堀井On-Line



4990,暴走する世間 −6

2014年11月12日(水)

              {暴走する「世間」―世間のオキテを解析する}佐藤 直樹 (著)
    * 家族の解体の原因とは
< 日本の「家族」は、世間様の「贈与・互酬の関係」の共同幻想に侵食されていて、
元もと解体されていた> という論旨は、身近を見れば納得できる。特に世間に生きる
女性の場合、連添いで人生が大きく変るため、「贈与・互酬の関係」にシビアになり、
相手も商品と同じ?ように選定する。   ーその辺りからー
≪ 高度消費社会がもたらした「過剰商品化」によって、なぜもかくも、やすやすと家族が
解体されたのか、それは、一部例外を別として、日本には市場原理に対抗できる近代家族、
愛情原理が存在しなかったためである。この家族の解体に大きな役割を果たしたのが
「世間」であった。その本質は共同幻想だが、ある場合には社会を意味し、ある場合には、
親族や家族を含むという、極めて曖昧な共同幻想である。 世間体が悪い、という世間とは、
「公」であるが、日本では家族もまた「公」と考えられるので、ヘーゲルのいう愛情原理で
構成される家族と、市場原理で構成される対立は存在してない。
家族は「世間」という共同幻想に侵食されていて、高度資本主義=高度消費社会によって
「解体」されるまでなく、あらかじめ「世間」によって、解体されていたのである。 ・・(略) 
 日本の夫婦には愛情がないためなのか?たしかに男女の恋愛はない。
恋愛は、個人の存在を前提とし、しかも二人の間が平等であることを前提にするが、「世間」
の中では、男女の間でも「平等な個人」は存在しない。「世間」には「目上・目下の関係」
という差別性原理があって、さまざまな男女差別は、これから起因しいている。
例えば、夫婦茶碗や夫婦箸が、夫用が妻のものより大きい。日本では男女間の愛など、
もともと信じてなかった? 日本の家族愛が建前、「滅私奉公」になっているが、日本の
「愛」は、「贈与・互酬の関係」があるため、どこかで見返りを求める「愛」となる。
日本人は何か親切にすると、「お返し」を求めるから、ボランティアと行為が、広まらない。≫    
▼「世間」という共同幻想は、知らないうちに、「愛」や、「家族」のベースに大きな影響を
与えている。 そこには、「目上・目下の関係」の差別性原理があって、少しでも弱点を
みせると、襲い掛かってくる。それに動じないためにも、その本質を見極めてないとウツに
陥る。その防御には、ただボ〜ッした「ぼんやり」の時間と、長年かけた教養が必要になる。
家族の解体の流れ、家族、核家族化、個族化は止まることはない。それを暴走する世間
が加速させているとすると、ただ事でない事態である。日本は国家として下り坂になった。
・・・・・・
4623, 閑話小題 ー創業当初の営業担当の年賀欠礼の葉書
2013年11月12日(火)
   * シネマ・人間資金
 シネマの『人間資金』が期待してなかった分、良かった。邦画で90点は、私としては
高評価。内容といえば、「実は噂のM資金が存在しており、日米の選ばれた人たちで
運営されていた。それも人類の発展のためが建前。日本の戦後の復興資金にも
貸し出されていた。しかし米国の責任者が、それをファンドで、自分たちのために利用
しようとし、日本の責任者と対立する。その一部の資金で情報端末を某国の国民の
多くに配布、それが国民に有意義に使われて、理想像に近い国家になっていた。
しかし、それを良しとしない米国の責任者が、その国を攻撃しようと企らむが、ギリギリの
場面で、国連の壇上で、個々の国民の生の映像が次々と流され、その企みを阻止する」
というストーリー。もっと、欲と欲の中での生々しいと思っていたが、最後は
ヒューマンストーリー。こういうのも、良いのだろう!
   * 創業時の営業担当の、年賀欠礼の葉書
 実務で創業を始めて40年になるが、10年ほど前から次々と年賀欠礼の葉書が届く
ようになった。昨日は、35年前に実家の商業ビルを建替えた淺沼組の新潟営業所長
だった牧野さんの奥さんから、年賀欠礼の葉書が届いた。3ヶ月前の8月2日に、
74歳で死亡、とあった。長岡のビル建設の後、新潟駅前ホテルを三棟、合計四棟を
営業責任者として直接の交渉担当者としてやりあった相手。 酒好きで、重症のアル中。 
一時、二千万の酒代のツケがあるといっていた。ゼネコンの営業は、会社の上司と、
施主、現場責任者、下請けなどに挟まれた軋轢があって、殆どがアル中になるか、
ガンでの壮絶死が待っている、と言われる世界。
一緒に飲む分には、これほど面白い相手はいないヤクザな役割。3〜4年前に、
以前の会社の事務所に10年ぶりに訪ねてきた時には、以前の面影は無く別人のような
顔つき。「ガンが進行していて、長期間、何度も入院、いつ何時、お迎えが来るかも
しれない」と、深刻な顔。互いに、これが最期と別れた。 勿論、そんなことは、
口に出さないが。 私も、この人との付き合いで、酒浸りの日々が続いたことがある。
逆に、「あれだけ飲んで、よくぞ74齢まで、生きていたもの!」というほど、酒浸り。
 ところで長岡も含めた事業の当初の親しくなった営業担当が、半分近く亡くなっている。
朝広の五十嵐さん、新潟デザインセンターの阿部さん、マルヒロ不動産の後藤さん、
富士総業の小竹さん、と次つぎと顔が浮かぶ。亡くなる順番は、来るまで誰もわからない。
全てが夢幻の宴の仲間。辛さ三割、面白さ七割、だった。ご冥福を!
・・・・・・
4258, しまった!  ー7
2012年11月12日(月)                   
  * 状況は「偉大な杖」の如しーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 私たちは目先の出来事(現象)に、惑わされてしまう。大部分の人は、目先の周りばかり
みて長期的見方をしようとしない。それをするには考えなければならないが、本質など
見知りたくないのである。出来るのは、他人の表面を見ることだけ。そういう私も同じだが、
そのことを自覚していると思い込んでいるだけ、タチが悪い。 
   ーその辺りを要約してみるー
≪ 日常の出来事を認知するうえで私たちがいかに「状況」に頼っているかである。
 状況は偉大な杖だ。私たちは自覚しているよりもはるかにこの杖に頼っている。
ハロウィーンの時期に事件があると(ろくに考えもしないで)ハロウィーンに関係があると
思いこむ。たいがいはそのとおりだ。しかし、そうでないことも多々ある。 街角で首吊り
自殺が実際にあっても、ハロウィンの飾りの一つと見てしまう。スキムという法則がある。
情報の表面的理解のことだ。これはベテランの投資家や、音楽家などで多く見られる。
人は得意の分野ほどウッカリミスのスキムしがちになる。特に集団が暗示にかかった
時など、それに大きく左右される。日本のバブルと崩壊が、その典型的事例である。
それを悪用したのが証券会社。現在、アメリカの金融工学とかで世界中に不良債権をばら
撒き、恐慌一歩手前の金融危機を向かえている。世界の金融機関が状況に騙されたのだ。
ある実験で、催眠中に暗示を与えられ気分が楽くなった人と、悲くなった人が、それぞれ
以下の物語を聞かせた。
【 二人の大学生が仲良くなり、テニスを楽しんでいる。一人は何をしてもうまくいく
 楽観論者、もう一人は、何をしてもうまくいかない悲観論者。後催眠をかけられた
被験者たちは、物語を読み終えた時、主役は誰かと問われた。すると、楽しい気分の
人たちは楽観論者に、悲しい気分の人は悲観論者を主役と感じた方が多かった。】
これが人間。 ≫
▼ 「幸福な記憶は、幸せなときこそ鮮明によみがえる」のである。だから貧してはならない。
貧すれば鈍するになる。人は、あまりに目先の状況に対して隙だらけ。
だから考えなければならない。自ら省みて、考え足らずを思い知らされる。
 ・・・・・・・
3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか
2011年11月12日(土)
 「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いて、つくづく実感する。
何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが出てきて当然である。それが自覚
出来ないのが人間の儚さ。それでも情報機器の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が
無限に近く入手可能になっている。とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、
情報が、そのまま通過するのみ。 知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が必要になる。
そのため己の無知蒙昧を自覚するのが、第一歩。「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、
これは万人の姿。人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。
何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で乗り越えた。事故死をした
レーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限の先を何処までやるかだ」と。
限界を超えようとすることを狂気という。自分の正気は小さな限界を示している。 
狂気こそが、その限界を破壊してくれる。 正気の世界のみで生きている人たちこそ、
蔑視に値する人としてみると、成るほど合点がいく。自分の現在だからである。
正気の世界のみで生きた人生こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない
人生こそ、若気の至り」も同じこと。「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。
この言葉から「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、人生を
旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。
私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。それもこれも、死んでしまえば皆同じ、
と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 それが無知老害になっていく。
これ、顔に出るから恐ろしい! 最近、鏡を見るのが恐ろしい? 
 ・・・・・・・
3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
 2010年11月12日(金)
 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感。 
「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、
現在の深刻度がはっきり見えてくる。二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから
発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。1929年に始った恐慌も
大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の
世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに
化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて300円
まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、
長期金利の上昇をもたらす。不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 
日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として悲哀を味わうことになる。
これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、
それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、
カナダか、オーストラリアの国債に替える等の避難をするが、一般人は丸裸に近い状態
というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、
今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。日本の政治システムが激変に対応できない。 
これらを考えると悲観的になってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 
これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。
 ・・・・・・・・
3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の
順位予測が、開幕前に取上げられる。それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、
その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。結果が巨人、
中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わった
だけだから、良しとしなければならない。しかしパリーグが惨敗で、予測平均は西武、
ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、楽天。 そして結果は日ハム、楽天、
ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。特に西武が完全に外れ。
その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んだことを上げていた。
さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を
最下位に5人中3人が予測していたから、これまた大きな外れといってよい。
一位日ハムを予測した者は誰もなく、二位楽天も一人も予測する者は無かった。
野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。
だから、面白いのだろう。
・・・・・・・・・
2778, 世界は一冊の本
2008年11月12日(水)
 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。」 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、
世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
そして感動し、考えるのである。生きるとは感動し、そして考えること。
ーー  
  「世界は一冊の本」        −長田弘
 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。
本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、
本だ。そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。  夜の窓の明かりの
一つ一つが、本だ。シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。人生という本を、人は胸に抱いている。  
一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。  権威をもたない尊厳が、
すべてだ。200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることが
できるということだ。 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
ーー
 ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。これを人生という視点で
置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。                          
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 2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2      オハヨウ (▼皿▼#)!
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が
解りやすく象徴的である。「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその
「ドブ掃除」にすぎない。 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。
人間のやった後始末をするだけだ。 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」
それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット09年11月12日)
ーーーーーーー
2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり −5          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
{「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここの著者の「私」に
ついての解釈も面白い。「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの
「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。複数の汝によって、
「私」は社会の存在者として表出する。         
 ー 生きているとはどういうことか ー
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は
肉体であるとは、どういうことなのか。それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は
9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいったことも含めるん
でしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 
感情だって、同じである。「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。
なんだこれは。考えている「これ」です。「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神
の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」という名を持ってきてしまったことだ。
そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。問いとしてあべこべに
なってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に
過ぎないということに気がつきます。この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。
最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、これは方向としてあべこべで「私」
という何かが何処かに在ると思っている。たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しい
ということなんでしょうが。それは正しい問い方ではない。「私なんてものは、無いんですから。
無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。「何が私という名前で
呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。
非物質。それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか
無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れている
という誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きている
ということではない。なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、
これが正当な謎として立ち現れてくる。このような不思議な存在に対して、「魂」と言い
たくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。何か実体があるような、
そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」
「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの
思い込み。    
 ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に
流れているという誤った表象に基づきます。ーここがポイントではないか?「死があると信じて
時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。 
「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、深く結びついているのである。
「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・  死ぬわけ無いじゃん、
わたすは私だから          


4989,暴走する世間 −5

2014年11月11日(火)

