堀井On-Line



4880,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー43

2014年07月25日(金)

   * チェーンストアの組織論の特徴
 チェーンストア組織論の特徴は「3階層」「5職能」 で表現される。(少し専門的な内容になるが)
★ 「3階層」 とは<トップ>  <スペシャリスト> <ワーカー> の階層。
 階層を増やさず、可能な限りフラットにし、ミドル・マネジメントを増やさないシンプルな組織が特徴。 
 ○ スペシャリストは、それぞれの専門で、店舗なら多くの店の運営を、バイヤーなら、各部門の
  仕入れ経験をこなし、それぞれの商品の専門キャリアを多く持っている人をいう。
  売場では、多くの店と売場を経験した店長、次長がスペシャリストに入る。
 ○ ワーカーは、マニュアルに従って作業をする職階の人で、ノンキャリア社員、パート、アルバイト。 
  ところが、情報機器の進化で、現場段階のワーカーと、スペシャリストの区分が曖昧になっている。
  スペシャリストの技能が情報機器で簡単に使えるようになっているため。
★ 「5職能」 とは横割りを5つに増やし トップの下で
 <スタッフ> ※トップのためのスタッフ
 <サービス>
 <ライン・スタッフ>    
 <クリエイティブ・ライン> (商品部) 〜仕入れ担当で、一般的にいうバイヤー
 <オペレーション・ライン> (店舗、加工、物流施設の運営)
  の機能で分担する組織である。
▼ 旧来型の組織論のライン、スタッフ、サービスの3職能を、3階層、5職能で理論付けが特徴!
 ここで目新のが <ライン・スタッフ> =ラインのためのスタッフ。 クリエイティブ・ラインや
オペレション・ライン(マネジャー)に付くスタッフのこと。ラインの業務プロセス作り、カイゼン、
有益な情報・データの提供などでサポートするスペシャリスト。
 これらは、チェーンストア統一伝票システムから成立した部門別管理と、それぞれのマニュアルが、
ベースになる。それぞれの教育計画は、社員と幹部の登用試験制度と、配転計画のキャリアから成立する。
トップ育成計画と、スペシャリスト育成教育、正社員教育システムに則って、それぞれ行われる。
特にトップ教育は、本人以外には知らされずに行われるメニューがある。職能として、
スタッフとして、新規出店の開発部門、経営計画作成、サービスの財務などの配転の中で育てられる!
官僚のキャリアの育成計画は、この計画にそって出世競争の中で勝ち残った者が選択されるのと同じ。
 右上がりの時代ならよいが、右下がりになると、配転計画段階で、多くが排除されていくしかない。
私自身は、自ら10年目に行うべき配転計画の判断ミスをしてしまった。それも、自分の限界と
割りきるしかないが・・ 高度経済成長時代の鬼っ子ということか。
・・・・・・
4513, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー7
2013年07月25日(木)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者そのままを私の事前指示書にしたいぐらいだ。そこで早速、図書館から借りていたこの本を、
アマゾンで注文をした。その本に、自分の希望を書いたポストイットを貼り付け、仏壇の引き出しに
入れておけば、それがそのまま指示書になる。そして気が向いたらまとめてブログの分類コーナーを
作り、張り付けておけば良い。 実際のところ、気がすすまないのか、面白いのか。 
死際を考えると、すべきこと。ーまずは、その指示書からー
≪   ー 事前指示書(その1)ー     2006年9月17日2 中村仁
 「医療死」より「自然死」が好みのため、意識不明や正常な判断力が失われた場合、下記を希望する
  (ぼけた時は、ぼける直前に「断食死」を敢行するつもりだが、タイミングを外す場合も考慮して)。
1 できる限り救急車を呼ばない
1 脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退する
1 原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さない
1 人工透析はしない
1 経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、中心静脈栄養、末梢静脈輸液は行わない
1 不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければその時点で取外して差し支えない
   ー 事前指示(その2)ー
1 使い古しの臓器は提供しない
1 葬儀式は簡素に家族だけで、遠方の者には連絡せずとも良し、葬儀会館使用も可
1 読経、死後戒名は不要
1 告別式不要、供花、香典は辞退すること
1 死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ
  (もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)
1 年忌法要、墓石詣リは不要(但し、死体処理が希望通りにならず、骨が残れば、死後戒名、
  年忌法要行うも苦しからず、墓石詣リも勝手たるべし)                ≫
 ▼【一切の延命処置を拒否し、葬式は密葬。坊様の読経も墓も必要としない。骨は、先祖の墓に読経なしで、
  家族の手だけで入れて欲しい。】これが私に似合っている。父の口癖が「死んでしまえば、それまでよ」。
  死ななくても、「いつ何時、何ごとも、一期一会、瞬時過ぎれば、それまでよ」である。
・・・・・・
4139, 元始、ママは太陽であった ー2
2012年07月25日(水)
   * スナックは「未知なる異空間の社交場」
 著者の言葉そのままに、何処の店も似たかよったりである。この長期不況のため、客足は激減、スナックの数も同様である。
何とか存続しているのは、昔からの店で固定客を掴んでいる店だが、話は不景気の話ばかり。やはり還暦過ぎると、以前のような
元気は減退、それにつれて回数も減っている。それでも月に平均二回は通っているが一晩3〜4軒のハシゴが2〜3軒で帰ってくる。
高度成長期の一時期を除くと、スナックは儲かる仕事ではなくなった。 まあ、よく維持していると感心する。 一部をコピーする。
≪ 日本全国にスナックはたぶん15万軒ぐらいある。15万軒の扉の中で、毎晩『つぐない』や『銀恋』や『麦畑』や
『津軽海峡冬景色』が何万回も歌われて、何十万人もの家族が、何十万人もの家長のママを囲んで和気藹々夜を楽しんでいる。
家に帰れば別の家族が待っているママもいるし、ひとり暮らしのマスターもいる。 店の中では一緒に遊べる家庭があって、
飲んだり歌ったり、お腹すいたら焼きウドン作ってみんなで食べたり、「今度はどこの温泉に行こうかなど盛り上がったりしている。
 この数年でやたぶん200軒以上のスナックに足を運んできたけれど、裕福なママやマスターなんて一人もいなかった。
「儲けを考えたら、こんなことやってませんよ」というのは、僕がいままでインタビューで、一番よく聞いた言葉のひとつ。
でも、そこには別の「幸せ」と呼ぶのは大げさかもしれないけれど、こころのコリをほぐしてくれる温いなにかが、確かにあった。
有名スポーツ選手を射止あたり、年収、何億という女社長になったり、名家の女家長どして君臨したりオンナ道の「勝ぢ方」にも
いろいろあるのだろう。でも、もし僕がいい年したオバサンだったとしたら、気の良い常連たちに恵まれた、場末の小さな
スナックのママでいる以上の幸せは、なかなか思いつかない。 ところで一説によると、日本で一番多いスナック名は「来夢来人」
(ライムライト)という。ネットによると、その名前のママが四人揃ってライムライト・サミットが開かれたといか。不景気話が
中心だったと思うが?・・ スナックを「未知の異空間の社交場に人生の酸いも甘いも知り尽くしたママが待っていると考えるか、
酔っ払い相手の怪しげな空間として捉えるか」でスナックの価値(意味)も変ってくる。 カフェやバー、こじゃれたレストランが
ない町は日本中にたくさんあるけれど、スナックのない町は殆んどない。共通の異空間を人を求めているのだ。≫
 ▼ そういえば、タンザニアの年越しに行ったスナックが印象的だった。タクシードライバーを中心にした小さな村の中に
  10坪位の掘っ立て小屋だが、カウンターがあり、テーブルと椅子が5〜6あるスナック。そこに30歳位のグラマーの
  現地人ママがいて、年末の年越しのため10人位が焼肉パーティーをしていた。私たち日本人5人が、そこに加わり大騒ぎ、
  しかし、10メートル先にはハイエナが数匹、唸り声をあげていた。タンザニアの片田舎にも日本と同じようなスナックが
  存在していること自体が奇妙な気持ちだった。スナック、そこは漆黒の異次元の寂しさを紛らわす共同空間でもある。
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3773, 閑話小題 ー今場所は面白い大相撲
2011年07月25日(月)
   * 今場所は面白い!
 大相撲、今場所は、いやに面白い!相撲はプロレスと同じでないとしても「現在も談合の臭い強い○○業界?」と酷似した世界。
いずれにしても数年内に、これまでの延長上の事件が発覚、「現在の相撲協会は解体、根本的出直しの事態になる」こと必定。
「税金免除の談合社会も終わりをつげる」可能性を孕んでいる。 しかし、少なくとも今場所は八百長はやりつらい。
 で、まず「あの方」が引退に追い込まれた。 この場所全体を俯瞰すると三十代半ばの力士達の、勝率が極端に良くない。
興行上、大関以上に日本人は一人は必要。そこで来場所から、何の引退の替わりに日本力士が大関になる筋書きになってはいたが、
今場所は難しい。で、・・ 全体が阿吽の呼吸で場所全体の筋書きを創作するといえば、恰好がよいが、阿吽の談合が大相撲の
本来の伝統?「それを今さら何をいっているか!」が、彼ら役者(親方を含め)の言い分である。それをいっては御終いだが、
事実は事実。現在の協会が解体されれば、国技?を前提にした税金免除だけでなく、これまでの備蓄金も没収される。 
せっかく日本的伝統を長年かけ、つくり上げてきた親方制度の蜜が吸えなくなるため、親方衆が保守的になるのは当然。 
で、今場所は、どうも、こうも、「僕らは、そうすれば良いの?」が、露出しているから、これほど面白い場所はなかった。
今場所は、優勝は大関の日馬富士。大関に一歩及ばなかった一人を含めた関脇の三人が、大関に向けて一線に並んだ。 
また、八百長で20数名の力士が追放された効果で、若手が一挙に十両・幕内になった。 地位は人を作るで、数場所で、
それなりの実力が備わってくるはず。その怪我の功名で、相撲が俄然面白くなってきた。 この傾向は数年は続くだろう。
有望な力士も、古参に苛められ若いうちに、その力が発揮しないうちに枯れてしまうのが、これまでのパターン。
その上に、貸し借り、金銭のやり取りで昇進が決まってくるから関取になったと同時に変になってしまう。 
その意味で当面は大相撲は復活するだろう。 若手有望力士の台頭がテーマでキャンペーンをはれば良い。
ということは古参力士の大量の引退劇が始り、相撲自体が新鮮になる。 何処の世界も同じ。老兵は消え去るのみか!
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3408, この国の終わり −4
2010年07月25日(日)
  * 「取り繕い」国家の「その日暮らし」民族
 ー(P・53) 原爆を落とされる直前まで、私たちはせっせと竹槍を作っていたのはつい最近の出来事である。
 いくら資源不足の国とはいえ、なんとも象徴的な風景ではないか! それが何になったか。この大悲劇の教訓は、その後も
 全く生かされなかった。現在、足音高らかに近づいた究極の世界的大陰謀という「目」に対し、私たちの「目」は老眼にかすみ、
 日本民族総家畜化という「歯」に対しては、私たちの「歯」は全部抜け落ち、入れ歯さえもちあわせていないのである。
 この世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。 いったい世界で昨日今日何が起きているのかが、わかっていない。
 新聞に書いてある程度は読んでいるかもしれないが、その記事を疑う段階までは決していかない。ブッシュの言動と小泉の
 言動の間にある因果関係を考察する意欲もない。ということは、即、明日の自分の命には無関心だということである。
 なぜか?考えるということができないからである。 目にはカラオケ、歯にはパチンコで毎日を過ごしているのである。 
 明治国家がインスタント国家であり、急場しのぎ国家、間に合わせ国家、一夜漬け国家、ツギハギ国家だったことは確かなことだ。 
 世界のあらゆる事情に応急対応を迫られ、いずれかゆっくり腰をすえ・・と一時しのぎのつもりが、ずるずるここまで生き延びた。
▼ 現在の民主党の沖縄軍事基地の対応も、まさに著者のいう「取り繕い」そのものに終始している。
 この本が書かれて4年経ち、その二年後にリーマンショックがあり、世界に先駆けて国家存亡の危機に立たされている現在でも、
 ただ「その日暮らし」の政策しかたてることが出来ない。 4年前には、この著は「過激」に受け止められたが、現在ではご覧の通り。
 自民党と民主党という二大政党の看板はあれど、旧態以前の体質は変わってない。軍事も、金融も米国に支配され、身動きが
 とれないで、ただ目先を「取り繕い」、「その日暮らし」をするしかない。ほぼ完全占拠されている現実が直視できないのである。
 軍事ひとつとっても、ほぼ全て米国製。部品補給をストップされれば裸同然になる。中国、北朝鮮の防衛の一環のための米軍基地の
 配置というが、実際は日本の軍事占領。金融も、アメリカ国債に500兆円も買わされている。で、変動為替で、ある時期に
 来るとドルの価値を下げてチャラにさせられてきた。それを知って知らないふり。
 政治家も官僚も、むしろ尻尾を振って従わざっているとしか思えないのである。彼らは日本がアメリカの支配下にあることを
 知り尽くしているからである。 北とか中国の脅威より、この見えざる搾取の方が遥かに深刻である。これが現状である。
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3033,刑事が家にやってきた
 2009年07月25日(土)
 先日、家に帰ると家内が
「今朝、あなたが出かけて直ぐに刑事がきて『御主人がいますか』というので、普段は8時15分に出るのですが、
病院に一度行った後、そう20分ほど前の11時前に出かけた」といったという。そこで刑事が「先ほど真ん前のアパート2Fの
一番奥の部屋の窓が割られ、泥棒が入りそうになったが、部屋には住人が居て、通報をしたため逃げた。
    (字数制限のためカット 2012年7月25日)
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2668, 日本経済の崩壊と資産防衛
 2008年07月25日(金)
二年と三年前に二回受けたセミナーのシリーズが、再び開講するというので一昨日、受講してきた。
講師の清水洋氏は《平成20年からマーケットの大転換》があると言い続けてきたが、いよいよ現実化をしてきた。
《日本経済はかってない構造変化を体験するので、早めに手をうって事業と財産を守れ》というのが、彼が一貫して言い続けている
ことである。今年になって、サブ・プライム問題がアメリカで表面化をして、一挙に世界の景気の陰りが出てきた。
数年前に出席したときに、言っていたことが、まさにそのとおりになってきた。今年になって読んだ本にも同じようなことが
書いてあったが・・ 講師は予告どおりになっているので上機嫌だったが、聞いている方は、その激しさに震撼とした空気であった。 
  その内容を印象に強かった順に大筋書いてみる。
・金利の高騰は、既に始っており6〜7?になっている。 出来たら固定金利に換えておくこと。
・とにかく破産者が多い。生活保護世帯も二年間で130万から150万世帯に増えた。
 零細・中小企業の倒産、廃業が信じられないぐらい多い。
・ガソリンスタンドが現在4万あるが、60パーが淘汰される。
 (一例をとると、ガソリンは赤ランプがついてから入れにくる車が増え、その上に千円しか入れない)
・地方は老人と子供が増えて、商売が成り立たない職種が増えてきている。
・問題は国債だが、それより年金の未払いの数字が膨大にあるのを、国民は知らされてない。800兆円あるという。
・生産者優先の社会から、消費者優先の社会への大転換が雪崩をうって進みはじめた。
・金は現在、Kgあたり350万だが600万はいくだろう。
・アメリカのドルは近々には暴落をするが、その後に金か農作物本位制度で復活する。しかし日本は暴落はするが金を
 持つことをアメリカから間接的圧力で持たされなかった。アメリカの金の在庫量が7500万トンだが、
 日本は170万トン、ドイツは350万トンしかない。
・郵政民営化は、郵貯の資金が外国に逃げることを意味している。
・国家破綻の結果として、ハイパーインフレが生じ、国債が暴落。国民の資金の価値が暴落。それで国の借金をチャラ?
 国家破綻は政府の破綻。それを外国メディアが正確に報じる。(外国メディアに敏感であれ)国民は、
 消費意欲が極端に落ち、さらなるデフレへ。
・スイスフラン、ユーロダラーや、金の現物にリスクヘッジをしておくこと。
・2〜3年後には、ドルと円の破綻は間違いない。
・人口減少社会は、300年に一度の社会的大変化の時代に突入。それは、明治維新、第二次大戦の終戦に匹敵する
  ー以上だが、次回は私なりの意見を書く。  - 2008年07月23日 13時〜17時 会場 御茶ノ水 山の上ホテル −


