堀井On-Line



5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク

2015年05月31日(日)

 チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。
毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。
   * チャーチルのジョーク 
・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。
 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
・ 女性議員が皮肉を言いました。
「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」
 するとチャーチルは、平然と答えました。
「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。
・ チャーチルに仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、
 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。
 「しらふで出るというのはどうでしょう」
(チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば)
・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては
 ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に
 納得させる能力がなくてはならない。」
・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」
・ 国会の答弁にて、エリザベス女王の戴冠式の準備に際し
「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」
 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。
「見物客の気持ちを考えねばなりません」
・ 完全主義では、何もできない。
・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチルが
 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。
「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。
・・・・・・
2014年05月31日(土)
4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 自分の「スイートスボット」をさがそう
 この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、
一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない
ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、
要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 
 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。
この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリングで信濃川の
大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット
サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、
このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の
ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー
《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、
 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。
つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も
感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを
「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで
生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の
刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で
ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。
だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が
低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ
―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ
ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは
スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の
友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい
時間は終わりを告げる。・・・ 》
▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の
 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら
求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに
なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送
などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、
秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの
スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、
徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、
スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ!
で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を
知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、
誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、
何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? 
どうもしません! そういうこと。
・・・・・・
2013年05月31日(金)
4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5
          『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 * 2日目 "足腰を軽快に
A・膝を回す体位……54            
 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、
  膝と手が離れないようにする。
1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を
 伸ばして、両膝を手前に引き寄せる
2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、
 膝と股関節を充分に開く。顎を引いてうなじを伸ばし、息を出し切る。
3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」
 の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。
4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。
 1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。
5、ここから逆回転で、合計三回する。
▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。
 つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて背筋を活性化すること。
 呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。
 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって
 いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの
 血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
 要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で
 ゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで
 一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側
 (上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>
 「各自の一息」に戻り、息を整える。
▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。
 毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回
のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、
スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、
その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、
足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として
分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 孤島としての老い  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、
 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも
一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって
きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。
現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも
フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。
なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り
という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、
ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も
しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 
それにしても暗い顔をした老人が多い。
 ・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって
打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が
亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、
推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が
収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ
未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に
近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に
見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、
これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、
現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と
考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。
これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを聴いていたが、最近、
ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、
朝の土手のジャズが意外とよい。2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつける。 
鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る単調な
リズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後に
あるため、夜明けにあっているためである。その上にスポーツ・ジムでも
iPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズム
とテンポというが、運動に本来あっている。にわかジャズファンの誕生だが、
これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。演歌に、クラシックに、
ロックに、カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 
そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、
何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 
特に、こういう落ち込みやすい時期には。
  ・・・・・・・
 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に
男5人、女1人、合計6名の従業員。首都圏など人口密度の高い好立地なら別に
不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 ガラスばりの向うに
見える厨房が異常に大きい。焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯
に、酒一本で、二人で4000円なら安い。土曜の17時半にしては客が少ない。 
また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。そこでHPをみたところ30店舗
ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと
惣菜販売コーナーに、焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は
隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、
店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。 思ったとおりであった。 
100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねている。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に
飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。厨房が店のわりに大きい
理由は、そこにあったのである。(字数制限のためカット2012年5月31日)
 ・・・・・・・・
2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の
20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが検証する番組である。 1993年、
2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度
を増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。
ここで再放送されていた4回分全てを過って見ていたが、改めて時系列に連続
して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化した。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター
・派遣など、必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が
幅を利かせる時代になっている。一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。
しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、非正規社員など、弱い立場の人から
次々と職を失っていくのが現実である。何が、これほどまでに雇用環境を悪化
させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた人々の
姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用の
あり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝(慶応大学教授)/司会:桜井洋子ー&林家三平ー
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた
中高年世代を早期退職という名の 合理化が襲った。 定年まで勤め上げる
ことを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。その戸惑いを通して、私たちの
働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
(字数制限のためカット2012年5月31日)
 


5189,閑話小題 〜父親の42周期に

2015年05月30日(土)

* 父親の42周期に
 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、
書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、
あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを
通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。
物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の
死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。
そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、
何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。
それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、
誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。
あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。
・・・・・・
4457, 今日は父親の命日 ー40周年
2013年05月30日(木)
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を
書いてきたが、父も本望だろう。私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、
目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青く
なっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。私にとって父の死と、半年後
の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる
暇は無かった。何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。
「親の死は子供に対する最大の贈物」という言葉のとおり、父の庇護が無くなり、
それから全ての責任が直接被さってきた。全てが未経験で、分からないこと
だらけ、そこで亡くなった父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に
考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。
頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。
あの時からの40年の歳月は、やはり長い。世界も日本も、そして私も変わって
しまった。情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義
の放棄が、大きく世界を変える要因になった。
 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問い
かけると、「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果て
も気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 混乱期としても豊かさ
の範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。
過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思い
は残るもの。私が書いているというより、父本人が書いてと思える位だ。
両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せ。
父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生
を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ! そういえば、母親の命日に、
このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。
時々、夢にリアルに出てくるためか?
・・・・・・
4083, 父の命日 ー39周忌
2012年05月30日(水)
 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。
39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。父が亡くなって5ヶ月後
に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、
ショックで茫然自失だったが、数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。
そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面
にぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスから
ついてくることを知った。人間にはイザとなると、信じられない力が潜んでいる。
極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって
生まれてこのかた、父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなって気づいたが、
常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、その時に父が亡くなった
タイミングは私にとってベストの贈り物だった。父の死と、事業の立ち上げと、
結婚と、私にとって初めて独り立ちであった。全ての計画、判断、実践を自分
がして、結果がストレートに帰ってくるのである。それが慣れるまでは、
「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと
感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか頼りにならない。とはいえ
決断しようにも自信がない。そこで自然と「自分が父だったらどうしただろう?」
の自問自答になる。そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くの
ことを教えてくれていた。経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃
からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。しかし終わってしまえば、
それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、
殆んど後悔はない。創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わったが、
と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。
順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い
流されてしまえば諦めがつくというもの。この結果は、ワーストでもなく、
ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、
ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を
欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。
それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」
と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。
・・・・・・・               
3717、閑話小題
2011年05月30日(月)
  * 今日は父親の38周忌
 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかった
ので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。その時が精神的自立
の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人
兄姉の末っ子で、父親は特別に私を大事にしてくれていた。その意味で、私の
人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、
肯定的になれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、
刺激的な日々であった。結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景
に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。
『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して
人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、
人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと
思っている。この事態でも、両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分一
でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、
消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っている
から、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。それにしても、自分の息子に毎年、
このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。これが私の供養である。
   * 地震保険について
・・・・・・
3352, 父の命日(37周年)
2010年05月30日(日)
 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の
彼方から思い出される。思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、
「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。これまで書いてきたが、
父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり
仏壇と仏具の販売で乗り切った。終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品
量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。古美術商の時代には、
地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」
というのが持論にあった。それは教養によってベースが築かれることを彼らから
学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、それがバネになった。 
日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝5時に起き、仏壇で祈り、
新聞を隅々まで読むのが日常だった。その辺は私も同じで、これは家の文化
(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、株屋ぐらい
しか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と
最小限度しかとらなかった。(当時は、それが一般だったが) 
年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬ
ときのイメージは両親の手に引かれ、光の中に消えていく光景になるだろう。 
毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になる。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、
それを重ねることで、魂に熟成していくのである。音楽家は音楽で、仏像師は
仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、
それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
・・・・・・・・
2977、父親の37回忌に
2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、36年になる。命日に何度か父のことを
書いたが(後でコピー)、テーマにすることが供養になると思い書いてきた。
父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、
父が43歳の時に産まれたこともあった。そのために幼児から少年期の記憶に、
父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、
父が何時も私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、
その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて精神的に独立をすることが出来た。
(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳
だったが、その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済
成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、その段差には大きい。
まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで
家を中心に常に考えていた。父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なって
おり、そのことを事あるごとに話をしていた。 特に長岡の戦災体験は生生しく
残っていたようだ。また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・
父を思い出すというより、父の視線で世の中の変化を見ている自分がいる。
命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響して
いることがわかる。その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで
私らしさで、そのまま結構なのか? いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 
しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。それに引き換え私と
きたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と
合体したような不思議な夢について書いたことを思い出した。その辺のことを
書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後位に妙な夢をみた。私自身父の気持になり
“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父その
ものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二〜三日後の夢も強烈な夢
(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで
寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうの仏間
より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットに
しがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
・・・・・・・・
 2613, 閑話小題
2008年05月30日(金)
 ー今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある
故人の顔を思い出し手を合わせている。一番初めは父であるが、父の愛情の上で、
現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。家庭的には恵まれていた。
特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。次には
家内との相性だが、それなりに?この文章を推敲、ネットに上げ、墓参りに行く。
 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。
昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。
一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が飲酒運転の強化を図ったことと、
シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死
の半分近くが、65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故
には特に気をつけないということになる。10年近く前で、一万人を割ったと
聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。


5188,人生相談という気晴らし! 〜⑩

2015年05月29日(金)

