堀井On-Line



4840,閑話小題 ーワールドサッカーのジンクス

2014年06月15日(日)

   * 3964の法則なら、今年のW杯優勝はウルグアイ!? 
 ワールドサッカーにも多々、ジンクスがある。先日、TVで“3964の法則”を紹介していた。
 そこで、ワールドサッカーのジンクスをネットで調べてみた。
●《 “3964の法則”では、優勝はウルグアイ
 4年に1度のサッカーの祭典には、2回以上優勝した国の優勝年度を足すと「3964」という
数字になる都市伝説が存在する。この「ワールドカップ 3964の法則」
サッカーワールドカップには3964のジンクスというものがある。
ワールドカップで過去に優勝した国は、過去の優勝年の年度と
現在の年度を合計すると3964のジンクスになるという有名な法則である。
アルゼンチン:1978+1986=3964     ブラジル:1970+1994=3964 
ドイツ :1974+1990=3964         :1962+2002=3964
                         :1958+2006=3964
 さらに「2002年日韓共催ワールドカップ」の決勝戦が開催れた日産スタジアムの
ブラジル代表の控え室に使われた部屋のホワイトボートにはそこに戦術がかかれたとともに
3964−1962=2002 と残されていて ブラジルの優勝年が、その年。
2002年ワールドカップは3964の法則により自分達が勝つという事である。
この控え室とホワイトボードは現在でも大切に保管されている。
さて2014年はワールドカップ開催の年だが 法則に従うと 3964−2014=1950。 
1950年のワールドカップは 1位 ウルグアイ 2位 ブラジル 3位スウェーデン 
4位スペイン。 このチームのどれかが優勝となるのでは?と予想されております。》
●《 数々あると言われているワールドカップのジンクス。前回大会で、スペインが優勝し
 歴史的快挙ともいえるほどのジンクスを打ち破ってくれた。例えば有名どころでいうと…
・欧州以外で開催されたW杯は南米勢が優勝する
・1962年以来、欧州勢と南米勢が交互に優勝している
・圧倒的な優勝候補は優勝できない        などなど。
 しかし、それでもいまだ破られていないジンクスは多数あります。それは…
・欧州勢と南米製以外でW杯の決勝に進出した国はない
・北中米・南米のW杯で欧州勢が優勝したことはない
・前年度バロンドールを排出した国は優勝できない
・コンフェデ優勝国は翌年のW杯で優勝したことはない  》
▼ 面白いが、昨日は、スペイン対オランダ。一昨日は、ブラジル対クロアチアを観戦。
 今日はイタリア対イングランド戦と、日本対コートジボワール戦をTV観戦予定。
日本は、FIFAランク46位。、コートジボワールは23位で、決して甘い相手ではない。
・・・・・
4473, 閑話小題 ースポーツジム、500回
2013年06月15日(土)
   * スポーツジム、500回
 スポーツジムに通い始めて2年2ヶ月あまり経つ。数日前に、フロントで「今日で5百回になります」
と言われ、幾かの選択制のサービス券を貰った。上京などの小旅行以外と公休日の金曜以外は、
ほぼ毎日通ってきた結果である。噂話に余念のない‘砒素の塊のような口煩そうな御婆さん
’を数人見かけるが、「平日昼の5日間コース}ということもあり、中年主婦と、スナックなど
夜間の商売とみられる人が中心。ランニングマシーンとサイクリングマシーン50台と、エアロビ、
それと円座でインストラクターのもと12名が各種マシーンとステップ台を交互にこなす
イージーラインと、30種類位のマシーンのコーナーと、プールと、サウナと風呂、マッサージルーム、
ロビーが組み合わされている。
地元では、私が通っているホリデイが最新の施設で、一番の人気。月20日、年間240日弱
位として、二年二ヶ月で500回。若い女性のインストラクターの明るい声の中でのイージーラインや、
ヨガに参加しているだけで、気持ちが明るくなる。近くに丁度よい施設がタイミング良く出来たもの。
一回のヨガだけで千五百円の価値を実感、月に9回としても、充分に元を取っている。 
月に六千円、日にすると三百円は充分価値がある。午後に、人に干渉されることなく、
一人で行って、幾つかをこなして、気ままに帰ってこれるのが良い。
私にとって理想的システムといってよい。
 スポーツジム、土日と夜に会員が集中するので、平日の昼は老人と主婦にとって、
楽々と長時間滞在しても問題ない。アメリカから来たシステムだろう。家内の新潟の友人は、
10時にオニギリを持って出かけ、16時まで滞在する。光熱費は節約できるし、毎日リゾート地に
いるようだと。私は平均二時間が目安。軽く会釈する人が数人だけ。
 地元にはスポーツジムは、ホリデイ、カーブス、ルネッサンス、NASなどがある。
駅前のヨーカ堂のスポーツジムは、女性用のイージーラインだけを絞ったのもあるようだ。
家内は週二日、イオン内のSJにバスで通っている。一度、生活圏から出れるのが、
良いという。砒素の嫌な視線を何度か感じ川西のジムにと、見学に行ったことがあった。
ガソリンだけでも一万はかかるので、決心出来なかったが。
・・・・・・・
閑話小題 ー自転車のパンク
2012年6月15日(金)
  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、年に二回はパンクをする。
たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで自転車を引いて帰って来たこともある。
それも付きものと割り切っている。一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。 
昨日もパンクをしたので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を
聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため次世代が店を
継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、
修理だけとか。 パンクの修理時間は平均、20分。それで千二百円は悪くないが、
私の見立てでは一日4〜5人。 奥さんがパートをする兼業商家なら何とかなるのだろう。
  * 書見台
 iPadタテがあるなら本立て(=書見台)があってよい筈と、調べたら、あるある。
江戸時代の学者が正座をし書見台に向かい読書をしている絵を見かけるが、その卓上版があった。 
元もと在ったのだろうが、この歳で初めて書見台の存在に気づくとは。 隠れたブームになっている
というから、一般的ではなかったようだ。 それにしても楽で良い。 机上では両手で支えるか、
下に置いて斜め上から読んでいた。 現代書見台は、小さな衝立に立て、下の両側をバネで
抑える仕組みで、両手を使わないで済む。
メモをとる時とか、デジカメに記録に残す時などに便利である。これにiPadを立てて使えるため、
既に必需品になっている。
  * ギリシャがどうなるのか?
 17日から数日間はギリシャから目が離せない。ギリシャ国民がユーロ圏から離脱するか
どうかの再度の国民投票になる。もし離脱になれば、世界恐慌のキッカケになる可能性が出る。
予測は5分5分だが、悪いことにスペインの三段階の格下げ発表だ。
いまやPIIGSのモグラ叩きの様相であう。 何時まで持つかだが、一度火がついてしまえば、
世界恐慌が吹き荒れる。その惨状は、想像すらできないほど深刻という。後は野となれ山となれ、
だが、衰弱化しきった日本は外国から狙われること必定。どうも世界の動乱期での日本の小選挙
制度の仕組みが適正でなかったようだ。その意味で、ここで日本も一度、現在の枠組みを変える
しかなく、政治動乱の過程を踏む必要がある。 まずは、この一週間は国内外の政治経済から
目が離せない。
・・・・・・・
3733, 閑話小題   
2011年06月15日(水)
  * 衣替えのアイロンがけ
 この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロンかけをする。(家内は一切無視? ったく!)
風呂敷から出して、新鮮な空気に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちにシャツが姿を変える。
無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。
新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。 それだけではない、知識も入れ替えをしないと。
「新婚さんいらっしゃい」というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・ それって、奥さんがするんじゃ?
  * ハイボールの語源
 日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。 もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーター
などの炭酸飲料や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったものをハイボールと言う。語源について諸説ある。
<1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で水の補給のための停車の際、
  棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。
<2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、
  あがっていなければ don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行ってよいかどうかの判断もあった。
  その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。
<3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあった
 ソーダにウイスキーをあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが飛んできた、それが語源だという説。
  早くいえば、ハイボールは 「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わせの「角ハイボール」を
 大々的に宣伝を始めた。 人気の背景には飲みやすさに加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。
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3368, ユーストリームの世界
 2010年06月15日(火)
 ツイッターに驚き、Youtubeに驚き、とどめはユーストリームである。実はツイッターを始めた頃に、「生中継サイト」があってよいし、
できるのも時間の問題と考えたが、既にあったのである。ツブヤキだけでなく、映像の生流しもと・・・ フクロウや鷹の巣に設置された
カメラの生中継にまず驚いた。他にも漫画家の制作中の漫画や、ある街角の道路や、ボクシングだったり、色いろある。
 若い女性が自分のパソコンのカメラで語りかけているのに対して、チャットで数秒単位で複数の男?が書き込んでくる。
その両方を生中継をしているのである。何か異様な世界に紛れ込んでしまったようである。 恐らくアダルト系も?。
iPadなどのタブレット式パソコンが普及したら、街角に溢れて、「こんな面白い画面が・・・」となる。 
ツイッターが140文字のツブヤキの垂れ流しに対して、これは映像の垂れ流しである。国会中継も、野球中継も、個人から発信可能になる。 
飲食店やスポーツジムなどが販売促進として、店内を生中継をするには良い。またメガネやサングラスに極小のカメラをつけた生中継も可能。 
そういえば、以前に隼の頭にカメラを据えつけて飛ばした映像を見たことがある。時速200キロ前後で林の間を飛んでいる映像は
自分が飛んでいるような錯覚になる。独り住まいの老人の家庭の監視にも応用できる。 中高年のネット難民と若者の差は大きくなるが、
iPadで何とかなるか? この十年の時代の変化は激しい。その根は情報革命。これでは小松左京でないが、SF作家もついてはいけない。
しかしツイッター、Youtube、ユーストリームは面白い! 恐らく近い将来スーパーが店内のコーナーがことに、カメラを据えて
中継するネットスーパーが本格化するだろう。 面白い時代である。   ≪偶然の一致だが、以下は、この文章に関連している≫
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2993,アトムの七つの力
 2009年06月15日(月)
 鉄腕アトムは1951年に登場したというから私が5歳の時。美空ひばりの歌が聞こえてきたのと同じ頃である。
最近、アトムが再び見直されてきている。 その手塚治も現在のIT化をみたら、驚くはずである。
 ー ウィキペディアによると・・・ ー
 電子頭脳(CPU)の記憶容量は15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)。
身長135センチ、体重30キログラム。ちなみに電子頭脳は頭部ではなく胴体内上部に設置されていて、
頭部は単なる飾りとされた(透視図では頭部にセンサー類が集中しているようだが、作中では頭部が外れてしまったり、
無しでも活動可能な描写があり、胴体にもセンサー類は搭載されているようだ。 彼が登場した時代は、2003年。
まさに現在である。 最近、色いろのロボットが出始めてきているが、自分で考えたり、心も持つまでには至っていない。 
しかし、彼には、七つの特別な能力があり、1963年、1980年、2003年と、その能力は変わっている。
  * 1963年アニメ第1作(モノクロ版)
1、どんな計算も1秒でできる電子頭脳。 2、60か国語を話せる人工声帯。
3、普通の1000倍も聞こえる耳。2000万ヘルツの超音波を聞き取りが可能。
4、サーチライトの目。      5、10万馬力の原子力モーター。
6、足のジェットエンジン。    7、お尻からマシンガン。1秒間に500発撃てる。
  * 次の1980年アニメ第2作になると
1、胸の中に電子頭脳セット。60か国語を同時通訳ができる。  2、耳は音を1000倍に聞ける。
3、サーチライトの目。   4、10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。
5、腕と足はジェットで空を飛べる。 6、腰の中にマシンガン。1分間に600発撃てる。7、レーザーブラストの手。
  * 2003年ASTROBOY版
1、高度な人工頭脳。  2、人間の1万倍の聴力。  3、透視能力を持つ目。  4、10万馬力の力。
5、足のジェットで空を飛べる。  6、指にフィンガービーム。  7、腕にアームキャノン砲。
 ▼ 以上だが、個々を分解をすれば60ヶ国を話せる人工声帯以外、現在では実現をされている。ロボットとして飛べないが、
グーグル・アースで世界の空を何処へでも飛ぶことも可能になった。 
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
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2629, 世界バブル経済終わりの始まり ー3
 2008年06月15日(日)
第二章は、投資の最近の基本的な常識が項目ごとに書いてある。まずは第一章のように、項目の言葉をつなげてみた。
「大金持ちの投資家以外は、何かに集中しなければならない。それもまだ脚光を浴びてない将来性のあるものを探し出すこと。
ただし焦っての駆け込み投資はさけること。独り自分の確信を持てたものを長期的に保持し、儲けることである。 
ヘッジファンドは、投資先をブロイラーとしてしかみない。 太らせて目先利潤を得ればよい。
アナリストの予測は、ホボ当たらないもの、自分の目で調べ探し出すこと。」
 目次に感想を入れてみた。    ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫
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2007年06月15日(金)
2264, 閑話小題          (*´・ω・)ノはよー
 * ー都銀の地方攻勢が始まったー
 都銀が数年前から地方に本格的攻勢をかけてきて、その玉突き現象が地銀以下の銀行に起きている。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 ーまた、中学校の同級会ー
 * 一昨日、長岡のホテルのビア・ガーデンで中学校の同期の面々の同期会に出席した。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 * ーサプリメント依存症ー
 ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
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2006年06月15日(木)
1899, 結婚の三条件ー2         ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
反対に結婚してはいけない三高条件と三低条件を体験から考えてみる。
こういう場合は、ごく身近な人のマイナス面を観察すればよい。 ドキッ! 私の主観が入りすぎているが?
 ーまずは三高とは?
・高コスト   ー金のかかる女 (稼いでくれれば、まだよいが)
・高プライド  ープライドのみ高い女(中味の薄さを、身近の人の批判でカバーしようとする)
・高依存症の人 ー常に判断を相手に求め結果のマイナスを攻撃する人(高コストと重なるが、高ブランド依存症である)
 早くいうと教養のない人?
 ー三低とは?
・低い品性       ?親の躾と生活情報が入っているかどうか・・
・低い夢しか持てない人 ?現実に溺れすぎている人
・低い趣味       ?本当に好きなことを求めてきたか・・    
  さらに低い知能もあるが・・・
誰も?大部分が当てはまるから、これ以上書くと問題になるか?いや、それよりも自分の姿が重なる?
人生は、選択した職業と、連れ添いと、ライフワークとしての趣味の質量、で決まってくる。
職業は生活の為とか、工夫によって何とか適応できるが、結婚だけは10年20年経ってみないと、分からない。
だから、せめて前提条件を見定める必要がある。両親をみれば半分は分かるが、あとは神のみぞ知るである。
神は一番相性の悪い相手を与えて、人生のレッスンをさせるらしい!毎日、よいレッスンをさせて頂いてます。


