堀井On-Line



5060,閑話小題 ー樹海のふたり

2015年01月21日(水)

   * 映画「樹海のふたり」
 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。
富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、
WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。
 〜ネット検索の内容より〜
≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の
 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き
出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は
高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち
掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、
そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫
▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー
 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと
接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 
この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、
「自殺は自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」
ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、
思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・
ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画、日本での製作は無理!
 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。
(陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。
そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先
だろうと高をくくっている内で、長年の蓄積が必要。』と答えていたが。
「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を
続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、
9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、
妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ!
――
503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様
なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。
軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの
ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、
インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、
死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、
決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が
痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。
生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが
迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に
なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、
このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの
ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。
観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を
カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の
様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に
向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、
映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、
橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、
遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。
中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか
語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが
その中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、
 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している
うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック
な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が
河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人
がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、
シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・・
4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある
2014年01月21日(火)
            ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的
判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的
アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類
あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 
 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」
の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的
な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて
おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解
しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と
マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が
可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら
通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。
しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生
すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、
その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測
とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。
一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば
設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して
絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると
説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、
「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに
よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。
これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて
投資する態度につながります。・・・ 》
▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が
 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災
(リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。
これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、
行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、
この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、
20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって
しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が
良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 
 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと
 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。
・・・・・・
4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー     『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからである。
 日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かに
かかっわっている。「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで
経っても立ち止まっていたい場所にはならない。成熟した経済社会が、居心地の
悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
 プラザ合意の時まで戻ってやり


5059,花嫁への3つの母の教え ー楽しく生きる一日一話 〜①

2015年01月20日(火)

   【本日「いいかげん」日和  楽しく生きる一日一話】ひろさちや (著)
 これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
< 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。
 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、
笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。
わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。
ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を
楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと
「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは
ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」
につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。
極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。
それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に
もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)>
  * 花嫁への3つの母の教え  
 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。
 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・
≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。
 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。
 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。
 三つ、絶えず鏡を見なさい。
これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。
こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、
結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。
 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、
美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後
の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫
▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は
 テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。
ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。
許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。
・・・・・・
4694, 知恵と、教養と、知性の違い
2014年01月20日(月)
ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 知恵と、教養と、知性の違い
 この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 
  教育とは「今日行くところがある」
【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄
 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」
 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア
 は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 
 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、
       人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」
  知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、
  なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと
   努めている、という。
  ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、
   神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
  ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的
   活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・
   芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて
   積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な
   音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
  ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。
   「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた
   素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。
   これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは
   年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな
   ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。
   ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、
   自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、
 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、
 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期
         滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした
         部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで
         再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って
         しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想
         の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活
         救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。
         騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち
         を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。
         積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、
         駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 
         今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の
         長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。
         合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 
         私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。
         山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」
        (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
         その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、
 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の
時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を
死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。
2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 
今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
  9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル
にする様子が窺われる。記録は記憶!である。
 ・・・・・・
3952, 閑話小題
2012年01月20日(金)
    * ロボジー ーシネマ感想
 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 
軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、
考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に
入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス
で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 
独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の
ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと
孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に
なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 
年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千
円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 
【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを
 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く
小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」
を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、
一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。
しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中
から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、
ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する
3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆
   * 大相撲初場所
 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで
大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人
の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出て
くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け
知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての
力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも
何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み
の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで
面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 
ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。
今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 
とはいえ日本人になり手がいない。 
・・・・・・・・
3587, 東京ウォーク
2011年01月20日(木)
 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。
家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、
三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月
にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、
今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、
有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ
無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 
現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 
昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 
その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館
廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、
一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、
非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館
などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って
くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、
地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。
これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。
全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
 ・・・・・・・
3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著  
著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、
大変なことになる。一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して
変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 
デジタルのため圧縮をすれば幾らでも付け加えることが可能になり、カメラ機能は
限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラ
の値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し
進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が出現したと見ると分かりやすい。 
その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速し
だしたというのである。それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を
推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。
私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。アマゾンのネットを通して売り主
から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の
手数料が利益になる。アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に
売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は
時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。ネット新聞を
見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで
80枚1万円で通販で販売されている。ほぼ無料である。それらは図書館に
行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンで
みれるコーナーもある。面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 
アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく
 ・・・・・・・・
2847, 不況景色 −8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、
 バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。先週末にはシティが
 解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本
 注入、そして1000億ドルの与信枠を政府から与えられた、という。
 投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前と
 いうから、ことは重大である。更にビッグスリーを救済するというから、
 アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが・日本19位
 から9位・英国 10位から18位 ・アイスランド3位から19位に下がった
 だけ。といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。ちなみに、一位は
 ルクセンブルグ、二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、
 僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・
 インターナショナル会長)は、バブル崩壊について、「いくつものバブルが
 相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
 クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。
 外国為替デリバティブと破綻リスクを保証するクレジット・デフォルト・
 スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上。
 10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。更に欧州のユーロは
 どうかというと、「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融
 機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。とりわけ中東欧諸国の
 債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が
 積みあがっている」「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念。
 中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。1950年代の大躍進後に、
 60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
 (字数制限のためカット 2012年1月20日)
・・・・・・・・・
2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。
目の前の相手に、そして信頼している人に、判断を委ねるしかない人は人形
でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくない
からである。責任を負うということは判断をするため考えなくてはならない。
それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの
「人形の家」で、主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 
(この言葉が婦人解放運動の原点になる)
 ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。
でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。私は実家で父の人形っ子
だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちの
お相手をして遊んでやりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの
相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。これがあたし
たちの結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、
この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、「ちっとも幸福では
ありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」
と言う。ー誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。
だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先
だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、
判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを繰返すことに、
二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。
これが人間の真の姿といってよい。そして人生の終わりになって初めて己の
その無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という
流行歌があった。なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀
を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、
責任から逃げ回っている人間の。 ・ω・】ノ  ホナ!


5058,閑話小題 〜中の人・外の人

2015年01月19日(月)

        ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜
   * 着ぐるみの「中と、外」
 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。
異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような
不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。
ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が
何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。
常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 
 〜その辺りから〜
≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。
 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ
と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。
僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。
 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。
真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を
かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー
で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も
いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。
 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部
にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる
こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」
と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの
真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は
「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。
 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい
しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて
いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた
一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。
 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。
内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域
を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、
お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間
領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら
目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と
「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる
ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の
循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。
「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。
そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫
▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の
 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、
『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人
=よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。
そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。
 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、
これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重?
・・・・・・
4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 
2014年01月19日(日)
  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。
その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、
その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが
見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。
亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も
その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。
 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』
なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。
がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想
日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、
何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど
土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 
 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、
その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。
それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い!
といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。
100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって
膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 
死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ?
   * パソコン売り場にて
 iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。
しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ
パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、
iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに
iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、
この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり
入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 
春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか?
あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型
でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。
次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから
iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。
やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの
可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。
消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。
これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! 
・・・・・・
4326, つれづれに ー歯医者
2013年01月19日(土)
  * 歯医者
 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。
通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。
現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、
やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉
をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。
それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが
無くなってきた。
  * 血圧計
 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな
ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は
100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、
えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン
というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130
の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。
運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、
晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 
  * 大相撲ーつれづれに
 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 
そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも
あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に
わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに
逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。
横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。
10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。
ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、
どんどん落とせば、これまた面白いか? 
・・・・・・
3951, 閑話小題
2012年01月19日(木)
  * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴
 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、
細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、
本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間
以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産
ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に
伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の
シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。
バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 
殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・
 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、
老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人
が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる
「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り
込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では
銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で
客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 
全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減
すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。
おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、
公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・
  * 日本に再び大地震があるか?
 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について
仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する
内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が
あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」
と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 
それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、
その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる
ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで
起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に
東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス
の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に
巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
・・・・・・・
3586,  閑話小題 
2011年01月19日(水)
  * 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他の
メーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。何故ここで薄い
板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?
を考えてみた。まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと
重ねて何処にでも気楽に持っていける。そして書籍もネットを通して購入でき、
かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、
ソーシャルネットがセットでブレイクする。それにツイッターである。
それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まった
ということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
  * 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?
で私のところに来ているようだ。30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んで
いるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が
起こると、神妙な顔をして相談に来る。ノートを開いて二時間ほど私と対話
をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
 ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスを
しようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」の一言で、助けられた
ことがあった。年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは
今度書く。その時に「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と
話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で
判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。「なるほど!」と、
合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても
行動面で一歩下がってしまう。そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、
丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。炬燵の中でTVも良いが。
・・・・・・・・
3221, フリー
2010年01月19日(火)
 「フリー<「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら
読んでおくべきである。 読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界
では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが世界を方向づける
カタチとしての流れを止められないという。フリーとは無料のこと。 
無料=利他を理解できた者がネット社会では利する世界になる。フリーで
やれるのはネットという膨大な世界があるから。無料といえば、民放のラジオ
やTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。気がつかない
うちに多くのフリーに恩恵を受けている。この随想日記も考えてみたらフリー。
私の全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開。 
ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」
という表層的なことだけでなく「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」
というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセットを
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略
のみならず、そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された
 文明で、自己実現を満たす行為としてあった。この「贈与経済」は貨幣でなく、
「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。 ネット以前の時代
では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量
可能であるため、貨幣との交換が可能である。 したがってこの計量可能な
非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の
新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。
取るに足らない値段を請求することで圧倒的多数の消費者の手を止める。
チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》  ー つづく
 ・・・・・・・・
2846, 金融大崩壊 −2
2009年01月19日(月)           −読書日記
 この著書の結論は「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動が起きている。
キッカケはサプライムローン問題、20〜30年と激動の時代が続く」である。
16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、
キッカケはリーマンブラザーの倒産である。更にいえば、松井孝典がいう
「地球システムが、拡大続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」
とみると、解りやすい! 第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊
よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を破壊
しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、
ーアメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
 それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て
破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」帝国は、「すべての
お金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、
100兆ドルの金融資産を増やした。元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、
「投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にした。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義
帝国化に一番に対応したのが、日本である。いや、させられたのである。
金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせ
ようとした、米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成した。 
この二つは、コインの裏表一体。したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊
は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を
大量に抱え込んでしまったから、アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 
中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債を
大量に持たされている。世界中がすべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、
やはり16世紀以来の地殻変動である。CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、
これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 
とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。世界の大手企業が社債や
不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDSの不良債権化が表立つ。 
銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、とマイナス循環が果てなく続く
ことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のこと
である。クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ
顔をしていた。中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている
重大局面を深く知ったため??。


5057,閑話小題 〜「字のない葉書」

2015年01月18日(日)

   * 「字のない葉書」
  向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・
≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府に学童疎開をすることに
 なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、
下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日
の東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家
全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした
暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を
付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。
「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。
 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を
リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように
はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。
紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って
行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった
とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。
 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の
小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた
上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し
のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた
そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った
とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に
寝かされていたという。(略)・・
 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。
茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、
やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて
泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に
近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか
それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫
▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。
 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、
このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が
詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で
残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて
おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯?
シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。
・・・・・・
4692, 中年期の8つの危機
2014年01月18日(土)
         『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、
晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、
老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から
� 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める)
� 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす)
� 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる)
� 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める)
� 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える)
� 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち)
� 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる)
� 真面目になりすぎる危機
 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、
  この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。
「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい 
�人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知)
�真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた
 ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い
 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて
 きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する
 だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて
 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、
「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。
 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、
 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。
 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間
 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、
 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。
 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に
 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 
 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、
 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。
 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。
・・・・・
4325, 財政恐慌 −3
2013年01月18日(金)
    ー次の質問群であるー    『財政恐慌』浜矩子著 
 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
   我々はどうすればわかるのか、
 ● 我々は地図を持っているのか
▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より
* さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、
 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。
 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の
 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 
 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら
 になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。
 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。
 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。
 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。
 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。
▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
 我々はどうすればわかるのか」
* これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。
 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い
 ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。
 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった
 はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。
 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。  
▽ 「我々は地図を持っているのか」
 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。
 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を
 夢見る思いである。
▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。
 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を
 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった
 のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 
 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと
 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、
 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く
 動乱には適してない」のが、私の見方。
・・・・・・
3950, 未婚時代の婚活 ー2
2012年01月18日(水)
  * 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?
って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を
ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上
を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を
逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の
女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。
逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵
な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、
その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも
相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。
「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、
王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 
誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。
1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、
誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、
以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない
厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、
誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、
どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を
良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 
とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、
自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 
妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら
後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          
□「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  
□「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。
たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの
少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」
「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 
 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り
の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、
達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり
思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた
とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。
そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で
中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる
べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の
峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが
書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。
いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
 ・・・・・・・・
3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き屋
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題
になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。投資金額が格安
で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 
加盟料金40万、指導料20万、その他・・(店舗内装、取得は別)
《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、
開業資金が500万」というから、内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、
ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率
10パーセント以下だから、当たると、これほど面白い商売はない。
パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それ。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザ
そのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に売るものもある。 
たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの
生地、中味は餡の、これまでは無かった鯛焼きチェーンもある。
これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で
資金回収が可能。これは世界にも通用する可能性がある。誰もが手軽に出来る
ということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に
行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。誰も知らない地で、ゼロから
再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 (字数制限のためカット 2012年01月18日)
・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
     「金融大崩壊」 − 水野和夫著
昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面に
あることを認識。それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 
現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、そして去年の9月の
大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、
 16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、*1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」終焉が、この金融恐慌
 と看破。 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。
 深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、
 資本が破壊した。近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が
 中産階級になることが出来た。それが2008年9月15日に終わってしまった
 可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
・サブプライムローンと新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を
 断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民
 に対して優位に立った。そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。
 グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」
 が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、今後、果たして
 財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、
 期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、
 これは無極化への流れになる。そして日本の輸出型経済モデルは新興国の
 中産階級を相手に据えるべきだとする。中小企業はこれまでの下請け
 だけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・  次回に続く!
 ・・・・・・・・・
2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1      (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』ー読書日記
専 (字数制限のためカット 2012年01月18日)


5056,閑話小題 〜つれづれに

2015年01月17日(土)

