堀井On-Line



5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月

2015年04月11日(土)

   * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
   * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評
ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか
 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、
これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。
《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。
彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を
“さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症”
になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに
襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」
と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給
自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め
ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略)
クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見
どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息
していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も
ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん
ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人
たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を
続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、
タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村
に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り
くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず
のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》
▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、
 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、
主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、
脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・
4775,ぼんやりの時間 ー8
2014年04月11日(金)              
  * 「懶」 ー心の余白    「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが
懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。
事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を
知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、
お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。
《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の
 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の
人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。
懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎)
の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?.
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、
それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか
の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の
定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、
東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化
しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして
きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと
動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を
捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは
思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。
 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。
「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに
これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的
瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》
▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった
 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。
それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が
似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては
いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! 
いや、埋めようがない!
・・・・・・
4408, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −6
2013年04月11日(木)
    第五時限「うふふ力を磨こう」ー「隠居大学」天野祐吉、
  * 俳句はゲーム感覚で楽しむ     お相手 坪内捻典
 母が50歳の頃、それまでの苦労のため重症のウツ病になり、数年かけ独り
立ち上がったが、子供なりに壮絶さを垣間見た。88歳で老衰で亡くなったが、
医師の要請による解剖で心臓の四分の一が壊死していた。第二の人生の40年
近くは、趣味の世界に徹底していた。舞踊、謡い、茶道、写真、短歌、どれも
これも負けず嫌いで、ある領域まで達していた。
 晩年、母親に、「一番、極めたのは何?」と訊ねたところ、
短歌という。 老年の趣味といえば、短歌と俳句と川柳がある。
  ー 次の箇所は、短歌と俳句の違いを端的に示している ー
≪ 坪内:俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、
 つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間。天野 どういうところが、
俳句的、短歌的なんでしょう。坪内 そうですね、まず、俳句は、自分の言い
たいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと
思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなる
コツですよ。よく「わたしのこの俳句は こんなところがこんなにいいんです」
と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまく
ならない。自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、
うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。
天野 主体性のない人がいいんですね。
坪内 そうです。無責任で主体性がないんでいいんです、できるだけ(笑)。
天野 自分ってものを、強調したがるような人は……。
坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、
 自分の言いたいことが言えるんですよ。俳句には、その七七を言わない
 醍醐味というのがあります。
天野 そうか。これは短歌じゃなくて狂歌ですが、「世の中に金と女は仇なり
 早く仇にめぐり会いたい」というのがありますよね、これも、言いたいことは
 最後の七七ですもんね。
坪内 俳句だったら、最後の七七はいりません。  ・・・(略)
天野 言いたいこと言わないなんて、欲求不満になりませんか。
坪内 そう思うのが、こしあんの人の特色なんじゃないですか(笑)。
 俳句的つぶあんは、言いたいことを言う欲求より、自分の言葉を他人が
 どう読むか、っていうほうに欲求や興味がいくわけです。
天野 じゃあ俳句は、こう見て欲しい、感じて欲しい、こう解釈して欲しいって
 いうのは、表には出しちゃいけないんだ。
坪内 いけないってことはないけど、出さないほうが俳句らしいでしょうね。
天野 お話を聞いているうちに、「三月の甘納豆のうふふふふ」がなんだか、
 これまでとは違うふうに思えてぎました。 なるほどねえ。今日、帰ったら
 さっそく俳句、つくってみようかな。・・・ ≫
▼ 「俳句は、ひとりきりで捻っていく人はうまくならない。それは自分を
 読者にしていまうから」に、ドキッとした。句会では、たいてい作者名を隠す。
それで非難され恥ずかしいと思ったら句会に入れない。恥をかくから上手くなる。
この随想日記、だから公開しているが、あくまで自分中心。毎日、書き続けて
いると、誰かの嘲笑を独り感じる。そこで、馬鹿丸出しを曝してよいものか?
迷いが出る。しかし、人間には露悪趣味が心の隅にある。露悪とエゴと無知を
偽善で包んでいるのが人間の本来の姿と思って開き直るしかない。私が短歌を
書いたら、ほぼ狂歌だろう! 
 母の短歌より :窓の下 逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し
  :大仕掛け 空を焦がして彩どれば 中天の月いろを失ふ
  :若き僧 煙草の吸いがら 投げ捨てぬ 早朝のホーム 一点のしみ
  :青き田の水に浮かべる没つ日を 絵心あらば 描かむものを
  :ものかなし 豆腐屋の鈴流れきて 秋の夕暮足はやに来ぬ
・・・・・・
4034, 幸福になるための五箇条
2012年04月11日(水)
          「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵
  「今日一日 親切にしようと想う。」
  「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」
  「今日一日 謙虚にしようと想う。」
  「今日一日 素直になろうと想う。」
  「今日一日 感謝しようと想う。」
「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。
意識するとエゴがでてしまいます。そういう想いが、いつも体の中にある人間に
なるのが一番いい。 潜在意識に刷り込むのが良い。
▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。
「しようと想う;なろうと想う」が良い。パソコンかトイレに貼っておくと良い。
「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝
 しようと想う」と憶えればよい。
・・・・・・・
3668, 節目どきに ー3
2011年04月11日(月)
 これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を
感じるかと思いきや、それが全くない。恐らく10年以上、一日2〜3時間を
集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化
した基地が、ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、
現状のその様は何だ!」と酒席で言われたが、その通り。その時に「少なからず
経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、
他の人から忠告された言葉を思い出した。毎日の記憶をHPの中のブログに
記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から何かが
確実に変わっていった。脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている
実感があるのが心を広く明るく自由にする。心は言葉である。毎日、言葉として
表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、
全責任はトップにある。何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、
赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。しかし、その何倍も、書き出し、
公開することの効果を感じ取っている。だから 偉そうに! と言われても、
その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後
から振り返ったとき、書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよい
ことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がし
をされかけた事があった。その上に、いわれのない? 数百万を強奪?された
ことがあった。それなりに書き、表現すると周囲に波を立てることになる。
しかし、その蓄積が、このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。
その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、
あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。結果からして、
心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・
・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
2010年04月11日(日)
 * 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋 ー
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力が
あまりに大きいため、われわれはそれと正面切って対決するよりは、なにかで
紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで
紛らせようとするが、人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを
直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。
何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは中高年期以後に精神障害に陥る
ように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を
直視したり対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだ
としたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうがはるかにましな
選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段
なのであろう。少なくとも、病気はそこからの回復という一時の目的を用意して
くれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げ
あぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、猛獣そのものが消えてなく
なるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の
関心や活動の全ては、死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 
仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けの
ものばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、
旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が空虚を埋めてくれる
レパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流
分析の祖、E.バーンは「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは
無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを
忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かのいずれしか許されていない。
・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、
それほど恐れるべきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。
・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたかどうかはさだけで
はないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。
・・もちろん、われわれは多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんで
いると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、そこで
安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の
陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
▼ あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らして
 きた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、70歳代に入ると前方より
迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての
気を紛らわせる手段でしかないとは・・ 死は本人にとっては、無だから、
そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、そういかないのが、
言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくって
おく必要があるから宗教が最後のよりどころということか。最後のレッスン=
学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、一日一日を
精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、
新しい経験をすること、愛すること、楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間
の予定を立て入れていく)をすること位しか無いのだろう。
気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして
  父の姿を反映しているか?ということになるが、何か書きながら赤面
  してしまうから、・・・
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?
 ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
  (字数制限のためカット 2010年4月11日)


5139,閑話小題 〜元校長の買春、12600人切り!

