堀井On-Line



5120,「魂」の思想史 ー①

2015年03月22日(日)

    
       〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともにー酒井 健 (著)
   * 「魂」とは何か
「魂」の思想史などと、難しい問題を勇敢に取上げたものと恐れ入る。
それもゴッホ、ニーチェ、ボードレールの魂についてなら、面白いはず。
 その‘まえがき’の魂の解釈が、明快で、解りやすい。  
≪  〜魂、その捉えがたさ、その恐ろしき魅力〜
 もやもやとした何か、そのたましいとは何なのでしょうか。
「人の生命のもとになる、もやもやとしていて決まった形のないもの。
 人が死ぬと、肉体から離れて天にのぼると考えられていた」 が、
 辞書にある説明です(『新漢和大辞典』)。
漢字で「魂」と書きますが、同じ辞書によれば、左側の偏「云」が
「雲、もやもや」を表し、右側の「鬼」は「おぼろげな形をして、
 この世にあらわれる亡霊」となります。似たような言葉に霊があります。
漢字の成り立ちから意味をさぐると、上部の「雨」と「一」の文字が
「連なった清らかな水たま」、下部がそれに接する清らかな(巫)を表し、
合わせて転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神の力や
たましい」となります。魂の雲、霊の雨水は、単なる比喩ではありません。
これら漢字の文化を成り立たせ支えてきた人々は、雲や雨水に霊魂を感じて
いたのです。人間の内部だけではなく、外部の自然界にも魂や霊を感じて
いたのです。 この感じ方は、西洋の宗教用語でアニミズムにあたります。
生物だけでなく、石や水などの無生物にも生命、霊魂を認め、その特別な
表出に神聖なものを感じとっていく立場です。洋の東西を問わず、宗教の
基層になりました。 注目したいのは、このアニミズムという言葉の語源、
ラテン語のアニマです。このアニマのもともとの意味は、そよ吹く風の息吹
であり、そこから大気、人間の吐く息、生命、そして魂という意味が生まれた。
魂という言葉はここでも自然界とつながりを持っていたわけです。仏語
で、魂を意味する言葉、アームの語源はこのアニマです。英語で魂はソウル
ですが、この語源はどうやら、ドイツ語の魂ゼーレと同じく、古ゲルマン語
の湖あるいは海を意味するサイウィズにあるらしいのです。人間の魂は湖
あるいは海から生まれ、肉体の死後そこへ帰っていくという古いゲルマン人
の伝承に端を発しているようです。もやもやとした雲、数限りない雨滴が
どこからともなく吹き寄せる風の流れ、大きな水の広がり。・・ ≫
▼ 42年前に、父親が亡くなって数日、父親の魂が、私の魂に入ったような
 体験をした。以前書いた内容は次回で再び取上げるが、不思議な経験である。
これだけは、実際に体験しないと分からないこと。 人の心は複雑怪奇で
奥行は深い。池田昌子の著書に、『魂とは』を図書館から借りてきて読み
始めたが、これが面白い。5年ほど前に『魂』をキーワードに、本人の
著書を元に、再編集したもの。  ー宿命は魂にありー 池田昌子
・・・・・・
4755,そんなに長生きしたいですか ー7
2014年03月22日(土)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 早いーうまいー安いー
 現状の終末医療の現状を知れば知るほど、恐ろしくなる。以下の内容が現実。
《 ある医療講演会で、こんな話を聞きました。「早い!うまい!安い!」
 という看板のスライドを見せて、これはある牛丼屋の宣伝文句ですが、
うしろに「治療」という言葉をつけると、そのまま病院のキャッチフレーズに
なるというのです。たしかに、早い治療、うまい(上手い)治療、安い治療は
患者にとって最良のもの。講演者はさらに続けて言いました。
「『治療』の代わりに、「死」という言葉をつければ、今度は理想の末期医療
になります」早い死、うまい死、安い死というわけです。なるほど、うまいこと
を言うなと、私は感心しました。・・ その発想だけでは現実は立ち行かない。
患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ
儲かる、この状況では、医療費が膨大になって当然。そろそろ冷静になって、
現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から死を支える医療に転換すべき
ではないでしょうか。 死を支える医療は、よけいな治療をしません。
医療費が安くなれば、患者側も自己負担が少なくてすむし、国民の医療費も
削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。
早い死というのは、患者を見捨てることでありません。苦しむ時間を短くする
という意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が
近づくとどうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ
以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。それを理想主義的な
励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。
死は自然の成行きですから、どこまでも抵抗するのは不毛です。極論かも
しれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、
手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分あったはずです。・・・ 》
▼「終末期医療費が全老人医療費の2割を占める!とか、国民一人が一生に
 使う医療費の半分が、死の直前の二ヶ月に使われる!」という報告がある。
だから、医療側からすると、可能な限り生かしておいて方が良いことになる。
生かしておいて拷問の苦しみを与え、その治療費を膨大に絞るとる末恐ろしい
現実が、そこにある。末期ガンは、どのみち助からない。だったら死をサポート
する医療があるべきである。これでは入院前に、青酸カリか、致死量の睡眠薬を
準備をしておくべきと、考えてしまう。そう簡単には、死ねないのである。 
良くも悪しくも死ぬまでは生きている。死ぬのは挫折でも、何でもない。
目出度いことなに、何で延命をするか、それが利益のためなら、
犯罪的システムではないか。
・・・・・・
4388, 「うつ」かもしれない ー3
2013年03月22日(金)           
* ウツの治療 ー「うつ」かもしれないー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、
「死にたくなる度合い」がが目安という。逆にいえば、それだけ苦しいのである。 
身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情
は表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、
自分一人に固まっている。 こういう人が暴発すると秋葉原の無差別殺人のよう
になる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れする
かである。人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところが
ないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、「薬事療法」と「認知療法」
がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療
すること。それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方
を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を身近において常に手に
取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。
これは本当によい。 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、
自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し気持ちが落ち
込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、
「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や
自分の考えを書き留めていく方法で、頭であれこれ考えるよりも、冷静に
客観的に検討することができる。5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)
の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて
書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が
数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の習慣づけは大変なので、
第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。
書いるうちに自分の思考の癖が見えてくるだけでも効果がある。
心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
  * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
 高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろ
の教授に触発された。その最大の恩師が、人事管理の武澤教授である。
その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2   ー武澤ゼミについて
 何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと
寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、ほとんどを占めていた。その中で
武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。
ゼミでは、一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を
渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの
出した結論と、その差異について更に議論をする。また二班に分かれて、
それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている
限界の知識と体験をもとにした、それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 
教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして
「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。そこに各自の
知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、
ソクラテスの「対話法」の真理追究を、そこで体験させていたようだ。 
素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。
対話の訓練が友人に受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中
してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。武澤ゼミで学んだ
ことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の
把握と、仮説の積み上げと崩しの、繰り返しの中で計画の練り上げをして
いくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの
 渥美俊一に大きな影響を受けていた。渥美コンサルタントは、カリスマ的
流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に「分析(冷静)」を学んだ。
独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、
基本的な問いが、立ち上がっては消える。人生など何の意味(価値)もない
こと位は分かっていても・・哲学を学生時代に、より深く追求しておくべき
だった。それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
  * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や
箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。魚河岸では7割も普段
よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っている
かもしれない中、外食も買い物もする気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中
専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。朝から晩までTVで、
100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、
買い物や外食をすること自体、後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象で
すめばよいが、そうはいかないだろう。3月11日から日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも
時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への不安心理が景気にもたらす
影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民
のグループで満席であった。 着の身着のままの服装が痛々しい。
  * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が
壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、それより被害を
最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めた
にも関わらず拒否をした。彼らは今だ、この惨事に対する認識が薄い証拠である。
現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り
落としてしまった。数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。
民主も酷いのは分かるが・・・ 
 ーー
3283, 人みな骨になるならば −3
2010年03月22日(月)
 人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に
一度の大恐慌である。「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を
取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出る。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。
丁度、良いタイミングにー「人生の課題」という幻想ーという言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の
同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。その彼等の天国からの代弁
とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。
それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを
幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を相対化してみるのは、どうであろうか。 
『人生の課題』というのは一つの幻想である。事業といっても世間に流通して
いる貨幣や評判を集めているだけである。国事に奔走するといっても、特定の
サル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、
そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる人参ほどの効果はあるだろう。
馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった
走り方より、何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、
虎から逃げている馬より、幸せだろう。何よりも重宝するのは、このような
鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた
時にそれを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを
容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。われわれが失恋したり、
事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベル
でしかない」(p116) ー幻想としても、目先の課題をキーワードに
解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ
云えるのではないか。これも、幻想か?
  ・・・・・・・・
2908, 「ドレス」という名のクラブ?
2009年03月22日(日)
 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封
された封筒が手元にきた。「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら
『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と思いつつ、記憶から
消えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたので
チャンスがあったら一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から
消えてしまった。ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、何時もの
スナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っているビルの前で、
そのことを思い出し、入ってみることにした。 
(字数制限のためカット 2012年3月22日)
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2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)
 ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。こういう人間のベース?
の世界を、真っ只中の人物が書いているのだから、一言一言が生々しく小説の
ようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。人間研究という
面で、顕わで可愛いが、人間の一番、弱い側面でもある。 娼婦の後ろにヒモの
存在が、あまりに悲しい。髪結いの亭主とか似たような男は周辺に幾らでも居る。
「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。こういう連中が都会には
蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
  *娼婦はヒモがつくる
彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女
たちの到着を駅で待ち伏せしていました。娘たちは小さなスーツケースを持って、
ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。
男は何らかの口実を見つけて、娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得
のため、お定まりの小粋なラブストーリーが始まるのです。
「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」
田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、都会のざわめきはいらつきを
覚えます。カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方
のこと、ご存じなの?」と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。
「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
   (字数制限のためカット 2011年3月22日)


5119,がんばれ〜!の絶叫 

2015年03月21日(土)