   * つれづれに
☆ 一昨日の新潟駅周辺で、後ろから連れのオバサンの話が聞こえてきた。 
 その話題の内容とは、「年金は、とにかく前倒しに貰った方が良いみたい。 
 ところで〇〇さんの主人、定年で一日中、家にゴロゴロしていて、何処にも
 出かけないというけど、小遣いを一万しか与えてないのなら、出かけようが
 ないわよね・・プライドが高いので、財布が空なら人とも会えないしね〜」 
 と、何か深刻の内容。そして物価値上がりの愚痴が続いていった。
☆ 地元のカラオケスナックでは、60歳位のチイママのところに電話が何度も
 入って真剣な顔。聞くと、「アパート持っているが、その住人が気分が悪くなり
 救急車を呼んだが、親戚が分からないので、大家の私に連絡があった。
 本人は生活保護を受けていて・・ でも、どうしようもないしね」とか。 
 何か、切ない話ばかり。 
☆ 最近、人に会うたびに、顔色がツヤツヤしているといわれる。自分でも鏡を
 みると、そう思うが・・ スポーツジムの効果があるのだろう。朝、4時起床
 からのスケジュールを真面目にこなしているので、当然だが・・
☆ どうも冬期間(12〜3月)は、チャリが雪道のため乗れない。
 早朝のポタリングはストレス解消というより、エネルギーの充電になる。
 それでも週3〜4回のスポーツジムでのエアロヨガがあるからまだ良いが。
☆ 人から聞いた夫妻の話が凄い。「旦那の職場からも、一人娘と親も含め、
 夫婦して年賀葉書が一通こない」という。ただ、それだけの話だが・・ 
 夫婦自閉症ということ? 老いる度に、最後は、誰もが津軽海峡冬景色?
・・・・・・
4691, 苦しみは、深いレベルの「神秘」
2014年01月17日(金)
          『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著
  * 現実を「問題」と「神秘」の二つの次元に分けるがよい
 ー苦しみは、深いレベルの「神秘」である解決できる「問題」ではないー 
ガブリエル・マルセルの言葉が良い。「神秘の典型的な愛、自由、人間、自然、
出会い、存在、誕生、生、死、悪」などが解決しようとするから苦悩が生まれる。
人生は、成るほど神秘的のはずである。「生きるとは、問題解決の連続と思って
きたが、解決できない苦悩の中で、七転八倒すること」なら、次つぎ襲ってくる
苦悩も素直に向き合える。 ーその辺りを抜粋ー
《 苦しみに、簡単な解答はあり得ません。その理由は、苦しみという現象が、
 「問題」ではな「神秘」の次元に属しているからです。ですから、私たちが
苦しみを体験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような
不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。私の恩師、ガプリエル
・マルセルは二十世紀のソクラテスとも言われた偉大な仏の哲学者でしたが、
彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。
 「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。
しかし世の中にはコントロールすることも、把握することもできない、深い領域
が存在しています。それが神秘です。神秘の次元のものを、神の次元のように
客体化しようとすれば、大きな過ちを犯すことになります。たとえば、医者が
患者をみて病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する。これは病気を
問題として解決しようとしているわけです。 一方、治る見込みのない患者に
対しては、多くの医者は「もう手の施しようがない」と匙を投げます。
これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえているから、
何もできないという答えになってしまうのです。けれど、たとえ病気を治すと
いう解決ができなくても、残された時間を有意義に過ごす手助けをすることで
患者の苦しみを和らげることもできます。それが「神秘」の次元で考えるという
ことなのです。典型的な神秘の次元に属するものとしては、愛、自由、人間、
自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。 今の教育は、
ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、あらゆる神秘を単なる問題
解決の次元で片づけようとする傾向がありますが、そこに現代社会の大きな
欠陥が隠されているように思えてなりません。 マルセルは、神秘に属する
ときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。人為を超えた
神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き会う
のが望ましい姿勢と言えましょう。どうしようもない苦しみにさらされた
ときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、
新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。古代キリスト教の教父
と言われるアウレリウス.アウグスティヌスは、十九歳のとき親友を突然病気
で亡くしました。彼は、そのときの苦しみを回顧録で、こう綴っています。
 「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」
ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。同じ十九歳なのに、
親友は死に、自分は生きている。それまで当然だと思っていた親友との日々の
生活が、実は当たり前のことではなかった― この苦しい体験が、彼にとって、
人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。アウグスティヌスが、
西欧の歴史上、最も優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に
真剣に取り組んだから・・・》
▼【人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」
 を持って向き含うのが望ましい姿勢】が良い。色いろ、七転八倒してみて、
「何だ私は、この程度の人間なんだ」と限界を割り切ることが、諦めであり、
悟りになる。この節目時に、腹の底から笑った後に、ドッと肩の荷が下りた。
そのフワフワ感が何とも良い。神秘的だが面白い人生ですか〜
・・・・・
4324, 財政恐慌 −2
2013年01月17日(木)
  ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー  『財政恐慌』浜矩子著
≪   ー 今回の質問の内容 −
 ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
 ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
 ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」
□ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期
 が終わり、ニクソン・ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、
 失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を
 味わい、格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 
 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、
 時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
◎ 我々はどこに行きたいのか
□ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金
 問題や通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。
 そのような安らぎの天地を求めている
◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
□ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。
 だが成長神話は古い。それに、この間を通じて日本経済はそれなりに成長
 してきた。ところが、それによって人々が安心することができるように
 なっているわけでない。今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。
 大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。
  そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫
▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた
 金が不動産投資などバブルを引き起こした。そして5年後のバブル崩壊。
その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。
その結果の膨大の借金。偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは
決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。
・・・・・・
3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1
2012年01月17日(火)
  * ユーロとドル安が続いているが、
 欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きて
ないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。地震(リーマン・ショック)
より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。ニュースで近じか
仏大統領が大きな決断を下すという。ドルは50円、ユーロは60円、株価は
6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。日銀の白川総裁が、
「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力
が弱っているため大打撃になる。 分かっていたことだが。 
問題は、三月あたり・・・
「日本の論点 2012」ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」
が、この辺を分かりやすく書いている。
《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。
 直接的な要因として挙げられるのが、米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和
政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三千億ドルに
およぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。
これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。成果については賛否
両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落
すると考えるのがふつうだろう。しかし、円が高い理由はそれだけではない。
日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに
「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはず
であり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。 つまり、為替
レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえ
二〇〇〇年から今日までの十一年間で、米国の消費者物価指数は約三〇%上昇。 
いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レート
の水準は一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レート
によって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。
とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。
つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、デフレの国の通賀は高く
なりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高く
なるのは、必然であるといえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。
海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を
下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の
制限といった国内産業の合理化を促す。さらにそれは生活基盤を失わせる
雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます
円高が進行する。こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの
円高対策も実効性は薄い。》
▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、
 スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが日本の三倍近いのに驚いた
ことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。
  それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? 
ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
 ・・・・・・・
3584,閑話小題
2011年01月17日(月)
 * 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」  そうか! そうだ! 
   これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。
 * セレンディピティとは
  − ウィキペディアによると、
 <セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは
  別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見した
  という「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、
  ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。
   例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡
  『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
  ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。
  それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
  これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。
  まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」
 「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」「やっふぃ」「もいきー」
 「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20が
 あるとか。それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。
 『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。
 病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団
 『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ歌い踊る中で
 使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら
 良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の
 別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
  ・・・・・・・・
3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 
41年間で総額1388万円である。(以前の年金通知の中にもあった
かもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動
などからみて3倍が妥当。実質の支払額は 1400×3=4200万は
積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。 
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>4284万になる。 
成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、これを過去に食い散ら
してなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?
をしていたのである。その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる
時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。未来のために
積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 
酷いものである。腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、
国家のダウンサイジングが現実のものになるとは思ってもいなかったのだろう。 
数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。こういう事態
をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 
年金税も現実問題として有りえる。
 ・・・・・・・・
2844, 「ほめる」言葉  −1
2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉 ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書
と思ったが、《精神対話士》の、という部分が気になり借りてきた。ところが、
なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が並んでいる本。
基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。この本を編集
した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーする。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウ
するための根幹となる「生きがい」を見失いがちになることに着目。それらの
人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため
精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。この本は、精神対話士の効用の
一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。「温かいひと言」を相手に投げかける
ことで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。
こういう場合、アマゾンは有り難い!私が人を褒めると、知人や同級生に
驚かれることが何度かあった。「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて
殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。「営業用の褒め言葉」を
聞きなれているため?言えないのである。全て知った上で「嫌味」を言うより、
営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
  (字数制限のためカット 2012年1月17日)
・・・・・
2008年01月17日(木)
2479, 新潟県の物流の現状は              (。´_`)ノおはぁ。
 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞・新潟県内版のインタビュー
で語った「新潟県の物流の現状」が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、
そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。
 ーまずは箇条書きにまとめてみるー
・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。
・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、
 原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。
・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、
 今は通常の月と変わらない。
・中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は
 上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、12月に入ってから目に見えて
 落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。年末年始もこの流れがつづく。
・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界
 の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、一方中小値上げは出来ない。
 うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。
・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、
 仕事は殆ど取れない。中国の仕事を入り口で取る体制を整える。  
 日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。
▼ 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。
 ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。
(当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、
その4年前の6割に貨物量が減ったという。中越沖地震から県内の動きは更に
10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界
だけでなく、県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが
見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。しかし、
事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。
何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。 ⌒ー⌒@)ノ マタ!


