堀井On-Line



5000,閑話小題 ー今日で5000回!

2014年11月22日(土)

   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、その時の自分と出会える。
5千回は、以前より大きな目安としていたので、やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、この30年の大きな
行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて問いなおせば、何もない。
ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。面白く、厳しい場面が多くあったが、
悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップできなかったことが
一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、
社内報に二月に一度、書く以外は、殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、
ダイアリーにメモ書きで残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことを
してなかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室を見つけて
本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、手作りのHPだった。
それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」として続いている。
 そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、「はてな」のブログに、殆どが移動していった。
そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、
400人の閲覧になっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」を、
読み返すと分かる。   ーまずは初回からー
――
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7〜8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。気功、
屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味をとうりすぎてライフワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、上には上が
あるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。−>
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。(江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)
�早朝(4時半〜5時半)起床 �近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り 
�食事�風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。時々不節制が続くと散歩していると
身体がだるく重くなるのがはっきり判る。また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったが
なれると気分爽快になる。早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き
感激して自ら挑戦してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。
夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年 5 月  】
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを
知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して
書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、時どき休むことにする。 
また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、
一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから
可能だった。「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサン
に自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識として残すのが
目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 気楽に、
面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 
それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、
同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の
自分に出会っている。書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは
不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 
但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、
当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除することに
なるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、
あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、
別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。また分類ボックスの一番下に、
過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、キーワードの
入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。
これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから
続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 
それと、常に何か書くことがないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、
キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、
紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と
同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
――
2000, 継父
2006年09月24日(日)
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。

痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。   ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!


4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜②

2014年11月21日(金)

                 ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン
 般若心経を暗記をしてから30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。
当時、息子二人も、毎朝の仏前の読経をきいて面白がって暗記をした。何万回、
唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。
今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味があることを実感する。
ポイントは、ゆっくりと、一言一言を区切ること。創造工学の中山正和の講演で、
「運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい」という勧めを受けて、必死で憶えた。
これを一度憶えてしまえば、ふと汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時など、
唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー  
≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を変えれば
係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにもなる。それほどの
大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの意識に持っていくという作業が
すごく大事になる。そのため何をすればよいかといえば、一番簡単な方法の一つが毎日、
「般若心経」を唱えることなんです。訳はわからなくていい。とにかく唱える。
そこで大事なことは、へたに解釈してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが
大事なんです。 また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。
あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。まともに考えたら
馬鹿臭くなるのではないでしょうか。
 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。
そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて全部暗記してました。
 ーある種の呪文なんですね。.
そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。
いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して何でも
意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体がすごいストレスを
生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、それをわかろうとするのではなくて、
単に唱えることに意義、つまり心を癒す作用がある、ということですね。 ただ、それで
完全にわかったと思ったら、もう駄目だと思います。理解するより唱えることに意味がある。
「般若心経」は。‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178)  ≫
▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。《現象は、五感は
夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。《南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》
《南無観世音》も一心に唱えている時は、心が魂の世界とつながっている。
魂とは一心不乱に対象に没入している時の心の状態をいう。ひたすら、念仏や、
般若心経を唱えている時こそ、自分が自分になる。 南無..(-人-) Д│
――
 H0605
般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、般若心経の
すばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。
当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か
丸暗記をしてしまった。十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
�自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�心臓音に波長があっている(リズム)
�α波がくみこまれている
�“念”がこの中に入っている
�お寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
�情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
�夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。
――
2001年06月11日(月)
[49] 一期は夢 ただ狂え

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男
が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’
と言う内容である。今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった
内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!
・・・・・・ 
4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3
2013年11月21日(木)
              『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
   * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。ところが女性を基準にすると、
 別の結果が見えてくる。 まず、同じグループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。
具体的大学名までは分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。
「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの男性の比率が
約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述のMARCHに学習院を加える)
や「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」という比較的入試の難易度が高い
大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した
女性は、同グループを卒業した男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、
パワーカップルの代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ
少ないので、彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と
結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの理由である。・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の国立を
含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒女性は少ないが、短大4名、大卒13名と
高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生と結婚。 
 男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、まず家柄、大学の
ブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ気にしなければ、それぞれの勤め先
には、地場の美しい魅力的女性がいる。20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱える
となると?その人を知ろうとしたら奥さん(旦那)を見ろ!という。
その人、相応の相手とすると? 深く考えるのは止めておく。 若い女性は、自己評価が
思いのほか高い。その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。
秘境ツアーで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、傷つきやすく・・ 
2〜3回に一度はいる。自分も同じか? 話を戻す。パワーカップルといえば、20数年前、
東京のパレスホテルの経営セミナーの夕食の時、隣席の人と名刺交換をした。
グリーハウスという全国有数の企業の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、
飲食業界では有名人。駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも
展開している。 セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。
異種業種からの情報が入るためである。私の名刺を見て、「私の家内は、実は柏崎出身
なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、仲人がいるのでよく知ってます。
どちらの娘さんですか?」と聞くと、「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が
幼馴染で、非常に親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、
「母が慶大のOB女子会の役員をしていて親しくなったのが家内の母親。
その関係で・・」 大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。
で、衰退系の会社?まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと!
・・・・・・
4267, つれづれに ー衆院選・政治談議
2012年11月21日(水)
   * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か
 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。
その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。そうすると日本維新の会しかない。中心人物
二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。その実績をもって
二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 
おそらく、自民が180〜200票で、維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が
副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の可能性が出てきた。
こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。
また、国内的にみても荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは
自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った荒治療をすべき時期でもある。 
一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。
 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から
狙い撃ち状態になる。いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を
持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 野田首相は、それでも真ともだったが民主党の
3年あまりは酷かった! しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の
引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と前からいわれていた。個人国債も同じだ。
自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか見あたらない。 
どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。
国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? 
この選挙で、日本の将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と
割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・
 ・・・・・・
3892, 顔を哲学する
2011年11月21日(月)
 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧と
ァッションを取り扱った番組が多い。それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして
人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。顔について哲学した学者といえば、
レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの釣り合い
(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に
集約されて出てくるからだろう。口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。
顔面の評価認識は時代と、国により変化している。また脳の中にそれ専用の部位がある
ことから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単に
コミュニケーションのためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣選択のシンボルとなっている。
そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から分裂して形成される事から推察される
(だから胃が荒れると唇も荒れる)。美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に
身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。その意味で顔は、
その人の家系の表出と見てよい。韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。
整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、
内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、人の心が、そのまま現れ出てしまう。
だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、
欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ
違っている。その人の認証のサインである。 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が
集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。
 ・・・・・・
3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)
 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、
東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、30〜40パーの円高
 に過ぎない。しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 
それを考えると、15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、
周辺国の競争力が上ったのである。これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を
嘆かなければならない。≫と言うのだ。 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて、
新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から出てくるエネルギーが目だって
落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。
 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、
数年もしないうち、再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つに
なったり、証券会社が淘汰された時期。そこに、2001年のリーマンショックである。
そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、金融と輸出で大きく
潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、
関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の
更なる衰弱になっていった。悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、
更に国力が削ぎ落とされてしまった。これで、まだ大底についてないのが実情で、
この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。それを前提に現在を、
そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。
それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。
大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、10年、20年前に誰が予測しただろう。
この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、現在の暗い世相の段差が
分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若人たちは、こんなものと思って
いるのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。
・・・・・・・・
3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を
込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換を
すればよい。その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる
力になる。奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 
直観力が強くなったのだろう、激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を
灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が
読み取れた。 そして、ある日、「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかった
のは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。ガンは自らがつくり出したもの。
ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・  激痛を乗り越える過程で受身だった
彼女は感謝の心に変わっていったのだ。そして余命半年といわれていた奥さんは三年生きた。 
我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 
第三者から「ラ行の受身形」の言葉=《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、
未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく揺れるようでは、
人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になった
ように思うという。文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。
そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。そうすると、文句を言った人に、怒りでは
なく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 今の私には嫌な人物は
一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、やってみる価値は
十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に
現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた
「要は、受止めかた次第」の具体例と考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会った
のが不思議である。書いていて思い出したのが「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  
実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、直ぐに「そんな問題じゃ
ないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。
色いろな悟り方があるもの。
・・・・・・・・・
2787, 不況景色
 2008年11月21日(金)
(字数の関係でカット 2014年11月21日)


4998,暴走する世間 −12

2014年11月20日(木)