4839,「事業人生を決心して45年」の語り直しー14

2014年06月14日(土)

    * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!
  ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から
《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より
 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な体験をした。死の数日後に妙な夢で、
私自身が父の気持になり“死にたくない、もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の
妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからないはず。
更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。その時は、父のベットで寝ていたが、
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。
その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょり。
まだまだ不思議な事が多くあった… あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》
 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立は、父と姉夫婦に根があった。父親は、典型的明治生まれの、
質素倹約が基本にあるが、派手で湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては
義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時に私を二度、仕入れに同行させていた。
将来のための実学のため。それと、子供時代より実家の転業と、商売の現場を体感していた。これが急遽、本店を任され、
何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起して私に成り代わったようでもあった。
 まず産地を歩き、情報を集めること!が、コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの
過程を見れば、姉夫婦が不安になって当然。
 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、
その上、白紙委任状を送りつけてきた。父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に
するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に姉夫婦への対決を決意する。千葉での
相方(親戚筋)から、気を許して話した本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する
陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の総スカン!露骨の針のムシロの中、怒りの
電話を何度も私にしてきた。 父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 
・・・・・・
4472, 余命半年 ー6
2013年06月14日(金)
   *「余命半年」の前に待ち構える、10年間の介護か寝たきり! 
「もう治療の余地がありません。あとは内科か、ホスピスに行って下さい」という三行半の後、「余命半年」と宣告されるのは。
死刑宣告に匹敵する最も恐ろしい宣告である。 最期はホスピスで5%、自宅10%、それ以外は病院で亡くなるという。
その宣言を受けて恐怖に身を悶えながら死んでいく人が数人に一人というから他人事ではない。 幸運にも、そうでない場合、
「男性が9年、女性が12年間も、病院か、介護を受け亡くなっていく」現実が待っている。 
 80歳過ぎなら分かるが、平均としても70歳過ぎで、半数が介護か寝たきりとは、驚き。それからして余命を告げられ早々、
亡くなるのも一つの道。 女性は男より生死に対して現実的で、未練は少ないという。 死ぬのも大変だが、生き続けるのも大変。
更に大変なのは、「90歳過ぎても心身がシッカリしている方が大変」と、親戚から聞いたことがある。 
 団塊世代が、あと数年で古希(70歳)になるが、大きな社会問題になる。 植物人間になり管につながれ生きているより、
死ぬ権利もあってもよいが、意図的に死なせるのは現在のところ禁じられている。
 ところで「余命半年」と宣言された時、冷静でいられるだろうか。直ぐに実感として受け入れられなくとも、少し経てば、
その恐怖に愕然とするはず。 家内とは互いに余命を知らせないと前もって約束をしているが、直ぐに直感で知ることになる。
 哲学的に考えれば、自分の死は存在しない。 とはいえ、心身とも日々、弱っていくのは実感すれば、夜半に独り、死の恐怖に
震え慄くことになる。 全ての人は死ぬが、交通事故やガンや脳溢血はキッカケで、死因は生まれてきたこと。
それでは自分にとっての仮定で、余命何年が良いのだろうか? 半年では末期で、心身とも余裕が無くなるというから、
一年が現実的目安となる。還暦過ぎれば、老後の心配などすることはない。さほど先が無いのだから。
 厳しい近未来を見つめ、その上で楽観的、積極的に一日一日を楽しむしかない。自分の身は自分で守るしかないが・・・

・・・・・・
4098、私は完全な本 "日本の自殺 'ー4を作った
2012年6月14日(木)
     * ローマ帝国衰亡との類似
  予言の書で、日本とローマ帝国衰退と類似点として、エゴの氾濫と悪平等主義の流行を上げている。極端に現れ出ているのが
 日本で、これは世界中の各国の共通問題でもある。その中で、情報化による情報の氾濫。情報は平準を求めるもの。
 ローマ帝国のサーカスは現代ではTVになる。それと都市、とくに首都圏への集中化も同じである。
≪ 諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの
 社会的崩壊によって破滅するという基本的命題。 過去のほとんどすべての没落した文明は、外敵の侵入、征服、支配などの前に
 自分自身の行為によって挫折してしまっていた。ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての
 ”自殺” だったのである。 いかにローマは滅亡したのかについては以下の5つの理由を挙げている。
・第一に、巨大な富を集中し繁栄を謳歌したローマ市民は、次第にその欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れる
 ようになり、節度を失って放縦と堕落への衰弱の道を歩み始めた。それはまさに繁栄の代償、豊かさの代償とでも呼ぶべきものであった。
・第二に、ローマ帝国各地から繁栄を求めて流入する人口によってローマ市の人口は適正規模を越えて膨張に膨張を続け、
 遂にあの強固な結束をもつ小さくまとまった市民団のコミュニティを崩壊させてしまった。
・第三に、これらローマ市民の一部は一世紀以上にわたるポエニ戦争その他の理由で土地を失い経済的に没落し、事実上無産者と化して、
 市民権の名において救済と保障を、つまり「シビル・ミニマム」を要求するようになった。よく知られる「パンとサーカス」の要求。
 無料の「パン」が保障されると、退屈しのぎのためにマス・レジャー対策が必要となる。ここに「サーカス」が登場することになる。
・第四に、市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けるとき、経済はインフレからスタグフレーションへと進んで
 いくほかはない。過去の諸文明が、その挫折と解体の過程でいずれもインフレに悩まされているのは誠に興味深い歴史的事実である。
・第五に、文明の没落過程では必ずといってよいほどエゴの氾濫と悪平等主義の流行が起こる。こうして民主主義はその活力を失って、
 一方で放縦に走り、無秩序と解体をもたらし、他方で悪平等主義に走って画一化と全体主義の泥沼のなかに腐敗していく。” ≫
 ▼ 現代の戦争は経済戦争になる。ソ連・東欧は経済戦争でアメリカと西欧に負け、勝者の欧米も、その奢りで自壊しつつある。
  「日本の自殺」が書かれた時は、既に崩壊に入っていたのである。それを冷静に歴史の中で予知し、予言として警告していたのだ。
  その結果が現時点である。市民権の名において救済と保証を第一優先にしている日本とギリシャ、救いようがないというしかない。
 ・・・・・・・・
3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月14日(火)
  * ジャンプのために 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》『議論に負けない法』スペンス著
 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。どうすれば手を離すことができるだろうか。
その経験は、近所のプールの高さ四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に立って下を見下ろすと、
胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなくくるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな声は、
飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。
頭からではなく心から話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」
 私は若い弁護士たちに、まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことによって「魔術的な議論」に飛び込むことを、実際に
体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうするあいだに
身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 
激しい恐怖が襲ってきた。 私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖について話した。
 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人の
ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していたからこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。
だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に
飛び込みの選手だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖いと思うことをやってみなさい」と私は提案した。
次に彼に会った時、彼はこの経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 パラシュートを開くのをこらえながら、
地上数百メートルまで落下していく時の気分は最高だったと彼は言った。 】
▼ ニュージーランドで、南アフリカのザンベジ川の鉄橋で、43M、100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。
 あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、
冷静でいられる。 もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに似ていた。
<事業を立ち上げるとは自由を得ることであった。その事業は失われても、その自由を充分味わった後味は、身体と心に染み付いている。>
  ・・・・・・・
3367, 大不況で世界はこう変わる!  −2
 2010年06月14日(月)
 * ネットワーク型資本主義
 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現をしている。
アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。私の最近の買い物の半分はネット購入である。 
アマゾンン、価格ドットコム、楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。
ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、
ネットワーク型資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴である大量生産・大量販売の時代から、
ネットワークによるモノの交換の時代になっていくのである。 ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に
逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をし、
ネット販売している。ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの不ぞろいな野菜を扱う等、
オイシイということを基準に価格を三割程度低くして販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする
スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット文明を壊していくポテンシャルを持っている。 
スーパーマーケットは、その効率と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は
新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという試みだということができるのでしょう。 
家内が最近、米を近くのスーパーや米穀店からネットの米屋に注文をかえた。 この方が価値があると判断したからである。 
そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、この傾向が更に強くなるだろう。 
 情報化が世界を根底から変えようとしている。その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。
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2992,転機を迎えた受験ビジネス
2009年06月14日(日)
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。
中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人。
私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を示すことになった。 
(字数制限のためカット2012年6月14日)
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2628, 日本経済、どん底への転落
 2008年06月14日(土)
 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが読んでみたいとおもっていた。
それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、
黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。
 (目次)   (字数制限のためカット2010年6月14日)
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2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは     ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、多く部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。過去は打ち消すことが出来ない。
過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、それまでの生き方が問われる。
その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 準備。
この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。  50歳代か?!  面白かった!   ヾ(´Д`、)マタネ


4838,Quirt <内向型人間の時代> ー5

2014年06月13日(金)