               『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 父親とは、息子にとって「存在自体が悪」である
 父と息子の関係は、古代より続く永遠のテーマである。「息子にとって、
存在自体が悪!」とは・・ 私にとっての父親は、最大の理解者で、
独立を一歩、踏出したベストのタイミングで亡くなった。私に必要だった
のは、まず父親からの独立だが、計ったように亡くなっていった。
 人生で一番に恵まれていたのは、父親の直の愛情。その温もりは、
今でも残っている。ただ、私には具体的な指示は一切しなかった。
私から、能動的に具体的な何かを求めてくるまで、何も言わなかった。
≪  Q: 父親とはどういう存在であるべきか?
六十二歳の父親です。三十歳代の息子と娘がいます。私が育った家庭環境は
封建的であり、父を敬う風潮のある時代でした。しかし、その風潮も現在では
古臭いと子供や妻に反感を買うだけです。最近、思うのは私自身が父親として、
どんな存在だったかということです。子供たちは、大学を出たのですが就職
氷河期ということもあり、安定した職につくことなく、社会を彷徨ってますし、
結婚もしていません。私は家族の幸せを考えこれまで働き、経済的な豊かさも
獲得してきたつもりでしたが、これで良かったのかと疑問が残ります。
子供たちに一体何をしてやれたのかと考えるとやりきれない思いに囚われます。
父親の役目を終える時期が近づいているのですが、父親とはどういう存在である
べきかと今頃になって悩んでおります。中島先生はどのようにお考えでしょうか?
  A: 父親は子供から忘れ去られることを望まなければならない
 今回の二つのご質問を読んで、あらためて私は「人生相談」に向いていない
なあと思かました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない
かぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティヴな
回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな
妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に答える素質も趣味も
ないからです。人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生
の終局は死であって、永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った
大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいい
ものに思われてしまうのです。と厭味を言ったうえで、お答えします。
私も一人の息子の父親ですが、「父親とはどういう存在であるべきか」と悩んだ
ことはまったくない。なぜならば父親とは、とくに男の子にとって三島由紀夫
の言葉なのですがー「それ自体としての存在が悪だ」ということがよくわかって
いるからです。もともと存在が悪なのですから、善人ぶってもすぐに化けの皮が
はがれてしまう。父親は子供に何をしても、いや、何かをするほど嫌われます。
とくに、感謝されよう、尊敬されようとして何かをすることが一番いけない。
とすると、何もしないのが一番いいという結論が直ちに出ます。父親は勝手に
子供を作ったのですから、子供を経済的には二十歳までは支援する義務がある。
子供に生きていくカを授ける義務もあるかもしれない。しかし、それが「義務」
なのですから、何の見返りも期待してはいけない。とくに、「立派な人」に
なること、「幸福になること」を期待することが一番いけない。そんなことは、
(父親という)他人が口出すことではないのです。父親は苦労に苦労を重ねて
子供を育て上げたら、子供から忘れられることを望まなくてはならない。
子供に対する執着を断つこと、子供から独立することです。どうせ、ちょっとで
死んでいくのだから、子供の人生は、子供に任せて、残された人生を自分の
ために使ったらいかがでしょうか?悪人は悪人に徹することです。≫
▼ 父の亡くなった年齢に近づくにつれ、やはり父親が、最大の理解者で
 あったと同時に、教育者だった。いつも、待ってくれていた。傷ついて、
横たわっていた時に、ただ一言『死んでしまえ!』以外、何も言わなかった。
死ぬに死ねないから、ただ、ジッとしていた。そのジッとしている効用こそが
人生にとって大事なことである。  明日は、その父の43回忌になる!
・・・・・・
4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
           『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著   
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、
  親指と一さし指で三角形を作る。「静かな一息」−>「軽く一息」で息を
  出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、
  万歳をするように両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。
  次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に引っ張るように足裏を反らし、
  足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>
  「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向に寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。
  次に右手を左の手の平に重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝
  を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。右腕を顔前の床に伸ばし、
  左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら
  右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、入息に合わせて指先は
  きちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識
  しながら、右腕を背中側に押し倒して背筋をねじる。ここで、出息に合わ
  せて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、
  ゆっくりと息を出しながら、丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、
  もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、静かな一息、各自の呼吸で、
  息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸する
 ことで、「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れるポーズ。
 ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢を意識的に
 繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。特に、一日目の、二つは、
 基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を引き出す
 ことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似た
 ところがある。合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガは
 あくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、「前屈、反り、ねじり、
 直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。ヨガの「大地の
 アパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位
 前の早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、
 それを、大地の底(地球の芯)に吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、
 暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、
 早朝のミニ・サイクリングの自転車上の自己対話の相手にしている。 
・・・・・・
4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
  * 老いと勘違い 
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を
紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持って
 いる会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。ある日、涼子と
いう20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。
その時、70年前の記憶がよび戻る。14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代
の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か
意地悪をする。その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の
秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。妻とともに、
その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生。
息子の社長の話だと、どうも、涼子が火を放ったらしい。 彼女の話では、
その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて
「勤務以外の時間に私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、
女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。
その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡く
なっていたが、死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の
内容は、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。そこで思う、
「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、他人から慕われ、
そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 
・・主人公は、これ以上ないおぞましい感情を突き付けられ、縋るように
本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子
という現在の娘、それぞれ互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を
綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は
世間に一定の割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女
のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪をぶつけ、
今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。
それは往々にして相手に深い精神的ダメージを与える。それによって、
もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、
 それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。しかし、いざ、
そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている
視線がある。人生など、全て勘違いと思い込みで出来ているに過ぎない、
その自明なことが漫画的に現れ出るからである。そういえるのは、リスク管理を
していて、目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げる
ことは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、当然、勘違いも多く
付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての
出来事は、クロの要素になる。といって、それも物語である。要は、後悔しない
よう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!
・・・・・・・
3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
*ソニー・ロリンズ、チャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティスト
 の間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを圧倒するかのような、たいへんに
勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。これを白人
ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、
一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。4ビートがより鮮明になり、アフター・
ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるで
あろうし、「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、
レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて見ていこう。 
一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。ソニー・ロリンズの
『サキソフォン.コロッサス』、 セロニアス・モンクの『ブリリアント.
コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の
可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中
の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に時折ユーモアのセンスも
感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、
孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで大喧嘩をしたという逸話が
残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。
ソロ・アルバムが多いのはそのため。彼は私生活でも時折、意味不明のことを
口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と
世間にその姿を見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで
聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」
などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)
・・・・・・・
3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4
2010年05月29日(土)
  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、
・高機能のHDR(ハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 
新聞社もテレビ局も風前の灯である。まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDS
を半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が
残っている。もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。
取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」
のものばかり。面白そうな番組が無いときは、それを見ることになる。それは
タイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にない
から見るか〜というのが皆無になったのである。次に最近、急に興味を持ちだした 
YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にあるパソコンを向かっているが、
それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを
入れると面白い映像が次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを
買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを共同で開発する
というから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコン
の普及がある。これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化する
ことになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。そこにはネット経由の
映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。
だらだら流し見していたテレビの見方が変わることを意味している。
その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。NHKもさえも
大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み
込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!
 ・・・・・・・・
 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、
「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした記憶が鮮明に残っている。
その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの
違いもあるのだろう。ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、
室町時代になって、当時流行していた、ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつ
の芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは
謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)


5187,世間の捨て方 ー②

2015年05月28日(木)

               『世間の捨て方』ひろさちや著
    * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
  〜二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」〜
 この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   〜以下が、考えさせられる (P36)〜
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常」
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
『法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
 隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
 リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
 大きな副産物としてついてきた。それが二年後の千城台ビルの建設用地になる。
これについて、以前にも書いた。千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため
住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉三人の一人が、そこに新築の
家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を購入し、
貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募した
ところ、当選。その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半
以内に、建設すること。ということは、二年半後に、私が、ここで何かを
始めることを意味していた。その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、
抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか考えていた。数年経って気づいた
ことは、予定挫折が、人生で必要ということ。そのプロセスで、必ず副産物が
付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。高度成長期も背景にあった
良き時代の真っ只中である。「捨石の節目時節の重要性」ということ! 
決断は独りでこそ。
・・・・・・
4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
        『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
 A・完全な呼吸法をする体位…40 B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)…
* 2日目 "足腰を軽快に
 A・膝を回す体位……54    B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
 A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
 A・膝で半円を描く体位……78  B・上体を反らせて、背骨をねじる体位 
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
 A・胸と脇を開く体位……90      B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
 A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)… B・上体を反らせる体位(腕を伸ばし)
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。
 他にも椰子の木のポーズ、ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、
一〜二人を除けば殆どがリピーターで、回を重ねる度に難度を上げていく。
この本に縛られることもないが、まずは従うつもり。SJでのヨガはエアロビ
感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを
取り入れれば、一寸したヨガの時間帯になる。次回から、上記の具体的な内容を
書きだしてみるが、実際に夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 
何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の積み重ねがある。
問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、
という気になれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。
4時起床で、早朝座禅とヨガね〜!冴え渡るが?
・・・・・・
2012年05月28日(月)
  * 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分二を
占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4〜5時間は
読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かって
いる。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、一時間に5分はお茶や
トイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半〜6時、9時〜11時半、夕方1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、
仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝の
ポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。書斎といえば、
iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着けるシェルターの
役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても
自分の居場所ができるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろう
としている。東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれて
いるのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。
一年しか持たない首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階
となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。
その繰り返しが代々続いている。覚めた目でみれば、その一連を分かってやって
いるから始末が悪い。国民がグローバル化した世の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマ
に落ちている。その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も
分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない
国民感情は日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。
最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 ・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除きサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メール
ほどのところに雀がきてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい
雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断した
のか飛んでいった。ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、
雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、
パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、
見直したが、やはり雀である。恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人
からも餌を貰って太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。私も近々に、
餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見られるが、
その国々で、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなった・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 
ホテルの近くの公園を散歩をしていた時、野生の大ガンの群れの一羽に
クラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、私のところに押し寄せてきた。 
恐ろしくなり無我夢中で逃げたが、その時の恐怖は!早朝の朝靄の中の出来事
が幻想的な思い出として残っている。
  ・・・・・・・・
3350, 新型インフルエンザの総括
 2010年05月28日(金)
 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、
現在では話題にさえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動に
マスコミが異常に騒ぎすぎた。一年経ってみれば日本だけが過剰反応。
街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが世界のマスコミに
報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザの死者数
より少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で
東京文化短期大学学長の中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザ
の総括をしていた。
・新型インフルエンザの想定が鳥インフルエンザに対していた為に、強毒性
 の行動計画に大きく影響された。それが、感染者が一人でも出た時点でも
 都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。これが過剰反応
 という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの
 10分の一の死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、
 直ぐに受診する必要性を国民に訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。他人に感染させない
 ためのマスク着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が
 積極的に行ったことも影響をした。
▼ 以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザ
 の予行練習とみれば、決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この
騒ぎの中に多く含まれている。これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が
大きく求められる。この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を
急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。これで大儲けをしたのは製薬会社。
現在でも、何か?大きな疑問が残っている。当時のマスコミの対応も異常
であった。マスコミも、このことを総括したのだろうか?
  ・・・・・・・・・
 2975, 縁は異なもの
 2009年05月28日(木)
  「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、
 しかも最後がどうなるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。
 それで90歳になって精神が現われる・・ 現われないかもしれませんから。
 連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
 「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、
 それまで私は「鈍き刀」の意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは
 造れない」というふうに思っていたわけ。でも違ったの。その方は
 「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、
 もはや用に立たなくなった頃、はじめての真価が発揮される」という。 
 ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。
 本当に鈍い刀を磨いでもだめ。いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロン
 に柔らかくなるんですよ。兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも
 書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は「鈍き刀」じゃ
 ダメなんです。それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい
言葉の剣先が鋭い。鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて
磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に使うことが出来るという。 
言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 
芸道や能力のことを言っているのだろうが。
・・・・・・・・・
2611, サルトルについて、考えてみる  −2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。
読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。当時はピンと
来なかったことも、今では納得する。経験は、「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付け
考える。人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では
「ない」ということなのだ。たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、
窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」というあり方を
しているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、
人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が
「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を作る出す」こと
だと考える。サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、
「さけ目そのもの」ということだ。意識としての人間は、いわば世界の中の
裂け目、世界の中の無である。それは、意識が関係する片方の「モノ」ではなく、
「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。・・
「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく「自分自身に対して」
も裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。人間は、常に過去の自分から
脱出して新しい自分になっていく存在である。過去と現在を乗り越え、未来に
向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
▼ 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界の間に裂け目をつくりだす。
それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。
過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
 色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。
 (字数の関係でカット 09年05月28日)


5186,修羅場の極意

2015年05月27日(水)

