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堀井On-Line
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2015年01月27日(火)
* つれづれに ー何気ない一日の使い方 ― ご隠居生活に入って、あと二ヶ月で4年になる。家内は専業主婦歴42年。 その生態が見えてくる。毎日のように、医院、スポーツジム、お友達とお茶、 スーパーやショッピングセンターに外出。ふと姿が見えないと、200m先の スーパーに夕方の値下げ品を探しに出かけている。こういう隙間時間の使い 方は、私の10倍以上のキャリアが成せる技。とにかく足が軽い。 で、昨日も、一昨日に続いて、年二回の恒例の乗り放題の格安切符で東京に! 昨日は、孫の顔をみて、予めネットで調べていたホットスポットを回った後、 大宮まで長野新幹線に乗って、上越新幹線に乗り換えて帰ってきたという。 やはり乗っている人種?が上越新幹線と、ちょっと違うとか。東京の名所は、 どこもかしこも外国人だらけ!というのは、この数年で入国者が二倍になった から、そうだろうが。ところで、ご隠居生活は社会からのドロップアウト。 元もとアウトサイダーを標榜していたので、疎外感とか、戸惑いは殆どない。 日常の生活習慣を決め、大方、その通りに、こなしているからである。 読書と、ネットで、知らない事を知る時間があるのが良い。 ― 20時過ぎに就寝し、夜半の0〜1時に目が覚め、4時位まで、顕在意識と、 潜在意識が混濁した半睡状態の中にいるが、これは機中の座席の時間帯と 同じような感覚だが、濃さが薄い。 最近、週に4回はSJでヨガで、 死体のポーズを、最後の5分間していることも、その時間帯の意識に影響を しているのだろか。死体になったつもりで宇宙を漂うポーズ。 ― 最近になって、当り前のことが、当り前に思えるようなってきた。 思い込みの深さと、その軽さの自覚? 最後の結果が、格好が悪かった ことが、多くの気づきを喚起してくれているようだ。逆に言えば、大方は、 その自覚を経験していない。だから、それが面白い。 思い込みの深さと、その軽さの自覚のなさ! ― ちなみの思うことは、両親の有難さ。これだけで、充分に 生まれてきて良かったと実感できる。八人兄姉の末っ子で、孫のような 感覚だったのだろう。とにかく、優しかった。現在、小中学校の同級生を 思いやると、芸者置屋の子、戦災で孤児になってお寺の養子とか、 継母のためヒネタ子や、小さな居酒屋の2Fに住んでいた子とか、戦争 の爪あとが、そのまま子供を直撃していた。それにしても、貧しかった。 〜6年前の同月同日分を見たら、偶然だが、以下の内容があった。 ―― ―― 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」 「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、 子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 ・ギャンブルに関する回答も興味深い。事業ではリスクを負うことを辞さない リッチ層がギャンブルには興味を示さない。それに対して貧乏層は一攫千金を 夢みて、各種のギャンブルの体験を持つ傾向が強い。事業というリスクに さらされている者にとって賭け事に興味がなくなるのは当たり前。 日常がギャンブルだから。事業などのリスクの少ない人は、スリルをギャンブル で経験をしたくなるのも人情。 ・好きなTV番組では、お笑い番組が好きな非正規ジュニア、 スポーツ好きな貧乏父さんの姿が炙り出される。 ・現在の階層・格差社会に対する見方は、貧乏層は「階層化しつつある」という 方で、格差逆転の機会の平等も機能してないと答えているが、リッチ層の 三分の一が機会平等が存在していると見ている。今度の恐慌は、格差も含めて 勝ち組とかも淘汰することになる。社会主義経済の実験で現れた「総下層社会」。 インドのカースト制度では下流とはいわないで、下層という。固定化して、 それに対して問題意識も無い社会。 ところで堺屋太一の寄稿 ー「健全な格差」とは何かーで、 日本を覆う三つの格差を取り上げていた。 ・1つ目は、親の顔 ー人脈格差 ・2つ目は、正規社員と非正規社員、つまり大企業や官公庁の組織に入り込んだ 「職縁人」と、そうでない「無縁人」職縁情報格差。 ・3つ目は、東京圏と、その他の地方の間の差別。今や日本は、東京の千代田区と 港区に集中した「出島」からしか情報が入らなくなった不便な社会になった。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ―― 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木) 階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。 他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、 半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 普段の会話ではタブーに近い内容が次々と出てくる。格差といえば差別である。 自分が上位に立っているときは何とも感じないが、下位にたたされて差別で屈辱 を経験した時に格差社会の実態を知ることになる。 差別からくる屈辱は傷になり、 恨みは何時までもまとわりつく。般若の面は、差別の屈辱に対する怒りの顔。 この特集では、いろいろな視点から格差を調査しているが、 ・「育った家庭によって、機会の不平等が生じている」という「格差世襲」の 残酷な調査結果を示している。 ・「まるで溜めのない貧困層」、それに対して 「溜めに包まれた富裕層」 「貧困とは‘溜め’のない状態」と現実は教えてくれる。 その典型が何も考えない若い人の成り行きの「??婚」。何の経済的な裏づけの ない人たちの結婚である。ここに夫婦格差が生まれる。 その子どもには両親 以上の教育が施すことなど、出来ようがないのである。 その結果、下流の子は下流になるしかない。 「溜めのない貧困層」といえば、大阪・堺市の生活保護受給者の四分の一が、 親の世代も生活保護を受けていた。母子家庭にいたっては、四割が‘生活保護二世’。 また母子家庭の26・4パーセントが十代の出産を経験。まさに貧困の連鎖の構図が ここにある。 逆に溜めのある人は、溜めのある人と群れるケースが多くなる。 例として最近、医者同士の結婚が多い。 女性が医学部に多く進学するようになった 結果である。また医者社会での結婚のチャンスも多く、二人の給料の総額は莫大になる。 1995年以降に自分でのし上がってきたベンチャー経営者や、専門職を中心にした 新世代の富裕層は、お金より自分の知恵や経験を子どもに相続させたいと考えている。 多額のお金を相続させるより、子どもの教育に金の糸目をつけないのが特徴。 無形の財産を与えることで、子どもにも自分の力で成功を勝ち取るように教えている。 「地位獲得競争ゲーム」に、無形の「出来レース」を与えていることになる。 世界の億万長者のトップのビル・ゲイツ、ウォレン・バフェットとも、資産は子どもに 残すことをせず、その大半を寄付をすると公言している。 とはいえ、同じ兄弟でも大きな強弱が出来る。 − つづく ・・・・・・ 4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき! 2014年01月27日(月) * 残照の中で! 「日の名残り」カズオイシグロ <2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、 老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい! 「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。 だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろ を振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。 何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。 わしを見てごらん。引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたも わしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー 「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、 のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらん。 夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから20分ほど になります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 待ってました。~~(-。-;)y-~~. さきほど申し上げましたが、楽しみを求めて この桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。 その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、 多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間かもしれません。 では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された 時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。 ―― 「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える 能力だと言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発された だけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人 にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。 ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、 中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。 外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしく とも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を 身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき 相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、 自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに 限られます。まさに『品格』の問題なのです。」 ▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、残された時間を最大限 楽しむこと。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、 中の演技者の生の私がむき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を眺め 直し、湧き出てきたきた言葉は? 肯定、肯定、絶対肯定。 そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪ <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!! ・・・・・・ 4334, 自殺者増加の意外な要因 2013年01月27日(日) 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。 去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる 思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を 重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという 隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、 ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、 身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの 介入が、その防止につながる。 ーこの記事をまとめるとー ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、 首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、 5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの 共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 また県民性もある。 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と 不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに 抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を 評価するー住民気質が、必要。 ▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。 ≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、 自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。 ・・・・・・ 3959, 閑話小題 2012年01月27日(金) * マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが 面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、 あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中 戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。 またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。 この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、 やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人 がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に 奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、 凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが 出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な 動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。 そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡 閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、 欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と 高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が 停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌 のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は 別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、 ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。 それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。 ・・・・・・・・ 3594, 教養とは何か? 2011年01月27日(木) これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは 「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための知識と経験の蓄積」。 塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。 「生き方の演習」 塩野七生著 P−45 ≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、 法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」と問い返したそうで、 それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。 立花隆さんは私の友人でもあり、たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが 違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、 これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。十九世紀と いうのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。その人たちは有産階級 ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だった わけです。そういう人たちが、「教養は役に立たないものである。しかし、 教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的 である、それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。 たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、ルネサンス 時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに 盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修業しているし、 レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつ だけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手 ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、画家などの仕事にも 通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で 人間を見れば、また別の見方ができると考えたわけ。・・つまり彫刻では、 建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、 絵を描く時、それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。 そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。 ▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術 と道具が必要になる。ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名 だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、「世界を知るため、 その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、 「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、 泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち!
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2015年01月26日(月)
ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * お能の世界とは この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に 魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、 <芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹 から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、 その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。 猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの 「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」 として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある ≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。 ・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。 ・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに シテ方を演じるようなことはありません。 ・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫ ▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄 の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。 『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』 〜〜 4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人! 2014年01月26日(日) * 映画館貸切?の念願成就! 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、 その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が 入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に 私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。 内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。 若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に 開放される感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい? とすると、一割以下のコストは価値がある! * 近所の喫茶店 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店 『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは 何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって 夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、 価値がある。コーヒー・パンレストランという風。 * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、 これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。 ―― 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ ・・・・・ 4333, 自己とつきあうということ −3 2013年01月26日(土) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること! ≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を 意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ 存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の 途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを 問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような 方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、 自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己 といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。 そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や 変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、 状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて 何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する 自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が あらわれてくるであろう。・・・ ≫ ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、 書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が 出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。 その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を 決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’ と実感できるかだ。 ・・・・・・ 3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4 2012年01月26日(木) * 「他責的」な新型うつの病理 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー ≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような 幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、医師のもとを訪れる消費者、 いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。 なぜ、この欲望はこんなに強くなったか? まず、消費社会が購買意欲をかき 立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り 続けた結果、あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が 開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であればあきらめを受け人れ ざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。とりわけ、「こうありたい」 という自己愛的イメージにとらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」 という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、あきらめを 何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、 こういうタイブが増えている。少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなく なり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。 親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれて いる親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、よりいっそうわが子 に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知って いるので、親から投影された自己愛を引きずったまま成長していくわけである。 子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念 させて現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせる システムが機能しているかというと、現状は正反対。何しろ、「やれぱできる」 「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるから。 こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大して いくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと現実の自分のギャップに 直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたら いいかわからず、落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が 「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは 決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。 これが「他責的」な新型うつの病理である。≫ ▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、 心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。青年期は、その葛藤の 中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。 27歳で父が亡くなった時、創業の激務もあったが、何かから解き放たれたような 気持ちがあった。 当時は高度成長期、誰もが坂の上の雲を目指していた。 先日、青年期に読んだ「精神論」について書いたが、「誰も無限の可能性がある」 の刷り込みだったか、右上がりに必要だったのか? 偶然だが、下記の去年の 文章が関連している。 アメリカそのものが、深刻なノイローゼである。 ・・・・・・・ 3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −1 2011年01月26日(水) 「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著) 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている 内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で 平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー ≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか? アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、 幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本… 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の 第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、 初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が 抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。 そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で 大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を 社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける 存在になっていない〉 ▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、 一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が 出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。 この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。 日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」 を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、 カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく ・・・・・・・ 3228, フリー −5 2010年01月26日(火) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * フリーワールド ー誘発された陳腐化ー(p271) ≪ 中国では、不正コピーが音楽消費の95パーセント占めているといわれる。 といって、ミュージシャンは動じない。彼等は多くの人が聞いてもらえるほど、 そのコンサートツアーのギャラが高くなるから、別に困らない。困るのは音楽 会社だけ。経済学には「海賊版パラドック」という用語がある。ファッション業界 を下支えする根本的なジレンマから生まれている。 つまり、「消費者は今年の デザインを気に入らなければならない。そのうえに、直ぐにそれに不満を持ち、 翌年のデザインを買いたいと思う必要がある。技術商品と違って、アパレル メーカーは翌年の製品が優れているとは主張できない。見た目が違うだけ。 そこで、消費者に熱を冷まさせる理由が必要となる。その解決策は偽物が多く 出回ることで、高級だったデザインが大衆向けのコモディティになることなのだ。 そうすると、そのデザインの神秘性が失われ、目の肥えた消費者は何か特権的で 新しいものを探さなければならなくなる。これが「誘発された陳腐化」と呼ぶもの。 コピー商品の登場で、そのファッションが流行に敏感な人のものから大衆のもの へとすばやく移り、敏感な人は何か新しいものを見つけなければならない。 中国では敏感の人とは。新興の富裕層と、中流階級で、10億の大衆はまだ、 その偽物を持つことで高級品の市場に足を踏み入れたばかりである。本物と 偽物の異なるセグメントをターゲットにし、互いに相手の役に立っている。 ≫ ▼ 偽ブランド品はメーカーにとって不可欠な存在だったのだ。 「偽ものが出回るほど、一般の人が憧れる商品としての価値の 証明になる」 上に、更に「誘発した陳腐化をうながしてくれる」。 悪役が善玉を引き 立ててくれる上に、善玉の次なる善行を引き出す役割になっている。 ・・・・・・・・ 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木)階級社会ー不平等社会 を考える)で取り上げたことがある。他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で半年前の08年8月30日号「週間ダイヤモンド」 を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 普段の会話ではタブーに近い内容が次々と出てくる。格差といえば差別である。 自分が上位に立っているときは何とも感じないが、下位にたたされて差別で 屈辱を経験した時に格差社会の実態を知ることになる。差別からくる屈辱は 傷になり、恨みは何時までもまとわりつく。般若の面は差別の屈辱に対する 怒りの顔。この特集では、いろいろな視点から格差を調査しているが、 ・「育った家庭によって、機会の不平等が生じている」という「格差世襲」 の残酷な調査結果を示している。 ・「まるで溜めのない貧困層」、それに対して「溜めに包まれた富裕層」 「貧困とは‘溜め’のない状態」と現実は教えてくれる。 その典型が何も考えない若い人の成り行きの「??婚」。何の経済的な裏づけの ない人たちの結婚である。ここに夫婦格差が生まれる。その子どもには両親 以上の教育が施すことなど、出来ようがないのである。その結果、下流の子は 下流になるしかない。「溜めのない貧困層」といえば、大阪・堺市の生活保護 受給者の四分の一が、親の世代も生活保護を受けていた。母子家庭にいたって、 四割が‘生活保護二世’。また母子家庭の26・4パーセントが十代の出産を 経験。まさに貧困の連鎖の構図がここにある。 逆に溜めのある人は、溜めの ある人と群れるケースが多くなる。一例として最近、医者同士の結婚が多い。 女性が医学部に多く進学するようになった結果である。また医者社会での結婚 のチャンスも多く、二人の給料の総額は莫大になる。1995年以降に自分でのし 上がってきたベンチャー経営者や、専門職を中心にした新世代の富裕層は、 お金より自分の知恵や経験を子どもに相続させたいと考えている。 多額のお金を相続させるより、子どもの教育に金の糸目をつけないのが特徴。 無形の財産を与えることで、子どもにも自分の力で成功を勝ち取るように 教えている。「地位獲得競争ゲーム」に、無形の「出来レース」を与えている ことになる。世界の億万長者のトップのビル・ゲイツ、ウォレン・バフェット とも、資産は子どもに残すことをせず、大半を寄付をすると公言。−つづく ーーーーーーー 2008年01月26日(土) 2488, iMacの感想! Mac製品の売り場を何度か通って、何時かは使ってみたいが何か壁があった。 それは外国メーカーと、少数派の壁だったろうか、それとも周囲に一人も使って いる人がいなかったため?だったのだろうか。しかし今度思い切って買ってみた。 (字数制限のためカット 2012年1月26日)
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2015年01月25日(日)
ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * シテの「あわい」の役割 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした 半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。 そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜 《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。 「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、 人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか? シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。 古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が 「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。 あっちとこっちをつなぐ不思議な力! 異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、 古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、 「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫ ▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について 書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」 の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、 「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが? この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。 ・・・・・・ 4699,末期がん、その日のための予習を ー2 2014年01月25日(土) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。 人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された 救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、 好きなDVDの用意か? シリアス過ぎる? 第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より ・日本人の2人に1人がかかる国民病 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない! ・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。 遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし! ・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく ー長生きの負の部分と割り切るしかない! ・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし! ・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、 少しでも減らす算段を!その差は大きい ・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく ・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に ・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・ ・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、 目の前にある「いま」を大事に生きる ・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する ・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と 生きれば、怖れは減る ・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 罰が当たったと思う必要はない !!(ノll゚Д゚llヽ) (ノД\lll)コワ! ・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責 ・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ ・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割 ・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る ・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏! ・「看板かじり」は精神的に脆い ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし ・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし ・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。 感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる ・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという 気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を ・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある ・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ ・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう 意図的にコントロールする ・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ! ▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が 来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟ ・・・・・・ 4332, 自己とつきあうということ −2 2013年01月25日(金) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜 することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。 