    * 風に立つライオン 
 映画の冒頭の場面が、アフリカの大地を少年たちが横一列に手を組み
歩いていく。そして、暫くして地雷の爆発がする。子供を使った地雷探し。
ケニアの病院研究所から国境近くの病院に派遣された医師は、そこが
実質、野戦病院であることを知る。そこは戦闘で腕や足を切断したり、
縫い合せる治療が中心の中で、主人公が、日の出の中、大地に向かって、
「がんばれ〜!」と何度も絶叫する。しかし終盤、極限の日々の中で、
自身に向けた絶叫と告白する。 見終わった後、内容が重いため、面白い
とか、ストレス解消より、何も考えられなかった。しかし、夜半、映画の
様々なことが、思い出されてきた。最後は、殺された後、行方不明になる。
 さだまさしが、この話を知り、感動して書いた原作『風に立つライオン』
を映画化。 そのまま題名の曲名にした歌がある。 〜内容説明から
≪1987年、日本人医師・航一郎(大沢たかお)は、大学病院からケニアの研究
施設に派遣される。アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘
を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもいないチャンスだった。
しかし、それは恋人との長い別れも意味していた。父の跡を継ぎ、女医として
離島医療に従事する貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかった。
理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の
赤十字病院から1か月の派遣要請を受ける。物見遊山のつもりで赴いた彼は、
重傷を負って次々運ばれてくる少年が、みな麻薬を注射され戦場に立たされた
少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願する。
過酷な状況ながらも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚かった。
一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かな
スキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながら互に認め合っていく。
そして、心に傷を抱えた少年たちを「オッケー、ダイジョブ」と温く包み込む
航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていた。
そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれる。 彼は銃傷よりも、
両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大だった
 ― 航一郎は、そんな彼の心の闇に真正面から向かっていくのだが…≫
▼ 20代30歳代の頃、もう極限!という場面で、左手を充電池に、右手を
 手動のトッテに見立て回転をし自らに充電する仕草をしていた。もう一つ、
自分をボールにイメージをし、初めは小さく、徐々に、大きくバウンドさせる
イメージ。本能的行為だったが、不思議なことに、極限ほど、気力も体力も、
湧き出る。そうこう考えると、極限の彼が絶叫をしないでいられない気持ちが
現れ出ている。 重いが、心に残る内容。 エンディングの歌が良い!
・・・・・・
4754,そんなに長生きしたいですか ー6
2014年03月21日(金)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 「表の安楽死」「裏の安楽死」
 ガン末期の殆どは安楽死だが、当然、裏と表が存在する。ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。
 方法としては、人工呼吸器はずし、塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤や
インシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に
至らしめる方法を使う安楽死を、私は「表の安楽死」と呼びたいと思います。
それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指す。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、
「表」「裏」のほうが実態に近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のこと
ながら「表」よりはるか以前から行われていました。方法は、大量の鎮静剤の
投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減など。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を
投与するわけではありません。耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。
苦痛が激しいと、通常量では眠らないので必然的に大量に使われる。
そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが
 書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが留まった。その結果、一時的に
良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。懇願されたときに
死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  
普段は医者の口から語られない患者の悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。
死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸
装置を外し、息を止めている。時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が
生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」
あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
・・・・・
4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
               「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。
しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。特に大阪のオバチャンより
オジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めが
きかなくなったのだろう。数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、
傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、
顔を見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているよう
だった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは事件にならないという。
激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。
新潟駅前周辺の地元老人に、こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。
酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。ーアマゾンの内容よりー
【待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。
現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。その「暴走」の底に隠されて
いるものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら
「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の激変する「時間」感覚、
「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を
探るが、あくまでも「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、
暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」した
人間の反動的行動と指摘。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題ではなく、
暴走はあらゆる世代に共通する連続的な現象となりうるのである。
感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や
規範さえも、日々更新され続けており、今後も加速度的に拡大していくに違い
ない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後
どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。
 決して孔子の教えのようにはならない。「・・、40にして迷わず。50で
天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。
60で自分の人生を悔い。70歳にして呆然自失で暴走化する」これが、最近
みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに
切れてしまい暴走を始めたのである。あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、
あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。
そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
  * 野田一夫教授のこと(20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化
していった。専門課程の三年になると卒業後が見えてくる。そこでドラッガー
を日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2(随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者。 
忘れられない授業があった。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は
「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。学生時代の自分の中で
色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして
学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの「ベートーベンの生涯」
をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的。それを乗り越え、その心を作曲したのが
「運命」である。この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、不幸に
耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉
だから素晴らしいのだ。この本を買って繰り返し読みたまえ!これから諸君は
何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!
真ん中に座りなさい。】 大体がこんな内容であった。
 この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガーの
訳者として高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところが
あった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に駆り立てるカリスマが
あった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVで
お目にかかった。更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。
ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャー
 ショックは、あまりに大きな衝撃であった。21年間の小さな固定観念が
根こそぎ壊された。欧州文化と文明に直に触れ、また夜は連日、飲み歩き。
毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の
日本人である自分を逆照射はベストだった。自分は、世界の広さも、深さも、
実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、
経験も、富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。
その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
    「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
   * 汝自身を知れ  ー P28 ー
人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえ
ソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、すこしでも
無知でない状態へと自己を導くことであった。そのためにこそ、自己は配慮
されなければならない。 無知な状態を脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らか。 
世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く
自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくは
ないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神を
できるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もして
いないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、
真実をめざして精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な
老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固な
までに強調する。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいもの
であると考えた。それゆえに、%A


5118, 社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜3

2015年03月20日(金)

       ―ポル・ポト―ある悪夢の歴史〜フィリップ ショート (著)ー
 * ポル・ポト ―自国民の二割を虐殺した男
   〜まずはアマゾンの商品説明より
≪ カンボジアで二十世紀の歴史に汚点を残す大量虐殺がなぜ起きたのか?
 人口700万人のうち150万人が犠牲になった、クメール・ルージュ/カンボジア
共産党首領ポル・ポトの伝記。極度の秘密主義を貫いた彼の生涯は、これまで
闇に包まれていた。しかし本書は、その軌跡を追い、クメール・ルージュ組織、
粛清、権力奪取、大量虐殺、失墜、死までを、綿密な取材とインタビュー、
膨大な資料を駆使して克明に描き出した、「決定版」といえる大著。
 パリ留学から帰国したポル・ポトはクメール・ルージュを組織し、都市=
ブルジョア思想に毒された場所、農村=革命の前衛という図式を掲げて農村を
オルグ、独自の共産主義路線を推し進める。彼は背後に隠れ、血の粛清に
基づく恐怖政治で支配を固め、プノンペン占領を果たす。都市人口の大量移動、
通貨・商業の廃止、家族制度の廃止と共同の食事、強制労働など、極端な空想
社会主義は多大な犠牲者を生むことになる。まさに「悪夢の歴史」だ。
大量虐殺はなぜ起きたのか? 蛮行と悲劇の全貌を暴いた本書は我々に問い
かけるが、それは重く、根深い。≫
▼ ポルポトは空想社会主義を信じ、通貨・商業の廃止、強制労働、家族制度
 の廃止を貫き、反抗する者はすべて拷問・虐殺。結果として国民の4分の1を
抹殺した。両親から引離された子供が、その拷問の執行者。1970年頃から2000年
頃までのカンボジアで起きた権力闘争や虐殺などの詳細の多くの書籍で語られ
ているが、その内容たるや、想像を絶している。出世のため、地方の役人が
しでかし、それを見て見ぬふりの毛沢東とは違い、その指示をした確信犯。
ヒトラー、毛沢東、スターリンに匹敵する虐殺が、10数年前までアジアであった
事実は何とも痛ましい。国力の向上には優勝劣敗の弱肉強食のシステムが必要
だが、大多数を占める弱者を如何に守るかが問題になる。それも文化人を狙い
うちにしたのだから、絶望的な所業である。他にも、中国による、チベット民族
120万人の虐殺があるが、何故か世界のマスコミは誰も語ろうとしない。
・・・・・・
4753,そんなに長生きしたいですか ー5
2014年03月20日(木)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 老人力より、満足力、感謝力を
 著者は私より10歳若いので、老いの実感が少し違うのは仕方がない。
老いは、60歳代は重症の病がない限り、ある意味、一生で最良の時節!
が分ってない? 夕暮れ時の楽しさである。70歳代も、その延長とみるのは、
無理があるが、人による。兄姉4人が70代だが、実際の心情は分からないが、
不幸でもなさそうだ。問題は、後期高齢者といわれる75歳以降。 
 ーここで紹介しているインディアンの教えの次の一節が良い!
《  おまえは(若者)わたし(老人)に言う、
    去年という年に住むご老人よ、
    昔の歌を歌うご老人よ、
    目を覚まして
    現実の世界を見てごらんなさいと。
   わたしはおまえに言う、
    どこにも住んでいない若者よ、
    雑音しか聞くことのない若者よ、
    世界はわたしの内部で育ってきた
    だからわたしは歳月とともに豊かなのだ。  
       (「今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著              
  老人は弱るからこそ、深い知恵をつけられる。失敗し、挫折し、何度も
  あきらめを経験するからこそ、新しい地平が見える。若さや元気ばかりに
  すがりついていては、知恵や満足から遠ざかるばかりです。
  だから幸福な老後を目指すなら、自らの境遇をあれこれ言う前に、
  満足力のをつけたほうが早道ではないか。
  ・・ 老人の知恵として、欲望にはきりがないと悟り、‘無頓着力’
  ‘満足力’‘感謝力’をつけたほうがいい。 それができれば、
  浅はかな若者たちも自然な敬意を抱くようになるでしょう。 》
▼ 若いうちは、感激力、感動力、感涙力が優先されるが、老いたら、満足力、
 感謝力、諦念力が必要というのは、現在、実感していること。ここでいう
「世界はわたしの内部で育ってきた だからわたしは豊かなのだ」は、老いて
こそ、実感できる言葉。老いれば老いるほど、世界は私の中に収まり、さらに
広がっていく!ネット社会は、その点、非常に便利になる。今のところ長生き
したいが、歳を重ねるにつれ、どう変化していくか? 歳月、人を待たず。
・・・・・・
4386, 「うつ」かもしれない ー2
2013年03月20日(水)
     ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 ウツは躁鬱の躁の反動による「哀」の肥大による。その他にも連れ合いの
喪失、病気、失敗、トラブルなどあるが・・ バランスをとるには気分を切り
替えて、その肥大に喜と楽を加えることだ。これは意識すれば可能である。
   * ウツは、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加による
≪ 「うつ」というのはある意味、人間の正常な反応の一つです。喜怒哀楽の
「哀」であり、私たちの日常に溢れています。ではなぜ「哀」だけが突出するか。
実は、こういう疑問の立て方に最大の欠陥があるのではないか。つまり「哀」
の突出ではなくて、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加こそが、
「うつ」をもたらしていると思うのです。人間の基本的な感情である「喜び」
「怒り」「楽しさ」は、ある意味、積極的な他人との関わりのなかでしか
産出され得ない。それに対し「哀しさ」は、積極的な他人との関りだけでなく、
関りから撤退することでも産出されます。つまり、対人的な関わりの希薄さの
先鋭化こそが、「うつ」の増加を促進させる最大の因子ではないかと思う。
戦争のときに「うつ」が減るとされるのは、戦時中は人々の結びつきが強く
なるからかもしれません。現代は価値観の多様化した社会だと言われています。
そして思考力に若干の柔軟性を欠くとされる「うつ」の人たちは、そのような
価値観の急速な変遷に対応することが困難であるために、「うつ」になると
考えられてきました(10年程前までは、診断根拠として「うつ」になりやすい
性格「病前性格」が重視されていました。価値観の急速な変化に耐えられない
ために「うつ」になるというのは、「病前性格」があると想定した上での
仮説です)。そういう一面も確かに存在するでしょう。≫
▼ ウツを「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加によるという見方は
 初めて。そのため独り遊びが出来れば、ウツになりようがない。独り遊びは
喜怒楽を満たしてバランスをとる効果がある。 女性が男の二倍もウツ病になる
のは、独り遊びのチャンスが少ない社会構造にもある。 今回も、二年間が
大きな節目と精神面には気をつけていた。まずは、冬期間二時間、夏場は三時間
の運動をする。この随想日記に集中する。週に一回はシネマに行く。読書の時間
を必ず持つ。就眠直後の4〜5時間は熟睡する工夫をした。スーパーやドラッグ
ストアで、一人で酒と肴や身の回りの買物をする。月に1〜2度は飲みに出る。
年に数度は地元から出ること、などを意識的にすることで何とか乗り越えてきた。
これは喜と楽を自分でつくり出すことになる。一日一生と、淡々とスケジュール
をこなしていれば、哀しみは肥大しない。それが出来ないのが、病。これも無知
による要素が大きい。群れてきた人は特に注意!「独りになれよ!群れてないで」
・・・・・・
4012, 事業生活39年の、独り語り ー1
2012年03月20日(火)
  * 意志の確定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードラン
ディングであることは間違いない。一年間は頭を冷やすということで事業総括
をしなかった?9・11テロ以来の10年の年計グラフの数字が、時代の大きな
断絶、「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 
ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、グローバル化を促進、
NO・1しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、
割り切るしかない。そして、リーマンショックと、東北大震災である。 
私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 
元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、創業の真っ只中が幼児期
だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、
自分も創業をしたい!という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで
書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いて
 いた田舎青年が、それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた
時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休み
に与えられ、「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも
「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。初めて第三者に自分の心情を
書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し
姉兄はその激しさ厳しさにしり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、
自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」に
男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎで
不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。心のこもった返事とは
「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の
決心が心から嬉しい。貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが
素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 
 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。
 ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、虚勢になるが、
しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた
夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。まずは、自分づくりが始まった。 
志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、
そのための学問。そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 
丁度、将来に目覚める時期だった。
・・・・・・
3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
 地震 ―つれづれに 二題 ー9
  * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的。
ある中年女性が、「全ての生活を失って、これまでの生活と人生は何だろうか
考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。死など考えてもみなかった
人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の
言葉と同じである。これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、
走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、「人生50年夢幻」の実感が
みてとれる。これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても
同じ。この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を
見極めないと、判断を間違ってしまう。 また、「現在起こっていることが、
いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受け
とめられないのである。空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら
絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。
そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。家族と家など全て失い、
避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。まさにホームレスの状態。
「私一人が生き残ったが、それが良かったかどうか、今でも分からない」
は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、
今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。福島の、この時期のホウレン草
はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。
かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かって
ことが進むと、本州は壊滅するというのが。決してデマでないことになる。 
死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。
だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州に
でも長期旅行と考えてもみたが、何を今さら・・ 充分に生きてきたから、
数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? 
この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、
直面するとは、今でも信じられない日々である。 
・・・・・・・・
3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死
2010年03月20日(土)
 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から
電話がある時期にかかわらず、電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、
「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。
そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリする
ほど痩せこけていた。本人が言うには、「インドに行って帰ってきたら歩けない
ほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。 半年間、入院
をしていたが命にかかわる病だった」という。「たまたま紹介をしてもらった
先生が良かったので助かった」とか。初めに見てもらった病院の先生が好い
加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は
当てにならない、他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で
新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、入院し命が助かったという。 
この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 
で、昨日の地元紙の朝刊に、本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は
亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
 ・・・・・・・・
2906, ユングの世界のような夢
2009年03月20日(金)
 最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
  ーその一つを披瀝してみよう
 あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。
そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、危険なイメージが漂っている。
ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチ
をした一団。階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに
彼等を誘導し下界に連れて行く。その後そこに戻るが、禁断の上階への
エレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の
天空に自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の
懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、全てが許されて洗い
流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、
あの皮膚だけの人たちと同じように、自分のそれからの過去が消されるのでは
と不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なり
 あった内容とも解釈できる。上階へのエレベーターで上がっていった先は
時空を超えた純粋意識。下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に
流れている日常である。面白いのは上階〈上界)から降りてきた人が
ノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図
ということか。この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを
分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。その時に屋上から
見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
 ・・・・・・・・
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)
・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の
 機長が出てきた。「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の
 皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。どうぞ1番初めに
 救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに
 来て下さい!」「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術
 をしましたよ。いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 
 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 
 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 
 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところ
 に首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。家には妻、
 子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも
 飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらん
 ことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴も
 こぼさずに命中させてやる。これに50ドル 賭けよう。ただし、こぼれた
 小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」 バーテンダーがこの賭けに
 乗ったので、男はグラスを床に置いた。そして、そこから20フィート(約6m)
 離れると、小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの
 中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながらバー内を清掃した。
 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。 バーテンダーは訊いた。
 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、
 あいつに200ドルを賭けたのさ。このバーに入って、小便を撒き散ら
 して、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
(字数制限のためカット 2012年3月20日)


