堀井On-Line



5050,生と死をめぐる断想  ー4

2015年01月11日(日)

   * 免疫学者・多田富雄の受苦
 7〜8年前に、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を
取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を
「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。
「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。
1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を
著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。
2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、
言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、
字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを
奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。
利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを
口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が
打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく
遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な
生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。
初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。
まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な
そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。
自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・
 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき
転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め
て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も
できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも
はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが
見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。
 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。
【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。
  私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫
▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した
 実感がある。それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」
のように宙に浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナー
のエネルギーの風でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』
と、呼ぶことにした。コヤツ、晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、
過去未来に平気で飛んでいく。そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。
・・・・・・
4685, 10年日記
2014年01月11日(土)
 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、
これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、
その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 
そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 
「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。
《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー
 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、
5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い
切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。
10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅
になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して
みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想
日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。
この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、
10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。
更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を
仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』
年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年
経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 
今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、
結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている
ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、
書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。
これも加えたいが・・・ 》
▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている
 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」
であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。
忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて
「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、
よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった?
・・・・・・
4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6
2013年01月11日(金)
     「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著
 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる
心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して
いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。
人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている
と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある
≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が
 ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、
たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、
「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。
ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、
殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、
殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。
・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の
少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。
‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、
几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん)
魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、
自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向
の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を
していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より
数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、
その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい
課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫
▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い
 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、
まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」
という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から
見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。
それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは
石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か
知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大
津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく
ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 
ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・
ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 
純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 
これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、
そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう
思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは
魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。
 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、
実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。
この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば
良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 
どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、
みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、
「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。
そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。      
・・・・・・
3943, 閑話小題
2012年01月11日(水)
    * つれづれに ー不況景色
 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう
見えてくることもあるが。私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、
先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。
銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。
あの「みずほ銀行」も100円前後。マスコミも情報コントロールをされ、
そのことを取り上げない。20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目。 
3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 
現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を考えてみても、消費税が
10%になったら借金ゼロでも存続は無理。これは他の多くの事業でも当てはまる。
増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら
上げざるをえない構図になっている。現在の日本国内では金を使わない算段は
いくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、大きく冷え込み、
長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズ
アップ現代を一時間延長して、欧州危機、世界恐慌危機についての放送していた。
また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続く?

  * バンジージャンプの命綱が切れた
 ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプ
で、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、落ちていく映像が報じられていた。
それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったもの。
人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に
紐が切れた高さが、40M以下だった為に、奇跡的に助かったことになる。
打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。これまで、飛び降りた
人が5万人、その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は
無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。
・・・・・・・
3578, 10年一昔というが ー2
2011年01月11日(火)
 この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで
ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に
ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。
更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、
ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。
これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。
この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。
 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー
1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争
3、ネット社会の出現      4、デジタル機器の飛躍的進化
5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む
6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ
7、アメリカで初の黒人大統領が選出 
8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 
9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される
10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる
 この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、
たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは
想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化
の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。
それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、
それほど長く続かないと見るべき?
 ・・・・・・・・
3203, 電気自動車の話
 2010年01月11日(月)
「電気自動車は、パソコン、携帯電話以上の影響を社会に与える」と、
思わず疑いたくなるコメントが、NHK・TVのレポートのインタビューから
聞こえてきた。30年間電気自動車を研究してきた慶応大学教授が話していた
のだから、再びびっくり。私の知る限り、パソコンと携帯電話以上のインパクト
のあるマシーンは、これまで無かったし、今後とも当分無いだろうと思っていた。 
家内に言ったら「そんな馬鹿なことはない」と、私と同じ意見。
 しかし、本当と仮説を立てると如何いうことか? 移動空間から情報空間
としての見直しなら納得する。(希望的予測として)三年後に普及車が量産され、
10年後には重心が、エンジン車に取って変わっているという。
部品が10分の一から、更に少なくなるはず(三万ー>三千)。日本にとって、
リチウムとか、電気技術が進んでいるので、プラスに働くとか。わかず三年前
までは、「電気自動車」が、ここまで注目されるとは思っていなかった。
ガソリンエンジンは熱を持ち、スペースをとり、車形などに大きな制約があった。
しかし、それから解放されると思いもよらない車が、あらゆる業界から出現する
可能性が大というのも頷ける。さらに電気自転車とスクーターの融合したような
ものや、オートバイと車の融合したものが出来るだろう。車椅子のような乗り物
が一般の移動に考え出される可能性もある。自動車の概念が根底から崩される
ことになる。 家の一部としての移動式生活空間と見直されるかもしれない。 
生活の中で電気自転車で驚いていた。それが電気自動車としたら、更に大きな
インパクトを与えることになる。さらには電気モーターの、カヌー、舟、小型
ヨット、電気ヘリとか、電気パラグライダーも。 
厳しい経済環境になっていく反面、面白い時代でもある。 
・・・・・・・・
2838, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −2
2009年01月11日(日)
 軍産共同体が戦争をつくりあげるため、政府の中枢に深く入り込んでいる
一端を明らかにしている。イラクの戦争も、仕掛けられた一つ。 イラクの
フセインが石油のドル決済をユーロにしようとした為、大量破壊兵器が存在して
いるような工作をして戦争に導いたことが露見した。そのことをブッシュが
知らない訳がない。今度はイスラエルとイランか、北朝鮮だろう。 
それとも金融危機で少し疲弊したから休む?
 ー次の部分こそ資本帝国主義の核心の部分だろうー
<第三章 金融危機を起こした闇の権力者の正体 P−110〜>
この軍産複合体をひと言でいえば、戦争でひと儲けしよという思惑を持った
軍需産業の大手企業や一部の金融資本家、アメリカによる世界支配を信奉する
政治家、軍人などが一体となった勢力だ。表に見えるのはロッキード.マーチン、
ボーイング、ノースロップ・グラマン、レイセオン、そしてユナイテッド.
ディフェンスといった軍需産業の李企業だが、その裏には日本の天下りが
かわいらしくみえるような黒い薯の影が見えてくる。たとえば、2期8年に渡った
ブッシュ政権の高官30人以上が、以前は軍需産業の役員や株主だったという
経歴の持ち主だった。これがどういった影響を及ぼすかというと、父ブッシュ
が名誉顧問を務め、ブッシュ政権の高官数名が役員を務める投資ファンド、
カーライル・グループがある。このカーライルが、ブラッドレー戦闘車を製造
するナイテッド・ディフェンス社を97年に買収した。 当時、多額の赤字に
苦しんでいた同社だったが、ブッシュ政権発足直後の01年に米陸軍から
新型自走砲の発注を受け、株を上場。カーライルは上場初日だけで多額の売却益
を得ている。 こうした例は他にいくつもある。その癒着の構図を裏づけるか
のように、米ソ冷戦後は、一時3000億ドルを割り込む水準まで低下したアメリカ
の軍事予算だが、ブッシュ政権時には6000億ドル超にまで増加している。
この額にはアフガニスタン戦争やイラク戦争の戦費は含まれていない。
その裏で、いったいどれだけの金が軍産複合体へと流れ込んでいったのか。
一説によると、軍事費の一部は毎年ブラックマネーとしてプールされ、その総額
は1兆ドルになっているという。80年代までの東西冷戦中は、ソ連など共産勢力
への恐怖から巨額の軍事予算が計上されることについて多くの国民が納得し、
軍需産業は潤っていた。だが、冷戦の終結とともに軍事予算は削減されていく。
このままでは自分たちの影響力が弱まってしまう。そういう思いを募らせた
軍産共同体は、アメリカに対する新たな脅威を作り出すプランを練り、
その資金力と政府へとつながる人脈を駆使して、数々の工作を行っていった。
−−
ケネディの暗殺も、彼らの疑いがあると聞いたことがある。次は、あの人?
の可能性がると、この本に暗に書かれている? 第二次世界大戦で、世界恐慌が
実質清算されたのだから、世界規模の戦争を仕掛ける動きが出ても不思議でない。 
日本の1000兆を超える預金を狙うのは至極当たり前のことだ。
前回の日本のバブルはアメリカの仕掛けだったのは今更のことである。 
これが世界の現実である。
・・・・・・・・
2008年01月11日(金)
2473,  生姜湯


5049,生と死をめぐる断想  ー3

2015年01月10日(土)

   * 死に対する恐怖 ー岸本英夫氏の場合
 宗教学者の故・岸本英夫氏が、東大教授であったアメリカ滞在中の1954年に
悪性の皮膚癌のが発見され、余命数ヶ月と宣言され、10年にわたる闘病生活で、
常に死を見つめてきた。〜『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』から
≪「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって今持っている『この自分』
の意識がなくなってしまうこと。 死の問題を突き詰めていくと、それが
『この今意識している自分』が消滅することを意味すると気がついた時、
人間は愕然とする。 これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。
身の毛がよだつほどおそろしい。死後の生命存続ということが、煎じつめると、
その一点にかかっている。何とかして、「この自分は」いつまでもその個体意識
をもちつづけうるということが確かめられればと願う。 これが近代的来世観。
 しかし、どうであろう。死によって肉体が崩壊すると、感覚器官や神経系統も
消滅する。脳細胞もまったく自然要素に分解してしまう。生理的構造が何もなく
なった後で、「この自分」という意識だけが存在することが可能だと考えようと
するのは、相当に無理がある。これは近代においても、人によって、その見解の
異なるところがあるように思われる。私自身、はっきりいえば、そうしたことは
信じることはできない。そのような考え方はどうも、私の心の中にある合理性が
納得しない。私の心の中の知性は、そう考える。≫
▼ 世界中の宗教を研究する岸本英夫。「世界の生命が何らかの形で死後も続く
と主張するところが共通する」が、そう信じて死んでいくことに否定しないが、
彼自身は、それを受けいれることが出来なかった。 死によって、肉体が崩壊
すれば、脳細胞も消滅する。生理的構造が無くなれば、「この自分」の意識
だけが残るというのは相当無理があるのではと。死後の世界を否定するのは
苦痛を伴う。その結果、自分がどこに行くかを問わない、というもの。
死後の生はないと決め、人間が与えられている今、この命だけと思い定めて、
「この自分」が確かに存在している生の期間に集中する。身の毛がよだつ
死の恐怖も、充実感に溢れる生き方をしていれば克服できると、彼は言う。
 その後、死は「別れのとき」という考えに到達する。人間が別れを経験し、
耐えることができた別れの、より大きく全体的なものだと。 そこまで、
心が到達して、平安を得る。私自身、父親の「生命飢餓状態」を、一年間、
身近で見ていて、父親が、煩悶の中で教えてくれた人生と、その結末。
【元気なうち、生きているうちが花! 死んでしまえば、それまでよ!
ただひたすら毎日を楽しめ!】に、深く納得する。死んで花見ができようか!
 で、以下の一年、二年前の文章につづく! 偶然だが、そういうこと。
・・・・・・
4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2
2014年01月10日(金)
         〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 
   * 私の体験例より・・
 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが
多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 
新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を
始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を
任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島
などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。
その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。
おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。
以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで
他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。
考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の
姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた
新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が
開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、
公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには
条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。
それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく
新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が
載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば
儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、
父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。
時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」
二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、そ


5048,修羅場の極意 −2

2015年01月09日(金)