特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。 戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。 そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。 * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー ≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。 「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。 彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、 忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。 オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退 すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に 引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」 との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、 他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が 強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの 考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。 われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」 や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、 その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 ・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に 向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束 され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、 両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、 生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、 この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫ ▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を 避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に 沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに 行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、 一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、 人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、 音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている 時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。 社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。 ・・・・・・・ 3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3 2012年01月25日(水) * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。 ≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には 100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。 うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、 中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。 アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、 1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと 40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫ ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断 基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん 止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、 その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に 仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした 落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人 が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の 発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の 数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用 があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。 ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの 副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、 気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。 合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。 これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。 ・・・・・・・ 3592, 閑話小題 2011年01月25日(火) * ワールドカップとオリンピックの差 「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」 と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を 上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。 見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。 勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし 金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。 * ところ変われば、意味が違う (字数制限のためカット 2012年1月25日) ・・・・・・・ 3227, フリー −4 2010年01月25日(月) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 * 数百万点の中古品をタダで提供 ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー(p249) ≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに 住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、 衛生面で問題があるということで拒否をされた。そこで、彼はゴミを減らすため、 フリーサイクルを立ち上げた。 ・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、 ・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは 非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入 から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル) 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって 運営されている。会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を 記さないと会員になれない。一たび会員になると、沢山の無料のモノが まっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的な プラットフォームはない。2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、 合計800万点になっている。≫(字数制限のためカット 2012年1月25日) ・・・・・・・・ 2852, チベット旅行記 −3 2009年01月25日(日) この旅行記の中では、仏教の真髄を説いている部分がある。究極のところ 仏の教えを試される場面が何回も出てくる。宗教は生きていく上で必要条件。 * 白巌窟尊者との大問答 尊者「いろいろな困難をしてまで何でラサにいかれるのですか」 慧海「仏道の修行をして一切衆生を済度しようというため来たのです」と 実際的な問いをはずして形而上の仏教的な答えをした。すると 尊者「あなたは何の原因で済度するのですか」 慧海「何も私には原因はない。衆生がいろいろ苦しみを受けているからです」 尊者「それではおまえは世の中の衆生というものを見ているのか」と言って、 非常に理想的な問いを発したので、私も理想的なオウム返しをしてやった。 慧海「我に我なくして、どうしてこの衆生を見ましょうか」と答えた。 次に尊者はあの賊に会った時の私の気持ちを尋ねて、 尊者「盗人を憎いと思ったか・・・・、盗人が去った後で彼等を憎み、 呪法でも唱えて仇を帰すようなことをやったか」 慧海「私に取られるべき原因があってあの盗人に取られたのですから、彼等を 憎む必要はありません。私がこのような不幸な目に会う原因を持っている ことこそ、むしろ憎むべきです。私は借金返しを出来たことを喜んでいます。 だから呪術をかける必要はありません。どうかあの男も私のものを取ったのを 因縁として、この世で出来ないとしても、あの世で真の道に入って、立派な 人間とも菩薩ともなるように祈ったのです」と言うと、 尊者「それはもっともだが、これから賊に会うかもしれないから、 ラサに行くのは止めておいた方がよい』と、言ったので、 慧海「私はそんな曖昧なことはできません。目的のためにはどんな方法を 執るべしという事には、同意しかねます。大日経には方便すなち究境 なりといいます。誠実なる方法を実行することで、目的そのものとして 一切万事誠実なる事のみを行う。その結果として目的が達せられると いうことになるのです。」 尊者「どうも妙じゃ、必死の恐れがある道を選ぶより、安全なネパールへ 帰るがよい。お前が必ず死ぬことが見えている」 慧海「しかし私は死ぬことを知りません。生まれてくることも知りません。 ただ誠実な方法を行うことを知っているだけです。」 と答えると、尊者は俯いて考えていたが、たちまち話を変えた。・・ ▼ 出立の時に、十分すぎるほどのお金と食料を尊者は慧海に与える。 この問答で尊者と慧海の底知れない大きさを感じ取ることが出来る。 事上練磨で仏の教えが深まっていく一例である。 ・・・・・・・・ 2008年01月25日(金) 2487, 不動産は値下がりする! ー読書日記 『不動産は値下がりする!』 江副浩正著(中公新書) 知人に借りて目を通して、直ぐにアマゾンで(中古本だが)発注した本である。 地方にいると都会の不動産の生の情報は殆ど入ってこないので、山の手線沿線の 超高層ビル群の実情を興味深く読むことが出来た。それもリクルートの創始者の 江副浩正なら、一言一言が響いてくるのは当然のこと。東京の不動産事情を江副 というブランドの目を通した講義録とみれば、これほど面白いものはない。 私自身は、新築不動産を購入するならマンションより一戸建てを選ぶ。 それぞれ価値観があるから、一概にどっちらがよいか括れないが、買った瞬間に、 その価値は6〜7掛になる。3〜4割が業者の荒利になるからだ。 (ちなみに、ファッションや貴金属は三分の一、10分の一もある?) 一戸建ての場合は、ベースの土地は相場の値段として計算?されるので、 売価対原価の比率として、購入と同時の減額は少ないはずである。 それだけではない。今後、総人口が減少に転じ、総世帯数が減少する国で、 不動産が高騰する訳がない。家は既に余り始めているのである。この失われた 10年で低迷がつづき、その対策として金利が長期間、史上最低にあり、土地、 戸建、分譲マンションの値上がりが続いてきた。 首都圏の分譲マンションの 年間適正供給量は4万5千戸と言われてきたのが、10年以上も8万戸前後の 供給が続き、それが順調に売れてきたというから、その反動が来るのは至極当然 のことである。アメリカのサブプライム問題が発生、世界の金融機関をパニック にしているが、日本版サブプライム問題になるのは時間の問題。 この本の「まえがき」と内容が、少し違っている。「まえがき」では、 不動産は値下がり間違いないと言いながら、「これからは都心、中でも港区、 千代田区、渋谷区に人口が集中し、都心のマンションは益々値上がりする」 と述べている。利上げが供給過剰なバブルを破綻させるというが、他の理由は 殆ど書いてない。需給のバランスの供給を大きな理由にあげているが。 土地も関東・東海の一部地区を除けば、更に値下がりするのは自然の流れ。
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| 5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜③ |
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2015年01月24日(土)
ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー * 日本人と宗教 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。 これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、 人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という 避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の 世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー ≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど 特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、 「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように 答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も 意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた 「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、 結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」 と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、 あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在 としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに 対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の 言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道 などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米 であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。 このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫ ▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として 我々を支配する。 ・・・・・・・ 4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を 2014年01月24日(金) * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋 《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の 6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。 さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳 となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は 12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで 人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の 大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで (1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは 如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を 毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。 で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、 何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに 個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている 人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。 お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺 の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、 ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した! * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だ 「滑稽」 高橋新吉 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉 ・・・・・ 4331, 自己とつきあうということ ー1 2013年01月24日(木) * 自己への思考の旅 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら 「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、 【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから 逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて 読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を 振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。 一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。 そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、 今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも 道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、 目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、 手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、 自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか 少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を 説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して 自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている 他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた 出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように 違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが 自己への旅の醍醐味であろう。》 