5117,カエル男の末路 −2

2015年03月19日(木)

       ー日本社会を埋め尽くすカエル男の末路ー深尾葉子著 
  日本社会を築いてきたのがカエル男。「依存としがみつき」を良しとして
 物事の本質(国債、原発事故、政治改革等)にメスを入れない?政治と社会。
そのカエル男社会の治安を乱したホリエモンは、世論に推された検察のシナリオ
で逮捕された。小さな井戸では蝦蟇カエルは、ジャマのようだ。
   * カエル男の4つのタイプとは
 ★ 依存型カエル男(妻にしがみつく) 
  〜月の小遣い1〜3万。独立や転職を「妻、子供がいる」
  と断念したことがある。私服がダサい。妻の話をよくする。〜
 ★ 攻撃型カエル男(家庭外で鬱憤を晴らす)
  〜議論が大得意。親分肌。ミスを部下に押し付ける。使えない部下を
  怒鳴りつける。接客態度が悪い居酒屋で、怒鳴りつける。
 ★ 自己犠牲型カエル男(終身雇用にしがみつく)
  〜35年の住宅ローンを組んでいる。何年もスーツとYシャツ以外の
  服を買ってない。自分は「そこそこ甲斐性がある」と思っている。
  自分は定年まで会社に居れるが、若い後輩は気の毒と思う。
 ★ 現実逃避型カエル男(自己啓発と絆に逃げ込む)
  〜若い愛人がいて、仲間内で不倫自慢をしている。酔っ払うと
  愚痴を言ってしまう。会社は居心地が良く、サービス残業も良しとする。
  休日はイオンや、ヨーカ堂で過ごすことが多い。
▼ 攻撃的型と、現実逃避型カエルは、我身に覚えがある。どの要素を
 誰もが少なからず持っている。『今夜は遅くなる!、○時にはカエル』と、
あいも変わらず毎晩、鳴いている。ひたすら均質性を求める池や田圃では、
彼等のコピーの子カエル、子タガメを再生産をする。大都市へのアクセスが
30分以内が国民の7〜8割を占める日本で、このシステムに何の疑問を
持たない善良な人たちが、日々を過ごす。この「箍」から逃れるには、
アメリカ的価値観から逃れれば良いが、そこは世間様とかが立ちはだかる。
 このシステムは、悲しいかな、敗戦国日本の行きついた姿。これに
スマフォが行渡ったのが、現在の社会現象に現れ出ている。
・・・・・・
4752,閑話小題 ー6年ぶりのパソコンに挑戦中!
2014年03月19日(水)
   * 6年ぶりのパソコン
 四月半ばのWindowsXP終了にともなって、新しいパソコンを導入して三週間。
(年金暮しで、ローンだが)これまでのPCは、iMacにWindowsVistaをのせて
6年以上使ってきたが、XP終了後からは本来のMac画面を切り替えて使う予定。
現在、ブログは今までのPCを使っているが、徐々にWindows8に移行をしていく。
 数ヶ月かけ、迷いに迷った末に選んだのは、ソニーの21インチのテーブル
トップ(大型タブレット)と、デスクトップの両用が可能。「型落ち」
(一シーズン前の秋冬シリーズもの)で、三割以上の値段が下っていた。
3・9キロと軽いので、居間と寝室と書斎に手軽に持ち運べて、使い勝手は
理想的。ほぼタブレットPCと同じ機能で、充電が出来て、WiFi機能もあり、
家では、無線で何処でも持ち運び可能。当然、6年前のVistaとの使いかって
の段差が大きい!「パソコンは四年で入れ替えるべし」の意味を実感している。 
SEの知人の助言、「新規の選定は、タッチ式が前提!」も、なるほど納得。
 パソコンは、デスクトップ、ノート型も、「タッチ式、直感的画面操作」
の流れである。 これで一挙にパソコン難民が使いこなせることになる。
慣れるに、iPadと同じく3ヶ月〜半年はかかるが、面白い!iPad以来の興奮。
旧来のWindows/Vistaが、本来のiMacになるので、アップスケール(脱皮)。
iPadも含めて果てしない情報機器の進化の恩恵である。この進化も、メガネ、
腕時計、チョッキなどウェアラブルPCになっていく。 面白い時代である。
   * 追憶の写真旅
 Yahooのブログに、過ってツアーで行先の写真を、ネット上で探し載せて
いるが、これが奇妙な感覚で面白い!同じ対象を違う人の視線で見ると、
自分が見ているような錯覚が起こる。例えば長岡花火を、後日、ネット上
からみると、分かるはずだが、違う視線を幾つか加えると、その時の臨場感
が鮮明に思い出される。実際は、混雑の中のお祭り騒ぎが加わり、面白み、
迫力が違うが、それでも、ネットで行先の写真をみて、感じとった一瞬は、
当時を彷彿させる。現場感覚があるのが、追憶の旅を面白くする。
それはTVの旅番組で同じ。後退的だが、情報化の恩恵の味わいも良い。
・・・・・・
4385, 「うつ」かもしれない ー1
2013年03月19日(火)
     ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 うつ病に関しての書評を幾つか書いてきた。
【2012/05/09 本当は怖い抗うつ剤】
【2012/01/23 他人を責める「新型うつ」について】
【2011/11/24 「現代型うつ」とは】
【2010年02月13日(土)「うつ」9つの症状】【3246,新・欝の時代】
【2007/06/05 2254 ビョーキな人々探訪記 *鬱病について】
【2006/10/27 2033, 躁鬱病について】【2005/12/18 1720, 生きるのがつらい】
【2003/07/15 「阿弥陀堂だより」−映画日記】 よく書いたものだ。
 平均、それぞれ4回として、9×4=36回は書いたことになる。
それぞれの視点で切り口を変えた本は、病気というより人間の本質を教える。
著者は年に何人も死なせている。だから、うつ病の恐さを知り尽くし警告する。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
【 私が精神科医として働き始めて、二〇年近く経ちます。その間、私自身が
 把握しているだけで数十人のうつ病の受け持ち患者さんが自殺しています。
必ず毎年、数人の患者さんが自殺してしまうのです。そしてその度に
「もっと適切な方法があったのでは」「私が主治医でなければ自殺しないで
済んだのではないか」という慚愧の念に強くとらわれます。(略)・・
 今回、うつ病の本を書くにあたり、これまで私の記憶から排除しようと
していた、死に至った患者さんたちのことを思い起こしました。(本文より)】
 ここで、一般に「「うつ」は、心のカゼであり、早期治療でクスリを飲めば
治る」というような解説が多いが、著者はこのような考え方を明確に否定し、
「うつ」に罹った人のうち一定数は必ず自殺する」という認識をしている。
 本来「うつ」としてきっちりと治療すべき人を「自律神経失調症」として
安易に診断していたり、「うつ」で休職した人を無理に早く職場復帰させる
ことはとても危険であるという。
 以下の九項目のうち五つ以上該当し(1と2のどちらか含まれる)、
  それが二週間以上続いていたら「うつ」と判断される。
1、一日中気持ちがしずむ 2、これまで好きだったことが楽しく感じられない
3、急に体重や食欲が落ちる 4、眠れない、あるいは眠りすぎる  
5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6、毎日体がだるく、なにもする気がしない  7、自分をダメ人間だと考える
8、なにも決められなくなり集中して考えられない  9、死にたいと思う
▼ 多くの「うつ」に関する本を読み、身近の人の相談にのったり、青年期の
 ウツ症状の時、独りで本などを読み乗り越えてきたが、人間の心身は生もの。
いつなん時、襲いくるか分からない。これは慢性病になる可能性があり、下手
をすると死に至る病。九項目の中で、一つか二つはあるが、それも一瞬の間だけ。 
そういえば、節目時に、「虚無感」に陥ったことがあった。あの不思議な捉え
どころない自信喪失というか、虚無感、脱力感。 振り返ってみても底知れぬ
心の状態である。現在の私の状況、最もウツになりやすい事態だが、戦争時に
ウツは出ないのと同じ。それと遊んでいる? とすると痴呆かい
・・・・・・
4011, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー4
2012年03月19日(月)
   ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ーキングスレイ・ウォード著
 * 実業界には三種類の成功者群がある  ー 翻訳者の、後書きより ー
【 実業界には、三種類の成功者、つまり二億ドル人間と、二千万ドル人間と、
 二百万ドル人間がいるといわれます。二億ドル人間は、自分の起こした事業を
世界的規模に育てあげて市場を征服することに夢を託す本来的な企業家、実業家。
その結果蓄積される個入の財産は二億ドル(約二百四十億円)を下らないでしょう。
一方、二千万ドル人間は、むしろ経済的な成功の成果である富で普通の人には
できない豪華な生活、つまり豪邸に最高級車、使用人がいて、海外の別荘で
ゴルフといった生活を楽しみたい人たちです。二千万ドル(約二十四億円)以上
の財産がなければ、そのような生活は望めません。そして二百万ドル人間は、
ウォード氏のような人たちです。製造業の例をあげるなら、二億ドル人間は
ホンダの創業者本田宗一郎、二千万ドル人間はホンダと創業をともにした
本社の幹部や部長たちと、関連会社の部品などの経営者たち、二百万ドルは
自営業の域を出ない下請けの町工場の事業主ということになるでしょう。 
二百万ドルは家族を養い、善良な市民の務めを果たしながら二百万ドルの資産
を築けば、よくやったと自分をほめてやれる、ごく普通の金銭感覚を失わない
市井の入です。本書で述べられているウォード氏の意見が私たちの共感を呼び、
私たちにとって適切な助言になるのは、ウォード氏がビジネスマンとして
成功しながらも、市井人の心を失わない二百万ドルであるからです。 
お金は生活を保証するもの、人生にはお金で買えないもっと大切なものがある
というのがウォード氏の持論です。大企業の創業者の人並みはずれた才能、
努力、そして時代を彩るまばゆいばかりのドラマをウォード氏に期待する
ことはできませんが、人生の成功者としてのウォード氏の功績は、決して
彼らに劣りません。ウォード氏は普通の人たちの普通の悩みや喜びを語る
ことによって、人生の成功者になるための秘訣を明らかにしています。 】
 ▼ 三種の成功者の分類が面白い。 娑婆は、それで色分けをして
人の価値を決めていく。日本でも、この数値が百〜二百万、千〜二千万、
一〜二億ドルと少し下がるが、こんなもの。これが人間の価値と信じて
疑わないのが、俗に言う世間様。一歩ひいてみると滑稽に見えるが、世の中
の9割が金で買えるという幻覚の中にいると、それはそれで目安になる。
3つの震災で実業界から退場してみて、「娑婆など死んで三日も経てば、
‘それがどうした!’でしかない儚い世でしかないのが分かる。
逆に、これも肯定してみるのも一つの理で面白い。事業人生を決心してから
去年までの45年間は面白かったが、赤裸々の人生。しかし45年間を通じて
人間社会の実態を多くを学ぶことが出きた充実感が残った。
それも3つの大震災で崩壊。敗者の弁かい!
 ・・・・・・
3645, 地震 ―つれづれに  ー8
2011年03月19日(土)
  * 震災 まる一週間
 地震も、昨日でまる一週間になる。当初は、ここまでの大震災とは思って
もいなかったが、時間が経過するにつれて、歴史的な大震災の姿が現われ出て
きている。その上に原発事故の誘発である。大津波だけでも歴史的大災害の上に、
大爆発をして日本中が被爆をしたら本州全体が破綻してしまう可能性がある。
3月11日から日本は、全く違う国になってしまったのである。村山が首相に
なった時に神戸震災、そして今度の首相で、この大震災である。現在、我われは
誰もが身近にデジタルカメラとビデオを持ち歩いている。そのために生生しい
写真とビデオが、あらゆる角度から映し出されている。それが規制無しでネット
で多く飛び交っている。その結果リアルの現実が直接、目前に突きつけられる。 
一つ例に挙げると、私の学生時代の友人が、仙台を気に入って終の棲家として
仙台飛行場近くの漁村に住んでいる便りを貰った。恐らく巻き込まれたのでは
と、その村の名前を検索したところ、その地の震災の惨状の写真が、その村の
ブログに載っていた。跡形もない村の惨状に、驚いてしまった。。
   * 原発事故のリアルな現実
 福島原発事故で、20〜30キロ内の屋内退避が県外退避に転換され
大型バスでの移動が始った。この圏内には14万人が居住していて、今後、
一斉に退避が始まるが、問題はガソリンや食料がないこと。米国などでは、
80キロ圏内の避難を指示しているが、福島原発の80キロ圏内には、更に
数十万人がいる。最悪の大爆発が生じて、放射能が日本中を覆うことになれば
日本壊滅になってしまう。 それが、この数日中に発生する可能性が大と
いうから、何をいわんかである。 リーマンショックで疲弊している上に、
この大震災と原発事故の二重の打撃は、日本経済は致命傷になってしまう。 
まず早急に消費税などの直接税が20パーセントも現実問題になる。
これは15パーの収入減と同じことになる。もちろん、この事態では当然、
受けいれるしかないが、体力を消耗してしまった中小企業は致命傷になる。
日本全体が被災者という現実がある。
 ・・・・・・・
3280, 人みな骨になるならば ー2
2010年03月19日(金)
  * わたしは特別か?          
ー まずは、次の部分の抜粋から  P−41
自分だけは大丈夫と感じる原初的な感覚を、E.エリクソンは「基本的信頼」
と名づけた。幼児期における適切な保護か養育者との愛着関係によって成立して
いるかに信じられている。個人差はあるだろうが、相当の怖がりやでも心の底に、
「自分だけは大丈夫だろう」という最低限の楽天性が備わっている。たしかに、
数百の卵子と、数億個の精子のうちの、一つずつが合体することでも大変な
奇遇である。・・ われわれは生きているというだけですでに、宝くじを三回
買って三回とも当たったぐらいラッキ-な人物なのである。そのことを特別な
存在だと感じても不思議ではない。もちろん、自分が特別だと感じる根拠はそう
した生物学的事実によるのではなくて、われわれが直接的体験として自分しか
与えられていないといった心理学的(認識論的)事実に基づいている。 
われわれは各自の心しか直接に知ることがない。それ以外はすべて憶測である。
目の前にある花やコップでさえ、自分の感覚を信じないことには「在る」と
断定できない。ましてや自分以外の全人類は「在る」のかもしれないが、他方
すべてが幻影や書き割りのようなものなのかもしれない。コギト(われ思う)は
不確かだが、スム(われ在り)だけは確かなのだ。そもそも現在の自分の在り方を
「存在」と規定しないかぎり、それ以外に存在を規定する原理はない。
しかし、そんな特別な存在が地球上に何十億とひしめいているらしいのである。
そのことを認めたとたんに自分が特別でもなんでもないことを思い知らされる。
なにしろ、自分は特別だと実感している人間が自分以外にも六十億近くいる
ようなののだ。これならあきらめるしかない。わたしは特別な存在ではなく、
せいぜい六十億分の一の特別さにすぎない。宇宙において、わたしが生まれたり
死んだりすることの重要性は、地球の裏側でアンデスのインディオの一人が
生き死にすることの重要性と何らかのかわりのないものである。・・・
「人間は特別」という価値観は人間だけにしか共有されてないからである。
 ー
 人間は誰も、自分は特別の存在と思っている。で、還暦を過ぎて、そろそろ
ゴールが目前と感じ、自分の存在が必要とされないと気づいた時、特別の存在の
はずの自分が、逆に邪魔なものと思い悩むことになる。初老の身体の変わり目と、
それに気づく時期が重なり鬱症・鬱病という人生の節目が訪れる。 
宇宙の視点からみて「わたしは特別ではない」のは当たり前。
その当たり前のことを知らないまま、一生を終える。
・・・・・・・・・
2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか
 2009年03月19日(木)
 * 寝入る瞬間を経験したことがあるか?
ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。
以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、その経験をしたことがある。
その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の
瞬間の実感してみた」と記憶として刻印した。 具体的に、どうだったか?
というと、「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に意識が縮小
し消えいく感覚。もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。 
先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」というAERAMOOKという
雑誌の特集号の中で、マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、
「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」というテーマで論じていると。
(詳細は書いてなかった)とすると、その瞬間は意識できないことになる。
しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。私が特殊経験をしたのか、
それともマギーが正しいのか? ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と
検索したが解答はなかった。ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」
の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。<寝入ったとは意識が無くなると
いうことだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、その瞬間の
無の際を経験しようがないのは自明のことだ。見たという一瞬の知覚は、
まだ寝入っていない意識であり実は寝入ってなかったのである。
意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足
できようがないのである。向こう側(寝入ったサイド)から見ると、その
瞬間=扉は、すでに無の世界である故、その瞬間など捉えられない・・ >
ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。しかし、私は
間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、夢ではなかった。
マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。
今度、この本を読んでみるつもりである。
・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)
まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。