                 『修羅場の極意』佐藤優著
   *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場      
  西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の
 シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう
 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、
 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて
 いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」
 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー  
≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか?
西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき
 ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物
 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に
 いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを
 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人
 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、
佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。
 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に
 ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで
 なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。
 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。
西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。
佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。
西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。
 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し
 かった頃に戻っていることに気づいた。 
西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に
 ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中
 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。
 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。
 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、
 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。
 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に
 なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる
 危険性が高くなる。
佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が
 ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。
西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった
 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は
 想定していません。
西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば
 いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、
 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に
 しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫
▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、
 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで
 おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを
 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい!
 だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター?
 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態
 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。
・・・・・・
4683, スマート革命 ー4
2014年01月09日(木)              
              「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
  * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません
 あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を
読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行
を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では
中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから
《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。
 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを
発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、
200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、
スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという
指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。
一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの
新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、
米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。
筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、
多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして
入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って
高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 
全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」
が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型
ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに
基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか?
筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」
(仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの
企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字
になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・
 ローソン  フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人
 Au  フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人
 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人  
LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を
フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット
選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。
この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。
明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む
企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》
▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目
 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている
知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、
若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には
スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが
普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい!
 ・・・・・・
4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4
2013年01月09日(水)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                      ーダニエル・ギルバード著
  * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー�
 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に
移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、
あまり変わりはしないことに気づかない。ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。
≪ ・・何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろうとし、
相手はできるだけ安く買おうとしただろう・・ 
 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと
思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する
科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年
にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、
赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め
ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル
の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より
ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな
国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな
国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用
逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に
あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は
増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。
ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。
でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに
働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。
われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ
をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の
チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり
食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力
をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが
一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、
どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や
装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、
いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ
は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける
のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫
▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の
 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。
それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、
常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。
だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、
どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は
思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも
買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。
  一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。
心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。
・・・・・
3941, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー1
2012年01月09日(月)
  「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 
  * 9・11、9・15、3.11の意味するもの=「近代の敗北」の記念碑
 私にとって10年前の9・11、3年前の9・15、去年の3・11の三連打で
呆気なく事業人生を終焉をした。それぞれの震災が起こるたびに売り上げが翌日から
右下がりになってしまう。その都度、政府が打ち出す政策などで持ちこたえてきた。 
しかし最後の東北大震災で止(とどめ)めをさされてしまった。売り上げの推移は
正直である。最近、二つの経済震災と、原発事故をともなった東北大震災の三つは
関連しているのでは?と考えた。 ところが先日、図書館で借りてきた水野和男著
の『君はグローバリゼーションの真実を見たか』の中に、私が知りたいことが、そ
のままあった。 ーここで書かれていることを大雑把にまとめるとー
≪ 500年前に、ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、
 近代化を始まった。これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う
超長期のブーム」の出発と捉えることができる。それは「陸の時代」から
「海の時代」の転換を示唆していた。海の時代には、アメリカ、アジア、インド
大陸などに侵略をしていた。それを欧米では近代化といっていた。
そして2008年のリーマン・ショックと、去年の3・11の原発事故で、
その近代化の終焉を迎えた。 9・11はそのアメリカに対する、弱者からの
反撃でもあった。本来1970年半ばで終わっていたアメリカの時代も、金との
兌換の中止を宣言したニクソンショックで終了したはずだった。その1974年に
自動車や家電製品に使われる粗鋼消費量がピークを向えていた。 これが
「地理的・物理的空間」の膨張の止まりであった。近代社会とは、膨張し成長
し続けることを前提とした。≫  ーまず、そのへんの部分を抜粋してみるー
【 9・11(米国同時多発テロ)、9・15(リーマン・ショック)、3.11
(福島原発事故)を「真の危機」と認識し、その原因を考えないと、これらを
上回る大きな危機が襲ってくる。 
  * 9・11ではテロリストによってジット旅客機がミサイルに、
  * 9・15ではサブプライムローンが略奪的貸付として、
    CDSが「金融版大量破壊兵器」として、
  * 3・11では原発が「放射能兵器」へ姿を変えて、弱者に牙をむいた。
   米国の多くの専門家は、今回の事故で「原発テロ」への警戒心が強まった
  と口をそろえる。「9・11」と「3・11」の、悪魔のような合体だ。
 今回の福島第一原発箏故を受け巨大津波に備えて万全の対策をとっても、
 「原発テロ」は想定外だったということは許されない。 また「100年に一度」
 の金融危機だったリーマン・ショックを量的金融緩和で封じ込めた後、米国の財政
 赤字を放置していたら、ドル危機につながらない保証はない。・・
 シユミットのいう世界史とは「陸と海のたたかい」であり、「大地のノモス」を
 めぐるたたかいであると捉えると、資本がアメリカのグローバリゼションに期待
 していることに象徴されているように、数十年後には取得すべき空白は地球上
 になくなる。だから、「世界史」が終わるのである。しかし、人類史が終わる
 わけではない。終わるのは「成長の時代」(近代)であり、シュミットのいう
 「世界史」である。ヨーロッパ史とは「膨張」の歴史であり、その延長線上に
 あって「爆発」した近代は、「成長がすべてを解決する時代」だったのである。 
 近代とは、技術進歩によって経済成長をするということを皆が信じて疑うことが
 なかった時代だが、9・15や3・15以後、成長しようとすればするほど、
 一方で貧しくなる世界がある。 近代の原理に忠実であろうとすればするほど、
 反近代を招来させることになった。「歴史における危機」が生じると、最も弱い
 地域や最も貧しい人々にしわ寄せが集中する。ある特定の人が利潤を極大化しよう
 と「努力」すると、他の人はより貧しくなることが 頻繁に起るようになった。 】
▼ この3つの震災は、大きな時代の変わり目であり、アメリカの衰退の象徴。
 この3つが「近代の敗北」の道標として歴史に残る。我われは、その場面に現在
 進行で直面しているのである。この節目(カオス)が今後数十年、続くことになる。
  ・・・・・・・
3576, 閑話小題
2011年01月09日(日)
  * ある朝のこと
 最近、夜半に目をさますと、過去の小学校や中学校時代のある場所にタイム
スリップするイメージを持つ。宇宙の漆黒に渦をまいて巻き込まれるイメージ
の中、そこに移動する。そこはまさに、その頃の場所に立ったよう。
そこから記憶の探索をする。あまり集中すると気分が悪くなるので、用心をする。
そこから色いろな光景と記憶が戻ってくる。半分覚醒し、半分は当時の世界に
入ってしまう。これは、はまると面白い。通勤途中の新幹線の中でも可能だが、
早朝の、半覚醒でするとリアルになる。これは一種の瞑想だろう。いや、夢想か? 
小説か映画の一本は書けそうだ。小説家は、そこで脚色をしてストーリーを
作るのだろう。振り返ると一年(時間)は短いが、実際は気が遠くなるほど長い。
  * 何だろう、最近の地球の自然美の映像は
「地球絶景の旅」とか、「絶景の空撮」とか、「ローマ街道空撮」とか、
最近これまで見かけなかったようなドキュメントの映像をしばしば見かける。
撮影機器が格段と良くなっていることもあるが、息を飲むほど美しい。
書店や図書館で、大型書籍を通して見ていたが、これがテレビで多く見かけられる
ようになってきた。ここで世界中に大型のハイビジョンTVが普及してきたことを
見越し、番組をつくり始めたため。この20数年にわたり地球の絶景・秘境に
行ったのは、あの大自然の自然美と霊気に触れる為である。しかしTVの画面を
通しても、あの大自然の美しさが茶の間に現出し、向かい合えるのだから文明の
力には驚かされる。家内は、「実際に何度も、その出会いを経験しているから、
感じるのであって、その感受性は他の人より敏感なだけ。その経験が無ければ
番組さえ見ようとしないし、見ても感受性が鈍いはず」という。しかし、あの
霊気は感じて当然だろう。現に、地元の書店で、ギアナ高地のテーブルマウンテン
の空撮の写真を見て、息を飲んでしまい、その二年後には、その懐に入り、
その霊気を充分吸ってきた。 スイスの山から大きな広い山あいの風景を見た時も、
思わず息を飲んで、やはり同じ光景に出会ってきた。 ケニアも、そうだ。
高校の同級生がケニアで撮った野生動物と草原の写真を見て心をうたれ、
その後、アフリカの魅力に取り付かれた。しかし、その感受性は、その積み
重ねで研ぎ澄まされてきたこともある。 この経験と、ネット社会の現出に
出会えたことは、大きな財産になっている。
 ・・・・・・・・・
3201, デフレ時代の商売
2010年01月09日(土)
 * 自動車の100円レンタルだと!
 毎日、驚くことばかりである。 「自動車の100円レンタルが出現」と、
TVで紹介していた。10分100円である。それでも二時間借りても
1200円、普通のレンタル店の数分の一である。要は短時間でも借りることも
出来、手軽で、かつ安い、ということ。 何故、そんなに安くできるかというと、
「中古車販売店が、副業で、中古車を貸し出すので、事務所も机一つあれば開業
できる」からである。弁当屋が配達に使ったり、遠くのスーパーに主婦が使ったり。
面白いのはベンツを5分100円で貸し出すのもあった。2時間ドライブをして
2400円なら、高くはない。
 * 中古婦人服再生品
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)


5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ

2015年01月08日(木)

  * 全人類と全アリンコの重さは同じ
 どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、
一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。
ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという
動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている
のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。
ある意味、地下社会の支配者でもある。
  * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 
 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも
あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が
重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融
緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は
なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の
緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。
そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は
一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも
済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と
いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに
向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。
・・・・・・
4682, スマート革命 ー3
2014年01月08日(水)    「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)       
  * エッ 自動運転の車が近未来に販売?             
 スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7〜8年内に発売予定の
ニュースには驚いた。以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが
凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実になるとは、誰も予測して
なかった。如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって、
何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー
   <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現>
1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢
がスマート革命により実現されようとしています。人工知能の塊である
ドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手
マイケルとが楽しく会話しながら事件を解決すると言った筋書きでドラマは進む。 
自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、スマートカー
にもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って
来る時代になってます。車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして
提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を
音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように
感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、センスの良いトヨタは
「トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。
ドライバーが「プリ君」(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。
「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。
非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には
会話力が付加されるでしょう。
  <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?>
音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代
には、機器が人の友達として立ち現れます。(昔、筆者もIBMのオフィス
コンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありました
が、その時IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。
技術的に説明するとこうなります)擬人化インターフェースの時代は
ナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代
(人が機器を人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が
「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。
そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。
▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると
 更に世の中が一変する。その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種
が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、これが現実の流れになる。
その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差が
  更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 
まさかスマートカーが現実に?
・・・・・・
4315, 考える力
2013年01月08日(火)
 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。
毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに
我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む
機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、
タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、
何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。
 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。
点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、
その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに
繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が
ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、
小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。
また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって
しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに
つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が
面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、
己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は
‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。
でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。
これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。
それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の
カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、
他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の
先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。
カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。
手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、
割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない!
・・・・・・・
3940、新年にあたり ー4
2012年01月08日(日)
  * 御先祖・四四太郎様の警告  ー�
 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。
子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、この津波は世界にとっても
日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。これは80年前の
1930年代の大恐慌と同じか、それより遥かに大きいから始末が悪い。
以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。しかし情報化社会では、
その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きて
いた16世紀あたりから白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり
支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、
300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国
させたのがアメリカである。その後、日本は日清、日露戦争で勝って調子
づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされ
てきた。そのアメリカが、経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のこと。
 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、
覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を
失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の復讐を恐れたアメリカに
骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。
まあ、お前さんも66歳、今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器を
フルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。
 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明
を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい仕掛けが隠されている
のを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が
優位に立ってしまうことだ。これは、最優位のものが、情報により総取りが
可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。
これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も
同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしているグループが実際に存在していて、
情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界を
どうとでも動かせる。まあ、この辺で話は止めておくが・・ 娑婆は御前さん
の想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは
自分の地頭で考えるしかない。要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、
それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。
度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる
評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。 言葉狩りとかいうらしいが、
目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。
あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、
この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ!
・・・・・・・
3575, 閑話小題
2011年01月08日(土)
  * 帰省中の次男の話
 外資系に勤めて10年になる帰省中の次男に聞いてみた。「中国人は多いのか?」
これに対し「普通の存在のように居るよ」である。中国人が日本の外資系に勤める
のだから信じられない位に優秀だろうが、 そこまでは聞かなかった。 
彼らは一人っ子政策の中で、家族を背負っているから覚悟が違う。その彼らと
働くのだから大変だろう。 土曜、祭日は出勤で、週一しか休暇が取れないとか。
平日の帰宅は22時過ぎ、常に睡眠不足。顔はゲッソリ、30歳前半は誰もそうだが。
  * バーチャル・ビュー
 BSで、最近みたのがズバリ「バーチャル・ビュー」という番組。その場に、
あたかもいるような目線で海岸や、街中を軽快な音楽をバックグランドにして
映し出している。何処かのリゾート地のビーチで自分が横たわったり、また
泳いでいるように画面が構成されている。特に自分が行った先は更にリアル感が
強くなる。 そういえば、以前から「世界街歩き」という番組がある。
 自分があたかも旅先で歩いている目線で、店に入ったり、人に声をかけたり、
家に入れてもらったりする。地デジの切り替えで、各家庭のテレビを大型液晶に
かえた為か、テレビ番組も、それに従い変わってきた。受信機だけでなく、撮影
機材も格段と良くなり、映し出される映像と内容が飛躍的にスケールアップ。
これまでBSで放送していた内容のものが、地デジの方に移行を始めている。
それにともない、BS放送の内容も、バーチャルビューのように、居間の空気を
和ませるような内容が出てきた。その一つがバーチャルビューということになる。
これは録画をして、早朝に聞くにベストである。そして現在、映像入りBGMで、
これを書いている。
  * つれづれに
 4日の15時半発の帰省列車の東京方面に乗ったが、殆どが若い親子連れ。
中高年の姿はほぼ見当たらない。(字数制限のためカット、2,011年01月8日)
  ・・・・・・・・
3200, 年末・年始の「どうなる日本」の新聞論評は?
2010年01月08日(金)
 正月の5大新聞の年末年始の社会、経済など「どうなる日本」の解説や、
対談を目を通してみた。石原慎太郎の「日本よ」の辛口の論ぐらいが、納得した
ぐらいで、あとは殆んど見当たらなかった。あまりに悪いから、マイナス論調
のことを書けないのだろう。 当たり前のことだが、
・現状は恐慌そのものであり、既に二番底にむかっている
・デフレ危機の瀬戸際。 デフレ・スパイラルは5,6月辺りが危ない
・アメリカから中国、インドなどに選手交代
・電気自動車などの新しい分野への転換期  等等が、問題と指摘していた。 
株価、為替は大きく揺れるのは必至である。私の商売の動きからすると、
デフレ・スパイラルに去年11月から始ったと思われる。社会的問題の、
ホームレスや、失業問題には、どの新聞も避けていた。新聞は取上げないが、
リーマンショック以来16ヶ月も、輸出入がマイナス40%を続けている。
輸出主導の経済のこの国では、この有り様では景気回復など考えられない。
藤井財務相が辞めたが、この国家予算と800兆の国債総額では、予算委員会の
答弁は無理。 なるほど百年に一度の恐慌とは、こういうものか!と実感する。
恐慌が二年目に入り、そのウネリがより大きく覆ってきている。
情報化、グローバル化は、世界を平準化する。その中でアメリカの従属国家
として平和を謳歌し、豊かさを享受してきた日本も、世界の普通の国家並みに
なるプロセスの入ったということ。 今年は政界再編成を含め、大波が次から
次へと襲ってくる。 憂鬱な10年に入ったが、割切って身を委ねるしかないか? 
高度成長期を味わったので、その段差の溝があまりに大きく感じる。 
21世紀になって10年、その一端を経験しているが、成るほど断絶の世界である。
更に、ここにきて電気自動車と、ツイッターである。
・・・・・・・・
2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 
2009年01月08日(木)
 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。何かの夢をみている中で、
空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。それを神経を集中して
見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が
呼吸が出来なくなったのである。ハッとして夢から覚めたが、何分か息をして
なかったようだ。必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分
の悪さに見舞われる。その時、「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな
気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。そして数分の間、深呼吸
をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。 
その繰り返しである。そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 
恐ろしくて目をつぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で目を見開いて
いたが、恐ろしい不気味な時間であった。無呼吸症候群ではないのだろうが、
高齢現象なのだろうか。書いていて思い出したが、子供の頃、父がイビキを
かいていて急に呼吸が数分止まることがあった。再び呼吸をしないのではと、
耳を済ませたことがあった。(字数制限のためカット、2,011年01月8日)
・・・・・・・・・
2008年01月08日(火)
2470, アメリカをWeb世界に類推する                   
  「ウェブ時代をゆく」−4  読書日記
 現在のWeb世界の現状を、人工国家アメリカの建国と同じ位置づけをして
考えているところが面白い。また、否定的にみる傾向の強いアメリカをプラスの
面から照射しているのも新鮮である。弱肉強食とはいえ、強者であればチャンス
が開かれているのもWeb世界と同じである。これから考えると、Web社会は
弱肉強食を強める可能性もある。逆に弱者でも、最低の保障も与えられる?が
 ーその一部を抜粋してみるー 
「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角に
すむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」(字数の関係でカット09年08日)
・・・・・・・・・
2007年01月08日(月)
2106, それがどうした!それでどうした!
「それがどうした!」 究極の開き直りの言葉である。
そして「それでどうする」が、ギリギリのところで思考から手順への転換点への
切り替えの最後の言葉となる。「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一
による小説作品になっている。フランスのミッテラン元大統領が、女性問題に
ついて質問した記者に対し、応えた言葉「それがどうした」もコミック的である。
人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。
この中傷・誹謗や不安感のために人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。
その時の悩みに対して、「それがどうした!」「それでどうした!」と開き
直ってみると、ほとんどは何ということもない。 そうでもないか?まあ、話を
逸らさないために、そういうことにしておく。「それがどうした!」と開き
直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、思考停止にするか大きな
分かれ目になる。その対象の問題の本質の「正一点中心無」に向かって開き
直って掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。掘り下げると、殆んど
「そんなもの、何とことない!」に行き着く。関西で「何ぼのもんじゃい」
という言葉もあるが・・事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うこと
になる。「それでどうした!」そして、「それが何だ?」「それでどうする?」
とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」となり、そしてあとは
「なるようにしかならない」となる。その繰り返しの中から手順をみつけていく。
(字数制限のためカット、2,010年01月8日)
・・・・・・・
2006年01月08日(日)
 1741, 教養とは −1
「教養の意味」を検索で調べてみた。  
・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。   
・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる一定レベルの
 知識や 常識を持っていることは当然として、古典文学や芸術などに対する
 幅広い知識を備えており、かつ、それらの知識が品位や人格及びものごとに
 対する理解力・創造力に結びついている状態を指す。       
 ーギリシア語ではパイディアであり、意味は「子どもが教育係に指導されて
  身についたもの」のこと。
 ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
 ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。そ
  れぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
  学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。
  伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに相当するものと
  しても捉えられる。大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。
  社交界や人付合いの場面で、洗練された会話や身のこなしができる能力。 
   ー以上が検索で調べた内容である。
 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた
 後でも残っている素養」という言葉である。
「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。
 私など無教養を自認しているのは
「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。何故必死に本を読むか、
「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積してきた文化を
 知りたい」からである。
「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛
「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というと
 なお納得できる。豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが
 一般的な意味である。  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく


5046,修羅場の極意 −1

2015年01月07日(水)

                  『修羅場の極意』
  〜まずはアマゾンの内容紹介〜
 面白い本である。 人生には、それぞれの人の修羅場がある。
今では、結婚し、甘いハネムーンの後、修羅場を経験した後、4割が離婚に至り、
その過半数以上が貧困に陥っていく。 何度か修羅場に出あい、乗越えて
生きていくのが人生。 地獄は彼岸にあるのではなく、現世にある。
 −アマゾンの内容紹介と、目次であるー
≪ 敵を作り、嵐に巻き込まれた時、
   うろたえるな!  「時」を待て!  生き残りを懸命に考えよ!
 修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法と技法がある。
イエス、宇野弘蔵、西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べる?
ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは? 外交と政治の修羅場を駆け抜け、
獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。                            
 ○目次 ーはじめに――東京拘置所での谷底生活から
  I 偉人たちのサバイバル術
1章 助言者は絞り込め【マキアベリ】
2章 逆説的発想で事態を打開せよ【イエス・キリスト】
3章 「偽装」というテクニック【ドストエフスキー】
  II 反面教師たちの失敗学
4章 破壊的影響力の秘密【ヒトラー】
5章 悪知恵にだまされるな【オットー・ケルロイター】
6章 “正義漢"の勘違い【スノーデン】
  III 「獄中」の教訓は役に立つ
7章 独房で筆者の精神を救ってくれた教え【内村剛介】
8章 経済学と小説の力【宇野弘蔵】
  IV ヴァーチャルな修羅場、リアルな修羅場
9章 人間関係に役立つ神学者の言葉【ディートリヒ・ボンヘッファー】
10章 ノマド的〝処世術〟【安藤美冬】
11章 不作為は悪【小説『インフェルノ』のラングドン】
 対談 「最悪」のシミュレーションだけすればいい【西原理恵子】
おわりに――「時」を見極めるということ ≫
▼ 人生は、いずれにしろ甘くはない! 修羅場の修羅は、阿修羅が語源。
 辞書によると、【 阿修羅のもともとはインド神話における「アスラ」
という名の魔神であり、インドラ神と戦いを繰り広げた鬼神であった。
一般的には戦いの神としてのイメージをもたれており、そのため激しい
争いの場を、その名をとって修羅場と呼んだりもする。】とある。
身近な修羅場といえば、夫婦間の争い。 夫側の酒癖、女癖の悪さや、
互いの粗探し、金が無いことからくる争いが、修羅場の起因となる。
そこで、〜うろたえるな!「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ!〜になる。
・・・・・・
4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 
2014年01月07日(火)
  * この現象から考えさせられたこと
 ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっている
ケースが多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと
思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見た事もある。
静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで
多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! 
また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている
ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。
事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての
創業など無理。この仮説から演繹法と帰納法が具体的ケースとみると解りやすい。
演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に
因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か
病気が生じる現象。そこから、これユングのシンクロニシティでは?と行き着く。 
これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と「偶然にしては出来すぎ!」
が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。
 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 
大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、
知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ
自体が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、
さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じて
いたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。
その思いを書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に
気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ??
 ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけ
でなく、むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づく。
夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ!
以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目を
つぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、そこから一歩、
外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。
この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』
 /   _ノ  \
 |   ( ●)(● <おっと、それ以上は言うなよ…ったく!>
. |     (__人__)____
  |     ` ⌒/ ─' 'ー\     
  |       /( ○)  (○)\    
.  ヽ     /  ⌒(n_人__)⌒ \    
   ヽ   |、    (  ヨ)Ωチーンi~   
   /    `ー─−  厂   /     
   |   、 _   __,,/     \   
・・・・・・
4314, 閑話小題  ー若者たちの悲哀
2013年01月07日(月)
  * 若者たちの悲哀
 現在、日本の若者の36%が離婚しているという。アメリカでは50%、
ベルギーにいたっては70%というから、驚き。元もと結婚しない人25%
を加えると、一生涯を通して一人の相手と添え遂げる人は半分以下になる。
この不況下では、私たち世代の生活レベルに比べ遥かに劣り、現代の中枢を
なす人たちの生活形態そのものが変化している。姉兄6人の甥姪が息子二人を
含め12名いるが、独身者が4人いる。これが身近な実態である。
離婚率は、この10年、同じ曲線で上がり続けているので、5割も遅くない
将来に到達する。少子高齢化に加え、非婚、離婚の異常な増加は日本的
家族制度を解体しつつある。それは日本という国の基礎を揺るがすことになる。
  * 現代の進学事情
 隣の韓国の大学進学率は、OECD加盟国の中でも高い水準にあるが、最近
少しずつ低下している。2008年に84%で頂点に達した進学率はそれ以降下がり
続け、2010年には79%まで低下しているが、OECD加盟国の平均(2008年、57%)を
大きく上回っている 。では、日本はどうか。2010年における日本の進学率は
57%で韓国を大きく下回っているが、詳細を見ると、韓国とほぼ変わらない。
日本の進学率57%は大学や短大への進学率だけで、ここに専門学校等を含めた
高等教育機関への進学率23%をプラスすると日本の進学率は80%。
これは韓国の進学率79.0%を上回る数値。韓国には日本の専門学校のような
教育機関が少なく、専門学校の代わりに短大に進学している学生が多い。
OECD加盟国の平均は57%というから、こんなもの。高卒就職者が二割とは
時代が変わったもの。私の時代は八割だった。右上がりと右下がりの時代では
様相が激変するのは当然としても、ここまで変化するとは! 
そして、右下がりは更に続く。
・・・・・・
3939, iPad その後
2012年01月07日(土)
 現在でもiPadに驚きの毎日である。というより、ネット、ブログ、
アプリ、パソコンを組み合わせたタブレットPCの威力に驚き!が正しい。 
PC世代が当り前に使っていたパソコン機能を更に進化させ、我われ世代が
気楽に使えるようタブレット式PCで可能にさせてくれたのである。
こんなアプリもある、こんなゲームも出来ると水を得た魚のような気持ちに
させてくれている。起動から数秒で使えることと、何処でも使えるのが良い。 
先日、ネット上のアップル・ショップで、「Fotopedia国立公園」
という北アメリカの国立公園の写真集を85円で購入した。さっそく開くと、
2000枚の、素晴らしい写真が次々と出てくる。何で、これが85円と不思議。 
が、直ぐに電子本を手元のパソコンにダウンロードしたのではなく、ネット上の
書籍にアクセスをして見るシステムだった。ネット辞書のウィキペディアを
ネットを有料でみるようなもの。ネット環境さえあれば、パソコンに全てを
ダウンロードなどする必要はない。 もう一つビューンというのもある。
月に450円を払うと、数十種類の週刊誌、月刊誌を読むことが可能になる。
更に数種類の週刊誌の数ヶ月分がダウンロードが出来、それはネット環境下で
なくとも読むことが出来る。他にも版権の切れた文庫本などの小説集を80円
で購入したが、これはダウンロードをし、ネット環境外で見ることが可能。
したがって少しの時間でも退屈する事はない。私のような暇人にとって、
理想的IT端末といえる。購入前に、iPadにするか、ドコモの携帯電話機能
のついた7インチのタブレットか迷ったが、ドコモはネット環境下でなくとも
見れる利点がある。何を選択するかである。 去年はスマートフォンが爆発的
ブームになったが、今年はタブレット式パソコンだろう。TVにしろ、パソコン
にしろ、スマートフォンにしろ、これだけ膨大の情報が隅々まで流れ出ると、
既存ののシステムは対応できなくなって当然。これが、この大混迷の原因に
なっている。 誰もが数年前の自分が他人(馬鹿)に思える時代が面白い!
・・・・・・・
3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1
2011年01月07日(金)
時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。
 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から
   ー10分ルールー
 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えると、
その環境や行動に脳が順応することをいう。弱点だと思い込んでいた性質が、
この10分ルールで変えることも可能になる。最近、テレビのバラエティーでよく
あるのは、最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、
オープニングが始る場面に多く行き当たる。 これは10分間、視聴者に予告を
含め馴染ませれば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。
 このルールを知っているといないのとでは大きな違い。既に亡くなったが、
ある知人に「とにかく一晩寝てから、怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は
消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。
これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐える
ことをルールと捉えた法則。これまで決断するまでに、計画が固まった後に
時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、
目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを
知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、逆の立場で、その辺の
人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。
だから、ある時間耐えれば良い。
 次は、ー90分ルールー
 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、
大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、90分を過ぎると
実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。
テレビの特集なども90分もの。人間の身体は一日24時間のサイクルに合わせて
出来ている。その中に、90分のサイクルがある。分かりやすいのが睡眠で、
90分周期で浅い眠りがくる。それが一晩に4〜5回繰り返している。
大学の授業時間も、会議も90分が通り相場。休日など終日、読書をする時は、
90分で休憩を入れ、違った分野の本に切り替えると良い。
  ・・・・・・・・・
3199, 閑話小題
2010年01月07日(木)
  * 善は悪より生まれた!
 誰が言ったか忘れたが、「善は、悪より生まれた」が、妙に気になった。
「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。キリスト教倫理からすれば、
イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。人間が社会を
形成する時に、一つの規範が必要になる。国家創りにまずは憲法、そして法律、
それを守らせる内の警察という暴力装置、そして外に対しては軍隊。 
それを、統治する象徴としての日本なら天皇、欧米なら大統領の存在である。 
孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、民を内側からコントロールする教え。
古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
 それらの法律や規範を守ることを善というなら、それに反することを悪という。
ということは、それができる前は、(その規範の視点で振り返るから)悪が
まかり通っていたことになる。 で、「善は悪より生まれた」ということになる。
しかしキリスト教倫理からみて、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』
という疑問が生じる。  女性の哲学者『シモーヌ・ヴェイユ』は
『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。 
悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』
彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を裂くものとみた。
神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教
倫理的な見方でしかない。悪党ほど善の価値を知っているのだろうか。
悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもできる。
親鸞の悪人の方が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。
  * 呉服の衰退
 TVのレポートで、呉服チェーン店の「さが美」が、ポリエステルだが
一万円の和服セットを紹介していた。普通、呉服のセットは30万というから、
30分の1である。 若い人が呉服を着なくなり、不景気も重なり、5年間で
呉服の売り上げが業界全体で半分に減ったという。 何処も同じである。
「さが美」は高度成長期より呉服チェーン店として飛ぶ鳥落とす勢いで急成長、
現在300店舗あるが、必需品以外は、こんなものだろう。先日、静岡のトヨタ
関連の部品メーカー関連の仕事をしている友人に景気状況を電話で聞いたところ、
「エコカー補助金のお陰で何とか息をついているが、二輪車を扱っている
「ヤマハ」の関連企業は、回復の兆しはない」と言っていた。オートバイは、
呉服と同じで嗜好品?だからである。
・・・・・・・
2834, 不況の景色 −6
 2009年01月07日(水)
  *ウェッジウッドが倒産
ウェッジウッドが倒産した。ウェッジウッドといえば、英国王室御用達の
「女王の陶器」として人気を集めていた。ところが中国製などの安価な製品に
押されて低迷、さらに金融危機を契機とする世界的な景気後退で売り上げが低迷。
そして一昨日に倒産のニュースが世界に駆け巡った。 グローバル化のウネリに
押し流されたのだろう。12月初旬のイングランド・ツアーで、本社に立ち寄って
何点かのコーヒーカップを買ってきたばかりだった。 本社は近代的な建物で、
多くの製品が展示されていた。まさか一ヶ月もしないうちに倒産など考えられ
なかった。従業員が世界各国に8000人、負債総額が500億という。
  *トヨタ系の孫会社の友人に電話をしてみた
 学生時代の静岡の友人が実家のトヨタ系の部品メーカーを経営しており、
そのサービス部門の子会社を任されている。家内と供に、一昨年の夏に静岡まで
遊びに行って親交を暖めてきたことがある。その前年、私のところに遊びに来た。
 そこで自動車業界の不況がどうなっているか電話をしてみた。緊張が解けた
のだろう、一挙に実情を教えてくれた。
・9,10,11月は緩やかなダウンだったが、12月に入り一挙に三割ダウン。
 2年〜3年かけてダウンしたのではない、一月でダウンは呆然自失だったという。
・本体の550人の従業員のうち150人近くの季節工、アルバイトの契約解除
 をし、現在は正社員のみ。 
・夜間作業を全てカット、残業は一切中止、今月は二日間の工場閉鎖するが、
 それは国からの休業補償が出るという。
・レクサスやクラウンなどの高級車が売れなくなったようだ。
・トヨタは世界一位を目標に、この数年間は1000万台突破という拡大路線をとって
きたが、リーマンブラザーの倒産以来の円安と、大型車の急激な売上げ減、そして
アメリカ市場の冷え込みは、彼等の想像を遥かに超えた事態。
 (字数の関係で中間カット  11年01月07日)
・・・・・・・・・
2008年01月07日(月)
2469, 四四太郎の霊日記 −17     (σ・з・)σオハYO!!
 (字数の関係で中間カット  15年01月07日)