5055,生と死をめぐる断想  ー6

2015年01月16日(金)

    『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   * 時代という背景
 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。
著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。
癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち
にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜
≪ 「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編)
という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ
が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として
いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。
「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、
第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。
取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。
 坐  岡田虎二郎と岡田式静坐法
 霊  大本と鎮魂帰神
 心  森田療法の心と癒し
 食  マイクロビデオテックの世界観
 気  野口晴哉と「全生」思想
・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。
・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、
・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、
 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、
 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。
・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。
・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一
 が発展させた、狭義には食事療法だ。
・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法
 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。
・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者
 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。
・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。
・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、
 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも
 一定の 成功をおさめている。 ≫
▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。
 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、
多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに
人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった
経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。
・・・・・・
4690, 身近な貧困 ー4
2014年01月16日(木)
   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」
ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと
同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を
絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という
逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。
ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。
ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に
使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード
で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 
問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。
しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。
チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な
面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処
が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を
もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、
充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」
さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、
秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、
『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 
世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。
帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、
そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな
肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 
気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、
聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。
決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、
以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
・・・・・・
4323, 財政恐慌 −1
2013年01月16日(水)
              『財政恐慌』浜矩子著
 ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。
現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮び上がらせている。
  * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう 
 ー まずは、「人生の不確実性」について ー
≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。
 その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家である。 
交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物。
彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に
異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー「ミスタービーン」として、
彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。
だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄
の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。
ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。
市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも
今日の日本を語っているがごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来
最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、
「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、憤懣が溜まり、あらゆる試練
に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が
消える時、準備万端整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに
決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」ここから、
その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。
 ーそれらを、この紙面上に再現してみようー
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
  ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
    どうすればわかるのか       ● 我々は地図を持っているのか    
  ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか  ● それとも我々は元に戻って
    最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫
▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? 
 いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。人生の8〜9合目
 に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、
 立ち止まっていて良いのか、などを考えるに良い質問群になる。最初から
 出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。
 両親の生き様を見て、ある程度は、解っていたが・・  
 次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。
・・・・・・
3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)              
  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが
分析をしていた。それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業
にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。伴侶を決めるのは、女性も
男性も、一生の一大事。そうそう満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。
この歳になっても、今だ・・ 著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚
できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 
「いい男は、なぜか皆んな早婚」「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォー
で独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」 確かに、現象面
から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしか
いないことになる。普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。
:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感:
普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。
「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすとすると、 
:会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。
それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。
そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも
取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚
か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。
ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。
200〜400万の6割が未婚。200万以下は7割以上が独身だった。
「いい男が早婚」なのは、年収だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。
一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性にはモテるわけでないが、
それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢
を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢
を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たない
うちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。    
                     ーつづく
・・・・・
3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の
広告記事をたて続けに出している。そこで会員登録をし、HPのソフトを使って
驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換。
それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に
転換できる。それがプロが書き換えたと思えるほどの出来栄えで、ここまで
来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。
この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。
それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。デジカメで撮った過去の写真
を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。まだ、その機能が
入ったデジカメを手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 
タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 
他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。そこには美人、線画、版画、
漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。 私にとって、
これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードや
アルバムに眠っている。この中で、気に入ったものを画像転換すれば、
私にとって素晴らしいアートが出来上がる。おそらく、セザンヌ、ゴッホ、
ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。それだけでない、
彼らの絵画を自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った
作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。
実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、
何とも味がある。カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、
それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、装飾品に印刷、
販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな
風に転換してしまうのか!」の、驚きの連続である。 iPadの次世代機種に
カメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描き
ソフトで書き加えることが可能になる。いや、書き加える必要もないほど
最良に近いソフトが、それを許さないか? これは、凄いソフトである。
 ・・・・・・・  
3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然の
ようにあったのである。そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の
桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。
「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、数言の英語なら状況
から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分から
なくても 写真なら世界中の人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。
それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、
普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、黒人の男のヌードもあった。 
構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。写真もビデオ
も、パソコンでもモバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。
ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。TVのニュースでも、
かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。情報化の事例の一つである。
数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 
グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。これも手軽に何処から
でもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値が
ついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’
をつけると、それがネットでグループ化される。「藤の花」を知らせたい場合、
‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる等々、
幾らでも発進できる。全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」
とか、直ぐの反応があるはず。初めキーワードをコンピューターが選定すると
思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、
この銀行の怒りを持った者同士が、怒りを共有することが出来ることになる。 
世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。更に情報を送り
たい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。
これが携帯で飛び交うから驚くのである。ブログがマイクロ化し、互いに
キーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。
 情報格差は、無限に開くばかりになる。
 ・・・・・・・・
2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。外見は茫洋としているが、この男がなかなか
の博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の
養子になったか?、名前だけ継いだのか?この人が語った「異世界」の話しが
面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の
感覚で、朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 
三時間も前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一〜二年も
しないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。別に、必死に働いた
のではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、
激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、
周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのよう。
 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。
その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム
(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚
のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。そういえば
「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が
十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。
この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると「直ぐに手をつける?」等々、
なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。更には、預金通帳には
?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、
この位にしておくが、40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して
変わらない。名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの
存在なのだろう。
・・・・・・
 2005年 ー1月14日記ー
(字数の関係でカット12年01月16日)


5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2

2015年01月15日(木)

