堀井On-Line



5330,閑話小題 〜メガネ店に隣接したコンタクト専門店

2015年10月18日(日)

   * メガネ店に隣接したコンタクト店
 あと三ヶ月で自動車免許の書き換え。毎回、問題は眼の検査がギリギリ線上。
その都度、何とか合格してきた。70歳誕生日の免許書換えの法定講習会に
行ってきたが、その検査では今回は無理。レンズの入替えか、コンタクトか、
白内障手術かの判断。で、「メガネスーパー長岡店」に、問い合わせの電話を
入れると、一度、コールセンターにつながり、眼医者が、(週3日だけ待機)
する隣接するコンタクト専門店を紹介された。こうしないと、店単位の判断
のため、コンタクト隣接店の紹介をさせないための対策だろう。
 で、昨日、早速、紹介された店に行ったところ、強度から、メガネでも何とか
合格ラインのレンズにすれば、クリアするという。そこで、コンタクトのコストと、
レンズの値段を聞いたところ、コンタクトなら3分の1という。コンタクトの選択肢
は考えてなかったので 判断は二日後に延ばすことにした。 ちなみに値段は、
一日使い捨ての30個入りのソフトコンタクト(乱視用)で、7千〜8千円。
コンタクトは20歳代に10年間近く使ったことがあるたって抵抗感はないが、
一つ位、クリアするレンズも必要?レンズの入替えか、コンタクトか迷うところ。
現時点ではコンタクトだが? コンタクト専門店で判断予定!
   * やはり原監督が辞意
 昨日のヤクルト対巨人戦は、20分位で他のチャネルに変えてしまった。
巨人の対戦相手を原監督の来年の姿を見たくないため、応援するのも複雑
な気持ち。原の監督年齢が、既に過ぎてしまっていたのは誰の目にも明らか。
今朝のヤフーのニュースに、<負けて決勝に進めなかった結果、辞意を表明>
と載っていたのを今朝になって知った。これで良いのだろう。ドラフトがある
ため、早々、監督の人選になるが、一時的に江川か、正当なら桑田か、巨人の
コーチ陣の中からか、この数日は面白くなった。原監督は、総括として、
歴代の上の部類に入る名監督である! 巨人のGMに留まるか、一度、
すべてを脱ぎ捨て、数年、休むか? やはり、一度、休むがよい!
・・・・・・
4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
2014年10月18日(土)
   * 誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
 誇りの持てない人こそ誇りたがる?それ以前に、誇りとは、どういう意味か。
ネット辞書によると、「その者自身の具体的な長所や美点に対する心理」
「名誉に思えること」 自信がないと、虚勢でそれを現出させがちになる。
隠せばこそ誇りとして、熟成されるが、ついつい、見せて誇ってしまうのが、
人間の性である。他人を見ていると、それが分かるが、自分のことになると!
誇りの逆が卑屈だが、これを、この言葉に当てはめると、
「落ち込むのは仕方がない、卑屈になるな」になる。 
ほおっておけば、老いるほど卑屈になるは!
   * 人と違う生き方は孤独のようだが、実りは大きい
 意識するしないにかかわらず、それぞれが人と違う生き方をしている。
ただ、人を意識しなければの話。スポーツジムのヨガに週2〜3回、二年半、
参加してきたが、少し暗がりの中で毎回のように言われるのが、
「各々のマットは、各々の全世界です。周囲の人を意識しないで、自分だけの
世界に入って下さい!」である。実際に参加していると、殆どの人が、忠実に
自分の世界に入りきっているのが分かる。人と違う生き方は、人を最小に
意識した生き方ということになる。その第一歩が、人と比較しないこと! 
その為には、まずは、自分の好きなことを長年かけて続けること。
それには孤独の世界を大事にしなくては。
・・・・・・
4598, 読書という体験  ー1
2013年10月18日(金)
      「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
 読書を体験として捉えるところが面白い。
それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。
   ーアマゾンの内容 よりー 
【熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより
 今日の私にとっては何倍も大切な思い出になっているのだ ―香山リカ
 「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー ジャーナリスト、
 俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】
 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、
 特に藤原正彦の内容が良い!
   * 教養を培う  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
《NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、
 あらためて愕然とする。平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに
費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。高校生三人に二人は、
一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を
身につける方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で
埋めつくされることになる。 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、
幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは個人的なもの。 
教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。
「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、
現象や物事を俯瞰しつつ考察するということ」である。このためには若いうち
から、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに慣れねば
ならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西
の偉人賢人の声に耳を傾け、庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要。
このような読書の累積が教養である。長期的視野や大局観は、リーダーとなる人
の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたってもうまく機能せず、
社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。
大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走ることになる。
大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。
 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、
そうはならない。我が国が民主主義をとっているからである。国民の総意に
基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治
形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を
 対象とした週90分、半年間のこのゼミは、以後毎年開いているという。
この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能の
ものばかり。基礎教養が、人格をつくり、それが問題を解決する。
私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は
二年目からの参加。ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。
二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたびジワジワ効いてくる。
それまでの読書の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミ、学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。
特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、絶対量を読んでいる。 
卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室
を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 
・・・・・・
4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
  * パスカルの賭け  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得した
ことを憶えている。と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方
が得」という、いかがわしさも感じとった。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教
の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然。 ーその辺を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんな
に小さくとも、神の有無について間違った推測をしたときの報いには、かなり
大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、
なぜなら、もしあなたが正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違って
いたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、もし
あなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、
あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、正しかったとしても、何の利得
もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。
 けれども、この論証には、はっきりとおかしいところがある。信じるという
のは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定
できるようなものではない。私は教会へ行くかどうかを決定できる。
私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに
書かれているすべての言葉を信じると宣誓するという決定をすることができる。
しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に信じ
させることはできない。‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための
論証でしかありえない’。そして、あなたが信じると主張する神は全知という類
の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いてしまう
だろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿
げた考えは、ダグラス・アダムズの『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』
において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 
 宣伝によれば、デラックス型は、「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地」
では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。
しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければ
ならないのは彼を信じることだ」という考えを、そんなに簡単に受け入れて
しまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、
寛容、あるいは謙遜、あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのこと
ではないだろうか。≫
▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられる
 だけで、十分過ぎる」ことも確かである。信仰は自分で自分の首を縛るだけか、
長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに
足りるか。キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を
選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。
  ・・・・・・
3858, 幽霊を哲学してみる
2011年10月18日(火)
 先日、ある人と食事をしていた時の話題。
《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。
貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 
最近、気晴らしにパワースポットに行くのが趣味になっている。長岡には、
そういうスポットは何処にあるのか?》という内容。〜それに対し私の返事は〜
《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、
 シックス・センスが身についた時期があった。実際に経験してみて、こういう
ものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔を
しているのを聞いて、他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡く
なった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、我に
返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、
幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが多く続くようになった。 これだけは、
実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味
を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、
何度も読み込むうち、霊の正体が理屈で分かりかけてきた。私はカレーを食べる
と汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり、カレーの
臭いさえしてくる。これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 
それと、あなたが見える幽霊に似ている。そこに幽霊がいるのではなく、
貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、
シックス・センスは、その入り口で遮断される。人間の脳は、生物が20億年
かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。過去を振り返ると
分かることだが、我々は共同幻想の中にある。人生は幻想の中で浮遊していて
いるだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。そう見えるも
脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。
そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺
させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じ。
 たまたま、二年前の同月同日に「生きる幻想 死ぬ幻想−2」を書いていた。 
 ・・・・・・・
3493, 人生、よもやま話 ‐2
2010年10月18日(月)
 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。まだ憶えて
いるのが、初めて海を見たときだった。長岡から当時の列車で一時間足らずの
柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。 
同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊込みで遊びに
行っていた。 実家では店のビル全部が遊び場であった。また幼稚園に入って
から直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。
家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせて
くれた白モツの味は今でも忘れられない。その店(鳥梅)は、現在もある。 
そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。歳の離れた兄が
5メートルの飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心
は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。
その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。「チケンサマの祭り」が
多くの屋台や、植木の店がたつ。そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。 
その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質、
三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを
買う楽しみではなかったが、普段には見れない珍しいものを見るのを楽しみと
していた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、
そのため。新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから
安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと思ったことはない。
所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。美術館で見れば充分。
そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは
肯ける。人生は記憶で彩どられている。


5329,自由とは幻想でしかない?

2015年10月17日(土)

