堀井On-Line



5260,永劫回帰  〜ニーチェ「超」入門〜

2015年08月09日(日)

             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 永劫回帰 〜人生の肯定
 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本
では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。
『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141
≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存
しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で
あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。
考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、
同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。
「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、
自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 
人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。
生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、
そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、
まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。
永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との
近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。
世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている
ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには
別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ
自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。
人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。
 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、
あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。
 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。
つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と
しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度
きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を
現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。
二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、
ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、
このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は
きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性
に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の
弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」
に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも
それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。
ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫
▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の
 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、
本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば!
ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。
・・・・・・
4895,ホントに大事なお金の話  ー1
2014年08月09日(土)
     『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
 お金に関する本を多く読んできたが、この本は、なかなか面白い。 
実は昨日の「事業人生のを決心して45年」の語り直しーホテル事業と、
マイホームの購入ーは、この本からの引用である。「住宅ローンに潜む
危険な落し穴」については、「住宅ローン」を「ホテルローン」に置換え
可能と気づいた。それが、そのまま、三年前の結果になってしまった。
世の住宅ローンを組んだ殆どの人が、右上がりのインフレの時代なら帳尻は
あったが、デフレに転換した現在、バランスシートでみる限り、契約した瞬間、
不良在庫になり、年々、価値が下がり続け、定年になって、ふと気づくと、
不良在庫のマイホームと、手元には余命のための資金すら残ってない厳しい
現実を知ることになる。他人事でない。その事業版が、私の現在?σ( ̄、 ̄=)
  ーまずはアマゾンの内容説明からー
≪ 預金、投資、ローン、家、保険、仕事、将来、経済、時間、幸せ、
 お金の儲け方、守り方、殖やし方、 稼ぎ方、使い方、考え方……今まで
誰も教えてくれなかったお金のこと、ハーバードMBAがゼロから教えます。
○【お金の判断、そして人生の決断には、確かな知恵が必要だ】=「残念な
 ことに日本では、まともな金融教育が長らく行われてきませんでした。
お金の話は品がないとして、学校や家庭では金融教育をさける傾向にあります。
それで日本人の多くは、お金についての大事な話を誰からも教わらないまま、
大人になるのです。しかしいったん社会に出ると、お金と正面から向き合わねば
なりません。就職、仕事、結婚、ローン、住宅、保険、投資、貯蓄、老後、
……さまざまな局面で、お金についての判断を迫られます。さながら、
装備のないまま社会という荒波の航海に出るようなもの…(はじめにより)
○【ハタチの自分に読ませたい】= お金の「殖やし方」「守り方」「稼ぎ方」
「使い方」「力」から、・・お金と「経済」「幸せ」「時間」…まで、教えます!
○【お金のことが、ぜんぶ自分で決断できるようになる! 】=「給料が上がらず、
 この先心配……」「投資を始めたいけれど、何がいいですか」
「保険には入ったほうがいいの?」「貯金はいくらあれば足りる?」
「どうしたら、お金に苦労せずにすむのか……」 生きていくうえでの
お金の悩み、不安、すべて自分で答えを出せるようになる!
○【身近な話題にこそお金の本質が隠れている】=「今すぐ100万円もらうのと、
 1年後に105万円もらうのではどちらがいい?」「100万円が半々の確率で、
150万円か50万円になるのと、同じく110万円か90万円になるのではどちらが得?」
「宝くじはハイリスクマイナスリター!?」・・ 答えられそうで、答えられない
 質問から、お金の本質に迫ります ・・答えられそうで、答えられない
 質問から、お金の本質に迫る。
▼<「事業人生を決心して45年」の語りなおし>の、第一歩の20才の、
 いや34才の自分に、是非とも教えてやりたい内容である。当時、お金の本質
に関し多くを知らなかったし、現在も同じようなもの。シンプルに考えれば、
生命保険には入らない方が良いに決まっている。で、私は掛けなかった。
投資信託も同じこと。 次回から何回か、幾つかをピックアップをする。 
今さら遅いが、これに関する無知が悲しい!
・・・・・・
4528, 生きる悪知恵  ー7
2013年08月09日(金)
     「 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
  * しっかり治して、しっかり舐めろ
Q: 知り合って三年、やっとものにした彼女のあそこが、くさいんです
A: こういうのを「すそワキガ」というらしい。傷つけないように知らせて、
  治してから、しっかり舐めろ!
   * さっさと当たって砕けましょう
Q: 職場の22歳も年下の彼女が好きになりました
A: 7〜8割は、「好意は持っていますけど、お父さんみたいな感じで、
  そんな風に考えてませんでした」と思いますけど、最後の恋かも
  しれませんので、「さっさと当たって砕けましょう」(ただしシラフで)
   * 小6の娘が好きな男の子の家に入リびたりで心配です。
A: 小学校6年の娘が好きな男子の家に行くようになり夕方まで3時間は
  二人きりで過ごしています。両親は共働きで留守。娘に注意すると
 「何がいけないのよ」と逆ギレされ、向うの家では「うちは放任主義です」
  と取り合ってくれません。12歳で肉体関係はないと思いますが、
  もしものことがないか心配です。
Q: これはダメです。ヤリマン階段を上ってます。いや、別に男女間で
  どうこうじゃなく、親のいない家に子供がいるのは、遊びで火事になったり
  とか、事故があるんで危険。あと、大人がいない家に上り込むのは泥棒の
  すること、って私は教わりました。セックスとか心配する前に泥棒。
  めちゃ罪重。何かなくなって「アンタんちの娘が盗んだ」と言われても
  対応のしようがないし。人の家に勝手に上がっちゃいけません。
  それは基本的な問題です。とりあえず、大人がいない家に上げさせる
  向こうの親とあなたが悪い。どうしても娘がの男の子と遊びたいなら、
  私だったら男の子を自分の家に呼ぶなあ。向こうが「ウチは放任主義なので」
  って言うんだったら、あなたの家で一緒に晩ご飯を食べればいいし。  
  しかも、娘にそんな好き放題させておいて、「まさか肉体関係は」って
  被害妄想だけ膨くらませてどうするの。「娘に注意すると逆ギレされる」
  って、それで引きさがるあなたが悪い。ウチの田舎の高知県なんて、
  もっと親が強いですよ。東京とかで見てると、子供にすぐ折れるんで
  ぴっくりしたもの。子供に逆ギレされて、そのまま何も言わないという
  こと自体が、まったくわからない。子供がキレたら倍に返しでキレるという
  のが私ら高知のやり方。これはもう、奥さんもキレまくってください。
  張り倒してポコポコにしてでも連れて帰ってきてください。
  こないだ息子が反抗期でウソついて塾サボってて、私がキレ、
 「てめえみたいウソつきは親父みたいな気違いアル中になって道端でクソ
  もらして死んじゃうんだよ。死ねクソ野郎。」って怒鳴ったら、息子と
  娘に「いくら何でも、その言い方はよくない」と叱られましたが、
  激しくキレないと、相手はバカなので伝わりません。
▼ 振りかえってみて、小学校6年生ぐらいが一番、男女とも魅力的な空気が
 漂い、しっかりしたオスメスになっている。それも誰も居ない家で二人きり
など、黙認する方がおかしい。息子二人なので、娘を持った父親の気持ちは
分からないが、直接、相手の父親と話合う。「うちは自由放任は、女子の
親の言い分なら分かるが、男子の親の言い分にはならない」と。
・・・・・・
4153, 人間には限界がある
2012年08月09日(木)
 人間、それぞれの能力があるが、当然ながら限界がある。
その一つに自分で勝手に決め込んでしまう心理的限界がある。
30歳・40歳までは、その限界を壊し続け、アップスケールする成長期。
自己能力の限界の設定と、その達成。そして破壊になり、限界の挑戦の
繰り返しになる。機会を見出し、挑戦、変身していく、これが成長である。
これは仕事だけでなく、趣味の分野でも同じ。40歳代に入ってからは、
秘境・異郷旅行を趣味にし、カナダのロッキーから、アフリカのケニア、
タンザニア、南アフリカ、北アフリカ・中東、そして南米、シルクロードへと、
行き先を広げていった。 未知の世界に初めて行くときは、まず心理的限界を
乗り越えなければ。直前に大きな心の揺れが出て、計画断念まで考える。
しかし一歩、家から出れば、あとは成り行きに任せる。限界は誰にもある、
要は、その先に踏み出すかどうか。 口では軽く言えるが、いざ実行となると、
そう甘くはない。挫折は、その限界に跳ね返された時に生じるが、自分の
再構築する機会になる。 諦念とは、限界を知り、そのまま素直に受け入れる
ことをいうが、実に辛い。世界的カーレーサーの言葉に、「限界は誰もいける、
問題は、それから先に、どれだけいけるかである」という名言がある。 
野球の野村元監督の講演で印象に残った言葉がある。
《 自分は二流の能力しかなかった。その事実を認め、戦い勝つためには
「考えること」しかない。一流選手の中で勝ち残るために、その間にプラス
の要素を加える工夫しかない。それが考えること、データー野球・・・云々》 
凡人は、一に準備、二に準備、それを常に楽しみ工夫してやるしかない。
あまりに考えない人が多い。そう思ってきたが、一番考えないのは、この私。
これは全ての人に当てはまるが。実際に、10年間は考える時間が欲しいが・・
ところで、モバイル携帯端末が普及してネットで世界が繋がってしまった現在、
能力の限界も今までとは違ってきている。脳がネットで世界中に繋がった
のである。面白く、かつ恐ろしいことで、ここに時代の大きな断層が出来てきた。
20年、30年前だったら、数百億もするコンピューターが、ただ同然に世界
中の人々が持てるようになり、現実世界をネット世界が覆いだしたのである。
これが断層となって既存のシステムを根底から破壊はじめてきている。 
ところで人間を不幸にしている要素に、その限界を認知できないことがある。
そこに不幸の種が出来てくる。として、限界を遥かに超えたところで、
砂利の大きさと形の差異でしかない。面白可笑しく楽しむしかないか、最後は!
・・・・・・・
3788, 閑話小題
2011年08月09日(火)
  * 水戸黄門が放送終了という
 水戸黄門が、今年の12月で放送を終えるという。放映開始が私が社会
に出た年1969年で、42年になる。1979年には視聴率は43.7%というから、
信じられない人気だった。それも現在10パーセント前後まで落ちていた。
勧善懲悪がハッキリしていて、印籠を出す時間が分単位で分かるという。 
初代が東野英治郎で現在の黄門様は5代目。最後は黄門様のお上の力を披瀝
することで、各藩の下々や家老などの悪事を暴く筋書き、40年以上も経てば
飽きられて当然。当初の頃、年に数度みた記憶があるが、最近は全くみてない。 
由美かおるの入浴シーンも売りだっが、数年前に彼女も還暦を向かえ、なくなった。
 当初のころ、芥川龍之介の逆視線の「桃太郎」の物語と、水戸黄門の勧善懲悪
が重なりを感じてつまらなくなった。桃太郎が勝手に鬼が島に鬼を征伐に行って、
宝物を奪略してきたという筋書き。立場変われば善悪は逆転する捻れた物語。
鬼にとって桃太郎こそ、勝手な侵略者。そういえば姉の一人が大好きで、
脳の構造までが、印籠を出すタイミングを常に計っていたようだったが・・
地方都市の世界は家紋〜 城下町小唄は今も続いている。全ての世界も同じ? 
そこしか知らないものにとっては
  * 無言の圧力
「毎日のように、貴方の随想日記を読んでいると、無言の圧力を感じる」と、
ある人にいわれた。成る程、そうかもしれない。ここでは思いの一部分も書き
きれてないが・・ 毎日続けることで、書いた言葉の背後にある無言のエネルギー
を感じるのか。理路整然と筋道を書き上げることは、それなりにエネルギーを
要する。とはいえ、書き、修正を加え完成させると、それを第三者として、
それを見つめている自分がいる。それも毎日10年分の同月同日の文章もコピー
し読み返していると奇妙な感覚になる。同化しているような。一文章 2時間
×10年=20時間の集中したエネルギーもある。(テーマ探しは別) 
書いた瞬間に全て忘れるためか、書いた本人が一番、エネルギーの痕跡を感じる。
書いてしまった文章は過去のエネルギーであり、時間がたってしまい再度
読んでいる時、現在の自分のエネルギーと混同する。それが読み続けることで
「無言の圧力」のように感じるのか。 それを感じさせるだけ稚拙ということ。    
 ・・・・・・
3423, 5つの「あ」
2010年08月09日(月)
中国奥地で国際援助の植林活動をしている日本人が、「5つの‘あ’」で現地で
頑張っているといっていた。「 あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、
あなどらず 」である。「中国人の反感の視線の中で、こういう地味の国際活動は、
この5つの精神でないと持続できない」という言葉が重い。人生訓でもある。 
そこで、≪5つの「あ」≫と検索で調べてみると、他にもあった。
* 『あせらず』 不安、焦燥があってもゆとりを持つことが必要です。
  『あわてず』 現時点で急な展開を求めるべきでなく、少し時間的猶予を…
  『あきらめず』まだ自分には使っていないものがあるから、それを使えば
   安全・自由です。
  『あるがまま』現実をありのままに見つめ、目の前のことを、感謝・喜び
   として感じると、あるがまま行動できますよ!
  『ありがとう』今日、一日の無事に感謝し喜びをこめて“ありがとう”
   と表現しよう
* あんしん. あんぜん. あたたかさ. あいじょう. あかるさ
* 挨拶、ありがとう、謝る、頭を下げる、新しいこと  などがあった。
 しかし、中国での植林事業では「「あせらず、あわてず、あきらめず、
 あてにせず、あなどらず 」が良い。 自然体の具体的な心の持ち方ということ。
 逆に「焦り、慌て、直ぐに諦め、誰か・何かを当てにして、あなどる」が、
 日々の自分たち?   それにしても、中国でボランティアで長年、植林に
 たずさわっている姿に頭が下がる。


5259,閑話小題 〜インサイドヘット(シネマ感想)

2015年08月08日(土)