   * 古稀ですか ー2
 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ
気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、
同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。
 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。
当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな
文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆?
どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が
亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、
母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が
面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折?
の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。
 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、
己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、
「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・
 この程度としても、恵まれていたし、面白かった!
現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。
 それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、
 面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? 
・・・・・・
1月15日  1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

 以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。
 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。
・・・・・・
4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜
2014年01月15日(水)
   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、
同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、
それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は
マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居
になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて
いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、
情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、
もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。
他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている
自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 
誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、
自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、
「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・
〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。
今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。
そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した
・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 
こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」
であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話
になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
 * ネットカフェ難民から、マック難民へ
 * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略)
    * 67歳か〜
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。
父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、
自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、
欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の
大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか
と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 
それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡
を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、
去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの
風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。
10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打
で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを
大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず
だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは
欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。
66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。
仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に
思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい
の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、
考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを
見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 
とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに
なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在
しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって
しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の
経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き
連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。
二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る
ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年
を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代
に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること
にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも
深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、
見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、
還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で
一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。
父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」
として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた
というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 
それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。
特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」
この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」      
それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。
それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の
蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。
この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業
直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を
御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの
入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が
あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には
65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が
集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。
加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 
還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。
現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 
充分、狂ってきたが?!
・・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
2009年01月15日(木)
 * 63歳の誕生日か〜
 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、
姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く
なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、
人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を
見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
・・・・・・・・・・
2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと
自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。5年続けて、自分の誕生日の
実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も。
(後記してある) こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて
自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? いまさら誕生日もないが・・
所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えて
することはない!というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝う
ことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に
過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、擬似体験をしているような
気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。
私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。熟年は過去を抱え
ながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄
になるのかを自問自答しながら自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢
の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、
砂?塵?原子?でしかないが。その時々に、その時々の気持ちを書き残した
痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになる。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、
れが如何もしようがしまいが、良いのである。人生は生きていくだけで大事業。
どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を
誤ってしまう。今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?
歳月、人を待たず! か〜。 ただ、一日一日は充実をしている。                 
ーーーーーーー
2007年01月15日(月)
2113, あ〜もう、誕生日か〜 61歳ですか   
 例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、
前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、これを書き出した次第である。
それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?
読み返すと、それがよく解る。61歳?自分が自分でないような、認めたくない
というより信じられないのが実感だ。この歳には、もっと老成していると思い
きや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。それに加え、
脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネット
サーフィンの効果もある。それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わった。
情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が変わったこともあるが、人生の競馬
でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。
人間の見方を例にとると、人間の品性をまず見るようになった。「国家の品格」
という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、ますます
見えるようになったきた。そこで自分は品位はどうだろうか?不安になってきた。
いつも家内に『品が無い!』と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく
品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 
明日にでも、「品位について」を書くが、ある物指しからみて、何と信じら
れないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。
それも明日書くとして・・ 結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、
感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!「で、どうした!」
「61!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 このあたりに話が収まる。
・・・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳!       オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆
 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ     
60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、
感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。
 (略) 


5053,閑話小題 ー古希ですか!

2015年01月14日(水)

  * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ
 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。
よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が
70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人?
 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。
仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは!
気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。
 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩
 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。
(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。
還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 
1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲
ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」
との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、
あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。
9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」
という思いは意外と少ない。
 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした
『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。
  世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり   (49)
  何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50)
  何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)
  ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
                   あぢきなの世や (52)
  夢幻や 南無三宝(53)
  くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)
  何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ     (55)
現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、
うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、
『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に 
 あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん!
・・・・・・
4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末!
2014年01月14日(火)
   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 
特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で
追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 
 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 
  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝
を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一
は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ
一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって
富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。
延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて
MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘
に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一
は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】
▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、
 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま
勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。
ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝
として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で
同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会
の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。
この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。
下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック  「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という
ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。
この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。  
  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため)
 8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、
 短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応
 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 
 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの
 ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、
 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って
 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年
 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の
 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は
 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の
 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、
 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。
 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える
 のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
・生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。
 決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品
 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。
 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。
 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機」 水野和夫著  
「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。
これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」
の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20
世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、
「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、
米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。
そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、
「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、
リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って
いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、
第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊
の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、
日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま
一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。
その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。
▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。
 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。
その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。
その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル
として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。
それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って
攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
・・・・・・・・
3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解
しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。
恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える
力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して
いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか
理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を
深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶
することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに
唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに
見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが
普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で
消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、
無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案
を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、
沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 
一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島
に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は
広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。
今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、
中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される!
 ・・・・・・・・
3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 
ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。
ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え
文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。
キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど
「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け
可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う
とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している
というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。
どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)
・・・・・・・・
2841, 雲頓庵 −2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?
に収まり、副住職になっていた。この坊主が面白い人物だった。
次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時、本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も
手伝い恐怖のどん底に落とされました。人生で二回の超恐怖体験の一つ。
大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、
恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だった。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。
再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と
“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは
初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。その時騒ぎを聞きつけた
老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺した。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男
が四人逃げまわっているのに、九十近くの禅師が何のためらいもなく一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力に
ショック。結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。
禅師の一面をみた事件でした。
−−
当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すこと。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、
それが網のようになり、多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば
4年も40年も同じである。
・・・・・・・・・・・
−1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。
早速座禅をくんでみる。足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が
求めていたもののヒントを与えそうだ。ここに慶応大学を卒業して弁護士の
試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。
これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺
の後見人という人と話す。午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと
「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。集中力が足りないのがいらだつ。
明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。
誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」
を後半100頁を読み終える。そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。
二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって
座禅をくむが、何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。
一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたい。皆を呼びにいく。全員でそれを
追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、
顔をあらっていると、住職が昨日の動物を退治しようと棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチ
でなくモモンガであった。顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い!
かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、
不安が押し寄せる。 相変わらず、読書のペースが遅い。
ーー
40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。
書いてあるからである。
・・・・・・・・
008年01月14日(月)
2476, 閑話小題       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、
大きく取り扱われているタイミングもあり異様な感じが漂っていた。
幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、有望なのは
旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、
二人もいた。そのうち、半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の
厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)


5052,生と死をめぐる断想  ー5

2015年01月13日(火)

