堀井On-Line



4860,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー28

2014年07月05日(土)

  * 15年の準備期間の総括! ―チェーンストア理論とは
 多くを学んだ割りに、大きく脱皮出来なかったのは、「根が怠け者」ということがある。
だから、20歳で創業を目指すと決心したことで、何とか人生を全機(人間としての機能フルに生かす)
でないとしても、その数分の一は生きることが出来た。終戦直後に生まれ、地元長岡の焼け野原からの
時代は間違いなく右上りの時代。 アメリカ占領統治から独立の過程で、アメリカ的合理主義が求められていた。
その一つの現象が、アメリカのチェーンストア業態。未開の大陸、流通業の小売で、合理的業態として、
セルフ方式のチェーンストアが、アメリカ全土にあった。 JC・ペニー、シアーズ・ローバックが当時の
雄であった。 現在ではウォルマートなどが主だが・・
 学生時代に、日本の流通革命を目差すペガサス・クラブと、流通コンサルタント・渥美俊一の存在を知る。
当時の都市の駅前には、業種店の百貨店と中小小売店が賑わいを見せていた。そこに業態店のスーパーを
中心とした新たな流通バイパスの業態店を!というから、これ!と思うのは当然。 ちなみに業種店とは、
駅前に残存するが、メーカーなどの売り手サイドの括りで、問屋を仲介にした仕入を主にした店で、
「何を売るか」で、括られる。それに対し業態店とは、「どのように売るか」で括られた店。
セルフ方式で安く売るスーパーや、ディスカウント店である。 コンビニは、車で10分の商圏の中、
10分以内に消費する商品を、24時間営業を、売りにしている。それに対し、駅前・駅中の靴屋、
化粧品店は、あいも変わらず? その為、何時の間にか、スーパーや、ネットで、売上げは激減状態!
 卒論に「流通革命」をテーマにしたこともあり、チェーンストアのシステムの話になると我を忘れるが、
これ、はまると、意外と面白い! その中で、一番の要は、チェーンストア統一伝票と、その伝票に
バイヤーが書き込む仕様書発注である。それさえ、詳細に書けば、それが、そのまま契約書にもなる。
これが曖昧だと、売り手が曖昧な商品を納入可能になる。 ある規模になれば、生産地で、直接、メーカー
と共同開発の特別発注が可能になる。 このところ、イオンが、イオンブランド品に比率を上げているのは、
競争激化による。 そこで、トレード・オフで、ホット商品の無駄をはぶいて数段の値段を下げで、
カジュアルにする。アメリカのディスカウントチェーンは、メーカーと組んで、商品開発から取組んだ
商品を売る、業態店をいう。 値下がり品だけを売る店は、チープ店である。
 小売を科学するとは、流通戦争の中で、生延びる中で生まれてくる。だから、商売のヒントと原則が、
数限りなく積上げられてある。 その中で面白いのが、ロスの概念! 商売をすれば当然、ロスが発生する。
これを、元から予測して、「発生は仕方がないが、最小にする!」という考え方。
これ、人の生き方にも当てはめることが出来る。「思いのまま生きた分、心の傷も、喪失感が多くなるが、
それ以上に得ることがある!」と、言い換えることが出来る。 冒険を恐れて、周囲の価値観の範囲で、
人生を終える時に、やりたかったが、やれなかった機会ロスがあまりに多かったことに気づくが、既に遅し!
 そのゾンビが、巷に多い。 その辺の輩である! その敵は、逆の人生を生きてきた人!
・・・・・
4493, 怒らないって本当は恐い! ー8
2013年07月05日(金)
 人間を閉じ込める心の壁と構造について、何度も書いてきた。「〜をしてはいけません」という心の壁。
それについて何も考えずに、そのまま一生を終えてしまう。そして、心の奥で両親を憎むというのが、親子の関係にある。
それに反発し、両親の元から離れるのが親離れになるが、それが出来ないとミニミニワールドでつい果ててしまう。
そして、それを打ち消すために、その価値観を家族をはじめ、周辺に押し付けてしまう。それも無知の自覚無しときている。
小さいほど、満ち溢れたエネルギーは毒を強くする。それで、まずやられるのが自分自身。あの老人たちの暗い顔が証拠である。
 ーその辺りからを抜粋してみるー
   * フロイトの心の構図と怒り
≪ 怒りという感情を持たないようにするのではなく、いかに上手くコントロールするかだが、精神分析医のフロイトは、
 歴史上初めて、人間の心の構図を明らかにした。彼は私たちの心は、実は三層構造になっているという。
まず人間の根底にはエス、あるいはラテン語でイドといわれる無意識の心的エネルギーがあるという。
これに対し、悪さをすると叱られる父親の存在に象徴されるような、ある種の規範意識が対立します。これを超自我という。
これは両親の道徳観が子どもの心の中に内在化されたもの。従って超自我の多くは「〜してはいけません」という禁止の
形をとります。これは行為だけでなく、不道徳の思いに対しても作用する。そうして両者は対立することになる。
その両者を調停するのが自我です。両者の対立をうまくコントロールしたり、阻止したりする機能を働かせることで、
自我は発達していく。それは思考をつかさどる意識の領域にほかならない。つまり、心というものは、学校での三者面談の
ような構造になっている。先生役の自我は、常に緊張状態に置かれていて、いつ爆発してもおかしくない。これを防ぐのが
防衛機制という機能です。人は自我を維持するのに危機を感じたとき、無意識のうちに、その危機を避けようとします。
たとえば不愉快の過去を忘れてしまうために、持ちたくない意識を外に締め出します。これは「抑圧」という防衛機制の一種です。 
また、本当の欲求が満たされなかったから他のことを行ったのに、それを正当化するため丁度の良い理由を見出すことがある。
手の届かないブドウを、酸っぱいに違いないと決めてかかるキツネのように。 これを「合理化」という。さらに、自分の願望と
裏腹の態度や行動をとる「反動形成」も防衛機制の一つです。したがって怒りの感情をコントロールするというのは、
フロイトのいう自我が正常に機能して、防衛規制がきちんと働くことによってはじめて可能になる。それができないと
キレまくることになる。怒りをコントロールするためにも、自我の形成が大事になってくる。
自我は思考を鍛えるということにつながっていきます。欲望と規範の間で格闘する自我とは、計算であり、配慮であり、
決断にほかならない。・・・思考を鍛えて怒りを飼い慣らすことができれば、日常世界がもっと豊かになるはずです。 ≫
 ▼ サラリーマンが、いちいち怒っていたら、組織の中で生きていくことは困難になる。だから、まず、気持ちを
  押しとどめるしかない。上記の「抑圧」も「合理化」も「反動形成」も、嫌が上にも身につけるしかない。
  そして、それが性格形成の元になる。組織そのものが一つの人格として三者面談を形成してくる。それが組織人というもの。
  それも給料の内と割り切るしかない。そこに埋没しないためには、ライフワークとしての趣味を持つしかない。
  怒りは、その行き詰まった自分を考えるキッカケになる。「エス」「超自我」「自我」の心の構図の論は怒りを考える上で、
  理解しやすい。「自我」にとって、怒りこそエスを正しい方向に導いてくれるということを。それも若いうちにである。
・・・・・・
4119, 閑話小題 ー平均寿命と医療費
2012年07月05日(木)
   * 平均寿命と医療費
 あるレポートに「世界一高い医療費を払っているアメリカで78・3歳、最低の北朝鮮でも67歳の平均寿命」とあった。
アメリカとキューバの平均年齢は全く同じだが、キューバの医療費はアメリカの一割でしかない。北朝鮮では年間、たった一ドル。
社会主義という背景もあるが両国とも最貧国。 皮肉ではないが栄養失調ギリギリの粗食は健康に良いらしい。
ちなみにロシアが65歳、インドは64歳である。 日本の医療費は、先進国の平均値より低いが、女性が86・4歳、
男性が79・6歳,男女平均83歳と世界最長である。こと医療体制をみると、日本は色いろの問題があるにしては
最良のシステムになっている。現実的にみて、財政破綻状態だが決して住みにくい国ではないようだ。
   * アメリカの学費ローンの実情
 アメリカでは所得水準が下半分以下の家庭に生まれたら、返済義務のない奨学金を獲得して大学に入ることは不可能という。
入学金とか学費などの学費ローン(総額9兆円)は、全米の学生の三分の二が借りているほど一般的とか。
しかし、このローンの仕組みも多くの問題を残していて、卒業直後に計画的自己破産による棒引きケースが続出した時期があった。
その当時のクリントン大統領が、罰則として大学を中退しようが自己破産しようが、学費ローンだけは永遠に返済しなければならない
法制化をした。それは当人の許諾を得ずに給与天引きでローン返済をする厳しいもの。アメリカは学費ローンに限り厳格のようだ。
日本では本人の学費ローンは、あまり聞かない。大体が親がローンを組むケースが多い。それにしても日本の大学進学率が五割を
超えているのは問題である。まだ三割なら分かるが。もっともアメリカも5割を超えている。ドイツは三割強、先進国は4割前後と
いうから、日本が取り立てて高い訳ではない。 私の年代では18%だったが。
 ・・・・・・・
3753,ワシも族か〜  ー�
2011年07月05日(火)
 私もついに「ワシも族」になってしまった。 家内は、この数年来、JR東が2〜3ヶ月に一度の3〜4日間乗り放題のサービス期間、
毎日、日帰りで東京名所見物を楽しみにしている。 8時過ぎの新幹線に乗って、18時過ぎに長岡に着く列車で帰ってくる。それも、
何年も続けていると、予めネットで調べていた行き先をこなすのも手馴れたもの。 妹や義理の姉を度々、従えて行く。
ついに暇を持て余している私も「ワシも族」として、家内に従っていくことになった。 行き先は、国立新美術館で行われている
「ワシントンナショナルギャラリー展」である。 乃木坂の美術館としか知らなかったので、まさか近年新しく出来た(黒川紀章設計)
国立美術館とは露知らず、ついていって吃驚! それもワシントンのナショナルギャラリーの印象派とポスト印象派の、多くの作品を
目の当たりするとは・・。見学者の行列にそって作品を観るごとに驚いている次第。初めのうちは、何だ、この程度かと思っていたが、
次々と有名画家の写真集や、TVなどで観た有名な絵画が出てきたのに驚いた。絵画から出ているエネルギーの直感こそ魂。
  ーこのHPの紹介文よりー
「 ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数
およそ400点の印象派とポスト印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、全83点を紹介します。
クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、
ピサロ、ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、スーラなど、それぞれの表現によって
印象派を乗り越えていったポスト印象派に続きます。 17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開の
フィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた
初期の名作《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、
ポスト印象派を語る上で欠かせない名作の数々。 まさに、「これを見ずに、印象派は語れない」 
  http://www.museum-cafe.com/report/5333.html  http://totemokimagure.cocolog-nifty.com/zakkan/2011/06/post-d2d9.html
     次回は「ワシも族」とは、どんな人種か? について・・
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3388, 911・考えない・日本人  ー5
2010年07月05日(月)
  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。
善悪という山場のない、ドラマのない国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、悪もなく暮らす。何事にも意味を求めずに生きる。
一体、何がその生活に残るか ? 考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、悪が善に勝つこともない。戦いはなく、葛藤は
その一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に残るものは何か?ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。
自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。ヘラクレスと比較すればいい。日本史最大の賢者は誰か。
聖徳太子だとしよう。アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。アレキサンダーと
比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと比較すればいい。
一方はただの世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、かつ前者には皆無な勇気の美徳を持ってい。≫
▼ 辛辣である。 島国で海が要塞になっていて、小さな世界で安穏できる自然環境が日本を考えないで済ませている。
 しかしネットで世界が結ばれ、その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えてみれば、
 日本史より低いドラマだろうか? その質は、歴史の長さと地政学に関係してくる。高度成長期の真っ只中に日本のTV業界の
 脚本家として名を成し活躍したぶん、現在の日本の現状とのギャップが鮮明に見えるのである。隷属国家の考えない日本の姿が、
 あまりに酷く悲しいから書くのである。茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、彼のみたまま。 
 二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!
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3013,戒名は自分で付けよう ー3
 2009年07月05日(日)
 有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、それがあった。
 それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか味がある。
 時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉      石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士        力道山 大光院力道日源居士
古賀政男 大響院釈生楽          嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士
   ≪字数制限のためカット2012年7月5日≫
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2648, 座敷童子と出会える宿 ー2
 2008年07月05日(土)
座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 
一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。
そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。
筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。
それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。
 (字数制限のためカット2011年7月5日)
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2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2            *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。その内容がユニークである。
「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。 彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも
愛されなくなってしまったのです。誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。
人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、まず自分を愛せなくてはなりません」 
という言葉が何とも説得力があった。一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた
自分に、男の先生が「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。
「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる
良心からの説得力のある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も
大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。
そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。彼女のような経験は特殊だが、
しかし大きく揺れる時期でもある。一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」を
「親」に切り替えるとは、驚きである。             (* ̄∀ ̄)**SeeYou


