものを
揺さぶることなのです。このため、〇リオタールは、相手の流れに乗りながら
その方向をずらしていく「漂流」というスタイルを、〇デリダは、対象の中に
住み込むことで内側から亀裂をもたらす「脱構築」という方法を、〇ドゥルーズ
は、一カ所への定住を嫌う「ノマド(遊牧民)」的運動という戦略を採ることに
なったのです。また実践面において、後期のフーコーや晩年のサルトルのように、
知と権力の共犯関係を暴くことや、フェミニズムや少数民族の自立運動への
積極的な支援が行なわれました。構造主義からポスト構造主義への移行点を
なした出来事に、1968年にフランスで起こった五月革命(パリを中心に起こった
学生、労働者、市民による反政府運動)があります。この事件は、後に日本にも
飛び火して学生主導で進行する学園紛争を巻き起こしました。この事件は、
もはや学問が大学という隔離された制度の内部では安住できなくなったことを
象徴する出来事でした。今必要なのは、学問を完成したものとして受けとる
のではなく、知が生まれつつある現場に身を置き続けることなのです。
だからポスト構造主義では、生成や出来事がより重要視されるのです。≫
▼ これからすると、現代の世界情勢は、この思想に沿っている。
 世界は「漂流」をし、内側からの亀裂をもたらす「脱構築」になり、 
民族の大移動といわれるシリア難民などの欧州への移動が始まった。
その根は情報化がある。それは生成や出来事が一瞬にして地球の隅々まで
周知される世界である。個々人がスマホという情報機器を持ってしまった。
これは、ポスト構造主義も「新しい?主義」に取って変わる起因になるのか。
・・・・・・
4974,閑話小題 ー韓国が変なわけ
2014年10月27日(月)
   * どうなっている? 韓国の実情
 韓国の「セウォル号沈没事故」「地下鉄事故」「野外コンサート事故」など、
たて続きに、日本では考えられない事件が起きている。その背景には、韓国経済
の崩壊と、歪な社会背景があるようだ。 ーネットで調べた幾つかを羅列するが、
末恐ろしい日本の未来が垣間見れる。 〜これが隣国の現実。
≪ ・大学進学率は日本の54%に比べ90%ある。
(日本の専門学校的なものも含む)しかし就職率は、その半分も満たない。
 その上、全体の7割が非正社員。日本との物価の差はないにかかわらず、
 月収が7万8千円。2011年だが、ニートの数が100万人。ニート率が
 日本の3・7倍。失業率が20%もある。
・年金は、月に一人8400円、老人の自殺は日本の自殺率の4〜5倍。
・サムソンは、実際は外資が54%を握っている。その規模は総企業の4分1。
利益に至っては、韓国の大企業の半分をサムソンが稼ぎ出している。
そのうち携帯関連が7割。中国の企業がとってかわると、韓国経済は、
さらに大きく揺らぐことになる。
・主な銀行の株式を、半数以上が外資が握っており、韓国の上場株式の8割が
外資が握る。そのため大企業は外資の利益のために動くことになり、その結果、
給与が低くおさえられる。経済危機で、IMFが乗り込んできて、アメリカに
完全支配国家になり下がった状態といえる。サムソンは利益の15%しか税金
を納めてなく、安い給料で働かせ、稼ぎ出した利益は外資が持ち出す仕組み。
・ジニ係数が、0・53にもなっていて、これは、暴動が起きるレベル。
ちなみに日本は0.33、危険ラインは、0.4といわれる。
・強盗が日本の二倍。暴行事件が3倍。殺人が5倍。強姦が40倍も発生。
強姦常習者には電子足輪がつけられる。
・何と「韓国民の4人のうち3人が韓国より出て行きたい」といい、
アメリカの4人に1人、豪州の5人に1人が買春婦という。マスコミで流布
されている状況と、あまりにかけ離れている。
・韓国人は、誰も、こんな状況になるとは、望んだことでない。
知らなかったため。
▼ これらから、現在の日本は天国のようだが、韓国の現状は、日本が国家的
 リストラが出来ないままだと、10年内に、似た状況になるとみてよい。
韓国と中国政府は、国家的揺らぎが起こると攻撃対象を日本に向ける。
日本は戦争を憲法で禁じているのだから、これほど都合の良い国はない。
この状況では、韓国の近未来は、更に 厳しい状況になると予測され、
その後を日本は追うことになる。経済不況について、スペインなど南欧の現地
レポートで驚いていたが、韓国も似ている状況になっていた。
日本も、確実に後追いをしているのが現実。
・・・・・・
4607, そして、人生はつづく ー7
2013年10月27日(日)
   * そして、『私』の人生はつづく
「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」
と、想定するだろう。私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生の
やりたいことを燃焼する」と、決心した。到達時に心の底で「万歳!」。
そして、人生がつづいて8年近くになる。二年半前に会社整理せざるを得なり、
本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。既に燃焼した人生が
あったこともある。20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの
事業人生。その物語の終わりのピリオドが会社整理。誰にでも、何事にも挫折が
必ず待っている。私にとって還暦が区切り。還暦から新たなステージが始まって
第一の区切が65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、
寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、
全てが夢幻と気づく・・ ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、
50代後半の運転手が、身の上話を始めた。「両親の仲が悪く、離婚。母親に
引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるをえなく、
結局、水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、
離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、母親ともに育て上げた。
子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことは
なかった・・」と、数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、
よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もない・・
実は、お客さんを乗せたことがあり、身の上話をしたことがあったんで」と。 
タクシーで、必ず景気とか、収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。
以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。人生は一度、歯車が
狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に
備え(シェルター)をつくっておくべきは、身をもって言えること。
助けてくれるのは自分だけ! 「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、
つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変
させている中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化、
まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。
特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。
それぞれの『私』も、思い込みでしかないが・・
・・・・・・
4232,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー7
2012年10月27日(土)     ー「ルーツ大全」インフォペディア編より
  * 食べると危険 ートマトはもともと観賞用の植物
≪ 生で食べてもおいしいし、ソースやケチャップの材料にもなるトマトだが、
 じつはヨーロッパでは長いあいだ、トマトは観嘗用や薬用としてしか利用
されていなかった。トマトの原産地は中南米。メキシコでは「トマトル」と
いう名で煮込み料理などに使われていた一時代を経て16〜17世紀に欧州に
もたらされた。当時のトマトは品種改良も進んでおらず、甘味もなく美味しく
なかたようだ。トマトが食べられるようになったのは、イタリアの貧しい農民
が、二世紀を経た後に、飢え死にをするぐらいならと食べたのがキッカケ。≫
▼ これも多くの野菜同様に南米から持ち込まれ、当初は観賞用で、
「黄金のリンゴ」「愛のリンゴ」と呼ばれた。
   * 冷使用人の嫌がらせが功を奏した? ー清酒誕生の裏話
≪ 清く澄んだその見た目から、日本酒は清酒とも呼ばれる。
 日本酒が現在のような透明に澄んだ酒に変貌するのは、江戸時代初期のこと。
じつはそれまでの日本酒は濁り酒で、今でいうどぶろくだった。その濁り酒
から澄んだ透明の酒ができたのは、まったくの偶然からだった。
江戸時代初期、兵庫県にあたる摂津の国に、鴻池新六という酒造業者がいた。
ある時、新六が素行の悪い使用人を叱ったところ、その男は蔵の酒桶に灰汁を
投じて逃げてしまった。主人を困らせようというもの。ところが思わぬ効果を
挙げた。翌朝になって新六が桶の中を見ると、今まで白く濁っていた酒が清く
澄みわたり、味も香りも驚くほど芳醇なものに変わっていたのだ。
まさに、偶然の産物だった。使用人の恵業かなければこの発見はなかった。
新六は、この酒を江戸まで運んで売ることを思いつく。運び賃をはじめとする
流通の経費はかかったが、清酒を求め大名の間で、奪い合いになるほど大評判
になり、売れた。新六は江戸と摂津の国を何ども往復し莫大の利益をあげると、
大阪に出て商売を広げた。こうして鴻池家は大阪を代表する豪商になって
いくのである。≫
▼ 大阪の鴻池が、こういう経緯で大財閥をつくったとは知らなかったが、
 面白いものである。ただ、それを大々的に売り出した、新六の才覚が
あったことも大きい。
 ・・・・・
3867, 三〜四年前の為替相場
2011年10月27日(木)
 三年前の2008年10月25日(土)
≪随想日記のテーマ「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫
 が為替相場について書いていた。
≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気で、日経平均も三ヶ月で40%も
 暴落、何と7600円まで下がった。ドルが95円、ユーロが120円。 
世界はパニック寸前か、パニックに入っている。この結果どうなるのか? 
倒産の続出と、失業者の増加、ハイパーインフレと、食品の高騰である。
それで済めばよいが。考えただけで凍り付く思いになる。 経済大津波が
世界中を押し流す勢いである。
ー以下は、一年前との比較である。これからみると、まだ経済破壊は序盤と
いうことが分かる。(2008年10月22日現在)≫
【そこで、現在2011年10月26日現在を、書き入れてみた。】
 ・2007年10月24日 ・2008年10月22日 ・2011年10月
ドル円    114.10         97.70     76.~
ユーロドル    1.42         1.27  
ユーロ円   162.80        124.70     103〜
NYダウ   13,675        8,519    11,913
米国債(10年もの)4.3%        3.5%    2.23%
原油      87.10        67.48       80
金      757ドル       724ドル    1640ドル
日経     16000       8500      8800
▼4年前と比べるとドルとユーロが大よそ三分の二になり、金価格が、
2.2倍になってしまった。それに対し、株価は一年後にはアメリカの株価は
6割まで下がったのが、9割近くまで回復している。 日本の株価は、4年前
から一年後に半分近くまで落下したが、その後の三年後の現在も、ほぼ
同じである。アメリカと欧州は、ドルとユーロを過剰に刷っただけ?
資源と金はふんだんにある。
 ・・・・・・・
3502, 10−10−10 ー� 
2010年10月27日(水)
「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」
 スージー・ウェルチ (著)
  *「10−10−10」と「起承転結」
 ここで、著者は、自分の直感を盲信すべきでないともいう。ことにあたって、
冷静にあれという。さらに三つ目の長期的視点も気をつけるべしと釘をさす。
それが短期的、中期的より優れているとは限らないことを、この「10・10・10」
が教えている。長期的視点は重要だが、他の時間軸での見方も重要であると。
考えれば考えるほど奥行きが深くなる。 そこで文章作法、いや四コマ漫画の
「起承転結」を、これに当てはめる。
< 起=現在、承=現時点で実感できる近い将来(1〜2年先等)、
 転=一時代先の将来、結=永遠、虚無 >という仮説である。文章作法も、
漫画からみると、転=が最も重要である。10年一昔ともいうし、転を基軸に
起と承と結が決まってくる。そうすると、哲学的に人生を俯瞰して考えると
10年先の転に常に標準を合わせて現在、そして数年先を決めるべき、となる。
ある海外ツアーの添乗員が、面白いことを言っていた。「自分は、10年スパン
で人生を括ってきた。卒業をして10年は普通のサラリーマン、そして次の10年
は世界を見たいため添乗員に、その10年に来年なってしまう。
次の10年を何をしたらよいか決断しなければならない。この10年は満足を
しているが、次の10年も全く違う分野に転進した方が良いのは分かっているが」
成るほどと、考えさせられた。それは、決して職業とか職場を変えるべし、
ということでなく、職場配点でも、内面の変化でもよい。そうこう考えると、
この(大小の)決断のための3つのスパンの視点を身につけることは非常に重要。
自分の過去に、あと理屈で次の10−10−10を考えるのも方策。転に焦点をあてる
ために、起が重要なのは言うまでもない。現在は結の永遠・虚無に垂直にたって
通じているからだ。そんな難しいことより、三つのスパンで考える習慣を、
転、転、転で、いや、テン・テン・テンで考えることだ。
小さな節目、中くらいの節目、そして大きな節目を過去から見つけ、
この先に当てはめることである。 まあ、何をしてきたのだろうか。
それは100人中100人が当てはまるが、これを当てはめて10年先、?
十年先を考えないと。それより、もう先が無いか!