                <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * ソフトパワー
 国にも、個人にも、内向型、外交型がある。さしずめ、江戸時代は内向型国家の典型。そのため、鎖国の時代は、
江戸文化という円熟した時代でもあった。そこに外交型国家・米国の到来で大きは節目を迎え、近代国家へと歩み始める。
アメリカのカレッジで、白人系と東洋系の学生の差異に、そのまま見てとれる、と。東洋系の持っている内なるパワーを
「ソフトパワー」と、捉えている。  ーそこで、「ソフトパワー」をネットで検索するとー
《 ソフト・パワーとは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、
政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力。
対義語はハード・パワー。 ・・・ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる対外政策の重要性を説く上でブッシュ
政権や、その中枢を占めたネオコンという勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の
伴うハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワーを活かすことの重要性を唱えた。 
 ・・ナイは、ソフト・パワーを構成する要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な
例として文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽などの大衆文化が挙げられる。
ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策を
とれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが
生まれにくいとする。・・・ 》
  ーこの著書のソフトパワーの説明箇所から抜粋ー
《「ソフトパワー」、教授はそれを「火ではなく水によるリーダシップ」と呼んだ・・ 
「アジア文化では、自分が欲しいものを得るために、しばしば微妙な方法を使います。それはつねに攻撃的とは
かぎらないが、けっしてぶれない巧みな方法です。 最終的には、それによって多くを達成します。アグレッシップ
パワーは相手を打ちのめすけれど、ソフトパワーは相手を納得させて味方にしまいます」・・ ソフトパワーの実例とは
どんなものかと尋ねると、彼は目を輝かせて、アイデアと心をパネにしている人々のことを話しだした。たとえば、
各種の雇用者団体のまとめ役をしている人々―彼らを達成するために、力学ではなく信念によって人々を結集してきた。
また、飲酒運転根絶をめさす母親の会は、カリスマ性ではなく思いやりのパワーで世の中を変えようとする人々の集まりー 
そうした人々は自分のメッセージを伝えるのに十分なコミニケーションスキルを備えているが、本当の強さは
メッセージの内容にある。 》
 ▼ この図式は、都会と、地方の関係と同じ。しかし、アメリカを例にとれば、そのソフトパワーは、ハードパワーと
  同じぐらいに、充実していることは、インターネット先進国ということからも垣間見ることが出来る。現役の時代は、
 パワーソフトの占める割合が高く、御隠居は、ソフトパワーに比重が移動する。そのソフトは、長年の蓄積が必要。
 そのためにはハードパワーも必要である。私のソフトパワーの蓄積は、数十年続けてきた、一日2〜5時間の読書。
 最近は、読書からネットとパソコンに比重が移動しているが・・ この二年間、スポーツジムのヨガに週二回、
 参加しているが、これは、ソフトパワーそのもの。
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4471, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー6
2013年06月13日(木)                      
                     『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
   * 3日目 身体の前後両面と、手指を開く ー?
A・ 胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位 ーP66  
 基本体位= 金剛座(足を重ねない正座)をして、尻を浮かすようにつま先だって、脚の前で手の平をつく(四つんばい)。
1、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」を入れながら、「天のプラーナ気」を引き入れ、天井を見上げるように
 顎を上げ、舌を巻き上げて胸を開き、背骨を反らして腰を入れる。
2、手の位置を動かさないで、肘を伸ばして息を出しながら、両膝を合わせたまま、かかとを床につけるようにして背中を開き、
 「大地のアパーナ」を引き上げるようにして、背中を充分に開く。
3、緩めて、少し息を入れながら、基本体位に戻す。そこで、「軽く一息」。
4、もう一度、1〜2を繰り返す。そして軽い一息を入れながら、膝裏を伸ばして、手に体重をかけるようにして、
  尻を持ち上げてつま先で立ち上がる。膝裏は充分に伸ばす。
5、息を出しきりながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、眉間を見上げるようにして顎を上げる。
 「軽く一息」入れていったん緩め、さらに出息とともに、かかとに体重をかけて「膝裏→腰→胸→顎」の順で背骨を反らせ、
 「大地のアパーナ気」を引き上げる。
6、「軽く一息」入れて緩めたら、ゆっくりと息を出しながら、膝をつき、[基本体位]に戻す。
  最後に、「軽く一息」→「静かな一息」→f各自の呼吸」で、息を調えて金剛座に戻す。
 ▼ 犬猫が時々行う、横から見たら腰を頂点とした三角形の姿勢。前者は、座ったまま、後者は、後ろ脚を立てた姿。
  これもSJのヨガ教室で、必ず毎回、行っているポーズ。 
B・ 手の指を開く体位 ー P72
 [基本体位] 金剛座(P・69)になり・親指と人差し指をつけて手印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と水平に、
 手のひらを上向きにする。  ★立位でも、椅子に座った姿勢でもかまわない。
1,「静かな一息」→「軽く一息」の後、「深く一息」で息を満たしながら、手指が反るくらい充分に開き(パアの状態)、
 息を止めて少し保つ。ここで、肩に力が入らないよう注意。
2,ゆっくり息を出しながら[基本体位]に戻って「息」したら、もう1回??を行う。
3,さらに、?を行った後手指を開いたまま、息を止めて少し静止。息を止めたまま、ゆっくり親指から順に小指まで一本ずつ、
 指のつけ根から手前側に引き寄せるように折り込んでいく。このとき、指の緊張を緩めないように注意。最後に、親指を握り
 込むように「グー」でしっかり握る。★指を折り込むとき、開いているほうの指の関節が綾まないように、伸ばした状慧を保つ。
4,さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で開いていく。
 最後にしっかり開ききり、ゆっくり息を出しながら[基本体位]の手印に戻って「軽く・一息」。
5,再度、?、?、?を行う。計2回。
  [ポイント] どの姿勢の場合でも、背筋をピンと伸ばして行ってください。
 自分で開いたと思った状態から、さらにあと少し努力して・表面が「ジーン」と感じるくらい開きます。
 手のひらのみの実修と思わず、腕、肩、首、胸など上半身全体にかかわるものと思って、呼吸とともに全身的に行う。
 ▼ スローヨガでは、片方の手を上向きに開いて、もう一方の手で深呼吸をしながら反り返す。
・・・・・・・
4097, 予言の書「日本の自殺」 ー3
2012年06月13日(水)
  * 日本没落の予感 
【 ”小松左京氏の小説「日本沈没」では地殻変動で陸地の殆どが海面下に沈降するとう設定で、地質学的レベルでの日本沈没について
 扱っているが、日本沈没の可能性については、単に地質学的レベルだけではなく、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも
 存在しているのではないか、という思いに駆られ、現代日本社会のなかに観察される没落の諸徴候群と思われるものを、諸文明の没落、
 とりわけギリシア・ローマの没落の研究と比較しつつ検討を加えるという手間のかかる作業を進めたであった。” ・・・
 ”例えば、プラトンによれば、ギリシアの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた
 野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていったというのである。”
 現在のギリシア危機をみると、まさにプラトンが生きていた時代と同じ状況にある。これって歴史は繰りかえすということなのか。
 こうした歴史的資料の断片を通じて、ギリシア・ローマの没落過程に足を踏み入れていけばいくほど、われわれは日本の政治的、
 経済的、 社会的、文化的没落の危機の大きさをいまさらのように痛感させられるのであった。】
▼ 現在の日本は、37年前の予言のとおり沈没一歩手前にある。プラトンが当時のギリシャを批判した≪没落の原因は、欲望の肥大化と
 悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて
 社会秩序を崩壊させていった≫が、現在の日本そのもの。2千数百年前のギリシャと何ら変わらない姿が、日本だけでなく、
 欧米の現在の惨状である。この世界の激動期に日本没落の予感がするのは当然で、転げ落ちる速度は時間とともに加速する。
・・・・・・
3731, 温泉旅館の苦悩
2011年06月13日(月)
 先週末の金曜日にTVで「ある旅館経営者の苦闘〜」を放送していた。 妙高・赤倉温泉の旅館の苦闘が、その内容。
  ーまずNHKのHPの番組説明からー
≪ 東日本大震災から3ヶ月。自粛ムードが広がる中、観光産業が大きな打撃を受けている。
 県内有数の観光地・赤倉温泉も4月の宿泊客が例年に比べ大幅に減少した。旅館を経営する荻野光貴さんは、かつてない経営難に直面。
 悩んだ末、給料をカットしたところ会社を辞める従業員が続出する事態に陥った。 観光客を呼び戻そうと、首都圏での売り込みや
 仲間の経営者と新たな旅行プラン作りに動き出した荻野さん。 その苦闘の日々を見つめる。≫
■ 地方の駅前ホテルは、この10年間で大きく宿泊が減った上に、東北大震災である。 私のケースもシュミレーションの結果、
 成り立たないと判断、そうそう事業をたたんだ。 そのプロセスで、リゾート・ホテル、旅館の惨状が聞こえてきた。
 温泉地の宿泊は、ほぼゼロで人影も疎ら。この冬の大雪で東北・北陸地区は最悪。やっと春になり、取り戻そうとしていた矢先のこれ。
  赤倉の38歳の店主の苦悩の姿が痛いたしい。 長期衰退の上に、売り上げが前年の5分の1以下で、温泉街に人影は殆ど見かけられない。
 それは本州の何処のリゾート地でも同じ事態。このホテルでも何人か辞めていった。更に残った人たちの給与は半額にし何とか凌いでいる。
 色いろの対策のイベントを考え出していたが、「山火事に一杯のバケツの水の対策レベル」としか思えない。 現在も放射能が大気に
 拡散を続けており、それが雨などの循環で大地に水が沁みこんでいる。 この事態で、温泉など恐ろしくて・・・。
 一年か二年の急場として乗り切れば何とかという事態ではないため、深刻である。これは、全国の居酒屋でも同じである。
 何とか、凌いできた駅前の居酒屋も壊滅的な事態である。自分の身に先駆けて起こったことが、これから全国で起き始めている。
 当方は、日本経済の3〜6ヶ月早く敏感に数字として出る。それからして、今月から来月にかけ経済恐慌として、事象として表れる。
  温泉など、浸かってはいられないのは当然である。  私に起きていた10年近くの事象と苦悩をダイジェストで見ているようであった。
・・・・・・・
3366, 大不況で世界はこう変わる!  −1
 2010年06月13日(日)
 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。全く“新しい経済”が始まる」
と著者はいう。 製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、
日本に不可欠な経済政策等を提言する。 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を
起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 
米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 
それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。戦後からアメリカを追い続けたのが
日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から「ネットワーク型資本主義」へ変える
役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。
そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。環境問題と農林水産業が、オバマのグリーン・ニューディールもあり注目される。
世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへ
パラダイムシフトしていくことになる。 ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。
その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 
必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、
道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。
この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。
その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや
ユーストリームである。 情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。 「情報化で世界はこう変わる」である。
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2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
          スナック・ママ の写真集『スナック』 山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、
男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は
石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。
近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の
上半身のカラー写真が味がある。スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を撮っておけば
良かったと、この写真集をみて後悔している。ほぼ全てが忘却の彼方。この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、
気取りがないところが良い。何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと
品定めをして、愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!             
・・・・・・・・・
2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
2008年06月13日(金)
 第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
≪ 真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。
これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローンで
住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。
骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。その中で日本の生きる道は
技術大国として、その特徴を活かすしかない。NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを
発足させ維持に懸命。しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。≫
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)


4837,「事業人生を決心して45年」の語り直しー13

2014年06月12日(木)