5116.社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜2

2015年03月18日(水)

   * 迫害されたウクライナ人
 スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤとウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンがウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
・・・・・・
4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル版
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!
 ・・・・・・・・
2904,清水洋の経済危機
2009年03月18日(水)
 この人のセミナーを東京まで行って何年前から聞いてきた。
今年の彼のセミナーの案内がきたが、去年に二度出席したので、
今年は行かないと判断した。ところが案内のパンフレットに、そのDVDを
販売するとあった。セミナーは3万8千円、二万円なら安いが関連の本が十冊
買うことが出来る。といって、時が時だけに現場の生々しい視点からの現状の
情報も興味深い。去年、三回の彼のセミナーを知人とシェアをした(二度私が
参加し、一度は取引先の社長が参加)。今回も再びシェアをと声をかけた。
それが昨日の午前中に届いたので、午後から4時間部屋でパソコンを通し
聞いてみた。今回は一切メモを取らないで一度、脳にいれた後に、印象として
残った言葉を待つ実験をしてみることにした。「脳に残らないのは、
必要としないこと」という言葉を思い出したからである。
 −印象を、そのまま書いてみると・・・
・ハイパーインフレが数年後に起こる。そのタネを現在、世界中で公然と
 蒔き始めた。その芽が出てくるのが、数年後である。間違いなく、ある日に
 爆発的に発生する。
・不動産の暴落は、さらに大きく起きてくる。買いにきた初めの客に迷わずに
 売るべし。不動産の供給過剰は、これからの時代の趨勢である。東京の
 マンションや売りアパートは半値以下。それでも買い手がいなくなった。 
 銀行が金を出さないからである。 不動産の市場は想像を絶した惨状。
・三百年続いた近代工業主義社会が、この恐慌で間違いなく終焉した。 
 日本のバブル崩壊後に何とか主導してきた輸出立国モデルが崩壊した。
 これに替わるモデルが全く見当たらない現在、日本の将来に悲観的である。
・さらに少子化問題は、今後の日本にとって非常に大きなマイナス条件。
・金(きん)は、今後数年後には6〜7000円まで上がる。金が上がる
 というより、貨幣の価値が下がる。今度の金融恐慌に対して、世界中の
 トップが取れる政策は、ペーパーマネーを増発してハイパーインフレを
 起こすしか手立てはない。世界の資産家は、金の買い集めを始めている。
・実感として、そうじて40パーセント減である。政府は中小企業を潰さない
 ことを金融庁に指導している。その手立ての一つは、リ・スケジュール
 (返済計画の見直し)であり、それを利用すべきである。
・政府も銀行も信用すべきでない。自分の身は自分で守るべし。
▼ 以上だが、聞くたびに話しは辛らつになっている。私の事業は不動産の
 要素が7〜8割を占めるから、深刻である。再開発地区の物件だから、
救いがあるから、何とかやれているが・・・
 ・・・・・・・・
2540, ロシアの小話、8つ
 2008年03月18日(火)
小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。その中で、一番
スリルとサスペンスがあったのはソ連の体制時の小話だろう。ひつと間違えば、
秘密警察に連行されシベリアに流される。そのギリギリの中で、ひねりを
入れた小話を「アネクドート」といいうが、ロシア人は食事時などに普段人
には言えない鬱憤をぶちまけるために作られたブラックジョークだからこそ、
毒があり捻りが味がある? その幾つかインターネットで探してみたが、
ブラックージョーク収集を趣味としている私でも、なるほどと含み笑いを
してしまう。まずは、強烈なやつから順に・・ 息子が服をボロボロにして
帰宅しました。「どうしたんだ、お前」? 父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい
服を買わなければならないじゃないか。」「だからどうなの。」 
ー息子が自慢気に答える。「あの子を見てみればいいんだよ。
あの子のお父さんは新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 
子「お母さん、僕、外国人になりたい」
・・・・・・・・・・
2007年03月18日(日)
2175, 14歳の君へ ー読書日記   (~Q~;)  おはよう??ファ?
  =「宇宙」について=
「14歳からの哲学」に引き続き、今度は「14歳の君へ」という本を買った。
(字数制限のためカット 2012年3月18日)


5115,吉本隆明の「幸福論」

2015年03月17日(火)