            「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * うつ病は「世間」の共同幻想にやられる病!
 ここで、次のような精神療法家M.バリントンの指摘を紹介している。
≪・「三人関係の対人状況」(三人状況)といわれているのが、吉本さんのいう共同幻想であり、
 ・「二人関係の対人状況」(二人状況)が、対幻想であり、
 ・「一人状況」が自己幻想である。  各々、
それぞれ、「三人以上の人間がつくりだす観念」「ペアとなった二人の人間がつくりだす観念」
「一人でいて、じとーとしている時の観念」と考えればよい。
「三人状況」(共同幻想)が、躁鬱病(うつ病を含む)に、
「二人状況」(対幻想)が、統合失調症になっていく。
 とすると、「世間」とは、三人以上の人間がいるところに現れる幻想・観念であるから、
うつ病はこの「世間」に関わる病だということになる。
 ところで当たり前のことだが、うつ病は全世界的に普及した病だが、
西欧のうつ病は「三人状況」(共同幻想)として「社会」に関わる病であるとすると、
日本のうつ病は「世間」に関わる病ということになる。
 ・・「世間」は個々の具体的な人間のことではないが、抽象的な人間一般でもなく、
上司や同僚や近所の人などといったような「顔のみえる」他者のことである。
うつ病の患者にとって問題となるのは、こうした他者なのである。≫
 また、木村敏と阿部謹也との対談で、木村敏の次の言葉を紹介している。
≪ 日本では、西欧社会のように、「判断が神との一対一の関係」で決定されず、世間は
空間的な概念だが、それを時間的にとらえた表現が『御先祖様』であり、『御先祖様に
顔向けができない』ということになる。世間の中には「呪術性」という原理があり、そこには
森羅万象、動物や植物やモノや死者まで含んでいる。≫
▼ 日本の自殺者数は、先進国の中でダントツに多い。{さらに多い韓国は先進国に含まない}
 経済的理由による自殺は、日本では「借金」という金銭貸借関係が、たんなる法律上の契約
関係としてだけでなく、「贈与・互報の関係」ととらえられているため、それを守っていけない
人間として{世間」からつまみはじき出されるところからおきる。日本人は世間とかいうのから、
つまみはじけ出されると、「ご迷惑かけました」という遺言を残して自殺をする。決して心が
弱いだけでなく、その思い込みが原因。要するに情緒的体質が、その背景にある。
私など「世間」に袋叩き?で、気違い扱いだろうが、45年前に、見限って生きてきたため、
今さらである。むしろ叩かれることが自己存在と自認している。暴走しているのは、世間様。
その世間様の暴走をネット社会が更に推し進めているから、ことは深刻。死んで三日も経てば、
ほぼ忘れ去られる世間など、のっけから相手しないで、アウトサイダーを決め込んできた。
特に晩年は「老人性うつ病」がすべての人の問題。群れればウツが振幅するため孤独を深める。
・・・・・・
4622, 君は1万円札を破れるか? ー7
2013年11月11日(月)
    * 空観、仮観、止観、そして中観に至る
 空観、仮観、止観、そして中観に至って真の自由の獲得する道筋がわかりやすく、良い。
一つ間違えばアウトローだが。としても、どっぷり浸かってしまった小さな世界から、一歩も
二歩も、外に出ないと「シラミ」になってしまう。同じシラミなら、外の世界を持っているかどうか、
である。 ライフワークは、そのために持っていなければならない絶対条件。
 ーその辺りをまとめてみたー  {般若心教の具体的解説とみると理解しやすい!}
《 無限に広がる巨大な「網」を想像してください。無数の網目が集まって網を成していますが、
その区切られた一つの「網目」だけを取り出しても、それは存在しているといえるでしょうか? 
いえ、「網目」という実体はありません。このように、すべての存在現象は他に依存して「仮」に
現れているだけ。本来は消滅増減もなければ色形の区別もない、つまり、「空」である。
このように宇宙を観るのが、「空観」です。 自分が作り出した欲求が「苦」を生むのですから、
煩悩を捨てていき、すべてが幻想であると理解したら、心安らかに生きていける、ということ。
しかし、人が煩悩を完全に捨て去ると、人類が滅亡してしまいます。そこで、もう一度、認識
されることによって現れる世界の「仮」の姿を見るのです。これを「仮観」といいます。
 たとえばコップを見て、「水を飲むもの」と認識したら、それはコップにそういさう「仮の役割」
を持たせたということ。同じコップを「水を注いで花を挿すもの」と認識することもあるでしょう。
このように、世の中のすべてを、役割を持たされた仮の存在と見るのが「仮観」です。
 釈迦がすごいのは、「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはいけないとわかっていたことです。
すべてを「空」だと知ったうえで、同時にすべてのものに「仮」の役割を見いだしていくのです。
すると、結局のところ、世の中に何一つ、役割のないものは存在しないということがわかります。
この考え方を「中観」といいます。中観こそ、私たちが最終的に目指すべき境地だといっていい。
◎「一億円持っているから幸せ」とか「1億円の負債があるから不幸」と感じるのは、本当は
いずれも幻想に過ぎないことを知るのが、空観方式です。ただし、どうせ同じ幻想なら、自分の
望むようにゴールを設定し、徹底的に目指すほうが途中の過程を楽しめます。
◎「じゃあ、実際にどんなものか、1億円を稼いでみましょう」と、仮のゴールとして設定するのが
 仮観方式です。注意すべきは、その達成で得られる「幸せ」は、あくまで「仮観」。
幸せの仮の姿と知っておくことです。知っていれば、実際にお金持ちになっても、「もっとお金が
ないとイヤだ!」と思うような不幸は起こりません。要は、煩悩に振り回されないよう、ということ。
◎そこで大事なのが、「止観」という考え方です。煩悩をいったん「止めて、観る」のです。
 といっても、難しいことではありません。 煩悩が暴走してしまうのは、その衝動を意識できて
いないからです。意識さえしていれば、コントロ!ル下に置いて、暴走を防ぐことができます。
意識するには、自分の煩悩を少し脇に置いて、客観的に眺めてみればいいのです。
「止観」によって、自らの欲求を認識することは、抽象度の上がった世界から眺めることに
ほかありません。そこから眺めれば、欲求は自然とコントロールできます。
それを続けることにより、中観の境地に至っていく。》
▼ 「中観に至ると、ありとあらゆる価値観の束縛を超えながら、この世で真に自由に、
 自らの望む役割を果たすことができ、他のあらゆる存在も、それぞれの役割を果たして
いるだけであり、そこに一切の上下関係などないことがわかってくる」 私たちの本来、持って
いた自由と、親とか学校教育で教えられた自由と違うことが、中観に至るとわかってくる。
ところで、武澤ゼミで教わった真髄は、この中観の目線だったのではなかろうか! 
一つ間違えば、私のようになるが?
・・・・・・
4257, しまった!  ー6
2012年11月11日(日)
 * 人は、あまりに楽観的過ぎる!
           ーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす大きな
危険を呼び起こすとしたら、問題は別。バブル崩壊後の失われた20年は「根本問題から
目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果である。 根本問題は、東西
対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の必要性が無くなったことと、
アメリカの衰弱、少子化、そして情報化によるグローバル化の結果である。 
その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線への修正を目指している。
あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には国民の生活レベルは現在の半分以下か、
三分の一になる。著者はここで、大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶を
いいように、自己満足するように再構成する性を指摘している。たとえば親は、実際よりも
専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、負けより、勝ったことを、
こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か良くした修正写真と、修正前の写真を二枚
並べて、どちらが自分に近いかを問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に
都合よくものを見たり思ったりするもの。人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考えようと
しないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに結果を知ると、それまでの考えを
無意識に修正してしまい、以前より修正後の考えを持っていたと思い込んでしまう。
大部分の人は世界は自分の為にあり、自分中心に地球が回っていると考えている。
実際は、その正反対であるのに。その甘い考えで経験を重ねるうち、直接、自分に跳ね
返ってきて叩きのめされる。それが小さな事態なら、まだ良いが・・ 「楽観は意志、悲観は
感情」という言葉は、一面、真理だが、これは意志に裏づけがあり強固であってこそ。
右上がりの時流の時は「長期、楽観!短期、悲観!にして、日々楽しく!」で、右下がり時は、
「長期悲観、短期楽観で、日々可笑しく!」を旨にして、冷静にあるべき。
楽観的であるのはよいが、現象のマイナス部分を見て見えないという、欠点がある。
その蓄積が大失敗に繋がる。自分のことか?・・ いや、貴方も!
・・・・・・・
3882, 閑話小題
2011年11月11日(金)
    * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて
欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれ
ヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。 しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かない
うちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。それを4度も繰り
返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。
散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 
鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。それもカラスは、地元密着で多くの知識の
蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。土鳩とカラスと
雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
   * オリンパスの飛ばし
 オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国の優秀な人物を社長にしたのはよいが、
その男は一神教の堅物。彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 
ところが、その英国人が内幕を暴露をし、世界的なニュースになってしまい実力者の元社長は
追放され、司直が入る可能性が出てきた。これが現在、伝わってくる情報。
飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。
飛ばしは日本だけの慣習なのか?世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、
次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は分かっているはず。
 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが
買収される側になる?一英国人からみた日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。
それが白日に曝されるのだから・・ アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好の
ネタとして、最大限、使ってくるはず。
 ・・・・・・・
 3517, 不況景色とは、こんなもの? −1
2010年11月11日(木)
  * 繊維業界の不況景色とは?
 昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いで
いたが、研修目的という題目の低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。
ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。30年前に5年近く実家の衣料量販店を
たずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が直に
伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。
住宅も、車も、電気製品も、エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、
問題は来年はどうなるか?である。前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は
更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。また消費税の増税も待ったなし、
ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、日本の
農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。 
一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の
応募が急増している」という。顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い
風俗に昼間に行っているという。週に4〜5日、6時間で月40万になるという。 
朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。もう自明になったが、
民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の
小沢派が大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 
アメリカのCIAは、あらゆる手を使って阻止してくるが、それしかない。 
まったく、どうなってしまった日本よ!
 ・・・・・・・・
3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
 2009年11月11日(水)
 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。還暦を
過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通。これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」
という。また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを
突きつめると面白いはず。 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、
時間に影響を及ぼす主な要因としては次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で
 午前がゆっくりで午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。
 年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症
 の人をクモと一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を
 分節化してしまい、分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説。
 時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的
 実在のずれは案外に大きいことがわかる。時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 
 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、人間の時間経過を操作する技術が
 発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
ーー
なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると単純に
考えていたが、他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに
刺激の感受性が少なくなるのも理由。要は老化現象で時間が短く感じるということか。 
長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
 ・・・・・・・・・
2777, 仮説思考 −4
2008年11月11日(火)
 棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。次の文章で、そのことを上手く表現している。
制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 羽生は、
ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから
七割なのだろう。共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、
仮説の世界で生きているようなもの。棋士の目で経営アドバイスをすれば、
良い助言が出来るだろうに。
 *天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの
世界に進んでいたとしても、かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことを
いうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。羽生の棋風はオールラウンドで
幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、
それでも「あとはなるようになれ」という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を
支えているのが仮説思考である。 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の
可能性があるが、その八○をひとつひとつ、つぶさに検証するのではなく、まず大部分を
捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、考える必要がないと
瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに
仮説思考だ。八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて
頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。大胆な仮説を立てて、
「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応した
ほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものと思う、と羽生はいう。 
こんなこともいっている。「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるか
というと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、
経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、
思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」 
将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても
問題の原因と解決策について、あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てる
ことが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、それは、経験に裏打ちされた直感力、
勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 
 何事も同じである。 
・・・・・・・・
2007年11月11日(日)
 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)              ○´・ω・]ノヂャァネッ


4988,暴走する世間 −4

2014年11月10日(月)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 『プチ世間』 ー小さな大人の世界の誕生
 30年前、息子を見て時代が大きく変わってきたと思ったが、スマートフォンが普及した現在、
更に子供が大きく変って、私たちとは断絶した別生命という感がする。考えてみれば、私より
50〜60年も長生きをするのだから、違って当然。  ーその辺りからー
≪ 日本では、一九八○年代にはじまり、九〇年代以降本格的に「小さな大人が登場した。 
問題なのは、子どもが市場経済に巻きこまれ、子どもが大人とほとんど同じ消費生活をする
ようになって、子どももまた大人と同様の「世間」に生きることになったことである。
つまりそれまでは、子どもには子どもの世界があり、それは大人の「世間」とは相対的に
独自の世界であった。しかし子どもが「小さな大人」になることによって、子どもの世界も
大人の世界と地続きになり、子どもも小さな「世間」として「プチ世間」に生きることになった。
要するに子どもも、「世間」に生きる大人と同じような困難な問題に直面することになった。
 一九八○年代以降大きく変化したことといえば、子どもが「小さな大人」になったことだが、
八○年代後半以降の「いじめ」の発見は、おそらくその変化を大人たちが敏感に感じ取った
結果を反映したものといえる。大人たちは、子どもの世界に何か大きな変化がおきていることに
不安をもち、子どもを把握できないというその不安が、子どもの世界をより強く監視管理する
方向に動かしたのだ。それまで、大人の世界とは相対的に独自のものであった子どもの
世界のいじめは、無視や、嘲笑や、からかいや、脅迫や、リンチなどといった形で、個別的に
とらえられるものであった。しかし八○年代後半以降、子どもの世界は大人の世界と地続きとなり、
子どもの「プチ世間」が登場した。(略)・・・ この問題の解明への手がかりは、現在の少年たちの
「つながってなくちゃなんない症候群」にある。  ーある調査官はつぎのようにいう。
「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこにしか生きる世界が
ないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで決まって、そこから弾き出されたら
生きていけない。それは、とくに女の子にひどいです。三人グループでいたのが外れたら教室にも
居場所がなくなってしまう。そんなふうに、たがいが縛り縛られ合って、やれ携帯だメールだという
‘つながってなくちゃなんない症候群’がいよいよ強まっていますから、自分の時間なんか
持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないようになって、それがフツーの子として
安心できる状態になっているのが現状なんです」
             (小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』二〇〇一年一月号)≫
▼ 大人になるまでの、基礎知識や、精神的体力がない子供が、プチ世間の中で、子供たちは
群れてないと、つながってないと、不安で息づまる窒息感に悩むことになる。垣間見れる孫世代に
背筋が寒くなることがある。この「つなっがてなくちゃ症候群」が、世間の正体でもある。島国で、
水に恵まれた日本の閉鎖された環境を背景にした世間こそ、全てと勘違いをするのは当然だが。
これにネット上世間?で雁字搦めになっているのが、現在の女こどもの世界。これが21世紀の
世界の一端ということ! 使いこなせれば、思いのほか面白いのでは?
・・・・・・
4621, 2000年前のポンペイー7
2013年11月10日(日)
   * ポンペイの迷子
 二回目のポンペイで、あわや迷子になりかけた。1989年に会社でスペインツアーに行った
帰路のローマでフリーの一日。20数年ぶりに再びポンペイを見たくなり、オプショナルツアーに
参加した。ところがバスに乗ると日本人は私、一人だけ。往路の高速道路が大事故で渋滞。
おまけに前日、ルーマニアのチャウセスクがクーデターで殺され車中に殺伐とした雰囲気が
漂っていた。で、ポンペイ。 急ぎ足で、まわっているうちに、グループからはぐれてしまった。
そこは、世田谷と同じ広さ。直ぐに見つけなければツアーバスで帰れない。背筋が凍りつく
思いで、駆けずりまわった末、辛うじてグループを見つけた。帰りのバスで、「あのまま、
はぐれていたら、翌日のローマの出発に間にあわなくなっていた」と、考えたら脂汗が出てきた。
ツアーとて、決して甘くはない。
 ところで、三回目のポンペイで、家内がツアーからはぐれてしまった。それも、夕刻。
バスが次の目的地パレルモに向けて出発しようしたが家内が居ない。トイレと思っていたが、
途中ではぐれていたようだ。その時の、添乗員と、イタリア人ガイドの慌てようで、ことの
重大さを知った。ところは南イタリア、それも薄暗くなりかけた遺跡である。館内の職員全員と、
警察のパトカーが駆けつける大騒動。一時間以上ほど探したが見つからず、添乗員が、まさかと、
移動予定の一時間先のホテルに電話をしたところ、本人は着い部屋にいるという。はぐれた直後、
暫くそこにいたが、心細くなり、他の団体の後について、出口に出た。そこで待ったが見当たらず、
近くのGSで、事情を事情を話している時、たまたまタクシーが来た。そこでアマルフィーまで
値段交渉をして、宿泊先のホテルに行ったという。直ぐにホテルから添乗員の携帯に電話
するのが、当然だが、動転していて、ただ、ボーッとしていたとか。バスで待っている間、
ツアー仲間の冷たい視線の中、ひたすら待つしかなかった。 家内は、殆ど娑婆経験が無く、
万一の備えの観念が皆無。旅行中には、まずは添乗員から目をつけられる。
彼らは、そういう人を数人、把握。二割の人が、八割の問題を起こすことを学んでいるからだ。
移動とか食事時間に、常に遅れてくる。40回近く、数百回、注意しても治りはしない。
以前もアテネの・・ これだけ迷惑をかけても、翌日の夕食時間に遅れるのだから、大したもの。
で、夫婦連れのツアーは、途中から、別々の単独ツアーになっていく。一つだけ自慢が出来る
ことは40回近くの夫婦連れ海外旅行経験。 今までのツアー仲間の最高が8回。その間に、
二人の間に、自然発生的にルールが出来ている。「互いに(単独旅行者と割切り)頼らない」こと。
何度もツアー仲間に、「どういう御関係ですか?」と聞かれている。移動と食事以外は、単独で
いるため。これまで二組、夫婦別室がいた。そこまでは、してない。これも慣れと訓練!
その時、懲りない家内に「ざまをみろ!」という気持ちが何処かにあった。 が、誰かに
見透かされていたようだ。で、一日もしないうち、全てを忘れ、彼方此方で笑い声を上げていた。 
 (*∠_*) ダカラドーシタ。で、人は生きられる! で、以下の内容に続く! 偶然だが!
・・・・・・
4256, しまった!  ー5
2012年11月10日(土)                 
  * 後悔の歪み   ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン(著)
人生、振り返ると後悔することがあまりに多い。その後悔が次の行為の壁になり消極的人生を
過ごしてしまう。反省はよいが、後悔は程々に、である。トラブルも失敗も生きていればこそ。
ーその辺りを抜粋して考えてみるー
≪ 失敗を裏づける証拠が増える一方なのは、意思決定における「感情」、とりわ後悔の念が
 果たす微妙な大きな役割について。人は誰でも、引き出した結果を悔やむ状況に立たされ
続けている。結婚の失敗。故障しがちな車。処分できなかった不動産。しかし同じ後悔でも、
「後悔する優先順位」というのがある。後悔の深さの差から、なぜ人は最初の直感にしつこく
こだわるのか、その理由が見えてくる。 一般に人は「不作為」よりも「行為」に対して大きな
責任を感じるものである。誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを
犯すほうを選ぶ。 というのも、不作為は受け身のできごとと見られがちだからだ。 
自分は何もしなかった、だからその結果に感じる責任も小さい、というわけだ。
1600人以上の大学生による模擬試験の観察から、観察者は、先行研究で発見されたのと
同じ誤りとを発見した。答えを変えた受験者は、たいがい点数を上げていた。変更された全解答を
カウントして分析したところ、誤答から正答への変更は、正答から誤答への変更を二対一の比で
上まわった。 だが、もっと重要なことは、実験後の学生との面談から明らかになった。
「正答を誤解答と変える予感は、誤答を正答に変え損ねる予感よりも大きな後悔をもたらしていた」
のだ。つまり、何もしないほうが、何かをするより後悔しないで済む、ということだ。
どのみち誤答してしまうとしても。≫
▼ 人は、しなかった後悔より、実際にしてしまい失敗した後悔により捉われる傾向にある。
 実際に、この実験のとおり、私の具体的経験を振り返っても同じことがいえる。やらなかった
後悔は、実際に失敗した後悔の数倍の損失のことが多い。しかし実際ところ、止めて致命傷に
ならないで済んだことも多くあった。事業結果がこうだとしても、後悔をしていない。
原因がハッキリしているためだが、全身全霊を注ぎ込んだこともある。思った通り、生きて
なかったら数倍、いや数百倍も後悔していたはず。 海外旅行は、起こりえるトラブルが全て
起こると覚悟をしておかなければならない。「良いこと2に、後悔すること1」の比率で、通常生活
10倍が圧縮して生じてくる。そう割り切ってしまえばよい。「正答を誤答へ変える予感に従うと、
正解する確率が二倍になる」のと同じ比だが・・少し意味が違うか。人生も同じことがいえる。 
刷り込まれた思い込みを間違っていると直感しても、その修正による失敗を恐れ、大事な人生を
棒に振る。 修正した方が正しいと分かっていても、である。だから計画をたて、準備を充分する
のである。結果は、それまでの経験の色分けを変色し、その歪を大きくする。
それにシタリガオ批判の歪が加わり自滅してしまう。
・・・・・・
3881, 閑話小題 ースロータイムの勧め
2011年11月10日(木)
    * のんびり、ぼんやりといこか〜   ー スロータイムも悪くない!
 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、「ぼんやり、のんびり、のびのび、
ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も
緊張の連続の後、これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、のんびりし、
ぼんやりすることも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。
スケジュールに沿って生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。
一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。
最近、「アングリー・バード」という子供向けのPCゲームで、午後の一時間は遊んでいるが、
これも、のんびりの範疇。無意味=無価値の時間を遊ぶことも必要?
「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを聞いたことがある。
地方で装置産業を事業としてきたので比較的に時間があった。しかし、のんびりしてきたか?
と言えば、そうでもなかった。しかし節目が変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびり
する時間が多い人生こそ最大の収穫と思えるようになってきた。 
ところで栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」
とブツブツ言いながらする健康法があるが、これを「ぼんやり」とすると良い。積極的幸せの追求は、
さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節でもある。積極的幸せとは、自分の趣味を
追及するとか、人に認められるような事、人のためになる事を、追求すること。 
消極的幸せとは、病気や事故にならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の
生活を確保して、それに満足する生き方、無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方。 
第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなってきたが・・ 
「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を高め続けるのか、その人次第。
それも、生活が安定した上の話になる。
・・・・・・・
3516, インターネットは20万年来の革命か?
2010年11月10日(水)
 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万
年前は、言葉か絵画の出現?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■そして人間が道具を使うように
  なったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明になる。
* 200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。
 そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が
入ってくる。さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に公開を始めたため、
情報が爆発的に増えている。ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、
それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、20万年来の革命的ツールという説も、
言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとはいえなくなってきた。そのネットと最先端
電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。 今さらなのか? 
しかし現実を見ていると、機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、
政治、経済のあり方を根底から変化させている。政治ひとつとっても、直接に政治に関りない
国民の方が、渦中の政治家より、正しい判断が可能になっているとか、思いもよらない情報が
表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。現在問題になっている尖閣列島の中国漁船
ビデオの流出も、それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が政治を大きく
左右することが容易になっているのも、ネットのため。これらによる社会変動は、まだ始った
ばかりで、時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。 再度いうが、TV、
携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。  
まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年
である。私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、
9・11テロ、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に
変っている。三倍の200年の時代を経験してきたようだ。特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、
東京大地震があった。世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 
世界は激動していたのである。 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が
吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、中国が勃興するプロセスを目撃することになる。
また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。64年間、十分に世界を見てきた
満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた
80歳後半の人は、本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に
見ているから、なお、時間の長さ・短さを実感しているだろう。
これだけ激しい変化を目撃するとは実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 −3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と
世界恐慌・研究の米国人経済学者がインタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的に
みて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が
多く保有しているからである。 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは
口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、早期回復など有得ない。 そうこう考えると、
この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、
土地の値段は現在の半分か三分の一。生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 
それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 それがどうしたといえば、どうもしない。 
この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 企業には成長対策、
競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。更に悪いことに、
ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波や
サイクロンが発生するし、異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システム
そのものの変調が原因とみるべきである。 ▼ 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?
して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
 どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
  (字数制限のためカット 13年11月10日)


