堀井On-Line



4850,閑話小題 ー自動車ウォッチングで見えてきたのは

2014年06月25日(水)

   * 閑話小題 ー自動車ウォッチから見えてきたことは
 22年乗ってきたソアラの寿命も果て、中古の『マークXジオ』を入替えたが、後悔を最小にするため、一週間かけ、
地元の中古車センターを10軒以上を見て回った。そのため、私にとっては、一応ベストに近い選択であった。
 これはホンダの多機能車の『オデッセイ』を意識したワゴン車。その差異は、ターゲットを団塊の定年層にしたもの。 
座席が三列で、二列、三列目は座席を倒すと荷台になる。展示場で、隣にあった『マークX』と、ギリギリ迷ったが、
昨秋に製造中止になり値崩れをした、Xジオの方にしたが、気持ちのどこかに「セダンの方が良かったのではないか?」
と、引っかかりが残っていた。 一週間、気持ちを集中して中古車を見て回った結果、あることが見えてきた。
車を選定するに、まず予算。次は何年乗るか? 年齢からみて、7〜8年。それなら中古車で充分。次は、安全を考え、
中型車のセダン、スポーツタイプ、ワゴン。次は、ひと目で車種が分かりにくく、「屋敷との地くらい」のバランスが
とれた外形のものを基準にして、最終的に、これに決めた。 ソアラに比べ少し重いが、半月後の現在、殆ど後悔はない。 
 毎日の信濃川までのポタリングで、信号待ちや、大手大橋で引きチャリをしながら、通過する自動車ウォッチグが、
最近、面白くなっている。その車の選定には、様々な要因が重なっている。それがボンヤリ眺めていると、面白くて
飽きないのである。 そこで気づいたのが、6割が軽自動車と小型車。地方で雪国もあるが、中型車以上のセダンが
意外と少ないこと。7割がワゴン、SUVか、それに類するもの。それも、ミニバンと、ワゴン車が目立っている。
セダンは、車種全体からみたら大よそ15%で7台に1台。中型車以上で4台に1台の割合。ワゴン、ミニバン、
ハッチバックなどの比率も、3対1には驚いた。 何か「いい年をワゴンタイプは、いかがなものか」という
引っかかりがあったが、これはこれで?と、納得。 それにしても、22年で、時代も車も、変わったもの。
この程度のことさえ、知らないのである。人は、それぞれ違った色のサングラスをかけているが、その自覚がない!
・・・・・・
4483, 電動アシスト自転車に乗って、はや4年
2013年06月25日(火)
 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。 まずは、その時の文章より 
   ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) 
≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、
 長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコには15分、
ユニ系のSCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが50分後。
万歩計をみると、2500歩になっていた。50分というと5500歩になるから半分近くになる。疲れは、ウォーキングと
同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど
乗ることはなかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を乗った驚きは大きい。
一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、
その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の
加速とか、大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も
三分の一で済むのだから、非常に楽である。ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が、
「すぐに、盗まれるよ!」というのも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だからである。 
 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと数年先が
よいと思うよ」といって、買うのを止めた経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫
▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング(ミニサイクリング)に切り替えた。
 同じ一時間で、コースは東バイパスから、長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、
長岡大橋に戻り、同じコースを逆に帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。
大よそ、年に200日として7百回以上、一日、14キロで1万キロ、地球を半周、チリ辺りまで走ったことになる。
スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。現在は値下げで49800円。 
もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換えるつもりである。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの
固定器具。パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買うつもりだが・・  
自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプなどがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。
来年の購入予定はナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴きながらの
早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
・・・・・・
4109, 閑話小題  ーつれづれに
2012年6月25日(月)
   * タクシー運転手の「声」の投書内容
 昨日の朝日新聞の『声』に、タクシー運転手の投書が気になった。「連休明けから景気がおかしいとか、
野田政権の改革なき増税とか、原発再稼動への批判ばかり。実際にタクシーの売り上げも悪い」という内容。
もともと5月の連休明けに売り上げの一段落ちは恒例だった。としても、今年の落ちは厳しいだろう。 
実際に事業を無理をして続けていたら、今ごろには深手で力尽きていたはず。 一年先までの資金繰りが読めた
事業だったので、早々に見切りをつけたが、本当に決断をして良かったと実感している。ホテルの買い手が直ぐにつき、
5つの新潟駅前物件が処分出来たが、現時点では無理だろう。消費税が内税ということもあり、経費の5パーの負担は
限界を超える。その上に、値上げによる売上げダウンは避けられない。とはいえ、増税以外に収入を増やす手立てが
ないのも事実。 民主党も自壊段階に入った上、小沢も完全に終わり。あの自民党の面々を見ると、石原か橋下しか
いないのだろう。現場の先端は震撼としているのだろう。
   * 原監督の件で、マスコミはダンマリ
 土日のワイドショーで原監督の下ネタで大騒ぎをするかどうかみていたが、殆ど扱いは無かった。
読売の渡辺恒夫が恐ろしいのか、影の話し合いがあったのか? 一局を除いて、どのTV局も扱い無し。
誰がみても後ろに暴力団が関係しているのは分りきったこと。ということは早かれ遅かれ原監督はプロ野球から
追放になるのが自然の流れ。巨人のスター選手なら、下ネタの2〜3はあって当然だが、警察に相談しなかったのが致命的。
 うやむやに闇の中に葬り去られるか、恐喝犯が逮捕されるか、見もの。 恐喝の二人のうち一人が交通事故?数年前に
死亡しているという・・ 事件が事件だけに、それも事故かどうか? おまけに、リークしたのが元球団代表の清武なら、
これ以上面白い筋立てはない。 やはり当分は、これが槍玉に上げられ、その間に、消費税が可決される。現役の巨人監督の
スキャンダルなど、これまで聞いたことがない。それも輝かしい功績があり大スターである。
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3743, 閑話小題
2011年06月25日(土)
   * エアロビックス
 スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、スタジオで色々なプログラムをこなしている。 
15〜20分の休憩をおいて何かが30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど参加者が少ない。
男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。
 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、
12人がステップ台とマシーンを交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者が冷たい?視線で、
行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、
この梅雨の湿気で一回限りにしている。 
 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして参加したが、意外と楽であった。 これまで
「らくらくエアロ」「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など10回以上は参加した。 
最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。それにしても、あの熱気は凄い。
時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、
ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加して
よいものだろうか?  ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯では、2〜3割位は
減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。
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3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2
2010年06月25日(金)
    「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、
老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、
その時の成績順が、そのまま人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・ 
そんなことは、この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、街中の学校区ということで集まっていただけ。 
地元には新潟大学の付属の小中学校もある。 学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 
子供なりに、腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校にわざわざ越境していたと
数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。
 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば
チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を
表すというが、次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。
 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。
その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、
これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。
結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。
これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。
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3003、アルコール依存症
2009年06月25日(木)
  これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。
 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 
 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。
 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準)
・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、
 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。   ー適応
・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応
 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。
・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」    ー適応
 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。
・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。  ー半適応
・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応
・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。     ー不適応
・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応
  これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、
 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。 また国際基準というから。
  少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。
 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。
 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。
 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 
 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。
  解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。
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2639, 世界の原子力発電の実情はどうか?
 2008年06月25日(水)
このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。
更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。
地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である
今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、
今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。
 ーー
世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、
計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、
06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 
ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。
 ーーー
情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。
それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。
それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。
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2007/08/06
 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?     ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。
 ーインターネットで早速しらべてみた。  
(字数制限のためカット2010年6月25日)
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007年06月25日(月)
2274, 現在とは何か         (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ
 「現在」とは何だろうか? 
歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。
ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 
決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。
文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、 ーハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏(一橋大学名誉教授)の
「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。難しい本を優しくまとめてあるため、中味の濃い内容になっていた。
  ーその内容の一部を抜粋してみるー
ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。
その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。
しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。
一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。
 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、
 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。
 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・
 かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後
 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。
二、次に、持続する現在がある。
 私たちの意識の下層は過去を残している。
 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが
 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。
三、一回限りの現在がある。
(字数の関係でカット2013年6月25日)


4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ!

2014年06月24日(火)