       「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    * 世間とは、差別社会の日本的用語!
  日本の世間にも、欧米社会にも歴然とした格差があるが、高度経済成長と、
バブルと、崩壊を経て、中流階級が、総下流になりつつある中、世間様では窒息感が
強くなって、世間様のイギリス化が始まっている。 この傾向は、今後ますます強く
なっていくことになる。 ーその辺りからー
≪ 八○年代までは相対的に景気がよかったため、人びと余裕というものがあった。
「世間」の贈与・互酬関係」や異通の時間意識」は、「お互い様」という相互扶助」や
「やさしい関係」という「共生感情」を生みだす。これが「世間」のウチでセーフ
ティネットとして機能していた。ところが、九〇年代以降の不況の時代に入ると、
人びとにこうした余裕が失われ、セーフティネットとしての「世間」の機能が
だんだんと後退し、「世間」の「権力性」「抑圧性」といったネガティブ面だけが
目立つようになった。「世間」の「息苦しさ」や「閉塞感」が、前面にせりだした。
この変化を、私は資本主義の「中世」化とよんだことがある。 九〇年は、
オングのいう「第二次的な声の文化」が始まる時代と符合する。
オングは九〇年代以降、電子メディアの普及によって、文化の伝承という点で、
ちょうど「中世」のような状況があらわれたという。「中世」の特徴は身分社会に
あるが、「世間」もまた「目上・目下の関係」としての身分関係を重視する人的
関係である。この資本主義の「中世」化によって、世間」がせりあがってきた。 
 ・・(中略)例えば英国の階級社会とは、何なのか。イギリス生活が長い
ジャーナリスト林信吾によれば、英国の階級制度は、上流、中産、労働者
階級に明快に分けられる (『しのびよるネオ階級社会』林信吾)。 
☆ まず上流階級と中産階級を分ける基準は身分。これは古い貴族制度が
のこっているためで、上流階級には王室をはじめとする貴族や代々の大地主
などが入る。これはまあ、わかりやすい区別である。
☆ つぎに中産階級と労働者階級を分ける基準は、収入や資産もあるが基本的
には職業であるという。 これはみた目で区別するのは少しむずかしい。
中産階級に属するものとして、医師や弁護士などの専門職のアッパーミドルクラス、
高学歴のエリートサラリーマンなどのミドルクラス、一般的なホワイトカラーや
下級公務員、零細自営業者などのロウアー・ミドルクラスがある。
☆ 後に労働者階級に属するのは、特別の資格やスキルを必要としていない
仕事に従事している者。 ロンドンでは、二階建てバスの運転手は労働者階級
だが、むずかしい試験に受からなければならないロンドン・キャブの運転手は、
ロウアー・ミドルクラスだという。
 ・・英国でおなじみのパブでも、1軒のお店のなかで、中産階級向けの
ソファやスツールに座って飲む「サルーン」と、労働者階級向けの墓本的には
立ち飲みの「バー」が分かれていて、入口まで別。≫
▼ 欧州は人種の坩堝のため、飲食店は長年かけて以上のようなシステムに
なっている。日本も、ますます、この傾向が強くなっていくのだろうが・・ 
実際、日本も表立ってないが、客単価で、えり分けをしている。
世間とは、それぞれ階層の「目上・目下」の人的関係に過ぎないが、当人たちに
とっては大問題である。大学、高校、中学、小学校の同級会に毎年のように
出ているが、そこには、階層差が歴然としている。その上、それぞれにも
明確に存在する。それを見てきたため、創業時の事業設計から万一の備えを
組み込んでいた。 娑婆は面白い! それも所詮は、共同幻想でしかないが。
・・・・・・
4631, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー2
2013年11月20日(水)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
   * 学歴の組み合わせは?
《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、
どのラインを理想とするか、あるいは、ぎりぎり妥協できるかを問うている。
この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々がわかる。
・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では
大卒男性を望む人もいるが、そのなかで大学名にまでこだわらない人が大多数。
・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。
大卒男性は女性の大学は無名でよいという人がかなりいるのに対して、女性の
場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。
・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想と
しているし「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」卒、および
「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上の
男性を理想としている。なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、
相手男性も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか考えられる。
難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、
男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは自然である。 一方で、
男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける傾向が
あるとされる。》
▼「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、
関西学院、同志社、立命館)」「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)」の
色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、何を
していたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。
血筋、大学、結婚相手のレベルで、人生が決まるか?というと、そうでもないから
面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の同級会に
出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。  
中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と全国区へと広がる。
義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、
ドレメ、実践女子短卒が二人。なるほど、その組み合わせが、そのままが、
その人となり?結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 
結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 
諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★)
・・・・・・
4266, 法則は思考のショートカット −1
2012年11月20日(火)
       「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
 今さら法則もないが、しかし面白い本である。ーまずアマゾンの内容紹介からー
【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が
実際に使えるのか、そしてどのような場面でどんな法則を使うべきなのか、迷って
しまうことも多い。そこで本書ではどれが有効か、ケース別、TPO別に解説する。 
ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅!
 △ 世の中はこんな「法則」で回っている!
   組織には必ず20%の怠け者が存在する
   会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある
   一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる
   先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 
   不安定な時代に知っておくべき法則」 がある。
   人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】
▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が
各分野に多くあるのに驚いた。それらの法則を知っているか知らないかは大きい。
「法則の取り扱い方」の説明書より法則の紹介書。「法則」を多く知り、用いる
ことが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。
しないで済む苦労も事前に避けることが可能。長い歴史の中で科学も人生も、
ほとんど先人が既に経験済み。法則は、それらを経験則として凝縮されている。
それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前に出版された本だが、
過去に、このような本は数多あったはず。多くの「法則」、知っていても本当に
理解していたか?というと疑問である。ここで法則を、職場関係と仕事の法則、
ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則など分けている。
半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も
多く紹介されている。何気なく目次を見た中で「好意の互恵性」の法則があった。
「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とかいう法則である。
これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく
人間関係に適用すれば、職場などの人間関係で有効になる。 
次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。
・・・・・・
3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因
2011年11月20日(日)
  先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。
腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、内容は、思わない展開であった。
大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、
その痛みはストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、
犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々>という内容。今でも半信
半疑である。 ーまず「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみるー
 ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は
「国民的大誤解」があることがわかった。まず、「腰痛の85%が原因不明」という。
 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない?
町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、ひどければ手術!
と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、
神経の圧迫が無くなったのに、痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに
  痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と
「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に
差がないことも明らかになってきた。
 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。
それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。「犬」を飼ったら大幅に直った!
という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散した
ためである。研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 
  様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが指摘されて
いましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、
原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、7割の腰痛患者が、健康な
人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカの
ノースウエスタン大学がさらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは
「側坐核(そくざかく)」という部分であることがかってきました。「側坐核」は、
痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。 
これによって、脳は大きな痛みを自動的におさえていたのです。ところが、
慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令が
いかないので、痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。
  ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を
生み出すことが分かってきた。脳の鎮痛システムが働かなくなるので、
痛みが増加しているというのです。 
 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。
 腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを続けており、二年前からは
低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。
そして、半年前からはスポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、
ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。そんなものではない!
というのが、私の現在の心境。 しかしストレスは万病の元である。
ストレス無いのが一番のストレスというが。
・・・・・・
3526, 死に至る地球経済   ー2
2010年11月20日(土)
   「死に至る地球経済」 浜矩子 著
 ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー
 今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。
来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。そして、その後に
数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされ
ないまま、銀行、企業、そして自治体などに塩漬けにされている。
しかし、そのままにしてはおけない。
   ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■
*「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に
足がつかないまま、無理して舞い上がることを強要された恰好で推移してきた。
このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを
貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。
二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、一度は活力を取り戻して
谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。
今回のは、谷に落ちていく途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて
一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。
そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」
の苦肉の言い回しが、この厳しさを実によく言い表している。
* PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」
* アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と
「キリギリスの政府」と喩えられ、「アリギリス」だ。 アメリカは、これから
アリギリスを目指そうと言うが・・・
* 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。
*「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を
増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、巡り巡って自国への
強烈なカウンターパンチとなりかねない
* ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。
それは選択の技である。 選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。
二つに一つだ」(61-2頁)   (字数制限のためカット 11年11月20日)
 ・・・・・・・・
3151、災害で助かる人、助からない人
 2009年11月20日(金)
 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で
7人が死傷したが、色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に
地震や火災などに遭遇したとき、人はどのような心理状態で行動するのか?
 まず、どちらが正しいか?という質問。
 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 
  答えは2という。 
 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は
速やかな避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与える
ために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れとなることもある。
一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限り
パニックなど起きないという。過去の大災害時に助かった人で一番死亡
しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。逆に一番助かりやすいのは「家族」で、
行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。
家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも
高めるということ。マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの
避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、また金持ちほど助かりやすい
データもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。
状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるか
どうかが分かれ目になる。 
 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める
効果がある。神戸の震災は復興はしたが、経済的な後退感は否めない。
それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、
それを機に都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することが
できたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、衰退期の災害は
一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。 飛行機事故で
数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。
 :天声人語に以下のような文章があった; 
 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、
駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した  
 (字数制限のためカット 11年11月20日)
・・・・・
2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
 2008年11月20日(木)
ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉
拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、
何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が
部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 
朝から二度倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。  
  年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つで
あることを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の
疑問があっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために
地球に生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、
絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点を決め、
その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、
味わうかにある。 それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。
 【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか!
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や
悲しみ、というのが少しは分かるが。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。 
  何か際どい話になってきたが。