2015年04月10日(金)

   * 12600人切り、それも元校長の・・
 にわかに信じがたい下世話なニュースが入ってきた。〜まず、その内容から
≪ 1975年に教員採用された高島容疑者が、マニラの日本人学校に赴任したのは、
およそ25年前。3年間、理科を教えていた。高島は、マニラ時代のことを
コラムに「経済的理由で、学校に行くことができない子どもたちが多いこと。
明日をも知れぬ子どもたちが街にあふれているのだ」と書いていた。
高島は、このマニラへの赴任中に、少女などの買春を始めたという。
高島は「買春の快楽を覚えた」と供述している。日本に帰国したあとも、
学校の夏休みなどを利用して、フィリピンに65回ほど渡航。およそ25年間で、
13歳から70歳くらいまでの女性1万2,600人以上と買春したという。・・・
 警察が高島容疑者の自宅から押収したものの中には、複数のカメラやDVD、
児童ポルノの漫画のほか、買春した少女らの写真を保存したアルバムが410冊。
写真には、通し番号が振られ、その数は、1万2,600人以上に及んでいた。≫
▼ 過って聞いたことがない話。 巷の話としては、こんなものだろう。
< 65回×10日+αとして、仮に千日。 赴任期間の千日を加えて二千日。
一日に6人の買春とすると可能だが、としても信じがたい。たまたま精力絶倫
の男の職業が校長だったため問題になったが。こういう人種が存在する具体例
のニュースとして面白い。「少女の清潔感が・・」は、経験者でこその言葉。 
それにしても12600人とは! 一度きりの人生、「??まくるのも人生か」 
その辺の誰かより、マシ? 巷の男にとって、ニヤと笑って本音は? が、
これだけはタブー。スケベの女性版では、かの国の元王女を思い出す!
最後は謎の死だったが・・ せめて10人、いや1人でも・・ > 
 大よそ、はな金の居酒屋かスナックの酔払いの話は、こんなもの。
こんなことを、朝っぱらから書いている私も私!だが。
・・・・・・
4774,ぼんやりの時間 ー7
2014年04月10日(木)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * 「怠」―「1日四時間労働」の夢
「怠」肯定の論など、それもラッセルというから驚いた。ーその辺りからー
《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年
『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。怠けることは「いいことなのだ」と
いえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。
 お前は怠け者の味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働く
ものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんかおしまいだ、など
など非難のツブテはつきないだろう。怠けることは大切なことだと主張した
ラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものに、悪魔がいたずらをする」
という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いま
まで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。 それでもなお、ラッセルは
「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしている
と主張する。 ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を
批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。
 人びとが生きるうえで大切なのは「閑」である、という思いがラッセルの
主張の根幹にある。勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという
考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませるためにいい
つづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。 
 少数の特権階級は、他人の労働のおかげで多くの閑な時間を享受している。
自分たちの快適な閑を守るためにも、特権階級は働く人に向かい、「働くこと
は大事なこと」といいつづけてきた。 「私が本当に腹からいいたいことは、
仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらして
いるということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくに
あるということである」と、ラッセルは書いている。 文明が起こってから
産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった
子ども働いてきた。しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、
食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の管理下
にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころで
はない貧しい暮らしをつづけいた。 》
▼「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、
 ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は装置産業だった。 当たりさえ
すれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。当初は、
戸惑い、暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。
しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも代えがたい贈物であった。 
冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、
後悔が少ないのは、膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者で
なければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽がはえ、
空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 
生きるのは、辛く、哀しく、面白く、滑稽な、ことである。立場が変われば、
見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、
人生で一番、必要なことをしていた。聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、
旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・
・・・・・・
4407, 閑話小題 ー自転車の修理
2013年04月10日(水)
  * 自転車の修理
 一昨日はチャリのパンク。で、何時もの自転車屋に持っていくと、
オヤジさん、転んで左手を骨折で修理が出来ないという。「手伝うので直して
ほしい」と言うと、しぶしぶ納得。そこで思ったのが、自分でも可能でないか
ということ。「こんど泊り込みでサイクリングに出たいがパンクが不安。
で、見ていて私でも直せそう」というと、「問題は修理道具だが、二本の
専用ヘラがあれば、タイヤ外しと装着が手軽に出来る。HCにはパンク部分は
ゴムのノリ付シールがついたパンク修理セットが売られている」という。
一寸した靴の修理と同じである。 靴も自転車も専門家が直すもの、という
バイアスがかかっているだけのこと。それか千二百円を割り切って払うか? 
次回、考えてみようか!
   * 絆とは
 絆は家畜などをつなぎとめる綱の意味。言葉の通じない人間と家畜が、互い
に生きていくため、鼻や首につけられる綱が転じて義理や人情の喩えになった。
互いが、その綱だけで繋がっている危うい関係をいう。そのため、震災での助け
合いの繋がりに使うのに無理がある。阿部首相が米国との絆を強調したが、
毎日新聞に「日本は米国の家畜と受け止められる」と批判されたのが、記憶に
新しい。絆という言葉に何か危うさ弱さを感じるのは私だけでないはず。
とはいえ、身内や自宅や共同体を失って路頭に迷った時、頼れるのは親戚縁者と
共同体の繋がりしかないのも事実。いまだ避難民が20万世帯もいると思うと、
「絆の批判」など、とんでもないこと。人と人の間で生きているから、人間。
その繋がりが絆ということか。
   * ネットラジオ
 書斎コーナーのBGMはネットラジオを聴いている。iTunesで、
世界中の千局のテーマ別スタジオから音楽を聴ける。思いもよらぬ曲が次々と
飛び込んでくるが、これが新鮮で良い。人は、思いもよらぬ仮想の中で気持ちが
解放される。それは未知の音楽の中に近道があるようだ。こういう音楽を気楽に
聴けるようになったのは、バイアスがとれたため。ジャズ、ソウル、カントリー
などジャンル別だったり、70 /80/90年代のヒット曲別だったり、分類も豊富。
音楽好きだったら、たまらないはず。少し目をネット上に向けると、こういう
のが無制限に手に入れることが出来る時代、それを如何に楽しめるかどうか? 
そのため若い人の間に居ないと。バイアスが外れる度、外は広く、内は深くなる!
・・・・・・
4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
   * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを
加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 
この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件
で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 
一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を
サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに
逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 
これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷
が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中
し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、
深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測
される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が
なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して
いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 
最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。
その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、
拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた
ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
  ・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての
  立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より
  二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。
  グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、
  部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
  これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、
 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後
  10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
  この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る
  しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、
  「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが
  (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない
  人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌
  という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下
  のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。
  この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能
  汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の
  ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
  に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。
  リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史
  に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、
  客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、
  ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 
  青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ
  みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
  この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、
  建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・
  どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
  ・・・・・・・
3302, ブログ向けビデオカメラ
 2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。
発売当初から両方とも興味があったので早速、近くの家電量販店に行ってみた。
たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、
なるほど実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを
経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。ネットで調べて
迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。ヨドバシカメラの値段より、
25パーセントはやすい。16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千。
ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。一方のソニーのものと
最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。シンプルだが、非常に使い
かってがよい。5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万
画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
 ・・・・・・・・
2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー �
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、
考えさせられる。実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の
円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に書き込んでいく。 
それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである
幻想としての「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、
     これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。
     国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置
     (対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、
     街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。
日本では天皇制度である。人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家
のために何をすべきかに行き着く。我われの安全を最後に守るのは国家である。
それが軍隊であり、警察という暴力装置である。現在の憲法は、明らかに
アメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、
グローバル化になればなるほど、ベースとしての国家の強固の基盤が必要。 
無理だろうが・・          つづく
 ・・・・・・・・・・
2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著    
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、
買うほどではないと、判断していた。あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけた
のだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
 ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。
新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた
人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を
受けて初めて明かす、フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、
その後の二人の関係…。  (字数制限のためカット 2010年4月10日)


5138,閑話小題 〜二人の旅路

2015年04月09日(木)