   * つい本音が出てしまう!
 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 
普通の子女史が売春する値段が、世界共通で、その地区の平均給与の一週間分という。
それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前の2007年暮れから
6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が112円。一割しかドル安になってない。
常識的にみれば、三分の一の40円以下になって然るべきなのに。その差額は?
アメリカが刷った分、何もしないで手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、
どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。
これも3倍になっておらず、不自然。 大元が、コントロールしているため。 
最後は、お金だが、その価値も当てにはならないことが、これから垣間見れる。 
金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に
戦争を起こし、ドサクサでハイパーインフレになり、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、
世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、貧乏な中国、
ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる図式が近い将来の姿。 
で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが
的を得ている。 『最後は金だろうが、それを担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。
本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。
   * 都議会の女性差別?発言
 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だろうが、たまたま、マイクに拾われ、大騒ぎに
なってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。少子問題を取り上げる
当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくりをして、その範を示せ!』というのも
一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。阿部首相が、「この難局には、更なる女性の
社会進出が必要」と政策を掲げている中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、
女性蔑視発言と、嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 
 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかっただろうに、言葉は恐ろしい。
・・・・・
4482, 静かなる大恐慌 ー2
2013年06月24日(月)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら止めることは出来ない。
それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、乗り越えなければならない現実がある。
 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると
 ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わりを迎えた。それを繰り返さないために
  何が必要かを考えることこそ、この危機の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁)
 ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎたグローバリゼーションへのバックラッシュの
  なかで、いかにグローバル化路線を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。
  それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための「大きな政府」の必要性になる。
 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば
  国家資本主義的な側面をかなりもったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。
  ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を今さら変えることも否定も出来ない。
  この事態は何事も事前に対策をとることが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、
  何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは到底思えない。
 これらから、以下の問題点が見えてくる。
・グローバル化は大きな政府をつれてくる。(格差や失業は福祉でカバーしなければならない)
・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。
・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。
・グローバル化は新興国の足かせになる。
・グローバル化は地方を疲弊させる。
▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。パソコン、携帯電話が地球の隅々まで
 行渡りネット社会が現実社会の上を覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも
 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが全く確立出来てない。
 その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊している「アラブの春」といわれる現象である。
 したがって、政治経済の混乱は、あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、数千年に
 一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのではなく、可能な限り静かに順応していくしかない。
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4108、パニック!
2012年6月24日(日)
 * 大恐慌、実体験談!           「大恐慌! 」スタッズ・ターケ著
 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、30年後の1960年後半にシカゴを中心に
金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、
これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、乗り越えた人などいろいろある。ここでは
生きのびることが、その世界の掟だった。世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい
現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。それが年内に始まる可能性が大という。
他人事でない、私の場合、現実に一年前に先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見えるのだ。
 鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しになって見えるのである。
  ーアマゾンの内容紹介ー
80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!  
『仕事!』『「よい戦争」』等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト政権の中枢部から失業者、
役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を
なまなましく蘇らせる。
* 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。
                               ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住
* 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に
 行ってくれさえすれぽ一万ドルあげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地がある。もし選ぶことが
 できなかったら、どんな感じかな?               ートム、二十歳
* このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。
 自分の最高の思い出をそれで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なにしろ実際に起こったことだから。
 これが真実、歴史でしょ。                   ーシーザー.チャペス
* 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。
  彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。
  物語は長かった。
  若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの?
   わたしたちには沈黙があった……              ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年
 ▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」という言葉が印象的だった。誰かが
  アフリカの難民を呼びよせて福島の惨状をみせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。
・・・・・・ 
3742, 世界でひとつだけの幸せ
2011年06月24日(金)
      * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著
 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では考え方の一つとして割り切ってみている。
その最たるものが、中村天風の「積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、置く習性になっている。
現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。その辺のタイミングは心得ている。
 あまりポジティブ思考に固執すると、嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。
ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、
葛藤が大きくなる。しかし、そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。ところで、この本、読み始めたが面白い。
 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を
さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。
 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを
発揮したから、ここまで到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待っている」という考え方は説得力がある。 
 そこで私の強みとは何か?を、人生を振り返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」であった。
初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。当然といえば当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、
可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。その一つが、10年前にHPをネットで公開し、
因縁のある人に学んだことを晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? 
それでも全くかまわない。その通りである。 この習慣そのものが、自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 
 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていくことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままに
してあるが、治そうとしない、だらしなさがある。 弱点の克服も、重要という自覚がない。「強み」を生かせは、ドラッガーが
強調していたことだが! 人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、形而上に変換し、考えることだが・・・
 ・・・・・・・
3377, 人は風呂に何を求めるのか
2010年06月24日(木)
 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れていればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。
世界中で、汗をかくほどの湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かるのも日本人だけ。
だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンのシャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として
半地下の小屋で火を焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。 これが、焼き石を持ち込むことに替わり、焼き石に水をかけて
蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。 古代ローマも、各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。
ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。 
日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂になっていく。
「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、
汗をかいた後に、汗や垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の気持ちになっていた。 
刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。 だから、日本人は昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると
温泉に長時間の療養をしてきたのである。  国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で
「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題になったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。
ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり
美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。
 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に30分ほどつかる。
その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、
信濃川岸のサイクリングかウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、帰って新聞を読んで、
風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。
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3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件
 2009年06月24日(水)
 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している
娘が昨夜帰ってきて泣きながら、殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。
特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュース
では100万円以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は
血の海で、血の足跡が外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、
極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。
犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、
黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 
 (字数制限のためカット 2012年6月24日)
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2638, 娘に贈る12の言葉  ー5
 2008年06月24日(火)
投資家ジム・ロジャーズの言葉  ー読書日記
 ー8、汝自らを知ること。ー
・自分自身をよく知ってほしい
 ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、自らの行動上の標語としたと
言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」という意味だった。 投資で成功するには
何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。
そういう状況に自分がパニックになるかを知っていることが重要。人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。
 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。
・人は群集心理にかられやすい  群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。
・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。
解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。
 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。
 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。
  ーー
 ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー
・すべては変化していく。
 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、
 あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。
 大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。
・需給の原理を覆したものはいない。共産主義は需給に頑強に逆らってきた。
 需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。これに逆らったからソ連は崩壊した。
解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、情報化の大波が世界を揺るがしている!
  と言ってよいだろう。ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。
  中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。


4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20

2014年06月23日(月)

    * 衣料品の季節物は投機商品
 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、
何もかも初めて。セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、その混毛もある。その裏を見ると、
生産メーカーや、素材などが表示してあることすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。
ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、毎日が、高速配転という名の現場教育で、
連日が未知との出合いは経験済み。キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 
仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような創業者を目指す」と決意したとき、それは、
新規事業を立上げるキャリアを身につけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を
自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、この結果に終わったのは、10年目か、
少なくとも15年目で、その事業から身を引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を
繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、茹で蛙になってしまい、バブル崩壊と
ネット社会の到来がもたらす激変を読めなかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。
最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。
 話は戻る。現場に飛び込んでみて、季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に分け、
それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。
それが商品毎に違うため、年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら「切った(殺傷)、
張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」
になる。これには、経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がないと確信するのも分かる。
しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てをすると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。
これに、エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の生活環境と、創業を決意しての
10年間の自己配転の全てが、極限の中で、プラスに働いていた。
・・・・・・
4481, 静かなる大恐慌 ー1
2013年06月23日(日)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も述べているが、マスコミはテーマにしない。
タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしないというより、明日は我身で黙るしかない。
 その現状そのままを、ズバリ書いてある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね合わせ、
世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
   ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と同じコースを歩み始めた。
グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方
などの対立が激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」の復活しかない。
この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への
急反転というショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
  ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、それが国家と一体化するとき、それが国家で
 あるときにのみ、栄えると(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義というシステムは、一見、
 アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
 「自由資本主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。資本主義は人々の欲望の塊が原動力。
 それを野放しにすれば必ず反動という自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。
 現在の世界経済を1920年代の世界大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。20世紀初頭の第一次グローバル化と、
 その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。
 今は、その後1970年代のブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、このうちどれか2つしか同時に成立しない。
 グローバル化と民主主義が成立すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、日米のように
 国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。そして、現在も、酷似しているという。
 現在のネットが、当時としては電話の普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを
 抑えているが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その先頭に立っている。
 著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか
 選択の余地はないのではと考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が消し飛ぶほどの何か、
 例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と太平洋戦争のような。    −つづく
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト)
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの?  ーデカルト ―� 
  * 我狂う、ゆえに我なし!        「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人 (著)
 デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、としている。「Aという定理は間違っている」
ということを新たな「Bという定理」から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が
言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っているのであって、狂っていないことになる。
私は先ほど狂っていたが、今は正常です、と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるもの
としてデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、「私が考えるということは、狂ってない人間」
の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」場合は「我狂う」
という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言っているに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって
最初から排除されているわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、考え尽くした上で、疑えないものなぞない、
 という結論に至った。この世に何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いをさらに
突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、
ということである。つまリ、疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」であるということ。
懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かなものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や
「本当の自分」を探るということは、至極当然のことであって、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」を見つけることができると思っている。
だが、それは本当に可能なのだろうか。 もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。だが、ソクラテスが目指したのは
【魂の鍛錬】であって、「私らしさ」ではなかった。彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。
「ソクラテス」はいたが「私」ではなかった。 この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」の元祖なのだろうか。
実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中に確実なことがあるのかを見極めることであった。
探していたのは確実性であり、「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。
確実なものとして「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかったのだ。 ≫
▼ <「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない。> は、「嘘つきのパラドックス」
 に似ている。エピメニデスという哲学者が「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス
自身がクレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも嘘つきなのだろうか。だとすると
「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。
ではエピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきなのだろうか? という哲学問答である。
人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。
狂っていたなずと、狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 これは私だけではなく万人にいえるが・・・
  ・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。
この疑問に至ったのは、新聞広告で「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで概要を
読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は
跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。
ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、
そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット 2012年6月23日)
  ・・・・・・・
3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水) 
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
* 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の
 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が
 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 
 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、
 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、
 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。
 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく
 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ
 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 
 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、
 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は
 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められる。 
 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので
 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと
 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
 ▼ 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた
 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 
 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
  ・・・・・・・・
 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
ー 行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる
現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向への
ハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースがある。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
▼ 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に
向かう時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。といって、それと品格とは違う問題。馬鹿な大男に
「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、
7割はペプシが美味いと答えるという。宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 
そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。
世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。
そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。
‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。
・・・・・・・・
2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を
して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 
 (字数制限のためカット 2012年6月23日)          
・・・・・・
2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
 (字数制限のためカット 2014年6月23日)  


4847,閑話小題 ー75歳が死の目安が、級友と一致

2014年06月22日(日)

