堀井On-Line



4910,ホントに大事なお金の話 −6

2014年08月24日(日)

   * つれづれに ーあと二割の収入が足りない
 あらゆる年収の人に「収入は足りてますか」と質問すると、ほぼ全ての人が「足りてない」と答え、
そこで、「あと、どれ位」と聞くと、どの人も決まって「あと、二割は欲しい」と答えるという。
私も、年金暮らしに入り、あと二割が足りてないため、この実感が強い。これには意味がある。
その収入ごとに、全額を使う消費構造が出来上がっていて、常に不足感が出る仕組みになっている。 
老後?のため、逆に二割を預金をするというから、日本人は悲しい貧乏性である。 
地球上には一日一ドルで生活をする最貧民が二割、12億人も存在する。 数日前、TVのニュース
番組内で、知的障害のある夫婦の収入が合計10万円で、時々の、ご飯と味噌汁だけの食事場面が
映し出されていた。驚いたのは「生活保護を受けいれ条件を満たしているが、自立をして生きたいため、
頑張っている」という。 知的障害があっても、人間の価値としては、ハイレベルである。
2食にして、卵、御飯、味噌汁だけとしても? 家内には、年金生活者の自覚が足ない!
と言われるので、最近、机上のダイアリーに、毎日の出金メモとレシートの貼り付けを始めたが、
これはコントロールには良い。それでも、やはり切迫感が乏しい。御隠居生活に入って気づいたのは、
知識としてのお金に興味があっても、金欲は格段に少なくなったこと。一通りの経験をしてきたので、
何かが欲しいとか、したい渇望は少ないため。としても、やはり「あと、二割は欲しい」もの。 
たかがお金、されどお金、である。 お金が自由の塊とすると、全ての人が、二割の自由が足りて
ないことになるが、その自由を縛っているのは、個々の固い先入観と思い込み。
それに気づいてないから始末が悪い!「何時までもあると思うな親と金」である。
・・・・・
4543, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー4
2013年08月24日(土)
   * アルコール依存症のケア        「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 
 私は軽いアルコール依存症?、いや軽くないのかもしれない。医者通いはないが、酒の上での
失敗は多々ある。今では缶ビール一本と、缶のウィスキーの水割一本が晩酌の定番。そのうちの
一本がノンアルコールビールだったが、何時の間にか、ウィスキーの水割に変わってしまった。
最近、ガラスの御猪口でビールを飲み始めた。少しでも胃の負担を少なくしたいため。
その話を酒友に話すと、「酒で身体を壊した知人が、舐めるように飲んでいる」という。
 ここに依存症ケアで、成るほどと感心させられた内容があった。 ーその箇所を、抜粋してみるー
≪さきほどの鈴木先生は、心療内科に通ってくる患者の中にアルコール依存症の患者がおおかった。
先生は、定年で退職すると、アルコール依存症の会の人々のケアを始めたのです。彼は使命感
みたいなものを持っている人だった思います。私より2〜3歳年上で、戦時中は海軍に入っていた。
若い頃より軍人経験があり、それから僧堂にも通っていたと聞きました。座禅の修行をかなり
積み重ね、その延長線上に、断食というブラクティスもあったのでしょう。 
・・・アルコール依存症の会とは月に一回の食事会で、参加者は十人ぐらいと聞いています。 
食事会には約束事があって、それぞれが自分の夕食として駅弁を買ってくる、そして一合の
カップ酒も準備する、ということでした。アルコール依存症だから全く酒を飲ませないというのは、
本当の治療に繋がらないそうです。 重要なのは、一合のカップを二時間、三時間かけ、
ちびりちびりやること。時間をかけて一合飲むと、酔いませんが、体にアルコールはわずかずつ入る。
みんなで語り合いつつ、ゆっくり酒を飲むんですね。 当然、駅弁の中身もゆっくり食べざるをえない
でしょう。そうして飲み食いに時間をかけ、カップ酒も弁当も空っぽになると散会する。
なかなか趣きのある集会ではありませんか。この食事会、十人集まってはいても、ひとりひとりが
自分と向き合う時間になっているように私は思いました。みんなとし喋りつつ、一合の酒の飲み方、
駅弁の食べ方を自分で考えで、調整しながら、自分と向きあっているんですね 》
▼これはアル中患者のリハビリには最適だろう。 まずは晩酌の飲み方から始めるべし!ということ。
ところで、晩酌を御猪口用のミニグラスで飲み始めたところ、ビールと、缶の水割の味わいが深くなり、
更に美味く感じるようになってしまい、少しでも量を減らそうという魂胆は消滅してしまった。
書物や映画などで、アル中の重症患者の症状を垣間見るが、それは酷いもの。
自分のこととなると分からないが! アルコールは、薬物が水分になっているだけの気違い水。
一時でも、狂いたいのは分かるが・・ 当面は、一本はノンアルコール厳守にすべきか! 
緩慢なる自殺のための薬物であるのは分かっているが、どうも、適度の良い心地の誘惑には・・ 
・・・・・・
・・・・・・
4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
          「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプの著 
 アマゾンのネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。耳が痛いが・・ まず基本的な考えは
「お金持ちになりたいなら、お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。 そう振舞ってもダメなのは
ダメだが・・・  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
① 休みをとらなくちゃいけない・・・と思っている
「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。
まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
② 睡眠とらなくちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
③ 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
④ テクノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
⑤ 相手の期待値を考慮していない
 賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 相手の期待を知って初めて効果があがる。
⑥ 仲間に頼りすぎている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきことをやらなくては何も進まない。
 人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
⑦ 成功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
⑧ 意思決定がいいかげん
「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。多くの人が意思決定を「一目ぼれ」
のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは「あの子のことをどう思う?」
と聞いているのと同じ。 意見を聞きつつ、注意深く意思決定を進めること。
⑨ 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
⑩ 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、成功の鍵。
 起きていることすべてに興味を持つこと。
▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、ほぼ上記を
カバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。 お金は、お金を意識しないで
済む程度が一番よいという。 年齢にもよるが、一般的に100万ドルか、一億円が目安。
・・・・・・
3803, 哲学人 ー⑤
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。その典型が国家である。
その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。
 また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず  草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 
金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる  南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて
有為の雲にかくれり人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、
滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》
 所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という本を学校の図書館で
見つけ、読んでみた。この本の中で、唯一、私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』。
 驚いたことに次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで
成り立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、それに対して
実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は直接それを知ることができず、
それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っているのを見て愕然とした。
そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれていた。それによれば、「私たちの心には
無数の多様なイメージが浮かぶが、そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと
同数の、直接触れることのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。突きつめると、
実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく個々に分離しているのは、
イメージだけである。また、イメージはあくまでイメージであって、主観的ではかないものである以上、
そしてとくに、人間には生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、
イメージを幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には万物はひとつ」 
・・・私には、この見解は確認できないように感じられたのである。たとえこれが真理であった
としても、そのことを知るすべが見当たらなかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を
痛感させてくれた。私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの
考えていることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定していたー
のだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば確かに、
現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠がないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。その対象も物理的に
残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的残存しているものも、容赦なく変えてしまう。
そうすると、残っているのはイメージ。 そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・ 夢幻でしか!と。恋愛など、性欲がつくりあげた
イメージのダンスでしかない。ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。
  ・・・・・・・
3438, 腰痛について
2010年08月24日(火)
 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回書いている。
そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめるほどの腰痛はない。
一年間何もないのは近年には記憶がない。 低反発マットと、海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、
立振動のバイブレーション・マシーン効果がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、
両足で立って歩くようになったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が
長い人とか、立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。  日常的に心がけることは、
・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、
・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、
・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、拾うときは腰から上は立てたまま膝を曲げる。
・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと
・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと
・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による内臓の冷えも危険
・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、注意をすること
・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること などなど、ある。
腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、ある程度は押さえ込む
ことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を25年間も続けることも出来たし、姿勢は
良くなった。その結果、全身の血の巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。
 ――
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
 日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。国体開催の一月前ということもあり
是非とも優勝をしてほしいもの。今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には
勝てないと踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県にとっては
大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、ここまで来るとは思っても
いなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も
最悪の事態の上に、この天候で稲作も期待できない。 優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
  * 新インフルエンザの恐怖
 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も考えなくてはならない。
半年も客が誰も泊まらないこともありうること。そうすると「  」考えても仕方がないことだが、現実に
有りえることである。 この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が
消耗しているので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需を計算に
入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。 困ったものである。
支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。
タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。
 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、10日の潜伏後
で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延するのは火を見るよりあきらか。
一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで大問題になっている可能性が大である。
新潟国体の縮小も充分に有りうること。 これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  
そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 
数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝かどうかより、
直撃を受ける本体の方が大問題である。 不安と不機嫌の日々がつづく。 
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2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)
 *大曲の花火
 *日本野球がオリンピックで敗れた訳
(字数制限のためカット、2013年8月24日)
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2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+
ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
「離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者になった
かのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
・離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すようにぼやけて見えるとか、
 声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ込められ、それにより「現実の」世界から
 切り離されている感覚。 具体的には、自分が存在する実感がない、
 自分が見知らぬ人間であるように感じる、 自分が生きている感じがしない、などがある。
・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を離れたところから自分が
観察するという感覚がしばしば起きる。このような分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々
めぐりと体験されたり、 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。 
トランス状態にあるような様相を呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは心的外傷に
深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
ーー
以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱やパニックに
陥ったことが度々。この「離人症経験」とは違うプロセスで体外離脱体験になったのである。 
人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時
などに生じるところが似ている。過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは
少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)
一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていたところ夢をみた。
自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い上がっていく。
みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、地上に戻らないと!」と、
本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上ではなく空中を飛行中。
戻るはずの地べたがないのである。空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を
飛んでいるのである。それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。飛行機も、
周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。恐怖で失神?なんてものではない! 
このような特異の恐怖体験をした人は世界広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に
頭に浮かんだ。(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・) バンジージャンプで
二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間であった。その落下としても垂直に
空中を飛んだ経験があるから、その時に実感できたのだろう。数分は続いただろうから、
よく心臓が止まらなかったものである。離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。
その類の知識のない子供が、自分が自分から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような
気がする。 離人症という病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、
正にこれじゃないか?「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡があらわれ、
キリスト様と出会い・・} 