     〜インサイドヘット:なぜ、“カナシミ”は必要なの…?〜
   * シネマ 〜インサイドヘット 感想 
 先週みたシネマの感想になるが、面白い切口である。心の中の感情を
擬人化した人形のアニメとしての遣り取りに興味を持ってみたが、難しい
感情問題を、軽妙に?扱っているところが良い。ヒロインのヨロコビと、
カナシミが、「思い出保管庫」の世界に迷い込んでしまうが、その辺りが、
難しい問題を含む。 自分を考えると、膨大な保管庫から、フラッシュで
多くの記憶が漏れ出て己を悩ます日々だからこそ、色いろ考えさせられる。
  〜 ネットの映画ビュアーより〜 
≪ 思春期の戸惑いと成長を脳内アドベンチャーに重ねて描く世界初の
 フルCG長編アニメ「トイ・ストーリー」を1995年にリリースして以来、
おもちゃや車、昆虫や魚などさまざまなものに人格を与え、彼らが感情豊かに
関り合う上質のストーリーを紡いできたピクサー・アニメーション・スタジオ。
同社の20周年作品で、“感情”そのものを複数のキャラクターで表現する
コンセプトを初めて知ったとき、「今度はそう来るか!」という期待と、
「ファミリー層には難解かも?」との懸念が相半ばした。
 物語の外側=人間世界の主人公は11歳の少女ライリー。
ミネソタの田舎町で両親の愛を一身に受けすこやかに育ってきたが、家族で
引っ越したサンフランシスコでの暮らしに馴染めず、気持ちが不安定になる。
この辺から、ライリーの内側=脳内世界のヨロコビ、カナシミ、イカリなど
5つの感情たちがダイナミックに動き出す。彼らがいる司令部から、ある事件に
よってヨロコビとカナシミが放り出され、広大な思い出保管所に迷い込む。
感情の制御がきかなくなったライリーを救うために、ヨロコビたちは司令部に
戻ろうと駆け回るが……。
 ライリーの外側で起きるドラマと内側の感情たちによる冒険が、相互作用
しながら平行して進む――聞いただけでは複雑そうだが、実際に観てみると、
繊細な表現で魅力的に描かれたキャラクターたちと、心理学などを踏まえた
深みある設定、創造性に富んだ展開に94分間引き込まれっぱなし。
CG描画の面でも、うっとりするほどリアルな質感を伴うサンフランシスコ
の街並み、柔らかい光の粒で描かれた感情キャラたちの揺れる髪、さりげなく
視線をいざなう仮想カメラの滑らかなポジション移動など、技術の進歩を
印象づけるビジュアルと卓越した演出センスが随所に光る。 ・・・
鑑賞後は、頭の中が解きほぐされ、心がふわりと軽くなった。(高森郁哉)≫
▼ ヨロコビに影のように付添うカナシミの役割を解りやすく示している。
 カナシミは色いろの記憶を悲しみに書き換えてしまう強力な力を持つ反面、
ヨロコビを引きたてる力を持つ。ここでは、イカリに対して、注目されて
なかったが、実はイカリこそが司令塔を動かす力を持っている。虎に例えると
解りやすい。なだめ、飼いならし、時には、その背に乗って奔りまわることも
できる。 感情の擬人化した人形アニメとは、哲学的切り口でもある。
・・・・・・
4894,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー46
2014年08月08日(金)
  * ホテル事業と、マイホームの購入
 ホテル事業も、個人のマイホームの投資も、長期ローン物件は大きなリスクを
抱え込むことになる。ホテル建設には、まず銀行の同意が絶対条件で、完成後
には会社所有になると同時にオーナーと錯覚をする。それが実は間違いの元。
10億投資のホテルで、2億円を自己資本としても、8億円は銀行で、実質的
オーナーで、あくまで間借り人。住宅ローンで例えると、3千万のうち自己資本
が600万、2400万をローンで組んだとして、実質、その分は銀行が所有で、
実質オーナーは、あくまで間借りということになる。そこが間違いの元。
「お金は、自身が固定されることを極めて嫌うため、買ったと同時に暴落する
性格を持っている。買ったと同時に3分2とみればよい。 そこで自己資本分
600万は、ゼロになる。夢のマイホームとは、サラリーマンが長年かけた預金
を一瞬にして蒸発させてしまう現実を、99%の凡人は、その現実に気づかない。 
売り手の住宅メーカーも、利益団体であり経費がかかる。
そこに3〜5割の掛け値を上乗せをするのは当然。商談が済み、契約をした途端、
長年かけた自己資本の預金が消失してしまう。そのことを99%は理解できない。 
 資産=負債+純資産というバランスシートが会社も、個人にもある。
契約をした瞬間に、この純資産が消滅してしまうだけでなく、マイナスになって
いる現実に気づかない。そのため、自宅は不良在庫になる。バランスシートで
考える限り、貧乏サラリーマンは、自宅を購入してはならないことになる。
だから、親が無借金の持家かどうかが大きく人生を左右する。
 住宅ローンの3千万円を、ホテル事業でも同じことが言える。私の場合、
二桁上の30億。自己資本が、当初、2億、その後の利益で5〜6億円まで
増加したとして、ホテル建設費で、ゼネコンの談合システムで2〜3割は
撥ねられしまう。実質営利犯罪システムが、存在していた。更に、金利の上下
変動と、税制のカラクリで多くの税金を払うことになる。最後は、時流の変化
のリスクが待っている。そこに資産デフレとなれば、まさに倒産になる。
三年前、私の身に起こったことは、まさに、これ。金利変動、収入減少、
それと欠陥や火災問題などがある。現に、私は、会社と個人補償で丸裸。
当時の役員二人は、この住宅ローンに直面している。私を含めた三人は、
30年も長期投資物件にたずさわった経験者。それからして、この有様。 
西武鉄道グループは解体、東武鉄道グループにしろ、日本の大手ホテル
チェーンは、都心以外は経営状態は良くない。 弱小資本は、長期ホテル
投資などしてはならない!が、結論である。 やるなら早々の事業転売が
前提で、資産デフレの転換期の1990年代まで。 面白かったのは、
準備期間と、立ち上げ。 しかし面白かったは、感情面の話でしかない!
この結果で、思いの外、喪失感が少ないのは、自分も、借り物でしかない
ことを少しでも知っているため? 凡人は、何であれ、搾取される対象で
しかないとは、これも自然の摂理ということ? グローバル化とは、
そういうこと。一強多弱は、どの世界でも、露骨にたち表れてくる。
・・・・・・
4527, 生きる悪知恵  ー6
2013年08月08日(木)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い
 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、
 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい
 わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら
 なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる
 なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが
 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって
 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、
 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? 
 アドバイスいただればと思います。 
A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を
 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中
 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、
 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに
 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、
 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 
 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、
 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校
 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。
 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること
 でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、
 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する
 ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが
 いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は
 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 
 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」
 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。
 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で
 やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が
京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。
当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の
名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で
若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、
専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に
馴染むからである。
・・・・・・
4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
   【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より
 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば
(何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動
されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の
ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。
この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉
 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した
 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、
 再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」
 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。
 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて
 みるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 
〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」
 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性
 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した
 キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」
「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか?
 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという
 ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を
駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=
モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、
自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。
これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、
社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。
現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、
C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は
モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた
端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。
 ・・・・・・・
3787, 閑話小題
2011年08月08日(月)
  * アメリカ国債の格下げ
 ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うく
デフォルト(債務不履行)になりかけた。このため70年維持してきた格付けが
トリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付け
と同じである。3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、
それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。それが限界にきた
結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続く
ことを意味する。その結果として世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の
事態になる。まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。
それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。
欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、その歪が何時爆発してもおかしくない
異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
  * 原発事故、これから始る影響
 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。
まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の新米が
全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 
特に子供がいる世帯は他人事ではない。汚染が、どの程度で収まるのか今のところ
誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態
では失せてしまう。放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに
入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の現地民
の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。あそこまで酷くはないとしても、
日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、畜産物から体内汚染とくれば、
壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、
それが現れ出てきているのか。
  * 私は特別の人間! だもの
 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」
と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが特別の存在であり、今さら
いうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、
特別の存在という思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に
「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。その言葉の中に、
特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は
大事なのかもしれない。ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 
今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも
仕方がないのか? たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
 ・・・・・・・・
3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
 * 第一章、哲学と人間
≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えて
いた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。そこで差異をみると同時に、同じ
ところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、
学歴差、などあるが、まずは、同一性が問題になる。 
  まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に
拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。さまざまな状況と関わり
をもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、
最後には乗り越えることのできない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、
死によってもたらされる」 ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち思考する
生物であり、行為によって国家(都市国家)を法律のもとに共同体としてつくった
生物であり、道具を製作し仕事をし、経済によって生計を営む生物なのであるが
決定的なことはそういう事柄にはない。人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代
から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。人間は、袋小路、退化、転倒を
繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・ ヤスパースは、このような
意味で「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、
人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを知ったときに、
人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい
好奇心等々いろいろありますが、それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況
でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパース
は考えた。人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められて
います。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、
人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも
認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」という
ヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、
人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも
認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、
究極の真理。そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間として
の品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまうから、ことが
拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、
というのも道理。老いは勇気の喪失からくる。


5258,超人思想 〜ニーチェ「超」入門〜

2015年08月07日(金)

               〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 超人思想
 神のかわりに超人を置いた。ニーチェは「人がもつべき最高の価値観とは、
自己の人生を肯定する価値観であった。全てが無にきす中で、自己実現を
成しとげたところで、何の意味があるかに対し、二つの解答ををしている。
一つは、充実した人生そのものにあり、そうした人生自体に生きる価値があると。
そして、もう一つは、すべては永遠の無に帰するのではなく、永劫回帰する、
というもの。時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前、起こった
ことすべてが、やがて再び巡ってきて、その後、同じことが繰り返されるとした。
 二ーチェの思想を簡単に要約すると、超人思想になる。 〜その辺りから〜
≪ 彼は多くの著書で超人について書き、超人の誕生について執拗に呼びかける。
たとえば、『生成の無垢』からその一部を拾ってみよう。
・「私の要求は『人間』という類全体に超然として存立する存在者を産出すること」
・「私の運動は超人を産出する」
・「私は孤独のなかへおもむいて、超人を創造した。そして超人を創造し終えると、
 私は超人に生成の大いなるヴェールを張りめぐらし、超人のまわりに
 正午の光を輝かせた」
・「人間は、動物と超人の間にかけ渡された一本の綱である。一つの深遠の上に
 かかる一本の綱である」
・「見よ、わたしは電光の一告知者であり、雲から落下する一滴の重いしずく。
 ところで、この電光は超人とよばれるのだ」
このような詩的な比喩を使ったもったいぶった文体のせいもあって当時の周囲の
人々、そして後世の多くの人が、超人は偉大だがどこか底知れぬ恐ろしさのある
人間、人間ではない英雄でありながら悪魔のような人間、あるいは万能の人間
というふうに誤解した。
 ニーチェの超人は従来の概念ではとらえきれないタイプなのだ。
しかし、多くの人はそのことが理解できずに、今まで見聞きしたことのある
手持ちのイメージをなんとかあてはめようとする。そこに誤解が生まれる。
彼は『生成の無垢』で超人についてこうも記している。
・「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!」
・「ギリシア人たちのように、人間をおのれ以上のものにまで高める」と・・
 単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」
・「人間は、超克されなければならないところの、何ものかである」(-2-8)
では・超克されなければならない人間とはいったいどういう人間のことか。
それは世間に馴れきっている人間のことだ。因習や世悶の道徳をそのまま受け
取り、世の習いに受動的であり、普通人と同じような行動をするのがまさしく
見聞に馴れきっている人間だというのだ。それは社会に適応しているということ
だし、一般的にはまとも庶民と見られる。・・・ ≫
▼ ニーチェは、この世こそすべてと考えた。ショーペンハウアーの、
 「この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではない」を退けた。
「人生を精いっぱい生き、可能な限りのもの、知識を得るべきだ」と考えた。
彼の最大の課題は、神が存在せず、意味のない世界で、人はどのように情熱を
持ち続けながら生きていけるのか、ということだった。そして、神にかわって、
超人をおいた。 欧米の価値観の底流を、そこに見ることができる。
・・・・・・
4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45
2014年08月07日(木)
   * 面白かったという手応えが残った有難さ! 
 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の
再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助
の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 
経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。
先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で
《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 
逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。
 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを
ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に
なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書
を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。
それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識
へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟
のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。
最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? 
ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、
大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 
まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。
<倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき
決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から
得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが
短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い>
という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。
『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる>
<取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、
多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら
ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が
ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の
歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを
充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って
いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業の
プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、
振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。
・・・・・・
4526, 生きる悪知恵  ー5
2013年08月07日(水)             
  * 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが  
            「生きる悪知恵 」西原 理恵子 (著)
Q :  中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが
A :  ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生えるまで」。
 毛が生えたら自然と恥ずかしがり入らなくなります。吉田戦車のマンガに
あったけど、お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に
入ってくれなくなるまで「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり
味わわせてあげてくださいよ。娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。 
私も女子高だったんで、パパ大好き派の子いっばいいて、もう夜、パパの布団
に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。 そこまでいかなくても、
腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」
という家庭に比ぺたら天図みたい。ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子
がいるのに比べたら、どれだけいいか(笑)。ある意味、ぜいたくな悩みですよ、
好きなだけパパっ子にさせてあげてください。心配しなくても大丈夫。
毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。
中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 
・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。
▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、
「父と息子がツイッターをするとは 前代未聞」とのツブヤキが入って、
 やめたことがある。「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・ 
   * 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
Q :数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代
 の女性と同棲。妙にやつれてきました
A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな
 死に方じゃないですか。いがみ合ったり、寝たきりになったり、見たくない
ようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。そんな嫌な死に方するのに
比べたら、もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の恋なんだ
から、好きにさせてあげましょうよ。 何の問題もありません。
放っときゃいいんです、ハイ。  結論、腹上死したらラッキーと思え!
▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの
 精力が残っているなら、最上の幸せ!」
・・・・・・
4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。
そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を
思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか
の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
  ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が
はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。
どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは
食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも
残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 
王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが
あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に
流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は
もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの
犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地
に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短
の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層=
9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と
みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを
読んだが、これが面白い。
 ・・・・・・・
3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
  * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、
 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。
ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、
そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、
そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと
いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、
シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱の
ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングがフロイトと
対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 
 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、
 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他
 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる
 うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった
 ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。
 共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。
 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう
 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる
 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先
 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の
 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて
 いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり
 である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に
 なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を
 はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。
 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。
 ネット世界の出現こそカルト?
・・・・・・・
3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、
特集をしていた。といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、
許可を得ているのだろうが・・・ メモを持ってなかったので、頭のメモに
書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、
  金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。
* 幸福度は、学歴に正比例する。    
     【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。
     【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】
* 都会は、そうじて幸福である。    
     【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。 
    【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。
                   【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。
 【そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。 【最近、実感している】  
  以上だが、間違いがない。
▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブル
  する人は不幸になる。
   * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 
   * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
  この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 
  幸福論が好きだからだ。ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは
  人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、熱意を
  もって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。男性も女性も
  ほんものの愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなり
  プラスに転じる。」といっている。  
 ・・・・・・・・
3046,卒業40年周年か〜 −5
2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」
の中の検索で『奥野君』を入れたら、その当時の文章が出てきた。 これは一度
書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。この3000の随想日記は
私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚
している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
 ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き
残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として
40年の時空を超えて、当時の光景が昨日のように蘇ってくる。現在、日記を
「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くもの
はない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を
書き続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールに
なっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になって
 から疎遠になっていた。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観に
 ついて、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 
 見違えるように自信を持ったように見えた。男っぽくなったという言葉が
 ピッタシ。4時間ばかりして帰えった。もう彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えた
 かったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。
 聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ている。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。
 理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、
 一〜二ランク上の男を狙う。だから当時は妥協できなかったのである。
それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックスもあった。 
四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した
日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して
変わらない感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が1年前も50年
前も大して問題ではなくなったというイメージである。死期を悟った時に、
これがもっと強くなるのだろう。この時期の日記を読み返すと、当時は人生の
使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 
学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。