   * 75歳が死の目安が級友と一致して
 前回、葬式で連合いを亡くしたばかりの同級生のことを書いた。私が「75歳を死亡年齢に目安に、
歯医者以外、病院に行かないことにしている」と他の級友から聞き、曰く、「数年前に、ある病院で
検査をしたところ、肝臓に、オデキがあると言われ、肝臓ガンと覚悟を決め、親戚を集めた家族会議を
して、生前葬の案も出たが、その前に、別の病院で検査を勧められ、再検査をしたところ何もなかった。
それから、一切の検査をしないことにした。母親と父親の死亡年齢を合計し、半分にすると75歳。
その年齢の目安と、病院に行かない方針が同じことに、驚いた」と。 しかし、死や、生についての
知識を持っている様子がなく、漠然とした不安が全体を覆っていた。
少しでも、その類の知識を持ったと持たないとでは雲泥の差になるが・・ 
 私の平均余命11年。そのうち介護年齢9年、寝たきり6年とすると、決して長寿は、私らしくない。
下手に治療で死にそこなうと、薬の逆効果で、拷問のようは束縛の寝たきりか、痴呆症が出てくる。
ならば出たとこ勝負。75歳を目標、目安にした。その分、運動量を多くし、食生活を気をつけているが、
いざ、余命を告げられ、目先は後悔をして逝くことになっても・・ 死に方、自分の選択も有りである。
   * つれづれに
 ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーをテーマに、回を重ねて書いているが、
思いもよらない当時の記憶、40数年前の出来事が、昨日のように、次々に連動してフラッシュ
バックしてくる。それだけ、激しい日々だったが、封印しておいた記憶を見つめ直すのは、当時の
自分を慰め、癒すと同時に、多くの過ちを知り、後悔も出ることになる。
それは、それぞれの行蔵から、自省をすることにもなる。私は何をしてきたのだろう? 
「面白かった!」だけでは済まない、未熟な己が、厳然と、そこにいる。
神様は、人生を自省させるため、老後という余白を人生に与えたようだ。 
 私を含めた大部分には、基礎教養の絶対量が足りてない。だから「死ぬまで勉強」が必要になる。
周辺を見わたすと、それが分かるが、自分自身になると分からないのが人間の性。
 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」=「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に
往ける者よ さとりよ 幸いあれ 」。 「往ける者よ」を「過ぎ去りし日の自分」に置換えて、
「青き者よ、幸いあれ!と、祈り直すしかない。 成るほど、私は、こんな人間だったのか!と・・ 
 南無阿弥陀仏の念仏は、そのためある! 私もお近い ようで?  「では、皆様、さようなら!」
・・・・・・
4480, 宇宙に外側はあるか
2013年06月22日(土)
   ー内容紹介ー        「宇宙に外側はあるか」松原隆彦 (著)
◎ 私たちの住んでいるこの宇宙がここに確固として存在している、つまり唯一絶対の存在である、ということは
 疑いようもなく当たり前のことだと思われるでしょうか。実は、現代の物理学の知識をもってこの宇宙を眺めてみると、
 そんな基本的なことさえも疑わしくなってきます。いま、人類の宇宙を見る目は大きく開かれつつある。
 宇宙の何がわかっていて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは?  宇宙の「外側」とは? 
 人類はどこまで宇宙のことを知ることができるのか? 現代宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。
◎ 目 次 第 1 章 初期の宇宙はどこまで解明されているか
    第 2 章 宇宙の始まりに何が起きたのか
    第 3 章 宇宙の形はどうなっているのだろうか
    第 4 章 宇宙を満たす未知なるものと宇宙の未来
    第 5 章 宇宙に外側はあるか
▼ 宇宙論を分かりやすく解説してあって、私のように最近、興味を持ち始めた素人向けの本。
  村山斉著「宇宙は何でできているのか」と「宇宙は本当にひとつなのか」のフォローに丁度良い内容。
 村山斉の著書は、明快で分かりやすいが、それでも一歩も二歩も踏み込んだ内容だが、この本の第1章から第4章までは、
 宇宙論の優しい入門のあらまし。第5章で、マルチバースがあるかないかに触れているが、ハッキリした説明が無い。
 私のような入門者にとって第1〜第4章の方が、噛み砕いてあって、分かりやすい。
  村山斉の二冊を含めた三冊が私にとっての宇宙入門書になるが、としても何がなにやらである。 プロローグに 
≪ 現代宇宙論が明らかにしたことの中で最も大きな驚きのひとつは、「宇宙は永遠不変のものではない」という事実です。
 約137億年前に宇宙の始まりがあるという「ビッグバン理論」が確立したことで、このことが明らかになった。
 この宇宙に「始まり」があることがわかると、根源的な疑問がたくさん湧いてきます。≫ がある。
 ーその疑問とは、
「宇宙はどうして始まったのか」
「宇宙が始まる前は何だったのか、宇宙が始まる前の宇宙は宇宙ではないのか」
「宇宙に始まりがあるなら、宇宙に終わりもあるのか」
「宇宙に終わりがあるとすると、宇宙の終わりの後には何があるのか。次の宇宙が始まるのか」
「そもそも、始まったり終わったりするような宇宙はどこに存在するのか。この宇宙よりももっと大きな、
 何か得体の知れないものの中にこの宇宙があるのか」 等々である。
  マルチバース、それも10の5百乗の宇宙の存在の可能性には驚いた。村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」に
 詳しく書いてあるが、コペルニクスの地動説と同じ位の驚きを与えた根源的な問題である。そうこう考えると、
 再び、人間原理の問題の戻ってきざるを得なくなる。 宇宙は面白い! 宇宙お宅のブログにはビックリ。
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4106、私は完全な本 "日本の自殺 'ー9を作った
2012年6月22日(金)
   * 情報の洪水が人間を劣化させる
  これが書かれた37年前にはパソコンとインターネットが世界中にこれほど普及するとは思ってもいなかっただろうが、正に現在、
 情報の洪水が世界を覆い、個々人の判断を狂わせ地球規模の集団自殺の様相になっている。その大混乱の一つが、この金融恐慌であり、
 世界経済は溺死状態?にある。今後10〜20年は、このカオスは続き、その行く末は誰も分からない。下記の部分が、日本だけでなく、
 地球規模のカオスになっているから、ことは深刻。 情報機器とネットの進化が、文化、文明レベルで世の中を変えてきた。
【◎ 第一に、われわれは人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの
 提供する情報を中心とする間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用について検討しておかねばならない。
 一般に情報量の増大といわれているものは、人間経験との関連でみるならば、このように各個人の経験世界というものが、ますます大きく
 他人の経験に依存するようになるということにほかならない。 マスコミを通じて与えられる間接経験の世界は、一方ではあまりにも
 混沌として脈絡がなく精神分裂症の様相をすら呈している。他方でマスコミの提供する膨大な情報によって見せつけられている世界の、
 安直なトータル・イメージは、情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。知力を高めるために
 作られたはずのマス・コミによって人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界が妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。
◎ 情報化の代償の第二は、情報過多に伴う各種の不適応症状の問題である。高速度に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理能力を大幅に
 上まわった場合、人間はしばしば情報過多の神経症状に陥る。 短絡型、自閉症型、分裂症型という三つのタイプのものがある
◎ 情報化の代償は第三に、情報の同時性、一時性と関連している。 社会の変化のスピードが早くなると、人間と情報との関係が極めて
 一時的なものになってくる。このような現在(1975年当時)の情報環境の下では、新奇な情報を極端に求める傾向が強まっている。
 膨大な現在進行型の情報の氾濫なかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い捨ての傾向が極端になってくる。 
 大量高速情報から自己を防衛するひとつの安易な適応方法は、忘れぽっくなること、つまり健忘症になることであり、歴史的な連続性の
 感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。
◎ 情報化の代償の第四は、以上のようなマイナスの副作用とも密接に結びついているところの、情報受信と発信との極端なアンバランス。 
 本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと
 通過させないために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。
◎ 情報化のマイナスの副作用は、第五に、マス・メディアによる異常情報、粗悪情報の過度拡散傾向となって影響を与えている。
 情報化の代償、弊害について累々と述べているが、これは情報過多の問題なのか、質の悪い情報を発信し、それも何も考えずに受信する
 ことの 問題なのか、それとも膨大な粗悪情報がマス・メディアを媒介として流され続けることが問題なのか、いろいろと考えさせられる。】
 ▼ 情報の洪水は、それに対処可能な人と、そうでない人との情報格差を生み出している。それは脳力と貧富の差に直結することになる。
  それは劣化だけでなく、悪用で社会をいとも簡単に騙せすことが可能になった。反面、電子知能は飛躍的に進化している。
  世界中の身知らずの個々人がネットで結ばれ知恵と情報の共有が可能になってきた。それは一時代前からみたら、SFの世界の様相である。
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3740, 閑話小題
2011年06月22日(水)
 ◆ 長寿の秘訣
 先日のNHKで 腹7分目の猿と 腹いっぱい食わせた猿を20年実験した映像があった。腹一杯の猿の半分が死んでいるのに対し、
空腹の方の猿は八割が生存するという。それにしても、隣り合わせの檻に入れられた二匹の猿の姿の差に愕然としてしまった。
全ての生き物に、ある遺伝子のスイッチがあり 飢餓状態の方が健康にいいという内容であった。 101歳のアメリカ人男性は
二十歳の頃から食事制限していて外見は70〜80歳ぐらいに見えた。 小食粗食は、身体に良いとは頭では知ってはいたが・・・ 
TVでも、実際にモニターが数人、三割カットした食事を7週間で試みた結果、遺伝子のスイッチが入った結果を出ていた。
これを健康食品で可能かを取り上げていた。レスベラトロールという物質が、遺伝子にスイッチを入れるという。最近、コマーシャルで
目にする「ブルーベリー」などに含まれているという。 これを飲み続けると長生き出来るというなら、小食を心がけた上に、
これさえ飲んでいれば長寿になるようだ。私のように食事に、ある程度の満腹感がないと食べた気がしないのは、長生きは出来ないか。
 ◆ 一メートルと、一kgの基準の割り出し方
 やはりTVの番組で知ったことだが、「一メートルは北極から赤道までの1万、その延長上の南極までで、2万。
一周で4万分の一が一(キロ)メートルの基準値になっている。 また一キロは一リットルの水の重さが原点という。これも初めて知ったこと。
といことは、私の重さは、1・8Lのボトル32本分になる。そんなものなのか。
 ◆ 65歳以上の人口比は?
 2010年度の65歳以上の高齢者は前年より46万人多い2944万人(総人口比23.1%)と過去最高を更新した。
40年前の1970年度で、7・1パー、1980年度で9・1、90年度で12パー、2000年度で17パー、そして、去年で23・1パーセントになった。
何と、40年で3倍以上になったことになる。大よそ14人に一人から、4人に一人になってしまった。65歳になった現在、私より若い人は
4分の三になってしまった。これは、欧米の16パーセントを遥かに超えた数字である。 2020年には、30パーセントに近づくと言われており、
その年金だけで国家の財政は成り立たなくなる。恐ろしいことに、これは欧米社会も、今まで経験をしたことのない事態。
日本経済の不振も、この辺にある。とはいえ、アジアなどから、どんどん外国人を移住させるのも、問題が出てくる。
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3375, 大相撲の野球賭博について
2010年06月22日(火)
 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博、覚醒剤とか、
一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、
神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。 
 (次数制限のためカット 2012年6月22日)
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3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
(次数制限のためカット 2012年6月22日)
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1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 2003年12月30日(火)
 一昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をして休んだ一日分を加えると約35〜40が合わない。
  (次数制限のためカット 2012年6月22日)
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2636, ミラクルターキー
2008年06月22日(日)
 wowowで放映しているユーロサッカー(欧州サッカー選手権)が面白い。ヨーロッパのナンバーワンを決めるもので、
四年に一回開かれている。昨夜は準々決勝で、クロアチアとトルコ戦があった。私は、あまりサッカーには馴染めてないが、
サッカーにかかわらず準々決勝からは、みることにしている。 どの競技も順々決勝が一番面白い内容になるといわれている。
やはり期待したとおりに、面白い内容であった。 トルコは、このシリーズで、逆転劇で奇跡的に勝ち上がってきたという。
昨日たまたま終了の30分前にチャネルを回したら、0対0で熱狂的な場面。もちろんライブである。延長戦の最後の一分にクロアチアが
一点を入れた。 誰もが流れからみてもクロアチアの勝利と信じていた。終了時間を明らかに超えていたが、たまたまトルコの攻撃だった為、
試合がそのまま行われていた。そしてトルコの放ったシュートが入ってしまった。ミラクルシュートとは、こういうのをいう。
実のところ、時間終了間際のミラクルシュートを見たのは始めて。0対0の試合の最後の一分で互いに点数を入れるのをライブでみるのも初めて。
それも互いに際どいシュートが何度も入りそうになった試合であった。そして、最後はPK戦でトルコの勝ちであった。クロアチアにとって
99�勝っていた試合、何人もの選手が悔し涙を流していた。ユーロサッカーはワールドサッカーの合間の、オリンピックの年に開かれる。
欧州にとっては、ワールドサッカーや、オリンピックとは違うプロ筋の中味の濃い試合が多い。その後、巨人対ソフトバンク戦と、
女子バレーの日本対トルコ戦を観ても面白くない。当然だろうが。 会場の熱気が違うこともある。現在、準々決勝のロシア対オランダ戦を
現在見ながら、この文章を書いているが、圧倒的におしていたロシアがたて続きに二点を入れ三対一になって勝ったところである。
ちなみにオランダは、今年の優勝候補で、圧倒的な強さで勝ちあがってきた。終了時間は6時12分である。 
それにしても国内リーグとはパスやシュート鋭さが全く違う。ライブのサッカーの試合を見ながら、書くのも面白い!
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2007年06月22日(金)
2271, 腕時計
 最近、ネットで腕時計を買った。メーカーはカシオで、型落ちの58�OFFの2万円前後のもの。前の腕時計のベルトが壊れたので
自分で修理をしたが、それも限界になったので買い換えることにした。(それは、たまたま帰省してきた息子にプレゼントした・・・)
10万位と思ったが、やはり高い?ものを買う気にもならない。時計については、基本的に機能を優先して、他人が見て安物に見えなければ、
それでよしという主義。 その分、家内がブランドものを買ってくれる。(もちろん家内自身のものだが)
学生時代に「男たるもの、ブランド物など、人の上に立つものは身に付けるべきでない。 特に時計は、注意すべし!」と経営学者の
野田一夫教授の授業中のお言葉が、いまだに頭に残っていることもある・・・といって、一日数十回は見るもの、良いにこしたことはない。
前回の腕時計はカシオの「電波修正機能」と「ワールドタイム機能」が付いたものだったが、非常に便利であった。特に電波修正機能は
正確な時間に絶対的に信頼でき、ギリギリの列車時刻の数秒単位の際どい時など非常に有効だった。「ワールドタイム機能」も海外の先々で、
数秒で時間修正できたのも良かった。最近のものは、さらに太陽光エネルギーのソーラーや、幾つかの時刻アラーム、高度計、温度計に、
万歩計も付いたものもある。私が買ったものには、前の機能にソーラーと、幾つかの時刻アラームが付いたもの。三十歳代にハワイに行った時
「ロンジン」の二十万位の時計を買って、10数年間使っていたことがあったが、高いものを身につける気持ちが理解できた。 
しかし何度か修理をしたが、その値段が高い。それなら機能的なものを数年単位で買えかえる方が私には合っていると、
カシオのデジタル時計に切り替えた。それ以来、カシオのファンになって5〜6年ごとに買え替えて、4代目になる。
今までで、一番気に入ったのが、二代前のカシオの「秘書?機能付きデジタル時計」である。録音しておいた内容を、設定した時間に話す
機能の付いたもの。これは非常に便利で面白い時計であったが、今はもう廃盤になっていた。
  (次数制限のためカット 2012年6月22日)


