堀井On-Line



4970,野心のすすめ

2014年10月23日(木)

            「野心のすすめ」林真理子著
   * 野心という山登り
 創業の準備を含め45年間、その最後は、この様だったが、何故か後悔はない。
野心があったからこそ出来た様々な成功と、挫折経験は何物にも変えがたい。 
自分の限界の壁が常に目の前に立ち上がっていて、何時も溜息をついていた。
 野心を持っていると、「棒ほど願えば針ほど叶う」になる。棒ほど願わなくては
針ほども叶わないのである。創業の頃は、高度成長期という絶好の環境があった。
それに、条件づくりに父が陰で協力をしてくれたこともあった。
野心は志と似ている。自分では志と思っても、人から見れば野心というのだろう。
何かに志をたてると、それが高く、大きいほど、その差が見えてくる。
そして、途中で、頓挫させるような難関が次々と立上がってくる。しかし、今さら、
後は引けないという瀬戸際で、壁が崩れ、内在した力が沸々と湧き出てくる。 
ー以下の内容が、野心を解りやすく要約している。  
≪ 野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。本を読み始めると、
自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らないのはまずいなあとか、この先また
別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人にはいろいろなページが開いてくるんです。
反対に、本をまったく読まない人は、何を読めばいいかわからないし、そもそも本の存在すら
意識下に入ってこない。 自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食い
しばってでも頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上が
どんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て、下を覗いてみると、
登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに群れている。
でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。自分はこの先、あの高い
ところまで登れるんだろうかという不安を常に抱えながら、ズルズルと下に落ちたくない
から常に手を抜けない。なぜ、わざわざ辛い思いをしてまで山登りを続けられるのでしょうか。
それは、必死で登って来た場所から見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で
手に入れて味わう満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです。そうなったら最後、
もっと美しい景色が見たい、もっと満足したい、もっと幸福を味わいたい、と、さらに上へ
上へと登りたくなる。 平地で遊んでいる人間には一生見えない美しい景色、野心を
持って努力をした人間だけが知る幸福はあります。もちろん辛い試練だって待っているかも
しれないけれど、野心という山を登ろうとする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。
チャレンジしたからこそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出してくださる方が、
増えることを祈ります。さあ、山に登ろう! ≫
▼ 「やってしまったことの後悔は、日ごと小さくなるが、やらなかったことの後悔は
日ごと大きくなる」の彼女のモットーが、良い。三年前の経験で、つくづく思ったことは、
山の麓で遊んでいた人たちほど、攻撃してきたこと。特に、城下町の体質が、人間関係に
られ一生を棒にふった人の割合が多い。それが、「他人の血で、自分の一生を棒にふった
という傷口を洗おうとしている姿そのもの」に私には見えていた。
しかし、実際に、人生の夕暮れ近くになって、それも有り!ということに気づいた。 
山登りの景色も、麓の景色も、大して変わりはしない、ということ。
しかし、麓でも何かにチャレンジしてないと、麓の美しさ、面白さに気づかない。
はともあれ、何かに挑み、闘い、変化する中で、人生は面白くなるようだ。
せっかく、地球に知的生物として80年を頂いたのだから! 有りがたく頂戴しないと!
・・・・・・
4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・
2013年10月23日(水)
   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた義母と三人暮らしという。
「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」という。その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。
亡くなる半年ぐらい前のこと、元旅館の女将をしていた母の最も親しかった92歳の友人が、実娘に
付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。最期のお別れという空気が、そこに漂っていたが、呆けは
全くなく元気そのもの。 家内が台所で、こっそりと、「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、
さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・}その時の一期一会の
二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、される方も、するほうも、大変である。
「呆けは老いの苦痛を和らげるため神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむ
のも芸のうち、ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。
計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? まずシリア爆撃に目先を向け、
のドサクサにデフォルトだったのでは?国家戦略からして、オバマ二期目の二年目。
やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。
日本と同じく国債増発しか予算が組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル
投入と同じで、死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。そのプロセスを踏まない限り、
米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。
更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、世界恐慌が
表立ってきたら、どうなるのか。まずハイパーインフレとすると、年金生活者は? 
今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。「まさか!」は起こって
からでは遅いが備えは可能。「まさか!」が、危ない。私の「まさか!」は、リーマン。
備えてはいたが、現実に起こると「まさか」が、「まさか」でなくなる。その典型が、
「まさか!東京電力が」・・一万円前後していた株価が、今では500円、
これも国家管理になればゼロの可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
・・・・・・
4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
* 鮫子の形の由来
 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いものだ。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起ものとして餃子を
食べるしきたりがある。 その理由は、あの独特の形にある。鮫子の形は、清の時代まで
中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形からきている。そのため鮫子は「富貴」「多子」
の縁起をかついだおめでたい食べものだと考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を
食べると一年間お金に困らずに暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。
中国における鮫子は、まさに日本の「おせち料理」のような存在であるといえるのだ。 
それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。じつは比較的最近の
一九六八年、新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、なんと唐の時代の
鮫子の化石らしきものが発見された。この発見により、このトルファンの地が餃子の起源と
考えられている。この化石は、トルファンに展示されている≫
    * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選したのが
食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという方法だった。その作り方は、瓶に調理した
食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと湯せん鍋で沸騰加熱して
殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま持ち運ぶことができる。
この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、アペールは莫大な賞金を手にした。
ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期にイギリスで発明された缶話め
とともに、今でも人々の食卓を支え続けている。≫
▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを更に小さく個人用パッケーかに
詰替えたことになる。 最近、コンビニが勢いづいているが、これも、スーパーの家族用の
品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を中心にしたことが、消費者の支持を受けた
ことになる。
・・・・・・・
3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。
反対に、「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのもある。脳科学では、
「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」という。
日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授になりたいと は思わない。
何となくなりたいと思う理想のイメージの人にはなれるのが道理。人間は無意識のうちに
自己能力の限界設定をしているはず。ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。
そして、なりたいものになりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。翼を広げ
羽ばたいていると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。
「なりたい」と真に思わなければ、なりたい自分になれる訳がない。逆に「なりたいものになるな。
なれるものになれ。」というのは、【某セミナー】の教え。≪ 「なりたくたってなれない。 でも、
なりたいと思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力をつぎ
込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、ネガティブなものの事ではありません。
自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生きかたをいいます。いくらあこがれの
外人さんがいるからって、日本人なんだからなれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」
とか「カラーコンタクトを入れれば」・・とかドンドン付け足し、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿とは違った「なりたいもの」
の仮面を作り上げてしまう愚」を説いている。これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で
固まってしまう可能性もあり、しっかりした指導者か見識が必要。しかし真になりたいものを
見つけ、それに向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行く
のも道理。「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が針を棒に変えてしまう。 
なりたいと願うことは、エネルギーをそこに集中していることになる。やはり、真から自分が
望んでいることなら、やはり、なりたいものに、なっていく。司法試験に多くの人が挑み、
そして大多数の人が挫折していく。しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。
しかし一生をかけても合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。
なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
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3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の
 自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や
物理学等の自然科学を修めつつ探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けた・・≫
ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブルの崩壊から嘘のように元気を失っている。
 財政赤字は900兆以上にもなり、収入は日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今までにない生き方に挑戦するとき、
 前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」−>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。この世界の物質をつくる元素は星の中で
 生成され、星が終焉を迎えるとき、超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる存在である。肉体の基である外宇宙が
 百億光年以上のとてつもない広がりを抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から
 苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として
 経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と
 記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を一つに結びつける、つながりと
 絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない
 広がりと深さを抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
 ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的世界観の下では、自分が意味もなく
 生まれ、世界とは特別なつながりはないと思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、
 みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、宇宙の源には、私たちが拠るべき、
 全ての解答と青写真が湛えられている。
 〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。「魂とは、生前、死後に
 自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、宗教的である。
 ・・・・・・・・・
3123, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー4
2009年10月23日(金)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)         ー読書日記
 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、
 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 
 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとした。
 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。
  −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。
  * 恐怖の神 * P-24
岸田:一神教は「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、
 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が
 恐ろしいので、神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは
 同じ神を信じる人間だけ。そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、
 人間は奴隷であって、奴隷は主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまう。
 自殺など、とんでもないことです。一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などない。
 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、
 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。それが一神教の基本テーマです。
小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」
 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。
 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。
岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。
小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を
 結べないのです。異教徒の契約は常に仮契約でしかない。その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。
 ▼ アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも
  知ることが出来る。
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2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
 2008年10月23日(木)
仏文学者の鹿島茂が毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して
書いていた。経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。 
 (字数制限のためカット 2010年10月23日) 
・・・・・・・・・
2007年10月23日(火)
 2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2
 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。


4969,生まれたことをどう考えるか

2014年10月22日(水)

