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堀井On-Line
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2014年08月30日(土)
『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 * 重介護5のスーパー闘病記 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上であることに気づくのは、 失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、 10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。 実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、去年の12月に、不自由な ベッドで書いた『一度、死んでみましたが』というスーパー闘病エッセーを出していた。 コラムニスト復帰の第一弾の本を、偶然、図書館で見つけ、借りてきた。 脳の大手術で、現在も殆ど動くことができず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、 この書を読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。50歳半ばから 還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、癌で死んでいるが、どれもこれも、 最期は壮絶な状態。これは、その実況中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、 そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。 「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子さんのレビューより ≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許しいただきたい。 本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気になれなかった。怖かったのだ。 父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん百%ではない。ページを繰っていけば、 彼がこれまで積み上げてきたものが、私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまう のではないか、そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても紡ぎ 出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、以前の筆者にも書けなかった のかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の修飾語を用いながら、ページを埋め尽くす のが豊穣な表現だとするならば、この本はそれには当たらないかもしれない。 むしろ、そのような表現は全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。 少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現はあり得なかったのだろう。 切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、ミスタッチだと思われかねないフレーズ。 彼の憧れたジャズピアニストを思い出す、なんていったら笑われるだろうか。 ・・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」とは「友人」とは、 そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのあるテーマについて、文章を書いている その瞬間の筆者にとっての虚飾のない、研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに 思われながら、どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。 くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち止まって 「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。 ≫ ▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を味わうしかない。 どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい人のようだが・・ 本人は、このスーパー 闘病記を、自分の愛読者に読んでもらうことが、慰めのようだ。 私のエッセイ『事業人生を決心して・・』の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、 この事態になった」と吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。 ・・・・・・ 4549, 六韜三略 2013年08月30日(金) 学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時の面白さと驚きは 今でも憶えている。純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の学生時代に読んでいたため、社会に 出てから丁度良い手引き書になっていた。この思想を通して人間をみると、その心底が透き通って 見えるようで、世俗が幼稚に思えてくる。ー当時の感想はー 《人間は欲で動いているが、それを隠して綺麗ごとを並びたてる社会的動物。それを前提に一切を 無にして諸現象を一度、疑ってみること。そして冷静に本質を捉えること。利害対立の場に立った 場合は、よりシリアスに徹すべし》。 そう割り切ると、誠意の外面の奧に隠された心底が手に取るように見て取れた。 これに学生時代の ゼミの(現象の)事例研究が叩き込まれていれば、アウトサイダーになるのは自然。 人生に戦略的である必要性を、この書で実感。人生への鳥瞰の視線でもある。 ーネットで、『六韜三略』を検索するとー 《「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六篇からなることによる。「韜」は弓袋( 秘訣)。 「略」は機略の意味。「三略」は、上略、中略、下略の三篇からなることによる。 二つとも 「太公望の兵法」であるから、主張を統一して判断すべしというスタンス。もう一 つは内容である。 『六韜』が兵法のうち戦略・謀略を担っているのに対し、『三略』が政治思想、軍事思想を担っている。『三略』はリーダーの書、 『六韜』はマネージャー の書 ... 》 《 劉邦の軍師となって漢の国の柱石となる張良が、若い頃、行きずりの老人から「明朝5時、 ここに来い」と命じられた。言われたとおりその場所に行くと老人はもう来ていて、「年寄りを 待たせおって。また明日だ」と言って去った。 翌朝、今度は3時に行ってみると、また老人は 待っていて「まだまだだ」と同じように去る。 張良は意地になって「今度は絶対に待たせない」 と徹夜して老人を待った。すると老人はニコニコと笑って六冊の書物を渡し、「よく勉強して 世のためになれ」と肩を叩いた。『六韜』は「虎」「竜」を始めとした六巻の兵法書で、 「虎の巻」の語源。『三略』は、前・中・後の三巻からなる兵法書で、『六韜三略』は中国は もちろん日本の戦国大名の兵法書としても親しまれた。》 《 中国の兵書、六韜と三略の2書。前者は太公望呂尚、後者は黄石公の撰述と伝え、 併称して韜略の書という。 いずれも後世の偽書であるが、宋代、『武経七書』のうちに 組み入れられ、中国古兵法の教科書として広く読まれてきた。・六韜は周の文王・武王の 問いに対し、呂尚が経世済民の術、富国強兵の策を説くもの 》 ▼ これを参考に黙し対処したら、これほど難しい相手はいない・・ この書を通すと、面白いように 物事が透けてくる。心静かに、これを読み続ければ、その中の原理原則が己を導いてくれる・・ 学生時代に、この二書を読んでいたので、いざこざの真只中で、対峙した人の言葉を一度、 突き放し、疑い、静かに自問自答する余裕が出来ていた。問題は、その都度 「正中心一点無の心境で道理は何かを考える」しか解決は出来ない。 ・・・・・・ 4174, 閑話小題 ー電機メーカーの苦境 2012年08月30日(木) * 電機メーカーの苦境 日本の電機各社が苦境に陥っていると、マスコミを騒ぎ出している。 この原因が、あのエコポイント。電機メーカーにとって、神風になり大きな利益を確保したが、 その間に韓国などのメーカーが主力商品に力をつけ日本が太刀打ち出来なくなっていた。 数年前まで、薄型TVで勝ち組だったシャープが死に体で倒産の危機になり、同じく恩恵を受けた ソニーとパナソニック、東芝、日立の各社が数千億の赤字というから尋常ではない。 世界に名立たる日本のブランドが、今や苦境に立っている。 耳を疑うが、これが現実である。 現在、同じことが自動車で行われている。 どうしたというのだろうか。 中小企業救済法も 今となれば、良かったのか悪かったのか? しかし、産業の不振は日本に限ったことでない 世界的な流れ。 スマートフォンとタブレットPC、この中に、電話、テレビ、パソコン、デジカメ、 ビデオ、全ての機能が入って同じ位の値段なら電子機器が売れなくなるのは当然。 日本のメーカーが、専用機種に目を奪われている間に、マックや韓国メーカーが、ここに集中して いたのである。日本のメーカーは決定的なミスを犯してしまった。10年前、5年前なら 考えられない事態が、目の前に起こっている。 グローバル化は恐ろしい。 * 地元経済は、ますます悪化 先日、3ヶ月ぶりに自宅に送付されてきた一連の書類を持って弁護事務所に行き弁護士と 30分位、世情話になった。中越地区の景気状況は、来春の「中小企業特別救済立法」の 打ち切りに向けての動きが顕著になっており、その上に刈羽原発の休止にともない関連の 5千人の従業者のうち3千人が、この秋に整理される。更に小千谷にある 大手の工場も雲行きが怪しい。それらから景気は一段と悪化しているという。一線から退くと 生の情報は殆んど入ってこなくなる。必要がないからもあるが。この9月から12月にかけて、 リーマンショック並みの一大イベントが発生する可能性が大と見ているが、その前兆の波か、 それとも思い過しなのか? 景気は一段と悪化の道をたどっているようだ。 ・・・・・・ 3809, つれづれに 2011年08月30日(火) ▼ 収まる所に収まった民主党党首 最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙だった。 しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、どちらが相応しいかはTV画面が正直に語っている。 しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測されたが、党員も、その歴然とした差に、 野田に雪崩をうっていったようだ(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが 勝因ともいうが)。その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎた こともあり、一人光っていた。 【 二年前に政権についたが、国民からみて期待はずれの結果しか出せなかった。 次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、この国難とマニフェストを達成しなくては ならない。大震災の国難を乗り切るためには、 野党との大連合を考え、かつ党内融和も必要。 また赤字の国家財政と、大震災を乗り切るためには増税もやむをえない】 この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党も含めて、 これをいうと世論受けしないとか何とかのジレンマに陥っていた。 小泉も含めて、この数代の 首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。 菅首相の直後では、やりやすいだろうが、 この日本の政治と経済の惨状下では、それもどうか?まさか、海江田とか、あれ、ではね。 これで当分は、少しは政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。 ▼ あれから5ヶ月 あれから5ヶ月になる。 事業期間三十年のうち、初めの10年が登り。次の10年間は バブル崩壊の日本経済の混乱の最中、逆に積極策に出て客室を増やした(これが、今回の倒産の 間接原因になる)。 最後の10年の始まりが9・11で、二度の中越大地震、三年前のリーマン ショックの直撃、とどめが半年前の東北大地震。その中で一番の打撃が、リーマンショック。 この影響は、まだまだ序盤で本格的津波=大恐慌は、この秋口からアメリカから世界、そして 日本に吹き荒れること必定。この二十年、日本の政治は混乱を極め国家の態をなさないほど 疲弊してした。それと比例して、この今回の倒産である。事業がビジネスホテル。 ネットなどの情報化と、長期不況による新幹線日帰り二時間圏と、客室在庫の過剰もあり、 その対応不能に陥り、この結果である。逆に、ここまで次々の大波で悪化すると諦めがつくもの。 後悔とか未練は少なくなる。事業として荒波に飲み込まれたと同時に、業態の老衰ということもある。 しかし全体として、面白い経験をさせて貰ったと感謝している。それにしても、日本経済、どうなる のだろう。 この三年間は大暴風雨になる。 特に地方経済は、来るところまで来ているから、なお。 ・・・・・・・・ 3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1 2010年08月30日(月) * 海外旅行に見せられて これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。 その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、 現場で撮った写真と言葉。人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを 如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、 対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた自分の人生の 卑小さが何とも滑稽に感じることがある。それが気持ちに余裕を持てるのが収穫。まずは、 思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。 それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。秘・異郷旅行での最大の収穫は、 想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。 その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で 経験しているものと同じだろう。世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、 あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、 ここまでノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、 これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。 「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。 一点豪華主義としても、贅沢。 ・・・・・・・ 3069,新インフルエンザの恐怖 2009年08月30日(日) 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。 どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。 先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との 違いを説明をしていた。その内容とは、 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ 呼吸などが困難になる。 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。 だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。 (次数制限のためカット 2011年8月30日) ・・・・・・・・・ 2704、共同幻想を抱いていただけ? 2008年08月30日(土) 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。 一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。そして右肩上がり人間圏の拡大が 共同幻想だったことを、人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、 農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。 これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に 交換可能とか、神様の存在とか、人間の命は地球より重いとか、民主主義、市場主義経済とか、 自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。21世紀の人間圏にとって、その崩壊の 引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と認識されたときである。 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、情報が個人に 拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という 面では理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。 それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー 共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。吉本は、自分の共同幻想とは、 マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかった と述べている。吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は3種類に分類されると提唱。 ▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。 ▼ 対幻想 = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。 ▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、 布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえで この3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事であると主張する。 これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。 例えば、吉本は心理学者のフロイトは リビドーと言う対幻想性を、社会領域まで無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると 批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。 外弁慶、内弁慶という言葉があるように、冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親で あったり、逆に職場では物静かな男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなどということは、 充分ありえる。吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張。 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、 労働力を売りに 来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 〜〜〜 以上だが、 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。 地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしか ないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、 極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。地球の外から 俯瞰すれば、そういうことである。そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である 自分を振り返り、「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。 恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに見える宇宙的な俯瞰の 視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。 ・・・・・・・・・・ 2007年08月30日(木) 2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢 (字数の関係でカット14年08月30日)
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| 4915,閑話小題 ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」 |
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2014年08月29日(金)
宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。これはスターの内的要素の骨格である。 「ブスの25か条」 「美人の25か条」 1.笑顔がない ⇒ 常に笑顔で 2.お礼を言わない ⇒ 前回のお礼の挨拶から 3.美味しいと言わない ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に 4.精気がない ⇒ 精気を満たす 5.自信がない ⇒ 自信を持てる何かを持つ 6.愚痴をこぼす ⇒ 愚痴は言わない 7.希望や信念がない ⇒ 希望と信念を持つ 8.いつも周囲が悪いと思っている ⇒ 周囲のお陰様に気づく 9.自分がブスであることを知らない ⇒ 自分の程度をわきまえる 10.声が小さくイジケている ⇒ 声が大きく溌剌としている 11.なんでもないことに傷つく ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に 12.他人に嫉妬する ⇒ 他人の美点を凝視する 13.目が輝いていない ⇒ 何ごとにも興味をもつ 14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる 15.責任転嫁がうまい ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ 16.他人をうらやむ ⇒ 人を賛美する 17.悲観的に物事を考える ⇒ 楽観的に、そのためには教養を 18.問題意識を持っていない ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける 19.他人に尽くさない ⇒ 人の役にたつ生き方を 20.他人を信じない ⇒ 信じられるだけの知識を持つ 21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ 22.謙虚さがなく傲慢である ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ 23.他人のアドバイスや忠告を受け入れない ⇒ アドバイス、忠告を聞き、受け入れる 24.自分が最も正しいと信じ込んでいる ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと 25.存在自体が周囲を暗くする ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること ▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、誰もがブスの要素が 多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの 輝きを心掛けるため。物理的貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。タカラジェンヌのミニスターを、 まず彼女たちは演じることから始まる。そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 幸せへの道しるべ!である。 ・・・・・・ 4548, 2050年の世界 ー1 2013年08月29日(木) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 2050年までを見通すことで現在を理解できる 何気なく図書館の返却コーナーで手にとった本だが、英『エコノミスト』誌の各ジャーナリストが 20の分野で予測。これが面白いが限界も見て取れる。この激動の時代に、40年先の予測など 所詮は無理な分野もあるが、人口趨勢など予測可能な分野もある。だから面白い。 5〜10年先を予測したければ、40年先を考えてみればよい。 ーアマゾンの内容説明ー 〈 2050年日本のGNPは韓国の半分になる。グローバルな一流誌 英エコノミスト誌が、総力をあげ、科学、政治、人口、経済、女性、などの20の分野で2050年までの 世界を予想 〉まずは‘はじめにー「2050年までを見通すことで現在を理解できる」’の冒頭より ≪ 世界人口が10億人になったのは、18OO年ごろのことだが、それまでに人類は20数万年の 歳月を費やしている。ところが、 60億人から2011年の70億人に違するまで要した時間はわずか 10数年。このような変化に驚くほどの速さで展開する大規模な変化は―メガチェンジーと呼ぷに ふさわしいもの。実際、わたしたちはメガチェンジに囲まれている。