4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で

2014年06月21日(土)

   * 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 
通夜を含めて中学校の同級生が6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月!
七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような? 
その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 
故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、
出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に故人と、二人飲んだのが最期。
 「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」と真顔で話していた。
自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、グッタリ!急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、
今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、
こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j
家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは
死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、
大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の
金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。
 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、
スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。「早いもの勝ち」
は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な人から、聞こえてくる。
 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。
不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 
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4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけたが、その生々しさに驚いた。
日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。
 その続編が、この『歌舞伎町』権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。 
一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』文ー李小牧、写真ー権徹
の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲るたびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した
世界にタイムスリップしてしまう。生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。 
新潟駅前の飲食繁華街で事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 
歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、女装したオカマを
はじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視カメラが設置されて状況は一変した。
今ではガラス張りで明るい猥雑さになったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町
「人間劇場」との出会いについて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。
当時、四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。 ゼミの撮影テーマが「新宿」だったことも
あって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。あるとき、歌舞伎町交番前で
鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをしている場面に出くわした。
あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを取り出して撮影することさえできなかった。
このエキサイティングな街は、いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に
強い衝撃を受けた。このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 
歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真はおもしろくなる。
東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し続けてくれる。
ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
 ▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、妨害や嫌がらせが
少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けに
みた「探偵はBARにいる2」が、 夜の世界を何気なく描き出している。 二年前に‘その一’を見たが、
なかなか面白い。 そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。
その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
 写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。 
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4105、私は完全な本 "日本の自殺 'ー8を作った
2012年6月21日(木)
  * 現代文明がもたらす幼稚化
 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れてきて手軽に何でも
手に入る、一億総中産階級社会になった。 それは幼稚な愚民の群れであり、大量生産
・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘しているー
≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによって
もたらされたのであろうか。
 ◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、
情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が もたらした恩恵それ自体が、このような
精神的状態を副作用として惹き起こしていたのである。 思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、
 高度現代文明それ自体の産物である。・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な
仕組みについて思考や判断を働かせるのは馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス化
してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、しかし 社会福祉は
大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように叫びながら、この要求を実現するような
便利なおもちゃを作れと言う。 そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよい
ブラック・ボックスは到底作製不能だと言っても、
「そんなことを考えるのはわれわれの仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押して
このおもちゃで遊び続けることなのだ」と足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして
手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末なのである。
 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力の全般的衰弱と
幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり マスコミの発達と教育の普及の代償として生じている。
エンゲル係数で現代の消費生活の構造を知ることができないのと同様、文盲率の減少や
進学率の増大などで現代文化の内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」
のあいだに見受けられる恐るべき知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の
秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。 
  かっての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じて
テストした知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。
かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、
しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及び得ない賢明さと
生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接体験をしっかりと見つめる
時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで
世界中のできごとに偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。
こうした思考力、判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に満ちあふれ、
恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間はやがて幼稚な
狂信者となり、暗殺をしたり、ハイジャックをしたりする犯罪者と化していく。
われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化のメカニズムを直視し、
これを克服するための新しい努力を全力を挙げて開始せねばならない。マスコミの発達と
教育の普及の代償として捉えている点が、 すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、
思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化を回避できると思ったが、そうでなかった。≫
▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。
国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を答えざるを得ないのが現状の日本。
国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。情報化の影の部分である 
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3739, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月21日(火)
   * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性  ーP・150     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 
【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、
 互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。
  本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを
 理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって
 増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。
  それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと
 見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
  逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと
 思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に
 入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。
  これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、
 善意そのものさえ、「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、
 誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】
  ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。
   それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けること。
   その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。
   常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。
   私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの
   喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
・・・・・・
3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
  ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 
戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 
その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。
「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても
本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを
クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには
「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 ▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、
 というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな
 ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
 ・・・・・・・・・
2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌の大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
(字数制限のためカット 12年06月21日)
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2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
  ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
   「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
   間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。
  ・誰も考えないことを探す。
   →多くの投資家が考えないことは何だろうか。
   →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
   →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
  ・こんなふうに考えてごらん
   歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
  解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。
    特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」
   (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
    哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
(字数制限のためカット 12年06月21日)


4845,「事業人生を決心して45年」の語り直しー19

2014年06月20日(金)