    * 老齢の幸福論
  吉本隆明の「幸福論」に、青年期、壮年期、老年期に分け、
 その老年期を更に三つ、老年期(65〜74)、超老年期(75〜84)、
 老年第三期(85歳以上)と分けている。現在の後期高齢者を二分割し、
 老年第三期を加えたもの。 私は、老年期半ばの69歳で、しっかりした
 老年になるが、その自覚はあまりに少ない。だが、歳月人を待たず!
  〜印象に残った箇所を抜粋すると
・「老年では、1年先のことなんか考えない、考えたって無駄。幸、不幸を
 ちいさく刻んで考え、ちょっとしたイイ気分でも、それで幸せ。な感覚」
・「一般に日本の場合は、孫と親と自分の三代は、理想的には同じ家にいて、
 老人は子供とうまくいってなくても孫とはそんなことないから、孫の相手を
 してる間は楽しいよ、ということです。」
・「老人っていうことは、心身両面が慢性的うつ病である」
・「嬉しいとか、辛いとかを、縮めて考えること。
  どっちも、そう長く続くものじゃないってね。」
・「人間の幸福・不幸とか、人生の目的は何とかは、若いときに考えるもの。
  年をとったら、長い周期で考えるのをやめることじゃないかな、何事も
  短い周期で考えればよい。」
・「自分の主治医は、自分。自分が良いと思ったことを自分でやるしかない」
▼ 一日一日をかみ締めて日々是好日で生きるしかない。老いてきた実感は、
 長生きは、思いの外、厳しい!ようだ。以前、身近な誰かが言っていた言葉、
『まさか、自分が年をとるとは考えてもいなかった!』が、言いえて妙である。
老いは誰もが通る道。『子供しかるな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ』
が老いの先。父のように71歳で逝くか、母親のように88歳を目指すか? 
 やはり、想定を75歳が? 「良いこと3に、悪いこと1」を目指し、
日々是好日、ということか。 探すと、確かに幾らでも面白いことはある!
四苦八苦に、十二楽二十四楽で対処するしかない。「老いの愉楽」ですか。
 私の場合、傷口が深いから、その二倍、二十四楽四十八楽でいくしかない!
・・・・・・
4750,閑話小題 〜マレーシア機不明はテロとすると
2014年03月17日(月)
  * マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合(EU)加盟国の
 パスポートを悪用して搭乗していた可能性があることが、当局の発表や
 関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の
 通信手段が離陸からほどなくして、意図的に切られたことを明らかにした。
 機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
 西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。
 離陸から約1時間25分後には、軍のレーダーからも姿を消した。
 こうした機体の動きについてナジブ首相は「こうした情報は(操縦士でない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。
 また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダーから消えた約6時間後
 の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダー
 のスイッチを切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが
 明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、
 元副首相は先日3月7日、同性愛罪で禁固5年の実刑判決を受けた。
 消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
▼ 当時、中国の全国人民代表大会(全人代=国会)が開催されていたが、
 それに対するメッセージの可能性がある。「3月1日に発生した雲南省
 昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門の毛沢東の肖像画汚す」事件も、
 党への不満。その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。
 消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか?それとも、何処かの
 国に侵入して撃ち落とされた?か。もし、機長がテロ犯としたら、北京の
 全人大に突っ込むことも可能だったが、その防御体制が出来ていただろうか?
 もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に入るほどの事件。 
 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、
 「事実は少説より奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊も
 チョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!
・・・・・・
4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない
2013年03月17日(日)              
 * 不測に備えよ!
       「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣正樹 (著)
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障する
こともなく、乗り心地もベスト。スポーツタイプもあってエンジンも劣化した
感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1万円。
当り外れでいえば、当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。ところで、
「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで信頼してよいものか?」
「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人に
この本を紹介された。しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で
見つけ出し読んでみた。破産は債権者からすれば何も回収できない最悪の事態。
今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆込んだのも債権者からみたら善し悪し。
破産は以前と違い個人への保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。
著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。
事業再開の意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ
「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より
強い立場にある」というが、実感である。まずは弁護士費用を用意しておく。
それ以前に長年かけ備えをしておくこと。黒鳥は、いつ舞い降りてくるか
分からない。  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。
「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。
本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を
救う借金返済術を大収録。「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で
再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した
社長」など、合法的に借金をゼロにして、人生を再スタートさせた事例をもとに、
目からウロコの対応策を伝授します。父親の借金が原因で苦しい幼少時代を
余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まって
います。借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった
場合、借金のために死ぬ必要はない。自己破産だってしなくてよい(自己破産は
最後のカード)。債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。
そのためには筆者のようなプロに相談すべしという内容。
本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。≫
▼ 弁護士の当たり外れはある。30年来の会計事務所のグループで、
 同じ建物内の弁護士だったので安心していた。しかし、弁護士は債務者の
利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。
債権者である銀行は、元もと損しない仕組みができている。長期事業のため
リスクヘッジを数十年積み上げてきた。が、「自分は大丈夫!」という気持ちが
あったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。
何とか雪崩に巻き込まれる直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ
準備期間を入れ45年かけた事業崩壊。 そう簡単に割り切れないのが人情。
「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験の対処法。
中小は個人保証が前提。奥さんの連帯保証を避け、奥さん名義の給与を
与えて、預金をするのは中小企業が出来る特権。そのためには、倒産、会社
整理=悪の考えを捨てること。誰ひとり、助けてはくれないのが娑婆!
家内も含め、両親からの染付いた情報と体質が、最後の拠りどころ。
・・・・・・
4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、
何をして過ごしている?」と聞いたことがある。それと同じ質問を現在、
自分がされた。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余す
ことはない現在の私と同じような答えであった。それでも、暇そう、としか
思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、同級会以外は
一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人
との接触が少なくても平気である。ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いて
いるので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:20 起床ー>随想日記の下書き修正、ネットへアップと、翌日分の荒書。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。
4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の書き上げと、
そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の
二つの大橋を自転車で一周する。飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに
月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間
時間に、iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を
見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
  ・・・・・・
3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか知るところではないが、超法規で
期限を決めて、警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を
与えた臨時的組織体制をつくるべきである。一番相応しくない人が、最悪の時に
トップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、
迅速に動いている姿をみ見せるだけで国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、
メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。 武道館を
本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速
にして、即決即断しないと、被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民
の方は、この電話番号・・に電話を下さい」と放送していた。避難所の紹介。
東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている
画面を映し出していた。その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の
車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、「宮城から食料と、生活雑貨
の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が
私たちにも迫ってきている。 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、
大使館の機能を関西に移動している国もある。我々は、ただ座して放射能の被爆
を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 
まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・・
3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン」
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために
尽しなさい。貧しき者は幸いである。」と説くキリスト教。 その道徳も、
弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を
積むことを「奴隷の道徳」と否定、天国のことを考え、この世の生を否定する
ことを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェは
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と
堂々と当時、言い放ったのである。キリスト教を教会も、権力者も、弱者を
「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップ
して生きたいもの。しかし、大部分の人は挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)
を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、
今の、この世を生きることを肯定せよと主張したのである。神が死んだことで、
神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が
死んだことで、人間こそが真の創造者になった。人間は何を創造するか
というと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、
勇気、頭脳明晰、自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、
そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。生の苦痛に耐えて、
それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その
「運命を愛すること」のみが必要にとされるのである。人間は、「生まれ、
生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できる
のである。各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。
一応、彼で近代が終わったといってよい。権力者や、それにつながる聖職者
にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及を
したのは、そのためである。アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教を
つくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
 ・・・・・・・
2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に
対応して円安にして資金を供給し、かつ円安メリットを最大限利用して輸出
立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
・原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が
13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ国が成り立たない。特に
資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。石油などのエネルギー
を20兆円、食料6兆円の輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を
確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転して
るので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊
は、国の存亡の危機。特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、
それに対応しているのだろうか?と考えると暗澹とした気持ちになってしまう。 
非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
・・・・・・・・・
2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。
「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、駅には卒業式の羽織袴
の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の
時期になる。野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲
春場所が始まり、春の高校野球、そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。
一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
・・・・・・・・
2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。
(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について
考えると心地良いのはどういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、
人生を考えることだからである。いや歳をとったということか。「あたりまえの
ことばかり」の中の、章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという
経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見た
と思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろな
ことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは
「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。無というものは
無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、
「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無という
ものは無い。すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、
なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。その視点を手に入れると、
死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。無いものを
在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で
動いている、これは面白い。ですから、死が存在しないと気がつきますと
「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味は
まるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
(字数の関係で中略ー2015年3月17日)


5114,カエル男の末路 −1

2015年03月16日(月)