4997,暴走する世間 −11

2014年11月19日(水)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
  建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する「そねみ・ねたみ」
が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別をするのが人間の性である。それが
世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想で実は本人たちの脳がやられる。
問題は自覚できないこと。 ーその辺りからー                       
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買ったとすれば、
 それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が生まれたときに、他人にジト−ッと
 嫉妬する独特の心理が生まれる。 この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは
 以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、モンスーン
 気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、分よりも注目されている人間に
対しては、いくら口先で褒めても、内心はムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪い
とでもいうのか。単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が他人に比べて
損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方がない。横並び一直線で
暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの差がほとんどないから、嫉妬の
質も深刻ではなかったかもしれない。が、現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、
所得格差も以前よりひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】
▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、歴然とした
 格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある立場の人たち。そこは一度
沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事ではないが・・ 日本は国家として明らかに負組に
なってきた。その結果、国内には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が
多発する。そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。 そこに欧米のような個人主義
でないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の「ええじゃないか!」
の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、『東京オリンピック』である。
 この共同幻想を楽しみながら、最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。
・・・・・・
4630, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ ー2
2013年11月19日(火)   
   * 相棒 ー愛人と共謀の夫殺し 
 昨日の『相棒』は、二回完結型の後半もの。概略は
《 有名女優が、内縁の夫の作家を愛人のマネジャーと共謀して撃ち殺す。
 強盗の仕業にするが、右京が追い詰める。ところが調べているうちに、内縁の夫は
女優の実の父であることが判明。子供の頃に両親が離婚。 亡くなった母親が残した
アルバムから、半年前に知るが、父は、そのことを知った上に、女優と内縁の関係になって
いた。そのことに同情したマネジャーと共謀し・・ しかし、そこには二人の純愛があった。
 逮捕をされる時、マネジャーが相棒二人に、結婚届けを託すラストシーンが、涙を誘う。》
話は、これからである。 ああ終わったか、とチャネルを回そうとすると、TV局も、視聴者
心理をしってか、冒頭から、ニュースの触りを持ってきて、引きとめようとする。
ところが、冒頭のニュースが、これに似ている裁判の内容。「裁判で、被告が突然、
自分は主犯でなく、殺害した被害者の奥さんと共謀してやった」と主張、その奥さんは、
証言で「ストーカーの被告が勝手につくった物語」と、両者の言い分が対立、と報じていた。
被告の証言で、「以前、奥さんから、本人がつけている香水をもらった」と、それを提出した
のに対し、奥さんは、・・まあ、テレビドラマそのもの。偶然としてもTV局は、してやったりの
タイミング。奥さんらしき人の写真が流されていたが、被告も、奥さんも普通の感じ。
今週のマスコミは、この問題で大騒ぎだろう。『相棒』の話題、軽いので、テーマとして
迷ったが、こうなると、良かったことになる! 
それにしても、視聴者の多くは、主犯は? 二人共言い張れば、通る?
   * 何もする必要が無いのが、御隠居生活
 思いのほか、御隠居生活に馴染んでいるが、準備期間を含めた事業人生から
解放された気楽さがある。大きな成功を必死に求めていた自分が、可愛らしく思えるのが
御隠居の視線である。以前も書いたが、家内が不思議そうに、「毎日、単調な生活で刺激も
無いようだし、つまらなくない?」と聞いてきた。 その答えは、「実際に、事業をしていると、
寝ても覚めても極度の緊張状態。それは良いこともあるし、嫌なこともある。
現在も、同じこと。これはこれで、淡々として良いし、逆に詰らないこともある。
どっちも同じこと」が、偽わざる気持ち。滑り台に例えると、早朝が一番上で、就寝が一番下。
寝起きに、この随想日記の添削をして、アップ。30分の瞑想、ポタリングへと続く。
そして朝食とり、八時またぎでTVを見て、風呂に入り、九時半からパソコンと読書に二時間、
費やす。そして、・・と、淡々と何時ものとおりの習慣を繰り返す。重要度からすると、徐々に、
下がっていくから、楽といえば楽。午後からは、スポージム、読書、ドラマの視聴といった
流しになる。面倒なら飛ばせば良い。どれもこれも誰に頼まれた
訳でない。 森の生活では、少し不安だったサバンナも、慣れてしまえば、これはこれ。
50年近い、読書習慣が支えである。
・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の
生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、
今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。「どこどこが倒産した」
「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、
自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを
無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然の道理。
30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の
一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。 最悪に見えた経験も、
奇妙な感情が支配していた。あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし
立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では
既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの
可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。 日本で、この2千年の間に4回の
東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で直下型地震が
連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。
経済の7割が集中している太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが
日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、
資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が非常に強いのである。 
バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって
ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? 
 ・・・・・・
3890, ギリシャ/イタリアの次は・・
2011年11月19日(土)
 ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送り。
その直後に、待ってましたとイタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な
国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると簡単に人員整理が出来ない
法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。 
グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイ
タリア人気質が耐えられるか?というと、非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、
ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。
 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の
様相になっている。それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの
対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。1999年からG7に
ロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の
12ヶ国を加えたG20が年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。
そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。イタリアに続いて
スペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。
 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。
現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。日本だったら1千兆の利回りだから、
329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、
数年後には、似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 
例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。
 <10年もの国債の利回>   ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って
引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。
・ ギリシャ    32.29%      
・ ポルトガル   11.52%
・ アイルランド   8.22%
・ イタリア     7.28%         
・ スペイン     6.43%   
たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。
・・・・・・・
3525, 死に至る地球経済
2010年11月19日(金)
  [死に至る地球経済」浜矩子 著
ー内容紹介ー
 ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される
中国など混迷が続く世界経済。長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、
財政危機というトリプルショックを迎えている。今、進むべき道はどこにあるのか。
グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。
(第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、
    「成長に優しい財政再建を目指すこと」の困難さについて述べている。
(第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、
   いったん始れば国家財政で押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー
   隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める
(第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を
    踏まえての基軸通貨システムへの代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に
   一つの解答を見出したくなるという
(第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの
   瀬戸際に立つ緊迫状態
(第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義と
   それが生み出す諸問題、経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。
   中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。
(第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かに
   なっていく時代の状況は変わってしまった。「下流社会」という言葉も出ている中、
   誰もやらないことをやるのが政策の仕事。
▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。
 エピローグで、ここで再び世界を不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び
覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。二つめが「二番底」という。
財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う
恐ろしいこと。これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、
根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、再び立ち上がっている。
「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、
さっそく、この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への
引き金を引きそうな事態に。      
・・・・・・・・
3150,「要は如何受け止めるか」である!
 2009年11月19日(木)
   「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ  岡野 守也 (著)
 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて通らなければならない
60歳前半の欝症だろうか。それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに
切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、以前のように切り替えに時間がかかり
何時までも引きずってしまう。
 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは
失敗や陰口と思いこむ。しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。
出来事・A →  考え・ビリーフ・B →  結果としての感情・Cとする。
「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な
反応を決める」要は「どう受け止めるか」である。Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格
から、明るい性格に換えてしまう。 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」
「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な思い込みが、不健康な
否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧で
あるべきだ」「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aを
いやな気分に変換してしまうとする。そこで、論理的な対話型セラピーによって、非
合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。
*「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力が
あるんですよね?」と話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、
目が見えているから視力もあるじゃないですかという風に誘導。人間の心はおもしろいもので、
「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。「微力としても、力はある」と考えると、
少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、論理的な説得を
繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。  
 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。
*「落ち込み癖」を治すには
・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫
・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。 夫婦で慰めあっているのがいるが、
「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。そのためには
ミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。
「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する
方向に持っていくことになる。他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・
セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、秘境ツアーに、あげれば限がない。
私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。
その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? 
その後は、慢性老人欝症かいな?
・・・・・・・・・
2785, 恐怖指数
2008年11月19日(水)
 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 
【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う
 指標とされる「ミザリーインデックス」である
◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を
 足した数字のこと。これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。
 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。
 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ
◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が
 増えるのは間違いない。 実は日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。
経済政策への不信感は、相当に強いに違いない 
   (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)

 