      ー クオリア再構築 〜島田雅彦:茂木健一郎対談集
   * 自由とは幻想でしかない
 自由に対する脳科学者の「自由とは幻想でしかない」の切口が新鮮である。
現実に、囚人の自由に対する希求が果たして幻想か否か、何かから解放された
時の自由の実感が幻想かどうかは、解釈による。思いもよらない大自然の神秘
に触れて感動に打ち震えた開放感を何度も経験してきたので、その魂の自由も
幻想といわれても、何か納得ができない。 〜その辺りから抜粋〜 
≪ 茂木:今となって、大変シリアスな問題は、「自由」とは何かということ
 だと思うんです。自由競争の自由とは何なのか。そこに恐るべき深淵がある。
単純なことではないですよ、自由って。脳科学の立場からいうと、自由意思と
いうものは幻想としてしか存在しない。むしろ決まっているんです。
何かアクションを起こそうとする前に、無意識のプロセスでは選択肢はすでに
用意されてしまっている。アクションを起こすタイミングも決められている。
決定論的なんだけれど、意識を持っている「私」から見れば、自由意志がある
ように見えるというのが我々の公式的見解。自由というのは幻想なんです。
そこには枯れ尾花しかない。では自由競争、自由資本主義というのは何だろうと。
そもそも概念からして矛盾を含んだ用語です。にもかかわらず、いまだに多く
の人が、特にアメリカでは、自由競争やフリーダムをとても大事にしている。
島田:フリーダムとか個人主義とかね。個人主義はある特定の個人が儲ける
 ためのひとつの前提であり、いびつな原理だと思います。個人の自由が目標
のようにいわれるのは、アングロサクソンの世界観であって、古代の人間や侍の
生き方を振り返ってみれば、そこに個人はありません。個人は主人に捧げる
もので、そもそも個人主義を本当にいい出したら、誰も戦争に行きませんから。≫
▼ <ベルクソンによると、「純粋持続こそが自由の源泉である。通常、自由と
 いえば、選択の自由を意味する。 たとえば、ひとつの道を進んでいると、
その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進む
か自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。しかし、
ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を思い浮かべること自体が、
空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。
生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものでは
なく、現在において不断かつ連続的に創造されるものであるからだ。
したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての
純粋自我による行為」という>。
 感動、感激、感謝の最たる感情は、つかの間だが、その積み重ねが人生を
深め、豊かにしてくれる。この最たる(純粋)感情の蓄積が、純粋持続への
帰一に向かうことになる。14年以上続けてきた、早朝の、この文章書きも、
早朝の自転車散歩の習慣も、「純粋持続の帰一であり、発現としての純粋自我
による行為」になる。その結果が、自由なソリストとしての(歪な?)私がある。
・・・・・・
4964,閑話小題 ーオ〜〜
2014年10月17日(金)
   * オ〜〜
 驚き、感動の時の言葉である。人生の豊かさは感動の質量のトータルで
決まるといってよい。一瞬、「アッ」と息を呑み、それを吐く時に出るのが
「オ〜〜」。宇宙からの音が「オオ〜ム」というが、これに関係しているかも。 
以前に旅行をした時、ベテラン添乗員が絶景に差し掛かった時に、先導をして
「オオ〜〜」と言い、その後、全員に合唱させて笑いを取っていた。
それを何度か繰り返しているうちに、全員の共同感動の合唱になって、
これが感動を大きく振幅させてていた。 
  ーところで感動詞をネット辞書で調べると、
☆『話し手の感動を表す「ああ」「おお」の類をはじめ、呼びかけを表す
 「おい」「もしもし」の類 や、応答を表す「はい」「いいえ」の類も、
 文法的性質が同じなので、国文法ではこれに 含まれる。』 
☆『感動、応答、呼び掛けを表し、活用がなく、単独で文になり得る 語である。
 主語、述語、修飾語になることも他の語に修飾されることもない。』とある。
☆ 英語で 感動詞は
 Gerat! すごい!     Awesome! すごい!   Wow! わぁすごい!
 Terrific! 最高!     Cool! かっこいい!  Way to go! その調子! 
 Right on! バッチリ!  Good for her(him)! よくやった!
 YEAH! やったー!    Yee ha! やったー!  Alright! やったー!
 YES! よっしゃ!    Goody!! すごーい!!わーい! Whoopee ワーッ!
 Rah フレー!万歳!    Hooray 万歳!やったー!
 Zowie ウワー、ヒャー(大きな喜び)  になる。
ー以上だが、それまでは、「ウワ〜(凄い)!」「何(じゃ)これ!」
 「アア〜(凄い)」だったが、今度は、「オ〜〜」・・ 「Bravo」もいいが!
 感動、感激、歓喜の質量が、その人そのもの!  オ〜〜
・・・・・・
4597, そして、人生はつづく ー6 (そして、ゲームはつづく)
2013年10月17日(木)
   * そして、ゲームはつづく
 川本三郎著の『そして、人生はつづく』にしろ、朝日新聞の「耕論」
小田嶋隆のコラム『生き直すために』にしろ、自由業の物書が、連合いの死や、
断酒による人間関係の喪失で、孤立した生活に入りざるを得なくなった中で、
如何に、耐えていくか。そこで「一人暮しになって静かな一日を送る困難と、
それゆえ幸福を知るようになった」心情を書き連ねる。
一匹狼の良さと辛さこそ、人生の哀歓があるということ。
 私も小さいながらの創業人生を45年かけ生きてきた。そして、三羽のブラック
スワンの出現で、事業整理に至った。そして、人生は続いている。「そして、」
の「、」が、人生の節目の意味がある。 これを境に、森の人生から、サバンナ
の人生に変化したことになる。
 ところで、昨夜、C.Sファイナルステージの巨人・広島戦で、巨人の坂本と
村田が、攻守でチームを救った。自らの悪送球で2点の先行を許した村田が
決定打を放ち、更に最終回にヒット性打球を二人連携のファインプレーで
劇的なゲームセットで汚名を返上した。 坂本は、9・10月は1割7分代と
極端に低迷。それでも原監督は出し続けた。その後、村田の凡ミスで先制された
直後の勝機に、解説者の予測とおりの凡打。しかし、次の打席でHRを放った。
「そして、人生はつづく」の『人生』を『ゲーム』に置換えたようなドラマ。
手痛い凡ミスと、勝機での凡打を全国注目している中だから、地獄から天国と
いった心境だろう。こういう極限の中で、はね返すのが一流の証拠。 
二人にとって、「そして、ゲームはつづく」で、劇的快打とプレー。そして、
お立ち台でインタビュー。 二人にとって、凡ブレーの後、「そして、」の
気持ちの切替が出来るのだろう。しかし、「そして、人生はつづく」には、
孤独な平凡な日々で静かに己を律するしかない。 人生にも、勝負にも、
「、」と「。」と、行(ぎょう)かえが必要ということになる。 
「国敗れて山河あり」 そこは微粒子に満たない小さな小宇宙でしかない。
・・・・・・
4222, つれづれに ー国家危機!
2012年10月17日(水)
    * 生々しく聞こえてきた世情の話
 「赤表紙本」といえば、経済状況を大げさに書きたて、不安を書きたて本を
売る方法に使われる。「読むほうも、書くほうも、割り切って読んでいる、」
のが一般の見方。ところが、どんなにオーバーに書き立てても実際の現象になると、
それを遥かに超えるから恐ろしい。「欧州危機、恐慌と騒いでいるが、今だに
起きてないじゃないか」というが、早いか遅いかの差、間違いなく起こるのは
確か。一昨日も、BS/TVで、こんなことを放送してよいのかと思われるほどの
過激なレポートだった。そのゲストのブログで、現地の惨状の実態を読んでは
いたが、それをTVで流すのだから、一般の人は、驚くはず。 要は、日本円の
預金をドル建てに替えて持つべきとか、日本も、PIIGS並みに数年内になる?
とか・・ ギリシャやスペインの街中で出会った人の生々しい窮状は、日本に
いては分からない。まず一部勝ち組と、大部分の負け組みがいて、その負け組も、
二分される。一年分の生活費の蓄えがある人と、数ヶ月以内に教会の食料配給の
列に並ぶ人に分けられる、とか。歯医者の開業医が、店を閉めたという、
殆どの人が歯医者にかかる金が無いので、経営が成り立たなくなったという。
PIIGSでも、アイルランドのように国が一体になり再建を始めたところと、
ギリシャのように国家がバラバラで、その意欲が全くない国がある。 
 それは日本でも同じこと。家内から聞く世情の話は、一部勝ち組と大部分の
負け組みの段差の内容が、日常のリアルの内容になる。家内の友人の勤め先の話。
「顔が腫れているのに、そのまま。病院に行かないので変と思っていたが、
その人、お金が無いため行けないと、後で知った!でも、いつの間にか腫れが
直ったみたい!」。 国内では預金ゼロ世帯が三割。それなら病院にいく金も
無いに等しい。 失われた20年で中流といわれる大衆は、本当に貧しくなった。 
他人事ではない。 昨夜もNHKの「クローズアップ現代」で、欧州危機を
放送していた。実際に起こったら、どうなるのだろうか? 私の出来る範囲で
恐慌の備えの大方は終わったが、実際になると想像を遥かに超えるはず。
まだ平和ボケの範囲でしかない。まだ火の手は上がってない。
・・・・・・
3857, Macの創業者のジョブス
2011年10月17日(月)
 Macの創業者のジョブスが先日、亡くなった。iMacパソコンを二台、
iPodを二つ、iPhone(現在はドコモの携帯電話に逆戻り)、
iPadと、最近買った端末は、ほぼMacである。
iPhoneは、小さすぎて指入力に戸惑い使い切れなかったが、他は及第。
iPhoneには驚いたが、最近買ったiPadには感動もの。 
デジタリアンと自認しているが、実はジョブス・ファンだったようだ。 
先日、NHKの「クローズアップ現代」で、ジョブスの死を悼んで
『世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔』とし報道番組を組んでいた。
ここで孫正義が、《 彼は商品、製品を生み出すのではなく、ジョブスの作品
を生み出している。デジタル端末などの人間化をテーマに、高度のマニアしか
使えないデジタル機器を、普通の人が気楽に使える作品を作り上げてきた。
iMacなどのiは、愛に通じる。もし、彼が20年、30年生きて、最後に
自分が作りたい作品は「iRobot]と、提示するのでは!
彼は、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才。
数百年後の人々は、レオナルド・ヴィンチを並び称するだろう。》
とまで、賞賛している。今までのパソコンと比べると、マニアが使いこなして
いたデジタル端末とネット世界を、ごく簡単に、我々一般人が使えるように
なっている。だから、何だと言われれば、それまでだが、知的好奇心が強い
ものにとって、これほど有難いものはない。それにアプリが豊富にあることが、
相乗効果になっている。ジョブスのように明確な形で(身近なモノ)で、世界を
変えてしまうのも、グローバル化の一つ。本人自身、もっと生きたかったはず。
 ー NHKのHPの紹介文から ー
≪ iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、
 IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られたスティーブ・ジョブズ
前最高経営責任者が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップで
アップルを率いてきたジョブズ。製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、
卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。
番組では、ジョブズを身近で知る人々の証言や、ジョブズの言葉、かつて
クローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、IT界の天才と
言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。 
  ゲスト:孫 正義さん(ソフトバンク社長) ≫
 ・・・・・・・
3492, 実践・50歳からの少食長寿法
2010年10月17日(日)
「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著
  ーアマゾンの内容説明からー
 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 
朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、食卓を「宝食」
に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるように
なった「豊食」くらいで止めればよかったはずです。ところが金にあかせて
食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。
 しかもそれだけでは済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、
1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味
しない「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を
崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るようになりました。
さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えて
います。こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。
これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。
●みそ汁を飲むとがんは防げる?   ●更年期障害になる人、ならない人 
●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密  ●4ヵ月で7キロ減の4つの方法    
●朝食断食・一日一食のどちらかで  ●沖縄長寿神話の崩壊
●歩いて旅して3000キロ       ●自己防衛の「食の10ヵ条」  
●フードマイレージという考え方   ●命を与える偉大な発酵食
 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。
最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。
  この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。
1、食事は量より質にこだわる 2、主食は御飯  3、発酵食品を食べる  
4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意 5、パンを常食にしない 
6、液体でカロリーをとらない   7、副食は季節の野菜を中心に   
8、動物性食品は魚介類を中心に  9、未精白の御飯に挑戦する       
10、食事はゆっくり、よく噛んで
  要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。
御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、
ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。
 ・・・・・・・・
3117, つれづれに  〜閑話小題〜
2009年10月17日(土)
  * 電動自転車を注文
 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として
持ったことがない。中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては
持てない時代であった。子供時代の記憶に、あまり乗りまわした記憶がない。 
成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで一万歩
以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 
ところが最近になって自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男が
スポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て自分も自転車が欲しくなり、
数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか
決心が定まらない。ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小い折り畳みか、
電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 
 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、
59800円の電動自動車を発売」の新聞記事をみて、HPから注文をした。
納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。あれこれ
考えたが一番が休日のサイクリング。他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 
電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。
 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、
その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。どれもこれも愛用品。 
もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助
にしている。そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器
など自分に合うものが見つかると本当に良い。あれば使う、無ければ使わない、
ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが!
   〜〜〜
  * いわしの群れになるな!というけれど
(次数制限のためカット 2011年10月17日)


5328,閑話小題 〜鼻風邪

2015年10月16日(金)