5045,生と死をめぐる断想  ー2

2015年01月06日(火)

     『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
   * 頼藤和寛 〜にもかかわらず、生きる
 『人みな骨になるならば』頼藤和寛著 の書評を数年前、ここで取上げた。
底しれないニヒリズムと、「にもかかわらず、真摯に生きる」頼藤の姿に
心が動かされた。ここで岸本は、「だから」「しかるがゆえに」の換わりに、
「にもかかわらず」の頼藤の生き様、言葉に励まされる。ーその辺りよりー
≪ 願望に基づく世界観の構築を、彼は拒む。自らの避けられない死際にしても
その立場を徹底する。その姿は、認識の鬼とでも形容したくなるような、ある種
の凄みを持っている。医師を続けてきた頼藤は患者から「何も悪いことをして
いないのにどうしてこんな病になったのか」という抗議を幾度も聞いてきた。
 彼は述べる。科学的に研究をすれば、善人と悪人とで罹患率や平均余命などに
有劣の差はないと、証明されてしまう。心理学は善悪に関して死後の因果応報を
信じがちな人ほど願望充足的な推論や希望的観測を多用するという実験結果を
つきつけてくるかもしれないと。「自然現象に人間的な道理は通用せず、
来世で辻褄を合わせようとする世界観は心理的な自慰にすぎないことを強く
示唆している」。(頼藤和寛『人みな骨になるならば』)
・おそらく世界の実相は、人間の都合とは無関係にある。
 「このことを、実は、何千年もおんちょうのあいだ人類は怖れてきた。
 われわれは幸福がなにかの恩寵によるもので、耐え難い災厄ですら
 なんらかの意味をもつと信じたがった」。
・「世界には、ニヒリズムを突き崩せるような物証は何もない。なぜなら
 われわれは、自分が信じたいように世界を観たのではなく、人間に可能な
 かぎり禁欲的に宇宙のありのままを見据えてきたからである」 
しかし、前向きに生きれば治癒につながる、「だから」前向きに生きるとする
なら、その基盤は脆弱だ。「前向き」でいたのに亡くなっていった人は、周囲を
見渡しただけでもどれほどいることか。治癒を期待し前向きに自分を保つなら、
それでも再発進行した場合、「ならばどう生きても同じだ」と投げ出すことに
なりかねない。「だから」「ならば」「しかるがゆえに」の論理の危うさを
感じていた私に、「にもかかわらず」の哲学は頼もしく思えた。世界には
説明のつかないことがたくさんある。説明不可能性に耐えよ。そう著者に
言われている気がした。「何千年ものあいだ人類は怖れてきた」と彼が言う
世界の実相。人間が受け入れやすいようその上をおおっていたべールを、
近代科学がはぎとって暴いてみせたところでなお、人々が怖れているならば、
世界の実相がやはり「怖れるに足る」ものだからだろう。何千年も怖れられ
続けてきたものに、たまたま近代以降に生れたからといって、人間がひとり
丸腰で対峙することが、果たしてできるものだろうか。自分がニヒリズムを
どこまで貫けるだろうかという疑問もある。・・≫
▼ 死の淵から生還した人にとって、「にもかかわらず、生きる」より、
 「にもかかわらず、生きている」ことになる。死は、特に己の死は、
 直視できない永遠の課題。だから、宗教が必要になる。神の御国に
帰っていくイメージである。生くさい恐ろしい死のイメージを、長年かけ、
優しい神様がいる天国のイメージへの転換が必要になる。死んでしまえば、
それまでよ。にも関わらず、彼岸には、あの世が待っているイメージ。
 で、以下の三年前の内容に繋がっていく! 丁度、あの修羅場?の最中
ーー。
2011/03/18
3279, 人みな骨になるならば −1
「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本『わたし、ガンです ある精神科医
の耐病記』も出されている。「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、
この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の
 人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の
松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるために
人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、そのような酷薄な
現実に堪えられないようだ。それに堪えるため人間は自分の意味を膨らませる
ため、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。自分を膨張させようとする、あえない試みである。
これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに
至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
このエゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れ、感動した経験を多く
持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。
 特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップ
でしかないのか? そう思うと気が楽になるが!
・・・・・・
4680, 偶然からチャンスを見つけだす能力
2014年01月06日(月)
 ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方
                          ー沢泉 重一(著)  
  * 人生は偶然を織りこむ絨毯づくり!  
 人生を振返ると、出会った人、出会った出来事が果たして偶然だったか、
必然だったのか、考えさせられる。偶然に機会を見出すためには、目指す夢と
目的が必要になる。そこに機会を見出すには素養と準備が前提だから。
その偶然からチャンスを見出す能力「セレンディピティ」は、イスラムの寓話
「セレンディップの三人の王子」が語源。ドラゴンを退治する巻物を探すため、
自慢の王子が送り出される旅の途中で、多くの危険と苦労を味わうが、
そのつど判断力を働かせ、それぞれ理想的な姫と知りあい、幸せに暮らした
という神話の原型が、そこにみてとれる。英和辞典には「当てにしなかった
ものを偶然うまく発見する才能」とある。 ー内容紹介とレビューからー
【 偶然のチャンスをいかに生かすか、見出す秘訣がここにある。
 世界的発見の多くは、"偶然の所産"であった。 古い寓話に由来する言葉
 <セレンディピティ>は、偶然のチャンスを生かす力を指すキーワードとして、
 科学者や先端的ビジネスマンの間で高い関心をよびつつある。】
  ー読者プレビュー 
●【「セレンディピティ」は、狭い意味では「探していたものを、他を探して
 いるときに偶然に見つける能力」。この本ではより広く「偶然を見逃さずに
成功につなげる能力」という意味で使っている。 著者が編み出した
「偶察力(偶然を察知する能力)」という言葉は、しっくりくる。
面白いのは、セレンディピティを高める方法論。世界的革命をもたらした
発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトの関係や、
シンクロニシティとのちがいなどを述べている。さすがセレンディピティ研究
の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に役立つと思うところが多かった。
とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを
高めるための一連のシステムを紹介している。偶然という現象について述べた本
はアーサー・ケストラーなどがあるが、この『偶然からものを見つけだす能力』
はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというもの。
「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなう
ブレークスルーは、ともなわないよりも大きな成果をもたらしうるというから、
セレンディピティを高めたい気持ちは高まる。】
●【「偶察力」という言葉に置き換えて、これを一種の「能力」とし、仕事に、
日常生活に、趣味に言葉遊びに、知的仕掛けとして使っていこう、という話。
驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶり。セレンディピティを巡って、起源、歴史、
 古典、映画、科学論、科学史、書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそ
あらゆる情報ソースを駆使し、ちょっとした日常の場面で、どんな場合にどう
適用していくのがおもしろいのか、を、わかりやすく書いた文章です。】
▼ 必死に捨身で何かを目指していると、その何かより、プロセスでプラス・
マイナスの機会に出くわす。そこが、分かれ目で信念が試される。人生の節目
には思いもよらない機会が隠されている。 そこで、運命を恨むか、他者の
中傷に汚れるか、自分の信念を見つめ直し、新しい一歩にするか、その人次第。
その意味で、この言葉は人生を振り返るに、考える糸口になる。 節目は、
順境のアップスケール(脱皮)より、逆境の破壊の状態の方が多い。その時、
思いもよらない学び、チャンスが現れる。私にとって、現在の節目はベスト?
それが「セレンディビティ」の一言に凝縮。遇察力が飛躍的に向上、御陰で
様々な見えてなかったことが鮮明に見えてきた。
 人生は短し!より濃厚に日々を生きろ!ということ。 
・・・・・・
4313, 幸せはいつうもちょっと先にある −3
2013年01月06日(日)
     「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                    ーダニエル・ギルバード著
 人間の脳は、過去の失敗に対して無意識に自動的免疫をするように出来て
いるようだ。私の事業が、大津波(金融恐慌)で儚く流されても、後悔も、
未練も少ない。万一の手立てをしていたことがあるが、経済的震災に遭遇した
事に、後悔も愚痴も無駄、を知っているからだ。しかし、そこには、心理的
免疫システムが働いていたようだ。 ーその辺りを抜粋してみる
  * 前向きに過去をみる ー心理的免疫システム
≪ 我々は、過去に手痛い大失敗や、失恋を、「これまでの人生で最良の
 出来事か」か、「人生最悪の出来事か」と表現するかと尋ねたら、最悪より
最良を支持する人のほうが多いだろう。逆に、その経験をしてない人に、この
質問をしたら誰一人として失敗や失恋を上げない。失敗や、失恋は過去の出来事
として見るとき、実際よりバラ色にみえる。人間の脳は、それほど酷くない
理由を探し始めるように出来ている。これを心理的免疫システムという。 
我々は自分の脳の変化の過程を自覚しないため、見方が変わるなど考えない。
そのため未来の感情の予測が難しくなる。これを知らなかったために将来にも
同じことを繰り返す。ところで人は、行為より不行為を強く後悔するのだろう。
それは心理的免疫システムは、行動しなかったことには働きようがないからだ。
プロポーズして振られても、そこから多くを学ぶことが出来たとしても、何も
しないと、学んだり出来ない。心理システムにとって行き過ぎた勇気の方が、
行き過ぎた臆病さより正当化しやすいからだ。それを我々は分かってない。
その時、つまずきながら前に進むべきときに、両面作戦に出てしまう。 ≫
▼ 天風の積極一貫の信念で何事にも前向きに立ち向かうべきということ。
 手痛い失敗も、しない失敗より良い。事業についても同じ。
‘ああ、面白かった!’ただ、それだけ。 その辺りが、傍で不幸と
決めつけている人との違い。ところで、日本人は幸せなど正面だって使って
なかった。明治以降に、ハピネスあたりの当て語として使われた。
  それらしき言葉で、「良いめぐりあわせ」といった程度のもの。 
幸福とは個人的な心情だが、儒教的考えでは、そういう考え方とあわない。
それに対し欧米人は、個人主義が強いこともあり、臆面なく「幸福」を論じる。
  幸せも、妄想でしかないという視点でみると、分かりやすい。
幸せだったと思えば幸せ、不幸だったと思えば不幸である。それなら幸せ
だったと思えばよい。所詮、全てが妄想。それでも、幸せと思えない? 
それこそが貴方のバイアスである。
・・・・・・
3938, 閑話小題
2012年01月06日(金)
  * 車修理
 去年の暮れ車庫のブロック塀に車の後部をぶつけてしまった。 
経験からみて最悪の場合10万円以上、少なくとも7〜8万はするはず?だが、
あくまで業者が判断すること。そこで三ヶ所の見積もりをとったが、5万4千、
8万5千、20万円と出た。よくぞ、これだけの差が出たものと驚いた。
20万円のところは、「修理不能で、その部分のパネル全体を取り替えないと
無理」というが、他はそんなことを言ってない。当然、5万4千円のところに
決めたが、20万とは、いい加減なもの。そこで思い出したのが以前も
見積もってもらったこと。 高いので他にしたことを思い出した。
 高くなる算段で修理を考えるのと、安くなるように算段して何とか注文を
取ろうというでは4倍近くも違うということ。そこはバイパス近くにある
車社会では一等地。高くなるように見積もっても、客は絶えないのだろう。 
今回決めたところは川崎のカーコンビニ、高いところは?ネット上では書けない。 
家電でも何でも最低、三軒の見積もりは必要である。ところで、年末年始で修理
工場が忙しいということもあり、三週間も、そのままの状態で車を走らせていた
ことあり、他の車の傷が気になり見ていたが、本当に少ない。そういえば、
街で車が凹んんだまま走っているのを殆どみかけない。 これまでも、たまに
見かけると振り返る程だった。無傷が当たり前と思っていたが、外国では平均的に
見ても多く見かけられる。考えてみると、その国の豊かさに比例している。 
服装と同じ感覚である。 まだ修理待ちでヘコンダ車に乗っているが、
あまり気にならないのは? いや、やはり気になる?
  * 男はつらいよ
 以前も、ここで何度か「男はつらいよ」について書いたことがあった。 
年末年始は必ずといってよいほど、48シリーズの幾つかを再放送するが、
今年は全シリーズの放送をしていた。その何本かを見たが、家内が大嫌いで、
私が見るのも嫌がる。しかし何度見ても、その都度、考えさせられる。 
少し頭の軽い気の良い流しのテキ屋。 全国各地の祭りを追い旅をしている。
美人に惚れっぽくて、その見返りで、やたら女性にモテる。見境なく惚れるから、
女も悪い気がしない。そこで、ヤクザ者のペースに嵌っていくが、実は他に
目星の男がいて振られるか、上手くいきかけても本人が自分の立場に気づき
身を引く、という物語。テキ屋の世界は、甘い世界ではない。 社会からは
一歩食み出でた悲劇と喜劇の屏の上の際どさに味わいがある。人間社会の悲哀を、
主役の寅さんを通して表現している。その素朴な女性への憬れが、仏の温かさと
二重写しをしている。それと時々帰る親戚の家族の温もりが、今は無くなりつつ
ある家族生活を疑似体験させてくれる。私が社会人になった年に映画化が始まった。 
四日市、神戸、東京、金沢、千葉と転々としていた頃、擬似家族の温もりを、
あの映画の中に求めていたようだ。家族の絶対のベースがあればこそ、
人間は正常でいられるのである。ネットの擬似家族もあるか?
・・・・・・・
3573, デジタル進化論
2011年01月06日(木)
 日経新聞がデジタル進化論の連載を始めた。ークラウドが迫る転換ー
がサブタイトルである。iPodの登場から10年、これがiPhone、そしてiPadと、
直感操作型情報機器へ広がりを始めてきた。パソコン登場から30年が経ち、
次の展開として、スマートフォンとか、タブレット式パソコンなどに軸足を
移し始めてきた。iPhoneの登場から僅か4年で、パソコンの売上げ台数の
3億8千万台を、今年中に直感式情報機器が上回るというから、尋常ではない。
特にタブレット式無線パソコンが、この数年で爆発的な普及が予測される。
シャープもキーボード付パソコンから撤退を表明、タブレット端末に集約、
電子書籍サービスで稼ぐ事業モデルに転換する。「アプリ」もパソコンソフト
と同じぐらい揃っており、数十万本もあるというから、成功すると見てよい。
ソニーも、ドコモも、auも、それぞれの特性を生かした戦略で進出を
始めているので、数年で、市場は激変する。 昨年だけでアップルは。
iPhoneを3300万台、iPadを1800万台を売ったという。今後、世界中の
大手が直感式情報機器の販売に入るため情報化は更に進むことになる。そのため
情報の量と質が格段にアップする。それと比例して世界に情報が行き渡り変化
を加速させることになる。それが、更なるグローバル化、平準化、一極化が進む。
そうこう考えると、時代は激変を止めることは不可能といえよう。デジタルと
いえば、数ヶ月前に入れたテレビである。値段は、一般の二倍以上したが、
テレビの画質、音質、機能等は、明らかに数倍のもの。で、何が変わったか?
というと、映像対象の内容が違って見えるようになったこと。これら
デジタル化は、人間のあり方まで変えていく、良いにつけ、悪いにつけ。
 経済も含めて今後10年で世界は、日本は、どのように変化していくのだろう?
10年前からみて現在は想像を遥かに超えている。 問題先送りになってしまう
大きなマイナスもある。「心配ごとは、明日に!明日はこないのだから」で、
手遅れに?か。
 ・・・・・・・
3198, 句読点とは妖精のようなもの! ー2
2010年01月06日(水)
 * 検索で「句読点の打ち方」と入れたら、次のようなものが出てきた。
・文の息の切れ目に読点を打つ  ・対等に語句を並べる場合に打つ  
・難読、誤読を避けるため使う ・文の構造を分かりやすくするために打つ  
・節と節の間に打つ(彼も喜び、私も喜んだ)
・前置きの節や語句を区切る(その夜、あなたはいなかった)
・挿入された節や語句を区切る
   (私はそんなこと、前にも言ったように、していない)
・主語を明確にするために打つ(私は、彼はそんなことはしていないと思う)
・修飾する語とされる語の関係を明確にするために打つ  
・読点と他の符号との連続はなるべく避ける
・会話の場合は「 」の外側に句点を打たない 
・会話以外の場合で、「 」や( )などで文が終わ