              「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
   * 「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、「何を馬鹿な!猿が
生まれてきたことに意味があるかを考えるのと同じ。意味など後付の理屈」と決め付けることもできる。
この問いかけは、「人生を如何に生きるか」に通じる。 フランクルの「人は良く遊び、良く働き、良く
学ぶため生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を加えると、ベストに思えるが。
実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何かの問題を追うことで、
 人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに意味はあるのかどうか、意味があると
すればそれは何か、どういうものが考えられるのかの問いに迫ったものである。・・(本文より)》 
  ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで、似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの心臓や肺が動き、
わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り出していることではない。わたしが
眠っている、わたしの意識のない間も、心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。
わたしの意識の状態に関わりなく、呼吸、さらに体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に
必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の意識とは別なところで
成り立っている。自分が生きているということは、根本的に自分が作り出しているようなことではない。
◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その選択通りに実行することができる。もちろん自ら死ぬと
いう選択、実行には、多大な困難が伴うであろうが、場合によっては、意を決し行うこともできる。
わたしは現在生きる選択をし、骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは
自分の力で自分の生からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生きられる
ような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか死ぬかの選択ができるような
状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、100年前や500年前
ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに
生まれたこと、さらには、わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく
人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし固有のDNAをもっていること、
死すべきものであることなどは、わたしの作り出したことではなく、わたしに与えられたものとして
わたしにあることである。わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かで生きることを決定
付けられている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、生まれる者の自由には
ならない。そして、わたしはいずれ死ぬように決定付けられている。・・≫
 ▼ 生まれてきたことが偶然か、必然かの問題もある。この論は、唯心論の人生感を面白半分に
読むに丁度良い内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、ただそれだけと割切れないのが
人生である。自分の人生は自分しか生きることが出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば
著者の言わんとすることが理解できるが。「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、
充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、生まれ生きたことに意味が出ることも確か。
ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
・・・・・・
4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
  * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手のファイナンシャル・プランナー
の一言が印象的。「セミナーで、まず言うことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。
スーパーに千円だけを持っていき、買い物を一週間続けることを勧めています。それが出来ない
ならカゴを持たないで買い物をしてください。カゴを持たないと沢山、持てないから、どうしも
買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものがわかってきます。
習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 シビアな話だが、体で憶える第一歩。
 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回の
ランチと、週一のシネマと、月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの
小遣い。 元はといえば、出処は40年与えてきた給与の一部?それで今や発言権は三分の一。
この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト自転車、iPad、
7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分?こんなもの?その都度、小言をいわれるが、
さほど欲しい物がないのは年齢のせい? 欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には
必ず、5万以上は入れている。使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、
安いもの。年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、千円だけ
持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。財産を使い切り、
まず楽しみ、貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、自分のことか!それでも心はリッチ?
楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。日々、是、好日、いや口実か。年金暮しも、楽むしかない。
・・・・・・
4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2
2012年10月22日(月)
   * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を
人身御供として捧げ、川の神を鎮めるという風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の
皮に豚や羊の肉を入れたものを人頭に見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。これが饅頭のルーツである。
それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも浸透し、主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの
「じゅう」の字を「頭」と書くのはここからきている。当初は蛮人の頭の意味から「蛮頭」が用いられたが、
のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になったといわれている。
諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因
(のちに塩瀬姓を名乗る)が作った「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や
野菜を入れるのが普通だったが、浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、甘葛の甘味を加えた
館を入れた饅頭を考案した。≫
 ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。
   * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが  ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪東郷は、イギリスに七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、かの地で食したビーフシチュウの
味が忘れられなかった。日本でもあの味を味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフ
シチュウに欠かせないバターやワインがなかなか手に入らない。そこで部下は、砂糖、醤油、ごま油を使い、
牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうしてでき上がったのが、今でいう「肉じゃが」だったのだ。
ビーフシチューとは似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の船員たちは
長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気や壊血病になる者が多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが
豊富なので、その予防にもなる。当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の
献立となった。一般家庭に普及したのはずっとあとで、昭和五〇年代に入ってからのことだった。肉じゃがの
ルーツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫  
 ▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったものとは、居酒屋ネタとして丁度よい。
 ・・・・・・
3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)
 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、
「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから
言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、自分が、いま、ここに存在している
ことが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして
先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。 そういう難しい話は、この本の本題ではない。
何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。
 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。
   ー かなりショートにまとめてみた。
 * 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と
   鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、
   滅多にみれるものでない。「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
 * その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、
   幼さの残っているゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、
   何と、その犬も右手、いや右足をあげた。 オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。
 * 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に
   雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。 
   雀には、多くの仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。 数分で、見届けないで散歩を続けたが、
   翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。
   とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。
  ・・・・・・・
3497, お金の教養 −3
2010年10月22日(金)
                    ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著
  * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を
楽しむことはできない。価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要。
著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5〜10倍の価値は充分にあった心底思っている。
飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。
土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、
それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。 昼飯は消費。 本は大部分は投資。 週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費?
これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーンは投資。 
両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えということ。
関西人は概ねこれに徹している。 マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健にする。
 金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている時間や、
健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、
あれは良かったと思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると面白い。
長期的投資と短期投資にも分けられる。浪費が入った三つが混合するから面白いもの。浪費と思っていただけの
ことが実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたってみないと分からない。
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3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れている
のではなく、逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。そこで西欧人は自分たちの
方が優れていると、信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか隣人愛を言うが、
そこから外れた者については、公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱いされなかった奴隷たちが
救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、その神は復讐の神だったからである。現在、原理主義者が平気で
テロを仕掛けるのも、この辺の事情による。 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P−13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、大航海
 時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきますね。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ人は
 ますます劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、決して
 ふるさとを捨てて遠い外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人はヨーロッパに安住
 できないいろいろな事情がありました。人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる十四世紀半ばのペストの
 大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く世界へと進出したと思っている
 ようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、客観的には、命からがら逃げ出した難民でした。 
 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに文化的にも経済的にも上で、豊かな生活を
 していたのですね。 ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、ヨーロッパがいかに遅れていて劣って
 いるかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返すというのが、近代ヨーロッパ人の植民地主義を
 支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、劣っていると感じて、それ以後のヨーロッパ人は、
 われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、何かにつけて、
 ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。 当時は修道院があちこちにでき、
 実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採をやったのです。
 さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が
 生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって
 野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生したもので、大流行を引きおこしていった。
 〜〜
  現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、この辺の一神教が主導してきた文明の行き詰まり。
 そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。
 アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
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2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! 


4968,閑話小題 ー女のカースト制度

2014年10月21日(火)

   * 美人カースト制度
 先日のTVのトークショーで、ある女性タレントが、女世界の「美人カースト制」の存在を話していた。
言われてみれば成るほど! 『女社会には、美しさの三角形をなしたカースト制があり、美人ほど、
その階層が高く、歴然とした序列が決まっている。美人は同レベルの人だけで仲間をつくり、それ以外は
仲間に入れない。入れると、僻み妬みが入りバランスが崩れるため。』とか。女という生きものは、
自分を引き立たすため、少し劣っている人を仲間にすると思っていたが・・ 女性職場の経験からみて、
思い当たる節がある話。特にギャルまでは、美しさが大きな価値判断になる。それまで育ってきた
過程で、彼女らには値踏みが付いてきたし、自覚がある。美人かどうかは、両親からの問題
(親の因果が子に報い)だが、これは本人には、どうにもならない運命の問題。私の姉4人は
美人系だったが、顔と身体の均整が取れているだけで、それが何?でしかない。が、独身時には
うら若い女性となると、全く違って見えてくる。 初対面の女性同士はまず、相手の年齢や服装や
住所やバッグなどの持ち物から「相手のレベル」を察知、自分に近いかどうかを判断してから
付合い方を決めてくる。  
 女カーストには、他にマンションカースト、ママカースト、ヒルズカースト、キャリアカースト制度がある。
◎マンションカーストは、住んでいるマンションと、住んでいる階層で、
◎ママカーストは、旦那の社会的格付けで、
◎ヒルズカーストは、そのヒルズ(丘の上の住民)のレベルで、
◎キャリアカーストは、職場などの、キャリアで格付けされる。
面白いといえば面白いが・・ 逆に、超越さえしてしまえば、本当に楽なだが・・ 
それにしても、美人カーストの存在とは、面白い! で、往年の美女? その後、どうなった? 
年齢でバランスを崩してしまえば、ただの?? だから、コンプレックス広告に引っかかる。
 バランス修正で世界が一変するなら、韓国みたいに、どんどん整形すればよい! 
即席で、化粧があるが、見慣れてしまえば、皆、同じ。いや、そうでもないか? 
まあ、娑婆は面白い! 石も集まりゃ、砂利だが。
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4601, 読書という体験  ー3
2013年10月21日(月)
              「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
    * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を受講者自らが選び、直接、受講生同士が、
情報を交換させる方式。一長一短があるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りから
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなか
 いい線まで来ている。読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の読書しない基準は、
一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も三十%を超える
ほどになった。やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきてもらい、それを持って教室内を
自由に動き回り、学生同士で情報交換をしてもらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、自然に読書欲がかき立てられる。
おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくりにはもってこいだ。
「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切る
ことにしている。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、知識に対する「あこがれ」の
熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい
影響を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに紹介する先生がいた。本を律疏むことが
どれほど楽しいことであるかが、その話しぶりや表情から伝わってきた。
 本は買って、線を引きながら読むもの。本は自分のものにすることが大事だ。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。
量が大事だ。人から借りた本は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせながら読んでいるものだ。...》
 ▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、この直の方法を兼用すれば、更に良い。
  その点、私たちの時代より、現在の方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを持たせ、
 イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、
 のと同じ。一二年間、このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、励ましてくれる
 要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。それも、同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、
 読み方、受け止め方、すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開して欲しいが。
 何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、
 習慣から衣食住の由来を面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
    * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。まあ、面白いものである。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァと
 オスマン帝国(トルコ)の戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍がトルコ軍を退けた証である。
一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに
気づかなかったが、地下から聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを焼いていたパン職代たちだ。
パン職人の通報によりトルコの急襲を知ったオーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。喜んだ皇帝は、
パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちがその返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形がクロワッサンの定番となっていった。
ただし、そのころのクロワッサンはまだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、オーストリアの
皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行したパン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、
一九二〇年代のパリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
 ▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄を
  パンの形にして、それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、歴史に触れることになる。
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3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、
何気なく見ているだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように健康を兼ねた
レジャー目的の人など様々である。 少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午までの二時間、
滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、
男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。
といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。 自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知っていたら、10年前から入っていたはず。
パソコン教室も、スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを人的気づかい
なしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 エアロビでは、プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、
若い男のインストラクターの追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を仕事などでこなしているので、
こういう場では、一会員として群れることなく運動をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。
3・11の影響が、大きいのは何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、一見華やかに見えるが、
給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 半年少したって、効果はといえば、大有り。
足腰が、この数年来衰えたと感じていたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。何事もまずは半年。
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3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
 ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 * 一番の無駄は生命保険?
 ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から「月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。
年にすると36万になるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり終身保険は2千万の買い物になる。
それを、「月額3万円」の分割払いをしているだけのこと。 保険屋の甘い言葉につられて、深く考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は何と360万円になる。それを年利5パーで運用を
すれが500万近くなる。 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、ずっとましである。
年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、
合計年間10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
 もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した悪徳商法ぐらい知っていたからである。
 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? (以下の半分は私見が入っている)
 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生かけて購入しなくてはならない。
しかし、その購入に対して少しも考えない。 少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、
業者は土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。考えなければならないのは、これから。
それは売り手の論理。 買い手は、買ったと同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品になり、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてるのと同じ? それでもマンションに住みたいなら、
中古マンションの掘り出し物を数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、駅から数分の、
競売物件とかである。中古の場合は、新興の業者だけは避けるべきだ。住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついて
まわるから、年月に耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に多くみられた「穴吹工務店」
「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分の1か、5分の1である。(例外もあるが・・)
私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。
だから買うなら若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる矛盾が現れる。他人ごとでない?
 娑婆は、幻想でなりたっているから、夢を買うのにケチをつけることはないが・・・   
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3121,金(きん)について
 2009年10月21日(水)
-以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)
 ・・・・・・・・・
2756, 何か変な世界の空気!
 2008年10月21日(火)
 *AIG、当初借り入れ8・4兆円の融資枠、ほぼ使う!
ー 以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)・
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2007年10月21日(日)
2392, 人生で出会いしもの                φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]ヘ
10月02日(火) の {「2373, 人は60歳で何をしたか」−2} の読書日記で、作家の新井満が寄稿していた
「60歳以降に何をすべきか」について書いた。ところが、その中で彼の奥さんとの出会いの話が非常に印象的だった。


4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後

2014年10月20日(月)