  * ペガサスクラブの加入と、システムの改革
 衣料量販店は、天候と相場を敏感に読み、時間差で勝負するのが要。
それには情報を多角から取り、後は直感に頼るしかない。その感覚を、僅か数ヶ月で知ることになる。
そのため、産地の大問屋の太いパイプが絶対に欠かせない。 その冬のシーズンも大成功のうち
終わり、事務所で円座をして、ストーブで温めた日本酒を乾杯した時の旨さが格別。
毎日、毎日が、全てが新鮮で、知らないことだらけ。その経験そのものが面白く、次々と知恵が
湧き出ていた。
 その年の暮に、チェーン店展開を指導する『ペガサスクラブ」に入会し、衣料チェーンの展開を
錦の美旗にする。そして、大御所の渥美俊一のセミナーに隔月ごとに聴講することになる。
このカリスマ、当時の新興チェーンの拡大に大きく影響していた。卒論に、その著書をネタ本に
したこともあり、そのセミナーの面白さは、この上ない。おまけに、聴講者は大手チェーンの幹部。 
チョットした会話でも充分に元がとれた。現場でも、セミナーでも、全てが学びの場になっていた。
 振り返ってみて、当時の自分自身は、父親の秘蔵っ子で、20歳代でジャスコ、いとはん勤務。
そして、貸ビル建設と、その中で、養老乃滝、ベーカリーをオープンさせていたのだから、
凄いエネルギー。姉夫婦が焦るのは肯ける。
 ところで、改革で直ぐに手をつけたのが、ジャスコ、いとはんで取り入れていたチェーンストア
統一伝票システム。これは、5枚綴りの複写で、・仕入先別、仕入伝票1[青] ・仕入伝票2[緑]
 ・仕入伝票3[灰色] ・物品受領書4[茶色]・納品書5(控)[紫]になっていて、
大口の仕入先に持ってもらい、仕入れ商品の内容を書いて、同封してもらう。
そのうち一枚が先方に、残りの4枚が、そのまま、商品管理、仕入管理、経理の支払管理に
使えるシステム。これは部門別管理にも大きは働きをする。 また、部門別内の小項目が、
そのまま、商品管理にもなる。 数値責任が明確になれば、仕入れや、販売を担当者に
大幅に権限委譲が可能になる。そのベースをつくるに、2〜3年はかかるが、旧来の社員も
何の抵抗もなく、あっさりと導入出来たのは、システムが、シンプルで、便利であるため。
もちろん、大手のメーカー、問屋が多くが、このシステムを取り入れていた。
 次に、仕入れと販売の担当責任制度である。現場の情報を、仕入れに直結するには、
仕入れ権限を現場に与えること!
帰って一月も経たないうちに、翌年の新入社員の採用の時期になった。
さて、何人にしようかと、考えていると、長年、勤務の内幕情報屋的存在の総務の女史が、
「思いきって多く入れた方が良いですよ!」と、助言?してくれた。 要は「殆どが辞意を持った
社員が、多いですよ!」ということを察知し、当初の予定の二倍の13名を、採用する。 
ところが、翌年の年次を含め、新しいシステム導入に、丁度良い教育対象になっていた。
 次は、TKCの伝票システムの導入である。これも、思い切って判断した。そして、接客などの
マニュアルの作成と、売上日報の解りやすくしたカジュアル化。 不信感の強い既存社員
からの情報は皆無の中、それならば、欲しい情報を日報に書かせればよいと、次々と、
項目を増やしていった。こういった現場での知恵は、立ち上げの経験から、身についていた。
創業は、瀬戸際に自らを追込み、ことに直接触れ、エネルギーと知恵を融合しカタチ創ること!
・・・・・・
4478, うつ病 ー高島忠夫の場合
2013年06月20日(木)
  ー カスペ! 真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜 ー
 が感動的であった。 一昨日のゴールデンタイムに放映されたが、二時間がアッという間であった。
「うつ病」については、何度も書いてきたが、高島一家の底なし沼のような状況そのままがドラマになる。
芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。 高島は98年頃からうつ病、糖尿病、パーキンソン症候群、
さらに、3年前には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける15時間にも及ぶ手術を受けていた。
   ーまずはTV局のブログよりー
【“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビの表舞台から姿を消して5年…
 その自宅にカメラが入った。いったい何があったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、
 寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる! そして、夫婦として「死ぬまでにやりたかったこと」…
 それは忠夫の夢の実現。寿美花代は、ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。】
▼ 高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で明かした悲劇。夫妻の第1子の長男・道夫が生後5カ月で殺害されたのは、
 1964年(昭和38年)8月。住み込みで働いていたお手伝いの 少女(当時17歳)が風呂に沈めて殺害したもの。
 寿美はこの時を振り返り、「夜中に、道夫がいないと、探し回り、最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。
 夜中2時すぎぐらいに、あちこち病院行ったが、どこも受け入れてくれなく、やっと1軒 受けてくれた時には…」。
  家政婦は殺人罪で起訴され、懲役3〜5年の不定期刑となった。 事件後に、赤ちゃんの泣き声や、「ママー、苦しいよ」
 という泣声のいたずら電話が頻繁にかかってきていた。 高島忠夫も既に82歳。寿美花代は81歳。
 その夫を懸命に支えてきた寿美は「介護うつ」も経験。「介護で一番大事なのは 完璧にやろうと思わないこと」、
 「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」という。
 番組では俳優として活躍していた頃の若き日の高島の姿や、バラエティー番組の様子など懐かしい映像も出ていた。
  この隠れた“主役”は寿美。妻の目線、2人の息子の母親の視線で番組は進んでいく。番組では、うつ病患者の家庭の
 危機状況が、多く語られて無かったが、実際は壮絶。ただ事実を語り映し出すだけで、物語になっていた。
  二年前の倒産劇で気をつけたことは、脳をやられない(うつ病に陥らない)こと。そのためには、運動と、
 マイナーの毒?から身を守ることであった。ゾンビは自分の傷口の膿を擦りつけてくるから、性質が悪い。
 その中で、堕ちこまないように作り上げた生活習慣こそ、最大の成果だが、それでも時々、傷口が痛む。
  それにしても、寿美の開き直りは凄みがある。少し性質の悪い連合いだったら、病院の中で亡くなっていただろうに。
・・・・・・
4104、私は完全な本 "日本の自殺 'ー7を作った
2012年6月20日(水)
  * 豊かさの代償       ー読書日記
 37年前はアメリカのアジア戦略上の重要な位置にある日本は、特別待遇を待遇を受けていた。その結果、豊かさを
享受出来た反面、その甘えの体質が日本人についてしまった。それが、豊かさの代償という現象でもある。
  以下の部分は、その辺りをついている。
【 日本を第二のローマ帝国としてしまいかねない日本社会内部の自壊作用のメカニズムを、まず豊かさの代償という
 角度から順次解剖していくことにしたい。 豊かさの代償として、次の三点を理解する必要がある。
◎ 第一は、資源の枯渇と環境破壊という代償である。
 豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の高騰を招き、他方で生産、消費の過程での
 廃棄物が増大して環境の質の悪化をもたらす。 豊かさの代償としての資源不足と環境悪化による欲求不満、イライラの
 増大が日本社会の内部に自壊作用のメカニズムを発生させるひとつの原因となっていったのである。
◎ 第二は、使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に与えるマイナスの諸影響という代償である。
 使い捨ての生活様式は、単に資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活の質の点で大きな
 マイナスの副作用を内包する。 使い捨て的な生活は一時性、新奇性に高い価値を与えるが、人間とものとの関係がかり
そめの一時的な関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に極めて安定を欠いたものとなる。
 欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない状態になってしまう。
◎第三は、便利さという代償である。
 便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していった。自制心、克己心、忍耐力、持続力のない
青少年が大量生産され、さらには、強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かなる感受性、責任感などを欠いた
過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生した。戦後日本の繁栄は、他方でひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、
日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を破壊
することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の精神生活を解体してしまった。
この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基盤をなしていった。】
▼ 66年の人生の中で物質的貧困から豊かさになっていき、それが失われていくプロセスの登りと下りを国家と個人で、
実体験してみた。まだ下りは道半ばだが、あと10年で日本は貧困国家に間違いなくなる。30〜40年前の、
あの豊かさは何だったのか。あの経験はしないより、してみて良かった。笑うべき時に笑えばよい、いずれ泣くとき
後悔が無くなる。腹の底から笑っておいて本当に良かった。 あとは自嘲か。
 ・・・・・・・
3738, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月20日(月)
【  * 勝ち負け社会のカラクリ P−100     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著  
 だいたい、社会の価値システムなどというものはその時代がつくる幻想に過ぎない。今は市場社会ですから金儲けが
価値観の基底にある。金を儲けようとする企業家は市民大衆を導いて「消費者大衆」へと変身させることを考える。
その際に用いられるのは「不安」です。ヒットラーのナチズムからオウム真理教まで、大衆動員の手段は不安の醸成ですが、
消費者大衆の動員も不安を動力として行われます。まず市民たちの中に「無能力」や「醜悪」への不安を流す。たとえば
「英語を巧みに操ることの能力が現代社会にとっていかに必要かを宣伝する。それによってその能力が乏しい人の不安を
かきたてれば、英語の教材屋や英語学校が繁盛する。言葉なんてその必要が出てくればいくらでも使いこなせるように
なるものですから、英語能力に関する不安などは将来という幻想の一つに過ぎない。将来なんて、あるかないかわからない
ものですから、それを実在と考えることそのものが幻想なのです。株で儲けたという人の話題は株ブームに乗り遅れる
不安をかきたてています。将来の不安というものがアチコチに散蒔かれているのが「勝ち負け社会」の特徴です。
幻想に乗らない人は最初から勝ち負けゲームに乗りません。世の中を地位、名誉、金の勝ち負けゲームと見なすと、
このゲームにはゲームにつきものの公平のルールというものが決定的に欠けています。 だいたい人生ゲームの参加者で
ある子どもは自分に配分される親を選べない。この点ではトランプのカード配りに似ています。ゲームの最初から勝つに
決まっているようなよいカードが配られている参加者もいれば、勝ちようのない持ち札の人もいる。
親の金力、人脈、知的資産、美貌に恵まれない人は人生ゲームの負けが決まっている。しかし人生ゲームはトランプと
違って、勝者だけが参加できる第二次、第三次、第四次のゲームが用意されているから、ひとまずの勝者だって、
いずれ敗者になるというカラクリになっている。 要するに世の中をこの種のゲームと見なすとすれば勝者はひと握り、
敗者は圧倒的多数となります。ところで、この大衆社会の中で力を持っているのは少数派ですか多数派ですか? 
衣装やダンスの流行からお笑い芸人のハヤリスタリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で
無教養で悪趣味な多数派」じゃありませんか。 世の中は彼ら向きにできているから、地位・名誉・金に恵まれた
人々へのジェラシー(嫉妬)やエンヴィー(羨望)に身を焼かれる必要などないのです。そこを間違えるから
「敗者の恨み」にのたうつテロリストになってしまうのです。 】
▼それでも、負けるより勝つほうが良いに決まっている。要は、いずれ巡ってくる負けの時に、どのように対処するか。
  現在の自分の現状は、まさに、人生も勝ち負けゲームと割り切ってしまえば楽である。
「全米N0・1弁護士の勝ちセオリー」を書いて、日の経たないうちに、これだもの、支離滅裂か・・・ 勝ち負けに
囚われないということか! 不安を利用し巧みに大衆を誘導するのが、ビジネスの背景といえば、これから10年は
健康ビジネスが良くなる。<一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」が世の中をほぼ占めて
いるなら、あえて「敗者の恨み」にのたうつテロリストに自らなることもないか!>  我が内なる沼は清潔に!
・・・・・・
3373, 凄い時代
2010年06月20日(日)
 *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著
  「はじめに」の前半に、この本の要約がズバリ書いてある。まずは、その部分から。
ー 「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先はまったく新しい世の中になるだろう。二年前の2008年の洞爺湖畔で
8ケ国のサミットが開かれた。それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や17ヶ国の会合に
当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策である。たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、
変わってしまったのである。・・
2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。各国とも生命維持装置のカテールが何本もつけてある。
しかし、やがて抜きはじめる。その時こそ、本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。
本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。   (字数制限のためカット 2012年6月20日)
・・・・・・・・
2998,他人に厳しく、自分に甘く
 2009年06月20日(土)
 「世界は感情で動く」 ー3           読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
* 他人に厳しく、自分に甘く
 我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。
 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。
 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。
   ーまずは帰属のエラーとはー
 まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。
 それを理論化したものが「帰属理論」。下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。
1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。
2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。
3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、普通とは違ったとすれば状況、
 すなわち外的要因が異なったと思い込むこと。
4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。
 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。
 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、
  自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。
 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。
 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。
 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、
 どこにでもあることだとわかる。 かくして「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」
 という帰属のエラーにひっかかる。
▼「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。
  気分で90パーセントは動いているのだろう、人間は。だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければ
  ならないのである。 人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。それほど人間は理性的ではない。
  特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、
  それが露出して見える。 思わず、「それほどの選手だったの?」と言いたくなる評論が度々である。
・・・・・・・・・・
2634, 娘に贈る12の言葉  ー3
 2008年06月20日(金)
 ー2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー
・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。
・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。
・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。
 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。
 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。
 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。
 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。
 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。
  I thinkではなく I know なのだ。
解)「好きこそモノの上手けれ」「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」 
 自分が好きなことを早めに見つけること。
ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー
・ほとんどの常識は間違っている。 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。
 →だから全てのものが非常に安い。
・新聞だって、そのまま信じてはいけない。
 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。人口の半数以上の知性は平均以下だ
 ということを覚えておきなさい
 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。
   ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。
ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー
・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」
 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。 世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。
・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。
 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。  それと自分の世界の小ささを。
・・・・・・・・・
2007年06月20日(水)
 2269, 家は大事である        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、手に取るようにわかる。
「家は大事」とつくづく感じる。何か家によって家族のあり方が変化するようだ。「人間の器は育った家の器に
大きく左右される」と聞いたことがあるが。家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、
「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。   (字数制限のためカット 2011年6月20日)