4987,閑話小題 ー一日の閲覧者が、実は7倍の350!

2014年11月09日(日)

   * 一日の閲覧者が、実は7倍の350だった!
 晴天の霹靂である。Yahooの「バードウォッチ」が20〜40の閲覧で、エンピツのサイトが
40〜50の閲覧。これは重なっている。それからみて、「Hatena::Diaryは、同じだろうと、
検索数を、バックアップ用でもあり、開設以来の7年間、一度も調べてなかった。
 ところが数日前に何気なく調べたら、(総検索数を7年×365日で割った)一日、300近く。
何かの間違いだろうと、この数日、日ごと調べたら、7年間の平均と同じ検索数。
多くて50〜60と信じていたが、実際は350の検索があったのである。見続ける多くが決して
好意的でない? とすると、少し恐ろしい気がする。悪意の視線を意識してはきたとしても・・ 
学生時代から、こと批判に関して、多くの人に重すぎる?と言われてきたが・・ 何気なく
知人に聞くと、殆どが見続けているという。それにしても50〜60は少ないと思っていたが、
実は7倍の350以上の閲覧とは驚きである。未来の自分への憶え置きと、毎日の出来事と、
読書などの雑記帳として、墓場として、書いてきたため、あけすけの内容になっていたが、
周辺の知人の50〜60人なら、まあ、いいだろうと・・ 
 全力で親しい友人に「とっておきの話をする感覚」で、5000日近くも、面白おかしく
書いていれば、この閲覧数は不思議でないが。それも三年半前からは、ライブで、めったに
ない特異体験の生中継である。 血だらけの手(こころ)で、有りのままを、その血で書いて
いれば、第三者からみた
ら、これほど面白い内容はないだろうし、心の歪みの露出が、
そのまま現れ出ている。特に、その特異の歪みが面白いのでは。
 ところで10年位前、毎日新聞の記者から、何気なく書いた内容を指摘され、
「それを更に聞きたい、それにしても凄いことを書いてますね!」という電話があった。
そこで慌てふためき内容を書き直したが。もし積極的にネット上に打って出れば数千は
可能?ということか。 間違えても、出るつもりはないが、もしかして心境の変化がある?
それぞれが特異点であり、そのままを書けば、特異のブログになるはず。
 < ところで、こうとも考えられる。10数年分の随想日記が、コピーしてあるため、
「Hatena」の読者のキーワードにヒットしていて大部分が見てない可能性がある。 
  いずれにしても、ネット上は、こんなものか>
・・・・・・
4620, 閑話小題 ー食材の不適切表示について
2013年11月09日(土)
   * 食材産地の不適切な表示について
 現在、問題になっている「食材虚偽表示問題」、騒ぎすぎではないか?
明らかにマスコミも店側も過剰反応。「今までは軽い気持ちでしていたことが、情報化時代に
移り変わり、現場の告発などで発覚し、大事件となった」ということ。「味さえ落とさなければ
良い」という現場の調理人の意思がまかり通った時代が終わりを遂げる事件。 料理修行で
虐められて辞めざるを得なかった人達の告発も、情報機器の進化で気楽に出来る世の中。
日本中の料理店は真っ青。ブランドに頼り、自分の舌に自信がないから、怒るのである。
所詮、成り上がり食通など、その程度。それより、この変な風潮の方が気になる。
それも百貨店に入っているテナントの食材表示虚偽まで、何故、大家が責任をとらなければ
ならないのか? 「他が誤っているから自社も」というのだろうが、酷いもの。 味が悪けりゃ、
二度と行かなければよいだけ。店選定と、味に自信があれば、どうでも良いこと。 
メニューに小さく、「その日の天候で食材が変わることがあります」と、書いてあるか
ないかの問題である。
   * 消費税増税前のバカ騒ぎが始まった
 来年4月からの消費税の増税前の駆け込み騒ぎが始まった。このデフレの中、どうすれば
よいか、考えどころ。特に、車や住宅など高額商品の購入を迷っている人達は、焦って判断を
間違う可能性がある。数年前の地デジ移行のテレビの買替え騒ぎ。 その後のTVの暴落を
目の当たりにした経験を、忘れている。 「インフレの可能性と、売手は、円安による輸入コスト
のアップを加算すると、1割、2割は高くなる?」という不安心理を巧くつく。
どの道、大恐慌が表面化するため、同じこと? 住宅購入は、人生の大博打。
それと生命保険もである。そこには、大きな仕掛けがある。それが分からないから、
生命保険に入ってしまう。理屈からして、採算が合うはずはない。綺麗ごとを掻き立て、
いざとなると、殆ど詐欺同然のため、見返りは無いのが、保険である。相手は数百年かけた
ノウハウを持ったプロの詐欺集団も手口は酷似。あれだけ経費をかけ集金し、その上に利益を
出しているのだから、総体からみれば、半分以下のはず。で、これから数ヶ月は、その狂乱が、
一部だが始まった。他人様のことは、言えないが、結局は、無知が不幸を呼ぶことになる。
・・・・・・
4245, しまった!  ー4
2012年11月09日(金)
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人は、出会った人の名前はどうでもいい
 私は人の顔と名前が覚えられない性質である。元々、見ないのである。数年前に義妹の
名前も忘れいて、呆れ返られた。しかし、この本によると名前は意味がないため、関心度の
重要度が低いという。人は名前や名称より、意味を記憶をする。逆に記憶するにはキーワードに
意味を持たせればよい。人は、職業と趣味に注目されるが、名前や性格は二の次になる。  
ー その辺りから ー
≪ 人の名前は、じつは人の特徴とよく似ているが、大した意味がないので、忘れたり、
まちがえたりしやすい。名前がほかの要素と比べて重要でないことは、数年前にイギリスの
研究で証明された。 にせの人物のプロフィールを暗記させるという実験だ。各プロフィールには
架空の名前のほか、その人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、にせの
情報が記されている。にせのプロフィールは、たとえばこんな感じだ。〈アン・コリンズ。
有名なアマチュア写真家。ブリストル近郊在住。地元で訪問看護師として働いている〉では、
実在する被験者たちは、その人物の何を覚えていたか?「職業」だと思ったあなた、正解だ。
職業は全被験者の69%が記憶していた。タッチの差で二位だったのは「趣味」の68%。
次いで、62%の「出身地」。ぶっちぎりで最下位だったのが「名前」である。ファーストネーム
(名)は31%、ラストネーム(姓)は30%しか覚えてもらえなかった。どういうわけか、その人が
パン屋を営んでいることは姓がベイカーであることより覚えやすいのだ。なぜこうなるのか?
研究者にもわからない。おそらくは、人の名前は、あまり意味がない恣意的につけられた
「ラベル」でしかないということだ。ジムにしろティムにしろ、可能だ。・・・ 
人はパン屋さんであるベーカリーの方を、ベーカーさんより記憶する。≫
▼ 営業は顧客の顔と名前を必ず一緒に記憶する重要性を知ることから始まる。
過去のツアー仲間たちで、憶えているのは、職業、趣味、出身地、そして顔。しかし、名前は、
実際のところ殆ど憶えていない。031538という数字を例えると、「3月半ばの15日の3時と
8時か、どちらかに」か、「王(おー)さん、いこか38本。」とか、何か意味づければよい。
意味づけるには、上記のように小さな物語を作ることである。名前は、それぞれの物語だが、
他人にとって符号でしかない。
 ・・・・・・
3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
2011年11月09日(水)
   * 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
 東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が
見えてくる。東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの
大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。その上に宮城の原子力発電所を
襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波、原発事故)である。
その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは
重大である。9・11はイスラム対キリスト教の対立。またリーマンショックも、金融王国
アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の
企業と金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って
世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、
次はイタリア、スペイン、ポーランド、アイスランドが待っている。東北大地震が起きた後の
大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを
大地震と例えると、その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。前回の1929年の
恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、大恐慌落に
落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか
目先を引き延ばしている。それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が
日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの生活に影響をしてくる。 
失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。
以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が
遥かに大きいのは目に見えている。その中で、世界の指導者も、我われも自然の流れに
身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。
 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 
これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。その結果としての近未来の惨状は世界も
日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。
その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。しかし、それも、あと僅かに
なってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、そうとしか考えられない。私の現状が既に
震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか?
 ・・・・・・・
3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
  ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という
主張が欠如している。つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考
シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義がまいた種子の結果。学校時代の
まる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、
消化器の胃腸を持たない食道だけの状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。
ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで考えたのであって、
他人の言説の解説はほどんどしてない。対照的に、日本の知識人は、あたかも自分の
考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べるこれを徹底的にすることで思考力を高める。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生に
あまり質問をすることはない。それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。
先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、自分で解答を見つけるように仕組む
のが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、
生徒たちは議論をしながら進める。自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで
質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
 〜〜
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。
疑問を持ち、何が問題かを見つけ、解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。
特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。島国の中で、外敵から攻撃の心配が
ないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
 ・・・・・・・・
3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した
以上の内容だった。長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで
内容を調べ納得し見ることにした。亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから
何かがあるはずと・・・。ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので
丁度よいタイミング。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
 ・・・・・・・・・
 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
    ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネス
パーソンは多い。 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、
経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。実際に起こることは何か? 情報収集
しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるを
えないことになる。徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか?仮説思考を身につければよい。仮説とは、十分な情報がない段階、
あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。常に仮の答えを
もちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。「仕事が速く、優れた成果をもたらす
コンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。 
ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
*仮説思考の効用
 著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
 (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけ
たくさんの情報を集めて分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な
点を調べ忘れたと気が付いたりする。その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。
情報収集に時間を取られた結果、思考する時間がほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」
(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。 「最初に答えを決めておいて、
それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした
気にはなるが、実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの
3に絞って考え、それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。
作業のスピードを向上させるのではなく、仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認
しようとしても、頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況
よりも着地点を先に決めている人への方がアドバイスしやすいし、上司も安心できる。
ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業を
しなくてすむ。「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違った
 ものが出てくる」という事態を避けられる。もう一つ事例を挙げると「実験をする前に論文を書く」
  ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。 そのため、その結論に
至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分るため、それほど時間の無駄にはならない。
*自分より1つ上のポジションの立場で考える
  仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえて
やる方が大事だ」 「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。
新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、プロジェクト修了後に出した結論を
比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。著者は仮説思考を
訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」
ことを勧める。また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法。
次回は、この本で紹介している、天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に
立て決断しなければならない。彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。  
・・・・・・・・
2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》           
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
(字数の関係でカットー2011年11月9日)