   * センチュリー・ベーカリー
 千城台ビルの一角でオープンさせた養老乃滝1122号店も、色いろあって一年も経つと落ち着いてきた。
しかし、石油ショックの影響でテナントは一軒も埋まらない。それなら、再び、自ら新たな店のオープンと、
何が新しい商売がないかと探しあてたのが、焼きたてのベーカリー。 日経新聞の記事に『東レ系の商社・蝶理が
冷凍生地を主にした焼きたてのベーカリーのフランチャイズを本格展開』とあった。名前はセンチュリー・ベーカリー。
再び、怖いもの知らずで、何とかやれる!と、取り込むことにした。早朝、4時に起床。一時間以上先の東十条店に
数ヶ月、研修をした後に、開店になった。居酒屋、ベーカリーなど業種は違っても、立ち上げ手順は同じ。
それでも二年前時での、ビルの立上げが重なってないだけ、居酒屋のオープンより、遥かに楽だったが、しかし、
開店前後のパニックは、同じ。 店一軒の立上げは、全身全霊で、持っている全精力を叩きつけるしかない。
産みの七転八倒の苦しみは何ごとも同じ?その都度、地獄。今度は居酒屋と違って、家内がバックアップをしてくれ、
本部の担当と同郷もあって呼吸が合って、何とか乗越えた。とはいえ、冷凍生地のパンだけでは、店内の商品構成が
成り立たないため、粉からミキサーで練り上げ、発酵させ、焼き上げる。パン職人が一ヶ月ほど泊まり込みで手伝いに
きていてくれたが、早朝4時前に起床、パンの仕込みを開始! 全てを自分一人がする重労働である。しかし焼鳥屋の
開店からみれば、楽。 まず、店を賑わさなければならないため、牛乳の1・8Lパックを、原価の10円安の売価で、
売りに出し、表立っては繁盛店だが、その実情は、採算すれすれ。それを知らない姉夫婦が、それを見て、焦った
ことを見てとった。そして、実兄に対する既存社員と組んだ嫌がらせがピークに達し、実兄とトラブルが起きていた。
兄からは怒りの電話が連日続くが、二店の運営で手一杯。それをチャンスと見ていたのは分かっていた。その話合いに、
早朝の3時に起床をし、仕込みと焼き上げを終えて、開店を家内に頼み、帰省をしていた。ノンビリしている家内でさえ、
「姉夫婦は基本がなってない!」という始末。(当の本人が一番なってない?) 私の視点も、真逆の環境の6年間を
過ごしてきたため、呆れ返って『何を姑息なことを、やってるんだ!』である。しかし、二人の周到に計算された
手順の御家騒動の序曲。 
 その極限の状況の中で、思いもよらない底知れぬ力、得体の知れない力が、己を支配し勝手に動き出していた。
極限を超えると、そこに原始的、動物的な、得体の知れない力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力より、戦場の馬鹿力? 
これは極限では出てこない! 極限を遥かに超えた場面でしか、この力は出ない。そのためには断崖に立つしかない。
それも捨て身で。 小心な私など、その上に、怒り主体の喜怒哀楽をエネルギー源にした狂人に徹するしかなかった!
 この辺りから、創業の感覚が身に付いてきた。 事業は常時戦場で、闘い続けること。一日を、48時間のつもりで、
働き詰めなければならないこと。 それが出来ないなら、その下で、働くしかない。 しかし、時間の経過とともに、
何時の間に忘れるのが、人間の常。何時の間に、あの茹で蛙に自分?が・・ 
・・・・・・
4470, 最悪の結果に隠された、お宝は?
2013年06月12日(水)
   * この結果に意味があるとすると、それは何?
 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、
 問いかけとして残っている。これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手に切り抜けるより、
早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、
崩壊があった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入で、世界を二分していた垣根が無くなった。
更に欧州の経済統合による大混乱と、アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 
 さて、私にとっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう? の問いかけ。
《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、死に支度をすべし! そして、森の生活で、
切り捨て目を背けてきたことに対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと世界の
広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。
 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず日常生活ができる年齢)が70歳。
死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要になる。80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など
誰かの世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来るのも、そう長くない」ことになる。
 9年間の不自由な介護状態なら長生きも考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。
60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、甘くない近い将来が待っているのが現実である。
そこで、「一日一日を、面白おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少しでも広げることだ。
もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。
 前期高齢者に入った65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れて、世界を見直す時節だった。
「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そうとしても、前向きに倒れた方が良い。
知ること、行動すること、愛することを、死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。 人生には多くの意味があって面白い!
・・・・・・
4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った
2012年6月12日(火)
  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。
情報化社会の到来が、この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層の真只中にある。
中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。  ー この本の冒頭から惹きつけられる。
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼることはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、
 ミノス、シュメル、マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、ユカタン、エジプト、ヒンズー、
イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものはやがて没落し、
消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残っている文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、
の七つの「種」と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であるとトインビーは分類している。
過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体の原因や
その一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えてくれるものなのであろうか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の
進路選択、日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の
共同研究に着手したのであった。】
 ▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。
  シナが極東社会の本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の卑小さを確認することで、
  砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
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3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー   〜�
2011年06月12日(日)
  * 人生を自由に生きるためには?       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 【 「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな生きものをジャンプさせられるか」である。
 もちろん、カエルには栄養分が与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。群集の前に立った時、
あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、
ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。 カエルを自由にさせるというのは、私たちが人生を生きることのたとえである。
ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去という不健全な場所にしがみついていた。 
自分を解き放すことができなかったのだ。 計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、
そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつくしかなかった。
 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百メートルも下の谷底を
見下ろした。そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り出した。結局は手を離さざるを得なかったが。
だが、落ちながら、突然自由になったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、落ちていながら
叫ぶこともできた。 落ちながら、何とも言えない高揚した気分、完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、
経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。  やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】
 ▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。
  人間は、恐怖のイメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。 実際に、今回の3つの震災で、会社が倒産してしまった。  
  どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。
  決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これも、ジャンプか。 「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。
  私の場合、これに似た絶対言明がある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中すること。
  「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除がある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。
  動物は視線に非常に敏感である。考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。
  恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。  にらみ返すことが出来ればだが!
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3365, 「世逃げ」のすすめ
 2010年06月12日(土)
 『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著
 ー概要といえばー
 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差しを捨てられないならば、世間から逃げるしかない。
世逃げとは、どこか別のところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。 禅の洞山の無寒暑を思い浮かべればいい。
目盛りがないのだから測れません。だから、測れない物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。
仏の物差しは、物を測らない物差しなんです。 仏様は苦しみの世と言われました。その苦とは、思い通りにならないことです。 
世逃げとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想でもあります。
このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするなということです。
無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしようとすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた
俗世間を厭い離れることが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、世間の物指しの他に、
神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、ということである。
 ▼ 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したことがあったが・・ ひろさちや、といえば仏教的視線で、
 世間から一歩も二歩も超越しなさいという論だろうと、思っていたが、「『狂い』のすすめ」の続編の内容である。 
学生時代に社会学を専攻、人事管理のゼミ入って、人間の管理という生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」の
ゼミの真っ只中に入った。そこでは哲学的にいえば、現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で理性に昇華する訓練の場。
教授は分かっていたのだろうが、その先は、それぞれ選択した社会分野で目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だった。 
教養とは一枚一枚、束縛された固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 とはいえ自由は甘くはない。 サルトルがいう
「自由という牢獄」での独りの闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。
 狂い、失敗の繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、珍獣として冷笑されている。
しかし、その経験と哲学や宗教を学び続けてなかったら、とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。
 ここで「世間は人間を商品価値で測っている」というが、世間とは、そういうもの。少し考えてみれば商品価値だけが人間の価値でない。
女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや職業がすべてではない。
それとは別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!ということ。結局それは、社会的なものとは
無関係な自分の好きな世界を構築しておくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。 しかし、それでは自分は商品価値で人を
判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。
振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、それにともない、無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。 
いや、その数倍も逆のがいるか? あれ等をみると!その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。
商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が? 良いとでも言うのか?
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2990、1ドルを競りにかけると
2009年06月12日(金)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記
* 一ドル競りゲームから見えてくること
 ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、そのゲームの中に、深い示唆が含まれている。 
もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、1人に50セントまで値段がつくまで買いにまわってもらえばなお良い。このゲームでは、
最後に競り負けた人が、その金額を払わなければならないルールを前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして
30セントと。そして50セントで、頼んでいた人は降りてもらってよい。競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから元は取れる。 
しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、どんどん競りあがっていく。
3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 
少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 
事業や商売でも、株でも同じである。コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、
どこからみても採算が合わない上に、大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、
中断できなくなった。しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。
株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。
株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 
 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。
買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような!
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2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1
2008年06月12日(木)             (。・∀・)ノ゛おっは?   
  「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著     ー読書日記ー   
一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズ
などで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が
「ペーパーマネー」から「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。
2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。
この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。
  ー今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。 次回は、この目次をコピーして、考えてみる。
*この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。ブルの塔」を、
ここまで高めたのは日本にある。長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。 
 (字数の関係でカット11年06月12日)
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2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について    (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
≪ 鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。≫
 (字数の関係でカット12年06月12日)


4836,「事業人生を決心して45年」の語り直しー12

2014年06月11日(水)

   * 閑話小題 ー事業人生を振返って、あらため気づいたことは
 人生を鳥瞰すると、その時々に直面する問題に無心で取組んでいると、違うチャンスが生まれている
のが見て取れる。これは、課題に対する「正中心一点無」の奥底から自然に生まれ出る不思議な因縁。
前向きに正面から中心点に無心で取り組み続けると、自然と機会が生まれてくる。 
過去・現在・未来とも、その正中心一点は、時代のウネリ。 この数年来では、2008年9月15日の
リーマンショックと、2011年3月11日の東北大震災と、津波による福島第二原発事故。 
このリーマンショック対策で、今でも世界主要20ヶ国のトップが一年に一度の会合を開いているが。
実は未解決案件!
 金沢にいた時は、『ドルショック』。千葉の創業時には、『石油ショック』が直撃をした。 
その直後の数年は、その重大さが理解できない。が、数年後に現象として現れ出てくる。 
千葉での石油ショックは、創業初戦の私を直撃をした。あてにしていた道路一本前の空地の
5百室のマンション計画が緊急中止。周囲の空気が一変してしまった。
ビル内のテナントは全く入る気配がなし。軽い気持ちで始めた養老乃瀧のオペレーションは、
手こずるし、本部から手伝いの開店指導員は、店の乗取りをはかってくるし、その上に、お嬢様育ちの
家内は戦力に全くならない。また凶暴化した酔っぱらいの店内での喧嘩や、因縁に対処が出来ない
ため、なすがまま。あたかも西部劇の酒場の場面のようで、一日一日が瀬戸際のドラマである。 
これが創業の苦しみと、つくづく思い知った日々。
〈背中に、重い荷物を担いで、足には鉄の下駄を履いて歩いているよう〉という実感があった。
その時、戦中、終戦の最なか、両親は、この数倍、数十倍の苦労した苦労話と、幼児期の両親の
苦労姿を、改めて思い知る。両親には戦災の中、一家の生活がかかっていた。 そして、父親の死。
これが、自分への父からの贈物と、実感する。今度こそ、頼れるのは、自分と、取り組んだ事業のみと!
 しかし、それも三ヶ月、半年と経つ内に、仕込み、仕入れなど、一日15時間の勤務時間が、12時間、
10時間、8時間と減っていった。そこで、養老の滝を一緒に取り組んだ相方に任せ、自分は焼きたて
のテイクオフのベーカリーに取組む。とにかく、このミニビルを何とか「カタチ」にしなくては! と。
 ー偶然、12年前の同月同日に「創業のすすめ??」をテーマとして書いていたー
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2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??
過去に創業を何回か繰り返してきた。
好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。
しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。
表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく
工程を踏んでいるのだから。
部外者の人は狂っているという。そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。
基本に忠実にゼロから一人で、一日一日孤独の行為の積み重ねである。
その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。
これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・金である。
 それを命を賭けて投資するのである。
なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、
その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。  
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
500�の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
それで実際のところ50�しかうまくいかないだろう。
 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても後悔はしないと。
創業は勉強になる!! それでこの程度!