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの 45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。 非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、 実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番 知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、 後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の 経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。 要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。 ・・・・・・ 3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2 2012年01月24日(火) 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、 それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。たまたま周辺の何人かの異様な 言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、 周辺に怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤としてプライドが異常に高いのが特徴。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩き つけ潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、 情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、怒りの原因を探しやすい ためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と 自然災害と現在でも信じている。借入総額の七割を返済しても、残り三割の 総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも 言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。 ≪ 2011/06/28 閑話小題 ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに出る のが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には「あなた群」 というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たち からの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、 その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、今回の倒産劇の 「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの輪で、 「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは 数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明である。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫ ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りを ブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか? ・・・・・・ 3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2 2011年01月24日(月) * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、 ー3分ルールー ボクシングの1ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円。 これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本 を読むときに、いま一度、前書き、後書き、これから読もうとするページに目を 通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。これもポイントに集中 して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。 ー90秒ルールー これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。 驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、その興奮が収束 するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような 行動をせず、じっと脳の興奮が収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。 私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い 習慣として身につけたい時に、学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を 与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。 ー30秒ルールー コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正 の時間である。これ以上になると、間延びをしてしまうし、それ以下では情報量 が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、 知らないうちに慣らされている面もあるが。そういえば、人と人間と、時と時間 の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。 ・・・・・・・・ 3226, フリー −3 2010年01月24日(日) ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー * 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している 潮流を説いている。「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判経済と 注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 * googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示 している。知りたいのは、評判経済・注目経済があることを、googleは 見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を 出すことで収益を上げた。 *「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている 商品をタダにすること。すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、その中の顧客が有料の商品を 買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。 したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に 変わろうとしている。「人々が欲するものをタダであげて、彼らがどうしても 必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」 *<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、 オペレーションコストが 劇的に下がり、これによって収益モデルがかわった ことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し 防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 > 〜以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に 下がり続ける。それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済 だけでなく思想的領域まで影響している。そこまで掘り下げて考えないと、 このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを 変えようとしている。 ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー (1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、 その他のものを販売する。 ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム (ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」) (2) 三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、 その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。 ex)google、Mixi、TV等 (3)フリーミアム ・・「無料」版サービスと機能追加した「有料」 プレミアム版サービスを販売する。 ex) MixiとMixiプレミアム (4)非貨幣市場 ・・対価を期待しない市場 ここは対価として評判と人気 ex ) Wikipedia 等 ・・・・・・・・ 2851, チベット旅行記 −2 2009年01月24日(土) 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・ 江戸時代に外国人が日本に潜入した ようなもの、それもヒマラヤを越えて。仏を心の底から信じなければ乗り 越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、この旅行記を 通して少しは理解できたようだ。 * 断事観三昧 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。 他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。とにかくどうにか 極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で 決められぬことがあると断事観三昧に入って事を決めるのである。そもそも 断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上 決められない将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、 そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。 深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の 違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、どうするべきか判断する ということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観 に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、すなわち仏の心境で判断 すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。 人間は最後は自分の心奥の無(正中心一点無)で、判断しなければならない。 そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。 *積雪中の座禅 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。 相当の荷物を背負っている上に今日昼までは草を喰っておりましたけれども、 その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことが できないといって進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれど、 押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、羊は動かない。 ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また 立ち往生する。芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすことも できない中、なんと今度は大雪が降ってきた。岩も隠れ場所も見つからず、 とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も 動かなくなった。「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。 何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14〜5日も人に会うまい。 どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、 羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」ときめこんだ。羊もその方が 良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものです から、まるで私の子のような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。 「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。 しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」 と覚悟を決めたのであった。雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで 動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。それから 身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉を バターを入れて1杯ばかり食べた。・・ (字数制限のためカット 2015年01月24日)
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| 5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜② |
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2015年01月23日(金)
< 本日「いいかげん」日和 一日一話 >ひろさちや(著) * 貧・病・争と宗教 「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、 優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、 何ごとも良い方向に運ぶということ。 ≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ― と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、 そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が 治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しいまま、 病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。 わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった 本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、 嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。 宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。 嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫ ▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方 でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん 即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω ・・・・・・ 4697,末期がん、その日のための予習を ー1 2014年01月23日(木) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。 父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え去る 恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。 いずれは通る道。 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、 何度か、ここで書いてきた。 【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、 死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。 だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、 ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者 との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。 『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に 取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい! まずは ーアマゾン〜内容紹介ー 《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」 の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで 死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の 患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。 余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族 ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という 命題をつきつける。 ●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い ●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ ●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。 宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。 これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。 末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。 がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、 それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。 ・・・・・ 4330, 弧族の人たち 2013年01月23日(水) 「孤族の国 ーひとりがつながる時代へ」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著) NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 全国53の事例でつづった渾身のルポ。太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入 させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人。 繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。 65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と過去最高を記録 し、全世帯に占める 割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に 自殺率が急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、 定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。 ー内容紹介(amazon)ー 急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。 高齢になったら、病気になったら、職を失ったら―その先には孤立という罠が 待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、 39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に 離散した集落、独身無職女性の苦悩など多数の事例から変容する家族と社会の あり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死 … 他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。 朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。 【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた 軽自動車の後部座席から遺体で発見された佐藤正彦さん、享年55。 DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、 遺骨を保管。