5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー④

2015年08月06日(木)

      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50㎝、穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。
・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 で、偶然だが、去年の同月同日の以下の文に続く!
・・・・・・
4525, 生きる悪知恵  ー4
2013年08月06日(火)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 歯車の一つとしてのサラリーマンが、自分で商売をしてみたい気持ちも分から
ないでない。私が、ここで度々取り上げる飼い犬、野良犬、狼、の例えがある。
飼い犬がサラリーマン、野良犬は商売人、狼は一つの判断ミスで餓え死ぬ作家・
芸術家・政治家・創業実業家あたり。その最もひ弱な飼い犬が、「定年間近に
僅かな退職金元手で何か商売」というストーリーに無理がある。それも小さい
ながらも創業など、土台無理。野良犬にも野生剥き出しで、餌をあさる逞しさが
必要だが、とっくの昔に去勢されている自分が見えない。そして出来もしない
夢に憧れている。 それが、「あっぶね〜」のである。
《  * 夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した
Q:夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した。早期退職の退職金元手に
 田舎でそば屋をやりたいと言うんです。そば打ちは趣味でやっていて、確かに
 おいしいことはおいしいのですが、商売の経験もなく成切すとは思えません。 
A:あっぷねー。 商売は雪山と一緒なんで、うりかり一緒に登ったら夫婦で
 遭難しまうで〜 だいたい「田舎でそば屋」って、水商売上がりの女が
「お花屋さんやりたい」って言うようなもんで、あまりにも夢見すぎ。
 田舎ってどのへんを考えてるのかわからないが、田舎ってそんなに客来ないよ。
 人いないから。こういうパターン、今すごく多いみたいだけどね。ダンナは
 会社の人間関係に疲れて「田舎で暮らしたい」、奥さんは「デパートのある
 とこじゃないと嫌」っていうんで定年退職後にケンカになちゃうっていう。
 これ、半々にすればいいと思うんだ。都会に小さなアパート借りて、奥さんは
 そこで暮らして、たまにダンナさんのいる田舎に会いに行くとか。だって
 今までダンナが生活支えていたわけでしょ。だったら、奥さんも今から
 働けばいいじゃない。老舗のそば屋で働いてノウハウを盗めば一石こ鳥(笑)。 
 とにかく上手くいっている人と、いってない人の話を聞けばより。そうすれば、
 旦那さんも勘違いに気づくかもしれないし。でも、このダンナさんも今まで
 頑張ってきたんだから、一度失敗させてあげてもいいんじゃない? やらずに
 後悔するより、やって後悔したほうが絶対いいし、あんまりお金をかけずに
 小さく失敗してみるといい。退職金を突っ込んで田舎に家を買うんじゃなくて、
 古い民家をちっと改造したようなお店とかあるじゃない。田舎じゃなくて
 埼玉ぐらいにしておくとか。それだったら、失敗しても取り返しがつくって、
 失敗すると決めつけちゃってますけど、だいたい失敗しますから。》
▼ こういう質問自体が愚問そのもの。サラリーマンに成りきった人が、
 創業、それも田舎でそば屋など、何年も蕎麦屋を続けきた主人に失礼である。
彼らでさえ、大方が冷凍やインスタント麺の普及で危機の瀬戸際。趣味と職業は
全くの別問題。20年前に、近くのバイパス沿いに趣味がこうじて蕎麦屋を出した
人がいた。そこの主人が、蕎麦の奥行の深さを滔々と講じたが、好きでない私は、
ポケッとして聞くしかない。そして1〜2年後に、その店は閉店していた。
凝った店構えだったが! 本当のソバ通など少数派で、金にはならない。
早く言えば、月末の材料と電気光熱費を支払うために働いているようなもの。
それが殆ど。厨房と、店内の一つ壁とカウンターの内外では異次元の世界。 
これは創業者と、二代、三代目にも言える。本能剥き出しを必要とする創業者を
狼とすれば、中途半端な二代目、三代目は野良犬、いや宅上犬。宅上犬ほど、
野良犬や、狼を笑い見下す。家を出て、ゴミ漁りや、荒地で野生生物の捕獲の
経験がないためである。
・・・・・・
4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか?
2012年08月06日(月)
 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月後に
リーマンショックが生じた。当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、
何とか目途が立ったところで、米国の住宅ローンの債権証券が危険水域にある
と新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショックが
現実に起きてしまった。それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。
あの時と現在の状況を比較すると、現在の方が格段悪い。今後5年後を考えると、
早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震
が世界中に駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければ
ならない。私自身も年齢からみて、これまでの不摂生を考えると、今さらなので
腹を据えているが。 実際のところ5年後、どうだろう?この5年の激変より
遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に「現在の状況を予測
できたか」という問いに対して、やはり想定外であるという答えが帰ってくる
だろう。目に前に迫っている経済大津波は分かっているが、実際に起きて
みないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備え
を作っておくことは可能である。家族経営をしているところは、
�身内を外に出すか、それとも自分が出るか。�身内の債務保証を無くすこと。
�売上が半減した時の想定をしておくこと。�運転資金がマイナスに転じた時の
対処の想定。(見切り千両のタイミングの想定)�予備資金の準備、などが
考えられる。私の場合、7年がかりで予備資金を準備、万一、これを一時的
にも流用した時が見切り時とし、そして実際に実行した。ところで5年前に、
現在の状況は想定外だったのだろうか? その頃、危機管理セミナーに立て
続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に至ってない部分があるが
潮流は大方、予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は
2〜3倍。恐らくハイパーインフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が
予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が起こる可能性があるが、
いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、
日本と、いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、
前者だろう。まず経営者は5年後の仮説をたてないと!
・・・・・・
3785, 世界でひとつだけの幸せ ー�
2011年08月06日(土)
 *「世界でひとつだけの幸せ」マーティン・セリグマン著
   ー この本の概要からー
【「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!!」 と、
  楽観主義を身につける方法が具体的に紹介されている。
   ● 心から幸せを感じるにはどうすべきか
 ・ パート1では、過去、現在、未来において、どのようにすればよいか
  (*過去は感謝、容認、忘却、 *未来は希望と楽観、 *現在は快楽と
    充足感、との違いを理解し、充足感を満たす生き方をする)。
 ・ パート2では、6つの美徳を紹介、それを基に24種類の強みを示し、
   どのような強みを持っているかを知り生かすことを提言。
 ・ パート3では、人生の大きな3つの局面である仕事、愛情、子育ての
   状況において同じ強みを発揮するかという実践的な内容。
* 楽観主義の「永続性」については、「悪いことは一時的、良いことは
  永続的と考える」ことや、 「普遍性」については、「悪いことは一部の
  面に限られていて、よいことは普遍的だと考える」
* 今回の震災に直面しては、「これは一時的なことだから、
  もうすぐ解決する」とある。
*「学習性無力感」についてや、「まったく同じショックを受けても、それを
 制御できる、つまり自分が行動すればショックをくい止められるような場合は、
 動物も人間も活動的になり、情動が落ち着き、健康になるという結果が得た」
*「行動することに効果があり、結果を制御できると知ることが重要である」
 という「随伴性」についてがわかりやすい。
*「ただ苦悩を和らげるだけでは、苦しみ、自暴自棄になっている人を、
 本当の意味で救うことはできない。 人はどん底にあっても、美徳や誠実さ、
 さらには生きる目的や価値を必死になって求めている。
 本当に必要なのは、『苦しみを理解して和らげることではなく、
 幸せを理解し築き上げることである』」
* 人間の心はいつでも変えられる。今までの説をくつがえし、人々の願い
 をかなえるもの、それが著者の提唱する「ポジティブ心理学」」
 1.お金持ちは幸せか?  = 著者は、「アメリカ、日本、フランスなど
  先進国はこの50年で購買力が倍以上になったが全般的な生活に対する満足感
  は少しも変化していない」と。必要な生活できる収入と購買力が得られた後
  は富が増えても幸福は増えない。幸福感を決めるのは、お金をどのくらい
  大切なものと考えるか、という価値観であると。
 2.強みを生かせば幸せになれる  = 「弱みを克服することに人生を
  費やすのは間違い。むしろ、人生最大の成功と真の満足感は強みを
  伸ばした時に現れる」と。
 3.過去が未来の幸福を決めるのか? =「そんなもので決まるわけ無い!」
  と! これまでの心理学(ex.フロイト派)のマジョリティーは「過去が
  決める」だった。実際の調査結果の一例として、11歳になる前に母親と死別
  した子どもは、鬱病になる確率が若干高いが、女児に限るとそのリスクは
  ごく稀。むしろ「幼児期の経験が現在の不幸の原因だと思いこんだり、その
  ために未来に対して臆病になったりすれば人生をむだにすることになる。」
  という。】
▼「ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれ
 に備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになる」は、
この本の要諦。「得手に帆を上げ」前に進む生き方を勧めている。
  ・・・・・・・
3420, その後の、我が家のインコ
2010年08月06日(金)
 去年の秋口にコガネインコが我が家に来てから10ヶ月、ペットショップ
の店内で従業員や客に可愛がられ人に懐いていたインコ。あまりに人懐こいので
数回、店で頭を撫ぜていた。ところが三ヶ月も経っても、いつもの籠で人から
頭を撫ぜてもらっている。何か愛おしくなったが、値段が6万8千円もするし、
家内が生きものが大嫌い。もしか買った大騒動が起こる。しかし衝動的に、
そのインコが買いたくなって、「このインコ、1万円を引いてくれたら買うけど、
どうですか」と女店員に言うと、大人しそうな女店員が、「このインコ、従業員
みんなで大事に育てた素直なインコ。値引きなど、とんでもない」と怒りだした。
「じゃあ、責任者にお客が三ヶ月も売れないインコは、それだけで商品価値が
下がっている。6万円なら、買うといっていると、聞いてきて」というと、
しばらくして、戻ってきて「店長がオッケーをだしました」という。という訳で
商談成立。それはよいが、家内の怒りを考えると、冷や汗が出てきた。そして
家に帰ってから、一ヶ月間は毎日のように罵声を浴びせられた。それに耐え
切れずに新潟のホテルの長期滞在の棟に、ペットして持って行くことにした。 
しかし、持っていこうと、車に乗せる直前を図って、「暫くの間、置いておいて
よい」との、許可を得た。本人もしたたかだ。居間のベランダに鳥篭を置いて
いたため、部屋そのものにも寄り付かなかった。それが今では毎日数回は籠の前
にある椅子に座ってインコの相手になっている。とにかく人恋しく、相手にして
欲しいと鳴き叫ぶのである。あらゆる鳴き声で、自分の気持ちを伝えようという
のが分かるから、生きもの大嫌いな家内も、情にほだされたのである。 
女店員がいうに「気が優しく、籠の蓋を開けておいても外に出ようとしない。
しかし人好きで、頭を撫ぜてもらうのが大好きでペットしては最高です」と、
いったとおりである。人間も鳥も当たり外れがある?。
小桜インコを5代続けて飼ってきたが、子供2人が高校を卒業してからは、
飼ってなかった。小桜インコと比べると、鳥というより、犬という感である。
とにかく人好きで、あらゆる鳴き声で気持ちを伝えてくる。個々の足音や車音
で誰かの判別が可能。また犬が尻尾を振ったり股に入れたりで、喜びや恐怖を
表現するが、このインコ、羽ばたきで表現する。鳥の形をした愛犬という風。
要は自分を相手にして欲しいと全身をつかう。今でも居間の私の定位置の
ガラス戸一枚先のベランダで時々、鳴声で呼びかけてくる。家から遠ざかる
ときは「行かないで」という鳴声、帰ってきたときは嬉しそうな鳴声。
これは、むしろ犬。小桜の10倍の値段のわけだ。


5256,蓄群本能  〜ニーチェ「超」入門〜

2015年08月05日(水)