・・・・・・
4469, 余命半年 −5
2013年06月11日(火)
                 「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
   * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五
「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。その辺りが大きな目安になる。
去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。
成るほど後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まってくるようだ。ーその辺りからー
≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命過程の事を知った。
 生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期があるという。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。
なるほどと思った。確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。 
ほ乳類の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五であるらしい。
最大寿命と言うのは、限界の寿命である。人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。
しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前になっている。図をみると、実際にヒトだけが逸脱して
限界を超えてしまった。人類がなぜ後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 
それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは、「人生五十年」の世界であった。
しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。
もちろん栄養状態の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねるごとに良くなっていることは、
清潔で栄養に満ちた生活が提供されている一つの証明でもあると考えられる。≫
 ▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前までは、人間と変わらなかった。 
  病気を治す術を得た分、長生きが出来るようになった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、
  摂生してきた人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが大きな関門だろう。
   ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に
  男性70・4歳(10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が初めて算出し、発表した。
  大体10年間が、介護か寝たきりなる。 あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。
  そうすると、まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。10年間の介護を考えると、
  末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい!
  介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか?
  自分を考えると3〜4年先に倒れ、その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? ものは考えよう。
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4095、古代の皇帝の最後は
2012年6月11日(月)
 先月、ローマ人が現代日本にタイムスリップし2000年の時空を行ったり来たりする「テルマエ・ロマエ」という映画をみてきた。
当時のローマ皇帝は体制を維持するため、何処の街にも劇場とローマ風呂をつくり住民を懐柔する政策をとっていた。 
そこで歴代のローマ皇帝の最期が如何なるものかを調べてみたところ、その最期は壮絶なものが多い。 ーネット調べてみると
≪ 初代オクタヴィアヌス・アウグスツ帝(BC27)から、最後のアウグスツス(AC476年)まで、503年間に、皇帝は81を数えた
 (名前だけの神聖ローマ帝国は、1806年までも続いていたが、ここでは省く)81人という数も見方によって違いが出る。 
 時どき、数人併立したりしたからである。とりあえず81人として、 平均在位年数は六年四ヵ月、あまり長くはない。
 奇妙な偶然だが、古代ローマの継承者を次々と自ら任じた歴代ローマ教皇の平均在位年数が、やはり六年四カ月になる。 
  その諸帝の最期は、暗殺、毒殺、強制された自殺、反対派に捕まって処刑などが34、戦死9、事故死1、計44人が非業の死。
 死因すらもはっきりしないのが17帝で、ローマ式ベッドの上で死ねたのはわずかに20帝、四人に一人でしかない。
 平均の六年四カ月以上在位できた皇帝は22人、これも四人に一人にすぎないが、その中に、強制自殺させられたネロや、
 親衛隊に殺されたコモドゥスなど非業死を合んでいる。残る12帝も暗殺未遂などあったはず。≫ とあった。
▼ これだけ絶大で安定していた古代ローマ帝国のトップの地位は、逆に非常に不安定であった。そこから人間的な権力闘争が
 垣間見るることが出来る。人間の権力欲と闘争本能は決して変わることがない人間の業。 未来永劫、この業による争いは
 変わらず続くのだろう。人類は歴史から何も学ばないのである。日本の首相は仕組みからみて一年間袋叩きでズタズタにする。
 実はズタズタは国そのものであるのに、鬱憤をトップ攻撃に向ける。目先の安易を求め、国が破綻しようが構わないギリシャと同じ。
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3729, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月11日(土)
                『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【  * 常に主導権を確保せよ −そのためにー
 「スペンスさん、あなたは私たち陪審員を信用していなかったんですか」「もちろん、信用していました。どうしてですか」。
 私はあわてて答えた。「あたは大変苦労して、私たちが人格の優劣によって、この評決を下すのではないかと、心配している」
とばかり話していたからです。私たちは事実に基づいて評決を下したんです。どちらが魅力ある弁護士か、で決めたのではありません」
 突然、私は「自分」に魅力がないことを証明してしまったのだと気づいた。手遅れだった。私は自分の言い分の正当性を陪審員に
主張するよりも、相手の弁護士を非難することに時間を使ってしまったのだ。 私が相手にあまりに多くの力を与えたために、
彼の主張は私自身の主張よりも正しいことになってしまったのだ。私は自分の敵が誰なのか、まったくわかっていなかった。
 私は自分が作り出した絶対に勝ち目のない巨人に立ち向かっていたのだ。私は自滅したのである。私はこの巨人に、私を打ち負かすのに
十分な力をそっくり与えてしまったのだ。 あのころは、今私がここで教えたいと思っていることをまだ学んでいなかった。
それは学ぶのも覚えるのも大変な勉強だ。私たちはしばしば、自分が得意としていない分野を得意とする相手に出会う。
ほとんどの相手は自分より聡明で、博識で、頭の回転が速く、外見もいい。相手のカを心配することに時間とエネルギー、
全ての力を浪費し、相手に自分の力を与えてしまう。 どんな議論をどんなにうまくやってのけても、相手を変えることはできない。
自分の力で変えることができるのは、自分自身だけだ。 それ以来、相手に自分の力をこれっぽっちも渡すまいと私は思っている。
私は自分の力を自分の手元にしっかりと置いておく。そして自分の主張の準備をするため、自分の主張に気を配るため、
そして自分の依頼人の心配をするために使う。 私は自分に話しかけてくる、かすかな声に耳を傾けることを覚えた。
「大丈夫。君なら十分できる。もし自分自身を見つけ、ありのままの自分でいることに力を使えば、もしできるだけ誠実に
自分自身を表現すれば、もし子供らしさの最後のかけらが残っているところ、つまり何の邪心もない心の奥底から話をすれば、
そこからすべての本当の力が生まれてくる。それで十分だ」。 】
 ▼ 相手に気を奪われ、自分の内なる知恵に耳を傾けなかった大失敗を通して、主導権を取るとは如何いうことか学んだのである。
  相手に気を取られ、それが自滅を誘ったのである。それより準備をし、自分の内なる声に従って対峙して主導権を取る方が近道。
  その辺のことが分からないから自滅をすることになる。ようするに自分のペースで議論を運ぶこと。そのためにシナリオつくりの準備を
  充分にすることである。これは議論だけでない、人生も同じ。人生のシナリオと、その準備を数十年かけ作ること。シナリオが狂った?
 ・・・・・・・
3364, 人みな骨になるならば ー14
 2010年06月11日(金)
 * どうということはない地位と財産  P-126
≪ 財産や地位などというものは、「あるに越したことはない」のである。
ただし、「あるからといって、あるいは、ないからといってどうということはない」という点を忘れるのは問題である。
現実に財産や社会的地位のあるものの殆んどは、「あるからといってどうということはない」点に気づきにくい。
また恵まれない者ほど、「あるからといってどうということがない」と信じたがりすぎる。
もし「あるからといってどうということはない」のなら「ないからといってもどうということはない」のだ。古来の聖賢たちが、
財産や地位を警戒してきたのは、ひとつには、いったん得てしまうと今度はそれを失わないために汲々としてしまいがちなこと、
あるいはさらなる欲望にとらわれがちなるとによる。なぜ、これらが警戒しなければならないことかというと、それによって
人生が空費されてしまうからである。財や名声を追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。
 ・・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持っていけるものではない」からである。
一生かかっても使い切れない資産というのは食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても人類の歴史そのものが
永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち四散する。世界の帝王になったとしても跡目は誰かに譲るか簒奪される。≫
▼ 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば三百年前に死んだと同じこと」とハッキリと自覚すれば、
 何も目先のことに気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事なことに気づく時は、死を自覚した時など
 切羽詰らないと、なかなか無い。ここで、著者が最後に指摘しているように、「好きなことをして自然に転がり込んでくるような
 名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがるべきではない。百億の資産、大臣の椅子といったところで、
 所詮はサルが食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での順位を目一杯あげただけだ」ということ。 
 われわれにはもっと他に大事なことがあるはずだが。 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・・
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2989,歩く木
2009年06月11日(木)
 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、根をタコ足のように伸ばして年に
10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐ってくのだそうだ。
50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 
(字数制限のためカット 2012年6月11日)
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2008年06月11日(水)
『いのち楽しみ給え』吉川英明編  (講談社)
  ーまずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる
 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。
*西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。
   評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か? 詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) 
*今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。必然こうなるものだと決定された人生などが
 あろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
   評)必然と偶然、哲学の話になる。               (『宮本武蔵』火の蓋)
*一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、
 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、
 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。    「新誉太閤記」
*生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。         (『「本太平記」みなかみ帖)
   評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。
*どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖)
*「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
 どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、
 推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」(麻鳥)  (「新・平家物語』静の巻)
*人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。 驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。
 人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(「三国志」 望蜀の巻)
   評)人を恨めば穴二つ、ということか。
*はたらいた俺にはあるぞ夕涼み 「書簡・詩歌集」     評)はたらかぬ俺にはあるぞ閑の味
  老けて行く春を化粧の瓶の数  「書簡・詩歌集」     評)老けていく春をサプリの空の瓶
  どん底の人に不思議な顔の光沢(つや)「書簡・詩歌集」  評)去年、癌で亡くなった人の顔
 ▼ 評)は無かった方が良かったが、これを書かぬと味気ない。
    後で読み返した時の(いま・ここ)の自分のマーキングである。    ーつづく


4835,「出羽の守」の功罪

2014年06月10日(火)