4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3

2014年08月23日(土)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
   * 「小さな神様から、小さな物語へ」 
 著者は、東北震災の被災の地で、苦しんでいる被災民それぞれの「小さな物語」を見つけ出す。
起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか救われないのである。
ーその辺から(P222)よりー
≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと思っでいます。
夫は私を助けようと命を落としたのだと考えたいのです。 消防団員からすれば、「町のために死んだ」
と考えた方が死を受け入れやすいはずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助け
ようと死んだのだ」と思った方がどこか納得できる。「小さな物語」が落としどころとなって前を向くことが
できるようになるのです。 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとしし
流されてしまったんだ。私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこうとする姿を見て、
こみ上げる感情を抑えきれなくなった。彼女にとってこの物語がどれだけ大切なものであるか。
それは闇に閉ざされた海に灯る灯台のようなものです。この光があるからこそ、彼女は闇の中を
進んでいけるのです。≫
▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、これに近い。
 書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、このブログが、毎日の「小さな物語」。
「死んで3日も経てば、300年前に死んだと同じこと」というが、書き残こしておけば、痕跡になる。
成るほど、ブログは墓場。 毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、
これは過去の自分自身への墓参りでもある。
・・・・・・
4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3
2013年08月23日(金)
   * 種銭は、まず一億が目安
 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。そして次は三億。
何はともあれ、その金額を用意すること。」と語っていた言葉が記憶に残っている。20数年前のこと
だが、その間にデフレもあり現在でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上と
いうから、これがロットしての目安のラインとみてよい。 ミリオネアが、世界では1千万。 
日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり2・46人とすると、467万人、総人口
1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。
「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を持っている」と、
家内の反応をみたら、「そんなにいるはずがない!」と取り合わない。
 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の友人を見ると、有り得ること・・ 
 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。
それに1億8千の借入で、総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業としてのロットと
すると、こんなもの。 ホテルは創業は華々しいが、一度、投資をすると20年〜30年かけ回収する
地味な装置産業。結果からして、10年を節目で売却、転身すべきであった。
その辺りが私の限界である。事業年齢からみて30年経過後の老衰死。 残ったのは、家内名義
の自宅と、家内名義の幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。
子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内にも、「家のために」
「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業など
しない方が得策。 ところで、100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 
今さら、何もない! 50歳代までに遣り尽くした感があるので、今さらハワイかシンガポールへの
移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 あとは人生をスキップしながら、
適当に生きていければ充分。世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。
・・・・・・
4167, 老年行動学 ー4
2012年08月23日(木)
              「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
  * 「長寿者は少食」という、間違った思い込み
 両親をはじめ、若い時から老齢の人との接点が多く、人生を充分に生きた人たちのエキスを
得ることができた。最期は脳梗塞やガンなどで亡くなっていった。それぞれが壮絶で、生きた
人生のとおり死んでいったが、死んでしまえば、それまで。 身近で知る限り、80歳辺りから
一年一年、急激に体力が落ちていく。中年まではメタボにならず、老齢期に入ったら、
逆に痩せ過ぎない方が良いようだ。長寿の人は、小食というより肉にしろ魚にしろ何でも
食べる人が多く、食事を楽しみにしている。愚痴は少なく、明るく何事にも興味を持つ性格が共通。
 それと孤独の人は認知症になりやすいという。人の接点が少なくなり、それが存在理由を小さくし、
内に篭もる。それが認知症を進める。 一般的に男の方が定年後、横の関係が出来てないため
孤立傾向になりやすい。妻に先立たれると、孤立する傾向が強くなる。そこで個食が孤食になり、
その寂しさからアルコール依存症になっていく。 一度、アルコール依存症になると、倒れるまで
飲まないと気が済まない状態になる。その結果、孤独死。孤立する原因に、時どき新聞ネタになる
「ゴミ屋敷の住人」の主がいる。老人の判断基準で分別が出来なくなり、苦情などでゴミを
捨て辛くなり、その結果、家はゴミの山になり近所との軋轢が出てしまう。この傾向は全国的に
エスカレートしている。 私の場合も、家内に先立たれたら直面する可能性がある。
自分の年齢と、その自覚の差異が7歳もあるのが問題の一つ。精神の老いに生活が追いつけなく
なる問題である。 もう一つ70歳を過ぎると免許証の返納を勧められる。しかし本人にとって
最後の砦を失うことになる。危ないという自覚がないから、尚のこと。歳をとり日常生活で
イライラすることが多くなるほど、車の運転は自己効力感が強くなり、貴重な楽しみになっている。
それを取り上げると、気力も何も無くしてしまう。いずれに、直面することになると思うと暗くなるが、
今日一日を精一杯生きていくしかない。老人化も、冷静にみれば面白いもの。
生きているだけ儲けもの?
・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間によってつくられる、
つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。真実はミステリアスであるとの意見を
『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかも
しれなといった意見を、まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、それは私たちが
存在していることに、というより、なんらかのものが存在していることに驚異(あらゆるものが奇跡に
ほかならないということ)を感じる感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な特徴すら私たちは
自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々はその点を見抜けなかったらしい。
ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいということを自明だととらえているようだが、私にとって
自明だったのは「常識は正しくない」ということだった。
 あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、
「『彼ら』は常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなるものはなく、ぽっかりと宙に浮いて
いたのである。『彼ら』の見解の根本を問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれ
なものとして退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を逆手にとって、
問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる事物の領域に自分の人生を
閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、
結局、両者の態度には多くの共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる
驚異の念にひたり、世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの人たちからやや
孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が見つからなかっただけではない。
そんな問題をもち出せば変人扱いされかねないことを思い知らされたのである。
人づきあいをしなかったわけではなく、人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。
昔から友人はいたし、17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われていることは、
たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだと知った。そんなふうに
孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、なんといってもこの問題が圧倒的に重要で
あったからだ。私たちの本質や、私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、
こうした問題に何故誰も魅了されないのか理解できなかった。 頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくないということだった。
あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、
彼らは常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、あえて事を荒立てる
こともない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、この年齢で実感する。
考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。大部分である常識人のいうことを、
まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 ・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、決して長くはない。アッという間である。
家庭に恵まれていたし、時代背景にも恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。
明日の金が無くて呆然としたことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。
また事業を四十年近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれたのが良かった。
好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことができた。 好きな本も充分に読むことができた。 
好きな箱物(ビル)造りも、小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。 
もっと事業を大きくできたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、
日本の高度成長、バブルと、崩壊、そして失われた20年という長期の停滞。アメリカのニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、
20世紀的なものや、文化の破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。特に20代、
30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。
そうこう考えると本当に良い時代背景だった。 情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入り口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。 毎日が驚きと、感動と、おののきの日々である。
それにしても知らないことが多すぎる。
 ・・・・・・・
3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊のプロセスを身近で何人か見てきた。
その崩壊は人間性の崩壊になる。階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が無くなれば
階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。
イギリスは階級制度のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように受け入れるシステムに
なっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、
家柄より学歴を優先する社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
・・・・・・・・・
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。
もう25年ほどになる。年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。
日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、
4000歩も歩かない。江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いて
いたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。
西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。
氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、
心身の健康の効用を看破した。私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。それと、脳の活動が
活発になるのも分かる。これを続けていると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波の
タップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しない
ですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。
散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。
道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに話しかけている。
 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
・・・・・・・・・・
2007年08月23日(木)
2333, ホッファー  −2        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!


4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2  

2014年08月22日(金)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
   * 小さな神様見つけ方 〜② 相手の文脈で大切にしている神様を見出す!  
 人生は妄想によって生み出した「小さな神様」に頼って生きるしかない過酷の旅でもある。
それが過酷であるほど、しがみつくしかない。宗教の原点が、そこにある。 ーその辺りから抜粋ー
《 ムンバイの売られたレンタルチャイルドでさえ、マフィアを心の拠り所としている。
これまでの旅で出会った人たちも同じでした。たとえば、ヨルダンのナイトクラブで会ったイラク人
売春婦は男性客を不安に怯える自分を支えてくれる大切な人と見なしていたし、バングラデシュの
公園で暮らしていた少女は変質者の男性を一緒にいてやさしくしてくれる大人と見なしていた。
みんなそれぞれ闇の中で何かしら心の拠り所をつくり上げ、それにすがりつきながらがむしゃらに
生きていたのです。 人間は絶望の底につき落された時、懸命に光を見出そうとします。
それは、救いを求める人が神にすがる行為に通じるものがあります。「貧困に生きる人々が
苦しみの果てで生み出すのは神様のようなものだ」といえるはずです。
もちろん、ここでいうのはキリストやお釈迦様のような存在ではありません。教義を有する宗教に
おける神ではない。ただ、個入にとっての救い主という意味では、同じような存在であり、私は
それを「小さな神様」と呼ぶ。 マレーシアであった兄妹の彼女は、誕を垂れ流し、会話もできない
ほどに精神を病んでしまっていた。そこで兄は妹を連れて祖国のスーダンを離れ、知り合いを
頼ってマレーシアに辿り着いた。コタキナバルで、兄は妹にリハビリを施していました。
心の闇を吐き出すために絵を描かせ、静かな公園へ連れて行って気晴らしをさせたりしていた。 
私はそんな二人と何度か話をしたのですが、妹が妙なことをいいだしたことがありました。
こんな話でした。「スーダンの故郷には、私のことを待ってくれているやさしい人がいるの。
兵隊さんなの。私は彼と結婚するつもり。だから、国に帰りたい」どうやら彼女を拉致監禁した
武装組織の兵士と婚約をしているということでした。なぜ自分をつかまえてレイプをした側の
男性とそんな関係になったのでしょうか。兄はその話題について詳しく説明しようとしませんでした。
ことの真相を知ったのは、しばらく経った日のこと。その日、私たち三人が暮らしている安宿へ
赴きました、そこで兄から妹が語る「婚約者」について・・・
 それは彼女が作り上げた妄想でした。(略)・・・そうやって生み出された個人のごく小さな希望や
幸福が「小さな神様」となる。私は他者を見つめる際に大切なのは、相手がどんな小さな神様を
抱いているかを知ることだと思います。その人にとっての希望だとか幸せだとかいったものは
「小さな神様」に集約されます。それを発見することが、その人の価値観に寄り添って物事を
考えることにつながる。・・・それでは、小さな神様を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。
決して難しいことではありません。 一言で表せば、「自分の文脈で勝手な価値観を押し付ける
のではなく、相手の文脈で大切にしている物を探すこと」その人が何を小さな神様と見立てるかには、
きちんとした理由があります。何かしらの文脈で小さな神様ができ上がっているのです。
従って、その文脈で考えさえすれば、ちゃんと小さな神様が何であるか、
つまり何を幸せとしているかが見えてくるはずなのです。》
▼ いかなる惨状の中でも、必ず希望を見出して生き抜く人間の生命力、そこには、惨状だからこそ、
 浮かび上がってくる小さな神がいる。そこでは、世界がひっくり返るほどの感動、美しさが見えてくる。
それが、著者が伝えたいこと。 ところで、私の小さな神様は何だろう?
・・・・・・
4541, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー3
2013年08月22日(
   * 宗教の伝統的な実践による心の治瞭      「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 
 私が学生の頃、親戚が末期ガンと知らされ、その苦しみ恐怖から逃れるため『写経』に
没頭し亡くなっていった。この本で、死の恐怖を克服する実践に『写経』と『散歩』を上げている。
『散歩』には遍路や巡礼が含まれる。早朝の散歩で、吐く息に身体の毒を、吸う息は大自然の
霊気を入れ込むイメージすれば、身体に良いはずである。  
  ーまず、その辺りを抜粋してみるー
《 三十代で、絶食によってわが身体とは何かを考えるようになった私は、体と心の関係に強い
関心を持ち始めていました。そして四十代に入ると、さらに興昧深い出会いが待っていたのです。
さまざまな経緯があり、私は母校である東北大学の文学部に宗教学の助教授として迎えられる
ことになり、東京から東北に戻りました。当時の母校の医学部には、最近亡くなられた
鈴木仁一先生という心療内科の助教授がいらしゃった。心の病がからんで、どの科でも回復の
望めない患者が、心療内科の鈴木先生のもとへ送られていました。彼は患音の心の病を治療する、
今でいう心身医療の専門家でした。その鈴木先生がやっていたのが絶食療法でした。
もともと戦前の東北大医学部では、女性のヒステリを治す治療法として絶食療法が行われ、
基礎が出来上がっていた。その診療法で女性のヒステリーの60%近くが治ったという結果もある。
先生は、その絶食療法を中心に治療している。ただ、絶食療法は、誰でも有効というわけでない。
どういう人が効くかというと、意志の強い人だと、いっておられる。そこで思い浮かんだのが山頭火。
山頭火のような修行ができる人間というのは意志も意地も強かったはずです。 意志の弱い、
普通の人は、なかなか絶食療法ができない。 私が「死ぬきは断食で死ぬよ」と言ったら、
賛成する人もいるが、「それは思った以上に大変なことだよ」と、反対する人もけっこういます。
やはり食を断つということは並大抵の覚悟ではできないのです。 それでは意志の弱い人には、
どういう治療をほどこすのかを尋ねると、「写経」という方法あると先生言下に言われた。 
それから「散歩」とも。俗世の欲望を捨てるための修行のひとつに「とそう」というものがあります。
「行脚とそう」ともいいます。これは徒歩で修行のために諸国を遷ることです。お遍路も含めて
巡礼というものは、みんなこれに入るでしょう。けれども写経や散歩はいろんなレベルのものが
あって誰にでもできるので、人それぞれに応じたことを薦めます。》
▼ もうダメと悟ったら、断食を考える。無理なら、四国のお遍路に出るか、身体が動ける範囲で
近くを歩き回る。 天候の具合で、疲れて家に居るときは、写経を書いて過ごす。それも終わりに
近づいたら、点滴などを拒否し、可能な限り、食を絶って、自然死を待つ。そのぐらいしか出来ないが、
身内に今のうちに伝えておくこと。 死に時には死ぬ覚悟が必要!以下の、去年の文章が丁度
よい内容である。老いの準備から、死に準備の移行である。あと一年数ヶ月で「古希」になる。
・・・・・・
4166, 老年行動学 ー3
2012年08月22日(水)
              「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
   * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる
「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になる。先がないので抑えていた
我がままが表だつ。 長寿の共通点が「わがまま」。わがままと因業は紙一重。  
ー その辺りをまとめてみた。
【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人しかいなかったというから
 300倍以上。10年前で1万人をこえたというから、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、
フランス女性の122歳。100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、
心理学研究では、ある程度共通した性格ががわかっている。男性の場合は、性格が几帳面で、
自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとした人。女性の場合は、明るくて
わがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにしてくれる‘大阪のオバチャン’みたいの人。
男女とも「わがまま」の人が長寿である。「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。
「わがまま」の意味は、「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気が
ない時に、その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」ことである。
自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの心理学者が、面白い
実験をした結果がある。 
≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショックを与えたら、
 鼻でパネルを押すと電気ショックを押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、
電気ショックが止むが、自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、
それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、二匹目の犬は、すぐに
飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、逃げようとしなかった。
 この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】
▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる大方が
 二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似たような人がいるが、
人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り娘が果たして長生き?かというと、
そうでもない。それぞれ気苦労がある。ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、
10年20年が必要。 今からでも遅くはない。
 ・・・・・・・
3801, 哲学人 ー③
2011年08月22日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 鵺
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違うなんらかの個性」を備えていなければならない。
つまり、その何かは「異なるもの」も存在していなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」
のである。したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるものに始まりがないという
こともありえない。私は始まりのない時間も終わりのない時間も不可能であると確信するようになった。 
かといって、始まりや終わりがあるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。 さらに、似たような
問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えているが、ロンドンからイングランド
中部のマーケット・ハーボロに疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。
公園の芝生に横になって雲ひとつない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、どこまでも進んでいけたっていいはずだ。
でも、そんなことはできない。どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるからだろう。
だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。
そして、その何かが空間にあって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになるんじゃないか。
ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえない
のと同じである。』
 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。最大の間違いは、自分に想像できない
ものがあるはずはないという仮定にあるのだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。
結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」と、ずっと問いつづけていれば、
確かにある意味では、永遠につづいていくものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは
考えられるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。 無限というものは、考える
ことはできても、存在することはありえない。たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。
それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつあるのだろうか? ともかく、
真相がなんであれ(考えられるものが存在できず、考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に
抱えている問題を解決する役には立たないだろう。 時間に始まりがあるのかないのかについて、
それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが本当なのだろう? 】
▼ 私が、年齢を重ねて実感していることを、既に10歳前後から考えていたのだから文化の背景が違う。
 欧州では中学校の頃から哲学の授業が取り入れられている。 考える基礎を感受性の強い中学の時期に教える
必要性をギリシャから続いている哲学の歴史から学んでいたのである。「何かが存在するためには、その何か、
他のものと違う何らかの個性を備えてなければならない」という考え方は、西欧の考え方のベースにある。 
島国の日本では、個性を押しつぶした右倣いが必然になる。欧州は多民族のため、常に隣国から虐殺される
危険があり、万一の場合、それぞれが違った個性で生きのびる必要性があった。そのため自分の頭で考える
ことが最重要になる。 やはり、考えて生きるべきである。そのことは周辺、いや自分を省みて了解できる。
 ・・・・・・・・
3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは?
2010年08月22日(日)
  * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたら
 先日、「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。そこで私の場合はどうか、考えてみた。
 ● 人生で後悔すること
・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続
・身近の人たちへの配慮の不足
・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと
・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと
・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 記録のパターンの統一の不徹底
 ● 人生で、本当に良かったと思えること
・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと(両親が必死に働いている姿を身近でみたこと)
・大学時代に多種の経験ができたこと。 最も充実した学生生活を送れたと言えること
 《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》
・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。
・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。
・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、休むことなく書き続けたこと。
 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。 まる『10年』に9ケ月になったこと 
  その結果、情報化社会の一端を垣間見れたこと
・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーなど47回、続けて旅行できたこと
・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本がベストの時代に20、30、
 40歳代を過ごせたこと
・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが)
 〜〜
 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、やった実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。
何度も書いてきたが、「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。横を見れば情けない」の最後を「ありがたい」
にすればよい。 後悔か〜  やはり、感謝が足りない分、後悔することになる。 
一日、一回でも心を込めて「ありがとう」というか。
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3061,階級社会だと! −1
2009年08月22日(土)
 世の中には露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。地方などでは、あまり表面化してないが、
都会などでは住む街からして歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの山の手界隈と
街並みからして違うのは今さら。世の中に平等など考えてみたら有得ないのは当然で、有るとしたら選挙権と
チャンスの平等位のもの。 ところで、仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と「ハビトゥス」
という概念で社会階層のあり方を分析している。
・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが何を好み、色いろな場面でどのように振舞うかである。
・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 高校受験で、まず分類され、
高校のクラスも成績順に分類され、大学でふるい分けられ、次は就職、そして、それぞれの組織の出世競争で
ランクつけられる。ブリデューは「それぞれの階層の含まれる人間は、全てでないにしても、同じ習慣行動をとる」
このような構造を発生するものとして「文化資本」という概念を示している。
 そういえば父が私を道具屋に幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や仏像を意識的に見せていた。
母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の原理原則の話をしてくれた。 第二次大戦前まで、何代か続いた
古美術店を営んでいて、戦中、戦後に色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に聞かされていた。 
また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、野本互尊との親交の中で学んだことなど聞かされて育った。 
それが、「ハビトゥス」のベースだったことになる。 それがあったから、どの場面でも偉そうな何を見ても、
それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎみることはなかった。文化資本の一部分の引継いだのだろうか。
その文化資本は決して親だけでなく、自分で長年かけて形成しなければならないことも両親の生き様をみて分っていた。 
毎日の早起き、読書、下世話な話をしないこと、日常の贅沢をしないこと、死に金を使わないことである。 
「で、御前さんは、その程度か?」と言われれば、それまでよである。ただ、私たちは、その文化資本の匂いは
嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に崩壊してしまうケースを、あまりに多く見てきた。
それぞれの階層は、その匂いには敏感である。特に腐った匂いには。 「習慣は第二の天性」である。 
だから自分で良い習慣を一つずつ作り上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。その反対もある。
・・・・・・
2696, 「レンタルの思想」−4
2008年08月22日(金)
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー
どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくるから不思議である。
 (字数の関係でカット 2014年8月22日)