             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 蓄群本能 
 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、
互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。
違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。〜その辺りから〜
≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと
 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための
知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体
のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」
(『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より
も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、
「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を
益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。
 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ
の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、
社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する
という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に
ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」
になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは
なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。
そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場
にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で
いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。
 だから、ニーチェはこうもいう。
・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に
 従順であることを意味しているのだ」・・
・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、
 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。
 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、
 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの
 人間の声である」(「人間的」)
 つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。
だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを
覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。
けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、
発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。
新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、
狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫
▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー?
 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分
から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と
いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの
デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか?
・・・・・・
4891,定年後の4年目のリアル −1
2014年08月05日(火)
             「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、
ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで
内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』
の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・  
 ーまずは、内容紹介よりー
《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている?
不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。
特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」
「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を
引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い
わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り
回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や
健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて
不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり
関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ
を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり
の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ
だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、
そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで
一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な
生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》
▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを
していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。
森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている
内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。
私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして
いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして
4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。
この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく
のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ
でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。
哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、
思いのままに一日を過ごす楽しみもある。
夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!
・・・・・
4524, 生きる悪知恵  ー3
2013年08月05日(月)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
60の人生相談が収録されていて、仕事編、家庭編、男と女編、性格編、トラブル編
とカテゴリー分けされている。その中から、印象の強い面白い順といえば、
「男と女編ーヤリたいときがヤレるとき」。    
  * 妻子ある男と交際を続けるべきかに →3チンポもて!
《 Q: 8年付合っている妻子持ちとの交際をやめるべきか? に対して
 A:オーケストラの人としゃべっていたら、「いやあ、ウチは不倫率が高くて」
と言っていたけど、音を合わせてるんだから、しょうがねえよなっていう。
だってやったほうが早いもんね。フィギアスケートのペアとか社交ダンスとか、
「アンタらヤってないほうが不自然じゃっん」みたいな。しかも、そういう
クリエーターは、従来の決まりやモラルを破るのが仕事だから、「この人いいな」
と思ったら、さっさとヤっちゃう。そりぁ、たまに会ってデートずるだけの拘束
しない相手って楽に決まってるよ。女の人が自立してたりすると、よけいにね。
そのまんまの関係でダラダラしてるのが好きなんじゃない? 別にやめる必要も
ないと思うし。今の相手より好きな人が見つからないというか、見つける努力を
してないだけ? あなたの場合、次を見つける努力はしたほうがいいですね。
スぺアていうかバックアップはとっておいたほうがいいですから。私の周りの
モノノフの女たちは「3チンポを持て」と言います。「いいですか、1チンポ
ではいけません。それがなくなったらどうするんでか。必ず2本はバックアップを
持っておくように」って泳かせておいてもいい、年に1回くわえるだけでもいい。
必ずバックアップを持っておいてください。そうじゃないと、相手が「やっぱり
奥さんにバレちゃったし、となった時に、路頭に迷うじゃないですか。
30過ぎて路頭に迷うとキツイですよ。 》
▼「3マンコ」など、中村うさぎか、西原でなければ書けない。水商売なら
ともかく、普通の女性が、そのまま実行でもしたら? この章の「男と女編」
の副題ーヤリたいときがヤレるときーが良い。
「後悔、先に立たず」でなく「後悔、後に立たず」? 何事も硬い壁を壊し、
もう一歩踏み込むこと。人生を通して必至に壊してきたが、この程度。壊した分
だけ変形しただけ? あらためて周囲を見渡してみて、壊さなかったら、
これほどツマラナイ人生もない!と、実感。ところで、男の相談者だったら
「3マンコを持て」と回答はしない。そんなのはザラにいて面白みがない。
「やりマンになれ」より「3チンポを持て」は、漫画家でしか表現できない言葉。 
漫画家は一つの絵の中に、捻った笑いを含めるため、自然と言葉もこうなる。
・・・・・
4149, 強迫性障害
2012年08月05日(日)
 オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、
彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない
と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の
冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に
長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった
大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、
「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を
避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は
孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー
≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。
自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。
よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか
どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為
は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと
気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が
必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、
それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ
が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え
られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。
そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。
定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い
との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、
合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを
隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の
ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害
も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる
ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。
多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な
生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、
その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。
私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として
あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを
束ねるのが自己になる。
 ・・・・・・
3784, ツール・ド・フランス
2011年08月05日(金)
 昨夜もツール・ド・フランスの総集編の録画が再放送されていた。
これで三度目。ーまずは、ウィキペディアより、その概要よりー
【 毎年7月に23日間の日程で行われるステージレースで距離にして3300km前後、
 高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。フランス国内での
レースが中心だがイギリス、イタリア、スペイン、ベルギー、モナコなど
周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は1993年以降「プロローグ」
を含め全21ステージが定着しているが、それ以前はもっと多いステージ数で
争われることもあった。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ
と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多い
ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと
山岳ステージのバランスとれた構成となっている。一社ないし数社のスポンサー
の名を冠した9人編成(最低6人)のチームが、20〜22チーム参加する。
出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカやオーストラリア、
カザフスタン、コロンビアなど多様である。総合成績1位の選手には黄色の
ジャージ「マイヨ・ジョーヌ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞
といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。賞金総額は2009年の場合で
約320万ユーロ、うち総合優勝者に45万ユーロとなっているほか、各ステージ
優勝やスプリント賞・山岳賞などに細かく賞金が設定されている。
●特徴として、例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンの逃げや
スプリンターによる迫力あるゴールスプリントが見られる。そして中盤に一度
山岳を通過し優勝候補が絞り込まれ、その後はまた平坦ステージが続き、今度は
ポイント賞争いが絞り込まれる。後半にかけてはラルプ・デュエズ、ガリビエ、
モン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝や山岳賞を
かけたオールラウンダーやクライマーたちの戦いが繰り広げられる。
2度の山岳コースはそれぞれ3日ほど繰り広げられ、それぞれピレネー山脈と
アルプス山脈を使う事が多いため、ピレネーラウンド、アルプスラウンドと
呼ばれる。間の平坦基調ステージは主にこの2つの山脈の間を移動するために
設定されているが、この緩急つけたレイアウトと平坦ステージの多さ、ポイント
賞のシステム(後述)などもあり、スプリンターが一番ポイント賞を獲得
しやすいグランツールとなっている。レースが非常に大規模、かつ露出度が
高いため専門の本部が置かれおよそ500名のスタッフが運営に関わる。
また交通規制やレース中の警備、極端な不正行為の取締りはジャンダルマリ
(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の
警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらに
ボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。】
★ この数年、7月になると、この自転車レースを見るのが楽しみになっている。
 色いろな賞があるが、個人総合が最も価値ある賞。これを目指して3300kの
熾烈な争いになる。距離が距離だけに、多くのアクシデントが生じる。
もちろん、万一の故障に備えて、自転車を数台のせた車が伴走している。
その沿道は熱狂的ファンが詰めかけ応援をする。もちろん、TVの実況がある。
フランス的なのは、最後の区間は、パリ近くに場所を変え、凱旋レースになる。
ここでは区間賞だけで、総合賞は別になる。そのため、選手もギャラリーも
お祭り気分になる。ただし、完走しなければ、総合優勝を失うため、
同じチームの選手がヒーローをアシストする。
  ・・・・・・・
3419, 新たなる金融危機に向かう世界
2010年08月05日(木)
「新たなる金融危機に向かう世界 」副島隆彦 (著)
  ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ暴落の裏側にアメリカの仕掛けがあった。
アメリカは米国債に世界の資金を環流させなければもうもたないからだ。そして
5月6日にダウが一時998ドル急落する過程で、ゴールドマン・サックスの
ロボット・トレーディング・システムが壊された。このあと、金が崩される。
そして、ゴールドの大きな下落のあとにドル(米国債)が暴落させられるだろう。 
―サブプライム崩れを始め、これまでことごとく経済予測を当ててきた著者が、
2010年末の恐慌突入に向けてさらに下落を繰り返す世界の金融経済を読む。 
〜〜 面白そうなので、ネットで買ったが、☆4つ、というところか。
*現在、世界のゴールドは、16万トンといわれているが、それは表の話で、
 バチカン、イギリス、スイスに、それぞれ10万トン、合計30万トンある。
 したがって、16+30=46万トンあり、1600兆円あるとか。
 だから、いつでも金本位制度へ戻ることは可能である。ただし、先ほどの国に
 覇権が戻るということか?
*ゴールドの大きな値下がりと、大きく新聞広告に書かれていたが、
 グラム3000円で、最大2500円でしかない。現在ユーロが狙われて
 いるが、それが終わると、次はゴールドが、狙われる可能性があるという。
 そして、その次にはドル(米国債)が下げられる。 ゴールドが値上がりを
 すると騒いでいた副島が、舌の根の乾かないうちに?
*秋以降には、アメリカの株価が6500ドルに向かって動き出す。
*アメリカは、不良債権4000兆円の実損処理をしなければならない。
 これは血をみるおもいで、やらなければならない。
〜〜 以上が印象に残ったところだが、今年、来年、再来年と、大きな危機が
 次々と襲ってくる。それは株価や、国債の暴落とか、実物経済でも不動産とか
の暴落として現われてくる。恐ろしい限りである。100年か、500年に
一度の変動期に入ったが、まずは徹底的破壊から始る。それが日ごと現象に
現れてきているが、再来年には、非常に厳しい局面を世界も、日本もむかえる
事になる。10年、20年スパンに渡ることになるから、想像を絶した場面が
次々と現れる。  背後にあるのは、情報化社会のウェーブ。
 ・・・・・・・・
3044、罪深き新自由主義
2009年08月05日(水)
 「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)
 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り
上げ批判、小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディア
の劣化を鋭く問うている。「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに
二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。小泉・竹中虚構改革
で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用
しただけという。 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、
日本は重症になって当然。去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、
これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。 数年前に、アメリカ
の投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に
進めた。あれは我われが意図的に仕掛けた政治的な戦略。その結果としての
バブル崩壊と、その後の失われた10年で、日本を徹底的に買い叩いた。》
と・・。  (以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)


5255,ルサンチンマン  〜ニーチェ「超」入門〜

2015年08月04日(火)

            〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * ルサンチマン
 ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
  ールサンチマンー
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の
民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、
戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫
▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず
槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的
に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて
当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。
・・・・・・
4890,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 〜2
2014年08月04日(月)
   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。
奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、
人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば
 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形
も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき
だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも
アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル
代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝の桂米朝師匠の
アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり
で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって
初めて、無形文化財が有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。
将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる
かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を
詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。
しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。
それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、
人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット
「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ
ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を
 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。
あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる
ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット
も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が
多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。
メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、
ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない
端末が現れ出てくる。
・・・・・
4523, 生きる悪知恵  ー2
2013年08月04日(日)
   「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 働いて金稼げ、子つくれ、いい嘘つけ、枠を外せ!
 今東光の身の上相談のように歯に衣をきせない回答がよい。ー
アマゾンのレビューに
【昔読んだ山本直樹のマンガに「悩み事は自分の目の前にある壁に描かれた、
ただの絵の窓。押しても引いてもびくともしない。でも、振り向いてみると
その先には開け放たれた窓がある。振り向きさえすればいいのだ。回答の数々は
その「振り向き方」。ちょっと思いつかない方向から答えが飛んでくるような
感覚すら覚えますが、全ての質問を冷静に分析し、かなり真面目に、しかも
的確に答えています。意外ですが、現実的に実行できる解決策ばかりです。】
というのがあった・・・  もう一つは、【相談から「問題の本質」を発見し、
「問題を設定し直し」て、それが正鵠を射ているのに感心した。
「悩んでいる人」というのは「悩み方」からして間違っていることが多い。
サイバラはその「悩み方」をいっぺん解体し再構築します。その結果、説得力
があり、かつ実行可能な解決策が提示されている。ちょっとした名人芸です。】 
これも分かりやすい。学生時代の人事管理の武澤ゼミのケース・スタディによる
問題解決法と同じ。何事も、自分一人の知識と経験で考えても限界がある。
問題を把握し、考え続ければ、思いもよらない解決法があることを知っておく
べきである。ー目についたものを書き写しただけでも、
これだけある
・就職できない。            →横入りしろ。
・向いてない部署に異動になった。   →仕事のインナーマッスルを鍛えろ。
・妻の飯がマズい。         →焼いてポン酢をかければ何でもうまし。
・義母から「早く子供を」という圧力が。 →そのうち死ぬから放っておけ。
・妻子ある人との関係をやめるべきか。 →バックアップ(3チンポ)の用意を。
・元彼と結婚した友達を祝福できない。  →敵は己の中にあり。
・空気が読めない。         →空気読めなくても許される人間になれ。
・隣に騒音おばさんが。         →外に働きに出れば一石二鳥。
・部下が使えません。      →使い方が悪い。人と思うな、ネジだと思え。 
・苦手な英語が社内で必須になりました。→フィリピンパブへ通って
                     彼女を作って楽しく覚えろ。
・一言多い性格を直したい。       →関西に引っ越せば解決。
・浮気を疑う妻に      →携帯を見たあんたが悪い。勝手に携帯見てる
                    時点で夫婦終わってるだろ。
▼「働いて金稼げ、子供作れ、いい嘘つけ、自分を顧みろ」の範囲だが、
 それでも説得力がある。次回から幾つかを取り上げる。
・・・・・・
4148、男性不遇社会へ
2012年08月04日(土)
 団塊世代が定年をむかえ、会社から家庭中心の生活に入りつつある。
しかし、そこに妻という海千山千の難敵が控えている。そして丁度良い捌け口
の対象として鬼婆化して団塊粗大ゴミに襲いかかってくる。 団塊粗大ゴミの
妻たちも、女社会では、目のつく嫌われ者として君臨しているから、陰湿な闘い
の勇者として力は蓄えている。ところが、その団塊ジュニアの男も、厳しい立場
にある。対象になる女性の7割近くが結婚相手に年収400万以上を求めて
いるが、それを満たすのは僅かに25%しか存在してない。そこに45%の
絶対的開きがある。そのため未婚の男女が増えている。去年の男性の自殺率
は女性の二倍。3万数千のうち、二万以上が男である。 女性は9割以上が、
「今度生まれてくるときも女が良い」という。先日も中学の同期会があったが
元気が良いのは女性だけ、男は片隅で大人しい。家内と私の関係を見ていても、
同じ流れ。色いろあって自宅は家内名義になった途端に・・連日、サンドバック
代り。外国人の目からみて、中年女性連れがデパートやレストランに多く
見かけるのに驚くという。旦那が会社で必死に働いている間に、長年かけて
TVやネットで文化的教養が蓄積され、コンサートホールや、世界的名画の
展覧会などに大挙してオバサンが押し寄せる。
そこに添え物のように連れてきてもらっているのが亭主という図式。
家内を見ていて気づいたが、自分の行先に合わせて相手を選別している。
行動パターンは単独行動が基本。年に一度は、4日間乗り放題の特別割引を使い、
4日連続の日帰りの東京通いである。曰く、「ツアーと思えばよい。単独行動は
気ままでよい。問題は一人でランチがとれるかどうか。これを身に付ければ東京
は面白さが数倍になる」とか。世界中を旅行した蓄積は、そんなことは朝飯前。 
要はオバサン化いや、オバアサン化したということ。とにもかくにも、男と違い、
消耗していない。「国滅びても山河あり」というが、国が衰ると女が表立ってくる。
リーマンと東北大震災で、明らかに世界も日本も激変の嵐になってしまった。
その背景には、情報化社会の本格的到来がある。激変現象の一つが、女の優位
社会の到来がある。子供の頃から、姉が4人もいて鍛えられていた素養が、
ここで活きてくるのか? ったく。
・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍
 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が
交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方
を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の
重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた
かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという
考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、
非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、
「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも
良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に
なってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を
取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で
相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、
治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
  ・・・・・・・
3418, 哲学者の言葉 100
2010年08月04日(水)
    「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美著
 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と
出てくる。10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から
幾つか書き出して考えてみる。
  * 第一章、哲学と人間
≪ 心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出る
 のだから ≫(ハイデッガー)【ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的
に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャのアリストテレス以来、種々
に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」ということ
であり、したがって人間とは「現存在」である、と規定しました。「現存在」存在
の仕方を「世界内存在」とも呼びました。この場合、「現存在」の言葉の中には、
すでに「今」という時間が入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に
「時間の問題」に突き当たり、一心同体なのです。そうだとすると、
「今(現在)」とは何でしょうか。
「私がこれこれのことを意図している今」「12時である今」
「光が消えている今」等で確定される「今」には「私」「私自身」、あるいは
ほかの誰でもがそのまま時間ということになります。「現存在」は時間なのです。
「私」は本来的に時間であり、「私」は時間をもっているのです。
このように考えて、ハイデガーは、私たち一人一人の時間としての営みの大切さ
に思いに至った。南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガーの自宅の
扉には、文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていた。その文字はハイデガー
が大切な誓いの言葉とした。「旧約聖書」の箴言でした。「君の心をあらゆる
努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから」 
ハイデッガーは、この言葉を「現存在」である自らに対しても、訪れてくる
客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】
    (字数の関係でカット12年08月04日)
 ・・・・・・・・
3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
  * 今年の長岡花火
 今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が
降りそうな雲模様。それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 
夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。ところが信濃川の土手に着く
少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)
と共に雨が降ってきて、せっかくの花火も興ざめになってしまった。それでも
『天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。二日目の昨日は、前日と
うって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
  * 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%
と発表されたが、助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると
単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。欧州が9・4%、
アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、
5・5%だから、僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということ。 
日米欧の失業者が3300万人となり、昨年の3月から15月で1200万人も
増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5〜10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。事業が景気に敏感な商売なので、
その深刻さが直に伝わってくる。 
  * 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、
真ん中に線を一本引く。右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の
言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、それはコレコレ」と
プラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損で
それはコレコレ」とマイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、
利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、みんな重宝した。
これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。