  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 
 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、
またか〜 何様じゃ御前は。 東京は東京、産地は産地だろうに!と。 高校を卒業し上京した時、注意されたのが、
私の口癖、『いわゆる○○』。 無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。小さな厚い殻の中から、社会や知識を
置換えていた、自身の出羽の守を指摘されたのである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。
  ーまずは、その一つからー
《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する「出羽の守(かみ)」。
 うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともなこともある。その弊害と効用とは。
   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)
「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、実に多様なものを取り入れてきた。
古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。
・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、ときどきの文明を高次化してきたこと。
・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、やがて日本化・独自化したことです。
日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は中国の古典に学んで、宮城が都の中央に
位置する藤原京という壮大な都を築いた。ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の
最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって宮城を都の北端におく平城京の建設開始。
東京スカイツリーを3基も建てた国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、
また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、茶の湯や枯山水がわかりやすい。
いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。
 よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常なエネルギーを発揮しています。
この過程で、帝国主義的な態度や行動も身につけました。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、
そうした行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。
そこには仕方のない面もありましたが、ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。
 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は自分で飛べ」とけしかけられています。
でも、日本は飛んだことのないペンギンのようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、
ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。・・(中略) 
イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって
工夫して工夫して、また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 ペンギンは空は
飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。 (聞き手・尾沢智史) 》
 ▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、「長岡出羽守」の世界。
  実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの
 地区の出羽守には、プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)出羽守八郎」。
 流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追いついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。
 ネットは、デジタルの世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きくなっていく。
・・・・・・
4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6
2013年06月10日(月)
            「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界
 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には驚くようなことばかり。
極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化だけで表現出来るのだろうか。 地球という惑星もしかり。
これらは知的設計者が存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。
そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り出した絶対者の主役でしかない。
我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があっても
不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より遥かに衝撃的である。ーその辺りを抜粋してみるー   
≪ もしかしたら、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない……。 こういった突飛な考え方を、
 頭ごなしに否定してはいけません。科学では、どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれている
からといって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。 ・・・ 「大仮説」と呼ばれる仮説があります。
現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のことです。でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」
であっても、頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見てこれまでの常識がひっくりかえって、
大仮説こそが「白い(正しいと思える)仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった37%。
 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。
直訳すると「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、約6千年前に人類は神によって創られた
という「創造者説」が一般的でした。それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ進化して
いったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)です。
 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」に対する対立仮説なんです。
これは、カリフォルニアサンディエゴ校で1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、
その知的設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、形を変えた創造説といえなくない。
ただし、聖書に書かれているような神様ではなく、あくまで知的設計者という言い方をします。
 さて、この説を高校や大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われているのです。
「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教えるべきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、
対立する仮説としてはたとえば知的設計者説というものがありますよ」というように教えるべきか。 そういう論争なんです。 
日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の
ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎになっているんです。
 ・・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります
それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの科学理論であると思っている人は37%。
たくさんある仮説のうちのひとつにすぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。
残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだでは進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫
 ▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の
 我々の世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラーの神が、それにあたると主張するだろう。
 最後は宗教問題に行き当たる。宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。 知的設計者か!
・・・・・・
4094, 嫌老社会
2012年06月10日(日)
             「嫌老社会 老いを拒絶する時代 」長沼 行太郎 (著)
   * 歴史的一回限りの、新種の階級問題
 10数回にわたり、「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) を取り上げて老いを暗黒面から考えてみた。
昔から老いは嫌われ片隅に追いやられてきた。ところが戦後の中核をなしてきた団塊世代が熟年をむかえ、大量に溢れ出してきた現在、
彼らを軸とした世代内の格差と、他の世代との格差が、大きな問題になってきた。周囲に元気な人が多いため自分たちが老人の意識が
今ひとつ持てないのである。彼ら自身が老いを嫌い、その下の世代からも目の上の瘤として厭われている。それが年金格差であり、
貯金格差などを起因とするから問題は複雑である。それは親子、嫁姑関係にも微妙に関係してくる。
   まずは、内容ーアマゾンから
【 「老い」を嫌悪する時代そのものを問う! 今後、ますます高齢社会を迎える中、「老い」をどのように捉えればいいのか。
 「老い」を拒絶し嫌悪する時代に、歴史的な背景から団塊世代の問題までを多角的な視点から論じ抜く。
 高齢社会・日本において、いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。団塊の世代の問題、老人は過去にどのように処遇されてきたか、
 老化を忌避する社会の今後の展望 …誰もが避けられない「老い」をテーマとして、歴史的な経緯から今後の展望まで多面的に捉えている。】
   ー世代内格差についてー
≪ 一般的に老いは、現役時代の収入・資産状況の結論が出て、それが固定化される現象であるから、老後には、現役時代に拡大した格差は
 固定されたままで、リベンジがきかない。とくに、老後の生活水準では、企業年金を積み、退職金の高い企業に勤めていたひとと、
そうでないひととの間での格差が歴然とする。 ・・・ 団塊世代では蓄えも退職金も世代内格差が大きいという団塊世代を対象とした
アンケート調査もある(『日経新聞』2006年1月8日)。金融資産が500万円未満が34・4%、500万〜1000万未満が19・2%、これでほぼ半数を超える。
退職一時金も、「なし」が25・6%、500万円未満が22・8%で、半数近い。 言うまでもなく、団塊世代の多くのひとが、退職後も生活のために
働かなければならないと答えるのはこの事情があるからだ。つまり、日本社会全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望の持てる階層と希望を
喪失した階層とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで、団塊世代の場合、シニアデバイドは、世代問題、
人口問題、収入階層問題、という3つの次元の交点に現れる、歴史的に一回限りの、新種の階級問題なのである。また、この団塊世代に始まる
世代内格差は、団塊世代のあとにくる世代にも継承拡大されていくことが予想される。≫
 ▼ 団塊世代の「金融資産が500万が三分の一の、過半数が1000万未満。退職金無しが四分の一、500万未満が半数。」という現実も厳しい。
  これで20万そこそこの年金では、ギリギリの生活になる。この年代はバブル期に良い思いをしたため、その段差は大きい。それでも半数は
  一千万以上の金融資産があるし企業年金も入る。そのため現役時代の格差が、そのまま延長される。 国家衰退は、個々人に直撃する。
・・・・・・
3728, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月10日(金)
 * 「必勝の議論」を組み立てる ー 物語にして話しなさい    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【  ● 説得力を増強する議論構築法と表現の魔術
 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合でも、議論は一つの物語に変えることができる。
議論には、そう、三匹の子ぶたの家と同じように、骨組みがある。オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、
吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに建てられたかにかかっている。全ての議論にとって最も強い骨組は「ストーリー」である。
 「さあ、お話をしましょう」 
 ストーリーを話すというのは、大昔からお互いに教え合う大事な手段だった。たとえば焚き火を囲む集まり、一族が皆、焚き火を囲み、
目をまん丸にした子供たちが大人の後ろから覗き込んで一心に耳を傾けている。過ぎた日の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。
人々は物語から何かを学んだ。サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、
そして長老がいかにして嵐を生き抜いたか。 愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語、隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。
人間の知識はすべて太古にはストーリーの形で伝えられてきた。ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけ。 ストーリーを話し、
それを聞くという行為は、人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、
大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。意識の中にも無意識の中にも永遠に植え付けられる。
私たちが楽しむ映画やテレビドラマ、芝居、これらは高度に進化した形のストーリーだ。 一番効果的なテレピコマーシャルは、
三十秒あまりの小さなストーリーだ。 ジョークも小さなストーリーだ。 世に名を残した偉大な教師はストーリーを使って教えた。
キリストの壁え話もストーリーだ。 ・・・工場の工場長が機械が故障したのを知った時、修理しようと集まっている工員たちに
まずする質問は「どういう話になってるんだ〜」 だろう。 警官が私たちの車を止めてボクサーみたいな顔を前の座席に突っ込み、
まずつっけんどんに言う言葉は「さあ、話を聞かせてもらおう」だろう。 】
 ▼ この10年間の随想日記で、一日一話の物語を作っていたことになる。身近な縁者と、未来の自分が読んで納得できるように
  加工することで、自分の情報整理と管理をしてきた。初めの数年は大変だったが、何時の間にか、それが面白くなっていた。
  物語化すると頭に残るのである。後年に再び読んでも新鮮さが失われていない。それにしても、実践から得たこの物語化は面白い!
 ・・・・・・・
3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4
2010年06月10日(木)
  * ロボット・トレーダーとは!
 「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、この本で紹介している。
現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、
取引に使っており、今やニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しようかという勢い。
その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという取引執行形態である。このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の
注文状況を、一〇〇分の三秒ほど早く見ることができる。一方、超高速コンピューターは○.○○〇四秒で、注文を処理することができる。
一〇〇〇分の一秒の間に何百という注文が執行できる。 これで、どういうことが起こるかというと、一足先に一〇〇分の三秒早く
一般投資家の売買動向がわかるので、その状況を的確に判断して儲けにつなげるというわけである。 たとえば、A社の株価は
現在四九四円とすると、この株価の売りと買いの注文状況が出たとする。この場合、成り行きで一万株買ってくれという注文であれば、
通常なら四九四円で買うことができる。場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここにフラッシュオーダーの
機械がセットされていれば、一〇〇分の三秒早くこの成り行き注文を感知することができる。すると一足先回りして、この四九四円の
売りものを買い付け、その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、四九五円に売り注文を出すことができるのです。
(字数の関係でカット2012年6月10日)
・・・・・
2988、「平均」顔は美しい
2009年06月10日(水)
                    「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   読書日記
 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー
 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、それぞれ平均して合成した顔が、
その中の誰よりも美しい顔になったという。考えさせられる結果である。国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。
アメリカで長年にわたって取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。
それと平均顔の方が美しいと同じと考えるのも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。 
秋葉原のワシントン・ホテルで若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、
これを読んでいて、あれは数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。
 ー まず、その部分を書き写してみる ー  P-185
 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の顔は、その「平均的な」顔をつくるのに使った
個々の人びとの顔の誰よりも美しいと判断される、という結論に達した。二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人の
女子学生の顔写真を集めることからはじめた。その後、男女それぞれのグループから無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る
部分集合をつくった(男子の集合が3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。
リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセルに数値を与え、さまざまな写真から
詳細部分の平均を引き出す。二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性を3つ作りあげた。
それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに使ったほかの写真と比較してもらった。
すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと
判断されたのである。なんともうるわしい結果であろうか。しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔より美しいのは、
多数の人の平均的顔には、一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が見えてこないからである」と結論づけている。
集団の「平均的」判断としてまとめられるてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。
▼ 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれているのが良いということ。
バランスか〜、 バランスでしかないのか〜、 服装、化粧は、そのバランスを直すことこと。
人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、ただ、それだけのことなのか? 
クレオパトラは、大した美人ではないが、幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2624, いのち楽しみ給え ー1
2008年06月10日(火)
 図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。長男が吉川英治の本の中から、人生の言葉を選んだもの。
(字数の関係でカット2012年6月10日)


4834,つれづれに ーミニ物語の効用

2014年06月09日(月)

   * ミニ物語の効用
 毎日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に何かの考え事を楽しめるようになった。
人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、
その言葉の羅列を繰返す。一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマは ー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を醒ますと、
そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察すると、やはり当時の部屋。
これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実のような感じもする。とすると、私は、誰かの居住部分に
無断で寝ていることになる。まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、
何時の間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして、夢からさめ、ウトウトした後、覚醒した。
 現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年の、語り直し」を書いているが、過去の折折を
思い出すに、当時の具体的イメージの細部を引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出される
のでは!と思い至った。これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思うだろうが、
目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの『花子とアン』のハナが、
想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面が度々、出てくるが、それを自分でも
身に着ければ、より心が豊かになる。度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナーだが、
22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、実際には、その層には、
受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ
自転車を乗せ、近隣の山や海辺でミニサイクリングが可能なことが決めてになった。 
納車後に、初めて乗ったが、やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに
行って乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラの1・5倍の距離を走るが・・
 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。
その辺の陰口?まで吟味すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、
どちらがきついか」の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活の厳しさ、さてどちらか?
前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、各質問が下ネタなどエゲツナイ。
 −要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、この生活が、あと二年も続くと思った時と、夜半に
 死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかどうかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。
 何か分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
 ▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどではないが、やはり白眼の中、甘くない日々。
  失意平然としているつもりだが、頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリングと
  スポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々とコナスことで、むしろ健康的であるが、
  やはり特異体験である。それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
  ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・・
・・・・・・
4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で田中慎弥の芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、、
トップに取り上げていた論文を見逃してしまった。 最初は最近書かれた内容と思っていた。 その内容が的を得ているので
冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された論文と知り衝撃を受けてしまった。 
今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り上げた主筆が瞠目したという内容。 著者は「共同執筆・グループ1984年」とある。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る
内部崩壊の危機に警鐘をならすものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が1月10日付朝刊の一面で、この論文に注目し、
「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、
 精神的には、ほとんど敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然自失の状態である。
 次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。 「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、
 身に覚えのあることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。欧米が主導してきた文明とは何だったのか。
・・・・・・
3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月09日(木)
             『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備があることは、言うまでもない。
以下の部分は、この本の中の一番の要の部分である。 よく調べ、勉強し、実践し、準備をした上で何事にものぞめ、
準備を遊びになるまで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる
 退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明できればいいのだが・・・。 
 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を生きることである。
  モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、
 彼の呼吸が、彼の音楽だった。 不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした周到な準備の成果だった。
 並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えているふつうの人になりたい。
 準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、
 単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、私は労働をしていない。
 この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
 子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と
 同じように、夢中になり、大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール酋長が言ったように、
 「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
 あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、
 そして勝ちたいのだろうか。暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。 それなら、よく調ぺ、勉強し、実践し、
 準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から
 飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならないことが何かだけではなく、人類の歴史上、
 最も興味深い人物 ーつまり、あなについて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を使うんですかと聞かれる。
 以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで被告側のリーダー的な人から訴えられた。
 私は裁判所からこの計略に加わるよう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席があるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。
 あれは、セントラルキッチンで、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。スーパーより、ある意味で
 合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りがしてあるから強いのである。 人間も同じ。
 ・・・・・・・
3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3
2010年06月09日(水)
  * アメリカの公共事業は、戦争!
 ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまではイラクとアフガンで、これからはイランか北朝鮮か、
それとも中国あたり? 兵器の在庫処分が必要になるからである。軍事産業という公共事業は、常に戦争をしておかないと
世界各国の需要が喚起出来ない。 第二次世界大戦時の日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。
彼等にとって願ったり叶ったり。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。度重なる東京大空襲、広島・長崎の
原子爆弾による殺りく。その大部分が一般人を狙った非道の攻撃である。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦による軍事力の
強化等の需要。その間に、アフガン、イラク戦争、今度ねらうは、北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に満ちている。
まずは北朝鮮で仕掛けてくる可能性が充分にある。これまでは世界はアメリカよりの情報にコントロールされていたが、
情報化で色いろな情報が入手可能になってしまった。 アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺りから、
金融を戦争の武器にすることに気づいた。
 (字数制限のためカット 2012年6月9日)
 ・・・・・・・・
2987,縁は異なもの ー4
 2009年06月09日(火)
 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に
現われずにはおかない」とは、これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、演劇にしても何事にもいえること。
さらに、「精神は認めたが、精神的なものは認めない」とは、グサリと来る言葉である。
  ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。
主観と客観、現実と虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。それを私は「たましい」
と呼んでいる。私は「美」とは無縁と言っていいほどの生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの
真実に触れる体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、白洲さんの作品のなかの「美」への
理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような
印象的な言葉がある。青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。その青山ニ郎について白洲さんは
「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、いわば形の中にある
魂を求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、
もし本当に存在するものならば、それは外側の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 
これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった。 意味も、精神も、すべて形に現われる。
現われなければそんなものは空な言葉に過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。
『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 我われ心理学者はなどといわれる人間は、
「心理的」や「心」そのものを見えなくしているのではないか、と反省させられる。】
 〜〜以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。作家の魂が直に伝わってくるからである。
直近では、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。
絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくるのである。
だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、陶器の鑑定で映像を通しても
本物と偽者は一目で大体わかる。(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で
数限りの陶器を見てきたからである。 色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。
・・・・・・・・・
2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
 2008年06月09日(月)      ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー『12の口癖』」?を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー
* 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」「とりあえず、後で」
* 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」
* 第3の口癖 「神経症だから」
* 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」
* 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」
* 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」
* 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かっただけ」
* 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」「何で自分ばかり良いことがないのだろう」
* 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」
* 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」
* 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」
* 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」
  (字数制限のためカット 2010年6月9日)
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2007年06月09日(土)
2258, 今日、ホームレスになった -1              
「今日、ホームレスになった」増田明利著 新風舎   ー読書日記
 自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、13人のホームレスの過去と現状が綴られている。  
 (字数の関係でカット2009年6月9日)
 ーーー
2006年06月09日(金)
1893, 不良のための読書術ー1   おはよー!(*^ワ^*)i      
     「不良のための読書術」永江朗著    ー 読書日記ー
「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、あまりの面白さのためネットで買うことにした。
ところが送料無料の1500円には少し足りない。そこで、同じ読者が書いた「不良(プロ)のための読書術」を買うことにした。
既に文庫本になっているので半額である。「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」と思っていたが、
正にその通りのものであった。ゴダール式読書法と言い替えていた。 ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。
三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。原作を読んでいれば、それで充分なのだろう。
著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。 それでも面白いのである。若い人向けの本だが、
基本中の基本が書いてある。老練の詐欺師が「女は見た目だよ!」と、ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず?である。
数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。本は見てくれではない!と思うのが常識である。
しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして売ろうとはしないのも事実である。見てくれだけを良くして売ろうと
するのは、若い娘か、薄っぺらの教養のない男である。本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。
銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。  (字数制限のためカット 2011年6月9日)