4907,ホントに大事なお金の話 −5

2014年08月21日(木)

* 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。だから紙袋でも平気。
 必要なくなれば折りたたむことも、処分することもできる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちにとって、それも無意味。
 なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで
予約するし、定宿は決まっている。一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。 
 安い時計にスーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。「ゴールド」ですら必要ない。
 「年会費がバカ高くてもったいない、普通のカードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇
されるし、不必要な場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に知らせる必要がない。
 ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付をしている。使い切れないお金を持てる人は、
それに振りまわされない独自の価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を持つ人たち。
 上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 上の下から上の中ギリギリが、
その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる! 金持ちの
ラインは10億の現金か、純資産である。47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかしお金には、非常に
敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく着こなしていた。見栄を張るのは一部の
人たちのみで、開放的でフレンドリー。漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。 
周囲の思惑など気にしないで、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。
その紙袋が実にセンスが良いが。こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 
 当時、その段差を、さほど意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、
それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ていることを隠さない。アンダーとして割切っている。
元もと隠す必要がない。ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が出てくるが、その世界を
知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、あんなものではない。それぞれ独自の
価値観を持って、振り回されない人が殆ど。この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の
価値観の質の格差。 その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
   * TVが比較地獄をつくった     「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが
出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォン
などメーカーの比較戦略の術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で
刺激をする。ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスをチェック
するお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」
になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆のひとりにされている。ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビ
へと移り変わり、 映像が強大な影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規した
メディアです。そして、現代人は視覚を重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、
人は基本的に、朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと一緒にいるとすると、
どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)いい服を
着ている、あの人は(自分よりも)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、
環境などの違いが歴然とします。そのこと耐えられない人が多いはず。人間は平等だ、平等だと
教えられてきたにもかかわらず、現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、
結局は比較地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」に移行して
しまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より優れていると判断した人を
引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から
身を守るためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。
 商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。
町内、お寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」になれないB層がC層を中心にした輪があって、
住みやすい絆がある。そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の理想郷、妄想である。
地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしかなくなっている。絆は、一人一人が
確立されて出来るもの。その逆の弊害をTVが数十年かけて作り上げてしまった。
それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、シネマも、ネット、面白く
なっている。これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、
ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。 
アウトサイダーは、「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
・・・・・・
4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
   * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。
ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い
扇風機と併用して使っている。それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を
3つを冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が
三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、今のところ起きてない。
問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の就寝時間だけ入れて、居間では夕方の
一時間ぐらい入れている。夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリを
しながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で
右腕を根元から切断、下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を
持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動
切替え式で、背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で、
30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳も
いかないで、遣りすごしたが。その前に何か(熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて
4年目になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
 ・・・・・・
3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、
これまで見えてこなかった世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は
裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、「現象に現れていることと、
本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に
対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の事態の備え、家族を
事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか
(退職金や、倒産時の失業保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界ということになる。
縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなもので
あるかは想像すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。それは、象の皮膚の
襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないようなものではないか。人間は五官世界に閉じ込められて
いて、これから逃れる方法はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから
脱出しようという努力をしたり、脱出することを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に
超越しているわけである。普通の人間は解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、人間をいくら解剖し、いかに
すぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が感知した範囲で
 しかないから、人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、
最下位にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。この情報化、世界中の寄生虫が、
他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。
・・・・・・・
3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが
死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するか。
 本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に
集約して紹介。この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。死に直面した時でも充実した
生き方をして生ききったら、『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと       ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと    ●小事に心を揺るがせないことが大事
?9 他人に優しくなれなかったこと        ●優しさを行う難しさ  心の優しい人は後悔が少ない
?11 遺産をどうするかを決めなかったこと    ●遺産と介護の問題    ●遺産分与の話し合いは元気なうちに
?12 自分の葬儀を考えなかったこと      ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性
◎14 美味しいものを食べておかなかったこと   ●好きなものを楽しく食べる
◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った
◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと   ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い ●最期の旅で人生を完結させた人たち
◎17 会いたい人に会っておかなかったこと  ●人は終わりまで他者を求めるもの   ●人との出会いは一期一会の精神で
?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと  ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする  ●スローラブのすすめ
○19 結婚をしなかったこと    ●結婚という「形」がもたらす安心感     ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
○20 子供を育てなかったこと  ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い  ●自由と孤独はいつも隣り合わせ
?21 子供を結婚させなかったこと  ●子供が結婚していないという心残り  ●まず子供を独り立ちさせるところから
◎22 自分の生きた証を残さなかった ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して
◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する
○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本人●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える
○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ●家族愛が問われる時代
 〜〜
 ×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。
    ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ!
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3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)
  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。
 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。
  現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると
 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。
 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における
 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、
 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、
 所属機関、地域)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。
 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。
 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という
 非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。
 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が
 原因であると、分かりやすく説明されている。また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が
 乏しく、往々にして、それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》
▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。
日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の
障害になっている。  (字数の関係でカット11年8月21日)
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2695, 「レンタルの思想」−3
2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、更に一万年前に出来た人間圏である。
それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加
から始っている。人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。
  (字数の関係でカット14年8月21日)