 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久
 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。
 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。
成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。
瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。
  ーその辺りから抜粋ー  〜P90
≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。
「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。
たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、
次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは
常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。
暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 
 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」ことなど
あり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」の
輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。
 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。
「いのち」は「わたし」の生れる前からある。
「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。
「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。
 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。
「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。
なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、
その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命
の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、
相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。
植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、
それこそ知性によってとらえられるものだろうと。
 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、
そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。
が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、
「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ 
それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい
ことを感じるようになってきた。・・ ≫
▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション
 でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、
自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。
地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。
その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき
宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。
・・・・・・
4687, エッセイ力は人生力 ー2
2014年01月13日(月)
               「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く
 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、
おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って
エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく
なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは
十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心
の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。
きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識
されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身
がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように
客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ
にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分
以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、
もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に
なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、
ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも
(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」
しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり
えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の
 メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い
ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。
だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容
こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」
に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、
そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的
であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
        「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、
現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、それでも日本の医療制度は世界
で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いて
くれた内容。大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師
の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
  ー内容説明(アマゾン)ー
「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」
「薬は10種類知っていれば何とかなる?」「みんな最後の医者にはなりたくない」
「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・浜松医大名誉教授が名誉を
捨てて?、患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
  ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。 日本全国
 約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。今や医者から
みたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」
というと、何年後かに病気になったときに、ああ言われたから、安心していた
のにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。
「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは
医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、何ともないと不安になり、
「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良い
のは「更年期障害」です。これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる
病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って
さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。
これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、「不摂生のためでなく、
本人の責任でない」という思いが安心感につながる。
 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、
病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。その場合、ウツ病とか、
気の病とか言うのを患者は嫌う。一番、抵抗なく受け入れられるのが、
「自律神経失調症」。「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、
いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・ お医者さんが、
「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。
これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、患者さんが安心するから一応出して
おきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、
運動しかよくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって
みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続けるようにしておけば、必ず治る。
そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。≫
▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。
 それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは掛離れて当然のこと。 
命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。
命にかかわるなら、新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、
その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。とはいえ脳卒中やガンで倒れれば
医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 
 ・・・・・・・
3945, ファイナル・クラッシュ ー4
2012年01月13日(金)
      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」  
 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。
彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、それから発生する大津波=
ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用
利益を狙っている。その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られ
ファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。前ぶれ波の直撃で
惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。
 ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー
【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、
 金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、イギリス王室属領)や
イギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャー
となっていた。プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行
とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、預かり資産に対して無限責任
を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの
富裕層を顧客とし、その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド
(日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンといった
家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えの
ファンドマネジャーを囲っている。著者はそうしたファンドマネジャーとして、
「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。
資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は
必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。ファンドマネジャーは、
だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックス
ヘイブンであるガーンジー島に住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 
おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、
彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の
資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、顧問会計士、子弟教育
コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。
イギリスには、ファンドマネジャーを家族で引き継ぐ習慣もある。ちょうど、
執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。
私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャー
を繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に紹介するようなこともしていた。
私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム
「ヒューゴ」で通す。】
▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます
 豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで一部は破綻したが、
その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを
資産家は考えていればよい。それは実績と、それに裏付けられた信用である。
世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から吸い
上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。
・・・・・・・・
3580, 何故、民主党が駄目か!
2011年01月13日(木)
 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 
国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して突っ走っているのが
現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 
世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来している
中で内向きな福祉重視では、対応できない。元もと世界は長年かけ人種格差、
国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している
厳然たる事実がある。米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を
立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。そのことが長年の時間をかけ、
民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界
を覆い、様相が一変してきた。国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、
その結果、フラット化が始った。それが日本にも押し寄せてきている。明治来、
自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。
そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、
三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、平等を旨とした民主左派に
政権を与えた。それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。
これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も
不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。そこに社会主義的政策を
真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。国家という枠を超えたグローバル化は、
当然弱肉強食が激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治
であって、格差そのものは、止めようがない。小泉元首相は間違った政策をとった
のではなく当たり前の政策をとっただけ。 何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、
日本人が優遇されるのか?それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差が
つくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。公平と平等は違うのである。 
戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化
教育をされてきた。その両輪として加担したのが自民党と社会党である。
自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、
真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、
軍備力を徹底的に補強するしかない。原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件。 
現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として
生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 
とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・
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3205, 古町の衰退
2010年01月13日(水)
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
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2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ「天地人」で、若き直江兼継が修行した
「雲頓庵」が舞台になっている。雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か
隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。
特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
  以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 
六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在していた。
度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に
生意気な質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい
思い出。 京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。女性で何度か失敗して、
その世界では登りつめることが出来なかったと、両親から聞いたことがある。
まだ鮮明に憶えている対話とは、
(私) −禅とは一言で言うと何ですか?
(禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。 
  ー 示単  社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の
  夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。
(私) −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかない事がよくわかりました。
(禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 
  世間も理屈もあるものか!(厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。
 後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感。頭で物事を
 考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
  社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
  ー1968年 雲頓庵   9月10日
 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の
明治大学の1年の田村君と話す。3日まえにやはり勉強の為に来た男。夕食後
7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、
一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 
一は万物であるともいえる」「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なもの
である。全ては生き続けている。」デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の
働きでしかない。それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって
初めて知る事ができる。」「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれより、
間違いを知らしめる為である。」御前様と話していると自分の無知が露出される。 
明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日
 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 
9時から夜9時まで座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。
午後からは少し集中できる。感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事は
さっぱり解らない。ここの2週間近くは、充実したものだった。
明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。
 ▼ 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方。書き残すことは痕跡
を残すことである。  ーつづく


修羅場の極意 ー3

2015年01月12日(月)

