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堀井On-Line
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2015年01月17日(土)
* つれづれに ☆ 一昨日の新潟駅周辺で、後ろから連れのオバサンの話が聞こえてきた。 その話題の内容とは、「年金は、とにかく前倒しに貰った方が良いみたい。 ところで〇〇さんの主人、定年で一日中、家にゴロゴロしていて、何処にも 出かけないというけど、小遣いを一万しか与えてないのなら、出かけようが ないわよね・・プライドが高いので、財布が空なら人とも会えないしね〜」 と、何か深刻の内容。そして物価値上がりの愚痴が続いていった。 ☆ 地元のカラオケスナックでは、60歳位のチイママのところに電話が何度も 入って真剣な顔。聞くと、「アパート持っているが、その住人が気分が悪くなり 救急車を呼んだが、親戚が分からないので、大家の私に連絡があった。 本人は生活保護を受けていて・・ でも、どうしようもないしね」とか。 何か、切ない話ばかり。 ☆ 最近、人に会うたびに、顔色がツヤツヤしているといわれる。自分でも鏡を みると、そう思うが・・ スポーツジムの効果があるのだろう。朝、4時起床 からのスケジュールを真面目にこなしているので、当然だが・・ ☆ どうも冬期間(12〜3月)は、チャリが雪道のため乗れない。 早朝のポタリングはストレス解消というより、エネルギーの充電になる。 それでも週3〜4回のスポーツジムでのエアロヨガがあるからまだ良いが。 ☆ 人から聞いた夫妻の話が凄い。「旦那の職場からも、一人娘と親も含め、 夫婦して年賀葉書が一通こない」という。ただ、それだけの話だが・・ 夫婦自閉症ということ? 老いる度に、最後は、誰もが津軽海峡冬景色? ・・・・・・ 4691, 苦しみは、深いレベルの「神秘」 2014年01月17日(金) 『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 * 現実を「問題」と「神秘」の二つの次元に分けるがよい ー苦しみは、深いレベルの「神秘」である解決できる「問題」ではないー ガブリエル・マルセルの言葉が良い。「神秘の典型的な愛、自由、人間、自然、 出会い、存在、誕生、生、死、悪」などが解決しようとするから苦悩が生まれる。 人生は、成るほど神秘的のはずである。「生きるとは、問題解決の連続と思って きたが、解決できない苦悩の中で、七転八倒すること」なら、次つぎ襲ってくる 苦悩も素直に向き合える。 ーその辺りを抜粋ー 《 苦しみに、簡単な解答はあり得ません。その理由は、苦しみという現象が、 「問題」ではな「神秘」の次元に属しているからです。ですから、私たちが 苦しみを体験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような 不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。私の恩師、ガプリエル ・マルセルは二十世紀のソクラテスとも言われた偉大な仏の哲学者でしたが、 彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。 「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。 しかし世の中にはコントロールすることも、把握することもできない、深い領域 が存在しています。それが神秘です。神秘の次元のものを、神の次元のように 客体化しようとすれば、大きな過ちを犯すことになります。たとえば、医者が 患者をみて病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する。これは病気を 問題として解決しようとしているわけです。 一方、治る見込みのない患者に 対しては、多くの医者は「もう手の施しようがない」と匙を投げます。 これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえているから、 何もできないという答えになってしまうのです。けれど、たとえ病気を治すと いう解決ができなくても、残された時間を有意義に過ごす手助けをすることで 患者の苦しみを和らげることもできます。それが「神秘」の次元で考えるという ことなのです。典型的な神秘の次元に属するものとしては、愛、自由、人間、 自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。 今の教育は、 ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、あらゆる神秘を単なる問題 解決の次元で片づけようとする傾向がありますが、そこに現代社会の大きな 欠陥が隠されているように思えてなりません。 マルセルは、神秘に属する ときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。人為を超えた 神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き会う のが望ましい姿勢と言えましょう。どうしようもない苦しみにさらされた ときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、 新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。古代キリスト教の教父 と言われるアウレリウス.アウグスティヌスは、十九歳のとき親友を突然病気 で亡くしました。彼は、そのときの苦しみを回顧録で、こう綴っています。 「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」 ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。同じ十九歳なのに、 親友は死に、自分は生きている。それまで当然だと思っていた親友との日々の 生活が、実は当たり前のことではなかった― この苦しい体験が、彼にとって、 人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。アウグスティヌスが、 西欧の歴史上、最も優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に 真剣に取り組んだから・・・》 ▼【人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」 を持って向き含うのが望ましい姿勢】が良い。色いろ、七転八倒してみて、 「何だ私は、この程度の人間なんだ」と限界を割り切ることが、諦めであり、 悟りになる。この節目時に、腹の底から笑った後に、ドッと肩の荷が下りた。 そのフワフワ感が何とも良い。神秘的だが面白い人生ですか〜 ・・・・・ 4324, 財政恐慌 −2 2013年01月17日(木) ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー 『財政恐慌』浜矩子著 ≪ ー 今回の質問の内容 − ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか ● なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか ◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」 □ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期 が終わり、ニクソン・ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、 失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を 味わい、格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、 時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。 ◎ 我々はどこに行きたいのか □ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金 問題や通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。 そのような安らぎの天地を求めている ◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか □ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。 だが成長神話は古い。それに、この間を通じて日本経済はそれなりに成長 してきた。ところが、それによって人々が安心することができるように なっているわけでない。今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。 大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。 そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫ ▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた 金が不動産投資などバブルを引き起こした。そして5年後のバブル崩壊。 その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。 その結果の膨大の借金。偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは 決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。 ・・・・・・ 3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1 2012年01月17日(火) * ユーロとドル安が続いているが、 欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きて ないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。地震(リーマン・ショック) より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。ニュースで近じか 仏大統領が大きな決断を下すという。ドルは50円、ユーロは60円、株価は 6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。日銀の白川総裁が、 「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力 が弱っているため大打撃になる。 分かっていたことだが。 問題は、三月あたり・・・ 「日本の論点 2012」ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」 が、この辺を分かりやすく書いている。 《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。 直接的な要因として挙げられるのが、米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和 政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三千億ドルに およぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。 これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。成果については賛否 両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落 すると考えるのがふつうだろう。しかし、円が高い理由はそれだけではない。 日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに 「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはず であり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。 つまり、為替 レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえ 二〇〇〇年から今日までの十一年間で、米国の消費者物価指数は約三〇%上昇。 いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レート の水準は一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レート によって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。 とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。 つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、デフレの国の通賀は高く なりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高く なるのは、必然であるといえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。 海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を 下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の 制限といった国内産業の合理化を促す。さらにそれは生活基盤を失わせる 雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます 円高が進行する。こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの 円高対策も実効性は薄い。》 ▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、 スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが日本の三倍近いのに驚いた ことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。 それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。 ・・・・・・・ 3584,閑話小題 2011年01月17日(月) * 日めくりの格言 「仕事に雑用はない!」 そうか! そうだ! これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。 * セレンディピティとは − ウィキペディアによると、 <セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは 別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見した という「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、 ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡 『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。> ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。 それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが? * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。 まったく理解できないが、感覚的には面白い。 ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、 【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」 「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」「やっふぃ」「もいきー」 「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20が あるとか。それぞれの言葉の意味や出所だが、 ・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。 『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 ・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」 ・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。 病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」 ・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。 ・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団 『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ歌い踊る中で 使用される掛け声」などである。… ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら 良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の 別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。 ・・・・・・・・ 3209, 年金支払い総額 1400万 2010年01月17日(日) 「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。(以前の年金通知の中にもあった かもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動 などからみて3倍が妥当。実質の支払額は 1400×3=4200万は 積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。 21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、これを過去に食い散ら してなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段? をしていたのである。その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる 時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。未来のために 積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、 国家のダウンサイジングが現実のものになるとは思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。こういう事態 をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。 いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。 ・・・・・・・・ 2844, 「ほめる」言葉 −1 2009年01月17日(土) 《精神対話士》の「ほめる」言葉 ーメンタルケア協会偏 読書日記 図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書 と思ったが、《精神対話士》の、という部分が気になり借りてきた。ところが、 なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が並んでいる本。 基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。この本を編集 した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーする。 < 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウ するための根幹となる「生きがい」を見失いがちになることに着目。それらの 人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため 精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。この本は、精神対話士の効用の 一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。「温かいひと言」を相手に投げかける ことで、親密な人間関係を築けることを教えている。> 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。 こういう場合、アマゾンは有り難い!私が人を褒めると、知人や同級生に 驚かれることが何度かあった。「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて 殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。「営業用の褒め言葉」を 聞きなれているため?言えないのである。全て知った上で「嫌味」を言うより、 営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。 (字数制限のためカット 2012年1月17日) ・・・・・ 2008年01月17日(木) 2479, 新潟県の物流の現状は (。´_`)ノおはぁ。 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞・新潟県内版のインタビュー で語った「新潟県の物流の現状」が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、 そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。 ーまずは箇条書きにまとめてみるー ・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。 ・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、 原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。 ・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、 今は通常の月と変わらない。 ・中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は 上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、12月に入ってから目に見えて 落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。年末年始もこの流れがつづく。 ・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界 の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、一方中小値上げは出来ない。 うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。 ・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、 仕事は殆ど取れない。中国の仕事を入り口で取る体制を整える。 日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。 ▼ 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。 ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。 (当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、 その4年前の6割に貨物量が減ったという。中越沖地震から県内の動きは更に 10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界 だけでなく、県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが 見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。しかし、 事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。 何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。 ⌒ー⌒@)ノ マタ!