4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1

2014年08月20日(水)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
    * 小さな神様見つけ方  〜 仝犬離廛躄亮蠅悗量粥 
  前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を図書館から借りてきた。
『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
  まずは、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、決して意気消沈している
わけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、肩を組んで流行の歌をうたったりしています。
私はそんな姿を見て、彼らの精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、
私は理由を知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話があることに
気づいたのです。 それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。だけど、歌さえう
まくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになるんだ。昔、この町のストリートチルドレンに
毎日歌をうたって上手になった人がいた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、
音楽プロデューサーにスカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功する方法だからだ。
僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』  似たようなことを多くのストリート
チルドレンが喜々として語っていました。彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は
何人もいるそうです。ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることはほとんどありません。
だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌をうたいつづけている。私は何人もの子供たち
からこの話を聞くにつれ、「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。
ある日、レコード販売店を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った子供は
社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』 ≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。しかし、そこは欧州の話。
 インドネシアでは不可能だろう。その中で、小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも
必要だろう。ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアたちを慕って
いる。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、それぞれの「小さな神様」を
見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。ありきたりだが、私は両親である。 
母親が常日頃の口癖、『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から
私を守っていてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、極限に
なると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 ただ末っ子のファザコン、マザコンで
しかないが・・ 有難いことである!     ーつづく
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の低い国への
移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。所得税も、日本の4割未満とか。 
日本はシンガポール、アメリカはプエルトリコ。   ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や金融の高度化により、
短期間で富を築くことができるようになったためだ。こうした新富裕層を自国に移住させて経済を
活性化させようという国も増えている。 所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の
起業家を呼び込んでいる。日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や
各国の思惑を取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》
とある。 そこでネット検索で調べると、
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で調査した。
 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)以上持つ人と定義した。
国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位をキープした。米国のS&P500種
株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。
米国では富裕層の金融資産のうち4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高い
ことが伸びに寄与した。2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国(16万人)が
それぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。景気の鈍化が深刻な
ブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。富裕層人口は世界に1090万人存在し、
その保有資産も約42兆7000億米ドル(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格のクラブ」の一人の
日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリでスポーツシャツも同色で10数人が集っていた。
可愛いいが、そこには金の情報が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、
財政危機の日本では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に2万6千人
存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、ある日、何かの切っ掛けで
爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
   * 自伝的記憶       「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が残っているためと
思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への旅たちの時節。少しの決断が、
人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。
あの極度の緊迫感のあった日々は過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に関する「自伝的記憶」
だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半までの青春時代のできごとを、たくさん
思い出すのです。なぜか青春時代よりも今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには
思い出しません。この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、「レミニッセンス・バンプ」
と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に限ったことではありません。中年以降の人ならば、
誰にでも起こります。 では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つには、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」という、
記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学したり就職したり、
親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかをしたり、恋愛をしたり結婚をしたりと、
強い感情を伴うできごとが多くあります。そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと
刻み込まれるのです。また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、
養うべき家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ可能性に
満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧はまだない。ほんのひととき。
その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、
好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春時代は、
老いれば老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはかとなく楽しい気分で
いられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。人間は楽しい気分の時は楽しいことを、
悲しい気分の時は悲しいことを思い出す傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中
にあるため、その辺の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を
校正している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の「日々是口実」を
都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。
 ・・・・・・・
3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行ってみて驚いた。
それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度にして、タブレット、
ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  売り場で感じたことは
・ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
・MacのiPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、家庭内の第二の携帯パソコンとして
割り切ったものに、大方分類される。その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、
両方選ぶというのもあるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能が付いているかどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも後の方が
良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢するのも辛い。
 外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る必要もない。ところで最近、
モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的なブログが出始めてきた。写真と、映像が
直感的に表現でき、かつ見やすく、面白い。 数年後には、これにデジタルTVかパソコンに
連動するのだろう。 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を
連動するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえたものが
 次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えてきている現実は、
プラスにもマイナスにもなる。 ますます、面白、怖い時代になっていく。 
とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の一部が垣間見れるはず。
ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が
 初期投資0円になっていた。その境目の基準が、大きさだけだと!  今日、明日、他の家電
メーカーの店頭で、説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 今さらか・・・
・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。 肺が溶けていく病気で(肺結核)、
息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、助けて!」と叫んでいたという。
断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て
驚いたばかり。 死に際の苦痛は避けることが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と
苦痛の中で死を向かえると思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから「ぴんぴん・ころり」
と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、生の成就と考えるかは難しい。
最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の果てに亡くなっていった? 
最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を緩和し、その果てに死を早めるしかない。
そこではリンゲルによる極楽と、肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は
苦痛の極みにあり、「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き毟っている姿をみた。
「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、延命より、安楽死を望んだ。 
また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。
最期は苦痛で暴れるのを、何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない
新聞記者とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めたのを
聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが死に際には苦しむ
患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で生きているより、早く解放された方が
良いのは当たり前のこと。死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして最期は、のたうちまわって
死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、
睡眠薬をタップリ飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。 
 ・・・・・・・・
3059,逆説思考 −3
 2009年08月20日(木)
 * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、
死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求める
のではなく、人生が私に何を求めているか。生き抜いて愛する人と再会をし、自分の残してある
仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか? 
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
 これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」をまず
追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、その価値を
受け容れることが難しい。 それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげる
ことができないのである。 人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」のである。
その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を追究している。彼は「器官なき身体」
という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と「欲求」によって動いている。
喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。
しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの
水の交換だけで動くものではない。それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、
人間も、身体の生理的欲求だけでなく、「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを
「器官なき身体」とドゥルーズはいう。
 ー彼は以下のようにいう。 (*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時ードゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体』の生命力のこと。
赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、
そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する力であり、「存在そのもの」が
指し示し、進んでいこうとする方向性である。「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。
辛いというのは、その「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。 
この辛さを克服するには、「器官なき身体」の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。
それは、別の存在と衝突し、その価値観を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。
その闘いを、ドゥルーズは『あいだにおけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、
「存在そのもの」へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、
「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。
「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの価値判断を
行うことであり、それでは、それから一歩も抜け出せない。 我われが、その裁きから抜け出て闘いを
選択しなければならない。その闘いが我われの生命を輝かせるのである。
 ーーー 以上だが、
生きていくうえで、3C(チャレンジ、チェンジ、コンペティテーション)が必要である。
世界は常に変化しているなら、己も変化しない限り、不自然状態になり、「つらさ」という圧力が押しかかって
くるからだ。フランクルの人生の意味を見出していける人なら、価値を求めることも出来ようが、意味や価値を
どのようにして見出していくかという、更なる根源的な問いが必要になる。そこにあるのは、闘いしかない。
先ほど書いたように「つらさ」は、その闘いの回避に原因があるのである。常に自問自答している「正中心一点無」
の気持ちで問題から目を背けないで立ち向かうしかないということになる。最後の最後は「見方を変えるのではなく、
宇宙の中で自分は独りと自覚し、己の価値を闘い取るべし」ということだ。
 アウシュビッツ収容所内では無理だろうが! 部屋の中からなら良い、ということ?
・・・・・・・・
2694, 「レンタルの思想」−2
 2008年08月20日(水)
 二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、その資産も
借りでしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。借りの世界と言う人生では、何事も真正面から
目を離さなければ、それだけでよい!」と、視点を見据えたら気持ちの重みが半減した。 
所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれも
レンタルと思えば、それでよい。宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。
 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー
・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。
 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。
・大気が見えるとか、海が見えるとか、大陸地殻が見えるとか、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏です。
・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を宇宙から
 見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つはまったく違う。
 "狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じて生きる生き方です。
 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿から分かれたといっても、
 狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない
 ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー
  (字数の関係でカット2013年08月20日) 


4905,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー49

2014年08月19日(火)

   * 総括の総括 ー①
 このテーマのシリーズも、目安だった50回に近づいてきた。しかし、思いついた時々に
‘つれづれに’加えていくことにした。 ホテル事業の準備段階までのことは、今まで、深く
振り返ったことが無かったので、書き出してみると面白い。 しかし肝心のホテルは転売時期を逸し、
後半の15年間は、2001年の9・11テロと、2004、2007年の中越地震と、刈羽沖地震が発生。 
2008年のリーマンショックを経て、2011年の3・15の東北大震災を向かえ、その直後の3月30日に
倒産に至った。 経営的には、2001年の9・11以来、右下がりの坂を駆け降りていた。
 1985年から始まったバブルは、1989年の株式の納会で最高値をつけた翌年11月に、
半値の20000円まで下げた。更に、数年かけ、最高値の5分1の8000円以下まで下げた。
「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬に起きた現象ではない。崩壊は、開始から数年間をかけて
徐々に生じた過渡的現象で、その進行は地域や指標の取り方で異なる。
 崩壊は1991年10月ごろ始まったが、その頃、ソ連、東欧の共産圏の社会主義圏が崩壊をした。
中国は実質的に社会主義を放棄、資本主義に変わり始めていた。バブルとバブル崩壊が日本の
大転換期で、欧米に先立って、崩壊過程に入っていた。 事業は改革を続けないと、「へ」の字の
ように右下がりの結果、消滅をしていく。時期的に3分1が上り坂で、3分2が下り坂になる。
これは店も同じ。 開業以降、バブルを含めて10年が利益の面からみて上り坂で、後の10年は
ナダラカな下りで、最期の10年は、急激な下りになっていた。リーマンショックで地方経済は大打撃。
 しかし、新潟駅前に留まっていたのが、撤退には都合が良かった。
 現在も、4棟のうち3棟が、同じ名前でホテル営業が続いている。 買い手が、名前を引き継ぎたい
というから、快諾をした。 同じホテル名なら、表向きオーナーが変更しただけで、事業体の生命が
続いていることになる。拒否も真剣に考えたが・・ まあ、いいだろう! と。
・・・・・・
・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
             「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手にとった時に、
「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を目次の中で見つけ借りることにした。 
会社から離れ、日常生活で「ひとり」でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、
話をしたいとかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に決心した第一歩が
「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を
中心にした独学が芯になった。振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。
学のためには、独(ひとり)になること。 スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的なテリトリーになる。
慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、はっきりしません。
ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じられます。それは、私たち日本人の感性に
訴えかける「無常観」や「死生観」が込められているからです。2011年3月11日。
そこから意識され始めたのが「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。
しかし「孤」があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」になることで得られる
充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した
死を迎えるためにも、いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか……すべての答えが「ひとり」の中にあります。
どうやったら「ひとり達人」になれるのか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。
 アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。
感激、感動で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること自体で、
既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出たことである。それは、その外側
から自分の世界の限界を知り、思考していることになる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に
還る折り返しをいうが、誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!
・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
            「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から離れ、家庭中心の生活に入ると、
急に老いを目前に突きつけられた感がする。 思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、
それぞれの時節に袋に閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。 図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、面白い本がある。要は、人生を
通して学び続けてきたかどうかだろうが。  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【   =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、思うことがありませんか?
たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が
低下しているのに頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒っている人....。
ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような行動には、実はそれなりの理由があります。 
その理由を探り、高齢者の行動と心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の、「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」の問い、が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。うつの人などはネガ寄りですが、
 通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている意味がある」という自己肯定感や、
「自分は生きる価値のある存在だ」という自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、無意識のうちに集め、記憶し、
脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ寄りに保つことによって、生き続けるのです。
 この基本的なしくみは若者も老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい写真を見せると若者は悲惨な写真を
見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、
生きていく上で必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人はどのようなとき自分を攻撃し、自分は
どのような状況で傷つき、どのように苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられている。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、もうそのようなそのようなことを学習する
必要はありません。しかも、高齢になって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブなことに目を向けた方が
生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー 老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。なる程、この年齢になって
気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で
6歳の差があるという。アメリカでは、男が15〜6歳、女が22〜23歳もあるという。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。
・・・・・・・
2011年08月19日(金)
3798, まずは「自分の世界の自覚」から!
  * 世界内と世界外
 40歳の頃から20年間にわたり世界の秘境・異郷に熱中したのも、その世界の凄みに引き付けられたことがある。
それぞれの世界は、それぞれ他から隔絶され、それぞれの時間が流れているのを実感させられる。その世界を対比
することで、いかに自分の世界が小さく、脆い現象世界に存在していることに気づかされる。ここで世界を象に喩えて
いるところが面白い。その皮膚の襞が、それぞれの社会。そこの寄生虫が我われと見ると、わかりやすい。 
問題は、それぞれの寄生虫は、そこが全世界と思っていること。それを知るには、世界外に出てみないと分からない。 
人間は世界内存在とハイデッガーが述べたのは、そのことである。
  ーまずは、渡辺昇一著 「知的余生の方法」の ≪自分の世界の自覚≫ よりー
【 ここでは人間の「世界内」と「世界外」について述べてみたい。 
  こんな句がある。< 虫けらは やはり自分の世と思い 阿部佳保蘭 >
毛虫は、住む木の種類が決まっているという。Aという毛虫はKという木の葉しか食べない。その毛虫にとっては
その木の傍に美しい花咲く種の木があろうが、おいしい葉を持つσ種の木があろうが関係がない。Kという自分の木
だけが全世界だと思っている。 この応用はいくらでも応用できる。「象の皮膚の襞につく寄生虫は、自分が
くっついているその襞だけが自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らない」というようなことを
言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイであったろうか。このように虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から
見る世界とか、人間以外の動物の目から見る世界の「視点の転換」を教えたのはユクスキュウルという独の動物学者。
哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、人間の思考法を大転換させる業績だと思う。
 木田元さんは近代西洋哲学の、特にドイツの哲学者ハイデガーの権威である。・・・木田さんはハイデガーの
『存在と時間』の訳を読んで発奮されて東北大学の哲学科に入学され、哲学者になられた。ハイデガーを本当に
理解したいと思ったからだと言う。当時の私は中学の教科書のほかには、佐々木邦の『珍太郎日記』とか、
吉川英治の『三国志』を耽読していたのだから、暦日年齢的には三、四歳ぐらいの違いなのに、精神年齢としては
十歳以上も違っている。そう言えば、同じ中学の五年先輩の丸谷才一氏の読書歴を見ても、私とは確実に十五歳以上の
精神年齢差がある。その木田さんは比較的早い頃からハイデガーについての著述をなされていたが、ハイデガーを
本当に理解できるようになったのは、ずっと後年で、ハイデガーがユクスキュウルの動物学の影響を受けているのが
わかったからであるという。象の寄生虫の存在を「象の皮膚の皺という世界内存在」ということになる。」・・・ 】
▼ この辺は、カントの論に似ている。カントは五感の能力内でしか世界を認識できないと初めて論じた人。
 寄生虫と、人間の違いは、自分が象の皺の中にいることを実感しているかどうか。それを知るには、長年かけた
教養を積むか、その地を遥か離れなければならない。そういえば、力・愛・知の追求の他に、それらから一歩離れた
価値の追求をしてきたのは、五感の外の(世界外)存在も念頭に入れていたため。
 ・・・・・・・
3433, 電子書籍の衝撃 ー2
2010年08月19日(木)
    「電子書籍の衝撃」佐々木 俊尚 著
 *iPadの有利な理由と、不利な理由
  ◎ まず優れている点は、
・汎用機としての魅力。パソコン、携帯電話に次ぐ三番目のデバイスとして生活の中の確固として存在になる。
大きな画面を近距離からリラックスした姿勢で見ることができる。書籍、ちょっとした動画の鑑賞、映像つき
音楽などが気楽にみれる。マニアを除けば一人一台になると、キンドルのような専用機は不利で、本も動画も見れ、
ウェブも 楽しめる汎用機を皆が見れるようになるか。
・次に、iPadはiPhoneをベースにしているため、そのアプリ(ソフト)を、そのまま使える。
 既に数万点もある。既に一年前で3000万台を持ったユーザーが、そのまま横滑りをしやすい。
  ◎ 不利な部分は、
・サイズと重量、バッテリーの持続時間などのスペック。キンドルに比べ面積も重量も、大きく重い。
 持続時間は、バッテリーの10時間に対して、キンドルは7日から10日。
・第二に、キンドルはバックライト付きの液晶画面で、見た目が紙に近く、液晶より文字が読みやすく、
 目が疲れにくい。
・第三に、値段がキンドルの二倍もする。      それらから、結局何を選ぶかになる。
▼ 以上から、決め手は、そのプラットフォームになってくる。プラットフォームとは、購入システムのことをいう。
 キンドルなら、アマゾンという書籍専門のネット販売サイトがある。それに対しiPadは、iTunesストアが
あり、そこから音楽や映像も購入できる。その何を選択するかになる。流行している本は、なかなか入手しづらいが、
ネットなら、そういうことはない。これにグーグルがソニーと組んで参入してくるというから、その有利なプラット
フォームを前面に打ち出してくる。それが何かまだ分からないが、二社に対して強烈なものになるだろう。 
他にもマイクロソフトも何かを出してくる。その激闘の中で、今までの紙の新聞・書籍が壊滅過程に入る。
 ・・・・・・・
3058,逆説思考 −2
2009年08月19日(水)
 逆説思考といえば、ここでも取り上げた京都大学工学部の新宮教授が、
古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ」−エネルギー社会工学の視点からー新宮秀夫著 》
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
この論に関しては釈然と出来ないので何度も考えてみた。それでも疑問が残ったが、考えるという面では
良い問題提起である。これを逆説思考と考えると違った見方になる。挫折、失恋、倒産、などで失意のどん底で
もがいている、そこに幸福があるのだろうか? 金沢時代を振り返ると、そこには何ともいえない酒の味とか、
友情とか、仲間の邂逅があった。節目となる失意の底ほど、無駄なようでいて一番大事なことをしているのである。
「窮すれば変じる、変じれば通じる」である。竹の節目と同じ。哲学的にみれば横の時が平常とすれば、
窮した時は垂直の時ということになる。垂直で立ちっぱなしも問題だが、ここは志が試されている時である。
 ーネットで逆説思考を調べてみたところ《逆説思考 ー自分の「頭」をどう疑うか 森下 伸也著》が、あった。
   ーその概要とはー
逆説こそ「思考力」「洞察力」の根本とし、通常の価値観の一面性を暴露し、それを反転させてしまう思考の
スタイルを、「逆説思考」と定義している。 転倒思考(常識の命題を逆にする)、逆因果思考(常識の因果関係の
結果を逆にする)、因果反転思考(常識の因果関係を因果反対にする)という3つの類例を設定する。
ことわざや文豪の例でその3パターンを具体的に観察し、オイディプスの予言では逆説が与える心理的効果を考察、
さらに逆説は欠陥動物である人間に本質的なものであり、それゆえ人類の文明は週末が来ると広げていく。
 「ロミオとジュリエット効果、カリギュラ効果(禁止されるとやりたくなる)」
 「ハンディキャップ進化論(人類は記憶力や体毛が退化したことで言語や火を発明した)」
 「エラー進化論(人類は失敗を成功の元にして発展してきた)」 「エゴイズム的自殺(自由が空虚を生む)」
 「アノミー的自殺(規範がなくなって不安になる)」など、逆説的なトピックを紹介している。
エジソンやアインシュタインそしてダ・ヴィンチ は、脳に障害があった。しかし、その傷害のおかげで、
天才になった。その人に とって負の面が、逆に、その人を形成している重要なファクターになっている。
天才の殆どが梅毒という説もある。
 ー
以上だが、通説とか常識を根こそぎ疑うことこそ、時代の大変動期には特に必要である。 
次回は、この逆説思考を逆説してみる! 
・・・・・
2693, 「レンタルの思想」−1
2008年08月19日(火)
 松井孝典の対談集の ー人類を救う「レンタルの思想」ーが面白い。
  あるブログに松井教授の「レンタルの思想」を簡略した内容があった。
▽ まずは、その思想の概略から、
・一万年の人間圏の歴史でみると、現代を人類の歴史上相対的な意味で、飢えから解放されて豊かになった時代。
 この豊かさはなぜ実現できたのか。 未来はこのまま豊かになり続けるのか。
・地球の歴史は、環境問題として考えれば汚染の歴史である。 
・地球システムの構成要素が変化すれば、地球システムのモノやエネルギーの流れが変化し、
環境が変わることは当たり前である。 問題は人間が、この時間変化を速めている事にある。 
・では我々はこの問題になぜ危機感を抱いているか? それは100年という非常に短い時間に環境が変化し、
 我々がそれに適応できないからである。人間圏がここまで大きくなってくると、時間変化をこのままずっと
 速めていくという事はできない。
・我々が右肩上がりという共同幻想を維持したいとしても、それは達成できなくなりつある。
 そのひとつが、インターネットによるサイバーワールド。 情報という仮想的な世界、地球という
 リアルワールドでなくて、情報社会というサイバーワールドをつくって、その中の時間を速める事によって
 サイバーな豊かさを追求しようとしているのが、現代の人間圏のもう一つの特徴である。
 サイバーワールドは飛躍的に拡大していけるが、リアルワールドはもう拡大できない。これまでの右肩上がりが
 継続し、時間変化もいくらでも速められるという幻想を、あたかも現実であるかの様に見せる世界だけが
 発達しているのが現在の人間圈である。そのサイバーワールドに、右肩上がりという共同幻想を押しつけて、
 あたかも未来も豊かになっていくかの様な幻想の中に生きているのが現在の我々である。
・人間圏の未来を考えた時、この様な右肩上がりで均質化をめざす事で良いのだろうか。 
 又、人間圏の現状をどう認識する上で宇宙から見た視点が必要だと言う事である。
・我々は20世紀を振り返って21世紀を考えるという発想をするが、もっと長いスパンで現在を認識しないと、
 人間圏をつくって生きるという、我々が地球上で行なっている生き方の是非は論じられないことを指摘しておきたい。
     (字数制限のためカット 2013年8月19日)