5338,構造主義とポスト構造主義 〜①

2015年10月26日(月)

   * 構造主義とは 〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロースが文化人類学の領域から構造主義を
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義とポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 〜その辺りから〜
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
 言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
「構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
 構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学者レヴィ・ストロース。
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルト、マルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
 また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
 ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観に
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
 未開人の神話的思考から、欧米の理性中心主義を疑った。これは、それまで
無批判だった欧米主義を根こそぎ、揺らがす出発点になった。その社会構造が、
ネット社会の到来で根こそぎ揺らいでいる。ネット社会の構造とは如何なる
ものか、どの方向に向かうのか? 面白そうだが、先は限られている。 
・・・・・・
4973,閑話小題 ーよい先生とは
2014年10月26日(日)
 * 「数学科」より「子ども科」へ!   
            〜『大丈夫、なんとかなるさ』近藤勝重著より
なかなか、示唆のある内容である。 ーまずは、その辺りから 
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの地名の意味を質問した
ことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか!」と怒声を上げたと
いうのだ。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したこと
はない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある
学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが
自分の仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることでは」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を
教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがて子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子は、答える。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
『こころのチキンスープ』で知った話だが、その先生の言葉をぼくなりに
想像してみた。こんな感じではないか。「エディ正解まであと一歩よ。
公式はちゃんと使えているわ。あなたならきっとできる」 ≫
▼ 学生時代に「人事管理」「キリスト教倫理」「経営学」など、影響を
 受けた教授は、その科目を超えた、「青年学」だったようだ。 授業を通じ、
これからの人生を如何に生きるか、どうあらねばならないか、を教えていた。
そう、専門課程を通してベースになる教養の必要性を教えていたようだ。 
現在の私の学問は、一度、子どもにたち返って、原点から考え直すこと。
自分を子供に見立てた「子ども学」が、私の科目である。純真な気持ちで哲学や
文学を通して、どうしようもない自分を学び直す、学びとすれば、何かが見えて
きそうだ。現実に溺れたまま、この歳まで生きてきた男が、急にガンを宣告され、
それまでの生き方そのまま自分に問われる。そして、それまで生きてきた姿
そのままで、死んでいく。これは、全ての人に当てはまること。この数年来、
死ぬ時に、両親と手をつないで雲の彼方に上っていくイメージを作り上げてある。
とすると、「子供学」を通した「死生学」になる。「もっともっと楽しんで
おけば良かった」と、それでも後悔するはずだから、一日一日を大事にし、
楽しむことが、いま与えられた課題になる。「いま現在、実行している!」
という内なる声は、勘違い! それにしても、毎日が面白いが・・
 まだまだ、楽しみが足りない!ということ。 
・・・・・・
4606, 閑話小題 ージェネリック家電
2013年10月26日(土)
   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が
一定期間を経過したことによって特許切れになった薬品を、他社が格安で製造
販売できるようになった薬」。ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち
(一世代前)した製品の部品を集め半額から10分1の価格に抑えた専門メーカー
の商品。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加している
という。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、
家電チェーンの店先には、何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。
そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。半月前に
5年間使ったデジカメが壊れ、新たに買うことにした。当初からデジカメは
カシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後
だったが、今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が
800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の多機能付きか迷ったが、
ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。デジカメは、
日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それに
しても安い。20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セット
を買った。百万円以上はするような高級家具が、30万円。そこで、社長に
聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤ
から輸入したもの。デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、
本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」
の走りだろう。考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。
型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、使用目的に絞り込んで
トレードオフをしている点では同じ。5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 
韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、
格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
・・・・・・
4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
≪1886年、アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」
 の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、頭痛薬「コカ・コーラ」として
売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があった。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつもの
ようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、あいにく手近なところに
水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客は
すっかり元気になり、効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、
シュワッと泡の出るコカ・コーラがアメリカ中に広まっていった。
日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味
だったのか、あまり売れず、いったんは発売が中止になった歴史がある。
再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の
兵士や、その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に
輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。 
 しかしルーツは一つなのである。ではこれらのお茶は何が違うのかというと、
製造方法が違うのだ。 製造過程で、葉の発酵具合を変えることで、まったく
違う種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸して
もんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は半発酵させた茶で、青茶ともいう。
そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵
させる過程で、独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔かすに適していた。
 ・・・・・・・
3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
       「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。
昼間でも家の外に人の気配がすると、玄関に走り出し吠える。家を守ってでも
いるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。
父が入院している病院に向かっていた。病室に入ると人工呼吸器につながれる
瞬間であった。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。
よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、微動だにせず機械と息を
合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずる
かのような音と共に機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス
音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。父の法要が済み、
一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。
茶色のトイプードルが我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことを
きかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、
まさにその日であった。これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、
真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に
映し出されていた。その時に居間の障子越しから夕陽が仏像を照らした。
それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は
何の日、ハッとした。父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 
両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。
・・・・・・・
3501, 10−10−10 ー�
2010年10月26日(火)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 
                    スージー・ウェルチ (著)
 「何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。
その時、目先に捉われて、感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 
が、そんな節目にこそ、10-10-10は未来に目を向けてくれる。そして未来から
節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てることになる。
そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを
気づかせてくれ、人生の優先順位を考えるきっかけになる。また自分に必要な
もの、必要なことは何かを見極めるチャンスを与える。
それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことになる。 
 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?
の視線も重要である。目先、とにかく冷静沈着が必要とされる。
ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と
擬人化して質問を発することを勧めている。
 我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは
何だろうか?と。その質問を明確にすれば、答えの何割かは自然と内から出る。
それはガイドでもある。そこで、「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期
的なら何を準備すべきか、そのため現在の具体的行動は何か」を冷静に考える
ことが可能になる。 少なくとも問題に対して前向き思考になる。
 彼女は、これを「人生管理ツール」という。人は闇にいる時、そこに、
そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。問題に対して、
この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。
 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 
しかし10−10−10をツールとして使えれば、気楽に長期思考も短期思考もして
いることになる。 著者は女性の直感で、10−10−10と単純な三つのスパンで
考える方法に気づいたこと、そのことが、素晴らしい。そして3つのスパンで
単純に、具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を
現してくる。ここまでシンプル化するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。
間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。


5337,本当に、数字は「ウソ」をつかないのか?

2015年10月25日(日)