技術は信じられないほどの スピードで拡散しており、ネットや携帯電話の進歩は言うに及ばず、現在ではコンピューターから 大量の情報を入手したり、フェイスプックやツイッターなどのソーシャル・ネットワークを通じて、 大量情報を受信したり、発信することが可能である。また、世界経済は私たちの目の前で着々と アジアへ重心を移している。このような変化はどれも、人々の生活と、企業の戦略と、国家の政策と、 地球の将来展望に深遠な影響を与える。 ー本書は2の重要な目的を持っているー ☆ 第一の目的は、人々の健康から財産まで、あらゆる側面から世界を変革するトレンドを特定し 探求することだ。本書では、身の周りの話題をひとつひとつ論じてみたい。この手法を採用すれば、 わたしたちは、ヘリコプターから地上を見下ろすように、俯瞰図を掌握することができるだろう。 ☆ 第二の目的は、第一の目的で確認したトレンドにより、2050年の世界がどのように形作られるか を予測することだ。一見すると、これは非常識なほど大きな野望かもしれない。ダン・ガードナーが 自著「専門家の予測はサルにも劣る」で論じた、人類の歴史には百パーセントデタラメな予言が のらべられている。1914年、英国人ジャーナリストのブレールスフォードは、「近代国家間の国境の 線引きが最終決定されたことは、政治的にはこれ以上ないというほど確実である。 私見を述べると、今後、既存の六大国間で戦争は勃発しないだろう」と記した。第一次世界大戦が 始まったのはその直後。米国経済学者のフィッシヤーが「わたしの予想では、これから数カ月の間に 株式市場は大幅に上昇する」と予言したのも、1929年の株価大暴落が起きる1週間前。 果たして人間が未来を知ることは可能なのか? あすの天気を予想するのさえ難かしいのに 40年後の世界をどうして描き出せるのか? おそらくこの四十年のあいだに、わたしたちは ブラック・スワンの詳れを絶えず目撃させられるはずだとはいえ、未来を予測してみる価値はある。 奇妙だが、2050年を予測することは、来週や来年を予想することよりも簡単。 実際、ナシム・タレブも一世代以上先の予測を好んでいる。 長い年月で「今日において 脆弱なものが壊れて消える」からだ。》 ▼ 次回から、めぼしい部分を抜粋しながら考えてみる。40年前といえば、文化大革命が終盤を 迎えていた頃。そこで、現在の中国を予測できただろうか? その十数年後にソ連の崩壊、東欧の 共産圏の消滅。日本のバブルと崩壊。その10年後の9・11テロ、7年後のリーマンショック、 その3年後の東北大震災。それより、世界中の人々が形態パソコンを持ち、ネットで繋がるとは 誰が予測できただろう。40年後に私は存在していなくとも、どんな時代か考えるだけで面白い! ・・・・・・ 4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2 2012年08月29日(水) * 二つの違った未来観 ! 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著 ー 西洋と東洋の認知の違いはなくなるか ー フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違いである。 20世紀に入ってから、哲学が、決して西洋が文明的に優れているのではないという構造主義の 考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、そして、地球環境も同時に見ていかなければ ならない時代になってきている。3・11震災がもたらした原発事故が、それを我々に突きつけた。 この対立は、避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。 ー まずは、その部分から ≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で戦わされている。 ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、世界の政治経済システムが一極に 収束し、それに伴って価値も一極化していくことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続く ことを予測するものである。フクヤマは著書『歴史の終わり』のなかで、資本主義と民主主義が勝利を おさめた今、面白い出来事を生み出すような切迫した力はもはや存在しないと述べている。 片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を続けると予測している。 社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく異なり、ハンチントンは世界がまさに 『文明の衝突』を迎えようとしていると断言する。東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団に おける価値観や世界観の違いは調整不可能であり、したがって対立は避けられない。 「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を信じる西洋人たちの 信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだということ、道徳に反するということ、 そして危険だということである」 言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、 人の心の中はどこへ行っても同じだろう。逆に、文明の衝突が避けられないならば、思考の習慣は 多極化を続けるだろう。 ・・・・ フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。アメリカ人は、誰もが 根はアメリカ人か、そうでなければ、これからアメリカ人になると思っている。 ・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を 聴いて、アメリカ映画とTVを見ている。 逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に 同化しつつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想にもとずく幻想である。 社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは政治的な 対立よりむしろ、文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫ ▼「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見えてくる。 和魂洋才という言葉が、それをあらわしている。情報化の進展で世界がグローバル化された現在、 決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべき。これは日本だけでない。 トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。矛盾があっても乗り越えて である。いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界がネットで情報が共有された現実がある。 それゆえの混乱は激しくなるのは当然。 ・・・・・・ 3808, 哲学人 ー⑧ 2011年08月29日(月) ● 社会主義〜 妄想的理想社会への逃避 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を見抜いていたつもりだった。 経済も社会も、国家単位の計画で成立するはずがない。「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で 進化する。その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く進むなどありえない」という 単純な考えから抜け出れなかったのが本当だったが。 ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響を うけたと述べている。人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に「資本論」を上げている。 しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったとも、述べている。 【 * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー 二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、二週間は朝も昼も晩もひたすら 『資本論』を読みつづけた。じっくりと読み進め、書いてある内容について考えたくなったら、いつでも本を置いて 好きなだけ黙想し、散歩をしながら重要な一節について思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いを めぐらせたりする。そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。 プラトンの『対話編』、『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの『純粋理性批判』、ショーペンハウワーの 『意志と表象としての世界』、『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、アインシュタインの 『一般相対性理論』ぐらいだろう。こういった本が私を変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された 考え方をするほど夢中になったということであり、もし読んでいなかったとしたら、いまのような人間になっていた とは思えないということである。誰であれ、そんなふうに言える本はめったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、 で同じことがあてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、作曲家は七、八人といったところだろう。 もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の考え方や人格にじわじわと影響を及ぽし、自覚できる変化を自我に 生じさせた張本人と特定できる作家は、少数である。ここに挙げた書物の半分はドイツ語圏の作家によるものだが、 この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、時代も同じであるという事実を加えてもいいのは、私の精神生活が どんなものであるかを示唆している。『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の歴史である。 にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れて いったけれども、けっして消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には不変の価値が あると思っている。彼は偉大な作家であり、大人物でもある。その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところが あるとしても、である。『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。 私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、読まないための口実としか思えない。『資本論』は名著である。 世界史上、指折りの影響力をもつ書物であるのは確かである。 】 ▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想であって、現実にはそぐわないことを 立証した結果になった。そこに起こったのは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、 国家経済の疲弊である。熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の餓死などの犠牲者を出し 証明された。まだ残存は残っているが。 ・・・・・・・ 3443, 最近の昼飯事情 2010年08月29日(日) * まさか昼飯がパン食になるとは! 最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーで買ってくるパン食に切かえた。 時どき弁当もあるが、どうも 冷えた弁当は部屋で食べるにはそぐわない。レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなもので パセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに巻かれている。若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。 以前は、他にカレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。この歳になると、味は美味しく、サッパリして、 腹に持たないものを求める。とすると女性向きにつくられたものが丁度良い。30年近くのランチャーも卒業で、 お部屋でヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にあるスーパーの弁当コーナーを見ると、 300円弱から400円辺りが中心プライス。月に3〜4回は買うが、何かイマイチ。駅のベーカリーにイートインの コーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと競合しているが、殆どが女性客。 早い時間から客席は半数以上は埋まっている。最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。 最近、ほぼ同じものが地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元のベーカリーチェーンを 買収して、自社店舗内に出店している。土日のどちらか一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを 飲むのが楽しみの一つ。昼にパン食に切り替えてから体重が1〜2キロほど痩せたが、これで20歳半ばの体重に戻った。 歳相応になったということか。 それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。 ・・・・・・・・ 3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると! 2009年08月29日(土) 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なり見える。 サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナを掴むと手が抜けない。そこを捕獲すると いう逸話がある(本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。 翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。 * 民主党の大勝に意味すること 《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民の失意の結果。 (字数制限のためカット 2011年8月29日) ・・・・・・・・ 2703, 「レンタルの思想」−7 2008年08月29日(金) 地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、生成されたもの。 聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 趣味の究極は石になるというが、 それもまた同じ理由なのかもしれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。 全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。 〜〜 「宗教の隕石学」への挑戦 松井孝典×植島啓司 *聖地の岩石学 松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、みんな石切り場だ」ということです。 植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。 松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。 植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して出会ったものは「石」であった。 エルサレムの黄金のドームは「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。 聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 ストーンサークル(環状列石)、 岩石刻文の宝庫であり、 パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、エジプトの ピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。 植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、なぜ石なのか、石には何か特殊の 力があったのか。・・・ 古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。 ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。 石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・ 松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、巨大隕石の衝突と地球史・生命史を 結びつける考え方は、科学では退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在や 考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあったかもしれない。 松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が報告されているが、これが人間が 少ない時に大空から大音響とともに火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。 ▼ 解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。 私も多くの聖地を見てきたが、全てが石組みであった。 (字数制限のためカット 2014年8月29日)
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| 4914,閑話小題 ー代々木ゼミナールの7割の校舎が閉鎖 |
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2014年08月28日(木)
* 代々木ゼミナの7割の校舎が閉鎖 「代々木ゼミは、三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、全国に校舎を展開して きたが、 少子化に伴う受験生の減少などで、29の校舎のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖 する方針を決めた」 というニュースが数日前に一斉に流れたが、 隔世の感がする。 ーネットによるとー 《 ・ピーク時には41万人の予備校生が、今では6万人。近年は大学全入時代に入り、浪人生の数も 減少している。 不況が続いた中で家庭でかけられる教育費が非常に少なくなって、浪人をすることに ブレーキがかかっている。 ・大学入学者の浪人生の割合は1985年の約4割から約1割に減少。その上に、1990年の85%が 予備校依率存が、現在では30%まで下落している。 ・1980年代の半ば頃から生徒数が減少し,90年代以降,その速度がさらに高まった。 1990年では14万2千人だったのが,2000年には4万9千人になり,2011年の2万4千人に 至っている。ピークの1977年を基準とすると, 予備校生の数はおよそ10分の1にまで減った。 ・大学進学率は1966年に16.1%だったが76年には38.6%、今では50%と大幅に上昇、 受験戦争という言葉も登場するほど大学進学は当り前になり、予備校は急成長を遂げた。 中でも代々木ゼミナール・駿台予備校・河合塾は 三大予備校と呼ばれた。 ◎河合塾は理系の国公立、◎駿台予備校は特に難関国公立大学、◎代々木ゼミナールは 私立文系の大学受験を中心に浪人生向けの大学受験指導をしてきたが、そこに市場の規模が 大幅に縮小したことが大きな要因である。》 ▼ 今では私立大学の45%が定員割れ、浪人をする必要が無くなった。ネット活用で自宅浪人も 可能なことや、東進ゼミのような『衛星放送ゼミ』で、地方各地でも一流講師の授業が聞けるのも 大きなマイナス要因である。私の事業で、売上が3分1に驚いた現象より劇的である。20年前に、 新潟に代ゼミが進出した直後に、新潟予備校が倒産したが、今度は、その代ゼミが時代の潮流に 直撃したことになる。 校舎は転用可能のようだが、不動産業として生き残れるか、どうかである。 次にくるのは専門学校の類。崩壊過程が既に始まっている?・・ グローバル化、情報化による 「隠れた大恐慌」が引き起こしている「中産階級総崩壊」の、一象徴である! ・・・・・・ 4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ 2013年08月28日(水) * 秘異境ツアーからのフラッシュ 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。 アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現するのに各人の 「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。 秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、それを解釈をしている 余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアー だけではないが。還暦を過ぎた頃から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。 家内とは40回近くともに旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のよう に行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多くの記憶が 蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来たことに感謝している。 『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。 * 消費税の増税の是非 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。 それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな負担が被ってくる。 それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。しかし現在の財政事情からみたら、 消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、上げないも地獄なら上げるしかない。 現在の年金の収入では、月に10万円持ち出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで 持ち出しは少しは減るが。当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、 古屋は敬遠されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。 自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。 家の中は要らない物のゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。 で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本から精算するしか ないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は無理の中、外国へのポーズとしても、 増税は99%は、やってくる! ・・・・・・ 4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 2012年08月28日(火) * 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著 最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、 私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している 範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思って いても、思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が 変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。 「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。論理的に正しい文章は、 日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていた としたら、認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。 緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 ー以下の部分は、その部分ー ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ) 単純な規則によって理解可能である」との前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリー に分類することに強い関心をもっている。 なぜなら、分類することによって、今問題となってい る対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な 論理規則を適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈の なかで捉える。 アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するため には常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。形式論理学はほとんど 問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。 私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。 もし彼らが正しければ認知科学者は間違っていたことになる。つまり、「人間の認知はどこでも みな同じ、ではない」のだ。人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、 実は思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、 彼らなりの「形而上学」を有している。 第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。 言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を認知するということである。 注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ 信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の 他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い 視野で世界を眺める傾向をもっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの 要因が関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの 独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して 観察する傾向をもっている。≫ ▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、 西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされ、西洋人が特定の事物を 周囲の文脈から切り離して観察する傾向をもっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る 東洋人」という本の題名になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。 また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然である。 それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的にひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。争いは永遠に続くことになる。 ・・・・・・ 3807, iPadを買った ー2 2011年08月28日(日) iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど「閲覧用と割り切って使う」のと 「ゲーム」に適している。ゲームやアプリを取り入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」 になる。これまでのPCを固定電話に喩えると、これは携帯電話、それもモバイル携帯に一挙に進化したもの。 もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが 大型化しただけ?と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。まずよいのは画面を横にスクロールすると、 ページが次々と切り替わる。 これがアイコンの分類に非常によい。一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。 二ページ目には、気に入ったブログ。三ページ目には、ダウンロードしたソフト。4ページ目は、ゲーム等々に分ける ことができる。これが使う立場からすると扱い易い。そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに溜め込む ことができる。現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに繋がる時間が圧倒的に増える。 ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。 パソコンのある机に 縛られていたのが、そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話から人々を解放したと同じで、 一度開放されたものは元に戻ることはない。その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、 キーボードで操作であった。しかし、これは直感的に画面上のタッチ操作になっている。iPhoneと、どこが違うかのか? というと、まず画面の大きさである。手帳とノートの差といえば、分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に 書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。 これは電子ノートパソコンであり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。 週刊誌や新聞も、あと数年も しないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtubeがワンタッチで直にみれる。 こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が移動していくことになる。ということは、情報が圧倒的に 個人間で増加していく。年内は私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白いものが出てきた。 これにツイッターの映像公開となり、これにネットTVときたからには、政治も、経済も、一般消費者の変化に 対応出来なって当然だろう。ネット世界が我われを覆ってきた。 ・・・・・・・ 3442, 我が家に新しいTVが −3 2010年08月28日(土) 新しいTVに切り替えて二週間になる。 画面の鮮明さは説明するのが難しいほど。時間が経過しても驚きは 消えない。ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。 剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。 その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、ほぼ見なくなった。 マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。それと対象をリアルに変えてしまうのである。 米国の本格的な映画も、これまでと違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、 やはり大したしろもの。現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、より鮮明になる領域に入ってしまった。 これに3Dの立体化された映像が加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地に 実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。(現に、ある領域では達しているが)その一端を 垣間見ているのである。 実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはずはないが、視覚 ・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、これが入ると 本来の多くの機能が加わる。それが凄い。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを26時間録画したり・・) 高機能TVというより、未来の先取りのTVという感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。 しかし自分が行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、そこに深く浸かることが可能になった。 面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、画面を修正する 「おまかせ」がある。 テレビは、それぞれの家庭の居間で毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、 そのシェアが即、会社の力をあらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。 ・・・・・・・・ 3067,私の世界からみえた衆院選の予測 2009年08月28日(金) 私の世界から垣間見た、この衆院選挙の直感的予測は、民主ー325 自民ー95である。飲み会、同級会、 会社、取引先などで自民党に同情的な人は皆無という事実からみても、自民党の惨敗は間違いし、80議席以下 の可能性もある。輸出産業関連の大手企業の支配下にあった自民党政権の一番の被害者の地方の中小・零細企業や 農水産関連の人たちの怨念は深い。小泉劇場での郵政民営化の争点だけに国民の目を向けて、旧守派潰しの芝居を つくりあげて大勝をした。 そして、自分も含めた4人の元総理などの二代目、三代目に政権のタライマワシをして 自分たちの権益を守ってきた。日本国家の戦略の布石を試みたが、実力不足で出来なかった。 最後は麻生の質の 悪さの露呈である。これでは、国民は怒りを通りこし侮蔑の感を持つのは当然のこと。 小泉が薄ら笑いを浮かべて、 《私の手法のワンフレーズの「郵政民営化・自民党を叩き壊す」を、今度は民主党が「政権交代・官僚支配の打破」 の切り替えに成功している》とのたまっていた。 当の本人だから、その辺のことが鮮明に見えるのである。 冷静に考えれば、民主党が270議席辺りが政治的に妥当だが、自民党の4年の醜態を見れば、壊滅的破壊を 求めるのは国民感情である。 民主党の鳩山も所詮は鳩山一郎の孫で、同じ穴の狢。 政治家業の老舗の一員でしかない。 手垢のついてない日本のオバマが出る懐の深さがないのが現在の日本の現状。 民主大勝で、日本も遅ばせながら大きく政治が変わる。 あの元首相などの顔が消えるだけで、非常に喜ばしい。 あれこれ考えると、やはり民主ー325でよい。 創価学会などの政治介入を断ち切るためにもである。 その隙をついて怪しげな宗教家業屋が政界進出?だと、ったく! ・・・・・・・ 2702, 閑話小題 2008年08月28日(木) *首都圏の不動産の本格的倒産が始った アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。 一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。先日はアーバンコーポレーションが2500億円、 旧興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーションが 600億と、たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設が おこなわれている。誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3〜5年は 最低かかるので、急な景気停滞に対処できないのが、彼らの宿命である。完成時には、時代が様変わり、 というのが現在の経済状態である。数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の 特集をしていた。だいたい仕入れ値が、当初の6割。2割が経費と利益として、8割の売値が相場。 新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。これが今後5〜10年間つづく大変動の始まりか。 あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。 *星野野球のバッシングが手厳しい (字数制限のためカット 2010年8月28日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月28日(火) 2338, ホッファー −4 (*'▽'*)/☆゜ ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑ ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー 『ー 〜〜 ー は感想』 <たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである> (以下、字数の関係でカット 09年8月28日) ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
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| 4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5 |
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2014年08月27日(水)
『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著 この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、 <京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。(古今東西の幸福論を読み漁った結果) 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。> 『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど余計なものが剥ぎ取られた 人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。 ーまずは、その辺りを抜粋ー ≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であればあるほど、 「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さといったものです。暗い場所であれば あるほど、光はより明るく輝きます。それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさや たくましさがより鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの高価な 私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだうたらどうでしょうか。 高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様にお金持ちの病人を必死に励まそうとしている かもしれません。しかし「高額なお給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実が あることで、専属看護師の善意は見えにくくなります。 コルカタの路上で人間が裸同然でうごめく ように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないからこそ、薬草売りのマドウに 対する善意がはっきりと目に見えるし、それが泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。 そして、薬草売りとしての美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような 感動を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、そのためなのです。 厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるのであれば、必然的に向かう先もそこになります。 過酷な現場を見たいから行くのではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・・≫ ▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点がいった。著者が、この論を 知っていたかどうかは知らないが、克服できない不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。 3年前の節目も、実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに驚いている。 死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える様ざまな感動が、人生観を変える。 逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。 漆黒の闇の中こそ光は輝く! ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、4階が死ぬまでの葛藤? で、屋上は死、自分から解放された無限世界! (一言多いが)平屋もマンションもある・・・ ・・・・・・ 4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの? 2013年08月27日(火) * 小学、中学校の同級会で、どうしてる? 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席するけど、会社を興し、ワンマンで 好き放題のアナタが、話題が合わないはずなのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。 それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに来ないし、最初の30分さえ過ぎれば 『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、 ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」 というので、「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを味わうだけで充分良いもの」と。 地元受験高校から、1・2流?の女子短大を卒業して、実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年を した後、結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、現実の境目が分からない人が、40年、 柏崎の世界で地道に生活している人と、この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、 「どうだった?」に 「・・・・・」。 何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、 それが魂の領域であるため、が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日の午前に見てくる。 (番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに浮かび上がらせている。その手法が、車の 中のビデオカメラと二人の警官が胸に遊び心で付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、 ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影 している設定をしてあり、その目線も重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、 5分に一度の割に事件が起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いをリアルに映し 出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームにビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が交差する 物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、 面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 ・・・・・・ 4171, 閑話小題 ーつれづれに 2012年08月27日(月) * つれづれに このところ尖閣諸島、竹島や北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック 状態で、組みやすいタイミングとみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに丁度良い問題。 関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけてくれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための 目先の意図的な小競り合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、景気は減速。 韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。 極東も不安定状況になってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。 一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。 * iPad導入、一年 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。 居間と書斎に卓上型のiMacを置いているが、居間のPCは家内が専ら使っており、そこで私はiPadを使っている。 TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ読みが専らである。 気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。 それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが! ・・・・・・ 3806, 哲学人 ー 2011年08月27日(土) * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での三年間)は、一般的な遺産をひとつと、 個別的な遺産をいくつか残してくれた。一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく 西洋の歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を要するので、当然たいていの人は、 いや、かなり高学歴の人でさえもっていない。物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、 対象が音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な側面が認められる。 私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより 広い文脈に置く傾向もある。そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の状況、 その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなどを認識するのである。さらに私は、現実が 絶えず変化しつづけることを踏まえ、‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。いま起きている ことには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いるようだが、私はそうではない。過去全体がいまへと つながっているのであって、かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体としての過去の なかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない 大きな歴史の流れのなかの任意の時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の死後も つづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。 こうした思いが私の骨の髄まで染みこみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】 ▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」と思い込んでしまう。それが自分が 生きてきた時代という理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。 従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に見つめるため、 地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。グーグルアースとは別に。 ・・・・・・・ 3441, 政治談議 2010年08月27日(金) * 小沢一郎が、民主党党首に立候補 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。 この恐慌を乗り越えるには、自民党、民主党という枠を超えた大連合しかない。その断行は待ったなし。 管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来るなど考えられない。面白いもので、小沢が立候補の ニュースをみた直後、近くあった月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」を手に取ると、 週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱が小沢一郎批判をしている文に行き当たった。 田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に 立花隆が朝日新聞に痛烈な批判の文章を取上げていた。 (字数の関係でカット09年8月27) ・・・・・・・・ 3066,ウワサを考えてみる −2 2009年08月27日(木) 「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。 似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」 への虐め。違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。前者は根も葉もない デマだったと後で判明したが、後者はファジーのままで終焉したこと。「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」 というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、 心の闇に符号することには更に強くなる。 「悟りとは、平気で死ぬことでなく平気で生きること」というが、 うわさなど一々気にしていたら自分の世界を小さくするだけである。特に地方では小さい世界を更に小さくして しまうことになり、生き辛くなる。 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ)を商売のネタにしている。 逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、 うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが真実と信じられ 殺害にまで至る。 今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。人間の心の弱点には 「自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を信じてしまう傾向」がある。それをついたのが新興宗教、占い師である。 週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにし、あらゆる手法を使う。それを額面どおりに受け止めるのも 問題だが。この選挙のキャンペーンにも、不安を煽って物語をつくり、自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、といえば、その通りだが。 ・・・・・・・・・ 2701, 地球史における革命的事件 2008年08月27日(水) 6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。 この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。 当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。 その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが... その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。 1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての革命的事件の内容を抜粋した。 「地球システムの崩壊」松井孝典著 −読書日記 *地球史における革命的事件 K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。この年代を境に、 生物の絶滅が起こっている。それぞれの地層にふくまれる化石に基づいてその年代が決められる地質年代では、 その前後の年代を、白亜紀、第三紀と命名して区分。それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、 その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。 ・・・・ カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とするチームが、そのK/丁境界層で、 イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする 学説をサイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、 地質学の根本原理といわれていた (字数の関係でカット08年8月27日) ・・・・・・・・・ 2007年08月27日(月) 2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −1 (字数の関係でカット08年8月27日) ーーーーーーー 2006年08月27日(日) 1972、事業百訓ー1996年(10) (字数の関係でカット08年8月27日)
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| 4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4 |
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2014年08月26日(火)
* 現場の壮絶! 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。 デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。臨検など今では無理。 それにしても、このルポは、凄惨であり、これが現実である。 ーその辺りからー ≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。彼らはまず戦力を 増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を 突きつけて自分の親や兄弟を殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」 そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていくことができません。 兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にするのです。家族を殺させるのは、子供を村と 決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼のようなものなのです。 子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として生きるわけでありません。嫌になって途中で 逃げ出したり、命令に従わなかったりすることもあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために 裏切った子供たちの鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私はLRAのゲリラ兵を 「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵上にさせられた子たちを「悲劇の被害者」 として描いたはずです。でも、さらに調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。 LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら兵士になった子も いるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を持って略奪をして暮らしをしたいと 思っている子供、銃で人を殺して出世することがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な 人格を持っていて、それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・・ ≫ ▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトによる数百万単位の 大量殺戮がある。 北朝鮮も一歩内部に入れば、このような弾圧が現在進行で行われている。 中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に 行った時の現地添乗員が『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。 それが全国の各村で同じように・・・』と、何気なく話したのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、平和ボケの日本。 グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 憲法を変えるのは当然のことだが・・・ この国では無理? 〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜 ・・・・・・・・・・・ 4170, 金正日の料理人 2012年08月26日(日) * 若きドン様の親の敵討ちは残酷! 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが漫画的ドラマ仕立。 その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」で、金正恩や、そののファミリーと食事を した写真があった。父・金正日を裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在の ドン様に感激している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、正恩の 計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した二週間前の夜半に苦しみだし、 両手を三回突き上げ絶叫し、亡くなった」という。心臓発作だった。 『 呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、その事実を知らしめ、 今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮のメッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも 明らか。 その後、妻と娘を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘 されると、「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。 北朝鮮に愚弄されている姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 独裁国家のドン様を裏切り 愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージ をしてきたことになる。逆にみれば、この程度の連中でしかない。 マスコミが、この料理人を抹殺するか、パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。 現地の家族が本当に存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、 色いろの仮説がたつ。 コミック漫画の悲劇か、喜劇か? くさい話だけは確かだが。 ・・・・・ 4545, 閑話小題 ー夏対策 2013年08月26日(月) * 暑さ対策! 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラーを付けるが、今年は、その頻度が多い。 扇風機の場合は、補助として保冷剤の入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。 更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、 いざとなればクーラーがあるという余裕があるから出来るのだろう。 * 業種店が、新規出店? 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日間通っているが、道路一つ隔てた敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。 3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、これでは?、 と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は 時間の問題と見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や中学が多いので、運動着や スポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」という。 家内の方が、よほど世情に詳しい。 全国チェーン店が捨てた(地元しか手に入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? としても、私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかのSCの重なっている郊外の一等地で、 大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に移転で 起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、 ブランド物に的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った?と、考えるしかない。 立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 更に最悪のケースは、順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。恐ろしいのは二店目の甘い計画。 ・・・・・・ 3805, 哲学人 ー� 2011年08月26日(金) * 学生時代の恩恵 学生時代の恩恵は、現在でも大いに実感している。 もしも学生時代に一度、頭を粉々にしてなかったらと思うと・・・ マギーは、ここでイギリスのエリート学生の内面を正直に書いている。 哲学と芸術の長い歴史が大学にあり、 そこのプログラムを学生はこなしているのである。都市には、美術館があって歴史的名画を身近に見ることができる上に、 コンサートも子供時代から親から連れて行ってもらっている。 教養のベースが、風土の中に染み付いているのである。 ー「哲学人」ブライアン・マギー著よりー 【 結局、大学が知性という面で私にしてくれたことの中で一番肝心なことは、知的価値が芸術的価値とは独立して存在しているという こと、そして、知的価値に関心を持つように仕向けてくれたことである。 一年目には、理知的で気の合う仲間の中に、他にもまして 知的な価値に傾倒している人がいることを知ってカルチャーショックをうけたことである。彼らとの交流のかなで、そうした価値を 自分なりに受け入れられるようになるに三年目まで待たなければならなかった。 そのおかげで、知的価値は私にとって欠かせないものとなり、私の人生と考え方に色褪せることのない彩を添えてくれた。 ちなみに、私はこのような経験をしたおかげで、一部の聡明な人々に対する理解を深めることができたのではないかと思っている。 それは、さまざまな理由から大学教育を受けたことがなく、そのためにこういだ経験をしていない人々についてである。 そういった人々がどんなものの見方をするか私はわかるつもりだし、彼らの身になってみることもできる。 ひょっとしたら自分も 同じ立場になっていたかもしれないからだ。 正式な教育は、世界というものが個人の見解や意識や関心や想定の単なる拡張ではない という考えを育むよう仕向けてくれる。これは正式な教育が授けてくれる最大の恩恵である。当然のことながら、こうした教育は 他者の助けなしにできない。 他者は私たち個人をしばっている拘束をまぬがれているからである。 けれども、ここから導かれるのは、独学の者は生半可な教育を受けた程度にしかなりえないという、残念だが逃れようのない事実である。 オックスフ・オード入学当時の私の考え方にはっきりいって欠けていたもののうち、最も重要だったのは、その後の経過を考えると、 哲学ということになる。 人間の関心事の中で最も価値があって大切なものとして、哲学は確かに偉大な芸術に近い水準に達しているし、 その理由も似通っているように思う。どちらも、人間が到達しうる最も高いレペルで真理を探究する活動である。どちらも物事の本質を、 つまり存在の根源的な神秘を探ろうとしている。 それを果たせないとしても、人間の理解に限界があるせいにすぎない。 ショーペンハウアーが述ベているように「芸術家が具体的に行なっていることを、哲学者は抽象的に行なっている。」 哲学者は自分の意見を概念で表現するよりほかなく、そして概念というものにはどうしても一般性がつきまとうため、哲学は芸術ほどの 深みには到達できないかもしれない。 だがその一方で、哲学にはできても芸術にできないことがある。 アイリス・マーギックは 「よきにつけ悪しきにつけ、芸術は哲学より深いところに達する」と語ったが、哲学には芸術よりすぐれた面がいくらかはある という意味ではそのとおりであるし、全体としては芸術に及ばないという意味でもそのとおりである。】 ▼ 芸術と哲学が教養のベースであるのは今さらだが、マギーの、このような文章を読むと、より芸術に触れておくべきだったと実感する。 芸術作品は、作者の魂そのもの。それぞれの時代が生み出した人物が全霊を捧げて、作品の中に魂を入れ込んだ名作である。 それに直接触れ、感動するのが一番、人間の魂を高めることになる。そのためには時間をかけて対象と向き合うしかない。 ・・・・・・・ 3440, 再び、死について考えてみる ー4 2010年08月26日(木) * 死を喩えると 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。 「死ぬ」が旅と、眠り、に喩えとされることは、プラトン『ソクラテスの弁明』の一節にある。 ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一なのです。あるいは全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば 何も少しも感じないといったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から他の場所へと、 ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、ひとが寝て、 夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごときものであるとしたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう。 ・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなものであって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、 あの言伝えがが本当とすると、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰ってくるのが前提にある。 永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、 これでわかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、 という意味で、喩えとして科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で空間の歪が生まれ、 穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。 最近、ホワイトホールも、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の存在。それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものにしている説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、眠る、去る、 失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。 そうすると、永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそうだが、生きている人間の論理というのが 露出するだけ。 同じ動物の牛に喩えると、先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら 喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。 ・・・・・・・・・ 3065,ウワサを考えてみる 2009年08月26日(水) * オルレアンのうわさ 『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂。 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところの人口十数万人の地方都市。この街のブティックで、女性が消えると言う噂が 流れたのは、1969年5月。若い女性がブティックの試着室に入ると、催眠性の薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、 前後不覚になったところを誘拐され、地下道から外国の売春宿に売り飛ばされていく、というもの。 (字数制限のためカット2011年8月26日) ・・・・・・・・ 2700, 「レンタルの思想」−6 2008年08月26日(火) ー 読書日記 進化生物学者の長谷川真理子との対談が面白い。 ネアンデルタール人と、現生人類が重なってた時期があるが、何故に 現生人類が生き残ったのか? 脳の大きさよりコネクションが違っていて、そのことが多くの道具を使うことを促して生き延びたこと、 言語能力が格段と上だったこと、更に病気に対する抵抗力の差があったという。 そして「おばあさん」の誕生が現生人類の特徴という。 それまでの色いろな人類のメスは排卵が終わると 直ぐに死んだ。 しかし現生人類の女性はその後も生き延び、お産のノウハウを娘に伝授したので人口が増えたという。 人骨から「おばあさん」の骨が多く発見されたことから分かったという。 面白い節である。 ーおばあさんの誕生ー 長谷川真理子×松井孝典 *おばあさんの不思議 長谷川: いまある限りの現生人類の骨から年齢を測ると、おばあさんの骨が含まれているから、長生きしたのだと思います。 松井: それは現生人類が繁栄するという意味で、非常に本質的な点ですね。なぜそうなのかについて何かアイデアはあるのですか。 長谷川: 「グランドマザー仮説」というのがありまして、祖母の知恵が、娘が母親になるときの孫の 生存率を上げたのではないかと言っています。 松井: それはそう思いますね。出産の経験がまったく蓄積されないで単なる生物として初めて出産を経験するのと、 出産とはこういうものだということをあらかじめ意識として持っているのとではすごく違いますよね。 長谷川: 全然違いますね。 松井: それで人口が増えることに加えて、寿命も長くなるわけで、環境には二重の負荷がかかる。 長谷川: そうですね。でも流行病とかが時々ありますから、長いこと人間の人口はそんなに増えませんでした。 だけどまず一万年前に増えて、それから産業革命から増えて・・。でもそれから豊かになると出生率が減るでしょう。 進化的に生物として考えると、 自らの繁殖率を減らそうとする生き物はいないわけです。 豊かになるということは条件がよくなるわけで、条件がよくなると普通はもっと産むので、 だから人間がどうして豊かな暮らしになればなるほど持ちたい子供の数が減るのかなと。 松井: おばあさんが存在するという不思議と、もう一つは豊かさがあるところに達すると産まなくなるという不思議と。 長谷川: 全世界的にそうです。それがどうしてそういう心理状態になるのか。 松井: やはり出産が大変じゃないのかな。本当は産みたくないんじゃないのかな。 長谷川: それもあるかもしれませんが、進化生物学的に考えれば、そんな心理を持つこと自体が 不思議なことですから、 いろいろモデルをたてて研究している人がいます。そこから見えてきたのは、べつにこういう先進国だけではなく、 牧畜民の社会とか、農耕社会とか、少しでも富の蓄積ができたあとには、 子供だけではなくてー子供も富と数えてー 持っている富全体を最大化しようとするみたいなのです。・・・・・ 〜〜 (−対談を終えて) 松井孝典 これまでの人間論には、生物学的人間論と哲学的人間論があった。今回は生物学的人間論とはいかなるものか、 ということで長谷川さんと対談した。現生人類の起源には、多地域進化説と出アフリカ説とがあり、後者が有力になりつつある。 (字数制限のためカット2011年8月26日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月26日(日) 2336, ホッファー −3 (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 一昨日、アマゾンで注文をしていた中古本の、ホッファーの自伝が送って来た。 一昨夜半、二時間かけて読破したが期待したどおりの内容であった。 ミス・フィットや港湾労働者の立場で、 何故独学であらゆる分野の知的好奇心を持ち続けることが出来たのだろうか、まず疑問を持った。 それは7〜15歳までの盲目体験である。そして、彼の父親がやはり働者に係わらず、読書好きの教養人だったことが 彼の勤勉性を培ったようだ。さすらいのホームレスから見た、ミス・フィットの人たちの生態も克明に書かれていて、 時空を越えた当時の生身の生活が垣間見れ、彼と一緒に20世紀前半のアメリカを彷徨っているような気持ちになってしまった。 ホッファーの言葉を幾つかのHPから拾ってみた。 なかなか含蓄の深い言葉ばかりである。 (ー 〜〜 ー は私の内語である。) ーーーー <世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある。> ー自己嫌悪を無くすには、他人への愛が必要ということ! 自己愛は、人への慈愛から育てるのが近道。それが出来ないのが人間か〜 でも、半々と割り切ってしまうしかないか、自己愛と自己嫌悪! 他人が嫌ってくれているのに、自分まで同調することもないだろうにー (字数の関係でカット14年8月26日)
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| 4911,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー50 |
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2014年08月25日(月)
