堀井On-Line



4618, 君は1万円札を破れるか? ー5 

2013年11月07日(木)

                ー君は1万円札を破れるか?ー   苫米地英人 (著)
   * 世界経済の影の支配者 ー世界の富の95%を独占する人々
 世界は幾つかの世界財閥の支配下にあり、各国の中央銀行の株の多くを握っており、富の大部分がコントロールされている。
そして彼らは決して表には出てこない。その存在は、多く書かれているが、FRBや、EUBの株式の多くを握って、世界の金融を
コントロールをしているとは驚いた。 ーまずは、その辺りを抜粋ー
《 世界経済の中核を担う先進国の中央銀行は国の機関ではありません。これらの中央銀行の実権を握っているのは、
 大株主の英仏のロスチやイルドや、アメりカのロックフェラー家、モルガン家など、ごく少数の富豪たちです。
イギリスの中央銀行であるイングランド銀行、フランスの中央銀行のフランス銀行も、今は形の上で国営化されていますが、
事実上は英仏ロスチャイルドをはじめとする個人によって支配されています。それらの大富豪一族のほとんとは、前で触れた
ゴールドスミスの系譜に連なる人たちです。現在、世界の基軸通貨のアメリカのドルは、FRBが握っています。
FRBは金融政策を決定する最高意思決定機関でありアメリカの中央銀行である連邦のことでが、連邦準備銀行そのものは
民間銀行であり、ぞの株主は主にイギリスを中心としたヨーロッパ系なのです。FRBには、1923年のクリスマス休暇中に、
ロスチャイルドなどのヨーロッパの名家や、ロックフェラー家、モルガン家などのアメリカ名家の息のかかった議員だけが
突然集められ、成立した「FRS(連邦準備制度)」法案により成立されたという驚くべき経緯がある。
ユーロの発行権を持つECBにしても、EU加盟国のどこの国の政府からも介入を受けないで、完全に独立をして通貨を
発行できると規定されている。このように、先進国の通貨発行権を握ることで、これらの大富豪たちは世界の富のほとんどを
独占している。だが、実に不思議なことに、表に出ることなく、分厚いベールに包まれている。・・・
 「アメリカの支配者」「欧州の支配者」とかいう表現は、それは必ずしも欧米の指導者とか、為政者とかいう意味ではない。
経済的な支配によって各国を裏から動かしている人という意味であり、国籍は他国にあっても実質的にその国の一端を握って
いる人たちもいます。 たとえば、日本は実質上、支配しているのは総理大臣ではなく、第二次世界大戦以降、アメリカの
属国のようなものです。歴史をたどれば、明治維新のころから英仏ロスチャイルド家に代表されるヨーロッパ系巨大大財閥の
影響を受けています。》
 ▼ 日本の中央銀行の日銀の株式は政府が55%を保持しているが、他の45%は不明という。日銀の政策の独立性とかいうが、
  政府の意向は大きく働くのは致し方がない。もし、その55%が欧米の財閥に握られているとしたら、その財閥の隷属下に
 あることになる。ということは、アメリカの隷属国家の日本も、彼らの支配下ということになる。そういう貨幣を信じて
 蓄財に励み、それを米国国債を一兆ドルも買わされ、二度と戻って来ないというから、奴隷国家そのもの。阿部も、麻生も
 家系からしてポチ系。ますます、忠犬になるしか道がない。小沢は日本の独立に目指して一歩踏み出したが、忠犬官僚の
 検察とマスコミによって完璧までに潰された。そうこう考えると、大きな成功より、小さな個々の成功(趣味など)を
 目指した方が、無難ということになる。彼らのスイッチ、オンオフで、何もかもが決まるのだから。バブルの阿波踊りと、
 破裂だったか、私の人生は? いや、全て。まあ、面白かったが! これでは、遅かれ早かれ、素っ裸。
  今でも第二次大戦の敗北で間接統治のまま! 韓国にはIMFが入り、米国資本が主だった大企業の株主。近未来の日本?