  前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集
『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。
 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より
 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から
≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。
 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の
 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」
 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。
 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、
 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫
  〜ネットに、心のこもった投稿があった〜
《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、
枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。
父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の
中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制
送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、
柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の
貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。
しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ 
いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ
の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も
許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省
に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を
期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇
仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、
2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。
もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、
柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府
の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は
亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。
2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は
遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、
哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 
格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》
▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、
 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。
その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。
それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。
・・・・・・
4773,ぼんやりの時間 ー6
2014年04月09日(水)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「閑」ー逆茂木に囲まれて
 森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、
まさに逆茂木の「閑」の世界である。閑の字は、門の中の一本の木がある。
それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー
《 さかもぎの刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。
 トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、「邪魔者はたやすく突破できない。
逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこと
もできる。それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が
『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・ 
 だれにも知られてない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない
尾根道で二時間も三時間もぼんやりしたときをもつとか、そういうのが逆茂木
に囲まれた「閑」の状態というのだろう。閑は時間であり、空間である。 
それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐り
つづける時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあると
いってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で囲むには、それなりの
工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。
   心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり
   身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり 
(中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。
目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも苦しみ、
楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。
(中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、
散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、独りになること、
雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そして
たっぷりとぼんやりする時間に恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、
そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。
そのよみがえりは偶然のことではなかった。》
▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、
 ということになる。現に、この二m四方の、この空間は私だけの世界で、
BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。
今では、タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも
持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も必要である。雪もとけ、
自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」
を意識的に始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、
勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、ベンチで30分でも
一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競ぐ。
・・・・・・
4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)          
  * よい先生、わるい先生  ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの
レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは
思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に
とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、
ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から
二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 
  ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問
したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた
という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校
で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の
仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」
を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。
「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 
「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫
▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 
 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に
残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳
ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを
書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、
「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の
子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。
「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。
  とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? 
まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! 
・・・・・・
4032, 「人生の知恵」ノート ー4
2012年04月09日(月)                    
   ー 人生を成功に導く言葉ノートより ー
* 先延ばしは命どり
 「仕事で失敗する理由で一番多いのが先延ばし。一度やりはじめれば
 意外と簡単に片付く。とにかく先取りで問題を解決すること。
* 尊敬など、されようと思うな
 孤高の姿が敬意を呼ぶ。無理に尊敬されようとしないこと。
* ツキを見極める
 新しい事を始めるときは、運の風向きに敏感になり、
 好機を待つ間に準備を進めよう。
* 引き際を見極める
 勇敢な攻撃と同時に退くこともたたえれるべき。引き際のタイミングが大事。
 幸運の女神は、その頂点が高いほど、期間が短くなる。絶頂期を見定めたら、
 引き際を考えるべきだ。
* 欠点を直すこと
 人は他人の欠点を見逃さない。あなたの実力を点検した上で、
 欠点だけに注目、悪し様に言い立て、他の長所をかすませる。
* 二回目の挑戦を必ずする
 一度失敗しても、必ず二回目の挑戦をすること。一回目の失敗を取り戻せる。
 成功より失敗の方が多いが、二回目に成功する確率は一回目より遥かに高い。
 多くの挑戦は二回目に成功が多いという真理を知っておくべきだ。
* 現実的に生きるべし
 賢者は思ったふうに生きられないとしても、できる限りのことをする。
 運命が与えてくれないものを惜しむのをやめ、運命が与えてくれたものを
 大切にすべきだ。現実が理想を支えることを知ろう。現実の土台が弱ければ、
 理想は単なる重石となる。未来の理想の自分を明確にしたうえで、現在すべき
 ことを確実に実行する。賢人は現実で未来をコントロールする術を知っている。
* 忘れるべきは忘れる
 「人が一番良く覚えているのは、忘れた方がいいことである。」
 嫌な記憶は楽しい思い出で吹き飛ばせばよい。反省をしたら、次へ。
▼ 引き際は、最も大事な決断。最高値の引き際は無理だったが、
  最後の最後は断崖絶壁での引き際。 いや、どうだか? 
  ・・・・・・・
3666,  節目どきに
2011年04月09日(土)
 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 
以前もそうだったが、それまでの生活と全く変わってしまったが、抵抗感はない。 
肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、
独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣
つくりを始めている自分に驚いている。30年、40数年前の自分に戻ってしまった
ようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。
今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 
問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。  
 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして
・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、
 初心者向スポーツジムに入会。平日、この二つを隔日に使い分ける。 
 今まで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 
 さらに月に一回のシネマの通いと、月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 
 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。
 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身で
 あることは事実。 元もとアウトサイダーを自認してきたので、こういう
 切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 
 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 
 居間に中村天風本を手元に置いておくか。  ー つづく
・・・・・・・
3301, 日本経済は死ぬのか
 2010年04月09日(金)
 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 
週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、それでも何か目新しい
ことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人には
ダイジェストとして丁度良い。その中で、野口悠紀雄が、「もはや日本経済は
死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を
「米国の金融危機」と考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は
米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。
戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗った
ものです。米国の住宅価格のバブルによって、結果として日本の輸出が伸びたと
いう現象が起こっていたのです。当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けて
しまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。数字で言えばピーク時の07年
度に対し輸出で20パー、GDPで10%減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、
これは1984年度3月と、殆んど同じ。この事態に、政府はエコポイントで家電や
自動車などの購入を支援している。これは今の製造業が、政府の支援にしがみ
ついて生きている状態。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返える。
それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが
打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える可能性が高くなる」等々、
刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェスト
とし述べているといってよい。欧米の失業率が10パーセントに対し、これだけ
悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。それが一挙に二倍、
三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。他人事では決してない。
まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。
これが、既に欧州並みの20パーセントで、これだけの赤字なら救いがない。 
したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。
ただし国民を納得する上にも国会議員、地方議員も定数を半数か、三分の二に
しなくてはならない。スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が
来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
 ・・・・・・・
2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
  『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
 *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。
これからみても思考モデルとして充分に使える。 私の思考法として
利用しているのが、この随想日記である。テーマ選定から始まり、
それを起承転結にまとめあげる、そのプロセスで頭の中を整理していく。
第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから
面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、
見えにくくなった「父(理念)」を探しにいく旅に出るということでしょうか。 
父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」
 の場所とする。父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。
 この原型になるのに教会音楽がある。神の思し召しを、バッハが音楽を
 通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でも
 いいと思います。いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、
 もっとも考えられているのが、この部分です。一番のポイントは、装置化
 した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。スポーツでは、
 三位一体は考えやすい。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」
 といってました。今回の、この「三位一体」を読んだことで、
 「美味しい幸せ」が父。それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。
 そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
 ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親なら
 わかるが。次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習。
・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月末である。
それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、
この本の大筋のとおりになってしまった。かなり刺激的な言葉に満ちているが、
サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫して
いる。そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本
に関する限りアメリカのサブプライムが表面化したために、決して悲観過ぎでは
なかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、恐ろしい近未来が待ち
受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。
どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル
暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい
自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの
資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
(字数の関係でカット2009年04月09日)


5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日

2015年04月08日(水)

   * 定年・夫婦で走った40日
 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。
平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、
今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店
の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。
48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。
  〜まず、NHKの番組案内より
≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって
 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた
中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。
伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ
と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の
心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫
▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。
 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を
振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、
向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。
二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽?
されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の
悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の
10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の
脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、
妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。
ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。
「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。
・・・・・・
4772,ぼんやりの時間 ー5
2014年04月08日(火)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「独」―独りでいること  ーぼんやり道
「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、
死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が
無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。
  ー以下の部分に納得するー
《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行
 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば
「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる
ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、
群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」
が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、
心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという
気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。
「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに
過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか
何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを
分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」
 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」
というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす
ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。
「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」
ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは
かなり重なっている、と私は思う。・・(略)
「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら
飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画
のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、
あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と
ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり
の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。
ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・
 リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、
重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて
重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ
湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は
作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない
ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり
することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。
謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》
▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット
 サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、
完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。
 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、
孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、
急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。
この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が
混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して
楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって
いくこと。とすると!
・・・・・・
4405, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −5
2013年04月08日(月)
    四時限 宇宙人を目指そう  『隠居大学』 天野祐吉
 * 隠居をすると自由になれるー宇宙人を目指そうーお相手 谷川俊太郎
 ここで、「人生はカマボコ形グラフ」とあるが、そうかもしれない。
右下がりは以前、還暦だったのだろうが、今は古希か。体力からみると、
私は古希が目安。リタイアーをした後、スポーツジムに連日通いだしてから
足腰は寧ろ、強くなってきた。知能も、バイアスが取れてきた分、
これも良くなった?ようだ。とに角、面白い。 
≪ 谷川:うん、それもあるし、ぼくは幼児に戻れるというふうに思って
 います。われわれ世代は高度成長の時期と重なっているからか、人生に
ついても右肩上がりのグラフで考えるくせがついていたんですよね。
けれど、やはり母の介護を経て、「老い」ということを身近に考えるよう
になって、鶴見俊輔さんらがいうような「人生はカマボコ形グラフ」なんて
ことが、実感としてすごくよくわかるようになった。ある程度上がったら、
下がっていくのが自然なんですよ。それはさっき言ったように自由になったり、
解放されたりすることも含めて。
 天野:下降ということは、嘆くばかりのことではない。
 谷川:そう、人間の加齢を考えるとき、樹木の年輪にたとえて考えるのが
わかりやすいと思っています。中心に0歳の自分がいて、一歳、五歳……と
だんだん経験とともに年輪が増えていき、いちぽん外側に現在の自分がいる。
だから、どんな年齢の老人のなかにも、0歳や三歳の幼児がいる。
これは心理学でもそういう考えがあると思うんです。そして、働き盛りの
中年期を経ったら、今度は積み重ねてきた年輪が一枚一枚、はがれていく。
つまり年をとればとるほど、中にもともといた自分、幼児の自分に戻れる
のではないかというのが、持論です。
 天野: なるほど。年輪となる厚い木の皮は、たんに経験ではなく、
社会的な制約というようなものでもあるんだ。
 谷川: 中年期のひとだって、本当は幼児の自分を持っているわけです。
そしてその部分は、本当はもっと自由になりたいといつも思っているはず
なんですよ。われわれのように詩を書くような人間は比較的自由に幼児の
部分を出せますが、会社組織のなかにいると、そうもいかないでしょう。
だから会社が終わって飲み屋さんに行って、ママさんに甘えるという
かたちで幼児性を解放しているんじゃないかと、そうにらんでいます。
 天野: なるほど(笑)。つまり幼児化、宇宙人化は、もともとできたこと
が下降したり変質したりするわけではなく、むしろ、 自然な姿に戻って
いるということですね。≫
▼ 「加齢を樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすい」というのが
 言いえて妙。一番外の厚い皮が社会的制約、も面白い。その樹皮を外し
てやるのが御隠居の第一歩。一度外すと「遠き日は 年とるごとに 近くなり」
になっていく。振りかえると、してしまった後悔と、しなかった後悔がある。
後悔あとに立たず、だが・・ 解放され自由になるのは良いが、それを
楽しめないと重荷になってくる。 私の知る限り3分の2。
何故解る?顔に出ているもの。せめて楽しいふりをしたら。
・・・・・
4031,「人生の知恵」ノート ー3
2012年04月08日(日)
 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより � ー
  * 人間的側面見せすぎない
あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、
「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を出せれば尊敬を集めやすい」
という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。
バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。
そのために「余計な関わりは最小に」。
   * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。
溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、
節度が必要。なれなれしくしないことだ。
   * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かさの罰として与えられる。
どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。もっと大きな災いが忍び込んで
くる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に
見ることができ、的確な選択が可能になる。これが知識から知恵への転換に。 
これは独りになりきることで可能になる。
   * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるため
の近道であり、困難からたやすく逃げる道である。「品格は言葉や行動の要。
品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。
 家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブーム
になった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。それが思いもよらず、
殆どクリアーをしていたが、家内は??。自主独立、陰口を控える、趣味を
持つ、信念の確立の有無などで、自己の確立が出来ているかが品性の土台の説。
一般人は表面的にしか捉えない・・ それにしても品性のない人が多い。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の
問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという
問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの
立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、
そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・)
色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた
立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦
関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好
になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン
とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。
ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、
     そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
   2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。
   「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
  3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」
  「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」
▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
 ・・・・・・・
3300, 平山郁夫の教養世界
2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話
などを取上げていた。原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマ
とした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には仏教をテーマ
としたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで
伝えた仏教東漸の道と文化の西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 
彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に教養の深さを
感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、
人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを
表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、
痛感。それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。
その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。この齢になって幅広い
教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入ったため、なお納得。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある
幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて感じとれた。絵の中に彼の
独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現
することが最も重要なこと。 そのために幅広い知性と教養が必要といわれると
納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする
此の頃。良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、
教養のベースができるということか。
 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体の
モデルを肯きながら読んでいて、似ている思考モデルを思い出した。
創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)
・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする
・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐカタ=カ+タで、
型をつくることになる。カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)
にすること。 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを
得たかどうかは分からない。「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、
まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、
へ発展していく考え方である。そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、
「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。
いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』
『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などをメインにしているが、
『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、
各職業の『三位一体モデル』の実例を書き出してみる。その一つだけを、
まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた
「動機」が、これが「神」なんです。書いた人がいて、彼が書いたものがある。
それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。何しろ、初めに「子」
ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の
集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。
それが遊びという世界で万人が解りやすいから、尚のこと心を打つのである。
感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点がチャップリン
の凝縮されたミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は
参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
▼ ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気が
 いるけど、自分を信じて思いきってやってみよう。ひとつ踏み出さなくちゃ、
何にもはじまらない。 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
▼「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たち
 のために行ったことに結びついている。」 解)押し付けにならない程度のこと。
▼ 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
   解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
▼ ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだった
 ということを。解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
▼ 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな
 様子を持つ小さなネズミを思いついた。とにかく精1杯生きているちっちゃな
 やつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続ける
 ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
▼ どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
 ことだけを求めた。特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
  解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリンか? 気の毒じゃないか、
 そういうのは?いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命
 ではないだろうか。