5044,生と死をめぐる断想  ー1

2015年01月05日(月)

    『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
 * 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世
   ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー
 以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、
3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく
なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する
知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が
増えている。 ー まずは序文の冒頭からー
≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。
 葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。
詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。
 色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。
この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。
色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、
 色は色(しき)空  空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。 
色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という
ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と
教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。
時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。
それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では
「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と
聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。
「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている
ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を
表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての
教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。
團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと
吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、
骨髄移植をしていた。・・・≫
▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて
 言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、
とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世!
 《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》 
・・・・・・
4679, スマート革命 ー2
2014年01月05日(日)                                   
  * スマート革命とは? 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
 マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。
これは「スマート革命」を象徴したもので、ジョブスは、まずは企業向けの
大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMac
として世に出した。次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、
iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTVを世に
出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、
今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。その書籍も紙に印字する
形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。
私の命名だが、これスマートショップ。この動きは、スマート自動車、
スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが
劇的に普及している。携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式
のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」。テレビ操作、パソコン入力も、
電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式
アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 
  ーアマゾンの読者レビューからー
《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を
 使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション
の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。
まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース 
従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で
パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の
インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。
米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、
ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》

・・・・・・
4312, 幸せはいつうもちょっと先にある −2
2013年01月05日(土)
      「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著
 幸せの意味についての切り口が、分かりやすい。ーまずは、その箇所から
    * 3つの幸せ
≪「幸せ」という言葉には少なくとも3つの関連することがらを表すのに
 使われる。「感情の幸せ」「道徳の幸せ」「判断の幸せ」である。
○ 感情の幸せとは、気持ち、経験、主観的な心理状態の表現であり、
 物理的の具体的何かを指すものでない。幸せはこの時代に生きる人が
 暗黙的了解で通じる気持といえる。
○ 道徳の幸せとは、「○○だから幸せだ」になる。感情の幸せなら、
 排便への幸せに少し似ていると考える人が多い。それは低俗で安っぽい、
 意義ある人生の基盤になりえない空虚な牛の充足状態でしかない。 
 哲学者のミルがいう「満足した豚であるより不満足の人間のほうが良い。
 満足した愚か者より、不満足のソクラテスである方が良い。もし、愚か者や
 豚がこれに異を唱えても、このことを自分たちの側しか知らないからだ。」
 哲学者のロバート・ノージックは、この安っぽい感情の幸せの信念が間違い
 と、架空の仮想現実装置を使って説明した。「この装置があれば、誰もが
 思い通りの経験ができるし、自分が都合よく装置につながっていることを
 忘れることができる。彼は、以後の人生につながって生きていていいと思う
 人間は誰もいないと結論づけた。こんな装置で得た感情はちっとも幸せで
 ないからだ。ようするに豚ならいざ知らず、洗練された有能な生き物には
 相応しくない目標ということ。
○ 判断の幸せとは、「○○について幸せだ」である。我々はものごとに
 ついての価値判断について幸せという言葉を使う。妻がタヒチに半年の
 赴任で、自分が子供達の面倒を見るとき、「自分は幸せでないけど、
 君が幸せなら僕も幸せだよ」という場合である。ここには、自分は幸せで
 ないけど、妻が幸せなら、仕方がないという判断が入っている。≫
▼ この3つの幸せが、混同してしまうから問題が生じる。ただヒタスラ
 仕事に打ち込み、別荘をたて、そこで茶道具を買い集め、茶会を開き
楽しんでも、最期に何か物足りない感情が残ったという類の話は、日常見渡せば
幾らでもある。この3つが混同している典型的事例である。感情の幸せを
追うあまり、太った豚が、その辺の豚たちいへの面子で、本来の質素倹約を
忘れ、何処か判断を間違ってしまった?のでは?いう後悔の念が纏わりつく。
 しかし感情、道徳、判断の幸せを分けて道楽をしていれば後悔はないはず。
フランクルの、「良く遊び、良く学び、良く働く」の3つを、特に「良く」
を意識して、バランスよく追求すれば、空虚な気持ちはないはず。
「つねに面白いこと、ためになることを思っていれば、それで幸せになれる」
ということか。
 ・・・・・・
3937, 閑話小題
2012年01月05日(木)
  * 年末年始
 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月
になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に
反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を
続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 
事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。
TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、
蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。
  * 元旦の殿町で
 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、
合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と
二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が
元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。
その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、
危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、
ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を
して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と
出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」
と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。
御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、
慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。
そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。
長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。 
押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか
言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。
で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、
「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、
「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、
飲み逃げの手助けをしたことになる。 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 
それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。
・・・・・・・
3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか?
2011年01月05日(水)
 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。
また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も
弱者肯定の見本のようなもの。ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス
思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、
ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。
楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が人間にはあるようだ。 
それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、
野獣に襲われ食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さない
ように、その記憶を長く残した。逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに
忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。
その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪い
ことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。 だいたい、良いこと悪いことが同量
が起こっていると考えればよい。しかし良いことを思い出す訓練をしていると、
どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と
勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、自然、その方に自分から
擦り寄っていく。例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアー
の経験は、週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを
放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、再び訪ねている
感覚で見ることができる。自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくる。
 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似した
TVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。その繰り返しの中から怒り、
憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。
だから、嫌なことは、意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 
明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。言葉を持ってしまった
人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。
これが、マイナス思考を更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身を
つくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
 ・・・・・・・・
3197,つれづれに ー 閑話小題
2010年01月05日(火)
  * 人生味わえば、8割は良いことになる
 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性
が語った言葉が良い。「人生、生きてきて、良いこと2割。辛いこと8割だった。
しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」が、印象
に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。
その話し相手に行っていたが、彼らが終戦の一月前に出撃していった。 
彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。そのお陰で、
疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、
味わえば、良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。 
そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが!
  * 面白いものである!
 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。書いていると自己嫌悪に
陥るのである。自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマが
なくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、どうもこうも、
ならなくなる。お手上げである。しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。
その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚
である。だから続けることができる。これは人生と同じじゃないか? 
そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じ。
その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。
その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 
  * 婚活ブームの後は、離活ブームだと!
 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞
の社会面トップで取上げていた。20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所
にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、
呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な
気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。以前なら親が説得する程度のことを、
親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、
分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、
連れ添ったものなら分かっているはず。 後記)去年に、偶然に同じような
テーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
 ――
2832, 1秒でも早く・結婚したい女たち -2
2009年01月05日(月)
  ー前回に続いての、まとめである。
・雇用機会均等法の中で育った40歳前後のアラフォー世代の女性たちは、
 キャリア志向が強く「仕事をする女はカッコイイーッ!」という価値観。 
 彼女たちが20代のときは「結婚して家庭に入るよりも仕事に生きたい」
 と願い考える女性が多かった。その結果で晩婚化していった。
 その盛りが過ぎたキャリアウーマンが、40歳に近づいて焦り始めている
 ケースを取り上げていた。
・しかし、その下の若い世代(20代)になると、女の幸せを考えたとき
 「仕事で輝いたとしてそれが何ぼのもの?」「それが本当にカッコイイーッ
 のか?幸せなのか?」と考えるようになり、結婚も仕事もこなす女性の方が
 カッコイイーッという価値観が生まれてくる。 妻となり母となり、
 キャリアウーマンをこなす「キャリア・マザー」がカッコイイーッと捉える
 女性が多くなっている。 全体として結婚して人生のパートナーをつかみ、
 仕事もバリバリこなすライフスタイルの賛同者が多かった。
・その女性の反面、男子たちは女性化している。 かつてクリスマスの夜の
 予約に執念を燃やしていた男達は少なくなっている。肉食系動物より草食系
 動物系に男が変化しているという。 別に結婚に執着しない男が増えている。
 「現在の20歳の女性4人に1人が一生結婚が出来なくなる」というデーターも。
 女性週刊誌は、いかに男を見つけ口説き落とすかの特集が多いという。
 一時代前の男の週刊誌と同じになってきた。何か気持ちが悪くなってきた。 
 36年間、結婚生活を過ごしてきて結婚生活は、そう甘いものではないと実感。
 慣れるに10年、諦めるに10年はかかる。そのあと10年かけて同じ方向を見る
 ようになる。そして最後は「同居の貴女」になっていく。それでも結婚
 しないよりは良い。人生の半分(いや、三分の二)は、結婚相手によって
 良くも悪くも決まってくる。私生活の大部分を一緒に過ごすのだから当然。
 選り好みをしていたらチャンスを逸するし、焦れば「化け猫」を掴んで
 しまう可能性がある。どう見ても「化け猫と、ボケ犬」の組み合わせと
 しか思えないカップルが多い。もしかして結婚とは、こんなものかも。 
 「一秒でも早く・離婚したい夫婦たち」というテーマを思いついた。
 この数年に同年代の親戚の男が二組、熟年離婚をして旅先に家庭を置いて
 実家に帰ってきた。知人に倒産・浮気等で夫婦関係が破壊して、それでも
 同居している男が何人かいる。 相手が気の毒だが、他人の家庭のこと。 
 地獄は、末期の夫婦の不仲にあるようだ?貴方の家庭のことではありません?
 念のため。そして私の家庭のことでもありません。 過半数が、家庭内離婚
というから、熟年離婚を書くのは拙いか?私のように、浅くて長い河がある
のは、如何か? まだ歩いてわたれるから、まあいいか?
・・・・・・・・・
2008年01月05日(土)
 2467, 歌は世相につれ    ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ は〜♪
20年ほど前に評論家が「ナンバーワン戦略では、直ぐ二番手に狙いうちにあう。
ナンバーワンを深化してナンバーツーが辿りつけないまで磨き上げてオンリーワン
になることこそ生き残りの戦略である」と論じていた。このオンリーワンの言葉を
パクッタのだろうか、スマップの「世界に一つだけの歌」に、このオンリーワン
という言葉がある。オンリーワンの意味をしらない作詞家が「ゆとり教育」で
育った若者に向た媚びた歌詞を作り上げたという見方ができる。彼らも普通の人
なのだから、そういう歌詩を批判する方が野暮といえば野暮だが。オンリーワン
の本来の意味が個性ということだから、その間違いを書いている。これだけ流行
するのは、時代の現状を現している。ゆとり教育肯定派は
・一部勝ち組が賞賛される時代、それ以外でも精一杯生きる何処が悪いのか?
・オンリーワンと勝手に思い込む何処が悪いのか?
・生きているだけで全てではないか、それを気づかしてくれる歌詞の何処が
 悪いのか? それはそれでよい。しかし、それだけでは人生ではない!
 人生は世界に一つだけの花ではない、人間は。傷つき、汚れ、ボロボロが人生。 
 (以下、中間略ー字数制限の関係で2,011年1月5日) 
・・・・・
2007年01月05日(金)
2103, ウェブ人間論                        