   * 鼻風邪をひいて
 温寒の差が大きいためか、一昨日より鼻風邪でクシャミの連発。
昨夜、家内が殊勝にも薬と栄養ドリンクのパブロンを買ったのを飲んで寝た。
<どうした風の吹き回し?>というと、<うつされるのが嫌だから>とか!
今朝、何とか厚着をして早朝の自転車散歩に出発しようしたと同時に、
クシャミが5回連発。で、急遽、出かけることを断念した。毎食後に
風邪薬を飲んでいるが、ピークは過ぎたようだ。
   * 大手大橋の歩道と車道の防壁の設置
 信濃川の大手大橋の歩道と車道の間に鉄板の防壁壁の工事が始まった。
そこに、書いてあった内容が、< 平成8年に、福岡で酔払い運転で衝突
された車に乗ってた親子3人が、歩道に乗り上げ、手すりを突き破り、川に
転落死をした。その対策のための工事。>とあった。たまたま、九州であった
事故のため、日本中の大橋の防壁工事をするのは、どうみても過剰である。
銀座でヤクザが、渋滞に苛立ち、歩道に乗り上げて通行人を殺傷した事件が
あったが、それで銀座の歩道に柵をつくるか? つくらないだろう。
そのレベルの話。これが日本の公共工事の一端とみてよいが、それにしても、
変と誰も思わなかったのだろうか。 少し違うが、三井住友建設施工の
マンションが杭が違法の短さのため、固い地面に届かなかったため、
手すりが二cmも段差が出来てしまった。 TVで、その部分をクローズ
アップして、画面では20〜30cmに映しだし、住民の不安のメッセイージ
を流していた。 スパンからすれば20〜100mの二cmなら、微差。
ニュースを面白くするための意図的に構成されたもの。 何だろう?
こういうニュースを考えない人たちが、そのまま信じるから、報道サイドは、
その権力を好き勝手に垂流しにする。これから日本中のマンションで、
数限り出てくるが、直接、デジカメで証拠を報道機関に流すため隠蔽は無理。
・・・・・・
4963,閑話小題 ー秋の早朝、思いのまま
2014年10月16日(木)
 台風も騒いでいるほどもなく、無事?通り抜けていった。
何か、いつも狼少年のように騒ぎすぎ? 現場は大変なのだろうが・・・
 三年前の東北大震災以来、ビクビクしすぎのようだが、それで丁度良いかも。
日本人の意識はリスク管理が薄すぎる。 私の事業清算の場合、事業設計段階
からリスク管理を組入れていたのが幸いした。幼児体験で両親の事業を傍で
見ていたことや、金沢の二度目の修行先がドルショックに遭遇し、急激な経営
悪化と、内部混乱に遭遇った最中だった。それらの経験と、初戦の千葉郊外の
事業立上時の出鼻、石油ショックに見舞われた経験があった。そのため、
新潟駅前ー何度も書いてきたが、このシリーズでは、何時でも撤退できる
設計計画を組み込んでいた。  
・家族、親戚は一切、会社に入れず、
・家内名義の給与を別口に与え、銀行口座は別にしておき、
・妻子の連帯保証はしないで、万一に備えておく。
・さらに、自宅の不動産の底地の一部を、家内と子供名義にして
 価値を下げておく(万一の場合、家内が安く買い取れる)
・決算書に出ない、合法的予備資金を積み立てておく、・・ 等々。 
これらの構えは事業設計段階から10年〜40年続けておくべきこと。
で、何とか現在の生活を維持している。で、ふと気づくと、今度は死に支度。 
私の両親は、神経質ぐらいに死に支度をして逝った。 私の場合の大問題は、
会社の清算。考えようで、「これで良かった」と、自己納得している。 
現在の心境は、意外とサバサバしている。これらの体験から、「何事も時間が
解決をしてくれる」ことを実感。喉元過ぎれば熱さ忘れるで、この経験も、
今では「痛気持ちよかった」とさえ思えるから不思議。傍目と、当事者とは、
あまりに違う受け止め方がある。以前、様々なケースを見てきたが、
それぞれの視線が、面白可笑しく見えてくる。犯罪者が、薄ら笑いをし、
ひかれていく映像を見ることがあるが、あれである。自分自身と、それを
見て喜んでいる輩を、その上から冷笑している別口の視線が何とも、
いやらしく、冷たく、可笑しく、哀しいが、こんなに面白い!ものとは
思いもよらなかった。これは経験してみないと理解は出来ないこと。
多くの人は、これを経験しないで死んでいく。 もちろん、こんな経験を
しない方?が良いが。死を直前にした時に「これが一番良かった」と思える
のでは? そう、大自然の景観に感動した響きと同じ、あれである。
その透き通った感覚は酷似している。だから、薄ら笑いになるのである。
・・・・・・
4596, 2050年の世界 ー19  
2013年10月16日(水)
  第六章 宗教はゆっくりと後退する ーのまとめ
・地球上には約一万の宗教があると言われ、2000年の時点では、
 信者25万人以上の宗教は270を数えた。
・世界人口に占めるイスラム教徒の比率も、1900年には12・3%だったが、
 1世紀後には21・1%へと大きく膨らんでいる。この原因はもっぱら、
 イスラム諸国の人口爆発に求められる。
・キリスト教とイスラム教はこの一世紀、世界の各地にある民間信仰、
 土俗宗教の信者を奪って伸長してきた。
・貧しければ貧しいほど宗教に帰依する割合が高くなり、
 豊かになればなるほど、宗教は相対化されていく。
・数の上で、宗教に帰依する者の数が1970年代を境に増えているように見える
 のは、中国政府が国民に宗教を認めるようになったからであり、それは、
 本来宗教を信じていた人たちが、顕在化し見えるようになっただけと言える。
・宗教性の高い国の出生率は高くなる。また同じ国内でも、信仰心に篤い人々
 のグループのほうが無宗教の人々のグループよりも多く子供を産む。
 先進国の中の無宗教の人々のグループはもっとも低い出生率である。
・経済発展の遅れと宗教性の高さには、強い連関がある。貧困と宗教の強い
 結びつきは国内にも存在する。ポスト産業経済に属する各国を見ると、
 最も貧しい階層の宗教性は、最も豊かな階層より約2倍も高い。
・したがって、現在出生率が高く人口の配当を受け経済成長を続ける新興国も、
 先進国化するにしたがって、宗教は相対化され、無宗教者の割合は増えて
 いくことになる。
▼ 宗教は共同幻想の最たるものだが、その共同幻想なくして生きられない
 のが人間。共同幻想は先進国化することで、幻滅になっていき無宗教者の
割合が増えていく。情報が行き交い知識を持った人が多くなった世界で、神様
の存在は、軽くなるのは当然の成り行き。しかし、「自分が、いま、ここ
に存在している不思議」を考えると、神の存在に結びつけるのが手取り早い。
そろそろ、いつ何時、死を宣言され、恐怖のどん底に突落とされる年代。
余命半年を悟った時に慌てふためいても、時、既に遅しである。
神のみもとに帰っていくと心から信じるには、長い信心の時間が必要である。
どの神を信じますか?は、どの共同幻想のイメージを選択しますか?と同じ。
金と神は共同幻想の側面で、似ている部分が多い。で、金に余裕ができれば、
両者の本質も見えてくる。既存の宗教による刷込みの力は、あまりに大きいが、
それ以上に、情報化は、それら刷り込みを破壊する。
ー で、偶然だが、去年、一昨年の以下の文章が丁度良く続いていく。
・・・・・・
4221, 神は妄想である ー3
2012年10月16日(火)
 新約聖書、旧約聖書は、生々しい逸話で満ちている。神仮説は、超人間的、
超自然的な知性=‘ラージX’が存在しているという仮説である。アブラハム
がヤハウェという神をつくりあげた。その神に、現在も何億という民が、
聖地に向けて祈っている。初めてイスラム圏のカイロに泊まった早朝、異様な
「アッラーの祈り」の声。丁度、ラマダンだったこともあり、目を据えた
人々が住む異世界に驚いてしまった。 その祈りは数百年も続いてきた
生活の一部であり、アッラーの神が存在しているのである。
 * 可愛げない神仮説  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
≪ 神がいるという仮説(神仮説)は、もっとも可愛げのない証拠事例である。
面白みのないキリスト教の顔である「おとなしくて優しい寛大なイエス」にも、
その正否を委ねるべきではない・・ 私は、ヤハウェの、あるいはイエスや
アラー、あるいはゼウス、オーディンなどの他の特別な神の特定の性質を攻撃
しているわけでない。むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義
したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを
意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説。
本書でその代案として提唱される考え方は、何かを設計できるだけの十分な
複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終
産物にすぎないというものである。進化によって生じた創造的知性は、当然の
ことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、
その設計に責任をもつことは不可能である。このように定義された意味に
おける神は妄想である。そして、それは有害な妄想なのだ。神仮説は、証拠
よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、
さまざまな変形版があるとしても驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族の
アニミズムから、ギリシア、ローマ、北欧神話の神々のような多神教を経て、
ユダヤ教およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教に
いたる発展過程を認めている。・・ (中略)
 ・・われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはぼかられる最大の悪が
一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な青銅器時代の教典から、三つの
非人道的な宗教が進化してきたーユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。 
これらは天空神をもつ宗教である。文字通り家父長的 ー神は全能の父ー 
であるため、この天空神と現世におけるその代理人である男に苦しめられた
国国では、二千年にわたって女性蔑視がつづいている。・・(中略)
 ・・三つのアブラハム宗教のうちでもっとも古く、他の二つの祖先と言って
まちがいないのがユダヤ教である。もともとは、猛烈に不愉快な一つの神をもつ
一部族のカルトにすぎなかった。この神は、性的規制、焼けこげた肉のにおい、
他の神々に対する自らの優越、そして、選ばれた砂漠の民の排他的権利という
ものに病的にとりつかれていた。ローマ人がパレスティナを占領していた
期間に、タルソスのパウロによって、ユダヤ教のそれほど無慈悲ではない
一神教的宗派としてキリスト教が興されたが、これは排他性も薄く、ユダヤ人
の外の世界に目を向けたものだった。数世紀後にムハンマドとその弟子たちは、
もとのユダヤ教の断固とした一神教に回帰したが、その排他性は引き継がず、
新しい聖典『コーラン』にもとつくイスラム教を興し、信仰をひろめるために
軍事的に征服するという強力なイデオロギーを付け加えた。・・・ ≫
▼ 最近、宇宙が一つでなく10の50乗の気が遠くなるほどの数がある
 という説が現れた。その中で、アラブの蛮族から発生した一神教の神は、
アブクでしかないことが分かる。しかし、信心は、そんなもので揺らぐほど
強いのである。人間を人間たらしめている情報伝達手段の言葉が、イメージを
作り上げるようになった。そのイメージは、大自然の神秘と力に神をイメージ
したのが、アニミズムになっていった。それが、部族間の争いを大きくして
いき、現在に至っている。
 ・・・・・・
3856, 猿の惑星:創世記
2011年10月16日(日)
 先日、「猿の惑星:創世記」を長岡シネマで見てきたが、極めてシリアスな
ストーリー。「猿の惑星」をみたのが40年数前。その時の衝撃は現在も残って
いるが、20歳代半ばの記憶が今でも鮮明に残っているのは、猿が人間を支配
している意外性である。 その後、何本か続編が続いていた。今回の、猿が人間
と逆転するキッカケの創生の物語は、不気味で恐ろしい原点を私たちの前に展開。 
結果は初めから分かっているが、筋書きが初めから終わりまで重い。
猿とチンパンジーの差より、人間とチンパンジーの遺伝子の差は小さい。
今世紀中に類人猿の人権擁護法も出来る可能性もあるという。
 物語は、製薬会社がアルツハイマーの新薬の開発にチンパンジーを実験に
使っていたが、その効果は上がっていたが、何かの切欠で暴れて射殺される。 
しかし、そのお腹に赤ちゃんが宿っていて、それを秘密に持ち出した男が、
育てあげる。しかし母親に(実験のため)投与されていたアルツハイマーの
新薬が、その子供に影響しており、育つにつれ飛躍的な能力を発揮する。
問題は、人間の能力より遥かに高くなっていたこと。 そして・・・、 
と物語は展開していく。初めは、人間サイドから見ていた筋書きも、何時の間
にか類人猿の創生の物語に転化され、チンパンジーの目からみた人間社会の文化
の非難へと引き込んでしまう。 チンパンジーの目から逆照射した人間社会への
視線は痛いほど。創生者?のチンパンジーの名前が、シーザーというのも良い。 
ところで、アルツハイマーの新薬が、私の目には現代の携帯端末かタブレット
PCに思えた。 誤解を恐れないでいえば、
《 欧米の白人からみたら、チンパンジーが有色人種。新薬が携帯電話と端末と
PC、そしてネット。 これは後進国といわれている人たちの知識を飛躍的に
進化させる劇薬に匹敵する。一度与えてしまった劇薬は、世界中の底辺の人々に
自由と平等の概念を植えつけてしまった。 欧米中心で世界が動いてきたが、
それが崩壊過程にあるのが、現在の世界の現状である。20年、30年前には想像
すら出来なかった事態が日々刻々進んでいる。 今度の福島原発事故は、
それを世界に知らしめてくれた。 情報端末とネットだけでなく、人間が作り
上げてきた文化、文明の象徴が、アルツハイマーの新薬開発と、チンパンジー
創生と考えると、現在が見えてくる。
 ・・・・・・・
3491, しあわせの法則
2010年10月16日(土)
 昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。
何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。
 その場で意識して記憶したが、9つ、一つ残らずに憶えていた。
1、男性より女性の方が幸福の人が多い。
2、都会の人は大よそ幸福と思っている。
3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。
4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点
  (それ以上になってにあまり変わらない)
5、幸福の八割は遺伝する。
6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。
7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。
8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。
9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。
  (連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える)
 ー[幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。
 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の
友人の実例をみていると肯ける。豊かで教養ある両親の元で、順調に育った
人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。
何度も書いているが、最終振分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、
その格差が大きくなっているだけ。家柄?が、運命そのものになっている。 
とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。実際は10歳までに
決まっている。そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。 
特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するため、ドライに
なって当然。相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知る。
またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという
結果もあるという。 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。
「しあわせ」は、能力の一つか。
 ーーーーーーー
3116, 久々のジョーク −5
 2009年10月16日(金)
* ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を
 殺してしまった。焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。
それから数週間が経った。夫は5歳になる一人息子に言いました。
「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけど何にもいわないな」 
そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」
 〜〜〜
* あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金
 を受け取った。しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?
との疑いを持っているようだった。 入院しているユダヤ人を友人が見舞った。
「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」
「いやあ、そうでもないさ。」
「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」
「大丈夫、退院したらフランス行の飛行機の符買ってルルドへ行くから」
 〜〜〜
Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、
 一人は精神面で成長阻害が見られ、そして本人は梅毒を患っている妊婦の
 知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか?
   解説は、次の問題を解いてから見てください。
(字数制限のためカット2011年10月16日
    (字数制限のためカット14年10月16日)