5136,知の逆転 〜④

2015年04月07日(火)

               ー知の逆転ー
  * 帝国主義の終わり ーB
            対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 アメリカのいう核抑止は、実は「核支配」。核が存在する限り、遅かれ
早かれ核戦争は避けられない。キューバ危機、インド・パキスタン危機など、
非常に際どい瀬戸際に立たされたが、アメリカが考えているのは、「核抑止」
ではなく「核支配」。 前者が偽善で、後者が真実になる。
  ー真実と偽善ーの小テーマで、その本質を指摘する。
≪ ・・「真実を好んで偽善を嫌う」ということについてで、最初に
 あなたの政治的な視点というものに触れた折、自分の知っている世界が
 全く違って見えたショックをまだはっきりと覚えています。
 あなたのコメントからいくつか引用しますと、
・「偽善者とは自分に課す基準と他人に課す基準が違う人のことだ」、
・「エリート大学は最も従順な生徒を選択し、体制順応者を生産する」
・「東京裁判は単なる茶番だ」あるいはマーチン・ファン・クレフエルト
  (イスラエルの最右翼の軍事歴史家)を引用して、
・「イラクに何が起こったかを目撃したあとで、もしイランが核兵器を
 開発しないとしたら、彼らはまともじゃない」
・「アイゼンハワー、ケネディ、ブッシュ、レーガン、クリントン、みな
 ミロシェビッチやスハルトと同じ犯罪者だ」 
  そして、ちょうどバートランド・ラッセルが言ったように、
・「偏ったイデオロギーをくり返す代わりに、それを解体して真実を探し、
 真実を語りなさい」と。 ・・いつでも何が偽善でどこに真実があるか
 を、徹底して探ろうとするわけ・・ 
・オバマは言い方が上手なだけ。政権の政策は以前と少し変わったが、
 本質的には同じ。彼はまさに民主党中道派で、それに尽きるが、
 業績で目覚しいことは何もない。 ≫
▼ 米政府の冷戦後の戦略政策についての文章に「核兵器を維持することが
 重要である。非核保有国を含むあらゆる国に対し、核兵器使用優先権を
維持すべき」があると、チョムスキーが指摘。核保有で従来の兵器使用の
枠組みが決まってくると・・ だから、アフリカ、中東でも、非核武装地帯
を実現しないのは、アメリカが、阻止をしているため。 それは中東も、
南太平洋も同じ。アメリカの軍事費は、世界の他のそれを合計とほぼ同じで、
破壊能力と性能において、他の追随を許さず、世界中に700〜800の軍事基地
をもっているという。それも数十年もしないうちに、凋落が予測されている。
しかし、アメリカの負債(国債)は、主軸通貨国にとって幻想に過ぎない。
リーマンショックの前年度からドルの供給量が3倍になったが、ドル相場は
殆ど変わっていない。そして、世界中にばら撒いたドルをアメリカ国債と
交換すればよいだけ。それでは国債が暴落をするかといえば、してない。
 といえ、これまでの流れからして、数十年?は、そのまま流れるが、
その先は凋落をする。その時、いや、10年?もしないうち日本は?
・・・・・・
4771,ぼんやりの時間 ー4
2014年04月07日(月)
             「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー�
 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。
そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 
闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に
なっている状態なのか。 その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
   ☆ まずは「闇」から
《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて
 しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、
いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って
いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった
のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・
崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、
一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は
ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では
やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、
銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの
視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。
花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は
いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を
放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 
・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、
緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを
つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》
▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に
 だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると
闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。
そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。
・・・・・・
4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
2013年04月07日(日)
  * 第三時限 いい加減にしなさい 
           ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に
感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら
人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ
ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を
迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な
 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ
 がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、
 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき
 には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて
 しまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、
 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。
 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている
 けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、
 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。
 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」
 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
 しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
 ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
 ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
 アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
 てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや
ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。
人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての
夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を
喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。
彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと
その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。
彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは
そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、
コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、
コスモスと戦った。 ≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。
 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで
あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて
かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって
青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ
彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を
果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的
になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に
なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 
本当の生活者になるのは、これから。 
  ・・・・・・
3664, 閑話小題
2011年04月07日(木)
  * 駅やSC内のATMが閉鎖は
 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。
これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。支店、営業所内の
ATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、
大震災と原発事故全体を大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。
電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。
  * スポーツクラブだけは盛況
 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。
驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。
100人位に人たちがマシーンと共に無言でひたすら運動していたことである。
雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。
「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、
10〜22時のフルコースだと8千円。週に4日×4=16日が平均とすると、
一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。
それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。
これは、一回300円、3月で1800円。以前、入会しそうになったが、
止めたことがあった。早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・ 
 ・・・・・・・
3299,金融世界大戦 という捉え方
2010年04月07日(水)
 * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)
 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質
を説明している。さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。
これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器という危ないやつ。 
何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。
「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした
米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を狙ったが、それが敢え無く破綻、
世界を恐慌に導いてしまった。一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」
をつくり上げ、世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 
これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし大元の
アメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っている
ドルを注入し、立ち直りを図っている。詐欺師は元もとの金や資源を温存して
いるから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。
しかし被害者は輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、
すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。
 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債
や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを見境なく買ってしまった。 
現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように持ちこたえているが、
これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは
防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、世界中にばら撒かれ、連鎖
して世界中を破壊する。それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの
転換期に始る。日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な
円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。「気がつきゃホームでゴロ寝」
で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。アメリカは
第二次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、ソ連の崩壊後は、アフガン、
イラク戦争と戦い続けている。ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、
米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意
から始る日本のバブルと、破綻である。(字数制限のためカット2012年4月7日)
 ・・・・・・・・
2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
2009年04月07日(火)
          『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記
  * 煉獄の発明
 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。
中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。それまでは天国と
地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に
地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、
と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き
出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生など
に従事していた職人たちも、その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、
まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、
死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられる
ようになった。こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。
ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を
経て、19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方が
なかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに
一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。
発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。
キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト
教圏では資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあった。
1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも
「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに
混乱しているのか、また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものが
できたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
▼ 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの
『煉獄の中で』である。地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・