4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?

2014年08月18日(月)

   * レンタルチャイルド
 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、9人の乳幼児が保護された
件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と発表、それが日本人のタネかは今だ不明。
 これで直ぐに思い出したのが『レンタルチャイルド』石井光太著である。 
ーまずは、この本のレビューからー
《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィアにインタビューまで。
 目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の
間に挟まれる街の描写がえげつない。だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。
黄ばんだ砂埃、どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が蠢き、
虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。
文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜が痛くなるほどの
激臭だろう。 インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われている。中にはイモムシみたいに
這いつくばって物乞いをしている子供もいる。憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理
障害児にされたのだ。時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを
父と呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。
自らマフィアになり、子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、
その子供がまたレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない不幸の連鎖。
彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。だから自分より弱者を見つけて
奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや
売春婦を買う。売春婦にも相手にされない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、
弱い者は死んでいく。生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても
努力で這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。
しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から抜け出せない。
しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、全然わからない。
結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》
 ▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。
そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵のような姿。 
今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り出されるか、この事件、
表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。そこには、非情な世界が垣間見れる。
欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネか
どうかである。それ以前に、生きて出てくるかどうか? マフィアにより? 
世界の深い闇が、次々と表立ってくる。 今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である!
一部マスコミ以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。
・・・・・・
4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2
2013年08月18日(日)
   * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億
 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならないように条件づくりをしていてくれた。
末っ子という不利な立場でも何とか自分の相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの
事業資産を兄と、私と、姉と、母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。強引に我田引水を
しようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のためである。こっそり父に「お前のためにしたことだ、
憶えておけ」と言われた。で、軋轢の結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、
渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。耳を疑ったが、母と兄は激怒、
『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』という。 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、
「この程度の案件など朝飯前!」という思いがあった。
 そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。
結果として、当時の物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 しかし最期はこれ、悪銭?身に付かずである。 
しかし、後悔は一切ない! 長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っているためである。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。
 父の、「長い事業の中では、何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けたビルは、
壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。売りに出したとき、買い手にとって潰しが効く
(スケルトンが可能)構造になるためだ。 そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
 ・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
 ・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 ・妻子の連帯保証はなし。 ・家内の銀行口座は別。
 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、
お金の恐ろしさを感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される獰猛な虎は、
長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか
認めないかである。大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
・・・・・・
4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、一息ついた時。二つ目のホテルの土地を
  近くに見つけ、買収交渉に入りつつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
  ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテルが満室で、土日は学生服の
  売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と
  裏日本といわれた日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。バブルで日本中が湧き上がっていた。
  ホテルも280室になり、利益体質が完成していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
  500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、戦後の日本経済と命運が全く
  同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。
  それでも、バブルの予熱が日本を覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
  この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。 人生を俯瞰して、「やり残したことを還暦まで圧縮して生きる。
  30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。今から考えてみて、これは正解で。 
  バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行など無我夢中。
  個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 意味・人生を謳歌していた時期。
  しかし、売上はジワジワと下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、何とか目安がたちホッとしていた。
  二つのホテルが道路拡張工事で買収が近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、
  夢にだに思ってなかった。
・そして現在である。 やはり、この10年も激動期。 二つの中越地区の大地震、そしてリーマンショック、
  東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・ショックによる大津波が襲ってくる。
  そうこう考え自分の人を振り返ってみると、日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。 
  経済大震災と東北大震災からして、やはり去年三月が引き時。
▼ 5〜10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的視野で決断できない姿が見えてくる。
  振り返るってみて、私の人生の折り返しの時節は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも
  無我夢中。そして、人生の後半に入った。 11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと三年続き、
  その後に中越地震である。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、何とか目安がたってきた2008年9月の
  リーマン・ショック。この日を境に、毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。
  10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。「年内に、大津波の本体の一波が
  押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、末恐ろしいが・・
  ・・・・・・
3797, 知的余生の方法
2011年08月18日(木)
 4月から、これまでの30年の新潟の事業の終焉で、新しい生活に変わった。サンデー毎日(毎日が日曜日)
の生活も思いの他、抵抗なく馴染んでいる。 定時に家を出て、新幹線で新潟に行き、事務所で時間を過ごし、
帰ってくる生活を「外的時間」とすると、家を中心に気ままに過ごす時間を「内的時間」というのか?。 
早朝に、この随想日記を書き上げたり、独り自転車で信濃川の川辺をサイクリングをしたり、スポーツジムで
運動をする時間が私にとっての「内的時間」。社会に出てからは、ひたすら未来へ進むことに関心が向いていた。
それは世界の動向と変化を察知することであった。そこに気持ちが集中している時は、「外的時間」を過ごしている
時である。その中で、ふとした瞬間、過去の思い出や経験がフラッシュバックし、過去から呼び出される事がある。
良いことだけでなく悪いこともである。過去は自分を形作った日々であり、これからの人生のベースでもある。 
これからは、外的時間から内的時間の絶対量が逆転する。
  渡辺昇一著「知的余生の方法」に次のような一節がある。 ≪「内なる時間」を使う≫
【 カレルは、時間には2つあるという。1つは物理的な時間。例えば、地球の自転を24時間と決めたりするといった
 ようなことだ。もう1つは「内なる時間」。これを彼は、抜群の比喩で説明している。物理的時間は世界中同じだが、
彼はこの時間を川の流れに例えるとどうなるかと問う。そして、同じ速さで流れる川に沿って歩く人間を考える。 
朝早く起きて元気に満ちて川沿いを歩くと、川の流れが遅いのに気づく。ところが、どんどん歩いていって夕方に
なって疲れてくると、川の流れが速くなっていると感ずる、というのだ。川の流れは同じ速さなのに、人間が元気な
時は遅く見え、疲れてくると速く感じる。どうしてなのか。「内なる時間」のせいと、カレルは言う。
 若い頃の時間はゆっくり流れる。しかし、年を重ねるとだんだん速く流れるようになる。だから老化というのは、
実は、時間の流れを速く感じるようになることなのだ。年とともに時間の質が変わってくる、そして、シニアは
この質の変化に戸惑う。比喩でいえば、20歳の時は時速20キロで流れ、60歳の時は時速60キロ流れると
考えればよい。あまりの速さについて行けず、結局は無為に時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。】
▼ ここで、これまでの人生の価値観を大転換し、未来中心に向けていた目を、過去にも向け、過去を修正する
 作業が人生の仕上げになる。人生を逆照射し、前向きで時どき見ていた過去を、しっかりと後ろに向き直し、
見つめ直す時間も「内なる時間」ということ。これまで読んだ本や、読みかけの本に再チャレンジしたり、
やり残したことなど幾らでもある。それを坦々とこなすことも内なる時間といえる。そうこう考えると
「人生が自分に余白を埋めて欲しいことは何かを聞き出すこと」が必要である。私の場合、この随想日記がある。
 毎朝、これを書き上げた後に、字数制限のため、書いた分だけ過去分の一部をカットする作業がある。これは、
過去のエネルギーのカットのように思えて辛いが、しかし、その時にしっかりと読み返し、再考することになる。
これこそ私の内なる時間になる。
  ・・・・・・・
3432, 再び、死について考えてみる ー1
2010年08月18日(水)
 数日前に近所の家内の友人が急逝した。 最近、「60歳過ぎれば今日明日亡くなっても不思議でない。
今年しか人生が残されていないと一日一生の思いで生きなければ。だからチャンスがあれば、何ごとも可能な
限りやらなくては。」と話したばかり。 哲学でも、死について多く考えられている。
 以下は、「現代哲学の冒険シリーズ」の中の【「死」 細川亮一「恐れと驚きー死と生の問いー」】
を参考にして書き上げた。
≪ そこで「死の人称性」は、死を語る上で分かりやすい説明になる。
・まず三人称の死は、「彼らが死んだという過去形」か、「彼は死ぬだろうという未来形」で語られる。
・一人称の死(私の死)は、過去でも現在ではない。将来自分は死ぬだろう、死ぬ運命にある未来形である。
・二人称の死は、「あなたが死んだ」と過去形ではいえない。「あなたは死ぬかもしれない」とはいいえるが、
あまり馴染まない。弔辞でいう「あなたは死んだ」というのは過ぎ去った過去のことでなく、葬儀の現在のこと。
したがって、あくまで現在の範疇。人の死の人称性の、一人称、二人称、三人称が、 過去・現在・未来の
時間性を有しているのである。≫
 ー以上だが、今回のような亡くなる前日に電話をしたが不在といわれた友人が、翌日、そ連れ添いから
「実は死に病で最近になり入院していたが、朝方亡くなった」と電話があり、家内がショックを受けた、という
死に話は、間接にしか知らない二人称の死であり、もっとも死について考えさせるケースである。
そこから逆に、死から生への逆照射をすると、【生きるとは何か】のヒントが、みえてくる。
【私は生まれた】と、逆に私の誕生を過去形でしかいい得ない。未来の死と、過去の誕生、
「現在、生きている私こそ、この世の存在」ということになる。だから、現在、四苦八苦としても、
それを生きる証として受け止めるのが自然。私の死と誕生の、死の時点は、私にとって特異点。 
この2つの特異点の間が「私が生きている」現在形として語ってよい。自分の過去も、現在、そして未来を
思い浮かべている現在も含め、全てが現在と言いうるのではないか。そこにベルクソンの時間論の意味が、
ある。時間など人間の主観?の捉え方でしかないと。 で、二人称の死から考えられるのが、
自分の死と生のイメージの絵の書き加え、修正作用となる。
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3057,逆説思考
 2009年08月18日(火)
 「逆説思考」というのがある。哲学は、常識をまずは疑ってかかる。
「逆ではないかい?」と、まずは逆説をたてることから始める。私が学生時代に学んだことは、これだった。 
まずは、否定してみる、そして、次に立ち戻って肯定してみる。その間に、第三の案が出るのを待つ。
それが考える第一歩となった。この繰り返しの中から自己の客観化すなわち「自己距離化」が生じる。 
もし自分が大きなミスをして追い詰められた時に「この大きな問題を解決する能力を神によって与えられた
試練である。問題の中心に向けて集中していると自ずから解決の糸口が現われる。」
と考える。これも逆説思考でプラスへの切り替え。 看取り学のキュープラ・ロスも人生は問題の連続と看破。
その解決のプロセスを学びと捉え、最終のレッスンが死であるとした。これもまた逆説思考である。オーストリアの
心理学者のフランクルはナチスの死の収容所の生死の淵で、数年後の自分の姿を思い浮かべ辛さを乗り越えた。
「その時に私は、あるトリックにすがりました。1945年のそんな中で想像してみたのです。 私は、講演用の
見台の前に立って、講演をしているんだ。たとえば、『一心理学者の強制収容所体験』というような題で講演して、
大きく、綺麗で、明るい照明の、なによりも暖房の効いたホールで」というように。これも逆説思考である。
金沢で落ち込んでいた時に、夜半に同じような気持ちの切替えの経験があった。いや、ずっとこの連続が人生のよう。
『自分は事業を立ち上げる修行にきている。最悪の状態こそ最良なのに何が苦しいというのか。 この現実を
受け入れること、そして経験を味わうことだ』と。そう考えてから、気持ちが楽になって冷笑していた自分と環境が
違う視点で見ることができた。 人生、還暦を過ぎた今こそ、逆説思考が必要なのだろう。生老病死が現実として
目の前に突きつけられる。今さらジタバタしても遅いが、生老病死のレッスンを面白いと思えるかどうかだが・・・
山田風太郎の世界? 果たして人生の完成などあるのだろうか?あるわけない、迷ったままで充分!これ逆転思考。
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2692、「誠実であるということ」とは、どういうことか?
 2008年08月18日(月)
私の好きな哲学者の中島義道が『哲学者というならず者がいる』の中のカント哲学「実践理性批判」で、
誠実性について次のように述べている。「誠実性が実現されてない限り、いかに外形的な善が実現されても
厳密な意味で『善』は実現されていない。」 誠実性とは何か?とは「善い行為」を実現するさいに、
僅かでも自己利益が混入してはならないということ。(取引を求めない、という仮言命法、ということか)
 中島はカントが実際言ってないとしても、言いそうなこととして次の4つをあげている。
・自分をわずかでも実際より善く見せようとしないこと。
・自分が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・他人が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・いかに優位に立っていようと、たとえそれがいかに理由のあるものであろうと、
 いささかも放漫であってはならない。-誠実な人は決して放漫ではない。いささかも誠実を誇ることはない、
ということである。以上のことを実際に実行すると社会は成立しないだろうから、ある程度は不誠実でなければ
生きていけない。 そういえば以前に、誠実であるとは如何いうことか? 考えたことがある。
「誠心誠意、無心に対象にエネルギーを注ぎ込むこと」が、結論であった。
それと、「自分を騙さない。それが人を騙さないことになる。」「約束を守る」ことである。
「あの人は誠実な人」というと、それからどんなイメージが連想されるだろうか?
・自分の言った言葉に対して責任を持てる人。
・自分を信じてくれる人である。
・「良心」を大切にして、人を利用しない人である。(心の綺麗な人) 
 誠実そうな人はいても、誠実な人は、ナカナカいないものだ。「論語の会」にでも入って、
鼻声で斉唱しようか? 私の姉の名前は、正子、恭子、優子、そして礼子。正しく、恭しく、やさしく、礼儀か〜 
誠実そのもなじゃないかい! 父親の名前は誠作だから、潜在意識が、そうさせたのか?それとも、親しくして
もらっていた野本互尊翁から命名して貰ったか?
・・・・・・・・・
2007年08月18日(土)
 2328, 近視矯正手術       'Good☆Morning 。っω-)..。