              『修羅場の極意』
   * 私の修羅場解決法 〜正中心一点無
 そういえば、修羅場にたつたび、「正中心一点無」を呟いていた。
難題にぶつかると、その中心点に気持ちを集中して、無心に考える。
そのうちに自然と何が問題かが見えてくる。4年前も、そうだった。
事業が、限界に近づいてきた時、問題の本質は何だろう? 想定外のこの
売上減は何ゆえ? これは乗越えられる壁か? もう無理? 継続断念? 
を無心に考えて考えて考えるしかなかった。 事業だけでなく、人生にも、
いえること。 65歳の年齢の節目時には、心構えを「正中心一点無」を
呟き、図書館で本を探して、その読書感を書いていた。
10数十年前、随想日記に「正中心一点無」の小題で書いてあった。
≪  [110] 正中心一点無  〜2001年
 15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。
あまりに奇抜で面白かったので、その人の本を買い求めた。そこにこの
正中心一点無という言葉があった。少し考えれば、この意味は解るだろう。
問題解決の時などこの言葉を唱え考えると、時間と共に自然解決してくる。
それが難解であればあるほど、無心に考えると答えが自ずと出てくる。
今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵袋の呪いと言ってよい。 ≫
▼ 『修羅場の極意』の中にもあったが、難題に対し、その最悪の場合を
 想定し、その場合の対処を幾つか考えて、そこから逆算しながら、その
対策を冷静に考える。これは、人生の難問にも可能である。難問であるほど、
人には相談しないこと。書店と図書館を歩いていると、自然と本の方から
呼びとめてくる。こういうのを因縁という。「因が難問」で、「縁は呼び
とめてきた本」になる。修羅場から得た極意は、何ものにも換えがたいのは、
それが、その人の芯になるため。「まずは、修羅場は可能な限りさけること!
だが、起こってしまった修羅場は、全霊をもってあたるべし」である。
考えてみれば、この随想日記も、『正中心一点無』で、自然体?
で書いたもの。  〜これも偶然だが、以下の文章に続く!
・・・・・・
4686,エッセイ力は人生力
2014年01月12日(日)
          「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * 自分を表現できる仕合せと、自己開示
 三年前の節目から今まで、長いようで短かった。
ウツにならないために、ことの本質を見つめるために様々な本を読みながら、
自分の心を整え、それそのままを、ここで書いてきた。今回の節目時の核に
なったのは『自己をみつめる』で、26回にわたって書いてある。 
その合間に『節目どきに』と『ジャズについて』が入っている。
その後のテーマは、哲学とユング、そして精神力などを取り上げている。 
書くことで、セルフ・カウンセリングをしていたのである。現在も、同じ延長
上にある。思いを書き出すのは、心の傷から流れ出る血を凝縮する作用が働く。
今年早そうから「何だろう?この現象は」を書いたが、その過程で、気持ちが楽に
なると同時に、気づきが出てくる。文章は何度も推敲を重ねるうちに気づきで、
新たな考えが出る。受けた傷は残るが、与えた傷は気づかないか、直ぐ忘れる。
それが書き換えているうちに、気づいてくる。この文章を書くにあたって、
当時の文章を読み返しているが、苦しい中で書いたためか、魂が篭っている。
これは私の財産。若い時分も、書いておけば良かった。いや、書いていたが、
何を血迷ったか全て捨ててしまった。後悔あとに立たず、である。
 以下に当時の目次をコピーしたが、一つずつが心の記録である。  
2011年04月17日(日) 3674, 自己を見つめる−2                     
2011年04月16日(土)  3673, 自己を見つめる−1   
2011年04月15日(金)  3672, 節目どきに ー7           
2011年04月14日(木)  3671, 節目どきに ー6             
2011年04月13日(水)  3670, 節目どきに ー5           
2011年04月12日(火)  3669, 節目どきに ー4           
2011年04月11日(月)  3668, 節目どきに ー3           
2011年04月10日(日)  3667, 節目どきに ー2           
2011年04月09日(土)  3666, 節目どきに              
2011年04月08日(金)  3665, 関係性が問題             
2011年04月07日(木)  3664, 閑話小題               
2011年04月06日(水)  3663, 9・11、9・15、をしのぐ3・15−2   
2011年04月05日(火)  3662, 閑話小題               
2011年04月04日(月)  3661, 9・11、9・15、それをしのぐ3・11   
2011年04月03日(日)  3660,音信不通だった友人から連絡が!    
2011年04月02日(土)  3659, つれづれに              
2011年04月01日(金)  3658, 価値とは思い込み           
▼ エッセイは人生に力を与えてくれる。限りない色いろな想いが混乱した
 頭に浮かび上がる。一つ間違えると地獄の業火に焼き尽くされる。ひたすら、
時間と、時空を超えた誰かの魂の声を耳を澄ませて聞くしかない。思いもよらぬ
結果から、何故?と考えたのが『節目どきに』であり、それから『自己を見つめ』
を通し著者の進言を聞いていた。悲壮感は思いの他、少ない。
これは心のセフティネットである。それと、毎朝の独りの時間も。
・・・・・・・
4319, おれにつきあうのは、おれだって大変だよ!
2013年01月12日(土)
 谷川俊太郎のエッセイで、勝新太郎を書いている文章が気に入っている。
これを読むと肩の荷が半分はおりるようだ。挫折や、大きな決断をしなければ
ならない時、まず直面するのは自分の限界。それも、酷い自己嫌悪に陥った
自分もそうだが、平気で間違いをおかしてきた自分を振り返り「何だ、お前は!」
と振り返っている時の自分を見ている上から目線の視線が、つくづく俺って変だよ、
それも大変な奴だよと実感する。それでも、結構それを容認している自分もいる。
 ーその辺りよりー
≪ ・・勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。「おれっていう
 人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間
になったら、まずおれがつまらない。」 私はすっかり感心した。自分とつきあう
のが大変だなんて考えたことがなかったからだ。私は勝さんよりのんきな人間で、
自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに生きてこられたと思っていたけれど、
実はそれは自分で自分をごまかしていたにすぎないのではないか。 ほんとは
誰も自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、
他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分
と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていく
のも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。・・ 自分のこころだから分から
ない筈はないと思うのは誤り。 自分のこころはもしかすると他人のこころ
よりも分かりにくい。ましてこころの奥にあるというたましいなんてものは、
もっと分かりにくい。分からないまま日々私は生きている。我ながら大胆だ。≫
▼ この随想日記の12年分を目を通すのも、けっこう大変である。
 12年間の、魂を込めた?文章に見え隠れする自分と毎朝付き合うのも大きは
 エネルギーがいる。躁うつか分裂病を抱えている人は、まさに、自分を
 コントロール出来ない人。勝新太郎は薬中だったから、言葉に含みがある。
 事業準備の期間を含めて45年間、前を見つめて走って来たが、リタイアで
 過去を振り返る機会が圧倒的に増えている。そこで過去がフラッシュのように
 湧き出てくる。面白かったことも、自己嫌悪の大失敗もである。それでも長年
 かけて培ってきた趣味の世界があるので、大変なりに、日々を楽しむことが
 出来ている。死に直面した最期の自分と付き合うのが一番に大変だろう・・ !
・・・・・・・
3944, 岐路に立つ世界経済
2012年01月12日(木)
  * 今年は、一日一日何が起こるか分からない
11日のNHKのクローズアップ現代、連休明けには刺激的な内容である。
昨年から欧州の金融危機が続いているが、そのダイジェスト版と、世界経済恐慌
前夜の深刻さを伝えようとする内容。恐慌が起きる起きないでなく、何時起きるか
の瀬戸際。 ー まずは、NHKのHPの番組解説から ー 
           クローズアップ現代 「2012年 岐路に立つ世界経済」
≪ ヨーロッパの国々を脅かす国債危機「ソブリン・クライシス」。そして野火
 のように広がるアメリカのデモ「ウォール街を占拠せよ」。
 そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。
背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。時として制御を失い、
リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、国家を揺るがす事態を
引き起こすパワーを持つに至った。世界はいま、国家の財政危機と銀行などの
金融危機が同時に進行するただ中にある。経済危機が起きる度に“マネー”が
引き起こす新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。しかし、先進国
をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、失業が解消されず、不況が長引き、
社会保障制度まで大きく揺らいでいる。日本も、もはや“対岸の火事”ではない。
GDP国内総生産の2倍を超える財政赤字を抱える日本では、消費税増税の議論