4986,暴走する世間 −3

2014年11月08日(土)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 世間学的エポケー
 節目時は、それまでを一度、清算して、新たな世界への区切りである。
その時に重要なのは、その時に感じたことを優先すべしというのは、現在の私に言えること。
その意味で、毎日、書き続けている、このブログは、大きな役割を果たしている。だから、
世間という幻想、幻覚に迷いそうな、いや、迷っている自分を見つめ続け、
世間学的エポケーの立場を守らないと、その節目が薄れてしまう。 ーその辺りからー
≪ エポケーというのは、E・フッサールの現象学の用語である。エボケー{現象学的判断伴止}
とは、自分がそれまでとらわれていた主観/客観という世界認識の方法の自明性を、いったん
カッコに入れるという、世界像の判断停止のことである。これにならっていえば、自分がこれまで
自明であたり前だと思っていることの一切を、デカルトのように徹底的に疑い、すべてをいったん
カッコに入れる。  〜フッサールの現象学的判断停止について、哲学者M・メルロー・ポンティが、
次のように説明している。
< われわれは徹頭徹尾世界と関係していればこそ、このことに気づく唯一の方法は、
このように世界と関係する運動を中止することであり、あるいはこの運動とのわれわれの
共犯関係を拒否すること(フナサールがしばしば語りているように、この運勤に参与しないで
それを眺めること)であり、あるいはまた、この運動を作用の外に置くことである。
それは常識や自然的態度のもっている諸確信を放棄することではなくて―それどころか
逆に、これらの確信こそが哲学の恒常的なテーマなのだ― むしろ、これらの確信がまさに
あらゆる思惟の前提として〈自明なものになっており〉、それと気づかれないで通用している
からこそそうするのであり、したがって、それらを喚起しそれとして出現させるためには、
われわれはそれらを一時さし控えねばならないこそそうするのである。>
 そのさいに重要になるのが、「内在」という現象学の方法である。それによれば、自分の
判断の根拠を、自分の「感じ」だけに置く。いいかえれば、たいていのものは「可疑的」、つまり
疑いうるが、疑いえないものがたったひとつあり、それが自分が「こう感じた」ということだという。 
簡単にいえば、他人がいうことではなく、「世間」の評価ではなく、自分が素直に「感じたこと」
だけを信じる、ということである。思いだしてほしい。じつは、さきほどのべたように、これが
阿部さんの「世間」論の方法だったのだ。自分が「感じた」ことだけを信じ、これに徹底的に
言葉を与えてゆく。すべてのものは疑いうるが、たったひとつ、疑いえないものがある。
それが自分の「感じたこと」なのだ。≫
▼ 「大病による長期休養」や、「長期間の旅」はエポケーになる。人生には、一度、属している
世界の外に出て、自分を見つめなおす必要性がある。外側から、内側で「感じたこと」を
感じなおす必要性である。以前から、小さな洞窟内を自己に、その前にある湾を世間に例え、
その外海を社会に例えていた。自分(洞窟)と、世間(その前に広がる砂場)と、外界を見極めて、
外から、これらを見つめなおすことが必要である。所詮は、これらは集団幻想でしかない、
そのことを自覚するためにも! 
・・・・・・
4619, 君は1万円札を破れるか? ー6
2013年11月08日(金)
    * 内部表現とは? そして、内部表現の書き換えー①
 「内部表現」という言葉が新鮮である。目には見えない「心(脳)」「無意識」「潜在意識」ということ。 
人は、この内部表現によって自動操縦されている。この随想日記は、「内部表現」そのもの。
過去文を読むと、よくわかる。 ーまず内部表現を記した部分を、この本とネットから抜粋してみる。
◇ 「内部表現とは、一言でいえぱ、その人に固有の情報状態です。この世界について、
自分の認識している情報だけを書き込んだハードディスクのようなものです。そして、情報である
以上、それは書き換えが可能。人間の認識をなんらかの操作によって、別の認識に換えてしまう
ことを‘内部表現の書き換え’といいます。 あなたが今、現にもっている内部表現は必ず、
あなた以外の他者による書き換えを受けています。」
◇「外界を視覚で認識すれば、視覚野での神経が活性化し、その結果が前頭葉で認識される。
この視覚野から前頭菓までのすべての脳内での情報状態が内部表現である。内部表現は
神経の物理レベルの情報状態のみならず、概念や感情など、心理レベルでの表現も含まれる。
すなわち、脳内の物理レベルから心理レベルまで含めたすべての抽象度における外界の表現が
内部表現である。自分自身の表現や自己の記憶、内省的な自我、 さらには現在時の自分の
思考状能や会話、言語の認識状能も内部表現の一部である。内部表現は常に外界と情報を
やり取りしながらリアルタイムに情報状能が更新されているため、その動きは非常にダイナミック。
 脳内にある自分自身を含めたあらゆる抽象度における世界のモデルが内部表現。
ただ、内部表現内のそれぞれの情報状態は、巨大な相互関係のネットワークを構築し、
それが常にリアルタイムでダイナミックに更新されているので、実際にそれを我々が
記述することができるか否かは別問題である。」
◇「内部表現は、進化のレベルに従って複雑になつてきている。これは脳が進化している結果。
 人間においては、内部表現という外界のモデルとして脳内で表象される世界が、物理的な
現実世界だけではなく、映画や小説の仮想世界にも持てるのが特徴的。例えば、言語で
表せられた世界は、物理的な現実世界ではない。
 それでも小説で描かれる世界を整合性をもって、臨場感を感じて認識することができる。
これは小説の仮想的な世界を、内部表現として脳内で表象できるからだ。」
◇「内部表現を変える」には、①狩りのゴールを設定し、そこに向かってコンフォートゾーンを
変えていくー>内部表現の中で「自我」を定義している情報を選択的に書き換える。
②抽象度を徹底的に高めて、この世界・宇宙を見つめ直すー>内部表現全体を書き換える。
 【コンフォートゾーンとは、自分がラクでいられる 範囲のことで、 人は、
 この居心地のいい環境や場所は楽なので、ここにとどまろうとする 】
▼ 高度成長期の右上がりの時代背景に、「創業者人生」を20歳時に決めた。
それから私の「内部表現」の書き換えが始まった。と同時に、俄然、人生が面白くなってきた。
大空を掴むような得体の知れない目標に向かい、ドンキホーテのようなコミカルな人生が始まった。
それが「内部表現」そのもの。事業人生を終わって、しみじみと傷口から45年間を振り返った時、
その自分が可笑しくて、独り笑いがこみ上げて大笑いをした。
人生は、結果はどうであれ、こんなものか。 笑えるだけ、まだ良い? か!
・・・・・
4244, しまった!  ー3
2012年11月08日(木)    
          ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
   * 見ていても見えているとはかぎらない
 この年齢になって、つくづく感じるのは自分の無知。特異と思っていた自分の人生も、
小さな世界に縛られた凡庸な枠内。知っていたつもりが、何も知ってなかった厳然たる事実。
それでも可能な限り考え、前向きに生きてきたつもりだったが、振り返れば「しまった!」の連続。
「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、知っているつもり
だったのである。そう、実験に昨夜、ビデオに録った「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に
見たとき、一度目は、殆ど何も見えてなかったことに思い知らされた。大部分の人が、
そうだとしても、こと重要案件に対しては、それは許されるものでない。   
ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
 ≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えていると思う。
しかし実際はそうでない。小さなもの、背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。
出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。視野の中で常に見えるのは、
全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に
過ぎない。目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で
動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。
たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、
女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた
犯人の風体を覚えている。 ・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、
左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の報告者は、こう助言した。
「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・「人は探しだすのが
難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は
画像に写った悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に
調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、
果たして、この本の主旨を理解していたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の
知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、過去を振り返ると
「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい
後バイアス」のフィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。 
しかし、人は、失敗を恐れ、「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。
そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして誰かに向かい「自分の人生を返してくれ!」
と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
   * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに遊びに行くと、
今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を
差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、
噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は
何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。
その店の前を二月ほど前にポタリングの帰りに通ったら、店の看板が無くなっていた。
そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と
自認している?人に、聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。
姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の
原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
  * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、
その一角で養老の滝のFCの居酒屋をオープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、
開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、茫然自失とは、
あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、
20年、30年の経歴を持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて
安心したが、あの切なさは言語を絶している。それでも両親の創業時の姿からみれば、
全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を知ることになる。
酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側の一歩の大きな差。 
立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。 数ヶ月は、朝7時から夜11時までの
世界。千葉の郊外のニュータウンの真ん中で、ズブの素人が、顔色を変え醜態を曝していた。
その二年後に、隣の一角でベーカリーの立ち上げを始めたのだから、振り返って我ながら
驚いているより、呆れている。しかし商売の原点を、肌で学んでいた日々になる。 
思い返せば、ジャスコも、その次に勤めた会社も、創業のプロセスにあった。
そこは究極の異常世界。 仕事の現場は、どの世界でも厳しさは同じ。創業は、捨て身で
全てのエネルギーを叩き込まなければ、一つの生命としての事業は生まれない。 
振り返ってみると「人生は、良いことが51に、悪いことが49」ということか。その辺の輩が
一現象だけをみて分かったようなことを言うが、一つの現象の背景には、
多くの血と汗が隠されている。馬鹿さもだが。
・・・・・
3514, ペットロス ー2
2010年11月08日(月)
 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあった
インコだった。呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に
呼びかけてきたからである。今までにない経験である。ここで、ペットロス症候群というウツ病
を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため
帰省してきた。ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまったが、犬は帰って
くるのを待っていたかのように本人が頬ずりをした直後に息を引き取った」という。
うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に死んだのも
偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じような
ことがあるのかどうか。休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて
死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、頭を摩りながら呼びかけるとハッと
我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになりたっているのも難儀になり、蹲ってしまう。
呼吸が苦しくなりヒューヒューという息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。
意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。最後は、長男が喉を
摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していた。
ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件で
なついてくれるから、人間の方も無条件で受け入れるのである。それが愛情の原点である。 
愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、時間とともに自立していくほど
薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも
愛情を無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみと
ペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。 特に子供たちが結婚などで巣立っていった
中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
 ・・・・・・・・
3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながら
クロージングする方法。よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」
と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉でいろいろと買わされてしまう。 
アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する。 
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い
出来ますか?」 いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、
このステップを踏むと、承諾率は80%近いところまで跳ね上がった。 このテクニックは、
通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。サンプル無料提供、モニター募集、
などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、というセールストークも
この原理を利用している。1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 この心理を応用した説得の方法を言う。
――
こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。
騙す本人も知らないで?使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、
成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 
素人の隙の部分をねらう。 要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。
出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。
初めは小さなウソの積み重ねも、積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない
際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。 まずは自分の創作した物語に
自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。 倒産劇からの親戚を
巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 他人を騙す場合、まずは一番の
身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。もう一つ最近にも
あった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている
自覚がない?から罪深い。すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。
それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
 ・・・・・・・
2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
 実のところ、これを読んでショックであった。
 (字数制限のためカット11年11月8日)