              〜『考える練習』 保坂和志著
  * 一面だけの情報なら、それは正確とは言えない
 マスコミの報道は、ニュースという短期間の視聴者の関心を惹きつけるのが
仕事のため、どうしてもオーバーな報道をしたがる、そこに、大きな誤差が出る。
現在問題になっている、2cmの杭の段差問題が、それである。哲学書を読み
続けていると、こういうニュースの欺瞞性が見えてくる。たまたま、図書館で
見つけた、以下の内容が、正に、それを言いあてている。〜その辺りから抜粋〜
≪ 消費税を上げなくてはダメだという理由に、年金問題がある。
 年金は何十年か前は8人で1人を養っていたのが、いまは3人で1人を支える
「騎馬戦状態」だと言われている。 それも2050年頃には1人で1人を支える
「肩車状態」になるという。だから税収を確保しなきゃいけないというんだけど、
でもそれは年金だけを見たときの話でしょう。たとえば70年代は、家族を考えて
みた場合、専業主婦のいる家庭に子ともが1人か2人だったわけだから、1人の
働き手が最低2人養っていた。いまは共稼ぎで子ども1人のところも多いじゃない? 
子どもが2人いても共稼ぎ家庭なら1人で1人を養うことになるし、一人っ子なら
0・5人しか養ってない。うちなんかは、子とも0だ。猫はいるけと。
 そこに年金が肩車状態になったって、1人増えるだけじゃん。それならいけない
はずはない。だからここには考え方の誘導があるんだよ。誘導があると、みんな
その流れの中でしか考えなくなってしまう。いちばんわかりやすいのは、労働
人ロの割合だと思う。全人口に対して労働人口の割合が増えてることだけは
間違いないんだよ。それなのにお金が足りないというのは、一人ひとりの給料が
安いからでしょう。大企業が消費税に賛成している理由は、正社員を減らして
非正規雇用を増やして賃金をもっと減らしたいからと思うんだよ。だから、
消費税増税はいまの人件費削減の流れの後押しになる、ということなんじゃ
ないかと思う。情報を一部分だけ出して、いかにも根拠があるかのように統計
を見せて、「数字はウソをつかない」とかって言っても、一面だけの情報なら、
それは正確とは言えないよね。タバコの発ガン率とか、メタボの人が脳卒中
になる確率とか、運動不足の何とか率とかって.いろいろ出てくるじゃない。
これをしている人はそれが15%上がる、30%上がるってさ。でも、もともと
そういう症状になる人が全体の何%いるかまで出ていない限り、何%増えようが
減ろうが、説得力はないはずだよ。この店で宝くじを買えば当たる率が30%
上がるっていったてじゃあ買おうって人はいないよね。宝くじなんてもともと
当たらないんだから。タバコを吸ったら肺ガンになる確率が30%上がりますよと
言われても、一生のうちに肺ガンになる確率が5%だとしたら、それが30%増え
ようがたいしたことはない。まあ数字自身は「ウソ」をついてはいないのかも
しれないけど。気が利かないだけで。じゃあ、それは厚生年金で、国民年金の
話と混同してる?そうかもしれないけど、国民年金と厚生年金の一体化とかも
言ってるんだからいいんだよ。≫
▼ 自頭で考える訓練をしておかないと、マスコミの、世間の好い加減な
垂流し情報をそのままを信じ込んでしまい溝沼のボウフラに陥る危険がある。
9割以上が、上記のような情報のため、一線を画さなければならない。
・・・・・・
4972,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜①
2014年10月25日(土)
  * ツアーゲームの醍醐味
 ツアーは、ツアーゲームという方が、その本質をついている。
  ーネット辞書によると、
≪ ツアーとは、基本的にはパンフレットやインターネットサイトなどで
 宣伝して旅行者を募集し、旅行代理店で旅行契約を締結し代金の収受を行う。
行程表に従った団体行動で集合場所から解散場所まで全行程に添乗員が同行する
形態が基本であるが、1990年代からは添乗員が同行せずに所定の往復の交通と
宿泊(に加えオプショナルツアー)で構成されるフリープランが台頭し、
旅行者のニーズに合わせて選択できる。
 :利点として
・添乗員が同行するパッケージツアーでは、現地での不安感が少ない。
・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊出来る。
・現地の情報の事前収集がされているので、参加者は、情報収集のエネルギー
 が少なくて済む。
・団体料金が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安な
 ケースが多い。
・旅行業者は3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
 を負うため、手配旅行に比べて安心。
 :欠点としては
・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
 また、自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
・行動の大半を他の参加者と共にするため、煩わしく感じる場合がある。
・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行
 や手配旅行の方が安くなることも少なくない。特に1人参加で1人部屋追加
 料金を支払う場合はかなり高くつく。また、辺境地をチャーター便や
 貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。
・土産物店や免税店に何回も立ち寄らされることがある。現地での観光を
 放棄する方法もあるが、ツアーによっては認めないものもある
 (土産物店等が旅行会社と契約してマージンを旅行会社に払っている)≫
▼ 以上だが、一般的にツアー旅行は、フリープラン派と、パッケージ派に
 分かれる。49回のツアー経験から、フリープランでの現地代理店との直接
交渉のパックは、旅行代理店の裏づけがないため、現地の ガイドの好い加減な
扱いが多い。少し窮屈でも、私はパック旅行にしている。アフリカとか南米
専門の弱小旅行代理店は、(何度かの経験からみて)やめた方がよい。
マニュアルと、チェックリストが皆無のため、添乗員の劣悪な扱いを受ける
ケースが何度かあった。代理店は、それぞれ客層を絞っている。その時々で、
代理店の浮き沈みが激しい業界である。JTB、日本旅行、近畿ツーリスト、
HIS、阪急旅行社の順に重心が移動している。自分は何を旅行で求めるかで、
その相手先を決めるが、私の場合、値段と行き先の内容になる。
 ツアーゲームは、私にとって最高の遊びであり、別腹の多くの体験と感動
が詰まっている。それぞれのツアーの延長が、TVやブログで見るなどしながら、
今も続いている。その度、新たな経験がある。
・・・・・・
4605, 閑話小題 ー今回は、い〜かな
2013年10月25日(金)
   * 「今回は、い〜かな!」
 一昨日の夜、家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、
とヤンワリと断った」と。そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』
を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。「『い』をつければ、
いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして
「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、
こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、
店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を
飛ばしたが、全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれて、
何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い〜かな!」は、巧い
断り方。営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、
『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく
「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面に
ギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、サドルの前に腰を出し、女またぎで
両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく)だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れては
きたが、やはり不安で、厚底シューズを検索で調べ、アマゾンから購入した。
送料込で3900円。早速、送られてきた現物は、何と、ぽっくり下駄にそっくり、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズ
と変わらないし、踵部分が削られ、中央が膨らんでいる。失敗かなと思いつつ、
履いてみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、
姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、
姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため疲れが残るがウォーキングに最適。 
自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。踵から脚を踏み込み前に重心
移動すると、楕円形のため勢いつき身体が移動しやすい。よく考えたものだが、
自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、げ落ちそうになった。
・・・・・・
4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと
塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、やけに美味しかった。
マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズを
 かけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。その起源をたどると、
18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。
マヨネーズが誕生したのは、イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな
港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。
フランス軍を率いていたリシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を
縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれて
いたが、一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎ
を求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。戸惑う料理人に、
リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。
料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品であるオリーブオイルとレモン、
ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が
満足するか不安に思った料理人は、少しでも料理をグレードアップさせたい
との思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 
マヨネーズがこの世に誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリュー
がレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、
 不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。これとケチャップも、
冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。
 ・・・・・・・
3865, 嘘みたいな本当の話 ー3
2011年10月25日(火) 
 * 財布    「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 
10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。そのうち6回は
誰かが拾ってくれて、返ってきました。日本はよい国だと思う。 東京都 マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合った
のだという。そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と
声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。こんな東京でそんなことしている人
見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、
バイトに遅れるわけにもいかない。覚悟を決めて人混みのなかを走りかけた
とき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、
バイト先まで走ってくれた。ー東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。家内の実家が建材店をしており、
年に一回、取引先を招待して倉庫で、展示会をしていた。そこには古物商、
ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙の阿弥陀仏が目に入った。値段を聞くと45万円。 
買う気がないので冷やかしで、「25万円なら買うけど・・」というと、
ケンモホロロに断られた。そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書
とともに、その仏像が直送されてきた。何気なく、その仏像の台座の下を
みると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。もちろん新しく
刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、
亡くなった娘?のものかは分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、
私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、顔を
青ざめて忠言してくれた。仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく
見えるほど。中越大地震のおり、その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 
今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし!
 ・・・・・・・・
3500, 10−10−10 ー�
2010年10月25日(月)
「10-10-10 人生に迷ったら、3のスパンで決めなさい!」スージー・ウェルチ(著)
  ーアマゾンの内容からー
仕事、夢、結婚、家族、友情。人生に迷ったとき、「決める力」が身につく本。
紙とペンさえあれば、10-10-10は今、この瞬間から試せます。
もしも、この選択をしたら……
 □ その決断は、「10分後(今)はどうなっている ? 」
 □     「10ヶ月後(ちょっと先)は ? 」
 □     「10年後(未来)は ? 」 ・・こう自問するだけでOKなのです!
短、中、長期と、3つの視点で選択肢を見つめれば、後悔しない決断ができます。
この本でぐずぐず迷うクセ、優柔不断、チャンスを逃すパターンが変わります。
●もう、うんざりの職場。辞めてしまえば10分後はスッキリ。
 でも、10ヶ月後に後悔しない? 10年後、お金は大丈夫? その選択が
 正しかったと、本当に言える?10-10-10で考えよう。
●大事な取引先とのアポ当日、田舎の親が病気に!どう決断をすべきか、
 10-10-10で考えよう。 たった3分集中するだけで、正解が見える。
●結婚の見込みがなさそうな彼と、続ける? 別れる? 別れたとき、
 続けたときのメリット&デメリットは、10-10-10が教えてくれる。
= 経営の神様、ジャック・ウェルチの公私にわたるパートナーの人生とは? 
= 著者スージー・ウェルチは、ジャーナリストであり、四人の子供の母であり、
 40代で経営の神様、ジャック・ウェルチと運命を変える出会いをした魅力
 あふれる女性。アメリカでは、女性としての幸せを模索するアラフォーたち、
 働く女性の共感の声、続々! 10-10-10は発売まもなく
 『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』
 のベストセラーリストにランクインし、テレビ番組でも特集が組まれるなど、
 大反響を巻き起こした。
〜解)例の「20世紀最高の経営者」といわれたジャック・ウェルチの連れあい。
この本は発売されると同時にベストセラーになりテレビ番組などで特番が組まれる
など大反響を及ぼした本とか。日本では今年の1月に発売されたばかりの本。
二日前に図書館で見つけて一読して驚いてしまった。10-10-10と分かりやすい。 
短期、中期、長期の視点で、直面の問題を直感で見定めるに有効である。 
思いもよらない出来事に遭遇したとき、現在(10分〜10日後)、
中期(10ヶ月〜2年後)、長期(10年後)の対処を単純に考える習慣を
つければ、習慣がないのと比較すれば時間とともに膨大な差が出る。
 金投資を考えると分かりやすい。現時点では、これからハイパーインフレは
間違いなく起こるのは必定? しかし2年スパンでは大きく乱高下もあるから、
目先のかく乱の動きに対し、10−10−10を予測すればよい。10日、
10ヶ月は、乱高下するが、10年後には三倍以上は間違いないと踏むかどうか。
そう判断すれば、思い切って投資をすればよい。東芝の株とすると、原子力発電
に重点投資をしているので、10年後には株価は5倍と想定し、10ヶ月後は、
まだ投資効果が見込めないので、塩漬けが出来るかどうか。長期投資の資金の
用意があれば長期投資すればよい。等々、見分けることができる。 〜つづく


5336,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー③

2015年10月24日(土)