        ー日本社会を埋め尽くすカエル男の末路ー深尾葉子著   
   * カエル男の正体とは
 〜まずは、アマゾンの紹介内容より〜
≪『タガメ女の正体』の第二弾にして姉妹作! タガメ女に箍めとられてカネと
 社会的リソースを搾取される「カエル男」が、日本の政治、経済を動かし、
部下や下請け会社、取引先といった周囲の関係者を搾取の”倍返し”で支配する
さまを、豊富なケーススタディをもとに紐解く。ビッグデータ、グローバル化が
いかに進行しようとも、日本の男たちの「カエル男」的体質が変わらない限り、
日本は失速し続け、ますます家庭生活は生きづらくなる構造矛盾を撃つ!! ≫
  〜印象に残った箇所を抜粋すると・・
* タガメ女とは、「収入のある男をガッチリと捕まえ、その財布のヒモを握る
 「専業主婦」。あるいは、共働きであっても、子どもや夫をコントロールし、
 家庭という王国の支配者として君臨する女性。・・
 「マンションや一戸建てと引き換えに結んだ35年間の住宅ローン。
 給料はすべて妻に吸い上げられ、渡される月の小遣いはわずか1万円。
 自由にできるカネがないので、まったく身動きがとれない。さらに、朝から
 晩まで命を削るように働き、ようやく休日がきたかと思えば”家庭サービス”
 という奉仕も求められる。カネと社会的リソース(労働力、経済的価値)を
 吸い尽くされ、気がつけば皮と骨だけになり死んでいく」(p.6)
* 「タガメ女・カエル男システム」はもはや食い止めることができないほど
 日本社会に蔓延(略)・・  たしかに「タガメ女・カエル男システム」
 の自己防衛本能には凄まじいものがあります。 恐らく、もうこの衝突は
 避けられません・・ ただ、ひとつ希望を言えば、衝突はしても「沈没」は
 避けることができるかもしれません。船の針路は帰ることができなくても、
 最善を尽くすことで正面衝突を避けることができる。そのため必要なことは、
 ひとりひとりの「生き残りたい」という強い思い。・・ 自分の人生を自分の
 力で生き、その命をまっとうするごとく普通の「ひとりの男」になればいい。
 いや、男も女も、まず「ひとりの人間」になるべきでしょう。その上で真に
 助け合う繋がりを紡ぎ出してゆく必要があります。だれかから搾取され、
 だれかを支配するような「ぶらさがり」の連鎖を断ち切って、ひとりでも
 多くの男たちがカエル男から脱却したとき、この日本は本当の意味で
 一人前国家になれるのかもしれません。」(p.200-)
* カエル男の4つのタイプとは
  依存型カエル男(妻にしがみつく)
  攻撃型カエル男(家庭外で鬱憤を晴らす)
  自己犠牲型カエル男(終身雇用にしがみつく)
  現実逃避型カエル男(自己啓発と絆に逃げ込む)
▼ 次回、この4つのタイプを中心に取り上げるが、どれもこれも
 身に覚えがある要素。特に攻撃的カエルは! 阿部首相を、その典型的
タイプと看破している。団塊の世代が定年に入った昨今、これらのカエルが、
家庭内で、ダガメと対峙しているが、これでは不景気が加速される。
・・・・・・
4749,そんなに長生きしたいですか ー3
2014年03月16日(日)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 長寿の具体的危険とは
 長寿社会の陰で、老人に多くの危険が迫っている。そういう私も、母親の
介護で多くの経験をした。傍から見たら・・? 第三者と、当事者、そして
介護をする立場とでは全く違うのである。そして今度は、自分の番が近づく? 
その前に死にいくつもりだが、これだけは神(自然)の思し召し。いま出来る
ことは、前知識を蓄えておくことと、覚悟しかない!ーその辺りを纏めるとー 
《 簡単に死ねない時代に、長寿なるがゆえの危険が数多く控えている。
医療制度のため、そう簡単に死ねないのである。そこに当然、周囲との軋轢が
出て弱者の年寄りに危険が迫ってくる。特にプチ虐待は深刻。昔は、ものが
食べられなければ、自然に静かに死んでいけた。今は鼻からチューブを入れ
たり、胃ろうをつけたり、点滴や輸液で補い、生かし続ける。
食事補給だけでなく、呼吸も循環も、排泄も、あらゆる生理機能が人工的に
補助され、なかなか死ねないのである。長生き=善という考えを無批判に肯定
したため、死なせてやる視点が全くない。
 ー危険といえば
・孤独と憤懣の危機 :老いれば老いるほど強くなる。そして、短気になり、
 周囲と馴染めなくなる孤独な老人。
・自殺の危機 :元気で長生きで、優しい家族に囲まれても、危険がある。
 老人の自殺は、独居や夫婦二人の世帯より、二世代、三世代同居の方が多い。
 そこでは、子供が中心になり、収入も子供が得てくる。自分は役に立たない、
 いらない存在という鬱憤が蓄積し、自死につながる。
・マスコミ報道に踊らされる危険 :世間では、‘最悪のことを想定する’
 という考えは、あまり歓迎されない。どうしても‘良いこと’‘あるべき姿’
 に目がいってしまう。マスコミ報道は、老人虐待や少子高齢化社会の危機に
 切迫した警鐘をならすが、これは、老人世代を甘やかすことになる。
 常に完璧な、こうあるべき視点で、報じるから、老人の不満と、我が儘が
 蓄積していく。そこには、欲望肯定主義の陥穽がある。ただアンチエイジン
 だけでは幸せになれない。もっともっとという気持ちが、不満を増長
 させる。そして、孤独と憤懣のあげく、自殺への道になる。》
▼ 私自身の5年半の介護経験からして、母親当人は大変だったはず。
 そういう時期には、他の問題が重なるため、家族全体が、極限的危機状況
になる。肉体も、精神も老化のため弱体化し周囲に問題を投げかけるが、受け
止める余裕がない。寝たきり平均6〜7年とすると、あと5年も経たないうち、
その時期に入ることになる。アンチエイジングなどしないで、自然に任せて
いた方が良い!というのも肯ける。自死の権利なるものが何故無い?
・・・・・・
4382, ブラック・スワン −2
2013年03月16日(土)
 ブラック・スワン ー2
       「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」タレブ著
  ーまずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、
皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
(歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。
特に物事を分類し始めると、それに縛られる。科学が導き出した結論の
いくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、
完全に無視している。だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、
他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、
 それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。
しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては具体的すぎるので、
その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。
いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を立証しようとする
行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を
合わせて見た一連の事象」のことである。911テロ後の約3ヶ月間に、アメリカ
国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る
人が減り、その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、
飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。
それが何だかわからないほどのピンぼけである。一方のグループには、
解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっと
すばやく5段階で上げる。そして、同じ解像度のところで、各グループに何の
画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、段階の
少ない方のグループであった。つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ
人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどは日常に気をとられ、
 自分に直接関係ないだろうと思っている。リーマンショックの直撃で、まさか
私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹
を揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、
直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、まさかの黒鳥である。
人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる
「死」である。必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。
闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・・
4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、
ある対談の中で印象に残った言葉があった。「良い大学を出て大企業に入るか、
公務員になり、マンション買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的
価値から抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。特に、団塊世代
の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、その葛藤に苦しんで
いる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、
それまでの人生が見えてくる。学生時代の専攻が社会学だったこともあり、
卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもり
だった。しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた
自分に、あらためて気づいた次第。 特に地方は昭和的というより、戦前戦中
の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。それを良しとするには、
情報化がそれを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化
傾向が強い。 それを絆というらしいが・・ 大量生産、大量消費を目指した
昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。
その昭和の価値から抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため
経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に
3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、それ以降、参加するのを
止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私に
とってベストになっていた。ランニングマシーンのウォーキング30分に、
イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。
この言葉を繰り返しながら通っている。腰痛改善のためのコースと思えるほど
腰が軽くなる。40坪位のエアロビスペースに30〜40人。男の参加は4人。
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は
参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
 ・・・・・・・
3642, 現在、我々は歴史的災害の真っ只中にいる!
2011年03月16日(水)
   地震 ーつれづれに −5
 時間が経つにつれて、この歴史的大震災の凄みが現われてきている。
「震度7、M9、死者2万、津波の高さ20メートル、三陸沖の太平洋側
幅500キロにわたる広域の大震災である。その上、チェルノブイリ原発事故
以上?の福島原子力発電所の事故が生じていて、それを加えると世界的、
歴史的な大震災が現在進行形で進んでいる。」 まず、このことを認識して
おかないと! その心臓部の格納容器が爆発をしたら、日本だけでなく
世界中に放射性物質を撒き散らすことになる。一度、メルトダウンが始ると
止めるのは不可能。最悪の場合、本州の全滅もあるかもしれない。
それより、まず被災民に放射能が直接ふりかかる深刻な問題がある。 
株は二日間にわたり暴落をしている。これをきっかけに日本が本格的経済
恐慌に突入する可能性が出てきている。そこで非常事態宣言が発令され、
銀行閉鎖が行われ、預金移動や、貴金属などの取引に規制がかけられる可能性も。 
こういう隙を狙って中国、ロシアが日本の領土や技術を、アメリカは金融を
混乱させる?。 リーマンショック来の恐慌の最中の最悪期に、さらに最悪の
ことが起きたのである。まず株式、そして国債の暴落。その結果、アメリカへの
属国化は、さらにすすむ。「まさか、まさか、まさか」の出来事が、この20年
以上にわたり、眼前に次々と現れてきていた。その最大のリーマンショックの
本格的大津波が、まず日本に押し寄せてきている最中に、この歴史的大震災。
その結果、世界も日本発世界恐慌の瀬戸際にたっている。特に、この数日の
原発事故の推移を直視しておかないと! 
 東北新幹線、東北自動車道は完全麻痺、復興の目処がたっていない。
そのため新潟県の高速と、新幹線がバイパスとして使われている。
ことと次第によっては、地震、原発難民の受け入れ基地になる可能性すらある。
事態を知れば知るほど、背筋の凍る思い。これが起こってしまった現実である。
 ・・・・・・・
3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)
   「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義、
 統制経済へと突入していく。ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、
 現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。リーマンショックに端を
 発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」
 「金融証券化」の結末である。それゆえに、1929年恐慌とは異質なもの。
 これからの10年は「失われる10年」となるのか。その時、日本はどのような
 経済システムの中に組み込まれていくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、
 高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌の津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると
 言っていい。ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、
 各国の状況、IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、
 地域格差を生んだに過ぎなかった。日本のバブルの轍を踏んだイギリスは
 「失われた10年」を経験する
●自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる
 企業の締出しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリカ
 オバマは自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっている
 アメリカの消費は確実にブレーキがかかる。明らかになったドルの崩壊から
 1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義、統制経済となった時、
 日本は生き残れるのか?
暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。さらにリセッション
する国、ギブアップする国、再びランディングを遂げる国……。
「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。
二人が対談をしているわけでもなく、対策を述べているわけでもない。
イギリスを中心とした欧州はダメ、アメリカは終わった。
中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、
日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したがダメだったのに、
中国が成功するわけがないと切り捨てている。「この10年間は大恐慌で
大混乱、失われた10年になる」と結論づけている。 
甘い期待は無理ということである。
 ・・・・・・・・
2902, 脳と仮想  ー2
2009年03月16日(月)
     「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
 ー印象に残った部分を抜粋してみるー
・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上ようが、
体験する広大の光景は全て脳内現象である。世界に脳だけあるといっている
のではない。そんなことは当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて
脳のニューロンが活動しなければ、我われは広大の宇宙を表象することは
できない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中でニューロンがある
時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。
もしそうなら、逆理が浮かび上がる。もし私たちが体験することが全て脳内
現象なら、私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ
込められていながら、無限定の空間を志向することができるのか? ・・
「熊本より東京の方が広い。東京より日本のほうが広い。日本より・・・」
で切ったが、三四郎に男はいった「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言い
ようがない。どこかの博物館に、これが真理でございますと飾ってあるわけが
ないのである。私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、
「見る」ということの本質も違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。 
私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の局所的因果性の世界と、
「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。
私たちの精神は、本来的に二重国籍者。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が
「志向性」である。志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、
厳しい生存条件に置かれてきたことを理屈で判っていても、感覚的に忘れて
いたことである。つまり文明に飼いならされていたのである。
真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、「平和」という仮想を
生みださなければならなかったのか。「愛」という仮想を生み出さなければ
ならなかったのか。平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、
どのような生の必然性から生み出されたのか。・・ 私たちの意識の中で
生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で、私たちの
心が傷つき、その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
▼ 考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、
 社会も、全て「仮想」でしかない。「精神の中枢に仮想がある」と自覚
すると、良きにつけ悪くにつけ仮想している自分を見ている自分も仮想という
ことに気づく。自分の頭蓋骨の中の一リットルの脳は自分でさえ得体の
知れない世界である。
・・・・・・・・・
2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)
   (字数制限のためカット2015年3月16日)


5113,ホロコーストを生き延びて

2015年03月15日(日)