4985,暴走する世間 −2

2014年11月07日(金)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   ー著者は、安部謹也の「世間とは何か」を紹介している。
《「社会」と「世間」について。「社会(society)」という言葉は、近代化の時代に西欧から輸入し、
翻訳されたものである。神と個別の契約を結んだ「個人」たちが営む集団組織のことを言う。
 西洋人たちは長い時間をかけて、こうした「社会」を作り上げてきた。維新の立役者たちは
西欧文明に追いつこうと、様々な学問を持ち帰ってきた中で、日本にも「社会」という言葉が
輸入され、幅を利かすようになった。 日本には「社会」が無かったにもかかわらず。
そこにあるのは「世間」である。「世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな
人間関係の環」である。日本人にとっては、個人がどの「世間」に加わっているかが重要で
あって、それによって、相手との人間関係が決まってくる。「世間」はある時は強力な保護者に
なってくれるかもしれないが、一歩間違えば、個人に対して没個性を強要する権威主義にもなる。
本書は、こうした関係の中で自己を形成せざるを得ない日本の個人についての論考である。》
▼ 「世間を全世界と勘違いしている人たち」に同調したくないため、アウトサイダーのスタンスを
 取り続けてきた。幸いに装置産業は近隣社会と接触が最小ですむ好都合の事業でもあった。
以前の「世間」のテーマで取上げた、藤沢周平の『海鳴り』の一節で、世間の中で生きている
ある商人の世間に対する気持を正直に書いてあったが、世間の有様を鋭く観察するもの
と感心をしたもの。  〜その一節から〜
< たしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。世間は時には悪意をむき出しに
襲いかかってきたが、稀には救いの手を差しのべても来た。渡る世間は鬼ばかりではなく、
世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。だが善意の人も、一たん利害が対立すると
手のひらを返したように悪意に満ちた中傷をばら撒いたりすることもめずらしくなかった。
つまり、と新兵衛はそのころ思ったものだ。無償の善意などというものを世間に期待するのは
馬鹿げていて、この世はむしろ悪意に満ちていて、隙があれば足元をすくおうとしていると
覚悟をしていた方がいい。> とある。その権化が、週刊誌などのバッシング記事となる。
 この世界は、実は幻想、幻覚であり、それぞれが、それぞれの小さな世界で妄想しているに
過ぎない。それさえ知ってしまえば、何事も切実に悩むことも無いが、この世間という妄想は
どうにもこうにも。で、『世間学的エポケー』の問題になる。 この世間という集団妄想を
見据えると『無知蒙昧』のヘドロ!
・・・・・・
4618, 君は1万円札を破れるか? ー5 
2013年11月07日(木)
                ー君は1万円札を破れるか?ー   苫米地英人 (著)
   * 世界経済の影の支配者 ー世界の富の95%を独占する人々
 世界は幾つかの世界財閥の支配下にあり、各国の中央銀行の株の多くを握っており、
富の大部分がコントロールされている。そして彼らは決して表には出てこない。その存在は、
多く書かれているが、FRBや、EUBの株式の多くを握って、世界の金融をコントロールを
しているとは驚いた。 ーまずは、その辺りを抜粋ー
《 世界経済の中核を担う先進国の中央銀行は国の機関ではあく、これらの中央銀行の
実権を握っているのは、大株主の英仏のロスチやイルドや、アメりカのロックフェラー家、
モルガン家など、ごく少数の富豪たちです。イギリスの中央銀行イングランド銀行、フランスの
中央銀行のフランス銀行も、形の上で国営化されていますが、事実上は英仏ロスチャイルドを
はじめとする個人によって支配されています。それらの大富豪一族のほとんとは、前で触れた
ゴールドスミスの系譜に連なる人たちです。現在、世界の基軸通貨のアメリカのドルは、
FRBが握っています。FRBは金融政策を決定する最高意思決定機関でありアメリカの
中央銀行である連邦のことでが、連邦準備銀行そのものは民間銀行であり、ぞの株主は主に
イギリスを中心としたヨーロッパ系なのです。FRBには、1923年のクリスマス休暇中に、
ロスチャイルドなどのヨーロッパの名家や、ロックフェラー家、モルガン家などのアメリカ名家の
息のかかった議員だけが突然集められ、成立した「FRS(連邦準備制度)」法案により
成立されたという驚くべき経緯がある。ユーロの発行権を持つECBにしても、EU加盟国の
どこの国の政府からも介入を受けないで、完全に独立をして通貨を発行できると規定されている。
このように、先進国の通貨発行権を握ることで、これらの大富豪たちは世界の富のほとんどを
独占している。だが、実に不思議なことに、表に出ることなく、分厚いベールに包まれている。・・・
 「アメリカの支配者」「欧州の支配者」とかいう表現は、それは必ずしも欧米の指導者とか、
為政者とかいう意味ではない。経済的な支配によって各国を裏から動かしている人という
意味であり、国籍は他国にあっても実質的にその国の一端を握っている人たちもいます。 
たとえば、日本は実質上、支配しているのは総理大臣ではなく、第二次世界大戦以降、
アメリカの属国のようなものです。歴史をたどれば、明治維新のころから英仏ロスチャイルド家に
代表されるヨーロッパ系巨大大財閥の影響を受けています。》
▼ 日本の中央銀行の日銀の株式は政府が55%を保持しているが、他の45%は不明という。
 日銀の政策の独立性とかいうが、政府の意向は大きく働くのは致し方がない。
もし、その55%が欧米の財閥に握られているとしたら、その財閥の隷属下にあることになる。
ということは、アメリカの隷属国家の日本も、彼らの支配下ということになる。そういう貨幣を
信じて蓄財に励み、それを米国国債を一兆ドルも買わされ、二度と戻って来ないというから、
奴隷国家そのもの。阿部も、麻生も家系からしてポチ系。ますます、忠犬になるしか道がない。
小沢は日本の独立に目指して一歩踏み出したが、忠犬官僚の検察とマスコミによって完璧
までに潰された。そうこう考えると、大きな成功より、小さな個々の成功(趣味など)を
目指した方が、無難ということになる。彼らのスイッチ、オンオフで、何もかもが決まるのだから。
バブルの阿波踊りと、破裂だったか、私の人生は? いや、全て。まあ、面白かったが!
 これでは、遅かれ早かれ、素っ裸。今でも第二次大戦の敗北で間接統治のまま!
韓国にはIMFが入り、米国資本が主だった大企業の株主。近未来の日本?
・・・・・・
4243, しまった!  ー2
2012年11月07日(水)                
  * 手ごわい「あとバイアス」ー しまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著) 
 周囲の世界を見たり、記憶したり、感知したりするのは、総じて‘体系的偏り’(バイアス)を
通して行われ、間違いの起因になる。要するに、人は、それぞれの偏見に焼きなおして記憶する
のである。それは、その人の期待でもある。 小さな地域社会では、それが一人歩きを始める。
それが老人の多い町ほど、内容は、地域の偏りの魔女狩りの様相になる。酷い噂は、流れの
ない淀みに住んでいれば、誰もが何度も経験する。インサイダーになるか、徹底してアウトサイダー
になるかの選択をするしかない。それが、「あとバイアス(歪んだ後講釈)」として、更に歪むため、
ことは厄介になる。  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 簡単にいうと人間、自分が思うほど完全な存在ではない。だが周囲の世界は人間が完全で
 あるかのような前提で動いている。たとえば、社会は数え切れないほどのパスワードを、暗証
番号を覚えるよう要求する。ところが、この種の情報の記憶を人間は苦手とする、あるテストでは、
たった一週間で三〇%の人がパスワードを忘れてしまったし、別のテストでは、三ヵ月後に六五%
以上の人がパスワードを忘れていた。人間が一度にできることの数はごく限られているのに、
ふだんの生活でマルチタスク(複数の作業を同時にこなすこと)が求められ、その限界が試される。
そのうえ同時におこなうよう求められることは、たいがい実行中のことと無関係。
しかし一般に人間の短期記憶は、五つ以上の無関係なことを一度には覚えられない。
たとえば愛車はあなたに、いくつのことを記憶するよう求めているだろう? 車内にナビは搭載? 
自動速度制御装置は?衝突防止装置はある? 死角警報システムやリアビューカメラ、子ども用
の娯楽システムは? MP3プレーヤーや携帯電話は? いまや車内には運転者の気を散らし、
それ自体が事故の原因になりうる装置があふれている。だが事故が起きれば、責めを負うのは
車ではなく、あなたなのだ。自分が間違えるのを「間違った」もののせいにしていたら、同じ
過ちを繰り返すことになりかねない。原因をまちがえていては、経験から学べることは少ない。
とりわけ大きな不具合が生じた場合に、責任の所在を追及するのは当然のことである。だが
どこに誤りがあったか、それをつきとめるのは容易なことではない。だから「あとバイアス」をする。≫
▼ 「あと講釈」の一つに、スポーツ解説がある。勝手に選手の失敗に対して、あたかも本当の
 ようなウソをいう。聞いている方は素人を承知で、「あとバイアス」の言いたい放題。
気の毒なのは、選手で、それが恰も真実として罷りとおる。批判される選手と監督は、
結果責任を問われているから何も反論できないことを充分に承知の上のため、言いたい放題。
しかし、「あとバイアス」を自分の思考や判断を狂わせてしまう。
現在の日本の政治の混迷も、これが大きな起因になっている。
・・・・・・
3878, 閑話小題
2011年11月07日(月)
  * 再び、ギリシャ
 ギリシャの首相には驚き、呆れてしまった。例え話でいえば、
《暴走しているバスの運転手、助けにきた他の車が暴走車に鎖をつけて、何とか大事故を
抑えようとしたところ、「鎖をつけるかどうか、乗客に聞いてみてから」と、言い出した。
乗客は暴走をしているのを知ってか知らずか?バス内の自分たちの不満で頭が一杯。
瀬戸際で運転手が、どの道を選ぶか乗客に聞いている場合でない。一つ間違えると、
助けにきた仲間も道連れになることを運転手と乗客も知っているので、タカをくくっている。 
そこで「それなら助けるのを中止する。その上、共同体から排除をする」というと、急に運転手も
乗客も慌てだし、従うと言い出した。》
これは世界中が唖然とした寸劇。しかし国民の反対デモや議会の混乱を抑えるため「国民投票」
といえば、世界の袋叩になるのを覚悟の上、あえて言った政治的駆け引きとすれば、これも納得。
 国民投票やるべし!のデモが起きるかどうかだが、起ってこないのが漫画的。
この10年間、哲学書を読み続けているが、始まりはギリシャ哲学。 その西欧文明の
行き着いた終着駅が現時点とすると、ギリシャ問題は、図ったように起きたユング的現象か。
民主主義の発生の国で、その矛盾が、そのまま表出することになった。ともかく目先の火の手を
納めたが、次はイタリア、スペイン、アイルランドが控えている。そして、日本、アメリカ、中国も?
  * 少しウツ気味で、正常の状態?
 少しウツ気味。 年齢と現在おかれている状況から当然で、これが正常なのかもしれない。
パソコンの具合が悪かったり、スポーツジムで冷たい視線を感じたり、家内が機嫌が悪かったり、
幾らでも原因はある。それでもiPadという新たな遊び道具を手に入れネットサーフィンや、
パソコン・ゲームに熱中。 スポーツジムや、早朝のサイクリングで発散ができている。
過去に身辺のウツ症状の人の素人カウンセリングをしたりして対処の擬似体験をしていたので、
最小で済んでいる。目先の落ち込みはシネマにいくのが即効性がある。で、最近多く行っている? 
他にストレス発散に買い物がある。百金や、スーパーで「酒のツマミ」や、机周りのものを
買ったりする。あくまで日常品の範囲だが・・・。
 50歳代の10年近く、20年・30年分の人生を押し込んだのが、ここにきて効いている。
そのため現状を悲観し過去の良かった時節を懐かしむこともない。人生は時節ごとに一期一会。
それぞれに、また違った人生がある。これからの人生を有効に生きるに、何が良いのか考え
尽くさねばならない。 これまでの緑の原野から一歩出て、目の前に広がる「草原の世界」
で何をすべきか? そのためには新しい世界を知ること。そして、草原で生きるための
「人生の知恵」を改めて身に着けなければならない。緑の原野だけが人生ではないことを
知るには、そこを一歩出てこそ分かるもの。 真実の自分に気づく旅路?
 ・・・・・・・
3513, ペットロス ー1
2010年11月07日(日)
  * ペットが風邪で死す
一年前に我が家のペットになったメキシコ・コガネインコが、数日前の夕方に死んでしまった。
12年は生きるとあったので一年は早すぎる死である。 死因は風邪である。大よそ30年から
20年前にかけて、小桜インコを代々5羽飼っていた。殆どは二年位で逃げられてしまった。
その度に雛を飼ってきては手乗りにした。しかし最後の一羽は凍死をさせてしまい、その罪悪感と
子供が大学入学で巣立っていったこともあり飼うことを止めてしまった。数年来、ペットショップを
動物園代わりに、近くのSCに行ったついでに立ち寄っていたが、いやに人懐こいインコが気に
なっていた。しかし売れないようで金網にとまって御客から頭を撫ぜてもらっていた。
値段が6万8千円じゃ、そうは売れない。たまたま中年の夫婦が、そのインコの頭を撫ぜていた。
「慣れたインコですよね」と話しかけると、「私たちはオカメインコを飼っていたが、鳴き声が大きく
近所迷惑で、親戚の人にあげた。それで時々、ここのインコを見にきているが、このインコが
懐いていて欲しいけど、やはり近所迷惑が・・・」という。 何気なく私の癖が出て、近くいた
女店員に「5万円なら買いたけど」というと、「このインコ、店の皆が大事に育ててきたインコ。
値下げなど出来ません」と怒りだした。で、私もムキになって、「三ヶ月前から、売れないでいる。
ペットは大きくなるにつれて価値が下がるのは常識。お客が、そう言っていると責任者に
聞いてきて欲しい」というと、暫く姿を消していたが「店長が6万円ならオッケーです」との返事。
その成行きで買う羽目になったことは以前、ここで書いた。で、家内に例のごとく反撃にあって、
あわや「新潟の長期滞在の御客様のペット」となる直前に、急に家内の気が変わって暫くは
OKになった経緯がある。そうこうして我家のペットになったが、ペットショップの多くの御客から
頭を撫ぜてもらっていた為、人懐こいのである。しかし朝晩以外は誰もいないベランダに
置いておくため、足音など人の気配が聞こえるとピーピー鳴き叫ぶ。最初のうちは、うるさいと
思っていたが、だんだん、それが可愛らしくなってきたのは私と長男だけでなく、家内もである。
直近は一番、あれだけ嫌っていたのが、このインコの大ファンになったいた。 鳥というより犬に
近いと思うほど、人懐こく、頭がよい。 個々人の識別もし、その対応も変わる。
何とか人にかまってもらおうと、色いろな鳴声が憶えた人間の言葉。それで呼びかけられれば
愛情が湧いて当然。「三つ子の魂いつまでも」で、店頭で可愛がられて育った温もりが、
性格になったいた。
 ・・・・・・・・
3138, 閑話小題  ーつれづれにー
2009年11月07日(土)
   * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は
500兆円でしかない。信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。金の通貨としての歴史は
数千年もある。 時代が変化しても、やはり通貨の基準軸である。で、去年に世界主要20ヶ国が、
この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと決めたのだから、近い将来に金が暴騰
するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した
400トンの金の半分を伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。
それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは複雑怪奇なので即断は出来ない。 
これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが
大きい。新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が
数段、戦力になる。この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 
新卒の若いうちに、正社員としての基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しい
ことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。その人にとって時代背景に
恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ
出来ないのが大部分。どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻。 
日教組か〜歴史に残るだろう、これは! (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
・・・・・・・・
2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)
 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに
書いてあったというが、現在の若者のそれは、そのレベルではない。見てみない振りをする
しかないのか。アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品?立場的に書けないことは
幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。 まずは、その部分から、
  *どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。
その直後である。駆け込み乗車さながらに、白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。
まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。蝶はまぎれもなく
電車の一員になったわけだ。この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを
花と見立てたのだろう。その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。私はほっとした。 
三人はきっと優しい視線を注ぎ、あわよくば誰かがその柔らかな掌に包み込んで
いとおしむに違いないと思ったのだ。   (字数制限のためカット09年11月07日)
 


4984,閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

2014年11月06日(木)

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
 という考えが頭によぎる。倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は幾らでもある。
私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の「結」が、それ。元もとの立ち
位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく無事に後に継がせれば起承転々。
そのどちらが良いか悪いかは、受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに
変わる銀行と、身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と過ぎると、
時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と気持ちが宙に浮いてる
ように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 30年来、月次決算に通っていた
経理事務所の担当が、『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、分かってないのは御当人。この感覚は当事者しか知り得ないこと。
何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 実際、こんな貴重体験は
滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!とは、今でこそ言えること。 
一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越えるしかなかったが・・
「この人、こう受け止めている」が、過って様々なケースで自分も受止めていたので、分かる。 
ボケ役の落語家が震える声で「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、
そこにいる。 これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、「日々、
是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」というのが実感。「開き直り」か。≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を保てなかったが、
 冷静な自分がいたことも確か。それでも大波の中、思わず水を飲んで、窒息しそうになっていた?
『何事も、最善と思えば最善に、最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』
ということか。これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、彼の親しい
友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態ではないよ。Oさんは、無事に
会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。これは、最悪の事態でないよ!現に生きて
いられることに感謝をした方が良いよ』と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンに
なって入退院を繰返しているという。この年齢になると、内なる黒鳥が、いつ舞い降りてきても
不思議でない。 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4617, 閑話小題 ーチョット何か変じゃないか?
2013年11月06日(水)
   * 今の空気、チョット何か変じゃないか?
 12年前のリーマンショックで、以前に経営していたビジネスホテルの売上が三分の二に、
そして5年前のリーマンショックで、その半分になり、合計で三分の一まで売上が激減し、
事業断念を決断した。その間、国の政策で何とか追加借入無しで、何とか傷口が広がらない
うちに止めることでき、最小の傷で済んだ。問題は、その後。本当に景気が回復してきたか?
である。 実感として景気回復は、ほど遠い世界。政府は消費税の増税までと何とか
持維持しているが、何が起きても不思議でない。タクシーの運転手や、周囲の話も、いま一、
ハッキリ聞こえてこない。給与などの収入減を、デフレ効果で、何とか遣り繰りをしている? 
団塊世代は年金生活の中、退職金で何とか食いつないでいるが、日々、厳しさが増している?
 この事態の中で、誰も黙して語らず。 一般的な趨勢はどうか?というと、平均預金残高が
1100万だが、ローン残もある。平均より多い人も、ゼロの人もいる。そこで収入の中間点の
人はどれくらいか?といえば、400万。 預金ゼロが30%という。 マスコミが勝ち組とかいう
資本主義の、お金優先の価値観で、洗脳するため、大多数を占める負け組?の不満が充満する。
 ー 先週末のNHK、日本新生「熟年サバイバル〜年金減額時代を生きる〜」がシビアー 
    〜その内容といえば〜
《 「定年後は、年金をもらいながら悠々自適の生活…」、そんなサラリーマンの人生設計が
 成り立たない時代が始まった。厚生年金の受給開始年齢の引き上げが今年度からスタート。
現在52歳以下の男性は65歳まで年金が受け取れなくなる。定年後、ゆとりある生活を送る
ために必要な費用は、民間機関の意識調査によると月37万円で年金の受給額は月23万円、
14万円の不足だ。 支給開始年齢の引き上げで、状況はさらに厳しくなる。「生きがい」のため
だった定年後の就労が「生きるため」の手段とならざるを得ない状況になってきているが、定年後
の職探しは厳しいのが現実だ。一方、今年から始まった「65歳までの希望者の雇用義務化」
を受け、中高年社員の再教育に乗り出す企業も現れるなど、「シニアワーカー」の活用が
人口減少社会の成長の鍵を握る課題となっている。しかし60歳以上の増加する
「シニアワーカー」の雇用を確保しようとすれば、若い世代との雇用のイス取りゲームが激化し、
社会の不安定化を招くという指摘もある。どうすればシニアワーカーに活躍してもらい、
社会全体に貢献してもらうことができるのか? そのために個人、企業、そして社会全体は
何ができるのか?徹底的に議論する。》
▼ この国の経済力が三分の二になっているに関わらず、政治の貧困のためダウンサイズ出来ず、
 ひたすら破滅に向けて借金を重ねているのが現状。裸の王様と同じで、誰も、それを大声で
主張できない。 定年延長は若い世代の労働にはマイナスという、悪循環が起きている。
これで景気回復といっても無理がある! 
  中小企業には地獄の鍋の蓋が大きく開き、で、東京オリンピック!それは面白いだろう。
・・・・・・
4242, しまった! ー1
2012年11月06日(火)
            ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
 誤りは人の常。人はそれぞれのバイアス(体系的偏見)から、自分自身と世界を見ている。
問題は自分で、それに気づかないで、それぞれの岩の中(バイアス)で一生を過ごしてゾンビに
なってしまうこと。そして魂の抜け殻人間になってしまう。そして最期に、「しまった!」と後悔する。
年寄りの顔が暗いのは、そのため。同じ後悔ならバイアスに気づき、出るしかない。
    ーまずは、内容紹介ーより
 「人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、 面白くてネタになるトピックを
 「これでもか」というぐらい集めて分析した内容。 たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ ?
★ 「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の84%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
 その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント
  下げたと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、
  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には
  左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?) などなど、
  興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 多くの事例で人の「まちがい」メカニズムを解明。 人はミスを防ぐことができるのだろうか
  を問う内容。人は自分を騙す動物だが、自分に騙されている自覚がゼロに近いため、
  その蓄積が致命傷になる。 本来、「人生は、しまった」の連続。その最たるものは結婚。
  9割の夫婦が失敗と思っているというデーターがある。 人間の最期は死に直面するが、
  誰もがシマッタと思う。バイアスに閉じ込められていた自分に初めて気づくことになる。
  ・・・・・・
3877, フォトビジョン
2011年11月06日(日)
 iPadを購入して数週間後、分からないことがあったので買った先のソフトバンクショップに
聞きにいった。ところが、「それは販売店では解決できない問題で、直接、アップルに電話をして
聞いてください」と、軽くあしらわれてしまった。その時に気づいたのは、こういう販売代理商品は、
ヤマダ電機などにあるアップルの担当のいる店で買うべきで、販売代理をしている店で買う
べきでない、ということ。 その窓口の人が、「ところで、iPadを購入すると、PhotoVision
というフォトフレームが無料で貰えるのを知っていますか?」という。買った時に、そんな話を
聞いてない・・ そこで、「以前から興味があったが、買うほどでもないと思っていたが、タダなら、
もらいたい。」というと、急に態度が変わり、その手続きに入った。 そこで分かったのが、
デジタル・フレームに携帯用の電話番号がついたもので、メール用の住所もある。 
携帯電話で撮った写真をデジタル・フレームに直接、電送してしまうもの。なるほどと思ったが、
手続きに時間がかかる上に、新たに携帯電話契約のローンを組まされた。その見返りとして、
それに見合う金額が数週間後に銀行に振り込まれる仕組み。 何か騙されたような?
奇妙な気持ちであった。 これは、孫や小さな子供がいる家族に、遠くはなれた子供から
携帯電話で撮った写真を直接メールをしてくれる。 面白そうだが、孫もいないし、新たに
携帯電話料金もかかるし、どうでもよいものを持たされてしまったと釈然としない気持ちであった。
そのため二ヶ月ほど使わないで放っておいた。 しかし数日前に急に思いたち、取り付けてみた。 
携帯電話の写真電送などすることがなかったので、初挑戦と、そのフレームに携帯電話で
撮ったばかりの写真を送ってみた。何度か失敗をした後に、確かにフレームに撮ったばかりの
写真が送られてきた。普通の電子写真立ては携帯電話やデジカメで撮ったSDカードを
差し込んで見るが、これも直接入力も出来、スライドショーにもなる。 親からすれば、
遠くの子供や孫から、メールで写真がフォトフレームに送られてきたら、嬉しいだろう。 
という訳で、私の前のiMacパソコンの横に、iPadと、ソフトバンクのPhotoVisionが仲良く
並んでいる。面白いのは、同封されてきたパンフレットに糸目が入った「フォトとも、をつくろう!」
というのがある。6つほど、そこにメールを書き込み人に配ればよい。 最近のスマートフォンで
若い人たちや、女・子供は、気楽に写真添付のメールのやり取りをしているのだろう。 
 いや、メールでなくツイッターか。 面白い時代である。
 ・・・・・・・
3512, ユダヤ人の頭脳活性法 ー6
2010年11月06日(土)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 「論理力」を身につける
 ▼ー知恵は、地中深く岩と砂にまじっている金鉱石に似ている。 
     論理は金を鉱石から抽出する水銀に似ている。(ラビ・モシェ・イブン・エズラ)
  ーまずは、論理力の身につけ方を要約してみたー
【 点と点の情報を結ぶ能力が、論理力であり、点と点とのつながりが論理であり、「論理的」
であるとは、点と点が一貫した整合性で結ばれていることである。また論理的ということは、
真実の根拠を積み上げて考えることである。論理的に考える際の、思考の最小単位となるのは、
「A=Bである」というであり、その表現を組み合わせながら、私たちは物事を考えるのである。  
また、考えるという行動には幾つかの面がある。
△論理的に考える △分析的に考える △直感的に考える △情緒的に考える 
△肯定的に考える △否定的に考える △建設的に考える △消去的に考える。
 これは、考えるという行動の様態というか、一面を示している。 過去を思い出すのも
「過去を想像する」ことから始る。しかし思い起こした内容が実際かどうか、合理的かは問われる。
過去のことを自由に想像して、そこから整合性があるかどうか、確認でもある。それでは未来に
向けては、どうすれば良いか。いわゆる空想には、願望や憧憬、単なる想像がある。
どこまでも、自分の思うままに、自由に、想像の翼を広げてみるのもよい。
これを「考える力を高める」という目的に結び付けるに、現実化へ一歩ずつ踏み出す必要がある。
現実と理想の隔たりを埋めるために、考える力が必要になって来る。
そこで、一つだけ絞って、できる限り詳しく想像をめぐらしてみることである。
  それが実現すると、どのようなことが起こるか。
○何がさらに始るか。○誰が喜ぶか。○誰が最もメリットを受けるか。
○それを持続していくと、さらにどのような幸せを誰と誰に与えることができるか
 これらプラス思考は、どんどん広がっていくもの。またマイナス思考も同じぐらいしておくこと。
それをなるべく具体的に描いていくことです。そして、その理想を実現する方法は、今度は、
理想とする未来の方向から現在へ向かって発想する。そうすると、理想を実現化するための
手段が明確になって来る。いきなり自分から理想に近づこうとしても無理。
逆順をしていって、現在の具体的な行為で一つずつ片付けていけばよい。 理想とは、
未来のことでなく、未来が要求する条件にかなうように、自分を準備する。そうすることで、
未来が現実のものになる。理想と未来からの発想が、人間を変えるのである。】
 〜以上だが、これらは長年の訓練の繰り返しの中でしか、身につくもの。
しかし、論理(筋道)がチャンとしてないと、行き当たりばったりの生き方になってしまう。
それぞれの家のハビタス=習性も、長年かけた代々の行いから築きあげられたもの。
それにそっていくのも良いのかもしれない。
・・・・・・・・
3137, 脳と日本人 ー3
 2009年11月06日(金)
「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話             P−116  ー枯山水と認知科学ー
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは
京都の禅宗寺院の庭園。その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的
西洋庭園の違いがある。 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を
維持する石である。石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。
しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。日本は庭をみて作庭者の心を読んで、
無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。それに対して西洋の庭は花そのものを
楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。その対比として石を主役にし、
植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って
庭を眺めるようになっている。日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という
名になるのである。それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」
といういう声を出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が
「作庭記」に書いている。石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、
西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。その根本的な違いが両者にある。
その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 ▼ 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に
   入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
 ー以下は字数の関係でカット(2011年11月06日)
 ・・・・・・・・・
2772, アメリカの人種比率は?
 2008年11月06日(木)
黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率を
ネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系)74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
・アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、
五十人に一人がハーフ。ということになる。
  ー以下は字数の関係でカット(2010年11月06日)