4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11

2014年06月08日(日)

    * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 もし、あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。そこで、幼児から、
その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に対し、何か材料を探し、新たな装いをする
しかない。それまで、顧客として何を経験してきただろうか? 
そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と
居酒屋くらい。対象の物件の道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角での手堅い商売。 
しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。
で、問題は、その選定。失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、先に立たず。
とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの
居酒屋チェーンの『養老乃滝』。さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は
皆無だが、これからは郊外化の時代、非常に面白いシュチュエーション、是非とも組みたい!」と、
乗り気。考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前に書いたのを、
昨日、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 人間、何事も忘れるから、
勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。
商業ビルの完成。そして、二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態でなければ、出来はしない。
それも血だらけで。その傷口が、その人にとっての事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら
受け入れ、それに見合うようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、未開の荒野の西部。
江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの地と、一段下に見られていた。
そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、
実情。その後の人生も、狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。
・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
  * 末期から死ぬまで   「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の悪化は右下がりの
直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気だが、その辺りから
身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の量が増えることもあり、むくみが酷く
なったりする。この時期が一番、患者にとってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも
困難になる。特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を飲み込むのも
難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。
だから、1〜2週間前辺りまでに、できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も募ってくる。
この時期に家族を苦しめるのは、患者のせん妄(混乱、錯乱)である。「つじつまの合わないことを
いったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、
暴れたりするなど、患者を見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、呼吸が荒くなったりするが、
患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、
家族も辛いだろうが、傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出すのでは
なく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語でいう下顎呼吸になり、
数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
 ▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち合えなかった。
臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 家族も疲労困憊する。幻覚、
幻聴、錯乱、暴れなどは付きものと割るきるしかない。母親の子宮から、管につながれ、のたうち
回って産まれ出て、それぞれの一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。
せめて、その間、精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定することは、
高齢者の生き方を考える糧になる。   で、以下文に続く。
  ・・・・・・
4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12
2012年6月8日(金)
  * 老いについて ーつれづれに  「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、寝たきりとか痴呆症になって
病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージになる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳
辺りだろう。 それまで大よそ半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきたように老いていくのである。 
 第二人称の人の死を身近でみる限り大往生は少ない。あるのは不幸にしか思えない死。
そのため私たちの社会は嫌老が基本になっており、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられて
いる。 老いの肯定など、あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も
肉体も歪まない訳がないと割り切った方がよい。 この本は、その歪んだ老人を真正面から光?を
照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れておく必要がある。 
人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが
理想的。 古来から社会は老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も生きていかなければ
ならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い人生が待ち受けていることになる。
世の中は青年と壮年を中心に回っている。老兵は静かに去らなければならない。 
引き時を見失うと憎まれもの世にはばかるになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。 
老いることは、絶望に近い意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きている人たちをいう。
人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い
老い方になっていく。この本と「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?と老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きるしかないということか。
 娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、世界が大きな断層の真っただ中に
あることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。地球見学の最期は、こんな風景だった。
ネット社会など情報化社会の劇的進化と、それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、
どれもこれも、想像を遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く人生を生きてきたのである。
あと10年が、更に・・
・・・・・・
3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月08日(水)
     『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ここの12章に《 どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則 》がある。
* 何ごとも十分に準備をする。ー適切な準備には、物語・シナリオをつくることと、
  関係者に役割を当てることが必要。
* 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。
* 議論にストーリー性を持たせる。 ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。
                   審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 
* 真実を語る。  ー力の議論は、真実を語ることに始まり、真実を語ることで終わる。
* 相手に自分の望んでいることを話すー正義の力を忘れないこと、どんな議論にも備わる
  正義を見出し、求め、要求しなさい。
* 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことで、私たちは高い次元にたつ。
  相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。
* 論理を見方にする。 ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。論理にうったえる人は、
  論理に滅ぼされる。」
* 行動と勝利は兄弟  ー緻密な防御をするより、最悪でも真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせない。
* 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい)
* 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与え、そして恐怖を乗り越える)。 これらが、この著書の柱。
≪ 主体的であること、主導権を持つこと、準備を充分すること、シナリオを練上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 周辺をみて、事業も、家庭も、うまくいっている人を観察する
と、大体がクリアー。十人に一人か、二人位だろう。 それらの人は、同じような人と群れるから、それが
相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。逆に、まったく無頓着に、目先のこと、現象しか
見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考えることすら出来ない人は八〜九割。
その色濃い人に、不幸の種が八〜九割、集中する。 そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を
始めることになる。さらに似たのが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んで
こなかった結果である。自分だけにマイナスの事態が積み重なってしまうか理解出来ないため、
自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身につけることは、そう生易しくない。
だから時間をかけ準備をし、積み上げていくしかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ?
検察が権力をつかったシナリオとは? 
・・・・・・・
3361, すでに世界は恐慌に突入した ー2
2010年06月08日(火)
「すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルは あと数年で崩壊する」ー朝倉慶 著
    P/129の 「デフォルト宣言するオバマ大統領」は注目に値する!
・過去を振り返るとニクソンはお馴染みニクソン・ショックで金本位体制を破壊し、ドル垂れ流しという
 アメリカの覇権取りに向けた基礎を作った。
・レーガンは新自由主義と言って、規制緩和、財政支出拡大、スター.ウォーズ計画など冷戦勝利のために軍拡に努めた。
・クリントンの役割はドル高の演出で、世界からお金を無尽蔵に集めてくること。
・次にブッシュに引き継がれますが、消費バブルや戦争バブルを拡張させるためにインフラ整備、要するにドルに魅力を
 持たせること、ドルを集めることを至上命題としてきたのです。その後、集まったドルがレバレッジでさらに氾濫して、
 今回の危機を起こしたのは承知のとおり。これもクリントンのやった世界中からの資金導入がなければできないこと。
・そして今回オバマ大統領の影の役割、一番大事な、すでに大統領になる前から決まっている最大の仕事は何かと言えば、
〈借金踏み倒し〉スワットいわゆる米国債のデフォルト、それに伴う新秩序の形成なのです。いずれ〈オバマショック〉と
 命名されるかもしれませんが、ドル暴落後の世界をいかに収めるか、それもアメリカの国益を最重点にして、これが焦点。
 これまで書いてきた今の世界中で繰り広げられている国債発行、借金頼みはどう考えても持続不能。どこかで大整理が必要。
 ドル暴落は見事にこれから仕掛けられることであって、オバマ大統領の役目はその状態がいかに自然に起こってきたこと
 なのかとふるまうことです。世界やアメリカ国民がこの状態では止むを得ないと思う形で、米国債の無価値化、借金踏み
 倒しをするか、酷ければ戦争に走るかということでしょう。 これらの行為はアメリカの復権を目指すもので、
 そのプロセスを自然にやったように演出することが大事なのです。オバマ大統領は、就任前は中国を為替操作国と呼び、
 大変強硬な態度でした。それは今は中国に媚びて、米国債を買ってもらうように懇願しているようにみえます。
 これは演技なのです。もうすでに財政破綻から、ドル暴落に陥っていくのは日程に入っている状態ですから、自分達は
 ドルの価値を維持するため、全力を尽くしましたという演技が必要なのです。一生懸命ドルを支えるため、超大国
 アメリカの大統領であるのにもかかわらず、頭を下げたという演技が重要なのです。
   〜以上だが、ほぼ上記のことは間違いないだろう。
 このまま世界各国が札を刷りまくるしか手立てがないのだから、早かれ遅かれハイパーインフレは、発生する。
 だから金(ゴールド)が、まず買われ、次に食料品、石油などの資源株が買われることになる。そして極めつけが戦争。
 ネタはイランと北朝鮮あたりになる。アメリカにとっての公共事業は戦争であるから、もっともらしい火種に火をつける。
 ・・・・・・・・・
2986,友愛思想
 2009年06月08日(月)
民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑をかってしまった。
隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと等々・・・。
私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」のペアレント(管理人)をしていたこともあり、
何度かホステラーのアルバイトに行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営する山荘で、
友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの友愛思想は現在のEC(欧州連合共同体)
の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す考え方である。フランス革命の自由・平等・博愛思想がバックにある。
 ーネット辞書のウィキペデアによるとー
【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】に 友愛とは、上記「自由と人生」に
記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会に則る考え方であるが、要は、自由と平等との対立を解消し、
克服するのが友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に依拠していると説明している。 
 (字数の関係でカット2011年6月8日)
・・・・・・・・・
2622, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉
 2008年06月08日(日)               ー読書日記
ーまずは、「まえがき?人は言葉で評価される」よりー
銀座ママが見た日本のエリート1万人の秘密!!
「銀座という場所柄、お店にはいわゆる成功者」といわれる方々が数多くいらっしゃいます。
経営者、政治家、スポーツ選手、作家…その数は一万人を優に超え、どなたも溢れる魅力をお持ちです。
そして、その魅力が一番輝きを放つのは、口をついて出てくる言葉でした。 (中略)とくに、
何気なく話しているときに耳に残る口癖は、私を励まし、支えになってくれました。
そして、私はこの口癖こそが成功の秘密だと気づいたのです。」            
ー次に、その『12の口癖』
* 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」* 第2の口癖「あなたに任せるよ」  * 第3の口癖「大丈夫だよ」         
* 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」   * 第5の口癖「気にしない気にしない」* 第6の口癖「幸せだなあ」
* 第7の口癖「一から教えてください」  * 第8の口癖「ツイてるなあ」    * 第9の口癖「一緒にやろうよ」       
* 第10の口癖「それ、おもしろいね」    * 第11の口癖「明日のために負けよう」* 第12の口癖「信じているよ」
   あとがき  成功する前は誰でも普通の人
 (字数の関係でカット2009年6月8日)
・・・・・・・・・
2007年06月08日(金)
2257, ビョーキな人々探訪記 ー4               |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は
   最近エステが大流行だが、いまいちその理由が解らなかった。
 しかし、エステ依存症の横森理香と、同じ経験者の中村うさぎの対談で、その意味の一端が解ったような気がした。
 奇麗になりたい!という心理は解るのだが、それが度を越して罠にハマってしまうのは、少々理解しがたかったが・・
 綺麗はバランス。 バランスを直すのがエステなら、やはりインプットとアウトプットのバランスをとることである。
 エステ依存症の横森が行き着いたのは、地味飯の玄米食である。 外形を治すのに、逆に依存症という病気を抱え込んで
 しまうのは、本末顛倒ということになる。外形は内側の歪みが大きな原因であり、それを治すのがエステの目的で
 あるなら精神科が範疇でもよい。 サプリメントもエステに似たようなところもある。
「私のサプリメント」でも書こうか! 結論はわかっている。玄米食と自然食品がベスト。それが出来ないから、
 サプリを飲んでるんだよ!という内面の声。 (字数の関係でカット2008年6月8日)


4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10

2014年06月07日(土)