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2015年01月16日(金)
『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 時代という背景 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。 著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。 癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜 ≪ 「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編) という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。 「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、 第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。 取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。 坐 岡田虎二郎と岡田式静坐法 霊 大本と鎮魂帰神 心 森田療法の心と癒し 食 マイクロビデオテックの世界観 気 野口晴哉と「全生」思想 ・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。 ・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、 ・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。 ・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。 ・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一 が発展させた、狭義には食事療法だ。 ・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。 ・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。 ・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。 ・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも 一定の 成功をおさめている。 ≫ ▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、 多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに 人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった 経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。 ・・・・・・ 4690, 身近な貧困 ー4 2014年01月16日(木) * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」 ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと 同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。 あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を 絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という 逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。 まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。 ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。 ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐 マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に 使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。 そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。 チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な 面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処 が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、 充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」 さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、 秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、 『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。 ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。 帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、 そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな 肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。 これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、 聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。 一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。 決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、 以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。 ・・・・・・ 4323, 財政恐慌 −1 2013年01月16日(水) 『財政恐慌』浜矩子著 ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。 現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮び上がらせている。 * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう ー まずは、「人生の不確実性」について ー ≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。 その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家である。 交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物。 彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に 異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー「ミスタービーン」として、 彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。 だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄 の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。 ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、 ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも 今日の日本を語っているがごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来 最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。 なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、 「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、憤懣が溜まり、あらゆる試練 に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が 消える時、準備万端整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに 決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」ここから、 その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。 ーそれらを、この紙面上に再現してみようー ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか ● なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 どうすればわかるのか ● 我々は地図を持っているのか ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか ● 我々はここで立ち止まりたいのか ● それとも我々は元に戻って 最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫ ▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。人生の8〜9合目 に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、 立ち止まっていて良いのか、などを考えるに良い質問群になる。最初から 出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。 両親の生き様を見て、ある程度は、解っていたが・・ 次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。 ・・・・・・ 3948, 未婚時代の婚活 2012年01月16日(月) * 普通の男性は1パーセントしかいない! 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが 分析をしていた。それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業 にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。伴侶を決めるのは、女性も 男性も、一生の一大事。そうそう満足できる相手には巡りあえることはない。 そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。 この歳になっても、今だ・・ 著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚 できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、 「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 「いい男は、なぜか皆んな早婚」「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォー で独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」 確かに、現象面 から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしか いないことになる。普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。 :普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感: 普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。 「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすとすると、 :会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。 それぞれを高望みをしなくとも、全てを満たす人は100人に一人になる。 そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも 取り上げているが、グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚 か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が一目でわかるもの。 ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。 200〜400万の6割が未婚。200万以下は7割以上が独身だった。 「いい男が早婚」なのは、年収だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。 女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。 一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性にはモテるわけでないが、 それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢 を収めてしまう。また女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢 を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに目立たない うちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。 ーつづく ・・・・・ 3583, アート画像転換システム 2011年01月16日(日) カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の 広告記事をたて続けに出している。そこで会員登録をし、HPのソフトを使って 驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換。 それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に 転換できる。それがプロが書き換えたと思えるほどの出来栄えで、ここまで 来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。 この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。 それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。デジカメで撮った過去の写真 を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。まだ、その機能が 入ったデジカメを手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、 これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。そこには美人、線画、版画、 漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。 私にとって、 これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードや アルバムに眠っている。この中で、気に入ったものを画像転換すれば、 私にとって素晴らしいアートが出来上がる。おそらく、セザンヌ、ゴッホ、 ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。それだけでない、 彼らの絵画を自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った 作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。 実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、 何とも味がある。カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、 それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、装飾品に印刷、 販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな 風に転換してしまうのか!」の、驚きの連続である。 iPadの次世代機種に カメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。 観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描き ソフトで書き加えることが可能になる。いや、書き加える必要もないほど 最良に近いソフトが、それを許さないか? これは、凄いソフトである。 ・・・・・・・ 3208, Twitter の意味すること! ー3 2010年01月16日(土) * Twitpic Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。 直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然の ようにあったのである。そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の 桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。 「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、数言の英語なら状況 から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分から なくても 写真なら世界中の人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。 それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、 普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、黒人の男のヌードもあった。 構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。写真もビデオ も、パソコンでもモバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。 ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。TVのニュースでも、 かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。情報化の事例の一つである。 数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。これも手軽に何処から でもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値が ついているという。 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’ をつけると、それがネットでグループ化される。「藤の花」を知らせたい場合、 ‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。 *長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる等々、 幾らでも発進できる。全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」 とか、直ぐの反応があるはず。初めキーワードをコンピューターが選定すると 思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の 「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、 この銀行の怒りを持った者同士が、怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。更に情報を送り たい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。 これが携帯で飛び交うから驚くのである。ブログがマイクロ化し、互いに キーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。 若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、無限に開くばかりになる。 ・・・・・・・・ 2843, 雲屯庵 −3 2009年01月16日(金) 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。外見は茫洋としているが、この男がなかなか の博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の 養子になったか?、名前だけ継いだのか?この人が語った「異世界」の話しが 面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。 《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の 感覚で、朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一〜二年も しないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。別に、必死に働いた のではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、 激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、 周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのよう。 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。 その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと「何?の方の世界」はシステム (風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚 のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。そういえば 「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と能力が 十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。 この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると「直ぐに手をつける?」等々、 なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。更には、預金通帳には ?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、 この位にしておくが、40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して 変わらない。名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの 存在なのだろう。 ・・・・・・ 2005年 ー1月14日記ー (字数の関係でカット12年01月16日)
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2015年01月15日(木)
* 古稀ですか ー2 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ 気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、 同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。 当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな 文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆? どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が 亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、 母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が 面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折? の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、 己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、 「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・ この程度としても、恵まれていたし、面白かった! 現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。 それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、 面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? ・・・・・・ 1月15日 1969年 今日は学生時代最後の誕生日だ。 毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。 このよう見るのは最後だろう。 内容と評価を、メモをしながらみた。 ・北海道代表の武田(女)さんの主張 あまりハッキリした意志が感じられないー65点 ・東北代表の清水さん 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から 自分を見つめられる人間になりたい −70点 ・四国代表の中西さん(女)ー実習教官 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点 ・東海代表の須田さん(女) 女である自分の農業の立場 75点 ・東京代表の守屋さん 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方 若さの代名詞は可能性 75点 ・沖縄代表の宮城さん(女) 沖縄県民の心情ー85点 ・近畿 林さん 精薄施設の女指導員 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点 ・関東代表の関谷さん 自分1人で生きていく心構え 70点 ・九州 河嶋(女) 生活の為働かなくてはならない姉妹について 老人対策など 90点 ・中国代表の吉原さん 非行少年の観察員の主張 心が病んでいる少年達ー80点