4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!

2014年08月17日(日)

   * ポタリングは、危険! だから面白いのだが
 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。急なドシャ降利の中、
赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。
心臓が固まり、息が止まりそうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。
それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。乗り続ければ、大事故の可能性が
自転車にはある。近くに住む従兄は、ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険な
ことを察知して、一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には
注意をし、数回は右後ろを振り返っている。
 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの農家風の夫婦が話に
夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念のため、一度、急ブレーキをかけたところ、
旦那らしき運転手が、左を見ないまま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、
臨席の奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に注意してなかったら
大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回のポタリングでは、危険を最小にするため、
車の少ない土手とバイパスの沿道が95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故
の可能性は大。土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! 
それにしても、乗っている開放感は格別である。
   * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは
 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく残っている。
故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随にならずに、少しだが足をひいて
歩いていた。去年の同級会の三次会に二人でスナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、
缶ビールを5本以上は飲んでいる』という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 
発見された時には、末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 
ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも聞いていたが・・ 
私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、どうしても、ウィスキーの
オンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。これでも、何か危ない領域の感がする。

・・・・・・
4536, 閑話小題 ー種銭の話
2013年08月17日(土)
   * 山種証券の創業者の種銭
 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。
 山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。
《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。それを保健所に持っていくと、
一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の
許可を得てヒヨコを飼って雑米を与え育て、卵を産ませて、それを売って投資資金の種銭をつくり
投資を始めた。》 
 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、父が子供達に似たような
実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、年末にお年玉を子供達全員が貰う。
それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、
それぞれの預金通帳に入金する。そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、
その通帳の残高を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を持たせることが
父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み上げる重要さを時間をかけ教えていた。
家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。
そして高校の入学時に、10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから
何か値上がりしそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に
見るようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の値上になった。
 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、
学生仲間4人と話していた時のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、
さほど豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、その時に知った。
当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 私も決心をすれば行ける? との思いが
出てきた。その時、考えたのが、自分の種銭。 
 丁度、その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と誘われていた。
しかし、当時の私にとって、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。 その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!
あと25〜30万、都合をつければ私でも行ける!」と、思い立った。アルバイト期間が終わって
向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。そこで列車の中で「頭の固い父に、
そのまま頼めば断られる、なら母親に相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると
必ず逆を言うから、夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいたようだが、
後悔した様子はなかった。 その欧州旅行が、私の人生を変えてしまった。あの一ヶ月間の
経験のカルチャーショックで半年間は、ただ呆然自失状態。頭が変になる一歩手前。
当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。
それがわたしには良かった。見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、
凱旋門、ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで知らなかった
人種との接触。 何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、まずお金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備になってしまう。
問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備こそが、人生を決める」と、両親と、
学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだことである。今回の最悪の事態でも、
長年かけた万一に備えていたシェルターが、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。自分の姿が浮き上がってくるようで、
面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊か
だった時期はないという。 その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。当時の住まいは長岡一番の
繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで衣料店を経営していて、まさに小説の
ような異様な家庭環境にあった。  成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素もあったが級長にされていた。
  街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、異様な緊張した雰囲気が漂っていた。
  この辺で、その人の素質が決まってしまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だったが
  追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの術が分からない辛く
  暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が粉々に
  壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの全てが新鮮で、明るく
  光ってみえていた。時代は1967年、山頂に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に帰ってきて、
  千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで東京女子医大で手術後、退院した
  父親と、計画を進めていた。 父は、医者の宣言通りに手術の一年後に亡くなった。
  死期が分かっている父と事業経験の伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。
  将来に向けた明るさと、死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と
  事業の原点を学んでいた。翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃のできた
  古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引き継いだ店も順調に推移、商売が面白く、
  身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖いものなし、目は血走り、
  何かに取り付かれているようだった。衣料は一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。
  そのコツを掴むと、これが面白い。
 30年前からは次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・・
3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
 * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。
その是非は色いろあるが・・しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに
気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために身につける人はいない。
これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。
哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが
人生である。 それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な
人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。その辺のところを、今回の変動の中で、
しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?)
〜 哲学者の池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」)〜
【「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。
「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わった
世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち「役に立たないこと」、「学者」すなわち
「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとできあがっているように
みえる。 ・・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する
科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に関係するもののことを人は
「役に立つ」と言う。相対性理論は役に立たないが宇宙開発は役に立つ。
解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あっての後者なのだから、
この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。文科、この無用の長物、経済学者が金持でない
ことが学者が無用であることの最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の
英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。 
古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている学者の立場はどうなるのだ。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶことは就職を
捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことがどういったこととかを考えることこそ
先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに自明なことだったので、考えるために
哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚から
ずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係するという意味で、
「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、学問の府から追放せよという動きが
文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、実学以外に余計な金は出せないと。
そういえば、「総合人間学部」とか、よくわけのわからない学部の一分科として
哲学科があるのを目にしてはいた。あれは、そういうことだったのか。】
▼この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で「偉そうに言っているが、何だい、
この様は」と思ったに違いない。 私自身が「偉そうに書いてきたが、所詮は、こんなもの。
自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら今回がチャンス。」と少し、動揺をした。
が、しかし、「目的は、自分の『弧』の中の内側をネット上で世界を公開することで、ネット世界を
身近にすること、そして、現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。
役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」と、気持ちを持ち直し
続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ以前の問題。振り返ると、
役に立たないと思っていたことが逆に役立った方が多いのに気づかされる。目標地点が
明確でないから、それが分からないのである。所詮、死んでしまえば同じだが。
 ・・・・・・・
3431, 我が家に新しいテレビが ー2
2010年08月17日(火)
 * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
(以下、字数の関係でカット2012年08月17日)
Yahooのバードウォッチのコピーしておきます。
 ・・・・・・・・
3056,人生は旅である
 2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。その街での偶然と奇遇などの
 出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作る。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。
▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。
そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も
我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。地球に知的生物として生まれてきた
からには、大自然も、文明も、文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。
旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。
そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、書きながら内省をしている。
まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。旅路の果て。パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら
老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる
弥彦山の日没にも。あと12年で後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。
さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。  
 ・・・・・・・・・
2691, 強者同士相互扶助婚姻 
2008年08月17日(日)
  希望格差社会 −2    ー読書日記ー
「構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を
自己創造していく。「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は
巧みにリスクヘッジすることができる。彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」
を強化する方向に向かう。その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では
「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。
この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、
夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。高度専門職についている「強者」
の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに
「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に
社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。(高度専門職に就いている女性強者が
男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大
させるだけ。不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」)確率はそれよりはずっと高い。
しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や
人脈などの文化資本を要求する。言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた
強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、
この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」の急増という事実がある。
リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを繰り返し短期的に
二極に分化。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。
「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に
就けることはあり得ない。 (以下、字数の関係でカット2011年08月17日)
・・・・・・・・・・
2007年08月17日(金)
2327, ベナレス −2                 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
  (字数の関係でカット 2014年8月17日)