4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27

2014年07月04日(金)

  * 15年の準備期間の総括! ー2
 この準備期間の15年は、緻密に練られたようだが、実際は成行きの要素が多かった。
事業を立上げ、それを転売をする度にアップスケールする創業を求めた結果が、自然に準備そのものになった。
私の性格が外交的というより、内省的のため、その都度、非常な緊張感が付きまとっていた。医者に診てもらったら、
恐らく、自律神経失調症か、対人恐怖症と診断されただろう。人間は、気づかどうかだが、全ての精神症の要素を
持った総合体で、問題は、そのバランス。その中で、特に初対面の相手との対面が苦手だったが、いざとなれば腹は
据わるもの。その「いざ」の場面から、自ら逃げるから、精神症から精神病に陥ってしまう。
 絶対的父親の元で育った八人姉兄の末っ子が、父親のような創業を、何を血迷ったか求めれば、精神的限界に
立たされて当然である。何とか、その都度、本屋の中の天使に導かれ手にとった本で、乗り切っていた。
 その中で、様々な場面で、多くの判断が求められた。
・大きな問題の一つが、連れ合いである。 右腕タイプか、全く商売の興味を示さない家庭的な人?
 結果として選んだのが、後者タイプだったが、どうだろう? これだけは答えが出ない人類永遠の課題!
 右腕タイプは、事業が拗れた場合に、相打ちという自滅の危険が生じてくる。 巷に多々みかける!
・次が、現場の要の人材である。これが、なかなか定まらず、直前まで手こずっていた。職安やリクルートを
 介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使ってみても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。
そこで《事業資産は、博打場に投入した掛札!二度と手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる白刃の真只中! 本番の創業が始まる。
出発点で、5百%の成功確率の準備を整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことをさせます。観客を怒らせるためです。
 そして観客に、「どうしてもっとやり返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出るわけです。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、すっきりするわけです。
そもそも人間の感情として怒りが具わっているという点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。
たとえばニーチェが『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な世界観を描いたのは、
そのことをいいたかったからです。 アポロンは美と光の神、ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。
古代ギリシア人たちは、アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、決してそんなことはない。
実は人生の暗黒の側面と激しく戦って、それを征服し、苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な
側面があるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの影であって、本質的なところで苦しさを
受け入れているからこそ、彼らは強く明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに象徴される
怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。・・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、
あるがままに受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。これが彼の超人思想の根幹ですから、
その意味で怒りは避けるべきものではなく、素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
 ▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。山高ければ谷深しである。
  人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
  変わって見えてくるから面白いのである。 両親や、社会のバイアス(先入観)に縛られ、光の当て方さえ知らずに、
  小さな岩場の穴に閉じ込められていることさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。
   他者に原因を求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を見出すことが正しく怒ること。
  怒りを生み出している原因は客観的なもの。それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
  今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど肯定している本は珍しい。
  怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。
  自分に怒り、相手に怒り、社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの人生が台無しになるが、
  正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
           「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
 財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、
政治家も国民も、目先の安易を選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても、「成長なくして生存なし」と曰っている。
その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
  * あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。
 ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる 』ハズだった。
 日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストのような
 日本経済のファウスト症候群の原点だった。その結果が、言わずと知れたバブル経済の出現だ。その時に先送りにされた課題が現在の
 我々に重くのしかかっている。≫
▼ あの時から27年間、バブルと崩壊を経た後、ただひたすら財政投入を繰り返し、一千兆という膨大な借金を積み上げてしまった。
考えてみたら私の新潟駅前事業シリーズ、あの時からホテル拡大が本格的に始まった。投資の資金計画さえ立てれば銀行が応じてきた。
そして目先は計画通りに順調に売上が上がったが、目標数字は三年もしないうちに計画より下回っていた。要は、プラザ合意の
背景があって資金需要先が必要だったのである。新幹線開通の勢いと、価格破壊の戦略もあったが、プラザ合意のアダ花でしかなかった。
時代の流れに乗り、その後、激流に流されただけ。それを乗り越えるのが経営。この大津波の飲み込まれたのは、それまででしかない。
何とか近くの山に逃げることが出来たが、山上から見えるのは内海の向こうの大津波。しかし、防波堤の内側の人たちは、のんびり
内海を眺めているため、叫び声が聞こえていない。逃げた人たちが山の上で手を振っているのを見て笑うだけ。江戸の長き眠りを
アメリカの強引な開国要求で醒まされ、無血革命で近代国家造りを余儀なくされ、その膨張の結果、日米大戦に引きずりこまれ敗戦。
その後はアメリカの属国として世界第二位の経済大国になった。しかし、プラザ合意を強引にアメリカにのまされて、バブルと崩壊の中、
ドルとアメリカ国債という紙切れで溜め込んだ資産を収奪されている。それもこれも娑婆娑婆! 所詮はイエロー・モ(ヤ)ンキーか。
・・・・・・
3752, 創業と 野良の話
2011年07月04日(月)
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、
その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは、
野良猫以下だ!と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、
野生の本能を使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、
その中で勝ち抜けない」という比喩を言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の闘いの中で、
獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、
その言葉を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
 私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」と頼まれたことがあった。その時に、長年、
大組織を背景にした人が果たして一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。 振り返ってみて、よくぞ、
こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、
外に出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらなけれならない事態もある。その覚悟があれば、上手くいく」と。 
 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。
そういえば、以前にも同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、第二の人生をハッピー・リタイアーをした。
ギリギリの野生に立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、
計画をこなしていくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。それほど自立は難しい。
だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
 本人は、「頭を垂れて自分の方から聞きにくる第一歩からして、計画のチェックをしにきているに過ぎない。」
で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、はい、さようなら!である。 何かをやろうとしたら、準備、準備、準備。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、
やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、血と汗を
感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化してきたかが、大きく左右する。 それとて死んでしまえば皆、同じ。
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3387, 金融のミニ講演
2010年07月04日(日)
 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の生の金融情勢も面白そう、と。。
 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って何割かの金融資産を出した方がよい。
 その手伝いが自分の仕事の一つという。世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、とか。
(字数制限のためカット 2011年7月4日)
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3012,死ぬまでに知っておきたい5つの秘密
2009年07月04日(土)
 アメリカのケーブルテレビ局の番組で(死ぬまでに知っておくべき五つのこと)の制作を著者が依頼されたことに端を発して、
周囲の人たちから「幸福な賢人」と見なされている1万5千人の高齢者を探し、その中から235人の60歳以上の高齢者に
「幸福な人生を生きるための秘訣」についてインタビュー。 彼らの言葉から浮かびあがってきた
  その「幸福に生きる秘訣」を、「5つの秘密」としてまとめると
1 自分の心に忠実であること    2 思い残すことのないように生きる
3 愛になれ   4 いまを生きよ  5 得るよりも与えよ
 今さらの内容だが、それでも1万5千人の統計の結果と言われると、いやに納得するが目新しいものはない。
〈 自分の好きなことをライフワークにして生きてきた者にとって、何を今さら 〉である。
そうじゃないのが大部分だから、こういう番組が出来、こういう綺麗ごとになるのだろう。
 といって、否定するものではない。
 ーそれよりも、その中で紹介している賢人たちの発言が印象に残る。ー
  「自己実現と好奇心と探求に情熱的に取り組むことだ」     ウィリアム 64歳
  「人の顔色をうかがうな」                  ドン 78歳
  「あわてて幕を引くな。アンコールか第四幕がつきものだから」 ジョシ 79歳
  「自分の心に従い、こうありたいと願う人間になりなさい」   ボブ 59歳
  「お金を目標にしてはだめ。節約し、楽しめる仕事を選びなさい」 メイ 72歳
  「つねに、することを五つ以上、見つけなさい」        ルーシー 101歳
  「自分や人を深く尊敬しなさい。人を傷つけてはならない」   ジュリアン 76歳
 ー何事にも興味を持ち続け、周囲には積極的に働きかけ、明るく生きなさい、とうことだ。
周りをみると、歳を重ねるに従い胡散臭くなっていくのが大部分。 人のことを言えるか、と言われそうだが。
特に、中途半端に生きてきた自主性の無い人ほど群れたがるから「薄汚れたジメジメした悪臭」が漂っている。 
その逆の「不幸に生きる、5つの秘密」という人間になっていく。
1、仲間を大事に、助け合い、自分を高め、奉仕に努める
2、世界は色いろなことに満ちている、独りでは出来ないので、そういう仲間を求めて寄り添い、
  悩みを分かちあうことこそ、老後にまず必要である。
3、愛されるために、自分は生きる。 愛される人間になりましょう。
4、過去の人生を振り返り、その思い出を大事にする。
5、死んでしまえば、それまでよ。 生きているうち、元気なうち。貪欲に人生を求めましょう。
 やはり老人は孤独が似合っている。孤独に耐える老人であるべきである。持って産まれた性格もあるが。
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2647, 座敷童子と出会える宿 ?1
2008年07月04日(金)
  借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
 それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。 そこには「座敷童子」と出会った体験記が
 書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と
 勘違いされることがある。 その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを
 売りにしている旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
 それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
 妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が
 [東北の妖怪・特集」であった。
  ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、
2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、
子供の姿をした妖怪。これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
 (字数制限のためカット 2011年7月4日)
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2007年07月04日(水)
 2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった
1年間の生活を淡々と描写してある。父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。 
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、
やむなくのホームレス生活だった。10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、
パチンコをする。1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い
「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。さらに金に換える方法を教えてくれた。
教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。
しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」「なこちゃん、死のうか」しかし、
「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。 いつも友のこの言葉を反芻し、
壊れていく父を励まし、生き抜く。こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは、
「中に父親がいるの。探してもいい?」と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
    (字数制限のためカット 2011年7月4日)
 