   一1人の時間を持て余す者は、二人の時間も持て余すー
 老いの大きな問題に『孤独』がある。特に独身の場合は大きな穴が
心の中にスッポリと開いているのだろう。そのためには、自分の世界を
つくり、ダンデゥズムに徹し、孤高に生きるのも人生の一つ。
≪ ◎ 質問 =このまま一人孤独に人生を終えたくはないのです…
 私はこの年になってもまだ結婚をしたことがない50歳の独身です。
仕事を離れるとほとんど人とおしゃべりする機会もありません。
飲みに行ってもほかの客とはあまりしゃべりません。
自分から心を開かなければ相手も私の心を分かってくれないということは
承知しています。会社もあと十年弱で定年ですし、その後の人生はこのまま
孤独に過ぎて、ある日部屋の中でひっそりと終わるのかと思うと不安です。
心を割った話ができる相手、できれば女性を見つけたいと思っています。
でもいままでにそのような出会いはありませんでした。
今後出会いはあるものでしょうか?、(五十歳男性) ≫
≪ ◎ 答え=孤独を孤高にまで高める生き方を目指せ
・シマジ: この前のように三十代の男性からの相談なら「書を捨てて
 女を口説け」、というところだが、五十代となるとそうともいえないな。
仕事以外ではほとんど人とおしゃべりをしない。飲みに行ってもほかの客とは
距離を保つ。おそらく、相談者はずっとそういう生き方をしてきたのだろうし、
他人に自分の領域を侵されるのが苦手で、一定の距離を保つほうが楽だった
のだろうだとしたら、この齢になっていきなり社交的になれといっても、
それは無理な相談。女性に対しても尻込みしてしまうタイプだろうな。
こういう人が人生の晩年を一緒にすごす女性を見つけようと焦ると、下手を
すると結婚詐欺に引っかかりかねない。だから、無理はしないほうがいいね
・シマジ: だからこそ、孤独を恐れる凡人を脱して、相談者には孤高を目指
してほしい。肌のぬくもりやおしゃべりの相手が欲しいなら、猫を飼えばいいん
じゃないか。猫はいいぞ、しみじみと会話ができるからな。俺の知合いの作家
の話だと、飼い猫をあんまり可愛がりすぎるものだから、結婚したばかりの妻が
怒ってね。、「猫と私とどっちが大事なの?」うていう言葉に「そりゃ猫だ」
と答えたものだから、新妻に家を出て行かれたそうだ。人間の女より、猫の
ほうが一緒に暮らしていて心穏やかでいられるというのは否定しがたいね。
・シマジ: 金と時間と情熱を注ぎこんだ一人の時間を豊かにするには、膨大
の情熱と知恵が必要だ。一人で孤独だと思うのではなく、誰にも邪魔されない
自由な時間をどれだけ豊かにしようかと真剣に考えるところから、人生の愉しみ
が広がっていくんだ。まさに人類のステキな時間。心の中に星が降る時間だね。
だから、相談者が仮に本やお酒に興味がないなら、別の手段でもいい。
自分が興味を持っているものをもっと深く探っていく気持ちを持てば一人の時間
を貴重に思えるんじやないかな。それにね一人の時間を愉しめる人でなければ、
二人の時間も愉しめないと思うんだよ。一人をエンジョイできる人間は、二人
になればますます相手と自分を愉しませられる。一人を持て余す人間は二人に
なってもやはり相手と自分を持て余して、退屈な時間を過ごすんじゃないかな。≫
▼ 家にオウム科最小のインコがいる。居間のガラス戸を隔てた先の籠に一匹、
 鎮座しているが、人恋しいため常にピーピーと呼びかけている。時どき、
餌を与えたり、頭を撫ぜてやるが、何か心が癒される。猫を飼うと、異性にも
関心が無くなり、ますます縁遠くなるというが・・ 
・・・・・・
4971,閑話小題 ー飛行機の座席にみる社会構造
2014年10月24日(金)
   * 人生を憎めば、人生は憎しみを返す
 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。
これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と言い直すことが出来る。
現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・
この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみ
を持った受止め方をする。何でマイナーな考えを持つか? よく観察すると、
育った環境が大きく左右している。 まず、親を憎むことが、そのまま自分の
人生を憎むことなる。「相方には、両親に愛され育った上に、運がある人かを
第一にして見分けなさい」という。幼児から20歳代までに、プラス・マイナス
の両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せず。異性に惹かれるのは、
自分と違った要素を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、
その違いが性格の不一致になる。そこから憎しみが湧き出て、争いが子供に
大きく影響し、その結果、子供は両親を憎むことになる。90%の夫婦間が
実質破綻をしている?というが、子供はたまったものでない! そこで、
「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦になる。
   * 飛行機の座席に垣間見える社会構造
 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。
見てみないふりしかない。飛行機の座席のランクには、一般的にファースト
クラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。
  ーその料金体系といえばー  (欧州の場合)
・エコノミー: 12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い
        正規運賃で、サーチャージ込み)
・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金
             を支払っている人に対するサービス)
・ビジネスクラス:   36万〜90万(90万は割引の無い正規料金)
・ ファーストクラス: 150万前後(割引料金は基本的にありません)
▼ 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が
 年間契約で3万5千〜7万円の格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を
我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、観光シーズンのピーク
を除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れ、
使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。私は格安パックツアー
もあって、エコノミーだが、たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、
一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。4分1の
確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。
露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは、非日常世界で、
瞑想には最適な時空である。
・・・・・・
4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1
2013年10月24日(木)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー(著)
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分に
なりがちだが、本列島は地勢的にみて、雨量の多さが豊かさをもたらしている。
著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、日本
在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。
彼女は、日本の多湿な雨に、特性を見出している。この本は雨読にはピッタリ
の内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。    
  ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。
ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は
希望、または静かな省察の時を与えてくれる。雨は私たちの生活のリズムを
減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかける。 
雨には意味、存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流
する境界に在るのだ。雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと
雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 
   ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。
「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り
始めた雨と土の匂い、雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、
天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさ
へと導かれるものだ。この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」
というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。
雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。誰でも人生は自由なのだな
と改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、
 不思議と一瞬一瞬をより深く、存在意識を持ちながら味わえるようになる。」
と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、深くため息を
つく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また
「超越」という概念にも気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、
自然の制御できない性格なども分からせてくれる。そう、自然をより美しく、
そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、
 さまざまな種類が発売されている。ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど
前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、客の一人が誤ってそれにお湯を注いで
飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じで。戦乱の続く当時、
刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。
戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。そこで金創医たちは、細かく
刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が
抽出できるようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも
便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時は産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点
で共通していた。今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、
金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。
 即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンがあった。お湯を
注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食としておおいに売れたという。
彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。学生時代の昼飯として、
よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
 * さかさまな世界-  
        「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに
踏み込む足裏が痛い。右手をそっと後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、
左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。大学に入学
して初めてのバイト先。苛立った僕はその後、事務員の女たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと
届かないんですもん。ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、
和式はたまらなくつらいんですよ」僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは
顔を見合わせる。 ひとりの事務員が切り出した。「あの……トイレヅト
ベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落として
しまった・・ 拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、
次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。同時に、私の足元でひざまずいて
いた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。我に返り慌てて振返ったが、
無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。 岐阜県 横山奈津子
  * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミが
ひとつ入っていた。 長崎県 トンビ
▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、
 一生に一回あるかないか。 こういう思いもかけない偶然は、誰も経験して
いるが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
「洗濯バサミ」、これもあり得る話。野生の鳥は思いもよらない頭脳を持つ。
そうでなくては、四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 
こういう話は純真に聞き入れる方だ。
・・・・・・・・
3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―「起こりえる未来」の読み方≫中原圭介(著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」
の道半ば。これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を
予測して、事前に手を打っておくことが必要。経済予測脳をもっていれば、
誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が
可能になる。それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を
送ることができるのか。 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。
特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、変化をジックリと見極め、
それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けて
 どう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し
 予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのか
 を捉えるようになる。 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、
 人と社会は非合理的な側面が含まれるため、色いろな基礎教養をベースの
 上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、
そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。その背景には本格的情報化
社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を
持ちはじめた20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネット
などの情報手段の革命。そのことを、明確に把握していないと、現在の状況を
見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが・・・ 
世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマに
しているが、それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。
そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦、世界恐慌、そして第二次
世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 
  特に、茹で蛙の日本は、である。  
 ・・・・・・・
3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
 ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
以下の部分で、その原理を説明している。これでは多神教が敵うわけがない。
それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人
だからだろう。彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれて
いれば、どうもこうもない。 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し
 違うのですね。終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合
 は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて律法を守ってきた自分たちを窮状
 から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
 出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれ
 がそういう目にあわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが
 降りてきて政治権力を握るということになる。そもそもユダヤ人は、幾度も
 周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる
 願いは、メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということ。
 ただし強力な国を作りたいという願いはありますが、全世界をユダヤ教}色に
 してやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教やイスラームより
 はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り
 立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教とキリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやって
 くるのは現世的な救いなのですが、キリスト教では幻想的にというか、
 非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考える
 ところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的には
 ないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない
 天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。その時にアッラーの前に
 引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
    (字数制限のためカット 2015年10月24日)


5335,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー②

2015年10月23日(金)