4879,閑話小題 ー最近、またカラスが・・

2014年07月24日(木)

   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が鳴響いている。 
一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が続いている。ポタリングを毎日
2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。その中でカラスが目立って多い。
その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が次々とやってくる。 ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に糞を落として
いった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に考えていた。 ところが
一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、
「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。よくあるので、取り上げたのだろう。 
答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。
専門家とはいえ、私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた
訳でない。 で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で
威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって見ていたが、
明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。
よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、
決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。 
鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。上下に体勢を
入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、どうも、
我家のインコが野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット?と思ったが、他の野鳥も
来なくなる上、無粋。 そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々
減っているのが気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな
緑地の我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が多くなると、
今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、軽井沢、那須などに
行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
・・・・・
4512, 閑話小題 ーつれづれなるまま
2013年07月24日(水)
   ―つれづれに―
 人生も、あと二年もしないうちに古希。杜甫の詩、「人生70 古来 希なり」の年齢になる。
後悔も、満足感もさしてない。人生の終わり間近には必ず後悔の念に支配されるという。 
実際に、こんな時代の断層を経験をするとは思いもよらなかった。それと地球の絶景をこれほど
多く見ることが出来るとは・・ 日進月歩の情報端末の進化が、日常生活を変えるとは・・ 
 終戦直後に生を受け右上がりの時代を40歳半ばまで経験し、その恩恵を受けた。 
そしてバブル崩壊と、9・11テロ、リーマンショック、2011年の東北大震災、の三つの経済・自然
震災で、世界が更に変わった。それがあっても良い時代であった。 団塊世代の一年前に産まれ、
時代の恩恵を十分に受けてきた。 バブル崩壊と、新世紀21世紀の時代変動の中で、何とか
ソフトランディング?が出来た。「時代のめぐり合わせが良い世代は、最後までハッピー」
という説がある。現に同年代の人たちは、大方が恵まれていた。 2〜10数歳年上の兄姉達は
戦前・戦中時代派。 時代の価値観に大きく影響されているのが見て取れる。 両親が明治生まれ、
叔父叔母は明治・大正時代に、兄姉は、昭和1桁生まれから10年代。それぞれの時代に大きく影響
されている。それからすると、私は「終戦生まれで、高度成長期育ち、最後は、その崩壊で御終いの
人生」。そして、日本の本格的衰弱を目の当たりにして最期を迎える。 長生きをするほど、辛くなる。
   ーいま、ドラッグストアが面白いー
 最近の中小のSCには、スーパーの横に、必ずドラッグストアが並んでいる。
スーパーは生鮮三品を周囲のメイン通路に配置、挟むように日用品と、袋物食品などを配置している。
酒とツマミの買出しに週一、SMと、ドラッグストアに通って二年になる。 そこでは地元スーパーと、
全国チェーンのドラッグストアとの非生鮮食品と日用品をめぐる激しい戦いが見て取れる。
更にSCの入口近くに、コンビニが出店、両者の隙間をつく構図になっている。ドラッグストアも、
ここで色いろ模索をしている。 近くにある3つのチェーンが同時に、食品コーナーを二倍ほど拡張、
98円均一の小パックの単身者向け?コーナーをつくった。 企業規模と、小回りをきかせた、
それぞれの特徴を備えた本格的な戦いになっている。 酒あり、生鮮あり、缶物食品あり、
パンコーナーあり、冷凍コーナーあり、である。 消費者も商品と値段に敏感になっている。 
県内最大の「コダマ」も、いつの間にか、全国チェーンの傘下になっていた。
これに消費税のアップが控え、小売の最前線は更に熾烈な戦いになる。
・・・・・・
4138, 元始、ママは太陽であった ー1
2012年07月24日(火)
 ある雑誌の「元始、ママは太陽であった」都築響一、のスナック・ママのレポートが面白い。 
  ーまず、その一部を抜粋するー
≪ 「スナックの良い店の見分け方がありますか?」と聞かれるが、そんなのがあったら
苦労してないです。スナックのドアがああなっているのは、そこが家庭だからだ。「家庭的」
じゃなくて「家庭」。あのドアは店のドアというより、ママなりマスターなりと、常連さんたちがつくる
「家」のドアなのだ。ドアがガラス張りで、中の暮らしが丸見え、なんて家はあんまりないでしょう。 
ママやマスターという「家長」がいて、常連さんという「家族」がいる。僕みたいな一見の客は、
知らない家にお邪魔する人間としてドアを開け、奥のほうで和んでる一家に「僕も混ぜてもらっても
いいですか」とお願い、「まあ上がって飲んできなよ」とか言われて上がりこむ。
ちゃぶ台やコタツのかわりのカウンターで肩を並べて飲んで歌って、そういうのを2、3回も
繰りかえせば、知らないうちに家族の一員になっている、スナックとはそういう場所なのだ。
だから長いこと営業しているスナックでは、ママやマスターと常連たちが、やたらとバーベキュー
だのボウリング大会だの栗拾いだの一泊温泉旅行だのに行ったりする。
どんなに歴史があるところだって、レストランやショットバーがそんなことをするだろうか。
飲食業にもいろいろあるが、スナックという業種は、開業するのがいちばん簡単な飲食業でもある。
飲み物と乾きもの出すぐらいだから、調理師免許もいらないので、一日講習を受けて食品衛生
責任者の資格を取って(よくカウンターの隅とかに青い板が貼ってある、あれ)、保健所に
食品営業許可、警察に酒類販売のための風俗営業の申請をすればいいだけ。
あとは毎月の家賃と、お酒とつまみと氷代と、カラオケのりース代を払えればやっていける。
バーやキャバクラみたいに女の子を何人も雇うのでなければ、人件費もかからない。
料理店とちがって食材の心配をする必要もないから、商売としてリスクは、他の飲食業と較べて
ずいぶん少ない。そのかわり、儲らない。スナックでお客さんが払う金額というのはふつう、
キープポトルを飲んで3000円から5000円ほどだ。最近では、それくらいで飲み代、歌い放題という
店もたくさんある。ドリンク代を考えれば、カラオケボックスより安上がり、なんてこともある。
それで一晩に5人か10人、常連が出来れば上等という店がほとんどだから、お金儲けのために
スナックをやってるママやマスターなんて、日本全国にひとりもいないのではなかろうか。≫
▼ 20歳頃から現在まで46年間、スナック、居酒屋で酒を飲んできた。20代後半から30代半ば
までは、仕事に没頭していた為、スナック通いは少なめだったが、それ以外は、月に二回は通って
いた。だから、上記に書かれているのは全国津々浦々、殆ど同じということがよく分かる。
男は傷ついて誰かに慰めてほしいが、連れ添いは「ツレナイ」ため、外のママ様にお上手を言って
欲しいのである。女の子を置いている店は、クラブの要素を入れて、疑似恋愛空間をつくって
お客を呼び寄せる。アルバイトや、酒好き、男好きの女性を客に如何に集めるのもママさんの腕。
それもこれも、采配一つで店の盛衰が決まってくる。ただ一つ絶対的基本がある。
 店は綺麗に磨きあげておくこと。愚痴を言わないこと。客の悪口を言わないこと。
プロ筋の店が少なくなってきた。客もだが! ーつづく
 ・・・・・・
3772, 閑話小題
2011年07月24日(日)
  * タレントは日本特有の職業人
 NHKのBS番組「クール・ジャパン」で、各国の外国人が日本のテレビ番組に特殊性を語っていた。
日本のTV番組は、それぞれの国からみると、過剰なぐらいサービスが徹底していて、特にバラエティー番組に、
その傾向が見られるという。そこにはタレントと称する職業があり、何でもこなすマルチ的才能の職業がある。
  ーそこで、タレントをウェブ辞書で調べてみるとー
【 俳優や歌手以外で、その才能・個性をセールスポイントにTVやラジオに出演して活躍する人を一般に「タレント」
 といいます。 バラエティーやクイズ番組に出演している司会者、リポーター、コメディアンなどをさすことが多い。
プロダクションに所属してチャンスをつかむほか、街を歩いていてスカウトされることなどもある。いずれにしても、
きっかけをつかむ運と、魅力あるキャラクターを持っているという、生まれついての素養が重要となります。】とあった。
このような職業は外国では存在しておらず、日本固有のものという。また、日本のようなバラエティーも特殊であり、
そのテーマに教養を取り上げることなど外国では考えられない。その意味では、日本は遥かに外国を凌いでいるとか。
もし、それぞれの専門家が、それ以外の番組に多く出演しただけで、仲間内で馬鹿にされる土壌がある。
教養番組に出演する時は、背広を着て、厳しい雰囲気が常識。 ゴールデンタイムに、教養的知識を面白おかしく
番組が構成されるなど有得ないといか。お笑いなら徹底的にお笑いに徹するのが習い。 タレントという存在、
そう言われてみれば不思議である。タレント教授、お笑いタレント、元プロ野球タレント、タレント代議士、マスコミ
出身タレント、など不思議といえば不思議な存在である。専門職で名をなした人が、そのキャラでバラエティーに出て、
その場を盛り上げる一員である。そういえば、公道で通行人がインタビューをされた時、多くの人が堂々と受け応えする。
一億総タレント化の様相でもある。 しかも今度は携帯電話がパソコン化されてきた昨今、ミニブログなどのツイッターで、
誰もが情報を発信できるようになってきた。その中で、色々な方面の多種のタレントも出現始めてきた。面白いといえば
面白い時代、総白痴化と否定だけはしてはいられない。 それにしても、TVの露出度が高い低いで、その人気度が
はかられる時代、変といえば変である。    バカタレ!
 ▼ NHK[クールジャパン」HPより
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
 ・・・・・・・
3407, 人みな骨になるならば ー15
2010年07月24日(土)
 * 心理学が自虐 
(−P199) もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれるべきものがあるとすれば、
それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、
つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識はわれわれに信じたいように信じさせる
傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを得ないことか、
単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を
無邪気に信じ込むことが出来なくなる。 それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、受け入れ、引き受けることで
初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。
なぜなら、そうした「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法や薬物療法がいくつも知られてしまったからである。
とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが
危険であるのと同様に、世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に唾しなければならない。
願望充足をたくらむわれわれの無意識が、そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
・極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独をごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがためなのだ。
▼ 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、
しかもそのことに自分自身で気がついていないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
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3032,青年と成年の境目
 2009年07月24日(金)
 青年と成年の境目とは何だろうか、何度か考えたことがあった。
「就職をし、結婚をして家庭を持って落ち着き先を見出した時」とは思っていた。
 開高健は以下の文章は、そのあたりを明快に書いている。
  ーまずは、その部分より
【「青春」という言葉があります。私なりに定義をすると、「自分の気に入った、自分の適した職業を見つけるまで、どんどん職業を
 変えていける条件と心のある時期」を「青春」というんじゃないか。 職業を選んでしまうと、それはもう青春ではなくて「青」が
「成」という字になる。職業を選んだときからアダルトになるじゃないですか。  (佐治敬三氏との対談より)】
 成るほど、その通りである。そうすると、私は34歳までは青年だったということだ。考えてみると、そうかもしれない。 
 青春は、理想を求め彷徨い漂っている時期をいうのである。それでは、中学校を卒業して就職し、一途に仕事をしてきた人には
 青年期は無かったというのか? その辺の判断は非常に難しいが、如何だろうか? そのファジーな部分からみると、人生に希望を
 持って具体的に行動をしている人が青年期というのだろう。 一生、足元を踏み固めずに、夢見るオノコがいるが、彼を万年青年とは
 いわない。万年青年という言葉には、深い教養の上で理想を追い求める人をいう。人にとって、その職業の占める位置は大きい。 
 連れ添いと同じぐらいといって良い。力=仕事、愛=家庭、知=教養とすると、青年期は、それぞれのカタチを模索し
 吸収している時期をいう。 見っともなく、ボロボロで、大きく変化をしている時、だから光輝いているのである。 
 成年期は、その光を失った時というと、そうでもない。仕事や、家庭つくりに全身をぶつけている違う輝きが出る時である。 
 そうこう考えると、就職と、結婚が大きな境目といってよい。 自立した時が成年にアップスケールした時である。
 心は何時も青年だが、身体は老年になっていく。諦念するしかないか! ところで、青年期も、成年期もない人がいる。ドッキ!
・・・・・・・・・
2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。 
 とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主と割り切れば、
「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、
 まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、女を愛することもできないし、
 女にも愛されない」。 「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風な
 ことをいう者には東光は容赦ない。「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと
 死にゃあいいだろう。 そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには
 何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
(2014年7月24日 −字数制限のためカット)