5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6

2015年01月04日(日)

         『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆 (著)
   * 捕食されてきた人間
 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。
そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、
仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの、
肉食もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。
人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と道具を
身につけ、生き延びてきた。 ーその辺りから抜粋ー エェー(◎-ω-)。o○♪~
≪ 有史以前、ヒトはみな食人をしていたというのもショックだが、同時に、
 ヒトはヒトならぬ肉食獣にエサとして食われてきたという話もショックだ。
しかし、ドナ・ハート・ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』
は、ヒトは捕食される動物であったから、かくのごとく進化することができた。
「かくのごとく」というのは、ヒトが二足歩行で大きな脳を持ち、ことばを
使うことで複雑な内容を持つ情報伝達ができるようになったこと。
 集団で社会生活を営むようになり、単体ではできない大きなプロジェクトを
力を合わせてやりとげるようになったということ、つまりヒトが文明を作る
ことができた唯一の動物になったという意味である。 ヒトは肉体的には
あまりにもひ弱な存在であった。捕食者の恐怖から逃れようとするなら、
そのような生き方(社会を作り文明集団として生きる)を選択せざるをえなかった
ということなのだ。かつて、人類進化はヒトが狩りをすることを覚えたところ
からはじまったとする、「マン・ザ・ハンター」説が一世を風靡した。
しかし、自然人類学者の著者は、その説は客観的証拠にてらして誤りだという。
多数の原始時代の人骨を調べていくと、原始人たちが野獣に噛み殺され、
食われていたということがはっきりわかる。噛み砕かれた頭蓋に残る歯型と、
野獣の牙がピッタリ一致するのだ。ヒトがどれほど捕食されてきたか、
疑う余地のない証拠が次から次に出てくる。・・・≫ (。・´ω`・。)オォ怖〜
▼ 私たちが爬虫類や、蛇などに直感的嫌悪感を持つのは、原始的記憶が脳に
 インプットされているため。根強い悲観的傾向があるのは、捕食されてきた
生存危機の記憶がなせる業。だから、人間には本能に悲観的傾向がある。
しかし、悲観主義は、人間自身の行動範囲を狭める要素になる。それを
カバーするのが知識と能力で、悲観1に対し、3倍の楽観主義が必要となる。
・・・・・・
4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1
2013年01月04日(金)
       「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」
                ーダニエル・ギルバード著
  * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか
 やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の
時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた期待が妄想でしかなかった
とかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 
人間にとって想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 
この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから一歩も出ることが
出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。
 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。
≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデン
 ゲートを思い出したり、宇宙ステーションを想像したりするのは、そのどれを
建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、
この三つの中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で
経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で経験することだが、
「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという
姿で経験することに他ならない。人間の脳の最大の業績は、現実の領域には
存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、
われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、
人聞の脳は‘先読みする装置’で‘未来を作る’ことがもっとも重要な仕事だ。 
ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると
言える場合が少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、
もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジーの脳も、
餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を
予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)と過去の出来事(「前にこの
においがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、
つぎに起こる可能性がもっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに
食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が
あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは
人間だけの特有の予測。前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。
それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。 ≫
▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを
 考えるのが好き。旅行を例にすると、行き先を探し、決め、決まったら、
その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、
それも旅行の楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。
その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。そして嫌のことは
帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、
間違った予測が多いのは、経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、
相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
 ・・・・・
3936, 新年にあたり ー3
2012年01月04日(水)
  * 御先祖・四四太郎様の警告
 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。
聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、
ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。それを分かっていたと思って
いたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと
決めたとき、何を思った? 事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、
全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、
自分の世界を大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、
30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も微温湯に
浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。 
調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・ ワシも御前によって、
400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きて
いるのを知り吃驚じゃ。それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、
ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。
しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、
これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。その中にあって日本は
刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘い
ことを忠告する。地勢的にみて、そのメリットを受けたのが戦後の経済成長
であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し
現在に至っている。そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全て
アメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 
それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。いいか、お主自身、現状に
危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 
ならどうするかを、ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。
大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを
言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、ワシの今の言葉が
身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。
どう身を処するか、より考えろ! お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と
思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。
悲観とか楽観とかいう問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて
迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
・・・・・・・・・
3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
 ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の
超新星爆発で出来たものとされている。この太陽系は、宇宙がビッグバンで
出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない
高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、ダイヤモンドができるという。 
だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近
 知り、世界観が少し変わるほど驚いた。テッキリ地球上の物質は地球上で
出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた
物質が衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、
当時の物質が地球上にあって不思議ではない。超新星爆発という「恒星の死」
の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質が
ダイヤモンド、といえば見方も変わってくる。地球生成以前から、ダイヤモンド
は宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、他の物質を
加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、
物質に対する見方も変えなくては。この歳になって、知らないことだらけ。
いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし
知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。人間が持つ、
それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年。それに対し、ダイヤモンドは
50億以上の宇宙の旅をしてきた。その「私」など、それに比べると宇宙の
チリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を
知ることである。人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。
ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、
これが人間の理想的な生活というが・・・。
・・・・・・・・
3196, 100年前の世界一周
2010年01月04日(月)
 「100年前の世界一周〜ある青年の撮った日本と世界」ワルデマール著
 =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に
出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを
1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、
すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した
社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
 *ベグ,ワルデマール=【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。
大学で法律を学び、卒業後公務員となる。ナチズムに反感を抱いており、第二次
世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集
といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。2009年11月30日発刊とある
から、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。 写真も、
その記録も本書で初めて出版になった本という。アベクの趣味が写真撮影のため
シャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山
などを撮っている。公務員として33歳になった時、研修旅行の名目で休暇を取る。 
17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから流行した青春の締めくくり
の旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの
英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。1905年4月、青春時代から
親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちと
ともに大西洋を渡り、ニューヨークに上陸。当時の米国は経済・産業が発展
を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、地下鉄の
高架路線が走る。半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから日本に到着。 
ニューヨークで知り合ったガイドのナカノの案内で旅を始めた。 撮影した
銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮から
インド、エジプトを経て故郷に帰った。カラー写真が半分を占め、当時の写真
としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
 ・・・・・・・・
2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。
 まあ、面白い。 ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、
 女性たちの結婚観を探る。自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法など
ライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 
久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、結婚相談所主催の見合いパーティー、
20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。さらに20代
女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかに
形成されてきたかを解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生
たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
 *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)
 高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
   (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・・・・
2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
  「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために
捨てる時期も必要である。その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。
要するに人のことばかり気にしないで生きること、そして楽しくないことを如何に
面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えた
からである。ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、
それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく必要もあるのか? 
世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えて
こういう本がニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、
味方をつくることから遠ざかっている。』『自分を愛することと他人を愛する
ことが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』
『人が何を思ったっていい。自由に思わせればいい。介入する必要はない。
思っていることは思っていることでしかないんだから。』『喜ぶには、理由が
必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
 (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・
2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2


5042,ポジティブ・サイコロジー ー⑧

2015年01月03日(土)

     『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * つれづれに ー危機に瀕したときこそ最高の状態が湧出る
・ 節目時(危機)の―危機を乗越えようとした時ーこそ「人生で何が本当に
 大切なのか」という新たな認識と、これに従って行動する心構えが形成される。 
 その真っ暗闇の時が一番、良いときであった。最も辛く、苦悩の底にこそ、
 ベストの何かが湧き出てくる。 母親が嫁いできた頃、重なる小姑の虐めに
 耐え切れず、実家に帰った時のこと、実母に「一番辛いとき(いま現在)
 が、実は人生の一番良いときなのよ!」と諭された、と聞いていたが、人生を
 振返ってみて、成るほどと実感する。凝視をすると、最も辛い中に、最も楽しい
 ことが、裏腹に張り付いていた。その辛さの中から、心構えのベースの変換が
 進んでいた。反対に、一番面白く脂の乗っていた時に、重い状況、苦しいこと、
 辛いことが背景にあった。勢いが、それを感じさせなかっただけ。
 幸・不幸は裏腹!だから、面白いのである。
・「必要なものはルックスとたくさんのお金だけ」という信念に、私たちは
 深く取り込まれている? たしかに文化は良い人生の条件について熟知して
 いるのだろうが。その高低だけで決まるものでない。人生でネガティブな
 出来事に出あい、それに順応する期間を経た後にこそ、人生の満足度が安定
 することが多い。何ごとも、ポジティブ3に、ネガティブ1が必要である。
 ポジティブな人が否定する唯一のものは絶望だが、一度、絶望まで陥った
 にもかかわらず、そこから立直ったポジティブこそ光輝く。ネガティブな世
 にかかわらず、ポジティブに生きる!それも、危機に瀕すれば瀕した時こそ、
 『それゆえに・・』でなく『にもかかわらず』、のベースが必要になる・・ 
・・・・・・
4675, 閑話小題 ー何だろう?この現象は ー2
2014年01月03日(金)   
  * では、なぜ事故や大病になるのだろうか?ー私も、あなたも自業自得!
 痛々しい包帯だったが「私も手伝うから」とタイヤも交換しながら本人確認。
80過ぎの好々爺の黄門様の勧善懲悪レベル! にぎやかな見送りを受けた
飛行機の中で、心の内で静かに激怒をした結果「直ぐに病気か事故で-人-;)!
それまでのこと」と怒りを収めた。そして「復讐するは我(自然・神)にあり」
の骨折。除雪作業中の骨折直後に、私の自転車がパンクの修理で骨折の確認とは、
奇妙な偶然の巡り合わせ。で、その半年以上も経った現在になって、これは