・・・・・・
4243, しまった!  ー2
2012年11月07日(水)                
   * 手ごわい「あとバイアス」   ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著) 
 周囲の世界を見たり、記憶したり、感知したりするのは、総じて‘体系的偏り’(バイアス)を通して行われ、間違いの起因になる。
要するに、人は、それぞれの偏見に焼きなおして記憶するのである。それは、その人の期待でもある。 小さな地域社会では、
それが一人歩きを始める。それが老人の多い町ほど、内容は、地域の偏りの魔女狩りの様相になる。酷い噂は、流れのない、
淀みに住んでいれば、誰もが何度も経験する。インサイダーになるか、徹底してアウトサイダーになるかの選択をするしかない。
それが、「あとバイアス(歪んだ後講釈)」として、更なる歪むため、ことは厄介になる。 ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 簡単にいうと人間、自分が思うほど完全な存在ではない。だが周囲の世界は人間が完全であるかのような前提で動いている。
 たとえば、社会は数え切れないほどのパスワードを、暗証番号を覚えるよう要求する。ところが、この種の情報の記憶を
人間は苦手とする、あるテストでは、たった一週間で三〇%の人がパスワードを忘れてしまったし、別のテストでは、三ヵ月後に
六五%以上の人がパスワードを忘れていた。人間が一度にできることの数はごく限られているのに、ふだんの生活でマルチタスク
(複数の作業を同時にこなすこと)が求められ、その限界が試される。そのうえ同時におこなうよう求められることは、たいがい
実行中のことと無関係だ。しかし一般に人間の短期記憶は、五つ以上の無関係なことを一度には覚えられない。
たとえば愛車はあなたに、いくつのことを記憶するよう求めているだろう? 車内にナビは搭載? 自動速度制御装置は? 
衝突防止装置はある? 死角警報システムやリアビューカメラ、子ども用の娯楽システムは? MP3プレーヤーや携帯電話は? 
いまや車内には運転者の気を散らし、それ自体が事故の原因になりうる装置があふれている。だが事故が起きれば、責めを負うのは
車ではなく、あなたなのだ。自分が間違えるのを「間違った」もののせいにしていたら、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
原因をまちがえていては、経験から学べることは少ない。とりわけ大きな不具合が生じた場合に、責任の所在を追及するのは
当然のことである。だがどこに誤りがあったか、それをつきとめるのは容易なことではない。だから「あとバイアス」をする。 ≫
 ▼ 「あと講釈」の一つに、スポーツ解説がある。勝手に、選手の失敗に対して、あたかも本当のようなウソをいう。
  聞いている方は素人を承知で、「あとバイアス」の言いたい放題。 気の毒なのは、選手で、それが恰も真実として罷りとおる。
  批判される選手と監督は、結果責任を問われているから何も反論できないことを充分に承知の上のため、言いたい放題。
  しかし、「あとバイアス」を自分の思考や判断を狂わせてしまう。現在の日本の政治の混迷も、これが大きな起因になっている。
・・・・・・
3878, 閑話小題
2011年11月07日(月)
  * 再び、ギリシャ
 ギリシャの首相には驚き、呆れてしまった。例え話でいえば、《暴走しているバスの運転手、助けにきた他の車が暴走車に鎖をつけて、
何とか大事故を抑えようとしたところ、「鎖をつけるかどうか、乗客に聞いてみてから」と、言い出した。乗客は暴走をしているのを
知ってか知らずか? バス内の自分たちの不満で頭が一杯。瀬戸際で運転手が、どの道を選ぶか乗客に聞いている場合でない。
一つ間違えると、助けにきた仲間も道連れになることを運転手と乗客も知っているので、タカをくくっている。 そこで、
「それなら助けるのを中止する。その上に、共同体から排除をする」というと、急に運転手も乗客も慌てだし、従うと言い出した。》
これは世界中が唖然とした寸劇。しかし国民の反対デモや議会の混乱を抑えるため「国民投票」といえば、世界の袋叩になるのを覚悟の上、
あえて言った政治的駆け引きとすれば、これも納得。 国民投票やるべし!のデモが起きるかどうかだが、起ってこないのが漫画的。
 この10年間、哲学書を読み続けているが、その始まりはギリシャ哲学。 その西欧文明の行き着いた終着駅が現時点とすると、
ギリシャ問題は、図ったように起きたユング的現象か。民主主義の発生の国で、その矛盾が、そのまま表出することになった。
ともかく、目先の火の手を納めたが、次はイタリア、スペイン、アイルランドが控えている。そして、日本も、アメリカも、中国も?
  * 少しウツ気味で、正常の状態?