5254,下流老人 

2015年08月03日(月)

 去年になるが、NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー
をみて衝撃を受けた。家内も厚生年金のため、人並みの生活は出来そうだ。
先日、新聞の雑誌広告で、『下流老人』という言葉が目に付いたので、
ネット検索をすると、以下のような厳しい内容が出てきた。
≪ ・ ー下流老人とは、
1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。
 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、
生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり
ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、
ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。)
・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める
割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち
600〜700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、
65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、
この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」
が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫
▼ 10年、20年スパンでみると、9割の老人が「下流老人化」するという。
 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを
括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ
になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも
総世帯の15%が「下流」というから、やはり老人の立場は弱い。本格的
な国家衰退が始まってきたが、そのシワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。
ギリシャが問題になっているが、それより、日本が遥かに深刻である。
ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、
今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピックか!
目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。
・・・・・・
4889,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 −1
2014年08月03日(日)
    * 人型ロボットの現在と未来
 このところ、ロボットがマスコミに多く取り扱われだしてきた。
特に労働現場に・・ロボットにも無人戦闘飛行機、宅配ヘリ、自動運転自動車
などの、非人間型ロボットと、人間のカタチをしたものがある。人間型ロボット
の研究者で、マスコミで見かけるのが、石黒浩(大阪大学大学院教授)。 
  ー彼のロボットのリアルな内容が、面白い!ー
≪ 将来のロポットに必要なのは、アトムのように空を飛ぶ能力や走る能力では
 なく、真の意味で人間と関わる能力ではないか。そう考え、私はこれまで
ロポット研究に取り組んできました。たとえば、接客をロポットに任せたら
どうなるか? 昨年10月末〜11月中旬まで、高島屋大飯店で、20代女性をモデル
にしたアンドロイド(人間酷似型ロボット)の「ミナミ」が衣料品の販売員と
して「接客」しました。ミナミがお客さんと対話しながら
「この色はいかがですか?」と商品を薦めるのです。 高島屋のスタッフは当初
「1枚も売れないはず」と悲観的でしたが、結果的にはイベント期間中、一万円
程度のカシミアのセーターを40枚も売りました。人間が一日当たり10〜20枚売る
のに、ミナミは3〜10枚しか売れないので、決して有能な販売員とは書えません。
しかし、人間が接客する場合、一日20人が限界ですが、ミナミは毎日40人以上
接客して働き続けることができた。アンドロイドは疲れないからです。20年後は、
ミナミのようなアンドロイドが社会のそこら中に進出しているでしょう。
ニュースキャスターや警備員、喫茶店店員も、アンドロイドに任せて全く
かまわないと思います。ーつづく ≫
▼ 20数年前のセミナーで、「現代人の生活は一時代前の2百人の召使を使った
 王侯貴族と同じ」と聞いたが、今では、数千・数万人以上だろう。居間のTV
で演劇をみ、iPhoeで音楽を楽しみ、飯炊きは炊飯器、掃除は今やロボット
掃除機がしてくれる。回転寿司もベルトコンベアで客席まで運ぶのは、一種の
ロボット機能。電子レンジ、洗濯機、エアコンなど白物の大部分も一種ロボット。
アトムが時空を実際に飛びまわるのに対し、グーグルアースが、パソコン内で
飛びまわる。 ところで、ソフトバンクが、6月5日に、世界初の感情認識
パーソナルロボット「Pepper」の一般販売を発表。社長の孫正義氏が記者会見で
《 この発表会が「100年後、200年後、300年後に、あの日が歴史的な日だった
と言われるようになる。ロボット史上初めて、感情や心を与えることになった」》
とし、その意義を説明した。一般家庭向けに19万8000円(税別)の価格で、
来年2月から、ソフトバンクショップや、ソフトバンクのオンラインストアで
購入できるようになるとか。感情認識ロボットとは驚き! ペット型ロボットの
ソニーのaiboをあった。目先の利益にならないと、販売中止になったが、
ソニーにとって戦略的に大失敗と、誰の目にも明らかだった。これだけでも、
ソニーの存在価値が充分にあった。これからはロボット玩具主導の感情認識
パーソナルロボットと、ペットが、世界に満ち溢れるのだろう。
・・・・・
4522, 生きる悪知恵  ー1
2013年08月03日(土)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが
面白い! 著者は、このところ売れっ子で、岩井志麻子、中村うさぎなどと
女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、簡単。
「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手
を使って状況を打開しろ」で、「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。
  ーアマゾンの内容紹介ー
=『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、
波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、
あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。
「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」
「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」
「結婚して5年。妻がブクブク太っています」
「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」
「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」   
「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」
「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」  
「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」
「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。=
  ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー
≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。
 高知で一番大きな会社はどこかっていうと「生活保護」。
「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は
貯金しない人だから、きっちり毎月全額を飲み食い、遊興費で使ってくれる。
それで高知県の経済が回っている。それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース
ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつは
インチキやろ、というのもおる」と。だけど、「具合悪くて働けんゆうたら
そうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだ
から玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを
覚えてお いてください」と言うてました。日本人って「正直であれ」とかよく
言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。
 私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。
ウソをつくのを悪いと思うてない。一番最初のお客さんである編集者を、
いかにダマすかというところから始まりています。締め切りがギリギリで
絶対OKもらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもう
ちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし的なことをやって。あと、
10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。
火事場泥棒みたいなことは我ながらうまいかな、と思いますね。もうひとつ
よかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事は客を笑かしてナンボなので、
自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。
身もフタもないことを平気でできるというのは大事です。プライドでご飯は
食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは
働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。
国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》
▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで
 大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。人生・体験に基づいた
回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、
ダメな時の解決は人任せ」 でも嫌に説得力がある。男には書けない
開き直りが面白みを増している。
・・・・・・
2012-08-03
ある老女の遺書ー 3  
 10年前に取り上げた、随想集『心に残るとっておきの話』第五集、
に載った内容。10年か20年もしないうちに、生きていれば次のステージで
待っている。人は、それぞれ来し方の人生という行蔵がある。
その行蔵に他人は入ってみることは出来ない。しかし本人には蔵があり、
それぞれの棚には多くの経験というお宝がある。外見はボンヤリしていても、
一歩藏に入ればお宝の山である。だから元気なうちに、ここで書き残すべき
ことを書いている。 ところで遺書を書いた老女は80歳後半辺り。
看護婦の叱責に怒りと哀しみが蓄積されている。 老人同士の愚痴は、
その解消のためにある。しかし老人ホームでは、それも限られる。 
老化は、それだけでウツになる要素が十分にある。だから元気なうち、
動けるうちに、やるべきことは、全てしておくことだ。老いるということは、
過去のしてしまった失敗と、しなかった後悔にうち震えることだ。 
(字数制限のため、カット)
・・・・・
3782, ユング ー15
2011年08月03日(水)
  * ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派  
 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ   
< 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに
 対して、『元型派』は変容や自己実現はフィクション・幻想であるとする。
そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を
傷つけるとして、変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを
大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の神話の
解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて
死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、連れ帰る途中に、決して後ろを
振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて
消えてしまった。そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座に
なってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
 この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって
男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。しかし、イメージそのものを
大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしている
ことが大切」である。 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、
自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中の
イメージや登場人物・アイテムについて、じっくり 話し合い、そのイメージ
と遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
  ー元型派の治療態度とはー
 元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。
古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、患者のイメージにいかに
寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを
目的とする。 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、
昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、
その夢は単に、その人だけのものでなく、人類に普遍的なものだったり、時空を
こえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒される。
 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容
が生じてくるのであり、変容を起こそうと思ってはいけないのが、元型派の
基本的態度である。 >     (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが
 特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから孤独感が薄らいでいく。
何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。〔イメージそのものを大切にする
元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」〕
とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように接すれば生き生きして
くるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
・・・・・
3417, 64歳の現時点で、感じること!
2010年08月03日(火)
 最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、
心の底から思うようになった。青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だった
のか分かりかけてきた。当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 
特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。ベルクソンが
「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいもので
あるのに気づく。偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。
特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、あるいは人生の運と
いうものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。
特に情報化がリアルに表出させる。ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」
でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論で一気に名前を高めた。 
ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。
普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ未来へと空間化
され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も同じである。
アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは
「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、
外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの類縁性ももたない、継起
(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の
生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。
純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、
時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から
切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。話は少し脇道にそれたが、
人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度
の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うように
なっただけ、歳をとった。
 ・・・・・・・・
3042,上杉謙信の家訓
2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回の
シリーズから転換した。今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信
の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。それが何かというと、
あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 
米沢の上杉神社に石碑にもなっている。【 上杉謙信公家訓16ヶ条「宝在心」】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり   
 〜心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず   
 〜わがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないもの
一、心に慾なき時は、義理を行ふ    
 〜惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし   
 〜自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ  
 〜思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず 
 〜やましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる〜心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし 
 〜心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり
 〜心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ 
 〜心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
一、心に曇りなき時は、心静かなり        
 〜心が曇りなく晴々とした時は、また心も穏やかである
一、心に勇ある時は、悔やむことなし     
 〜心に勇気がある時は後悔することはない   
一、心賤(いや)しからざる時は、願い好まず  
 〜心が卑(いや)しくない時は無理な願いを好まず努力して掴める
一、心に孝行ある時は、忠節厚し     
 〜心から尽くそう心がける時は真に仕えようとする気持ちが深い
一、心に自慢なき時は、人の善を知り 
 〜心に自惚れがない時は、他人の優れた素晴らしさを知ることができる
一、心に迷なき時は、人を咎(とが)めず  
 〜心にしっかりとした信念がある時は他人を責めないものだ
〜〜
 日本人、特に越後県人の生真面目さが、そのまま現われている。
戦国の世だからこそ、これを実行してきた謙信の誠実さが、他国の武人
に評価され、それが、信玄に塩を送ったことなどに現れたのだろう。
天地人の隠れ主役は謙信の上記の精神ということが理解できる。


5253,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー③

2015年08月02日(日)