5135,知の逆転 〜③

2015年04月06日(月)

              ー知の逆転ー
   * 帝国主義の終わり ーA
             対談相手 〜ノーム。チョムスキー
  名前は聞いたことがあるが、成るほど面白く、鋭い。
 〜まず、チョムスキーの人なりと、学説から
≪・ノーム・チョムスキーは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用
 回数の多い著者であり、「生きている人の中でおそらく最重要な知識人」
(ニューヨーク・タイムズ)と形容される、MITエ科大学の言語学教授にして、
哲学者、政治活動家。 著作は200冊を越え、50ヶ国語に翻訳。
・全ての言語にはその深層に共通する文法が存在し、そこからさまざまな表層
構造が生成されるのであり、人間は言語の基本文法を生得的器官として持って
生まれ、不十分なインプットで十分な言語能力が発揮されるような脳の仕組み
になっているとする。この「普遍文法」の提唱(1955年、57年)は、言語学分野に
革命をもたらした。
・1960年代のベトナム反戦演説を皮切りに、反戦、反暴力の姿勢を貫いて、
アメリカが「デモクラシーを広める」という名目のもとに行っている、自分の
言うことを聞く抑圧的な政府(チリのピノシエやニカラグアのコントラなど)を
支援して民主主義を阻止するというような他国への軍事ならびに経済介入は
テロリズムそのものだ。そのお先棒を担いでプロパガンダを煽っているのが
アメリカのマスメディアであり、特にエリートは常に提灯体制の提灯持ちに
なりやすいと、アメリカの覇権主義を厳しく批判する活動を続けている。
・また、広島と長崎への原爆投下は人類史上最もひどい犯罪の一つであると
明言すると同時に、第二次世界大戦における日本帝国主義の犯罪も厳しく糾弾。
・さらに、世界経済は多様化したほうがショックに強くなる一種の存続と同じ、
多様性を保つことが社会全体の体力を強くする。・・
・細々とした講演活動を地道に続けて少しずつ人々の目を事実に向けていき、
いまでは時代がチョムスキーに追いついてきて、講演は常に人があふれて、
世界中からのインタビュー依頼がひきもきらない。≫
▼ 「資本主義の将来は、市場原理主義だけでは必ず破綻するとし、民間
 ビジネスは、強い政府によって守られることを望んでいる。」という。
中国のような大国で、流砂の民といわれ、個人主義の強い人民の国では、
特に、中央の統制が強くなければ体制が維持できない。それは、アメリカの
市場経済主義も同じ。
・・・・・・
4770,ぼんやりの時間 ー3
2014年04月06日(日)
           「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) 
  * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
  まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」
 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」
が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた
人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている
時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。
むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり
時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を
『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて
灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの
だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、
自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって
きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて
もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら
聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな
時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく
生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは
「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ
ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る
ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと
仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード
とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて
無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと
なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって
いるのではないかとエンデは問いかける。》
▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った
 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く
ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など
の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。
豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。
だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? 
その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では
ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした
時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
        『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手
* 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
   ー人生二毛作の進めー
 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう
作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。
人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える
ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて
用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた
 サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり
返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生
は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。
そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな
隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。
ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて
もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を
二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、
二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の
ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね
 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら
ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も
そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても
成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と
 いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、
嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・
世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目
 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう
としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし
もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の
勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。
 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作
でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、
それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。
死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
4029, 「人生の知恵」ノート ー2
2012年04月06日(金)
     ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
  * 情報や知識が少ない場面では
「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。
手堅いことは独創であることよりも大切である。」これも人生を振り返ると、
骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
  * あえて敵をほめること
 敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容に
すべき。その品格が求心力を生む。ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に
対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。
しかし、決して愚弄してはならない。憎い相手ほど、冷静に褒める。
それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
  * 放っておく術を知る
 人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時、
港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。殆んど時間が解決する。
複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に
収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
  * 見かけも重視すべし
 信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 
正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい敬意を受けられない。
きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装
を着るだけでなく、時計も靴にも高級感のあるものを選んで、いつも磨きを
かけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。
第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。
  * 感情の波を乗り越える
 感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を
間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。
  * 失うもののない人と争わない
 人物を選ぶこと。危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 
  * 言葉はやわらかく、態度はやさしく
「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」
言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、やさしく使うことが、品格を作る。
▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」
 が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・
・・・・・・・
3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2
2011年04月06日(水)
 この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説
の上で、この今後の行末を考えてみる。それだけ大きな事象なら、これから
生じる問題は想像するだけで恐ろしい。
 * 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの
 攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。このテロは、白
(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、
 文明の衝突である。
* 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めた
 ばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を根底から変える歴史的
 大転換の大事件である。。
* これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波
 が発生し、沿岸の原発に直撃。その結果、放射能汚染が日本の国そのものを
 崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる
 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。
 事実には、真実と虚偽が混ざる。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、
 政府筋がコマーシャルを流している。
しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知
している。 ネットで、政府より国民の方が情報を素早く得ているのである。
政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が
最大の被害者。あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、
この様である。それを今さら「風評に気をつけてくだい!」といわれても、
誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」
と、ある筋から聞いたときは、それでも心の何処かで「まさかだろう」
と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、
「もしかしたら?」でなく、その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を
考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めて
いる」とかが、決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、
列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、風評として見逃している
情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 
  私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である!
 ・・・・・・・
3298, 一年の重み
 2010年04月06日(火)
図書館で小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。
例の「ありがとう」教の本を書いた人。それで一番ありがたかったのは、
彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような
面白い内容があった。(字数制限のためカット 2012年4月6日)
 ・・・・・・・・
2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2
2009年04月06日(月)  
『三位一体モデル』中沢新一著   −読書日記
  *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、
日本語で霊(たま)という。語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか
興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」
と構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、
この世界を理解するには有効になる。その一つの「霊」を、ひとことで
「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、
現実の姿として「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)
を使って世界中に布教していく便利な存在?である。この霊を組み込んだ
キリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教
していくことになる。それが西欧資本主義の出発点になるのである。
ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
  * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?
 イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である
「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。
イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する存在など、あっては
ならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。ただひとつの神に霊を組み
込むなどということは、絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象」
を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、
じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を組み込んでしまった。
イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ことになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、
その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
▼ 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、
 情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、ここで、
その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つ
とみてよい。霊を増殖するものという見方は初めてである。
・・・・・・・・・・
2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)
 ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かば
ないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。
そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい
流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、
まるで不動明王や五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白
されたようになって行く。水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、
人間のもっているすべてが見えるよ。日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な
言いまわしだろうけど、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、三回苦んだかで、
その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれる
ような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残って
  いるようだ。こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも
  良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像
したんだ。クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう
感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこに
いた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い
上げてね。僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり
寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感
を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、
こっちも動けない。川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。
  (字数制限のためカット 2015年4月6日)


5134,知の逆転 〜文明の崩壊 

2015年04月05日(日)