 いつも書いていることだが、少しウツ気味。 年齢と現在おかれている状況から当然で、これが正常なのかもしれない。
パソコンの具合が悪かったり、スポーツジムで冷たい視線を感じたり、家内が機嫌が悪かったり、幾らでも原因はある。
それでもiPadという新たな遊び道具を手に入れネットサーフィンや、パソコン・ゲームに熱中。 スポーツジムや、早朝の
サイクリングで発散ができている。過去に身辺のウツ症状の人の素人カウンセリングをしたりして対処の擬似体験していたので、
最小で済んでいる。目先の落ち込みはシネマにいくのが即効性がある。で、最近多く見に行っている? 他にストレス発散に買い物がある。
100円ショップや、スーパーで「酒のツマミ」や、机周りのものを買ったりする。あくまで日常品の範囲だが・・・。
 何度も何度も書いているが、50歳代の10年近く、20年・30年分の人生を押し込んだのが、ここにきて効いている。
そのため現状を悲観し過去の良かった時節を懐かしむこともない。人生は時節ごとに一期一会。それぞれに、また違った人生がある。
これからの人生を有効に生きるに、何が良いのか考え尽くさねばならない。 これまでの緑の原野から一歩出て、目の前に広がる
「草原の世界」で何をすべきか? そのためには新しい世界を知ること。そして、草原で生きるための「人生の知恵」を改めて
身に着けなければならない。緑の原野だけが人生ではないことを知るには、そこを一歩出てこそ分かるもの。 真実の自分に気づく旅路?
 ・・・・・・・
3513, ペットロス ー1
2010年11月07日(日)
  * ペットが風邪で死す
一年前に我が家に久々にペットになったメキシコ・コガネインコが、数日前の夕方に死んでしまった。
12年は生きるとあったので一年は早すぎる死である。 死因は風邪である。大よそ30年から20年前にかけて、
小桜インコを代々5羽飼っていた。 殆どは二年位で逃げられてしまった。その度に雛を飼ってきては手乗りにしていた。
しかし最後の一羽は凍死をさせてしまい、その罪悪感と子供が大学入学で巣立っていったこともあり飼うことを止めてしまった。
数年来、ペットショップを動物園代わりに、近くのSCに行ったついでに立ち寄っていたが、いやに人懐こいインコが気になっていた。
しかし売れないようで金網にとまって御客から頭を撫ぜてもらっていた。値段が6万8千円じゃ、そうは売れない。
たまたま中年の夫婦が、そのインコの頭を撫ぜていた。 「慣れたインコですよね」と話しかけると、
「私たちはオカメインコを飼っていたが、鳴き声が大きく近所迷惑で、親戚の人にあげた。それで時々、ここのインコを見にきているが、
このインコが懐いていて欲しいけど、やはり近所迷惑が・・・」という。 何気なく私の癖が出て、近くいた女店員に
「5万円なら買いたけど」というと、「このインコ、店の皆が大事に育ててきたインコ。値下げなど出来ません」と怒りだした。
で、私もムキになって、「三ヶ月前から、売れないでいる。ペットは大きくなるにつれて価値が下がるのは常識。
お客が、そう言っていると責任者に聞いてきて欲しい」というと、暫く姿を消していたが「店長が6万円ならオッケーです」との返事。
その成行きで買う羽目になったことは以前、ここで書いた。 で、家内に例のごとく反撃にあって、あわや
「新潟の長期滞在の御客様のペット」となる直前に、急に家内の気が変わって暫くはOKになった経緯がある。
そうこうして我家のペットになったが、ペットショップの多くの御客から頭を撫ぜてもらっていた為、人懐こいのである。
しかし朝晩以外は誰もいないベランダに置いておくため、足音など人の気配が聞こえるとピーピー鳴き叫ぶ。 
最初のうちは、うるさいと思っていたが、だんだん、それが可愛らしくなってきたのは私と長男だけでなく、昼間、家にいる
家内もである。直近は一番、あれだけ嫌っていたのが、このインコの大ファンになったいた。 鳥というより犬に近いと思うほど、
人懐こく、頭がよい。 個々人の識別もし、その対応も変わる。何とか人にかまってもらおうと、色いろな鳴声が憶えた人間の言葉。
それで呼びかけられれば愛情が湧いて当然。「三つ子の魂いつまでも」で、店頭で可愛がられて育った温もりが、性格になったいた。
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3138, 閑話小題  ーつれづれにー
2009年11月07日(土)
   * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は500兆円でしかない。
信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。 金の通貨としての歴史は数千年もある。 時代が変化しても、
やはり通貨の基準軸である。 で、去年に世界主要20ヶ国が、この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと
決めたのだから、近い将来に金が暴騰するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した400トンの金の半分を
伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。 それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは
複雑怪奇なので即断は出来ない。 これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした、という。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが大きい。
新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が数段、戦力になる。
この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 新卒の若いうちに、正社員としての
基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しいことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。
その人にとって時代背景に恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ出来ないのが大部分。
どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻である。 日教組か〜歴史に残るだろう、これは!
                         (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
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2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)
 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに書いてあったというが、
現在の若者のそれは、そのレベルではない。見てみない振りをするしかないのか。アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品?  