   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの建設計画に入る。
当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが社長のままだった。 右上がりの
時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は
幻滅をしていた。まず、出を制して入りを図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと
信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど
経っていた。現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、死後の相続を
姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の散財をしていたから、現在にすれば
月に5〜6百万。父が怒り、警戒するのも頷けた。 逆に、生前贈与に対して、姉夫婦には、母、
実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのもみてとれた。それが、父の死後の
御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が
計画に入った時点で、対立軸が、私対姉夫婦に移っていた。
 創業を目指していた私には、具体的実践課題を与えられたことになり、その成果が試されることに
なった。 これが大変だが、創業の第一歩として、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような
日々になっていた。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の商業ビルの
転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給公社などが開発する安い
商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、テナントを埋めた段階で、資産家に転売する
事業を、思い立てた。まず千城台ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、
踏み出すことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に
乗せての転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。 これなら、合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。その間に父と兄夫婦の
軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、ビルをテナントで埋まることと、
その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな課題になっていた。 
ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、
懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。
この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーーーーー
H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜 ・
4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
   * モルヒネか、プチッか     「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、プチッ(安楽死)と早々に
最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、
それにつれモルヒネも強くするしかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を減らせる。
死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めている、と思われるが、
ガンの進行に合わ強くしているための誤解。末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。
ここで知ったのが、「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは別に、
痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。 で、プチッ=安楽死はどうか? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし、死ぬ前から、その意思表示をしておけば、
医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から死ぬまでの
数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネを大量に
投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで良い」と著者もいう。
 ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、古手のガン患者が、こっそり、
のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけている現場に案内、隠れ見る場面があった。
 義兄のガン末期の似たような場面を聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を
掻き毟っている姿もみた。三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。 
元気なうち、出来るうちにすべきことを成すべき。 アル中や薬中には、モルヒネは普通の
人の数分の一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
   * 幸福とは          「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の
目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな
姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界では
ない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像し
きれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の悪いことで
ある。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに
違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。
それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る(殊に若者にとっては)。 
だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という
質問をさまざまな分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味ではなく味わいだと
私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは
「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと
感心させられた。老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるように
なるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、
満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。
こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人に
はむしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に
甘んじたとき)。こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の
屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら
気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを
悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。
ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
感じ取ることができる。  ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか
大人げないというか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。年寄りではなく、
中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。 歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。
それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると
4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。それより、私の年代で、既に4〜5人に
一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。
とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
・・・・・・
3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月07日(火)
  ■ 今回の事態に、準備はあったか?    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよあれよの間に、倒産をしてしまった。
これは、たまたま立ち居地が悪かったと、自分でも納得せざるを得ない。倒産時の最悪の構えの
準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、生活はしていける。 しかし自宅は借り
入れの担保に入っているので今後、どうなるか。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 
ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をして
おくのは、セオリー。
 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな『子供の寝小便』
のようなことはしない。
「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし徹底してなかった甘さを後悔している。
倒産は倒産であり、私は一度破産者に?
まさか自分が・・・である。 冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちにしても、
『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、
醒めた目でみえる。言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を何回かにわたり辿ってみる。
 ところで一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知っている限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって
倒産を覚悟した時、意図的に商品仕入れを膨らませ、それを現金化をし、債権者の目の届かないところに隠した後に倒産する」こと。
弁護士が言うには、「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。 一般の人は、これを混同している。 計画的倒産は、
駄目と判断したら、倒産の日にちを設定して、粛々と手順を踏むこと。 その意味では、このケースは2週間前に決定したので、
計画的倒産にもならない。父さん(倒産)に『良い父さん(倒産)』『悪い父さん(倒産)』があるが、貴方のケースは前者の典型」
とか。その立場にたってみると、色いろの知識が入ってくる。20年ほど前に、既に亡くなったが、倒産・整理の専門の
コンサルタントの先生に姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に「倒産を覚悟した時は、最低、半年の準備期間が必要」
と聞いたのが印象に残っている。今年に入るまでは、あと1〜2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が
三年目に入っても殆ど変わらないのは、想定を超えていた。その上に東北震災なら、何の未練もない。 で、どうした? か
というと、最悪の事態への準備の大切さが本当は分かってはいなかった、というのが、結論。 日本が、ここまで疲弊するとは。 
特に、地方経済は、惨憺たる状態! 更に悪化するとなると、この数年は大荒れになる。少し本論からそれた内容になってしまった。 
まあ、言い訳と正当化、半分か!
 ・・・・・・
3360, 京都! 無双の別荘群
 2010年06月07日(月)
 NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。
明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に現在も存在している。
7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをしている碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七がつくった邸宅である。
それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。 また庭屋一如という、
庭と屋敷が一体化したつくり。清流亭、瓢亭など、そうそうたる屋敷が次から次へ紹介されていた。
 ーまずはNHKのブログの紹介からー
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
 ・・・・・・・・
2985,腰痛持ちの皆さんに
 2009年06月07日(日)
 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。
表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3〜4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、
一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無くなった半面、いつも腰に重い疲労感と
少しの痛みが残っている。 
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
・・・・・・・・・・
2621, 消費社会から格差社会へ ー4
2008年06月07日(土)
ー「負け犬女」対「下流男」ー
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。
それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。
現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。
それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみる。
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。 ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい
 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、
 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の娯楽だから。
 その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)


4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9

2014年06月06日(金)

   * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 
 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から電話が入った。
「父が検査で悪性の胃ガンが発見され、緊急手術のため東京女子医大に入院することになった。
手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。
父あればこその自分。20歳辺りから、ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの
育成プログラムの一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。 父親も、万一のことを考えて、実兄と私のために、主だった
財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功することを祈るしかなかった。
そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って
私を屋上に連れ出すが、躊躇をして何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。
後で知ったが、多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、父親が退院、
私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの日々の中、
面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い居酒屋と面白いスナックを
見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 これで大いに助かったが・・ 
何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、適当に漂っているのが好き。
 幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを過ぎた変容を多く見ているため、
今は綺麗だが、その後の・・ それなら、浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。  彼氏持ちの同僚が、急に誘ってくる?と、その2ヶ月後、結婚で
辞めていった。最近になって、それがマリンブルーのなせる業というのが解ったが、当時は、女は
恐ろしい!と、思っていた。 女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワする
しかなかった。 一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、歴史の深さが全く違う!
それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには
親切だが、地元には、その承認を得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、
似ているが、より厳しい。
 そして、急遽実家に! 父親の余命一年の事態と、私のUターンで、静かな小さな池が大きく
揺れることになる。 どこにもある御家騒動の始まり。争いの種は、それぞれの立場にとっての
理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
  やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 
  その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
2005年06月06日(月)
1525, わたしの酒中日記−4
金沢編−2
1972年2月某日

武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。
その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。
今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。
隣の客が話しかけてくる。「言葉が違うようだが、観光客か?」
「いや、勤めの関係で、一年います」地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく金沢の人は人なつこいのが特徴だ。それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(〜じ)をつける。「〜だよね~」という意味である。
それと「〜しまっし」という言葉もよい。「~しなさい」という意味である。
そのアクセントが何ともよいのだ。特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。ここの土手焼きが美味い。
それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。おでん屋のおいしい店を彼方
此方で食べたが、この店はまた格別である。立て込んできたので、その店を出る。
このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。
安そうなスナックに入って、カウンターに座る。まだ8時なので、お客は誰もいない。
素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。まだ金沢に来て2ヶ月で、
一〜二年いたら、また何処かに流れていくとか。若いうちに、彼方此方にいって
転々としたいのだという。こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。
「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、「期待を持たせること」とか。
まさか「何の期待?」とも聞けないし。「それじゃ〜、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、「今度ね!」と、空約束をし?店を出る。
バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。浅野川の橋を渡って、20分ぐらいは
かかったが酔いを冷ますのに丁度よい。まあ、一人で飲むのも悪くはないが、
それにしても金沢には美人が多い。それと金沢の文化と風情がよい。
金沢には、3年間が目安だ。能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。
もっと一人旅をしなくては。
加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!
ーー
また偶然の一致、
去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。
・・・・・
2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」−2
いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい
大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、
どう対処していったかが、彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。
「あとがき」の最後の文章が印象的である。
ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって
彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」を与えられたといってよい。
「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、
個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった(バブル狂奔)シワ寄せである。
それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、まっとうな姿に変えていくしか
方法はない。
 ーーーーーーー
「武士の家計簿」磯田道史著  新潮社
      長岡中央図書館  2004年05月29日
 目次
第1章 加賀百万石の算盤係
第2章 猪山家の経済状態
第3章 武士の子ども時代
第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ
第5章 文明開化のなかの「士族」
第6章 猪山家の経済的選択

4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
             「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、それを、自分で気づいて
ないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」である。死も時節がある。 ただ悄然と消えて
いきたいもの。 ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は生物であり、
だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」「殖やすように」そして「死ぬように」
命じているという考えである。生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。
遺伝子は自らが生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに優れた
遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配してもらわねばならない。
だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続する
ように「なっている」のである。 要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、
結果として「その種の繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」なのである。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるようにすることが遺伝子の
欲求であり、それが本能に刷り込まれている。 だから皆、相手を求め、おまけとして快楽が付いて
来る交配を行い、危険を冒して子供を産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」ためなのである。
 この考えによると、死が到来するのも理解できる。まず交配が行われて新しい個体ができれば、
親の遺伝子は子に受け継がれる。しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の
組み合わせによってより優秀な個体が生まれているかもしれない。
そうすれば少なくとも「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、長い時間を生きずに
死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えてしまった以上、もう他に大きな役割はないので
ある。次に、もし「死」が訪れなければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
 ▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、諦めきれないのが
知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、
独り夜半に目が覚めて、その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
   * 老いを受け入れる     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した
感情として被害者意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。
それは「尊厳を保った肯定的老人」とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。竜宮城における快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら
様子がおかしい。家々の停まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、
驚くほどの年月が故郷では経過していた。太郎はすっかり世の流れに取り残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまうわけである。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」の
アナロジーとしてみるとどうであろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はあるいっぽう、今や「老い方」を
知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、
結構アナーキーなノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか心の中に居座っているのである。だから
独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々にはリアルではないか。
玉手箱なんか開けなければいいだけといった話ではあるまい。生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
 ▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、
  周囲を見渡すと若いときの友人は亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。あの玉手箱と、ケムリは
  何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 
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3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月06日(月)
                    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、内容は重厚で味がある。
全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。
しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに
三十数年来の友人が、人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。私の場合、自分のこととなると何?だが、
ひと様の事となると、冷静な答えを出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回以上のセミナーの蓄積もある。 
数年前も、「実は現在、属している会社が吸収合併した会社のことで裁判沙汰になる。 自分は現在、その専任になっているが、
どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、
直ぐに、この本を思い出し紹介をした。 内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。 
それも戦いの構えを時間をかけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一にして、問題の中心点に全エネルギーをそそぐこと。
それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化していた。 
考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理である。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた
弁護士の自信に満ちた論理が見えてくる。
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3359, ギリシャ問題の深層
 2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれるラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。
アメリカ発の金融恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に入りたかった理由は防衛面
(イスラム教諸国に隣接)と、(万年金融破の)金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 そこにゴールドマン・サックスが
「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウは当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える
“魔法”(虚偽)と引き換えに、GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の収益と
将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの
借入金利が13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 加盟のための粉飾決算をしていたのである。
そのことを国民はなんの説明も受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。ゴールドマン・サックスは
このような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
    (字数制限のためカット 2011年6月6日)
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2008年06月06日(金)
2620, あわや大事故!
 まったく、この男、よく変な事件を起こすよ!というのが、起きざまの実感! 昨夜、長岡で飲み会。 
普通は第一金曜日だが、上さんの都合で一日早めた。長岡の飲食街、道路には人っ子一人も居ない。 それだけでない、
タクシーも一台も並んでいない。平日のためだろう。 丁度0時頃、タクシーを拾うとして旧八号線にいっても車自体走ってない。
そこで信号を超えて川沿いの道を歩いていたら、左折をしてきた乗用車と出会いがしら撥ねられる。ガソリンスタンドの角で
見通しがよい筈。 かなりの衝撃であった。 ところが、左に担いでいた革鞄が振り向きざまで身体を防御してくれた。
右腕と左足の脛の右を痛打しただけで済んだ。運転手は若い男で、青い顔をして平謝り。大きい衝撃の為、かなりの人身事故と
勘違いをしたようだ。車に乗って病院に向かったが、触ってみたがそれほどではない。しかし、後遺症が出る可能性がある。
事故届けに長岡駅前交番に進路を変える。 しかし、交番は電気が消えて誰も居ない。そこで、電話をして本署からか来てもらう。 
そして現場で事故の詳しい聴取。それも運転手のみ。駅でパトカーが来るまで、「私は、問題を大きくするつもりはない、ただ、
事実を正直に言ってください。下手に自分の都合のよいことを言うと、貴方は不利になりますよ。私は後遺症の時に、
保険の問題などで公にしておきたいだけです。」と言い含めていた。 そのためか、処理は20分ほどで済んだ。
やはり、これを書いている現在、足の脛が痛み出した。 しかし病院にいくほどではないようだ。全く何が起きるか分からないものだ! 
九死に一生とは。 それが突然に自分にとは!やはり人生、したいことをして、悔いのないように生きなければ、それにしても
警察沙汰が二度も続けて起きるとは! (二ヶ月前に呼び込みに強引に店に連れ込まれそうになり、大騒動になった。)
これまで、個人として警察沙汰は一度もなかったが・・(普通なら当たり前だが)
 その運転手に、「こんな時間に、何してるの?」と聞いたら、 「スナックをしています!」という。 
生きているうち、健康のうち、元気なうち、そして若いうち! 人生は!

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