  * 囚人番号A26188〜ホロコーストを生き延びて〜
          〜15年3月11日 水曜 午後6時〜6時50分〜
 先日、大相撲が終わり何気なくまわしたチャンネルが、この番組。
当時の凄惨な収容所や、殺された人たちの写真と共に淡々と語る老婆
へニアの話に、我を忘れ見入ってしまった。転々としたどの収容所でも、
奇跡的に助かり生き延びた内容は、想像を絶した生き地獄。 途中で、
この番組を数年前に見ていたことに気づいた。 ポーランド、ソ連を
中心に500〜600万人が虐殺されたホロコーストは残酷の極み!何度見ても、
その悲惨さに驚愕をする! 〜NHKのHPの、その紹介記事から〜
≪ 1939年のドイツによるポーランド侵攻は、ある少女の運命を狂わせた。
 靴工場を経営する父と母、3人の兄弟と幸せに暮らしていたヘニアは、
マイダネク強制収容所、「シンドラーのリスト」の舞台として知られる
プワシュフ強制収容所、アウシュビッツ強制収容所、終戦時のベルゲン・
ベルゼン強制収容所と、4つもの収容所を転々とし、偶然と機転、そして
時には他人に助けられて奇跡的に生き残ったのだ。
 現在南アフリカで静かに暮らす彼女は、ホロコーストを知らない若者が
増えていることに危機感を抱き、今まで夫や息子にも話さなかった悲惨な
過去を明らかにすることを決めたという。目の前で日常的に繰り返された
ナチスの残忍な行為の数々、アウシュビッツ解放前に強いられた“死の行進”、
家族の行方―ホロコーストを生き延びた“囚人A26188”ヘニア・ブライヤー
が、壮絶な体験のすべてを語る。≫
▼ 20世紀といえば、スターリン、毛沢東、ヒトラー、ポル・ポトなどが、
 大量殺戮を重ねた世紀。彼らは国内や隣国の人民を1〜2割も殺戮した、
というから、平和ボケした日本では想像すら出来ない事態。 現在も、
北朝鮮が同じような状況にある。社会主義も資本主義も駄目というなら、
何が良いのか? その上、情報機器が飛躍的に進化する中、政治体制が、
それを持った大衆をコントロールするのは至難の業である。その行着く先は
混沌とした世界。そして極端な原理主義が、世を覆い、同じような大量殺戮
の世が再び、生じる可能性が出てきた。人間は本当に進化したのだろうか?
・・・・・・
4748,そんなに長生きしたいですか ー2
2014年03月15日(土)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著 
  * 長生きは苦しいらしい 〜こんなはず、なかった!
 両親二人の死に際を身近に見たが、死のは甘くはない。父は70歳、母は
88歳だったが、死は傍でみていて直視できない。しかし死んでしまえば、
それまでよ。その私も父の死の年齢まで、あと2年。 父は、余命一年で、
スキルス性胃ガンが発見され、宣言のとおり亡くなった。そうこう考えると、
いつ何時、何が起きても不思議でない危険水域に入っている。ところで、
「長生きは苦しい」ことは、老人仲間の会話以外は、どうもタブーのようだ。
 まず、第一章から、このテーマを取り上げている。著者は、老人デイケアを
中心としたクリニック医の経験から、その苦しみを数多見て、老人の
「死にたい願望」が如何に強いかを述べている。 ーその辺りより抜粋ー
《・「心臓発作で死にかけた老女が生きかえって「まだ、死にません」に対し、
 「そんこと言わないで。長生きしていたらよいこともあるでしょう」と慰め
でいうと、声を荒げ「いいことなど何もない。苦しいこと、辛いことばかり、
このまま死んだほうがどれだけましか」と・・
有料老人ホームに診断に行くことも多いが、そこで「朝、起きて死んでいたら、
どれよどよいか」「階段からこけて、そのままポックリいけたら、どれほど
よいか」という嘆きの声が多い。・・
・よく耳にするのが、「こんなことになるとは思わなかった」という嘆き。
◎腰痛と膝の変形に悩む老人が、歩行器にすがりながら顔をしかめます。
 「若いときから山歩きで鍛えてきたのに、こんなに腰や膝がいかれるとは。」
◎脳梗塞で右半身が麻痺した老女が、口惜しげに問いかけます。
 「健康には人一倍気をつけて、身体に悪いことは何もしなかったのに、
 なんでこんな病気になつたのでしょう」
◎頑固そうな男性が腕組みのまま、撫然としてつぶやきます。
「年はとりたくないもんですな。引退したら司馬遼太郎の全集を読もうと
 思うてたのに、目がかすんでとても読めん」 多くの老人が、予想外の状況に
 悩み、苦しんでいるようで。しかし、それらはありふれた老化現象のようです。
・脳梗塞やその他の病、それはどうやら老いというものが、だれにも初体験
 だからのようでした。七十歳になった人は、みんな生まれてはじめて七十歳
 になります。八十歳も九十歳も同じ。老人ははじめての老いの中でとまどって
 いるのです。こんなことになるとは思わなかったという老人の多くは、老いを
 楽観していたのではないでしょうか。老いても元気な人を見れば、なんとなく
 自分もそうなれると思ってしまう。逆に、老いて苦しんでいる人を見ても、
 自分はそうはならないだろうと。今、長生きを望む人たちも、今の体力に
 近いまま長生きできると思っている・・・》
▼ これを読んでいると、老いていくのが末恐ろしくなる。還暦を過ぎて、
 まる八年になるが、どうだったろう? 良いことも、悪いこともあったが、
やはり生きていて良かった。時代の変化の激しさと、情報化による恩恵が良い。
不謹慎だが、倒産劇も事業人生の終わりの仕上げのドラマ仕立で、面白かった?
これも人生の味。いつ何時、上記の状態になるかもしれない危機感が、この
状況で、日々を面白くしている! 長年の準備と、独りを慎めばこそ!
・・・・・
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
        「ブラック・スワン」ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに
数羽、来ているが、何の化身か分からない。恐ろしそうなのは分かるが・・
人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見
によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には
見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、
とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて
取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件
に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
「ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を
提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、
そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測できる
リスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性
の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険
だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。 たしかに、
今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。
 だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
             「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、
芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。一時間あまりで読んだが、初めから
終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への
戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。この小説は、近年の都会的軟弱
傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描き
だしている。主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅した。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな
 仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で川辺の町に暮らしていた。
別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母に捌いてもらう距離にいる。
日常的に父の乱暴な性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、
自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と覚えた
ばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとして
ケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、町が水にのまれる中、父との子を
身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と
仲直りをしようと森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく... 
川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。数ページも読まないうちに、
 その世界に引きこまれていった。 自閉症?の田中ワールドである。その中で
主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 
地方の性の温もりを、どう捉えるかである。地方は逃げ場のない土着がゆえに、
ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、
それぞれの小さな地縁と 交友の中で発酵している。  
 ・・・・・・・・
276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
2010年03月15日(月)
 一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした
「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。ロンドンの一人のトレーダーを
通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。ニュースやドキュメント
で返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカはまだ物件を引き渡せば
免責され個人破産においこまれないが。(日本は破産まで追い込まれてしまう) 
この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金など
にも関わってくるから他人事ではない。この金融恐慌、「たまたまリーマンを
潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。
まだ、誰も言わないが。 ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
 2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅
ローンを専門に扱うブローカー、住宅ローンを組んだ警備員、3人の男の人生は…
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。米国でサブ
プライムローン問題が発覚する前の07年、ロンドンの金融街シティの金融マン
たちもまた、空前の好景気に沸いていた。多くの家庭が 不動産を担保に融資を
受ける中、住宅ローンの営業マン、デイヴは住宅ローンを組み込んだ証券を
売りさばき、法外な利益を上げていた。ある日、昔の同級生で警備員をしていた
ジムに出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。 だが1年後、株価の
大暴落はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースの映像に映し出される。
・・・・・
2901,のど自慢全国大会
2009年03月15日(日)
 昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた
15組というだけあって、誰がチャンピオンになっても不思議ではないほど
素晴らしい内容。初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。彼らの歌が
一期一会のステージだからである。ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人
の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲に
かけた魂の雄叫びに自然になっていた。盲目の少女がチャンピオンになったが、
優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。あの重さは一生
忘れることができないだろう。恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と
振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて何とも
いえない雰囲気をかもし出していた。 現在は、カラオケやスナックで素人が
プロ並みになっているが、それにしても上手い。 哲学的にいうと垂直に魂が
入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも
見逃せない。それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。
歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、その世界に
我を忘れて没入しているのである。現実だけでは人生は、あまりにも厳しく
過酷である。別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。
それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、
それぞれある。「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を
無視することもない。そういえば、月に1〜2度はスナックで、カラオケを
歌うのが習慣になっている。何で人は歌いたくなるのだろうか?それは物語を
求めているからだろう。物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、
そして、ささやかな宴ということだ。また一年に一度の楽しみが増えた。 
歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか!
・・・・・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
 ニューヨーク州のスピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと
昨日のTVで放送していた。疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織
摘発の中で浮かび上がったもので、先月中旬、訪問先のワシントンのホテルに
ニューヨークから高級売春婦を呼んだ際、売春組織への電話が当局に盗聴され、
同知事と特定された、という。 疑惑を受け「家族を裏切った。家族と州民に
謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。2期8年間の州司法長官を経て、
2006年、民主党から知事選に出馬し当選。07年1月、州知事に就任した。
州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取組み、高い評価を得た。
そこで思い浮かぶのが、マダム・クロード著 「愛の法則?パリ高級娼婦館
女主人の告白 」である。 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。
ー1960年代から70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに
 帰国したところを逮捕され、以後4カ月刑務所に収監される。出所後、
 2番目のネットワーク作りを開始するが、このことで、再度刑務所に収監。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿にはアラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ
各国の政治家、大金持ちが名をつらねていた。ここを足場にフランスを代表する
映画女優、皇太子妃や伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、
街の売春婦に変身プログラムをつくり、整形手術、肌の手入れ、性の技巧、
ダイエット、ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、細に
いり指導していったという。下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!   ーつづく


5112,タガメ女の正体  ー⑧

2015年03月14日(土)

       ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体〜深尾 葉子(著)
   * 結婚の格言が何か、違って読めてくる!
 タガメ女とカエル男のシステムを知った後に、結婚の格言を読むと、
その意味が少し違って思える! それだけ、この切口のインパクトが強い!
 印象的なのが ー結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる
(リヒテンベルグ)ー 干からびたカエルとタガメの溜息姿が目に浮かぶ。
☆ よい結婚はあるが、楽しい結婚はめったにない。〜ラ・ロシュフコ
☆ 恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。〜リヒテンベルグ
☆ 四ヶ月の交際が一生を保証するだろうか?      〜ルソー
☆ 男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、
  彼らの歴史が始まるだろう。         〜ロミュビリュズ
☆ 女が再婚する場合は先夫を嫌っていたからで、男が再婚する場合は先妻
  を熱愛していたからだ。女は運を試し、男は運を賭けるのだ。〜ワイルド
☆ 人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、
  記憶力の欠如によって再婚する。       〜アルマン・サラクル
☆ 結婚とは、彼の権利を半分にし、義務を二倍にする。〜ショーペンハウアー
☆ 結婚は、多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚鈍として。〜ニーチェ
☆ 三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、三十年間
  我慢しあう。 そして子供達が同じことをまた始める。 〜テーヌ
☆ あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。〜バルザック
☆ 不本意な結婚をした男にとって、彼女は妻ではない。敵だ。〜プラウトウス
☆ あらゆる真面目なことで、結婚が一番ふざけている。  〜ボーマルシェ
☆ 結婚とは、ただ一人のため残りの人々をすべてを断念せねばならぬ
  行為である。                    〜ムーア
☆ 結婚は鳥カゴのようなものだ。 カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ
  入りたがり、カゴの鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。 〜モンテーニュ
☆ 男は結婚により女の賢を知り、女は結婚により男の愚を知る〜長谷川如是閑
▼ まだ現役のうちは良いが、退役後、20年以上の家庭内生活が待っている。
 その上、6年の介護生活といえば、地獄? 短い愚行と、長い愚鈍の果てに!
としても、やはり家庭を持ってみなくては! カエルからすれば、バイロンの、
「ずいぶん敵持ったけど、妻よ、お前のような ヤツは初めてだ。」(>_<ウッ!
   で、偶然だが、以下の文章につづく!
・・・・・・
4747,そんなに長生きしたいですか ー1
2014年03月14日(金)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
 4年前から、18年続けてきた一年一度の「一日人間ドック」を止めた。
別に、深く考えた訳でなく、毎年、同じことの繰り返しでしかない。
検査で早期発見をしても、悪性なら助からないし、良性なら助かる。
それならば現象が現れてからでも同じこと。それをわざわざ、定期検査を
するのは洗脳されているのではないか?の疑問もあった。それと
「60歳までに、人生を生ききった、元をとった」という思いがある。
この数年、近藤誠と中村仁一の「ガンとは闘うな!」の影響もある。
お二人は、薬漬け、抗癌治療、健康診断そのものに疑問を投げかけているが、
この著者・久坂部は、アンチエイジング、長生き、そのものに疑問を投げる。
   まずはーアマゾン内容ーより
《 何歳まで生きれば“ほどほどに”生きたことになるか? 長寿をもてはやし
 抗加齢に踊る一方で、平均で男6.1年、女7.6年間の寝たきり生活を送る。
多くの人にとって長生きは苦しい。寿命は不公平である。だが「寿命を大切に
生きる」ことは単なる長寿とは違うはず。どうすれば満足な死を得られるか。
元気な内にさがしておく「死ぬのにうってつけの時」とは何か。 
数々の老人の死を看取ってきた現役医師による“死に時”のすすめ。》
 ー‘はじめ’からしてシリアスであるー
「本書は、長生きの良くない面にスポットを当てています。だから、
基本的にはいやなことを書いています。なぜそんないやなことを書くか
というと、巷にあふれる健康長寿情報にはあまりにウソが多いからです。
そんなきれい事ばかりを聞かされていたら、この先どうなるのか。
ますます老いや長生きが苦しくなってしまう。その危機感が強くあります」 
   ーあるレビューよりー
【 著者は現役の医師。「長寿」に対する日本人の考え方、医療のあり方に
 疑念を抱き続けてきました。そんな著者が臨床例を紹介しながら、長生きの
よくない面にスポットを当てて解説します。「今や早死にの危険は減ったけど、
長生きの危険が高まっている」という逆転現象。むしろ、長生きすることを
「リスク」と捉える傾向すらあるそうです… 身体は死のうとしているのに、
それを無理やり引き留めるのだから、死が苦しくなるのは当たり前。
延命治療のこういう側面には、なかなか気が付きません。誰もが初体験である
「老化」そこに大きな不安が生じるのは誰でも同じです。しかし、そこに
つけ込んだビジネスの多さに驚かされます。本書ではそれらの実態を踏まえた
うえで、改めて理想の「老い方」、そして「死に方」を提案してくれます。
長寿を願い、健康情報に振り回され今を忘れていませんか?
遠い先ばかり見て未来に逃げず、今を十分生きていますか?  】
▼ 最近、自分の血糖値や血圧の話題をしている人に違和感を覚える
 ようになった。「ああ、この人、洗脳されている」と。子供の頃、老人へ
の悪口に、「死にそこない」という言葉があった。現在、それを言ったら
袋叩きになるが、著者は、「死にそこなわないで、自然に任せて逝きなさい」
と勧める。死にそこなった老人たちの実態を見ているからだ。
・・・・・・
4380, 閑話小題  ーある相撲取り
2013年03月14日(木)
   * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。
40年以上もかかっている。当初は市役所などの施設を東バイパス近くに
移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の
大通りの一角には、大東建託がマンションと、セブンイレブンが完成間近か。
これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
   * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位
に上がってきた。その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上
相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、一度フィリッピンに帰国
したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた
経歴を持つ。母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため
激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、本人も認めている。
そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。
相撲はブチカマしで押出しだけ。その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが
共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。
これも人生である。もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という
力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、糖尿病になってしまった。
これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 
その後、身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 
昨日は横綱に初金星である。短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う
姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
・・・・・・・
4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは    「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。
 ですが、素粒子をただの点として考えると、つじつまの合わない、ことが出て
くるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだった
と考える理論です。これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。
素粒子が実はひもだったというのは、突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。
超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、その長さは一〇の
三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に
一が来るくらい小さいものなので、私たちは見ることができません。 
超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して
広がっているひもなのですが、あまりに小さいので点だと思い込んでいたという。 
今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論
が正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。まず、宇宙は
一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて空間は
九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に
小さな異次元が六次元あることになります。加えて、プレーンと呼ばれる
三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているという
ことも、理論が正しいことになります。】
▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモ
 だったとすると、モノとは何かという原点から考え直さなければならなくなる。
その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が
9次元なければならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。
「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の
振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。下にコピーしてある,
二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を
読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
 ・・・・・・
3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発の放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをする。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった
地震と大津波。世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
 1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 
 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
 4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年)
  カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震と津波。
人的被害では、関東大震災がある。1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、
神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なった
ことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。今回のように、地震、
津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れ
など起こりえる全てが重なってしまった震災は過ってなかったこと。 
地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。
 リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、
個人のビデオカメラなども含め多くの映像が映し出されていた。 
日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 
急な避難のため体一つで逃げてきた人が大部分。帰る家も金も無くした被災民は
今後、大変だろう。年寄りなら生活保護があるが、中年の人は、この大不況の中、
生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発の放射能の値が、
福島原発から流れてきた放射能で、普段の観測地値の400〜700倍になった。 
すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。
深刻な事態になっているのだろう。大爆発の可能性も考えていないと! 
家に閉じこもっているしかないのか? 
・・・・・・・
3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」
「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、大きく4つに分け考えてきた。
人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を
構築してきた。それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てた。 
カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、理性の外にあるとした。
神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいる
としたら、客観(本質)は神のみが認識できる。人間の理性は限界があるから、
人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。カントは、世界を
神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」
の世界に分断してしまった。本質の世界は、理性では捉えることができないと、
一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと
自体が無意味ということになる。神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、
その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは
沈黙を」と同じことになる。「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、
判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに
「神は存在するか」と問われたら、上記のような説明がベストになる。 
とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、
イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。その恐怖から逃れるため
客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、
と感じる。それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れて
おくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、
非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
 ・・・・・・・・・
2900, 脳と仮想
2009年03月14日(土)
  「脳と仮想」茂木健一郎著     −読書日記
松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、
以前、読書日記で取り上げたことがある。 ーウィキペディアによるとー
< 共同幻想とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である
 吉本隆明が用い、有名になった言葉である。吉本は、自分の共同幻想とは、
マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから
使いたくなかったと述べている。 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で
人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。
       他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。
       家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 
       国家・法律・企業・組合がこれに当たる。>
ー以上だが、これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成
している「世間」=地域社会をみていると、地域の共同幻想を抱いている
集団社会が露出して見える。また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした
共同幻想集団のことも明白。自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した
結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。
死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、勤めた会社を含めた全てが
共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面する。
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が
違うのか? 似たものなら、脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら
読んでみた。この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける
「ねえ、サンタさんていると思う?」という何気ない一言から始まる。
サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの現実の生活への作用の仕方
の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 
それを徹底的に追求した本である。ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだ
ろうが、それは書いてない。しかし、切り口は鋭く説得力がある。
次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。
・・・・・・・・・
2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)
ーある作家の大病経験からー     っ´Ι`)っ { おはよう
 作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに
当たって、示唆を与えられた内容であった。彼は以下の文章を書く4年前に
リュウマチに罹り、印度の病院に入院した経験から病気経験だけでなく
人生の在り方まで学んだようだ。ーまずは、その部分を書き出してみた。
 とくとご覧あれ! 
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するので
あるが)、体力のある人間はおのれの体力を過信するものである。もし仮に
わたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、日常生活においても仕事に
おいても、病気いうことをわきまえ、自重していたはずなのだが、体力に
自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。無病息災という
言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、
医者と患者との関係がいかにあるべきかを巡回してくる毎に話しかける、
その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。
(字数制限のためカット 2015年3月14日)