* 総括の総括 ー小さな物語のまとめー HP内検索で調べてみたら、2年半前の春先に『事業生活39年の総括』『シングルイン、 31年間の総括』と、二つ似たようなテーマで7〜10回シリーズで書いていた。しかし、それを全く 忘れて、これを書き続けた。45年と、6年〜14年間延びた分、今回は準備期間の15年間を 重点的に書いてある。(重なりが多いが) 無事、ハッピーエンドで事業が終わっていたら、 在り来りの成功物語でしかないし、この3つのシリーズは書くことはなかっただろう。 この結果なればこそ物語を再編成をしなければ、45年間を受け入れることが出来なくなるためだ。 創めるまで、こんな準備をし、半狂乱?になって全てを注ぎ生きてきた。それぞれの場面には、 それぞれ多面性があり、重く、複雑な問題が、次々と生じてくる。 時には、直ぐにでも投げ出し、 逃げたくなるような、ドロドロしたものが覆いかぶさる。しかし、重みに耐えているうちに、 それは何時の間に解消していることが多い。そこに必死に立向かっていた自分が間違いなく、いた。 この物語を語らずには、死ぬに死ねない思いがある。これは誰の人生でも同じ。 書き残すか、 残こさないかである。 書き残せば、遺言にない、かつ自分への弔辞にもなる。 『ご覧の通り、そのまま結構!』で、これ以上でも以下でもない自分の姿が、そのまま現れ出ている。 私生活では、読書、ウォーキングかポタリング、事業、秘境ツアーが大きく占めている。 素晴らしい 仲間に恵まれ、何とか、ここまで辿り着いたが、結果は?? それでも、悔いは少ない。 10数年前のつくった辞世の句?『有難う 面白かった 悔いは無し』がある。 「遊び、学び、働き、ぼんやり(中空)」と分け自己満足度を総括をすると、遊びー80点、 学びー80点、働きー40点、ぼんやりー80点。平均で70点。甘いのは分かってはいるが! バブルと、その崩壊に対する認識の甘さが、働きの自己評価を大きく下げてしまった。 それもひとつの小さな小さな物語。 手がけたホテルを一つの生命体とすると、 「新しい経営陣と、前オーナーと管理者の総入れ替えと、借金の6割カットのリストラ」になる。 新潟駅再開発で、二つのホテル棟が買収が予定されているため、何とか、それまで持ちこたえれば 採算に合う?という思惑があればこそ、新オーナーは、決断したのだろう。問題は、経営母体の体力に なる。私は、20年かけて、衰弱をしたが。このシリーズ、今回が、一つの区切り。 あとは、「つれずれに」で、書き加えていくつもりである。 結局は『珍獣』止まりだったが、こんなもの! 別記)『分類』の中の「行蔵ーこんな経験をしてみた」の中に、3つの総括シリーズが収めてある! 一番、楽しんで読んでいるのが私とすれば、幸せなこと。癒し、というより何だろう、これ。 ムンクの『叫び』? ・・・・・ 4544, ヨガの瞑想と死者のポーズ 2013年08月25日(日) * ヨガに参加して一年半、経過したが スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、参加をして一年半になる。 ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位とすると、140回は参加したことになる。 毎回、50人の定員はほぼ満席で、30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければ ならない。で、二回は遅れて不参加の事があった。 火曜と木曜日の午後で、30代半ば?の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、 人気も同程度? 2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて 仕方がないようだ。40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様の光景。 正面には全面カガミがあり、見た目には100人の姿が視界に入るから、なお迫力がある。 横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で百種類のポーズのうち、一回につき 10数種類はする。そこで言うのは、「周りの人の視線は無視してください。 マットの上は、それぞれの全宇宙。独りの世界の入って下さい。他人と向き合うのではなく、 自分と向き合って下さい。」と。 スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、 チャンドラなどヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、数分もしないうちにヨガ世界に引き込まれる。 そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。死者のポーズは、 仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、両腕と両足は少し大の字気味に開き、 全身の力を抜いて、チャンドラの音に気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。 毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。 ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。気持ちの集中で、殆ど他人を気にすることがなく 半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たるという。 仏壇前の、早朝の瞑想は30分、 死者のポーズは、やはり午前9時から20分間、行う。夜半に目が覚めた時に、大の字になって、 気持ちをヨガをしていると思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が 岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。この二つだけでなく、 他にもヨガのポーズがチョットした仕種の中に入っている。居間でTVを見ている合間に大の字の 姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、歩いている時に背筋を伸すとか・・・ ・・・・・・ 4169, 老年行動学 ー5 2012年08月25日(土) * 老生自覚 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) ≪自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼び、老性自覚には「内からの自覚」と「外からの自覚」あります。 △ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、 歯が抜けるなどの「身体的徴候」、もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする 「精神的な減退」などがあります。 △ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、定年退職、他者からの老人扱いなど、 「社会的なできごとや経験」があります。 このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな意味も感じていた時代には、 当たり前のこととして、自然に受け入れられていたのかもしれません。しかし今は、そうではありません。 第1章で述べたとおり、現代人は老いを感じると、暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジングに励みます。 また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。 日本人の場合、介護が必要になるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。 つまり現代の日本人には、 極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期がやってくるのです。 このことは、「死に対する準備ができない」ことを意味します。老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に 老いていった時代には、自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫ ▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に直面し逃げ場のない状態に追い 込まれた時や、自信を失ったときにガックと老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、 周囲が、それを繰り返し指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、これに気づく必要があるが、 現実は甘くはない。少くとも服装と言葉と運動量は注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」 を常に意識しているが・・それでも一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より10歳若い 57歳時だが、80歳近くに見える。目先を精一杯生きるしかないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。 ・・・・・・ 3804, iPadを買った 2011年08月25日(木) タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、思いたったが吉日で、三日前に購入。 去年から八月に買うと決めていたが、この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、 成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。 パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトをダウンロードして、使いこなしてみたい。 タブレット(バインダー)で持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内などで、 気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーの HPにアクセス・・ 等々を、タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へでも 持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだばかりだが、これは日常の必需品になる。 初期投資がゼロ円、ランニング・コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて少し 生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも 出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれているが、実際に 手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くのステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、 フロアーの女性が来て、「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。( HPに写真が多く掲載されているので、 競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入ったランチを時々載せているので、これも」と答ると、 暫くして再びやって来て、「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」と小さな声。モバイル携帯で早速、 何人かで見ているようだった。そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、誰でも 直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。 ・・・・・・・ 3439, 「うち」と「そと」という、考え方 2010年08月25日(水) 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。 「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、 その人に敬称をつけないのが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」といい、一歩出ると、 「そと」とする。 家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も続いているといってよい。 朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。日本的な名残。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」とする。 裏切られたり、騙されると、 あっさりと、心の中で、そとの人に分別してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、 そして会社の同僚が「うち」になる。それ以外は「そと」と単純明瞭。これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。 欧米は一神教。 ビック鶸と「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、そして、二人の間の 子供と「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。 しかし、日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、 まず帰属して、その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、 同僚を振り分けていた。一度、信頼を失った相手は、そとの人と、二度と、心を開くことはない。特に、卑しさを 見せつけられると我慢が出来ない。 そういえば、「タテ社会の人間関係」で、中根千枝が《日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた 欧米とは、大きな相違をみせていて、まず「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造に、 どのような条件が考えられるか》を論じ、タコツボ社会が日本的特質と指摘している。 その考え方そのものが、私の造語になるが「タコツボ思考」ということか。自分を省みると成る程、いやに納得できる。 ウツボが徘徊している中でタコはタコツボに入って、最後は人間に食べられてしまう。「うち」と「そと」の間の 「にわ」か「うちにわ」を日本人は昔から取り入れて自然を取り入れていた。 ・・・・・・・・ 3064,階級社会だと! −3 2009年08月25日(火) こういう話は大好きである。「石ころがね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば砂利じゃないかい」 ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する 最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、 家系としての文化資本が無ければ無理。私など父親からは大相撲の地方巡業かプロレスに連れて行ってもらったことしか 記憶がない。下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。 演奏会は山の手の 家庭のイメージである。家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。 家柄とか学歴の良し悪しで 全て決まるわけではない。自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、音楽会に行って良い音楽を 聴く習慣をつければ、その習慣行動(プラティーク)の積み重ねから、それをつくり出すハビトォスがつくられていく。 片方はハビトォスが崩壊し、片方はハビトォスがカタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。 習慣とは、第二の天性。良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。出世とやらを考えるなら、 目指すポジションの習慣行動とハビトォスを作ることが近道になる。したがって偉人(例えばフランクリンなど) の伝記や、三国志や孫子の兵法などで学び、良い習慣行動身に付ければ、その背後にあるハビトォスの構築になっていく。 「力、愛、知」が、人間力の構成要素なら、その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。階級社会では、 全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。しかし、一つの側面として割り切っていないと、 そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。考えてみたら46回の秘・異郷ツアーの中には、ハビトォス構築の 全てが含まれていた。世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチン タンゴやスペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、 文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。そのわりに、自分自身に文化資本の蓄積が感じられないのは如何してか? 幼少時の文化シャワーが足りなかったということ?! でも、父親に骨董店に幼時から多くを見てきたが・・・ ・・・・・・・・・ 2699, 「レンタルの思想」−5 2008年08月25日(月) 「宇宙の発展と文化の論理 」ー 鷲田清一×松井孝典 *ここにないものと関わる能力 松井: 前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。 鷲田: 人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。いまおっしゃった、 話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもある。 「遊び」ということができることを人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるが、 これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに自分を関係づける力を もつということなんです。いま目の前に現れているものを、取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、 それをさまざまな可能性のひとつとして了解しなおすということなんですね。 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。 ▼ 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。カラスは500の鳴き声の サインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。それでは、鳴声と 言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの 「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいない ものとの関わる能力の質を決めることが解る。予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。それと、更にすすむと 予知能力もある。言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。 ・・・・・・・・・ 2007年08月25日(土) 2335, どうせ死んでしまう ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
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2014年08月24日(日)
* つれづれに ーあと二割の収入が足りない あらゆる年収の人に「収入は足りてますか」と質問すると、ほぼ全ての人が「足りてない」と答え、 そこで、「あと、どれ位」と聞くと、どの人も決まって「あと、二割は欲しい」と答えるという。 私も、年金暮らしに入り、あと二割が足りてないため、この実感が強い。これには意味がある。 その収入ごとに、全額を使う消費構造が出来上がっていて、常に不足感が出る仕組みになっている。 老後?のため、逆に二割を預金をするというから、日本人は悲しい貧乏性である。 地球上には一日一ドルで生活をする最貧民が二割、12億人も存在する。 数日前、TVのニュース 番組内で、知的障害のある夫婦の収入が合計10万円で、時々の、ご飯と味噌汁だけの食事場面が 映し出されていた。驚いたのは「生活保護を受けいれ条件を満たしているが、自立をして生きたいため、 頑張っている」という。 知的障害があっても、人間の価値としては、ハイレベルである。 2食にして、卵、御飯、味噌汁だけとしても? 家内には、年金生活者の自覚が足ない! と言われるので、最近、机上のダイアリーに、毎日の出金メモとレシートの貼り付けを始めたが、 これはコントロールには良い。それでも、やはり切迫感が乏しい。御隠居生活に入って気づいたのは、 知識としてのお金に興味があっても、金欲は格段に少なくなったこと。一通りの経験をしてきたので、 何かが欲しいとか、したい渇望は少ないため。としても、やはり「あと、二割は欲しい」もの。 たかがお金、されどお金、である。 お金が自由の塊とすると、全ての人が、二割の自由が足りて ないことになるが、その自由を縛っているのは、個々の固い先入観と思い込み。 それに気づいてないから始末が悪い!「何時までもあると思うな親と金」である。 ・・・・・ 4543, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー4 2013年08月24日(土) * アルコール依存症のケア 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 私は軽いアルコール依存症?、いや軽くないのかもしれない。医者通いはないが、酒の上での 失敗は多々ある。今では缶ビール一本と、缶のウィスキーの水割一本が晩酌の定番。そのうちの 一本がノンアルコールビールだったが、何時の間にか、ウィスキーの水割に変わってしまった。 最近、ガラスの御猪口でビールを飲み始めた。少しでも胃の負担を少なくしたいため。 その話を酒友に話すと、「酒で身体を壊した知人が、舐めるように飲んでいる」という。 ここに依存症ケアで、成るほどと感心させられた内容があった。 ーその箇所を、抜粋してみるー ≪さきほどの鈴木先生は、心療内科に通ってくる患者の中にアルコール依存症の患者がおおかった。 先生は、定年で退職すると、アルコール依存症の会の人々のケアを始めたのです。彼は使命感 みたいなものを持っている人だった思います。私より2〜3歳年上で、戦時中は海軍に入っていた。 若い頃より軍人経験があり、それから僧堂にも通っていたと聞きました。座禅の修行をかなり 積み重ね、その延長線上に、断食というブラクティスもあったのでしょう。 ・・・アルコール依存症の会とは月に一回の食事会で、参加者は十人ぐらいと聞いています。 食事会には約束事があって、それぞれが自分の夕食として駅弁を買ってくる、そして一合の カップ酒も準備する、ということでした。アルコール依存症だから全く酒を飲ませないというのは、 本当の治療に繋がらないそうです。 重要なのは、一合のカップを二時間、三時間かけ、 ちびりちびりやること。時間をかけて一合飲むと、酔いませんが、体にアルコールはわずかずつ入る。 みんなで語り合いつつ、ゆっくり酒を飲むんですね。 当然、駅弁の中身もゆっくり食べざるをえない でしょう。そうして飲み食いに時間をかけ、カップ酒も弁当も空っぽになると散会する。 なかなか趣きのある集会ではありませんか。この食事会、十人集まってはいても、ひとりひとりが 自分と向き合う時間になっているように私は思いました。みんなとし喋りつつ、一合の酒の飲み方、 駅弁の食べ方を自分で考えで、調整しながら、自分と向きあっているんですね 》 ▼これはアル中患者のリハビリには最適だろう。 まずは晩酌の飲み方から始めるべし!ということ。 ところで、晩酌を御猪口用のミニグラスで飲み始めたところ、ビールと、缶の水割の味わいが深くなり、 更に美味く感じるようになってしまい、少しでも量を減らそうという魂胆は消滅してしまった。 書物や映画などで、アル中の重症患者の症状を垣間見るが、それは酷いもの。 自分のこととなると分からないが! アルコールは、薬物が水分になっているだけの気違い水。 一時でも、狂いたいのは分かるが・・ 当面は、一本はノンアルコール厳守にすべきか! 緩慢なる自殺のための薬物であるのは分かっているが、どうも、適度の良い心地の誘惑には・・ ・・・・・・ ・・・・・・ 4168, あなたが大金持ちではない10の理由 2012年08月24日(金) 「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプの著 アマゾンのネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著 「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。耳が痛いが・・ まず基本的な考えは 「お金持ちになりたいなら、お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。 まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。 そう振舞ってもダメなのは ダメだが・・・ ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは ① 休みをとらなくちゃいけない・・・と思っている 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 まず自分が好きになる仕事を選ばなくては! ② 睡眠とらなくちゃ・・・と思っている 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。 ③ 集中力に欠けている 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。 それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。 ④ テクノロジーに頼り過ぎ メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。 ⑤ 相手の期待値を考慮していない 賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 相手の期待を知って初めて効果があがる。 ⑥ 仲間に頼りすぎている 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきことをやらなくては何も進まない。 人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。 ⑦ 成功グセをつけていない 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。 ⑧ 意思決定がいいかげん 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。多くの人が意思決定を「一目ぼれ」 のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは「あの子のことをどう思う?」 と聞いているのと同じ。 意見を聞きつつ、注意深く意思決定を進めること。 ⑨ 家族とうまくいっていない。 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。 ⑩ 好奇心をもっていない 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、成功の鍵。 起きていることすべてに興味を持つこと。 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。 上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、ほぼ上記を カバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。 お金は、お金を意識しないで 済む程度が一番よいという。 年齢にもよるが、一般的に100万ドルか、一億円が目安。 ・・・・・・ 3803, 哲学人 ー⑤ 2011年08月24日(水) ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。その典型が国家である。 その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞 《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて 有為の雲にかくれり人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、 滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。 マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。 * ウパニシャッドとは ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という本を学校の図書館で 見つけ、読んでみた。この本の中で、唯一、私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』。 驚いたことに次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで 成り立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、それに対して 実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は直接それを知ることができず、 それを明確に把握することもできないー」。 私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っているのを見て愕然とした。 そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれていた。それによれば、「私たちの心には 無数の多様なイメージが浮かぶが、そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと 同数の、直接触れることのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。突きつめると、 実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく個々に分離しているのは、 イメージだけである。また、イメージはあくまでイメージであって、主観的ではかないものである以上、 そしてとくに、人間には生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、 イメージを幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、 人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には万物はひとつ」 ・・・私には、この見解は確認できないように感じられたのである。たとえこれが真理であった としても、そのことを知るすべが見当たらなかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を 痛感させてくれた。私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの 考えていることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定していたー のだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば確かに、 現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠がないように思われる。】 ▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。その対象も物理的に 残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的残存しているものも、容赦なく変えてしまう。 そうすると、残っているのはイメージ。 そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、 そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・ 夢幻でしか!と。恋愛など、性欲がつくりあげた イメージのダンスでしかない。ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。 ・・・・・・・ 3438, 腰痛について 2010年08月24日(火) 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回書いている。 そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめるほどの腰痛はない。 一年間何もないのは近年には記憶がない。 低反発マットと、海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、 立振動のバイブレーション・マシーン効果がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、 両足で立って歩くようになったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が 長い人とか、立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。 日常的に心がけることは、 ・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、 ・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、 ・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、拾うときは腰から上は立てたまま膝を曲げる。 ・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと ・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと ・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による内臓の冷えも危険 ・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、注意をすること ・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること などなど、ある。 腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、ある程度は押さえ込む ことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を25年間も続けることも出来たし、姿勢は 良くなった。その結果、全身の血の巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。 ―― 3063,閑話小題 2009年08月24日(月) * 日本文理高校が決勝だと 日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。国体開催の一月前ということもあり 是非とも優勝をしてほしいもの。今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には 勝てないと踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県にとっては 大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、ここまで来るとは思っても いなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も 最悪の事態の上に、この天候で稲作も期待できない。 優勝でもしたら国体までのつなぎになる。 たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。 * 新インフルエンザの恐怖 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も考えなくてはならない。 半年も客が誰も泊まらないこともありうること。そうすると「 」考えても仕方がないことだが、現実に 有りえることである。 この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が 消耗しているので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需を計算に 入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。 困ったものである。 支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。 タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、10日の潜伏後 で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延するのは火を見るよりあきらか。 一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで大問題になっている可能性が大である。 新潟国体の縮小も充分に有りうること。 これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる! そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝かどうかより、 直撃を受ける本体の方が大問題である。 不安と不機嫌の日々がつづく。 ・・・・・・・・ 2698, 閑話小題 2008年08月24日(日) *大曲の花火 *日本野球がオリンピックで敗れた訳 (字数制限のためカット、2013年8月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月24日(金) 2334, 離人症体験 オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+ ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。 私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。 ーー 「離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者になった かのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。 ・離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すようにぼやけて見えるとか、 声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ込められ、それにより「現実の」世界から 切り離されている感覚。 具体的には、自分が存在する実感がない、 自分が見知らぬ人間であるように感じる、 自分が生きている感じがしない、などがある。 ・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。 ・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を離れたところから自分が 観察するという感覚がしばしば起きる。このような分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々 めぐりと体験されたり、 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。 トランス状態にあるような様相を呈することもある。 ・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは心的外傷に 深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。 ーー 以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱やパニックに 陥ったことが度々。この「離人症経験」とは違うプロセスで体外離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時 などに生じるところが似ている。過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは 少し違う。 (後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。) 一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。 (何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていたところ夢をみた。 自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い上がっていく。 みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、地上に戻らないと!」と、 本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上ではなく空中を飛行中。 戻るはずの地べたがないのである。空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を 飛んでいるのである。それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。飛行機も、 周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は世界広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に 頭に浮かんだ。(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・) バンジージャンプで 二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間であった。その落下としても垂直に 空中を飛んだ経験があるから、その時に実感できたのだろう。数分は続いただろうから、 よく心臓が止まらなかったものである。離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。 その類の知識のない子供が、自分が自分から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような 気がする。 離人症という病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、 正にこれじゃないか?「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症候群じゃないかい? {娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡があらわれ、 キリスト様と出会い・・}
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| 4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3 |
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2014年08月23日(土)
『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著 * 「小さな神様から、小さな物語へ」 著者は、東北震災の被災の地で、苦しんでいる被災民それぞれの「小さな物語」を見つけ出す。 起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか救われないのである。 ーその辺から(P222)よりー ≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと思っでいます。 夫は私を助けようと命を落としたのだと考えたいのです。 消防団員からすれば、「町のために死んだ」 と考えた方が死を受け入れやすいはずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助け ようと死んだのだ」と思った方がどこか納得できる。「小さな物語」が落としどころとなって前を向くことが できるようになるのです。 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとしし 流されてしまったんだ。私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこうとする姿を見て、 こみ上げる感情を抑えきれなくなった。彼女にとってこの物語がどれだけ大切なものであるか。 それは闇に閉ざされた海に灯る灯台のようなものです。この光があるからこそ、彼女は闇の中を 進んでいけるのです。≫ ▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、これに近い。 書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、このブログが、毎日の「小さな物語」。 「死んで3日も経てば、300年前に死んだと同じこと」というが、書き残こしておけば、痕跡になる。 成るほど、ブログは墓場。 毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、 これは過去の自分自身への墓参りでもある。 ・・・・・・ 4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3 2013年08月23日(金) * 種銭は、まず一億が目安 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。そして次は三億。 何はともあれ、その金額を用意すること。」と語っていた言葉が記憶に残っている。20数年前のこと だが、その間にデフレもあり現在でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上と いうから、これがロットしての目安のラインとみてよい。 ミリオネアが、世界では1千万。 日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり2・46人とすると、467万人、総人口 1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。 「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を持っている」と、 家内の反応をみたら、「そんなにいるはずがない!」と取り合わない。 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の友人を見ると、有り得ること・・ 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。 それに1億8千の借入で、総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業としてのロットと すると、こんなもの。 ホテルは創業は華々しいが、一度、投資をすると20年〜30年かけ回収する 地味な装置産業。結果からして、10年を節目で売却、転身すべきであった。 その辺りが私の限界である。事業年齢からみて30年経過後の老衰死。 残ったのは、家内名義 の自宅と、家内名義の幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。 子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内にも、「家のために」 「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業など しない方が得策。 ところで、100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 今さら、何もない! 50歳代までに遣り尽くした感があるので、今さらハワイかシンガポールへの 移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 あとは人生をスキップしながら、 適当に生きていければ充分。世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。 ・・・・・・ 4167, 老年行動学 ー4 2012年08月23日(木) 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) * 「長寿者は少食」という、間違った思い込み 両親をはじめ、若い時から老齢の人との接点が多く、人生を充分に生きた人たちのエキスを 得ることができた。最期は脳梗塞やガンなどで亡くなっていった。それぞれが壮絶で、生きた 人生のとおり死んでいったが、死んでしまえば、それまで。 身近で知る限り、80歳辺りから 一年一年、急激に体力が落ちていく。中年まではメタボにならず、老齢期に入ったら、 逆に痩せ過ぎない方が良いようだ。長寿の人は、小食というより肉にしろ魚にしろ何でも 食べる人が多く、食事を楽しみにしている。愚痴は少なく、明るく何事にも興味を持つ性格が共通。 それと孤独の人は認知症になりやすいという。人の接点が少なくなり、それが存在理由を小さくし、 内に篭もる。それが認知症を進める。 一般的に男の方が定年後、横の関係が出来てないため 孤立傾向になりやすい。妻に先立たれると、孤立する傾向が強くなる。そこで個食が孤食になり、 その寂しさからアルコール依存症になっていく。 一度、アルコール依存症になると、倒れるまで 飲まないと気が済まない状態になる。その結果、孤独死。孤立する原因に、時どき新聞ネタになる 「ゴミ屋敷の住人」の主がいる。老人の判断基準で分別が出来なくなり、苦情などでゴミを 捨て辛くなり、その結果、家はゴミの山になり近所との軋轢が出てしまう。この傾向は全国的に エスカレートしている。 私の場合も、家内に先立たれたら直面する可能性がある。 自分の年齢と、その自覚の差異が7歳もあるのが問題の一つ。精神の老いに生活が追いつけなく なる問題である。 もう一つ70歳を過ぎると免許証の返納を勧められる。しかし本人にとって 最後の砦を失うことになる。危ないという自覚がないから、尚のこと。歳をとり日常生活で イライラすることが多くなるほど、車の運転は自己効力感が強くなり、貴重な楽しみになっている。 それを取り上げると、気力も何も無くしてしまう。いずれに、直面することになると思うと暗くなるが、 今日一日を精一杯生きていくしかない。老人化も、冷静にみれば面白いもの。 生きているだけ儲けもの? ・・・・・・ 3802, 哲学人 ー� 2011年08月23日(火) * 驚きを忘れた人々 (P/29より) 【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間によってつくられる、 つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。真実はミステリアスであるとの意見を 『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかも しれなといった意見を、まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。 私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、それは私たちが 存在していることに、というより、なんらかのものが存在していることに驚異(あらゆるものが奇跡に ほかならないということ)を感じる感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、 子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な特徴すら私たちは 自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々はその点を見抜けなかったらしい。 ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいということを自明だととらえているようだが、私にとって 自明だったのは「常識は正しくない」ということだった。 あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、 「『彼ら』は常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、 それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ 代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなるものはなく、ぽっかりと宙に浮いて いたのである。