4878,閑話小題 ーインコのプライド?

2014年07月23日(水)

   * インコのプライド?
 ストレスで、週に一度は狂ったように籠内を飛び回る。ヒステリックである。
二日前のこと、ヒステリックに飛び回っていた時、水飲み場に身体全体が落ちて
しまい全身びしょ濡れ! その姿を家内と笑って見たところ、怒って拗ねたのか、
駕篭の一番奥の物陰で睨みつけ、半日、何度も呼びかけても出てこない。 
プライドが高く、少し叱ると、少しの間、無視などで怒りを現すが、今回は半日も
拗ねていた。鳥にも三分?を改めて確認した。ラクダも失敗で叱られた場合は
納得するが、理不尽の怒りには、根に持って何か機会に攻撃するとか。
 懐いたペットは、飼主の露出した魂そのもの。下手な?家族より親しみを持つ。 
  ーネットのペット川柳よりー 特に1、7、12、14、19は? 家庭内で・・
 < 1、 挫折して ペットに学ぶ 処世術 (ひまわりさん)>   〜よしよし(,^^)/(-_-;)〜
 < 2、 散歩中 愛犬モテキ 俺ボヤキ  (婚活男子さん)>
 < 3、 似てますね 嬉しいけれど ブルドック (ゆずママさん)>
 < 4、 家出した 猫が太って 帰って来た (あきちゃんさん)>
 < 5、 犬だけど おやつの時は 猫かぶり  (蘭璃さん)>
 < 6、 まだ残る ローンの柱 かじる犬  (らくちゃんさん)>
 < 7、 飼ってます 犬・猫・鳥と 虫・夫 (りのんぱさん)>   
 < 8、 パパの背を 見たからできる お手と待て (良馬さん)>
 < 9、 まっしぐら 犬も子供も 妻の膝 (伊那のザザムシさん)>
 < 10、 鎖より 絆でつなぐ うちの犬 (おたふくまめさん)> 
 < 11、 ほれ投げろ!遊ばれてるのは我が主人 (醜いカラスの子さん)>
 < 12、 ご飯まだ? ペットにエサやる 妻に聞く(まつながともふみさん)>
 < 13、 もの言えぬ 君は夫婦の 司会役 (犬猫主夫さん)>
 < 14、 妻娘 俺はタローと 連立し (びわこ鯰さん)>   
 < 15、 会釈され 連れてる犬で 思い出す (多国籍さん)>
 < 16、 愛犬に 脛を齧られ 親想う (多国籍さん)>
 < 17、 ペットだけ 動かす妻の 重い腰 (さごじょうさん)>
 < 18、 元彼の 名前と知らぬ 旦那様 (まささまさん)>
 < 19、 ペットより 先に逝ってと 妻が言う (クジラさん)>   
 < 20、 プラズィオン ペットのそばより 俺の横 (はるやすさん)>
▼ どれもこれも切実な問題? 7の< 飼ってます 犬・猫・鳥と 虫・夫 >の、
「犬・猫・鳥と」を「ペットのピーコと」に置換えると、まさに家庭内の私の立場!
・・・・・・
4511, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー6
2013年07月23日(火)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者は「・・・延命措置をお断りします」の宣言だけでは不十分と、自分の事前指示書を作成している。
まず事前指示として、以下の項目をあげている。内容は医師であればこその内容で、そのまま雛形に
すればよい。これを機会に、ブログに書き残しておくつもり。ほぼ著者の指示書を咀嚼するだけだが・・
 ーまず、その部分から抜粋
≪   ー延命措置事前項目ー より
(1) 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内挿管など)  (2) 気管切開
(3) 人工呼吸器 (4) 強制人工栄養(鼻チューブ栄養、胃瘻による栄養、中心静脈栄養)
(5) 水分の補給(末梢静脈輸液、大量皮下注射) (6) 人工透析  (7) 輸血
(8) 強力な抗生物質の使用  (9) その他
  次に事前指示の項目(表4参照)とは何かについてお話ししていきます。
 � 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内拝管など) 心臓や呼吸が止まった時に
行う治療手技です。  両手で強く胸の真ん中あたりを圧迫して心臓を動かそうとするため、
肋骨骨折は、当然起こります。 また、心臓が細かく震えた状態(心室細動)で有効な血液を
送り出せない場合、これを改善する目的で電気ショック (AEDはこれです)を行います。
口対口で肺に空気を送り込んだり、手動のバッグを使う場合もあります。
 さらに、気管内に管を入れ、アンビューバッグで空気を送り込んだり、人工呼吸器に
連結したりします。 ひとたび心臓が止まったり、有効な血液量が送り出されないと、酸素不足に
極端に弱い、脳の神経細胞がやられてしまい、再び心臓が動き出したとしても、その杜絶した
時間の長さによって、脳死や植物状態になって蘇ることになります。
 私は、一度心臓が止まれば、原因の如何を問わず寿命と考えていますので、AEDなどは、
平にご容赦というところ。溺れた子どもなどには、有効な場合もあるが、生きものとしての賞味期限の
切れた年寄は、考えてみるべきでしょう。
 � 気管切開  痰が多く詰まって窒息しそうな場面や脳死の場合に、のど元に穴を開けます。  ・・以下略 ≫
 ▼ 生々しいが、それでも、元気のうちに意思を示しておいた方が良い。特に(1)などは絶対にして欲しくない。
  (2)の気管切開、(3)の人工呼吸もである。(4)(8)も一時的ならまだしも!生かしておくだけの延命は、
  お断りである。死亡解剖も一切、お断り。臓器移植も駄目。今まで、家族とこういう内容の話をしたことがないが、
  ブログの分類のコーナーに項目をつくって書き残し、正月で集まった折などに話うつもりである。下手に5年、10年、
  生かされたくはない。次回は、著者の事前指示書を考えてみる。 まだ、早いと思うが、本来は還暦までにすべきこと。
・・・・・
4137, 大方は40歳で右下がり
2012年07月23日(月)
   * 男は40歳でポンコツ化の曲り角!
 少し前の週刊SPA! になるが ≪40代会社員のポンコツ化が尋常ではない【証言集】≫があった。
  ー それは、「40代会社員の劣化メカニズムを徹底解明」特集で、劣化事例を紹介していた ー  
・「バブルの頃は良かった。友達の付き添いで行った面接で受かったりしたもん」と自慢話を連発
・「係長(男・45歳)という役職なのに、部下のミスは部下のミス、絶対に尻拭いをしてくれません。
 ランチに誘われても必ず割り勘。なぜこいつが係長になれたのか、我社の七不思議」(代理店・28歳)
・「IT関係の職業なのにも関わらず、僕の上司(男・46歳)はファイルの圧縮さえできない。
 Excelの関数はおろか操作もままならない」(SE・25歳)
 ポンコツ40代を見ていると、「自分はこうにはなりたくない」と誰もが強く思うはず。
しかし心理学者の和田秀樹氏は「人は40代になると必ず劣化します」と断言する。
▼ 現場の一線に立っている人も、管理職としての能力も、30歳代までで成長は終わると、いわれている。
 私の事業人生を振り返っても、右上がりが40歳まで、後は下降?、その後の判断した結果は、右下がりの起因をしたものばかり。
 40歳の頃、富士銀行に勤めていた高校の同級生が支店長への出世コースから外れ出向になったっと聞いて驚いたことがある。
 激しい競争社会では、その辺がピークということ。結局、先が見えエネルギーも出し切ったところで、外に出さないと、
 組織そのものが弱体化する。その頃が厄年として男も女も大病や人生を揺るがす事故や失敗が起きてくる。 逆に、その辺に
 予定挫折として前向きに自分から転職・転業などの節目をつくる方法もある。その意味でも、男の一生は大変だ。
 への字の右上がりから、下りのテッペンが40歳。下がりきったところで少し右に流れたところが65歳以降。 少し長い?
 とすると、最近は80歳以降か。40歳右下がり説からすると、ピークを維持するため何かを学び続けなけばならないことになる。
 戦後日本を一人の人間と喩えてみると、1985年のプラザ合意が明らかに右下がりの決定事項。そして、現在66歳とすると、
 自分そのもの。4年前のリーマンショックが、次の大きは節目で、その大津波が今年末、日本と世界を覆い尽くす可能性が高い。
 ・・・・・・・
3771, ユング ー10
2011年07月23日(土)
   * ユングのいう、能動的想像とは? 
  ーあるブログに、能動的想像法の要約があったー
 { 能動的想像法は、睡眠と覚醒の中間の状態で、一種の夢想状態に近い。 眠りと覚醒の中間、眠りに落ちるすんでで留まり、
  意識を持ちながら夢の中を観察するような、そういった状態。ただし、そこでは、あくまで観察するだけで、干渉はしない。
  願望を叶えるために夢を操作するような、そんなことはしません。魂ともいえるものが自由にしている状態を、ただ眺め、観察する。
  この時重要になるのが、記録。これは、単に書き留めるだけに留まらず、それは一種の表現になる。書き留めたり、絵に描いたり、
  粘土で作ったり、踊ったり、歌ったり、演じたり、また信頼できる人に話したり、そうすることで、無意識の闇にあったものが
  命を持ったまま、現世に顕現するのです。そうすることで、こちら側に生きる我々が、こちら側に生きながらあちら側に参加する、
  そんな感じになってきます。それが魂の体現の一部となる。 人間を豊かにし、特に現実問題と十分に向き合ってきた中年期・
  老年期の人たちに対しては、今までになかったものを与えてくれたり、今まで見逃していたものに、気づかせてくれたりします。}
 ▼ なるほど、面白い。 この実例が〈ユングー地下の大王 ーコリン・ウィルソンー 〉にあった。その幾つかを、次回に
  コピーし考えてみるが、あちら側は、あくまで能動的想像をしている本人の潜在意識の世界である。いや、更に深い共同意識の世界か。
  意識を持ちながら夢の中を観察する状態で、魂を眺めているのが能動的想像ということ。子供時代の頃の夢を見ている時の
  マドロミ状態が、こんなものかもしれない。ユングは自分に、この能動的想像力があることに気づく。フロイトとの仲たがいなどで、
  自分の精神が崩壊の寸前に至り、精神病者が苦しんでいる妄想を垣間見ることができた。その一つに「血のなかに溺れかけた
  欧州の幻覚が、翌年の1914年に現実になり、その幻想は間違ってなかった認識をえたのは幸運だった。
  作家の創作も似ているが、あくまで、これは潜在意識の観察であり、本人の魂の開放である。重なっている部分は、主人公の
  魂の開放を通して、読み手を満足させようとするところ。 (全ての小説が、そうとは限らない。)
   ところで、過って行ったことのある世界の旅先を、毎日のようにTVで放送している。実際に見てきた以外の所も映し出す。
  そうすると、当時に立ち返り、そこに自分が行っているような奇妙な感覚になる。これも、能動的想像法の一つになるのか?
  老人が過去の思い出に浸っている時、心は能動的想像の世界に入っている? だから、勝手に孤独な老人と決め付けるのは間違い。
   この年齢になって分かったことは、行蔵にあまりに多くの経験があることだ。
 ・・・・・・・
3406, この国の終わり ー3
2010年07月23日(金)
 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に尽きることのない敵に対処することこそ、人間の知の原点。
その典型的な形が、外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における攻撃と防御のストラットジーである。 
恐怖は考えの母であり、不安は考えの教師である。考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという能力をも
持っていなければ達成できない。疑いの度合いが深ければ深いほど、そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが原点であり、西洋宗教も同じである。
それが日本人以外の人間たちが持つ知性である。 一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを
古風に言った言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。知恵は智慧とも書く。・・・・
▼ー感想  知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安を感じ取り敵に対処する人間の原点を
 わきまえ知ることである。 持っている知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
(字数の関係でカット2012年7月23日)
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3031,卒業40年周年か〜 −3
 2009年07月23日(木)
* 奥野君への手紙          (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。 
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに
訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後    
・ジャスコに一年在社後に、 ・産業能率大学に途中編入をし、・その後金沢の「いとはん」(ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを
 二年間従事(その当時に結婚) ・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。どちらかというと、
創業屋的な人生だったと思います。30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところ。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。   2009年07月22日     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
   当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
   分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
・・・・・・・・・
2666, 結論で読む人生論 ー2
 2008年07月23日(水)
 ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。
  ーまずは、その部分ー
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。もしかしたら、
人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、それぞれの計らいでいいではないか。
ここまで見てきた人生論はあまりにも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものはないか、
とお嘆きのあなた、これがあるのだ。 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。         ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、その言っている野郎が、
ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。そんなのはダメなんで、真実火の玉に
なって人生を渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。人がよすぎて結構じゃねえか。
そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」「おめえみてえな
 野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでものばしてた方がよっぽどましだ、この野郎!」。
  ー                                     ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
 どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、
 自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。切に自殺をお勧め
 いたします。  (字数の関係でカット2012年7月23日)