司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さん は、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班がその足取りを追い、 浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。 ▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。 高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、いちばん低いのが独り暮らし という。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。 ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを 紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。最後は県外にいる娘の近くの アパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と高齢化 社会の中で、大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題である。 麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。 ・・・・・ 3955, 他人を責める「新型うつ」について 2012年01月23日(月) * 生存適応戦略だった「ユウウツ」 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で 何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、 なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・ 【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の 著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である 「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために 獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、 うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという 無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。 また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。 ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。 その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、 あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。 このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、 かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、 マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、 悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。 人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、 ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを 得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに 関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。 野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】 ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より ▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、 大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。 それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、 独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。 しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。 これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。 それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に 集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻 撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった! ・・・・・・・ 3590, 戦略ネット会議システム −2 2011年01月23日(日) K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、 大手銀行に応募をして入社した人物の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に 対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、 掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、 その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、 探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚 が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り 入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いている だけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに知恵を出しあえば、 多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題も あるだろうが、互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、 内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。 その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、 新たに顕在化すること」こそ、企業にしろ、個人としても革新ポイントのコア。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいること は何? それを練り上げあげているのか?この恐慌の一番底が来年に到達しようと する中で、どうする?」そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。 ・・・・・・・・ 3225, 死もまた愉し 2010年01月23日(土) 孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」 の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。 そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、 次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、 次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。 ≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を 立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。 あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。 1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。 新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、 つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。 これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことでは ないかと思うんです。 ≫ 若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活 をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。ーそのような境遇で、会得したことは、 【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、 日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。私には、どうも無理のよう だが・・。彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。内容は毎年同じで、 原稿用紙。 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」 結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた ・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり ・風船の まぎれむ雲も なかりけり ・緑陰に 置かれて空の 乳母車 ・降る雪や 余生といふも やすからず ・來し方の見わたすかぎりおぼろかな ・花あんず 母と旅せし 記憶なく ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ ・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人 ・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし ・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫ ・・・・・・・・ 2850、チベット旅行記 −1 2009年01月23日(金) ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。6年にもわたるチベット旅行 の記録が本になっている。内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験している ような気持ちになってしまう。勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引き こまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。 ー要約をすると ≪ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット 原典が唯一残っているチベット国に行くことを思い立つ。鎖 国状態のチベット に、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似て いるが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。当然に死を覚悟をしなければ ならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均 高度4500mのヒマラヤを走破する。若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会い ながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、 右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。 食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。想像を絶した苦難を 次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から 持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。 そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。 「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は 私にはない。…ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、 経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに関する様々なことを観察すできた」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。≫ ▼ 河口慧海「チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。 チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、1897年に船でインドに渡り、 ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、1900年 にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼 した後、 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を 生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見するまでになるが、日本人である ことが露見したために急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、 ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖 として知られる。1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。 ・・・・・・ 2008年01月23日(水) 2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2 オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ (字数制限のためカット 2015年1月23日)
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2015年01月22日(木)
* 何を今さら イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが 世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの 首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、 展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを 画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と 異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも 分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は 許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、 この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを 狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、 映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが 世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、 東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』 と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、 生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、 世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、 直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作 が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として 必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。 ・・・・・・ 4696, 悲観のプロセス12の段階 2014年01月22日(水) * 悲観のプロセス12の段階 『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを 経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー 《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。 1段階:精神的打撃と麻痺状態: 愛する人の死という衝撃によって、 一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも 和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」 5段階:敵意とルサンチマン(妬み): 周囲の人々や個人に対して、 敵意という形で、やり場のない感情をぶつける 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い 込み、実生活でもそのように振る舞う 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、 早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚 さから、どうしていいかわからなくなる 10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、 現実に勇気を持って直面しようとする 11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは 健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを 乗り切りつつあるしるし 12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、 より成熟した人格者として生まれ変わる 》 ▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが 『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。 ・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。 ・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。 ・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。 何かにすがろうという心理状態である。 ・抑うつ:なにもできなくなる段階である。 ・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を 「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。 その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる? ・・・・・・ 4329, 財政恐慌 −5 2013年01月22日(火) * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち 終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 ーまずは、その辺からー ≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、 人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が 引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、 なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。 ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、 国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処 しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。 その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、 かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度 ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。 そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避 のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、 見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを 流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、 政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。 