以上が私のつけた評価の点数である。 現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと 広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。 可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。 流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。 そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。 そこで自己建設をしていくことになる。 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。 何故、そんなことをしなくてはならないか? 人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。 それが義務といってよいからだ。 その立場によって、それぞれが違って当然である。 私は今、そのスタートラインに立っている。 誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。 ・・・・・・ 4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜 2014年01月15日(水) * 68歳に、つれづれに〜 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、 同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、 それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。 日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居 になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、 情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、 もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。 他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、 この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている 自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、 自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、 「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう? そのイメージで書くと・・ 〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。 今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。 そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した ・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」 であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、 この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話 になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった! ・・・・・・ 4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き 2013年01月15日(火) * ネットカフェ難民から、マック難民へ * 住宅ローンの破綻と立ち退き * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略) * 67歳か〜 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。 最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。 父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、 自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。 これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、 欧米と日本の経済惨状。世の中変わった! ・・・・・ 3947, つれづれに ー66歳か 2012年01月15日(日) * 66歳の誕生日に 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の 大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡 を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、 去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの 風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。 10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打 で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを 大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは 欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。 66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。 仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に 思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、 若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、 考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを 見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在 しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・ もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の 経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き 連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない! ・・・・・・・ 3582, 65歳か〜! 2011年01月15日(土) 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。 二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。 60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年 を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代 に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。 リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも 深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、 見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、 還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で 一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。 とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。 父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」 として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。 特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」 この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」 それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。 ・・・・・・ 3207, 64歳か〜! 2010年01月15日(金) 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。 現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。 毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。 それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の 蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。 この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業 直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。 20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を 御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの 入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。 これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には 65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が 集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。 ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。 加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。 そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。 現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 充分、狂ってきたが?! ・・・・・・・ 2842, つれづれなるままに -63歳か〜 2009年01月15日(木) * 63歳の誕生日か〜 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。 「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、 姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、 人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を 見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。 (以下、字数制限のためカット2011年1月15日) ・・・・・・・・・・ 2008年01月15日(火) 2477, 62歳の誕生日に YΘ!!。 _゜ヽ(*´∀`)ノ 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと 自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。5年続けて、自分の誕生日の 実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も。 (後記してある) こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて 自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? いまさら誕生日もないが・・ 所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えて することはない!というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝う ことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に 過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、擬似体験をしているような 気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。 私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。熟年は過去を抱え ながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄 になるのかを自問自答しながら自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢 の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく 開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、 砂?塵?原子?でしかないが。その時々に、その時々の気持ちを書き残した 痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになる。 要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、 れが如何もしようがしまいが、良いのである。人生は生きていくだけで大事業。 どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を 誤ってしまう。今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い? 歳月、人を待たず! か〜。 ただ、一日一日は充実をしている。 ーーーーーーー 2007年01月15日(月) 2113, あ〜もう、誕生日か〜 61歳ですか 例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、 前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、これを書き出した次第である。 それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。 他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い? 読み返すと、それがよく解る。61歳?自分が自分でないような、認めたくない というより信じられないのが実感だ。この歳には、もっと老成していると思い きや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。それに加え、 脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネット サーフィンの効果もある。それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わった。 情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が変わったこともあるが、人生の競馬 でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。 元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。 人間の見方を例にとると、人間の品性をまず見るようになった。「国家の品格」 という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、ますます 見えるようになったきた。そこで自分は品位はどうだろうか?不安になってきた。 いつも家内に『品が無い!』と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく 品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。 じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 明日にでも、「品位について」を書くが、ある物指しからみて、何と信じら れないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、 「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。 それも明日書くとして・・ 結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、 感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!「で、どうした!」 「61!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 このあたりに話が収まる。 ・・・・・・・・ 2006年01月15日(日) 1748, あ~あ60歳! オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆ 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ 60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、 感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。 昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。 (略)
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2015年01月14日(水)
* 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。 よくぞ無事?に到達したもの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が 70歳前半までに亡くなる。それでも生きているの人は、刃物が入っている人? 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。 仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは! 気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」 (酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。 (しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。 還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲 ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」 との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、 あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。 9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」 という思いは意外と少ない。 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした 『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49) 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50) 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51) ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や (52) 夢幻や 南無三宝(53) くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54) 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55) 現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、 うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、 『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん! ・・・・・・ 4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末! 2014年01月14日(火) * 奇跡的逆転勝ち 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で 追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー 【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝 を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一 は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ 一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって 富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。 延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘 に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一 は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま 勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。 ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝 として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で 同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会 の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。 この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。 下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。 あのような場面では、何かが乗り移るのだろう! ・・・・・・ 4321, 病気の9割は薬なしで治る ー2 2013年01月14日(月) * 医者のマジック 「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著) この本の題名からして「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」という ことになる。医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。 この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、まだまだ、好き放題。 ー目に付いた箇所を抜粋してみるー ・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一を考えてるため) 8割方が大丈夫とみてよい。 ・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、 短めに告げた方が無難のため。 ・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応 しすぎになる。 過剰反応する患者に薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。 ・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しの ノボセや目まいの症状は、歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、 TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。そして、薬を貰って 安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年 の永遠の課題。まして歳をとれば大方の人が経験する。タミフルという風邪薬の 服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、インフルエンザでの異常行動は 以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪。 ・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の 働きが悪くなっているだけ。ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、 頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。 ・「薬と毒はコインの裏表」すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。 特に、うつ病や、ガン治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越える のが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。 ・生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。 決して薬だけでは治らない。 ▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品 の特許が切れた後に、別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。 最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。 「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。 ドラッグストアで薬を買うのも同じ。 ・・・・・・ 3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3 2012年01月14日(土) * 陸と海のたたかい 「終わりなき危機」 水野和夫著 「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。 これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」 の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20 世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、 「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、 米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。 そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。 膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、 「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、 リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、 第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊 の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、 「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、 日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま 一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。 その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。 その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、 その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。 その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。 それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って 攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。 ・・・・・・・・ 3581, 閑話小題 2011年01月14日(金) * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない! 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解 しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。 恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは? 10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える 力が以前に比べ少しついた。毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返して いると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。 そこで、その範囲でしか 理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を 深めておかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶 することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに 唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに 見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが 普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。 知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で 消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、 無ければ、情報のまま消え去ってしまう。 * 辺野古の移設先は「原子力空母」 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案 を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、 沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島 に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は 広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。 今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、 中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される! ・・・・・・・・ 3206, 閑話小題 2010年01月14日(木) * ツイッター、その後 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。 ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、 ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え 文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。 キーワードはネット上で選んでくれる。 私のブログのテーマは、殆ど 「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、 その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付け 可能だが、分類の仕分けは出来ない。世界のツブヤキが地域を越えて行き交う とは面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行している というが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。 どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。 自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。 連動するので親子ブログのようになる。。 * 日本航空の破綻 (字数の関係でカット2012年1月14日) ・・・・・・・・ 2841, 雲頓庵 −2 2009年01月14日(水) とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。 勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子? に収まり、副住職になっていた。この坊主が面白い人物だった。 次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・ ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー 夜十時、本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。 我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。 誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も 手伝い恐怖のどん底に落とされました。人生で二回の超恐怖体験の一つ。 大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。 雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、 恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だった。 逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。 再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と “モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、 途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは 初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。その時騒ぎを聞きつけた 老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺した。 その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男 が四人逃げまわっているのに、九十近くの禅師が何のためらいもなく一撃! 私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力に ショック。結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。 禅師の一面をみた事件でした。 −− 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すこと。 写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、 それが網のようになり、多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば 4年も40年も同じである。 ・・・・・・・・・・・ −1968年8月31日日記帳より 今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が 求めていたもののヒントを与えそうだ。ここに慶応大学を卒業して弁護士の 試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。 面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。 これから当初の目標の計画立てだ。 ー9月1日 朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。 朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺 の後見人という人と話す。午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと 「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。集中力が足りないのがいらだつ。 明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。 誰も見ていないので自分との闘いだ。 ー9月2日 六日町 雲頓庵 朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」 を後半100頁を読み終える。そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。 二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。 中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって 座禅をくむが、何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。 一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたい。皆を呼びにいく。全員でそれを 追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして次の日にする。 ー1968年9月3日 目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、 顔をあらっていると、住職が昨日の動物を退治しようと棒を持ってやってくる。 そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチ でなくモモンガであった。顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。 昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い! かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、 不安が押し寄せる。 相変わらず、読書のペースが遅い。 ーー 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。 書いてあるからである。 ・・・・・・・・ 008年01月14日(月) 2476, 閑話小題 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] *大相撲初日の感想! 大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。 それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、 大きく取り扱われているタイミングもあり異様な感じが漂っていた。 幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、有望なのは 旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、 一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、 二人もいた。そのうち、半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の 厚みが、全体のレベルにつながってくる。 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)
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2015年01月13日(火)
『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。 成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。 瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。 ーその辺りから抜粋ー 〜P90 ≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。 「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。 たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、 次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは 常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。 暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」ことなど あり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」の 輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。 「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。 なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、 その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命 の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、 相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。 植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、 それこそ知性によってとらえられるものだろうと。 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、 そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。 が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、 「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい ことを感じるようになってきた。・・ ≫ ▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、 自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。 地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。 その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき 宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。 ・・・・・・ 4687, エッセイ力は人生力 ー2 2014年01月13日(月) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * エッセイを書く目的と、日記との違い ーまずは、その辺りの抜粋より 《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、 おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは 十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように 書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心 の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。 きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識 されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身 がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、 書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように 客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分 以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、 もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、 ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも (つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。 それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」 しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。 だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容 こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」 に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。 人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、 そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的 であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。 ・・・・・ 4320, 病気の9割は薬なしで治る 2013年01月13日(日) 「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著) 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、 現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、それでも日本の医療制度は世界 で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いて くれた内容。大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師 の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。 ー内容説明(アマゾン)ー 「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」 「薬は10種類知っていれば何とかなる?」「みんな最後の医者にはなりたくない」 「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・浜松医大名誉教授が名誉を 捨てて?、患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫ ーまずは概要ー ≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。 日本全国 約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。今や医者から みたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」 というと、何年後かに病気になったときに、ああ言われたから、安心していた のにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。 「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは 医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、何ともないと不安になり、 「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良い のは「更年期障害」です。これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる 病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。 これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、「不摂生のためでなく、 本人の責任でない」という思いが安心感につながる。 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、 病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。その場合、ウツ病とか、 気の病とか言うのを患者は嫌う。一番、抵抗なく受け入れられるのが、 「自律神経失調症」。「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、 いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・ お医者さんが、 「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。 これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、患者さんが安心するから一応出して おきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、 運動しかよくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続けるようにしておけば、必ず治る。 そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。≫ ▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。 それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは掛離れて当然のこと。 命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。 命にかかわるなら、新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、 その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。とはいえ脳卒中やガンで倒れれば 医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 ・・・・・・・ 3945, ファイナル・クラッシュ ー4 2012年01月13日(金) 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。 彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、それから発生する大津波= ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用 利益を狙っている。その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られ ファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。前ぶれ波の直撃で 惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。 ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー 【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、 金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、イギリス王室属領)や イギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャー となっていた。プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行 とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、預かり資産に対して無限責任 を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの 富裕層を顧客とし、その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド (日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンといった 家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えの ファンドマネジャーを囲っている。著者はそうしたファンドマネジャーとして、 「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。 資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は 必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。ファンドマネジャーは、 だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックス ヘイブンであるガーンジー島に住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、 彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の 資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、顧問会計士、子弟教育 コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。 イギリスには、ファンドマネジャーを家族で引き継ぐ習慣もある。ちょうど、 執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。 私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャー を繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に紹介するようなこともしていた。 私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム 「ヒューゴ」で通す。】 ▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます 豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで一部は破綻したが、 その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを 資産家は考えていればよい。それは実績と、それに裏付けられた信用である。 世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から吸い 上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。 ・・・・・・・・ 3580, 何故、民主党が駄目か! 2011年01月13日(木) 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して突っ走っているのが 現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来している 中で内向きな福祉重視では、対応できない。元もと世界は長年かけ人種格差、 国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している 厳然たる事実がある。米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を 立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。そのことが長年の時間をかけ、 民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界 を覆い、様相が一変してきた。国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、 その結果、フラット化が始った。それが日本にも押し寄せてきている。明治来、 自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。 そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、 三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、平等を旨とした民主左派に 政権を与えた。それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。 これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も 不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。そこに社会主義的政策を 真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。国家という枠を超えたグローバル化は、 当然弱肉強食が激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治 であって、格差そのものは、止めようがない。小泉元首相は間違った政策をとった のではなく当たり前の政策をとっただけ。 何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、 日本人が優遇されるのか?それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差が つくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。公平と平等は違うのである。 戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化 教育をされてきた。その両輪として加担したのが自民党と社会党である。 自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、 真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、 軍備力を徹底的に補強するしかない。原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件。 現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として 生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・ ・・・・・・・・ 3205, 古町の衰退 2010年01月13日(水) (字数制限のためカット、2012・01月13日) ・・・・・・・・ 2009年01月13日(火) NHKの日曜日大河ドラマ「天地人」で、若き直江兼継が修行した 「雲頓庵」が舞台になっている。雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か 隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。 特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。 以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。 ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー? 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在していた。 度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に 生意気な質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい 思い出。 京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。女性で何度か失敗して、 その世界では登りつめることが出来なかったと、両親から聞いたことがある。 まだ鮮明に憶えている対話とは、 (私) −禅とは一言で言うと何ですか? (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。 ー 示単 社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の 夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。 (私) −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかない事がよくわかりました。 (禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 世間も理屈もあるものか!(厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。 後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感。頭で物事を 考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、 社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。 ー以下は、当時の日記であるー ー1968年 雲頓庵 9月10日 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の 明治大学の1年の田村君と話す。3日まえにやはり勉強の為に来た男。夕食後 7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、 一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なもの である。全ては生き続けている。」デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用。 「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の 働きでしかない。それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって 初めて知る事ができる。」「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれより、 間違いを知らしめる為である。」御前様と話していると自分の無知が露出される。 明日は座禅を8時にくむ予定である。 ー9月11日 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。 午後からは少し集中できる。感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事は さっぱり解らない。ここの2週間近くは、充実したものだった。 明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。 ▼ 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方。書き残すことは痕跡 を残すことである。 ーつづく