立場的に書けないことは幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。 まずは、その部分から、
   ーーーー
*どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。その直後である。駆け込み乗車さながらに、
白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。
蝶はまぎれもなく電車の一員になったわけだ。 この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを花と見立てたのだろう。
その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。 私はほっとした。 三人はきっと優しい視線を注ぎ、あわよくば誰かが、
その柔らかな掌に包み込んでいとおしむに違いないと思ったのだ。 ところがである。彼女たちは、「きゃあー」と悲鳴をあげて、
通路を前方へと突っ走って行ったのだ。あたかも熊ん蜂に襲われでもしているかのように、両手で頭を押さえ、背を丸め、必死なのだ。
信じられない。 なぜなの? 蝶は拒絶されてもなお、その花たちを追った。三人は、前の車両に飛び込んで大慌てで境のドアを閉めた。
そうして、こともあろうにガラスに額を押しつけて、蝶のようすを伺っているのだ。これっていったい何なの。ふざけ?それとも本心?
高校生だけにその挙動は不可解だった。 乗客の大半は蝶のことを知らない。突然の騒ぎにも我関せずである。
ひたすら本のぺージを追い、携帯電話を見つめ、あるいは目を閉じている。私は行きがかり上、無関心ではいられない。
それとなく、孤独な蝶の行方に心を寄せていた。なぜ、こうまで嫌うのだろう。相手が複数なら別だけれど、たったの一匹だ。
しかも三対一。ふざけにしては大袈裟過ぎる。 それとも鱗粉が問題なの? それなら眺めるだけでよい。
  (字数制限のためカット11年11月07日) 
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2007年11月07日(水)
  2409, まわり道               ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
 同じようなことが、立花隆の文章にもあった。「青年期の10年は潜伏期間で何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
  (字数制限のためカット11年11月07日) 
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2006年11月07日(火)
2044, 読書週間に読書習慣を考える       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
先週は、「読書週間」で読書について幾つかの新聞で特集を組んでいた。
  (字数制限のためカット09年11月07日)


4617, 閑話小題 ーチョット何か変じゃないか?

2013年11月06日(水)

   * 今の空気、チョット何か変じゃないか?
 12年前のリーマンショックで、以前に経営していたビジネスホテルの売上が三分の二に、そして5年前のリーマンショックで、
その半分になり、合計で三分の一まで売上が激減し、事業断念を決断した。その間、国の政策で何とか追加借入無しで、何とか
傷口が広がらないうちに止めることでき、最小の傷で済んだ。 問題は、その後。 本当に景気が回復してきたか?である。
 実感として景気回復は、ほど遠い世界。政府は消費税の増税までと何とか持維持しているが、何が起きても不思議でない。
タクシーの運転手や、周囲の話も、いま一、ハッキリ聞こえてこない。給与などの収入減を、デフレ効果で、何とか遣り繰りを
しているということ? 団塊世代は年金生活の中、退職金で何とか食いつないでいるが、日々、厳しさが増している?
 この事態の中で、誰も黙して語らず。 一般的な趨勢はどうか?というと、平均預金残高が1100万だが、ローン残もある。
平均より多い人も、ゼロの人もいる。そこで収入の中間点の人はどれくらいか?といえば、400万。 預金ゼロが30%という。 
マスコミが勝ち組とかいう資本主義の、お金優先の価値観で、洗脳するため、大多数を占める負け組?の不満が充満する。
 ー 先週末のNHK、シリーズ日本新生「熟年サバイバル〜年金減額時代を生きる〜」がシビアー その内容といえば〜
《 「定年後は、年金をもらいながら悠々自適の生活…」、そんなサラリーマンの人生設計が成り立たない時代が始まった。
 厚生年金の受給開始年齢の引き上げが今年度からスタート。現在52歳以下の男性は65歳まで年金が受け取れなくなる。
定年後、ゆとりある生活を送るために必要な費用は、民間機関の意識調査によると月37万円で年金の受給額は月23万円、
14万円の不足だ。 支給開始年齢の引き上げで、状況はさらに厳しくなる。「生きがい」のためだった定年後の就労が
「生きるため」の手段とならざるを得ない状況になってきているが、定年後の職探しは厳しいのが現実だ。一方、今年から
始まった「65歳までの希望者の雇用義務化」を受け、中高年社員の再教育に乗り出す企業も現れるなど、「シニアワーカー」
の活用が人口減少社会の成長の鍵を握る課題となっている。しかし60歳以上の増加する「シニアワーカー」の雇用を
確保しようとすれば、若い世代との雇用のイス取りゲームが激化し、社会の不安定化を招くという指摘もある。
どうすればシニアワーカーに活躍してもらい、社会全体に貢献してもらうことができるのか? そのために個人、企業、
そして社会全体は何ができるのか?徹底的に議論する。》
 ▼ この国の経済力が三分の二になっているに関わらず、政治の貧困のため、ダウンサイズ出来ず、
  ひたすら破滅に向けて借金を重ねているのが現状。裸の王様と同じで、誰も、それを大声で主張できない。 
  定年延長は若い世代の労働にはマイナスという、悪循環が起きている。 これで景気回復といっても無理がある! 