4902,閑話小題 ーロボットエアコン

2014年08月16日(土)

   * つれづれに 〜ロボットエアコン?
先日、25年以上使っていたエアコンの取替え工事。そこで驚いたのが、エアコン機能。 
人認識をして、そこだけに冷暖房の風を放射する機能は売り場で聞いていたが、設置作業の人の
説明で、「認知した人の周囲を感知して丁度良く調整した温度の風を放射する」という。
説明書には「温度カメラと画像カメラが二台あって、まず人を認知し、温度カメラが人の周囲の
温度を認知して送風」とあった。
 扇風機を見ながら「これに冷房機能をつければ良いのに」と思っていたが、逆にエアコンに
調整した温度の冷房の扇風機能を付ける着想である。これでは電気料金が激減する。 
部屋全体を冷やす今までの常識を放棄?部分放射の結果として部屋を冷たくする方式。
更にメンテの掃除機能と除湿機能も付いていて、何か面白い一種のロボットエアコンのようなもの。 
電化製品の進化は止まらない。 このところ、電気製品や車が寿命時期にきて、入替えるたびに、
家内が「私の預金はジリ減!」と悲鳴?で、八つ当たり? 
毎日、チャリで信濃川の新鮮な空気を吸い、週一のシネマでストレス解消。
唯一の慰みは懐いたインコの呼びかけ?「男はつらいよ」の日々。 ほぼ、これで大きいのは
無くなったが・・ いや、あとは屋上の床のビニールの交換が控えている。 大きな屋敷は、
22年間、乗っていたソアラのようで、メンテとランニングの経費が、重くかかってくる。  
居心地は確かに良いが!
  * 高校野球も、サッカーのワールドカップも、面白くなった
 森の生活(現役)から、ご隠居の生活に入って、こういう高校野球や、サッカーのワールドカップ
などのイベントが、以前よい面白く感じるようになってきた。視線がピュアーになったこともある。
現役の時には、常に万一の事態に対して緊張していたが、今では、まったく解放された日々。
プラスとマイナスの両面があるが、これはこれで毎日が面白い! 
ところで、高校野球は長年、西高東低だったが、今年は、今のところ東高西低である。
特に弱者だった北陸甲信越は全勝!山形まで含めた裏日本側も強い。あくまで、ここまでだが!
・・・・・
4535, 閑話小題 ーつまらん男 ー2
2013年08月16日(金)
 * つまらん男とは、どういう人か哲学してみようか!
  そこで、その「つまらん男」とは、どういう人か、少し考えみる。
 頭に浮かんだ‘あの人たち’(我が内なる)の顔を思い出して羅列すると・・・
・親など身近な人や地域社会から与えられた価値観を疑いもせず、ただひたすら追求している人。
・挫折をした経験が少なく、小さなお山の大将で、その世界の価値観に合わないヨソ者を
 目の敵にする人。
・夢や目標を持つことなく、ただ現実に溺れ、埋没した人生しか生きてない人。
・傷つくことを極端に恐れ、それ故に何事も決心できず、その憂さを他人の批難で晴らすしかない人。
・烏合の衆で、群れることしかしらず、孤独、孤立を恐れ、仲間の顔色をうかがうしかない人。
 群れた思考ゼロの老人・中年・青年、サラリーマン・・ で、群れは何人以上か?の答えに
 5人以上があるが、 「一匹狼以外、すべて群れだよ」というのもある。これからフット思いついた
 のが「自分以外、すべて、つまらない男よ!」 これ、言い得て妙。 
・それでは、「つまらなくない人はいるのか?」というと、幾らでもいる。自分が、つまらない男と
 少しでも思ったら、少しは「つまらなくない男」。
何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が定年退職時の同級会の二次会の対話。
《「堀井よ、悩みを聞いてくれ!俺には俺の人生が無かった。両親とも教師で、当たり前のように
 教員になった。 現在、両親とも90歳近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視
されているようで自立できない。私自身の人生は無かったのでは? あるのは二人への憎しみ。
この苦しみは並大抵でない・・》
 初老性鬱症の典型事例。赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて疑わない
「あの方たち」こそ、 「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。欝になるには、それなりの
多くの原因がある。先生にとって両親は、哲学でいう「影」。人生には、それぞれの現象、節目がある。
それは、多面体であり、 光の当て方で、白にも黒にも、黄金にも変わりうる。
中学の担任は、その光のあて方で初老性鬱症もあって、 影(両親)の価値の刷り込みされた
自分に気づいたのである。二人の牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを
持つべきであった。そのことに気づく教養が足りなかった? それでも、気づいただけでも、
 良かったことになる。少くとも「あれらより」。先生の両親への憎しみは、ポンティーと、その師の
フッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題になる。 自分の人生の節目での選択、
それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。避けて通っていたのである。
ある意味、万人が抱えている深刻な根源的悩みである。 それすら分からず紋付袴の紋章を
競っている、あの方々こそが、「つまらない人」。その意味、老舗を潰した男は、それに気づいて
感謝をしたのである。「つまらなくない男」に脱皮したから、人生の完成になった。 
 もう一人の男というより、私は、これで半人前?になれたのである。あれらって自分のこと? 
大丈夫、9割以上が、つまらない人だから!しかし自分を真当と思っていたら、間違いなく「あれら」。
 誰かのように、「つまらない男」で何処が悪い!と開き直るのも、一つの手。いや、それしかないか!
・・・・・・
4160, ペルシャ湾危機 ー2
2012年08月16日(木)
   * 鍵はシリア!      (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 現在、シリアでの内戦が激化しており、アサド政権の崩壊も視野に入ってきた。
もし早めにアサドが崩壊すれば、イランもこれまでの強気な政策を変えざるを得ない。
首都・ダマスカス中心部で一月ほど前に爆弾テロがあった。国防相や、国防副大臣を務める
アサド大統領の義理の兄が死亡、他の閣僚もケガをした。 イスラエルを先頭に欧米各国は、
まずはアサド政権の崩壊に全力を向けているが、イランへの制裁効果をみて9〜11月辺りに
核施設攻撃の判断をする可能性がある。しかしイランが裏交渉で引き下がることも考えられる。
もし、何事もなければイランが核開発の全面的撤退を飲んだとみてよい。
その前に、少くともシリアがイランに援助を与える余裕がなくなるまで内戦を激化させている。
その前にアサド暗殺か軍部の寝返りが起きるのか。しかし、イランはイスラエルに届く数百の
ミサイルを持っており、その他にレバノンのヒスボラが5万発のロケットと、ガザ地区のハマスを使い
イスラエル攻撃も可能で、世界同時テロもある。それを踏まえてもイスラエルは攻撃を仕掛ける
しかない。それほどイランの原爆保持は重大問題。イラン・イスラエル戦争ともなれば、世界情勢は
一挙に緊迫する。イランも原油生産国の資金で軍事力は豊富。ただならぬ戦争になるが、
それでも世界相手では3ヶ月が限界。アメリカも積年の恨みがある。もし戦争になり、ホルムズ
海峡が閉鎖ともなれば世界恐慌の起爆の危険性もある。いずれにしても、ユーロ圏の金融危機と、
中東は一段と緊迫した事態になる。国内政治も解散が目前に控えていて、政治的混迷が起きてくる。
今度の起爆は乾いた藁が世界中に積み上がっているため一瞬で燃え上がる可能性大。
シリア、トルコ、イラン、イスラエルの一連の動きから、目が離せない領域に入ったと見るべきである。
だから、国内では解散と総選挙を急いでいる。保守連立内閣の体制を早急につくらなければならない。
年内は何でもありの歴史的スペクタルショーが始まる。アメリカ大統領選、盛り上がりがないのも当然。
 ・・・・・・・
3795, 哲学人 ー�
2011年08月16日(火)
          『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 �
 私が5歳、9歳の時など、ものごとを深く考えることはなかった。10歳頃に親戚の葬式で、故人が焼却場で
骨になったのを目の当たりにしたときに「、何故、人は生きている間に好き放題に生きないのだろうか?」と思った。
死を目前にすると年齢に関係なく、人生を鳥瞰する視線が顔をだす。子供の頃から時間の始まりと終わりを突き詰め
考えていたマギーの頭脳には驚かされる。
【 時間に始まりはあったのだろうか? 終わりはあるのだろうか? 9〜12歳くらいまでの2~3年の間、
 私は時間をめぐる謎の虜だった。夜の闇のなか、ペッドに横たわったまま、よくこんなことを思ったものだ。
きのうという日に前の日があるし、その前日、そのまた前日と、覚えているかぎり日にちをさかのぼつていく
ことができる。でも私が覚えている最初の日にも、やっぱり前日はあったはず。自分の誕生日にも前日はあったに
ちがいない。そして、その前日の前の日も。・・・ どこまでも、どこまでも・・ いや、そうだろうか? 
 この、どこまでもどこまでも溯っていくということが、私にはうまく飲みこめなかった。そんなことは不可能に
思えたのであった。たぶん、きっとどこかに始まりはあったはずだ。でも、始まりがあったとすると、その前は
どんな状態だったのだろう? もちろん、何もなかった(まったくの無だった)のは明らかなわけで、そうでなければ
始まりなどありえない。けれども、もし何もなかったのだとすると、どうして何かがはじまることがでできたのか? 
その何かはどこから生じたというのか? 時間がひょっこりと( なんとも不思議なことに! )
 無から現れ、ひとりでに動きはじめたわけがない。無は無であって、何かではないのだから。とすると、始まり
ということ自体が思いも寄らないことであり、始まりがあるということもやはり不可能であるように思える。
こうして結局、時間に始まりがあったとは考えられず、始まりがなかったとも考えられないということになって
しまった。きっと何かを見落としているにちがいない、私はそう考えてみた。選択肢はこのふたつしかないのたから、
どちらかが正しいはずだ。 ふたつとも不可能ということはありえない。そこで私は、まず一方を集中的に検討して
から他方に移り、集中力が尽きたら、またもとに戻るという作業をつづけて、どこで間違ったのか突さ止めようとした。
 けれども、なんの手がかりもつかめなかった。私はこの問題に取りつかれベッドのなかだけでなく、しだいに日中も
考えこむようになった。初めのうちはカになってくれそうな大人たちに相談もしてみたが、彼らの反応に私の混乱は
かえって増すばかりだった。自分にはわからないと認めたかと言うと、そんな疑間を話題にしてもおもしろくない
といわんばかりに別のことを話しだけでなく、あからさまに見下し、「おやおや、そんなことに気をまわして時間を
無駄にしないほうがいいよ」とせせら笑うかのどちらかだった、私にはわけがわからなかった。】
▼ 神様が、ここで早めに現役からの退去(倒産)を命じたのは何故だろうか?と考えると、
 「ここで、娑婆気から一たん大きく離れ、哲学書にしろ、トルストイなどの古典的小説を腹を据えて読みなさい。
そして、自分の過去を振り返り、そして、現在の己を見つめなおし、人生の総括をすべし」という事だろう。
そのために、やはり哲学書を?み締める必要がある! その点、「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を、
その直後、選択をし、その時の事象を噛み締めながら読んだことは正解であった。そして次は、この書である。
それと、この随想日記の過去分を再思考すること。
 ・・・・・・
3430, 我が家に新しいテレビが
2010年08月16日(月)
* 運送会社のサービス化とは
  ーまずは、商品搬入で垣間見た「運送会社のサービス」の話しからー
「運送会社でも、ただ運ぶだけでなくサービスを付加したところが、不況の中で検討している」という話しは
度々聞いていた。具体的には何かと考えてなかったが、一昨日の新しいTVの納品を見ていて、「これが運送会社の
サービスではないか?」と、感じ、「運送会社の設置サービスですか?」と聞くと、「そうです!」という。
チームで幾つかの搬入現場を同時に動いているのが分かった。少し分からないことがあると携帯電話で現場同士が
頻繁に連絡しあっている。 設置終了まで、予測どおり2時間半を要した。その間、延べ6人が出入りしていたが、
激務のようで全員が目が釣りあがっていた。色いろなメーカーの電器商品を納入を家庭にするから、大変な仕事である。 
それに対する知識がないとやれないが、それらをチームで携帯電話のやりとりでフォローしていた。
8年前のテレビの購入時は、運送業者関係者ではなかったようだ?。そうすると家具店も同じようなものか。
スーパーの宅配も始ったが、これも運送業者の受け持ちか。 これらは運送サービスの典型的事例。運送といえば、
宅配便と、引越しセンターが、運送のサービス化としての市場を形成している。それが直接に消費者に対する
サービスの付加なら、家電や家具店などの業者の配送部分の委託である。物流の一場面だから、当然、納品サービス
(家電の家庭内のセットなど)付配送も、当然あっておかしくない。しかし店サイドとの軋轢が、電話のやり取りから
手に取るように分かった。これからは農家や漁業関係の産直がネット販売の出てきている。 ヤマト運輸の宅配便は、
サービス化で先行しているので、潜在需要を作るに有利。ネット社会では運送業者のキメ細かいサービスが求められる。
これまでの旧来の運送業務だけでは、生存競争が激しい時代には生き残れないのが現実。 時代の変化に合わせて
企業も変化し続けていかなければならない事例。 それにしても、生々しい世界を垣間見てしまった。
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3055, 功利主義者の読書術
2009年08月16日(日)
 「功利主義者の読書術 」佐藤 優 (著)  ー読書日記
 佐藤優の読書術本なら、買わないわけにはいかない。
ビジネス書、世界文学の名作、哲学書、宗教書まで「役に立てる」という観点から本を紹介しているが、
この人の本は決して期待を裏切らないからよい。 私にとって「如何いう本を読むべきか」という先生役が、
立花隆から佐藤優に重心が移動したといってよい本でもある。 この本の中に私も過って読んだ本も何冊かある
 ー高橋和己著『邪宗門』 副島隆彦著『恐慌前夜』ソルジェニーツィン著『イワン・デニーソヴィッチの一日』
池田晶子著『死と生きる』ーなど、佐藤の解説を読むと己の浅さを思い知らされる。
それが、ここでいう自分の立ち位置を知るということ。  ここで著者は、
「実用書やビジネス書は、初めから役に立つようにつくってある。そこで功利主義的な考えからいえば解説をしても、
読者にとって追加的利益は殆どない。そういう観点から『新約聖書』や『資本論』『カラマーゾフの兄弟』のような
古典が、21世紀の現下日本と世界を読み解くのに、いかに役立つかをを、あえて取り上げている。更に、
実用主義は何か軽佻浮薄に見えるかもしれないが、そうではない。目に見えるものだけが現実と考える傾向が強いが。
(字数制限のためカット 2012年8月16日)
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2690, 若者が危ない!
 2008年08月16日(土)
希望格差社会 −1
           ー希望格差社会ー山田昌弘著・筑摩書房
著者は「若者が危ない」という。そして「若者が社会的弱者になりつつある」
「やがてこの弱者たちが社会に危険をもたらすであろう」と。統計をみると、
・親と同居している未婚成人(その過半がいわゆる「パラサイト・シングル」)は1200万人。
・離婚数は年間29万組(結婚75万に対する数値だから結婚したカップルの40%が離婚)
・結婚75万のうち、「できちゃった婚」(婚姻届提出後10ヶ月以内に出産)は15万。
・フリーター(未婚若年アルバイト雇用者)は200万人。失業中、未婚派遣社員を入れると
 未婚若年不安定雇用者数は400万。
・「引きこもり」については正確な数値がないが、推定50万人。
・義務教育期の不登校は13万。
・児童虐待は児童相談所が把握しているだけで年間2万件。
・「将来、自分の生活がよくなる」と考えている若者(25−34歳)は15%。
・中学生の70%が「将来、日本は今以上豊かにならない」と考えている。
どうして、こうなったか? 著者は、その理由を「リスク社会」の出現という。
 ー「リスク社会」とは何か、
「リスクをとることを強制される社会」、「選択を強制される社会」のことである。
「自分のことに対しては、自分が決定する。  (字数制限のためカット 2010年8月16日)
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 2007年08月16日(木)
2326, 被災地・柏崎の現在の事情          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
今日で「柏崎沖地震」から丁度一月になる。昨日、家内の実家の墓参りに柏崎に行ってきたが、中心地ほど
倒壊している家が目立った。ダウンタウンの本町辺りの商店街の通りを中心として倒壊した民家と商店が生々しく
現れてきた。そして(住んではいけない)赤紙と、(住居注意の)青紙が半数以上の家に張られていた。
地方局のアナウンサーのTVのクルーが撮影している姿が更にリアルさを増していた。家内の実家の近所は
特に酷い状態であった。家内の両親(故人)の住んでいた住宅は傾き隣の倉庫の壁を突き破っていた。
特に内部は目茶目茶という。そこは無人だったので人災は無かったが。義弟の話によると「始めの揺れで立って
いられず腰を落とした瞬間、次の揺れで身体が横に吹っ飛んでしまった」という。車で商店街を通っていると、
自衛隊とパトカーが次々とすれ違い、次々と倒壊の家をみるにつけ、映画のロケ地にいるようで現実感がなかった。
義弟に「この地震は、即死するかもしれない事態だった!」といっても、キョトンとしていた。
そんなことを考えている余裕が無いのだろう。「柏崎刈羽原発の再開は無い!と思いませんか?
そうなれば柏崎経済は壊滅的になるので、目先の復興景気を勘違いしないように!」と忠告したが、
私が感じた角栄への怒りなど、ほど遠い話のようだ。一月経ったためか、道路等思ったより傷んではいなかったが、
やはり東電の原発の爆発まで至らなかったことが救いであった。以上が私の柏崎市の現状レポートでした。