経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。 その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。 要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う 恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、 内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。 数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて ない勢いで内から外へ流れ出す。≫ ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも 日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。 しかし茹で蛙状態の日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。 ・・・・・ 3954, ファイナル・クラッシュ ー6 2012年01月22日(日) * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」 ≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な 破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に 借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの 経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・ クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険 要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、 日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違 である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。 日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。 懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表 によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、 二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用 により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。 そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、 今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、 海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。 IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに 世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。 震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。 ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の 不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。 これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、 日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。 これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を 破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、 金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、 私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、 老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、 これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、 もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化 せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という 外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが 今、まさに止まろうとしている。 ≫ ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の 値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。 時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、 毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと 事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、 その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。 結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。 ・・・・・ 3589, ユダヤ人 魔法のコトバ 2011年01月22日(土) 「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも 及ばない説得力を持つ。 ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー * 成程! 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上 のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ 解)逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。 * 笑うしか術がない時 人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。 ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か! * 物忘れ 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを 上げるのを忘れるようになる。そして最後には、ジッパーを下ろすのを 忘れるようになる」 コメディアン ージョージ・ハーンズ 解)これ、笑っていられない年齢になってきた! * 口の軽い奴 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」ータルムード 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を 聞く人、そして対象になっている人」 解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。 酒が入ると、他人事ではないか・・ * 夢も悪夢もあったけど 「夢も悪夢もあったが、夢があればこそ悪夢を乗り切れた」ージョナス・ソーク 解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと 挫折が待っている。「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ (夢)がかなったのだ」も、道理。 ・・・・・・・ 3224, 地球を通り過ぎる 2010年01月22日(金) 2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中に あったもの。なかなか、含蓄のある随想である。地球環境破壊に対する問題 提議にもなっている。 この人の写真集を持っているが、なかなかよい。 * ー地球を通り過ぎるー 長倉洋海 写真家 「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。 それが私たちインディオの生き方。人は地球を傷つけることなく、 通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。 アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのが クレナック族のアユトン。(字数制限のためカット2012年1月22日) ・・・・・・・・ 2849, 「ほめる」言葉 − 3 2009年01月22日(木) ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から 連想される内面をほめること。ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを 選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。女性??が、ファッション 服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。 何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。外国のブランドショップ で買うときなど、そこで日本より安く、いち早く買ったことを自慢したいのである。 ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。 「いいわね〜私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。人間は優位に立ち たいのである。嬉しそうに家内が言うには、「ある店に行ったら偶然なのだろうが、 女店員が持ってくる服が全て似合っているの。女店員も調子に乗り次から次へと、 試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 幸せな人には 幸せなことが起こるのである。買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。 褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。 ーーー 第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー 「さすがー」その場でほめる 56 「やるじゃないか」相手に関心を持って接する58 「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60 「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62 「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63「慎重なタイプだから安心だよ」個性をほめる 「よく知つているね.感心させられるよ」(字数制限のためカット、2011年1月22日) ・・・・・・・・・ 2008年01月22日(火) 2484, 「世間体」の構造 −2 ('-'*)オハヨ♪ ーあるブログに、この本の要約があった。
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2015年01月21日(水)
* 映画「樹海のふたり」 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。 富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、 WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。 〜ネット検索の内容より〜 ≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き 出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は 高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち 掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、 そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫ ▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと 接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、 「自殺は自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」 ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、 思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・ ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画、日本での製作は無理! 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。 (陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。 そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先 だろうと高をくくっている内で、長年の蓄積が必要。』と答えていたが。 「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を 続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、 9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、 妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ! ―― 503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ 2013年07月15日(月) 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様 なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。 軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、 初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、 インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、 死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、 決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が 痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。 生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが 迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が 水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、 このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して 浮かび上がってくる。 ーウィキペディアによるとー ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。 観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の 様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に 向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、 映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、 橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、 遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか 語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが その中で分かる。≫ ▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、 それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が 河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人 がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず! ・・・・・・ 4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある 2014年01月21日(火) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 企業家と経営者との違い! 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的 判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的 アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類 あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる 《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」 の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的 な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解 しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が 可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら 通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。 しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生 すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、 その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測 とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。 一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば 設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して 絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると 説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、 「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。 彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。 これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて 投資する態度につながります。・・・ 》 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災 (リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。 これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、 行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然? 創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、 この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、 20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が 良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! のは、ご覧の通り。 「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。 「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。 ・・・・・・ 4328, 財政恐慌 −4 2013年01月21日(月) ー次の質問群よりー 『財政恐慌』浜矩子著 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか ● 我々はここで立ち止まりたいのか ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。 日本経済は成熟した。大人の経済になった。 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。 * 我々はここで立ち止まりたいのか それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで 経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の 悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。 * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか プラザ合意の時まで戻ってやり