『彼ら』の見解の根本を問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれ なものとして退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい 理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を逆手にとって、 問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる事物の領域に自分の人生を 閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、 結局、両者の態度には多くの共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる 驚異の念にひたり、世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、 物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの人たちからやや 孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が見つからなかっただけではない。 そんな問題をもち出せば変人扱いされかねないことを思い知らされたのである。 人づきあいをしなかったわけではなく、人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。 昔から友人はいたし、17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、 芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われていることは、 たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだと知った。そんなふうに 孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、なんといってもこの問題が圧倒的に重要で あったからだ。私たちの本質や、私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、 こうした問題に何故誰も魅了されないのか理解できなかった。 頭の良い人なのに、何よりも 重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】 ▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくないということだった。 あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、 彼らは常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、 それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ 代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、あえて事を荒立てる こともない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、この年齢で実感する。 考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。大部分である常識人のいうことを、 まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。 ・・・・・・・ 3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2 2010年08月23日(月) * あと5ヶ月で65歳になるが 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、決して長くはない。アッという間である。 家庭に恵まれていたし、時代背景にも恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。 明日の金が無くて呆然としたことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。 また事業を四十年近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれたのが良かった。 好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことができた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。 もっと事業を大きくできたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、 日本の高度成長、バブルと、崩壊、そして失われた20年という長期の停滞。アメリカのニューヨークの9・11テロと、 アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、 20世紀的なものや、文化の破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。特に20代、 30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。 そうこう考えると本当に良い時代背景だった。 情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入り口を生きている。 その変化は想像を遥かに超えている。 毎日が驚きと、感動と、おののきの日々である。 それにしても知らないことが多すぎる。 ・・・・・・・ 3062,階級社会だと! −2 2009年08月23日(日) 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。 その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊のプロセスを身近で何人か見てきた。 その崩壊は人間性の崩壊になる。階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が無くなれば 階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。 イギリスは階級制度のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように受け入れるシステムに なっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、 家柄より学歴を優先する社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 (字数制限のためカット 2011年8月23日) ・・・・・・・・・ 2697, 散歩について 2008年08月23日(土) 散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。 もう25年ほどになる。年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、 4000歩も歩かない。江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いて いたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。 西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。 氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、 その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、 心身の健康の効用を看破した。私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。 大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。それと、脳の活動が 活発になるのも分かる。これを続けていると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波の タップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しない ですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。 散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、 スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。 道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月23日(木) 2333, ホッファー −2 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
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| 4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2 |
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2014年08月22日(金)
『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著 * 小さな神様見つけ方 〜② 相手の文脈で大切にしている神様を見出す! 人生は妄想によって生み出した「小さな神様」に頼って生きるしかない過酷の旅でもある。 それが過酷であるほど、しがみつくしかない。宗教の原点が、そこにある。 ーその辺りから抜粋ー 《 ムンバイの売られたレンタルチャイルドでさえ、マフィアを心の拠り所としている。 これまでの旅で出会った人たちも同じでした。たとえば、ヨルダンのナイトクラブで会ったイラク人 売春婦は男性客を不安に怯える自分を支えてくれる大切な人と見なしていたし、バングラデシュの 公園で暮らしていた少女は変質者の男性を一緒にいてやさしくしてくれる大人と見なしていた。 みんなそれぞれ闇の中で何かしら心の拠り所をつくり上げ、それにすがりつきながらがむしゃらに 生きていたのです。 人間は絶望の底につき落された時、懸命に光を見出そうとします。 それは、救いを求める人が神にすがる行為に通じるものがあります。「貧困に生きる人々が 苦しみの果てで生み出すのは神様のようなものだ」といえるはずです。 もちろん、ここでいうのはキリストやお釈迦様のような存在ではありません。教義を有する宗教に おける神ではない。ただ、個入にとっての救い主という意味では、同じような存在であり、私は それを「小さな神様」と呼ぶ。 マレーシアであった兄妹の彼女は、誕を垂れ流し、会話もできない ほどに精神を病んでしまっていた。そこで兄は妹を連れて祖国のスーダンを離れ、知り合いを 頼ってマレーシアに辿り着いた。コタキナバルで、兄は妹にリハビリを施していました。 心の闇を吐き出すために絵を描かせ、静かな公園へ連れて行って気晴らしをさせたりしていた。 私はそんな二人と何度か話をしたのですが、妹が妙なことをいいだしたことがありました。 こんな話でした。「スーダンの故郷には、私のことを待ってくれているやさしい人がいるの。 兵隊さんなの。私は彼と結婚するつもり。だから、国に帰りたい」どうやら彼女を拉致監禁した 武装組織の兵士と婚約をしているということでした。なぜ自分をつかまえてレイプをした側の 男性とそんな関係になったのでしょうか。兄はその話題について詳しく説明しようとしませんでした。 ことの真相を知ったのは、しばらく経った日のこと。その日、私たち三人が暮らしている安宿へ 赴きました、そこで兄から妹が語る「婚約者」について・・・ それは彼女が作り上げた妄想でした。(略)・・・そうやって生み出された個人のごく小さな希望や 幸福が「小さな神様」となる。私は他者を見つめる際に大切なのは、相手がどんな小さな神様を 抱いているかを知ることだと思います。その人にとっての希望だとか幸せだとかいったものは 「小さな神様」に集約されます。それを発見することが、その人の価値観に寄り添って物事を 考えることにつながる。・・・それでは、小さな神様を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。 決して難しいことではありません。 一言で表せば、「自分の文脈で勝手な価値観を押し付ける のではなく、相手の文脈で大切にしている物を探すこと」その人が何を小さな神様と見立てるかには、 きちんとした理由があります。何かしらの文脈で小さな神様ができ上がっているのです。 従って、その文脈で考えさえすれば、ちゃんと小さな神様が何であるか、 つまり何を幸せとしているかが見えてくるはずなのです。》 ▼ いかなる惨状の中でも、必ず希望を見出して生き抜く人間の生命力、そこには、惨状だからこそ、 浮かび上がってくる小さな神がいる。そこでは、世界がひっくり返るほどの感動、美しさが見えてくる。 それが、著者が伝えたいこと。 ところで、私の小さな神様は何だろう? ・・・・・・ 4541, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー3 2013年08月22日( * 宗教の伝統的な実践による心の治瞭 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 私が学生の頃、親戚が末期ガンと知らされ、その苦しみ恐怖から逃れるため『写経』に 没頭し亡くなっていった。この本で、死の恐怖を克服する実践に『写経』と『散歩』を上げている。 『散歩』には遍路や巡礼が含まれる。早朝の散歩で、吐く息に身体の毒を、吸う息は大自然の 霊気を入れ込むイメージすれば、身体に良いはずである。 ーまず、その辺りを抜粋してみるー 《 三十代で、絶食によってわが身体とは何かを考えるようになった私は、体と心の関係に強い 関心を持ち始めていました。そして四十代に入ると、さらに興昧深い出会いが待っていたのです。 さまざまな経緯があり、私は母校である東北大学の文学部に宗教学の助教授として迎えられる ことになり、東京から東北に戻りました。当時の母校の医学部には、最近亡くなられた 鈴木仁一先生という心療内科の助教授がいらしゃった。心の病がからんで、どの科でも回復の 望めない患者が、心療内科の鈴木先生のもとへ送られていました。彼は患音の心の病を治療する、 今でいう心身医療の専門家でした。その鈴木先生がやっていたのが絶食療法でした。 もともと戦前の東北大医学部では、女性のヒステリを治す治療法として絶食療法が行われ、 基礎が出来上がっていた。その診療法で女性のヒステリーの60%近くが治ったという結果もある。 先生は、その絶食療法を中心に治療している。ただ、絶食療法は、誰でも有効というわけでない。 どういう人が効くかというと、意志の強い人だと、いっておられる。そこで思い浮かんだのが山頭火。 山頭火のような修行ができる人間というのは意志も意地も強かったはずです。 意志の弱い、 普通の人は、なかなか絶食療法ができない。 私が「死ぬきは断食で死ぬよ」と言ったら、 賛成する人もいるが、「それは思った以上に大変なことだよ」と、反対する人もけっこういます。 やはり食を断つということは並大抵の覚悟ではできないのです。 それでは意志の弱い人には、 どういう治療をほどこすのかを尋ねると、「写経」という方法あると先生言下に言われた。 それから「散歩」とも。俗世の欲望を捨てるための修行のひとつに「とそう」というものがあります。 「行脚とそう」ともいいます。これは徒歩で修行のために諸国を遷ることです。お遍路も含めて 巡礼というものは、みんなこれに入るでしょう。けれども写経や散歩はいろんなレベルのものが あって誰にでもできるので、人それぞれに応じたことを薦めます。》 ▼ もうダメと悟ったら、断食を考える。無理なら、四国のお遍路に出るか、身体が動ける範囲で 近くを歩き回る。 天候の具合で、疲れて家に居るときは、写経を書いて過ごす。それも終わりに 近づいたら、点滴などを拒否し、可能な限り、食を絶って、自然死を待つ。そのぐらいしか出来ないが、 身内に今のうちに伝えておくこと。 死に時には死ぬ覚悟が必要!以下の、去年の文章が丁度 よい内容である。老いの準備から、死に準備の移行である。あと一年数ヶ月で「古希」になる。 ・・・・・・ 4166, 老年行動学 ー3 2012年08月22日(水) 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる 「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になる。先がないので抑えていた 我がままが表だつ。 長寿の共通点が「わがまま」。わがままと因業は紙一重。 ー その辺りをまとめてみた。 【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人しかいなかったというから 300倍以上。10年前で1万人をこえたというから、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、 フランス女性の122歳。100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、 心理学研究では、ある程度共通した性格ががわかっている。男性の場合は、性格が几帳面で、 自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとした人。女性の場合は、明るくて わがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにしてくれる‘大阪のオバチャン’みたいの人。 男女とも「わがまま」の人が長寿である。「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。 「わがまま」の意味は、「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気が ない時に、その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」ことである。 自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの心理学者が、面白い 実験をした結果がある。 ≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショックを与えたら、 鼻でパネルを押すと電気ショックを押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、 電気ショックが止むが、自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、 それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、二匹目の犬は、すぐに 飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、逃げようとしなかった。 この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】 ▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる大方が 二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似たような人がいるが、 人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り娘が果たして長生き?かというと、 そうでもない。それぞれ気苦労がある。ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、 10年20年が必要。 今からでも遅くはない。 ・・・・・・・ 3801, 哲学人 ー③ 2011年08月22日(月) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 ー 第一章 子供のころの記憶 〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 鵺 【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違うなんらかの個性」を備えていなければならない。 つまり、その何かは「異なるもの」も存在していなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」 のである。したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるものに始まりがないという こともありえない。私は始まりのない時間も終わりのない時間も不可能であると確信するようになった。 かといって、始まりや終わりがあるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。 さらに、似たような 問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えているが、ロンドンからイングランド 中部のマーケット・ハーボロに疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。 公園の芝生に横になって雲ひとつない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。 『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、どこまでも進んでいけたっていいはずだ。 でも、そんなことはできない。どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるからだろう。 だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。 そして、その何かが空間にあって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになるんじゃないか。 ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえない のと同じである。』 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。最大の間違いは、自分に想像できない ものがあるはずはないという仮定にあるのだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。 結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」と、ずっと問いつづけていれば、 確かにある意味では、永遠につづいていくものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは 考えられるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。 無限というものは、考える ことはできても、存在することはありえない。たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。 それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつあるのだろうか? ともかく、 真相がなんであれ(考えられるものが存在できず、考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に 抱えている問題を解決する役には立たないだろう。 時間に始まりがあるのかないのかについて、 それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが本当なのだろう? 】 ▼ 私が、年齢を重ねて実感していることを、既に10歳前後から考えていたのだから文化の背景が違う。 欧州では中学校の頃から哲学の授業が取り入れられている。 考える基礎を感受性の強い中学の時期に教える 必要性をギリシャから続いている哲学の歴史から学んでいたのである。「何かが存在するためには、その何か、 他のものと違う何らかの個性を備えてなければならない」という考え方は、西欧の考え方のベースにある。 島国の日本では、個性を押しつぶした右倣いが必然になる。欧州は多民族のため、常に隣国から虐殺される 危険があり、万一の場合、それぞれが違った個性で生きのびる必要性があった。そのため自分の頭で考える ことが最重要になる。 やはり、考えて生きるべきである。そのことは周辺、いや自分を省みて了解できる。 ・・・・・・・・ 3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは? 2010年08月22日(日) * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたら 先日、「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。そこで私の場合はどうか、考えてみた。 ● 人生で後悔すること ・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続 ・身近の人たちへの配慮の不足 ・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと ・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと ・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 記録のパターンの統一の不徹底 ● 人生で、本当に良かったと思えること ・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと(両親が必死に働いている姿を身近でみたこと) ・大学時代に多種の経験ができたこと。 最も充実した学生生活を送れたと言えること 《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》 ・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。 ・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。 ・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、休むことなく書き続けたこと。 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。 