5111,僕の死に方 −2

2015年03月13日(金)

    * 死への絶叫
 最期の著者の叫びが、生々しい。知人が次々と亡くなっているが、
このような内なる叫びをしていたのだろう。著者が死期を悟った一月前からの
具体的記述のため、心を打たれる。死に際は、これが実態。誰も通る道である。
20年以上も前に、『死ぬための生きかた』と、続刊『生きるための死にかた』
という、様々な死に際の手記をマトメタ本を読んだことがあるが、それは
生々しい!  この、一節から   〜p161
≪ あと一年半の命のところ、苦しい治療を受ければ3ヶ月伸びることに
 なるらしいが、一年半のままで終わっていい。最後まで、こうしてやりたい
ことをやり、妻とふたり、長いことおしゃべりして死んでいけるのがいい。
寿命が三ヶ月延びる治療で苦しませるのは、本人のためになるのだろか。
家族が精一杯のことをやったと思えるだけのために、0・01%もない
奇跡のため、国の治療費を無駄使いするのは本意ではない。
 正直、自殺したい。
 でも、もう、それもできない。
 体がまったく動かない。
 率直に言うと、今すぐ死にたい。この苦しみから解放されたい。
 誰かが死なせてくれるなら、頼んで死ぬという気持ちにもなる。
 でも、もう動けない。 歩けないから、ベランダにもたどり着けない。
 飛び降りようにも飛び降りられない。
 痛くて苦しくて、胸の周りがなんとなくもやもやして、生きた心地がしない。
 このまま逝ってしまうかもしれないと思っているけれど、まだ生きている。
 天命に従うしかないのだろう。
 自分の人生を選択してきたつもりだったが、
 最後の最後になって、終わりの瞬間を選べないとは。
 でもいい。
 自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。
 濃い人生だった。そのことを誇りに思う  ≫
▼ 近所に住んでいた家内の友人が、似たような肺の病気で亡くなった。
 通夜で聞いてきた「息が出来なくなった断末魔の苦しみ」は、壮絶!
大方の人が、このような思いで死んでいくのだろう! 明日は我が身。
ここに、生への希求(砂漠の中で一滴の水を求める渇き)が書かれてない。
その渇きと、苦痛と、苦悩は、直ぐにでも死にたくなるほど辛いのである。
死ぬ時は、のた打ち回って死ねばよい。そうして生まれてきたのだから!
・・・・・・
・4746,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜2
2014年03月13日(木)
  * 情報端末と、ソロモンの指輪  <つまずき>の事典>中村邦生編著
40年近い事業生活の中で、人に縛られることを嫌い、心の自由を大事にしてきた。
ところが、振り返ってみると、自分でつくりあげた思い込みに、勝手に雁字搦め
になっていたようだ。このところ、パソコンやデジカメ、テレビの機能が飛躍的
にアップ。知識、情報面では、非常に自由になって、面白く、楽しい反面、自由
の持つ危険が発生してきた。この「ソロモンの指輪」、まさに情報機器とネット。 
  ー以下の内容が、それを暗示しているー
【ソロモンの指輪とは、その指輪を持つ者は、あらゆる動物・植物と会話する
 ことができると言われる魔法の指輪。ソロモンとは、古代イスラエルの富と
知恵にすぐれた王であり、誰よりも賢く、どんな難問でも解決したといわれる。
ソロモン王は、名誉や財を求めず、知恵のみを求めたため、神が褒美として
神の名前を彫った指輪をさずけたとされる。その指輪は知恵のみでなく、他の
すべての力の源になった。ソロモン王は、その指輪の力、動物や植物たちと話
をし、悪霊たちを秘法をもちいて操り、平和に導いたとされます。
神の守護によって守られた指輪の力が絶大だった。】
▼ スマートフォンやタブレットPCこそ「現代のソロモンの指輪」。格差の源に
なる情報が大衆に行き渡り、誰も平等に入手できるようになったが、問題は一つ
(指輪)だけでなく、大方の人たちに入手可能になったこと。検索で、あらゆる
知識と知恵が、簡単に現出するのだから、人間が道具を持って以来の20万年来
の大革命!も、過言でない。そのパソコンの進化もとどまることがない。最近、
ローンだが、新しいパソコンを入れたが、その段差に戸惑っている。
6年来なら当然だが。よりコンビニエンスになっている。これにiPadがあれば、
隙間時間を手軽に楽しめる。その点、世界中の多くの人たちが、ソロモン王に
なった。とにかく、日々が面白い! 豊かさの定義は「心配しないで済む金と、
自由の時間と、健康と、少々の教養があること」だが、それが持てないから
苦労する! ソロモンの指輪というより、首輪にならなければよいが・・ 
シネマも、自転車、TV、タブレット、時計、台所、車、何もかもがユビキタス
で成り立っており、その恩恵を受けているが、マイナスも蓄積している。
ただし、ご隠居生活の身には、素晴らしい指輪である。
・・・・・
4379, 「世間」の捨て方  ー2
2013年03月13日(水)                
 * 世間の奴隷が発する、二つの質問 ー「世間」の捨て方ーひろさちや(著)
≪ 聖徳太子は「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」
 と答えている。この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。
早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ・・ その嘘偽りの中、
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と自問自答。
そういうことを考えて生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。
それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。
世間の中で生きているには、それらから逃れることは出来ませんが、幸か不幸か、
今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。
少しずつでも、世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、
「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。≫
▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」
 を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。それから超越するに仏の教えを灯明
にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」
という意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、
著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、そこに生きていれば、
そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも世間がある。
したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。
孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」のそれぞれの場面で、
個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。
生きがい、幸福を自問自答するのは、それはそれでよい。問題はとらわれない
こと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、世間向け
の気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。
最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。
本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、現在に至るまで、
本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、
感謝、感激、感動こそ人生である。
・・・・・・
4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは   「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件が
 そろうようにできているのです。例えば、暗黒物質があるおかげで、星や
銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに
存在でき、私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元
空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても小さなっていると
考えられる。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。
太陽系は、八つの惑星をはじめ、たくさんの天体が太陽の周りを回っています。
もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを回る
たびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなる。
一方大きい空間が二次元しかないと、DNAの二重らせん構造をつくることができない。
生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・ そのようなことを一つ一つ
考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから
考えられたのが、人間原理です。人間原理によると、人間が存在できるように
宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間。人間が存在できる条件を満たしていないと、
人間が生まれません。人間が生まれないということは、観測されないわけなので
存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、
ごく稀に条件がそろった宇宙に人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学
の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出す
のに丁度適した構造になっている。これはファイン・チューニングと呼ばれる。
人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の
理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する宗教的な立場として
創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。それに対して、
人間原理は超越的な存在を仮定しない自然主義的なアプローチである。 】
▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、
 カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。宇宙の広ろがりを
知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」
が、我々人間にも、住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、
「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
 ・・・・・・
3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を
増幅させ、被害を大きくした。1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38M、
死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震」
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は
7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。 名称は本来は
「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが
「東日本大震災」。しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 
インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波を日本でみよう
とは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に
驚きざるを得ない。 今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、
広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。
東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない
将来、必ず起こるといわれている。それにしても、大津波の映像の迫力には
驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、
市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、原発の放射能漏れなど、
全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという
大問題が生じたが、この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミ
にとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。それがリアルタイム
に世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。
明日開かれる市場によっては、本格的恐慌に入る可能性がある。
弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界に
とっては神風になるが、日本経済には大打撃になる。
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3274, ビックカメラの店頭は今!
2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線
出口の近くに位置して今まで10年以上あった「ヨドバシ・カメラ」がある。
同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
「ヨドバシ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。
それを見ていると、その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、
パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。 ビックカメラの店頭は、
ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。で、店頭をみると、
向かって一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが
10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近
距離にあり、「これが現在のパソコンや薄型TVのホット商品ですよ」という
紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識
しているようだ。 で、ドチラ?といえば、やはりiPadを選択する。
モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で社会が一変する。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodに
なれた客はiPadを選択する。私も会社も、自宅もMacのパソコン。
さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべて
アメリカ発である。ところでMacがデジカメに興味を示したら、どんな
カメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能として
しか見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、
デジカメの裏面が全てiPhoneのような画面でタッチパネルの新商品の
紹介記事があった。見るからに面白そうである。家電の店内は夢があってよい。
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2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
 イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。
まだジャスコ・オカダヤという名前で、三社合併の一期生。僅か一年でも
全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張る
ものがあったが、地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大戦略
ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んでダイヤモンド・シティを
設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャル
コストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
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2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、
この数年は隔年にしている。おおよそ大会場を二回周る。一度目は大雑把に
見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気
のためか、年々勢いがなくなっている。 
 〜今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退した
あとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。当方にぴったりだが、少し値段が
高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に
行って特別仕様でつくれるレベルである。 だから提案型にしなければ、
誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)

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