4996,暴走する世間 −10

2014年11月18日(火)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 公共性と「世間」とは、同じでない!
 往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。
時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。
そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」のミスマッチの
クロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、いないかの差でもある。
それは、ネット社会でも同じことがいえる。  ーその辺りからー
≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも「世間」は、
「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」のウチにもまた「より狭い世間」
があるというように、一種の入れ子のような複雑な構造をもっている。
 問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつために、「世間」のウチの人間にたいしては
相互に「配慮」しあい「優しい関係」をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わない
という本質をもっていることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」に似ているのは、
ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が公共性と異なるのは、「世間」が
つねにウチとソトという区別をおこない、「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。
さきほどの例でいえば、「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の
目のとどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」「ゴミを
捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」というとんでもない
格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、「世間」がみていないので、タガが
はずれて「なにをしてもいい」ということを意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は
「世間」をつくっているから、他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。
「世間体」とか「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。 花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、他の
グループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気にしないで
化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
 ▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る姿が話題になったが、
  これも「世間」の特質の現れである。その世間が、神様かわりをしているとしたら、三年前の
節目から突然、私の前に現れ出てきた神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは
当然至極。これは、実際に経験してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、
面白い動物で満ちている。とすると私は、珍獣?
・・・・・・
4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか
2013年11月18日(月)
        『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
   * 結婚相手に何を望むのか ー
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確にするためである。
大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々あったため、養育に支障をきたした。
一夫一婦制で子育てを義務化することができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。
性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、容姿、体格、知能
などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの異性を抱え込んで、弱者が異性から
排除される事態を防ぐための人類の知恵としての制度という学説がある。
 ∵ 「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚生活は、
うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまくいくという説。補完説
でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、精神的に弱い人は、心の強い人を、
背の高い人は、低い人を求める、ということになる。自分のない部分を相手に求める。
一方、類似説では、背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を
求めるなど、同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。
人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。
  ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、
第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムースに進む相手、
第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、学歴。女性の
9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担の意識が高いが、学歴に関して、
男女とも同類婚を望んでいる。
  ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、
 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。
学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、それぞれ5%と9割を越す。
見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。
▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に望んでいるのか、
が解りやすい。殆どの人は、学歴も、家柄も、容姿のうち、二つが揃っていれば良しとして
結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し合って、離婚するのが、今では3〜4組に一組。
世の中、すべからく妄想でなりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、
女性の方がシビアで、見るところを見ていたようだ。それで、決まってしまうからだ。
・・・・・・
4264, しまった!  ー12
2012年11月18日(日)
         ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、かえりみること。
ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動することを仕事の核にしている」という。
10時間以上の、まとまった時間、ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。
前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら黙想をしてみた。
「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の半睡のような黙想体験は、言葉で
表現し得ない悟りというか、マドロミに包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが
浮かんでくれば思うまま、半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、
その状態。宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと
一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したいとき、ただ、
あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想するには理想的空間である。
高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは新幹線内での読書で経験していた。
学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデスをしていて、小泉元首相が外国への飛行での
機内専用サービスの担当になった時の経験談を聞いたことがある。
「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで
寝ていたと同時に、黙想?もあったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、
ひたすら10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕があれば、
充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が出来た。休日などで、
ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。大体30分〜1時間。ただ目を瞑り、休む。 
この春から始めたヨガで、最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。
これも機内と同じ状態。好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、
人生の財産である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえに
固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。これこそ財産。
秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む
妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。
私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。
ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。天才と秀才の差は逸脱を
しているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。
野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは
逸脱と捉えられがちになる。彼らは天才、それとも秀才だろうか?
日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウは
アメリカでも天才だろう。そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、
積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。
単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ
逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、
それは違う。前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消の
ため秘境旅行に数多く行ったが、これは日常からの積極的逸脱であった。
その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。
人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の
趣味の世界に入る人がいる。江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情が
あり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう
恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 
事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。
一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は
皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。
「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
 ・・・・・・
3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリ
した違いがあるようだ。 この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて
使われてきたかを、英語、フランス語、ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。
日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」はわれの人としての自覚から
始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。
これは、人に間の字を添加している。間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、
世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、そういう人の間の関係を示すという
ことになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる
古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に
関わるものでないことを実証している。】 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、
人間になっていく。また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと
発展していくが、それは、人間の意味に、あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、
それぞれの自己絶対化が生じてくる。人は人間関係、社会を通して人間になっていく。
書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。
 ・・・・・・・・
3149,つれづれに ー閑話小題
 2009年11月18日(水)
  * 論理的思考とは
毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。
自分のメルクマールのため続けているが、この習慣で得たことは「インプットした知識もあるが、
各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた本質を見抜く視点と、それを
起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたこと」理構成力こそが、自分の核である。
その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界
に繋がっているようにも思える。大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、
トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。何かのイベントに参加すると、
その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。
それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。
デジカメで日常の写真を撮り、そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで
豊かな気持ちになれる。 その人によるが。
  * ブルーレイ録画機
7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたのでブルーレイをネットで買った。
量販店の7〜8掛けである。  (字数制限のためカット2011年11月18日)
  * オモシロ、オカシク
(字数制限のためカット2011年11月18日)
 ・・・・・・・・・
2784, こんな経験したことありますか?
2008年11月18日(火)
 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている
五感の範囲のことでしかない。犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、
象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。以下の内容は不思議でもなんでもない。
普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに
反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 
  *うぶだしや*             (うぶだしや=遺品買取屋)
「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死を
いたむものだった。ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床に
あッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。友達が学校に通い、結婚していく
なかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。
思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常
ばかりであった。彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二との
できない憧れの生活を描きつづけていた。そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な
気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、絵の裏に、師匠の画評が
書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道も
かくこそありけれ」と書かれた額があった。昭和皇太后の肉歌であった。
私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。「これ!もう売ったんですか?
一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。
一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。うれしそうであった。
私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 
お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、
だまって指を二本たてる癖がある。私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、
ときどき取り出しては、うっとりとながめた。画中の女は、美しいというより、どこか寂しげ。
だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、右のいきさつを話したら、その骨董屋の
顔色が変わった。「先生、そういう品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。
悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」たしかに、
それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。
(やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。
捨てられないと、こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、
信じられないことが起きた。ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、
それほど親しいわけではない。なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから
二人で見にいきませんか?」という。こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、
いくこことにした。桜は美しかった。墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと。
私は、はずかしいから地面をみて、女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。
私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。体が弱いのか、のどくびを
覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。
「桜、きれいね」そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、
そこには、信じられないないものがあった。あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。
「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。地の底から女が、じっと、こちらをみている
ような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、その花見の女性とは会わなくなった。 
二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。
 ▼ 私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。
 そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。
いや、感謝をする。何で気持ちが悪いのだろうか? まあ、いいか! これも解釈の一つで
しかないが。 桜には霊気が満ちているというが!
・・・・・・・・
2007年11月18日(日)
2419, 『楽天主義』
      *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 
 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著            ー読書日記
 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のような
メッセージに驚いた。    


4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜①

2014年11月17日(月)

                 ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 「三年寝姫」ばななが過ごした‘さなぎ’の時期
  次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えています。
毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子どもから大人に
なる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り切っでいくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ることを
許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさんの
お父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。 間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさんの
御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出したくも
ない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、山ほど記憶
しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の浪人生活を
加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。 その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。 振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の時節を
改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人もいるが、
どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は同じというが・・ 
 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著)に、「ぼんやり」と
響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。
・・・・・・
4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
2013年11月17日(日)
   * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの
一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送である。 
ー概要をウィキペディアでみるとー
{ 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、警視庁内の窓際部署
「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディ
ものであるが、相棒は3度変わっている。1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・
洞察力を持つ右京が犯罪者を理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、
全体的なストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを描く
警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、官僚・政治家の権謀術数を
描いている。 2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、単発ドラマとして放送され、
2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送されている}
▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の一端に
私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の水戸黄門でないか。
トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、最後は国家権力を振りかざし悪と
対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、「今まで気づかなかったの?そんなのは、
当初から言われていたこと」という。12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、
キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子が、
明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。再放送直後、
家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。オバサマたちの多くが、
見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子がフランス帰りの「岸恵子」そのものの
キャラを演じた犯人役のドラマも、なかなかのもの。  

・・・・・
4263, しまった!  ー11
2012年11月17日(土)                      
 * 人生の財産  ー総括するとー1
 〜ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、結論に達した。
《人生の資産はお金でなく時間である》と。人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに
「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、人は、
これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、
決意と自制が求められるが、難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる
金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。それを忘れて、思い切った割り切りを
しないことが人生の最大の「まちがい」になる。 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、
固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、それを
前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)
がかかっている。それを知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、
バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの人間のバイアスは面白いほど
ケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
間違いを少なくするには「小さく考えること」。間違えは意外と身近な些細なことから生じている
ことに気づくこと。私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けている
つもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。考えることを嫌い、こうなるはず、という
直感に従ってしまう。私たちは見ていて見えてないのである。知っていても理解してない。
そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが
脳の奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、
大きな壁となる。ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。
知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。失敗も成功も人生の内である。それも考えて
みれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。自由は人間の求めるところだが、
突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して
戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に
入り直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが見えてくるもの。 
結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、
自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、
思いでしかない。その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く
自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。
自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、
最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが
出来たことほど、幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は
「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く
前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると
非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? 
それが世間という世界である。
・・・・・・
3523, 都市型狩猟採集生活
2010年11月17日(水)
   「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著)
 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の
坂口恭平の対談があった。「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容に
ついての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、これ以上、新しい建物を
作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすれば
いいと考え、路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた
工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。たまたま図書館で、その写真をみたことが
あるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、それらから
家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな
世界に見える。 坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 
彼らは“都市の幸”で暮らせば、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身に
しかできない生活を獲得している。
ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー
*「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、
みんなあまりガツガツしていないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集した
あとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。そんな姿を見ている人がいる。 それが
次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68)
*「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ
変えることなく文句一つ言うことなく、独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・  
社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、人間を苦しめつづけるだろう。
それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。
 ・・<都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148)
*「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが
冷淡なのはどうしてか?」
   ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。
 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもって
いたこと。彼らは、 「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」
という。うちの手伝いに来て、 アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていける
のが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。  人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、
絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。歩けば何でも
見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。養老:身体を使うことは大事。
私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。
▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、
生活保護などの支給があるからか。それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を
見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。何か無駄なものを人間は
持たされてしまったのではないか!立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・
・・・・・
3148,殺人事件の半分は家族内殺人
 2009年11月17日(火)
 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 
のレポートが目に入った。子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。
だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。しかし、このレポートの題目をみるまで
『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占めるというから驚き。
これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。
それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている
10人の家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。
  ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー
≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 
 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。
それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。
自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存を生む。
 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。
だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。
子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫
  ーー
  多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。
 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもに
とって厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻に
とっても夫が危険である。 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人
というから、ありそうなことである。 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の
20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ?
  ーー
 「身内の犯行」 橘由歩著  ーネットよりー (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2783, 外は広く、内は深い
 2008年11月17日(月)
日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)に
ついての文章の一節である。
【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。
「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の
成立を図る思考であり、そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化
産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。他方、東洋的な見方は対置
概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようと
する知性である。西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は
見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に分りますか」と尋ねたという。
大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
 〜己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの
輪郭が見えてくる。    (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に
「私は無宗教」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめる
のだろうが。しかし著者の次の内容は、宗教の必要性を解りやすく説いている。
私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った
人の集まりが社会である。宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 
 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを
味わっも、挫折、病気、老化、それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は
一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、宇宙のすべての存在者の
根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、
ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、
私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。
このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、
安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは
自分と他老の区別が意味をなさなくなる。それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に
抱かれて万人が肯定される世界です。ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に献身
していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が
自己絶対化を捨てなければならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった
現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教がそれぞれ異なる道を通って共通の根源
へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。
 (4)そして最後に、第四点目として社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で
生きる存在者ですから、どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。
人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと移行し、それらの
劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として
是認しつつあります。  (字数制限のためカット 11年11月17日)