が本格化する。世界は実体経済を凌駕し、国家をも左右する“マネー”がもたらす
困難を乗り越えることができるのか。2012年最初のクローズアップ現代は、
危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、いかに解決しなければ
ならないのかを探る。(総合テレビ:2012年1月11日 19:30〜73分拡大版)≫
▼ 欧州、米国の起きている金融恐慌の深刻さと、世界恐慌前夜の状況を映像と、
 識者の対談で構成した内容。翌日の朝も録画で再びみてみた。 
 ○ 日本国債への波及は、あと3〜5年。 ○ イタリア、フランスに
 国債危機が来ているが、 次はドイツになる。○ ECBの準備金は20兆円だが、
 必要な金額は100兆円。それはECの基本理念を根本から損なう金額。それを考えると?
 ○ 日本の国債金利が1%、いずれにしても上がっていく。消費税の値上げ
 ノリシロがあるのでまだ良いが、これが出来ないと、暴落の可能性も・・・ 
 ○ 2012年は経済的にみて、世界経済の歴史的分岐点になる・・等々である。
先日のNHKスペシャルで「東北被災者の12万人の失業問題」を取り上げていた。
NHKのメッセージは、アメリカと欧州の切迫した危機は、私たちの生活に深刻な
影響を及ぼす現実が迫っている。 最近知ったことだが、震災直後の3月15日に
関東地区の住民に避難命令を出すかどうか決断を官邸が迫られていたという。
それだけ危ない日々だった。それが決して好転したとは思われない。
・・・・・・・・
3579, 閑話小題 −2
2011年01月12日(水)
  * ある居酒屋で
 もう10数年、長岡で飲む魚料理の店がある。その店の三軒隣に夫婦でやって
いる焼き鳥と小料理の店がある。夏は戸を開けているので店頭から中がよく見え、
一度は入ってみたいと思っていた。ところが先日、前を通ったら貸店舗の看板が
出ていたので、女店主に聞くと、「去年暮れに夫婦揃って覚醒剤常用で逮捕され、
店は閉鎖。自分の店にも刑事が聞き込みに来た」という。 飲食店の店主が薬中で
つぶれた話しは聞いたことが無い。長岡駅の専門店街でトラブルを起こし、
駆けつけた警官が様子が変なので調べたら、覚醒剤の服用が発覚したとの話。
  * どうでもよいことだが
 何処かの?誰か。 三日間乗り放題1万2千円で、東京に毎日、通うという。 
行き先をネットで下調べをして、10時に東京に着くように乗車、帰りは18時
の新幹線に乗る。 それでも数ヶ月に一度なら、安い遊びか。去年の暮れは二日
通ったが、今回は三日に挑戦というから凄い。その人の友達は、その乗り放題の
切符で、東京の子供の家に行った帰り、急に思い立ち草津に行って温泉に浸かり
帰ってきたとか。独り遊びは自由の天使の羽がつく。
  * 花の平成元年組
 今年大学を卒業するプロ(22歳)は、久々の当たり年のようだ。
高卒の4年目もプロ野球などで大活躍をしている。そういえば早稲田大学
の三人の投手が揃ってプロ野球で一巡で指名された。また全日本学生野球選手権
で優勝をした。全日本ラグビー選手権は決勝で破れて準優勝に終わったが、
全日本駅伝では総合優勝をした。「花の平成元年組」とでも命名されるのだろう。 
大相撲でも花の三八トリオといわれた当たり年があって、同期が何人か横綱に
なった。高校も10年に一度位、当たり年があって、東大など一流校に多く合格する。
 考えてみたら人生でも当たり年があるか。
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3204, 善は悪より生まれた!
 2010年01月12日(火)
「善は、悪より生まれた」の言葉が、妙に頭に残った。「悪は、善より生まれた」
なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、
それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、一つの規範が必要。 
例えば、国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内への警察という
暴力装置、そして、外に対して軍隊である。それを統治する象徴として日本なら
天皇、欧米なら大統領である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を
内側からコントロールする教え。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に
有効に働いた。それらの規範を守ることを善というなら、それに反するのを悪という。 
ということは、それができる前は、その規範をもって振り返ると悪がまかり通って
いたことになるから、「善は悪より生まれた」ということになる。しかし、それも変。
キリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という
疑問が生じる。 女性の哲学者 シモーヌ・ヴェイユは 『善は、悪からは生じない。
ところが悪はある意味で善によって生じる。悪は神とわれわれの間にある。
愛は、そのうえを通過せねばならない。』彼女は悪を二元論的に見ないで神様と
自分との間を裂くものとみた。神様の愛の力を説き、愛が悪を征する力であると。
これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。悪党ほど、善の価値を知っている
のだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉え
かたもある。親鸞の、悪人が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方
に近くなる。キリストは、ユダヤ教の弱者(女子供、奴隷)の立場からみた
善を説いた。 善悪も立場で変わるから、ややこしい。 省みて、己の悪に
気づいて改心する善ということか。どうも、これは答えのない永遠の問い。
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2839, 不況の景色 −7
2009年01月12日(月)
  *タクシー業界の不況
 一昨日の毎日新聞・社会面のトップで新潟市のタクシー業界の不況を
取り上げていた。市内の老舗二社が倒産、運転手の再就職がままならないと・・
適正の台数が1000台のところに、1700台の過剰台数。二社で280人が
失業、最後は月に12万円の手取りだったという。全国的でも新潟、長岡の
タクシー業界は厳しい状況。昨年の最終金曜日の0時過ぎの2980円の
割引に、百十数人が宿泊をした。夜半の0時過ぎにホテルの前まで行列をなして
いたというから、知らない人が見たら驚くだろう。それだけ、お客はシビア。 
それでは、前年に比べてプラスになっているか?といえば、前年割れである。
いかに宿泊客が少なく、シビアに商品選定をしているか、これからも見てとれる。
ホテルは装置産業の典型である。一度設備投資をすれば、30年は潰せない。
一口に30年というが、その間は世界は激変を重ねている。だから面白い。
  *景気の山は07年10月
内閣府が、この景気の山が07年10月と発表した。同11月から景気後退の
局面に入ったと認定する方針だという。
(以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 
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2008年01月12日(土)
2474, 年頭の新聞の記事の総評 −1  
 今年の年始の新聞を一通り目を通したが、楽観的の記事はホボ皆無。
その中で、産経新聞に面白い記事が多かったようだ。正論というコーナーの
佐伯啓思京大教授の「ニヒリズムに突き進む日本」という記事が面白い。
(サロンのコーナーにコピー)ここでのニヒリズムという意味は、今まで自明と
思われてきた諸価値の崩壊であり、これまでの本質を判断する基準が失われて
しまうということである。一部勝ち組を除いて、他が負け組なら、大勢が
ニヒリズムになるのは当然だろう。産経の30人の論説委員が、一言ずつ
書き留めた「平成20年に思う」もなかなか鋭いコメントに満ちていた。
総じて、日本も含めて悲観論が大勢だった。これは仕方がないこと。
・中国のオリンピック  ・アメリカの大統領選挙
・アメリカのサブプライム問題の行方と、それによる原油高が及ぼす
世界経済の行方とアメリカの経済の減速のもたらす影響が、今年のグローバル化
社会の大問題になる。日本もサミットの議長国として、どのように対処するかが
問われ、またこの流れからすると民主党が政権をとる可能性もある。
また、特に日米の大問題になっている、格差の問題もある。それでも、
アメリカが主導して世界は比較的落着いていたが、今年からは、そのタガが
外れ中国やロシアが世界の表舞台に出てくる年である。それに対して、
評論家もどうなるのか評論できないのが、今年の記事の特徴である。
その背後には、やはり情報化の進展がある。特に情報のオープンソース化が
世の中を根こそぎ変え始めている。そこに「情報の格差社会」が怒涛のように
起きているのだ。権力者も下手に、その力を乱用できなくなってきている
+−がでている。今年は本格的な大乱の初年度である。∀`)ノ゜バイバイ!
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2007年01月12日(金)
2110, クローズアップ現代「東大・論文ねつ造疑惑」  
一昨夜の19時半のNHKの「クローズアップ現代」には驚いてしまった。
 その内容とは「揺らぐ科学の信頼」〜東大・論文ねつ造疑惑〜
 ー概要はNHKのHPによるー
東京大学大学院の研究グループが発表した遺伝子をめぐる論文のねつ造疑惑で、
大学は去年の暮れ、論文の責任者の教授と実験を担当した助手を懲戒解雇にした。
1年9か月に及ぶ調査の結果、論文は信ぴょう性を欠いており社会の信頼を
著しく損なったと断定。東京大学を揺るがした疑惑は一応の決着を見た。
しかし科学論文の危うさを印象づけた今回の疑惑。論文は、どこに問題があったか。
疑惑を生む背景は何なのか、依然、明らかになっていない。そこには、最先端
科学の研究が抱えている共通の課題が見え隠れする。
  (以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 

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