4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26

2014年07月03日(木)

   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル事業そのものより、
その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、どの場面も、私の実力の極限?を
超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に
蓄えられいく。 その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てをかなぐり捨て、
それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色(現象)が立ち現れてくる。
 何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ考えることが出来ることになる。 
コップの水を一度、空にすればこそ、新しい水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、
ベストと実感出来たのは、多くを失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。
これを書いていても、それぞれの節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、
その時の己を容認するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備である。この結果で最後は終わったが、これが私の限界、
「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と本当にいえる程でもないことは、
わかってはいる。しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休でなければならない。 まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、しかない。 どの場面でも、順調に枝と
幹をのばし、張っている時より、節目の時節の方にチャンスが隠されていた。
白紙に戻して、考えるからだ。極限にたつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、
それらが消化されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。
 語り直しだからいえるが、挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前のことになる。
この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、全てに恵まれていた。
これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 手作りヨットの遊びは、運航も良いが、
準備期間が一番、面白い!今だからこそ言えることだが・・ なかなか、書き直しもエネルギーがいる!
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4491, 怒らないって本当は恐い! ー6
2013年07月03日(水)             『怒りの作法』小川仁志 著                      
   * 怒りの蓄積がストレスになるが、解消の中にお宝がある
 怒りには、ストレスがたまるデメリットがある。しかし、それを正しく利用すればメリットになる。
2年前の節目時に、まず考えたのはウツ病対策である。身体を動かすこと。暇を持て余さないこと。
周辺の「C」さん?の毒素に触れないことである。それでも、3月に一度は仕方がないと割り切ってはいたが、
彼らの毒はCなるが故に強い。 で、何より身体を動かすことが、まずは基本。そして、滅多に味わえない経験を、
先人の言葉の中から探し出すこと。そして、最もストレス解消になったのは、この経験と思いを言葉として表現することだ。
「C」さん? の卑しさを言葉として表現し得た時の快感は、既にそれでストレス解消になる。 ただ、その人に、
その自覚さえないから、罪もない。 ここで紹介している子どもの養育概念に「セキュア・ベース」という言葉がある。
「心の安全地帯」と訳される。子どもが安心して外の世界に出ていけるのは、親の存在があるからである。
誰しも自分の心の平静を保つことのできる場所や状態を求めている。とりわけこの理不尽な社会においては、なおのこと。
怒るという行為は、押しつぶされそうな心を、正常な状態に戻す機能を果たします。 怒ることが出来るから、
人は安心して理不尽な世の中を歩いていけるのである。映画の物語からして、そうだ。普通、怒りが人を不愉快にするが、
でも主役が冷静に、暴力に対し暴力を持って対峙して問題を乗り越えたときの快感を味わいに映画館に行くのである。
その怒りは、見るものを心地よくさせる力を持つのである。だから、この2年間はウツ病予防と割り切ってハリウッド映画を
毎週のように通った。主人公と同化して、ネガティブの怒りにポジティブに怒りことで、ストレスを発散し、セキュア・ベース
をつくっていたことになる。平静を装っているが、実は、受けているストレスは同じ。しかし、それなりの防具を着ているだけ。
しかし、一番身近な家内は、ここぞとばかりに、全身で傷口を直接、蹴り上げてくる。 そう人生は、甘くない。


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4117, 財政恐慌 ー4
2012年07月03日(火)
  ー ユーロ危機に対する質問群 ー  「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子 (著)
 ● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
 ≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
   2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、
    失われた一年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化におののき、
    衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
   3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、
    流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
   4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や
    年金問題や、通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
 ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。そのための
  新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変する必要がある。
  中央から全方位にばら撒く時代は終わった。地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ≪自分にとって最適の場所に着いているのに、それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避していのではないか。 昨日の答えで、
  明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか =持っているのは古い地図ではないか?むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか =元いた場所が不相応になったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか =この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
   ▼ 以上だが、アメリカの支配下で、一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。しかし、既に、その時は終わってしまった。
    そのことを、まずは悟らなければならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国である。
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3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく手にとって読んだところ、これが面白い。
300頁を毎日1時間半平均で四日で読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、
アクの強い西鶴の人間性を浮かび上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。 ーアマゾンで概要をみると・・
【俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に
織り成される人間模様の数々。米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】とあった。
 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本を一気に読むことは以前なら、無理である。
最近になって気づいたことだが、会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。 しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の冷房も寿命がきたようだ。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の中に、どれほどの偶然が含まれているかを
見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
 911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークのすぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者は出勤していなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が多く入居していて、
たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたまテキサスの別荘
(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他のすべての民間航空機がアメリカ上空の
飛行を禁じられているにもかかわらず、たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊するすることはありえないのに、
たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの
著書には、これらの「たまたま」が羅列されている。 ・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、マスコミは、それを取上げようとしない。
 そういえば真珠湾の攻撃の時も、明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、その情報でメリットを上げた
投資銀行である。株も為替も、その情報を知った上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
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3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる比喩で、最初に印象にの残った数字や
言葉に影響されることを言う。店頭で、1万円に赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。
「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。
我われは、知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字(値段)や物(品質・量)が、
 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視することを指し、
 最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される事象のことをいう
  ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さはどれほどになりますか?」
大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人でも、厚さ数十メートルである。
しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万キロメートル)の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれないけど、
計算したらその通りなのだ。「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ないと決めてしまう。私の見る限り9割?の人が、
そうである。 考えてみれば、自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて
、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけ。
それが理解できないのである。 そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。 
 人生は誰も同じだが。 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
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2647, アメリカ狂乱 ー2
 2008年07月03日(木)
この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
 ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、
いまのアメリカには資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや
有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明は
きわめて意味深長である。これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々が
アメリカに資金を持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。 歴史的にみてもこの事実は明らか。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンがアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイルマネーをアメリカに取り込み、
 アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から資金を集め、
 アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
 サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として確立しているかどうか分からないし、
 この問題について経済専門家が明確に説明をしているわけでもない。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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2007年07月03日(火)
 2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪
新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
 (字数の関係でカット 11年7月3日)


4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!