4983,暴走する世間 −1

2014年11月05日(水)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   ーまずは、アマゾンの解説からー
< 日本社会の見えないオキテ、それが「世間」である。事件が起きマスコミで報道されるたびに
「犯人」にたいして極端なバッシングが起きるのも、「空気を読め!」という無言のプレッシャーが
生じるのも、携帯を使ったいじめが起きるのも、「世間」という同調圧力のなせるわざ。
「お世話さまです」「おかげさまで」といった物言いにさりげなく顔をのぞかせ、いじめ・うつ病
・自殺の引き金にもなる「世間」。バブル崩壊以降とみに暴走しはじめた「世間」の危ない構造に
メスを入れる長編評論> ~~
~~森林(現役)の生活からサバンナ(御隠居)へ、住居を移動したことで、見えていた世界が
様変わりをした。社会から、世間への移動?それとも、逆? いずれにしても、ますます、独善に
なっていく自分がいる。 世間的強制力にアタフタするのは、やはり個人が確立してないため。
 実は社会も、世間も共同幻想でしかない。そう思えば楽だが、それが比較的楽に出来るのが
御隠居の身分。 ーその辺りからー
≪ 社会も個人もいない「世間」のなかで、「世間」的強制力をともなって、個人に責任を
押しつける「自己責任」や「心理主義」が強調された場合、「世間」はますます住みにくくなる。
しかし「世間」は、日本人であれば、生まれたときから取り囲まれ、あるものと親から教えられ、
そのなかで生きてきたから、それを意識的に取りだすのがとてつもなくむずかしい。 
これに加えて、「世間」は具体的なものではなく、ある種の共同幻想、つまり人々のアタマに
宿る観念である。人によって「世間」は広かったり、狭かったりするが、それは「世間」とは
関係そのもののことであって、本質的には人間のアタマに宿る共同幻想だだから。
 共同幻想とは、複数の人間に宿す観念である。厳密にいえば二人の間だけでは、共同幻想
とはいえない。たとえば恋愛関係などのように、二人の対になる関係においては、世間は存在
しない。この二人の関係を、思想家の吉本隆明さんにならって「対幻想」とよんでおくことにする。
 「世間」は三人称的な関係で、三人以上の人間が共同して生みだす幻想である。
なぜかといえば、「世間のオキテ」といったようなルールや規範が存在するためには
三人以上の人間を必要とするからだ。「世間」は幻想であるから、ないと思えば、ない。
「世間のオキテ」も、ないと思えば、ない。げんに外国で生まれ、日本に住んでまだ間が
ない外国人には、「世間」も「世間のオキテ」も間違いなく、ない。だから原則として外国人は、
「世間」には入っていない。かなり長く日本に住んでいる外国人でも、日本の「世間」のなかに
入ることができるのは、まれである。外国人が「日本人はとっても親切だ」というのは、
かれらがはじめから「世間」に入っておらず、そもそも「世間」の外にいる「お客さん」であるから、
親切にされるにすぎないのだ。 問題なのは、「世間」が具体的なものではなく、共同幻想で
あるがゆえに、それを否定するのが相当にむずかしいということである。具体的なものなら、
捨てるか、近づかないようにすればいいが、共同幻想は観念そのもののことだから、
そうはゆかない。簡単に捨てることができないし、そのなかで生活している以上、近づかないで
いるわけにもゆかない。だからこそ、「世間」の存在はなかなか意識化できないのだ。
しかし、これを意識化する方法がある。それが、「世間学的エポケー」である。・・・≫
▼「あの老人、一度も恋をしたことが無いんだって!現実に溺れすぎて」という強烈な言葉がある。
 共同幻想の前の「対幻想」の幻想である。その共同幻想も、何も考えもせず、ただ、成り行きで
染められた幻想でしかない。Uターンで地元に帰った時に感じたのが、城下町という特殊の世界。
専門が社会学だったことと、10年の間の外界経験から、これが特殊ということが分かっていた。
で、アウトサイダーに徹し、そして、事業場を新潟にした。これが「世間学的エポケー」
これも事業設計、人生設計の一つ。予め世間を特殊世界と割切って捨てれば、これほど楽な
ことはない。一般的には御隠居になって気づくが、気づかないままが殆ど! あのゾンビの群れ。
・・・・・・・
4616, 君は1万円札を破れるか? ー4
2013年11月05日(火)
         ー君は1万円札を破れるか? 〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   * 年収は人の価値判断の基準になるのか?
 森の生活(経済社会)から退いて、サバンナ(隠居生活)に出て気づいたことは、これまで、
「人の判断基準に、手持ちの資産と、年収を価値基準にしていたこと」である。資本主義社会の洗脳である。
「格差社会」「勝ち組・負け組」の言葉の背景に資本主義社会の価値観がある。それも一線を退けば、その比重は
低くなる。お金を気にしないで済む収入と、蓄財が幾らかあれば、それ以上は皆、同じ。森の生活では、稼ぎが、
その人の価値と錯覚をしてしまいがちになる。他人との比較で、その額の差が人間の価値と錯覚をしてしまう。
「お金には絶対的価値がある」「お金はすべてのモノの価値を規定する物差し」という洗脳が長年かけされ、それを
疑おうともしない。お金で、自分の労働や価値を規定され、振り回されている状態は、宗教に洗脳された信者と同じ。
 著者は、ここで、現代社会における「価値」を「物理空間における価値」と「情報空間における価値」と分ける。
物理空間とは、体で触れることができるモノの世界。情報空間とは、脳や心の中に存在する様々な概念が作る空間。
米を例にとると、タイ米と魚沼コシヒカリ。その価格差は10倍近いが、物理的な味と栄養は、せいぜい二倍?
あるかなしか。「美味しい」という感じ方はそれぞれ違い、何倍美味しいとの数字化は不可能。タイ米と魚沼
コシヒカリと表示されなければ、値段の差だけの価値を感じることはできない。ブランドものはバーチャルバリュー
が、その価値を高めている。年収も財産も同じで、ある金額以上になると大して変わらない? いや2千万と、
2百万の年収では生活の快適さは違う?貧すれば鈍するし、豊かさには幸運の機会を多く集まる。年収が多いに
越したことはない。貧しさは、人間性を卑屈にする。問題は、年収が「絶対的」ではない、ということ。 
タイ米なら、タイ米にあう調理をすればよい。考え方である。「資本主義社会の洗脳」の自分を一度突き放し、
冷笑し、卑屈にも、のぼせ上がらないこと。所詮は、娑婆のこと。それを自覚し、超越するために、ライフワークを
持つこと、それが教養につながる。 多趣味か、一つの趣味を深く追求するかと、年収が多少の差とを類推すれば、
理解しやすい。   = 偶然、7年前に、同じようなテーマの読書日記があった。
〜〜〜
2073, 金は人を幸せにするか?
2006年12月06日(水)
           才八∋ウ_〆(∀`●)
  お金に関しては、何度か書いてきたが・・
 先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
          毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』    =W・バーンスタイン著の書評で、
 その内容が紹介されていたが、なかなかよい。    建前でいえば、
 「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
 それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。
 質問そのものがナンセンス」が正論である。
 しかし本音のところ、 「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
 そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、
 最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
 これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。
倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。
 私の持論は、 「金で8割の幸せは買えるが、あとの2割は金で買えない。
その2割こそ一番大切なことである。しかし8割は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。   (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。
買えるものは金があればこそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。
そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。生存レベルで必死の人にとって、
{生活手段としての資金の確保から解放されることが幸せである}
のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。
生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に、 幸福感が
「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、身近な世界の人との
比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。
 金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、
言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
・・・・・・
4241, 閑話小題 ーある居酒屋で
2012年11月05日(月)
    * 再び不景気の話
 先日、TVで成田のホテル事情を放送していた。値段とサービス競争で少ない客の獲得競争が激烈化している、
という。日航ホテルがツイン・ダブルで一人3千円からと、打ち出していた。もちろん飛行場までは無料の
シャトルバスが出ている。「訳あり客室」と名うって限定数だが、実は何の問題のない部屋。最近は格安運賃で
早朝出発の客が多いので、格安価格を打ち出すしかないようだ。そのホテル内にはローソンがあり、お客の殆どが、
そこで弁当を買っている。中国・韓国からの客も激減で死活問題。新潟駅前も厳しかったが、成田は、そんな
ものではなさそう。リゾートホテルや温泉街など酷いようだが、潰れないのは銀行が潰せないため。
年の瀬に向かって厳しさが直に伝わってくる。ナショナルが二年で1兆5千億の赤字を計上したと報道にあった。
粉飾などしないのがナショナルの良さだが、スマートフォンと、タブレットPCに、テレビ、デジカメ、パソコン、
電話、書籍、ナビなどが集約され格安になれば、会社の土台から揺らいで当然。その上に韓国のサム寸や、
中国の家電がシンプルな格安商品を売り出し攻勢をかけている。世界ブランドのナショナル、シャープ、
ソニーなどが、会社存続も危ぶまれるなど数年前までは考えられなかった。 
   * その上に不景気の話
 日経新聞に ≪ 【ソニー、パナソニック、シャープ】3社の5年前の2007年前半の時価総額16兆円が、
2兆円にまで激減、逆に韓国のサムスンは14兆円まで増えている≫と報じていた。今や産業全体が衰退しており、
好調を維持している産業が衰退する事態になりつつある。それにしてもナショナルが2年で1兆5千億の赤字で、
20年分の利益総額分をとばしたというから酷いもの。株価は暴落でストップ安。シャープも4000億以上の赤字決算・・
 リーマンショックの地震の後の、日本版大津波の一つの現象。近未来の株式の大暴落より先に、こういう形の
現象が現れてきた。家内がイオン内にあるスポーツジムに通っているが、「とにかく、変!」と、価格の底抜けが
異常と、いう、主婦なら分かっていることだが。経済に疎い家内が、ことあるごとに、「会社を早々、たたんで
本当に良かった。中小や個人など、やっていけないのが私でも分かる!」と、いう。先日、久々に殿町で定例の
飲み会。何れの店の客の入りは良くない。十数年ぶりに入った居酒屋、客の入りの割りに、注文した料理が
出てこない。主がイライラしてのがカウンター内から直に伝わってくる。母親とパートのような二人の動きが変。 
二軒目のスナックで何気なく連れが、「以前いた奥さんが居ない」と話していると、隣の客が、「どうも別れた
ようで、二人は母親と姉さん。以前より度々、奥さんを叱責していたが、あまりに酷い怒りかただった」という。
不景気と嫁姑の関係で、居たたまれなくなったようだ。 客商売の苦労は、売り上げが良ければ、それだけで
解消するが、逆だと相打ち。駅前のチェーンに客は取られるし、この不景気、飲屋街の居酒屋など直撃している。 
何か切ない話だが、これが現実。
 ・・・・・・
3876、閑話小題
2011年11月05日(土)
  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
「文芸春秋−7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相を予測していた。その中で、
9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 野田を予測していたのが政治学者の伊藤敦夫だけ。
彼は野田を「安定感」と「バランス感覚」に優れていて、他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」
がなく、「論破」のタイプではなく、「説得」で物事を進めていくのが、他党との信頼関係を築く上で、
最適であるとしている。その頃でも、安部とか小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 
野田は、就任してニヶ月だが、今のところ安定した政治運営をしている。 これを読んでみて、識者の予測の
いい加減なことに驚いてしまう。現在の日本は大震災から僅かな時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 
まだ実務的能力が優れているのか見極めがつかないが、兎に角、1〜2年で終わらない政権であって欲しいもの。
時代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を書いていた。この春に大きな
人生の節目を経験し、その後も、色いろ考えさせられることが多くあった。そのプロセスの中で見えてくるのは、
この書のとおり、「大部分の人は全く考えないということ」である。 という私も、考えが足らなかったので、
この結末を迎えてしまった。偉そうなことは言えた立場ではない。 考えるとは、目的、目標に向かう時、
最短距離と、不足しているものを探すプロセス。他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探すことも、
考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の一環として、日本人に考えさせない教育をしてきた。
その結果として、考えない日本人の現在があると指摘している。この10年近く、哲学書の入門レベルの本を読み
続けてきた。 考えるとは何か、考えるべきことは何か、を考え続けてきた。その積み重ねから分かり始めた
ことは、自分も含めた大多数の「考えない、考えられない日本人」の現状である。その大敵は、TVであり、
ネットであり、映画である。とすると、その考えない日本人の典型は自分ということになる。
それでも、何とか考える時間は持っているつもりだが、それを全て、文明の力?が破壊している。
考えないことを、日本人だけでなく、自分の中に見るべき、ということ。「下手な考え、休むに似たり」もあるが。
・・・・・・・・
3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 感じたことをどう表現するか
10年近く毎日、テーマ日記を書いてきて得たことは、感じたことを、素直に表現できるようになったこと。
それは前日書いた文章を、早朝40〜60分かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んで、時間をかけたエネルギーを文章の中に感じ取ることができる。
魂の一片である。言葉のデッサンの修正と、色づけをしていたことになる。知人が、あれだけ自分にはスラスラ
書けないと、諦め顔でいったが、私だって出来ないことを一番知っている。スラスラ書けるようになるには、文筆業で
しか生活が出来ない土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 天才は別だが。早朝、何度か書き換えて
アップロードする時に必ず「稚拙だが、これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の
蔵庫を開放しているに過ぎないと。満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を見失っている時である。
それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。
(この本のマトメというより、自己主張になっているか) この本に【短くても素直な言葉、素直な表現、素直な
組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】とあるが、それが考えることの基本である。
素直な心−ことばは、おのずと独特の音、独自の韻を持っていると、著者は述べているが、その自然の抑揚と響きが
読者の心を打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した文章と、自分の脳を
通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。素直に発したことばは、時空を超えて過去の
自分に邂逅できる。だから、素直になるしかない。それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものになる。
それと過去の文章を無心で読むことも。だから続いている。  この文章は、著者に触発されて、私が感じたことを、
そのまま書いてしまった。ところで今度、実際のダ・ビィンチなどのデッサンの模写をしてみようか。 
名画の模写と、名文の模写は基本である。
  ー文字制限のため毎日、文章をカットしているが、これが自分の身を切るようで辛いー
 ・・・・・・・・・
3136,脳と日本人 −2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 −読書日記
 * 日本という方法
松岡:ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、日本が日本を「方法としての日本」
 にしようとしてきたことに関心があるんです。それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの
 仏教は、中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然や親鶯らによって、かなり
 独創的な日本浄土教というものになっています。空海の密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。
 つまり、日本は、中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。それは禅も
 そうだし、屏風や庭園もそうです。屏風は、中国ではほとんどが木です。日本は紙ですね。 日本という方法に
 なっていくんですね。 たとえば、屏風は、閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったら
 また蔵に戻すとか。ぼくの家もそうしていました。掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。ヨーロッパなどでは、
 いつ行っても同じ絵を飾っていますね。えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。
 セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 
 (字数の関係でカット13年11月05日)
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2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、
誰も彼もが波乱に富んでいる。短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。
「言葉には魂が宿る」ということである。
  (字数の関係でカット09年11月05日)