      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
  * 6500万年前の恐竜絶滅で、哺乳類が主役に
私たちは、数知れぬ地球規模の困難を乗り越え、現在に至っている。特に、
哺乳類の、そして類人猿の誕生は、進化上、あまりに大きい出来事である。
その辺りを、ネット検索をすると、番組の内容が、そのまま記述してあった。
≪ 2年前、中国で発見された胎生の能力を持った最古の哺乳類の化石がある。
エオマイア(黎明期の母)。 恐竜が全盛を極めていた1億2千500万年前の地層
から見つかりました。現在、お腹の中で子供を育てるすべての哺乳類の祖先に
あたると考えられています。恐竜の脅威と低酸素の環境という暗黒の時代の中、
哺乳類は子孫を確実に育てあげ、未来にかける戦略を強めていたと考えてられる。
季強博:「低酸素の環境ではからに閉ざされた卵による繁殖は決して有利とは
いえません。そこで子孫を確実に残す為に哺乳類は繁殖の方法を替えたのです。
体の中で子供を育てる胎生の方が卵に比べ、酸素と栄養分をより多く子供に供給
することができます。私は哺乳類が繁殖の方法を胎生へと替えた背景には低酸素
時代という環境が密接に関係していたと考えています。」
 胎生を行うようになった哺乳類では母親と子供が胎盤と呼ばれる新しい臓器に
よって結ばれました。胎盤の中では、へその緒とつながる子供の毛細血管へと
母親の赤血球が勢いよく吹き付けられています。母から子へ、まるで母親の愛情、
そのもののように優しく吹き付けられる酸素たっぷりと含んだ赤血球。
新鮮な酸素が常に母親から与えられ、わが子の成長を支えるのです。
低酸素時代が凍死して始まった全く新しい母と子の関係。子供を愛しみ、確実に
育てる哺乳類のLifestyleが完成したのです。恐竜の時代が始めてから
1億6千万年後、再び地球を大変動が襲いました。突然現れた直径10キロの隕石
の衝突がもう一つの大量絶滅を引き起こし、恐竜の支配は終わりを告げた。
 酸素濃度も回復し、地球は再び全く新しい時代を迎えることになりました。
2億5千万年前と6千5百万年前に起きた2度の大量絶滅、研究者たちはその
二つの出来事がなければ現在の複雑な生物の世界は決して生まれなかったと
考えるようになっています。暗黒の時代を力強く生き抜いた哺乳類は再び地球の
支配者として返り咲いた。恐竜から効率的な呼吸システムを受け継いだ鳥たちは
それを飛行へと応用し大空を自由に舞うようになりました。そして私たち人類は、
祖先から受け継いだ酸素の効率的な利用によって思わぬ飛躍を遂げています。
大きな脳を手に入れたのです。重さでは全体重のたった2%に過ぎない人間の脳
は肺が吸い込む酸素の実に20%を消費しています。祖先が獲得した酸素の効率
的な利用がなければ私たちの人類の高度な知能は決して生まれなかったのです。
大きな脳を持った人類は、科学技術を一気に発展させました。その力は今や地球
の未来を大きく左右するにまで、膨らんでいます。人類を含む多様な生命が
息づく地球、それはかつて私たちの祖先が大量絶滅を始め数々の試練を戦い
抜きた結果、生み出されたものだったのです。・・≫
▼ 脳という考える司令塔は、肺からの酸素の20%を消費する。有酸素運動
 が、体に良いのは、脳にとって酸素が有効に働くため。早朝のウォーキングで
酸素と、太陽のエネルギーを取入れる必要性が、このことから分かる。
 6億年前には地球の全てが凍りついてしまう全球凍結が襲いかかり、
この変動の後、小さな微生物だった祖先は劇的に大きくなって、多細胞生物
となり大型生物へと進化していった。4億年前に豊かなサンゴの海を襲った地殻
変動、住処を失った私たちの祖先は上陸へと挑んだ。この時、獲得したのは
私たちの手や足。2億5千万年前、シベリヤの巨大噴火から始まった大量絶滅、
その絶滅を辛うじて生き延びた後、私たちの祖先は子宮で子供を育てるという
能力を身につけた。3300万年前、南極から始まった厳しい寒冷化、木の上
という新天地に進出した祖先はエサ不足を生抜くため、優れた目を発達させた。
そしておよそ700万年前、私たち人類が生まれた。偶然だが、以下にーつづく
・・・・・・
4888,閑話小題 ー温暖化と氷河
2014年08月02日(土)
  * 温暖化と水資源問題
 世界の淡水の8割が氷河という。せいぜい数パーセントもあるかなしかと
思っていた。考えてみれば、北極も南極も氷で覆われており、アルプスや、
ロッキーも、ヒマラヤも氷河がある。シベリアには永久氷土がある。
としても、ナイル川やアマゾン川や、湖など水量の数倍もあるとは。
ということは、氷河は地球の水のダム。世界各地の氷河に行くと温暖化による
消失が、必ず話題に挙がる。  ーネットによるとー
《 地球全体の水資源の約97.5パーセントは海水が占め、残り2.5パーの淡水の
 8割が氷山・氷河。その中で飲み水、工業用水は残り3割。その約9割は地下
に眠っている地下水。その部分を差し引くと残りは0.075パーセントになる。
しかし、人間が直接その水を採取できる湖・河川はさらに限られるので、
ここからまた目減りして、結局「0.01パーセント」。その貴重な水を巡っての
紛争が世界中で起きている。ヨルダン川(イスラエル、ヨルダン、レバノン)、
ナイル川(エジプト、スーダン、エチオピア)、チグリス・ユーフラテス川
(トルコ、シリア、イラク)、ガンジス川(インド、バングラデシュ)など。
2009年のスイス・ダボス会議では、「いずれ水はオイル(石油)よりも投資
価値が出てくる」と指摘されていたが、まさに的を射たコメントである。》
《 日本は世界有数の多雨国で,単位面積当たりの平均年間降水量は世界平均
 の約2倍。しかし人口密度が高く,平均年間降水量を人口一人当たりにすると
世界平均のわずか1/5になる。一見,日本は,水資源に恵まれているように
見えるが,降水の多くは梅雨時や台風の時期に集中するうえに,多くの河川は
規模が小さく,勾配が急で,距離も短いため,雨が降っても水は短時間で海に
流出してしまう。多雨国なのに資源としての「水」には恵まれていない水資源
“小”国。さらに言えば,日本の食料の自給率は約40%で,大量の農作物を
輸入に頼っているが,仮に日本国内で栽培しようとすると大量の水が必要。 
日本は,実質的に大量の水=バーチャルウォーター(仮想水)を輸入している
ことになる。生活水準が向上するにつれて水の需要は増え続けるが,世界の
約2割の人たちは安全な飲み水すら利用できずにいる。》
《 世界の哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1、両生類の3分の1、植物の
7割の種が危機に 瀕している」。・・タンザニアの「キリマンジャロ国立公園」
では1万年以上 維持されてきた万年雪が20世紀だけで8割失われ、このまま
だと15年以内にすべて なくなる。》
▼ 上記の現実は、我われ日本人にあまり知られてない。現に、私も知らな
 かったこと。水資源小国とは! それでも大雨や積雪などの地下水がダム
代わりなっている上に、7割が森林などの自然に恵まれている。いざとなれば、
井戸を掘ればよい! これらから考えると、やはり森林・農業保護は必要。
それにしても、総水量の0.01%とは! 
・・・・・・
4521, がんで死なない生き方 ー2
2013年08月02日(金)
        「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
   ー更に、印象に残った箇所を抜粋するとー 
・何より重要なのが早期発見。すい臓がんのように発見が難しく進行が早い
ものもあるが、早期に発見すれば約9割が治る。例えば乳がんの場合、1cmの
腫瘍が2cmになるまで1年半かかるので、その間に見つけることが大切
(それより小さいと発見が難い)予防が可能になりピロリ菌感染者が減って
いるので胃がんは減少傾向にある。元々ウイルス感染が引き金になるガンもある。
・治療の中心は、いわゆる三大治療。手術、放射線治療、科学治療。ただし、
 抗がん剤について、それだけの完治は難しい。サプリメントなどの代替医療
 の効果は医学的に証明されていない。ウイルス療法など新しい手法もいろいろ
 出てきてはいるが、まだ検証中という段階を出ていない。総じて、実態として
 は26年前から大きく進歩しているとはいえない。また、治るものはともかく、
 末期のものについては必ずしも無理な治療をしないという選択肢もありうる。
 ‘ガンは死期を迎える2〜3週間前くらいまで日常生活を営めるピンコロ型に
 近い病気’である。
・福島原発の事故を受けて、がんへの影響も解説している。被爆しない方が
 好ましいが、一般の人たちへの影響という点で見れば生活習慣やたばこと
 いった要因に比べて、その一つの程度でしかない。 最近話題になっている
 内部被爆について、実際は内部被爆と外部被爆の影響を明確に分離して
 考えることは難しい。そして、現時点で空気や食べ物より土壌の汚染に
 一番気をつけるべき。
・野菜嫌いの人の発がん性リスクは、放射能被爆の100ミリシーベルト
 に相当する。また、受動喫煙も100ミリシーベルトに近い。
・現在、日本人の2人に1人ががんになるが、男性は6割弱、女性は4割強。
 がんの死亡者数は、男性が女性の1.5倍だが、20歳から55歳では、女性の
 方ががんの発症者数が多い。30代のがん発症は、女性は男性の3倍。
▼ 青壮年時期の20〜55歳は、女性の方が発症者数が多いとは知らなかった。
とすると、55歳を過ぎると、遥かに男の方が、多いことになる。この年齢に
なってみて、「生老病死」の問題に直面すると、生易しい問題でないことが
分かる。皆で老いれば怖くなさそうに思うが、生老病死に関しては、それぞれ
孤立した問題。それぞれ独自で直面するしかない。著者の同僚7人の医師全員
がタバコを吸わないという、その結果を見ているからだ。そのうちの一人が、
「最近の事情が変わったようで、医学部百人の授業で聞いたら、
一人もタバコを吸っていない」という。
・・・・・
4147, 閑話小題 ー8年ぶりの歯医者
2012年08月02日(木)
   * 8年ぶりの歯医者
 昨日、朝飯を食べていると口の中で小さな砂利みたいなのが引っかかった。
何だろうと見ると、奧歯の虫歯に埋めたツメモノ。8年前に、やはり取れて
しまい新潟駅前の歯科で入れ直したもの。その時も被せた下が虫歯になり取れて
しまった。今回の原因も、当時と同じであった。さっそく家内から聞いた歯医者
に行くと、間接的だが、「この夏休み時期に飛び込みは困ります」という。
家内に初診でも電話予約をしていくべきと言われたが、私の判断ミス。そこで
二軒目に切り替えて大型のレストラン風の歯医者に行ってみた。ここは、顧客
サービスの視点から、待合室や診療を現代的に組み替えたシステムで、一度
入って見たかったところ。ロビー兼待合室にはパソコン、マッサージ、何台もの
小型TVありで、マンガ喫茶のようである。歯科医が4人も居る。歯医者といえば、
個人医院が多く唯我独尊の前近代的スペース。誰も語らないが、行きたがらない
ところが多い。そこは近代的歯科医を目指す徳真会グループで、新潟県内では
松村歯科医が数店舗を出店している。10年位前に自宅から車で5分ほどの
ところに出店していたが、私の散歩コースにあった。実際に患者になった感想は、
「ここを知ったら一般歯科医には二度と入りたくなくなるだろう」が感想。
一度だけなので、感想は、その位にしておくが、直ぐにレントゲンを取られ、
それが診療台の前のモニターに映し出されて、こことこことが虫歯になっており、
15回位の治療回数になります。一回の治療の時間を長くし回数を減らすことも
可能という。8年間も歯医者にいってないため、あちこちに小さな虫歯がある。
周囲の人の話だと、年に一回歯垢を取ったり、小さな虫歯を直してもらうとか。
朝晩、マウスウォッシュでウガイを丹念にして、電波歯ブラシで磨いているので
大丈夫と、八年も行ってなければ、それも仕方がないが。
初回もあり、一時間も治療に要した。
   * スポーツジムは夏枯れ
 会員制度だから、ジムサイドとしての経営上の問題はないが、夏休みに入ると、
昼コースもあるが館内はガラガラ。去年も全く同じ状況で、大地震の影響と勝手
に思い込んでいたが、夏休みで主婦が家に縛られているようだ。冷房がきいて
いるので快適だが、家から出るのも億劫のこともある。「とにかく休まない!」
をテーマの一つにしているが、人が多いより少ない方が良い。日が経つにつれ、
その場の空気に馴染んでいっている。
 ・・・・・・
3781, ユング ー14
2011年08月02日(火)
  * ユング心理学、3つの流れ ー �古典派 
            (『ユング心理学』福島哲夫著ーP196より)
【 ユングが亡くなって現在に至るまで、ユング心理学の考え方や
 心理療法派、主に3つ流れ、古典派、原型派、発達派として続いている。
☆ 古典派= ユングの考え方を、そのまま受け継いでいる。
 彼らは「心の深層の象徴的イメージの変容に重点が置かれる。たとえば、
個人の中で男性イメージと女性イメージがどのように発展し、一つのまとまり
あるものとして機能していくか、ということに 注目する態度に代表される。
そして、このような様々なイメージを一つのまとまりあるものとしていく自己
の元型の働きが夢や空想の中にどのように表現されるているかを読み取り、
その働きが活発になるように関わっていく。男性、女性イメージのほかにも、
英雄が龍と戦って勝利するイメージが、母親的なものからの精神的な自立の
象徴と考えられて肯定的に扱われる。また、それまでの古い自分が死んで、
新しい自分が生まれ変わる「死と再生」、あるいは、それが儀式化されて
成人式や結婚式、葬式の儀礼となった「通過儀礼」などの、イメージを個人が
内面で、どのように体験するかということも大事にされる。これは、内面の
イメージの変容をどのように体験して、それまでの自分と、どう違った自分
になるかに大きな関心が向いている。
  ー古典派の治療態度とはー
 ここで、グリム童話の「かえるの王様」を例にして自己表現を取り上げる。
<姫が気に入りの金の鞠を泉に落として、悲しんでいるところ、蛙が現れ、
 条件をつきで鞠をとってもらう。しかし、蛙を気持ち悪く思う姫は約束を
 破り、叩きつけてしまう。すると蛙は王子に変身し、二人は結婚をする> 
 古典派では、金の鞠を「自己」、蛙を、未知なる男性、他者。結婚を自己
 実現と解釈する。彼女は他者と初めは嫌々ながら密接に関わりながら、
 正面から対決することで大人になり、自己実現(結婚)をしていく。
 古典派は、このような変容過程が、実際の個人に起こることを期待するのが、
 立場になる。】
▼ ひとつ夢でも、ユングの各派で解釈が色いろ違ってくる。古典派は統合と
 発達を大事にする。結婚=自己実現するために、他者を叩きつけてしまう、
という部分が象徴的。叩きつけられた他者は、そこで王子=理想的相手に変身
するというのも意味深長。これでは、結婚してからの蛙はたまったものでない。
しかし、そういうものと心の奥で、割り切るしかないのか? いずれにしても、
親からの自立は、人類の永遠のテーマとなる。成人式も、結婚式も、ひとつの
通過儀礼である。そこで、二世代、三世代家族は多くの課題を持ってしまう
のは当然の結果である。一生、小さな岩場の中に閉じ込められた山椒魚になる。
気がつかないのは自分だけ。
  ・・・・・・
3416, 「憎国心のすすめ」 ー2
2010年08月02日(月)
■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた
素材を、整理・統一し、認識に至る精神機能』とある。ここで日本人には知性が
足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」と言われるといま一つ曖昧。
そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」という
ジャン・ピアジェの明快な表現が好き。つまり「正しい答え」がないときや、
通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり手探り
したりする能力で、いわば知的な即興の能力である。モーッァルトやバッハの
コンチェルトのように高度に磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を
思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、思考と行動によって
磨かれる「過程」のことである。』(『知性はいつ生まれたか』カルヴイン著)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法
 (例えば運動暴発)によらずに適応する仕方または課題を解決する方法をいう。
過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉のうちに
入れるのが普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうち
には抽象的思考力があるが、これだけを〈知性〉と呼ぽうとするものもある。 
なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な思考作用をいう。
〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか
持ち合わせていない動物は、その反応が成功するか、環境の偶然の変化によって
条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、その持ち合わせの反応を
無駄に繰返すに止まる。 (字数の関係でカット、2012年8月2日)


5252,自分もないし、あの世もない 〜ニーチェ「超」入門〜

2015年08月01日(土)

            〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 遠近法でみれば、自分もないし、あの世もない!
 黄色の声で娑婆現象の因果律を、己の世界観で物語化して、一人、
悦に入っている我われ凡人を根こそぎ否定するのがニーチェの醍醐味。
ことあるごとに「世間人」を取り上げてきたのも、ニーチェの影響があった。
 ニーチェの遠近法的認識から、我々は近くの現象に左右されていることを
知ることができる。 山奥の集落では、その集落の世界が全世界になりがち
ということが解る。 遠近法を『多宇宙論』まで拡大すれば、「自分も、
あの世もない」ことが自明になる・・ 
 ー以下の部分は、ニーチェの核心部分ー これを理解できるかどうかだ?
≪ 人間の遠近法的な認識のゆえに、いっさいが現象でしかない。けれども、
 それはわたしたちにとってウソではない。まさにそれこそ現実であり、
リアルなのだ。現象というこのリアルから誰も脱出することはできない。
だからといってこの現象界の裏側に真実の世界があるのではないかと思うこと
こそ妄想なのだ、とニーチェはいう。それは混沌としていて、客観的世界などで
はないという。二ーチェはそのように語ることによって、真実界が天上にあると
考えたプラトンの哲学を否定しているのだ。キリスト教神学がプラトンの哲学を
取り入れたと一般的にいわれているのはこの部分。真理も真実も神も天上界に
あるのだとする神学のことだ。つまり、ニーチェは遠近法の考えを発展させる
ことによって、神はいないはずだという見解に達したのである。
 神など人間が想像してつくりあげた単純な無神論ではない。目に見えるもの
ばかりではなく「物体、線、面、原因と結果、運動と静止、形態と内容」と
いった基本概念すらも実は人間のつくった仮構だと二ーチェはいう。
 たとえば、わたしたちの生活でしょっちゅう考えられている原因と結果だ。
物事は起きているのだが、その一点をチョイスしてわたしたちは結果だと決め、
その結果を生んだ原因を探す。しかし本当は、原因も結果もない。因果という
つごうのよい言葉に人はとらわれているだけなのだ。だから、起きている事柄
とは事実そのものではなく、それに関わる人間の概念とか心理的印象などが
混じりあって総合的に結合されたもののこと。それを二ーチェは生きいき描写
する。要するに、因果を決めたがる心理は、まだ慣れていないものに対する恐怖
のことなのだ。そして、なんとか既知のものを見つけて安心する。だから
本当は、原因を探求しているのではない。既知のものを探しているだけなのだ。
(「力への意志」551)   ー以上をもっと簡単にまとめてしまえば、
人間は起きている事柄をストーリー化して考えてしまい、それを事実ととらえる
ということだ。それはもちろんわたしたちのそれぞれの人生行路という話も含む
ことになるし、世界の歴史も含む。二ーチェのこの鋭い指摘は、当然ながら
他の事柄にも通じていく。たとえば、家柄や血筋、それに強く関連している差別
や階層の問題、あるいはまた人間の喜びや苦しみについても、わたしたちに
新しい眼と態度を与えてくれる考えとなる。 意識というものについても、
ニーチェはそこに遠近法を見る。それをまとめると、次のようになる。 
< 個々人の意識であろうとも、個々人の生き方に沿っているものではない。
わたしたちの行動はそれぞれに唯一であり、個性的なものであるのに、意識
といったものに翻訳されるやいなや、もう個性的なものではなくなるのだ。
意識に変換されたとたん、一般的になってしまう。共同体的になってしまう。
薄っぺらになり、平凡化される。精妙さを失ってしまう。みなと同じような
妄想に変化してしまう。したがって、人間の認識の力は真理のようなものを
捌む程度には達していない。(『悦ばしき知識』354)>  ≫
▼ 4年前の会社整理に対し、『計画倒産』とか、『帰り矢が当たった』とか、
 色いろ揶揄されていたようだが、要するに、否定による否定の共同幻想の類。
とはいえ、当ってなくもないから面白い?・・ 上記の、『要するに、因果を
決めたがる心理は、まだ慣れていないものに対する恐怖のことなのだ。そして、
なんとか既知のものを見つけて安心する。だから本当は、原因を探求している
のではない。既知のものを探しているだけなのだ。』その一番、手っ取り早い
のが、無知蒙昧による計画倒産の共同幻想。その物語が透て見えるから、逆に
醍醐味になっていた。共同幻想の事例研究としてのは非常に面白い内容だが。
・・・・・・
4887,閑話小題 〜ベトナムのシシャモ
2014年08月01日(金)
   * 先日、あわや買おうとしたシシャモが・・
 近くのSC内のドラッグストア「アオキ」で、美味そうなシシャモの
パッケージ、一度はカゴに入れたが、色が青白く光っているのが気になり、
元に戻した。ところが、その翌日のニュースで、「山口県内の業者がベトナム
から輸入した冷凍シシャモで、 殺そ剤と人のふん便とみられる異物が混入」。 
あわやである。 以前も、冷凍の中国産唐揚を買ったが、まだ食べてない段階
でニュースで知り、事なきをえた。家内は絶対に中国産を買わないが、私は、
あまり気にしない。中国・上海市の会社による期限切れ食肉使用問題が国内
にも衝撃を与える中、今度はベトナムの食品をめぐる新たな問題が発覚。
それにしても恐ろしい!
   * 佐世保の女子高生殺人事件
 これは異常性格者の犯罪で、一般的常識では語れない事件。
「子猫を解剖し、今度は人間を解剖したくなり、準備をした上で、親友を誘い、
首を絞め殺し、首と手首を切断。下腹部を切り開いた」と・・ そのニュースで
《 医師が6月10日、県の「佐世保こども・女性・障害者支援センター」
の窓口に電話。少女が小学生の頃に給食に異物を混入させたことや、父親を殴打
してけがをさせたことを挙げ「人を殺しかねない」など相談。窓口側は医師に
対応を助言した。医師は少女が高校1年女子は伝えたが、名前は伏せた。相談
内容について窓口側は当時、県警に連絡をしていなかった(2014/07/31)》とある。
 家庭環境の激変の中で、元もとあった異常性が表立ったのだろうが、猟奇・
ホラー映画、顔負けである。ネットや映画で、無制限に猟奇殺人などが
無制限に流されている結果だろうが。
  * 新発田の女性遺体 ー31歳男、複数の殺人に関与の疑い
 以前、全国版ニュースで流れた地裁から必死に逃げる若い男の姿が脳裏に
残っているが、その男が新発田の若い女性の殺害犯人で、他の殺人事件にも
関与している可能性がある、という。 ーまず、そのニュースから
≪ 6月、新潟地裁から一時逃走した男。新潟県内で女性を殺害した疑いなどで、
 7月31日、逮捕された。さらに、この男には、ほかの複数の殺人事件にも
関与した疑いが浮上している。6月27日、新潟地方裁判所から逃走を図った
喜納尚吾容疑者(31)の姿をとらえた映像には、全力で逃げる喜納容疑者と、
後を追いかける警察官の姿があった。強姦など3つの事件で、逮捕・起訴。
31日、殺人事件にも関与していたとして逮捕された。喜納容疑者は、自分が
所有する乗用車で、徳永 希さん(当時22)を自宅と友人宅の間で連れ去り、
当日かその翌日、殺害した疑いが持たれている。2014年4月、新潟・新発田市
のやぶの中から、その遺体で発見された事件。徳永さんは2013年11月、
「友達の家に行く」と言って家を出たあと、行方不明となり、2014年4月、
自宅から5km離れたやぶの中から、白骨化した遺体となって発見された。
喜納容疑者は「身に覚えがない」と、容疑を否認。警察は、喜納容疑者が
複数の殺人事件に関与したとみている。市内では、若い女性が次々と不審死を
遂げている。2013年9月には、住宅街で乗用車4台が燃え、車内から20代の女性
の遺体が発見され、さらに、徳永さんの遺体が発見された同じ4月に、
20代の女性が遺体で発見されている。≫
▼ ところで、2009年11月に新潟駅南で乗せた若い男の客にタクシー
 運転手が金を奪われた上に殺害された事件。駅の監視カメラに映っていた
姿が似ているような? 若くて、キャシャだけで、いうのは何だが・・ 
ーーーー
4520, がんで死なない生き方 ー1
2013年08月01日(木)
         「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
 ーどうせ死ぬなら「がん」がいいー の内容に対し、正当派の医師の見方も
必要と図書館で見つけたのが、この本。誰もがんで早死にはしたくはない。
少し注意した生活を数十年も続ければ大きく変わる。特にタバコと飲酒の習慣。
二人に一人がなる病なら、特に若いうちは定期検査と早期発見で治すしかない。
   ーアマゾンの内容よりー
《「日本人が目をそむけてきた"究極の病"。本書を読めば心構えと希望が持てる」 
2人に1人がかかる時代、予習と対策ができる人生のテキスト。がんはもはや
他人事ではない国民病。東大病院の中川先生が、"がんは遺伝""がん家系"と
いった誤解を解き、予防法から治療、お金の問題まで徹底解説。一方、専門医
自身はどんな生活を送っているのか、予防のために何か特別なことをしているのか、
一般の私たちが気になる疑問に中川先生が答え。同僚の医師にもインタビュー。
コラムでは、原発事故以降の放射線に対処するための知識をQ&A式で掲載 》
 ー概要の部分を抜粋するとー
≪ 肺がんや大腸がんにおいては、野菜や果物の摂取によって発症リスクが
 低くなるという証拠はない。2人に1人がんになり,3人に1人ががんで亡くなって
います。誰だって、がんになりたくないし、がんで死にたくはありません。
がんで死なないため一番‘確実な方法’はがんにらないことです。しかし、
どんな聖人君子でもがんになり得るのです。おおざっぱに言えば、がんの3分ー
がタバコ、3分のーがお酒や食事や運動といった「タバコ以の生活習慣」です。
そして、残りの3分の1は「運」と言ってよいでしょう。どんなに理想的な生活を
送りても、がんを完全に防ぐことはできません。ですから、がんを防ぐ生活習慣
を心がけるとともに、‘運悪く’がんになっても、早期に発見して完治させる
必要があります。この生活習慣《一次予防》十早期発見《二次予防》の2段構えが、
がんで命を落とさないための特効薬なのです。実際、がん全体の「5年生存率」
(医学的には、治療によって、がんが消失して5年経過後に再発がない場合を
「治癒」とみなす)は5割を超えていますので、がん「不死の病」ではないし、
早期がんで発見されれば、ほとんどの臓器のがんで治癒は9割以上になる。
早期に見つけられれば、がんは怖くありません。 早期がんを発見するには、
定期的な検診が不可欠です。早期がんでは目立った症状が出ないからです。
そして、症状が表れると、進行・末期がんの場合が多く手遅れです。 
だったら、どうか?と考えると、どうだろう?あまりかわらなかったのでは? 
悪性なら早期でも助からなかったのでは? しかし生活習慣病なら、注意すると
 しないとでは大きく変わる。しかし50歳を過ぎれば、検査をして見つけても、
逝くのは少し早いか遅いかだろう。今だ男の喫煙率が4割。これほど危険なもの
はない。法的に麻薬並みに禁止すべき数値。これに酒とストレスを加えると、
男の場合、半分以上は複合効果でやられている。
「酒飲んで、タバコを吸って バカ騒ぎ」
・・・・・・
2012-08-01
閑話小題 ーベッドから転げ落ちる 編集
   * これも老いの現象か?
 二日前の夜半に初めてベッドからモンドリ落ちた。床がピータイルで硬い
こともあり、右手と右頭が同時に床に直撃をした。瞬間、腕が折れてしまったと
勘違いするほどで、怖々と触ってみたが折れてなかったが、痛いことこの上ない。
腕が一瞬早かったので頭には瘤は出来てなかった。直ぐに氷で冷やしたが、
何とか最小の事態で済んだ。翌日には何とかスポーツジムの定番コースを
こなしてきたが、腕の痛さは残っていた。ひと月前にも居間で滑って、
やはり右手と右頭を打撲して、その腫れが落ち着いてきた矢先である。
最近、シネマやTV映画の刑事モノの映画を連続してみているが、リアルな
恐ろしい夢をみて、逃げようとしてベッドから滑り落ちたのである。
   * オリンピックが始まったが
 ロンドン・オリンピックが始まった。以前は、それほど関心が無かったが、
今では時間があるため楽しむ余裕がある。見る方も、選手も、以前ほど結果に
対し大げさなリアクションが無くなった。オリンピックもアナザーワンに、
ということか。この大不況下に関心が半減していることは間違いない。
 もう一つは、金メダル獲得という物語に、人々はさほど価値を見出さなく
なっている。 情報社会の効用ということか。「ヒーロー? それがどうした、
それより私の夢の実現の方が、よほど良いに決まっている」と、各々が
ミニ物語の完成を求める「個人主義」が行き渡ってきている。それが良いか
悪いのか? 競技の審判に対する抗議に、ビデオを取り入れる制度が出来た。
これに対して物議があるが、私は素晴らしい決断だと思っている。
世界中の目がテレビを通して審判のミスを繰り返し見せつけられ、後味が悪い
思いがしている現在、思い切った英断である。
 大相撲も、際どい勝負の結果にはビデオ室の結果を確認する。オリンピック
という世界一を決める勝負に、ビデオ確認は当然である。審判の依怙贔屓や、
経験不足による好い加減の判定があまりに多く、それを映像がリアルに世界中に
発信してしまう情報化が根底にある。プロ野球もビデオ判定を取入れ始めてきた。
・・・・・・・
2011-08-01 
閑話小題
  * 3Dシネマの凄み
「アバター」でシネマの3D映像の体験をして、その迫力に想像を絶する思い
だったが、ここで、「ハリー・ポッター」と「トランスフォーマー」をみて、
更に進化した映像の異世界に入りこんでしまった。ストーリーより、その異世界
の世界を楽しもうと期待していたが、次から次への息をつかせない立体空間の
ド迫力の世界に、我ながら驚いてしまった。供騙しのようなロボットのような姿
の宇宙からの飛来者が繰り広げる勧善懲悪的闘いが圧巻。 巨大なロボット風の
無機質の風体が、人間の想像を遥かにこえた映像に抵抗感を少なくするように計算。 
要は、デジタルを使い、私たちが経験したことがない世界を3Dで引き込んで
くれるのである。薬や音楽で脳を麻痺をさせ、普段味わえないサイケの世界に
トリップさせるのと似ている。それはそれで、その世界を垣間見るのも悪くはない。 
天才という人種は、トリップしたあちら側の視線で、芸術作品を通して表現した人
をいうのである。それと3Dのシネマと結びつけるのに、少し無理は無くはないが、
実際のところ、当たらずとも遠からじである。せっかく、平均滞在80年の娑婆
への宇宙旅行を与えられた人として、やはり、既成概念内の現象だけを見て、
宇宙の彼方に帰還するには勿体ない。これもデジタル化のなせる技。
実際にTVもデジタル化と大型化で変わってきた。数年前までは、面白そうな
TV番組は週に数本しかなかったが、現在では一日に数本はある。その上に
録画が数百本はブルーレイデスクに入っている。なるほどTVは人をバカにする。
  * ここの円高は厳しい
 あれよあれよと円高が進んでいる。リーマンショックの津波の一波だろうが、
東北大震災に、この円高は日本経済にとって大打撃。アメリカが国債の発行限度
の引き上げで議会が対立が起因だが、万一、アメリカが国債のデフォルトを宣言
でもしたら、世界経済は大混乱に陥ること必定。その中で、特に日本は
アメリカの国債を大量に持たされているため国家破綻になる可能性がある。
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
2010年08月01日(日)
 「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
   ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
 リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。
国民を不幸にする国家権力に対し「共闘宣言」を叩きつける。植草は1990年代、
日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。
 しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、その経済政策(すなわち竹中平蔵氏
主導の『構造改革』路線)に異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」
の犯人となり、公的な職を失った。2004年の事件は罰金刑が確定したが、2006年
の事件は最高裁で係争中。現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信。 
副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の謀略に嵌められた」
と指摘。 同時に植草氏の言論活動を高く評価してきた。両氏が相見える本書
では、小泉=竹中政策の糾弾はもとより、民主党・小沢代表への国策捜査、
「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、
新聞やテレビでは触れることのできない
「真実の言論」を展開する。
▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。
 官僚、政治家、マスコミがアメリカの隠れたコントロールに入っておりそれに
歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを今さら
ではないが、それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、
やっと気づいたのだから遅い。しかし大手銀行の財務内容が改善されたことも事実。 
冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から国を守らなければならな
かったが、それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。
それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。 
植草は【一般国民の大多数は、観念的に「警察、検察、裁判所は中立公正であって、
正義の味方」という考え方しか持ってなかった。しかし一部の人たちから
「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。 
高橋洋一の万引き事件は、明らかに検察官僚の捏造事件と疑ってきたが、
植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。
一度、解体的混乱を通ってしか日本は改革できないのか。
頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!