2014年07月02日(水)

   * ぼんやりと、考えてみると!
 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた過去の語り直しをシリーズで
書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、
切り口から見える当時が、新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 
私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換えることが可能なのか。
世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、それは真実の記憶になるのか? 
バカがバカと自覚できないのが世間様。その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが
俗世界。そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
 過ぎ去った昔と、現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、間違いなく、時間差の中で
違う人が存在している。それが、自己と、自分の、言葉の意味の違いになる? 刻々変化する
世界と、自分の受け止め方の変化。両者とも、儚い泡のようなものでしかない。
なるほど、《ぼんやり》とは、「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、《無我夢中》の言葉の対比が、
何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、輝きになるが・・ 
人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 ぼちぼち、過ごすしかない。
   * 夢と現実の境目で
 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査をすると浮かぬ声。
知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで頭が一杯で、落ち込んでいるという。
その後、その結果がどうか?は、大腸だけに電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を
入れたが不在。 その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、どうだった?』と聞くと、
『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と
後悔したが、時すでに遅し!》 
 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、夢だったか分からない。 
そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、
電話をしたところ、『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
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4490, 怒らないって本当は恐い! ー5
2013年07月02日(火)
    * 哲学者と、ジェファーソンの教訓     『怒りの作法』小川仁志 著 
  ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。
・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」といっている。・・・
・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。
 赤くなる人は、頭に血が上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに青くなる、しかし、その後
 恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。
・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに静かにそれを観察することなり」と提案。
・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを言ったりしたりする前に10まで数えよ 
 それでも怒りがおさまらなかったら 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。
  決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、良い結果が生まれるということだ。
 ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスになるが、ボッとしているのも。
▼ 「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」は、その間に冷静に考えろということ。私の場合、「二年スパンもの」。
 正しい怒り方、すなわち問題解決型怒り方とは、粘り強い思考を持って、正しいエネルギーを使うことになる。 
 怒りは、目を外らさないで中心点を見続けていると、時間の経過で殆んど収まる。その鎮静に膨大のエネルギーを
 投入するが、そこで多くの認識が出来てくる。
  この倒産劇の中で、多くの怒りを経験し教訓も得た。 怒りにも、私憤と義憤があること。救いようのない怒りと、
 救いのある怒りがあること。 何事も実際に自分が経験してみないと分からない。
 今回の一連の私憤はデカルトのいう、「青くなる怒り」である。世界は既に世界が恐慌に深く踏み込んでしまっている。
 その直撃で青くなったのは、世界恐慌のウネリの到来を感じたからである。それも、後に控えている歴史的大津波の
 到来が見えたからだ。地元も含め、地方の中小・零細の8割以上はただ呆然と立ち竦んでいる。残る2割の多くも、
 時間の問題でしかない。その中で、何処かの首相が、10年後の一人あたりの所得を150万円増やすと曰わいている。
 耳を疑うより、怒りが込み上げて来たが、これは公憤である。 「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」というが、
 挫折は、「二年(スパン)もの」。私の場合は、どうだろう? 自分も周囲に対しても、腹の底から笑えたが! 
「怒らないって本当は怖い!」は、現在の自分にピッタリ。現在、もっと笑い、怒り、哀しみ、楽しめということか。 チロリ
・・・・・・
4116, 財政恐慌 −3
2012年07月02日(月)
                 「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
  英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過っての持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。 
 サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が新鮮である。
 この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えている形式になっている。
   * ミスター・ビーンに聞こう
【・・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。
 イギリスの大物政治家で自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である彼を演じて大反響を得たのが、
 ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物的俳優で異様な喜劇俳優だ。 物言わぬドタバタ男キャラクター、「ミスター・ビーン」
 としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。
 七変化的な役柄の演じ分けが得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 サー・ベンジャミンは、
 ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
 サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。
 「今日、イギリスは一三八○年以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。なぜ一三八○年なのかは
 よくわからない。・・ここから、その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。
 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー 
  ● 我々は今どこにいるのか           
  ● いかにしてここにきたのか  なぜ、ここにきたのか      ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ● 我々は地図を持っているのか                 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか               ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】
▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。
それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショックという大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ!
 ・・・・・・・
3750, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年07月02日(土)
                 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが
心の底の沼に溜まり、いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、その毒で脳がやられ下手をすると、
重症の鬱病か分裂病になる。 それを防ぐには孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。
憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものをおねだりしてももらえないというときの感情です。
まだ相手の愛を求めています。赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。これを「怒り(アンガー」と言います。
そこに「羨望(エンヴィー)」が入ってきます。これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り上げたくなる感情。
「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。
怒りに羨望が絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、
怒り、不安の複合した感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。ここにも「憎しみ」があるわけですが、
男女関係が絡まないエンヴィーとは区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊されることを恐れる感情ですが、
憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのにもらえない」
というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが
持っているものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。
そういう「関係」に身を置くのが厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなることもあるでしょう。
昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だというものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを
考えなければなりません。あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れるかもしれませんが、いざ本当に離れた
ところで一人暮らすとなったら、今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
 ▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。
 「怒り」×「羨望」=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく受けてきたが、逆の与え方は上手くない。
 「自分」というものは、自分一人の閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調している。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど人間関係は丁寧に扱わなければ。
 「ピーク、エンドの法則」がある。 記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割以上の記憶を決まる。
 ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。
・・・・・・・・
3385, 911・考えない・日本人  ー3
2010年07月02日(金)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。
当然、日本にあるわけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。 白人の悪は復讐の対象である。 根本的に異質だ。
人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。 悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。 
人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。 
それは無知であり、バカだ。 生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。
 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない限り、今後の人間の条件はない。
「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと深く理解しなくてはならない。
だが、悪がわからなければ、神もわからない。 悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。
存在しない神は死ぬこともできない。つまり「意味」がない。 意味――、神と悪は鶏と卵だ。ねえ、ちょっと、ほんとに・・
冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 そして、その後で世界史を勉強してごらん。
そうすれば、いまなぜ日本が。これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。
▼ 「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。悪を身につけない限り、生きられない。 
 人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」
 これは、ユダヤ教などの一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州には
 悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、過去の歴史をみれば分かること。
 僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。
 あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担がされるか、殺される。
 現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。
   =偶然、以下の「垂直の言葉」に思考について書いてあった。 面白い偶然である。=
 ・・・・・・・・・
3010,垂直な言葉
2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著    ー読書日記
 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。
横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。
「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、感動、感激の瞬間に
感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。
 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。
 ーまずは、その部分である。  P-217 
* 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子
池田  当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、と受け止められているのではと。
石川  それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。
池田  以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えたことがあったけど。
石川  そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に降りていくものと自覚的に使っている人は、
    めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。横の社会なんですよ。
   (字数制限のためカット2,012年7月2日)


4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25

2014年07月01日(火)

   * 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!その頃、激情を抑えた
状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの
棒に自分に譬え、孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。 対象に全身全霊を入れれば、
それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。 しかし時間が経てば、何の
未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が
入ったような感覚。 長年かけて積上げられた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、
実感。 現場と、幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、
そのまま成果になるため、楽といえば楽である。 仕入は、問屋やメーカーにとっては、大のお客様。
慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。反面、一つ間違えると、実績に直に
跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上げとすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。
それも、産地に現金支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華することも可能である。
 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを建替え、残留の大半を入替え、
統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れこみ、ホッとし、自分を振るかえると、今度は
自分自身の問題。そのまま留まると、実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。
それと私に、権利という基盤が無い! それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間
暖めていた新潟ホテルシリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、
信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知っていると知らないとは
雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 
日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類         『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを4つに分類している。
  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンだといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。
この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できているとはいえない。・・(中略)
そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの
指標によって分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに分けることが出来る。 
それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、「自爆型」と呼ぶ。
 彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に表すことはありません。
だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を究明し、それを解決しようともしないのです。
 したがって、怒りは自分の中で増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。
あたかも怒りで自爆してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。
つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、テロリストや無差別殺傷の
犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りというのは、
「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すことはありませんが、
少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
 ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけにはいかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、「ラッパ型」といえます。
怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に結びつけようとはしないのです。
いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ立てるだけで、問題を解決しようという建設的な
姿勢はこれっぽっちもない場合をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多い
 といえるかもしれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、この語は
「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒りには何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうというもので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。その痛みを時間の経過の中で
耐えている間に、考えるという働きが出てくるからである。怒りっぽい私など、何時も、
独り心の中で、このプロセスの中にいる。結局、全ての怒りは時間が解決する。
怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・
4115, 財政恐慌 ー2
2012年07月01日(日)
  * 共同債の発行など気違沙汰!   「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る
無限ループに突入した」浜矩子 (著)
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になるからだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、
キプロスと、その危機はモグラ叩きのように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政対策を打ち出し、
何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。
字のとおり、ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金を調達しようとする代物。これまでの、
加盟各国が個別に国債を発行するのではなく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、これほど有難い
国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、
7%近い金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。しかし、そうでもしなければ、
PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など、無理ときている。
何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。 著者は、ここで「ある地域内で単一通貨を導入して、
うまくいく二つの条件がある。一つは、その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は、経済格差が
全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める中央調整装置の存在が前提としている。
この二つが存在しているかというと、否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、
財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの
刑にさらされているという。ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、その足元をみて、
今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、
国家予算は税収の二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。
 PIIGSを、最終的に準加盟国という名目にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
・・・・・・・
3749, ジャズについて  ー「ジャズ完全入門!」−19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著
  歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここでは飛ばし、
 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げてみる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類
(ヴァイオリン、ビオラの類)はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで使われないもので
ジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしいリズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。
クラシックの楽器類マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトでキレの良いサウンドを作っている。
 以上のように、楽器そのものより演奏法によってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけでなく、2ビート、4ビートといった
 基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといったクラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有の
 ダイナミックで個性的な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」演奏しているからだ。
(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
   ・・・・・・・
3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他
どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。
なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたから、知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。】
 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、
 それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
 ・・・・・・・
3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。
将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。
この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。
そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。
「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。
腐りきったネオコンがアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・・・
2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)
本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、
数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。  
  (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
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2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ                   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー
*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。
ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
・・・・・・・・・
2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」
と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」
など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。
じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツをこしらえて喰いなよ。≫
 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)