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| 5059,花嫁への3つの母の教え ー楽しく生きる一日一話 〜① |
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2015年01月20日(火)
【本日「いいかげん」日和 楽しく生きる一日一話】ひろさちや (著) これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー < 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、 笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。 わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。 ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を 楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと 「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」 につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。 極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。 それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)> * 花嫁への3つの母の教え 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・ ≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。 三つ、絶えず鏡を見なさい。 これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。 こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、 結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、 美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後 の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫ ▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。 ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。 許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。 ・・・・・・ 4694, 知恵と、教養と、知性の違い 2014年01月20日(月) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 知恵と、教養と、知性の違い この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー ・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」 【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。 ・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、 人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、 なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと 努めている、という。 ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、 神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。 ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的 活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・ 芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて 積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な 音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。 ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた 素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。 これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは 年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。 ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、 自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。 ・・・・・ 4327, 10年日記も最終年 2013年01月20日(日) 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。 2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期 滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした 部屋の一つの出来上がりが不満。 2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで 再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。 2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想 の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活 救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。 2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。 騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。 2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。 積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。 2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、 駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。 2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の 長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。 合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 私は、欠席にする。 2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。 山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。 2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」 (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。 その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。 ▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の 時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を 死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。 2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。 9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル にする様子が窺われる。記録は記憶!である。 ・・・・・・ 3952, 閑話小題 2012年01月20日(金) * ロボジー ーシネマ感想 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、 考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に 入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと 孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千 円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く 小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」 を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、 一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。 しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中 から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、 ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する 3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆ * 大相撲初場所 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで 大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人 の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出て くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け 知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての 力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも 何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで 面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。 今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 とはいえ日本人になり手がいない。 ・・・・・・・・ 3587, 東京ウォーク 2011年01月20日(木) * 無料カフェ JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、 三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月 にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、 今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。 去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、 有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ 無料のカフェを出したとニュースにあった・・ 煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。 こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館 廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、 「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、 一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、 非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが! 飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館 などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、 地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。 これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。 全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか! ・・・・・・・ 3222, フリー −2 2010年01月20日(水) 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、 大変なことになる。一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して 変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。 三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 デジタルのため圧縮をすれば幾らでも付け加えることが可能になり、カメラ機能は 限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラ の値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し 進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が出現したと見ると分かりやすい。 その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速し だしたというのである。それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を 推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。 私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。アマゾンのネットを通して売り主 から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の 手数料が利益になる。アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に 売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに 移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は 時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。ネット新聞を 見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで 80枚1万円で通販で販売されている。ほぼ無料である。それらは図書館に 行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンで みれるコーナーもある。面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 アメリカで始ったものだが・・・・ ーつづく ・・・・・・・・ 2847, 不況景色 −8 2009年01月20日(火) *どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、 バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。先週末にはシティが 解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本 注入、そして1000億ドルの与信枠を政府から与えられた、という。 投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前と いうから、ことは重大である。更にビッグスリーを救済するというから、 アメリカは何をやらかすのだろう。 *この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが・日本19位 から9位・英国 10位から18位 ・アイスランド3位から19位に下がった だけ。といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。ちなみに、一位は ルクセンブルグ、二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、 僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 *17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・ インターナショナル会長)は、バブル崩壊について、「いくつものバブルが 相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。 クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。 外国為替デリバティブと破綻リスクを保証するクレジット・デフォルト・ スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上。 10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。更に欧州のユーロは どうかというと、「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融 機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。とりわけ中東欧諸国の 債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が 積みあがっている」「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念。 中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。1950年代の大躍進後に、 60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。 (字数制限のためカット 2012年1月20日) ・・・・・・・・・ 2008年01月20日 2482, イプセンの「人形の家」 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ 「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。 目の前の相手に、そして信頼している人に、判断を委ねるしかない人は人形 でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくない からである。責任を負うということは判断をするため考えなくてはならない。 それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの 「人形の家」で、主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 (この言葉が婦人解放運動の原点になる) ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。 でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。私は実家で父の人形っ子 だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちの お相手をして遊んでやりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの 相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。これがあたし たちの結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、 この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、「ちっとも幸福では ありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」 と言う。ー誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。 だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先 だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、 判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを繰返すことに、 二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。 これが人間の真の姿といってよい。そして人生の終わりになって初めて己の その無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という 流行歌があった。なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀 を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉? だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、 責任から逃げ回っている人間の。 ・ω・】ノ ホナ!