4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18

2014年06月19日(木)

   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。家業そのもののパパママストア。
出社日から、多くの判断が次々と求められたが、衣料量販店の経営など全く知らない白紙からの出発。
ところが、その白紙状態が、結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争激化と、新興のチェーン店
の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、
冬期間は、雪の壁が、町を遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店のファッション衣料店が、
そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、駅前のメイン通りに並んでいた。
しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、
「超繁盛店」で全国で知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の意をくんだ残留者は
無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底をついてくる。その中、地元の問屋の一社が、
当面、全面協力をしていた。そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こして
きた。普通なら、導入期に一通り、秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、稼ぐ。
しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、現金を持って初めての
仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での仕入れは、今でも忘れられない。
そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、
メーカーへの飛び込み仕入れ。その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、商品を選び出し
仕入れていく。それも現金で。右上りの時代の中で、誰も忘れていた商売の原点を、動物的直感で
綱渡りの瀬戸際で、始めていた。 何とか一月が過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が、
訪ねてきた。 店頭の立話しだったが、現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、
『当社として、全面的に協力します!』という。 暫くしてから、その意味を知った。
それは『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』であった。
これが、大きかった。それに現金を持って、産地を歩く、基本的原理を、父から教わっていたことも大きい。 
これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。 
その中、その年末は、思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。
他の大型店は、事前予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、半値以下の大量仕入れ。
それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりになって当然。 時代の流れもあって、
全てが、プラスに働いていた。激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。
・・・・・・
4477, アベノミクスへの疑問
2013年06月19日(水)
 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ取っていた。ここでバブル経済とは、
とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、
円安、株高の現象の前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた「文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポート
ーアベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
 ★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、
 彼らのほうが正しいことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って一儲けしたい投機家ばかりだ。
「持続可能な経済基盤」を構築するものには、人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金が
 あり余っている。企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が
 上がっているだけの話だ。(中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、国際通貨の
 バスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 �「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 �「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 しかし、この政策は完璧に破綻。
 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くのイリュージョン(妄想)で、
 「国際的に価格競争力を失ったのは円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、
 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは「失われた二十年」で学んだ筈だったが、
 実際には学んでいなかったようだ。ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本にもたらし、
 その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来ようはずがない。アベノミクスは、
 一部の輸出産業と大手の金融機関がプラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると(5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が
 倒産、廃業、自殺、経営責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。 そう遠くないある日、中国かアメリカの
 投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。
・・・・・・
4103, 閑話小題 ースローヨガ
2012年6月19日(火)
   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加している。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。
それ以来、ヨガ教室のイメージが悪くなり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきているという。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、
ヨガのポーズをとっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に馴染んでくる上、終了前の10分位の間、
仰向けで大の字になって意識を身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、全身から力を抜いて宙游した
気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻りたく
なくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周するのを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。 
大手大橋で弥彦山から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸をして「地球の中心点を擬人化したX」
と対話を10分近くしている。それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的にもベストの経験を、
毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。
「ヨガは肉体も精神も宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のことだろう。魂が現れ出るということか。
   * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。 明治元年・一八六八年三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、
東海・東山両道から江戸に向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 現代の流行歌第一号は、
大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。流行歌のスタンダード・ナンパーとして、
現在も広く演奏され、うたわれている「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた松竹が、
当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。
他にの説が多くあるが。
 ・・・・・・・
3737, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月19日(日)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
  この�を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?
 と思われる異常教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 奇妙な偶然である。
   ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
 事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感あふれるドラマを作り上げた。
ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。
「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」
教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。その一人の犯人の少年は、モンスターママによる
幼児の頃の執拗な教育で、歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。 現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。
 両親の関係が、そのまま子供形成に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ子供が育ってくる。
子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は、危機迫るものがある。 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、
心の中で大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、
他に行けば何かがあるはずと焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、自己崩壊を生むことになる。
 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話などの情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、その対応が分からない。 親からして、
「自分の居場所」が見つからないのだから、子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。
ある意味で、アメリカによる日本属国化政策の完成が現在の日本である。 我々は、その恐ろしい現状を目撃していることになる。
他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!
 ・・・・・・・
3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!
2010年06月19日(土)
 しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
  ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 
   * 不幸になりたがる人たちからのヒント
どうも年齢のせいか何かやろうとすると「めんどうくさい」が先に立ってきた。先日ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。
多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になりたがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、
が不幸のはじまり!」に、ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない傾向にある。 
たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」という。 その根底にあるのが
「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。これは、人間は「低位安定」を心奥で求めている結果ではないかと。
「低位安定」から、どうすれば抜け出すことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との戦でもある。
著者は陳腐な結論と断わって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。
それができない者には、現状を変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようと
しないものは多い。現状維持の方が楽に思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない何かが逆に新しい事態に
直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに
「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 
その積み重ねの結果「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。
他人事ではない、年齢からくる老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、
ブログも、自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。
自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。
老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。  面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、
 それ自体が面倒か〜   さて、棚の整理だ!  それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか!
 ・・・・・・・
2997、定年か〜  ー2
2009年06月19日(金)
  「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー   北 連一 (著)  
 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。
定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、
深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 
私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 
「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。
人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。
だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が
「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 
その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。
一、午前中は一歩も書斎を出ないこと          二、小遣は現在の2万5千円
三、食事の内容には一切要求をつきつけない       四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる
五、これらを不服として大声を発することをしない
 これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に
予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。
「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは比べようもない、
運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が
実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。
 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 
そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
・・・・・・・・・・
2633, 娘に贈る12の言葉  ー2
2008年06月19日(木)
 第一の言葉から要点を抜粋してみる。一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。
 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。
  ーー
1、他者に流されてはいけない ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、
 たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。自分の考えに従って行動することだ。
・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。
 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。
 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。
 そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。
 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを
 得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。
 (字数制限のため、カット2014年06月


4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17

2014年06月18日(水)

    * 二店を、経営委託に! そして、実家に
 『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じだったが、
それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、母、姉、兄と、私が最後の
話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、
しばらく後に、姉夫婦と行動を伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していた
ことから知る。 姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった!
 Uターンが決まると、問題は、開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が
出てくる。養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は幾らでもいる筈。
そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で経営受託する人がいないですか?」
とぶつけた。 すると、「自分が間接的だが受託する!」と、話は簡単に決まってしまった。 
彼が受けなくとも、両方の本部は、希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。
その後、二年もしない内に、他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果と
なって、五千万投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。
その五年後には、銀行を通して一億で売り抜けていた。ビル経営の視点でも、この事態が、
プラスに働らいた。 そして、九月初旬に千葉から長岡に戻ってきた。
まず、実兄と「本店か、支店か、どっちを受け持つ」かと、相談すると、兄が「自分は、
そのまま支店を、本店を御前に任せる」という。 本来は、兄が本店に乗り込むのが筋だが、
本店に自ら乗り込むのは気が引けたようだ。 入って直ぐ、成るほど!尻込みをするのが分かった。
そこは既存社員の冷やかな空気が色濃く残っていた。さっそく、一人ずつ、別室に呼び出しての
話合いからの出発。そこに、私への不信感が大きく根付いていることを知る。
彼らには、私は悪役の張本人。それでも残ってくれただけで、充分であった。 
さて、どれから手をつけるかである。
 地元銀行の北銀と大光相互は、兄に感化され、倒産寸前と判断していた中、
メインを北銀から、当時の都銀の「太陽銀行」に変更。これは、私と実兄の仲人をした営業担当で、
この一連で相談にのってもらった因縁から。 会計事務所も、税理事務所から、会計事務所に変更。 
 実感は、生まれ育った商家の真っ只中に、20年ぶりに落下傘で舞い降りたような不思議な感覚。
数ヶ月もしないうち、全てが面白くなり、水を得た魚のようになっていた。
そこは10歳まで生活をしていた生家。 火がつくのは当然といえば当然。 
4年半後、役割が終えての自らの総括は、達成感では、120点。 
ジャスコ、千葉、長岡、新潟も、「引き(時)」であった。(新潟は、最後の最後で、引きが、遅かった?)
・・・・・・
4476, 閑話小題 ーオノマトペ
2013年06月18日(火)
 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」などのオノマトペの魅力を
取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊かな情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー
≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。
 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が、 急速に増えている。 放送では、
* トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」
* 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」
* ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ”と熱い視線を集めているのです。
 人を引き付ける理由は、オノマトペが持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。
オノマトペは、普通の言葉とは比べものにならないほどの豊かな情報量を持っていることが明らかになってきた。
言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペの中に引きずり込まれて凝縮する。」
 大手コンビニチェーン 広報「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」
商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説のようなうわさが、駆け巡っているという。
大手コンビニチェーンの広報では、「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」
おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり”がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や
“舌ざわりのよい”は、“ひゅるひゅるっと”急降下。 短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを席けん。
オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖しています。・・・≫
 ▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を巧く誘導したが、
  「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、現場感覚のオノマトペのようなもの。
  スマートフォン、タブレットの情報端末も、現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。
  早朝の信濃川の土手の、ある場所で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。
  変わったスナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、オノマトペのニュアンスの
  店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」
  「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」「メロメロ」「居酒屋どんぶり勘定」。
  そこで考えついた面白いスナック名・・{化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。
  とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? 
・・・・・・
4102、私は完全な本 "日本の自殺"ー6を作った
2012年6月18日(月)
   * 危機は日本人の内部にある
  日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によってつくられた精神が生み出したもの。
 戦後民主主義は自由、民主、平等主義の上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。
 バブル崩壊、9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災の影響をモロに受けてしまった日本は、
 ここで大きな試練に立たされている。そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。
【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、
 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓
 ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓
 ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体   というプロセスで進行したのである。
この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似している。日本の没落の危険は資源問題や
輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的
条件のなかにこそひそんでいるのである。
 没落の真の危険は、日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦しようという
創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、 日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、
長期の未来を考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく危険のなかに、存するというべきなのである。
 豊かさも便利さも、そして情報化、都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げてきたプラスの諸価値を
含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。
節度を越え、調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、公害問題を通じて少しずつ理解されている。
 豊かさ、福祉、自由、平和、平等などに実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉国家は人間と
社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、
むしろ内的要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと捉えることができるので、意思さえあれば
対処可能なのかも知れないが、内的要因については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることができない、
そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】
▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿である。ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」
  とあるが、結果として果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり「日本人がこの危機や試練を正確に
  認識する能力を失いつつある」ことである。その上にグローバル化による価値観の多様化もある。日本の自滅は文明の自滅でもある。
 ・・・・・・・
3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜10
2011年06月18日(土)
   * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレーの木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する
反対論を述べた。「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館に所蔵される前、ベネチア芸術の
美術商の手に入りました。この時すでに、この像は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な
気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。
そして時がたつにつれ、像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力があると考えられるようになりました。
 美術商は、このビーナスの小さなかけらがほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。
ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さなかけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。
持っていれぽ美しくなれると信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを作って、そのあと本物の
ビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに巨額の
お金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。
「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとした
ちょうどその時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされました。それと同時に、ミロのビーナスの反対側の
手も切り落とされました。肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。それはビーナスは決して壊されてはならない
という神のお告げだ、と職人たちは思いました。それから間もなく、ミロのビーナスはルーブル美術館のものになり、今日にいたるまで、
美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されているのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 
 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、
神様がお創りになった芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、そびえ立つ孤峰と汚されていない湖が
いくつもあるこの谷は、世界で最も美しい谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しようとした強欲な
美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかにあるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】
 ▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、
  聞いたことがあるような、ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を持っていたという説がある。
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3371, 込み込み六千八百円のホテル
2010年06月18日(金)
 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに
「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。
仲間10人で土日の高速代金の千円を利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
 (字数の関係でカット2014年6月18日)
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2996,定年か〜  ー1
2009年06月18日(木)
           「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著)    読書日記
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、
地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、その意味も最初は分からず、
解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 
私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。
群れから離れて奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。
これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 
そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の
奥さんとの力関係を取り上げている。ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まるような関係。
「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 
この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる,ローンが終わっていた,
書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後の
シミュレーションをやっておく,妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
こういう人生もあるのかというような内容だが「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、深刻な内容も赤裸々に取り上げている。  
8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの生き様がみえる立ち位置に居たことから、「人生の敵(ミカタ)は女房」
というのは深く肯けるが。その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
・・・・・・・
2632, 娘に贈る12の言葉
2008年06月18日(水)
「人生と投資で成功するために  娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著)   b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
 ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を
アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白かった。 
それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。
ー まずは、その12の言葉
・他人に流されてはいけない             ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい
・常識はそれほど常識でない             ・世界は自分で見ておいで
・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい  ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい
・歴史を勉強しなさい                ・汝自らを知ること
・変化をとらえ、そして受け入れなさい        ・未来を見つめなさい
・大衆に逆らいなさい                ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む
 ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、
徹底的に歴史、哲学、経済を学ぶことを推奨している。 (字数の関係でカット2012年6月18日)