   * 4時間の熟睡後に
 かなり前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが0時前後。
一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝する。ところが起床の4時まで、
半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと長年かけ工夫している。 臨床心理士に
よると、「布団の中の考え事は、たいてい考えすぎ。とりあえず起きて、トイレに行ったり、水を
飲んだりして体を動かすと良い」という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、
その時間を苦痛と思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。 それでも時に不快いに思うと、
煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、最高!」と、心に言い聞かせて
いると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、
大の字になり全身を脱力をして横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っている
イメージを持つようにする。これを楽しめるかどうかが、大問題でもある。で、このところ一種の
瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、寝返りは、
その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもあるという。成るほど、
寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 仰向けの姿勢が良いと
されているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃からとっている。
胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発のクッションと枕を
使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
            「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
    * 教養を培う〜②  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
  週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する授業が良い。
大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、学生時代、いや人生が大きく
変わってくる。これからして、良い大学に入って、良い教授、良い友人に触れる必要がとって
とれる。人生、良い書物を通じて、時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象に週90分、
半年間のゼミは、以後毎年開いている。 学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに関する感想、印象、
批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の内容について討論を行なう。
提出された文章は、添削され、コメントを付され、翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、
読書に親しみ、作文能力を鍛え、論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を
週一冊読むだけの根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、コンピューターによる
抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、残りは、これまでほとんど本を
読まなかったからこの機会に、という学生である。読書好きはもちろん、読書不足を反省し
一念発起した学生も、見込みある学生といえる。
読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで感銘を
受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『余は如何にして
キリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、
宮本常一『忘れられた日本人』、無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編
『きけおだつみのこえ』などである。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、それらが
そこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の大先輩、岩波書店の
創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。 定番の一番バッターは、決まって『武土道』である。
外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った新渡戸は、「それでは道徳教育は
どうしているのですか」と反問され、答えに窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる
欧米人に比べ、日本人の道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために
英語で著したのが本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど
手にしたことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の硬さを感じ取っている。
 万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い壁に囲まれていると思うと、それが
見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、
10年日記と、ダイアリー。 それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、
ノートの記録と、活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、一日ヘラヘラした
何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
   * つれづれに ー青竹エアロ
 スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにあるステップ台をインストラクターの誘導で
12人が一同にするエアロを連続二回と、週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われているが、どうも30〜50人の合同でやるのは
苦手である。ところが、先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。 ヨガ用マット上に
青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。
これまで何度か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。 このプログラム、まだ始まって三回目だが、
30人の定員は満員。 「初めての人は挙手を」に対し、何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、
その両側に一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。その三箇所を交互に音楽に合わせて
乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのがよい。ジムも競争が激しいようで、チラシ
広告が目立つようになった。 常にエアロビックスなどのサービスを改善していないと、他のジムに客を取られてしまう。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は充分ある。私は二時間滞在しているので
一日につき千円、20日で二万円の価値の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 その割に軽い腰痛は治らないが、それでも
足腰が軽くなっている。 ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我が家にやってきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けてあるが、時々、狂ったように攻撃する。
しかし錘で、その都度、棒を一回転し元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転するようになった。 また籠から離れようとすると、
回転を何度もし、傍にいて欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示が、棒を回転する
芸で注意を引くことが加わった。 一年前に飼っていた中型のコガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、
オウム科で最小(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。 幼鳥のうちは大人しかったが、最近になり、
その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。
 最初はペットを毛嫌いしていた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。
それもあり冬に向かって、このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬する能力に驚いてしまう。
 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、このインコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、
籠の中を狂ったように飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、私が車で帰ってくると、感知する。 
駐車場を一台貸しているが、それには全く反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ。」という感じが面白い。
・・・・・・・
3495, お金の教養
2010年10月20日(水)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。 学校では「学問教育」と「職業教育」は教えるが、
その取り扱い方は教えてくれない。日本は「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、
お金について教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮があるのが日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」を受け取ることはない。
実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 お金に対する能力とは、「貯め方」「(小さなお金の)使い方」
「(大きなお金の)使い方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、「与えること」。
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
 1、お金の管理する仕組みを作る  2、6:2:2の法則  3、領収書の分類
 2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残りを使う法則をたてよ、である。
 領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれをスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。
 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に使わないと、それは通帳の数字でしかない。
そこで、40歳から60歳まで、年間に???万は使い切ることを決めた。 そうすると使えるのである。
贅沢できる金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、こういう時代になり、
また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。 気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう
続けることは出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に多く並んでいる。
しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか難しい!
やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
 ・・・・・・・・・
3120, 再び、読書について  2009年10月20日(火)
  * 書斎は未来の図書館
  森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて本棚に飾ることと確信している。
 実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫
  全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で過ごしたはずである。 
 本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。
 書斎を、そのように位置づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
 決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、充分に幸せのはずである。
  開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく
 歩いていても、たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、そうして買った本を
 書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが
 勉強をすることと勝手に思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、独りで早朝や深夜に
 読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。
  ショウペンハウェルは、彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、
 量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を
 ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、
 自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、 
 それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。
  選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、その一連で読書は成り立っている。
 旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
  その中でも、読書は必要欠くべからざることである。
・・・・・・・・・
2755, 閑話小題
 2008年10月20日(月)
 *一昨日は高校の同級会
高校の同級会が一昨日あったが、25年間ほぼ毎年開かれている。大体、20人位があつまるが、この10年近くで4人が亡くなった。
他のクラスの人が参加をしたりの入れ替わりはあるが、7割は固定メンバーで、和気藹々と時間を忘れる一ときになる。
最近の話題は年金と、病気と、不景気と、孫と定年の話が中心になる。「今回は年末は金融恐慌のため深刻になるだろうから、
早く開いた」と冗談ともいえない幹事の挨拶があった。ギリギリまで出席しようか止めておこうか迷ったが、この年齢になれば
一年後に無事でいられるかどうか、目先のことは積極的に参加することと出席した。 まあ、面白かった!
 *今年の旅行は?
さてと、今年の旅行と思った途端に、この金融恐慌である。何があっても一度は海外に行くと決めているが、
歴史的な重大な状況に気合が入らない。最後にとっておいたアメリカ西海岸の国立公園巡りか、英国辺りかの最終判断の段階。
この20年近く憑かれたように旅行に行ってきたが、今後10年の大不況を考えると良かった。
数年後からはロングステーも考えていたが、どうなることか!
 *我が家の庭
最近、早朝のウォーキングの帰宅後に我が家の庭で時間を過ごす習慣がついたが、そこで庭が生きていることに気づいた。 
両親が魂を入れた庭が、二人とも亡くなっても、そのまま生きているのである。 それも時間とともに変化している。
父が石と木、母が花を入れたが、それが四季と共に変化をし、段々と深みを増しているのである。
それに気づきだしたのは両親が庭をつくった年頃に、私が到達したということか。
母が亡くなった時に、この家を処分をして新潟市に移動しようかと考えたが、決断できなかった。
このまま家にいて本当に良かったと思えるようになった。 春夏秋と、両親が植えた草木の花が、何処かで咲いている。
家には、それぞれ家霊がいるというが、庭をみていると合点がいく。


4966,閑話小題 〜ある男の動揺

2014年10月19日(日)

   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が、出会いがしらに、「最近、切腹をした。もう長生き
出来そうもない。片足、いや両足を棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」
と悲鳴。やり手?だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。
 三度目の会で、悪いことに?目前の座席。早速、攻撃が始まった。「俺は学が無いので、
哲学などは分からないけどや〜」と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が
込められていた。 それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビーに飾られ本人が
有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、茶器づくりりも、仕事もスランプ
らしい」と聞いていた。たまたまポタリングをしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。
それが偶然、本人の会社の前。「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に
行ったところ、応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つ、くれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?に家内と
行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出したのが彼のスランプ。
初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子の「14歳からの哲学ー考えるための教科書」
を持っていった。それを逆手にとって、皮肉を言ってきたのである。
 酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の顕現そのもの。あなたが茶器づくりなどでスランプと
いうから、ヒントにと本をあげたのだ! スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に叩きつけることだろう。』」
と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が