4982,瞬間説得 ー3

2014年11月04日(火)

          「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  * 美人であることが、瞬間説得になる!
 「美人は本当に得か?」という研究を社会心理学者がしたところ、その答えは、「本当」である。
  今さらで驚くべきことでないが、女性にとっては大問題。 ーその辺りを要約するとー
・署名活動で、美人の方が普通の人より格段に多く集めるし、
・美人のボランティアが立っている慈善街頭募金は、圧倒的に金額が多いし、
・裁判でも、容姿の魅力が効果をあげ量刑が軽くなっているという。 
・アメリカの大学の実験で、男子大学生に事前に被験者の細かい情報に加え、美人と、
 そうでない人の写真を混ぜておくと、事前の10分間の電話打合せでは、魅力度で、対応に
 明らかな変化をもたらす結果だった。
・もっと露骨な調査があった。排卵期、月経期、その他のグループの3つに分けて、
 どのグループの女性が、持てたかというのもある。もちろん、子供ができる可能性が高い
 排卵期の女性で、フェロモンが出ていたため?
   ーこのジョークが、まさに瞬間説得である。
《 交通警察官が、スピード違反でバイクの男をつかまえた。「違反切符を切れないような、
 納得できる理由があればいってくれ」と警官。「それがさ。先週、女房がおたくの警官と
駆け落ちをしたんだ。それが、パトカーを見たとたん、彼女を帰しにきたかと思って逃げたんだよ」》
 身近なペットを見ても、それぞれの方法で飼主への瞬間説得を身につけている。
ペットのインコは、鳴き声と、止り木での回転と、視線で瞬間説得をしている。アイコンタクトも、
女性の流し目も同じ。「目は口ほどにモノを言い」である。 TVのスポットCMも、15〜20秒の
瞬間説得になる。特に、女性へのコンプレックスCM(化粧品、ヤセ薬、装飾品など)が巧妙で、
見ていて面白い。 香水は、瞬間説得の最たるもの。 それと褒め言葉も。
・・・・・・
4615, 閑話小題 ー愛すればそっくり
2013年11月04日(月)
   * 愛すればそっくり
 30年間、ウォーキングとポタリングを続けてきた中、犬の散歩と行きあってきたが、
何故か犬と飼い主の姿と顔が似ている。TV番組で、そのレポートをしていたが、学者まで
出て分析をしていた。犬と飼い主の写真を左右において、ペア当てをしたところ、7割が一致。
そこで、目だけを両者切り取ってペア当てをさせたところ、やはり7割が一致。同じ環境で、
似たようなものを食べていれば似てくるのか? しかし飼った年月が長いほど似てくるか?
といえば、そうでない。そこで「自分に似た犬を無意識に選定する」という説がクローズアップ。
同じ環境と、互の性格が同化する説が尤もらしい。 似た者夫婦というが、同じ? 
犬は上下が明確だが、夫婦は対等?で、愛憎相まり!正反対の顔になっていくケースが多い? 
   * シネマ『スティーブ・ジョブズ』
 先日、シネマで『スティーブ・ジョブズ』をみてきた。  ーシネマのブログにはー        
【 常に既成の枠組みを打ち破り、理想を求め続けたスティーブ・ジョブズ。
人と違う考え方を貫き、周りの人全てを敵に回した<反逆児>が、どうやって、世界中の
人に愛されるデバイスを創ったのか。 シリコンバレーの寵児と呼ばれながらも繰り返される
成功と挫折の狭間で、彼は何を考え、何を想ったのか―。1970年代、友人たちと共に自宅
ガレージからスタートしたアップル・コンピューター。 その類稀なる創造力により、文字通り
 “世界を変えた”天才の半生を描いた大注目作。】
▼ ジョブスに関するドキュメントは、幾つかTVで取り扱われており、シネマは、それらを
 忠実に物語化。その中で、ジョブスが、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏に電話越しに
怒鳴りつける場面が圧巻。ジョブスは「絵文字をモニター画面上に表したりマッピングの概念」
をゼロックスから盗み、そのアップルからゲイツが盗作したのである。
《 画面をスクロールするために「ボタン」をかたどった部品の絵を使ったりして、PCを直感的に、
しかも簡単に操作できるようにしたウィンドウズは、これらの経緯で出来ている 》ということ。
 映画では、ガレージでアップルを興した20代初めから、晩年までの約30年間のジョブズ氏の
人生のストーリ。まず学生時代に、友人たちと自宅のガレージでアップルを設立するところから
スタート。4年で株式を上場させ富と名声を手にするも、目に余る傍若無人ぶりで「君自身が
アップルの敵だ」と役員の全員一致で解任されてしまったジョブズ氏が、それでも夢を諦めず
ピンチに陥ったアップルに立ち戻って「アップルをもう一度クールに」と大胆かつ斬新なビジョンを
実現していく。そのキッカケが、iPodである。そしてiPhone・iPadにつながっていく。
ウィンドウズも元といえば、ジョブス。ジョブス、ゲイツは、明らかに歴史を変えた人物として残る。
                                             〜評価85点
・・・・・・
4240, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー13
2012年11月04日(日)
     * 駅伝のルーツとは       ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 今日、大学選抜の駅伝が行われるが、駅伝のルーツが、この本にあった。
飛脚がルーツという感があったが、なるほど、色いろな経緯があった。
箱根駅伝もTV中継をするようになってから爆発的にファンが増えた。 
 −まずは、その辺りを抜粋する。
≪選手がリレーして走る、いわばロード・リレー・レースである駅伝は、日本発祥のスポーツである。
 最初に駅伝が行なわれたのは、1917(大正六)年のことだ。この年は、京都から東京へ首都が
移ってからちょうど50年目にあたった。当時の有名企業は、こぞって50周年の記念行事を計画し、
駅伝はそうした企画のなかの一つとして、考案されたものだった。駅伝を発案したのは、当時は
まだ朝日新聞や毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員。彼は、京都の三条大橋から
東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソンリレーする斬新なアイデアを
考え出した。「駅伝」という名前はこの時考え出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、
なぜ駅伝という名前がつけられたのだろうか。これは、古代の「駅伝制度」にちなんでいる。
古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための馬を配した「駅馬」
「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いでいく様子をこれになぞらえ「駅伝」と
名づけたのだ。この日本初の駅伝は、関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間
昼夜を徹して東海道を走り抜いた。沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、
最後は関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、三年後は東京と箱根を往復
する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも駅伝が行なわれている。
日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。≫
▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。
だから、見ている分には面白い。倒れた人は、それで一生の傷を負う。
甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。
 ・・・・・・・
3875, ギリシャ危機の実態とは? −2
2011年11月04日(金)
  * 呆れたギリシャと、日本
 ギリシャが支援を受けるには借金を減らすため政府予算をきりつめなければならず、
国民の反発が強い。否決されれば、欧州の解決策が白紙に戻る。そのジレンマの中で、
何と国民投票をギリシャ首相が表明したとニュースにあった。いずれ破綻をするのなら、
一度破綻させ、ギリシャをEUから外せばよい。一つ間違えると、世界は恐慌。いや、既に
瀬戸際に立っている。本来は10月に起こって不思議でない恐慌が、少し延びているだけ。
まず、その記事の一部をコピーから・・・
【 欧州の政府債務(借金)問題への懸念が再燃し、株安やユーロ安を引き起こした。
ギリシャがユーロ圏各国による支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めると発表し、
否決されれば欧州問題が解決できなくなるとの不安が強まった。独仏首脳はギリシャ側と
2日に緊急会談を開き、対応を協議する。 1日の欧州株式市場では、ドイツの株価指数が
一時6%、フランスの株価指数が一時5%を超える大幅な下落になった。とりわけギリシャ
国債を多く持つ仏金融大手のソシエテ・ジェネラルやBNPパリバなどの株価が大きく落ち込み、
金融機関の経営への懸念が強まっている。その後のニューヨーク株式市場も急落した。
大企業で構成するダウ工業株平均は一時、前日終値より約320ドル下落した。 
欧州通貨「ユーロ」も売り込まれている。1日午前の東京外国為替市場では一時1ユーロ=
109円台をつけたが、その後は 円高ユーロ安が進み、欧米市場では106円台になった。】
▼ 世界の金融関係者は固唾を飲んで見ているが、日本は、他山の石でないから大変である。
問題はギリシャだけでなく、他のPIIGSが控えていること。その上にアメリカも、日本も、そして
中国も大きな地雷を抱えている。各国の指導者の誰も、その解決方法が分からず、成り行きに
従うしかないのが現状。 ギリシャの公務員数が、何と人口の10パーセント。
日本の公務員数はというと400万人。国家公務員100万人、地方公務員300万人。
多いといっても3パーセントでしかない。話は飛ぶが、日本の公務員は、退職金とか公務員
年金を給料に換算すると年に一千万近くになるという。で、それを掛けると、何と40兆円になる。
国家予算と、地方の予算は別としても、国家予算より多いことになる。
で、国の予算が実収入の三倍。 当然、待っているのは、国家破綻である。そして、韓国が
IMFの管理下で血の滲むような、合理化をせざるを得なかった道が目の前に待っている。 
同調バイアスと、正常性バイアス、そして他愛主義者が政権をとっていることもあり、国民は
大津波の前の土手で、車に寄りかかってプカプカとタバコを吸っている姿に類推できるのが、
現時点。海岸線の危ない人の話だけでない。
  ・・・・・・・
 3510, ユダヤ人の頭脳活性法 ー4
2010年11月04日(木)
「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
   * 全身学習法
 子供が六歳でへゲルとよばれる寺小屋に通い始めると、まず文字を指で押さえながら
朗読することを教える。つまり、目で文字を追い、指で押さえ、口で朗読し、耳で聞くわけである。
人にとっていちばん記憶しやすいのが、自分の声。次は胎内入る時から聞いている母親の声。
母親の語る童話や寝物語は、人間の知性の発育に大きく影響。ユダヤ人は、これに加えて、
身体を前後に揺らしながら読みます。つまり全身を使って読むわけである。 我われは本を持って
部屋をウロウロしながら小さな声を出して読むのが一番効果があることになる。
座って前後に身体を揺らせながら読んでもよいが。こういう時、速読は駄目で、ゆっくりと一行
ずつ幾度も音読を繰り返し、文章の余韻を味わってみることである。 それと、考えと思いを
書き出すことも重要。自分が心の中で思っていることと、自分が理知的に考えている間には、
大きな段差がある。自分自身に対して中途半端に妥協せず、自分が納得するまで、とことん
吟味し選び抜き、自分が納得できる表現の文章に組み立ててみることである。
 解)そういえば、鳩山兄弟の勉強法に「部屋の黒板に書きながら理解をしていく」と
あったが、これも身体全体を使っている。 
  *「模写する力」を身につける
ー「書き写す」、「真似る」そこから自然とオリジナリティーも育ってくる
書くということは、自分の考えを綴るだけでなく、他人の名文を書き写すことからも学ぶ点が多い。
名文というものは、日本語の韻律に優れているだけでなく、仮名と漢字の使い分けや、
そのつなぎの妙、そして仮名と漢字の織り成す音韻の点でも優れている。受験生などに有効な、
もう一つの方法は「筆写」。試験問題も、設問も、全部二・三度書き写してみる。 そうすると
出題者の意図が試験問題全体から伝わってくる。もう一つ、「写生」である。写生は見えている
ものを描こうとすることです。紙の空白の何処のスペースの置くか、何を訴えて描こうとするか
ー奥行きが深いもの。それが上手く出来るかどうかは、全体の構図の取り方にかかる。
 「デッサン」も、誰もが実践可能な頭脳活性法である。デッサンはフランス語で「下絵」のこと。
 鉛筆や木炭、単色の画材だけを使って対象物を書く素描のこと。対象物をその輪郭、白黒の
濃淡、陰影、線の太さ、細さなど、単純な要素で表現するもの。それだけ、描き手の目の鋭さと
腕の確かさが一目瞭然になる。自分でデッサンできないなら、模倣と模写から始めることだ。
欧米の美術館に行くと、巨匠の画家の作品の前で終日、模写をしている若い人を見かける。
〜〜
真似る、書く、書き写すことが、基本のようだ。それも繰り返し、続けること。
 ・・・・・・・・
3135, 「法則」のトリセツ  ー3
2009年11月04日(水)
* ドアインザフェース ー取引の駆け引きの一手法   
  ‘ホテルカツ上げ’のケース
アメリカの心理学者チャルディーニが行った実験がある。最初の依頼「これから2年間、
毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムに参加してもらいたい」
第2の依頼「ボランティアとして、1日だけ、子供を動物園に連れて行ってもらいたい。」
 最初の要請はほとんどの学生が断った。 断った学生に第2の依頼をすると、約50%の
学生が引き受けてくれた。ところが最初のステップを踏まず、いきなり第2の要請をすると、
17%の学生しか承諾してくれなかったのである。この方法は、外交交渉でよく使われる。
 以前の経済交渉で、アメリカが常套手段にした方法がこれである。
最初に、とんでもない要求を突きつける。相手が断ると要求を下げてくる。下げてきた
要求の方がアメリカの狙いだったりする。このテクニックは、最初の依頼を断った時の
相手の罪悪感を利用している。 一般的な例としては
「財布を忘れてきたので、一万貸してくれないか」「悪いけど人に小銭でも貸したことがないので
汽車賃なら」「じゃー昼飯代で二千円でも」で、相手が優位な状態で仕方なく金を貸しざるを
得なかったことがある。 女性にルーズで、当時倒産をして生活が苦しいとは聞いていたが。 
また最近、ホテルであったケースとして、《部屋においていた高価な時計が無くなったと騒ぎ出し、
警察を呼んで調べてもらった翌々日から電話での恐喝が始った。明らかにカツ上げが目的。
百万以上の時計だが、御前のところの誰かが盗んだはずだ。どう弁償してくれる、何とかしろ。》
 警察に電話をしても「民事のこと、話し合いで何とかしてください」という。 何度か電話が来たが、
最後は露骨な脅し。そこで録音をして警察にとどけることにした。 百万といっておいて
数万〜10万で手をうつ手法は見えみえ。といって、恐喝ハンターとしては警察沙汰にした方が
後々のため。 で、電話を録音をして警察に届け出て一件落着。二十年前の時は、
「電話の取次ぎが途中で切れてしまった。 数百万の取引が駄目になった。
保障をしろ」という。これも体の良い恐喝である。 二人連れだったが、対応した副支配人に
包丁を突きつけての脅し、その包丁が彼等の車内で発見されて逮捕された事件があった。
次回は、小さなウソを重ねた詐欺的行為?のケース・・
〜〜
2770, 半歩遅れの読書術 −3
2008年11月04日(火)
 茶道を通して二人の男の深い魂の結びつきが伝わってくる。馴れあわない親愛、孤独に
耐えうる人間の友情が、何とも良い。さっそく、『平心庵日記』をアマゾン《中古本》で注文をしたが、
面白そうだ。 ーあるHPの感想文からー
  * 逃避から得た恩寵
 昨年(2000年)の晩秋に読んだ本だが、近藤道生氏の
『平心庵日記-失われた日本人の心と衿持』(角川書店)も、私にとってその種の本の一つ。
著者は戦後復興期の大蔵官僚であり、転身して博報堂の代表となった経済人だが、同時に
現代の茶道を支える大茶人として知られている。その著者が、外科医で茶人だった厳父、
平心庵・近藤外巻の日記を読み返し、しだいに大戦の影の迫る、大正末から昭和初期の
茶人の生活を描いたのが、この本である。平心庵は文字通り「仁術」に生きる開業医だったが、
そのために営利的な同業者のあいだでとかく孤立しがちであった。だがその彼が茶友としたのが
三井財閥の総帥であり、近代茶道の復活者一人、鈍翁・益田孝だったから、話はにわかに
華麗な背景に飾られる。 益田は財界の雄であり、山県有朋と結んで政界をも左右した
人物だが、それ以上に江戸後期に形骸化し、利休の精神に回帰させた大正茶道の指導者
として有名であった。 感動的なのは、この二人がたま小田原に住んで、ただそれだけの縁で
無私の友情。育んでゆく過程である。当時・反軍的な益田はようやく政界での力を失い、
国の将来を憂いながら隠棲に似た生活を送っていた。二人はともに孤独を覚えがちな境遇の
なかで、いささかも馴れず甘えあわず、茶の湯の規則貫かれた君子の交わりを結ぶ。
二人のあいだに慎み深い距離があって、しかも同じ不幸な時代に耐える暖かい共感が
養われていた。そしてとくに私の注目を惹いたのは、この同じ規律が近藤家の家庭の内部にも
及び、息子は父にいつも敬語で語りかけていたという挿話であった。 
この二年、私は「社交する人間」という長編評論に取り組んできた。そのなかで私が社交に
求めていたのは、一貫してこの馴れあわない親愛、孤立に耐えうる人間の友情だったのだが、
この本はそれに具体的な挿絵を与えて、書きつづける私を勇気づけてくれたのであった。
▼ 以上だが、両親が茶人だったこともあり子供の頃から茶道の世界を垣間見、その奥行きの
深さを感じ取ってきた。私が残された時間ですべきことは茶道の世界なのかもしれない。 
 金沢時代に一年間、寮の近くの個人が教えている家に通ったことがあったが・・・
・・・・・・・・・・
2007年11月04日(日)
2406, カラスの話 −2    ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは〜♪
「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。ところが、そういえば一年ほど前に
書いたような気がしたので調べたら(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。
 先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に(亡くなった人の数?)
打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。その時、彼方此方からカラスの鳴き声が
聞こえてきたが、「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。「カラス語」で検索して
みたが、仏の鳥類学者デュポンのカラス研究があった。彼の長年の研究の結果、
カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の「ク」の音階で聞こえるという。
 (字数制限のためカット2014年11月4日)  