5327, 孤立のどこが悪い! 〜グー・チョキ・パー

2015年10月15日(木)

   * 孤独、孤立の暗いイメージ
 人が信念に従って生きていくには、自分を閉めて目標達成のための知識と経験、
そのための挑戦、闘いを続け、基礎になる富と技能を洗練しなければならない。
だからまず自分を閉めて孤立も恐れない信念が必要になる。
そして、そこで熟練した技と、エネルギーを一点に集中して新たな創造を成す。
それも時間とともに陳腐化していまう。そこで、いま一度、自分を閉めて
孤立化する。その繰返しで、人は、ここまできた。それが、常に開くことが、
良いことになっている。いつの間にか、洗脳されたのである。だから欧州では
長期休暇をとって何もしないバカンスを取っていた。
「おひとりさま、生涯未婚、無縁社会とか、村八分、一人ぼっち」。
そういうのは、レッテル張りの言葉。孤立についても、本来、人は孤独な存在。
無理に世間に合わせ、社会とつながろうとするから変になる。絵描とか、庭師とか、
大工職人は、その世界に閉じこもった世界に住んでいる。 接客業と、どちらが
良いかは、一概に言えないが、やはり、長年の歴史のある閉めた世界には、
それなりの重みと深さがある。 
 ふと、このことを考えていた時に「グー・チョキ・パー」が思いついた。
グーは、閉めた孤立の状態。パーで開いて放出したエネルギーが尽きようと
するとき、チョキが、それを切りとり終わりにする役割ということ。
<順境には、枝を張れ、逆境には根を張れ>が、「パーと、グー」に似ている。
 事業整理から4年半になるが、あのままの延長だったら、今頃は、パー。
歳を重ねていくと同時に、すべての人は、孤立化した孤独の老人になる。
「その何が悪い!」という開き直りも必要だが、趣味を持って日々を楽しく
過ごせることが必要である。
・・・・・・
4962,閑話小題 −アベノミクスへの疑問、再び!
2014年10月15日(水)
 去年の同月同日のテーマが「アフォミクス」であった。その数ヶ月前にも、
同じテーマが幾つかあった。その後、東京オリンピック誘致に成功したことも
あり、このところ批判の声が低くなっている。デフレ基調の中でのインフレ
の誘導には、必ず無理が出ることは必定。欧米各国は、先行きが不透明の中で、
オリンピック立候補を避けたが、何を血迷ったのか2020年のオリンピックに
立候補、選出された。 国家予算の半分も収入がないボロボロの借金体質の
国家が、これでは、地獄の蓋をあけて自ら飛び込む行為になる。
それも、この惨状の責任者の元首相が二人が、現在の首相と、副首相という
から、お笑い! 日本は、70年近くの実質アメリカ占領政策で、狂った!と、
言わざるをえない。近い将来の国家の行く末は、惨たんたる状態は必定。 
恐ろしいが、これが現実。それを横目で見ながら、私も地上から消え去る頃。
その前に株式の暴落が起こる、それは前触れもなく、ある日、突然に起こる。 
もう一線から退いたため、その先行きが、より鮮明に見える。
 以前、同調した論説は間違いなく正しい! このバブルに乗って泡踊りを
したら、20年前の私のように、大きな失敗を犯すことになる。 アメリカは、
リーマンショック前の3倍、EUは2倍の通貨量になった。 その結果、
ドル為替が半値、3分の1になって然るべきだが、殆ど下落はしていない。
この矛盾は、遅かれ早かれ、必ず、株価か、国債の暴落につながる。
その時、誰が被害を被るか? 弱者である。この、生暖かい空気に迷わされる
ことなく、以下の内容を、いま一度、読み解くことだ・・
・・・・・・
4595, 閑話小題 ーアフォノミクス
2013年10月15日(火)
  * アフォノミックス ーアフォが、三本の矢のミックスといっても!
 安倍内閣の経済政策に否定的で、先行き悲観論の経済学者・浜規子が、
久々にTVに出演、アベノミクスを批判。こんなバブルは直ぐに崩壊するのは
自明のこと。 アベノミクスに対する街のインタビューで、20、30歳代の
17%に対し、40歳以上の74%がバブルを望んでいる結果であった。
バブル経験者の多くが、その恩恵の味が分かって期待するが、未経験の年代層は
いずれ弾けるバブルに期待していない、と冷け気味。
 浜規子は、「1980年後半のバブルは4年数ヶ月つづいたが、今度は、
そこまで続かない。前のバブルは、中産階級の風船が膨んだが、今回は、
その萎んだ風船に再びガスを入れるのでなく、別の風船を膨らませ、萎んだ風船
に紐を加え、空に上げようという代物。全くの見当違い!」と、一刀両断。
これも、当たり前。元女子アスリートが、「周囲が家を買いたいという人が多い
ので、家を買うか、迷っている」に対し、「周りが浮かれ始めた時に何を馬鹿
なことを! 家は投資の一つ。直ぐに弾けるのが目に見えている。
『周りが買うから自分も』という考えが、バブル犠牲者の発想。止めなさい!」
と、ハギレはよい。安倍内閣が発足、現在の日銀総裁が立候補をした時、
「日銀総裁になりたいポチが尾っぽを振っているだけ」と切って捨てた。 
FRBのバーナンキンが無制限に札を刷って、目先のアメリカ経済の崩壊を
引き延ばしたのと、日本とは違う。彼らは世界の制空権を持ち、海軍力も世界一、
言語も世界共通語の英語。その上、基軸通貨の発行国。ドルを幾らでも刷って、
それを米国債で回収するか、暴落に誘導すれば借金はチャラ。それと、
デフォルトの手がある。その米国を真似れば、待っているのは破滅。 
米国予算が議会で否決、デフォルトをすれば、世界経済は大混乱になる。
『ひょっとすると、隠れた世界戦略』で、やってくる可能性が充分ある。
リーマンショックで、世界の金融機関に隠された不良債権ともども、焼き払う
ために?金融の世界大戦と割切ってくる可能性は充分にある。数年内に火の海?
日本は米国債を4〜500兆円も持っている? ・・ 世界が火の海になろう
という時、東京オリンピック誘致に成功!と、浮かれている。景気浮揚より、
国民の目を逸らすため? 阿部の横で、麻生が「アフォ違うねん、パーなんで」
とフザけているパロディのイメージが、浮かんできた。悲しいかなA・B層の
質の低下、特にB層が国を滅ぼす。
ーーー
2013/06/19
アベノミクスへの疑問
 アベノミクスの危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、
肌で感じ取っていた。再び、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は真逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者が、アベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立ってない。 先日、図書館で借りてきた文藝春秋4月号に、
 ー神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。 
ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
★ 〜ブログにゃんとま〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
                  文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗り
 一儲けしたい投機家ばかり。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の
 大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場には金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけ
 ではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。(中略) 
 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、
 国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが
  行なった不況対策は、
 *「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 *「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。
 しかし、この政策は完璧に破綻。 
「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くの妄想、
「国際的に価格競争力を失ったのは円高のせいだ」というのもの妄想。 
競争力を失った理由は、同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、
製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど、大きな破綻を日本に
もたらし、その時はもう復活不可能な致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関が目先の
プラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
二ヶ月前の地元の高校の同級会で、当初からのメンバー12〜3名のうち、
この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、経営責任の辞任、自殺に追い
込まれた。過半数近くである。そう遠くないある日、中国かアメリカの
投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 
ーーー
013/04/01  
閑話小題 ー要は、アベノミクスとは?
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。
「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。その二人が偶発的に首相と
副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗した
ところで、政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの
付けは国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、銀行を通して国債を
買わせることで周りまわって戻ってくる。一度、ハイパーインフレにし、銀行
閉鎖するなどの荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。世界は
通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、一より出直すべし」
ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。
そして、責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
ーーー
2013/03/07  
閑話小題 ーアフォノミックスとは
  * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったもの。
経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの内容を問われ、「アフォノミックス
そのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようで気持ちが悪い。
今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。
 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、
当を得たりと納得をした。この事態を招いた戦犯達の主犯格の安部と麻生が、
首相、副首相とは漫画の世界。殆ど、それを知っているから恐ろしい。
7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界か。しかし見渡す限り阿部
しかいないのが現実。一度チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも手か。
この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。円安も効いて、あの元気にみえていた
経済も崩壊過程。輸出依存度を見ると、日本14% 、中国26%、アメリカ10%に
対し、韓国は50%。日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。
それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響
を直撃し、急激に悪化。世界的動乱は、国力がある方が有利。資源があり、
海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードするしかない。
体力を疲弊をした日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、
TPPの参加は当然のこと。 明治維新も、太平洋戦争敗戦も、今回もアメリカに
屈した更なる開国。アメリカにとって、どれも世界戦略の一つでしかない。
韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。
中国も北朝鮮を庭先の番犬で飼っている。ここにロシアが絡んでくると、
1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の安部と
麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」。  


5326,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー③

2015年10月14日(水)

        ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                 『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
   * 自撮り写真とブログ
 ブログを自撮り写真と同定するところが面白いが、少し無理がある。
その時どきのベストの媒体のメディアと、当人のエネルギーとが相俟った
能力が時代を動かしていく。それが身近な大学ノートや、手帳だったり、
デジカメやビデオ、今ではパソコンやスマートフォン、ブログやチャット
だったり変化していく。個々の受発信のベースになるブログやチャットは、
写真や録画が大きな位置を占める。それを自録りを可能にするセルカ棒が、
アジア中心に流行しているという。自撮り発信文化が、世界を変えようと
している。ただし、決して明るい未来が待ってはいないと・・
≪ 民主主義社会とは、「みんなの声を尊重する社会である。
 欧州で貴族が政治を支配していた頃、普通選挙を入する際には、
「豚のような民衆に参政権を与えて良いのか」といった批判がき起こった。
その後、日本を含めた近代国家は普通選挙を導入し、誰もが国のトップをも
目指せる民主主義社会が実現された。しかしココでも衆愚問題は消えていない。
事実、自分の想定とは違う選挙結果になった時、インテリたちは「ポピュリズム」
という言葉を使って大衆を馬鹿にする。梅田の言葉を使えぱ、「残念」なのは
ネット空間ではなくて、この社会そのものなのである。確かにそれを技術の力
で変えられるような未来が来るのかも知れない。だがそれはネット空間をどう
こうするという話ではなく、社会を変えるという遠大な作業に他ならない。
新しい技術が社会を変えたと言われることがある。しかし、多くの場合、
それは論者にとって都合の良い出来事が起こった時に、その説明材料として
新メディアが持ち出されただけ、という場合が多い。記憶に新しいところだと、
ツイッターなどソーシャルメディアの力で、アラブの春など民主主義革命が
起こったということになっている。確かに新しい技術が、社会変革に一定の
役割を果たしたことは事実だろう。 しかしそれが「ツイッター」である必然性
はない。たとえば1989年に起こった東欧革命の時は、衛星放送が大きな役割を
果たしたという分析がされた。国境を越えて伝えられる映像の力で民衆による
革命が起こったというのだ。要は、悪政や民衆の不満など様々な革命が起こる
条件が重なった時に、たまたま存在した新技術が「ツイッター」だったという
だけである。また、アラブの春においてより重要な影響力を持ったのは
アルジャジーラだったという分析も多い。 
 佐藤俊樹が『社会は情報化の夢を見る』で述べるように、技術の中身に
関わりなく、新奇なメディアはコミュニケーションを活発にする。しかし、
利用者が増加し、そのメディアの新奇性が消えていけば、人はまた新しい
メディアを探す。その繰り返しである。
 セルカ棒が社会を変えると言っても誰も信じないだろう。しかし、
「インターネット」や「ソーシャルメディア」が社会を変えると言うと、
人は信じてしまうそれは「インターネット」や「ソーシャルメディア」の
ほうが、より未知で、より新しいものに見えるからだろう。だが、それは
人々が実は「インターネット」の内実を何も理解していないことと同義。
「未知」で「新しい」ものに期待できるのは、それをよく「知らない」から。
 本当は、セルカ棒にだって人々のコミュニケーションスタイルを大きく変える
可能性はある。自撮り文化が世界中に浸透、日本人のシャイな性格も変わるかも
知れない。人々は差恥心を捨て、とにかく自分たちの世界を写真に残そうとする。
セルカ棒は、僕たちの性格をも変えてしまう魔法の棒なのだ。
 馬鹿げた妄想だろうか。しかしそれを言うなら、「インターネット」が新しい
社会を作るという楽観論も同じくらい馬鹿げているのである。一番に残念なのは、
「セルカ棒」でも「インターネット」でもなく、新しい技術にただ夢を託して、
のんきな未来語りに一喜一憂してしまう「みんな」自身である。≫
▼ 情報機器が、さほど、世の中を変えないというが、どうだろう。
 私は、そののんきな「みんな」自身の一人で、やはり、技術は、人類の
未来に明るい光を与えると信じている。知りたい情報が、直ぐに、手っ取り
早く入手できる幸せを、一般人が可能になるのは、やはり良いことである。
一言でいえば、「情報のファーストフード化の何が悪い?」ということ。
食事でもフランス料理、中華料理と、それぞれの使い分けをすればよい。
・・・・・・
4961,閑話小題 ー齢は68になって
2014年10月14日(火)
   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。
まさか自分がである。周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。
4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。中、高、大学の男たちの
4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老いていくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7〜8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、
世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、
頭の切替えが以前ほどきかない。人生の多くを、し尽した感があるので、
さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、やるべき
ことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、
老いもまた乗り越えていける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と
感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、
家内が生きものが大嫌い。そこで、何とか小型の小桜インコに妥協し
飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだりした6代目の後、
5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年
余りで死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、
その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、
言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。
コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに
常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転
して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、
渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。

・・・・・・
4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
 * 生き直すために ー2        
         ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。
 サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。酒をやめることで
仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」
と言わされる。これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んで
いると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある
限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、結局は運です。
「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、
その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失い
ましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。
あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革
するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、
ガンなどで余命が見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている
人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に
似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」
しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。
・・・・・・
4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
 * 有神論と理神論と汎神論  
        ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、
問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、答えればよい。
私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 
ただ、「今ここにある自分の存在」が不思議でたまらない。
「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した
『神』をイメージした」と一言でかたずけられない。神という言葉の解釈が
いくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創する
という主要な仕事に加え、自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、
影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。多くの有神論的な
信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。 神は祈りに
答える。罪を赦し、あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。
善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。
理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を
支配する法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以後のことに
一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。
汎神論者は、超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を超自然的
なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する
法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔
に関心をもたず、私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって
干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は、彼らの神が、
汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、
ある種の宇宙的な知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論
であり、理神論は薄めた有神論なのである。「神は老獪なれど、悪意はない」や
「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」
といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく
汎神論であり、まちがっても有神論ではない。「神はサイコロを振らない」は
「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけでない」と翻訳されるべき。
「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外
のやり方で始まることができただろうか?」という意味である。
アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫
▼読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。
日本人からみれば、何を今さらだが。「神がいるかどうかでない、存在しなくて
はならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。
・・・・・・・
3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)
 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、
「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、曽野綾子の「人生の良い
ところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 
そこで考えついたのが、「残りの人生を、50歳代の9年間に押し込んで生きる」
ことであった。想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に圧縮して生きる
ことである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思い
ついたのが秘境・異郷ツアー。行きたいところをピックアップし、何はともあれ
行くことにした。 年に4回も行った年もあった。更に10年前の55歳の時に、
個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。
丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。これを書き始めた
5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。
毎年10パーセントの売上減が3年続いた。そして4年目に入って中越地震が
起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期
借り入れの返済原資を三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上。
その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。その結果60歳
辺りから心に大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚。
人生の元を取った実感は、心に大きな安心感を持たせてくれる。
その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上減の
中でも、そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。
準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、この結果
としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、
人生のページの余白を埋めた為。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めて
しまうと、他人の比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を持で諦められる。
それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めること
が残された人生の課題ということが分かる。70歳まで、四年少ししか残されて
ない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。60歳前半は、
リーマンショックでエネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖に
なってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、
捨て身で後片付けをする時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は
大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の真っ只中、それへの適応
時期になる。時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、
周囲も同時に回っているため、それを自覚できない。時流も激しく変化して
いるが、見ても見えずが、我々。人間は現象との情死?しかないのか。
自然と、芸術とに触れ感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 
さて、信濃川のポタリングに出るか。
 ・・・・・・
3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    
2010年10月14日(木)
          「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著 
 先日、ここで取りあげた
「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」
鬼塚 英昭の最近の著書である。要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい
世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりさせ、2011年か2012年の早い
時期に金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため
金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。わずか3年前の
2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。
わずか3年で二倍近い値段である。これを著者はロスチャイルドと
金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。来年から再来年に
金価格の暴落をはかり、逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで
金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、
大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、
崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。バブル崩壊後に
狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでない。 
やはりソ連崩壊後、ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの
住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中にばら蒔いてしまったから
始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ
罠という。ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを
作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、次にバブル崩壊を
狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、
金を買い漁る目論見とみる。 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場
をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 
大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、
おかしく書いてある。 ー つづく


5325,野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

2015年10月13日(火)

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせていた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。
・・・・・・
閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −4
2014年10月13日(月)
   * 国宝指定は、不利!
 家宝などが国宝に指定されると殆どが不利という。寺などは客寄せになるが、
売買は規制されるし、大した保管料でもないのに盗難や火災などから厳重に保管
しなくてはならない。そのため、よいものほど指定前に深くもぐってしまい
表には出てこない。 相続税も、税務署に把握されているので節税しにくい。
もし美術館が買いにくれば、予算が少ないため大きく買い叩かれる。 
 高校の頃、柏崎の旧家の「蔵出し」に父に連れられていった記憶がある。
蔵出しとは、旧家が金繰りのため蔵の骨董品を放出すること。
10人位の骨董商が、蔵の中で、その家の代々続いた骨董品をセリで落とす。
父も何点か買求めたが、シリアスな空気に驚かされた。骨董品の立場からすれば、
蔵から蔵への住処の移動。それが、部屋に飾られ日の目を見ることは少ない。
美術館で展示されることが、美術品にとって、作者にとっても良いことになる。
保有欲、購買欲は人間の性が分かるが、そのエネルギーを美術館まわりに
向ければ良いと思うのだが・・
 ところで、別番組に、骨董品の競売そのものを、面白おかしくショー化した
番組が、出来てよいのでは? あくまで、バラエティーの範疇だが、やはり
企画が難しい? それぞれの価値観があるのだろう。
 先日も、世界のお宝を見てきたが、その素晴らしさは当然のこと。
ところで、「秘境ツアー」は、「世界の大自然観光お宝鑑定団」の一時参加
ツアーということになる。 その付録の各国を代表する美術館の国宝クラスの
お宝が、どれもこれも感動もの。特に、ロンドン、パリ、マドリッドの美術館は、
往年、世界各国から奪略してきたお宝の宝庫である。最近、見たのがパリの、
ルーブル、オルセイ、オランジュリーなどの美術館。
 これらを決して、欲しいとは思わない。そこに見れば充分である。
所有さえ放棄してしまえば、素晴らしいことに、その数十倍、数百倍、
多くの満足を得ることができる。
・・・・・・
4593, そして、人生はつづく ー4
2013年10月13日(日)
   * 生き直すために!
朝日新聞のオピニオン「耕論」『生き直すために』小田嶋隆ーのコラムが面白い! 
先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、
一年ごとが生き直しの日々。筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まる
という。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、
その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。
が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。
  ーまず内容の前半の要約をすると・・
《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、
 新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。何をするわけでなく、ただ不愉快な
ことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから
一度外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、
バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを勧められ、パソコンバブルも
あって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。
酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。
 それもあり、仕事が減った39歳時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、
眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、心療内科に行くとアルコール依存症と
診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール
性痴呆。もう一生飲まないしかない」と宣言された。それまで人と会うのも、
音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。医者に「酒をやめると
いうことは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんで
いたことを次々やめた。断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス
で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。酒をやめてみると
膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、
自転車を乗り回したり、イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・》ーつづく  
▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。
「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、
犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうち
アル中になり、39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを
認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。物書きと、創業を
目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが
見えて、自然と、「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した
時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。そうとはいえ、本当に
捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識
してきた。これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは
「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。人生にやり直しなど
出来ようがない。天を信じて捨るべき時に、捨るべきことを、捨ないと・・ 
捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。
「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。
・・・・・・
4218, 神は妄想である ー1
2012年10月13日(土)
         ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、
「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。欧米のように、
生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で
育ってない日本人は、神様目線が殆どない。殆んどは「神は妄想」と思って
いるし、神の話など家庭内では皆無。しかし欧米では無神論者は同性愛と
同様か変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者など
の狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。
   まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより
≪ なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」
 と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会のあり方は、
おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に
携わっている著者は、かねてから宗教への違和感を公言していたが、9・11の
「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられ
なくなった。「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、
あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向
から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 
神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今では
インテリジェント・デザインを自称する、進化論を学校で教えることに
反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。
あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通す著者の、畳みかけるような
舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫
▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的
 ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、注目された内容。 
9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉
に対し、知人から注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 
欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。とはいえ、知識を
持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。
自然以外に、まず、それにアブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。
それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には
キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑
に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは至極当然で、その対立は
激しさを増している。 そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる
視点も、よく分かる。「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」
と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの猿が進化した
生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、
自然世界の時間をかけた進化などをさせてきた、自然法則を神として
理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく
・・・・・・
3853, シリアスでストイック
2011年10月13日(木)
 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。
シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と
捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。コミックでは、
「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。
ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という
場合は自分に厳しい人という意味。「今回のヒロインはシリアスでストイック
なキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、
「ヒロインは極めて真剣で、原稿などの締め切りに追われている作家などは、
シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。漫画でいえば、
「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。
そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイック
に過ごさなければならない」。まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。
いや、「ファニー」の一日かもしれない。その対義語ではないが、正反対の
キャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風
変わった。」という意味。お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。
サンマ、タモリなどが、このキャラ。
 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスで
ストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を
変えれば、違って見えて当然だが。人生を振り返ると、この3つが混在している。 
私の場合、「リアル」で、かつ「コミック」も加わる。 まともに生きれば
シリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 
問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれて
いなくては、とすると?・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ?
 ・・・・・・・
3488, インコのクシャミ
2010年10月13日(水)
 ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。
身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。
籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣である。
しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場でジッとしている。
呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。
そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、
そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで
椅子に座り、みていた。時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、
片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。
そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。小さくクショッと人間のように
するのである。そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、
熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、クシャミ
までするとは思ってもなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲って
いるのをみて、何だろうと思い、8〜9分は死ぬと思い込んだが。 
寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。
インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも
愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。クシャミをし、全身の毛が
逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。
ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコを
している」が、そのまま全身から伝わってくる。全身で苦しみ、全身で喜びを
表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は
「ありのまま」で生きている。だから、ペットとして人間に好かれるのである。 
衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。