会の予算が足りないと当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に
投げつけた。もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・あまり経験出来ない面白い遣り取り。
それから一年ぶりの再会で、これ。余命数ヶ月?に感じられた深刻な様相だったが、
それは恐ろしいだろう!
 哲学の最大の問題は「死」。 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?☆自分が本当に消え去るなど有得ない!☆自分の生き様は、
これで良かった? 等々、心は七転八倒。 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 
去年の5月の随想日記、4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうが・・ しかし、
こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラックスワンの死の問題。 
 先日、ある30人位のデナーの席で、三年前に旦那を亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎの
アマチュアカメラマンと、私の家内と同席をした時の話。還暦過ぎの女性が旦那を見送った
具体的話題をして、本人もガン持ちと告白した。その女性が私たちに
「変な話をして御免なさいね!」というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら
言葉として表現するか、しないかですよ」と、答えた。70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は穏やかではなさそう。 
即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」である。 そして誰も居なくなる。
死の問題、一に準備、二に準備!である。こういう話は、語りだせばキリがない!
・・・・・・
4599, 閑話小題 ー座りオシッコの話
2013年10月19日(土)
  * 座りシッコの話
 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 二年ほど前になるが、
TVのバラエティーで、「男の洋式便器のオシッコの使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」
ことを、テーマににしていた。その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に飛び散った水滴先を
実証してみせていた。それを見た家内が、「今日から、あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、
何かオカマ?みたいで、数回で止めた。でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、老妻に
先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、座ったが、もういい!と、立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。 
 近くのスポーツジムに通い始めて二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、休まず通っているが、
数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの下蓋が下りたままが多いこと。 
ところが、日が経つにつれ、その頻度が多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる
人もあるから、半分近くが座りシッコをしていることになる。当初は、こんなところで、何?をすることもないのに!
と思っていたところに、例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。 で、最近、家では心掛けることにしたが
一週間もすると、当初の抵抗感がなくなるから不思議。 それも中性化の一つか? 最近の子供は自宅では殆ど?
座りスタイル?  で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施している
半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。 でも、あそこで、座る気も起きないが。
   * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入してから、一ヶ月足らずになる。
これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの
普及もあり、全体的にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った中国製。
やはり故障続きであった。しかし、電動アシストの楽しさは十二分に味わうことができ、既に1万キロは走った。
冬期を除いた毎朝、一時間、年間200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。
実感としての価値は、300円〜500円はある。で、新しいクロスバイクは、値段が二倍、一日200円になるが、
価値は充分にある。雨の日にスリップをして、転倒したが、車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。
毎朝、10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。クラッチを最大の重さにして、電力を使うパワー
にして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。少しオーバーに表現すると、地上を走る車輪付きの
グライダーか、水上を走るミニエンジン付きヨットという感覚である。で、兼用して乗るつもりだったが、
一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引き取って貰った。
・・・・・・
4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の上で呼吸法を取入れた深呼吸を
するようになった。大きく息を吐き出しながらシャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。
そして、そこから大きな息を吸い上げながら立ち上がり、今度は空に向かって気を吐き出すイメージで息を出す。 
それを一回につき7〜8回、続けていたところ、擬人化した地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」
「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、「よう、昨日は散歩に来なかったな!」
「より深く呼吸しろよ!」と思いもよらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と
「即自」の、掛け合いになる。ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な道路拡張工事が始まり通行止。 
そこで違うコースを迂回して歩いているうち、電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋
から大手大橋を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。三年前のことである。それをキッカケに
早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。ところがチャリだけでは、物足りなくなり、
大手大橋を渡る時にヒキチャリをしながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時は360度のパノラマを味わえよ!」、
「もっと深い呼吸をしな!」「わたしとせっかく出会えたのだから、私からエネルギーを、もっと吸い上げろよ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、感覚が鋭敏になる!」
(ワシにも聴かせろ)とか、なかなか面白い。 スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの
音楽を聞きながら運動している時などイメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した地球軸に何か
名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。知らない人が、これを読んだら、
「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、私にとっては、20年以上の対話の過程がある。 
自分の魂を擬人化した「真魂様」でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。
問題は意識してやるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 
魂とは、内的宇宙=地軸様。
 ・・・・・・・
3859, 釈迦でさえ非難される
2011年10月19日(水)
 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐ったものを与えたとして、
それを私が受け取らなかったら、それは誰のものになるか考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。
それが、私の答えである」と言ったという。この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 
要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、その人自身の問題を投影しているに過ぎない。 それをマトモに
受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負ってしまう。要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、
他人の傷口から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。釈迦の言葉には納得できるものが多い。 
この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。 老年になると、無知は老害となる。
 ーーー
* 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。
* 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。
  つまり、世に非難されない者はいない。
* もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
* 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
* 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります。
* 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである。
* 他人の過失を見る必要はありません。
* 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにしなさい。
* 自分で自分を、励ましてあげなさい。
* まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。
  そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。
*「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、
  愚者と呼ぶにふさわしい。
▼《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 この言葉は、還暦を過ぎてからの
 生きる道しるべの言葉。《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と思って
 いる者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、上から目線で、教養の無さの目盛りになる。上記の一つずつが、
 日々の自分に対する戒めといっていよい。
 ・・・・・・・
3494, 金が高騰
2010年10月19日(火)
 ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス900ドル代だった金価格が、
先日1380ドルをつけた。何と二年で40パーセントの値上がり、年率で2割づつ上がっている。国内価格は
円高のため27パーセント、それでも値上り幅は大きい。ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドルまで
値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。8年前に金の上場投資信託(ETF)が出来て、
そこを通して機関投資家や個人の投資資金が流入している。その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。 
リーマンショックによる世界金融危機が一番の値上がり要素。各国は危機乗り切りのため通貨をばら撒いたため、
投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に
売りを浴びせられる」という説は、先日ここで書いた。  (字数の関係でカット2011年10月19日)
・・・・・・・
3119、久々のジョーク ー6
2009年10月19日(月)
 ▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる?    ひとつき
 ▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。「親方。この木、じゃまだから
 切ってしまいましょう」「待て!50年前、わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。
 思い出の木じゃ。残しておいてくれ」「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。じゃあ、あっちの木を
 切りましょうか」「待て!その初めての体験のとき、あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。
 やはり思い出の木じゃ。残しておいてくれ」「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手のお母さんに
 ずっと見られてたんですか?」「そうじゃ」「お母さん、黙ってなかったでしょう。何て言いました?」「モー」
 ▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子トニーが、突然母親に向かって
 「おしっこしたい」と大声で叫んだ。息子の無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。
 「これからはおしっこをしたくなったら『歌を歌いたい』と言ってごらん。そうすれば私はお前がおしっこを
  したいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?うん、わかった。これからはそう言うよ」   
 そして、その日の夜― 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。
 そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。何も知らない父親はびっくりして言った。
 「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、
 どうしても今じゃないとだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。
 「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」
 ▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に冒され、ひとり寂しく死の床に
 ついている男がいた。 突然、目の前に妖精が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたが
 かなえたい事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」そして、感激し男は続けた。
 「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。
 「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」
・・・・・・・・・
2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり
 2008年10月19日(日)
「世間」については何度も「身近な数人の縛り付けられた小さな常識の網でしかないと!」と、
否定的な意味で扱ってきた。それでは「世間」とはいったい何か?を、岸田国士が「恐怖なき生活について」で、
次のように書いている。
【「社会」という概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によって支配される意志表示とを
 重くみた考え方で、それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情ともいうべき形式的な掟の上にたち、 
 すぺての異分子的存在を排撃する本能のきわめて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思われる。】
 と・・・、 簡潔で分かりやすい。≪世間=非自由≫と割り切って、沈み込まないように意識をしてきた。
 しかし、次の 佐野洋子の「私の猫たち許してほしい」の文章に出会い衝撃を受けた。
【 ある時、通りの下から二人の女の声が聞こえた。一人は相手をたしなめているようだった。もう一人はその人
 よりも若いらしく、とぎれがちにいいわけをしているようだった。ずいぶん長い間、ひそひそと立ち話をしている
 けれど、ことばは聞こえなかった。あるいは二十歳の私には、水商売の女の人たちの話に興味がなかったのかもしれない。
「あなたそんなことをしていると、世間が狭くなるよ」ということばだけがはっきり聞こえた。そしてあとは静かに
 なってしまった。私は、「世間が狭くなる」ということばを初めて聞いた。「世間」ということばが、私の知って
 いる「世間」ではない様子をして、ありありと私に見えてきた。私には「世間」というものは、目に見えない
 ものであった。漠然と私をとりまいているものであり、少し古めかしい、少し私を束縛するものであり、
 とりはらいたいものであった。その時はじめて、私は‘世間というものが、一人ひとりの生きている人間の
 つながりである’ということを理解した。】が具体的で分かりやすい。これからすると、世間を否定することは
 人間を否定することになる。   (字数の関係でカット2010年10月19日)
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2007年10月19日(金)
2390, インターネット社会の凄み        オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
連日のようにインターネットを介在したサイト犯罪が話題になっている。
自殺サイトの自殺依頼による殺人、見知らずの男がサイトを介在して集まっての殺人事件、円天というネズミ講の
応用の詐欺もサイトを巧妙に利用したものである。「フラッシュ・モブ」という新しい現象も起きている。
インターネットを通じて広く呼びかけられた群集が公共の場に終結し、あらかじめ申し合わせた行動を取る即興の集会。 
  (字数の関係でカット2009年10月19日)
・・・・・・・・
2006年10月19日(木)
 2025, 「私」のための現代思想  −13       オッ(*^○^*)ハ〜
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、最初の「超越確実言明」
を行うということです。簡単に言えばー「私}を認める者の存在ーを通して《私》になる。
 (字数の関係でカット2014年10月19日)