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2015年01月12日(月)
『修羅場の極意』 * 私の修羅場解決法 〜正中心一点無 そういえば、修羅場にたつたび、「正中心一点無」を呟いていた。 難題にぶつかると、その中心点に気持ちを集中して、無心に考える。 そのうちに自然と何が問題かが見えてくる。4年前も、そうだった。 事業が、限界に近づいてきた時、問題の本質は何だろう? 想定外のこの 売上減は何ゆえ? これは乗越えられる壁か? もう無理? 継続断念? を無心に考えて考えて考えるしかなかった。 事業だけでなく、人生にも、 いえること。 65歳の年齢の節目時には、心構えを「正中心一点無」を 呟き、図書館で本を探して、その読書感を書いていた。 10数十年前、随想日記に「正中心一点無」の小題で書いてあった。 ≪ [110] 正中心一点無 〜2001年 15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。 あまりに奇抜で面白かったので、その人の本を買い求めた。そこにこの 正中心一点無という言葉があった。少し考えれば、この意味は解るだろう。 問題解決の時などこの言葉を唱え考えると、時間と共に自然解決してくる。 それが難解であればあるほど、無心に考えると答えが自ずと出てくる。 今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵袋の呪いと言ってよい。 ≫ ▼ 『修羅場の極意』の中にもあったが、難題に対し、その最悪の場合を 想定し、その場合の対処を幾つか考えて、そこから逆算しながら、その 対策を冷静に考える。これは、人生の難問にも可能である。難問であるほど、 人には相談しないこと。書店と図書館を歩いていると、自然と本の方から 呼びとめてくる。こういうのを因縁という。「因が難問」で、「縁は呼び とめてきた本」になる。修羅場から得た極意は、何ものにも換えがたいのは、 それが、その人の芯になるため。「まずは、修羅場は可能な限りさけること! だが、起こってしまった修羅場は、全霊をもってあたるべし」である。 考えてみれば、この随想日記も、『正中心一点無』で、自然体? で書いたもの。 〜これも偶然だが、以下の文章に続く! ・・・・・・ 4686,エッセイ力は人生力 2014年01月12日(日) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * 自分を表現できる仕合せと、自己開示 三年前の節目から今まで、長いようで短かった。 ウツにならないために、ことの本質を見つめるために様々な本を読みながら、 自分の心を整え、それそのままを、ここで書いてきた。今回の節目時の核に なったのは『自己をみつめる』で、26回にわたって書いてある。 その合間に『節目どきに』と『ジャズについて』が入っている。 その後のテーマは、哲学とユング、そして精神力などを取り上げている。 書くことで、セルフ・カウンセリングをしていたのである。現在も、同じ延長 上にある。思いを書き出すのは、心の傷から流れ出る血を凝縮する作用が働く。 今年早そうから「何だろう?この現象は」を書いたが、その過程で、気持ちが楽に なると同時に、気づきが出てくる。文章は何度も推敲を重ねるうちに気づきで、 新たな考えが出る。受けた傷は残るが、与えた傷は気づかないか、直ぐ忘れる。 それが書き換えているうちに、気づいてくる。この文章を書くにあたって、 当時の文章を読み返しているが、苦しい中で書いたためか、魂が篭っている。 これは私の財産。若い時分も、書いておけば良かった。いや、書いていたが、 何を血迷ったか全て捨ててしまった。後悔あとに立たず、である。 以下に当時の目次をコピーしたが、一つずつが心の記録である。 2011年04月17日(日) 3674, 自己を見つめる−2 2011年04月16日(土) 3673, 自己を見つめる−1 2011年04月15日(金) 3672, 節目どきに ー7 2011年04月14日(木) 3671, 節目どきに ー6 2011年04月13日(水) 3670, 節目どきに ー5 2011年04月12日(火) 3669, 節目どきに ー4 2011年04月11日(月) 3668, 節目どきに ー3 2011年04月10日(日) 3667, 節目どきに ー2 2011年04月09日(土) 3666, 節目どきに 2011年04月08日(金) 3665, 関係性が問題 2011年04月07日(木) 3664, 閑話小題 2011年04月06日(水) 3663, 9・11、9・15、をしのぐ3・15−2 2011年04月05日(火) 3662, 閑話小題 2011年04月04日(月) 3661, 9・11、9・15、それをしのぐ3・11 2011年04月03日(日) 3660,音信不通だった友人から連絡が! 2011年04月02日(土) 3659, つれづれに 2011年04月01日(金) 3658, 価値とは思い込み ▼ エッセイは人生に力を与えてくれる。限りない色いろな想いが混乱した 頭に浮かび上がる。一つ間違えると地獄の業火に焼き尽くされる。ひたすら、 時間と、時空を超えた誰かの魂の声を耳を澄ませて聞くしかない。思いもよらぬ 結果から、何故?と考えたのが『節目どきに』であり、それから『自己を見つめ』 を通し著者の進言を聞いていた。悲壮感は思いの他、少ない。 これは心のセフティネットである。それと、毎朝の独りの時間も。 ・・・・・・・ 4319, おれにつきあうのは、おれだって大変だよ! 2013年01月12日(土) 谷川俊太郎のエッセイで、勝新太郎を書いている文章が気に入っている。 これを読むと肩の荷が半分はおりるようだ。挫折や、大きな決断をしなければ ならない時、まず直面するのは自分の限界。それも、酷い自己嫌悪に陥った 自分もそうだが、平気で間違いをおかしてきた自分を振り返り「何だ、お前は!」 と振り返っている時の自分を見ている上から目線の視線が、つくづく俺って変だよ、 それも大変な奴だよと実感する。それでも、結構それを容認している自分もいる。 ーその辺りよりー ≪ ・・勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。「おれっていう 人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。でも、おれがつきあいやすい人間 になったら、まずおれがつまらない。」 私はすっかり感心した。自分とつきあう のが大変だなんて考えたことがなかったからだ。私は勝さんよりのんきな人間で、 自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに生きてこられたと思っていたけれど、 実はそれは自分で自分をごまかしていたにすぎないのではないか。 ほんとは 誰も自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、 他人のせいにしてるだけじゃないか。大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分 と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていく のも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。・・ 自分のこころだから分から ない筈はないと思うのは誤り。 自分のこころはもしかすると他人のこころ よりも分かりにくい。ましてこころの奥にあるというたましいなんてものは、 もっと分かりにくい。分からないまま日々私は生きている。我ながら大胆だ。≫ ▼ この随想日記の12年分を目を通すのも、けっこう大変である。 12年間の、魂を込めた?文章に見え隠れする自分と毎朝付き合うのも大きは エネルギーがいる。躁うつか分裂病を抱えている人は、まさに、自分を コントロール出来ない人。勝新太郎は薬中だったから、言葉に含みがある。 事業準備の期間を含めて45年間、前を見つめて走って来たが、リタイアで 過去を振り返る機会が圧倒的に増えている。そこで過去がフラッシュのように 湧き出てくる。面白かったことも、自己嫌悪の大失敗もである。それでも長年 かけて培ってきた趣味の世界があるので、大変なりに、日々を楽しむことが 出来ている。死に直面した最期の自分と付き合うのが一番に大変だろう・・ ! ・・・・・・・ 3944, 岐路に立つ世界経済 2012年01月12日(木) * 今年は、一日一日何が起こるか分からない 11日のNHKのクローズアップ現代、連休明けには刺激的な内容である。 昨年から欧州の金融危機が続いているが、そのダイジェスト版と、世界経済恐慌 前夜の深刻さを伝えようとする内容。恐慌が起きる起きないでなく、何時起きるか の瀬戸際。 ー まずは、NHKのHPの番組解説から ー クローズアップ現代 「2012年 岐路に立つ世界経済」 ≪ ヨーロッパの国々を脅かす国債危機「ソブリン・クライシス」。そして野火 のように広がるアメリカのデモ「ウォール街を占拠せよ」。 そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。 背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。時として制御を失い、 リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、国家を揺るがす事態を 引き起こすパワーを持つに至った。世界はいま、国家の財政危機と銀行などの 金融危機が同時に進行するただ中にある。経済危機が起きる度に“マネー”が 引き起こす新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。しかし、先進国 をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、失業が解消されず、不況が長引き、 社会保障制度まで大きく揺らいでいる。日本も、もはや“対岸の火事”ではない。 GDP国内総生産の2倍を超える財政赤字を抱える日本では、消費税増税の議論 が本格化する。世界は実体経済を凌駕し、国家をも左右する“マネー”がもたらす 困難を乗り越えることができるのか。2012年最初のクローズアップ現代は、 危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、いかに解決しなければ ならないのかを探る。(総合テレビ:2012年1月11日 19:30〜73分拡大版)≫ ▼ 欧州、米国の起きている金融恐慌の深刻さと、世界恐慌前夜の状況を映像と、 識者の対談で構成した内容。翌日の朝も録画で再びみてみた。 ○ 日本国債への波及は、あと3〜5年。 ○ イタリア、フランスに 国債危機が来ているが、 次はドイツになる。○ ECBの準備金は20兆円だが、 必要な金額は100兆円。それはECの基本理念を根本から損なう金額。それを考えると? ○ 日本の国債金利が1%、いずれにしても上がっていく。消費税の値上げ ノリシロがあるのでまだ良いが、これが出来ないと、暴落の可能性も・・・ ○ 2012年は経済的にみて、世界経済の歴史的分岐点になる・・等々である。 先日のNHKスペシャルで「東北被災者の12万人の失業問題」を取り上げていた。 NHKのメッセージは、アメリカと欧州の切迫した危機は、私たちの生活に深刻な 影響を及ぼす現実が迫っている。 最近知ったことだが、震災直後の3月15日に 関東地区の住民に避難命令を出すかどうか決断を官邸が迫られていたという。 それだけ危ない日々だった。それが決して好転したとは思われない。 ・・・・・・・・ 3579, 閑話小題 −2 2011年01月12日(水) * ある居酒屋で もう10数年、長岡で飲む魚料理の店がある。その店の三軒隣に夫婦でやって いる焼き鳥と小料理の店がある。夏は戸を開けているので店頭から中がよく見え、 一度は入ってみたいと思っていた。ところが先日、前を通ったら貸店舗の看板が 出ていたので、女店主に聞くと、「去年暮れに夫婦揃って覚醒剤常用で逮捕され、 店は閉鎖。自分の店にも刑事が聞き込みに来た」という。 飲食店の店主が薬中で つぶれた話しは聞いたことが無い。長岡駅の専門店街でトラブルを起こし、 駆けつけた警官が様子が変なので調べたら、覚醒剤の服用が発覚したとの話。 * どうでもよいことだが 何処かの?誰か。 三日間乗り放題1万2千円で、東京に毎日、通うという。 行き先をネットで下調べをして、10時に東京に着くように乗車、帰りは18時 の新幹線に乗る。 それでも数ヶ月に一度なら、安い遊びか。去年の暮れは二日 通ったが、今回は三日に挑戦というから凄い。その人の友達は、その乗り放題の 切符で、東京の子供の家に行った帰り、急に思い立ち草津に行って温泉に浸かり 帰ってきたとか。独り遊びは自由の天使の羽がつく。 * 花の平成元年組 今年大学を卒業するプロ(22歳)は、久々の当たり年のようだ。 高卒の4年目もプロ野球などで大活躍をしている。そういえば早稲田大学 の三人の投手が揃ってプロ野球で一巡で指名された。また全日本学生野球選手権 で優勝をした。全日本ラグビー選手権は決勝で破れて準優勝に終わったが、 全日本駅伝では総合優勝をした。「花の平成元年組」とでも命名されるのだろう。 大相撲でも花の三八トリオといわれた当たり年があって、同期が何人か横綱に なった。高校も10年に一度位、当たり年があって、東大など一流校に多く合格する。 考えてみたら人生でも当たり年があるか。 ・・・・・・・・ 3204, 善は悪より生まれた! 2010年01月12日(火) 「善は、悪より生まれた」の言葉が、妙に頭に残った。「悪は、善より生まれた」 なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、 それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、一つの規範が必要。 例えば、国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内への警察という 暴力装置、そして、外に対して軍隊である。それを統治する象徴として日本なら 天皇、欧米なら大統領である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を 内側からコントロールする教え。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に 有効に働いた。それらの規範を守ることを善というなら、それに反するのを悪という。 ということは、それができる前は、その規範をもって振り返ると悪がまかり通って いたことになるから、「善は悪より生まれた」ということになる。しかし、それも変。 キリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という 疑問が生じる。 女性の哲学者 シモーヌ・ヴェイユは 『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』彼女は悪を二元論的に見ないで神様と 自分との間を裂くものとみた。神様の愛の力を説き、愛が悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。悪党ほど、善の価値を知っている のだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉え かたもある。親鸞の、悪人が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方 に近くなる。キリストは、ユダヤ教の弱者(女子供、奴隷)の立場からみた 善を説いた。 善悪も立場で変わるから、ややこしい。 省みて、己の悪に 気づいて改心する善ということか。どうも、これは答えのない永遠の問い。 ・・・・・・・・ 2839, 不況の景色 −7 2009年01月12日(月) *タクシー業界の不況 一昨日の毎日新聞・社会面のトップで新潟市のタクシー業界の不況を 取り上げていた。市内の老舗二社が倒産、運転手の再就職がままならないと・・ 適正の台数が1000台のところに、1700台の過剰台数。二社で280人が 失業、最後は月に12万円の手取りだったという。全国的でも新潟、長岡の タクシー業界は厳しい状況。昨年の最終金曜日の0時過ぎの2980円の 割引に、百十数人が宿泊をした。夜半の0時過ぎにホテルの前まで行列をなして いたというから、知らない人が見たら驚くだろう。それだけ、お客はシビア。 それでは、前年に比べてプラスになっているか?といえば、前年割れである。 いかに宿泊客が少なく、シビアに商品選定をしているか、これからも見てとれる。 ホテルは装置産業の典型である。一度設備投資をすれば、30年は潰せない。 一口に30年というが、その間は世界は激変を重ねている。だから面白い。 *景気の山は07年10月 内閣府が、この景気の山が07年10月と発表した。同11月から景気後退の 局面に入ったと認定する方針だという。 (以下、字数の関係でカット2011年01月12日) ・・・・・・ 2008年01月12日(土) 2474, 年頭の新聞の記事の総評 −1 今年の年始の新聞を一通り目を通したが、楽観的の記事はホボ皆無。 その中で、産経新聞に面白い記事が多かったようだ。正論というコーナーの 佐伯啓思京大教授の「ニヒリズムに突き進む日本」という記事が面白い。 (サロンのコーナーにコピー)ここでのニヒリズムという意味は、今まで自明と 思われてきた諸価値の崩壊であり、これまでの本質を判断する基準が失われて しまうということである。一部勝ち組を除いて、他が負け組なら、大勢が ニヒリズムになるのは当然だろう。産経の30人の論説委員が、一言ずつ 書き留めた「平成20年に思う」もなかなか鋭いコメントに満ちていた。 総じて、日本も含めて悲観論が大勢だった。これは仕方がないこと。 ・中国のオリンピック ・アメリカの大統領選挙 ・アメリカのサブプライム問題の行方と、それによる原油高が及ぼす 世界経済の行方とアメリカの経済の減速のもたらす影響が、今年のグローバル化 社会の大問題になる。日本もサミットの議長国として、どのように対処するかが 問われ、またこの流れからすると民主党が政権をとる可能性もある。 また、特に日米の大問題になっている、格差の問題もある。それでも、 アメリカが主導して世界は比較的落着いていたが、今年からは、そのタガが 外れ中国やロシアが世界の表舞台に出てくる年である。それに対して、 評論家もどうなるのか評論できないのが、今年の記事の特徴である。 その背後には、やはり情報化の進展がある。特に情報のオープンソース化が 世の中を根こそぎ変え始めている。そこに「情報の格差社会」が怒涛のように 起きているのだ。権力者も下手に、その力を乱用できなくなってきている +−がでている。今年は本格的な大乱の初年度である。∀`)ノ゜バイバイ! ーーーーーーーーー 2007年01月12日(金) 2110, クローズアップ現代「東大・論文ねつ造疑惑」 一昨夜の19時半のNHKの「クローズアップ現代」には驚いてしまった。 その内容とは「揺らぐ科学の信頼」〜東大・論文ねつ造疑惑〜 ー概要はNHKのHPによるー 東京大学大学院の研究グループが発表した遺伝子をめぐる論文のねつ造疑惑で、 大学は去年の暮れ、論文の責任者の教授と実験を担当した助手を懲戒解雇にした。 1年9か月に及ぶ調査の結果、論文は信ぴょう性を欠いており社会の信頼を 著しく損なったと断定。東京大学を揺るがした疑惑は一応の決着を見た。 しかし科学論文の危うさを印象づけた今回の疑惑。論文は、どこに問題があったか。 疑惑を生む背景は何なのか、依然、明らかになっていない。そこには、最先端 科学の研究が抱えている共通の課題が見え隠れする。 (以下、字数の関係でカット2011年01月12日)
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2015年01月11日(日)
* 免疫学者・多田富雄の受苦 7〜8年前に、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を 取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を 「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。 「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。 ーその辺りを抜粋するー ≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。 1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を 著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。 2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、 言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、 字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを 奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。 利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを 口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が 打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく 遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な 生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。 初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。 自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・ 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき 転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが 見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。 【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。 私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫ ▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した 実感がある。それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」 のように宙に浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナー のエネルギーの風でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』 と、呼ぶことにした。コヤツ、晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、 過去未来に平気で飛んでいく。そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。 ・・・・・・ 4685, 10年日記 2014年01月11日(土) 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、 これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、 その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。 《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、 5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い 切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅 になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想 日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。 この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、 10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。 更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を 仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』 年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年 経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、 結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、 書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・ 》 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」 であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて 「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、 よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった? ・・・・・・ 4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6 2013年01月11日(金) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる 心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。 人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある ≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、 たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、 「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。 ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、 殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、 殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。 ・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の 少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。 ‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、 几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん) 魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、 自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向 の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より 数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、 その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい 課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫ ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、 まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」 という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から 見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。 それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは 石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か 知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大 津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・ ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、 そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう 思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは 魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、 実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。 この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば 良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、 みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、 「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。 そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。 ・・・・・・ 3943, 閑話小題 2012年01月11日(水) * つれづれに ー不況景色 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう 見えてくることもあるが。私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、 先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。 銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。 あの「みずほ銀行」も100円前後。マスコミも情報コントロールをされ、 そのことを取り上げない。20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目。 3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を考えてみても、消費税が 10%になったら借金ゼロでも存続は無理。これは他の多くの事業でも当てはまる。 増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら 上げざるをえない構図になっている。現在の日本国内では金を使わない算段は いくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、大きく冷え込み、 長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズ アップ現代を一時間延長して、欧州危機、世界恐慌危機についての放送していた。 また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続く?