4994,閑話小題 〜一昨日はシネマ鑑賞の日

2014年11月16日(日)

   * 一昨日はシネマ鑑賞の日
 一昨日みたシネマ「イフ・アイ・ステイ」が面白い。前週の予告で、女子高校生の臨死体験に
惹かれてみることにしたが、テーマは思春期の恋愛と苦悩があら筋。ストレス解消のドンパチ
ものの中で、たまには、これも良いのではと・・
 一家4人が交通事故で両親と弟が死んだ中、集中治療室で危篤の女子高生が病院の中を
彷徨っている。そして、その直前までの日々の世界が、彼女の意識下で映し出されている。
 みていて私の人生69年近くの生涯が、主人公の17年の記憶と、病院の中の彷徨いが、
この3年半と重なっていた。 毎晩、夜半の1〜3時辺りに目が覚めると、この映画の臨死体験と
同じような意識下で過去の世界を夢遊をし彷徨っている。意識を白い塊のイメージをして、
思い当たった記憶に集中する。余命半年、3ヶ月と宣告されると、この濃度が強くなり、
それまでの人生と同じぐらい生きるらしいが。   ーその内容といえばー
≪ ミア17 歳、高校3 年生。親友と呼び合える友達がいて、つきあい始めて1 年の大好きな
 彼氏がいる。将来の夢はチェロ奏者。今はジュリアード音楽院への入学をめざして猛練習中。
そんなミアを、ある雪の朝、突然の悲劇が襲った。一家が乗った車に対向車が突っ込み、ミアは
一瞬にして家族を失ったのだ。病院のベッドの上、昏睡状態のままのミアの目に映ったものは、
ベッドに横たわる自分の姿と幸せだったこれまでの人生、そして、彼女を死の淵から呼び
戻そうとする人々の姿。 いつもと変わりなく話しかけてくれるおばあちゃんの声。
「辛いなら頑張らなくてもいい」と言って泣いたおじいちゃんの涙。親友のキムと、看護師の
制止を振りきって来てくれた最愛のアダム。彼らはミアに何を語り、ミアはそこに何を見るのか。
事故から決断までの24 時間が描かれる。≫
▼ シネマも、少し見方を変えると、内容が全く違って見える。最期は、このような意識の
 混濁の中で、「あ〜面白かった!」の言葉と同時に『プチッ』とシャットダウンするのだろう。 
その時{もっと知っておけば、働いておけば!より、もっと楽しんでおけばよかった!}と思うはず。
そうすると、まだまだ楽しみが足りてないことが、よく分かる。でも、人生、面白かった! 
 そして、いま今日此の頃も。それでも、まだまだ楽しみが足りてないようだ。 さてと・・ 
何して遊ぼうか? 
・・・・・・
4627, 夫婦格差社会 ー2
2013年11月16日(土)
    『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
  * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに
 奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口より、二人の
収入の二人口の方が長い年月で大きな差が出てくる。ローマの道は一日にしてならずである。
とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしかない。〔妻の勤労による所得が、夫婦
合算所得の平等化に寄与していた時代は終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する
時代になっている〕の指摘が、一番の要所。結婚相手で、人生は決まってくる。 
  ー概略といえばー
・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で見ると、夫の年収が
 増えても以前ほど妻の有業率は減少しない傾向が出てきている(夫の収入が1000〜1500万
 の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に関係なく、妻が働くかどうか、決めている。
 この10年で25-34歳の既婚者の労働力率が10%増加 (結婚しても仕事をやめなくなった)。
 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは際立っている。
  まだ女性の社会進出が遅れている。
 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって
  未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが女性は繋がらない、(日本では)低学歴の
  人ほど離婚確率が高い。
 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。
  1985 年までは男女ともに5%以下だったのが爆発的に上昇に転じ、2010年には、
  男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測される。 
 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市で高く、
  島根、秋田、高知などの地方で低い。ところが30代既婚女性の就業率は、大都会では
  地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京などの都会は専業主婦が
  少ないように錯覚されるが、高所得男性も多いので専業主婦率は地方よりも遥かに高い。
 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増えている。
  (女性にとって、結婚は階層を上げる役割を果していたが、今では薄れている)
 ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。
 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」
 「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。年収300万円未満の20代男子の
 4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。
 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、直接、間接的に
 影響してくる。知人をみると、奥さんが働いているかどうか、親からの資産があるかで大きく違う。 
 短い人生、可能な限り稼いで使いきることだ。百億稼いで残した人生より、それを使い切った
 人生の方が理屈から考えても、面白いに決まっている。 どの道、夢幻!
・・・・・・
4262, しまった!  ー10
2012年11月16日(金)                  
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
* どう思うかは、そのときまでわからない
 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、
諦きらめがつき、後悔とかは皆無。この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活
より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に自分でも驚いている。 
これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して「なるようになる、その時は、
その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから
面白いのだ。 ーその辺りよりー
≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから
 眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるか
などわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を受けるかの質問に、
殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士で
ゼロ、健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の
58%の人が、たとえ一週間しか命が延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・ ≫と。
▼「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。
一流のエキスパートには二つの共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、
二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった能力は人が思うほど大した要因でなく、
重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」。
 研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちの
グループは、20歳までに一万時間の練習量を超えており、それほど成功してないレベルの
人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習をすればよいのではなく、練習の
繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。 ところで秘境
旅行は実際に当地に行き直接、その大自然に接し感動してこそ醍醐味が実感できる。
どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも
人生でも同じこと。未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学
(信念)は、「迷ったら、とにかくやる!」見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに
相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に実践してみないと分からない
のを本人は知っている。本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。
・・・・・・
3887, 積極的逸脱
2011年11月16日(水)
 異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。
日本語にすると積極的逸脱になる。世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、
それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。そういう私の方が
地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の
同級生を除いて最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が
長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいて
こそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。
「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在では
ビジネスに使われているようになっている。後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が
何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、たまたま近くに医者が
いる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から逸脱
していることになる。しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、
全体の死亡率が減っていったとういう事例がみられる。コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 
一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して不具合が生じるトラブルで、これは
エンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの一人の
エンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への
競争優位をもたらした。大体が改革とは、そういうもの。従来のやり方を根底から変えることは、
どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、極的逸脱と見ることが出来る。 
世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。
そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、
比例して満足度が高くなっていた。あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」
という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が残された人生を
生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。
そこで、それを本気になって探すと、自分の生きている世界中に、それが無限に転がって
いることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。
緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
・・・・・・・
3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!
2010年11月16日(火)
今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 
まず、この問題は、G20が韓国で開催される時期と、APECの日本で開催される直前に
明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、やすやすと乗って、
中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに
上陸をさせてしまった。これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の
管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの計算外の海保の保安官の
秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から
幾重ものクッションを通して行われた可能性を含んでいる。それが出来るほどのタマは
現在の日本にいない?しかし中国のトップの顔に泥を塗るにタイミング的に良かった。
その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて
タイミングがよすぎるたのではないか。保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる
直前にマスコミに接触したことも、一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 
差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。
「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 
それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに効果があった。だから、あの男は、
日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でも
されれば管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も
20パーセント辺りまで急落することになる。その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。
日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。これが完成すれば
アメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が
大同連合を組み、国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 
それが100年、250年に一度の地球規模の危機に対する対処になる。 海保の保安官の
逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?
 ・・・・・・・・
3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国
バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3千室も供給された。
しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。団塊の世代の定年退職者の
退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 マンション業界では
100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が
倒産し、新潟の信濃川の川沿いの大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の
行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを
1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある
マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の
仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に変わって
しまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。その間に、
時代は激変をする。その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまった
ことが今になって分かってきた。新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収される
から何とか帳尻が合いそうだが。  (以下、字数の関係でカット2011年11月16日)
・・・・・・・・・
2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、
子雀達はどうなるのだろうと、で、ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は
壊われた。 日暮れ近くになって、庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行って
しゃがみ込むのを見た。「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。 
掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。
何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が雲雀の子を育てて
巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さる
という。 折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 
その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時
我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
・・・・・・・・・
2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
 この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に
「よく生きてきたのか?」という自問自答である。やはり根本的なところが欠けていたようである。
「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 
生きてきた過程で現在、こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならな
かったのでは?という自問自答。真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、
語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)