               『修羅場の極意』佐藤優著
  * カネがないのが最大の修羅場
 月末の運転資金が足りないなどの資金繰りの修羅場を経験をしないで事業を
終えることができたのは不幸中の幸いであった。現在、中小・零細の三分一が、
資金繰りに追われる修羅場状態という。身近で、倒産時の修羅場をみてきたが、
正に阿修羅、いや獣のごとく!であった。そのため先年、知人が自殺に至った。
『修羅場の極意』の巻末の西原真理子と、著者との対談がリアル! 
≪ 西原: 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。
 病気にならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、
 この世の中には存在しません。そのとき、専業主婦だったら家の中は
 滅茶苦茶になる。夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、
 家庭は修羅場になります。専業主婦は極めて危険な仕事です。
 夫を治すために莫大なおカネがかかり、半年後にちゃんと死なせるため
 にも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。
 おカネがないと、たいていの人は獣になってしまいます。おカネがないと
 男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる危険性が高くなる。
 自分の娘と息子がそんなことになったら、人生最大の修羅場と考えている。
 それさえ避けられれば、ほとんどのことはどうでもいい。
佐藤: 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シュミレーションをしておく。それで、原因を理性的に分析して、
 危険な芽をつぶしておこうということですね。
西原: 子どもを東大に行かせようなど高望みしない。いい子に育てようと
 いった漠然とした理想も描かない。最悪の危馨理から逆算するのであって、
 上は想定していません。
佐藤: いいじゃないですか。東大を出て超有名企業に勤め上司の顔色ばかり
 うかがって、人間としての誠実さを失っていくようなエリートはいっぱい
 いますが、そんなふうになっても仕方ないのですから。
西原: そうですね。人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身に
 つけばいいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。
 それと、女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、
 それさえ気にしないで生きていける強度があればいいと思っています。≫
▼ 普通の子女が金に困り売春する金額は世界共通で、その地域の一週間分の
 給料分で、日本では4〜5万円が相場とか。対談相手の漫画家の西原真理子
は、夫の酒乱に悩まされ、末期ガンの夫を見送った手記は、日常生活の修羅場
そのものだったという。私も、事業をしている時、『起こってしまった難題に、
更に最悪を想定し、そこから対策を構築』していた。その積み重ねが、喩えば、
シェルターとか、避難ボートの準備だった。また、事業計画の段階で、最悪を
想定して、逃げ口を念入りに想定した。でも、こんな大津波(情報化社会)が
やってくるとは、思いもよらなかったのが本音である。事業で、お金は、
空気と同じで、きれた瞬間が死(倒産)である。そこから逆算しての
安楽死が事業にはある。安楽死は、自分でしか決断出来ないため、悲喜劇が
繰返される。その三分の一の経験だけは、したくはなかった。父の口癖、
『金がないのは、首がないのと同じ! 万一を想定し、備えを整えるべし』
の実践が最後には救ってくれた。準備があれば、最悪を冷笑する視線が生じる。
『こんな面白いことはない!』という、自虐的な、地底からの視線である。
鼻声で、他人の不幸は蜜の味という何への、侮蔑・汚蔑の視線が面白い。
ところで事業生活45年の、どの部分を切りとっても、修羅場と天国。
商売、事業とは、本来そういうもの。 両方とも楽しむのがコツ。
・・・・・・
4821, 「事業人生を決心して45年」の語り直し ー3
2014年05月27日(火)
  * ジャスコ入社と、新井石龍禅師の一喝!
� ジャスコ岡田屋に入社。幹部候補の特訓のためだが、そこは激烈な仕事量と、
売場と店の急速配転で、疲労困憊の極地。 知らぬが仏とは、このこと。そこは
戦場の真っ只中。自分を鍛えるには絶好の場所だが、実際は、3K、4Kの世界。
悪くいえば、当時の流通業は溜めの世界。それまでのアカデミックの世界とは、
真逆の環境。
まずは、四日市のジャスコ岡田屋本店の配送センターへ。ここが激烈な仕事量。
三ヶ月後には、日用雑貨のカーペットと絨毯売り場へ、その一ヶ月後に、神戸
のジャスコフタギの垂水店へ転勤。合併のための人事交流の尖兵である。
神戸の新興住宅地の駅前店。今度は日用雑貨売場に配転され、まずやらされた
のが新兵を試す瀬戸物の叩き売り。店頭に問屋が持ち込んだ瀬戸物を自分勝手の
売価で売る。あのテキヤの瀬戸物の叩き売りである。 
恥ずかしいのは一時間だけ、これがお客との駆引きが非常に面白い。
安く売れば売上高は上がらない。が、高くすれば売れない。相手が買う値で、
可能な限り売上を上げる。総売上の3割が店のマージンで問屋から入る仕組み。
「男はつらいよ」の寅さんが、露天で売っているのは、この方式。
その二ヶ月後が、これまでフタギに無かった靴売り場の責任者に。 
これが面白いように売れた。嘘のような話だが、数値目標の20倍の売上。
その辺りから、目の回るような配転もあって、これで良いのか、自分が事業を
立ち上げるために、これで良いのだろうか?という疑問が湧き上がる。
そして、原点を見つめ直そうと、学生時代に卒論書きのため通っていた六日町の
禅寺「雲屯庵」に、4日間の休暇をとって坐禅のため行くことにした。
そこには一年前にも司法試験の勉強をしていた高橋さんが、そのままいた。 
 そして、新井石龍禅師との問答。私の『思いの他、世の中が厳しいことが
解りました!』に対し、禅師の『世の中は、いつの時代も変わらない。
厳しいと感じたのは、あんたが甘いだけの話。世の中のせいにしないこと』
の御言葉。ガッツンとやられた上に、たまたま慶應を卒業後にハーバード大の
ビジネススクールに通っていた学生と、そこの修行僧と、高橋さんと私と夜半、
お茶を飲みながらの雑談に、私だけ、彼らの話についていけないのである。
何か根こそぎ、自分が全面否定されているような大きはショックで、迷いが更に
大きくなっていた。そして、今、学び直さないと、一生、後悔するのではと、
ここで退社をして、独りになりきる必要性を感じ、その4ヶ月後に退社を決意する。
しかし、考えてみれば、自分の身勝手で、勤務先など多くの迷惑をかけていた
ことに なる。我ながら脂汗が滲み出てくる。事業創業とは、エゴ丸出し、馬鹿
丸出しのドンキホーテそのもの!漫画といえば漫画だが、何故か、後悔はない!
・・・・・・ 
4454,一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー2
2013年05月27日(月)                                          
   * まず「4つの呼吸」を理解しよう   
 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー番場浩之著 
呼吸も座禅と同じく吸い1に対し、吐きが2。ここでは、呼吸量のコント
ロールを取り入れている。その道の大家が言うのを、心を開いて学ぶのが筋。
スポーツジムのヨガ教室では、まだ、これは教えてない。
 ーまずは、その辺りからー
≪「4つの呼吸」では、呼吸量をコントロールしながら、「意識して行う入息」
→「自然と行われる出息」を繰り返す。普段の生活では、呼吸を意識することも、
腹式呼吸と胸式呼吸を区別して行うこともほとんどないので、まず、お腹で
たっぷりと呼吸することからはじめ、段階的に胸にも息を充たすようにして
いきます。この呼吸がゆったりとなめらかであればあるほど、呼吸の波にゆらぎ
の波動があらわれて、こころとからだの芯にに響くものとなります。
A・静かな呼吸
「静かな呼吸」では、丹田を意識して腹式呼吸をたっぷりと行います。ここでは、
胸の呼吸は行いません。鼻からゆっくりとおなかに入れ、2倍くらいの長さで、
鼻からゆっくりとなめらかに息を出していきます。普段の呼吸の40%位。
B・軽い呼吸
「軽い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭下部を左右に開くようにして、胸にも息をみたします(胸式呼吸)。
胸とおなかをゆるめて、その2倍くらいの長さで鼻からゆっくりとなめらかに
息を出していきます。60%位の呼吸量。
C・深い呼吸
「深い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭全体を上下・左右に開くようにして、ダイナミックに胸にも息をみたします
(胸式呼吸)。胸とおなかをゆるめて、2倍くらいの長さで、鼻からゆっくりと
なめらかに息を出す。 こののち「軽い呼吸」の入息と自然な出息を行い、
続いて、「静かな呼吸」の入息と自然な出息を行います。80%位。
D・各自の呼吸
 最後に、「各自の呼吸」を行います。
「静かな呼吸」「軽い呼吸」「深い呼吸」がしっかりとした意識呼吸であるのに
対して、「各自の呼吸」は、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」→
「軽い呼吸」→「静かな呼吸」を行ったあとをおさめる、ゆとりの呼吸のこと。
自然とおなかに入息、ゆっくり鼻からなめらかに出息していく、やすらぎの呼吸。≫
▼「40、60、80、60、40%、フリーの呼吸量を繰り返す」、46864
 と「への字」の形の呼吸と思えばよい。 私の場合は、さざなみ、中波、大波、
中波、さざなみ、引き波をイメージして呼吸量を、それにあわせる。
これなら何処でも練習出来る。22歳の座禅体験から始まり暫く休んで、
ここで早朝座禅、瞑想の再開。 悟りにほど遠いが、面白い。
・・・・・・・
4080, 老いの見本帳ーダークサイト −4
2012年05月27日(日)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)  
  * 鼻白む出来事  
 ここで紹介されていた新宿の百貨店の地下のベーカリーでの出来事が、
どこにでもありそうなエピソードである。品性卑しからずの70歳すぎの老人が、
盆に乗せていた一斤のパンを落としてしまった。不思議なことに誰も、そのこと
に気づいていないようだった。そこで、その老人は素知らぬ顔をして拾い、元に
戻して別のパンを乗せ変えた。著者は呆然と、それを眺めていたが不快感を
持ったという。正直に店員に話せば普通なら店の方も心得ていて、新しいパンを
取り替え、そのパンは奥に引っ込める。それが、外見に相応しくない品のない
行動に老いのイヤラシサを見せつけられてしまった。 私も雨の中、ある駐車場
から一般道に出るとき、溝の鉄板が外れてしまったことがある。大雨が降って
いなければ元に戻すところだったが、誰も居ないことを良いことに、やり過ごした
ことがある。その後の数年間、その近くを通るたびに自己嫌悪に陥った経験がある。 
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの
残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。もちろん、落城に付き
ものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついて
まわる経験則が無いのだろう? 品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との
自問自答だけ。後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の
勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。老化からくる偏執は、自分の
価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、
そのへんから見えてくる。著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、
偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、底が浅い不良少年に
まつわる物語にされてしまう」と述べている。社会的弱者になる、ということ。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、
独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、意地悪ばあさん、
じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、
こんな私を神様、お助けください!か。
 ・・・・・・
3714, ジャズについて −9
2011年05月27日(金)
 モダン・ジャズの誕生 ー�    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * マイルス・デイヴィスが生んだ 「クール・ジャズ」とは ?
【 そのチャーリー.パーカーのクインテット(五重奏団)でトランペットを
 吹いていたマイルス・デイヴィス(一九二六〜一九九一)は、四九年から五〇年
にかけて伝説的なレコーディングをする。このレコードの発明(四八)からほどなく
して録音されたこれらの曲を、レコード会社は『クールの誕生』というタイトル
でまとめた。これは、その名の通り「クール・ジャズ」の誕生を告げたアルバム。
クラシックでは馴染みの楽器、チューバとフレンチホルンが加えられたこの
レコード。 ここでのプレイでは、ビバップにはまだ残されていたドライブ感の
あるビートやホットな音色はきれいに消え去り、かわりにビブラートのない繊細
な音色、明瞭で軽快なスウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統で
あるブルース的な表現も極力抑えられており、その意味では、クール・ジャズは
ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽、ともいえる。事実、その後のクール・
ジャズは、白人中心の展開を見せる。マイルス自身も白人のアレンジャーである
ギル・エヴァンスや白人ピアニストのビル・エヴァンスなどとともに
「マイルス・アヘッド」「マイルストーン」「カインド・オブ・ブルー」など、
歴史に残る名盤を発表している。また、マイルスはそのキャリアを通じて、
モダン・ジャズの歴史に大きな足跡を残すとともに、つねに新しいアイデアを
提供し続けたアーティストであった。 ヘロイン中毒から立ち直った一九五六年
には、クインテットを結成してパートナーにジョン・コルトレーンを迎えている。
この頃のアルバムに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がある。
 六〇年代後半には、テナーサックスのウェイン・ショーターやピアノの
ハービー・バンコックらの新進とジャズの枠を飛び出す新しい方向を模索し、
その成果は六九年の「ビッチェズ・ブリュー」で開花することになる。 
エレクトリック・サウンドの導入による、ロックとジャズの融合という果敢な
試みを成功させたこのアルバムは、伝統的なジャズファンの間では賛否両論を
巻き起こしたが、マイルスの名声をさらに高めることになる。七六年には一時
引退し、再びドラッグに手を染めたが、八一年に復活。彼の音楽はより
ポピュラリティを増したものになり、ディスコでもかかるようになった。
日本のCMにも登場するなど、ジャズブァン以外にも広く名前を知られる栄光の
うちに、九一年、六十五歳の生涯を閉じた。なお、四〇年代後半にニューヨーク
においてマイルスによって起こったクール・ジャズは、朝鮮戦争で軍需景気に
沸くロサンジェルスなど西海岸にも飛び火し、ウエスト・コーストジャズなど
と呼ばれるようにもなった。こちらも、中心は白人ジャズメンであった。 】
▼クール・ジャズを要約すると、「ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽」
 で、白人中心の展開を見せはじめた。ビバップにはまだ残されていたドライブ
感のあるビートやホットな音色は消え、かわりにビブラートのない繊細な音色、
明瞭で軽快なスウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統である
ブルース的な表現も極力抑えられた。この辺になると、ジャズマニアの嗜好の
範疇になる。この辺を意識して、貰った千数百のジャズの曲を改めて聴くと、
それぞれのジャンルを想定しながら聴くと、また違って聞こえてくる。
 ・・・・・・・
3349, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −3
 2010年05月27日(木)
 「2011年新聞・テレビ消滅 」佐々木 俊尚 (著)
  * 新聞の敗戦
ー第二章 新聞の敗戦ー の内容は強烈。著者によるマスコミの死亡予告。
  その一部分を抜粋してみる
≪ 結論として、こういうことだ。何をしたって助からないものは助からない。
 コンピューターの時代がやってくれば紙のマスメディアが成り立たなくなる
ことは、実はアメリカでは何十年も前から議論されていたが、これまで
「こうすれば何とか生き延びることができる!」という話は聞いたことがない。
もう紙メディアは「さようなら」である。≫
 ここまで書いて良いものかと一瞬思ったが、著者の言うとおりである。 
さらにいう、≪ 新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに
「押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞販売店をいじめてきた
流通寡占と広告減少が密接にかかわっている(中略)寡占が進むと供給者と
需要者の間の情報を取り持つ広告の機能がなくなってくる(中略)メーカーなど
の供給者は、マスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、
セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらう
ほうが効率的という考え方になる新聞、テレビが来年、消滅するというより、
壊滅するのは間違いないようだ。地方の新聞社にとって三行広告というのが
隠れた収入源だったのが、アメリカでは、これがネットにより崩壊過程にある。
「売ります」「買います」「仲間募集」といった個人広告がそうだ。≫
▼ 何度も書いているが、アップルのタブレット式のiPadが明日発売
 されるが、これが新聞の息の根をとめる役割になる。日刊紙だけでなく、
週刊誌も、月刊誌もだが。3〜5年もしないうちに、全国紙が倒産か、大同
合併をするしかない。総部数も半分か三分の一になる、といっても実感が湧か
ないが。新聞記者より、端末を持って現場にいる人の方が、情報を先取りし、
共有してしまう。さらにミニブログのツイッターが爆発的に普及しているが、
これも影響してくる。電子化の波は、新聞、そしてTV局を破壊する大津波である。 
次は、テレビ、いやテレビ局の崩壊について、である。