* バンジージャンプの命綱が切れた ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプ で、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、落ちていく映像が報じられていた。 それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったもの。 人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に 紐が切れた高さが、40M以下だった為に、奇跡的に助かったことになる。 打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。これまで、飛び降りた 人が5万人、その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は 無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。 ・・・・・・・ 3578, 10年一昔というが ー2 2011年01月11日(火) この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。 更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、 ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。 これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。 この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー 1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争 3、ネット社会の出現 4、デジタル機器の飛躍的進化 5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む 6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ 7、アメリカで初の黒人大統領が選出 8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される 10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、 たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは 想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化 の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。 それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、 それほど長く続かないと見るべき? ・・・・・・・・ 3203, 電気自動車の話 2010年01月11日(月) 「電気自動車は、パソコン、携帯電話以上の影響を社会に与える」と、 思わず疑いたくなるコメントが、NHK・TVのレポートのインタビューから 聞こえてきた。30年間電気自動車を研究してきた慶応大学教授が話していた のだから、再びびっくり。私の知る限り、パソコンと携帯電話以上のインパクト のあるマシーンは、これまで無かったし、今後とも当分無いだろうと思っていた。 家内に言ったら「そんな馬鹿なことはない」と、私と同じ意見。 しかし、本当と仮説を立てると如何いうことか? 移動空間から情報空間 としての見直しなら納得する。(希望的予測として)三年後に普及車が量産され、 10年後には重心が、エンジン車に取って変わっているという。 部品が10分の一から、更に少なくなるはず(三万ー>三千)。日本にとって、 リチウムとか、電気技術が進んでいるので、プラスに働くとか。わかず三年前 までは、「電気自動車」が、ここまで注目されるとは思っていなかった。 ガソリンエンジンは熱を持ち、スペースをとり、車形などに大きな制約があった。 しかし、それから解放されると思いもよらない車が、あらゆる業界から出現する 可能性が大というのも頷ける。さらに電気自転車とスクーターの融合したような ものや、オートバイと車の融合したものが出来るだろう。車椅子のような乗り物 が一般の移動に考え出される可能性もある。自動車の概念が根底から崩される ことになる。 家の一部としての移動式生活空間と見直されるかもしれない。 生活の中で電気自転車で驚いていた。それが電気自動車としたら、更に大きな インパクトを与えることになる。さらには電気モーターの、カヌー、舟、小型 ヨット、電気ヘリとか、電気パラグライダーも。 厳しい経済環境になっていく反面、面白い時代でもある。 ・・・・・・・・ 2838, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −2 2009年01月11日(日) 軍産共同体が戦争をつくりあげるため、政府の中枢に深く入り込んでいる 一端を明らかにしている。イラクの戦争も、仕掛けられた一つ。 イラクの フセインが石油のドル決済をユーロにしようとした為、大量破壊兵器が存在して いるような工作をして戦争に導いたことが露見した。そのことをブッシュが 知らない訳がない。今度はイスラエルとイランか、北朝鮮だろう。 それとも金融危機で少し疲弊したから休む? ー次の部分こそ資本帝国主義の核心の部分だろうー <第三章 金融危機を起こした闇の権力者の正体 P−110〜> この軍産複合体をひと言でいえば、戦争でひと儲けしよという思惑を持った 軍需産業の大手企業や一部の金融資本家、アメリカによる世界支配を信奉する 政治家、軍人などが一体となった勢力だ。表に見えるのはロッキード.マーチン、 ボーイング、ノースロップ・グラマン、レイセオン、そしてユナイテッド. ディフェンスといった軍需産業の李企業だが、その裏には日本の天下りが かわいらしくみえるような黒い薯の影が見えてくる。たとえば、2期8年に渡った ブッシュ政権の高官30人以上が、以前は軍需産業の役員や株主だったという 経歴の持ち主だった。これがどういった影響を及ぼすかというと、父ブッシュ が名誉顧問を務め、ブッシュ政権の高官数名が役員を務める投資ファンド、 カーライル・グループがある。このカーライルが、ブラッドレー戦闘車を製造 するナイテッド・ディフェンス社を97年に買収した。 当時、多額の赤字に 苦しんでいた同社だったが、ブッシュ政権発足直後の01年に米陸軍から 新型自走砲の発注を受け、株を上場。カーライルは上場初日だけで多額の売却益 を得ている。 こうした例は他にいくつもある。その癒着の構図を裏づけるか のように、米ソ冷戦後は、一時3000億ドルを割り込む水準まで低下したアメリカ の軍事予算だが、ブッシュ政権時には6000億ドル超にまで増加している。 この額にはアフガニスタン戦争やイラク戦争の戦費は含まれていない。 その裏で、いったいどれだけの金が軍産複合体へと流れ込んでいったのか。 一説によると、軍事費の一部は毎年ブラックマネーとしてプールされ、その総額 は1兆ドルになっているという。80年代までの東西冷戦中は、ソ連など共産勢力 への恐怖から巨額の軍事予算が計上されることについて多くの国民が納得し、 軍需産業は潤っていた。だが、冷戦の終結とともに軍事予算は削減されていく。 このままでは自分たちの影響力が弱まってしまう。そういう思いを募らせた 軍産共同体は、アメリカに対する新たな脅威を作り出すプランを練り、 その資金力と政府へとつながる人脈を駆使して、数々の工作を行っていった。 −− ケネディの暗殺も、彼らの疑いがあると聞いたことがある。次は、あの人? の可能性がると、この本に暗に書かれている? 第二次世界大戦で、世界恐慌が 実質清算されたのだから、世界規模の戦争を仕掛ける動きが出ても不思議でない。 日本の1000兆を超える預金を狙うのは至極当たり前のことだ。 前回の日本のバブルはアメリカの仕掛けだったのは今更のことである。 これが世界の現実である。 ・・・・・・・・ 2008年01月11日(金) 2473, 生姜湯
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2015年01月10日(土)
* 死に対する恐怖 ー岸本英夫氏の場合 宗教学者の故・岸本英夫氏が、東大教授であったアメリカ滞在中の1954年に 悪性の皮膚癌のが発見され、余命数ヶ月と宣言され、10年にわたる闘病生活で、 常に死を見つめてきた。〜『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』から ≪「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって今持っている『この自分』 の意識がなくなってしまうこと。 死の問題を突き詰めていくと、それが 『この今意識している自分』が消滅することを意味すると気がついた時、 人間は愕然とする。 これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。 身の毛がよだつほどおそろしい。死後の生命存続ということが、煎じつめると、 その一点にかかっている。何とかして、「この自分は」いつまでもその個体意識 をもちつづけうるということが確かめられればと願う。 これが近代的来世観。 しかし、どうであろう。死によって肉体が崩壊すると、感覚器官や神経系統も 消滅する。脳細胞もまったく自然要素に分解してしまう。生理的構造が何もなく なった後で、「この自分」という意識だけが存在することが可能だと考えようと するのは、相当に無理がある。これは近代においても、人によって、その見解の 異なるところがあるように思われる。私自身、はっきりいえば、そうしたことは 信じることはできない。そのような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が 納得しない。私の心の中の知性は、そう考える。≫ ▼ 世界中の宗教を研究する岸本英夫。「世界の生命が何らかの形で死後も続く と主張するところが共通する」が、そう信じて死んでいくことに否定しないが、 彼自身は、それを受けいれることが出来なかった。 死によって、肉体が崩壊 すれば、脳細胞も消滅する。生理的構造が無くなれば、「この自分」の意識 だけが残るというのは相当無理があるのではと。死後の世界を否定するのは 苦痛を伴う。その結果、自分がどこに行くかを問わない、というもの。 死後の生はないと決め、人間が与えられている今、この命だけと思い定めて、 「この自分」が確かに存在している生の期間に集中する。身の毛がよだつ 死の恐怖も、充実感に溢れる生き方をしていれば克服できると、彼は言う。 その後、死は「別れのとき」という考えに到達する。人間が別れを経験し、 耐えることができた別れの、より大きく全体的なものだと。 そこまで、 心が到達して、平安を得る。私自身、父親の「生命飢餓状態」を、一年間、 身近で見ていて、父親が、煩悶の中で教えてくれた人生と、その結末。 【元気なうち、生きているうちが花! 死んでしまえば、それまでよ! ただひたすら毎日を楽しめ!】に、深く納得する。死んで花見ができようか! で、以下の一年、二年前の文章につづく! 偶然だが、そういうこと。 ・・・・・・ 4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2 2014年01月10日(金) 〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 * 私の体験例より・・ 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが 多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を 始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を 任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島 などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。 その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。 おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。 以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで 他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。 考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の 姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた 新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が 開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、 公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには 条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。 それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく 新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が 載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば 儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、 父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。 時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」 二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、そ
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2015年01月09日(金)
『修羅場の極意』佐藤優著 *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場 西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー ≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか? 西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、 佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。 西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。 佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。 西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し かった頃に戻っていることに気づいた。 西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる 危険性が高くなる。 佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。 西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は 想定していません。 西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫ ▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい! だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター? 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。 ・・・・・・ 4683, スマート革命 ー4 2014年01月09日(木) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を 読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行 を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では 中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから 《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを 発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、 200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、 スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという 指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。 一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの 新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、 米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。 筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、 多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして 入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って 高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」 が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型 ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに 基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか? 筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」 (仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの 企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字 になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・ ローソン フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人 Au フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人 LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット 選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。 