4842,「事業人生を決心して45年」の語り直しー16

2014年06月17日(火)

   * 姉夫婦が、今度は創業の立場に!
 私が身を引いた直後から、実兄への圧力が強まり、義兄と暴力沙汰の危険な
場面があったと、
実兄からの電話。実兄の『窮鼠、猫を噛む』には、姉夫婦の思わぬ誤算?それも計算通り?
両方である。私を出して条件が揃ったとみた、姉夫婦が、実兄と母親に『これでは経営が出来ない。
兄が出ていくか、さもなくば、主な従業員を連れ独立する。その際には、自分達の株式と不動産は、
その筋?に売却する』と通告してきた。 母と実兄が、その案を飲むと、計画通りになる筈だった。
しかし、それを聞いた母が激怒! 姑の立場もあり姉夫婦寄りだった母が、姉夫婦の『排除』を
決断をしてしまった。老いても創業者の片割れ。姉にとって実母の決断は軽くはない。
その上に半数を持った株主で、社長解任権がある。その豹変に、私も、周辺も驚いてしまった。
 二人の計画『まず社長という名を取り、その立場を利用した父の遺留分の有利な確保し、
次に三人の株式と本店の不動産の確保の筋書き』を当初から母に伝えていたが、その筋書
通りの動きに、二人を見限ったのが姉夫婦の大誤算。
私は、父の遺産の手前勝手の配分で、二人の手の内を読んでいたが、実兄と母は、二人の実行
段階で初めて、二人の計画に気づたことになる。 姉夫婦が出て行く!と聞いた時、『エッ、何?』と、
耳を疑った。 私には『この程度の会社の引継ぎは朝飯前。これは次のステップ!』でしかなかった。
しかし、義兄にとって、20年以上もかけ父と築き上げた会社の運営は、私たちには絶対無理!と
確信し、銀行、問屋、メーカーに告げていた。義兄と、伴に出て行った5人に、自分たちの
ノウハウと実績への自信があったが、それはワーカーのそれである。
 小さな世界の第三者と、行動を伴にした社員にとって、愚弟二人のヒール役が、
ヒーロー・ヒロイン役の姉夫婦へのクーデター! それも三文小説のような御家騒動でしかなかった。
 しかし裏の筋書きは、実は父親? イザとなると、ひ弱な姉夫婦の性格を知っていて、最後は、
株の配分と、筋金の強い方が勝ち残る!という、影の脚本があって、母も聞いていたはず。
「木に竹を継ごうとしても、それは所詮は無理」。結果として、残った方が木になるとしても・・ 
で、最後は、姉、実兄、私の全て消滅!が、更なるオチが、何とも妙。私の筋書きは、私だけが? 
だが、そうは甘くはない! ;´Д )
 この結果は、姉夫婦と私の立場との逆転を意味していた。 今度は、二人の創業の実力と、
私の実力が試される。互いに相手をヒール役に仕立て、見下したため、互が見えなくなっていた。 
創業など、出来たらやらないがよい。 やるなら、緻密な下準備と、長い時間と、身近な理解者と、
幸運など全て必要。しかし、二人の準備は、別にあった。その上、給料の高い5人と、私生活、月に百万円
以上のコスト問題のハンデがあった。 それでも、当時は、高度成長期。
 次の問題は、千城台の立上げたばかりの二店をどうするか?  
・・・・・・
4475, 宝くじが当たる確率(何倍?)は?
2013年06月17日(月)
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、「夢を買っているんだ!」と思っていた。
   ー 教えて!Goo 、によると ー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらいのものなのでしょうか。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れているようですから、完全ランダムで
   3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されているそうです。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1ということになります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも着いているわけで,
  あとは1の位から万の位までの5つの数字の組み合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね
  ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1ですね
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは 
  千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として新聞の一番小さい1文字に当たる確率と
  同じくらいとか聞きました。
▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人にとっては千分一の気持ち。
 アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。
悪銭身につかずである。それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で金利を
含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。生を受け、今、存在していること自体が
奇跡なのに、それを生き切らなくて何が宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ・・
・・・・・・
4101、私は完全な本 "日本の自殺 'ー5を作った
2012年6月17日(日)
   * 日本が直面する困難
 ここで書かれていた直面する困難の延長上に、現在がある。 現在の危機は文明がもたらしたもの。 
人間は歴史から何も学んでいないのである。その知恵の浅さに驚きざるをえない。自分を振り返れば分かることだが。
   ーまずは、要点の抜粋からー
【 まさに巨大化した世界国家(ローマ帝国)がその心臓部(ローマ)の繁栄をもたらし、そして実に皮肉なことに、
 この繁栄こそがめぐりめぐってやがては、世界国家(ローマ帝国)の心臓部(ローマ)を衰弱させることになっているのである。
 この意味では、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償であったのだ。 現在(1975年)、日本経済はその処理を
 ひとつ誤ると日本を没落に追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面しているといわれている。
◇ その第一は、資源・エネルギーのきびしい制約である。
 海外依存度の高いわが国にとって資源問題は明治維新以降の近代日本のアキレス腱であり、第二次世界大戦そのものが
 資源をめぐる国家間の衝突であったはずだが、 七〇年代の日本はこの歴史的経験から中途半端な教訓しか学ばなかった。 
 資源・エネルギーの長期安定供給の確保はすでに困難となってきており、抜本的な総合対策が講じられない限り、
 この面から日本経済はフィジカルな破局を迎える瀬戸際に立っている。
◇ その第二は、環境コストの急上昇である。
 環境コストの増加は他の諸条件との均衡を失することなく、長期的、総合的視野に立って進められるべきであった。なぜなら、
 環境コストの上昇は、企業収益の低下と価格上昇をもたらす可能性があり、まず輸出競争力の低下を通じて貿易にも影響をもたらす。 
 公害防止の大義名分のもとに長期的、総合的配慮を欠いたきびしい規制のごり押しを続けることにより、日本の企業がつぶれ、
 経済が破滅に陥るようでは、それこそ環境改善コストの源泉そのものが失われてしまうことになることは明らか。
◇ 第三は、労働力需要のひっ迫と賃金コストの急上昇である。・・・生産性を上回る大幅な賃金上昇は、物価に転嫁されるしかなく、
 かくして賃金・物価の悪循環によるインフレ要因は、前述の資源コストなかんずく石油価格の高騰によるインフレ要因と結びついて
 事態を深刻なものにしている。】
 ▼ 上記の3つの問題 �資源問題、�環境問題、�賃金と物価の悪環境問題は、日本にとっても、世界にとっても待った無し。
  これは文明規模の問題になっている。20年前のソ連・東欧・中国の計画経済の放棄により自由主義圏が拡大、更に問題が
  大きくなっている。その意味では21世紀は、世界的混迷が拡大していくが、その先端にあるのが日本。 情報化による
  知識の平準化が進む半面、その最先端の情報を握ったグループの独裁も懸念される。直面する問題の肥大化は避けられない。
 ・・・・・・・
3735, 自分の居場所のみつけかた
2011年06月17日(金)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」
 などという人々の声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に聞こえることがあります。
 他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。
 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する母だからです。
  どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、
 びっくりさせられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分でいいや」と言い出すのです。
 居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。 
 こうした人々についていつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラスジになる。 どうも人は自分の安心できる
 居場所がないのが悩みのようだ。 過って、「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。
  9年前に<2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 >を書いていた。  まず、その内容から・・
【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に厳しい状態の時である。
 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子と机に本棚に本と手帳を配置する。
 それで、あなたの居場所ができあがる。あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所ができている。」
 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は同じようことをしているはずだが、少し過剰?
 《居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ》
 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、
 まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、テリトリーとして。 】
 ▼ 私の場合、大人数の家族の末っ子ということで、あまり母は叱咤激励をしなかった。目が行き届かなかったのだろう。
  著者は精神的に心の奥底で母親の影響が大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者にした先生だ。。
  現在、会社を倒産で失った事態である。 会社は当然、居場所の大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。
  つきつめると、生前の両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では何とか吸収してくれるのも、
  自分との折り合いが比較的うまくいっているためなのか。 会社の事務所に座っていた居場所が、ほぼ同じ感覚で、仏間の一角の
  書斎コーナーに移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日になった現在、家内と居間で対峙していて、
  互いにイライラしてくると、家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が
  出来てホッとしている。それとも、このHPが自分の居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。
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3370, デジカメを買えかえた!
 2010年06月17日(木)
 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末)
などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 
毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) 
その中でデジカメとiPodとiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、
デジカメを使っている。
  ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
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2995、ピーク・エンドの法則
2009年06月17日(水)
 ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と
終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと最後のラストシーンになる。 
「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ない特徴がある。
人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、
その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、
この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。
せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、
そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。
しかし、その最後が難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。
人間は歳をとると、肉体だけでなく、精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、
その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。
 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。
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2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1
2008年06月17日(火)
                 「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著
この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》
してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、
その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショックを
経験してきた御蔭で、日本は世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、
そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。弱みを克服しているうちに
強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、中国の8.7倍、ロシアの18倍である。
ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を
実現していたのである。 また東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。
( 字数制限のためカット 2012年6月17日 )
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2007年06月17日 
2266, 欧米のビール圏とワイン圏      * ̄0 ̄)ノ[才八∃一]     
 ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 
ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 
ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。
ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし
飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。
日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が
急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、
人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃
とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。□p\(^_^ ) カンパァーイ (  ゜Д゜もう一杯酒飲め !
美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには
スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか
日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップで
280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。
ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの
ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・             