4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない

2014年10月18日(土)

   * 誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
 誇りの持てない人こそ誇りたがる? それ以前に、誇りとは、どういう意味だろう。
ネット辞書によると、「その者自身の具体的な長所や美点に対する心理」「名誉に思えること」
自信がないと、虚勢でそれを現出させがちになる。隠せばこそ誇りとして、熟成されるが、ついつい、
見せて誇ってしまうのが、人間の性である。他人を見ていると、それが分かるが、自分のことになると!
誇りの逆が卑屈だが、これを、この言葉に当てはめると、「落ち込むのは仕方がない、卑屈になるな」
になる。 ほおっておけば、老いるほど卑屈になるは!
   * 人と違う生き方は孤独のようだが、実りは大きい
 意識するしないにかかわらず、それぞれが人と違う生き方をしている。
ただ、人を意識しなければの話。スポーツジムのヨガに週2〜3回、二年半、参加してきたが、
少し暗がりの中で毎回のように言われるのが、「各々のマットは、各々の全世界です。
周囲の人を意識しないで、自分だけの世界に入って下さい!」である。
実際に参加していると、殆どの人が、忠実に自分の世界に入りきっているのが分かる。 
人と違う生き方は、人を最小に意識した生き方ということになる。その第一歩が、
人と比較しないこと! その為には、まずは、自分の好きなことを長年かけて続けること。
それには孤独の世界を大事にしなくては。
・・・・・・
4598, 読書という体験  ー1
2013年10月18日(金)
           「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
 読書を体験として捉えるところが面白い。それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。
   ーアマゾンの内容 よりー 
【 熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより今日の私にとっては何倍も大切な
  思い出になっているのだ ―香山リカ「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー 
  ジャーナリスト、俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】
 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、特に藤原正彦の内容が良い!
   * 教養を培う  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
《 NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、あらためて愕然とする。
 平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。
高校生三人のうち二人は、一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を身につける
方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で埋めつくされることになる。
 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは
個人的なものと言えよう。 教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。
「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、現象や物事を俯瞰しつつ考察する
ということ」である。 このためには若いうちから、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに
慣れねばならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西の偉人賢人の声に耳を傾け、
庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要となる。このような読書の累積が教養である。
 長期的視野や大局観は、リーダーとなる人の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたっても
うまく機能せず、社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。
大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走るということになる。
大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。
 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、そうはならない。我が国が民主主義を
とっているからである。国民の総意に基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象とした週90分、半年間のこのゼミは、
 以後毎年開いているという。この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
 事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能のものばかり。基礎教養が、人格をつくり、
 それが問題を解決する。私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は二年目からの参加。
 ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたび、
 ジワジワ効いてくる。それまでの読書量の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミの、いや学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、
 絶対量を読んでいる人が多い。 卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 
・・・・・・
4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
    * パスカルの賭け              ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得したことを憶えている。
と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方がお得」という、いかがわしさも感じとった。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然である。  ーその辺の記述の箇所を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんなに小さくとも、神の有無について間違った推測を
したときの報いには、かなり大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、なぜなら、もしあなたが
正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違っていたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、
もしあなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、
正しかったとしても、何の利得もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。けれども、この論証には、
はっきりとおかしいところがある。信じるというのは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定できるようなものではない。私は教会へ行くか
どうかを決定できる。私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに書かれているすべての言葉を
信じると宣誓するという決定をすることができる。しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に
信じさせることはできない。 ‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための論証でしかありえない’。
そして、あなたが信じると主張する神は全知という類の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いて
しまうだろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿げた考えは、ダグラス・アダムズの
『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 宣伝によれば、デラックス型は、
「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地]では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。
しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければならないのは彼を信じることだ」という考えを、
そんなに簡単に受け入れてしまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、寛容、あるいは謙遜、
あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのことではないだろうか。≫
 ▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられるだけで、十分過ぎる」ことも確かである。
  信仰は自分で自分の首を縛るだけか、長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに足りるか。
  キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。
  ・・・・・・
3858, 幽霊を哲学してみる
2011年10月18日(火)
  先日、ある人と食事をしていた時の話題。《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。
貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 最近、気晴らしにパワースポットに
行くのが趣味になっている。長岡には、そういうスポットは何処にあるのか? 》という内容。 それに対する私の返事は、
《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、シックス・センスが身についた時期があった。
 実際に経験してみて、こういうものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔をしているのを聞いて、
 他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡くなった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、
 我に返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが
 多く続くようになった。 これだけは、実際に経験してみないと分からないこと。
  しかし10数年前から哲学に興味を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、何度も読み込むうち、
 霊の正体が理屈で分かりかけてきた。 私はカレーを食べると汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり
 カレーの臭いさえしてくる。 これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 それと、あなたが見える幽霊に似ている。
 そこに幽霊がいるのではなく、貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、シックス・センスは、
 その入り口で遮断される。 人間の脳は、生物が20億年かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。 過去を振り返ると分かることだが、我々は共同幻想の中にある。 
人生は幻想の中で浮遊していているだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。 その見えるも脳の悪戯? 
ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。そうすると、やはり幻覚、幻想になる。
カラオケスナックは、酒で脳を麻痺させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じこと。
 たまたま、二年前の同月同日に「 生きる幻想 死ぬ幻想 −2」を書いていた。 
 ・・・・・・・
3493, 人生、よもやま話 ‐2
2010年10月18日(月)
 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。 まだ憶えているのが、初めて海を見たときだった。
長岡から当時の列車で一時間足らずの柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。 
同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊り込みで遊びに行っていた。
 実家では店のビル全部が遊び場であった。 また幼稚園に入ってから直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。
家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせてくれた白モツの味は今でも忘れられない。
その店(鳥梅)は、現在もある。 そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。 歳の離れた兄が5メートルの
飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。
その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。 特に「チケンサマの祭り」が多くの屋台や、植木の店がたつ。
そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。 その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質の人、
三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを買う楽しみではなかったが、普段には見れない
珍しいものを見るのを楽しみとしていた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、そのため。
新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと
思ったことはない。所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。 美術館で見れば充分である。
 そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは肯ける。人生は記憶で彩どられている。
 ・・・・・・・
3118, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー2
2009年10月18日(日)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)  ー読書日記
  * 一神教批判をめぐって
 多神教の日本人と一神教徒の欧米・アラブ人とは肌の色だけでなく、根本的に考え方が違う。
一神教徒は多神教の多い黄色人種や黒人を元もと見くびっているのである。宗教そのものは、本来そういうもの。
だから、今さら、そういう異種の人と割り切り付き合うしかない。 外国旅行をしていると、辛らつな人種差別を
感じとることは度々である。 今さらのことだが。 アメリカは、中近東にサウジアラビア、東洋に日本という
赤色と黄色の属国があるとしか捉えていないのである。いざとなるとCIAが陰湿な謀略を属国日本に仕掛かける。
  〜以下の文章を読むと、その辺のことが、よく見えてくる〜
 Pー6  ユダヤ教・キリスト教・イスラームは、同じ「一神教の神」を奉じる兄弟宗派です。
一般に「旧約聖書」と呼ばれているのはユダヤ教の聖典で、これはキリスト教もイスラームも聖典として認めています。
キリスト教にとっては『旧約聖書』プラス『新約聖書』が聖典であり、イスラームは『旧約聖書』と『コーラン』が聖典です。
同し神様を奉じているのに、どういう角度で見るかによって、歴史的に分派しているわけです。ですから、この三つの宗教は
「セム系一神教」とか「アブラハムの宗教」と呼ばれている。このうちユダヤ教は、一応ユダヤ民族と呼ばれる人々の
「民族宗教」で、あまりほかに拡がっていかない、むしろ閉ざされていく傾向を持っていますが、キリスト教とイスラームは
「普遍宗教」として民族・文化を超えて拡がっていこうとする。 これが非常に問題を起こすのです。
一神教というのは基本的に自分たちの神だけが真実の神である、と主張しているわけですから、他の宗教には非寛容です。
実際、他の神々を否定し、殺していきます。そして極端に言えば、自分たちの神を信じない者は人間ではないと考える。
ところが一神教徒にとって最も大きな敵は、同じ一神教の他宗派なのです。多神教徒は、劣った連中、迷妄の徒だと思って
下に見ることができますが、同じ一神教の仲間だと、そうは行きません。これはちょうど左翼の中で一番敵視して闘ったのは、
むしろ国家権力やブルジョワ階級よりも、同じ活動をしている分派の方だったのと同じ心理です。
 解釈を違えた者同士は、まったくの異教徒よりもっと敵となるんです。
 P−50 僕の仮説では、人間はもともと黒人で豊かなアフリカに住んでいた。ところがそこに色の白いアルビノが
生まれて、それが差別されて、中東やヨーロッバに追いやられた。そういった差別された連中がまたエジプトでも差別されて
生み出したのが一神教であって、もともとユダヤ教は恨みがましい宗教だという説です。自分たちが差別され、
虐げられてきたから、他に対して攻撃的になり、他を差別する。ユダヤ教は、さきほども言ったように、エジプトで奴隷になって
いた入々が、モーゼという英雄に一つにまとめられて、パレスチナに逃亡してきて、現地の神々を追い払ってつくった宗教ですし、
キリスト教も、ユダヤ教徒のなかで差別されていた人たちがつくり、ローマ帝国の中で差別された人々に広まった宗教です、
だから万軍の主という神や、復讐の神といった、自分たちを差別する連中をやっつけてくれる神を作り上げたのです。 
キリスト教がヨーロッパに拡がったというのも、ヨーロッパの特に北部は、非常に自然が過酷で、そこに追いやられた白人たちは、
人類史的に見れば、ひどく悲惨な目に遭っています。だからこそ、ああいう磔になって死んだ人が教祖であるような宗教が、
ヨーロッパ人にとっていちばんフィットしたのではないかと思います。教祖は人々が同一視できるというか、自分を
そこへ投げ入れることができるような存在である必要がありますから。
 〜〜
 多神教と一神教が戦えば、間違いなく後者が勝つことは、歴史が証明している。
 多神教にとって、一神教もその一つだが、一神教は他の神を認めないのだから、心根が全く違う。
・・・・・・・・・
2753, ジム・ロジャーズの金融危機インタビュー
 2008年10月18日(土)
ライダーの投資家で知られてる、ジム・ロジャーズが、この金融危機についてインタビューしていた。 
  ー以下は字数の関係でカットー2010年10月18日
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2007年10月18日(木)
2389, こころの旅  −3         c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
  「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
 第一章、人生の出発点の中の
 −人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。
更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついているのである。
いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。以前、最終区分前の中学校の成績順が、
そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると小学校でホボついていることになる。そう小学校も中学校と同じことが言える。
一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。私は4番位であったが、男で7番以内で地元に
帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、一概にはいえないのだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、
「お前は竹のようなヤツだ。遊ぶが、ある所までいくと元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の
生きる姿勢を見てきたからである。それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。
 以下は、その人生の諸段階の部分である。意味は深い!
 (以下、字数の関係でカット2008年10月18日)  