    ー結婚しなさい。いい相手を俺が紹介してあげようー
 私に今東光が乗移ったら、『サッサと転職をしろよ。次の職場で後悔する
状況に直ぐに陥るから、少しはマトモになるはずじゃ!』というだろうに!
 ≪ ◎ 質問: 信念や主張がなく、すぐ諦める自分がもどかしい
〈 私の悩みは「こだわり」がないことです。そのためか、人にただ流される
 生活をしているような気がします。仕事をするうえでも、周りの人が
「こうするべきだ!」と強く出してくると、「だったらそ札でいいんじゃない」
と迎合しがちで、会議などでもあまり意見はいいません。何かを強く主張を
して揉めるくらいなら、初めから諦めてしまうほうが面倒がなくていいと
思ってしまいます。人材開発・組織開発の仕事をしていますが、この仕事は
すぐ結果が出るような類のものではなく、周囲とのコンフリクトが当然の
ようにあります。それだけに、信念やこだわりがなく、すぐ諦めてしまう
自分がもどかしいです。三十歳を超えて、このままだと仕事は中途半端な
ままで終わりそう、と不安です。(三十歳女性) 〉
  ◎ 答え=人生で最大の罪悪は退屈すること
・シマジ: うーん、難しいな。俺とは全く違うタイプだ。何が原因で自己主張
を諦めるようになったか分からないが、相談者は人生に退屈をしているんじゃ
ないか。主張しない、迎合する、すぐ諦める。これではノッペリした平板な毎日
で退屈で仕方がないだろう。俺は人生で最大の罪悪は退屈をすることだと思うよ。
何だっていい。何か一つのことに十年ものめり込めば、間違いなく自分の世界が
できる。確固とした価値観や美意識が形作られ、オリジナルの主張や、譲れない
一線としうものが生まれる。すぐに諦めることもなくなると思うがな。
・アソシエ: 趣味に打ち込んでみたら変わりますかね。
・シマジ: 実のところ、「たしなむ」レベルではあまり変わらない。結局のところ
「道楽」でもまだ足りず本当は道を極めるところまで行かないと世界は作れない。
つまり「極道」まで行く必要があるんだが一まあ、そこまで要求するのも酷だから、
まずは何か打ち込めそうなものを探してみてはどうかね。空手なんかどうだ。
・アソシエ: いきなり空手ですか。 (略)・・・
・シマジ: 経済力があって頼れるいい男を見つけて結婚すれぽ、相談者は
昔ながらの良妻賢母になり、幸福な結婚生活が送れると思う。何も仕事で成功
するばかりが人生の幸福でほない。自分の意見を強く主張し、周囲と競い合って
仕事で成果を上げるということが向いていない人もいるんだ。そういう人は無理
をして仕事場で「できる女」を目指さなくてもいいと思う。
というわけで、相談者には旦那さん候補としてこ人の男性を紹介しよう。
じつは、いい人がいたら紹介してくれと二人の男から頼まれているんだ。
いま、その男たちの写真を持ってくるよ。
・アソシエ: まっと待って。それは人生相談の範疇を超えているような気が。
・シマジイ: どうしてだね。人生相談というのは相談者の悩みに真剣に対峙
 するものだろう。少なくともシバレン先生、今東光大僧正、開高健文豪は、
相談者に胸襟を開き、自らこれと信じるということを真剣に語った。
人生に正解なんてありはしないんだ。だから人生相談にも正解やあるべき姿
なんてない。語るだけでなく、人助けの実践的サポートまでやる人生相談が
あってもいいじゃないか。俺は、この相談者の幸福は結婚にあると思っている。
そして、良妻賢母になることを確信している。相談者に結婚する気がないなら
無視してくれれぽいいだけだ。もし、その気があるなら、連絡してくれ。≫
▼ こういう人は、男にもいる。学生時代など20歳半ば頃までは、
 経験の絶対量が少なく、まず周囲と同化することに神経がいって当然。
女性なら家庭に入ることで逃避する道があるが、男は、そうはいかない。
人生に正解はないとしても、より良い道は自分でしか切り開けない。
で、知恵を絞り出すしかない。この後の二人の対話が面白いが、止めておく。
・・・・・・
4970,野心のすすめ
2014年10月23日(木)
   * 野心という山登り    〜「野心のすすめ」林真理子著
 創業の準備を含め45年間、その最後は、この様だったが何故か後悔はない。
野心があったからこそ出来た様々な成功と、挫折経験は何物にも変えがたい。 
自分の限界の壁が常に目の前に立ち上がっていて、何時も溜息をついていた。
 野心を持っていると、「棒ほど願えば針ほど叶う」になる。棒ほど願わなくて
は針ほども叶わないのである。創業の頃は、高度成長期の絶好の環境があった。
それに、条件づくりに父が陰で協力をしてくれたこともあった。
野心は志と似ている。自分では志と思っても、人から見れば野心というのだろう。
何かに志をたてると、それが高く、大きいほど、その差が見えてくる。
そして、途中で、頓挫させるような難関が次々と立上がってくる。しかし、今さら、
後は引けないという瀬戸際で、壁が崩れ、内在した力が沸々と湧き出てくる。 
ー以下の内容が、野心を解りやすく要約している。  
≪ 野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。
 本を読み始めると、自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らない
のはまずいなあとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人
にはいろいろなページが開いてくるんです。反対に、本をまったく読まない人は、
何を読めばいいかわからないし、そもそも本の存在すら意識下に入ってこない。 
自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも
頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上が
どんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て、下を
覗いてみると、登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに
群れている。でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。
自分はこの先、あの高いところまで登れるのかという不安を常に抱えながら、
ズルズルと下に落ちたくないから常に手を抜けない。なぜ、わざわざ辛い思いを
してまで山登りを続けられるのでしょうか。それは、必死で登って来た場所から
見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう
満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです。そうなったら最後、
もっと美しい景色が見たい、もっと満足したい、もっと幸福を味わいたい、
と、さらに上へ上へと登りたくなる。 平地で遊んでいる人間には一生見えない
美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福はあります。
もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろう
とする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。チャレンジしたから
こそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出して
くださる方が、増えることを祈ります。さあ、山に登ろう! ≫
▼「やってしまった後悔は、日ごと小さくなるが、やらなかったことの
 後悔は日ごと大きくなる」の彼女のモットーが、良い。三年前の経験で、
つくづく思ったことは、山の麓で遊んでいた人たちほど、攻撃してきたこと。
特に、城下町の体質が、人間関係にられ一生を棒にふった人の割合が多い。
それが、「他人の血で、自分の一生を棒にふったという傷口を洗おうとして
いる姿そのもの」に私には見えていた。しかし、実際に、人生の夕暮れ近くに
なって、それも有り!ということに気づいた。山登りの景色も、麓の景色も、
大して変わりはしない、ということ。しかし、麓でも何かにチャレンジして
ないと、麓の美しさ、面白さに気づかない。はともあれ、何かに挑み、闘い、
変化する中で、人生は面白くなるようだ。せっかく、地球に知的生物として
80年を頂いたのだから! 有りがたく頂戴しないと!
・・・・・・
4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・
2013年10月23日(水)
   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた
義母と三人暮らしという。「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」と。
その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。
亡くなる半年ぐらい前のこと、元旅館の女将をしていた母の最も親しかった
92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。最期のお別れ
という空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。
家内が台所で、こっそりと、「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、
さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・}
 その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、
される方も、するほうも、大変である。「呆けは老いの苦痛を和らげるため
神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも芸のうち、
ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。
計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? まずシリア爆撃に
目先を向け、のドサクサにデフォルトだったのでは?国家戦略からして、
オバマ二期目の二年目。やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで
先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。日本と同じく国債増発しか予算が
組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、
死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。そのプロセスを踏まない限り、
米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。
更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、
世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。まずハイパーインフレとすると、
年金生活者は?今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。
「まさか!」は起こってからでは遅いが備えは可能。「まさか!」が、危ない。
私の「まさか!」は、リーマン。備えてはいたが、現実に起こると「まさか」
が、「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・
一万円前後していた株価が、今では500円、これも国家管理になればゼロの
可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
・・・・・・
4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
  * 鮫子の形の由来
 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いもの。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起もの
 として餃子を食べるしきたりがある。 その理由は、あの独特の形にある。
鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形から
きている。そのため鮫子は「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べも
と考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を食べると一年間お金に困らずに
暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における鮫子は、
まさに日本の「おせち料理」のような存在であるといえるのだ。
それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。じつは比較的
最近の一九六八年、新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、
なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。この発見により、
このトルファンの地が餃子の起源と考えられている。
この化石は、トルファンに展示されている≫
  * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選した
 のが食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという方法だった。その作り方は、
瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと
湯せん鍋で沸騰加熱して殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま
持ち運ぶことができる。この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、アペール
は莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期に
イギリスで発明された缶話めとともに、今でも人々の食卓を支え続けている。≫
▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを更に小さく
 個人用パッケーかに詰替えたことになる。最近、コンビニが勢いづいているが、
これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を
中心にしたことが、消費者の支持を受けたことになる。
・・・・・・・
3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。
反対に、「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのもある。
脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」
という。日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授に
なりたいと は思わない。何となくなりたいと思う理想のイメージの人には
なれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。
ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいもの
になりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。翼を広げ羽ばたいて
いると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。
「なりたい」と真に思わなければ、なりたい自分になれる訳がない。
逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、
【某セミナー】の教え。≪ 「なりたくたってなれない。でも、なりたいと
思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力を
つぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、ネガティブなものの
事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生き
かたをいいます。いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだから
なれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか「カラーコンタクト
を入れれば」・・とかドンドン付け足し、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿
とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」を説いている。
これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、
しっかりした指導者か見識が必要。しかし真になりたいものを見つけ、それに
向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行く
のも道理。「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が
針を棒に変えてしまう。なりたいと願うことは、エネルギーをそこに集中して
いることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたい
ものに、なっていく。司法試験に多くの人が挑み、大多数の人が挫折していく。
しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。しかし一生をかけても
合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。
なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
 ・・・・・・・
3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を
体験するようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」
と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の
自然科学を修めつつ探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、
独自の探求を続けた・・≫
 ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。
それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブル崩壊
 から嘘のように元気を失っている。財政赤字は900兆以上にもなり、収入は
 日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今まで
 にない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの
 違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」
  −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。
 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、星が終焉を迎えるとき、
 超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる
 存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、
 平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に
 通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、
 この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と
 限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と
 記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を
 一つに結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫
 と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない広がりと深さを抱いている
 私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
 ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を
 果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的
 世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、世界とは特別なつながりはない
 と思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、
 みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、
 宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
 〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。
 「魂とは、生前、死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基
 につながっている」は、神秘的、宗教的である。


5334,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー①

2015年10月22日(木)