4877,閑話小題 〜大相撲の立ちあいに、肘打ち!

2014年07月22日(火)

   * 昨日は、初孫の顔を見に東川口に!
 生まれたばかりの孫の顔を見に川口に行ってきた。私が8人兄姉の末っ子もあって、
実子の生れた時も、子供の扱いが苦手で、戸惑った。 昔から孫自慢を聞くが、いま一つ
ピンとこなかった。中・高校の同級生で、離婚や死別を切っ掛けに県外の嫁ぎ先の近所に
引越していった人が知っているだけで三人もいる。
それだけ孫が可愛いという。 で、昨日の感想は、「成るほど!」である。
 名前がスケートの浅田真央からとって、愛央(まお)。その顔が真央そっくり! 
彼女、金メダルを取れなったため、暗いイメージがついたが、愛嬌があり美人。 女の子は、
美しいか、そうでもない? では雲泥の差。半分?は決まってしまう。 これで、一つをクリアー
したことになる。 ご対面の時、家内が「今の子供は、みんな可愛いらしいね」と息子に言うと、
「実は、そうでもないんだよ!」・・
 話が変わるが、その後、大宮駅まで見送りに来た息子と三人、居酒屋で晩餐をすることになった。
その時に、息子が歩きながらスマホで電話予約。「知っている店?」と聞くと「知らない!」と、
歩いていく。そこで「検索のキーワードは何?」と聞くと「大宮駅、居酒屋、個室、予約」。
スマホのGPSが、道筋を誘導し、遊歩道を2〜3分歩いた飲食ビルの9Fへ。
その間、僅か5分!探したり、迷う余地ゼロ。丁度良い店であった。 
それにしても時代は変わったものである。
   * 大相撲の立ちあいに、肘打ち!
 エジプト人の若い力士が、ここで二日続けて金星をとった。よく見ると、立合いの出あいがしら、
肘打ちを相手の顎に全身で叩きつけている。これは、厳禁の握り拳で殴るより危ない打撃系格闘技。 
連続して負けた二人の横綱、それを恐れ自滅した相撲内容。 近々、禁止?これは一種のカテゴリー
キラー! モンゴル人の横綱が、その地位を利用して格下力士に張り手をしているが、これも
打撃系の軽いもの。最近では平気で、横綱に張り手をするツワモノもいる。 
格闘技のカテゴリーキラーといえば、柔道がある。ロシアのサンボや、レスリングの技を柔道の
持込んで、柔術から生まれた「柔道」に対し、 レスリングの「倒して背中を付ければよい」
という考えを取り入れた「JUDO」になっている。このため本来の柔道の姿が変わってきた。
大相撲も、時代の流れをふまえ、規則も変えるべき時? いや、何でも有りが面白い?
・・・・・
4510, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー4
2013年07月22日(月)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 今まで大半の日本人には「命の長さが絶対」という思い込みがあった。医師も最大限生かそうとし、
家族に示そうとした。また日本人には死に目に立会うべきという通念があり、家族が集まり、
最期を看取るのが価値あることと信じていた。でも、それは本人にとっての幸不幸でなく、一種の
儀式のためで、家族はモニターの波をみていて死にゆく人をみていない。当人にとって延命は
苦痛そのもので、「孤独死」でしかない。 以下の項目も、辛辣な医師と家族への批判だが、
こんなもの。
    * 第三章 日本人と死
・死に目に立ち合う症候群              ・臨終のすったもんだ
・胃ろうと「生かすことはいいことだ」        ・1時間かけて食べさせるのは愛情? 拷問?
・生死も「長いものに巻かれろ」           ・自然に死ねる「野垂れ死に」「孤独死」
・90歳過ぎるとだれも遣骨を取りに来ない       ・死後の始末を他人に頼むには、金がかかる
・「香典医療」で死ぬ前の数ヶ月に大金を使わせる   ・余命6カ月エクササイズ
・日本人は自分で決められない            ・無言の「若さ圧力」「健廉圧力」がすごい
・「平穏死」と「胃ろう」              ・がんの治療やーめた
・がんを放っておくと家族がうるさい         ・薬師もにわか軍医も医者に昇格
・放射線科で一生懸命になった理由…         ・昔の「自然死」「老衰死」は大部分、がんだった
・モルヒネは太古からの痛み止め剤          ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る       ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産         ・あなたは立派な患者だった
 ▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。一番恐れている死に方が、
 実は理想とは。 数年前に独り住まいの孤独死が問題になり、そのTVドキュメントを放映していた。
そこで、誰かが 「孤独死が悲劇というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する
見方があった。家族に囲まれても、死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への恐怖も、
残されたものの思い込み。生き残るものは立場からして違うのである。哀しみの感情を満たすため、
当人の真の辛さが二の次。 で、逝く者は地獄になる。  やはり自分の延命に対する
「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に準備を考えると、65歳が引け時だったか。
・・・・・・・
4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に
2012年07月22日(日)
  * 日記は翌日の午前中につける
 ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。当時の貴族たちの多くは、
日記は翌日の午前中に書いた。つまり前の日の出来事を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは最近のこと。
前日とはいえ、時間をおいて思い出すのは脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめることができる。私は日記的
メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、フリー落書帳を、三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。
しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。改めて考えると手帳お宅、そのものである。内省的性格からして、
これほど自分を落ち着かせる習慣は他には見当たらない。朝4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログに
アップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、
翌日分の随想日記内容の下書きを書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。その中の空き時間にiPadで
週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリングの出発前の10分間ほどだったが、
9時過ぎに時間を移行することにする。それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
  * 父親のこと ー2
 父は太平洋戦争前までは、実家の老舗の古道具屋の二代目で、母親が嫁に来たときに父に聞いたそうな。
「家って金持ちなの?」、それに対して父は「資産が7万円位で、金持ちの目安が10万だから、金持ちではない」と。
そして10数年後に戦争が始まり、それから数倍にした財産の殆んどを無くしたという。しかし、その財産の一つが、
空襲で焼けた後の繁華街の四角のあり、そこで始めた商売が当たり一時的だが、全国にも知られた繁盛店になっていた。
父は戦前、道具屋をしていた頃に、その商売柄、津上退助、野本恭八郎( 野本互尊翁)など戦前・戦中の財界人に
フリーパスで会うことが出来て、年に数点の骨董品を買ってもらうだけで商売が成り立っていたという。
そのため世の動きに対する知識や教養が必要ということを肌身で感じていた。コンプレックスだけでなく、
子供には学問を身につける必要性は分かっていた。早寝、早起きがベースにあり、20時半には就寝、5時前に起床し、
新聞を読んでいた。綺麗ずきで、チリ一つ落ちていない家であった。晩年の趣味は骨董品の収集、旅行、株式、旅行。 
怒鳴ることは無かったが、その代わり強烈な皮肉が飛んできた。自分だけでなく家族に従業員に非常に厳しい人だった。
要する地味にして目立たないこと、自己主張をしないことが大家族の掟。兄姉達は、常に父親の顔色を窺って、
側には近寄らないようにしていた。その父親が亡くなったのは満70歳。 私も3年半後に、その歳になる。
ファザーコン、マザーコンは、人間の心の底に誰も抱えているが、その人の原点である。幼児体験は強烈な経験だった。
・・・・・・
3770, 閑話小題
2011年07月22日(金)
  * 時間でみる施設の使用料金
 スポーツセンターや、シネマを一時間あたりの使用料でみると面白い。
スポーツセンターは、月5980円。20日は通っているので、一日300円である。私の実感は三十分500円で、
二時間平均は滞在しているので2千円の価値は感じる。2千×20日=4万円なら行かないが1万2千円なら行く。
それにしても安い。知人が、「スポーツジムは一人当たり一回2千円の計算がベース。これに会員数と稼働率をかける」
と言っていた。私の選んだコースの場合、日・祭日を除いたコースで、特別参加の日払いだと一日2400円。
風呂、サウナ、プール、マッサージ・ルーム(マシーン)、ロビー、もちろんトレーニング・ルームありで、
10時から17時まで使い放題で300円は価値がある。 月に一度は行っているシネマは二時間で千円、一時間あたり
五百円なら充分に価値がある。最近のシネマはデジタル化のため圧倒的に画面も音響も迫力があり、別次元の世界に
我々を引き込んでくれる。年齢もあるのだろうが、スナックや居酒屋は、酒・肴などの飲み食いも入れてとしても
一時間あたり千五百、二千円からみると、圧倒的に映画の方が価値がある。 現在の不景気、ネット化、デジタル化で
情報量が日ごと飛躍的に増えていることにある。大相撲や、プロ野球、行楽地は現地まで行かなくても、家でパソコンや
TVで、情報や、現場感覚が実感できる。それも無料に近い値段で、である。スポーツ・センターも、よく見ると、
殆どマシーンである。映画も、現在では殆どデジタルでつくられている。 
考える時は考え、休む時は休む。その時に道具としてマシーンを使えばよい。 
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3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)
   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。
これでも考えて生きてきたつもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体に疑問を持つようになる。
こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えてないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰って
くるのが落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。考えるとは、陸続きの他民族の侵略の
恐怖や不安がああるからだ。 それを真剣に考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない
日本民族にとって、考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
  ー 以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
 要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の民族と比べ極端に欠乏している。
猫でももう少しましに考えて行動しているのではあるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から押し出されてしまったせいなのかもしれない。
つまり右脳と左脳、ロゴスとパトスの千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人もいない九州の
山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。 
 国家は芯の芯まで腐り果て、民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えていないのである。
いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じてはいるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。
なにやら日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、といった漠然とした恐怖は、なんとなく
感じてはいるらしい。何しろかつてこの国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで起こり続けている。
帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリだって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、
犯罪は起きる。しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、起きているのは「並みの犯罪」だ。
並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の犯罪であろうと、何かは考えている。
どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然としている。それが考える遺伝子の不在としたら≫
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3030、卒業40年周年か〜 −2
2009年07月22日(水) 
  * 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れているという話はあった。 
 一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。 
 二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした○○譲○。ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。
 借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。三次会の最後は彼と飲んだが、
 二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われて
 コンサルタントもしているという。 バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、
「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買ってくれたのかしら」
 と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送った
 ところ、自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。「先週、買おうと店まで行ったら
 行列で買えなかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。
 十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。それでも朝一の高速バスで來京し、
 最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。還暦を越えると、社会的に如何こうは、三番目か四番目。10年後には出席できる?
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2665, 人生は儚いのか?
 2008年07月22日(火)
 知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに墓がある因縁のためだが。
習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに
「もっと墓参りに来てくれ!」勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。故人と話しをしながら、
思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ
実感である。だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。故人から学ぶことは、そのことである。 
達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。
しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、
4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。儚いというのは「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、
小ささをシミジミ知ることである。その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、
生後にある何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。そう感じる「わたし」は、
実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」から「わたし」になった言葉。そうすると、「わたしの人生は儚い」は、
その言葉に縛られた感情でしかないということになる。人生を振りかえって長かったような、一瞬だったような気がするが、
それは現在、そう思っている「わたし」の言葉ということだ。  
 (字数制限のためカット 2011年7月22日)
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2007年07月22日(日)
2301, また地震!どうなっている?まったく! ー5
 まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。
・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
・原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、と想定すると、日本はチェルノブイユの
 ような事故になっていた、と考えられる。 日本壊滅?は、決して小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、ほぼ正しかったことが改めて検証できた」と報じた。 
 ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩として断罪に値する、ということになる。 
 想定外でしたとは、言いのがれはできない! そのトップだったのは誰かは周知の事実である。その利権に屯したマフィアは誰か!
  (字数制限のためカット 2011年7月22日)