4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が

2014年06月30日(月)

   * ロボットカーが現実に?
 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。それも、2020年までに販売?とか。 
初めてニュースで見たときには、思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが
なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 
ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる自動車。日本語では
「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機に
しても、一時代前には考えられなかった商品が次々と、現れ出てきている。
デジタルによるユビキタスの限りない進化のため。 面白い時代である。
   * つれづれに ースズメとエールの交換
 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダからのペットのインコが
呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメの呼びかけに、口笛で答えている。実際は
インコに興味があるようだが。エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、
2Mのところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に鳴きかけてきている。
 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、家人を求めて鳴いているのがスズメを引き
寄せるようだ。御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。
   * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか!
 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。
例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。今年は、現在、
行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。再び、アルゼンチンの債務不履行が、
出てきている。これまで、ロシアのクリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが
問題として表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、脆弱に
なっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。 問題は、中国を筆頭にした後進国と、
欧米の経済問題。それに加え、日本の6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を
大きく残すはず。大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない綱渡りの
日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、隠れ大ニュースかもしれない。 
私は、とにかくも、半年、無事!
・・・・・
2013年06月30日(日
4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年
   * 今年も、はや半年
 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが何時、
破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、既に世界は恐慌に
入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。表面は静かだが、水面下は一日
一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的大事件が勃発するのか。これは発生するまで、
誰も知るすべがないが、間違いなく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、
年例行事にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、と
騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て立った時には、
国家非常事態。 とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事なら、静かに沈殿させて先延ばし
をしておけば、それはそれで罷り通る。個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。
早朝から就寝するまで、ほぼ同じ日程を繰り返している。
   * 今年に入ってシネマ、28回
 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくるウツ症が来そうな時期。 
刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 何とか早朝から、ネットや、ポタリング、
読書に、スポーツジムにと、スケジュールを組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無い
のが一番のストレス状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。
これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。 行かなかった週が二回。
週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。私の評価として、邦画の
平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術の大画面の迫力は圧倒的である。
邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位の
ページに入場券を貼り付けているが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。
もちろん、それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した仮想空間の世界に
浸かる日々」になる。
・・・・・・
2012年6月30日(土)
4114、財政恐慌
        「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
  昨日、たまたま図書館で見つけた本だが、丁度良いタイミングに知りたい内容が書いてあった。
 「これまでは序曲に過ぎない。2012年からが財政恐慌本番の年である!」と、欧州の金融恐慌の
最後の死に至る無限ループが手に取るように分かりやすく書いてある。「本来の経済の火消し役で
あるべき財政政策、金融政策がなぜ現在の金融危機につながってしまっているのか?」 
金融危機をお金を刷ってばらまくことで解決しようとする(漏洩金融)財政政策により、グローバル
経済における金融と財政の死に至る無限のループを以下の述べている。
≪グローバル経済において、ヒト・モノ・カネは容易に国境を超え、その飛躍と拡散が行く先々で
様々な問題を引き起こす。 ところがそれら諸問題の火消し役を果たすべき国々の財政は、国境を
越えられない。このミスマッチが国々の財政政策にかつてない負担をかけ、金融政策をかつてなく
無力化する。そして、重みに耐えられなくなった時、起こってはいけない 財政恐慌が発生する。≫
≪ リーマン・ショックそのものは金融恐慌だった。国境を越えて暴走がもたらした恐慌である。
かってなく巨大で、迅速で、複雑で、公域に広がりをもつカネが、金融の大河に溢れて超弩級の
洪水を引き起した。それがリーマン・シックに他ならなかった。この空前のスケールのグローバル
恐慌に、国境を越えられない国々の財政が立ち向かったのである。
 勝敗は目に見えていた。しかも、国境を越えて大きな過ちを犯した。彼らは、なにはともあれ、
経済活動をリーマン ・ショックによる落ち込み前の段階に押し戻そうと躍起になった。そのために、
空前の財政大盤振る舞いに乗り出した。 あの時、アメリカの財務長官だったポールソンが何と
言ったかをご記憶だろう。金融恐慌をせき止めるために、彼は「バズーカ砲を用意した」と。
借しげもな火薬をつぎ込んで、銀行の不良権を買い取る。傷ついた金融機関は、どんどん重荷を
軽くしてあげる。負担は連邦政府が全部肩代わりしてやろう。迫力はあったが、そのおかげで
 金融機関の痛みが財政の痛みに転化することとなった。他の諸国においても、同じことが起こった。
その道に踏み込むとする国々もあったが、結局は、金融の痛みを財政が肩代わりする流れに
誰もが巻き込まれていってしまった。
 そもそも、リーマン・ショック発生前夜において、国々の経済は明らかに危険すぎる経済的な
高みに上りつめすぎていた。 だからこそ金融恐慌という名の大洪水力発生した。それなのに、
リーマン・ショック後における国々の財政は、あの高すぎ危険な山の上に、経済活動の水準を
押し上げようと必死になった。≫
▼「日本は既に輸出主導、円高対応、成長戦略を目論む局面から、成熟戦略へ入っているのでは
ないだろうか」と、今後の日本の進む方向の転換の必要性を説いている。今だ「成長なくして生存なし」
という言葉が支配しているが、無理な道理を通そうとするため、財政出動の繰り返しになる。
結果として金融恐慌の原因を作り、そして世界恐慌へ 向かっている。その限界が年内、
2012年問題である。
  ・・・・・・
2011年06月30日(木)
3748, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −18
                      ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
【  聴き手のほうから音楽に寄り添わなければわからない、という理由は、もう一つある。それは、ジャズが異文化に
属しているという事実である。いまとなってはポピュラーミュージック、ロック、それにクラシック音楽も含めて、我々を
取り囲む音楽環境はほとんどすべてと言ってよいほどに外来種のものとなってしまったので、ことさらジャズの異文化性を
取り上げても、ピンとこないかもしれない。しかしアメリカの黒人音楽として誕生したジャズは、その文化的な背景が
我々とはかなり違っているので、私たちの素地のままの感性で判断しても、その狙いがわかりにくいということがあるのだ。
たとえばカウント・ベイシーのバンドなどは、よく演奏のエンディングを一度終わったように思わせておき、また繰り返す
というような芸を見せるが、その回数はお茶漬文化の僕らの感覚から言ったら、少々「くどい」と思わせるほどなのだが、
これは黒人音楽の特徴の一つなのである。...  (以下、字数の関係上カット12年6月30日)
・・・・・・・                           
2010年06月30日(水)
3383, 「だまし」の心理学 ー1
 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」を、ここで書いたことがある。
その中で「だまし」に絞って書いた書である。重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。
固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、意識をしないツワモノに出くわしてきた。
倒産で資金繰りのため、我を忘れて身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテをいく手法で
親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。
 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー  「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著)
  =まずは、アマゾンの内容の紹介より=
≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。 最近問題になった、マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、
 振り込め詐欺、盗作、必修科目履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。
また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテインメントとしての、罪のない「だまし」というものも
存在します。本書では、古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、なぜだまされてしまうのか
という疑問を、図説を使いながら解明していきます。 自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などの
トリックを暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ人々はスピリチュアルなものに
惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ 
  ー その幾つかを紹介してみる ー
* かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた人がいた。その人M氏は、虹の色の濃さや持続時間に
 基づいて地震の予知をしていた。 その予知はハガキで知らされていた。たとえば、8月2日の午前2時に某地方で震度4の地震が
 あったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを見ると、二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。
 その文面には「8月2日の午前2時に某地で地震が起きる」と書いてある。それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 
 ところが、これが騙しだった。M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。このハガキこそが、
 虹による地震予知のトリックだった。 これをどこかで、地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの文面を
 消しゴムで消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。そのハガキを、自分で入れにいっただけ。
 知らない近所の人は驚くわけである。稚拙なトリックだが、騙すに充分である。
 ・・・・・・・・
 2009年06月30日(火)
  3008,今年も半分が過ぎた
・新インフルエンザが発生し、パンデミックになったが、弱毒性のためかまだ落ち着いている。問題は第二波のくる秋口。 
・去年の9月15日に起きた金融危機の直撃の影響が身辺にも影響を始めてきた。アメリカのGMとクライスラーが倒産。
 シティなどのアメリカの金融機関が実質国家管理になった。
・1月末にオバマが正式に大統領に就任、その政策転換が具体的に見え出してきた。 
・北朝鮮で、原爆の実験が行われたが国内的に不穏な動きが出てきているようだ。 
 毎年の傾向だが、今年も大きな事件は後半に先送りになった。
 去年が、世界的な金融恐慌発生がキーワードなら、今年は新インフルエンザのパンデミック。
要は秋口からの二波で猛毒になるかどうかだが、後進国で猛威をふるった時の医療体制の不備が最大の問題。
この新インフルエンザが、世界的に数百万、数千万の死者が出るパンデミックの初期とみるかどうか。
さらにアメリカ発の金融恐慌を、世界恐慌の初期段階と見るかどうか。 この辺の見極めがポイント。
 歴史的から見ると、悲観的にみる方が正しいようだ。去年の9・15が起きた時に、アメリカの恐慌を専門に
研究している経済学者が、「今回の恐慌は、20世紀前半の恐慌とは比べようもないほど規模が大きく、かつ質も悪質である」
とコメントしていたのが印象的であった。 それが雰囲気として、底をついたような楽観的な空気が一部あるが?
まだまだ初期の初期段階でしかない。明日からの後半は、更に大荒れの歴史的日々が待っている。 近くに自民党が衆院選挙で
解党的な敗北が決定的。民主党が政権を取った後に、本格的な政界の再編成があり、その過程で終戦後の60年の膿が出てくる。
そして、気づいた時には日本は、更に経済的にも、政治的にも大きく縮小している。
 (以下、字数の関係上カット12年6月30日) 
 ・・・・・・・・・
2644, 「無法バブルマネー終わりの始まり」 ー2
2008年06月30日(月)
 まず第一章の中の小項目
 ーゴーストタウン化が始まった!ー P/56を、そのままコピーしてみる。
≪ いま、金融機関ばサププライムローンによる融資どころか、プライムローン(なんの延滞もない健全顧客向けのローン)
にまで融資をストップしている。 年収五〇〇〇万円を超えるリッチな顧客向けのジャンボローンですら、新規融資は止まったまま。
   (以下、字数の関係上カット10年6月30日)
・・・・・・・・・
2007年06月30日(土)
2279, 今年の半年の総括 (2)            ☆^(*・ω・)ノ~~~オハヨウ!
 もう半年が過ぎてしまった。比較的、穏やかな前半といってよい。それでも振り返ってみると色いろなことがあった。
*プライベートでは
 ・次男がめでたく結婚(3月3日)    ・実家にあたる兄の会社が倒産(5月15)
 ・両親を含めて最後の叔母堀内リツさんと、母の従兄弟の元市長の内山由蔵さんが死去(1月下旬)
 ・ゴールデンウィークに大學の友人の川崎整治さんを静岡に訪ねる  ・高校の同級生二人が癌で入院、手術
*会社では
 ・新潟駅立体工事が正式に着工  ・会社のホテル業の底打ちと、右上がりが始まった
*政治・経済・社会面では
 海外も国内も大きな変動はなく、比較的穏やかな半年であった。地方統一選挙も大きな波乱はなかった。
 社会面では、相変わらず陰惨な殺人事件が毎日のように続いている。
 経済面では、少し経済が持ち直しているようだが、あくまでも一時的なもの。大嵐の前の微風が吹いているに過ぎない。
*本で印象的だったのは
 カズオ・イシグロの 「日の名残り」  中村うさぎの 一連の本
 藤田東吾の 「耐震偽装」  佐藤優の 「獄中記」
 高橋敏夫 「人生のことは、小説が教えてくれた」
 野口悠紀雄 「日本経済は本当に復活したのか」あたりが印象に残っている。
*健康面では「半日人間ドック」で、全く問題なし。
 後半は、かなり政治も経済も含めて大荒れの予兆がしている。   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ


4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24

2014年06月29日(日)

   * 転進の決断と、次への構想
 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を有効に生かすことが急務と
考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、
兄名義の更地を売却し、新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。
その一角に当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料量販店の
建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。
 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料チェーン化に集中すべきと
主張!私と意見が分かれた。「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、
ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言していたこと。
「今が身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、姉夫婦と同じトラブルを、
実兄とすることになる。同じエネルギーなら、新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が
働いていた。あのままでは、間違いなく相打ちになった。  
 2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山などの仕入れで、各地のビジネスホテルに
泊まっていた。その仕入れ後に、同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、
食事代は限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。その出張が、
宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺にも、客室主体のビジネスホテルが
あって、そこを定宿にしていた。立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。
さらに現在は無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにしたスケェア
ガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体にしたホテルと、学生服ショップを
併設させれば、間違いなく大当たりをする!と。で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、
思い切った次の創業の決断をする。 あの兄に本当に、本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。
他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 これを書き出していて
見えてくることは、私も、実力相当の結果に終わったこと。
それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。
・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)                 
   * 怒るとは哲学することである     『怒りの作法』小川仁志 著
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで「怒るとは哲学をすること」と、いう。
突然、死に直面すると、「まだ遣り残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する怒りなしには生じえないのです。
 その意味で、哲学はその出自においてすでに怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。
哲学の父とされるソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに疑いを投げかけ、
これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。
現代社会とは異なり、容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。
 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明するための原理として耐えうるように。
そしてデカルトを生み、カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを
露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、
いわば現実に対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。
怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。
 ・・・当たり前のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。
怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き受ける営みにほかなりません。  
まさに怒るとは哲学することである。 ≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、エネルギーを出し合って、ベストの
 道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ
 積み上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為のエネルギーになる。また考える
 ヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。
 この一連の出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの本質を凝視してきたが、
 成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか!
 という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で非常に理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。
 年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
・・・・・・・
4113, 世界は動き出したようだ!
2012年6月29日(金)
   * イスラエルのイラン攻撃の時期
 イスラエルのイラン核施設への攻撃が、現実味を帯びてきた。それに備えてイスラエルは与野党の大連立政権を樹立した。
時期は米・韓大統領選挙の前か、直後の辺りか。シリアの内戦は、その上空をイスラエルがイラン攻撃をするに丁度良い。
反政府軍への武器の供与は、イスラエルと西側がしているはず。 イランを援護するシリアに対し、西側寄りのトルコが攻撃する
機会を伺っている。イランは半年以内に原爆製造の最重要部分が完成する。それが攻撃の根拠。11月の米・韓大統領選挙は、
現政権にとって、最も有効にはたらく。それとギリシャ・スペイン発の世界恐慌発生が何故か重なる。 中国も日本も、
この時期に政権交代期である。 オリンピックが終わる八月半ばから政治も経済も世界情勢から目がはなせない。既に世界は
カオスの入っているが、これから具体的な世界恐慌、中東戦争というカタチが現れてくる。イランはペルシャ湾閉鎖で対抗すると、
アメリカとNATOの参戦に口実を与える。その結果、イランは大打撃を受けるが、キリスト教圏とイスラム教圏の文明の戦いでもある。 
これを機会に世界各国はハイパーインフレになる可能性があり、金融システムは大きく揺らぐ。世界の金融システム炎上である。
オーバ―かもしれないが、これが現実味を帯びてきた。6京円の不良債権は膿みを出さない限り消すことは出来ない。
それにはイランとシリアでの戦争が狙い目で、一石二鳥になる。ロシアも中国も、それが分かってシリアの現政権を後ろで支えようとする。
小沢も、野田首相も、自民党幹部も、そのことを熟知?しているはず。 日本もイスラエル同様に、戦争と恐慌に備えた連立政権樹立が
必要条件になる。民主主義も、目先の正義も、世界恐慌と、大規模のカオスの中では必要が無い。それを前提に世界は動き出したのである。
小沢の離党も、民主と自民党の妥協も、その大きな渦の中から見れば小さなこと。恐慌と戦争に、平時の常識は全て捨て去ることだ。 
これは仮説ではない。いや仮説として世界の動きを注意してみると、全てが当てはまる。 世界は本格的に動き出したのである。
 ー 以上は、あくまで私の独り言である! 半年後に、振り返ってみたら? それを考えると原発の全面廃棄など、とんでもない! 
  必要悪だが、この時世、再稼働すべきである。日本も世界も危機である。
・・・・・・・
3747, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −17 
2011年06月29日(水)
       ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」
ということ。音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり
優しく聴き手に寄り添ってきてくれるものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を理解するよう努める
姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、
「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、
その昔は「ゲイジュツ」というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっているミュージシャンの思惑とは
関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。
 これは・国宝に指定された仏像のことなどを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象であり、
その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を
持ってしまうことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを背負ってしまったと考えていただきたい。
 そしてこの芸術性というようなものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している商品のように
口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように
誰もが喜んで購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果としてTVのワイドショーのように「万人が理解できる」
といったものでもない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
・・・・・・・
3382, 考えない・日本人
2010年06月29日(火)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * 家畜人間ジャップ       ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。
これだけは確かなことである。911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。これだけは確かである。 
私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を
使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。 なぜか? 
まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー (P/86)
 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。 江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
・・・・・・・・
007,誰が電気自動車を殺したか?
 2009年06月29日(月)
 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、
時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。
19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの
業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、
アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 
  ーその映画内容の紹介のHPからー
「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手の
GMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」がさまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。
当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」
(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がって風向きが変わってくる。
低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなく
リースだけで市場に出回ったEV1は2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが
大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー州知事。
まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた
「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。
 ▼ 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、
三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。
ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。
既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。
・・・・・・・・・・
2643, 戦略+夢・ノート
 2008年06月29日(日)
大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、
あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。
文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。
早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。
特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。
そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベターである」を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、
5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、「潮流とは何か」を考えることになる。
長期の装置投資を事業するものにとって、この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、
こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが何時まで続くか自分でも楽しみである。
(数ヶ月で自然消滅の可能性もある)「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの
「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップすることと、ウォーキングを優先している。
  (字数制限のためカット2011年6月29日)
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2007年06月29日(金)
2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
 ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。
「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。
その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、
その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
 ー以下は昨日の、続きー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。
「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。
いわば、からっぽ。・・・・中略  私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、
儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、
像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、
僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、
その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを
とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。
それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と
宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が
確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。 彼らの確信する
「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、と善男善女に伝える術を
今だ見つけられず、戸惑うばかりです。          ーおわり
 ▼ ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール。
  (字数制限のためカット2010年6月29日)