  元・プレーボーイ編集長の島地に、亡くなった三人がのり移った設定の
人生相談だから、面白くないわけがない。ランダムだが、面白そうな相談から
紹介していく。
   ー大企業で出世する男の見分け方を教えてくださいー
〈 私がつき合っている男性は慶応大学卒の28歳、某大手電機メーカー勤務です。
有名企業ですが、このご時世、サラリーマンの一寸先は闇。彼が出世競争を勝ち
抜ける人かどうかを知りたいのです。私も大手といわれる保険会社勤務ですが、
ずっと仕事を続けるつもりはありません。というか、専業主嫁になりたいです。
ただし、貧乏臭い節約生活は送りたくありません。銀座で気軽にショッピングを
したり、一流のレストランでランチができるくらいの余裕のある生活が希望です。
そのためには、旦那さまにかなりの稼ぎがないことには。かといって、ベンチャー
経営者なんていうのは、蟹産の危険と考中合わせで不安定だからイヤ。大企業で
出世する人がいいのです。そういう人の共通点って何でしょうか。どんなところ
で見分けられるでしょうか。こんな質問をしたら、コメントは欄では非難轟々
かもしれませんが、本音でお蜀きします。(27才女性) 〉
  ーお答えー
〈・シマジ:その慶応卒の彼氏とやらに会って、食事をしながら二時間も話せば、
出世するかどうかをぴったりいい当ててあげるよ。だが、一般論として出世
するす男はこうだとはいい難いな。それこそ千差万別だ。だから、会わずに
語るのは無責任だな。無責任だが、これだけはいえる。この男が大企業の中での
競争を勝ち抜き出世するだけの知力と感性の持ち主なら、相談者を一生の伴侶
として選びはしない。すなわち、相談者を妻にするような男なら出世の見込みは
薄く、出世する男なら、いずれ相談者と別れるだろう。
・アソシエ:辛口ですね。
・シマジ:相談者の本音の質問を本音で答えたまでだよ。出世をする人間の
大事な条件の一つが人を見る眼力だ。大きな組織の中でこれぞという先輩や
上司を探り当て、その人に教えを請い、その人を尊敬して命がけでついていく。
あるいは営業マンなら、取引先のキーパーソソを見極め、そこにしっかりと
食い込み、人脈を広げていく。いずれにせよ、そうした人を見る眼力があれば、
女のたくらみも見通してしまうだろう。それにしても、相談者の考えは浅いな。
だってそうだろう。日本の大企業の中で課長に出世をする男には眼力が必要だ。
課長になり、部長になり、ついには役員になったとして、どれほどの生活が
できるというんだ。第一、子供はどうする。子供が二人もできたら、優雅に
お買物にラソチになんていっていられなくなる。しかも、教育に金がかかる。
こういう相談者だから、子供に有名幼稚園や小学校をお受験させるだろう。
そのうえで、有閑マダムよろしくブランド品のショッピングに精を出し、
高級レス.トランでランチ三昧なんてことをしようとしたら、数千万の可処分
所得が必要になる。ということは旦那は税込みで一億円近く稼がなくては
ならず、サラリーマンには到底無理な話だ。〉
▼ 以前、田圃や小川に生息する〈タガメ〉について書いた。蛙や、小魚に
 抱きつき、栄養分を死ぬまだで吸い取る昆虫で、日本の専業主婦に酷似
しているという分析の書籍を、ここで紹介した。 何か、誰かさんみたい?
  〜二年前に取り上げた内容を下にコピー〜
・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作 
                ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。
例の『水の上を歩く? 酒場でジョーク』島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。「知らない悲しみより知る悲しみ
のほうが上質である」とは、言い得て妙だが、何と『極道辻説法』
の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白。生臭坊主の
名回答も、シマゲジの創作とは・・ ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように
 扱われています。ところが私などから見ますと、どう考えても大僧正の
 興味のテリトリー外のテーマなどが書かれてありまして、ずばり
 訊きますが『和尚前白』は大憎正が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
 しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまく
 リライトされているのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかり
 とは言い切れない。今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参して
 きましたので、どれが完全に島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。
 確かに。うまいなあオレは。(国連総会演説を取上げた回を示し)これもオレ。
 高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の話をまとめたもの。これも
 オレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してるね。いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話もみんな
 島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
 いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、
 まさに当時から大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人である。島地が今東光に憑依しないと、
 あれだけの名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」
に通じてくる。「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、
読者の一人として、知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されて
いる「エロ・アーカイブ」は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく
書いてあるが・・ 今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】犬の
ロッキーを恋人にした私の妻ーと検索すると出てくるが、お勧めはできない。
成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!
・・・・・・
4969,生まれたことをどう考えるか
2014年10月22日(水)
           「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
   * 「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、
「何を馬鹿な!猿が生まれてきたことに意味があるかを考えるのと同じ。
意味など後付の理屈」と決め付けることもできる。この問いかけは、
「人生を如何に生きるか」に通じる。フランクルの「人は良く遊び、良く働き、
良く学ぶため生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を
加えると、ベストに思えるが。実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何か
 の問題を追うことで、人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに
意味はあるのかどうか、意味があるとすればそれは何か、どういうものが
考えられるのかの問いに迫ったものである。・・(本文より)》 
 ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの
 心臓や肺が動き、わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り
出していることではない。わたしが眠っている、わたしの意識のない間も、
心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。わたしの意識の状態に
関わりなく、呼吸、さらに体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に
必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の
意識とは別なところで成り立っている。自分が生きているということは、
根本的に自分が作り出しているようなことではない。
 ◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その通りに実行することができる。
もちろん自ら死ぬという選択、実行には、多大な困難が伴うであろうが、
場合によっては、意を決し行うこともできる。わたしは現在生きる選択をし、
骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは自分の力で
自分の生からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生き
られるような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか
死ぬかの選択ができるような状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、
100年前や500年前ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、
他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに生まれたこと、さらには、
わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく
人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし
固有のDNAをもっていること、死すべきものであることなどは、わたしの作り
出したことではなく、わたしに与えられたものとしてわたしにあることである。
わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かで生きることを決定付け
られている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、
生まれる者の自由にはならない。そして、わたしはいずれ死ぬように
決定付けられている。・・≫
▼ 生まれてきたことが偶然か、必然かの問題もある。この論は、唯心論の
人生感を面白半分に読むに丁度良い内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、
ただそれだけと割切れないのが人生である。自分の人生は自分しか生きること
が出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば著者の言わんとすることが
理解できるが。「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、
充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、生まれ生きたことに意味が
出ることも確か。ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
・・・・・
4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
  * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手の
ファイナンシャル・プランナーの一言が印象的。「セミナーで、まず言う
ことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを
持っていき、買い物を一週間続けることを勧めています。それが出来ないなら
カゴを持たないで買物をしてください。カゴを持たないと沢山、持てないから、
どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものが
わかってきます。習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 
シビアな話だが、体で憶る第一歩。 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。
大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一のシネマと、
月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 
元はといえば、出処は40年与えてきた給与の一部? で今や発言権は三分一。
 この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト
自転車、iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分?こんなもの?
その都度、小言をいわれるが、さほど欲しい物がないのは年齢のせい? 
欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には必ず?万以上は入れている。
使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。
年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、
千円だけ持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。
財産を使い切り、まず楽しみ、貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、
自分のことか!それでも心はリッチ? 楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。
日々、是、好日、いや口実か。年金暮しも、楽むしかない。
・・・・・・
4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2
2012年10月22日(月)
 * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた    
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった
諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を人身御供として捧げ、川の神を鎮めるという
風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の皮に豚や
羊の肉を入れたものを人頭に見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。
これが饅頭のルーツである。それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも
浸透し、主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの「じゅう」
の字を「頭」と書くのはここからきている。当初は蛮人の頭の意味から
「蛮頭」が用いられたが、のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になった
といわれている。諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは
一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因(のちに塩瀬姓を名乗る)が作った
「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や野菜を
入れるのが普通だったが、浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、
甘葛の甘味を加えた館を入れた饅頭を考案した。≫
 ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。
   
 * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが  
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪東郷は、英国に七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、
 かの地で食したビーフシチュウの味が忘れられなかった。日本でもあの味を
味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフシチュウに
欠かせないバターやワインがなかなか手に入らない。そこで部下は、砂糖、
醤油、ごま油を使い、牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうして
でき上がったのが、今でいう「肉じゃが」だったのだ。ビーフシチューとは
似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の船員
たちは長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気や壊血病になる者が
多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが豊富なので、その予防にもなる。
当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の
献立となった。一般家庭に普及したのはずっとあとの昭和50年代に入ってから
のことだった。肉じゃがのルーツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫  
▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったとは、居酒屋ネタに丁度よい。
 ・・・・・・
3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)
 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで
取り上げたような気がして調べたら、「H0505 小説のような本当の話!」
というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、
それは自分自身のことだから言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、
150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、
自分が、いま、ここに存在していることが嘘みたいである。両親の出会い、
そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして先祖の出会い
の重なりの結果、はじめて現在の自分がある。そういう難しい話は、この本の
本題ではない。何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような
経験の披瀝である。 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、
私の世間話的なそれを書いてみる。 ー かなりショートにまとめてみた。
* 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を
 眺めると、カラスの一群と鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは
 数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多にみれるものでない。
 「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
* その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれて
 いた身体はデカイが、幼さの残っているゴールデンリトリバーと、偶然に
 目が合った。思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、その犬も右手、
 いや右足をあげた。オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ち。
* 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルに
 ある燕の巣に、越冬の留守に雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、
 その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。雀には、多く
 の仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。数分で、見届けないで
 散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。
 驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。
   とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。


5333,ノンセンス辞典 ー②

2015年10月21日(水)