5324,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー②

2015年10月12日(月)

         ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
   * 「残念」な日本のネット社会
 ネットが普及し、「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったというが、
アラブの春の民主化が正しかったのか、間違っていたのか? を例にとると
分かりやすい。独裁者は、「バカがウエブで繋がった結果」と見ていたのだろう。 
烏合の衆は、所詮、流砂のように掌から零れ落ちていく。ネットの利点は計り
知れないものがある。当然、その影は付いてくるが、それも一つの社会悪と
割切るしかない。問題は、それに慣れてないこと。 〜その辺りから〜
≪ 結局、何でもほどほどのバランスで食べればいいのだろうが、
 ネット上の意見にはとにかく極端なものが多い。深刻に悩んでいる人が多い
からだろうが、癌や妊娠、出産、子育てに関ずる話題にも、トンデモ知識が
溢れている。知り合いの医師も、ネット上での知識を患者が頑なに信じすぎて
いて、「知恵袋ではこう書いてあります」と言って聞かないと愚痴っていた。
 結局、ウェブ2・0は実現したのだろうか。少なくとも『ウェブ進化論』を
書いた梅田望夫自身は、その夢をあきらめてしまったようだ。
 彼は2008年、自身のプログで水村美苗の『日本語が亡びるとき』を好意的に
紹介したが、それに批判的な意見が殺到した。さらに梅田が役員を務める企業
のサービス「はてなブックマーク」も、彼への批判で溢れた。これに対して
梅田は、「はてぶのコメントには、バカが本当に多すぎる」とツイッターで
発言、大炎上した。さらに2009年にはネットメディアでのインタビューで、
日本語圏のネット空間が「残念」であるとコメント、再び炎上。要は、ネット
で発生してしまう「衆愚」問題に梅田は耐えきれなくなってしまったのだろう。
 中川淳一郎が断じるように、インターネットが普及しすぎた結果、
「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったようだ。確かに中川の論じる
ように、ネット上には読解力がなく、ジョークも通じない、「暇人」が多い
ように思う。このーヶ月で3回くらい炎上した僕も、どうしても中川説に賛同
したくなってしまう。しかし、『ウェブ進化論』ではすでに、衆愚の問題に
ついても論じられていた。たとえネットに溢れる情報が玉石混合でもいい。
それを個入に合わせてカスタマイズしてくれる「自動秩序形成システム」に、
梅田は期待をかけていた。実は同じような議論は最近でも続いている。
要は、技術の力でネット空間がよりよいものになるはずという楽観論である。
現在、ネット空間は、PV数(閲覧数)至上主義。だから、とにかくアクセスを
稼こうと、扇情的な見出しや、誰かを傷つけるようなコンテンツが跋扈して
しまう。しかしそれはネット空間が発展途上だからと楽観論者は言う。
 先日収録した「ニッポンのジレンマ」という番組でも、ウェブメディアで
活躍する論者たちが素敵な未来語りをしていた。そのような未来が本当に
実現されるのかはわからない。だが、少なくとも言えることがある。
そうした「情報技術が明るい未来をもたらす」という議論は昔から繰り
返されてきたということ、そして技術の力では、大して社会が変わって
こなかったという残念な事実である。「ニューメディア」「マルチメディア」
「高度情報化社会」、そして「インターネットと形を変え流行してきた。
しかし、衆愚の問題}にとってもそうで、技術の力で社会の形が大きく変わって
きたようには思えない。少なくともウェブ2・0が宣言されてから10年で、
日本社会は大きく変わってない。ネット空間には「バカと暇入」が増えた
だけのように見える。なぜか。答えは簡単で、衆愚とは何もネット空間
だけの問題でなく、この社会の問題である。
▼ 問題は、衆愚の結合である。これまで衆愚を一神教が、結合してきた。
 問題は、その手段としてウェブが使われるのか、それとも、その虚構を
根こそぎ破壊してしまうのか。何せ、相手は2000〜3000年の歴史がある
絶対神のアッラーである。当分の間は、ネットで衆愚を収めるだろう。
残念なのは、日本の衆愚だけでない、世界の衆愚である。バカは世界の
何処にも存在し、底辺ほど直ぐに繋がり結合する。しかし、優秀な者同士も
繋がり、アップスケールの機会が与えられている。情報環境空間がネットで
地球上に広がったのである。
・・・・・・
閑話小題 ー美人の黄金比
2014年10月12日(日)
   * 美人の黄金比
 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。
1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」
 の長さが同じであること。
2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。
3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。
4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。
5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。
 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いと
されています。ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は「1.1」〜「1.3」とか。
どうでもよい話? 要は、傍目でみたバランスが上記だと美人ということ? 
それにしても綺麗で優しく温かみがあり、清潔感がある人が、一般的に美人
というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。
 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。
身近で、姉達や、同僚などを見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。
だから、それが良いのである。
・・・・・・
2013年10月12日(土)
4592, そして、人生はつづく ー3
  * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』
 5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに
「そして、人生はつづく」をテーマにしている。
   ーその概略をHPでみるとー
《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアと
 ペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな
転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが
見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭
アレクサンダー・ペイン。アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で
定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと
今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。
そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、
シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる
日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。そして葬儀の準備に追われる
シュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくる
のだった…。》
▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でも
 それなりの人生を送っていると思っていたが、定年をむかえた直後、妻が
急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む
娘を車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで
接したことのない世界の人たち。その旅で、これまでと違った様々な経験をする。
それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。職場と連れ添いの喪失で、
なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。
妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。5月の連休明けに、この映画を
見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しの部分がある。
また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。
 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで
自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業
で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は
老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の
娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。現在も「そして、人生は続いている」
のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・
・・・・・・
4217, 開国という強迫観念 ー4
2012年10月12日(金)                      
  * 「開国」とは何だろう     
       ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 
 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り
変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。TPP(環太平洋戦略的
経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに
不利になるため、従うしかない。属国から離脱など出来ないように囲い込まれて
しまっているのが日本である。  ーその辺りからー
≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、
「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」だといって
きました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、
本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。「開国」とは異質なものに
出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。
「開国」とは、何よりまず、異質な文化、社会、宗教などに出会うことです。
そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。
独自性です。自国の、自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他
国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることが
「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということ
ではない。世界には、西洋もあれば、中国も、インドもイスラム諸国もあるのです。
しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、
決してイスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や
「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。
いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」と
いった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とは
アメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことです。
「世界に乗り遅れる」というのは実は「アメリカに見捨てられる」という
ことなのでした。 ≫
▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。
 そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を覆って
しまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人が
ポケットに持ち歩けるようになった。それで、個人情報の受発信が気楽に、
しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し
進めることになる。それは、情報をコントロールでき利用できるものと、
出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが
アメリカの一部の人たち。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。
垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の日本の水準から見れば下流。
総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流と
いうことになる。預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を
入れると、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、
日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、
歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。
・・・・・・
3852, ツレがうつになりまして ー3
2011年10月12日(水)
 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、
生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、木の実ナナなど
多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。タレントの何人かが手記を
出しているが、本当に辛そうだ。老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常
になる。長生きの人生の利子。私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、
その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小?で済んでいる。
対策として、直後から、
 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 
                 =合計三時間の運動で身体を動かす。
* 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 
* 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。その為に、哲学書を一歩
 踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。しかし、この結果に
 対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。
当然のことだが。欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなる
こと。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大なエネルギーを要する。
そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、辛さが積もっていく。
私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、
その崩壊は最小で済んでいる。所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間
だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。地域社会を
象の皮膚の隙間とすると、そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると
気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。経験からして、心の傷は癒える
のに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。時間が全てを解決すると腰を
据えるしかない。結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 
見渡してみると重い経験者は一割。軽いのを入れると三分の二。
 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、
映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。それが出来ないから
欝になるから、これ愚答。そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、
悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を
変える、味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 
書店か図書館に行くと、(神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が
感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。これは神様の情け。
気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 
朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。


5323, ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー①

2015年10月11日(日)