4876,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー42

2014年07月21日(月)

   * 31年の新潟~長岡間の通勤
 老いた母親をおいたまま新潟に引越すわけにもいかず、31年間も新潟~長岡を通勤になった。
しかし、高速の乗物空間の往復一時間は読書の最適環境。私の性格からみて地方の閉鎖性に
同化されない為に、職住分離は必要であった。新幹線車内は一度、県外に出たような感覚になる。
だから、30年も続いたのだろう。 それと、機内や高速鉄道の車内は「ぼんやり時間」として
ベスト空間でもある。
長岡住民の7〜8割が地元出身者だが、新潟は流入組7〜8割。 僅か30分で世界がまるで違う。
それも慣れだが流動が少ないのは良くない。それは、この三年間で、さらに実感している。
 排他的で、プライドが高く、烏合で、常に人の目を伺う比較世界の傾向が強い。
それも、外部からみれば越後・新潟の差異の範囲。 ところで、30年の新幹線交通費の総額は、
マンションが一つ買えるほど。全線開通直後、長距離通勤のための税制が変わり、経費で
落すことが可能になった。 何処も所属しないで済んだ代金とみればよい。
酩酊しての乗り過ごしは8回。そのうち3回は湯沢などに宿泊、スナックへ。
今から考えると、冷汗もの。そうこう振り返ると、やはり70歳前半が寿命? 今さら生き急ぐことも、
死に急ぐこともない。今や職住分離の職が無くなり、自宅中心の生活。 新幹線の代りが
「ハリウッド映画」と、ポタリング。これで一度、生活圏から出たような錯覚が、
ストレスを最小にしてくれる。
   * スラスラと、思ったことを文章化出来る?
 知人に「思ったままを毎日、書けるのが羨ましい!」と言われたことがある。 
読む方は、2〜3分だが、書き上げる方は、この程度の拙文でも、テーマのネタ探しを含めたら
2〜3時間は軽く掛かっている。 これでである。しかし、書き上げた達成感と、プレッシャーが
丁度良い刺激になっている。その後、読返し、書いている自分は何者?と、ドキッとすることもある。 
時間が過ぎると、書いた時点の自分は、別人のような人。 吐いてしまった、書いてしまった言葉は、
二度と戻らない! 言葉は恐ろしいし、それを文章化して責任を持って公表するのは、更に恐ろしい。
そのままの自分の本音が、そのまま出てしまうからである。そのため、早朝、何度も何度も書き直す。
それが考える訓練と、思考そのものになる。「日々、是、口実」が、分かっていても?自嘲しながら
続けている得体の知れない自分は「何者だろう?」
・・・・・・
4509, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー7
2013年07月21日(日)
            『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 スポーツジムののヨガに週二回、百回以上も続けると、一寸とした動作もヨガ的になる。
ポタリングの車上の姿勢と呼吸とか、起床の前の屈伸とか、夜半に目が覚めた時の姿勢と呼吸とか、
居間でTVを見ている合間の姿勢とかを、意識するようになった。これが続けてきた一番の収穫。 
また早朝の30分の瞑想も良い。この結果、夜半の半睡の状態も、瞑想のイメージを持つと、
心穏やかに不眠状況を受け入れることが出来るようになる。
    * 3日目ーA 正座から四つんばいになって・・
1、まず正座になって(踵を重ねない)、両手を膝の上に自然に置いた自然体から、
  軽く御尻を浮かすようにして爪先を立てて、膝の前で床に手のひらをつく。
  短距離のスタートの姿勢だが、手のひらは地面にベッタリつける姿勢。
2、「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
  狼が吠えているように、顎を上げ、胸を開き、背骨をそらす。
3、そこから腰を入れ、手をつけたまま立ち膝になり、踵をつけたまま背中を丸める。
  額を膝につけて息を出し切る。
4、緩めて、元の正座に戻る。そこで軽く一呼吸をする。
5、もう一度、1,2の動作をした後、軽い呼吸をしながら、膝裏を伸ばしながら
  尻を持ち上げる。横からみたら、三角形に見える姿勢である。
6、息を出しながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、眉間を
  見あがるようにして顎を上げる。犬や猫が、四つん這いで、背筋を伸ばしている姿である。
7、「軽く一息」を入れて緩めたら、ゆっくり息を出しながら、膝をつき、「基本単位」に戻す。
 ▼ 犬や猫が寝起きに、これをやっている。背中を丸めたり、反らしたりしているポーズである。
  動物が誰に教わることなく本能的に行う運動には、それなりの良さがある。
    * 3日目ーB 手の指を開く体位
1、正座に座り、親指と人差し指で朱印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と水平に手の平を
 上向きにする。 「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
 手指が反るぐらいに開き、息を止めて、少し、その状態を保つ。
2、ゆっくり息を出しながら、最初の基本体位に戻って、軽く一息をしたら、もう一度1,2を繰り返す。
3、1を行った後、手指を開いたまま息を止めて少し静止。息を止めたまま、ゆっくり親指から
  順に小指まで折り込んでいく。 最後に、親指を握りこむように「グー」でしっかり握る。
4、さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で開いていく。
  最後にしっかり開ききった上に、ゆっくり息を出しながら「基本体位」の朱印に戻って軽く一息。
5、再度、1、3,4を行う。  ポイントは、どの姿勢の場合でも背筋をピンと伸ばすこと。
 ▼ ヨガ教室では、正座をして、深呼吸をしながら上に向け延ばした手を、逆の手で反らすことを
 毎回している。あとは、投げ出したフクラハギをバタバタ地面に叩くのも居間などで手軽に出来る。
 常に、小まめにマッサージと屈伸をする習慣をつければ良いということ。
・・・・・・
4135, 閑話小題 ー父親のこと、など
2012年07月21日(土)
   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている割に、
話題の中心は現在の世界情勢、特に、世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。
百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に目を凝らして
見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 
現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上にわたる長期的になり想像を絶したものだろう。 
現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。しかし裏山に避難して海原を
みると地平線の本体の大波は近づいているのがよく分かる。眼下をみると、これまで通り人々は
何も変わることない生活を送る人と、海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。
鈍い人は現実に大波が来ないと分からないのだ。ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが
違うから難しい。5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、目先の生命は
助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう。 時どき週刊誌に、大津波の襲来と対応策が
見出しに掲載されるが、売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の騒ぎとして見ている。
しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、分かっているはずだが。
また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在している人が多い。彼等も二分していて、
対策をとる人、とらない人がいる。どっちにしても、この年齢になれば何があっても先が知れている。
初めは、戦争勃発による株式の暴落から始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? 
それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出すことが多くなっている。
年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と対比してしまう。 私が父親の42歳時の
子供だったこともあり、私を特別視をしてくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。
父親の死は最大の子供へのプレゼントという話を聞いたことがある。自立をするためだ。
その意味で26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミング。 その頃から創業を始め、
結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、
結果が直接、跳ね返ってくるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 
事業人生の40年間は、特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。去年の節目から
16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように気持ちが軽くなっている。 
現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、後悔とか、未練は全くない。
父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい
一財産の殆んどを失い、そこから裸一貫から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、
当時の記憶は生まれた数ヶ月後からハッキリと憶えている。変化変化の刺激的な日々だった
からだろう。その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、
3、4、6、7をみたことになる。内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 
遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。下流と見下された少女と、上流?家族の
母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 
この隠れテーマは、「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう
虚妄の実態を面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた痛いげない少女の必死な姿を通して、
人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている
団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、「考える」ということ、定年までの
準備の有無、そして、これまでの人生を如何に生きてきたかである。 あの家族の父親が自分、
医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、あの二人の子供に重ねると、
他人事でない? で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 
医者を偉そうに取り扱っているが、現在の医師の8割は技術者でしかない。
そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、
それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。
蔑まされていた娘が独りで、医科大学に入って、医者の道を歩くところで、終わっている。 
それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。が、これはこれで良い。
「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人たちが
下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? こうなってくると、漫談になってくる。
ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は
玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに
無頓着であった。 親が自営業だった?から、仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、
ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど
問題にしてなかった。 日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、
アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。それが、この20年間で・・・ 
最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 
待っているのは、下流の宴か、やはり。 ーたまたま去年のテーマが、それであった。
 ・・・・・・・                               
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている
無惨な姿だった。この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。
帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと、怒りが新鮮である。 
アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも
「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の見方が一貫している。
世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには
悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで生存が不可能というが・・。
グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。
何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。
恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。疑うという心情作用は一種の恐怖であり、
不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で
卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。目をつむり、恐怖の実体を無視する。
そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は
後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。乱の真っ最中でも、
その乱を感じ取れずボケている。呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とか
やってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、
目先の不安解消にしている。もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民
への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。自分を見れば分かることだが、
家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
・・・・・・・
3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。そして、新潟に帰ってきた後も、
新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなった。ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 
若いときは、このことが独自のことではなく、一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。
最近になって、私だけの傾向ではないと知った。本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 
私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、
脳のどこかを刺激するものと言われている。私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの
何か異様な緊張感が、そうさせるか半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、
中を覗きみることで、脳に強い刺激を与えることも考えられる。大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が
重なるのだろう。また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。私は外国のお城の牢獄に行くと、
必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。それも急性とくるから、大変。 
石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、
書けばきりがない。 ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
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2664, インドの女盗賊プーラン
2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
  ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
  (字数の関係でカット2011年07月21日)