  中小企業には地獄の鍋の蓋が大きく開き、で、東京オリンピック!それは面白いだろう。
・・・・・・
4242, しまった! ー1
2012年11月06日(火)
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
 誤りは人の常。人はそれぞれのバイアス(体系的偏見)から、自分自身と世界を見ている。問題は自分で、それに気づかないで、
それぞれの岩の中(バイアス)で一生を過ごしてゾンビになってしまうこと。そして魂の抜け殻人間になってしまう。
そして最期に、「しまった!」と後悔する。年寄りの顔が暗いのは、そのため。同じ後悔ならバイアスに気づき、出るしかない。
    ーまずは、内容紹介ーより
 「人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、 面白くてネタになるトピックを
 「これでもか」というぐらい集めて分析した内容。 たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ ?
★ 「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の84%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント下げたと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には
  左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?) などなど、興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 多くの事例で人の「まちがい」メカニズムを解明。 人はミスを防ぐことができるのだろうかを問う内容。
  人は自分を騙す動物だが、自分に騙されている自覚がゼロに近いため、その蓄積が致命傷になる。 
  本来、「人生は、しまった」の連続。その最たるものは結婚。9割の夫婦が失敗と思っているというデーターがある。
  人間の最期は死に直面するが、誰もがシマッタと思う。バイアスに閉じ込められていた自分に初めて気づくことになる。
  ・・・・・・
3877, フォトビジョン
2011年11月06日(日)
 iPadを購入して数週間後、分からないことがあったので買った先のソフトバンクショップに聞きにいった。ところが、
「それは販売店では解決できない問題で、直接、アップルに電話をして聞いてください」と、軽くあしらわれてしまった。 
その時に気づいたのは、こういう販売代理商品は、ヤマダ電機などにあるアップルの担当のいる店で買うべきで、
販売代理をしている店で買うべきでない、ということ。 その窓口の人が、「ところで、iPadを購入すると、
PhotoVisionというフォトフレームが無料で貰えるのを知っていますか?」という。 買った時に、そんな話を
聞いてない・・ そこで、「以前から興味があったが、買うほどでもないと思っていたが、タダなら、もらいたい。」というと、
急に態度が変わり、その手続きに入った。 そこで分かったのが、デジタル・フレームに携帯用の電話番号がついたもので、
メール用の住所もある。 携帯電話で撮った写真をデジタル・フレームに直接、電送してしまうもの。 なるほどと思ったが、
手続きに時間がかかる上に、新たに携帯電話契約のローンを組まされた。その見返りとして、それに見合う金額が数週間後に
銀行に振り込まれる仕組み。 何か騙されたような?奇妙な気持ちであった。 これは、孫や小さな子供がいる家族に、
遠くはなれた子供から携帯電話で撮った写真を直接メールをしてくれる。 面白そうだが、孫もいないし、新たに携帯電話料金も
かかるし、どうでもよいものを持たされてしまったと釈然としない気持ちであった。そのため二ヶ月ほど使わないで放っておいた。 
しかし数日前に急に思いたち、取り付けてみた。 携帯電話の写真電送などすることがなかったので、初挑戦と、そのフレームに
携帯電話で撮ったばかりの写真を送ってみた。 何度か失敗をした後に、確かにフレームに撮ったばかりの写真が送られてきた。
普通の電子写真立ては携帯電話やデジカメで撮ったSDカードを差し込んで見るが、これも直接入力も出来、スライドショーにもなる。 
親からすれば、遠くの子供や孫から、メールで写真がフォトフレームに送られてきたら、嬉しいだろう。 という訳で、
私の前のiMacパソコンの横に、iPadと、ソフトバンクのPhotoVisionが仲良く並んでいる。
面白いのは、同封されてきたパンフレットに糸目が入った「フォトとも、をつくろう!」というのがある。
6つほど、そこにメールを書き込み人に配ればよい。 最近のスマートフォンで若い人たちや、女・子供は、
気楽に写真添付のメールのやり取りをしているのだろう。  いや、メールでなくツイッターか。 面白い時代である。
 ・・・・・・・
3512, ユダヤ人の頭脳活性法 ー6
2010年11月06日(土)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 「論理力」を身につける
 ▼ー知恵は、地中深く岩と砂にまじっている金鉱石に似ている。 
     論理は金を鉱石から抽出する水銀に似ている。(ラビ・モシェ・イブン・エズラ)
  ーまずは、論理力の身につけ方を要約してみたー
【 点と点の情報を結ぶ能力が、論理力であり、点と点とのつながりが論理であり、「論理的」であるとは、
点と点が一貫した整合性で結ばれていることである。また論理的ということは、真実の根拠を積み上げて考えることである。
論理的に考える際の、思考の最小単位となるのは、「A=Bである」というであり、その表現を組み合わせながら、
私たちは物事を考えるのである。  また、考えるという行動には幾つかの面がある。
△論理的に考える △分析的に考える △直感的に考える △情緒的に考える 
△肯定的に考える △否定的に考える △建設的に考える △消去的に考える。
 これは、考えるという行動の様態というか、一面を示している。 過去を思い出すのも「過去を想像する」ことから始る。
しかし、思い起こした内容が実際かどうか、合理的かは問われる。過去のことを自由に想像して、そこから整合性があるかどうか、
確認でもある。それでは未来に向けては、どうすれば良いか。いわゆる空想には、願望や憧憬、単なる想像がある。
どこまでも、自分の思うままに、自由に、想像の翼を広げてみるのもよい。これを「考える力を高める」という目的に結び付けるに、
現実化へ一歩ずつ踏み出す必要がある。現実と理想の隔たりを埋めるために、考える力が必要になって来る。