       
       ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                  『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
  * 懐かしいウエブ2・0
 もう10年近く前になるが、梅田望夫の『ウェブ進化論』と、佐々木俊尚の
『ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点』などを読んで、ネット時代
の明るい未来を信じて現在に至っている。ところが、梅田ブログも7年前から更新
されておらず、マスコミから消えてしまった。何かあったのだろうかと思って
いたところ、『新潮45』の特集の中で、ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー 
というテーマで、古市憲寿という若い学者の手記があった。 それによると、
ネットの未来に明るい側面をうたい上げた梅田が、ネット上で衆愚?に総攻撃
を受け、嫌気をさしたのが消えた理由。考えてみれば、衆愚はネット社会だけ
でなく、社会の大部分を占めている現実がある。 知的側面でも中流対下流の
対比、65%対35%が、10%対90%に下流が激増したようだ。その彼らを尊重する
のが民主主義というから始末が悪い。 ネットは気違い(衆愚)に刃物でしか
ないのか? という問いかけである。 〜その辺りを抜粋〜
≪(p48) 10年ほど前、「ウェブ2。0」という言葉が流行したことがある。
 多くの人が情報の受け手に過ぎなかった「ウェブー1・0」時代が終わり、
「みんな」が情報発信者になれる時代が訪れた、という騒がれ方をしていた。
プログやmixiといったソーシャルネットワークがブームになり、ウィキペディア
などの集合知が注目を集あていた時代のこと。2006年にベストセラーになった
梅田望夫の『ウェブ進化論』によると、ネット上のコンテンツは玉石混合という。
しかしそれを集合愚と断じてしまうのは早計である。 これから一般人が表現を
するハードルはどんどん下がっていく。すると母集団が増え、良いコンテンツの
割合も自然と上がっていく。さらに個人の趣味に合わせ情報を提供するシステム
が高度化していくだろう。要はテクノロジーの力によって、理想的な総表現社会
が実現されていく夢を梅田は語っていた。確かに有象無象のネットユーザー
の「表現」と、テクノロジーの組み合わせが、人々の役に立つことがある。
 僕が一番参考にしているネット上での集合知は「価格・oom」だ。
専門性が必要とされず、主観が介在する余地が少ない情報を集める時、ネット上
での集合知は威力を発揮する。「価格・com」のミソは価格という、誰が見ても
比較しやすい情報を集約している点にある。価格よりもやや客観性が落ちるが、
使用者による商品レビューも参考になる場合が多い。電化製品を使うのに専門性
なんていらないし、思想信条が評価に大きな影響を及ぼすとは思えない。
専門性ともイデオロギーとも無縁の領域で、ネットの集合知は大いに役に立つ。
だが電化製品よりも個人の趣向や経済状態が反映されやすい食の分野になると、
集合知は少しずつ怪しくなってくる。通常の雑誌では無理だろう詳細な情報や
写真が掲載されている「食ベログ」。だが星の数や食に対する判定になると
当たり外れが多い。さらに難しいのは医療や法律といった高度に専門的な分野。
共に本来は長期間、高等教育機関に通わないと専門家になれない領域。
しかしネット上には自称専門家による怪しい情報が盗れている。 たとえば
「Yahoo!知恵袋」の医療情報などは、本当に玉石混合。「牛乳で免疫力を高める」
とか「めかぶ、を食べると代謝が高まる」とか、あらゆる食品が体にいいことに
なっている。そうか、牛乳やめかぶを食べればいいのかと思ったら、今度は
「牛乳は毒。飲んでいるのは日本人くらい」といった自称専門家説にぶち当たる。≫
▼ みんなが情報発信者になれば社会が豊かになる?と、梅田望夫が明るい
 未来を謳い上げたが、現実はゴミ知識と炎上騒ぎのバカ騒ぎ。当の本人も、
その馬鹿馬鹿しさに、姿を消してしまった。その衆愚の一人が、この私。
飽きもせず、毎日、数時間もかけ、頭の中身をネットに公開している。
利点もあるがマイナス面があまりに多過ぎる。が、暇潰しには丁度よい代物。
・・・・・・
閑話小題 ー"老後破産"の現実
2014年10月11日(土)
*「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
 家内が青い顔をして、昨夜放送の「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
を見たが、ショックだった、録画に入れてあるから、見てみたら!と言う。 
で、早速みたみたが・・  ーNHKのHPよりー
≪まず「都内の80代男性、年金支給日の前になると現金が底をつく。
 月10万円の年金。アパートの家賃6万円。「まさかこんなんなると思わない
ですねえ」3年前にガンを患い治療する80代男性、医療費が重い負担。
月3万円の預金を取り崩して生活。≫
≪ 区内の独居高齢者は4700人。相談員は11人。対策が追いつかない。
 区のアンケート調査では、年金だけでは安心して暮らせないという声が。
アパートで一人暮らしする田代さん83歳。年金月10万円。家賃6万円。
残額4万円。家賃の安い住宅に引っ越そうにも引越し代がない ≫
≪ 秋田県。高齢化率が31.6%。とくに高齢化が進む湯沢市。
 コメ農家をしていた西館さん84歳。いまは田んぼは親戚に任せている。
年金は月2万5000円。夫は15年前病気で亡くなった。心筋梗塞で倒れ、
10年あまり入退院を繰り返し。医療費の支払いで、年金の保険料を払えず。
故郷を離れ嫁いだ嫁に会うこともできない。「余裕ないでしょ。だから
自分のもらった年金でどこまでやっていけるかって考えるの」湯沢市の
一人暮らしの高齢者は約3000人。西館さん、食費に回す金がほとんどない。
おかずの材料は野山に取りに行く。「フキは干したら柔らかくなる」
光熱費を払うと生活費は1万円。食費は月4000円しか使わないと決めている。
「魚は、田んぼに流れてくる水でとってきた。金かからないでしょ、
自分でとってくるんだから」心臓に狭心症の持病があり、発作がいつ起こる
かわからない。発作を抑える薬は、街の中心部まで1時間かけて病院に通い
受け取る。次に発作が起きれば危険だという。≫
▼ こういう人が、身近に人知れず多くいる。私自身も、一つ判断を
 間違えば同じような身の上。これは、生老病死の問題そのもの。
何か身につまされてしまった。しかし、死んでしまえば、皆、同じ!
・・・・・・
4591, 2050年の世界 ー18 
2013年10月11日(金)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                  〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきた。大地震、津波、異常
気象なども、地球温暖化と関連した現象。これまでの後進国が経済発展で、
国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、
それが地球温暖化に拍車をかけることになる。
しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。
  * 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ
・気候変動について現時点で正確に予想する方法は確立されていない。
 エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、経済成長がどうなるのか、
 気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が
 多すぎるためである。
・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、
 温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、だからこそ、
 これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。
・1992年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約。
 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明。
・第二の進展は、1997年の同条約の会議で合意された京都議定書。
 富裕諸国はこの議定書のもと、2003年の二酸化炭素排出量について、
 それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし各国の数値目標には
 ほとんど強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られず
 不参加となってしまった
・2009年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書
 よりもっと野心的な数値目標を、富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせる
 はずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を達成するため
 には、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。
・そうした中、2010年のメキシコのカンクン会議で中国が、2020年までに経済の
 炭素集約度を四〇〜四五パー削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化
 炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。中国では、
 福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい
 原子力発電所を増設。風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増加。
・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増える
 ことにより、海洋地下資源開発の促進、あるいは新たな漁獲域の出現など
 大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。
 成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することによって温暖化を防ぐ案が
 あるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため
 実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。
 その結果、温暖化問題が、より深刻化していく悪魔の循環が、日々、大きく
なっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、
このままでは、現実問題になってくる。
・・・・・・
4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? 
      ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的
城下町の世界。とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れること
だった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。新潟市でさえ
外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。
それも首都圏から見れば似たようなもの。それを逆照射してみると、世界という
より欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。
5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、
その文化の高さに驚いた。当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼす
ほどの近代化された軍隊だった。世界>東京>地方の図式は、こと日本において、
決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は
「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。東京へ行くことは、
また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいる
ことは内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、
「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、「地方」や「田舎」は特異な
「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を
聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、
田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりする。
だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを突きつめて
ゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。「開国の論理」とは、
まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の
近代化とはまさしく「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。
「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのもの
といってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、
これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。この同じ論理を
もう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、
「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、
さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的
文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した
「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫
▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。
 その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と蔑んでみている。
当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方
出身者に向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。
しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。
大方が気がつくには死期が迫った時。
 ・・・・・・・
3851, ツレがうつになりまして −2
2011年10月11日(火)
 この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。
欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。学生時代の
友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になって以来、
古町などで15年ほど隔月ごとに飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の
聞き役。支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に
向いてしまう。それも数値責任を達成した上だから、たまったものでない。
トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の辛らつな
虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。主人公も、外資系の会社で、
リストラ、効率化、顧客主義、徹底したコスト削減、顧客のクレーム処理で
神経を磨り潰す。几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、
鬱病が表立つ。そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ
死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。
 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を
打ち止めになった出版会社の担当に「ツレがうつになりまして、お願いします、
仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、
欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。その必死さにうたれた
担当が、その人を紹介し、それが、この「ツレがうつになりまして」を書く
キッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、
ウツに追い込まれる人が多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。
他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しく
ない。事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を
自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も当然起きてくる。
その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を
冷笑している心の奥の視線もある。当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが
恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、
あれこれの思いが巡る。それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 
大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。
それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は
言葉で言い難い。事業を興し、上手くいっている時は、この世の春。
しかし、ある時点から転落するように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 
それでも手元資金が完全枯渇する前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 
ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。
≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 
あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、できることからやるの
「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 
 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 
生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく
 ・・・・・・・
3486, つれづれに ー閑話小題
2010年10月11日(月)
   * ガラパゴスに戻って
 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモ
の携帯に切り替えて7日が経つ。二年前にiPhoneに切り替えたドコモの
携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 
で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になった
こと、画面が大きくなったこと、カメラが810万画素になり、タッチ式に
なったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。
他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、
ということで今の機種を選定した。しかし他機種で4〜5万を出したものなら、
その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。
   * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減
 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、
2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、1994年のピークの664万円に比べ
2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり
続けている。世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働き
に出たり労働時間を延長したこと、などがある。増税などを含めると、世帯の
収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の
世代の大量の定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行
とともに日本経済はますますダウンしていく。おそらく10年で、更に2〜3割
以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円に
なると、勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。 反面、
それほどの貧困感は出ることはないだろう。中古市場や、フリー(不用品の
無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあう
システムがネットを通して働くからだ。貧乏だが、最低限のモノや情報には
不自由しない時代になっていく。

 


5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して

2015年10月10日(土)