5185,閑話小題 〜ヤマダ電機、46店舗閉鎖

2015年05月26日(火)

   * ヤマダ電機が5月末に46店舗の閉鎖
≪ ヤマダ電機が5月末に閉鎖する46店舗のうち45店舗は郊外型で、
 需要低迷が目立つ地域で事業を縮小する。一方、今年度の新規出店数は
15店舗と従来の半分程度に抑えつつ、目玉店舗として東京駅・八重洲口側に
新規出店する方針。増加傾向にある訪日外国人の需要を取り込む狙いがある。≫
 というニュースが、先日、突然発表された。
以前も書いたが、郊外型店舗で欲しい商品を見て、実際に購入するのはネット。
確実に二割はお買得になる。ヤマダ電機の総店舗数は国内外あわせて4,401 店舗
もあるから、僅か一%あまりだが、発表後、一週間で閉鎖とは・・
 買ってはないが、目立たない「自転車用ヘルメット」をネットで調べたが、
思いもしなかった帽子に組み込む隠れヘルメットがあった。また、帽子に組み
込まれたヘルメットもあった。それらは、自転車専門チェーン店も販売してない。
 情報化は、あらゆる業態の既存のシステムを根こそぎ破壊している。
   * カースト制度
 インドに行ったときに、まず疑問に感じたことが、『何故、カースト制度が
三千年も存在し続けたのか? 階級間の争いが起きなかったか?』であった。
それに対して、階級が高いアーリア人のガイドが曰く、『それぞれ階級には、
その下の階級が存在しているので、上からの差別を、そのまま下にするため、
バランスが取れている』と、平然と話していた。平等は分かっているが、肌の色、
人種、宗教上からして、アーリア人が、それ以下の人種と混血にさせないため、
つくり上げたヒンズー教。分かってはいても、階級を容認するしかない、という。
考えてみたら、自由、平等、博愛の理念は理想であって、現実は、その逆。
日本のような島国では、実質的なカースト制度が長年かけて構築されている。 
 笑い話?に、『平等の理想が困難なのは、みんなが自分より上位の人間との
平等を願うから!』がある。 なるほど、確かである。その希求は、思いの他に
強いものがある。そのため、下方ほど、他人の粗探しに精を出す「世間びと」
になる。が、それも、差別。『世間虚仮、唯仏是真』というが、せめて、自分も、
「世間びと」の自覚を。ところで、老いるたび、社会の隅に押しのけられていく?
・・・・・・
4820,閑話小題 ー22年ぶりの車選び
2014年05月26日(月)
  * 22年ぶりの車選び
 日常生活の中で、TV、パソコン、車の位置づけは大きい。
この年齢になれば、便利で、面白そうで、実利的であることが第一になる。 
年金生活者ということがあるが、これが最後の車の買物?となると、大いに
迷いが出る。しかし、選定のための中古車センターまわりは、なかなか面白い。
 22年間、乗っソアラの車検の見積で、修理費など30万といわれていた
経費がマフラーの交換が加わり、50万以上の見積になった結果、急遽、買替え
を決め、先週、連日、市内と見附と三条の中古車センターをまわった結果、
メーカー直の販売所に比較的良い車があることを知る。まず、ソアラ・クラスの
三ナンバーの大型車か、普通車のセダンか、スポーツタイプかと判断に迷った。 
まわって思い知ったのは、22年も乗っていた車より、どの車も、遥かに良い!
ということ。「このソアラは当たり!」という思い込みが、過剰に縛られる
ことになっていた。
 日産とトヨタというと、先代のソアラと、その前のコロナを加えると、
35年以上もトヨタ車を乗ってきたため、トヨタ系を選びたくなる。 
また、車は家内名義になるため、どうしても最安の選定に引っ張られる。
こういう時に、偉そうなことをいっても、森の生活とサバンナの年金生活の差
が出てくる。歳からして、あと?年しか乗れないから、可能な限り良いものか、
逆に安いものか、大きな迷いになったが・・ 何の制約もなければ、年齢を
考えても、トヨタのスポーツ車にするが、中古でも結構な値がする。
今更、遠出も、スピードも出さないため、考えた末に止めた。
 で、決めたのが、トヨタの「マークXジオ」、走行距離57千キロの格安
のワゴンタイプ。一応スタイルも気に入った上に、実用的が判断基準。
オーナーは、もちろん家内。で、ますます頭が上がらない。産業廃棄物とは、
よく言ったもの。で、車選定も一歩手前の己と似たのを探し出す!
・・・・・・
4453, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー1
2013年05月26日(日)
 スポーツジムのヨガに週二回参加して15ヶ月になるが、家ではやらない。
ジム内のフリースペースで常に数人がヨガやストレッチをしている。
半年前にストレッチマットを買って始めようかと考えていたが、何もしなかった。
丁度良いタイミングに、図書館でこの本を見つけた。100回以上のヨガで、
ここで取り上げているポーズの殆ど経験している。その中で、自宅用として
要約して、「どうですか!」と提示されたよう。 独り部屋でヨガをしている
姿も奇妙といえば奇妙。
  ー著者からの内容紹介ー
動かすだけで、体に自然と力がみなぎり、元気になる!!
1日5分、1週間でマスターできるように、「息の出し入れ」「体の動き」
「気の流れ」の3大要素を、徹底図解。読んでいくだけでも、ヨーガの効果が
体得できてくる!私の師匠が長年提唱し続けてきたヨーガは、インドの伝統に
のっとったうえで、体位法などの形のみに偏らない、呼吸を大切にして
「気の流れ」のあるヨーガでした。しかもそのエッセンス的ヨーガの中に、
伝統的に重要な行法をすべて濃縮した、極めて濃度の濃いものなのです。
本書で説くヨーガも、難解な体位などの実修は含まれていません。
「ヨーガ独得の呼吸法の解説」と、それを通して得られる「生命エネルギー、
気の獲得」そしてなによりも、こうした要素を簡単に
「1日5分、2種類の実修から」始められることが、大きな特徴となっています。
 ●4つの呼吸    ●1日目 胸を開いて   ●2日目 足腰を軽快に  
 ●3日目 身体の前後両面と手指  ●4日目 背骨にいきいきと 
 ●5日目 胸と脇を開き  ●6日目 上体を反らせる 
 ●7日目 1週間の疲れを癒し  
  ●オーダーメイド・ヨーガ   ●症状別のヨーガ    
 次回には、4つの呼吸法を紹介するが、なかなか良い。
 −−
 瞑想は釈迦も取り入れて悟りに至ったが、ヨガとして確立したのは、
後のようだ。 「まえがき」の冒頭で〜
≪ ヨーガは、もともとインドの哲学や宗教のすべてに共通する宗教的な
 実践法でした。仏教も例外ではなく、心を集中し統一するための実践という
意味で、ヨーガ(瑠雌)ということばが使われています。とくにインドの宗教史
のうえでは、グプタ王朝(4〜6世紀頃)の時代に『ヨーガ・スートラ』を根本
聖典とするヨーガ学派が成立し、ごれにもとついてさまざまなヨーガの流派が
出現しました。そのなかでも、12〜13世紀以後に発達した「ハタ・ヨーガ」
と呼ばれるものがもっとも重要で、現在行われているヨーガに直接的に影響を
与えています。「ハタ・ヨーガ」とは、肉体的な修練や呼吸の制御などによって、
心の集中、統一に適する身体と精神力を築き上げる方法です。ヨーガは主と
して健康法として人々に受け入れられていますが、本来は真の意味での
心の安泰、あるいは真実の自分の発見という宗教的な目的をもった
行法であり、瞑想と深いつながりがある。≫
▼「心を集中し統一するための実践法」で、心の安泰と、真実の自己発見が
 ヨガの目指すところ。ヨガの先生が言うには、「私の日常の行為の殆どが
ヨガに繋がっている。歩いても座っても寝ても、靴を履く行為さえも」。
・・・・・・
4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3
2012年05月26日(土)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)   
  * 第一章 孤独な人       
 孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固に
なると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。この章で紹介
している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 
私も長く生きるほどに、この中の誰かに似た人になっていくのだろう。
いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾
が誰の心にもあるのだろう。理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。
社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなり
 きっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた惨たらしい
出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせて
くれるから、「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずには
いられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。わたしはこの章で、
自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを紹介してみようとした。
すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、
心身の能力は衰えていく。もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになって
いく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。
家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、無力感や孤独感
が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に
近づくことでもある。また、馴染み深い人や大切な人がいち早く彼岸へ
旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。
だからこそ恐ろしい。だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、
あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いて
しまう理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。
もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の
 老人が長生きの果てに待っている結末か。逆に90歳半ばを超えて元気で、
あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の
愚痴と、悪口、噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 
とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
  ・・・・・・
3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー�    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、
 モダン・ジャズという言い方もする。それほど、ビバップ・スタイルの出現
は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、
トランペット奏者デイジー・ガレスピー(一九一七〜一九九三年)。
「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜
一九六六年)も、のちのジャズメンに多大な影響を与えた
(アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジング・バド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく
正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー(一九二〇〜一九五五)
があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる
管楽器サックス(サキソフォン)が果たす役割は、他の音楽に対して比較に
ならないほど大きい。バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このように
ジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、あえて代表をあげる
なら、のちに触れるジョン・コルトレーンとカンザス・シティ出身のこの
チャーリー・パーカーをおいてほかはない。サックスを、それこそ自在にはね
回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間
につけられたパーカー。芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と
麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ
天災であったことは間違いない。 】
▼ それぞれの楽器で、その時代のジャズを特徴づける奏者が出てきてきて
 いた。パーカーはサックスである。モダン・ジャズでのサックスの役割は
大きい。モダン・ジャズは、更にクールジャズへと変っていく。
 ・・・・・・・
3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
  * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快が
ない夢をみた。これは不徳のなせること?もう一つが夜空の星雲をみている夢。 
それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、
夢でしか経験できない内的な経験である。もっと近づいて見ようとするうちに
夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めて
だが、こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や
「2012年」をシアターでみたのもあるか。3Dの映画やTVで、これに近いか、
それ以上の経験もできるのだろうが。脳の奥行きの深さを夢で知らされた
思いである。こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする
内的経験であった。内面は宇宙ということ? 
  (字数の関係でカット2011年5月26日)
 ・・・・・・・・
2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。
「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、
欲しいだけ、いくらでもニッポンATMからゼロコストで引き出しできる
というのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに
流れていき、世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力と
なったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに供給してきた
キャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、
産油国が好景気を堪能した。 (字数の関係でカット2008年5月26日)
・・・・・・・・
2609, サルトルについて、考えてみる ー1
2008年05月26日(月)       ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想
・哲学者であった。サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれて
いる「対自」と「即自」と「対他」というキーワードがある。これらの言葉に
出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。犬は己を犬と思わない。
  自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを
  意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、
それぞれの本質が作られる。実存主義だが、サルトルは、それで、「私」
という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 この辺が学生時代の「私」の
理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトル
に集中してみた。なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。
共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、現在振り返ると、
それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように
考えている自分がいる、ということだけは疑うことが出来ないのではないか」
と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。それをサルトルは
批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」
の「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって
「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、
 一から自分をつくりあげていくしかない。それが人間の「自由」である。
 投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へ 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければ
ならない。と同時に社会の未来に対して責任を負うべきである。ー 等々である。         
次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)