そこで、一つだけ絞って、できる限り詳しく想像をめぐらしてみることである。
  それが実現すると、どのようなことが起こるか。
○何がさらに始るか。○誰が喜ぶか。○誰が最もメリットを受けるか。
○それを持続していくと、さらにどのような幸せを誰と誰に与えることができるか
 これらプラス思考は、どんどん広がっていくもの。またマイナス思考も同じぐらいしておくこと。
それをなるべく具体的に描いていくことです。
 そして、その理想を実現する方法は、今度は、理想とする未来の方向から現在へ向かって発想する。
そうすると、理想を実現化するための手段が明確になって来る。いきなり自分から理想に近づこうとしても無理。
逆順をしていって、現在の具体的な行為で一つずつ片付けていけばよい。 理想とは、未来のことでなく、
未来が要求する条件にかなうように、自分を準備する。そうすることで、未来が現実のものになる。
理想と未来からの発想が、人間を変えるのである。】
 〜以上だが、これらは長年の訓練の繰り返しの中でしか、身につくもの。しかし、論理(筋道)がチャンとしてないと、
行き当たりばったりの生き方になってしまう。それぞれの家のハビタス=習性も、長年かけた代々の行いから築きあげられたもの。
それにそっていくのも良いのかもしれない。
・・・・・・・・
3137, 脳と日本人 ー3
 2009年11月06日(金)
「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話             P−116  ー枯山水と認知科学ー
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは京都の禅宗寺院の庭園。
その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的西洋庭園の違いがある。
 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を維持する石である。
石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。
 日本は庭をみて作庭者の心を読んで、無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。
それに対して西洋の庭は花そのものを楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。
その対比として石を主役にし、植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って庭を眺めるようになっている。
日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という名になるのである。 
それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」といういう声を
出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が「作庭記」に書いている。
石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。
その根本的な違いが両者にある。その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 ▼ 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
 ー以下は字数の関係でカット(2011年11月06日)
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2772, アメリカの人種比率は?
 2008年11月06日(木)
黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率をネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系) 74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
・アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、五十人に一人がハーフ。ということになる。
  ー以下は字数の関係でカット(2010年11月06日)
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2007年11月06日(火)
2408, 久世塾 −2             (*´・ω・)ノはよー   読書日記
 ー本当の不幸な人とは−
 印象的な人ー講師の話を抜粋しながら、この本の要点を書いてみよう。
 まずは、内館牧子の「本当に不幸な女」には驚いてしまった。
 4人の姉がいたことと、女の職場にいたので、色いろの女性の時々の多くの生き様を見ることができた。 
 特に結婚や恋愛の姿をみていると、心の中が手に取るように見えることがある。
 100%満足をして結婚する女性は皆無に近い?当然のことながら、妥協か成り行きである。
 そして最期は、諦めになっていくのは、キュープラー・ロスの本にあった末期ガンを宣言されて、その受容に
 落着くまでの患者の諦念への過程に似ている。最期の最期まで白馬の王子様を待っているが、そんな人は
 現れるわけがない。   結婚詐欺師は、その心に付け込み理想的物語の世界に誘うのである。
   それはそれでよいが、シナリオライターの眼は、もっと深いところをみているのである。
 ーまずはその部分を抜粋してみよう!ー
--以下は字数の関係でカット(2008年11月06日)        ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю  
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2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想  −17    才八∋ウ_〆(∀`●)
    ーこの本の‘まとめ’になるー
   今年は「面白い本」の当たり年であった。この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。


4616, 君は1万円札を破れるか? ー4

2013年11月05日(火)

         ー君は1万円札を破れるか? 〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   * 年収は人の価値判断の基準になるのか?