4875,意味としての心  ~意味の意味

2014年07月20日(日)

              ー『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーより  
   * 空虚の穴埋めと、意味の発見  〜意味の意味について、再び!
 4年前の随想日記で <「人みな骨になるならば」頼藤和寛著>の『意味の意味について』
について書いた。 【・・・ われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。
それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みにすぎない、と言わんばかりである。そして、
やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとするあつかましい人物と、
宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいか判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。… 】
 〜要は、「人生の意味など適当な意味付けでしかない!」ということ。価値観の価値に、
非常に似ていて、人生色いろ!の理屈付け。それでも、そのことを考えないより遥かによい。
  『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーの中に、
「意味」について解りやすい解釈がある。『意味というミ』の小テーマで、
《 意味とは、意=気持、を充実させることである。 私たちの自己は広がりであり、空間で、
器、容器をイメージさせる。そして、たえず欠如や不足、欠乏を抱え込み、その内容が満たされて
豊かになることが、これらの充足願望に共通する目標であります。その逆の不満や不足を意味する
「満たされない」「足りない」「充実しない」は不幸で不快であり、これが重なると「虚ろ」「空っぽ」
「空虚」など、寒々した空洞体験を出現させる。その空虚の穴埋として、実のあるものを生み出すこと、
多く表現することなどで、充満することで満足する。その充満が得られ、その充満の限界をこえかけ
ギリギリのところに止まるならば「たまらない」という快感につながることもある。
そして記号というカラの器を充実させるのが読み取られて味わわれる意味内容であり、
この意味のミも、記号のミになのなのでしょう。 》
 現在、シリーズで書いている『事業人生を決心して45年、の語りなおし』は、3年前の結果を
踏まえた物語の書き直し! それぞれの節目の要素と、物語の根こそぎの『意味』の変更。
 『意味』に一番近い言葉は「価値」だが、その意味は「物がもっている、何らかの目的実現に
役立つ性質や程度。値打ち。有用性。」 目的により、それぞれ人により違っている。
「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、実、につながる。
その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 逆に、何が足りなかったか、
の棚卸は、ある意味、内省になる。 〜「人間、生まれて、飯を食べ、糞をして、死ぬ、ただ、
それだけ( )」のカッコ内に「?」を入れるか、「!」か、大きく『意味』o^_^o) が違ってくる。
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4508, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー3
2013年07月20日(土)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
    第二章 医療に殺される
  現代医療の根源を問う問題である。現代医療の肯定派の医師との公開討論は直前に
ドタキャン。それだけ、根は深い。 裸の王様と同じで、誰かが現代医療の病巣を指摘しなければ
ならなかったこと。このような問題を今まで聞いたことがない。 としても、世界で一番の医療
システムであることは、認めてよい。延命医療の盲信が良くないのである。 数年前の
 「インフルエンザ・パンデミック騒ぎ」の時、世界のタミフルの7割が日本に流れたという。 
振り返ってみれば、普通のインフルエンザより、遥かに致死率が低かったのである。
これは薬品メーカーの陰謀?=販売戦略でしかなかったが、その総括は全くなされてない。
これと同じで、盲信していると、医療そのものに殺されるてしまう。 父親も、同級生も、
 治療で、苦しまないで死ねたのが、盲信したため、拷問のような苦痛?
の中で死んでいった?と思うと、すえ恐ろしい。
 ー第二章 医療に殺されるー 目次の小項目には、その恐ろしい現実が、そのまま書かれている
・「がんにかかるとすぐ死ぬ」イメージは医者が作った  ・99の死屍累々は隠して1の成功例だけを強調
・胸部CT検査2回で「避難」レベルの彼ばく      ・「免夜力とがん」と「笑うとがんにならない」のウソ
・病院に寄りつかない人は確実に長生き        ・検診は受けない、自分の血圧も知らない
・がんになったら太りなさい。コレステロールが低いほど早死に ・今までの日常を保ちながら、がんとつき合っていく
・高血圧のガイドライン操作で薬の売り上げが6倍に   ・教授が執刀? それは危なかった
・同窓会に行かない理由                   ・日本人の寿命が廷びた原因は医療ではない
・「予防医療」センターは「患者を呼ぼう」センター      ・医療検査に近づかないと人生終盤が有意義に
・余命3ヶ月がはやる理由                   ・「医者は治療をすすめる」これは永遠に変わらない
・財政難で検診が変わる                ・がんやインフルエンザを「めしのタネ」にする人々
・世界のタミフルの7割が日本に流れた…       ・ワクチンやってもインフルエンザにかかります
・医療で死にかけても「信仰」は消えない      ・医療は桐喝産業。不安をあおって患者を増やす
・ネズミの実験で成功しても人間の体は別もの   ・2つの薬を抱き合わせる「新薬」商法
・老化と言われたくない症候群             ・大学病院はいい「実験」を受けられる病院
・医療体制はもうじき崩壊する             ・日本人のスリムな体形が手術向きだった
 ▼ 誰も目先、死にたくない。老いてからのガンを老化現象とみるか、病とみるかで変わってくる。
 現代医療の信頼も共同幻想でしかない。スポーツセンターの血圧計で、測定したら
ギリギリ?の125〜140。子供の頃、両親から聞いていたのが、年齢+90が高血圧の目安だった。
ところが、そこには130と、説明書にある。 私の年齢からすれば2割も目安が下がったことになる。
とはいえ、現状の自分の数値を知っておく必要もある。
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4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3
2012年07月20日(金)
              『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   * 他人志向型人間
 「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう指定された本に
リースマン著『孤独な群集』があった。 以前にも少し取り上げたことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、実は非常に敏感で、その視線を気にしている
「他人志向型人間」が多い。これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されているため内情を
知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》が、私の記憶として残っている。
 そこでアマゾンで調べてみると、【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間であります。
戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして
勃興する消費主義、台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への忠誠とへつらいという
軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で
四六時中気にするような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかってのアーティストたちとは異なり、
仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】とある。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の
孤独な群集と化してしまう。特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織という集団の中に
自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病に
陥ってしまう。そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。その変化が出来ないで、定年後も
仕事仲間と付き合うのが一般だが、「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。一度、孤立をして、
孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、
それはそれで良いのだろうが・・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている姿もいただけない。 特に男は!
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3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。
先日、図書館から借りてきた「新潮45 〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。実に、現在知りたいと思っていた、
哲学者や、学者、その道の評論家が、それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を科学作家の竹内薫が
 次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島とチェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
・スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、環境への影響はほとんどなかった。
・チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が爆発して(核爆発ではない)、放射性物質が成層圏にまで
 吹き飛ばされた、未曾有の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、
 というのが世界中の科学者・原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、高度500メートル付近まで放射能物質が飛散し、
 周囲に拡散するにとどまるという。4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノブイリと同じではないか」
 という論調のマスコミもあらわれたが、政府が「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」
  とし、数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力発電を使い続けるべきとしている。
  日本のTVを見ていると、まるで世界中が原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
   また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だしジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、
  2万人以上の死者を出した大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論をマスコミは騒いで良いはず。
   これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
  問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどになる可能性が出てくること。
  私たちの年代には、どっちにしても、先は限られているので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
  とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さないことは間違いない事実。
   それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
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3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
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3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
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2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
・・・・・・・・・
2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)


4874,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー41

2014年07月19日(土)

* 創業時の取引先の営業関係者が、ほぼ亡くなった!
 毎年の忘年会の常連メンバーを思い浮かべると、ホテル創業時の営業担当の3分の2が、
亡くなっていた。30数年前からの営業関係者なら、さもありなんだが。大体が60歳前半のガン。
70歳過ぎが、二人。その中で、80歳過ぎまで10数年間、古町の老舗料理屋を毎月通っていた
近くの不動産屋の遊び人?がいた。 倒れた前日、飲みに誘われたが、先約があったため、
他の?かと飲んだ後、さらに自宅で酔いに任せウィスキーを、一本を空にした翌朝、脳溢血で
意識不明になっているのが発見され、一年後に意識回復することなく亡くなった。
 酒の壮絶死は、後先、身近で見たのは、初めて。私も一つ間違えれば? 営業担当もあって、
ガン死が殆どだが、建設関係は、酒によるガン悲話 <夫の意に反しての単身赴任の結果、
ガンで亡くなり、そのショックで奥さんが重いノイローゼに・・云々> 
<営業の酒席の過多でアル中で、離婚>などを多く聞く。営業担当は、飲み屋の付けを
抱えているため、競争関係者に、その支払いの代償に、自社の利益に反する情報を売ることもある?
  * つれづれに 〜語り直しは、内省!
 装置産業は、創業で当てれば天国だが、後は何もすることがない。
立上げで、勢いをつければ枝と幹が出来たようなもの。日常業務は、支配人、マネジャーの仕事。 
一棟目の一周の春夏秋冬を経験すれば、二棟目以降は一ヶ月も過ぎると、何もすることが無くなる。 
そこで事務所で本を読むか、年二回、海外旅行で刺激を得ることになる。あとは、お決まり小人
閑居して酒。しかし、お客の生命を守る危険な仕事。 火災、ヤクザの脅し、酔客などの苦情、
自殺など、いつ何時、何が起きても対応しなければならないため、常に緊張感が必要になる。
 リタイア後、その縛りと、45年間の刷りこみから解放感で、宙に浮いているよう。
『現役時代は良かった』の心持ちはゼロ。現在も、そのまま同じ。同年代の人の仕事の話を
聞いていると『   』。 
 振返ると、その持て余した時間が、人生にとって大きな贈物だったことが、見えてくる。
これは振返ってこそ見えてくること。そうと、当時、もっと意識をしていたら、味わい方も違っただろう。
過去は、変えられないが、見方、解釈は変えることが出来る。 それもこれも、どうでも良いことだが。
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4507, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー2
2013年07月19日(金)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 対談ということもあり、目次の小項目がテーマが、ずばりキーワードになっている。 これを並べれば概要になる。
どれもこれも、今までの思い込みと真逆な内容。「ガンは悪性なら助からないし、良性なら助かる」それが分かってない。
それを延命させようとしただけ苦痛を与える。自然死こそ本人のため。私も20年にわたり毎年、胃腸や肺を胃カメラや
CTスキャンなど半日検診を欠かさず受けてきた。結果からすると、2~3年に一度でよかったのでは?必要がなかった?
 早朝ウォーキングを毎日一時間以上を続けてきたことと、ストレスを溜め込まないことが、私の健康法だった。
   一章 がんの誤解を解く 
・どうせ死ぬなら「がん」がいい           ・治療しなければ、がんはけっこうな病気
・がんが痛むのではない。治療で痛むむ        ・がんの9割に抗がん剤は無意味
・抗がん剤が「効く」とは、しこりが一時小さくなるだけ・「腫瘍内科医になるのは、おやめなさい」の意味
・ひとりも痛まない老人ホームの「がん放置患者」   ・胃がんも肝臓がんも放置すればラクに死ねる
・手遅れの幸せ。安らかな自然死           ・がんの9割は「末期発見・治療断念」「放置」がいちばん
・家族ががんだとわかったら             ・人間ドックを受けたために、がんで玉砕
・いくらでも見つかる「潜在がん」「がんもどき」   ・がんの集団検診をやめたら、がんが減った"
・この半世紀、日本人の融がん死亡率は変わっていない ・姉の乳がんが「乳房温存療法」「がん放置療法一のきつかけ
・150人以上の「がん放置患者」を謬て理論と事実が一致 ・本物のがんと「がんもどき」
・本物のがんは、見つかった時点で転移している    ・「早期がんを手術で取ったから助かった」の誤り
・手術は「人工的な大けが」。傷口が痛み、がんがはびこる ・スキルス胃がんも切らない方が余命が延びる 
・「抗がん剤が効いた」という論文のカラクリ      ・腹永も消える、安らかな自然死  
・「治僚しない」ことに耐えられない日本人       ・「やるからには徹底的に」が医者の性格
・手術で大きな後遺症を抱えて寿命が縮む        ・症状のない前立腺がんを放射線で虐殺
・放置すれば最後まで痛まない胃がん、肝臓がん、食道がん、子宮がん
・消えるのは「がんもどき」。末期がんからの生還例はない ・1%の可能性だけ見て99%を考えない"
・西行が桜の下で死ぬ夢を叶えるためにしたこと      ・治療を拒み、飲まず食わずでスーッと逝った"
・食べないから死ぬのではなく「死に時」が来たから食べない
 ▼ どれもこれも「ガンを老いの病と捉え、抵抗をしないで、従うしかない」ということ。
  西洋医学に限界と無理がある。目先、医療知識のない患者は、医師の方針に従うしかなく、恒例の手術か、
  抗がん治療に入っていく。誰もが自然死を選ぼうとしないのは自然の成り行き。で、管に巻かれて悶え死んでいく。
 「この論を信じるべきか?」 で、真逆の真逆の論?「がんで死なない生き方」中川恵一著を借りてきた。 
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4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2
2012年07月19日(木)
            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、心得がある。
それを厳格に守るのが個人主義である。我々は社会の中に生きている。社会にはルールや心得がある。
それを知った上で自己本位で生きていかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは
辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。
ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、
よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、
それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を見い出した。
聴衆に対して「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた
個性がそこにぶつかり、初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きがかかり、発展し、
幸福感と安心がもたらされる」と、説く。このことは定年退職者にも、同じく当てはめることが出来る。
若さを失う要素の一つは周囲に流されやすくなり、他人本位になることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の
気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いてしまう。単一民族で、島国では、
互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
・・・・・・・
3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
   * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、殆どの人は、
「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦して22敗、二引き分けの相手である。
もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、
耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生んだ。
 最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、ストレッチをしていると、
前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ見かけなかったので、
餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、
何気なく自転車に乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツセンターと、午前中は過し、
午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1〜2年は蟄居閉門である。
本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
 ・・・・・・・
3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
 忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
 自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
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2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
  ≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫             