この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。 明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む 企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》 ▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている 知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、 若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが 普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい! ・・・・・・ 4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4 2013年01月09日(水) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー� 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に 移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、 あまり変わりはしないことに気づかない。ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。 ≪ ・・何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろうとし、 相手はできるだけ安く買おうとしただろう・・ 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと 思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する 科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年 にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、 赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな 国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな 国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用 逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は 増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。 ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。 でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに 働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。 われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり 食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力 をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが 一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、 どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や 装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、 いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫ ▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。 それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、 常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。 だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、 どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は 思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも 買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。 一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。 心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。 ・・・・・ 3941, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー1 2012年01月09日(月) 「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 * 9・11、9・15、3.11の意味するもの=「近代の敗北」の記念碑 私にとって10年前の9・11、3年前の9・15、去年の3・11の三連打で 呆気なく事業人生を終焉をした。それぞれの震災が起こるたびに売り上げが翌日から 右下がりになってしまう。その都度、政府が打ち出す政策などで持ちこたえてきた。 しかし最後の東北大震災で止(とどめ)めをさされてしまった。売り上げの推移は 正直である。最近、二つの経済震災と、原発事故をともなった東北大震災の三つは 関連しているのでは?と考えた。 ところが先日、図書館で借りてきた水野和男著 の『君はグローバリゼーションの真実を見たか』の中に、私が知りたいことが、そ のままあった。 ーここで書かれていることを大雑把にまとめるとー ≪ 500年前に、ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、 近代化を始まった。これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う 超長期のブーム」の出発と捉えることができる。それは「陸の時代」から 「海の時代」の転換を示唆していた。海の時代には、アメリカ、アジア、インド 大陸などに侵略をしていた。それを欧米では近代化といっていた。 そして2008年のリーマン・ショックと、去年の3・11の原発事故で、 その近代化の終焉を迎えた。 9・11はそのアメリカに対する、弱者からの 反撃でもあった。本来1970年半ばで終わっていたアメリカの時代も、金との 兌換の中止を宣言したニクソンショックで終了したはずだった。その1974年に 自動車や家電製品に使われる粗鋼消費量がピークを向えていた。 これが 「地理的・物理的空間」の膨張の止まりであった。近代社会とは、膨張し成長 し続けることを前提とした。≫ ーまず、そのへんの部分を抜粋してみるー 【 9・11(米国同時多発テロ)、9・15(リーマン・ショック)、3.11 (福島原発事故)を「真の危機」と認識し、その原因を考えないと、これらを 上回る大きな危機が襲ってくる。 * 9・11ではテロリストによってジット旅客機がミサイルに、 * 9・15ではサブプライムローンが略奪的貸付として、 CDSが「金融版大量破壊兵器」として、 * 3・11では原発が「放射能兵器」へ姿を変えて、弱者に牙をむいた。 米国の多くの専門家は、今回の事故で「原発テロ」への警戒心が強まった と口をそろえる。「9・11」と「3・11」の、悪魔のような合体だ。 今回の福島第一原発箏故を受け巨大津波に備えて万全の対策をとっても、 「原発テロ」は想定外だったということは許されない。 また「100年に一度」 の金融危機だったリーマン・ショックを量的金融緩和で封じ込めた後、米国の財政 赤字を放置していたら、ドル危機につながらない保証はない。・・ シユミットのいう世界史とは「陸と海のたたかい」であり、「大地のノモス」を めぐるたたかいであると捉えると、資本がアメリカのグローバリゼションに期待 していることに象徴されているように、数十年後には取得すべき空白は地球上 になくなる。だから、「世界史」が終わるのである。しかし、人類史が終わる わけではない。終わるのは「成長の時代」(近代)であり、シュミットのいう 「世界史」である。ヨーロッパ史とは「膨張」の歴史であり、その延長線上に あって「爆発」した近代は、「成長がすべてを解決する時代」だったのである。 近代とは、技術進歩によって経済成長をするということを皆が信じて疑うことが なかった時代だが、9・15や3・15以後、成長しようとすればするほど、 一方で貧しくなる世界がある。 近代の原理に忠実であろうとすればするほど、 反近代を招来させることになった。「歴史における危機」が生じると、最も弱い 地域や最も貧しい人々にしわ寄せが集中する。ある特定の人が利潤を極大化しよう と「努力」すると、他の人はより貧しくなることが 頻繁に起るようになった。 】 ▼ この3つの震災は、大きな時代の変わり目であり、アメリカの衰退の象徴。 この3つが「近代の敗北」の道標として歴史に残る。我われは、その場面に現在 進行で直面しているのである。この節目(カオス)が今後数十年、続くことになる。 ・・・・・・・ 3576, 閑話小題 2011年01月09日(日) * ある朝のこと 最近、夜半に目をさますと、過去の小学校や中学校時代のある場所にタイム スリップするイメージを持つ。宇宙の漆黒に渦をまいて巻き込まれるイメージ の中、そこに移動する。そこはまさに、その頃の場所に立ったよう。 そこから記憶の探索をする。あまり集中すると気分が悪くなるので、用心をする。 そこから色いろな光景と記憶が戻ってくる。半分覚醒し、半分は当時の世界に 入ってしまう。これは、はまると面白い。通勤途中の新幹線の中でも可能だが、 早朝の、半覚醒でするとリアルになる。これは一種の瞑想だろう。いや、夢想か? 小説か映画の一本は書けそうだ。小説家は、そこで脚色をしてストーリーを 作るのだろう。振り返ると一年(時間)は短いが、実際は気が遠くなるほど長い。 * 何だろう、最近の地球の自然美の映像は 「地球絶景の旅」とか、「絶景の空撮」とか、「ローマ街道空撮」とか、 最近これまで見かけなかったようなドキュメントの映像をしばしば見かける。 撮影機器が格段と良くなっていることもあるが、息を飲むほど美しい。 書店や図書館で、大型書籍を通して見ていたが、これがテレビで多く見かけられる ようになってきた。ここで世界中に大型のハイビジョンTVが普及してきたことを 見越し、番組をつくり始めたため。この20数年にわたり地球の絶景・秘境に 行ったのは、あの大自然の自然美と霊気に触れる為である。しかしTVの画面を 通しても、あの大自然の美しさが茶の間に現出し、向かい合えるのだから文明の 力には驚かされる。家内は、「実際に何度も、その出会いを経験しているから、 感じるのであって、その感受性は他の人より敏感なだけ。その経験が無ければ 番組さえ見ようとしないし、見ても感受性が鈍いはず」という。しかし、あの 霊気は感じて当然だろう。現に、地元の書店で、ギアナ高地のテーブルマウンテン の空撮の写真を見て、息を飲んでしまい、その二年後には、その懐に入り、 その霊気を充分吸ってきた。 スイスの山から大きな広い山あいの風景を見た時も、 思わず息を飲んで、やはり同じ光景に出会ってきた。 ケニアも、そうだ。 高校の同級生がケニアで撮った野生動物と草原の写真を見て心をうたれ、 その後、アフリカの魅力に取り付かれた。しかし、その感受性は、その積み 重ねで研ぎ澄まされてきたこともある。 この経験と、ネット社会の現出に 出会えたことは、大きな財産になっている。 ・・・・・・・・・ 3201, デフレ時代の商売 2010年01月09日(土) * 自動車の100円レンタルだと! 毎日、驚くことばかりである。 「自動車の100円レンタルが出現」と、 TVで紹介していた。10分100円である。それでも二時間借りても 1200円、普通のレンタル店の数分の一である。要は短時間でも借りることも 出来、手軽で、かつ安い、ということ。 何故、そんなに安くできるかというと、 「中古車販売店が、副業で、中古車を貸し出すので、事務所も机一つあれば開業 できる」からである。弁当屋が配達に使ったり、遠くのスーパーに主婦が使ったり。 面白いのはベンツを5分100円で貸し出すのもあった。2時間ドライブをして 2400円なら、高くはない。 * 中古婦人服再生品 (以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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| 5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ |
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2015年01月08日(木)
* 全人類と全アリンコの重さは同じ どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、 一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。 ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという 動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。 ある意味、地下社会の支配者でもある。 * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が 重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融 緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の 緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。 そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は 一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも 済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに 向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。 ・・・・・・ 4682, スマート革命 ー3 2014年01月08日(水) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * エッ 自動運転の車が近未来に販売? スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7〜8年内に発売予定の ニュースには驚いた。以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが 凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実になるとは、誰も予測して なかった。如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって、 何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現> 1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢 がスマート革命により実現されようとしています。人工知能の塊である ドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手 マイケルとが楽しく会話しながら事件を解決すると言った筋書きでドラマは進む。 自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、スマートカー にもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って 来る時代になってます。車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして 提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を 音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように 感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、センスの良いトヨタは 「トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。 ドライバーが「プリ君」(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。 「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。 非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には 会話力が付加されるでしょう。 <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?> 音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代 には、機器が人の友達として立ち現れます。(昔、筆者もIBMのオフィス コンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありました が、その時IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。 技術的に説明するとこうなります)擬人化インターフェースの時代は ナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代 (人が機器を人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が 「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。 そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。 ▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると 更に世の中が一変する。