       〜BRUTUSの「谷川俊太郎」ーノンセンス辞典〜
  
≪ ・【思想】= 思いつきの別名。その思いつきが新奇であればなおいい。
  たとえばひとりの子どもが、〈空は青くないよ、空は茶いろだ〉と言えば、
 あの子には思想がある、というふうに用いる。思想を体系化しようと試みたり
 思想に生命を賭けたりすることは、今日では邪道とみなされている。
 ▽ 思想を思いつきとは言い得て妙で、本来、そんな大げさなものでもない。
 カントの〈コペルニクス的大転換の『対象に認識が従うのではなく、
 認識が対象を従える〉も、初めは思いつきだったのだろうか? 
 過去、現在、未来の時間軸を入れると、直感でわかることだが。
・【文化】= 蝿が一匹もいないこと、または蝿が適度にいること、
 または蝿が無数にいてもちっとも気にならぬこと。
 ▽ 蝿がいるのは、それが発生する環境があるから、気にならないのは、
  慣れてしまうこと。それも文化?
・【前むき】=頭部を前方にむかって固定した状態。人によってその頭部が
 やや左へ、或はやや右へ傾くことがあるが、後さえふり返らなければ、
 三六〇度どの方向をとっても、前だと言える利点がある。
 ▽ 「前向き」の人とは、人生を振り返っても、慙愧の念に捉われない人。
  振返ると、そこには後悔することばかり、「今、ここ、私」の垂直の
 瞬間には前向き方が、遥かに楽である。
・【ミクロ・デス】= メガ.デスの反意語。メガ.デスは、他人が大量に死ぬ
 ことを意味するが、ミクロ・デスは、自分がたったひとりで死ぬことを意味する。
 ごく最近の新造語らしく、用例はまだ見当らない。
 ▽ 誰もが最期は独り、ミクロ・デスで終わる。孤独死は万人のもの。
・【わいせつ】= 写真、絵画等に描写された陰毛を、黒インク等によって
 抹消することにより、消滅すると考えられている人間の基本的属性。
 常に快感を伴っているが、快感を不快感とする事実誤認の例も少くない。
 ――
『狂気なしでは、何事も成し遂げられない』ーエヴァ・ペロン
 (アルゼンチンの政治家1919〜52年)の言葉がある。
 ここで思いついたのが、以下のノンセンスな言葉!
【創造】=創造をなす新しい着想は、既存からみたら狂気であり、
それを全身全霊で成す行為は己を凶器にする覚悟がなければ進まない。
〈創造は、狂気の着想を凶器になって体現すること〉というノンセンス
の言葉が成り立つ。その結果、<お前は一体、何をしてきたというのか!>
の後悔の念が苛むこと。一番の苦悩は「何も手ごたえがなかったこと!」
・・・・・・
4968,閑話小題 ー女のカースト制度
2014年10月21日(火)
   * 美人カースト制度
 先日のTVのトークショーで、ある女性タレントが、女世界の
「美人カースト制」の存在を話していた。言われてみれば成るほど! 
『女社会には、美しさの三角形をなしたカースト制があり、美人ほど、
その階層が高く、歴然とした序列が決まっている。美人は同レベルの人
だけで仲間をつくり、それ以外は仲間に入れない。入れると、僻み妬みが
入りバランスが崩れるため。』とか。女という生きものは、自分を引き立たす
ため、少し劣っている人を仲間にすると思っていたが・・ 女性職場の経験
からみて、思い当たる節がある話。特にギャルまでは、美しさが大きな価値
判断になる。それまで育ってきた過程で、彼女らには値踏みが付いてきたし、
自覚がある。美人かどうかは、両親からの問題(親の因果が子に報い)だが、
これは本人には、どうにもならない運命の問題。私の姉4人は美人系だったが、
顔と身体の均整が取れているだけで、それが何?でしかない。が、独身時には
うら若い女性となると、全く違って見えてくる。 初対面の女性同士はまず、
相手の年齢や服装や住所やバッグなどの持ち物から「相手のレベル」を察知、
自分に近いかどうかを判断してから付合い方を決めてくる。  
 女カーストには、他にマンションカースト、ママカースト、
 ヒルズカースト、キャリアカースト制度がある。
◎マンションカーストは、住んでいるマンションと、住んでいる階層で、
◎ママカーストは、旦那の社会的格付けで、
◎ヒルズカーストは、そのヒルズ(丘の上の住民)のレベルで、
◎キャリアカーストは、職場などの、キャリアで格付けされる。
面白いといえば面白いが・・ 逆に超越さえしてしまえば、本当に楽なだが・・
それにしても、美人カーストの存在とは、面白い! で、往年の美女? 
その後、どうなった? 年齢でバランスを崩してしまえば、ただの?? 
だから、コンプレックス広告に引っかかる。バランス修正で世界が一変する
なら、韓国みたいに、どんどん整形すればよい! 即席で、化粧があるが、
見慣れてしまえば、皆、同じ。いや、そうでもないか? 
まあ、娑婆は面白い! 石も集まりゃ、砂利だが。
・・・・・・
4601, 読書という体験  ー3
2013年10月21日(月)
          「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を
受講者自らが選び、直接、受講生同士が、情報を交換させる方式。一長一短が
あるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りー
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、
 明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなかいい線まで来ている。
読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の
読書しない基準は、一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに
何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も30%を超えるほどになった。
やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきて
もらい、それを持って教室内を自由に動き回り、学生同士で情報交換をして
もらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、
自然に読書欲がかき立てられる。おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくり
にはもってこいだ。「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。
私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切ることにして
いる。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、
知識に対する「あこがれ」の熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に
火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい影響
を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに
紹介する先生がいた。本を律疏むことがどれほど楽しいことであるかが、
その話しぶりや表情から伝わってきた。本は買って、線を引きながら読むもの。
本は自分のものにすることが大事。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。
並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。量が大事だ。人から借りた本
は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせ
ながら読んでいるものだ。...》
▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、
 この直の方法を兼用すれば、更に良い。その点、私たちの時代より、現在の
方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを
持たせ、イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、
交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、のと同じ。一二年間、
このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、
励ましてくれる要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。
それも同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、読み方、受け止め方、
すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開
して欲しいが。何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は
勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
 このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。
身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、習慣から衣食住の由来を
面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
  * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         
             ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。面白いもの。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の
 形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァとオスマン帝国(トルコ)の
戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍が
トルコ軍を退けた証である。一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都
ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて
侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに気づかなかったが、地下から
聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを
焼いていたパン職代たちだ。パン職人の通報によりトルコの急襲を知った
オーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。
喜んだ皇帝は、パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちが
その返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形
がクロワッサンの定番となっていった。ただし、そのころのクロワッサンは
まだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、
オーストリアの皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行した
パン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、一九二〇年代の
パリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。
トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄をパンの形にして、
それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、
歴史に触れることになる。
・・・・・・
3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 
自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見て
いるだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えて
いる人から、私のように健康を兼ねたレジャー目的の人など様々である。 
少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午
までの二時間、滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売
仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、男は60歳以上
のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる
女性仲間の社交界の場的要素もある。といって、男の私が肩身が狭いことはない。 
自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知って
いたら、10年前から入っていたはず。パソコン教室も、スポーツジムも、
サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを
人的気づかいなしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 
私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。エアロビでは、プロ
のインストラクターが指導するプログラムが多く、若い男のインストラクター
の追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を
仕事などでこなしているので、こういう場では、一会員として群れることなく運動
をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 
とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。3・11の影響が、大きいのは
何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、
一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの
要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 
半年少したって、効果はといえば、大有り。足腰が、この数年来衰えたと感じて
いたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。
何事もまずは半年。
 ・・・・・・・・
3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 * 一番の無駄は生命保険?
 ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から
月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。年にすると36万に
なるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり
終身保険は2千万の買い物になる。それを、「月額3万円」の分割払いをして
いるだけのこと。保険屋の甘い言葉につられて、考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は
何と360万円になる。それを年利5パーで運用をすれが500万近くなる。
 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、
ずっとましである。年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で
万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、合計年間
10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した
悪徳商法ぐらい知っていたからである。
 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? 
                (以下の半分は私見が入っている)
 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生
かけて購入しなくてはならない。しかし、その購入に対して少しも考えない。 
少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、業者は
土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。
考えなければならないのは、これから。それは売り手の論理。買い手は、買った
と同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてる
のと同じ? それでもマンションに住みたいなら、中古マンションの掘出し物を
数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、
駅から数分の、競売物件とかである。中古の場合は、新興業者だけは避けるべき。
住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついてまわるから、年月に
耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に
多くみられた「穴吹工務店」「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、
既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分1か、5分1である。
(例外もあるが・・) 私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を
勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。だから買うなら
若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる
矛盾が現れる。他人ごとでない? 娑婆は、幻想でなりたっているから、
夢を買うのにケチをつけるこはないが・・・


5332,閑話小題 〜人生のリハビリ

2015年10月20日(火)

   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然、
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
   * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う〜②  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』
および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
  * つれづれに ー青竹エアロ
スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにある
ステップ台をインストラクターの誘導で12人が一同にするエアロを連続二回と、
週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われて
いるが、どうも30〜50人の合同でやるのは苦手である。ところが、
先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。
ヨガ用マット上に青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり
下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。これまで何度
か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。このプログラム、まだ
始まって三回目だが、30人の定員は満員。「初めての人は挙手を」に対し、
何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、その両側に
一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。
その三箇所を交互に音楽に合わせて乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢
出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのが
よい。ジムも競争が激しいようで、改善していないと、他のジムに客を取られる。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は
充分ある。私は二時間滞在しているので一日につき千円、20日で二万円の価値
の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 
その割に軽い腰痛は治らないが、それでも足腰が軽くなっている。 
ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我家にきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けて
あるが、時々、狂ったように攻撃する。しかし錘で、その都度、棒を一回転し
元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転する
ようになった。 また籠から離れようとすると、回転を何度もし、傍にいて
欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示
が、棒を回転する芸で注意を引くことが加わった。一年前に飼っていた中型の
コガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、オウム科で最小
(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。幼鳥のうちは
大人しかったが、最近になり、その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと
何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いして
いた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・
インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。それもあり冬に向かって、
このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬
する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、
起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、インコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は
壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、籠の中を狂ったように
飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、
私が車で帰ってくると、感知する。駐車場を一台貸しているが、それには全く
反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ」が面白い。
・・・・・・・
3495, お金の教養
2010年10月20日(水)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。学校では「学問教育」
と「職業教育」は教えるが、その取り扱い方は教えてくれない。 日本は
「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、お金について
教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮が日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」
を受け取ることはない。実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 
お金に対する能力とは、「貯め方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、
「与えること」。「(小さなお金の)使い方」「(大きなお金の)使い方」
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、
 これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・
 サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
 1、お金の管理する仕組みを作る  2、6:2:2の法則  
 3、領収書の分類
2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残り
を使う法則をたてよ、である。領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれ
をスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。
 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に
 使わないと、それは通帳の数字でしかない。そこで、40歳から60歳まで、
年間に???万は使い切ることを決めた。そうすると使えるのである。贅沢できる
金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、
こういう時代になり、また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。
気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう続けることは
出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に
多く並んでいる。しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか
難しい!やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
 ・・・・・・・・・
3120, 再び、読書について  2009年10月20日(火)
  * 書斎は未来の図書館
  森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて
 本棚に飾ることと確信している。実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。
 書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫
  全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で
 過ごしたはずである。本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で
 手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。書斎を、そのように位置
 づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
 決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、
 充分に幸せのはずである。 開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところが
 ある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく歩いていても、
 たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、
 そうして買った本を書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 
 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが勉強をすることと勝手に
 思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、
 独りで早朝や深夜に読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの
 安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。 ショウペンハウェルは、
 彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識で
 なければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた
 知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を
 ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する
 必要があり、この手続きを経て初めて、自分自身の知識が完全な意味で獲得
 され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、 
 それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。
  選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、
 その一連で読書は成り立っている。旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、
 そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
  その中でも、読書は必要欠くべからざることである。