   * 老いの恐ろしさ
 数日前のポタリングの帰路、信号が赤に変わったのに、ボ〜ッとして何か
勘違いしたのか、そのまま車道に進入をしてしまった。何で車が向かって
走ってくるのだろう?としか、考えられないとは。 直後に気づいたため、
事なきだったが、これまで二度、車で赤信号に気づかず、そのままつき切った
ことがあったが、二日酔いと、旅先で疲れが原因だった。今回は老いだろうか。
魔が差し事故にあうときとは、こんなもの。 
 70歳以上の免許書換え前の講習会で、「交通事故の当事者は3分2が65歳
以上の高齢者。老いによる注意緩慢が原因です。」と聞かされた。
毎朝一時間、冬期を除き年に8ヶ月、6年以上走ってきたが、来年春先から、、
週末の二日間に切り替えるべきか。
   * 5年前に、あと10年の余生と想定して
 65歳の節目で、あと10年の75歳辺りが寿命と、気楽に考え5年近く。
間もなく半分が経過する。10年前は一昔に感じるが、5年はアッという間。
とすると、もう残された時間も直ぐにくる。数ヶ月後に70歳になるが、
父は、この年にガンが見つかり、一年後に亡くなった。 死についての
知識が皆無だったこともあり、死の恐怖に悶絶をしていた。誰もが、
直面する恐怖。その凍りついた空気は、そのまま周囲に伝わってきた。
老いと死の問題は、人類の永遠のテーマ。 70歳を過ぎると、背後からの
漠然とした不安から、前側に移動し迫ってくるという。ここにきて、長生き
をしたいとか、後悔の念が少いのは意外。好きなように生きたためだろう。
 いざ直面すると、違うのだろう。 5年は何とか?だが、10年は?
その時、『死ぬのは死ぬ。助かるは助かる。ガタガタするな!
それにしても面白かった!』が、内語になるのか? 
その時には、こんな事が書けないだろうから、今にうちに書いている。
・・・・・・
脳がよろこぶ話 ー4
2014年10月10日(金)
      対談ー夏樹静子『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  * 脳という最大のミステリーを、文学と科学で読み解く
 私も腰痛持ちで、その苦痛は、言葉では表現できない程辛い。
付き合いだして丁度50年になる。最後に一番辛かったのが、5年前のこと。
その時から本気になって幾つかの対策をしたのが功を奏して、今では、軽い
腰痛は年中続いているが、重いものは、あれ以来ない。更に、二年半前からの
週二回のヨガが、良いみたいである。しかし、少しでも身体を冷やすと、
直ぐにでも痛みが増してくる。
≪ 夏樹:脳より腰がミステリ!。(笑)
茂木:一時はイスにも座れなかったぐらいだったという。
夏樹: もう、イスが怖くて怖くて。イスに座れないというところから始まった
 んです。ある朝、いつものとおり家族が出ていって、書斎に入って、さて仕事
 をしようと思ってイスに座ったら、どうしても嫌だといわんばかりに。腰が
 上体を支えるのが嫌だと言い出した。そういう感じで、座っていられなくて。
茂木:腰の反乱ですね。
夏樹:それから三年間というもの、ドクターショヅピングっていう言葉は
 好きじゃないけど、いろんなところであらゆることを試したんです。
 でも、注射も、薬も、東洋医学も、何ひとつ効かず、それどころか原因さえ
 わからないもので、あきらめて、絶望的になって、家で寝ていたわけです。
 イスに掛けられないし、立ってもいられない。一日中、ううっいたいといって
 動けないような激痛も頻発して、異様な倦怠感もあって、鉄の甲羅を背負わ
 されたみたいに、部屋を横切るのにも這って行くっていうぐらいでした。
 もう万策尽きたと思っていたところに、主人の友人から紹介された心療内科
 の先生がいらして、最初に先生が、私の話を二時間、聞き取ったんです。
茂木: おつらかったでしょう。
夏樹:先生がおっしゃるには、全部心因性なんだ、心が原因なんだと。
 私は全然信用しなかった。張り切って仕事してきて、ストレスも何も感じて
 なかったから、そんなはずはないって言ったんだけど、「あなたの潜在意識
 は疲れ切って、休もうよ、休もうよと言っています」って。愚かな私が意識と
 潜在意識の乖離に気が付かないから、とうとう潜在意識がこのままでは死んで
 しまう。生体としてやっていけなくなるから、幻の病気をつくり出して、
 そこに逃げ込んだ「疾病逃避」というんです。しかも、これだけ拗らせて
 しまったら、ちょっとやそっとじゃ治りませんよ、もう小説書き辞めて、
 一主婦として生きなさいと。私はもう、そのころになると、痛みとの戦いに
 精も根も尽き果てたという感じで、「わかりました、もう断筆しまう」
 と言ったら、じわじわと、本当に日一日と、二週間の絶食療法の三年間の
 地獄の苦痛が、約三週間でまったく消えた。ずいぶん早く潜在意識が
 折り合ぞくれたもんだと驚いたりもしたもんです。 ≫
▼ 座る姿勢と、精神的圧迫が、腰に集中していたことになる。
 何か、事業から引退したと同時に、様々な神経症から、解放されたが、
それだけ、知らないうちに大きな重荷になっていたようだ。だから強がりで
なくて、後悔とか、挫折感は、ほぼ無く、何か毎日がスッキリしたような日々。
・・・・・・
4590, 閑話小題 ー謝罪あれこれ
2013年10月10日(木)
 このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVの
ニュースで報道されている。そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という
映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。土下座は江戸時代の大名
行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため
武士がやらせた慣習。謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。
映画で、記者会見など頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど効果があると・・ 
さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。
  ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より)
空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、
“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画『謝罪の王様』
でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が
気になってしまうのか。 専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の
土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、
相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。
“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。
 (NHK説明より)
 早速、プレビューを見てきました。ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマ
として今世紀最高を記録したこともあり、多くの方がご覧になったと思います。
その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。
企業の不祥事などで、社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目に
するようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という意味が
加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 
中には、土下座するまでもない場面で、土下座を強要させられることもある。
私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。
土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たような
そんな居心地の悪い気分になることも事実。番組を通して分かってくるのは、
ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座
することで、それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、
土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに向かうべきでは
ないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんの
こんな言葉です。「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いは
ありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください!
▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。
 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の被害者のように怒り、
呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も
変だが、見ている方も、明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、
本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。大場面なのに、殆ど
悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送
の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、
あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。
元もと罪の意識もないのだから救いようがない。
選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い!
・・・・・・
4215, 開国という強迫観念 ー2
2012年10月10日(水)
       ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思
 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か?
 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では
首都圏の大學か、地方大學に分けられる。一般的に都心の大学進学は、進歩的
文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識
と教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地を
つくるため。自由の立場で、世界を、社会を、人間を見つめるための猶予期間。
しかし、最も重要なことである。  ーその部分からー
≪「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型。戦後のいわゆる進歩的文化面は、
自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」
を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは
事実。彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。
では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全くそんなことはありません。
・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点
にやってき、その後は「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。
進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉
されていった。知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、
彼らは、彼らに都合のよい西洋思想や学問を取り入れて、それを「科学」と
いい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=
「専門的」=「先進的」であり、これに対し、「日本的思考」=「非科学的」=
「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」
「専門家」「先進的」の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」
「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と
同じ。この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に
立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という特権的立場を手に入れた。
・・(中略) この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を
開かないと、世界の潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、
必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、
「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。
それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式だったのではないか。
この「世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえてみよう。・・≫
▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が
 果たしては特異で後進的か?を、問うている。それまでの欧米は、自分たちは
文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させる建前
で、世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。
日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、という刷込みではないかと、
著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。真の
支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! 
 ・・・・・・・
3850, ツレがうつになりまして −1
2011年10月10日(月)
 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。TVでも放映され
話題になったストーリー。ところで、もう亡くなってしまったが、前の会社の
取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に
暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。ところが20数年前の
バブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。その症状のまま営業や知人先
に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 
躁の時は、晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 
鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、再発の報告と相談
に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や
精神科学の本の言葉で、何とか危機を乗り越えてきた体験があるので、
痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは
≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいこと
 ではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人はいないのと同じ。上司に
正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりに
すれば、それ以上悪くなることはないし回復は最短になる。とにかく拗らせない
で治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。
 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度は来ていたが、その都度、
初めに飛び込んでくるのは私のところ。欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから
状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが
山ほどある。しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時
入院をするようになっていた。会社は管理職からヒラになったが、最後まで
病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、
他人に危害を加えるかどうか。その辺はギリギリでセーブをしていた。
彼の場合、多くの友人がいて、それを見守って許してくれる人間性があった。
営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。その人も7年前に
癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。欝による失態も、
決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 
そういう経験があるので、この映画に感情移入をし、涙をしながら見入って
しまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 
足腰の関節が痛くなり、何らかの成人病が出てくる。 欝になるな!という方が
無理な話。その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、割り切り
きった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた
方が良いことになる。私は子供の頃から仏壇前のお経だった。  
次回は、映画の感想文・・
 ・・・・・・・
3485, エッセイ脳 ー2
2010年10月10日(日)
   「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
  ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。
 「何を」にあたる部分がA、「どのように」にあたる部分がBになる。
 単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは
 読み手(公共)の納得の方が優先されなければならない。そのため、
 「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先されなくては
 ならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる
 題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていても
 よい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。テーマに合わせて
 題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、
 抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、
 へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。「ある=起、ある=承、
 へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして「へえっ〜=転」が、
 書きたいことの中心。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、
 言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。
 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 
 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを考えればよい。
 他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。
 したがって「転、起、承、結」の順になってくる。それはテーマが与えられ
 ない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。
・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみ
 の文、セリフ「 」に括られるもの、などある。これは小説でも同じである。
 もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。
 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。
・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら
 面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイこそ、エッセイの
 エッセイの由縁である。セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、
 さらに再現性がある。
・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。
 必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)を交えてもよい。
 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。
・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。
・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)
 に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 
〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば
 人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。


5321,寺院経営の惨状とは

2015年10月09日(金)

    * 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。
・・・・・・
脳がよろこぶ話 ー2
2014年10月09日(木)
      対談ー小菅正夫『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  *「平気で生きている」ことの強さ
 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。
よほど、事業立ち上げの準備期間の15年間の方が厳しい状況であった。
足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。
開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を
独りで、ひたすら具体化をするのは非常に厳しい。あった物を失うことより、
無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。
   ーその辺りよりー
≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。
・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べ
られたとき。それと繁殖。交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、
育児ができた。これだけです。彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。
・茂木:ムダがない。
・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくだけで精一杯。
・茂木:もともと野生環境は厳しい。
・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていた
んだけど、ホントにね、痩せた子ども。ハエがたかった子どもが街にいる。
それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。
ましてやチンバン�も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運
な子どもしか育たない。彼らがそういう環募なかで生きているということは、
われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足というよりも、本当に
それしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か
楽しみが待っているけど、彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れた
エネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。(中略)・・
・小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」
という、質問者がたずねた。「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、
「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。
動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコていうゾウがいました。
六十歳超えていて、最後の臼歯が半分欠けて落ちた。それであまり食べられ
なくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。
 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。
そしてパタッと倒れて死もんでいく。 あの平気さっていうのはね。
宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うんだったら、
動物はみんな悟っているなと。
・茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた
境地というのは、もっとわれわれの祖先が動物だった時代に持ぞいたもの
かもしれない。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。
そういう蓄があるんだと思う。≫
▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。
 人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への恐れの解決である。
 確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ 
・・・・・・
4588, 2050年の世界 ー16 
2013年10月08日(火)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。
・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ
 などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、
 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の
 巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。
 中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、複数政党制ゆえの混乱で
 民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対する
 さまざまな形のバイアスのかかり方。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、
 規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。
 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で
 情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える
 「経済第一主義」と、この「公共心」が大きな対立事項となり、
 民主主義を揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が
 出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。 特に、
この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの
権力者で支配されているというが、実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、
民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数
に存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。
自由には制限があるが、各々違うため問題が次々と派生、世界を混乱に陥れる。
しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると
信じたい。自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。
友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。その辺のバランスは、
人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。
それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。
・・・・・・
4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は?
2012年10月08日(月)
  * 去年は凄い年だった! で、今年は?
 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、
北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、
ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死など
など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 
しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し
中国国内の日本企業が焼討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュ
はないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。去年に発生した問題
は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。
しかし、ひと月で、中国のトップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして
日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる
イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごす
ことになる。それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、推し進める。
これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまった
ということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?
また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、
再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? 
   * 多人数兄姉の末っ子として
 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 
母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌
になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての立ち位置に生まれ育った。
下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影で、その虐めは陰湿そのもの。
しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で
緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。
それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないこと
は見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は大声で泣くこと。
大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 
大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。
両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチ
つくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、家庭に恵まれて
いたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。
これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
 ・・・・・・・
3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
  * 料理はメディア、コミュニケーションのツール  
           ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、
 こんなにまずいのはどういうわけだろうとね。それはしかし、自分の中で
考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは
「よく味わう」こと。それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」
と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということ
が肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を
メディアとする、コミ二ケのあり方です。昔は、人を招いてご馳走することを
「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。
つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 
そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って
いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに
委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 
それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に
招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、
全然料理の味なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、
主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション
のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けている
人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長に
なっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗し出してきたものを、
知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。薀蓄など語る必要はない。
「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれ客は
 店に行く。その個性が店のメッセージ。美味しいものを食べつくしてきたので、
それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す
雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。
 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に得々と話している人
がいたが、これほど不愉快なことはなかった。家内も私も、美味しい料理の
場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなる
ことを知っているからだ。チョットした店構えの店で、売りにしているものが
美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。
食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。
・・・・・・・
3483, フューチャリスト宣言
2010年10月08日(金)                   
「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
                     ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺
になり、ネットでの評判がパワーとなる。過去に何を成したかではなく、
いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬は
ないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・
ネットの側に賭けよう。未来創造の意志をもって疾走しよう。
フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎
の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を明るい視点で見つめる
「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸
とした社会の変化や人間の存在のあり方の変化を語り合っている。
「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目が
アップル社のリンゴ、そして4つ目が「フューチャリスト宣言」。
肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、
それを可能としたツールが日ごと進化し、身近に新しい可能性が次々と出来る。
「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」と茂木
は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」
という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは
「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」
の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、
この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に捉えなければ、
生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や
一匹狼たちにやさしいと語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力。 
インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで新しい何かを創りあげる
可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは
「学ぶ」という最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 
言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、ここで二人は、
「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性を
その特質としている」と語る。「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に
対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが機能する可能性が
ネットにはあることだ。茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。
レポートや試験というシステムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、
あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。今更いう
までもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。

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