5184,世間の捨て方 ー①

2015年05月25日(月)

         『世間の捨て方』ひろさちや著
 常日頃から、ここで〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も
述べてきた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い初老性
鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  〜まえがき〜より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と・・
「世間の人から褒められる人間になりなさい」「立派な人になりなさい」と
教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていたのです。
しんどい生き方ですね。よく考えてみてください。世間の「期待」に応えると
いっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか? 場合によって違っています。とすると、あなたが
企業の「期待」に応えるためには、場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。 疲れますよ。そんなことをしていると、
人間失格になってしまいます。だから、世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ
悩んでいる人間です。いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせて
いたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も
予測できません。とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。
「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
たとえば、学校の試験において、かりにあなたが不合格点をつけられたら、
「あんな問題を出すなんて、教師がまちがっている」と言えるぐらいの人間が
いちばんいいのです。あなたが働きやすい場所でなければ、それは会社が悪い
のです。会社の管理職は、あなたがもっと働きやすい組織形態に会社を変える
必要があります。そう思えるようになるのが「自己中心」の生き方です。
 本当にお先真っ暗な時代です。こんな時代を生きるには、世間に気兼ね
していてはだめですよ。だって、世間のほうがどうしてよいか分からず、
われわれに気兼ねしているのです。わたしは、いまの時代をそのように
読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、
われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰も言わなかった
ことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。・・ ≫
▼ 母親が亡くなった財産分与の話合いの時に、姉四人が、私に
『何で特別に、アナタだけが、学生時代から、何ごとも自由に許されて、
したい放題。私たちは両親の監視下で、何にも出来なかった。あまりに
理不尽過ぎる。特に父親は厳しすぎた。しかし、あなたに甘い』と、
あたかも、私が父親であるかのような怒りをぶつけていた。厳しかった
父の姿を見てきたこともあり、両親を含めた「世間様」とは、心の奥で
一線を隔した内省的な性格になっていた。 で、このザマだが、自由に?
生きられた充実感は、何ものにも勝る。 今日は、「ひろさちや」の過去分の
読書日記を、以下にコピーした。 改めて読んでも、納得する内容。
――
2007/02/15
2144, 「狂い」のすすめ −1 
       (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜  サム!
閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・一期は夢 ただ狂え」
を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
まさに何時も、ここで書いていることである。
私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、団塊の世代の
マニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。
人生に意味など無い、生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。
あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー       
                     ー読書日記
                   著者:ひろさちや :集英社

 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。
狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きようと呼びかける。
     ー表紙裏の内容紹介ー
 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく
生きましょう。「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
 
−面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、
  エコノミック・アニマル、すなわち畜生の生き方をしています。
  日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、
  裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?
  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。
  だから楽なんです。ところがわれわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か
  味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、
 《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
*『わたしたちは、人間を商品価値、機能価値で測ってはいけません。
  機能価値は相対的に変化します。
  勤勉な人間の方が怠け者より機能価値が高いようにおもわれますが、
  その機能価値は他者との縁によって一時的に付加されているものであって
  絶対的なものではありません。
  従って、人間の価値は、「存在価値」で論じられるべきであって、
  その存在価値を測る物差しは、「仏の物差し」「神の物差し」
  でなければなりません。それは目盛のない物差し「測らない物差し」
  なのです。』
    
= 要約をすると=
 ー大多数である弱者が世間(=強者)の奴隷とならないためには、
  世間(強者)が『常識』としている(それはしばしば強者の都合で変わる)
  ことがらを信用しないことである。
  だがまともに闘おうとしても勝てっこないので、むしろ世間(強者)から
 『狂っている』とみなされるようにすれば、世間(強者)も遠慮してくれるで
  あろう(いつ噛み付かれるか恐れるからだ)。
  今の世間(強者)の方が狂っているのだから、その常識の中で
 『狂っている』ということは逆にまともといえる。ーということだ。  
  
少し強者でなければ実際は難しいがね!
−今回はこの本の大筋の面白そうなところを書いたが、
 次回は、狂ってみせる対象の世間様からのアップスケールについて、
 主観を込めて書いてみる。世間はバカが多いからね!
 なら、もっとバカになっていればよいだけじゃないかい?
 そのままがバカだから、バカになることもないか!
              つづく ¥(*^_^*)\ バイバイ
―――
2006/02/02
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1
                     −読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。
その幾つかを抜粋してみる。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 まずは、
「こころの震えを感じるとき」
 ─まえがきに代えて─      五木寛之
「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。
「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様だろう。
「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし、
「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるにちがいない。
 しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。
「題名いろいろ」と、歌いとばしてもらっても一向にかまわない。
とりあえずここにギュウギュウづめになっている三十篇の文章を、
どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから読みはじめてごらんなさい。

「人間いろいろ」「文章もいろいろ」、こんなに各人各様でいいのかしら、と、
あっけにとられる位に個性的な書き手のオンパレードである。
声に出して笑ったり、ため息をついたり、なるほどなあとうなづいたりと、
私自身、人生を三十回生きたような感じがした。
 才気あり、含蓄あり、厭味あり、教養あり、風格ありと、
活字を読む楽しみこの一冊につきると言えば、
いささか香具師の口上めいてくる。
羅針盤の針は必ずしも一点を指すわけではない。
 実際に磁石を使ってトレッキングしたかたなら経験がおありだろう。
震える針は揺れ動きながらも、最後は落ち着くところに収まる。
この三十篇の文章は、右へ左へと跳びはねながら、
最後は或る一点に読む人を導く。
 それは「こころ」という実体など、じつはどこにもない、
という乾いた真実である。
私たちが「こころ」と信じているものは、存在する人間の影にすぎない。
ひとりひとりの性格や体型が異なるように、
その影も異なったかたちをしている。
 私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。
ここに集められた文章のすべてに、その確かな意志がひそんでいる。

 そのことが感じられたとき、震える私たちの「こころ」は、
それぞれの一点にむけて収斂するにちがいない。
ここにあるのは、そのような力を秘めた見事な文章ばかりなのである。
                        
ー評ー                        
 作家は、どうしてこのような上手い文章を書けるのか、
その博識に驚かされ、ただ感じ入るだけだ!
                     つづく
――――
2015/02/15
真の友人 ー楽しく生きる一日一話 〜③       
   * 真の友人    【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)
 私に真の友人がいただろうか? 学生時代からの友人が存在するし、
仕事での付合いから、気心が知れた人が何人かいる。そういう人は、年に
一度か、数年に一度しか会わないが、それで十分。この随想日記は、一方的
に、友人にトッテオキの情報を知らせる感覚で書いている。 その意味で、
ビュアーは私と会っていると同じ? しかし残念ながら、知人で同じ感覚で
ブログを書いている人はいない。今ではソーシャル・ネットワークもあるが、
何か参加する気になれない。 ー以下のドイツ人の友人観に同感するー
≪  ある日本人がドイツ人に尋ねられた。
 「あなたに友人はどれくらいいますか」
 日本人は、『さあ、百人か二百人くらい……」と答えたが、
 それを聞いてドイツ人は驚いたという。 
  ドイツでは、その人のために自分を犠牲にできる人 
 ――自分が何も言わなくても、自分をわかってくれる人――
 この二つの条件が満たされて、はじめて「友人」と言えるそうだ。
 だとすれば、百人も二百人も友人がいるわけがない。
  ドイツ人が驚くのも無理はない。
 わたしたち日本人は、いささか「友人」を安売りしているのではないか…。
 簡単に友人ができる、友人をつくれる、と思い込んでいる。
 だから、自分に友人がいないとさびしくなる。
  しかし、真の「友人」というものは、一生に一人得られるか否か、
 といった存在なのだ。そう考えると、いま自分に「友人」がいなくても
 悲しむ必要はない。これから死ぬまでのあいだに、真の「友人」に
 めぐりあえぱいいからである。きっとチャンスはあるであろう。 ≫
▼ 以前、トーク番組で、『私には友人がいません!』といってのけ、
 周囲が一瞬、静寂になった、のが印象的だった。これを公然と言放つには
 強さが必要である。20歳時に、両親の後姿から、創業を決意した時から、
 自ら友情を求めない孤独業、一種の自閉症になっていた。といえ、友人は
 存在していたが。 創業を決意して見えるのは、自分の卑小、無能だけ。
 しかし、今さら後には退けない袋小路で、その都度、友人ができていった。
―――
2015/01/23
貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜②
       < 本日「いいかげん」日和  一日一話 >ひろさちや(著)
   * 貧・病・争と宗教
 優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。
解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳と。
それに気づくの老年というのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。
そのまま自然であれば、何ごとも良い方向に運ぶということ。
≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ―
 と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、
そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく
のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が
治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しいまま、
病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。
わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。
 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった
本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と
いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、
嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。
宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。
嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが
できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫
▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを
 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方
でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん
即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω
・・・・・・
4697,末期がん、その日のための予習を ー1 
2014年01月23日(木)
        ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。
父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え去る
恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。 いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、
何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、
死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の
イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、
ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に
すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 
哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者
との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に
取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。
 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」
の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで
死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の
患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。
余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 
多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか
に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族
ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という
命題をつきつける。
●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い
●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ
●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか
●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 
 (字数制限のためカット 2015年5月25日)


5183,TPPを考えるに

2015年05月24日(日)