          ー知の逆転ー
   *  文明の崩壊 
                対談相手 〜ジャレド・ダイアモンド
  ― まずは、『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド ―
 条件と原因は、ほぼ同じ。環境条件が、そのまま、文明や、人間そのものに
当てはまるだけ。人生に意味など求めるなど愚の骨頂、条件次第でしかない。 
現実世界の上に、ネット社会が出来上がり、グローバル化が進んでしまった
世界は根底から激変している!しかし、一般は、その辺りの認識が甘い!
  〜その幾つか抜粋してみる
・西欧の発展は、そこに住む民族が他より優れていたわけでなく、たまたま地の
 利がよかったことと、農業を可能にする動物・植物が、その地域にまとまって
 生息していただけのことであり、文明はわずかな決断の誤りでもろくも崩壊
 すると見抜いてみせた。要は、地理的条件が文明の発展を決めていた。
・現在のように消費量の格差がある限り、世界は不安定なまま。だから 安定
 した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。
 たとえば日本がモザンビークよりも100倍も豊かな国であるということが
 なくなり、全体の消費量が現在より下がる必要がある。(p30) ・・(略)
 国家間格差がある限り、紛争は無くならない。ということは、国際紛争は
 永遠に続いていく。概していうと、欧米と日本の生活水準は下がっていき、
 中国、インド、アフリカ、南アメリカの生活水準は上がる。
・たとえば日本は三分の二が森林に覆われているが、使われている材木は輸入
 されたもの。その意味で、日本は結果として森林資源を守っている。(p33)
・人類が成功をしたのは言語のせいと考えられる。言語を獲得すれば、発明も、
 思索も、道具を作り出すことも、知識を後世に伝えることができる。
 だから、直立歩行と脳の肥大化に加えて、人間の言語の発達が、人間進化上、
 最も重要なステップだったのでしょう。(p38)
・「人生の意味」というのを問うことに、何の意味も見出しません。
 人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在すると
 いうだけのことであって、意味というのを持ち合わせていない。(p56)
・アメリカの産業のリーダーたちが環境に関心を示すようになる大きな理由の
 一つは、彼らの12歳の娘や息子が、パパやママが会社でいったいどんなことを
 しているのか、環境のために会社は何をしているのかを聞いたときに、CEOが
 「環境問題なんて取るにたらない、あんなのはデタラメだ」などと一蹴しよう
 ものなら、「パパ(ママ)大嫌い、サイテー、二度と口をききたくない!」と
 大泣されてしまいます。これが実は、信じられないくらい効果的です。(p59)
・大よそ5500年前に初めて大社会が出現するまで、世界の全ての社会は、
 小さなものでした。過去700万年にわたる、われわれの社会の進化の過程を
 考えるうえでは、小さな社会が最も適したモデルだと思います。大社会は、
 ここ数千年で出現したもので、ごく新しいまとまりであるからです。(p61)
▼ 『銃・病原菌・鉄』の、銃はテクノロジー、病原菌は家畜化された動物から
 移った細菌によって免疫力がついて、新大陸征服時に、この3つが威力を発揮
した。ここで、宗教は支配階級を維持するための強力な道具であったと指摘。
支配するものには、これほど都合の良いものはない。天皇制も一種の宗教制度。
島国での統治には必然だったかも? そのミニ化したのが世間様、娑婆(O皿O;)。
・・・・・・
4769,閑話小題 ー高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
2014年04月05日(土)
    * 高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
 先日のTVで、「何故、高速道路のサービスエリアで高額品が売れる?」
をテーマにしていた。これは長距離移動で車中に束縛された反動で、ストレス
を発散しようとする無意識のはたらき?を二組の男女学生5人で試みるもの。 
まず一組目に郊外で散歩させ、その後、寿司屋で自前で、寿司の松竹梅を注文
させたところ、一人だけが松を選び、他の4人は竹と梅を選んでいた。
もう一組には、目だけ空いた仮面を被って同じように散歩をさせ、同じ寿司屋
で注文をさせたところ、全員が松を注文をしていた。この結果、ストレスが
高額品を選ばせる証明と結論づけていた。10年ほど前の話だが、新潟の、
ある親睦会で、知人が大きは手術後、暫くし出席をしたおりに、「退院して、
何が無性にしたくなったか、分かりますか?」と、全員に問いかけてきた。
「驚いたのは、買物!とにかく何か買いたくなる衝動には、驚いた」と。
成るほど、ストレス解消には買物が良いようだ。女無頼作家の中村うさぎは、
重度の買物症候群をネタをエッセイ風に書いている。殆どが買ったままの袋詰
状態で、家に置いたままと宣う。 それが高額のブランド品のため、借金地獄。
その実録の迫力の吸引力はすざましい。以前からムシャクシャすると、スーパー
か、百円ショップで買物をするが、お陰で机周りと居間は、得体の知れない
小物が溢れている。成るほど、百均はミニ・レジャーランドである。
   * ローリングストーンに苔ははえない
「転がる石には苔が生えぬ」とは、同じ場所にとどまらない石には、苔も
生えない事象を肯定的にとられている。私は今まで、頭も身体を動かしていれば
病にならないなど、マイナスにとらえていた。 本来は英国の諺で
「A rolling stone gathers no moss.」で、「職業や住まいを転々とする人は
成功できない」という意味で使われるが、米国では「活動的にいつも動き回って
いる人は能力を錆びつかせない」という意味で用いられる。 この違いは、
イギリスは保守的、アメリカは改革的な考え方をするためである。類義語では、
「度々植えかえる木は根が張らない/使っている鍬は光る/転石苔を生ぜず/
流れる水は腐らず」などある。30年前からは、身体と脳をフル回転させて、
ウツ病とか、ガンの予防対策にしていたが・・ 
・・・・・・
4402, 自分の世界の自覚  ー世界内存在
2013年04月05日(金)
  * 象の皮膚の皺につく寄生虫  「知的余生の方法」渡部昇一
10年位前に、何か哲学書の中で、象の皺を全世界、そこにつく寄生虫を
人に喩えた「世界内存在」の説を知った。寄生虫は、全体の象の姿を知ること
が出来ない。だから旅行や小説などで時空を超えて象の皺から出てみないと・・
この随想日記でも度々、世間とかいう枠組の批判に、この喩えを使ってきた。
 ーその出所が、ここに詳しくあった。 
≪ 象の皮膚の皺につく寄生虫は、自分がくっついているその皺だけが
 自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らないー
というようなことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイユイ。
このように虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外
の動物の目から見る世界という「視点の転換」を教えたのはJ・J・ユクスキュル
というドイツの動物学者。哲学史でどう取り扱われているか詳しくは知らないが、
人間の思考法を大転換させる業績だと思う。・・・(略)
 ここから類推すると「人間は世界内存在である」という場合の「世界」は、
人間の五官が認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間を
入れてもせいぜい四次元の世界である。五次元や六次元の世界がどのような
ものであるかは想像もつかない。音も光も人間が五官で羅できる周波数の範囲は
限られている。それは象の皮膚の皺の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香りが
存在しないようなものでないか。人間は五官の世界内に閉じ込められている。
これから逃れる方法がない。この状況を「人間の世界内脱出不可能性」という
らしい。・・・(略) 人間は、象の皮膚の皺の中に住む寄生虫とは違う。
人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから脱出
しようという努力をしたり、脱出することを祈ったりするからである。
そしてそれに成功している人もあると主張する人もいる。それがオカルト。
オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから
有難いのである。神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。
ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でも
あるから悪い気はしないので、それを信ずるわけでないが、有難く承っている。
こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越している
普通の人間は、解剖学的制限の下にある。これが哲学的に言えば「世界内存在」
の実体である。だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。人間は
いくら解剖をし、すぐれた顕微鏡や検査法を用いても、その存在は認めらない。≫
▼ カントが同じようなことをいっていた。人は5感の範囲でしか、経験の
 範囲内でしか認識できない。認識できた範囲を、対象に貼り付けているだけ。
「知っている範囲しか、知り得ない!」当たり前のことだが。これが自覚
できないのが問題。カナダのロッキー、テーブルマウンテン、ケニアの大草原、
カラコルムハイウェーなどなど、どれもこれも、想像を遥かに超えた世界。
問題は、帰国し日常に帰った時、象の皺の世界が逆照射し、元に戻れないこと。
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4028, シングルイン、31年間の総括 ー8
2012年04月05日(木)
   * 3・4の法則
 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」。
「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。
4年目から右上がりを続けるためには、二年から新たなへの字=革新を
つくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。この法則から
すると、ホテルの場合は長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、
確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、最盛期
から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。新潟駅前シリーズの事業も
創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、日本経済のバブルが崩壊した。
それからするとバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだった? 
終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして
無理か。 バブル崩壊が日本にとって、衰退期へ大断層だったのを読みとく
ことが出来なかったのである。偉そうに書いているが、これが私の限界。 
バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を
500室に増加の戦略ミスの選択をした。 それが18年の下り坂の節目。 
1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル
崩壊で日本は致命的打撃を受けた上に、2001年の9・11テロと、
2008年のリーマンショックである。私の事業も日本経済と全く同じ運命を
推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 
その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、
振り返ると、大方あてはまる。同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、
「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。
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3662, 閑話小題
2011年04月05日(火)
  * 大相撲の八百長処分
 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。
幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割
が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 「今さら何が八百長?、
何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。
まだまだもめるはず。日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 
結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して談合
システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについて
いけなかったことになる。今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。
伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
  * 都知事選挙TV討論をみて
 日曜の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他候補のレベル差に驚いた。
一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 
石原慎太郎が良いということでなく、他が東京都知事としての素質がないのが、
議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、
あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持った
フィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。この大震災の中で、他の誰に
都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
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3297, 不思議現象の正体を見破る ー2
2010年04月05日(月)
 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。
それは後として、イスラエルのユリの経歴に興味をそそられた。
1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに
入れられ、色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり2年間の訓練を受ける。
そして21歳の1967年にイスラエル兵として第三次中東戦争に従軍し、
戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、
シュトラング(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、
初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、後には、クラブのショーなど
に出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれる
もので、目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を
書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。すると、ユリ・ゲラー
がおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。
つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。そこで、客に
念じ方が足りないとか、色いろけしかける。やがて、おもむろに「5でしょう」
などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらと
いった暗号に基づいて信号を送っていただけの話。あまりに単純のため劇場の
支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、裁判沙汰まで
なっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカから
プハーリクなる超心理学者がきて、ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んで
しまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに
連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰
だったようである。相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、
その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカの
TV局も考え始めた。プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定、
ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、彼の売り物の超能力は
全く起きなかった。これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、
サスガ超能力者、失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、
とされるようになった。 アバタもエクボである。ユリが1974年に日本に上陸、
TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで
仰天させた。当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、
日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、その超能力があると、
一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから
投げていたのである。 ー つづく
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2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。
特にキリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を解りやすく書いている。
三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』
『精霊』を指す。それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。
  (販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
 この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、
すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、
『精霊』は販促や生産活動。『父』の不在が、会社を迷走させることになる。
社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』
にあたるものがない。偶像廃止も、この辺からきている。(お金でお金を生んで
だめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前
をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)
に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく
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2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉む。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。
 ほかの四本指の刺激と一緒に行なう)
  ー字数制限のためカット2010年04月5日ー