4964,閑話小題 ーオ〜〜

2014年10月17日(金)

   * オ〜〜
 驚き、感動の時の言葉である。人生の豊かさは感動の質量のトータルで決まるといってよい。
一瞬、「アッ」と息を呑み、それを吐く時に出るのが「オ〜〜」である。宇宙からの音が「オオ〜ム」
というが、これに関係しているかも。 以前に旅行をした時、ベテラン添乗員が絶景に差し掛かった
時に、先導をして「オオ〜〜」と言い、その後、全員に合唱させて笑いを取っていた。
それを何度か繰り返しているうちに、全員の共同感動の合唱になって、これが感動を大きく
振幅させてていた。 
  ーところで感動詞をネット辞書で調べると、
☆『話し手の感動を表す「ああ」「おお」の類をはじめ、呼びかけを表す「おい」「もしもし」の類 や、
 応答を表す「はい」「いいえ」の類も、文法的性質が同じなので、国文法ではこれに 含まれる。』 
☆『感動、応答、呼び掛けを表し、活用がなく、単独で文になり得る 語である。
 主語、述語、修飾語になることも他の語に修飾されることもない。』とある。
☆ 英語で 感動詞は
 Gerat! すごい!     Awesome! すごい!   Wow! わぁすごい!
 Terrific! 最高!     Cool! かっこいい!  Way to go! その調子! 
 Right on! バッチリ!  Good for her(him)! よくやった!
 YEAH! やったー!    Yee ha! やったー!  Alright! やったー!
 YES! よっしゃ!    Goody!! すごーい!!わーい! Whoopee ワーッ!
 Rah フレー!万歳!    Hooray 万歳!やったー!
 Zowie ウワー、ヒャー(大きな喜び)  になる。
ー以上だが、それまでは、「ウワ〜(凄い)!」「何(じゃ)これ!」「アア〜(凄い)」だったが、今度は、
「オ〜〜」・・ 「Bravo」もいいが! 感動、感激、歓喜の質量が、その人そのもの!  オ〜〜
・・・・・・
4597, そして、人生はつづく ー6 (そして、ゲームはつづく)
2013年10月17日(木)
   * そして、ゲームはつづく
 川本三郎著の『そして、人生はつづく』にしろ、朝日新聞の「耕論」小田嶋隆のコラム『生き直すために』にしろ、
自由業の物書きが、連合いの死や、断酒による人間関係の喪失で、孤立した生活に入りざるを得なくなった中で、如何に、
耐えていくか。そこで「一人暮しになって静かな一日を送る困難と、それゆえ幸福を知るようになった」心情を書き連ねる。
一匹狼の良さと辛さこそ、人生の哀歓があるということ。
 私も小さいながらの創業人生を45年かけ生きてきた。そして、三羽のブラックスワンの出現で、事業整理に至った。
そして、人生は続いている。「そして、」の「、」が、人生の節目の意味がある。 これを境に、森の人生から、
サバンナの人生に変化したことになる。
 ところで、昨夜、C.Sファイナルステージの巨人・広島戦で、巨人の坂本と村田が、攻守でチームを救った。
自らの悪送球で2点の先行を許した村田が決定打を放ち、更に最終回にヒット性打球を二人連携のファインプレーで
劇的なゲームセットで汚名を返上した。
 坂本は、9・10月は1割7分代と極端に低迷。それでも原監督は出し続けた。その後、村田の凡ミスで先制された直後の
勝機に、解説者の予測とおりの凡打。しかし、次の打席でHRを放った。「そして、人生はつづく」の『人生』を『ゲーム』に
置換えたようなドラマ。手痛い凡ミスと、勝機での凡打を全国注目している中だから、地獄から天国といった心境だろう。
こういう極限の中で、はね返すのが一流の証拠。 二人にとって、「そして、ゲームはつづく」で、劇的快打とプレー。
そして、お立ち台でインタビュー。 二人にとって、凡ブレーの後、「そして、」の気持ちの切替が出来るのだろう。
しかし、「そして、人生はつづく」には、孤独な平凡な日々で静かに己を律するしかない。
 人生にも、勝負にも、「、」と「。」と、行(ぎょう)かえが必要ということになる。 
 「国敗れて山河あり」 そこは微粒子に満たない小さな小宇宙でしかない。
・・・・・・
4222, つれづれに ー国家危機!
2012年10月17日(水)
    * 生々しく聞こえてきた世情の話
 「赤表紙本」といえば、経済状況を大げさに書きたて、不安を書きたて本を売る方法に使われる。「読むほうも、書くほうも、
割り切って読んでいる、」のが一般の見方。ところが、どんなにオーバーに書き立てても実際の現象になると、それを遥かに
超えるから恐ろしい。「欧州危機、恐慌と騒いでいるが、今だに起きてないじゃないか」というが、早いか遅いかの差で、
間違いなく起こるのは確か。一昨日も、BS/TVで、こんなことを放送してよいのかと思われるほどの過激なレポートだった。
そのゲストのブログで、現地の惨状の実態を読んではいたが、それをTVで流すのだから、一般の人は、驚くはず。 
 要は、日本円の預金をドル建てに替えて持つべきとか、日本も、PIIGS並みに数年内になる?とか・・ ギリシャやスペインの
街中で出会った人の生々しい窮状は、日本にいては分からない。まず一部勝ち組と、大部分の負け組みがいて、その負け組みも、
二分される。一年分の生活費の蓄えがある人と、数ヶ月以内に教会の食料配給の列に並ぶ人に分けられる、とか。
歯医者の開業医が、店を閉めたという、殆どの人が歯医者にかかる金が無いので、経営が成り立たなくなったという。PIIGSでも、
アイルランドのように国が一体になり再建を始めたところと、ギリシャのように国家がバラバラで、その意欲が全くない国がある。 
 それは日本でも同じこと。家内から聞く世情の話は、一部勝ち組と大部分の負け組みの段差の内容が、日常のリアルの内容になる。
家内の友人の勤め先の話。「顔が腫れているのに、そのまま。病院に行かないので変と思っていたが、その人、お金が無いため
行けないと、後で知った!でも、いつの間にか腫れが直ったみたい!」。 国内では預金ゼロ世帯が三割。それなら病院にいく
金も無いに等しい。 失われた20年で中流といわれる大衆は、本当に貧しくなった。 他人事ではない。 昨夜もNHKの
「クローズアップ現代」で、欧州危機を放送していた。実際に起こったら、どうなるのだろうか? 私の出来る範囲で恐慌の
備えの大方は終わったが、実際になると想像を遥かに超えるはず。まだ平和ボケの範囲でしかない。まだ火の手は上がってない。
・・・・・・
3857, Macの創業者のジョブス
2011年10月17日(月)
 Macの創業者のジョブスが先日、亡くなった。 iMacパソコンを二台、iPodを二つ、
iPhone(現在はドコモの携帯電話に逆戻り)、iPadと、最近買った端末は、ほぼMacである。
iPhoneは、小さすぎて指入力に戸惑い使い切れなかったが、他は及第である。
iPhoneには驚いたが、最近買ったiPadには感動もの。 デジタリアンと自認しているが、
実はジョブス・ファンだったようだ。 先日、NHKの「クローズアップ現代」で、ジョブスの死を悼んで
 『世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔』として報道番組を組んでいた。
ここで孫正義が、《 彼は商品、製品を生み出すのではなく、ジョブスの作品を生み出している。デジタル端末などの人間化を
テーマに、高度のマニアしか使えないデジタル機器を、普通の人が気楽に使える作品を作り上げてきた。iMacなどのiは、
愛に通じる。もし、彼が20年、30年生きて、最後に自分が作りたい作品は「iRobot]と、提示するのでは!
彼は、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才。数百年後の人々は、彼とダ・ヴィンチを並び称するだろう。》
とまで、賞賛している。今までのパソコンと比べると、マニアが使いこなしていたデジタル端末とネット世界を、ごく簡単に、
我々一般人が使えるようになっている。だから、何だと言われれば、それまでだが、知的好奇心が強いものにとって、これほど
有難いものはない。それにアプリが豊富にあることが、相乗効果になっている。ジョブスのように明確な形で(身近なモノ)で、
世界を変えてしまうのも、グローバル化の一つである。 本人自身、もっと生きたかったはず。
 ー NHKのHPの紹介文から ー
≪ iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られた
 スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップでアップルを率いてきたジョブズ。
 製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。番組では、
 ジョブズを身近で知る人々の証言や、ジョブズの言葉、かつてクローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、
 IT界の天才と言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。 ゲスト:孫 正義さん(ソフトバンク社長) ≫
 ・・・・・・・
3492, 実践・50歳からの少食長寿法
2010年10月17日(日)
「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著
  ーアマゾンの内容説明からー
 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、
食卓を「宝食」に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるようになった「豊食」くらいで止めれば
よかったはずです。ところが金にあかせて食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。しかもそれだけでは
済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味しない
「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るように
なりました。さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えています。
こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。
これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。
●みそ汁を飲むとがんは防げる?   ●更年期障害になる人、ならない人  ●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密
●4ヵ月で7キロ減の4つの方法    ●朝食断食・一日一食のどちらかで  ●沖縄長寿神話の崩壊
●歩いて旅して3000キロ      ●自己防衛の「食の10ヵ条」  ●フードマイレージという考え方 ●命を与える偉大な発酵食
 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。
  この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。
1、食事は量より質にこだわる  2、主食は御飯   3、発酵食品を食べる  4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意  
5、パンを常食にしない      6、液体でカロリーをとらない       7、副食は季節の野菜を中心に   
8、動物性食品は魚介類を中心に   9、未精白の御飯に挑戦する       10、食事はゆっくり、よく噛んで
  要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。
御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。
 ・・・・・・・・
3117, つれづれに  〜閑話小題〜
2009年10月17日(土)
  * 電動自転車を注文
 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として持ったことがない。
中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては持てない時代であった。子供時代の記憶に、
あまり乗りまわした記憶がない。 成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで
一万歩以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 ところが最近になって
自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男がスポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て
自分も自転車が欲しくなり、数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか決心が定まらない。
ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小さい折り畳みか、電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 
 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、59800円の電動自動車を発売」
の新聞記事をみて、HPから注文をした。納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。 
あれこれ考えたが一番が休日のサイクリング。 他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 
電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。
 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。 
どれもこれも愛用品になっている。 もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助にしている。 
そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器など自分に合うものが見つかると本当に良い。 
あれば使う、無ければ使わない、ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが!
   〜〜〜
  * いわしの群れになるな!というけれど
(次数制限のためカット 2011年10月17日)
・・・・・・・・・
2752, サブプライム問題の6つの波とは
2008年10月17日(金)
 株の相場に興味のない人でも、今回の金融危機のタダならぬことに気づき始めてきたようだ。
今年の年末から数年にわたり、過って経験したことのない現象に遭遇することになる。
恐らく半数近くの事業所が閉鎖され、失業者が10パーセント以上、ハイパーインフレが襲い、食糧危機が襲うなど、
想像外の事態にジワジワ追い込まれる。 既に秋葉原の無差別殺人や、親の子殺し、などの予兆はあったが・・・
 リーマンブラザーズの倒産以来わずか一ヶ月で起きた一連の金融崩壊と、フォードとGMが倒産でもしたら
アメリカ炎上といっても過言でない。 歴史的大事件を毎日、目撃していることになる。
 この影響を一番被るのが、やはり日本。 それがハッキリするのが年末から来年の5月にかけてである。
まずは倒産ラッシュだろう。 この十数年で淘汰されるべきところはされたが、しかし、今度の津波は根こそぎ
私たちの生活を破壊するほど強烈になる。まずは衰弱の激しい地方の企業と地銀から問題が発生する。
銀行は金を貸さなくなり、売り上げは、平均30%は落ちる。 それで立ちいかなければ、消え去るしかない。
あれだけの思い切った資本注入を発表して、二日間しか相場が回復しなかった。 目先のカンフル剤になるはずだが? それさえもである。
GMが倒産した場面で6千円台をつける可能性がある。日本の生保・銀行の含み益が大きくマイナスに転じ体力を消耗する。
今回のサブプライム危機をステージとして、次の六段階になる。(参考ー日経、10月5日ーサブプライム危機ーより)
1、去年の8月のフランスのパリバショックである。
  −金あまりを背景とした欧米での信用膨張が瓦解を始めた瞬間ともいえた。銀行間の取引こ疑心暗鬼が広がり、
   中央銀行による多額の流動性供給など当局も緊急対策姿勢を強めた。
2、次に来たヤマ場は2008年2月、米証券大手ベアー・スターンズが資金繰りに行き詰まり実質的な破綻状態になったこと。
  円相場は一時=95円台に上昇、日経平均株価は12000円を割った。
3、三つ目のヤマ場となったのは7月。今度は米国の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)など、住宅公社二杜の経営悪化問題が浮上した。
  金融不安は現実の金融危磯に発展、
4、9月15日に米証券大手リーマン・ブラザーズが破綻したのである。
  米証券大手メリルリンチは米大手銀行パンク・オブ・アメリカへの身売りを決めた。
  リーマンは救済されるとの観測が大勢だっただけに市場では大きなサプライズと受け止められた。
  これを機に欧米の金融機関同士の疑心暗鬼は一段と強まり、各国中央銀行が大規模なドル資金供給を続けたものの、
  銀行間金利は上昇を続けた。
  (字数制限のためカット 2010年10月17日)
・・・・・・・・
2007年10月17日(水)
2388, こころの旅  −2
   「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
第一章 人生の出発点 の心の琴線に触れた部分を取りあげて考えてみる。
 ーー ーP.22
 天井からぷらさがったガラガラの動きに赤ん坊がよろこんでさらに手足を勤かすと、ガラガラはいっそういきおいよく
動いて音をたてる。これを何度もくりかえしているうちに「条件づけ」ができて、赤ん坊には何となく自分の動きと
ガラガラの動きとの間の因果関係がわかってくる。この感覚運動的知脳が発達してくると、今度は紐のついていない、
(字数の関係で中間カット2009年10月17日)
解)
両親の愛情の温もりが直に伝わってくる人がいる。特に幼児期に両親や周囲の愛情をシャワーのように受けた人である。
深い愛情を受けると、人は笑顔になり周囲に対して積極的になるものだ。そして、それが性格の基礎としてカタチつくられる。
如何に幼児期の愛情が大切か身近の人を見ていると実感する。人間は絶対量で既に一生は決まっているといって過言ではない。
簡単にいえば温かみのある人で人品が良いともいえる。こういう人は本当に強いし、弾力性があり、不幸の方が弾き飛ばされるようだ。
反対に全くそれを感じない人がいる。 そういう人は直に解る。貧すれば鈍するでないが、両親の不仲の環境に育った人である。
自意識過剰で、自分を過大に勝手に評価、直に手の裏を返す。自分の顔に責任を持て!というが、顔と目に出るから恐ろしい! 