                『読書脳』立花隆著   
  * TPPは、アメリカが世界の富を吸い上げる戦略の要!
 ここで、反対の立場からのTPP入門書を紹介している。
「TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ地域経済を
太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。」と談じている。
日本国家として、それを分かっていても、中国との地政学上、その枠外に
出ることは不可能。その上に、現政権は、保守本流で、アメリカのポチなら・・ 
日本は70年前にアメリカに敗戦、現在に至るまで、軍事、経済と間接支配を
されており、そのブロックからの脱出は不可能! =アマゾンの紹介より
≪ 世の中、TPPへの参加をめぐって賛否両論がわきたっているが、もうひとつ
 議論の焦点がよくわからんと思っている人への、最良の入門書が、E・トッド
他十一人の著者による論集『自由貿易という幻想』。 これは賛否両論を要領
よくまとめたどっちつかずの入門書ではなく、「反対」の立場から、なぜ反対
すべきかを、多くの論者がさまざまの論拠から明らかにした党派性ある入門書。
非常に説得力がある。TPP参加を「第三の開国」と唱える人々は、自由貿易を
アプリオリに善とし、保護貿易をアプリオリに悪とする考えにとらわれ、
保護貿易は世界経済をブロック経済化し、世界恐慌に通じる道だとするようだが
それは正しくない。TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ
地域経済を太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。
その目的は、双児の赤字に悩みつづけ、ドル価値を落してきたアメリカが、
その囲い込みをテコに再浮上をはかろうとすることにある。
 年の大統領一般教書演説で明らかにされたように、「アメリカは、2014年
までに輸出を二倍にし、もって自国の雇用を増やすという戦略」を持つ。
「そのための戦術は、第1に為替の誘導であり、第二に非関税障壁の破壊である。
いずれも、八○年代のプラザ合意や日米構造協議以来、アメリカの伝統的な
経済戦術」。考えてみれば、ドルと金の交換停止(ニクソン・ショック)は、
「史上最大のアメリカによる債務不履行宣言」といってよい。
 その後、世界の通貨制度は、「ドル"準金本位制からドル基軸.変動相場制
に移行した」が、それは、金の裏付けを失ったドルを、「超大国アメリカの
軍事力と消費市場の巨大さを背景に流通させる」というシステム。それに
よって「アメリカは一種の中央銀行としてドルの発行で特権的な利益を享受し、
貿易赤字を気にする必要がなくなったばかりか世界経済を通貨と金融の面で
自由に操作」できるようになった。その後のアメリカは、実体経済の弱さを
「自国に残された唯一最強の商品であるドルを駆使して打開しようとする国」
になってしまった。その結果招かれたものは、「世界経済の金融化」と、金融
資本を国家の壁を越えてスムースに動かすことを可能にする「グローバリ
ゼーション」。その果てに出てきたTPPの推進は、「吸血鬼よろしく、アメリカ
ができる限り世界の富を吸上げて瀕死のドルに輸血するための策」と見てよい≫
▼ 欧州経済共同体(EEC)をなぞった「太平洋経済共同構想」の通貨統一を
 除いた経済圏なら、日本の農林業や、金融業は、更にアメリカ支配が強まる。
 特に、日本の金融資産は骨の髄まで毟り取られることになる。
 韓国の現状が近未来の日本である。国民の7割が国外移住希望という国に!
・・・・・・
4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1
2014年05月24日(土)
 自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄。
私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断
などの語り直しの絵柄も面白くなる? 実感としては、「この結果こそベスト?」
と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」という気持ちを含め、断片的に語って
きた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果
なればこそ、自覚できる。隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 
ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の再編になるが、
視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに
気づいてきた。語り直しは、あまり気持ちの良くないが、書き続けるうちに、
新しい視点が多く出てきている。自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、
その記憶そのものを変える作業は、極度の神経の集中が必要になる。
 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    
   * 学生時代編 ー前編 
① 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り
 語りを始める。漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、
「キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』のテーマのレポートが
 宿題に出された。そこで、それまで真剣に考えたことがなかった自分の将来に
 ついて考えてみた。 その内容といえば、『 父親のような創業を幾つか挑戦
 してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい! 』と。 
 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を
 改めて見直すと、前半二年の教養課程が、人生の土台になる学問。後半二年が、
 そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくため
 のカリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、
 学生時代や、病気療養の期間を、「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分
 らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。
 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる
 目標を明確にするため必要であったことは、体験上、充分に理解出来る。 
 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。
 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計
 に気づいたことになる。卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいた。 
 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。
 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 
② その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族
 の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を任されていた軽井沢の山荘に
 手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて
 掃除とか、料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界
 を楽しむようになった。そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を
 憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の住人になる
 には、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、
 早朝の朝靄の小道の散歩は格別! 世界には一部の裕福層と、その他が存在
 することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、夕食後の
 ミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。
 それも御客は若い女性ばかり・・
・・・・・・
4451, しまった! ー1
2013年05月24日(金)
    ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、
「人の認識は対象に従うのではなく、認識が対象を決める」。それを知識として
知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して
意識的にも無意識的にも話を作りかえる。  
 まずはー内容紹介ーより人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、
面白くてネタになるトピックを「これでもか」というぐらい集めて分析した本。
たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」
  という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
  その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は
  大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、
  利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、
  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために
  嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度にわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には左右されない。
 (ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)など、興味深い話がてんこ盛り。
▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような
 前提で動いている。私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに
「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 
キャリアは自身でつくり上げるもので、与えられるものでない。実際のところ、
成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。
そして、失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は
何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス)
2012年05月24日(木)
     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)  
 * 魂に磨きをかける    
   第一章 しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、
 死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、ソクラテス
は考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは
愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、なぜ恐れるのかと問いを発する。
命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を
受ける。 ・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。
自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、単に、
汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく
生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、自問自答するので
はなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 
ソクラテスが探そうとしたのは「真理」であって、ソクラテスらしさでない。
探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、
命をかけて真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけ
を行わなければならない。この対話、営みは「パレーシア」(真実を語ること)
と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための
技術ではなく、「相手に問いかけること」そして相手の主張を「聞くこと」
に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」
のための手法にあった。何かを知っているから語るのではなく、何も知らない
から、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。
 パレーシアの原点は、そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の
関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分に
ついて語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(論法
と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである・・ ≫
▼「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの
 言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。対話は他者だけ
でない、自分の経験に対してもおこなうべきである。そのため老後という期間が
人生に与えられている。老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまでの
人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。
魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                ー「音楽の本」三枝成彰著より
 ー1935年、2ビートから 4ビートへー「スウィング」の時代ーP192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、
 よく知られたタイトルの曲がある。 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況
がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていた
ニューヨークで、スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・
スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスのための
ジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の
2ビートから4ビートに移行したのも、このスウィング・スタイルの特徴であり、
心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年
に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるをえなかったフレッチャー・
ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"
たのである。そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズ
に新たな味わいをもたらした。そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールや
クラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れの
よいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイルとして確立させた。
グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった
白人ビッグ・バンドが続いた。 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ
(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街
に集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は
「スウィング・ストリート」と呼ばれた。スウィングを担ったジャズメンは
白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良っぽい
ワイルドな音楽」から「白人による健全でスイーツ音楽」へと変質したわけ
ではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが黒人
だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、
 ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。それも、あのべニー・グッド
マンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ 
それと、学生時代に持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団と
べニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
・・・・・・・
3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白い
とサイトを開いてK-1を見て驚いたが、それっきりだった。それがビデオカメラ
を買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度に
はまってしまった。  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと
 作業の末、YouTube.com をオープンしました。その使命とは「誰でも簡単に
動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、
または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、自身をブロードキャスト
することができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに
素晴らしいサイトに変化を遂げ、活気に満ちたユーザーのコミュニティが
創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は
1 日あたり20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局
3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。自宅の寝室
で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、
HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される1シーズン分のスポーツの試合、
より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領
へのインタビューまでも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
 ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い
感性に驚いている。 (字数制限のためカット2011年5月24日)
・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期
になると、親から一歩はなれ、自分の世界を探し求める者の姿に二重写しになる。
産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき
存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。彼らは、「住まうことと
さすらうこと」を同時にしている。彼等の方向性は、目的とする港であり、
商業の街。彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。
「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと
駆り立ててきた。欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらい
は原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に至るための
受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終
目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)


5182,人生相談という気晴らし! 〜⑨

2015年05月23日(土)