4981,瞬間説得 ー2

2014年11月03日(月)

          「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  ー前回の瞬間説得の問いの答えの内容はー
★ < 電車は五分ほど途中停車しました。車内は満員で、しかもさらに五分間停車するという
アナウンス。 すると、ジョギングウェアを着た男がいきなりタバコを取りだして火をつけました。
車内は不愉快そうな沈黙に包まれましたが、誰もが黙っています。あなたなら、トラブルもなく
一発でやめさせるには? >
 ー>人々の顔がそれを雄弁に物語っていたが、誰もが、こうした場合ありがちなように黙っていた。
 そのとき突然ピンストライプのスーツの男が禁を破りました。「失礼」とタバコを持って男に身を
寄せ、「ちょっと火を貸していただけませんか」 これがきっかけになりました。 堪忍袋の緒が
切れたのです。すぐに別の乗客が止めに入りました。「あんた方、禁煙だってこと知ってるだろう?」
と彼は言いました。スーツの男は禁煙の表示に、突然"気づき"ました。
「悪かった。気づかなかったんだ」それから彼はジョギングウェアの男をふり返りました。
「これは消した方がよいみたいだね」 ・・禁止区域で平然とタバコに火をつけるような人物は、
おとなしくしていないのが普通で、必ず抵抗します。 これに対処した乗客はどうしたでしょう? 
真正面から対決するのではなく、まったく反対の方向へ行きました。》
 ▽ 逆に二人になって、ますます黙りざるを得なくなる可能性もある? 
★《 =赤ちゃんには逆らえない=ヒューストンのある女性から聞いたばかりの話。
昨夜友達が自宅のポーチで赤ん坊の泣き声がするので、気味が悪くなら警察に通報したそうだ。
警察が彼女に言った。「とにかくドアを開けないでください」するとその女性は心配し訴えた。
もしも赤ん坊が窓のぞぱを這っていて、道に出だりしたら車に轢かれてしまうかもしれないと。
 警察は言った。「すでに警官のチームがそちらに向かっています。何があろうとドアを開けないで
ください」警察は連続殺人鬼が録音した赤ん坊の泣き声を流し、誰かが赤ん坊を捨てていった
のだと思わせて、女性たちを外にもびきだそうとしているのだと言った。絶対とは言いきれないが、
夜中に女性が一人でいる家の外で赤ん坊の泣き声がしたという通報を数件受けているのだと……。
人間の赤ん坊の無力な泣き声は、か弱くもないし、無能でも、原始的なものでもない。
それは自然界でもっとも深遠かつ強力なものだ。父親と母親はそれを聞いて初めて、親としての
自覚が生まれる。「幼児の」泣き声は、宇宙に放たれるのではなく、人間の愛と慈悲の深みへ
降りていく。それを強盗が利用しようというのだ。》
 ▽ 子供の泣き声こそ、瞬間説得になるが、実際にあったことだから、説得力があるし、
この程度の細工はするのだろう。 初めての創業で、小さなテナント商業ビルの一角に、
養老乃滝をオープンした。ところが、居酒屋などの経験が無かったため、2〜3ヶ月に一度は、
酔っ払いの絡みに対応できなかった。そこで考えたのが、相方や、手伝いのパートさんと事前に
打合せておいて、彼らを怒鳴りつけることで、酔払いの気勢を削ぐ方法を思い至り、何度か
きりぬけた事があった。 ・・で、女性が頻繁に使うのは、涙。瞬間説得の最たるもの。
 もう一つ、謝罪会見の後の、10〜20秒間の最敬礼! 彼らは、下を向きながら 1,2,3と
数えているらしい!
・・・・・・
4614, 2000年前のポンペイー6
2013年11月03日(日)
 イタリアのポンペイの遺跡には三度行っているが、行くほどに、その魅力に惹かれる。
また何度か、ここでも書いてきた。TVでは、『NHKBS歴史館』などで、多くの特集を組んでいる。
また、図書館には写真集がある。AC79年に、ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山 が大噴火すると、
南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれたが、1748年から発掘調査が行われ、
それが現在も続いている。ローマ人が創り上げた古代都市が徐々に姿を現しているが、今でも
半分も、発掘されてない。 舗装された道路、神殿、住宅、商店街などが20Mの火山灰に、
2千年の間、保存されている。人骨などは、その熱で溶けてしまい、それを覆って出来た空洞に
石膏を流し込んだものが発見された現場近くに展示されている。
 ところが最近、ある地下室で、54人が噴火後、生埋めになって折り重なった生々しい遺骨が
発見された。そこで、彼らのDNAや、装飾品・衣服などから新たに多くの事実が分かってきた。 
そこは大きな商家で、その主人と思われる人の身の周りから金銀が。エメラルドを身につけた
男女の遺骨には、人骨が青く同化。小銭を多く持っている人は近くで商いをしていた人。
妊婦は胎児の骨がお腹の辺りあったことから推察される。噴火から火山灰がポンペイまで
到達するに19時間かかったというから、留まった人は、大金持で金銀の財産を失うのを恐れ、
妊婦は身重で、商人は店に未練があったため、等々が推察される。ポンペイには下水道が完備、
都市計画があって、商店街、大広場、神殿などあり、現代の都市にひけをとってない。
古代ローマの都市は、中世のルネサンスまで、それを凌駕した時代は一度も無かった。
その古代都市を、大噴火の20Mの火山灰が石膏代りに、都市全体を保存し、私たちの目の前に
再現し見せてくれるのだから、奇跡である。石の文化は、後々まで残るからよい。
彼らは午前中だけ働き、あとは浴場や、劇場などで、生活を楽しんでいた。
瀬戸内海周辺は、農作物などが豊富で、物流が盛ん。それが万遍無く市民に
行き届いていたようだ。 世界は広く、深い!
・・・・・・
2004/11/29
1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。
落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。
2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトの
ルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに,兵隊の絵があった。同じ絵が多く描かれていたが、
現地の日本人女ガイドの説明が面白い。その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに
向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。
いつの時代でも、そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の
人間的なジョークを伝えているのがよい。
  ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを置いていってくれた〕
 返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。 家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来る。当時のローマ帝国の政策の大きなもの
として、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に与えることであった。
AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。
それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。〔あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。
試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。普段の生活が、火山で時が
そのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
  −この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー
・・・・・・
2004/11/26
1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に
提示してくれている。このグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び
越えてローマの時代にはまりこんでしまう。この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。
この青年の知性にも、驚きざるをえない。それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの
高さを知ることができる。この内容が、2000年前の事実がそのままドキュメント風に
記載されているから迫力があるのだ。人間の変わらない感動、恐怖、そして生活が
そのまま伝わってくる。街全体が、当時のまま残っているから、更にこの手紙の内容が生々しい。
18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られたことが、当時のままの姿を残すことにもなった。
35年前の日記を昨日のように感じるのは何ら不思議ではない。全て昨日のようなものである。
数ヶ月前のTVドキュメントは、この手紙を忠実に映像化をしていた。
そして、爆発が起きてからポンペイが埋まるまでの19時間も、当時の遺体の様子から
想像をしたドキュメントが生々しく時系列で構成されていた。。
ー6月20日の手紙
私は先に、あなたの求めに応じて、伯父の死についての手紙を書き送りました。
手紙を読で、ミセヌムに残されたこの私がいったいどんな恐怖を味わい、そしてどんな危険に
あったかぜひ知りたいと貴兄はおっしゃいます。実は、先の手紙ではそれを書こうとしていて、
筆を置いてしまったのです。「思い出すのもつらく、悲しみは深いけれど、とにかくやってみましょう」
 伯父が出発した後、私はずっと勉強をして過ごしました。そのために残ったのですから当然です。
それから入浴と食事をし、そして短く途切れがちな睡眠をとりました。
それまでも、前ぶれのような地震が幾日も続いていましたが、カンパニア地方では珍しい
ことではなかったので、さほど恐ろしくはありませでした。しかし、その晩起こった地震はあまりに
激しく、もはや揺れているという程度ではなく、すべてがひっくり返ってしまったかのようでした。  
母が急いで私の部屋にやってきました。私の方ももう起き上がっていて、母がまだ眠っていたら
起こそうと考えていたところでした。
私たちは中庭に避難し、腰を下ろしました。そこは海と建物を隔てる格好の空間でした。
当時17歳だった私は、落ち着いていたというか、無分別だったというか、ティトゥス=リウィウス
(訳注:古代ローマの歴史家、『ローマ建国論の著者)の本を持って来させ、いかにも暇を持て
余しているかのようにその本を読み、やりかけのレジュメを続けていました。そこへ伯父の友人が
やって来ました。伯父に会いにスペインから戻ったばかりだというその友人は、私が母と一緒に
座って本を読んでいるのを見て、私の無気力と不注意を責めました。それでもなお私は、熱心に
読書を続けようとしていたのです。 もう昼の第1時だというのに、光はなおもぼんやりとして、
まるで病人のように弱々しいままでした。すでに建物には亀裂が入っていました。
私たちは屋外にいたのですが、建物が崩れ落ちたときのことを考えると、その狭い場所では
安全とは言えませんでした。ついに私たちは町を出る決心をしました。私たちの後には茫然と
なった群衆が続きました。人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の決断に
従う方が賢明だと考えるらしいのです。   (字数の関係でカット 2013年11月3日)
・・・・・・
2004/11/13
1320, 2000年前のポンペイ −3
  小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が
発見され、発掘が始ったのが18世紀の半ばであった。そして現在に至るまで250年にわたって
発掘が続いている。まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。当時まだ17歳だった
青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。その文章を読んでいると、
その一言一言が身に沁みる。その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町
ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた
大惨事の貴重な目撃談となっている。 この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い
彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー
小プリニウスの「手紙
ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け
私はとても嬉しく感じました。というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、
彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。恐ろしい災厄によって死んだために、
伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの
著書に書き留められるとすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるい、は価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人と
なるでしょう。というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。いや、こちらから
進んで手紙を書かせて頂きます。
 伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。異様な形の巨大な雲が現れたことを
母が伯父に知らせたのは、9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、ちょうど仕事の最中でした。
伯父は靴を持って来させると、その超自然現象を一番よく観察できる場所にのぼりました。
 (字数の関係でカット 2013年11月3日)
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2004/10/22
1298, 2000年前のポンペイ −2
図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」
というグラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、
その面白さに繰り返し見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。
借りてきて見ているがTVよりさらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。
 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ば
からの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見になった。それまで、古代ローマの遺跡と
いえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって、それによって支えられていた。
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていないものばかり。
これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。街そのものを、石膏(火砕流)
を流し込んで、そのまま保存したようなものである。
ーそのグラビア内容とは
・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵
・それで解ったポンペイの都市計画図 そして街の構成と築造技術
・給水システムと下水システム
・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場
・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。 そして、そこに描かれていた男女交合の絵
・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型 そして、それをもとに作られた
 パン屋の想像図
・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図
・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、ブロンズ製のパンパイプ
・街の心臓部になっていた、市民広場 そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、
遊び人など様々な人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。
・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないようになっていた。
そこを入ると便座があり、 排水溝があって常に水が勢いよく流れていた。
こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。      ーつづく
・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ ー1
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみるナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましい
ものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけを
とらないほどだった。悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、
大爆発を起こしたのである。大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は
火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までに
その灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、
当時の生活が残されていた。遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった
生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。
街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、リアルに
当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に
大らかであったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。
幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが通りに並んでいる。
売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりと
あるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場
もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、
9割の人が逃げ延びたのだ。

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