4993,暴走する世間 −9

2014年11月15日(土)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    * ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ
 以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおらケイタイを取り出し、
友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えていたのには驚いた。考えようとせず、
反射的に誰かに聞いて、その場を繕っている現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。
 それが今ではスマホで検索すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と
自立心をそぎ落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている!
≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を妨げるのではないか
という議論がある。アメリカの社会学者タークルが、つぎのような興味深いことをいっている。
<かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、地下鉄に一人で
乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しをもらうとか、都会の子どもが
そういう経験をするとき、その子にとっては「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人で
すべての責任を負うわけですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で
身の振り方を決めなければなりません。 人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き起こる
感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こったとしても、状況を打開
できるかどうかは自分次第だったのです。
しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人であっても、親が
ずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。また子ども自身も、自分が一人では
ないと感じているのです。また、携帯電話は、このような状況を作り出しているわけです。
子ども一人では心もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせることは
可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。
(タークル「技術を本来の役割に」より)>
 ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、子どもひとりやらなければ
ならないことが阻害されるというのだ。「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げる
ということ。 ≫
▼ 重大な岐路に立たされると、直ぐに電話がかけてくる男がいる。重大な岐路であるほど、
担当と議論を重ねて自分独りで熟考すべき時に、身近な人に判断をあおごうとする。 
関西で、子どもが誘拐され殺害されたとして、何で北陸の学校が送り迎えを集団でしなくては
ならないのか?変なのは分かっていても、それを声高々に言えない。戦勝国のアメリカから
与えられた自由民主主義の弊害である。そして、次がネットである。これにプチ世間が結び
ついた弊害が、青少年だけでなく、成年まで変にしている。情報化社会になるほど、個人の
教養のベースが必要になる。その基盤がないため「IT世間」が、個人の内面を縛り付ける。
恐ろしいかなである。 私も、その犠牲者? でも、面白い時代である。 
・・・・・・
4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子!
2013年11月15日(金)
   * 今度は絶食系男子だと!
 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、NHK番組で
紹介していた。彼らは女子に興味がなく、将来も結婚するイメージが出てこないという。
別にホモ系でもない。女性と付き合ったことがない若者が45%いて、男の2割と女1割が
生涯独身。2030年には男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。
アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを考えると、
結婚に躊躇」とインタビューに答えていた。それにしても絶食系男子のネーミングにビックリ。
本来、男は「絶倫系男子」だが! ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には
何の楽しみも無いし、(女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。 情報化の時代、
面白いことが山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! 
というのも分かる。しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しいという。
べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・ 絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、
これほど面白いことはない。 ある漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、ソッポを向いて
いるのがあった。何人かの紐を持って、困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。
   * ソリスト
 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。ソリストの本来の意味は、
「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手」 冬期を除いて4年以上、
毎朝、1日時間、自宅から15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。
私の一日のスケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけでなし、
一人で行って、幾つかのエアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか青竹エアロで、誰かと仲間に
なり楽しそうにしている人と、私のように誰にも挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけの
ソロ組に分かれる。ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に5〜6人が
陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは中高年の女性たち。
SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、挨拶程度で、会話はない。
早朝のポタリングや、ウォーキングも、ソロと二人連れに分かれる。それと犬連れ。
で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。
ポタリングは当然、ソロである。単独か、群れるかは、人であることを優先するか、
人間であることを優先するか、である。
・・・・・・
4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ?
2012年11月15日(木)
   * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に!
 第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない
大方の中小企業のトップは、どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも
始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、運転資金とは別の僅かだが
予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は
更に体力を落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 
私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜40年前の事業設計にシェルター機能を
組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、
  ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。
 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】
・全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、
不動産の6物件は完売。)
・借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、
 ほぼ大部分。ー元金融関係の先生のコンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で
 受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。
・職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする
  (名誉職的団体に一切に入らないなど・・)
・20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え
 時点で追加担保の要求が出るため)
・10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも
 転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。
 ー見切り時期の設定ー(償却前赤字の転落時点も、目安にする)この時期に、個人名義の
 事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。
・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。
 そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。
 (国の退職補助金一千万近くを含めて)
・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。
 一般債権は、ホボゼロ。
・* 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 
 * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。
 * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している
   事業経営者の子女」を前提。
 *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人にはならない」を厳守。 
 * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の
  別立て預金。
   一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・
   自宅は家内が買い取ることで確保。
 【長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。しかし結果は、ご覧のとおり。
▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー   
 長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジを
かけておくのは、経営の正道。経済震災は既に起こってしまったのである。現在、中小・零細
企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。あとの三割以上も、その一歩手前
といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 
現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・  金融機関に
小手先の手法など土台、無理。まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。
それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、「事業は舟板一枚下は地獄」
を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、
「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、
決断をする3ヶ月前まで、まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。
 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・
  ・・・・・
2011年11月15日(火)
閑話小題
    * 江戸時代の幸福とは
 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。
<世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人>
 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世
 にもついてまわる。最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 
   これを現在に置き換えると?
<世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人>というところ?
 ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っている
 かである。
   * 人生に意味(価値)があるのだろうか
 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々で、「自分の人生は何だったのか?
 意味=価値があったのか?」等を、考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、
 人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、
 実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい
 加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、
 指摘している。 キリスト教の教えを、弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと
 切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、
 せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったか?
 などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 
 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の悪口、陰口を言っている醜さは、
 結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が
 腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 
 全ての人である。
 ・・・・・・・
3521, 我が家に新しいTVが  −4
2010年11月15日(月)
 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから
三ヶ月近くが経つ。そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでの
テレビとは別物のマシーン。ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わった。
そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、
 19時~23時の四時間×6日間(変更可)を自動録画する機能がよい。これが一番の売り
 だったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。ゴールデンには必ずといってよいほど面白い番組がある。 
 しかし当日の地デジは殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白く
 なければ、その場で消す。平日の18時半〜21時は、せいぜい二番組しか見る時間がない。
 当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 
 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て面白いものが冷静に選ぶことができる。
 そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
* マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、
 プロ野球が格段に臨場感が出たため、内容が数段良くなって見える。 家内は三日に
 一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、臨場感がアップした。 
 それが感受性を更に高めている。
* 先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間
 テレビに釘付けになった。ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの
 色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに引きこまれてってしまった。 
 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観た
 マイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督) 最後のコンサート「THIS IS IT」の
 リハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、いずれも
 ステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り
 返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。)
  ・・・・・・・・
3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。日経に請われて書いた
提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして:貸し渋り対策で、過度の政府介入するな :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように
指導し、強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。何を、この新聞社を
載せるのだろうか。そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ 
これで新規融資が一段と萎縮するというが、上から目線の論法でしかない。 地方の現場から
逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、下の目線で資金コントロール
するのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう?二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の
低迷」というが、リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で
救済する、どこが悪いというのか。日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、
私の意見と思うが。この学者「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 地方の企業は、
そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上
などと言っているケースではない。大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されて
いるのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を生み出しかねないと、
一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、「これは、大震災、
それも100年に一度の大震災」。都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感
できないのである。それと日経新聞もである。
 ・・・・・・・・・
2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。
 思いつく最も説得力のある答は、金融機関の不良債権を買い取らせるとう
 ポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスに六千億を
 用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対しても
 ドルの価格は上がっている。 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。
 中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら
 特殊な国である。端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。
 こんな国は他にはない。その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。
 これからは、新興国の人から預金を集めて、中小企業にきちんと貸すリテール中心の
 銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立
 しない。日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争しかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、
 中小企業であり、農業を初めとする第一次産業である。 農業といっても、農業土木では
 なく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、
ゼロからやり直すチャンスと説いている。  (字数の関係でカット 11年11月16日)
 ・・・・・・・・・
2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*
  (以下、字数制限のためカット2014年11月15日)