              『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 悟りが在りや無しや?
 世には、「悟り」を真面目に求める人がいるものだが、私の答えを正直に
いえば、「自分が、つくづくバカを悟ること」「体裁を過剰に求めないこと」
と、「自分に対し、あまり誠実でないと自覚すること」である。それは悟り
の問題というより、「自覚」の問題だが。 世界の果て(秘境)で、想像を
遥かに超えた絶景に出会った感動の瞬間が、悟りに近い? 
これは自分が実感するしかないが。
≪ Q: 「悟り」の世界はただの夢なのでしょうか?
 私は五十六歳の主婦です。三十年ほど前、結婚して心のバランスを崩した
ことがきっかけで、精神世界に関する本を読み漁り、悟りという煩悩に支配
されない境地に憧れるようになりました。それから、さまざまな講演や参禅会に
参加したりしましたが、今でも悟りなどとはほど遠く、つい感情的になったり、
主人に嫌味を言ってしまいます。以前と何一つ変わらず、同じところを堂々廻り
しているような気がします。最近はいっそ、悟りなど無いと言われたほうが
気が楽だとさえ思ったりします。本当に悟りというものはあるのでしょうか。
それとも、元々ない夢を追い求めていたに過ぎないのでしょうか。
何か手がかりをいただけると幸いです。
 A: 〜自分で一生かかつて確かめてみるしかないでしょう〜
  今回の相談も「いらいらする」ものですね。大体、哲学者ごときに
「悟り」が在るか無いかを聞いても、まともな答えが返ってこないことぐらい
わからないのでしょうか? 同じように、神はいるのか、善悪の基準はあるか、
真理はあるのか-…、といった問いに、ハキハキ答えてしまう哲学者は、
正真正銘のニセモノです。では、哲学者はこうした問いに対して何もできない
かというと、そうではない。 哲学特有の領域を指し示すことはできます。
あなたはすでにわかっているかのように「在る」とか「無い」という言葉を
使っていますが、じつはその意味は皆目わからないのだ、ということを
あなたに気づかせることです。「悟り」が「在る」としても、それはコップの
ように、空間のように、数字のように在るわけではない。では、「どのように」
在るのか、もしかしたら「無い」のか、と問えば、まず論理学的法則から決め
られるのでないことは確かです。「悟り」は別にそれ自体として矛盾している
わけではないのですから。また、物理学などの科学を持ち出して決定できる
わけでもない。現代科学のすべての成果をもってしても、意識については
わずかにも説明できない。「見える」ということ、私が私の手を「上げられる」
ことさえまったく説明できません。このことを話すと話が長く(千倍くらい)
なりますので、いまはやめます。疑いなく、「悟り」とは意識に関すること
ですから、科学者をはじめ、その体験をしたことがない人が「外から」アレコレ
詮索しても仕方ないのです。言いかえれば、あなたが本当に確かめたかったら、
実際あなた自身で確認してみるしかないでしょう。あなたがいままでどの
ような修行をなさったのか知りませんが、そんなに気になるのでしたら、
自分で一生かかって確かめてみるしかないのです。しかも、最後まで
わからなくて、そのまま死んでいくかもしれないのです。本当に心の底から
出た問いなら、それでもかまわないはずですし、そもそも他人から「手掛かり」
を得ることでは満足できないはずです。そうしないで、安直に答えを求めて
いるあなたにとっては、悟りなんか「無い」と割り切って「気が楽」になった
ほうがいいのではありませんか? ≫
▼ 悟りとは、現象を、色即是空、空即是色と直感できたような一瞬の感覚?
 ネット辞書によると、《悟り(さとり)とは知らなかったことを知ること、
気がつくこと、感づくことを言い、覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った
真理やその取得をいう。サンスクリットでは日本語の「理解」「気づき」
「通達」などの意味に相当する単語はある。》とある。悟りで、恐ろしいのが
「死期」だろう。それから死ぬまで、生きてきた分の人生を生きるというが。
ということは、「死期を悟り、それを受け入れる葛藤を通して得られる心境?
・・・・・・
4817,いま、一人前の条件
2014年05月23日(金)
 朝日新聞の(耕論)「いま、一人前の条件」=規範ない、寅さんのつらさ」
ノンフィクション作家・高野秀行が面白い。 私が一人前として自立できたと
感じたのは27歳の時。父が亡くなり、最初の事業を千葉で立上げと同時に結婚。
その時、石油ショックが起きて、ただ無我夢中の日々だった。両足に鉄の下駄
を履き(結婚生活)、背中には創業という重い荷物を担ぎ、よろよろと坂道を
登っているような日々だったが、これが私の独り立ちであった。 
以下の内容は、世界における「一人前の条件」だが、やはり結婚が大きな
目安のようだ。  ーその全文をコピーするー
《 早大の探検部以来、外国人が入らないような辺境も含め、世界60カ国
 以上を旅してきました。その経験を踏まえて言えば、
・先進国以外の大部分の地域では、結婚しているかどうかが「一人前」の
 一つの大きな基準。20歳過ぎても独身だと、 何か特別な理由、特殊な
 事情があると思われます。正確には子供が生まれて完全に一人前という
 感じでしょうか。
・かって半年ほど住み込んでいたミャンマーの少数民族の村では、子供が
 できて初めてその人の土地がその人の名を冠した「○○の畑」と呼ばれて
 いました。一人前になることは、財産を含めて地域社会から認知を受ける
 という意味でもあります。
・長年、無政府状態が続いたソマリアの取材を続けていますが、ここでは
 「大人」という言葉に、成人という意味に加え、「偉い人」「長老」という
 意味があります。長老はだいたい50歳以上、10人の集団に2、3人の割。 
 人望や財力、教養があり、何か問題が起きた時に「あの人に相談しないわけ
 にはいかない」というような存在です。氏族内のトラブルや他の氏族との
 争いでは、交渉の窓口になり、決定権や責任を持ちます。前例をもとに
 物事が決まる社会なので、年を重ねることは知識と経験をもつ貴重な
 データベースということになり、尊敬されます。私はいま47歳ですが、
 日本も私が子供の頃はアフリカやアジアの発展途上国のように、結婚して
 家庭をもって初めて一人前扱いされるという感覚が一般的だったと思います。
・最近は日本を含めた先進国で、年寄りの経験値の意味が薄れてきています。
 情報技術を駆使できる若い世代が圧倒的に知識量が多い。従って社会的に
 年寄りが尊敬されることもなければ、年をとるメリットも感じられなく
 なります。何歳から何をすべきだ、この世代はこうあるべきだという
 決めつけがなくなり、多様なライフスタイルが認められるがゆえに、単純に
 一人前とはこういう人といえなくなっています。例えていうなら、今の日本
 は山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで、社会規範にとらわれず、
 気ままに旅を続ける「フーテンの寅さん」が急増している社会です。 
 寅さんが増えると少子高齢化がさらに進み、社会が回っていかない。
 同時に本人もつらい。規範がない社会では自分でそれを作らなければ
 ならないからです。特に日本人は自分で自分の価値観を作ることが苦手。
 でもいったん自由になると、なかなか過去の価値観には戻れません。
 「一人前とはこうだ」というモデルを強要しない社会は、
 「自由はつらいよ」ともいえるんじゃないでしょうか。  
* 高野秀行 66年生まれ。早大探検部時代にコンゴを探検し
 「幻獣ムベンベを追え」
          でデビュー。》
▼ 私の人間としての一人前は、三年前の節目時。「なるほど、自立する
 とはこういうことか!」という感覚。 家庭持った時点の自立は社会の中の
承認だが、リタイアー後の自立は、社会の束縛?からの、自立になる。(>'A`)>
いや、超越の方が正しい。真の孤独を味わうべき時に、自立できないで
アタフタしている姿がイジマシイ :((゙゚'ω゚')):
・・・・・・
4450, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー10
2013年05月23日(木)
        ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著 
 人生の大問題は死期が迫り、もう先はないと悟った時の恐怖である。
脳溢血や事故で即死なら別だが、誰もが最期の最期に行き当たる大問題。
だから著者の言葉は平易だが、どれもこれも深い。死を扱っていると同時に、
如何に生きるかの問題でもある。この年齢になると誰も明日にでも突きつけ
られる可能性のある。だから「死を解決する登山道」という。初めは軽い
気持ちで読んでいたが、読むほどに哲学の総論を読んでいるようになる。 
 ーここまで書ききれなかった印象的部分を抜粋してみるー
・切腹を辞さないほどの死の覚悟を常に持つということは、欲の超越、
 自我の超越、生死という二項対立の超越だ。
・むしろ21世紀は、世界が日本化し、日本も日本思想に戻っていく時代
 なのではないかと思う。もちろん、ここでいう日本思想とは、明治に回帰
 したいという現代保守主義ではない。もっと前からの日本思想の原点は、
 無我・無私の心、静かな達人の心だ。
・自己保存本能を超越し、何の因果かこの世に生まれてきたことに感謝し、
 今この一瞬に集中してこの幻想としての自己の存在という奇跡を心から
 祝福する気持ち。悩みや我欲を超越し、世界を愛し、自分が世界と一体で
 あることを喜び、それ以外に何も要らないし、もちろん手にも入らない
 ことを理解する境地。身体で、感性として理解する境地。
・死本来の恐ろしさとは、無で「ある」ことでなく、なぜか
 いったん存在してしまったものが無に「なる」ところにある。
・感覚ではなく心の中の何かに向けられるクオリアを、志向的クオリアという。
 「死が怖い」という感じもクオリアだ。「怖さ」のぞっとした感じが心の中
 からわき上がってくる。
・人間として生まれ落ちて以来身に付けているこのいきいきとしたクオリア。
 これを失いたくないということが、死にたくないということと、根本的な
 意味では同義なように思われる。このかけがいのないクオリアは、あろう
 ことか幻想。本当はないのだ。脳の無意識の計算がやっていることなのだ。
・知情意のクオリアは結びつけ問題を解くためにあるのか? 僕たちが
 生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんてなかった。何もなかった。
 無だ。ところが何の因果か、僕たちは、たまたま知情意のクオリアという
 幻想を持った生物として生まれ落ちた。だから、生きている感じがしている。
・僕は「意識は体験を記憶するために作り出された機能だ」と考える。
 僕たちが生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんかなかった。
 何もなかった。無だ。ところが、何の因果か、僕たちは知情意のクオリア
 という幻想を持った生物として生まれ落ちた。だから生きている感じが
 している。しかし、ほんとうは人間もロボットと同じ自動機械なのだ。
・そもそも、自分が、自由意志や自由な知覚を持っていると思うから、
 死にたくないと思うのだ。
▼ 知情意のクオリアも、心の中の何かに向けられる志向的クオリアも、
 幻想でしかない。実際にそうなのだから、「死ぬのが怖い」というのは
幻想そのもの。半世紀以上以前の中学校の頃、ひとり死を考えて、底知れぬ
恐怖を覚えていた時を考えれば、その恐怖感は、幻想でしかないことが分かる
はず。間近に迫った死を覚悟した時から死ぬまでの間に、それまで生きてきた
全人生を生きる、という。その時に「これは幻想でしかない」と、思えるのか。
・・・・・・・
4076, 老いの見本帳ーダークサイド ー1
2012年05月23日(水)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 面白い本を図書館で見つけた。一日一日、老いていく日々だが、どうも心は歳を
取そこねている。実感がわかないのである。この本は老いの見本帳、それも老醜の
見本帳である。わざわざ自虐的な、マゾ的な、げんなりするような事が書いてある。
<・・人生など呻き声をあげたくなるようなことの連続ではないか。まして
 老いたら、それはそれで独自の当惑や「釦の掛け違い」、恥や失望や悔しさが
待ち受けているに決まっている。ならばそのようなものを、まずは他人事として
味わってみるのも一興ではないか。 ・・気負った言い方をすれば、種々様々な
悲しみや煩悶や屈託を見知ってこそ我々は豊かになれる。その上で若づくりする
 初老期を笑うのも結構だし、共感するのも結構ということになる。> と。  
これまで両親、親戚、近所の老人を見てきた。それが何時の間に、その仲間入り
である。しかし歳を取りそこねているようだ。知的好奇心や、やりたいことが
あまりに多い。気持ちが枯れてきた実感など、どう考えてもない。しかし鏡を
見ると歳相応で、ますます怒りっぽくなっている!
  まずは ーアマゾンの内容紹介よりー
≪ 老いることは、むずかしい……「若さという神話」への無自覚で強迫的な
 執着は虚しい。 ならば、望ましい「年寄り」の適切なモデルはあるのか? 
歳をうまく取れないために生じる恥、勘違い、いかがわしい振る舞い。
老人の不安に向き合ってきた精神科医が、臨床現場での知見と数多くの文学
作品の読解をもとに、老人の心に迫る。 哀しくもおかしな老いの見本帳
   = 序章 初老期と不安 =
≪ 人間の心を安定させ安寧を保つ装置のひとつとして、惰性というものが挙げ
られる。我々は基本的にマンネリに則って生きている。退屈で変化に乏しく、
うんざりする。だがこの十年一日のトーンこそが我々に安心感を与えてくる。
とりあえずこのマンネリにしがみついている限りは、大きな聞違いや不幸は
(たぶん)生じない。 自分の存在意義も生きている意味も現実の確実性も、
みんな惰性の中に埋め込まれている。過去を振り返ってノスタルジックだとか
懐かしいと感じられる事柄の大部分は、リアルタイムにおいて惰性やマンネリに
彩られていた事物なのである。 日々の惰性がストップしたとき、そこに出現
するのは異形の現実である。精神的にショックを受けたとき、生活の根幹を
揺るがせる事態に直面したとき、世界は親しみやすさを失う。当たり前の
世の中が、よそよそしく違和感に満ちたものとして迫ってくる。
我々は孤独感と不安とに襲われる。それこそ実存的な風景とでも称すべきか。
おそらく死とはこのような感覚の究極としてあるのではないかと予感したく
なるような風景に向き合うことになるだろう。我々は日々の惰性を憎みつつも、
それによって安心感を得ている。そしてときに訪れるささやかな絶望や悲しみ
を介して、惰性が、マンネリが失われる恐ろしさを薄々理解している。≫
▼ 「初老期の不安は、それまでの人生の惰性を失うのではないか?」という
 見方は確かに心当たりがある。老いとは、一日一日、死にむかって歩いて
いる時期にある。そして、それまでの人生の返り矢が次々と返ってきて弱者
への道を歩むことになる。老いるのは、まず肉体からだが、それに従って
確実に心も老いていく。それに気づかないのが老醜。如何に包み隠すしかない。
・・・・・・
3710, 自己を見つめる  ー番外
2011年05月23日(月)
   * つれづれに、早朝に・・
 あの日々から二ヶ月近く過ぎ、少し気持ちが落ち着いてきた。 
しかし、いくら平気な顔をしていても、やはり一大事である。数日前に、
自宅に一本の電話がかかってきた。 家内が買い物に行っていたので私が受けた。 
「日テレの番キシャの記者ですが、震災の影響で廃業されたホテルの件の取材の
電話です!」で・・・、拒否反応の感情が先に立ち、「そういうことは、一切
お断りをしています!」と、直ぐに切ってしまった。 当然といえば当然。 
番組では当方は取り上げてなかったが、「震災倒産」がタイトルで、東北から
離れた地域の北海道とかの遠方でも、倒産が出始めてきたという趣旨の内容。 
 ところで、東京も含め関東甲信越以北のホテルは壊滅状態。東京の4月の
ホテルの平均稼働率が80パー以上だったのが、半分以下まで落下したとの
新聞報道があった。 それを見越して見切ったが、読みどおりホテルは壊滅状態。
実際のところ、前倒しを決断できる状態だったから、見切りが出来た。 
が、月末の資金繰りに困るようだったら前倒しは無理。当方は10年前の
9・11ショックで、売り上げが4年かけて3割以上も激減した上、二年半前
のリーマンショックで、更に半減。三分の一まで落ちていた。それでも、借入
返済の減額や、人件費などの政府補助で何とか遣り繰りしていた矢先の、この震災。 
シュミレーションをすると、半年後には丸裸。 今なら銀行債権以外は清算が可能。 
それならばと見切り廃業を決断した。結果からみて、「少し早めの見極めは
打撃は半減、少し遅めは打撃が倍増?、その差は4倍」と、実感している。 
 兄と姉の倒産劇を身近で相談に乗っていたから、断末魔の苦しみを肌で感じて
はいた。「金がないのは首がないのと同じくらい苦しい」が生前の父の口癖。
それは「日々の資金繰りに追われることだけは避けろ」という教え。それだけは
避けたいと思っていたが、こういう結果で終わっても、資金枯渇の苦しみは殆ど
経験しないで済んだのは救いである。 どっちにしても人生は甘いものではない。
生きてきた、そのままが、返りや矢として自分に戻ってくる。プラスにも
マイナスにも。 「これが、生きるということだったのか。ならば、もう一度」
という二ーチェの言葉は、なかなか言えないが、人生全体から搾り出しても
言わなければ・・ 9・11、9・15、3・11と歴史的経済震災と自然震災
に続けて直撃をされると、運、不運とかいう以前の諦念の問題になる。
学生時代に合気道の経験があるが、そこで学んだ一番の教えは危機の際の「引き」。 
危機に出会うことを避けるのが真の極意だが。来年に入ったら、謹慎期間が
(私にとって)終わるので、倒産劇の悲喜こもごものミニ講演を受け付けます。
ここに書けないことが、けっこうある。 個人的には、何時でも・・臨場感が
あって、面白い材料がタップリ・・・ 味付けもして?
 ・・・・・・・
3345, 閑話小題 ―つれづれに
 2010年05月23日(日)
  * トヨタのレクサス


5181,アウシュビッツの回想

2015年05月22日(金)