4873,閑話小題 ー初孫が産まれた

2014年07月18日(金)

  * 初孫が産まれた
 一昨日の夕刻、二番目の息子から予定日より半月早い、女児出産の電話が入った。
68歳の初孫である。家内が東京に出かけていて留守だったが・・ 嫁さんが、高齢出産?で、
万一を考えて、二ヶ月前から入院をして大事をとっていた。 出産前に男女の識別は分かっていた?
のだろうが、何も言わないことから、女児だろうと推測をしていた。 亡くなった一番上の
姉夫婦に孫がないので、もしかして私たちも?と諦めかけていたが、これで御祖父さんの仲間入り!
孫は可愛いというが、これだけは持ってみないと? 
  * つれづれに ー大相撲の若手人気力士『遠藤』の災難
 現在「遠藤効果」もあって大相撲人気が戻ってきた。一年前とは大きく違ってきた。
八百長が少なくなり?、モンゴル、ロシア、東欧、フィリピイナの混血、エジプト人などの真剣勝負が、
内容を面白くしている。そこに去年、学生横綱だった『遠藤』が数場所で、幕内に上がってきて
停滞していた大相撲人気に火をつけた。姿かたちと相撲内容に花がある力士で、見ていても面白い! 
早速、『永谷園』のコマーシャルに出演し、取組み前の懸賞金が連日、出るようになった。 
ところが今場所から、その数が横綱よりも多くなってしまい、最後の仕切りでは、館内では横綱を
超えた大声援。 そうすると何が起こるか。横綱に勝つのは至難の技だが、自分と同じ位の力量の
遠藤に勝てば、給料分の懸賞金が手に入る上に注目される。そのため、嫉妬とライバル心を加え、
目の色を変えて挑んでくる。遠藤にすれば堪ったものではない。その中で、最後は6〜7勝を
するのだから、やはり力量があることは確か。これに白鵬、朝青龍レベルの新人、二人(照の富士、
逸ノ城)が加わってきて、他の若手にも火がついてきた。しかし、遠藤以外に日本人の有望力士が
見あたらないのが気にかかる。 ところで、三役昇進のタイミングに遠藤の四股名が『清水川』
に決まったと数ヶ月前の朝日新聞にあった。清水川は1938年に追手風部屋を創設した、
追手風の生みの親であり、元大関の名前。遠藤をはじめ、勝っても、負けても面白い相撲をとる
力士が、このところ、多く見かけるようになった。数年前の、大相撲存亡の危機での取組みの成果が、
一挙に出てきたということ。
・・・・・・
4506, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー1
2013年07月18日(木)
            『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一と、『がん放置療法のすすめ』の近藤誠が
「がん」と「死」を語った内容。二人は20年以上前から、「がんは手出しをしなければ、痛まず
穏やかに死んでいける。治療せず放っておいた方が生存期間も長い、医者の常識に騙されるな」
と説いてきた。  まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
≪がん、そして医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移し、痛みに
のたうち回って死に至る…という悲惨なイメージは、医療界のでっちあげだった。20年来、
「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」(中村)、「がんの9割に抗がん剤は効かない。
患者よ、がんと闘うな」(近藤)と言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を
見届けてきた2人が、がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。≫
ー 印象に残った箇所を幾つか、書き出してみた。これ知っているか知らないかでは大きく違ってくるー
* 抗がん剤の有効判定が(⇒がんのしこりが一定程度小さくなるだけで)延命効果は実証されて
いないこと、逆に抗がん剤で 大きなダメージを受けるのは正常細胞、不必要な手術と抗がん剤の
副作用が苦しみ悲惨な最期を迎える要因でしかない、 日本人に多い固形がんは抗がん剤は
効果なしなら、やめるべきだ。
* 50歳を過ぎた男性の2人に1人は、死後解剖すれば前立腺がんが見つかる。
これは放っておいても大きくならない潜在がんで、何の害も及ぼさない。また、甲状腺がんも、
精密に検査できるなら、日本人の3人に1人はかかっている。
 しかし、実際に甲状腺がんで亡くなるのは、全ての死亡者の中のわずか0.1%。
つまり、1000人に1人のみである。* 現在の医学技術で「早期がん」として発見できるのは、
直径1センチ前後の大きさである。しかし、この程度の大きさは、 がんの一生の中では
30回くらい細胞分裂を繰り返した後の晩期の段階である。* 最近の研究では、
「がんは大きくなってから転移する」というのは間違いであることが明らかになってきて、
 「がん細胞はできるとすぐに転移する能力がある」の方が正しい。
* 著者の経験によれば、逸見政孝さんのようなスキルス性胃がんの場合、胃の全摘出手術を
受けずに放置した患者で1年以内に死亡した例は皆無で、ほとんどの人は3年以上生きていた。
* 世間でがんと診断される病気の中には、本物のがんと、がんもどきがある。がんもどきは治るが、
本物のがんは発見された時すでに他に転移を繰り返しているので治らない。がんもどきは
放置しておいても命に関わりがないので、手術をしてもしなくても 同じ。本物のがんは手術しても
すぐ再発するし、手術で体力が落ちることからかえって死期を早める。本物のがんを放置した患者の
多くは末期になってもほとんど痛まない。患者の多くは最後まで意識を持ちながら、苦しむことなく
枯れ死んでいく。 がん治療しようとすると、治療による痛みに苦しめられ、通常の人間らしい
暮らしを根こそぎ奪われてしまう。 というわけで、がんは治療せずに放置するに限る……。
*「予防医学は患者を呼ぼう医学」「大学病院は、いい実験を受けられる病院」など・・・
*「早期発見と早期治療でがんは治る」という世間の常識とは、現実はまったく逆である。
悪性は、関係ない?
 ▼ 「悪性のガンなら、遅かれ早かれ死んでしまう。それなら手術や抗がん剤などの治療など
すべきでない」という 二人の主張するのも道理で、身近の人のガン死をみていると同感である。
とはいえ、ガンで死なない注意をしているかどうかで大いに違ってくるのも確か。
タバコを吸い、酒をビールなら二本、日本酒なら2合以上を飲み続け、ストレスと運動不足などが
加わると、ガンリスクは大きくなるのは当然である。還暦まで生きたら、後は野となれ山となれ、か。
・・・・・・
4132, 脳の中の小さな存在
2012年07月18日(水)
 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、あれだけの回転が出来るのですか?」の問い
に対する答えが凄い。「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出している。終わってからでも
内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に
出来上がった「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。その小さな存在には科学的訓練のベースの
裏づけがある。擬人化した「セルフ」には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、直感的連
続動作を冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス
相手の攻撃に対した防御は、考えて対処するのでは無理、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練していないと防げないという。
世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」に、自分を委ねているのと同じである。
 親とか、小さな地域的価値観から一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、その辺の
下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、
冷静に現象の中の本質を直感して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、左脳の論理が
組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔があるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。
 少し話は変わるが、毎朝、過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返している自分が
別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も
変わっていくため、それぞれを含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、脳の奥の小さな存在は、
言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。
  真なる自己、真実の時は、感謝、感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
 ・・・・・・・
3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろうが・・夢にしては、あまりにリアルである。
 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた時に、
 幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、
 あるキッカケで、その外に出てしまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に
 死にそうになり、彼女自身が自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じになったと述べている。
 彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。
 彼女は自分の後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。それは「別の世界」への入口である
 ことを彼女は知っていた。彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれないことを知っていた。
 それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ましたとき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。
 看護婦は、この患者が医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な意向は明白である。
 一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。
 これは、死後の生活が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた「魂と死」という論文で、
 彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうになり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、
 世界の宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを慎重に選んで話しているので、だれも、
 死後の生命を信じていると、彼を非難することはできない)。このような「体外遊離経験」はー「意味のある偶然の一致」と
 一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合でないことを確実に示している。 ーP183 】
 ▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。人間の脳は、あまりに奥行きが深い。
  夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
 2010年07月18日(日)
 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
(字数制限のためカット 2012年7月18日)


4872,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー40

2014年07月17日(木)