4992,暴走する世間 −8

2014年11月14日(金)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    *「IT世間」の登場
 この随想日記(自分の覚え書きや、読書感想、つれづれの思いなど)の公開を13年
以上も続けてきた。せいぜい50〜60のアクセスと思い込んでいたところ、10日ほど前に、
フォロー用の「Hatena]のブログが300近くのアクセスがあることに気づいたことを先日書いた。
これと二つのブログを加えると350以上のアクセスがあることになる。身近な50〜60だと
「IT世間」になるが、350以上だと「ITネット社会」になる?と・・ いや、この程度の数は
「IT世間」でしかないか。この発信もあってか、群れたいとか、寂しいとかが皆無に近い。
人間は、誰かに自分の話を聞いて欲しいのである。70年も生きてきたお陰で行蔵は充分あり、
考えることも、読みたい本も、行ってみたい世界も山ほどある。 その独り語りを、ケータイや
パソコンなどのITの端末から発信出来、かつ様々なブログをみることが出来るのだから
有難いことだ。しかし、その反作用で「世間」しか持ち得ない日本では、IT社会がIT世間として、
プチ世界を更に小さくしているようだ。このブログも同じようなもの?  ーその辺りからー
≪ 日本では1980年代以降の「過剰商品化」によって、「ある限度」をこえた市場化ー
商品経済化が生じ、その結果として、子どももふつうにケータイをもつことになった。
これは西欧社会と比較しても、ケータイの普及が日本ではいわば臨界点にたっしていることを
意味する。しかしケイタイの普及によって、人びとがウェブを介して世界の人間とつながることが
できるようになったか? そんなことはないはず。日本おけるケイタイのつかわれ方は、むしろ
狭い「世間」をますます狭くするように「世間」を再生産してる。 いまや小学生がケイタイを
もつようになって、それが「いじめ」につかわれることが問題になっている。
ケイタイの登場という技術革新で、日本に新しい人間関係が生まれたか。答えはノー。
「日本ではケイタイの普及で、個人をベースとした社会的交渉が成立している欧米にない、
IT化された世間の付きあいが生まれるに至ったのだ」といい、それを「IT世間」と名づける。
 つまり、いかに新しいツールをつかおうが、そこに形成される人的関係は・西欧のように
個人が集まってできる社会ではなく、あくまでも個人が存在しない「世間」である。
ケイタイもまた、この日本の「世間」を変えるチカラをもっていない。
逆にいえば、「世間」はそれほどつよく日本人に根づいているということ… ≫
▼ リアル世界の上に、ネット世界が別に出来、それがリアル世界をコントロールを始めている。
しかし、リアル世界で「世間」しか持てない日本では、ネットがリアル世界の「世間」を、更に
狭くしている。この随想日記も、「社会」に向け公開していたつもりが、身近な世間様に向けての
「IT世間の独り語り」でしかなかったのか,そして狭い世間を更に小さくしていた? 
つくづく・・(_ _Paと思うが、今さらか!
・・・・・・
4625, デフレの真実 ー金持ちの本音
2013年11月14日(木)
                 ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
 「君は一万円札を破れるか?」の対極の要素が多い内容で、お金を考える点で面白い。
 3億持てば、3億。100億持てば、100億の世界が開けるのだろうが・・ 
   ーアマゾンの内容紹介ー
《 消費税率を上げる前に、デフレからの脱却を図るべきだ! 増税路線に対する国民からの
反発は大きい。また野党も執拗に批判を繰り返す。しかし、増税路線は決して止まらない。
そしてデフレも止まらない。それはなぜか?経済政策の間違いでもなんでもない、庶民が
知らないデフレの真実を森永卓郎が明かす。金持ちの論理から日本経済を読み解く、初めての
「金持ちによる金持ちのための経済学」。申し訳ないが、庶民は、出入り禁止だ。 》
 面白い本だ。10年間、ひたすら働き、遊ばないで三億の金を貯めて、一応、金持ちの
仲間入りをして、見えたことは、一握りの金持ちに有利な社会システム。
だから「まず年収分を、次に三年分の預金を!」という。 まずは、=アマゾンのレビュー=より
【 金持ちの立場から日本の経済状況を解説する一冊。消費税引き上げやTPPなど政府の
方針は、どれも「金持ちの金持ちによる金持ちのための政策」だという。デフレで一般庶民は
生活が楽になっているようだが、実は借金のある人には不利な状況だし(家を住宅ローンで
買った人は特に)、一般人の年収はずっと下がり続けるだろう。金持ちは、数年後にくる暴落時に、
土地や株を買い占めることでさらに儲けることができる。その後には、アメリカのような、
あるいは日本の明治時代のような超格差社会がやってくる。我々にできることは、とにかく
節約して、キャッシュを貯め、来るべき暴落に備えることらしい。】
【✩ プロ野球の一流選手だって同じこと。監督とコーチの指示を受けなくても、試合展開を
 読みながら、自分のポジションでやるべきことを理解して動く。それができない二流選手は
 2軍に落とされ、やがて解雇される。」 
✩ デフレを止めようとしなかった論理として、地価が下がり、二束三文で叩き買いまくった後、
 インフレを起こして「貧民はインフレになっても賃金が上がらず(スタグフレーション)、富豪は
 持っているモノの価値が上がって大もうけ。さらに株などで”カネがカネを生む”生活をして
 ますますもうかり、”貧民はその子孫も貧民、富豪はその子孫も富豪”にする社会づくり」を
 目指す。消費税増税、デフレ問題、TPPなど、お金持ちのためになされている政策である。】 
【 金持ちの視点からみた経済政策。 この金持ちを「米国」に置き換えると貧乏人は「日本」。
さらに金持ちを「米国を支配する者たち」に置き換えてみれば貧乏人は? 対象をもっと広げて
「世界全体」に目を向けると・・ 我われほとんどの人類は「貧乏人」に分類されてしまう! 
金持ちは「マネーメーカー」のみ!!】
▼ 資本主義社会は、金持ち=善、貧乏=悪、という洗脳がされている、が「君は一万札を・・」
 の主旨。著者が10年かけて3億の現金を持ってみて、社会構造が金持ちに有利で出来て
いることを実感した!という。バブルの頃、会社の預金を含めて3億近く持ったことがあるが、
豊かさの実感はゼロだった。そして、今は色いろあってゼロだが、貧しいとも思わない。
やりたい事を、しつくした手応えがあるのと、年齢もある。しかし世の中、8割がたは、金で
解決できる厳然たる現実がある。残りの2割に、人生の8割の価値があるというが・・・
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4260, しまった!  ー9
2012年11月14日(水)                 
  * 人は誰も人並み以上と思うもの ーしまった!
          「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 色いろな挫折体験から学んだことは「自己能力の限界の設定」。しかし、その設定さえも
間違えてしまう。それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが
極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ
表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのがあまりに多い。
  ーその辺りを抜粋し考えてみるー
≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。
 大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。統計からみると、月会員の八割ほどが、
利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと「要するに自信過剰。
自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の
一つに、ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが
効かなっている自覚が無くなってしまう。同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れ
ている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、大きな差が現れる。
75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。
気象予報官についても、経営者についても、同じ。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、
自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。困難が過大になるほど、
自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのか
というと、情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと
勘違いをする。だが、実際には、そうとは限らないのである。それは見聞ではなく、
自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが
他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、それは回りまわって自分に返ってくる。
それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 
不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、
それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、自分を並以上、いや特別な
存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人
ほど注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ 
そうすると自分を大事に扱わなければ。
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3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと
思っていた。ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が
紹介されていた。その概略というと、
≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った
人物で、その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの
議論の機軸になったと言われている。リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値
の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと「善に対して正の優先性」をとる立場。 
本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。金持ちと貧乏人、
才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで
一強多弱が進むと、その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが
平等と公平の問題になってくる。それを克服するために正議論が出てきている。
正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に
 対して平等の権利を持つべきで、この自由の体系は他者と両立しなければならない>
 という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。
 (a)「社会の最も恵まれてない人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という
 条件の下で 全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。
資本主義も、社会主義も、家系の知力、資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。
それが、そのまま、社会的格差になっている。中学校の同級生の、その後の人生を見ていると、
その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの
「正」を優先させるところにある。それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、
公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。「平等は無理としても、公平であるべき」
というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。現在、情報化で社会的
不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、
そう簡単でない。明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を
最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
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3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックス
としても丁度良いタイミング。私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが
年内に出揃った後、比較してからにした。それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。
 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、
ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、その使いやすさ
から使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が
自分の小説をブログから直接販売も可能になる。映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、
直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に
世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。
多機能のiPadは、半年で700万台売れた。その使用場面が居間と外出先の電車や
レストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみ。
思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏
できるものや、パソコンやiPhoeにある自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを
競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が
消滅していったように、新聞、雑誌、地方TV局など多くが淘汰されていく。
これもインターネットの渦の一つ。
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3145,高速道路千円の仕掛け人
2009年11月14日(土)
 学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと
大和総研に頼まれたが、何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から
飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を持った環日本海都市として
売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする
地区をつくり、工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の
補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が
動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、幹から
枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが
数日たってから、その話を新潟県のエライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・
話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが道路経済学を一人で
長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を
取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、
その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく取上げられたと
そのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな
経済効果をもたらす」という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書
「道路経済学」も、なかなか説得力がある。「過剰な高速道路を、世界一高い値段の
料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど使ってないのだから」というのも
一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・ ー以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの
出版された本が出発点だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが
潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。また、民主党が高速道路の無料化の方針も、
やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで
花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。恐らく、戦略会議の一員にも推挙されて
いるのでは? と思いますが・・    《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
           ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
 内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
ーー
高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる    2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す   4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。
  大雑把にいうと、それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。
  だから日本のほうが株価の下落が大きい。 (字数制限のためカット2010年11月14日)
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2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
《以下、字数の関係でカット。2014年11月14日》


4991,暴走する世間 −7

2014年11月13日(木)