5331,ノンセンス辞典 ー①

2015年10月19日(月)

  BRUTUSの「谷川俊太郎」の中の、ノンセンス辞典〜の、
 言葉の解説が面白い。 (▼は、私の意見)
≪ 【生ぎざま】= <生きかた>の商品名。
 <生きかた>を販売する場合には、この商標をつける方がよく売れる。
 但し、最近は投げ売りする者が多いので、先行き不安。 
 ▼「生きざま」というと、「生きかた」を少し生くさくしたもので、
  経験が加味された響きを持つ。
・【偽善】= 二十世紀後半においては、誠実の同意語とみなされているが、
 次のような古典的定義に固執する学者もいる。
 すなわち、偽善ーうそをついていると気づかずにうそをつくこと。
 誠実=うそをついていると知っていてうそをつくこと。
 ▼「誠実な人」という言葉に何やら欺瞞が隠されている。
  「偽悪」という私の好きな言葉もある。「露悪と偽悪」の区別も
 つかない連中に、目くらましにするにうってつけ。 
・【土着 】= 自分で自分を鉢植えにしている状態。肥料として人糞を
  用いることは稀。民族的肥料、文化人類学肥料を混用することが多い。
 ▼ 地元から一歩も出ないで、その社会を全世界と信じて疑いを持たず、
  鉢の中で良しとしている人。島国の日本も、鉢とすると、土着国家の
 住民が日本人ということになる。大陸の中国人からしたら日本は
 「小国民」と蔑視をしたくなる。その鉢が城下町となると?
・【知識人】= 知識についてはあらゆる知識をもっているが、知識でない
 ものについては、なんの知識ももっていない人。
 ▼ 境目は、その自覚が出来ているかどうか。知識でないものの一つに、
  「未経験」がある。それに対する姿勢、考え方が大きく、左右する。
・【情報】= 人間が本心をかくすために、まわりに煙幕の如くはりめぐらす
 膨大な量の知識。その量が余りに大きいので、当の人間すらその奥に
 かくされている本心を見失ってしまう。ほんとうの〈知〉と異り、しばしば
 売買や盗難の対象となるところから、商品の一種と推定される。
 ▼ 奥に隠されている本心すら、自分自身が知らないから始末が悪い上に、
  情報を、知識化出来ないため始末が悪い。
 ―――
 今度、皮肉たっぷりの「私のノンセンス辞典」でも作ろうか。
・・・・・・
4966,閑話小題 〜ある男の動揺
2014年10月19日(日)
   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が出会いがしらに、
「最近、切腹をした。もう長生き出来そうもない。片足、いや両足を
棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」と悲鳴。やり手?
だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。三度目の会で、目前の座席。
早速、私への攻撃が始まった。「俺は学が無いので、哲学などは分からないが〜」
と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が込められていた。
それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビー
に飾られ本人が有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、
茶器づくりりも、仕事もスランプらしい」と聞いていた。たまたまポタリング
をしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。それが偶然、本人の会社前。
「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に行ったところ、
応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つくれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?
に家内と行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出した
のが彼のスランプ。初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子の
「14歳からの哲学ー考えるための教科書」を持っていった。それを逆手に
とって、皮肉を言ってきたのである。酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の
顕現そのもの。 あなたが茶器づくりなどでスランプというから、ヒントにと
本をあげたのだ!スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に
叩きつけることだろう。』」と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、
ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が会の予算が足りないと
当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に投げつけた。
もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・ あまり経験出来ない面白い
遣り取り。それから一年ぶりの再会で、これ。 余命数ヶ月?に感じられた
深刻な様相だったが、それは恐ろしいだろう! 哲学の最大の問題は「死」。 
 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?
☆自分が本当に消え去るなど有得ない!
☆自分の生き様は、これで良かった? 等々、心は七転八倒。 
 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 去年の5月の随想日記、
4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうに。 
 こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラック
スワンの死の問題。 先日、ある30人位のデナーの席で、三年前に旦那を
亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎのアマチュアカメラマンと、私の家内と
同席をした時の話。還暦過ぎの女性が旦那を見送った具体的話題をして、
本人もガン持ちと告白した。その女性が私に「変な話をして御免なさいね!」
というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら言葉として表現するか、
しないかですよ」と、答えた。70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は
穏やかではなさそう。即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」。 
そして誰も居なくなる。死の問題、一に準備、二に準備!である。
こういう話は、語りだせばキリがない!
・・・・・・
4599, 閑話小題 ー座りオシッコの話
2013年10月19日(土)
  * 座りシッコの話
 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 
二年ほど前になるが、TVのバラエティーで、「男の洋式便器のオシッコの
使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」ことを、テーマに
していた。その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に
飛び散った水滴先を実証してみせていた。それを見た家内が、「今日から、
あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、何かオカマ?みたいで、
数回で止めた。でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、
老妻に先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、座ったが、もういい!と、
立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。近くのスポーツジムに通い始めて
二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、休まず通っているが、
数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの
下蓋が下りたままが多いこと。 ところが、日が経つにつれ、その頻度が
多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる
人もあるから、半分近くが座りシッコをしていることになる。当初は、
こんなところで、何?をすることもないのに!と思っていたところに、
例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。で、最近、家では心掛ける
ことにしたが一週間もすると、当初の抵抗感がなくなるから不思議。 
それも中性化の一つか? 最近の子供は自宅では殆ど?座りスタイル?  
で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施して
いる半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。でも、あそこで、
座る気も起きないが。
  * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入して
から、一ヶ月足らずになる。これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、
今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、全体的
にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った
中国製。やはり故障続きであった。しかし、電動アシストの楽しさは十二分に
味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、年間
200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。
実感としての価値は、300円〜500円はある。で、新しいクロスバイクは、
値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップして、
転倒したが、車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、
10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。クラッチを最大の重さ
にして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。
少しオーバーに表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走る
ミニエンジン付きヨットという感覚である。で、兼用して乗るつもりだったが、
一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引取って貰った。
・・・・・・
4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の
上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。大きく息を吐き出しながら
シャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。
そして、そこから大きな息を吸い上げながら立ち上がり、今度は空に向かって
気を吐き出すイメージで息を出す。それを一回につき7〜8回、続けていた
ところ、擬人化した地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」
「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、
「よう、昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いも
よらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と
「即自」の、掛け合いになる。ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な
道路拡張工事が始まり通行止。そこで違うコースを迂回して歩いているうち、
電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋
を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。三年前のことである。
それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。
ところがチャリだけでは、物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリを
しながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時
は360度のパノラマを味わえよ!」、「もっと深い呼吸をしな!」
「自分にせっかく出会えたのだから、エネルギーを、もっと吸い上げろ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、
感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ)とか、なかなか面白い。 
スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら
運動している時などイメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した
地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。
知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、
私にとっては、20年以上の対話の過程がある。自分の魂を擬人化した「真魂様」
でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。
問題は意識してやるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、
このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。
 ・・・・・・・
3859, 釈迦でさえ非難される
2011年10月19日(水)
 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐った
ものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、それは誰のものになるか
考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と
言ったという。この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 
要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、その人自身の問題を投影している
に過ぎない。それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負って
しまう。要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口
から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。釈迦の言葉には
納得できるものが多い。この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。
老年になると、無知は老害となる。
 ーーー
* 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。
* 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も
  非難される。 つまり、世に非難されない者はいない。
* もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、
  幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
* 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、
  激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
* 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、
  心は悪を楽しむようになります。
* 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来る。
* 他人の過失を見る必要はありません。
* 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事と
  しなかった事だけを見るようにしなさい。
* 自分で自分を、励ましてあげなさい。
* まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。
  そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。
*「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。 逆に
 「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。
▼《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 
 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。
《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と
思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、上から目線で、教養の無さ
の目盛りになる。上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。
 ・・・・・・・
3494, 金が高騰
2010年10月19日(火)
 ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス
900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。何と二年で40%の
値上がり、年率で2割づつ上がっている。 国内価格は円高のため27%、
それでも値上り幅は大きい。ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドル
まで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。8年前に金の
上場投資信託(ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が
流入している。その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。リーマンショック
による世界金融危機が一番の値上がり要素。各国は危機乗り切りのため通貨を
ばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。
「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」
という説は、先日ここで書いた。  (字数の関係でカット2011年10月19日)
・・・・・・・
3119、久々のジョーク ー6
2009年10月19日(月)
▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる?    ひとつき
▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。
 「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」「待て!50年前、
 わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。
 じゃあ、あっちの木を切りましょうか」「待て!その初めての体験のとき、
 あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手の
 お母さんにずっと見られてたんですか?」「そうじゃ」「お母さん、黙って
 なかったでしょう。何て言いました?」 「モー」
▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子
 トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と大声で叫んだ。息子の
 無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこ
 をしたくなったら『歌を歌いたい』と言ってごらん。そうすれば私はお前が
 おしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?
 うん、わかった。これからはそう言うよ」そして、その日の夜― 
 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。
 そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。何も知らない父親は
 びっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢
 しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃない
 とだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。
 「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」
▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に
 冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。 突然、目の前に妖精
 が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい
 事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」
 そして、感激し男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」
 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。
 「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」

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