4841,「事業人生を決心して45年」の語り直しー15

2014年06月16日(月)

   * 40年前の御家騒動の顛末
 父は全てを知って、自分亡き後は、<私と、実兄と、姉夫婦が、平等の立場で闘え!>と、条件を整えてくれた。
当時の姉夫婦との経験差が歴然としていることを憂慮、姉夫婦にハンデを与えるため、生前贈与をしてくれていた。
姉夫婦にとって、二人分の権利をアテにしていたが、姉一人分だけだった。それが大きは不満だったのを見てとった。
父にしてみれば、年に当時の、一千万近い社交費を数年来、使っていた姉夫婦に怒りが蓄積をしていた。
父は親戚など幾つかの遺産争いの仲介を頼まれ、その実態を熟知していたため、生前贈与をすることで、姉夫婦の
独占を防いでくれた。 私には『これは御前の為!』と、こっそり教えていた。 『専務は補佐としての運営能力があるが、
経営能力はない!』とも。それに私は、『以前から商売の本質が解ってないことを、自分も見抜いていた!』と、答えていた。
 争いが起きた時点で、ジャスコ、いとはん、の勤務と、千城台ビルと、養老乃滝とベーカリーの立上げを含めた6年で、
創業のベース(無心で全てのエネルギーを計画に叩きつけるベース)が出来始めていた。さらに、目標に対する
自己能力の限界の設定と、不足部分の見極めと、その補充手順を身に付けていた。 更に、それを楽しむことも。 
 「いとはん」でドルショック、「千葉の千城台」で石油ショックを経験。震災クラスの歴史的事件が長期投資には、
必ず起こる前提で計画をたてておく必要性を肌で感じ取っていた。 そのため長期投資のビル建設では、
「建物は売り前提に、(建設単価が高くても)買い手の用途変更を前提にした設計をすべく、柱を壁側に置くか、極力
少ない、スケルトン可能な鉄骨鉄筋にすべし」が、父の極意。 これを書いて気づいたのが、千城台ビルは父が私を
通して造った最後の仕事だったこと。 父は、太平洋戦争で長岡空襲(ブラックスワン)で、ほぼ全ての財産を失った
経験から、常に時代の激変を前提に計画を立ることを知っていた。それがスケルトン可能なビルの設計と、
建設になっていた。それもあって、三年前の物件など、私の手がけたビルは、売りに出すと即売になった。
それもこれも、父の魂が宿っていたからである。 それでも三羽のスワンの到来で一瞬のうちに飲まれたのだから、
諦めもつくというもの。  この先、スワンが何羽も先に控えての『東京オリンピック』。 幸あれ!である。
主要各国は、それを知って、何処も手を上げなかった中での、これ。 絶対的ミスを、石原、阿部コンビがしてしまった。
 話を戻すと、次は実兄と義兄の衝突!それも姉夫婦にとって計算の上!が見て取れた。 その渦中、急遽、母親から
長岡に呼び出される。
『私の持分の株式と、本店の私名義の不動産を私に譲れ! その見返りに、千城台ビルと新潟駅前の更地を与える』と・・ 
何の事か、直ぐに理解できなかったが、姉夫婦の次の戦術に母が乗せられたことを悟る。戦中戦後と父親と苦労を共にした
母が身を引けというし、悪くない条件。 その場で即断。直後に、名義変更になった。 が、それでは話が収まらない。
・・・・・・
4474,最悪の結果に隠された、お宝は?  ー2
2013年06月16日(日)
   * 「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、奥の正体
 先回、「最悪の結果云々」と書いたが、私の人生から見れば、最善の結果とも解釈出来る。 
まる三十年の最終日の記念日に、偶然としても事業を終え、一年もしないうちに六つの抵当物件が売れ、金融負債以外は、
ほぼ負債ゼロ。 「早々に隠遁の生活に入り、老いと死に準備に本気に入るように!」と、65歳を区切りにするため
三羽の黒鳥を遣わせた。これが人生からの私への贈物。 勝手に隠れたお宝の正体と正当化と見てとれるが・・・ 
 創業時点から(万一を考えて)親戚や家族には一切、事業には入れなかった。長期装置産業のため、大きな変動を
幾つか乗り越えなければならない。そこに、家族を入れると共倒れのリスクが出る。その時が身の引き時と思っていた。 
結果として順調の状態で息子に事業継続するより、この方が良かった。(そう思うしかないが)
 私の知人や周辺を見ていて、思うことは、「世界も、身近の事業環境が激変をしている。無理と思ったら、早々に
事業継続の断念をすべき」ということ。 私の場合、事業整理には五千万を要して、何とか清算?に近い状況だった。
 この激変の正体は、20世紀前半の第一次世界大戦から世界恐慌を経て第二次大戦に渡る30年以上の混沌に匹敵するか、
それ以上の歴史的スケールの変動で、あと20年は続くとみてよい。
 今度の件の結果に隠されたサインとは、《 現在は歴史的激変の真只中にあり、日本は世界に先立った変動の事態にある。
これから世界が本格的激動に入りつつある。それもあって中途半端な規模では事業は成り立たないことに早く気づくこと。》
それと機をいつにして、私自身がリタイアの年齢になった。「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、お宝の正体。
 この一連の中で感じたことは、「日本の危機感が少なすぎる」こと。裏山の天辺から、外海と内海への津波を見ている気分。
裏山に避難した私を、多くの人が笑ってる姿が見えてくる。その彼らに政府が泡踊りを勧めているのだから、これエログロ。
・・・・・・
4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1
2012年6月16日(土)
 アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。
一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に引き上げることが出来るという。
不自然に4:1、5:1に引き上げようとする無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。
「ポジティブ」という概念は、精神論で語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ欧米では教育界、ビジネス界
などでもその成果が応用されている。100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初から
割り切ってしまうのも良い。秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると
起きて当然と割切りが出来てくる。僻地という圧縮された時空の中で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。
しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、自然と出来てくる。そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。 
旅行もネガティブの比率を経験を重ねることで四分の一にすることが可能になるということ。最初の数回はネガティブな
方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに気持ちを集中できるようになる。
 人生も似たようなもの。 私の見立てでは八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。
少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要なのは、神を信じることでネガティブな感情を
ポジティブな感情に押し上げる効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。「積極一貫」を常に心がけ、肯定的
言語を意識的に使うことで己を御す教えである。それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。
最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス用語を使うようにしている。
オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。
 ・・・・・・・
3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月16日(木)
                       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている
 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。
だが私にとっても、その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。私にとって、宇宙のすべてのものは自分から
はじまる。これを「自己中心」の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。 これは子供じみた見方ではないだろうか。
幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。 こういう自己中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、
私は自分の幼稚な世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。成熟と死は、似た者同士だ。
私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、
私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、
そして自分自身の感情についてはたった数行すらも書くことはできないのだ。
 私は絶対に大人にならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる子供の部分を絶対に捨てないと、
子供のすばらしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。 私は自分のなかの子供らしさの
最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んでいくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、
死を体験することができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。
 あなたは宇宙の中心にいるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。あなたが回転すれば、あなたから見て、
部屋のなかのものもあなたを軸としてぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという宇宙の中心に
いるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。
他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、
他の人や力をそこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に置いたりする力を自分が持っているならば、
私たちは自分自身にもっと敬意を払うべきではないだろうか。 
 これについて、さらによく考えてみよう。私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取ることはできない。
だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉だということになる。私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。
私は自分の宇宙の中心を占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。だが、許可を与えるのは私自身だ。】
 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。
 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが
 組み込まれている」という‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究発表をした。
 だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を
 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。
 ・・・・・・・
3369, Youtubeでみる津波の映像
2010年06月16日(水)
 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、
現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が
流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。
津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 
映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・
 この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震を震源とした大津波が日本に押し寄せている。
「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。
その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 
現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。
 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。
そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。
 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。
もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減で、
それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。
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2994、筆談ホステス
 2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、
「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?
と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に
とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 
私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。
    ≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫
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2630, 閑話小題 
2008年06月16日(月)
  * 台風と地震が何で土.日曜日に多い?
統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。  
最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。
(中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。
  * ワーキング・プアのテロ?
  * 「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断
≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
・・・・・・・・・
2007年06月16日(土)
2265, 動物が家畜化されると、どうなる?          *´・ω・)ノはよー!
  動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、文化(檻ーおり)を発展させてきた
 不思議な生き物という。  ー家畜化した動物の特徴は
・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。
 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。
・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。  >(^┰^;)ゞ
 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。
 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、
 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。
・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。
 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。
・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。
・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・
 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。
 ▼ 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、
  自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。
 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。
 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して
 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな
 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。
 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と!
「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・
  ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい?
・・・・・・・・・
2006年06月16日(金)
 1900, グーグルアースが凄い!        おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。
・画面鮮度が3~4倍のアップ、
・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。
 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。
 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。
 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」
 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。
 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。
使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。
最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。
「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。
別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。
知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」      (。・ω・)ノバイ         
  以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。   (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日)

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