4901,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー48

2014年08月15日(金)

  * 反省なら猿でもできる! ーご覧のとおり、そのまま結構
 最期は倒産というカタチの整理で終わったが、これも因果応報と諦めもついている。 結婚以来、実家からの慣わしで、家内に給料を与え、健康保険と厚生年金をかけるのは当然と考えて実行をしてきた。家内は家内で、実家の会社名義の株式を家内
名義に分与されていたのを清算。それに預金を加えると、この事態でも何とか路頭に
迷うこともなく、生活をしている。また家内の両親も、私の両親も、実生活は
質素であったことが、そのまま私たちにも引継がれ? 結果として、破滅から逃れる
ことが出来ている。 第三者からみたら、10億の借財を残して倒産したのに、このままの状態でいるのが疑問のはず。 
世の中、甘くないのに。そこで計画倒産になる。 創業時の計画から、
長期スパンのリスクを織り込んだ創業設計が可能。 三条や燕の土地柄は、倒産には
慣れていて驚か少ない。平気で倒れ、何時の間に再起するケースを多い、とか。
元もと、リスク分散のポートフォーリオのノウハウが染み付いている。 私の場合、家内へのリスク分散と、家族を社内に入れない原則を守っていた。 
そのことが結果として、守ってくれていた。末期に近づくにつれ、必ず銀行は、
まずは連れ合いの連帯保証を求めてくる。 振り返ってみて、「もし、あの時の
判断を実行していたら破滅をしていたはず!」というケースが、幾つかあった。
 逆に「何で、馬鹿の決断をしてしまったのか?」も、数限りある。その結果の
一つでもあるが。 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、まず自分で認めること。 そうすると、見えなかった要因が、浮び上がってくる。 
・箱物などの長期投資は、有り余る資金が無い限り、すべきでないこと。
・やるなら早々に転売をすること。
・時代の潮目を読み、果敢に決断すること。
・世の中の99%は、目先の現象しか見えてない。現象の大もとを見る目を養うこと。
そのために、長期、中期、短期の目を持つこと。「10.10.10の原則」=10年、10ヶ月、
10日先の3つのスパンで考える視点を持つこと。その何れも甘かったため、この結果に
終わった自分が浮き彫りなってくる。 反省ならサルでも出来るのだが・・

・・・・・・
4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2
2013年08月15日(木)
 現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日にテーマとして
取り上げていた。あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを見ているため、その差が歴然と
見えてくる。三年使った実感として、ドラマとか野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。
しかし寝室の液晶TVには録画機能が無いことと、W0WOWが見れないこともあり、不満が残る。
19〜24時までの地上波=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。
当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効。ゴールデンの
一週間分が自動録画され、一週間後には当初分から自動的に消されていく。
その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、一月もかからなかった。
ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、
スポーツジムと同じ。この2〜4年で、これらのシステム導入で生活パターンが全く変り、
段違いに面白い日々。 まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビが
ー2010年08月14日(土)ー の一部をコピーする。
《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」もあって、思い切って
買い替えた。 そのため今年に入って、どれを買おうか、何時買うか、をゲーム感覚で、家電店と
ネットサイトで集中した。 昨年からバックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、
買うならこれと決めていた。ところが、この春のエコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビが
急に脚光を浴びてきた。
既存のTVを売り切った後に、これである(略)》
▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンでYoutubeをみているが、
 家内は居間にパソコンがあるが、それをTV映像で見ると格段と面白いとか。 TVもバカ製造の
側面が大きいが、割り切ってしまえば、これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンと
ネット機能が、タブレットとスマートフォンに繰り込まれた現在、次は居間のTV。
まあ、暇人?には、特に面白い時代になっている。居間、書斎、寝室の小さな内周世界と、
スポーツジム、信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、平均して月一度の飲み会と、
年一度?の旅行が、外周世界。 これが残された私の人生の世界。 このように己を冷笑して
みると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。 好きなことをしてきた強みが、これ。
・・・・・・
4159, ペルシャ湾危機
2012年08月15日(水)
 * 既に水面下で戦争は始まっている! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。EUのメルトダウンは前に
取り上げたので、ペルシャ湾危機について考えてみる。「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては
軍事問題だが、日本にとっては死活問題」と、いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から
中東原油を減らしてアフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は北海ブレンド原油があり、
中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズを通過する原油が85%もある。
もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響を受けるのは日本である。
原油備蓄が半年分あるとしても、閉鎖をされると原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。
現在、毎日のようにシリアの内乱のニュースが流れているが、アサド政権が倒れると、イランに
とっても大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランとイスラエルの
代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、サウジなどの湾岸諸国も対抗上、
核抑止力として核とミサイルを購入するという。それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃す
ことは考えにくい。イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、イランの神権政治が
イデオロギー的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が
頻繁にイスラエルを崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの領土は小さい。
そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 世界的金融危機、中東危機の、
いずれにしても、際どい状況が表立ってくると見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛
隊基地で大爆発がおきて、基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。
また、この数年来、核科学者が暗殺されている。これに対しイランも、今年一月にバンコクの
イスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカでサウジアラビア大使を
暗殺しようとした事件もあった。 最近では、シリアで国防大臣などが会議で集まったところに
テロがあり、国防大臣をはじめ要人が暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、
水面下では戦争突入状態が分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が続いており、
中国、韓国、ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機にあるに
かかわらず、いまだ微温湯的体質が、そのまま残っている。
しかし現実は、ますます混迷に向かっている。直近の年内だけ考えても、非常に危険である。
 ・・・・・・・
3794, 哲学人 ー�
2011年08月15日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだブライアン・マギー著
「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後に
トイレに5年以上は置いて、ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、
重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 
数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが
出来なかったが、一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。350ページの分厚い、
上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で自分の哲学遍歴方式で書かれているので、何とか最後まで
読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化して、
私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。
著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、続けそうな気がする。
  ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー
《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが
 哲学だった。「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」
とする潮流は、現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、
科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。
 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と
 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》
▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。
 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が
分かったことがある。「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、
それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、
管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。
 ・・・・・・・
3429, 電子書籍の衝撃
2010年08月15日(日)
   「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著
「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。
書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、
どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。
  まずー著者後書きよりー
【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に
四~五冊も本を出している書き手のひとりでもあります。その意味でキンドルやiPadのような電子ブックリーダーが
出てくることによって、本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。
本文中で何度も書いていますが、間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」
ということです。何千年も同じような活字形式で人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。
そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから数十年しか経っていないテレビとは違うところ。
でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に変わったように、電子ブックも本の流通と
読まれ方を大きく変えるでしょう 】
 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、
よりセルフパブリッシングが拡大する。音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように
書籍の世界でも起こるのである。その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。
・キンドル、iPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた
・そこには優れたプラットフォームがあり、
・電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する
・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。
本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社もiTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。
kindle・iPadが、iPhone・iPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。
 ・・・・・・・・
3054,渡辺淳一の不良講座
 2009年08月15日(土)
 渡辺淳一著『反常識講座』 
 ー第六章 軽率になって恋をしよう
渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は品位を
疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。
渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることはー
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を
 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。
(字数制限のためカット 2012年8月15日)
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2689, 他山の石のことながら
 2008年08月15日(金)
 ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした
他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、
 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。
 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。
(字数制限のためカット 2010年8月15日)
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2007年08月15日(水)
 2325, ベナレス −1          ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。
実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。
全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 
こうして冥福を祈られながら、やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。
聖地ベナレスで最も聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。
その歴史は数千年におよぶと伝えられている。  (字数の関係で中間カット 09年08月15日)

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