シンクロ二シティ?「私の静かに充満した怒りは、対象者を重症の病気か、
交通事故、転倒事故で一生モノの深手になっている?」ことに気づいた。 
 そこで、次の筋書き『まずは骨折だったが、80過ぎの年齢から、あと
2〜3年で Ωチーンi~ 気の毒?だが・・』が思い立つ。こういう視点でみると、
この節目だけでも、あるある!更に40〜50年スパンでみた人生の節目なら
数知れず。逆の立場で「私も静かな怒りの対象になって、色いろ危ない目に
あっている。が、自分では気づかなった?」とすると、これも山ほどある? 
「この奇妙な現象は、その解釈、受けとめ方の一つでしかない!」が正論。
「静かな怒りで、対象を破壊する力?は、私だけでなく、エネルギーの特に
強い何割かに備わっていて、破壊された私が、ここにいる」という事にもなる。 
『他人を恨めば穴二つ』この呪文を解くには周囲への感謝の念しかない? 
この偶然はシンクロニシティの「節目の怒りバージョン」か? 
願ってなるのでなく、本人の因果応報。アフリカの市場で、呪いグッズだけの
市場があった。町が沈んでいくと、こうなるのか。仕事として自主独立の事業が
通せたのが私の人生の最大の幸運。こういう人たちと距離が置けたからである。
「当人が怒っているのは、本人自身の毒!それに、私の何かが反応した!」が、
私の解釈。私への毒が少ない?のは、それを経験と知識で最小にしているため? 
 シンクロニシティに関する知識のない人は、それに遭遇しても自覚できない。
オカルトめいているが、自転車屋の主は発病か事故で +_@)!の時期が早まると
思えば怒りが消える。 人生の節目で、思い当たる人が10数人はいる。
3年前の節目からして・・ 40年以上も事業をすれば、トラブルや怒りが
山ほどあって当然。 その対象の人たちの不幸な事故や病を因果付ければ、
こんな筋書が幾らで出来る。対象者の共通点が幾つかあるが書くのは止めた!
万人が持っている?
 この現象は、以前から気づいていたが、同じようなことを聞いて、「偶然を、
自分勝手の思い込み、解釈じゃないか!」と感じ取り、その思いを打ち消した。
で、今回の節目の様々な現象。来年にかけ、私の目で危ない人が4〜5名いる!
といえば、どうだろう? しかし、これまでの現象を凝視すると、それも当人の
自業自得。それを都合の良い解釈、物語にしているに過ぎない? 数ヶ月前に
リメイク版の『キャリー』という映画をみた。苛め抜かれた少女が『超能力』
で、苛めた人たちを根こそぎ破壊する物語。 さて、この物語は、どうなる? 
それが、そのまま私自身へ向かう可能性もある。前回のオチ「こういう話題が
山ほどある私は何? ハ?σ・Д・)お前バカ?」がやはり結論! で、どうした? 
正月から毒を吐き散らしただけ ⌒ ⌒) ぺこ<(_ _)>m(-_-)m コノトオリ 
それにしても我ながら酷い思い込み、内容である!
・・・・・・⌒ ⌒)
4310, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー14
2013年01月03日(木)
  * 正露丸はロシア征伐の征露から由来している                                        
≪ 出征兵たちが水を飲んで赤痢や下痢を起こすのを防ぐために、陸軍省が
 開発した薬が正露丸だったのである。戦争中は、陸海軍の御用薬として、
欠かせない薬となった。薬の名前も日露戦争当時らしく、ロシアを征伐する
という意味で「征露丸」と名づけられた。ラッパのマークも進軍ラッパを
イメージしたもので、まさに戦争色を前面に押し出した薬だった。
その効き目がよかったのか、征露丸は庶民のあいだにも広まった。
ただし第二次大戦後、ロシア征伐をもとにした名前は都合が悪いということ
になり、「征」の字を「正」に改めた「正露丸」となって、現在に至っている。
開発から約一世紀たった現在、正露丸の勢いはとどまるところを知らず、
モンゴル、中国などのアジア地域を中心に11の国と地域に進出している。
それでも今のところ、ロシアには進出の予定はないようだ。 ≫ 
△ 日露戦争の余韻が下痢止薬の名前で残っているのが面白い。仁丹の名前の
由来も面白い。これは孔子の論語の中で最高の徳=仁の心を忘れないという
ところから「仁」に想到し、丸薬を 意味する「丹」とを組み合わせた造語の
「仁丹」を合わせ商品名と社名にした。これも正露丸と同じ頃のもの。
* サラリーマンのサラリーは、塩のこと
≪ サラリーマンは、和製英語だが、そのサラリーの意味は、塩から由来。
 古代ローマ時代の兵隊の支払いに塩が使われており、それが貨幣代わりに
流通していた。ラテン語で「サラリウム」がサラリーになり、交換手段として、
和製英語として、サラリーをもらう人という意味でサラリーマンになった。≫  
△ オーストリアに、モーツァルトの生まれた町ザウスブルグがある。
 これも、塩(サウス)の取引が行われた場所として、その名がつけられたと、
当地で聞いたことがある。日本では江戸時代に、米が貨幣として配られていた・・    
・・・・・・
3935, 驚きの脳力に呆然
2012年01月03日(火)
   * 天才学生、二人の対決
 年末に見た「日本1の頭脳王!大決定戦!」日本一の頭脳は誰だ? にショック。 
東大医学部の天才、京大医学部の神童、高校生クイズ最強王、8ヶ国語の達人、
数学五輪金メダル、東大法学部トップ弁護士、全国模試1位、などが参戦して
超難問に挑戦! 最後は東大医学部の天才と、京大医学部の神童の対決となり、
最後の一問で東大医学部の亀谷航平が勝利を収めた。
亀谷は、一度見たイメージは、そのまま脳にコピーされるとか。 やはり天性
というのがあるようだ。私のような凡人が見ていて、彼らの脳力は想像を絶する。
と同時に、凡人にiPadを自由自在に使えるようにして対抗させたら、
ある程度までは対抗出来るのでは?と思いながら見ていた。それから考えると
パソコンとネットを自在に使えるか、否かでは雲泥の差が生じるということ。
    ーネット上にあった問題を幾つかコピーしてみるー
 ◎ 共和党出身の歴代アメリカ大統領を5人書く 
 ◎ 1822年9月7日に当時、ポルトガル皇太子であったその他一般人が
   「独立か、死か」と叫び、ブラジルの独立を宣言した事を起こった地名から
   「何の叫び」という?というクイズが出題。 正解は「イピランガの叫び」。 
 ◎ 穴の直径は通る砂の6倍以上ある砂時計の中央にあるくびれた部分を何という  
                           正解は「オリフィス」。
 ◎ イギリスの植民地戦争やその他を批判した為、1号で発禁処分となったその他
   一般人が発行したアメリカ最古の新聞は?正解「パブリック・オカレンセズ」。 
 ◎ 枕草子に出てくる「はづかしき人」を現代語に訳するクイズが出題。 
                          正解は「立派な人」。
 ◎ 複利で金利2%の銀行預金に100万円を預けて200万円以上になって帰って
  くるに最低何年かかる。正解は「36年」
 ◎ 逆立ちすると1.5倍に増える物は何でしょう? 正解 6
 ◎ 東京ドームと同じ大きさのダイヤモンドは何円の価値でしょう?
 ●条件・東京ドームの体積=124万㎥・1カラットのダイヤモンドの値段=50万円
  ・ダイヤモンドの密度=3.5g/㎤ ※値段は重さに比例するものと仮定
  ※答えは有効数字4桁   正解 1.085×10の19乗円(1085京円)
 ◎ 次の漢字の読みを答えなさい 「萵苣」  正解 ちしゃ  亀谷○ 
  ※廣海は「らっきょう」と誤答 ーネットで二人の概略を調べてみた。
 ▼ 東大医学部・亀谷航平 = 子供の頃から、教師もあきれる程の天才ぶり
  を発揮。学力のみならず、その知識量はスポーツから漢字まで、まさに桁外。
  日本最高偏差値を誇る、東大医学部の中でも群を抜く!ドクターブレイン
  亀谷が初代頭脳王の座を狙う!
 ▼「京大医学部・廣海渉」= 幼い頃から神童と呼ばれ、余裕で京大医学部
  に合格した異色の天才。その知識量は文学から歴史まで、まさに無限大。 
  全知全能の考察力は、他の追随を許さない。奇跡のIQ戦士、廣海が強豪
  たちを驚異の頭脳でねじ伏せる!ー この問題をスタジオのTVカメラの前で、
  一瞬で答えるのだから驚き。私たちの知らない世界があるのだろう。
・・・・・・・
3570, チョットした小話 ー2
2011年01月03日(月)
    ー 初笑いー
* 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を
 譲られ、お礼を言って座りました。その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツ
 の襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。
 帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し
 調べた結果、顔見知りの、別の課の課長さんである事が判りました。
 課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、
 この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さん
 の名前で一通のハガキが届きました。赤ちゃんの写真が印刷され、その横には
 こう書き添えられていました。「その節は、ありがとうございました。
 この子は、あの時の子供です」その日、課長の家は、大変な修羅場と化した。
* 小さな島国の小さな人間がだ。 10年で国を根こそぎひっくり返し、20年で
 中国と戦争し、40年でロシアと戦争し、80年で太平洋全域で戦争し、コテンパン
 にのされたのに世界二位の経済国になり、アメリカの横面を札束でひっぱたき
 そうになった。 そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。 
* るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。ある日の夜、るるちゃん
 がテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。
 全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。
 「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」
 「るるちゃんたら。指差したりしないの。 あれは大事なものなのよ。
 もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」「へえ。
 そうなんだぁ」「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」    
 ・・・・・・・・
3195, 三が日、つれづれに
2010年01月03日(日)
 今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。
腰痛も今のところ治まっているし、少し鼻風邪気味以外は体調は良い。
そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は
収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備がある
ので、一見穏やかに見えるが、普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえて
くる話しは厳しいものが多い。これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、
余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。更にいうと
平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、
母子家庭の過半数が、その層になっている。最近の貧しさの背景は、グローバル
化と、情報化、ハイテク化がある。経験でしか得られなかった個々人の能力の
大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。
更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や
物価の平準化は抑えようもない。問題の先送りも、いつか数倍になり返る。
21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも劇的に安く手に
入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うする
ために生きる。その大きな位置を占めるのが「知ること」である。
その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。
携帯でミニブログ「ツイッター」を瞬時書き込み、その場で発信できるように
なってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに「地震」と入れたら、
「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、
次から次へと出ていた。ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、
キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。 
鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙で
ツイッターを、最大限使って勝利した。時代は厳しさを増しているが、
無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、
我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。 
・・・・・・・・
2830, 新年に、つれづれなるまま! −2
2009年01月03日(土)
  * 自らの文化を大切し、誇りを持て!
 年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。 
  そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。
 「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」 生徒達は当たり前だという
顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナの
首都キエフの中学校のことだ。日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう
興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には「自然を描写して気持ち
を表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ
日本と日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の
馬淵睦夫氏から聞いた。
・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、
他国の文化に対して関心を持ち、 尊敬の念を持つことが出来るのである」と
書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
 これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動に
おいて日本人ほど愛情をもち、かつ大きな成果をあげている人はいない・・》 
▼ 以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。
「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、他者のそれも
理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。
誰も捨てないし、あっても住民が掃除をしている。当たり前の普段の現象が
外国に行くと、そうでないのが理解できる。欧米文化に追いつけ、追い越せが
 果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に
疑問を呈している。外を見る目で内を見つめないと!個人、企業、国家として。 
  * 今年になってしまったが・・・
 今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領に注目が行くだろう。 
問題は、その熱が冷めた後である。昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの
銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。総額は二週間で5兆ドル。
それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。ビッグスリーだけを
見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた
実態がオバマ政権に移転したと同時に次々に公表されるだろう。
その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
・・・・・・・・・・
2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2  (★>з<)o○[ォハヨ]
 居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、アイディンティーが、
寄る当ての無いものなら、寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。


5041,新年にあたり −2

2015年01月02日(金)