4963,閑話小題 ー秋の早朝、思いのまま

2014年10月16日(木)

 台風も騒いでいるほどもなく、無事?通り抜けていった。
何か、いつも狼少年のように騒ぎすぎ? 現場は大変なのだろうが・・・
 三年前の東北大震災以来、ビクビクしすぎのようだが、それで丁度良いのかも。
日本人の意識はリスク管理が薄すぎる。 私の事業清算の場合、事業設計段階からリスク管理を
組入れていたのが幸いした。幼児体験で両親の事業を傍で見ていたことや、金沢の二度目の修行先が
ドルショックに遭遇し、急激な経営悪化と、内部混乱に遭遇った最中だった。 それらの経験と、
初戦の千葉郊外での事業立上時の出鼻、石油ショックに見舞われた経験があった。そのため、新潟駅前
 ー何度も書いてきたが、このシリーズでは、何時でも撤退できる設計計画を組み込んでいた。  
・家族、親戚は一切、会社に入れず、
・家内名義の給与を別口に与え、銀行口座は別にしておき、
・妻子の連帯保証はしないで、万一に備えておく。
・さらに、自宅の不動産の底地の一部を、家内と子供名義にして価値を下げておく
  (万一の場合、家内が安く買い取れる)
・決算書に出ない、合法的予備資金を積み立てておく、 ・・ 等々。 
 これらの構えは事業設計段階から10年〜40年続けておくべきこと。
で、何とか現在の生活を維持している。 で、ふと気づくと、今度は死に支度である。 
私の両親は、神経質ぐらいに死に支度をして逝った。 私の場合の大問題は、会社の清算。
考えようで、「これで良かった」と、自己納得している。 現在の心境は、意外とサバサバしている。
 これらの体験から、「何事も時間が解決をしてくれる」ことを実感。喉元過ぎれば熱さ忘れるで、
この経験も、今では「痛気持ちよかった」とさえ思えるから不思議。 傍目と、当事者とは、あまりに
違う受け止め方がある。以前、様々なケースを見てきたが、それぞれの視線が、面白可笑しく見えてくる。
 犯罪者が、薄ら笑いをし、ひかれていく映像を見ることがあるが、あれである。 自分自身と、それを
見て喜んでいる輩を、その上から冷笑している別口の視線が何とも、いやらしく、冷たく、可笑しく、
哀しいが、こんなに面白い!ものとは思いもよらなかった。これは経験してみないと理解は出来ないこと。
多くの人は、これを経験しないで死んでいく。 もちろん、こんな経験をしない方?が良いが。
死を直前にした時に「これが一番良かった」と思えるのでは? そう、大自然の景観に感動した響きと同じ、
あれである。その透き通った感覚は酷似している。 だから、薄ら笑いになるのである。(≖‿≖)ヘ(ΘΘ)ヘ
・・・・・・
4596, 2050年の世界 ー19  
2013年10月16日(水)
  第六章 宗教はゆっくりと後退する ーのまとめ
・地球上には約一万の宗教があると言われ、2000年の時点では、信者25万人以上の宗教は270を数えた。
・世界人口に占めるイスラム教徒の比率も、1900年には12・3パーセントだったものが、一世紀後には
 21・1パーセントへと大きく膨らんでいる。この原因はもっぱら、イスラム諸国の人口爆発に求められる。
・キリスト教とイスラム教はこの一世紀、世界の各地にある民間信仰、土俗宗教の信者を奪って伸長してきた。
・貧しければ貧しいほど宗教に帰依する割合が高くなり、豊かになればなるほど、宗教は相対化されていく。
・数の上で、宗教に帰依する者の数が1970年代を境に増えているように見えるのは、中国政府が国民に宗教を認める
 ようになったからであり、それは、本来宗教を信じていた人たちが、顕在化し見えるようになっただけとも言える。
・宗教性の高い国の出生率は高くなる。また同じ国内でも、信仰心に篤い人々のグループのほうが無宗教の人々の
 グループよりも多く子供を産む。先進国の中の無宗教の人々のグループはもっとも低い出生率である。
・経済発展の遅れと宗教性の高さには、強い連関がある。貧困と宗教の強い結びつきは国内にも存在する。
 ポスト産業経済に属する各国を見ると、最も貧しい階層の宗教性は、最も豊かな階層より約2倍も高い。
・したがって、現在出生率が高く人口の配当を受け経済成長を続ける新興国も、先進国化するにしたがって、 
 宗教は相対化され、無宗教者の割合は増えていくことになる。
▼ 宗教は共同幻想の最たるものだが、その共同幻想なくして生きられないのが人間。共同幻想は先進国化することで、
 幻滅になっていき無宗教者の割合が増えていく。情報が行き交い知識を持った人が多くなった世界で、神様の存在は、
 軽くなるのは当然の成り行き。しかし、「自分が、いま、ここに存在している不思議」を考えると、神の存在に
 結びつけるのが手取り早い。そろそろ、いつ何時、死を宣言され、恐怖のどん底に突き落とされる年代になった。
 余命半年を悟った時に慌てふためいても、時、既に遅しである。神のみもとに帰っていくと心から信じるには、
 長い信心の時間が必要である。どの神を信じますか?は、どの共同幻想のイメージを選択しますか?と同じ。
 金と神は共同幻想という面で、似ている部分が多い。で、金に余裕ができれば、両者の本質も見えてくる。
 既存の宗教による刷り込みの力は、あまりに大きいが、それ以上に、情報化は、それら刷り込みを破壊する。
    ー で、偶然だが、去年、一昨年の以下の文章が丁度良く続いていく。
・・・・・・
4221, 神は妄想である ー3
2012年10月16日(火)
 新約聖書、旧約聖書は、生々しい逸話で満ちている。神仮説は、超人間的、超自然的な知性=‘ラージX’が存在している
という仮説である。アブラハムがヤハウェという神をつくりあげた。その神に、現在も何億という民が、聖地に向けて祈っている。
初めてイスラム圏のカイロに泊まった早朝、異様な「アッラーの祈り」の声。丁度、ラマダンだったこともあり、目を据えた
人々が住む異世界に驚いてしまった。 その祈りは数百年も続いてきた生活の一部であり、アッラーの神が存在しているのである。
   * 可愛げない神仮説            ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
≪ 神がいるという仮説(神仮説)は、もっとも可愛げのない証拠事例である。
面白みのないキリスト教の顔である「おとなしくて優しい寛大なイエス」にも、その正否を委ねるべきではない・・・
私は、ヤハウェの、あるいはイエスやアラー、あるいはゼウス、オーディンなどの他の特別な神の特定の性質を攻撃しているわけでない。
むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを
意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説である。本書でその代案として提唱される考え方は、何かを
設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終産物にすぎないというものである。
進化によって生じた創造的知性は、当然のことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、その設計に責任を
もつことは不可能である。このように定義された意味における神は妄想である。そして、それは有害な妄想なのだ。
神仮説は、証拠よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、さまざまな変形版があるとしても
驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族のアニミズムから、ギリシア、ローマ、北欧神話の神々のような多神教を経て、ユダヤ教
およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教にいたる発展過程を認めている。・・・  (中略)
 ・・われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはぼかられる最大の悪が一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な
青銅器時代の教典から、三つの非人道的な宗教が進化してきたーユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。 
これらは天空神をもつ宗教である。文字通り家父長的 ー神は全能の父ー であるため、この天空神と現世における
その代理人である男に苦しめられた国国では、二千年にわたって女性蔑視がつづいている。・・・(中略)
 ・・三つのアブラハム宗教のうちでもっとも古く、他の二つの祖先と言ってまちがいないのがユダヤ教である。
もともとは、猛烈に不愉快な一つの神をもつ一部族のカルトにすぎなかった。この神は、性的規制、焼けこげた肉のにおい、
他の神々に対する自らの優越、そして、選ばれた砂漠の民の排他的権利というものに病的にとりつかれていた。
ローマ人がパレスティナを占領していた期間に、タルソスのパウロによって、ユダヤ教のそれほど無慈悲ではない一神教的宗派として
キリスト教が興されたが、これは排他性も薄く、ユダヤ人の外の世界に目を向けたものだった。数世紀後にムハンマドとその弟子たちは、
もとのユダヤ教の断固とした一神教に回帰したが、その排他性は引き継がず、新しい聖典『コーラン』にもとつくイスラム教を興し、
信仰をひろめるために軍事的に征服するという強力なイデオロギーを付け加えた。・・・ ≫
 ▼ 最近、宇宙が一つでなく10の50乗の気が遠くなるほどの数があるという説が現れた。その中で、アラブの蛮族から
  発生した一神教の神は、アブクでしかないことが分かる。しかし、信心は、そんなもので揺らぐほど強いのである。
  人間を人間たらしめている情報伝達手段の言葉が、イメージを作り上げるようになった。そのイメージは、大自然の神秘と力に
  神をイメージしたのが、アニミズムになっていった。それが、部族間の争いを大きくしていき、現在に至っている。
 ・・・・・・
3856, 猿の惑星:創世記
2011年10月16日(日)
 先日、「猿の惑星:創世記」を長岡シネマで見てきたが、極めてシリアスなストーリー。
「猿の惑星」をみたのが40年数前。 その時の衝撃は現在も残っているが、20歳代半ばの記憶が今でも鮮明に残っているのは、
猿が人間を支配している意外性である。 その後、何本か続編が続いていた。 今回の、猿が人間と逆転するキッカケの創生の物語は、
不気味で恐ろしい原点を私たちの前に展開している。 結果は初めから分かっているが、筋書きが初めから終わりまで重い。
猿とチンパンジーの差より、人間とチンパンジーの遺伝子の差は小さい。今世紀中に類人猿の人権擁護法も出来る可能性もあるという。
 物語は、製薬会社がアルツハイマーの新薬の開発にチンパンジーを実験に使っていたが、その効果は上がっていたが、何かの切欠で
暴れてしまい射殺されてしまう。 しかし、そのお腹に赤ちゃんが宿っていて、それを秘密に持ち出した男が、育てあげる。
しかし母親に(実験のため)投与されていたアルツハイマーの新薬が、その子供に影響しており、育つにつれ飛躍的な能力を発揮する。
問題は、人間の能力より遥かに高くなっていたこと。 そして・・・、 と物語りは展開していく。
 初めは、人間サイドから見ていた筋書きも、何時の間にか類人猿の創生の物語に転化され、チンパンジーの目からみた人間社会の
文化の非難へと引き込んでしまう。 チンパンジーの目から逆照射した人間社会への視線は痛いほど。
創生者?のチンパンジーの名前が、シーザーというのも良い。 ところで、アルツハイマーの新薬が、私の目には現代の携帯端末か
タブレットPCに思えた。 誤解を恐れないでいえば、《 欧米の白人からみたら、チンパンジーが有色人種。
新薬が携帯電話と端末とPC、そしてネット。 これは後進国といわれている人たちの知識を飛躍的に進化させる劇薬に匹敵する。
一度与えてしまった劇薬は、世界中の底辺の人々に自由と平等の概念を植えつけてしまった。 欧米中心で世界が動いてきたが、
それが崩壊過程にあるのが、現在の世界の現状である。 20年、30年前には想像すら出来なかった事態が日々刻々進んでいる。
 今度の福島原発事故は、それを世界に知らしめてくれた。 情報端末とネットだけでなく、人間が作り上げてきた文化、
文明の象徴が、アルツハイマーの新薬開発と、チンパンジー創生と考えると、現在が見えてくる。
 ・・・・・・・
3491, しあわせの法則
2010年10月16日(土)
 先日、昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。
何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。
 その場で意識して記憶したが、9つ、一つ残らずに憶えていた。
1、男性より女性の方が幸福の人が多い。
2、都会の人は大よそ幸福と思っている。
3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。
4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点(それ以上になってにあまり変わらない)
5、幸福の八割は遺伝する。
6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。
7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。
8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。
9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。(連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える)
 ー [幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。
 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の友人の実例をみていると肯ける。
豊かで教養ある両親の元で、順調に育った人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。
何度も書いているが、最終振分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、その格差が大きくなっているだけ。
家柄?が、運命そのものになっている。 とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。
実際は10歳までに決まっている。そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。 
特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するため、ドライになって当然のこと。 
相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知るである。
またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという結果もあるという。
 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。「しあわせ」は、能力の一つか。
 ーーーーーーー
3116, 久々のジョーク −5
 2009年10月16日(金)
* ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を殺してしまった。
焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。それから数週間が経った。夫は5歳になる
一人息子に言いました。「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけどお前は何にもいわないな」 
そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」
 〜〜〜
* あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金を受け取った。
しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?との疑いを持っているようだった。
入院しているユダヤ人を友人が見舞った。「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」
「いやあ、そうでもないさ。」「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」
「大丈夫、とりあえず退院したらフランス行きの飛行機の切符買ってルルドへ行くから」
 〜〜〜
Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、一人は精神面で成長阻害が見られ、
  そして本人は梅毒を患っている妊婦の知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか?
   解説は、次の問題を解いてから見てください。
(字数制限のためカット2011年10月16日)
・・・・・・・・・
2751, 米国大統領は激戦区の白人の黒人観で決まる?
 2008年10月16日(木)
アメリカ大統領は、このままではオバマで決まりそうだが、実は結果を待たないと分らないという。
アメリカの黒人差別は根強いものがあると昨日の 毎日新聞の「記者の目」 の論説員のレポートは説得ある。
今回の正副大統領候補は、黒人、女、そして老人の組み合わせで、壮年の白人は一人もいない。
 ーーまずは、その辺をコピーしてみたーー
ずっと気になっている。これまで来国では白人男しか大統領にならなかった。さて、今年、黒人あるいは
老人を大統領として、そして女住を副大統領とて受け入れる用意が米国にあるだろうか。そうした個人の属性は
人の意思では変えられい。そこに優劣や価値をつけ、反対票の理由にする。そんな人がどれぐらい多いか、
という問題だ。投票まで3週間を切った大統領選挙の最大の政策課題はもちろん経済だ。しかし、票の争点には
ならないので気づきにくいが、今年、米国人の投票行助を左右する争点が三つあると思う。それがへ人種、年齢、
男女の性差だ。米国は、この3点を根拠に、他人を差別してはならない。
 (字数制限のためカット09年10月16日)
・・・・・・・・ 
2007年10月16日(火)
2387, 新潟経済は今          *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 先週の金曜に取引先の地銀の担当が「判・仕事」で事務所に来た。
 そこで最近の地元経済の状況を聞いてみたところ、担当が浮かぬ顔をして言うには、
 ・地元は一部自動車部品メーカーを除いて中越沖地震を境に悪化
 ・特にマンションや一般住宅が売れなくなり、露骨な値引きが始まっている
  さらに建設中や予定のマンションが十数棟もある
 ・風評のためホテルや飲食店の売り上げが減少、回復の兆しがない
 ・不動産の動きも芳しくないという。
 中越沖地震が地元経済にとって甚大な影響を与えている。さらに手取り収入の減少、年金問題の不安感の増大、
農家の実質収入の激減など、多くのマイナス要素が重なっているためだという。先週の金曜日に長岡で飲んだが、
お客の数は少ない。客単価を上げようと店の方は必死。それはそれでよいが、健康も含めた対策として飲む回数を減らす。 
地方は、特に新潟県は、ますます疲弊しているのが実情である。 しかし、地方の疲弊は前ぶれ、関東・東海地区にも
遅かれ早かれ波がくることは必定。3〜5年後を考えると何か恐ろしい雰囲気である。ただ当方は目先は大口の団体が
半年にわたって入ったのと、駅の再開発が始まったので、一応目途は立っているが。ただ全体の地盤沈下はいただけない。
昨日、都銀の担当がやはり「判・仕事」で事務所に来たおりに、同じく地場の景気の状況を聞いてみたが、
内容はホボ地銀の担当と同じ。
    (字数制限のためカット14年10月16日)


4962,閑話小題 −アベノミクスへの疑問、再び!