5251,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー②

2015年07月31日(金)

  ー「地球大進化 第2回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 二度の大爆発
生命の絶滅の危機をもたらした大爆発をネットで検索し、まとめてみた。
≪ 二度の全球凍結の後、さらに二度の地球規模の大爆発で、生物は
  大きな岐路に立たされる。
・まずは、内側からの爆発である。 2億5000万年前には地球内部マントルから
巨大な熱の固まりが一気に突き上げる大噴火があった。生物も実に90%以上が
絶滅するという、史上最大の絶滅をもたらし、絶滅のふちに追い詰められた。
その試練の後、恐竜の支配、哺乳類の誕生があり、それらの大量絶滅後に、生物
の化石がほとんど見つからない空白の時代が長く続いた。
 しかし、この大変動がその後の生物の世界に劇的な変化を促すことになる。
大量絶滅から1億年後の世界、つまり今から1億5千万年前(ジュラ紀後期)には、
生物の世界に起きた劇的な変化、それは巨大な爬虫類、恐竜の出現である。
これは30mの体長を誇る草食恐竜、アパトサウルス。そして、この時代の白獣
の王となった肉食恐竜、アロサウルス。こうした恐竜たちは他の生物を大きく
上回る高い活動能力を持っていたと考えられている。一方この頃の私たちの祖先
は、恐竜に怯えながら暮らすネズミのように小さな姿に変えて、かって繁栄を
極めた面影はありません。なぜ私たちの祖先に代わって爬虫類が巨大化し、
地球を支配することになったか。それが大量絶滅後の生物の進化をめぐる大きな
謎となっています。そして、次は外(宇宙)の隕石の衝突へと続く・・
・次は、外側からの爆発。 メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・
クレーターは、約6,500万年前に地球に巨大隕石が衝突してできたものである。 
クレーターの直径は約100〜300km、深さ15〜25km、衝突した隕石の大きさは直径
約10km、衝突時のエネルギーは広島型原爆の50億倍を超えたと推定されている。
これで、恐竜が絶滅したといわれる。それで餌でしかなかった小型の生命が、
生延びる機会を与えられ、これが類人猿を生み出す切欠にもなった。 ≫
▼ 生命は、地球規模の大変動に適応させるため、己を変え続けることで、
生延びてきた。しかし、最近では、都市化が端的に示しているとおり、
環境を人間に合わせて変える道を選んできた。それを文化・文明というらしいが、
その結果に一つが、オゾン層の破壊による温暖化問題や、核兵器使用による
人類自滅の可能性、などが出てきた。今世紀中に人類は、死滅する可能性すら
あるという。人類という、地球にとって「ガン」が、文明に隠された爆弾で、
大爆発する可能性があっても何ら不思議でない事態が生じてきた。
・・・・・・
2014年07月31日(木)
4886,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー44
   * つれづれに 〜赤いカップ制度(仕事のゲーム化)    
 話は実家の量販店時代に戻る。 まずチェーンストアの統一伝票を導入
して部門別管理を採り入れた経緯を以前に書いたが、その後日談になる。 
その「仕事のゲーム化」とは・・・
【 まず本店ビルを建てかえ、部門別管理をゲーム化した『赤いカップ制度』
 を始めた。そして劇画のような?日々になっていった。まず部門責任者と、
それぞれ年次売上予算と利益予算を決め、それを月次、日次予算に落とす。
そして各部門単位のレコードの曲を決め、予算達成をすると総務に連絡、店内
に、その曲流す。それで社員の誰もが、どの部門が達成したかを知る。
早い部門だと、日祭日などでは、二時間もしないうちに流れることもある。
逆に、流れない部門は、一週間、二週間経っても流れない。その上、車座に
並んだ朝礼で、成績順に並ぶ。更に月次で一番営業成績の悪いところが、
一ヶ月間、15分の早出で店頭掃除をする。早出代として毎日千円、月3万円を
割り出し、ベストの部門全員に近くの趣味の店のコーヒーカップ・シリーズを、
景品として贈呈。 逆にワースト部門は、真っ赤に塗ったカップを、売場の
何処かに置いておく。(これを現金にするとリアルな競争になるため、若い人が
楽しめて仕事が出来るように配慮をした。)結果、担当の能力が明確に現出する
ため、不振の責任者は追込まれる。これに利益率を換算した結果が明示される。
そのため、責任者は堪ったものでない。その上、週初めのチーフ会議も成績順に
並ぶ・・ 仕入が当てればよいが、外れると、パートまで・・ 担当者には
仕入れ権限も大幅に与えられているため、それぞれが商店主のようなもの・・ 】
▼ 必死さが生み出した仕組みである。都会のファッション専門街ビルは、
 活性化のため、不振店を自動的に排除をするシステムで競わせているが、
同じようなもの。 私が辞めた後に、反動でピンク一色になったのも当然。
桃色は同時に赤色(赤字)も?伴うから始末が悪い・・ 
 35年前、こんなこともありました! とにかく必死だったが、面白かった!
新潟駅前シリーズも、卑怯ツアーも含め、殆どの人は、こういう面白みの
極みを経験しないで死んでいくようだ。 周囲は大変だったのだろうが・・
会社整理の極みゲーム後は、75歳に想定した死の壁が待っている。
どうゲーム化するかだが、これは大変! 余命三ヶ月で、リンゲルの大量投与?
で、何故か、一年前の文章に続く。 
ーー
2013年07月31日(水)
4519, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー5             
      『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 日本エッセストクラブ編の‘11年版ベストエッセイ集’の「老いた人、瀕死の
人にも希望を」が、二人の説を裏付ける内容。医師も若い時には、その不条理に
思い悩むが、何時の間に、その世界に染まってしまう恐ろしい世界でもある。  
  ーまずは、冒頭の一部を抜粋してみるー
《 * 老いた人、瀕死の人にも希望を  ー榊睦子
 この春、研修医になって独立した息子が忙しい勤務の間を縫って帰って来た。
元気がない。就職したての頃の笑顔が消えている。「仕事はどう?」と水を向けると。
「愚者さんの最期を看取ったよ」と息子。「薬が殺したようなもんだ。」 
どきりとする。息子の話によると、その六十代の終末期の癌患者は、1%の成功例
しかない治療薬を処方された直後に亡くなったという。もちろん主治医は患者を
救う努力を続けて来たし、患者と家族との間でインフォームド・コンセンも
なされている。主治医には何の落ち度もないのだが、息子は、善意の陰に見え
隠れするもの ーその治療薬の臨床例を増やしたい、百に一つの成功の快感を
味わいたいーを見落としてはいなかった。彼は立場上、主治医に対して異を
唱えることのできなかった自分を責めているのである。
「希望」はすべての人にある。余命幾許もない人にもあるはず。この患者は、
もしかしたら、それを奪われてしまったかも知れない。それから数ヶ月経って
息子から衝撃的話を聞いた。同僚の研修医が自死を遂げたという。原因は不明。
大変、優秀であったその研修医は、「笑顔しか思い出せない」と息子が言うほど、
明るく穏やかな人。彼に一体何が起きたのだろうか。
 次は看護師をしていた娘から聞いた話。白血病の末期であったその少女は、
亡くたる数日前に、窓の外に自分がいると言って怯えはじめたが、次第に落ち
着きをとり戻し「お母さん、がっかりしないでね。泣かないでね」と母に言った
後、昏睡状態に陥り、眠るように亡くなったという。少女はその生涯で一番大事
な仕事ー母を慰め励ますことーをやりとげて逝ったのである。
死に行く人にも希望はある。それは前途洋々たる人の場合、桁遠いに重く
大きい悲願と言っても良いのでなかろうか。・・・ ≫
▼一%の成功事例しかない治療薬を提示すること自体問題だが、同じ死ぬなら、
それに挑戦するかの判断は本人次第。当事者になってみなければ分からないこと
だが、私ならどうだろう?早く逝けるなら前倒し?・・ 医師も難しい職業。
人間は全て、死んでしまう。結局は延命の手助け。これも必要だが必ず限界
がある。その上、ビジネスの要素も関わってくる。現状の医師と病院システム
で中では、自分が判断するしかない。
・・・・・・
2012-07-31
もうこれは世界大恐慌 ー
          「もうこれは世界大恐慌」朝倉慶著
  * あの債権は、何処にいったのか?
 不思議でたまらないのが、リーマンショックの原因となった不良債権の行方。
バージン、ケイマン諸島は、世界の金持ちが金融口座をつくって脱税をするもの
と思っていたが、不良債権を塩漬けにする基地でもあった。そこに飛ばして
おけば、鉄の塊に金粉を塗装して置いておくようなもので、実際の金か鉄の塊
かの調査権が及ばない。 永久に隠しておけば良いが、そうはいかない。
もしかして永久に抹殺して封印して置くことも可能なのだろうか。どうだろう?
そうすると、6京円の不良債権は大変だと不安がっている私たちの方が無知と
いうことになる。どうなっているのか金融の世界は?
 ーその辺の記載をコピーしてみるー
≪20年前のバブル期に大損した損失は今だ表に出てこない。
このオリンパスの粉飾はたった一社特有のことなのだろうか? オリンパスが
使ったタックスヘイブン、バージン諸島、ケイマン諸島には大金持ちの資金だけ
でなく、隠れ借金が膨大に隠されている。日本のバブル崩壊の100倍のスケールと
いわれたリーマンショック後、巧みに封印され隠されてきた欧米金融機関の膨大な
不良債権も、やはりこれらタックスヘイブンに眠っている? ジェットコースター
のように激しく上下したオリンパス株は、なぜあれほど上下に動いたのでしょうか?、
裏に何かあるのでしょうか? すべての矛盾が複合的に絡み合っています。
様々な点が線に結ばれる時、いよいよ資本主義という世界の屋台骨が怒濤のごとく
崩れ去るのです。恐ろしくも激しい、驚愕するような大変化のドラマが始まろう
としています。一体昔の損失はどこに消えたのでしょうか? リーマンショック
の後、欧州では大々的に会計制度を変更しました。当時レベル3と呼ばれた証券化
商品でしたが、このレベル3の商品に関しては時価評価をする必要がない、と欧州
当局はお墨付きを与えたのです。通常サブブライムローンを含んだ証券商品は
当時ではほとんど無価値と判定されていたのですが、いわゆる金融破綻を避ける
ための当局の緊急措置として時価評価したら欧州のほとんどの金融機関は
実は債務超過となるからです。≫
▼ 世界中の政府が口裏を合わせて、地下深く隠して表に出さないと合意して
 いたら、短・中期的は表に出ないで済む。要は、金メッキをした金と分かって
いても、それを本物の金として認め、金庫を開けない約束を国家単位で決めれば、
それで通ってしまうのが金融の世界ということなのか。1千兆円の日本の国債も
永久国債にして塩漬けにする手がある。金利が上がったら、その分の永久国債を
刷ればよい。何せ永久に返済無用。何時か破綻が来るというが、そんなのは
知ったことはない、というのがその時点時点の権力者である。日本のバブル崩壊
は、大部分の都銀と、幾つかの証券会社と、多くの会社が倒産、吸収合併で
消えて無くなった。やはり何時までも隠し通せる訳がないのが現実である。 
私も既に世界は恐慌に入っているという論である。
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3779, ユング ー13
2011年07月31日(日)
     * 箱庭療法 ー2
  ☆ ゲニウス・ロキ <その場所や土地に宿る「精霊」>
 どの村、国にも聖地があるが、殆どの家に仏間と祭壇がある。家だけでなく、
守護霊が、それぞれの人間の魂にいるという説がある。それを箱庭の中に表出
させるのだから、興味がわいてくる。人間の脳は、20億年以上の生物の進化が
創り出した得体の知れない機能の塊。 箱庭の作品の写真をネットで見ると、
底知れぬ人間の潜在意識の奥行きの深さの一端を見ることができる。
≪ ーつづきー 「箱庭療法」では、「ゲニウス・ロキ」を重要視する。 
 古代ローマの思想では「ゲニウス」は「精霊」、「ロキ」は「土地」を
表していた。「ゲニウス・ロキ」で、<その場所や土地に宿る「精霊」>の意味。
その時その場に宿った力(精霊)が、無意識の深層心理の神話的な力と結びつき、
それが創造力となり箱庭」に表現される。この「ゲニウス・ロキ」を実現する
ことが、治療者の「見守る」行為。実際になにもしないが、大きな精神力が必要。
「見守る」とは言っても、治療者ではない一般の人が「見守る」のとは、異なる。
「箱庭」になにも表現されないセッションでも、治療者が作り出した
「ゲニウス・ロキ」のなかで、患者の内面では変化が起きてくる。それが、二回
以降のセッションで現われてきます。初めの数回のセッションでは落ち着きがない
被験者も、その数を重ねることで、徐々にまとまりのある箱庭を作るようになる。
箱庭という守られた空間に自分の気持ちを繰り返し表現することで、その課題が
浮かび上がる。それは、あくまで遊びの中で行われる。遊びの中には、成長を
するための要素が多く含まれている。≫
▼ その箱庭が、玩具の配列で、精霊が浮かび上がってくる。箱庭の解釈は、
 大ざっぱにいうと、左半分が内面を、右半分は外面を、手前から上に向かって
現在から未来へと向かう。ところで、聖地は典型的なゲニウス・ロキが在る
ところに存在している。その周辺には必ずといってよいほど、岩場が存在する。
ピラミッド、中南米の古代聖地、ギリシャの神殿、エルサレムなどは、その典型。 
もう一つは立地上、民族の存続上に大きな戦略的拠点でもあるが。
箱庭療法、一度は、やってみたいものだが。
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2010年07月31日(土)
3414, 「憎国心のすすめ」
 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり
果てた祖国・日本を憂えている。ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを
通して、日本再生には愛国心ではなく憎むという感情、いわば「憎国心」
が必須と説く。最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化から
くるマイナーの見方でもある。しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、
それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。
それを前提にしないと国家改革など不可能である。日本は、いまだ長年に
わたった洗脳で思考停止状態にある。その実態に憎悪心を滾らせないと、
真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心!
 ・・・ 愛するために憎む。想うために考える。この日本を。「俺の仕事の
動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。「悶死したくなるような怒りの
先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」
「ははぁ・・・」「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。
でも、その先の愛は見えない。だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」
「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」
「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、死ぬ前に、もう一度この国を
愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ
(日本人の蔑称)は考えないという特殊能力を持っている、ということになる。
人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実にありえない
不思議な才能であり、特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、
貴重な力となりうるからである。<考える>という根本は、まず疑問が無くては
ならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、最後は統合。
この4段階、どれもない。疑問がないのは、比較感覚がないからということ
になる。比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
(日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。
日本人自身は世界の文化を総合したつもりでいるが、じつは単なる
便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から
 続くわれわれの本性だったのだ。他律とは、(自分の意志によるのではなく、
他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語によれば、
意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで
他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、
その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長、推進させ、摂取し、操っている。
そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないか?」》
 ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての
  価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
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2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな
出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向き
にさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にした
ことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」
は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に
買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画
 を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころ。
私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間も
そばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。
「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき住所をたずねたものです。
あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく
家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容。
その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとに
あったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して
見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、
 2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。むかしテレビ番組
「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の
 1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、その20年前というから1951年
ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、その二年前に数寄屋橋
で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。

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