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2015年01月19日(月)
ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜 * 着ぐるみの「中と、外」 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。 異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような 不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。 ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が 何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。 常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 〜その辺りから〜 ≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。 僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。 真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部 にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」 と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの 真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は 「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた 一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。 内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域 を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、 お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間 領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら 目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と 「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の 循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。 「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。 そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫ ▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、 『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人 =よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。 そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、 これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重? ・・・・・・ 4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 2014年01月19日(日) * がん哲学外来科なるもの 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。 その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、 その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが 見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。 亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』 なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。 がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想 日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、 何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど 土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、 その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。 それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い! といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。 100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって 膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ? * パソコン売り場にて iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。 しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、 iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、 この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり 入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型 でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。 次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。 やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの 可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。 消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。 これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! ・・・・・・ 4326, つれづれに ー歯医者 2013年01月19日(土) * 歯医者 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。 通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。 現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、 やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉 をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。 それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが 無くなってきた。 * 血圧計 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は 100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、 えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130 の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。 運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、 晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 * 大相撲ーつれづれに 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに 逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。 横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。 10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。 ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、 どんどん落とせば、これまた面白いか? ・・・・・・ 3951, 閑話小題 2012年01月19日(木) * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、 細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、 本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間 以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産 ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に 伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。 バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・ 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、 老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人 が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる 「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り 込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では 銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で 客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減 すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。 おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、 公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・ * 日本に再び大地震があるか? 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について 仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する 内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」 と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、 その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで 起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に 東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に 巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。 ・・・・・・・ 3586, 閑話小題 2011年01月19日(水) * 何故、ここでタブレット式パソコンか 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他の メーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。何故ここで薄い 板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか? を考えてみた。まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと 重ねて何処にでも気楽に持っていける。そして書籍もネットを通して購入でき、 かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの 「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、 ソーシャルネットがセットでブレイクする。それにツイッターである。 それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。 無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まった ということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。 * 迷ったら、やる! 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測? で私のところに来ているようだ。30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んで いるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。 そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が 起こると、神妙な顔をして相談に来る。ノートを開いて二時間ほど私と対話 をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。 ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスを しようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」の一言で、助けられた ことがあった。年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは 今度書く。その時に「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と 話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、 「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で 判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。「なるほど!」と、 合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても 行動面で一歩下がってしまう。そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、 丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、 「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。炬燵の中でTVも良いが。 ・・・・・・・・ 3221, フリー 2010年01月19日(火) 「フリー<「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら 読んでおくべきである。 読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界 では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが世界を方向づける カタチとしての流れを止められないという。フリーとは無料のこと。 無料=利他を理解できた者がネット社会では利する世界になる。フリーで やれるのはネットという膨大な世界があるから。無料といえば、民放のラジオ やTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。気がつかない うちに多くのフリーに恩恵を受けている。この随想日記も考えてみたらフリー。 私の全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開。 ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」 という表層的なことだけでなく「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」 というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセットを 仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略 のみならず、そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。 ・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された 文明で、自己実現を満たす行為としてあった。この「贈与経済」は貨幣でなく、 「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。 ネット以前の時代 では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量 可能であるため、貨幣との交換が可能である。 したがってこの計量可能な 非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の 新ビジネルモデルである。 ・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。 取るに足らない値段を請求することで圧倒的多数の消費者の手を止める。 チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。 《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》 ー つづく ・・・・・・・・ 2846, 金融大崩壊 −2 2009年01月19日(月) −読書日記 この著書の結論は「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動が起きている。 キッカケはサプライムローン問題、20〜30年と激動の時代が続く」である。 16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。 これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、 キッカケはリーマンブラザーの倒産である。更にいえば、松井孝典がいう 「地球システムが、拡大続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」 とみると、解りやすい! 第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊 よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を破壊 しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、 ーアメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。 それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て 破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」帝国は、「すべての お金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、 100兆ドルの金融資産を増やした。元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、 「投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にした。 その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義 帝国化に一番に対応したのが、日本である。いや、させられたのである。 金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせ ようとした、米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成した。 この二つは、コインの裏表一体。したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊 は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を 大量に抱え込んでしまったから、アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債を 大量に持たされている。世界中がすべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、 やはり16世紀以来の地殻変動である。CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、 これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、 4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。世界の大手企業が社債や 不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。 その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDSの不良債権化が表立つ。 銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、とマイナス循環が果てなく続く ことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のこと である。クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ 顔をしていた。中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている 重大局面を深く知ったため??。
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2015年01月18日(日)
* 「字のない葉書」 向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・ ≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府に学童疎開をすることに なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、 下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日 の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家 全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした 暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を 付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。 「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。 紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って 行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の 小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた 上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に 寝かされていたという。(略)・・ 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。 茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、 やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて 泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に 近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫ ▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、 このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が 詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で 残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯? シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。 ・・・・・・ 4692, 中年期の8つの危機 2014年01月18日(土) 『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、 晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、 老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から � 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める) � 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす) � 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる) � 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める) � 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える) � 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち) � 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる) � 真面目になりすぎる危機 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、 この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。 「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい �人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知) �真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、 「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。 ・・・・・ 4325, 財政恐慌 −3 2013年01月18日(金) ー次の質問群であるー 『財政恐慌』浜矩子著 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか、 ● 我々は地図を持っているのか ▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より * さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。 ▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか」 * これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。 ▽ 「我々は地図を持っているのか」 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を 夢見る思いである。 ▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く 動乱には適してない」のが、私の見方。 ・・・・・・ 3950, 未婚時代の婚活 ー2 2012年01月18日(水) * 女性は二ランク上を狙う 「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が? って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上 を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を 逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の 女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。 逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵 な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。 収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、 その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも 相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。 「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、 王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。 1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、 誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、 以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。 女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない 厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、 誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、 どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を 良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。 女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、 自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。 ・・・・・・・ 3585, 「とりあえず、5年」の生き方 2011年01月18日(火) 「とりあえず、5年」の生き方 ―諸富祥彦 (著) ーアマゾンの内容紹介ー あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか? それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか? 以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら 後悔とともに人生を終えるかもしれません。 □自分の大好物を最後までとっておく人 □「将来のために今日はガマン」と考える人 □「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人 □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人 □30代で1000万円以上貯金がある人 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。 たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの 少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」 「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。 ▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。 まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、 達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり 思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。 反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。 そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。 そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で 中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の 峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが 書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。 いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると! ・・・・・・・・ 3210, デフレ時代の商売 −2 2010年01月18日(月) * 鯛焼き屋 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題 になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。投資金額が格安 で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・(店舗内装、取得は別) 《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、 開業資金が500万」というから、内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、 ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率 10パーセント以下だから、当たると、これほど面白い商売はない。 パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それ。手間はかかるが、原価が安い。 鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザ そのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの 生地、中味は餡の、これまでは無かった鯛焼きチェーンもある。 これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で 資金回収が可能。これは世界にも通用する可能性がある。誰もが手軽に出来る ということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に 行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。誰も知らない地で、ゼロから 再出発するのだから、尊敬に値する。 * アウトレット専門のショッピングセンター (字数制限のためカット 2012年01月18日) ・・・・・・・・・ 2845, 金融大崩壊 −1 2009年01月18日(日) 「金融大崩壊」 − 水野和夫著 昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容。 5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面に あることを認識。それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、そして去年の9月の 大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。 ー要約するとー ・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、 16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。 *16世紀からの「近代資本主義」と、*1968年からの「新自由主義」と、 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」終焉が、この金融恐慌 と看破。 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。 深手を負ったのは国家と国民である。 ・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、 資本が破壊した。近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が 中産階級になることが出来た。それが2008年9月15日に終わってしまった 可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。 ・サブプライムローンと新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を 断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。 ・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民 に対して優位に立った。そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。 グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円。 ・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」 が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、今後、果たして 財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、 期待した通りには効果は得られない。 ・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、 これは無極化への流れになる。そして日本の輸出型経済モデルは新興国の 中産階級を相手に据えるべきだとする。中小企業はこれまでの下請け だけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。 ー 以上であるが、結論からいうと・・・・ 次回に続く! ・・・・・・・・・ 2008年01月18日(金) 2480, 「世間体」の構造 −1 (´∀`σ)σ オハYO! 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』ー読書日記 専 (字数制限のためカット 2012年01月18日)
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