2014年10月15日(水)

 去年の同月同日のテーマが「アフォミクス」であった。その数ヶ月前にも、同じテーマが幾つかあった。
その後、東京オリンピックの誘致に成功したこともあり、このところ批判の声が低くなっている。 
デフレ基調の中でのインフレへの誘導には、必ず無理が出ることは必定。欧米各国は、先行きが
不透明の中で、オリンピック立候補を避けたが、何を血迷ったのか2020年のオリンピックに立候補、
選出された。 国家予算の半分も収入がないボロボロの借金体質の国家が、これでは、地獄の蓋をあけて
自ら飛び込む行為になる。それも、この惨状の責任者の元首相が二人が、現在の首相と、副首相というから、
お笑いである! 日本は、70年近くの実質アメリカ占領政策で、狂ってしまった!と、言わざるをえない。
 近い将来の国家の行く末は、惨たんたるものになること必定。 恐ろしいが、これが現実である。
それを横目で見ながら、私も地上から消え去る頃。その前に株式の暴落が起こる、それは前触れもなく、
ある日、突然に起こる。 もう一線から退いたため、その先行きが、より鮮明に見える。
 以前、同調した論説は間違いなく正しい! このバブルに乗って泡踊りをしたら、20年前の私のように、
大きな失敗を犯すことになる。 アメリカは、リーマンショック前の3倍、EUは2倍の通貨量になった。
その結果、ドル為替が半値、3分の1になって然るべきだが、殆ど下落はしていない。この矛盾は、
遅かれ早かれ、必ず、株価か、国債の暴落につながる。その時、誰が被害を被るか? 弱者である。
 この、生暖かい空気に迷わされることなく、以下の内容を、いま一度、読み解くことだ・・
・・・・・・
4595, 閑話小題 ーアフォノミクス
2013年10月15日(火)
   * アフォノミックス ーアフォが、三本の矢のミックスといっても!
 安倍内閣の経済政策に否定的で、先行き悲観論の経済学者・浜規子が、久々にTVに出演、アベノミクスを批判。
こんなバブルは直ぐに崩壊するのは自明のこと。 アベノミクスに対する街のインタビューで、20、30歳代の
17%に対し、40歳以上の74%がバブルを望んでいる結果であった。バブル経験者の多くが、その恩恵の
味が分かって期待するが、未経験の年代層はいずれ弾けるバブルに期待していない、と冷け気味。
 浜規子は、「1980年後半のバブルは4年数ヶ月つづいたが、今度は、そこまで続かない。前のバブルは、
中産階級の風船が膨んだが、今回は、その萎んだ風船に再びガスを入れるのでなく、別の風船を膨らませ、
萎んだ風船に紐を加え、空に上げようという代物。全くの見当違い!」と、一刀両断。これも、当たり前。
元女子アスリートが、「周囲が家を買いたいという人が多いので、家を買うか、迷っている」に対し、
「周りが浮かれ始めた時に何を馬鹿なことを! 家は投資の一つ。直ぐに弾けるのが目に見えている。
『周りが買うから自分も』という考えが、バブル犠牲者の発想。止めなさい!」と、ハギレはよい。
 安倍内閣が発足、現在の日銀総裁が立候補をした時、「日銀総裁になりたいポチが尾っぽを振っているだけ」
と切って捨てた。 FRBのバーナンキンが無制限に札を刷って、目先のアメリカ経済の崩壊を引き延ばしたのと、
日本とは違う。彼らは世界の制空権を持ち、海軍力も世界一、言語も世界共通語の英語。その上、基軸通貨の発行国。
ドルを幾らでも刷って、それを米国債で回収するか、暴落に誘導すれば借金はチャラ。それと、デフォルトの手がある。
その米国を真似れば、待っているのは破滅。 米国予算が議会で否決、デフォルトをすれば、世界経済は大混乱になる。
『ひょっとすると、隠れた世界戦略』で、やってくる可能性が充分ある。リーマンショックで、世界の金融機関に
隠された不良債権ともども、焼き払うために?金融の世界大戦と割切ってくる可能性は充分にある。数年内に、火の海?
日本は米国債を4〜500兆円も持っている? ・・ 世界が火の海になろうという時、東京オリンピック誘致に成功!
と、浮かれている。景気浮揚より、国民の目を逸らすため? 阿部の横で、麻生が「アフォ違うねん、パーなんで」と
フザけているパロディのイメージが、浮かんできた。悲しいかなA・B層の質の低下、特にB層が国を滅ぼす。
ーーー
2013/06/19
アベノミクスへの疑問
 アベノミクスの危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ取っていた。
再び、とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は真逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。何人かの経済学者が、アベノミクスに批判をしているが、
円安、株高の現象の前に表立ってない。 先日、図書館で借りてきた文藝春秋4月号に、ー神谷秀樹のレポートー
アベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。 ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
 ★ 〜ブログにゃんとま〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、
 彼らのほうが正しいことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗り一儲けしたい投機家ばかり。
「持続可能な経済基盤」を構築するものには、人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。だが、これは完璧に間違った認識、市場には金があり
 余っている。企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が
 上がっているだけの話だ。 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、
 国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 *「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 *「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。しかし、この政策は完璧に破綻。 
「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くの妄想で、「国際的に価格競争力を失ったのは
円高のせいだ」というのもの妄想。 競争力を失った理由は、同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、
製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは「失われた二十年」で学んだ筈だったが、
  実際には学んでいなかったようだ。ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど、大きな破綻を日本に
 もたらし、その時はもう復活不可能な致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来ようはずがない。アベノミクスは、
 一部の輸出産業と大手の金融機関が目先のプラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
二ヶ月前の地元の高校の同級会で、当初からのメンバー12〜3名のうち、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、
廃業、経営責任の辞任、自殺に追い込まれた。過半数近くである。 
そう遠くないある日、中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 
ーーー
013/04/01  
閑話小題 ー要は、アベノミクスとは?
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。
その二人が偶発的に首相と副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗したところで、
政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの付けは国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、
銀行を通して国債を買わせることで周りまわって戻ってくる。 一度、ハイパーインフレにし、銀行閉鎖するなどの
荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。 世界は通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし
銀行閉鎖も含め、一より出直しすべし 」ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。
そして、責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
ーーー
2013/03/07  
閑話小題 ーアフォノミックスとは
  * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったもの。経済評論家の浜規子が先日、
アベノミクスの内容を問われ、「アフォ(ノミックス)そのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を
投与するようで気持ちが悪い。今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。
 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、当を得たりと納得をした。
この事態を招いた戦犯達の主犯格の安部と麻生が、首相、副首相とは漫画の世界。殆ど、それを知っているから
恐ろしい。7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界か。しかし見渡す限り阿部しかいないのが現実。
一度チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも手か。この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。円安も効いて、あの元気にみえていた経済も崩壊過程。輸出依存度を
見ると、日本14% 、中国26%、アメリカ10%に対し、韓国は50%。日本は貿易立国と言 われるが、実際には
内需大国。それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響を直撃し、急激に悪化。
世界的動乱は、国力がある方が有利。資源があり、海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードする
しかない。体力を疲弊をした日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、TPPの参加は当然のこと。
 明治維新も、太平洋戦争敗戦も、今回もアメリカに屈した更なる開国。アメリカにとって、どれも世界戦略の
一つでしかない。韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。中国も北朝鮮を庭先の
番犬で飼っている。ここにロシアが絡んでくると、1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。
そうすると、保守本流の安部と麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」である。  


4961,閑話小題 ー齢は68になって

2014年10月14日(火)

   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。まさか自分がである。
周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。
中、高、大学の男たちの4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老いていくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7〜8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、世界への関心は、
ますます強くなっている。 このところ歩いていて、20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。
 何事も面倒になるし、頭の切替えが以前ほどきかない。
 人生の多くを、し尽した感があるので、さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。
その時々に、やるべきことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、老いもまた乗り越えて
いける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、家内が生きものが大嫌い。
そこで、何とか小型の小桜インコに妥協して飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだり
した6代目の後、5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年余りで
死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、その利口さに驚かされた。
小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、
頭を撫ぜてもらうのが大好き。しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。コガネインコに比べ、反応は
低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて
振り返させ、枝を回転して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、渡り鳥などの野鳥が
反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。夕暮れ頃に、野鳥が一匹、必ず挨拶に来ているが、
そろそろ渡りの時期である。

・・・・・・
4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
   * 生き直すために ー2        ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。サッカー観戦、自転車、イグアナも、
時間を潰すため。酒をやめることで仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標で
はない。 AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」と言わされる。
これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んでいると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある限り、人生のやり直しは
できない。就職のやり直しにしても、結局は運です。「夢に向かって努力する」では、こだわりで
がんじがらめになるだけ。自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、その空白に強制的に
何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。会社を辞めたことも、酒と一緒に
それまでの生活を捨てたことで多くを失いましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れた
ものも明らかにある。あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革するなんて不可能。
ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、何かを「目指す」のではなく、
「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、ガンなどで余命が
見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている人が多い。晩年になれば、今さら
生き直すことは出来ないが、考えるために、極限の秘境ツアーは悪くない。
被災地視察という名の「ダークツアー」に似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに
目をつぶって倒れこむ」しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。といって、覚悟が
必要で、そのための周到な準備が必要。最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。
・・・・・・
4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
   * 有神論と理神論と汎神論      ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す
代わりに、この理論を、答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を
加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が不思議でたまらない。
「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した
『神』をイメージした」と一言でかたずけられない。神という言葉の解釈がいくらでも
可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な
仕事に加えて、自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしている
ような超自然的知性の存在を信じている。多くの有神論的な信仰体系においては、神は
人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、あるいは罰する。
奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを
知っている。理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を
支配する法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、
人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、超自然的な神をまったく
信じないが、神という単語を超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは宇宙の
仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、
罪や餓悔に関心をもたず、私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって
干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神の
ように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な知性である点で
汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。
「神は老獪なれど、悪意はない」や「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に
選択肢があったのか」といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく
汎神論であり、まちがっても有神論ではない。「神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の
核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべき。「宇宙を創造するときに
神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができた
だろうか?」という意味である。
アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫
▼読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。
日本人からみれば、何を今さらだが。「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」
という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。
・・・・・・・
3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)
 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何
しようか?」と考えた時に、曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。
そうすると9年しかない。 そこで考えついたのが、「残りの人生を、50歳代の9年間の中に
押し込んで生きる」ことであった。 想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に圧縮して生きる
ことである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思いついたのが
秘境・異郷ツアー。行きたいところをピックアップし、何はともあれ行くことにした。 年に4回も
行った年もあった。 更に10年前の55歳の時に、個人HPを作って、それを公開し思いの
ままを書き出すことにした。丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。
これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。
毎年10パーセントの売上減が3年続いた。そして4年目に入って中越地震が起き、逆に
売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期借り入れの返済原資を
三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。
その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。その結果60歳辺りから心に
大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚である。人生の元を取った実感は、
心に大きな安心感を持たせてくれる。 その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数
パーセントの売上げ減の中でも、そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを
保させてくれている。準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、この結果
としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、人生のページの余白を
埋めた為。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が
達成できなかった夢も、余裕を持って諦められる。それから考えると一年一年、自分の経験の
範囲での余白を、捨て身で埋めることが残された人生の課題ということが分かる。
70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。
60歳前半は、リーマンショックでエネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖に
なってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、捨て身で後片付けを
する時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。
60歳代は、世界の激変の真っ只中、それへの適応時期になる。時速数千キロで回転している
地球上に我々は住んでいるが、周囲も同時に回っているため、それを自覚できない。
時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。人間は現象との情死?しかないのか。
 自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 
さて、信濃川のポタリングに出るか。
 ・・・・・・
3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    
2010年10月14日(木)
             「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著
 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」
鬼塚 英昭の最近の著書である。要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を
共有するために、金を値上がりさせ、2011年か2012年の早い時期に金バブルを崩壊させて、
下がりきった金を買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と
信じ込ませてきた。わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が
現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。これを著者はロスチャイルドと
金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に金価格の暴落を
はかり、逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年の
プラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、大幅な金融緩和をアメリカに強要された。
そしてバブルの発生と、
崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。バブル崩壊後に狙い通りに
ユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、
ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を
束ねて世界中にばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要の
ロスチャイルドが仕組んだ罠という。ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨
システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、次にバブル崩壊を狙っている。
それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。
 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易に
させる手立てになる。 大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、
おかしく書いてある。 ー つづく
 ・・・・・・・・・
3114, つれづれに ー閑話小題 
2009年10月14日(水)
   * 低反発マクラ
 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。
(次数制限のためカット 2012年10月14日)
   * 最近の万歩計
20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて
年間1万5千歩を数年の間歩いていた。(次数制限のためカット 2011年10月14日)
・・・・・・・・・
2749, ソロスは警告する −2
 2008年10月14日(火)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社   ー読書日記ー
『アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、
欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、
エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に
大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、
このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。
歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、
ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。
 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、
 ー松藤民輔(解説文)よりー
 (次数制限のためカット 2011年10月14日)
・・・・・・・・・
2007年10月14日(日)
 2385, 私の嫌いな10の人びと −3
「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)  ー読書日記
2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する
日本人の感覚に疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。
この人の本を何冊も何度も読んだが、一度ひいてみれば、所詮「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」
でしかない。英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。
営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。
 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日)

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