              「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * なぜ日本の男はマザコンなのか
 世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。
その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか乳離れしない
母子関係の名残。 ーその辺りからー
≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか壊れなければ
「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、日本の家庭で夫婦がお互いを
よぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの
名前が、そのまま夫婦の呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格
として向き合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。
そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの「ちーママ」も「ママ」。
つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在することになる。妻に家庭外に「パパ」が
いることもあるかもしれないが、それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、
家庭での「パパ」は、ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での
複数のママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、男はいわば
複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は「癒しの場」や「憩いの場」だと
いうときには、根底にはこの「母子関係」がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所
だと考えている。しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を
憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。・・  
阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、「共通の時間意識」
があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳でも、息子は息子であり、
いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫
▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。外向きは亭主が上だが、
 内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。
私など、マザコン、ファザコンの上に、4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しい
かな大家族の末っ子の宿命。家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、
無言で大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、
形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、ファザ、マザ、シスコン
の歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか?
ところで健全な家庭って存在するのか? 程度の問題? 
マザコンとファザコンが絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。
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4624, 夫婦格差社会 ー1
2013年11月13日(水)
 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
図書館の中公新書のコーナーで、この本を手にとって、てっきり夫と妻との格差と思った。
私など今では妻との立場が逆転、家内の家に年金を収めて住まわせてもらっているよう。
ママ(ババ)リッチ、パパ(ジジ)プアーである。 ところが、これは家庭間格差の問題。
現在、パワーカップル(夫婦共に医師などの高学歴・高収入世帯)と、ウィークカップル
(非正規労働同士の低収入世帯)の二極化が進んでいる。嫌な話だが、学生時代の
欧州旅行で知り合った友人たちの相手は、誰もがつり合いのとれた?家庭環境で、
間違えてもシンデレラ物語の相手でない。病院で、医師と看護婦の職場結婚が案外
少ないのと同じである。医師同士か、その収入レベルの出身者になる。女性の選択基準は、
学歴と、所得、家の資産状況、そして容姿になる。まずは互いに釣りあった条件の相手を
求めるのである。 卒業間近に「学生時代に伴侶を見つけるのが最良」と気づき、半年の間、
友人に頼んで探したが間に合わず? 今から振り返ると、居ないことはなかったが、それが
誰かを判断し、決断する能力が無かった、ということ。それより、覚悟が出来たのが結婚を
した27歳。 事業創業を目指す!と決めていたことが、相手の選定に大きは壁になっていた。
それと四人の姉と遜色ない相手の中で、なびく女性を探し出す能力と自信がなかった?
(シスコン?) やはり、一番面白い20歳から26歳に、独り者の方が良かった?と言える。
「結婚とは一人以外のすべての女性との(結婚の)可能性を捨て去ること」という格言も
効いていた? 二度とない、あたら青春を早そう捨てることもない。 人それぞれだが・・ 
  まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
〔 格差が拡大しつつある日本。家族の最小単位である「夫婦」もその流れに拍車をかけている。
 さまざまなデータに基づき、日本の夫婦の今を探ると見えてくるのは、夫の所得と無関係に
 働くようになった妻の影響力の大きさ。医師夫婦に代表されるパワーカップルと、対極にある
 若いウィークカップルなど、興味深い事例を紹介。 また、結婚できない人たちから、離婚、
 そして地域差まで視野を広げ、夫婦をめぐる格差を考える。 〕
ー目次ー 第1章:夫の所得と妻の所得          第4章:結婚できない人たち
     第2章:どういう男女が結婚するのか       第5章:離婚による格差  
     第3章:パワーカップルとウィークカップル     第6章:地域差を考える
▼ 目次からみると、日本の結婚像と夫婦像を分析する構成でなっている。
 東大卒女性104人の結婚相手の大学の内訳や、早慶卒の相手の学歴の傾向、中卒男子の
相手の学歴?とか、離婚率は欧米では高学歴ほど高く、日本は真逆とか、著者の教え子の
女子学生?が補佐したこともあり、切り口が醒めており女性週刊誌的で面白い。
子供の頃から姉達や、実家が商売をしていた環境の中、若い女性に多く接して、年頃を
過ぎた後の変容の激しさを見てきたこともあり、選定には用心をしたが、その結果が? 
互いに(●≧Å≦):(/ェ\。))である。結婚は百人が百人、そうだから? 書けるが! 
ライオンのメス集団のボス・オス選び以上に、女性の場合、結婚相手の選択にシビアに
なるのは自然のなせる技。世間でいう階層をアップする最初で最後の機会、自分の特性を
最大限にアピールをして売り込むしかない。それが、つり合いの取れたチョット上の相手。
  ーつづく  で、結果が、以下の文章になってしまう。 ーこれも、たまたま偶然だがー 
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4259, しまった!  ー8
2012年11月13日(火)  ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)     
   * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する  
≪学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく歪曲する
 事実があった。問題は、その話の程度が予想を遥かに超えていたこと。 全談話の61%に
情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。それを学生の42%しか、認めてなかった。
それは学生が偽りだったとは思ってなかったことを示している。・・・ そのうえ、学生は話を
聞き手の好みに合わせただけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。
特に面白い話の場合、大幅に誇張したり、うそを加えたりした。後で聞くと、被験者の6割が、
その話に嘘を入れていた。人は談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、ある目的を
達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の目的とは事実を伝える
のではなく、印象を伝えることだと。もっと面白い作用は聞き手だけでなく、話し手自身に
対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か話しているうちに、作り変えた話が、その人に
とっての記憶になるケースが多い。 私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。
更に悪いことに、本人に、その自覚がないことである。≫
▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知ってのこと。
 社会学を40年以上、独学してきたので、その馬鹿馬鹿しさを知っていた。逆に、それを
独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白いものはない。B層の、さらに
下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩も出たことのない人たち。
彼らにゾンビが多い。彼らは普通の風体をしているが、中身はカラカラの干物。 
水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部になるしかない。彼らの毒は、
「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに
変身する。そして地域社会の多くがゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、
その自覚も無く、屍の群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、
情報化の御蔭で全国区レベルになっている。
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3884, マネーボール ーシネマ感想
2011年11月13日(日)
 ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、
先月から今月にかけて映画漬け。内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた
有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に導く手法だった。
それを実在のアスレチックスのGMのビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に
近い選手を一流選手の値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う
手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来のスカウトや監督、選手、そして
マスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を
達成をする。これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。
それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。最近、弱小チームだったヤクルトが、
監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの
立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。
 また新潟の野球チームの前監督が、野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを
買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金でかき集めた
チーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。
この数年のトレードの責任はGMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードを
みて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。
  ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にした
ノンフィクションを、ブラッド・ピット主演で映画化した「マネーボール」が公開された。
「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンらの
脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。 
経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に
引き抜かれ、ピンチに陥っていた。ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で
経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視したデータ主義によるチーム
作りに乗り出す…。打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材を
かき集めていくビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。
そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学をあきらめて
ニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。>
 ・・・・・・・
3519, インターネットは20万年来の革命か? −2
2010年11月13日(土)
「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」
と思うのは誰も同じ。人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の
20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、というから、いかにネットのツール
としての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、などが発信も、
受信も、気楽に出来るのである。やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが
完成すればコピーと圧縮が可能。それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく
出来るため時間の経過とともに、進化していく。「フューチャリスト宣言」の対談で、
梅田と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
  ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
 茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも
  最も強く、深い喜びはないでしょう。食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば
  終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
  インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発
  させる機会を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の
  特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、その可能性が広がる。
  基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、
  「言語以来」という言い方が成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が
  劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わるポテンシャルがある。 
  でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に
  変わるかもしれない。ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも
  何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、タダに近いかたちで入手できる。   
  そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。でも、長い
  歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
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 ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、
そのことが20万年来の革命。ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、
もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、コンビニの総売り上げを
超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの
予約。また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入。
これは20万年来の革命的ツールと仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が
言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると述べていることを
考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底か
ら変化させている犯人。
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3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの
手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・
フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。フェルミ推定は
コンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、
欧米では学校教育で科学的な思考力を養成するために用いられることもある。
Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない
50の理由―フェルミのパラドックス』(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)
が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」
など、見当もつかないような量を推定する。フェルミ推定で特に知られているものは、
「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。これは
フェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、
次のように概算することができる。 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー> ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が
 平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとするー>・ピアノの調律は
 平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする ー>・週休二日とし、調律師は
 年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。ー>・シカゴの世帯数は、(300万/3)
 =100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度ー> ・ピアノの調律は、年間に
 10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
 〜
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。
先日、新潟駅南のジュンク堂に「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。
迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
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2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
2008年11月13日(木)       
 こういう微妙な時期には「産経新聞」「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より
筆先は鋭い。サブプライムローンの問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマの
スタッフが、クリントン時代の面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。
今度の緊急サミットも、そのために使われる。アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、
そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを解りやすく
書いている。一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ
国債の価値が失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 
困るのは、紙を溜め込んだ日本と、中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しに
のり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれならないのである。 
その結果、待っている事態は、戦争であある。   
−まずは、その内容から   (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
・・・・・・・・・
2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
 (字数の関係でカット2011年11月13日)

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