まる『10年』に9ケ月になったこと その結果、情報化社会の一端を垣間見れたこと ・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーなど47回、続けて旅行できたこと ・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本がベストの時代に20、30、 40歳代を過ごせたこと ・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが) 〜〜 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、やった実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。 何度も書いてきたが、「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。横を見れば情けない」の最後を「ありがたい」 にすればよい。 後悔か〜 やはり、感謝が足りない分、後悔することになる。 一日、一回でも心を込めて「ありがとう」というか。 ・・・・・・・・ 3061,階級社会だと! −1 2009年08月22日(土) 世の中には露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。地方などでは、あまり表面化してないが、 都会などでは住む街からして歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの山の手界隈と 街並みからして違うのは今さら。世の中に平等など考えてみたら有得ないのは当然で、有るとしたら選挙権と チャンスの平等位のもの。 ところで、仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と「ハビトゥス」 という概念で社会階層のあり方を分析している。 ・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが何を好み、色いろな場面でどのように振舞うかである。 ・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 高校受験で、まず分類され、 高校のクラスも成績順に分類され、大学でふるい分けられ、次は就職、そして、それぞれの組織の出世競争で ランクつけられる。ブリデューは「それぞれの階層の含まれる人間は、全てでないにしても、同じ習慣行動をとる」 このような構造を発生するものとして「文化資本」という概念を示している。 そういえば父が私を道具屋に幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や仏像を意識的に見せていた。 母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の原理原則の話をしてくれた。 第二次大戦前まで、何代か続いた 古美術店を営んでいて、戦中、戦後に色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に聞かされていた。 また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、野本互尊との親交の中で学んだことなど聞かされて育った。 それが、「ハビトゥス」のベースだったことになる。 それがあったから、どの場面でも偉そうな何を見ても、 それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎみることはなかった。文化資本の一部分の引継いだのだろうか。 その文化資本は決して親だけでなく、自分で長年かけて形成しなければならないことも両親の生き様をみて分っていた。 毎日の早起き、読書、下世話な話をしないこと、日常の贅沢をしないこと、死に金を使わないことである。 「で、御前さんは、その程度か?」と言われれば、それまでよである。ただ、私たちは、その文化資本の匂いは 嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に崩壊してしまうケースを、あまりに多く見てきた。 それぞれの階層は、その匂いには敏感である。特に腐った匂いには。 「習慣は第二の天性」である。 だから自分で良い習慣を一つずつ作り上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。その反対もある。 ・・・・・・ 2696, 「レンタルの思想」−4 2008年08月22日(金) ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくるから不思議である。 (字数の関係でカット 2014年8月22日)
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2014年08月21日(木)
* 真のお金持ちは紙袋を持つ 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』 ー面白いと思った部分の要約をするとー ◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。だから紙袋でも平気。 必要なくなれば折りたたむことも、処分することもできる紙袋が、一番使い勝手がいい。 ◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちにとって、それも無意味。 なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで 予約するし、定宿は決まっている。一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。 安い時計にスーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。 ◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも安いものを買うのが基本。 ◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。「ゴールド」ですら必要ない。 「年会費がバカ高くてもったいない、普通のカードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇 されるし、不必要な場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。 ◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に知らせる必要がない。 ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付をしている。使い切れないお金を持てる人は、 それに振りまわされない独自の価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない ▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を持つ人たち。 上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 上の下から上の中ギリギリが、 その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる! 金持ちの ラインは10億の現金か、純資産である。47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、 ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかしお金には、非常に 敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく着こなしていた。見栄を張るのは一部の 人たちのみで、開放的でフレンドリー。漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。 周囲の思惑など気にしないで、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。 その紙袋が実にセンスが良いが。こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。 時おり海外ツアーで、 それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ていることを隠さない。アンダーとして割切っている。 元もと隠す必要がない。ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、 それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が出てくるが、その世界を 知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、あんなものではない。それぞれ独自の 価値観を持って、振り回されない人が殆ど。この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の 価値観の質の格差。 その視点の質は、隠せないようだ。 ・・・・・・ 4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2 2013年08月21日(水) * TVが比較地獄をつくった 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが 出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォン などメーカーの比較戦略の術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で 刺激をする。ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスをチェック するお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」 になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆のひとりにされている。ーその辺りを、抜粋するー 《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビ へと移り変わり、 映像が強大な影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規した メディアです。そして、現代人は視覚を重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、 人は基本的に、朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある 何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと一緒にいるとすると、 どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)いい服を 着ている、あの人は(自分よりも)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、 環境などの違いが歴然とします。そのこと耐えられない人が多いはず。人間は平等だ、平等だと 教えられてきたにもかかわらず、現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、 結局は比較地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が 劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」に移行して しまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より優れていると判断した人を 引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から 身を守るためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。 》 ▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。 商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。 町内、お寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」になれないB層がC層を中心にした輪があって、 住みやすい絆がある。そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、 あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の理想郷、妄想である。 地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしかなくなっている。絆は、一人一人が 確立されて出来るもの。その逆の弊害をTVが数十年かけて作り上げてしまった。 それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。 それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、シネマも、ネット、面白く なっている。これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、 ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。 アウトサイダーは、「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に 「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。 ・・・・・・ 4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策 2012年08月21日(火) * 今年の熱さ対策 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。 ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い 扇風機と併用して使っている。それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を 3つを冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が 三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、今のところ起きてない。 問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の就寝時間だけ入れて、居間では夕方の 一時間ぐらい入れている。夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。 * 大手大橋にて 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリを しながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で 右腕を根元から切断、下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を 持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動 切替え式で、背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で、 30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳も いかないで、遣りすごしたが。その前に何か(熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて 4年目になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で 河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。 多いのはカラスだけ。 ・・・・・・ 3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という 2011年08月21日(日) 「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2 * 人間は世界内存在である 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、 これまで見えてこなかった世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は 裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、「現象に現れていることと、 本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に 対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の事態の備え、家族を 事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか (退職金や、倒産時の失業保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。 それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。 【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界ということになる。 縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなもので あるかは想像すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。それは、象の皮膚の 襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないようなものではないか。人間は五官世界に閉じ込められて いて、これから逃れる方法はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。 人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから 脱出しようという努力をしたり、脱出することを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると 主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味。 どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、 超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・ フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、 それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に 超越しているわけである。普通の人間は解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。 だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、人間をいくら解剖し、いかに すぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】 ▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が感知した範囲で しかないから、人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、 最下位にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。この情報化、世界中の寄生虫が、 他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。 ・・・・・・・ 3435, 再び、死について考えてみる ー3 2010年08月21日(土) 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが 死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。 ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー 《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するか。 本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に 集約して紹介。この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。死に直面した時でも充実した 生き方をして生ききったら、『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》 =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。 ▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか ●健康のうちから健康を大切にする ○3 生前の意思を示さなかったこと ●大切なのは遠慮なく話し合うこと ●平素から意思疎通をしておく ◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない ●自由に生きるか、忍耐に生きるか ○6 夢をかなえられなかったこと ●一つのことを続けると良いことがある ○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと ●小事に心を揺るがせないことが大事 ?9 他人に優しくなれなかったこと ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない ?11 遺産をどうするかを決めなかったこと ●遺産と介護の問題 ●遺産分与の話し合いは元気なうちに ?12 自分の葬儀を考えなかったこと ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性 ◎14 美味しいものを食べておかなかったこと ●好きなものを楽しく食べる ◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った ◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い ●最期の旅で人生を完結させた人たち ◎17 会いたい人に会っておかなかったこと ●人は終わりまで他者を求めるもの ●人との出会いは一期一会の精神で ?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする ●スローラブのすすめ ○19 結婚をしなかったこと ●結婚という「形」がもたらす安心感 ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる ○20 子供を育てなかったこと ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い ●自由と孤独はいつも隣り合わせ ?21 子供を結婚させなかったこと ●子供が結婚していないという心残り ●まず子供を独り立ちさせるところから ◎22 自分の生きた証を残さなかった ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して ◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する ○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本人●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える ○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと ●家族愛が問われる時代 〜〜 ×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。 ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ! ・・・・・・ 3060,逆説思考 ー4 2009年08月21日(金) 逆説思考で思い出したことがある。 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。 現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、 所属機関、地域)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という 非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が 原因であると、分かりやすく説明されている。また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が 乏しく、往々にして、それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》 ▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。 日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の 障害になっている。 (字数の関係でカット11年8月21日) ・・・・・・・・・ 2695, 「レンタルの思想」−3 2008年08月21日(木) 「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。 ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー 《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、更に一万年前に出来た人間圏である。 それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。 そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加 から始っている。人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。 (字数の関係でカット14年8月21日)
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