4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23

2014年06月28日(土)

    * 仮店舗と、本店ビルの建設
 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな規模きかかわらず、
多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、大手の大成建設と、準大手の淺沼組に
絞られた。しかし、500万の金額の差で、浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六
元帥の元直属の部下で、何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。
しかし、500万の差が、実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、
トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。 今から考えると、建設は、一割以内の
差なら、最大手を選ぶのが順当だった。 ただし、浅沼組も、悪くはなかったが。見積もり過程で、
得体の知れない建設業界の不気味さを感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の
(マフィアのような)シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく
変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。
 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退したばかりの専門店街があった。
その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、
11月に新規オープンになる。新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を
三倍にした割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。
既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。
 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。それと大型店の影響で、
駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの
講習に三ヶ月に一度の割合に聴講にいっていた。
 そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』と、繰返し、聞いていた。 
現に、この10年間、各地で、それを目の当りにしてきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、
店舗運営と、仕入と販売に縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。 
その頃、ヨーカ堂に出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。
ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引させて欲しいという。
ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的ホット商品ばかり。
内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、短期的には闘えても、長期的消耗戦では、
勝てないのではないか? である。
 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、やる気満々!
私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、縛られるものはない。
引き時では?と。
 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、ハワイ旅行に
行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、それまでの疲れ全てを
取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前シリーズでも、やっていた。
その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた!
・・・・・・
4486, 静かなる大恐慌 ー3
2013年06月28日(金)             「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
   * 第二次グローバル化のゆくえは?
 この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか? そう楽観的ではないだろう。ーその辺りから
≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、戦前世界への
回帰が模索された。しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は保護主義やブロック化へと雪崩を
うって、保護主義やブロック化へと突入していった。世界経済を統合するグローバル化の動きは、
世界経済を分断する脱グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の
「経済戦争」が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。そして、それは
第二次世界大戦で終わりをとげた。 それでは第二次グローバル化は、どのような結末を迎えるのか。
まず、当時と現在とでは状況が違う。第一次当時は、予期せぬ経済変動に対し、各国経済は
あまりに弱かった。しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を
保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・・加えて、当時の金本位制度という国際金融
システムに問題があったといえる。多くの点から考えても、現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国だけ、新興国は遥かに弱い。
二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、
そして一たびショックが起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。
世界はいつも、弱い鎖から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、欧州に飛び火をした。
それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を伸ばして急成長を
してきたBRICsなどの新興国へと波及したとき、危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫
▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起こるかどうかまでは言及してない。
しかし、中国や北朝鮮のような新興国が現に存在している。内部の基盤が危うい国は、それを
カバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。 それだけでない、スマートフォン
(小型パソコン)が一般大衆に普及したときの危険性は計り知れない。政府より大衆の方が、
 情報を知り抜いてしまうからだ。 20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、
誰もが持ち活用した時の社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、
ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。  静かに恐慌は進んでいき、混沌は
当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。
・・・・・・
4112、閑話小題 ー血圧
2012年6月28日(木)
   * 血圧
 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が
先週末、ドラッグストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、スポーツジムにある血圧計ではかったら、
何と165もあった。ヨガを終えた直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・・ そして昨日、一時間半の運動の後、怖々と
はかってみたところ、130だったので、ホッとした。しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、
だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧が
140mmHg以上であるのが高血圧の診断目安≫という。これからすると、私の場合、ぎりぎりセーフになる。 塩分と糖分に関しては、
意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。
  * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが)
 ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。
UCBなどが融資を決定をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、火がつけば、世界の6京
(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど
比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。
先日も、スペインの銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆っている中、国内政治は大混迷。
消費税を上げないと日本はもたないが、引き上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! 
それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、
売上減は必至になり、中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目でみても恐ろしい。 ある朝、
何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
    ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。
人間には、「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に
蠢いている。 過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。
その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、
それである。そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。
「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が
原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
    ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップからだが、包装を開けてみると、靴下二足。
 白系と黒系の無地もので、よく見ると、立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、
 踵、そして土踏まずの箇所が、それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見たことがあった。
 スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に
 欠かせなくなる。これなら2〜3千円を出してでも買いたくなる。 ところで昨日、ジム用の着替えのスポーツシャツをと専門店に
 いったところ、何と「3Dシャツ」のコーナーがあった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ってみたが、これも良い。元々あったのだろうが、
 ベトナムで、トレード・オフをし価格ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったのだが。これも、デフレの一現象。
・・・・・・・
3381, 今年、半年の出来事
 2010年06月28日(月)
  今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。
 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、ハイチでは30万人の死者がでた。
一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末にはスマトラ島沖地震・インド洋大津波で20万人が亡くなったが、
今年は前半だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。
景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。 ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。
北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。
まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。
 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付で何とか最悪の事態を避けているが、
実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッター(ミニブログ)が爆発的に普及始めている。
またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌・書籍などを近い将来、淘汰することになる。
大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の
大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・不幸は無かった。
 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。
後半も、何か大きな事件が続きそうな感がする。 日本経済も土壇場に来ており、先は暗雲が漂っている。
 ・・・・・・・・・
3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。 思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、これほど面白いことはない。
当時は坊様以外に、その能力を持った人が少なかったこともあるが、今は違う。家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。 明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と亡くなった日が記録してある。
八角形の筒状になった書き込み式位牌で、中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。 この文を書くにあたりメモをとったが、一人ひとりの人生が
何かを語りかけているようである。 俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。 そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを踏まえて法名を捻り出したのである。 
本人も死に怯えたかもしれない。 それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにしてはならないのである。 
だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名してもらうも、
それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、として別につくっておくのも良いだろう。
俗名は親が作るなら、あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
   父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
   母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
    一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没     昭和27年3月15日
    二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没       29年8月11日
    三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没       11年6月4日
   祖父の多吉は、釈淨信         62歳没        2年7月22日
   祖母のツルは 釈尼妙証        55歳没     大正12年10月
   父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没     明治31年8月29日
 明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
 そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて良いものか、疑問もある。
 下手をすると罰当たりになるか?  それぞれの命日には、心を込めて般若心経をあげないと・・・。
 ところで両親を除くと、誰も彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」が口癖だった。
 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。
 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。   合掌!
・・・・・・・・・
2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、
 曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
   ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人たちへの批判である。
戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。
短大を出た環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と健康があること、
それだけで充分という。 アフリカや南米の貧困層と比べれば、全く恵まれている。
それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまっていると指摘する。
彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが当然という、開き直りを武器にしている、と。
 − 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。
「死ぬしかない!」とか、「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。時代が下降すると、頭と尻尾が腐るというが。 
 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢をモクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。 
 この事件は序曲でしかない。 彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなしてきたが、それは間違いだ。
 強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を
 目的に教育すべきである」が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!娑婆娑婆 」ではね?。
・・・・・・・・・
2007年06月28日(木)
 2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー1   
何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、末期ガンと宣告された経験者しか知らない、
虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。 ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。告知された私が三年半かけて自覚したのは、
告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)
「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。
実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
 (字数制限のためカット2010年6月28日)


4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22

2014年06月27日(金)