 森の生活(経済社会)から退いて、サバンナ(隠居生活)に出て気づいたことは、これまで、「人の判断基準に、
手持ちの資産と、年収を価値基準にしていたこと」である。資本主義社会の洗脳である。「格差社会」「勝ち組・負け組」
の言葉の背景に資本主義社会の価値観がある。それも一線を退けば、その比重は低くなる。お金を気にしないで済む収入と、
蓄財が幾らかあれば、それ以上は皆、同じ。森の生活では、稼ぎが、その人の価値と錯覚をしてしまいがちになる。 
他人との比較で、その額の差が人間そのものの価値と錯覚をしてしまう。「お金には絶対的価値がある」「お金はすべての
モノの価値を規定する物差し」という洗脳が長年かけてされ、それを疑おうともしない。 お金で、自分の労働や価値を
規定され、振り回されている状態は、宗教に洗脳された信者と同じ。
 著者は、ここで、現代社会における「価値」を、「物理空間における価値」と「情報空間における価値」と分けている。
物理空間とは、体で触れることができるモノの世界。情報空間とは、脳や心の中に存在する様々な概念が作る空間である。
米を例にとると、タイ米と魚沼コシヒカリ。その価格差は10倍近いが、物理的な味と栄養は、せいぜい二倍?あるかなしか。
「美味しい」という感じ方はそれぞれ違い、何倍美味しいとの数字化は不可能。タイ米と魚沼コシヒカリと表示されなければ、
値段の差だけの価値を感じることはできない。ブランドものは、バーチャルバリューが、その価値を高めている。
年収も財産も同じで、ある金額以上になると大して変わらない? いや2千万と、2百万の年収では生活の快適さは違う? 
貧すれば鈍するし、豊かさには幸運の機会を多く集まる。年収が多いに越したことはない。貧しさは、人間性を卑屈にする。
問題は、年収が「絶対的」ではない、ということ。 タイ米なら、タイ米にあう調理をすればよい。考え方である。
「資本主義社会の洗脳」の自分を一度突き放し、冷笑し、卑屈にも、のぼせ上がらないこと。所詮は、娑婆のこと。
それを自覚し、超越するために、ライフワークを持つこと、それが教養につながる。 多趣味か、一つの趣味を深く
追求するかと、年収が多少の差とを類推すれば、理解しやすい。 
  = 偶然、7年前に、同じようなテーマの読書日記があった。
〜〜〜
2073, 金は人を幸せにするか?
2006年12月06日(水)
           才八∋ウ_〆(∀`●)
  お金に関しては、何度か書いてきたが・・
 先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
          毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』    =W・バーンスタイン著の書評で、
 その内容が紹介されていたが、なかなかよい。    建前でいえば、
 「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
 それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。
 質問そのものがナンセンス」が正論である。
 しかし本音のところ、 「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
 そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、
 最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
 これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。
倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。
 私の持論は、 「金で8割の幸せは買えるが、あとの2割は金で買えない。
その2割こそ一番大切なことである。しかし8割は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。   (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。
買えるものは金があればこそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。
そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。生存レベルで必死の人にとって、
{生活手段としての資金の確保から解放されることが幸せである}
のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。
生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に、 幸福感が
「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、身近な世界の人との
比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。
 金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、
言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
・・・・・・
4241, 閑話小題 ーある居酒屋で
2012年11月05日(月)
    * 再び不景気の話
 先日、TVで成田のホテル事情を放送していた。値段とサービス競争で少ない客の獲得競争が激烈化している、という。
日航ホテルがツイン・ダブルで一人3千円からと、打ち出していた。もちろん飛行場までは無料のシャトルバスが出ている。
「訳あり客室」と名うって限定数だが、実は何の問題のない部屋。最近は格安運賃で早朝出発の客が多いので、格安価格を
打ち出すしかないようだ。そのホテル内にはローソンがあり、お客の殆どが、そこで弁当を買っている。
 中国・韓国からの客も激減で死活問題。新潟駅前も厳しかったが、成田は、そんなものではなさそう。リゾートホテルや