5133,知の逆転 〜①

2015年04月04日(土)

   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学に
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド。
・生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー。
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、
・人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽、
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクルの
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。
 ・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
 ・・・・・・・
3296, 不思議現象の正体を見破る ー1
2010年04月04日(日)
            「不思議現象の正体を見破る」安斎 育郎 (著) 
―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
   ー内容ー(アマゾンより・・・)
 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、
予言など)のトリックと、それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。
同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、不思議現象が存在
するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてが
いかに信憑性がないか(あるという証明になっていないか)を示している。 
世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純なトリックである
ことに改めて驚く。圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、
いかにも予言であるかのように曲解して読み取ることが可能かを示した点。
例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火にぴったりと
符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少
符合しても、それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 
現に、世紀末には何も起こっていない。
▼ ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、
 その嘘を一つずつ解明している。 ユリゲラーも、ミステリーサークルも、
念写などをTVで取上げなくなった。これはブログなどの情報化のため。
もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。
それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。
この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになった。
<二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だった
と白状していた。二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーション
もやってみせた。いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。
この現象をプラズマ物理学の立場から研究したミーデンは真面目に、この現象
は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた>
 彼らは二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の
正体を暴いているから、読んでいて飽きない。次回は、あのマジシャンの
ユリゲラーを。今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを
超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、
その稚拙な手法がコミック的。
 ・・・・・・・・
2921,不況景色 ー10
2009年04月04日(土)
 * 上野動物園が入園300万人を切る
一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割った
と報じていた。前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。
パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。9月半ばから
4〜5割減ということになる。家計面で節約対象になったようだ。また、
オーケストラが個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じた。
恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。
 * 金融サミットで
金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、
何か首を傾げた。公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・
  (字数制限の関係でカット2012年04月4日)
 * 4月に入って、更に悪化
去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。
今回の経済危機の第二波である。そして第三波が、4月に入って襲い始めてきた。 
予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。ただし政府が、三月決算
を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏
を保っている。しかし、決算の結果が表面化する5月になると
一挙に現象に現れてくることになる。
・・・・・・・・・
2557, 印度放浪 ー2
2008年04月04日(金)
 この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々
出てくる。40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。印度という国が、彼の精神
を育てたのか、元々持っていた素養なのか。読んでいるうちに、いつの間にか
自分と比べている。そして、小さな世界の中で小さな習慣に甘んじている自分が
浮かび上がってくる。比べること自体がおかしい。その一部を抜粋してみる。
  ーインドへの準備はどういうものだったんですかーー
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、
そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、
歯ブラシぐらいのものってことがわかる。さっぱりしたよ。準備しないって
のはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)


5132,閑話小題 〜奇跡的二打席連続本塁打に続いて、翌日は

2015年04月03日(金)

   * 奇跡的二打席連続本塁打に続いて
  高校野球には魔物がいるというが、幸運の神様もいるようだ。
 〜ネット上の記事によると、
《大阪桐蔭との決勝戦で、同点で迎えた八回、試合を決めたのはまたしても
 背番号17の松本哲幣。前日の2打席連続満塁弾に続く決勝2点本塁打で甲子園
 のヒーローとなった。・・》
準レギュラーの全く無名の選手が、準決勝、決勝戦で、2打席連続満塁打と、
勝越しの2点本塁打を打って一躍、ヒーローに・・ 昨年秋から右翼ポジション
争いに敗れ、背番号「17」に甘んじていた男が、その素質を一気に開花させた
場面である。これまで、数多の試合を観てきたが、無名選手が、これほどの劇的
活躍を目の当りをしたのは初めて。満塁本塁打の後、再び満塁の打席に立つこと
自体が出来すぎ。更に翌日、決勝の勝越し打を打ったから驚き。 記録として、
1試合8打点も史上最多。当時星稜の松井、PL学園桑田らがマークした
7打点を上回った。プロ野球では2006年に巨人二岡が史上初の2打席連続
満塁本塁打を記録しているが、元々、それだけの実績のあった選手である。
 この場面の巡りあわせに、日ごろの練習で培われた才能が爆発をしたもの。
因縁とは、因が直接原因、縁が間接原因とすると、その二つがタイミング良く
巡りあったことになる。平沼というピッチャーが、いたため、野手に転向した、
右翼ポジションの争いにも敗れた控え選手だからこそ光り輝く。
高校野球史に残る快挙の物語として残る。 それより、両親が喜んだろうに! 
たまたま億以上の宝くじが、三度続けて当たったような? いや、それ以上。
 ところで、スカウトの経験からして、こういう選手?の扱いは、冷ややか?
・・・・・・
4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう!
2014年04月03日(木)
  * 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に
本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、
本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、
そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の
座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 
更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。
しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の
一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、
事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に
なっている。今では早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、5時間はいる。
ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、
自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。
男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、
『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。
私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 
私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の
一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、
面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が
あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが!
「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、
「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎
と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
・・・・・・
4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
2013年04月03日(水)
      『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内を
みると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青く
なったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。〜以下の対話は、なかなか面白い!
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側を
 のぞいてみたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。
 動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を
 与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に、「なんで
 真面目に働いでばかりいたんだう。こんなことのたために生れてきたのか?」
 という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、多くの
 隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは
 働くことも大切なんだけど、でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう
 一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。それで『猫の自由に学ぼう』
 を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に
 放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。
どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。青年期までの猫、
成年期の犬、そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。
両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。「犬は家につき、
猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。
縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。家では嫌われ、
紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ!
・・・・・・
4026, 「人生の知恵」ノート
2012年04月03日(火)
 4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、
ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。少し読んで、いま一つピンと
こなかったので途中で止めていた。ところが先日、図書館でー本当に役立つ
「人生の智恵」ノートーというグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 
今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、
サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、追放されたタラソナ
という村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさ
すぎることが分かるが、内容は、現在も納得するものが多い。“善人が損を
するのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、
伝道師にしてはシビア。人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、
問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要
とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、今日使える術こそ
真の知識。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが
改めて見えてくる。 ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
 1 愚か者とはつきあわないー愚か者ほど優秀と思っている。
   指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれる?
 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。
   自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
 4  口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。
   自分の好みは相手の好みとは限らない。
 5 突飛なふるまいをしない ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。
   被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
 7  不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と
                 関わる余分な時間はない。
 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
 9  多数派とともにある賢者たれ 
  ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
 11 賢者を見つけ助言を求める  
         ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。
                  相手に合わせよ。
 14 親切をおまけにつける  ー親切は費用対効果が高い。
                 相手より先にするのが技。
 15 相手の急所を見つける  ー殆どの人が求めているのは快楽。
                 その急所を見つけよ。
▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 
  見上げても見下げても、全て自分の範疇。
    ・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
 * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。
安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。
それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要とは! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを
 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、
急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の
方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ
農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 
その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。
そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒がきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、
止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、
ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。
命は助かったが・・ 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 
ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、
避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン
を新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で
滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。
終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・
それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。
他人ことではない、まさかまさかの日々。
・・・・・・・・
3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
 昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、
時が時だけに注目して読んでみた。 ーその内容を私の主観でマトメテみたー
日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で
最悪の借金体質」といわれる中で、国債発行余力を探った。  
 (字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・
2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
 ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に
 「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。これは考えてみたら
シミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」という
のが本当だと既に嘘をついている。河合さんは、この言葉に「言葉など当てに
なりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
 なるほど面白い。哲学に似た問題提起があった。「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真なら,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』
自体が嘘で,クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が
真という仮定と矛盾する。もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人
は嘘をつかないことになる。つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となって
しまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こるー
言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」
の口癖の人がいた。これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほう、
騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、ボケ漫才の
ように気づかないから始末が悪い。なら「私は嘘しか言いません」の方が良い。
それも哲学的ときているから面白い。しかし、それでは世界が回らない。
詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。
言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は
拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか?「私は嘘を言わないように
心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」
これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・
冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。ところで本当(真実)って何?
・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを
上手く表現出来るのだろうか。言葉の一言一言が詩のようでもある。
以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれた
ものとは思えない。表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけがあった。
ー歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。
《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
 良くも悪くも、すべては良かった。ぼくは全てを観察をした。 
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が
「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、その若者の後の影に、
過去の自分を投影する。(若いときの自分について)青年は何かに負けている
ようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に
負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、
水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く
白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに
残していた。・・
・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃない
かなぁ。最初の頃は。  (字数の関係でカット2012年4月03日