* 本店ビルの建替えへ
 そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の傘下になっていた。
そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発ビル計画が立ち上がっていた。
当地は、その四角にあり、要になるため、当然、参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも
30年も経って寿命もきていた。 私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は
当然、大型店に都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを建替える
ことになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。
この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ設計事務所と、
担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、新ビルの立上げを、身近に見ていた
幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の
建物でのベストの傑作の設計になった。 扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提に
おいて、テナントビルなどに転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。
二階以上のフロアーと地下をメインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。
この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗りうつって建てた
ような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り相場の3〜5割高で売却が出来た。
その買った人物が、その後に取組んだホテル創業のスタッフだった因縁があった。
ニヶ月でコンビ解消をしたが・・ その人も、私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。
10年後には、異種のブラックスワンの出現で・・ ?
 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことになったが、私の手で壊すのも大きな因縁。
仮店舗への移動のため、閉店売出しで一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。
旧ビルへの御別れで、飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。
長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられていた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を1Fに落とし、
運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
  何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえられるのは、怒りが
憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは
違う正のエネルギーを秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める
必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出することに
よって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に暴力的言動に結びついている
ため。 怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。しかし、その言動は否定することになる。
互いの主観をみとめ、話し合い、理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から
理解してもらうことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り上げてきた。・・・ 
怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、他の感情ー喜と哀と楽も歪なものに
なっていく。笑えない子供、泣けない大人、楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、
こうした「異常現象」が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、
喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。モンスーン型は、
温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間になる。これに対し砂漠型は、
厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、
合理的に物事を考えるようになる。日本はモンスーン型、 アメリカと欧州は牧場型。
砂漠型はアフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、まず求められる。
 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が
紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。 
たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。
まさに教室という名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。
 小さな島国の日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の1982年頃は
丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、ポストモダンというバラバラの
個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける
時代は終わったと・・・ それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。
権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ないからである。
デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ呆然として立ち竦み、怒りの
沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーの
コメントは常に怒った内容。そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためも あるが、
明らかに支離滅裂。とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。
何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。
・・・・・・
4111、閑話小題 ー民主党
2012年6月27日(水)
   * つれづれに
 民主党は一度、解党するしかない。欧州発の世界恐慌が迫っている中、日本は数年限定の
大連合を結集するしかない事態。欧州も刻一刻と危機が迫っている。国債と株式の暴落は、
一度暴落が始まると、あとは歯止めが利かなくなる。その時が世界恐慌である。
その影響を一番受けるのが弱体化している日本になる。 その上、アメリカも中国も、
非常に危険な事態である。その結果、際どい金融政策もありえる。それを隠すために、
戦争を中東で仕掛けてくる可能性が強い。イスラエルによるイラン攻撃か、シリア攻撃か、
北朝鮮の暴発にみせかけた挑発か、中国の内乱も十分考えられる。
80年前の世界恐慌は第二次大戦で、それまでの世界の仕組みを叩き壊し、その再建を
新たなエネルギーとして利用した。 ソ連と、共産中国の台頭、そして欧米の西側世界の制覇である。
今度の、それは、新資本主義中国と、インドの台頭になる。 要は、資源である。その先導は
電気自動車と、新エネルギーと、食料の確保。 原発は危険としても残すだろう。 
想像を絶した世界の混乱と、創造に向けての動きが始まったようだ。私も不摂生のため、長くて十年。
 混乱の中で新しい創造の芽を見ることができるかどうか。スマートフォンとタブレットPCが、
更に時代を大きく動かすことになる。
   * 民主党の分裂茶番劇  (上記の文を書いて気づいたこと)
ー 民主党の分裂劇は要するに、こういうことだろう。
【 反自民党連合の民主党が政権を取ったが、政索公約はを殆んど空約束に終わった。
このままでは自民党か、維新の会とかいう関西系弁護士の新興勢力に取ってかわってしまう。
近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢チルドレンは、殆ど落選する。
ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば
過半数か、三分の二を残したい。さあ、芝居の始まり始まり。恐慌と大災害の中では消費税の
増税など当たり前のこと。その前のすべき国家的リストラなど、この国の体質では無理なのは
自明のこと。宗主国のアメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。
自民党だけには、二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 
政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。
・・・・・・
3745, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −16
2011年06月27日(月)
                 ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。
しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係の文庫本を借りてきた。
その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。
 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなり
ジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。
 たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった
昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、
演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、
再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、
といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」
というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 
 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっている
ことが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・
要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、とりわけ
現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。
 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。
またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、
いったい何をどう聴いていいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのか
よくわからない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズマンたちは、
いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】
▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを証明するための
 利用対象にしている。曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。その個性的演奏がジャズの
 持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる
 内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴きながら、これを読んでいると、この世界が、こんなに
 深く面白いとは、知らなんだ。
・・・・・・・
3380, 閑話小題
2010年06月27日(日)
  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。10万人あたり30・4人という。
ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
(2012年6月28日字数制限の為カット)
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は? というと、
本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 
(2012年6月28日字数制限の為カット)
 ・・・・・・・・
3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 
早速、借りて読んでみたが、面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式のドサクサに故人の
苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。
それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。
ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 
 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。
精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。
それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。これも縁である。
私 =堀井八郎    志誠院釈八楽居士  (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字)
家内=堀井恵子    慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大    霊覚院釈大道居士   次男=堀井崇史    自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。
「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
・・・・・・・・・
2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
  ー海外では
・アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安  ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
・ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡        ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明   
ー国内では
・岩手・宮城大地震                    ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
・アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落  ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況
 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。
これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。
ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連合いも全て亡くなった)これで親戚関係の付合いが大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。
 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれそうになり警察騒動もあった。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。
  ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。
 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。
 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
・・・・・・・・
2007年06月27日(水)
2276, 天才論 ー1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]  ー読書日記
「天才論」
ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった
とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含め、
自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも
持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的である。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろう?
モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、ダ・ヴィンチにもいくつかの
「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残された
ものに書かれてある「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。
  レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
 ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
 (2010年6月28日字数制限の為カット)


4851,「事業人生を決心して45年」の語り直しー21

2014年06月26日(木)

 * 旧社員の入替と、パート化
 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで、翌年の春、夏物まで勢いよく商品が回転した。
しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、その影響で、次の冬物の不調に
つながった。一シーズン失敗すると、あとの2期に大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。 
その時、何であれシーズン単位の成功が、翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、
良質な知識と情報が営業成績を左右することを知った。
「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。
導入期に10の商品を幅広に展開。最盛期は、それを売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。
見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品が加えて格安で処分。
 それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場に
落とさなければならない。スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。
それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。そこで数値責任を明確にした部門別管理が必要となる。
最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。熱くなる反面、冷静な客観性が
求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客を鳥瞰する目線が必要になる。 
だから、難しいといえば非常に難しい。その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には
絶対無理!と断言するのは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、
彼らも驚いたはず。店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、残留の社員が
次々と辞めはじめた。 全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい伝票システム、マニュアル、
日報、朝礼など、次々と変る中、過って辞めていった社員達の中傷があった。
辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバーするしかなかったが、皮肉なことに、それが
プラスになっていた。 新規のパートで応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生になり
手が離れ始めた、過っての販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、
去っていく人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった人が
即日、戦力にする仕組みでもある。新システムは、人件費などの経費などの激減効果になっていた。
その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が大きく変わり、翌年の新卒に上質の人材が
多く含まれていた。 新システムに直ぐに馴染んだ彼らが、1〜2年で、即戦力になっていた。 
事業人生を決心して10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。
・・・・・・
4484, 怒らないって本当は恐い!
2013年06月26日(水)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは絶対タブーの中で育った。
それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に
驚いた。この本でナチスの大衆誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。
喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。
演説で大声を振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、
行動のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」
というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクト。
私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れずノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。
 喜怒哀楽の中で一番疎んじられている怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)
これを、コミニケーションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの
訴える強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、怒りほどの
インパクトはない。問題は、その表現の仕方である。これが『怒りの作法』の中で貫かれている
主旨である。 怒りこそ感情の主。逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 
そこに作法が必要になる。
 ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、「正しく怒ること」が大事ということ。
 アリストテレスの「中庸」という思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。
怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方で、然るべき時に、
然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 
怒ることは、必ずしも悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。
もっと怒るべきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。怒りを抑えることが
良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。
・・・・・・
4110は、私が "日本の自殺"ー10完全な本を作った
2012年6月26日(火)
 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識をもたらす働きをする。
日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と平等の見境がつかないのが実情。
社会主義は、理念として極端に求めた結果、集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。
社会主義圏の崩壊である。競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は
無くなってしまい、その結果として悪貨が良貨を駆逐することになる。その辺の没落の歴史は、
正直に歴史の中に現れ出ている。 
   * 自殺のイデオロギー     
 ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。
【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよいほど不可避的に
発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべきものに遭遇する。それは文明の「種」
により、また時代によってさまざまな形をとってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な
平等主義のイデオロギーである。この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を
崩壊させ、大衆社会化状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。
まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ「自殺のイデオロギー」を平等主義の観点から
吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される戦後「民主教育」は、差別反対、人間平等
の名の元に、実は画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。 生徒の成績表に「オール3」を
つけたり、「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が人間差別に
つらなるとして学籍簿への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、ある意味、戦後
「民主化教育」のイデオロギーを最も単純な形で表現したもの。「オール3」教師や「オール5」
教師は、臆面もなくこう言ってのけたものだ。「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒が
できるのは社会に責任があり、社会が悪いからで子供には何の責任もない。
子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義である」と。
 人間の能力は決して規格品のロボットのように平等にできているものではない。
人間はその顔形と同じようにまさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、
人間社会の素晴らしい魅力と活力を生み出しているのである。最も人間的な教育とは、
このそれぞれの子供が持っている多様な個性を思う存分伸ばしてやることを大前提と
しなければならないはずである。・・・ 】
▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本の自滅の原因に
なっている。 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理で、自由を優先に
すれば平等が無視されるし、平等を優先にすれば自由を制約せざるをえなくなる。
「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの平等主義がもたらしたもの。エリート教育を差別として
否定する。これでは優秀な子供の才能の発育が抑えられてしまう。結果がどうであれ、自主独立で
生きてきて良かった! 子供たちだけでなく、社会そのものが極端な平等主義、平凡主義に
毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、それで判断することが毒されない道だった。
  ・・・・・・・
3744, 閑話小題
2011年06月26日(日)
  ◆ 長寿の秘訣 ー�
 NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、
「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。
問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で7分目の方は、
溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 
以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、
「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、
泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。
  ◆ エアロビックス ー�
 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに
100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、
エアロビックスの場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。変わった衣装を着た男のインストラクターに乗せられ、
その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な
中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、狂ったように踊って?いや、エアロビをしている。 
隣の人とブツカリそうな密度の中でストレスを晴らすように。・・これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。
まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 
健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 
昔、踊る宗教というのがあった。とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 
今度、独りカラオケでも行ってくるか。 
 ・・・・・・・・
3379, 改めて、現時点を考えてみると
2010年06月26日(土)
  現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。
 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、
 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 
・9・11とリーマンショックの結果と見るべきか、  等々の見方がある。
 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。
ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。
アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。
それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の
本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。
 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。
 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か? 結局、
アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、
社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と
自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
 ・・・・・・・・・
3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
  つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
  他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した
 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、
「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 
その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。
これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの
思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。
自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。  
悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも
使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している
のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。
まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。
下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
 ・・・・・・・・・・
2640, ブランド品 ー2
 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、
これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは
嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは
40〜50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
   (字数制限のためカット 2011年6月26日)
 ―――
2001/12/19 261,ブランド品 ー1
 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 
 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
  (字数制限のためカット 2010年6月26日)
・・・・・・・・・
2007年06月26日(火)
2275, 希望格差        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 
そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)

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