その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種 が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、これが現実の流れになる。 その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差が 更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 まさかスマートカーが現実に? ・・・・・・ 4315, 考える力 2013年01月08日(火) 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。 毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに 我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む 機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、 タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、 何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。 点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、 その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに 繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、 小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。 また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が 面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、 己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は ‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。 でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。 これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。 それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、 他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の 先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。 カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。 手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、 割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない! ・・・・・・・ 3940、新年にあたり ー4 2012年01月08日(日) * 御先祖・四四太郎様の警告 ー� 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。 子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、この津波は世界にとっても 日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。これは80年前の 1930年代の大恐慌と同じか、それより遥かに大きいから始末が悪い。 以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。しかし情報化社会では、 その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きて いた16世紀あたりから白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり 支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、 300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国 させたのがアメリカである。その後、日本は日清、日露戦争で勝って調子 づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされ てきた。そのアメリカが、経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のこと。 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、 覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を 失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の復讐を恐れたアメリカに 骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。 まあ、お前さんも66歳、今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器を フルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明 を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい仕掛けが隠されている のを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が 優位に立ってしまうことだ。これは、最優位のものが、情報により総取りが 可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。 これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も 同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしているグループが実際に存在していて、 情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界を どうとでも動かせる。まあ、この辺で話は止めておくが・・ 娑婆は御前さん の想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは 自分の地頭で考えるしかない。要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、 それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。 度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる 評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。 言葉狩りとかいうらしいが、 目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。 あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、 この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ! ・・・・・・・ 3575, 閑話小題 2011年01月08日(土) * 帰省中の次男の話 外資系に勤めて10年になる帰省中の次男に聞いてみた。「中国人は多いのか?」 これに対し「普通の存在のように居るよ」である。中国人が日本の外資系に勤める のだから信じられない位に優秀だろうが、 そこまでは聞かなかった。 彼らは一人っ子政策の中で、家族を背負っているから覚悟が違う。その彼らと 働くのだから大変だろう。 土曜、祭日は出勤で、週一しか休暇が取れないとか。 平日の帰宅は22時過ぎ、常に睡眠不足。顔はゲッソリ、30歳前半は誰もそうだが。 * バーチャル・ビュー BSで、最近みたのがズバリ「バーチャル・ビュー」という番組。その場に、 あたかもいるような目線で海岸や、街中を軽快な音楽をバックグランドにして 映し出している。何処かのリゾート地のビーチで自分が横たわったり、また 泳いでいるように画面が構成されている。特に自分が行った先は更にリアル感が 強くなる。 そういえば、以前から「世界街歩き」という番組がある。 自分があたかも旅先で歩いている目線で、店に入ったり、人に声をかけたり、 家に入れてもらったりする。地デジの切り替えで、各家庭のテレビを大型液晶に かえた為か、テレビ番組も、それに従い変わってきた。受信機だけでなく、撮影 機材も格段と良くなり、映し出される映像と内容が飛躍的にスケールアップ。 これまでBSで放送していた内容のものが、地デジの方に移行を始めている。 それにともない、BS放送の内容も、バーチャルビューのように、居間の空気を 和ませるような内容が出てきた。その一つがバーチャルビューということになる。 これは録画をして、早朝に聞くにベストである。そして現在、映像入りBGMで、 これを書いている。 * つれづれに 4日の15時半発の帰省列車の東京方面に乗ったが、殆どが若い親子連れ。 中高年の姿はほぼ見当たらない。(字数制限のためカット、2,011年01月8日) ・・・・・・・・ 3200, 年末・年始の「どうなる日本」の新聞論評は? 2010年01月08日(金) 正月の5大新聞の年末年始の社会、経済など「どうなる日本」の解説や、 対談を目を通してみた。石原慎太郎の「日本よ」の辛口の論ぐらいが、納得した ぐらいで、あとは殆んど見当たらなかった。あまりに悪いから、マイナス論調 のことを書けないのだろう。 当たり前のことだが、 ・現状は恐慌そのものであり、既に二番底にむかっている ・デフレ危機の瀬戸際。 デフレ・スパイラルは5,6月辺りが危ない ・アメリカから中国、インドなどに選手交代 ・電気自動車などの新しい分野への転換期 等等が、問題と指摘していた。 株価、為替は大きく揺れるのは必至である。私の商売の動きからすると、 デフレ・スパイラルに去年11月から始ったと思われる。社会的問題の、 ホームレスや、失業問題には、どの新聞も避けていた。新聞は取上げないが、 リーマンショック以来16ヶ月も、輸出入がマイナス40%を続けている。 輸出主導の経済のこの国では、この有り様では景気回復など考えられない。 藤井財務相が辞めたが、この国家予算と800兆の国債総額では、予算委員会の 答弁は無理。 なるほど百年に一度の恐慌とは、こういうものか!と実感する。 恐慌が二年目に入り、そのウネリがより大きく覆ってきている。 情報化、グローバル化は、世界を平準化する。その中でアメリカの従属国家 として平和を謳歌し、豊かさを享受してきた日本も、世界の普通の国家並みに なるプロセスの入ったということ。 今年は政界再編成を含め、大波が次から 次へと襲ってくる。 憂鬱な10年に入ったが、割切って身を委ねるしかないか? 高度成長期を味わったので、その段差の溝があまりに大きく感じる。 21世紀になって10年、その一端を経験しているが、成るほど断絶の世界である。 更に、ここにきて電気自動車と、ツイッターである。 ・・・・・・・・ 2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 2009年01月08日(木) 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。何かの夢をみている中で、 空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。それを神経を集中して 見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が 呼吸が出来なくなったのである。ハッとして夢から覚めたが、何分か息をして なかったようだ。必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分 の悪さに見舞われる。その時、「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな 気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。そして数分の間、深呼吸 をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。 その繰り返しである。そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 恐ろしくて目をつぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で目を見開いて いたが、恐ろしい不気味な時間であった。無呼吸症候群ではないのだろうが、 高齢現象なのだろうか。書いていて思い出したが、子供の頃、父がイビキを かいていて急に呼吸が数分止まることがあった。再び呼吸をしないのではと、 耳を済ませたことがあった。(字数制限のためカット、2,011年01月8日) ・・・・・・・・・ 2008年01月08日(火) 2470, アメリカをWeb世界に類推する 「ウェブ時代をゆく」−4 読書日記 現在のWeb世界の現状を、人工国家アメリカの建国と同じ位置づけをして 考えているところが面白い。また、否定的にみる傾向の強いアメリカをプラスの 面から照射しているのも新鮮である。弱肉強食とはいえ、強者であればチャンス が開かれているのもWeb世界と同じである。これから考えると、Web社会は 弱肉強食を強める可能性もある。逆に弱者でも、最低の保障も与えられる?が ーその一部を抜粋してみるー 「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角に すむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」(字数の関係でカット09年08日) ・・・・・・・・・ 2007年01月08日(月) 2106, それがどうした!それでどうした! 「それがどうした!」 究極の開き直りの言葉である。 そして「それでどうする」が、ギリギリのところで思考から手順への転換点への 切り替えの最後の言葉となる。「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一 による小説作品になっている。フランスのミッテラン元大統領が、女性問題に ついて質問した記者に対し、応えた言葉「それがどうした」もコミック的である。 人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。 この中傷・誹謗や不安感のために人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。 その時の悩みに対して、「それがどうした!」「それでどうした!」と開き 直ってみると、ほとんどは何ということもない。 そうでもないか?まあ、話を 逸らさないために、そういうことにしておく。「それがどうした!」と開き 直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、思考停止にするか大きな 分かれ目になる。その対象の問題の本質の「正一点中心無」に向かって開き 直って掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。掘り下げると、殆んど 「そんなもの、何とことない!」に行き着く。関西で「何ぼのもんじゃい」 という言葉もあるが・・事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うこと になる。「それでどうした!」そして、「それが何だ?」「それでどうする?」 とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」となり、そしてあとは 「なるようにしかならない」となる。その繰り返しの中から手順をみつけていく。 (字数制限のためカット、2,010年01月8日) ・・・・・・・ 2006年01月08日(日) 1741, 教養とは −1 「教養の意味」を検索で調べてみた。 ・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。 ・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる一定レベルの 知識や 常識を持っていることは当然として、古典文学や芸術などに対する 幅広い知識を備えており、かつ、それらの知識が品位や人格及びものごとに 対する理解力・創造力に結びついている状態を指す。 ーギリシア語ではパイディアであり、意味は「子どもが教育係に指導されて 身についたもの」のこと。 ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、 ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。そ れぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。 学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。 伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに相当するものと しても捉えられる。大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。 社交界や人付合いの場面で、洗練された会話や身のこなしができる能力。 ー以上が検索で調べた内容である。 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた 後でも残っている素養」という言葉である。 「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。 私など無教養を自認しているのは 「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。何故必死に本を読むか、 「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積してきた文化を 知りたい」からである。 「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛 「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というと なお納得できる。豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが 一般的な意味である。 ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ… つづく
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