   * 類似ホテルが2年もしないうちに!
 2年もしないうちに、このコピーホテルが隣地にオープンしたのに驚いた。近くの居酒屋の主が
隣の旅館を買収をしたのを、全く同じレイアウトで建ててきた。 不意打ちだが仕方がない。
私の後を追うように、駅裏に二棟、合計350室まで・・ 更に、ある不動産会社の紹介で富山の
材木商が訪ねてきた。 その翌年から、全国に大量出店をした『αー1』の社長である。
 『百億の不動産があるが、その有効活用にビジネスホテルを考えているが、如何なものか?』
かの調査である。そして10年もしないうちに、至近距離に200室のホテルを建ててきた。
現在は?数千室もあるだけに引くに引けない? 簡単にコピー可能なこれ、何の価値がある?と、
深刻に考えてしまった!その時が、節目。 決断するまで考えられなかったのだから、私もしれたもの。
 当時、雑誌記事で『一時期、ビジネスホテルを成功させたが、嫌気がさし転業した』人の手記を読み、
方向を考えたが、350室から500室への拡大戦略を止めることはなかった。
長期の装置産業のホテル業を選択したことに問題があったが、10年間の期限を切らなかった方が
問題? 長期装置のため、暇を持て余し『ぼんやり時間』を充分満たすことができた収穫でもあったが・・
 「上手く転進して二桁のホテル展開をしていたより、豊潤な時間を充分に味わうことが出来た」
という見方も出来るが、どうだろう? 現在の、αー1、ルート・インの姿。 どの道、好きで選んだ道、
「毒を食わらば皿までも」か。 それでも万一の備えがあったので、最悪に至らず、こんなことを
書けるのだろうが。 20年目で気づいたことは、「この事業の営業指数が日本経済の先行指数として
現れ出ている!」ということ。装置産業だけに金利、原油価格、為替などが直接コストに跳ね返ってくる。
 今だバブル崩壊による深刻なデフレから立直れずにいる日本の近将来に悲観的なのは、
先行して大波に流された自分の裏づけがあるため。 どの道、遅いか早いかの差だが。
この時期の東京オリンピック開催は?それを覆い隠す目暗ましでしかない。阿部首相の隣に苦渋に
満ちた?副首相の顔を見るにつけ、それもヤムナシが、政冶? 隠れた‘世界恐慌!’ なぜ直視しない?   
・・・・・・
4505, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー5
2013年07月17日(水)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 死んでいくにも準備が必要である。 それが具体的に分かりやすく書いてある。筆者の主催の「死を考える集い」から
生まれたのだろうが、分かりやすい。 私も年内には、幾つか選び、実施するつもりである。あまり気持ちが良くないが、
死に装束、骨壷、棺桶、位牌は通販で取り寄せることができるし、戒名は自らつくってあるので、書き込めばよい。
遺言も、このコーナーで書いたこと、そのものになるが。ブログをネット上の墓場と想定して書いているので、
別に必要がない。 問題は物の整理だが、「物」より「こと」を重視してきた事もあり、物は殆どない。
会社も消滅、自宅は家内名義。 一番、重要なのが、「事前指示書」である。
   * 「自分の死を考える」ための具体的な行動十五カ条
1.遺影を撮る                2.遺言を認(したた)める
3.別れの手紙、録音、録画を準備する     4.「余命6カ月」を想定して、したいことの優先順位を書き出す
5.死装束を誂える              6.骨壷を用意する
7.棺桶を手に入れる(入ってみる)      8.事前指示書を完成する
9.献体、臓器提供の手続きをする      10.墓地、霊園を手に入れる
11.戒名をもらう             12.散骨の手続きをする
13.人生の節目に“生前葬パーティー”を行う 14.事あるごとに家族や周囲と「死」について語る
15.物の整理をする
 ひとつひとつの項目に対して自分なりの答えを出して、具体的に行動すことで死がより身近なものになります。
 死がより身近になるということは、生がより身近になるということでもあります。
▼ 特別養護老人ホームの医師になって四百人近い老人の死に立ち会った体験から、著者は「自然死」の本当の姿を
 知らない現代医療の本質的問題点をついている。 同時に「私たちも患者のひとりになり得る」医療に対し、
“まともな”あるべき姿はどうあるべきか、死をどうとらえるべきか?を問うている。そして50〜60歳代になったら、
 近代医療と関わるな、まだ末期ガンを幸運と捉え死んだほうが良策という。 以下の去年の同月同日の内容が関連している。
・・・・・・
4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
2012年07月17日(火)         
   ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」   〜『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人を超えているという。
「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。
「定年後の人生こそ、自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己本位の生き方に大きなヒントがある、
という言葉が痛いほど分かる。定年後は自己本位への第一歩から始まる。ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪ *「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に
  閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。・・
 そのころ、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。そして1年が過ぎ、苦悩が
 極まった時に、あることに気づきます。自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や
 不安の根本原因だったのではないかということです。 (私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったという
 ことにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、
 それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりと
 いいたいくらいごろごろしていました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうてい
 わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
 ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで
「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っていると考える。
 つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して
「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略)
 その時、私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」(同前)
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を
払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もし
この中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける
場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから申し上げるのです』(同前)≫
 ▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
  キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったのであって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑だったようだ。
ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。以下のフロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 一九〇九年三月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」
という有名な事件が起ぎた。「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。 一九〇九年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、通例は精神的な悩みのある思春期の人と
関連があることがあきらかになった。そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされるという説が生まれた。ユングはこの説を信じ、
ボルターガイスト活動を「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていたとき、突然本棚から
大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明するために、しばらくすると、もう一度
音がすることを今予言します」。ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後ユングに出した
一通の手紙から判断すると、フロイトは半分以上納得したらしい。しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。
そこで彼は、なんらかの自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が熱くなるのを
感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の
木材から起こっただけのことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、今日では不可能である。】
 ▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身についていた時期があった。
 (偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が
  薄れてしまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議というのが哲学。実際に、そのとおりである。
 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を考えてきたのか、
何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。
一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーP196ー【 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次のようなもの。
 虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、
追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、
昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)などである。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかというと雑食系の日本人は
個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・】
 ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に
頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証するために911で立証し、完全に
他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、
とめどなくバカをし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。 知性の善用は、即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、
弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、
これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、
解消できないにもかかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。 それを知性化し、知性利用することは
不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。
単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロではないことは間違いない。
それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
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3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出して
 おきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する
 和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば犯罪である。
  そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で「神よ私を見捨て給うのか?」という
ギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!
ということなのであろうか? 「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?
人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。 
苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた)それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。
もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
・・・・・・・
2007年07月17日(火)
 2296, また地震!どうなってる?まったく!      才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
 昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、地響きと同時に揺れが始まった。
アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、横揺れから縦て揺りになり茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。慌てるとは、このことだろう。
破片で怪我をしなかったものだ。前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、
他の5つは大丈夫だった。前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
TVでは、六強というから前回より激しいことになる。午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように
整然と並んでいた。かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)


4871,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー39

2014年07月16日(水)

   * 客室は一日限りの限定販売、在庫の翌日持越し不可品!
 色いろあったホテルの立上げも、学生ショップ共々、軌道に乗せることが出来た。 そこで、気づいたのが、<どんなにお客に支持されても、客室在庫以上は売れないこと。イベントなどで一万人が市内に溢れかえっても、 それ以上は、機会ロス。 逆に当日に売れ残った客室の在庫持ち越しが不可能であること> 
この辺が、この商売の限界で、物販やファッションのような面白みが全くない。
 ホテルの立上げは派手で面白いが、その後は、客室という単品を売る地道な商売。 
ハレと、ケ(質素)がハッキリしている。 まだ学生ショップを兼用をしている時は、面白味があったが、撤退すると、宿泊客の自殺や苦情以外は、変わりばえのない日が続く。 それも新築、増築が続いている内は、刺激があったが・・  そうこう振返ると、10年が節目時? それもあって、準備期間15年間は、書くネタは幾らでもあるが、ホテル開業後の15年目以降からは、あまりネタがない。 
この辺りから母の軽い痴呆症が始まり、その介護と、ストレス解消の秘境旅行に、暇に任せ行くようになっていた。そして、バブル崩壊の潮流の変化が、デフレと共に表立ってきていた。 20以上あった都銀が、3つに集約された時期である。 そして、母が亡くなった後の2001年の9・11テロから、地元を含めた地方経済は大きく落ち込んでいった。 それがそのまま、当方の業績に跳ね返えっていた。その3年後の中越地震、6年後の柏崎沖地震である。 さらに1995年にマイクロソフトがウィンドウ95を出してネット社会が本格的に普及を始めていた。 
そこに携帯電話など情報機器の進化で、根こそぎ、ビジネスのあり方を変ってきた。 
当初、付帯売り上げを含め6千円あった客単価が、最後は3分2以下まで落込み、これに客数が3分の2になって、会社整理段階で、売上高が3分の1になってしまった。 振返って考えるほど、10年目辺りが、郊外への転進か、撤退時であった。
この事業、有余った余剰資金と不動産を持ってする事業。私のような小資金しかない者は、期間限定で、転進する場合を除いてすべきではない!ということ。 実際に身に沁みた痛みを伴った言葉である。 そんなこと解っていた筈だったが、バブルは、見境をつかなくさせていた。 でも、心底、面白かった!
・・・・・
4504, 閑話小題 ー最近の大相撲が面白くなった
2013年07月16日(火)
  * 最近の大相撲が面白くなっている
 朝青龍の一連の不祥事も冷めやらぬ内に、「野球賭博」と「八百長」問題が続き、多くの力士が
追放され、体質も一新?以前のような馴合い相撲が出来なくなったこともあってか、勝負への気迫が
格段と増し、このところ面白くなっている。 TVで50年近く観戦してきたが、これだけ真剣で
引き締まっっているのも珍しい。大相撲の面白さは、わずか数秒の間に、多くの要素が詰まっている
ことにある。ところで、横綱が下位力士に張り手をするのを見る度に、怒りを感じていた。
逆に下位が横綱の顔を張るのは厳しい上下社会でタブー視され、殆どなかった。ところが、先日、
若手力士が横綱の顔を張ったのには驚いた。これは横綱を含めた一門の力士から出稽古などで、
報復されるだろう・・ また、今度はアフリカ出身の力士も出てきた。 外国人への開放は、
モンゴロイド系だけに絞るべきと思うが、今さら後には戻れない。神事の余興で神社で行われていた
力比べが、興行として発展したもの。 ムラ社会の中で、ある程度の八百長はあって然るべき。
 柔道の世界にレスリング選手が参入してくるのと同じで、大相撲の性格も変わっていく。
あの小さな円で、色々な人種が一瞬の技を競うのも面白い。やはり外国人に開放したのは
正解ということか。
   * 今さらだが、どうも世界経済が変である
 世界経済を引っぱってきた新興国が、ここにきて変のようだ。あれだけ元気の良かったブラジルが、
何と「来年のワールドカップの当地開催反対のデモ」が起こっている。経済効果も考えると、マイナス
よりプラスの要素が多いはず。経済的反動で、一般市民の経済的困窮が開催反対運動につながって
いる。あれだけサッカー好きの国民が反対するのは、よほどのことだろう。これまで元気だった
新興国が3重苦にあえいでおり、近い将来、世界的金融危機が近々に勃発しそうな様相である。 
数ヶ月前まで一オンス1800ドルまで高騰していた金の価格が1200ドル前後まで落ちている。 
積極的に買いに入っていた中国、インドなどが緊急に売りに出たため。 
20Gで世界の主だった首脳が集まり、持ちこたえていた世界経済に黄色の点灯である。
インド中央銀行がドル売り介入をしたと見られ、世界各国が微妙な空気になっている。 
エジプトは小麦在庫が50万トンを切ったと言われる。これは一ケ月で80万トン余り消費する中で、
半月しか備蓄がない中の政治混乱。これに食糧暴動が発生するリスクが高くなっており事態は
危機的状況。更にEUも、中国も、危ない。表立つまでは、今までの延長だが、一度起こってしまえば
一挙に燃え立つのが世界経済。グローバル化は弱肉強食を果てしなく強くするが、弱者はネットで
繋がり、強者を攻撃する構図の混乱は当分、続くことになる。壮年まで、敗戦から高度成長期を
生きてこられたことに感謝ということか!
・・・・・・
4130, マネー大動乱  −3
2012年07月16日(月)
    * ユーロの崩壊の可能性?     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
  リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。世界は人種間、民族間、国家間、すべからく
 フラットになっていくプロセスに入った。それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せてきている。
 本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、
 数千年続いてきた白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用されたことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、
借りたカネは返さなければならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。人間の働き方や生き方は、
制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。 ギリシャ、ポルトガル、アイルランドあたりでの危機対応策が公式に
債務不履行と認められるかどうかは別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考えるのは白昼夢に近い。
ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打ち上げ
花火のように派手なものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからのヨーロッパ経済が回復のない没落過程に
入っていくことだけはまちがいない。これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、夏は一〜二ヵ月の
バカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、
この手前勝手な思いこみが通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪していたからだ。イギリスが
その典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に
合った生活水準に引きずり下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たちにとっては、
なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、
中南米の人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
 ▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州が
 ユーロという共同通貨を作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから数十年かけて、新しい
 通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
 ・・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」と
アクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や文化という
大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、
 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。
 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。
 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で
「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く
 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分
 である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で
 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から
 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、
 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。
 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、
 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、
我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
(字数の関係でカット 11年07月16日)
 ・・・・・・・・・
2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
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・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学と
 コールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
 ▼ 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1           ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、
末期ということはわかったが、こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
  (字数の関係でカット 10年07月16日)

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