5131,失業率9割の国、ナウル共和国 〜3

2015年04月02日(木)

* 日本にとってのリン鉱石とは?
 ナウルのリン鉱石、日本にとって何だろか考えてみた結論が、戦後から、
この方コツコツと貯めてきた預貯金。しかし、リン鉱石と同様、その多くが
日本国債と米国国債に替わっている! 総預金と、国債などの負債が同額に
なるのが今年。 そこに、5年後にオリンピックの開催とは何ぞや・・ 
 わずか4年前に、千年に一度の大地震と津波で、大きく痛んで復興半ば。
今だ福島原発では溶解が進行中。このクラスの大地震の10年以内後には必ず、
それに匹敵する地震か火山の大爆発が起きている。これらが複合し、近未来に、
国民の弱者に皺寄せが大きく直撃をする。「現状さえ良ければそれで良し、
未来は未来!」の、‘いいじゃないか’騒ぎ! 〜その辺りから〜
≪・ナウル人は、Buada Lagoonで捕れた魚や、ココナッツやパンダーヌスを好む。
 しかし、現在、ほとんどの食料は輸入に頼っていて90%は輸入で、ほとんどは
缶詰。そこにはたっぷりと保存料が入っている。その食料が不足している上に、
ナウルに入る航空便も頼りに出来ない。それはスカスカの店の棚を見ればわかる。
ナウル人の平均寿命は男性で58才、女性で64才。日本より20歳は早死になる。
・ナウルの状況はダイヤモンド著の『文明崩壊』で語られるイースター島の
崩壊の物語を彷彿とさせる。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画
な開発と環境破壊を続けた結果、ついに資源を消費し尽くして文明が消滅して
しまい、島民の生活は石器時代に戻った。両者の大きな違いは、イースター島は
他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また森林破壊等が国土に与える
影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは
地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と
隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、
それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点・・ ≫
▼ ナウル人も、日本人も、公務員、金融関係者と、一部の上層階級は、
 万一に備えた準備が完了してあるという。リン鉱石(預貯金)を
 掘り尽くしてしまった日本、現象面では、国債と株式と円相場の暴落で、
 その正体が現れてくる。 ナウルは、そのまま露出されているだけ。 
 私も似たようなものだが! 裏山の中腹から外海が見えるからこそ、
 断言できること。刻々と時は進んでいく。 老化の戯言であればよいが!
・・・・・・
4766,ぼんやりの時間 ー1
2014年04月02日(水)
                ぼんやりの時間  辰濃 和男 (著) 
 リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、
そうでない。ウツ病に陥らないために、早朝から寝るまでのスケジュールを
決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、
 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。
それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる?
   ーまずアマゾンの内容紹介ー
《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊し
 つつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのでは。
では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさ
が生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながら
つづる思索的エッセイ。 》
   ーカスタマーレビューよりー
【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、
 だから、人間にも本来、「ぼんやり」は許されないのだ。幼い時から、
悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような
絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。
すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る
よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に
根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、
「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、
「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々
に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて
いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの
ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと
いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った
日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩
には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、
「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと
を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ
のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵
の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、
人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって
いることを見逃してはなるまい。 】
▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり
 過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。
日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって
いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、
毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を
支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、
ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、
ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。
どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
    『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。
しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。 
同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と
していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを
遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して
生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」
ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。
当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、
全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に
至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も
気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。
傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ
道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を
遊べるかどうかである。   まずはー内容紹介ー     
【こんな時代こそ「隠居」を見直そう!原始、「隠居」は遊びの達人だった。
 若いモンの憧れだった。目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、
外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪年を取るって、
いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。
オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。】
老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある
喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。考えてみれば「良く遊ぶ」のは
非常に難しい!次回は、一時限目の「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より
 ・・・・・・
4025, シングルイン、31年間の総括 ー6
2012年04月02日(月)
  * リストラは、どうだったか ?
 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、
三年間で3分の2まで減少していった。それに対し、ボーナスの半額カット
(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、
キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 
それまでの正社員と役員20数名のうち、三分の一まで減らし、パート・
アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用
のテナントスペースに切り替え貸店舗にした。さらに第三シングルインを長期
滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、一つにして自動車
学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、
目処がたった矢先のリーマンショック。これも2割以上の売上減が三年目に
入っても続いた結果、事業断念に至った。新潟駅再開発も大幅に遅れ、二つの
ホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで
規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。そのリーマンショック以来、政府の
緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく持ちこたえていたが、
売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 
これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因はリーマンショック。事業構造の
転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。もちろん
返済額の減額交渉に、リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、
その効果が出始め目処がたった矢先のこれ。十年間、やれることはやった
思いがあるので、後悔は全くない。シングルインというホテル名と建物は、
他の事業主が引き継いだので、ここで経営のリストラが断行されたことになる。
6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 
長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立って
いる一事例。
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3659, つれづれに
2011年04月02日(土)
  * 原発事故の深刻さ
 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 
経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。業界格差は明らかに
出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から
深刻度が深くなっている。東北、関東地区の農水産も壊滅状態、米の生産者も、
今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。伝え聞くところ
によると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの
状態が続いているとか。この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという
時に、地震と原発事故である。特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾を
のんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 
毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の
成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、ハイパーインフレになるのが、
一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。
日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。
それ以上の危機になっていくのだろうか? 東京では、一部の子供たちの疎開
が、静かに行われているようだが・・
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3294, エッ何!
2010年04月02日(金)
 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。
閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに決定したカタチをとった
のは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを
見越し郵貯の限度額を上げて、郵貯残高を増やそうという目論見。
穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、
その受け皿をつくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融
大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、
それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の
破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」
と述べていた。 
(以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
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2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。
ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、ウィトゲンシュタイン
は死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようと
しても無理であると彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識が
なくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験
できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」と私が考えた内容と
酷似はしている。しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の
一秒の感覚を、寝入る瞬間に直感したのである。実際にスット意識を失う刹那
(瞬間)を感じたのである。「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、
寝入る瞬間ではない」と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、
 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を
如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。その直前の刹那が
果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を
感じたのだから、何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」
と言われれば 証明のしようがない。
 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をした
ことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、ここでも多く書いて
きたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。このテーマとは
関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと?って。 
ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、私にとって大事なことです! 
毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。
それを経験したのだから。
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2555, ホモ・ルーデンス ー1
2008年04月02日(水)
『ホモ・ルーデンス』        ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。
             言うならば、遊びの中で始まったのだ」
  ーすべては遊なりー
 〜文化は遊びの中にはじまる〜
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
まずはーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは)について考察してみる。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしない
でもよいのです。最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、
ただ神に関する事柄だけなのです。これに対して、人間は、ただ神の遊戯の
玩具になるように、というので創られた。これこそが、人間の部分です。
だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯
しながら、今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければ
ならない。(プラトン対話集『法律』)」 著者は、この真面目と遊びの対立
において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを
自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。そして、
遊びの定義として、「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはある
きちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的
に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、緊張と
歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』
という意識を伴っている」「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて
言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって
充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に
対して離れているという点で、「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。
最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、自らの能力の
輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が
残されているのを見出す。どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底
では完全に結論づけられはしないことがわかっている。この判断の揺らぎ出す
限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。 古くからの
『すべては空なり』に代わって、おそらく少し積極的な響きを持つ
『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、
ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は
神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
ーー
一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。
遊びは自由への飛躍ということだ。次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを
考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 
我が身さえこそ動がるれ」子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って
欲しいと願う気持ちが、そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けて
いたいと願う心がこもっている歌だが。
 ・・・・・・・・・・
2007年04月02日(月)
2190, 飲料水について       オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に
「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、と言い訳をして
失笑をかった。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)

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