                      『読書脳』立花隆著 
   * アウシュビッツの奇跡的幸運(地獄に仏)
 二ヶ月前のNHK/BSのアーカイブで、ある女性の奇跡的生還を扱っていたが、
これも似たケース。奇跡的幸運が重ならないと、この過酷の状況下で生延びる
ことなど出来ようはずがない。
≪「シモーヌ・ヴェーユは驚くべき女性だ」と書くと、日本では社会思想家の
シモーヌ・ヴェーユを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私が言及している
のは、もう一人のシモーヌ・ヴエーユだ。フランスで最も有名な女性政治家。
一九七四年シラク内閣で保健大臣になったのを皮切りに、歴代の内閣で保健大臣
をつとめ、フランスに人工妊娠中絶法を導入したことで知られる。一九七九年
には、第一回欧州議会で直接選挙による初代議長に選出されてもいる。
だが彼女を何より有名にしているのは、ドイッがフランスを占領している最中、
ユダヤ人身分証偽造)に問われて、ゲシュタポに逮捕され、アゥシュヴィッツに
送られながら、奇跡の生還をとげたこと。彼女の腕には、いまでも囚人番号の
入れ墨がある。シモータ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ回想録』は自ら筆を
とってその数奇な人生をふり返ったもので、フランスでは〇七年に発売されるや
たちまちベストセラーになった。政治家になってからの話も面白いが、圧巻は
第二章「罠」と第三章「地獄」。逮捕劇とアウシュビッツ時代を語ったくだり。
【アウシュヴィッツに着くとすぐに、その場で囚人の仕分けが行われた。彼女
は十六歳だったが、見知らぬ人の耳打ちで「十八歳」と申告し危くガス室送り
をまぬがれる。子供、老人、身障者など労働に適さないと判定された者は、
その場でガス室送りのトラックに乗せられたのだ。「親や子どもがどこへ
行ってしまったのか(略)カポー(女看守)に尋ねる人がいると、彼女たちが
窓から見える死体焼却炉の煙突とそこから上がる煙を指し示していたことを
私は覚えている。(略)死体焼却炉の煙は休みなく煙をはき出していた。
堪え難い匂いが立ちこめていた】 読んでいくと、彼女が生きながらえたのが
不思議に思えるくらい地獄の生活がつづく。収容所の娼婦あがりの女監督官に
気に入られて「あんた本当にかわいいねえ、ここで死なすにはもったいないよ。
別のところへ行けるようにしてあげる」「でも母と姉が一緒だからいいです」
と断ると、「じゃお母さんとお姉さんも一緒に」と、本当に三人そろって、
アウシュヴィッツから別?収容所に移され、仕事も調理担当に代えてくれる
というウソのような話が本当に実現した。その女監督官がなぜそんな特別の
ことをしてくれたのか、理由はよくわからない。その頃かわいい女囚に同性
愛的サービスを求めて特別の便宜をはかる女看守もいたが、それ的な要求も
なかったという。それから間もな-戦争が終り、女監督官は英国の手で
逮捕され処刑されてしまったので、その理由がいまでもわからないという。
本書には若いときのヴェーユの写真もおさめられているが、確かにガス室で
すぐ殺すには惜しい容貌だ。≫
▼ アウシュビッツといえば、フランクルである。12年前に、彼の本を
 集中して読んだが、人生への絶対的肯定に驚かされた。こういう極限の中で
奇跡的に生延びている人の共通点がある。それは、この状況下から生延びて、
家族か、友人たちと楽しい時間を過ごす具体的イメージを持っている人という。
【人生に何かを求めるのでなく、人生が私に何を求めているかを問うべきだ!】
が、特に印象に残っている。女監督官は、ただヴェーユが可愛いという理由
だけでなく、光る何かを見出したのだろう。そして、その後、彼女は光った
のである。肯定的イメージ化と、信念こそが、人生で最も必要ということか。
――
2003/09/19
《V・E・フランクル》について
 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生の調度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。

特に以下の分析には深く納得をした。
ー自己超越のための3つの意味(価値)ー
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味
          =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味
          =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで
        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること
       ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

ー私が読んだ本は以下であるー
・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録
 V・E・フランクル 霜山徳爾(訳)  みすず書房  1985年
・「それでも人生にイエスと言う」 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1993年

・「宿命を超えて、自己を超えて」
 V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1997年

・「<生きる意味>を求めて 」
  V・E・フランクル  諸富祥彦(監訳)
  上嶋洋一・松岡世利子(訳)   
  春秋社   1999年

・「フランクル回想録:20世紀を生きて」
  V・E・フランクル  山田邦男(訳)  
  春秋社   1998年

・「フランクルに学ぶ 」    
  斉藤啓一 日本教文社  2000年

・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
  諸富祥彦
  大和出版
・・・・・・
2003/09/20
《V・E・フランクル》について
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。
 その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。
ーー 
  『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)
収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛
というのは自ら選ぶことができる」という真実です。精神的自由、すなわち
環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、
外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は少なくない
のである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは
優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、
しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の
最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているの。
「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、
収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。
その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、
自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所
囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。」
 生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういった
ときに、「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくる
のだと思います。変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を
転嫁して他者を恨むこと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単
だけれども、フランクルは、そういった態度は人間としての自由と尊厳を
放棄した態度だと言っているのだと思います。

「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味を
もっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命
も死もそうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況に
あってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が
開かれているのである。」 変えようがない事実そのものをそのまま認識し、
そこから自分はどうするのか、何が出来るのか、といった自らの可能性を考える
態度。それは、苦しみを受け入れ、苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きて
いこうとする態度。人はこのような苦悩を正面から受け取る態度を取ることに
よって初めて、その苦悩を乗り越え、自己をさらなる高みに引き上げることが
出来るのだと思います。ここで、苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。
 フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値という
のは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。彼は、それは如何なる
外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり「不幸」であったり「悲惨」
であったりするような状況)に関係なく得るコトの出来る価値だと述べる。
 このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して挑む
ことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという姿勢
を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも本の
中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたという
事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。
 わたしたちはともすれば、自分を取り巻く様々な運命的な制限(生まれや能力、
容貌、環境などなど)に落胆し、成す術もなく空虚な気分になりがちですが、
しかし、これらの変えようのない事実をしかと受けとめ、その苦しみに塗れ
ながらも、どうにかして何かをしていこうという姿勢こそが、わたしたちを
内的な成長へと導いてくれるのだとフランクルは言っています。収容所の中で
さえ、そのような偉大な所業を成し遂げた人間がいるのなら、現代に生きる
わたしたちに出来ないはずがないでしょう。全ての苦しみをかかえる人が、
それぞれ立っている場所から自己と自己に与えられたモノを見つめることに
よって、それぞれの意味を見出し、苦しみを乗り越えることが出来るはず。
わたしはそう思っていたりします。「真の運命を正しく耐え、率直に苦悩する
ことは、それ自身、行いであり、まさに人間に許される最高の成就であり
業績である。」  (『神経症の理論と治療』より)
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「夜と霧」からの抜粋
ー内面化と内的豊かさー
 人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても、
陥って行くあらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい
”内面化への傾向”があったということが述べられなければならない。
元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的
繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛では
あるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。
なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な
豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。”かくして、そしてかくして
のみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人間よりも、収容所生活を
よりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。”
 若干の囚人において現れる内面化の傾向は、またの機会さえあれば、芸術や
自然に関する極めて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、
われわれの環境とそのすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。
 〜中略〜 あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、
スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の
仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃せ
まいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。
 そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃えあがる雲を眺め、
また幻想的な形と青銅色から真紅色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な
変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の
掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまあだ燃える空が映っていた。
感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に
 「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。
ー運命としての苦悩を受け入れるー
 かかる人々は、著しく困難な外的状況こそ人間に内面的に自らを超えて
成長する機会を与えるものだということを忘れているのである。
収容所の外的な困難さを内的な試練の試みに変える変わりに、彼等は現在の
存在を真面目に受けとらず、それをある重要でないものに貶め、過去の生活に
思いを寄せることによって現在の前では目を閉じるのが最も良いと考える。
ところで具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩のなか
にも一つの課題、しかもやはり一回的な運命を見なければならないのである。
人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人
一回だけで立っているという意識にまで達せねばならないのである。
何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。
”何人も彼の変わりに苦悩を苦しみぬくことはできないのである。
”まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということの中に
 独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。

 ー【フランクルに学ぶ(日本教文社,斉藤啓一】ー
・『 人間など,いくら優秀でも大したことはできない.
   真に偉大な業績は,宇宙の力を借りて行う.』
・『 人間は近くに,神は遠くに幸福を見る.
   神の視点は,人間よりも常に遠いところに置かれている.』
・『 虚栄と誇りは違う.虚栄を満たすには他者を必要とするが,
   誇りは他者を必要としない.』
・『 人生に何かを期待するのは間違っている.
   人生が,あなたに 期待しているのだ.』
・『 信じてもダメかもしれないが,
   信じなければ,実現するものもしなくなる』
・『 絶望とは,もうすぐ新しい自分と新しい希望が
   生まれてくるという前兆である.』
・『 運命は何のために訪れるのか?本当の自分に目覚めるために.』
・『 名優は,いかにさえない役を演じても輝き,
   大根役者は,いかに輝かしい役を 演じてもさえない.
   輝きこそが人生の幸福を決める.』
・『 人生の幸福は,どれだけ快楽を得たかではなく,
   どれだけ感動を得たかによって決まる.』
・『 愛の喜びは,捕まえようとすると逃げていく.
   愛を表現するときにのみ,それはやってくる.』
・『 自分を忘れ,仕事や人間に愛を傾ける人.そんな人にはすべてが
  ひとりでにやってくる.成功も楽しみもである.』
・『 あなたがいるだけで世界は意味をもつし,生きている意味があると
  思わせる人生こそ最高だ.』
・『 いくらすばらしい技術があっても人は癒せない.人間的な
  触れ合いと愛の交流がなければ.』
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【それでも人生にイエスという  (春秋社,V・E・フランクル)】
『 私たちが「生きる意味があるか」と問うのは,はじめから誤っているのです。
 つまり,私たちは生きる意味を問うてはならないのです。
 人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
 私たちは問われている存在なのです。私たちは,人生がたえずそのとき
 そのときに出す問い,「人生の問い」に答えなければならない,
 答えを出さなければならない存在なのです.
 生きること自体,問われていることにほかなりません.』
『 生きるということは,ある意味義務であり,たったひとつの重大な
 責務なのです.たしかに人生にはまたよろこびもありますが,そのよろこび
 を得ようと努めることはできません..よろこびはおのずと湧くものなのです.
 しあわせは,けっして目標ではないし,目標であってもならないし,
 さらに目標であることもできません.それは結果にすぎないのです.』
『 私たちは,いつかは死ぬ存在です.私たちの人生は有限です.
 私たちの時間は限られています.私たちの可能性は制約されています.
 こういう事実のおかげで,そしてこういう事実だけのおかげで,そもそも,
 なにかをやってみようと思ったり,なにかの可能性を生かしたり実現したり,
 成就したり,時間を生かしたり充実させたりする意味があると思われるのです.
 死とは,そういったことをするように強いるものなのです.ですから,
 私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には死があるのです.』
『人生に重みを与えているのは,ひとりひとりの人生が一回きりだという
 ことだけではありません.一日一日,一時間一時間,一瞬一瞬が一回きりだと
 いうことも,人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです.
 その一回きりの要求が実現されなかった,いずれにしても実現されなかった
 時間は,失われたのです.「永遠に」失われたのです.しかし逆に,
 その瞬間の機会を生かして実現されたことは,またとない仕方で
 拾われて現実になったのです.』
『 肉体がなくなってもなくならず,私たちが死んでもなくならないもの,
 私たちの死後もこの世にのこるのは,人生のなかで実現されたことです.
 それは私たちが死んでからもあとあとまで影響を及ぼすのです.』
・・・・・・
4816,尊厳死は必要か ー2
2014年05月22日(木)
      <映画監督・周防正行>ー朝日新聞オピニオン〜耕論ーより
  ◆ 深く悩み納得するのが先 ―②   
(字数制限のためカット 2015年5月22日)

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