  * 8年前の「新潟県活性化の会」の案件
 昨日の「新年にあたり」で取上げた「新潟県活性化案」を、再認識のため、
当時の随想日記をHP内検索をして、読み返してみた。 今からみると、
時すでに遅しであり、決して不可能ではないが、動き出せば地権者の利権など、
思惑が働いて、大きな難問が立ち塞がることになる。 さらにバブル崩壊後、
地方は、ますます弱体化。30〜40年前なら可能性があったが、今では無理? 
むしろ石川県の方が、関東、関西、中部地区をカバーできるため拠点基地として、
最適のようだ。 活性化案までなら良いが、これ以上は、一歩踏み込むと、
後にひけなくなる。それを前提と、そのキーマンに当初、釘をさしていたが、
本人は、私を見くびっていたようだ。 あとは、政治家に利用されて、ポイと
されるのが落ち。で、計画案が出来上がったと同時に、一切の関与を止めた。
当然の判断だが、実行段階で誰も手をあげる人はいない。しかし一年近くの
壮大?な絵図の計画を想像し、練り上げている自分が、面白くなっていた。
 あと、考えられるのが、整備場まである線路を可能な限り延長して、第二
ターミナル駅にして、廃線になっている線路あとを利用した専用バス道路か、
新交通システムで空港までアクセスすれがよい。しかし、それをするには、
新潟県の経済的体力が、あまりに消耗している。面白い、変な世界を、その間、
垣間見ただけでも、無駄ではなかった。で、どう活性化する? いずれ
関東大震災が起こるから、そのための受入れを予め宣言して、そのための
都市づくりに徹した方が良いのでは? 決して冗談でない。
 新幹線は大動脈を充分に理解していれば、空港駅までの沿線に、
交通の便の悪い、サッカー場、野球場、そして、元もと近くにある、
競馬場などに県内外の観客を誘導可能になっていた! 地元にいると、
それが見えないのである。新幹線最終駅、飛行場、港、高速道路が絡まって
いるのは東京と、新潟だけ。その表日本と裏?日本が直結していることを
開通以来30年近くも気づかない政治家と地元民。で、石川が、とって変わる。
  
 〜以下は、それを過って書いた「活性化案」と、文章。 時、既に遅し?
 これでも、膨大の時間とエネルギーが入っている。何度か東京まで行ったり、
地元の社長や識者?を集め、議論をしたり、現地を見たり、レジャー感覚で
動いていたので、それなりに面白く、無駄足という後悔は一切なかった。
絶対無理と思えても、手をつけるのが政治家だが・・ それでも、無理?
一年弱でも、こんなことにエネルギーを取られるから、このザマ?*ノωノ)ゥッ
・・・・・・
2006/11/10
提案書(案)
       新潟県知事 殿へ

我々は仮称「5年〜10年後の新潟を元気にしよう会」を結成し、
別紙(会議議事録×2通)の通り協議を重ねまして、
以下のような意見を纏めましたので、提出いたします。
実現へ向けた強力なご支援を一同より、お願いいたします。
<提案>
1 (新幹線の空港へ伸延)
 数年後新幹線が富山・金沢へ分岐すると新潟はさらなる地盤低下に
 見舞われるのではないかと危惧しています。
 我々は真剣に議論し、その対策の切り札として、
 新幹線を新潟駅から新潟港・新潟空港構内まで約10KMを伸延すべき。
 という結論に到りました。
 これにより、新潟は極東アジアの表玄関=世界へ向けた情報発信都市
 としてのインフラが有機的に連結し効果を高めることが出来て、
 多用なビジネスチャンスが発生します。
 冷戦の終了により、ロシア、中国が激変し、環日本海都市としての位置づけを
 にするためにも東京駅から「新潟空港への新幹線の構内直接乗り入れ」を
 打ち出す絶好の機会です。それも新潟駅再開発事業と共同事業として
 相乗効果を最大限に生かす必要があり、この機会を逃すことはできません。
2 (低コストによる建設費を極限まで追求)
 現在の厳しい財政を考えると、従来の建設方法にとらわれないで、
 低コストで5年以内に建設する智恵を絞るべきです。
 ー北陸新幹線の進捗に遅れをとらないことが、まず求められますー
  その具体的な事例として、
 東京―横浜間の京浜臨海線計画を参考に、
 既に新潟空港至近まで敷かれている廃線を利用するとか、
 現在空港まで3分の一ほど引き込まれている新幹線引き込み線の延長を
 最大限利用するとかし、駅舎等は市民民間企業の協力を得て、
 100億円程度で(一まるまる作戦)で建設する方法を検討すべきです。
3 (より市民の意見を聞いてほしいのです)
 上空から眺めれば、新潟は信濃川・阿賀野川という二つの大河に囲まれた
「山紫水明の水の都」です。
 市民と行政が力をあわせ、豊かで誇りの持てる街を作りたいものですが、
 そのために、計画の決定権を持つ行政はもっと市民やユーザーの
 生の意見を聞いてクイックレスポンスで実施して欲しいと思います。
 例えばイギリスのTCM(タウンセンターマネージメント)を導入し、
 あるいは市民の生の意見を聞く「インターネットすぐやる課」などを
 作り、日々の行政や計画に反映させてください。

 これまでの4回の議論の中で感じたことは、地元の人たちの視点の確かさ。
「新幹線の空港乗り入れは、10年いや、20年前に開通しておくべき」
 ということは、誰もが自明なことと受け止めています。
 誰も解っていながら、新潟市、いや県全体に利益になるが、
 目先の利益や票にのみに目を奪われている政治家や企業家に、
 諦めを持っていることです。 新幹線を新潟空港まで延長するのは、
一部ゼネコンの利益誘導ではありません。新潟県を真に活性化するための
 起爆になるのです。

 新幹線の延長という僅かな工事で、イメージと機能が全く変わるのです。
 新潟駅再開発事業そのものも、この延長工事で数倍の価値が上がるのです。
 新潟県は、江戸時代の天領でした。
 江戸と直接結びついた開けた明るい水の都でした。
 決して、延長工事だけを見ないで、
 上越新幹線、北陸自動車道、関越自動車道、磐越自動車道、
 新潟空港、新潟東港、新潟西港を括りあげる事業として、
 新潟発展のため即自計画を進めることを願います。
2006年11月9日
(仮称)5年後の新潟を元気にする会メンバー
� 住所・氏名
� 住所・氏名
            以上
                まとめ文責 松下文洋
・・・・・
第四回新潟県活性化の会 ー概要
            2006年8月5日
                 ー 文責 堀井八郎
7月の28日に行われた
「新潟県活性化の会」の概要を、主観でマトメてみた。
 ーー
*「環日本海拠点都市宣言」をする。
 
ー冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 
 この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。
 これからは環日本海の時代である。
 首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。
 それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。
  
 このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井
(北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。

*日本海時代の象徴として、 首都東京から新幹線の
 新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。

*新潟空港までの新幹線延長工事が、
 55億?の投資で延長工事が可能かどうか? 
 それを可能にする構想案を一般募集をする。
 採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。

*まず公共事業ありきではなく、
 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能
 ー流通情報基地などーの充実をはかる。

*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。
 (高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・・)
 高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、
 二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。
*新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。
 ーーーー
以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって
知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。
それぞれの個性が意見として出てくるのと、
「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。

・・・・・・・
2006/10/06
2012, 裸の王様を、「裸!」と言った少年が私?
        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
 去年の暮れに学生時代のゼミの後輩からの
「新潟を活性化するには、如何したらよいでしょうか?」という一本の電話
から始まった数回の「新潟県活性化の会」の効果?が、表立ってきたようだ? 
(私の一方的な解釈だが)
昨日の地元紙・新潟日報の二面のトップに、新潟商工会議所会頭の何某が
県知事に「新幹線の新潟空港への乗り入れの要望書」を手渡している写真と
記事が載っていた。「活性化の会」の議事録を県知事も見ていたようだから? 
手順もあるのだろう。 しかし、「今頃、何をノンビリしたことを!」
「2015年までに、新潟駅再開発工事に便乗して、新幹線を空港まで
開通させなければならないの!!」というのが、みた率直の実感である。
「まずは、在来線を新潟空港まで通して、その様子見をしてから」
と、馬鹿も休み休みに言いなさい!である。でも、このノンビリした
茹で蛙の地方柄から見て、大いなる進歩ともいえようが・・
 私のHPを見続けている人は解るだろうが、表面化した瞬間に私たちの
「新潟県活性化の会」の存在は消されてしまうのは、娑婆経験から
当初から解っている。「裸の王様」に対して「裸だ!」と言って誰もが
認めれば、それで少年の役は終わりである。当たり前のことに誰も
声を出さなかっただけだから・・

「新潟空港への新幹線の乗り入れ」は、「真っ当な人」なら誰も解っている。
その真っ当な人間が、政治家や地元の商工業者には皆無であった!!
という事実は現状からみれば解ること。 裸の王様は誰だ?そう、
目先のことしか見えない県会議員と市会議員と、地元の代議士と、
新潟財界人である。金と票にならなかったのだろうか!!??
 だから私が呼びかけた地元商工業者の人たちは、新潟空港への
新幹線乗り入れを当たり前のことと受けとめ、諸手をあげ賛同してくれた。
「政治家も、大物?商工業者も、目先のことしか見えなかった」と、
さすがに言ってはいないが、しかし・・ 環日本海時代の到来に無頓着で
あった!のは間違いのない事実である。北越新幹線の開通を目前にして、
新潟県の置かれている危機の重大さに気づいた。
 * 何ゆえに、冷静にみることが出来るのか?といえば
・新潟駅前でホテル業を25年間、営業していることと、
・全国を渡り歩いていること、
・25年間にわたり長岡〜新潟間を新幹線通勤していること、
・私が地元財界からみれば「アウトサイダー」で利害関係がないこと、
・20年間以上、成田と羽田を年二回通い続け、
 飛行場と駅(特に首都)へののアクセスの重要性を実感していること、
  もあり「新幹線の飛行場駅の乗り入れ」を客観視できたこと、などである。
 25年前に、新幹線を飛行場まで通していたら、新潟は今や「環日本海都市」
として、全く違う都市になっていた!飛行場周辺にサッカー場・野球場や、
佐渡汽船の乗り場を移動するとか・・ 新潟駅周辺の商業集積の機能と
結びつき、「独特の面白い都市」になったはずである。
 何もしなくとも、それが特区になっていたのだ。
一本、新潟島への橋かトンネルの投資を新幹線に向ければ良かったのだ。
ただ大手ゼネコンの利益にならなかっただけだ。
 改めて新潟県をみると、環日本海時代に本当に恵まれた立地にある。
「あと僅かの投資で、東京駅から飛行場の登場口まで直結でき、
それが首都圏からみたら、非常に魅力があるに決まっている!」
ということが何故解らないのでしょうか ??
「地元住民にとって、本当にプラスでしょうか?」だと?
「ボケ!」と言ってしまえばお終いだが・・
「新潟経済が発展して、初めて地元住民もプラスになるの!」

・・・・・・・
今日は「新潟活性化の会」
        2006年7月28日
              ー文責 堀井八郎
これで4回目になる。
あと一回で私の役割は終了。
地域活性のデザインつくりに加わってみて、
なるほどプロセスに筋が通っているのが理解できる。
本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。
転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。

アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っているようだ。
ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・

このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない!
日本が危ない!ということと同じだが。

金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、
これに関東が直結する。金沢が環日本海の玄関として拠点都市
になって至極当然である。森元首相も、まだ当分隠然たる政治力
もあるし、それに引き換え真紀ちゃん、
あまりにも・・・?ここでは、まあいいや。

手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・
でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか?
よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。
高速道路、
新幹線、
飛行場、
港・・・

無いのは戦略構想が無いというから・・・
頭の足りない巨人と同じである。

・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、
 知事と市長が馬鹿みたいに言い続けなくてはならないの!
 そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの!
・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの!
・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて!

 これをゼロからやれ!といっているじゃないの!ホボあるんじゃないか。
 無いのはグランドデザインでしょう!

・あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの!
・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ!
・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ!
・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ!
・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも
 新潟になっていたでしょ!
・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう!
・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!

新潟は東京の天領だったの!
それを生かさなくては!
北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ!
これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば?

お客、お客、お客の立場で見てみたら・・
いくらでもネタはあるじゃない?
小手先のイベントを持ってくるとか、
野球場とか、サッカー場だってどうだか?

要は新幹線なの!もう一度言う!
「かなめ」は、新幹線なの!
もう一回言おうか、「要ーかなめ」は、新幹線なの!

「国際飛行場」と「港」への直結の新幹線が何処の国に
あると思うの! 新潟だけなの、新潟だけなの!

これと物流特区などの一大特区地区造りを加味すればよい。
おまけに新潟駅再開発があるじゃないですか。
これを利用しない手は無い!
数千億かかる話ではない・・・
コンセプトを先ず作らなくては!

ーーこれは日々のことを書いている「バード・ウォッチ」の内容だったが、
 熱が入っているので随想日記に格上げ?をしたーー
て、観光道路と施設を地道に整備してきた。
この数年は、中国・台湾・韓国も含めた北陸観光ブームが起るはず。
特に能登半島は、訪ずれる度に、その味わいが深くなるし、富山も、福井にも、
名所は数限りある。 それに対して、新潟県には観光資源が、あまりに貧弱。
やはり、上越新幹線を飛行場までアクセス出来なかったことが、致命傷である。
せっかく、田中角栄がつくり上げたインフラに対し、何ら追加投資をしなかった
失政が、ここで現れ出ることになる。この程度の県民に、この程度の政治家しか
いなかったことになる。開業直後から、この問題が表立つが、今さら手遅れ。

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]