温泉街など酷いようだが、潰れないのは銀行が潰せないため。年の瀬に向かって厳しさが直に伝わってくる。
ナショナルが二年で1兆5千億の赤字を計上したと報道にあった。粉飾などしないのがナショナルの良さだが、スマートフォンと、
タブレットPCに、テレビ、デジカメ、パソコン、電話、書籍、ナビなどが集約され格安になれば、会社の土台から揺らいで当然。
その上に韓国のサム寸や、中国の家電がシンプルな格安商品を売り出し攻勢をかけている。世界ブランドのナショナル、シャープ、
ソニーなどが、会社存続も危ぶまれるなど数年前までは考えられなかった。 
   * その上に不景気の話
 日経新聞に ≪ 【ソニー、パナソニック、シャープ】3社の5年前の2007年前半の時価総額16兆円が、2兆円にまで激減、
逆に韓国のサムスンは14兆円まで増えている≫と報じていた。今や産業全体が衰退しており、好調を維持している産業が衰退する
事態になりつつある。それにしてもナショナルが2年で1兆5千億の赤字で、20年分の利益総額分をとばしたというから酷いもの。
株価は暴落でストップ安。 シャープも4000億以上の赤字決算・・・ リーマンショックの地震の後の、日本版大津波の一つの現象。
近未来の株式の大暴落より先に、こういう形の現象が現れてきた。家内がイオン内にあるスポーツジムに通っているが、
「とにかく、変!」と、価格の底抜けが異常と、いう、主婦なら分かっていることだが。 経済に疎い家内が、ことあるごとに、
「会社を早々、たたんで本当に良かった。中小や個人など、やっていけないのが私でも分かる!」と、いう。
 先日、久々に殿町で定例の飲み会。何れの店の客の入りは良くない。十数年ぶりに入った居酒屋、客の入りの割りに、
注文した料理が出てこない。主がイライラしてのがカウンター内から直に伝わってくる。母親とパートのような二人の動きが変。 
二軒目のスナックで何気なく連れが、「以前いた奥さんが居ない」と話していると、隣の客が、「どうも別れたようで、
二人は母親と姉さん。 以前より度々、奥さんを叱責していたが、あまりに酷い怒りかただった」という。不景気と嫁姑の関係で、
居たたまれなくなったようだ。 客商売の苦労は、売り上げが良ければ、それだけで解消するが、逆だと相打ち。 
駅前の居酒屋チェーンに客は取られるし、この不景気、飲屋街の居酒屋などに直撃している。 何か切ない話だが、これが現実。
 ・・・・・・
3876、閑話小題
2011年11月05日(土)
  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
「文芸春秋−7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相を予測していた。
その中で、9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 野田を予測していたのが政治学者の伊藤敦夫だけ。
彼は野田を「安定感」と「バランス感覚」に優れていて、他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」がなく、
「論破」のタイプではなく、「説得」で物事を進めていくのが、他党との信頼関係を築く上で、最適であるとしている。
その頃でも、安部とか小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 野田は、就任してニヶ月だが、
今のところ安定した政治運営をしている。 これを読んでみて、識者の予測のいい加減なことに驚いてしまう。
現在の日本は大震災から僅かな時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 まだ実務的能力が優れているのか
見極めがつかないが、兎にも角にも、1〜2年で終わらない政権であって欲しいもの。時代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を書いていた。この春に大きな人生の節目を経験し、
その後も、色いろ考えさせられることが多くあった。そのプロセスの中で見えてくるのは、この書のとおり、
「大部分の人は全く考えないということ」である。 という私も、考えが足らなかったので、この結末を迎えてしまった。
偉そうなことは言えた立場ではない。 考えるとは、目的、目標に向かう時、最短距離と、不足しているものを探すプロセス。
他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探すことも、考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の
一環として、日本人に考えさせない教育をしてきた。その結果として、考えない日本人の現在があると指摘している。
この10年近く、哲学書の入門レベルの本を読み続けてきた。 考えるとは何か、考えるべきことは何か、を考え続けてきた。
その積み重ねから分かり始めたことは、自分も含めた大多数の「考えない、考えられない日本人」の現状である。
その大敵は、TVであり、ネットであり、映画である。とすると、その考えない日本人の典型は自分ということになる。
それでも、何とか考える時間は持っているつもりだが、それを全て、文明の力?が破壊している。
 考えないことを、日本人だけでなく、自分の中に見るべき、ということ。 「下手な考え、休むに似たり」もあるが。
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3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 感じたことをどう表現するか
 10年近く毎日、テーマ日記を書いてきた。そして得たことは、感じたことを、素直に表現できるようになったこと。
それは前日書いた文章を、早朝40〜60分かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んでいて、時間をかけたエネルギーを文章の中に感じ取ることができる。
魂の一片である。 言葉のデッサンの修正と、色づけをしていたことになる。 知人が、あれだけ自分にはスラスラ書けないと、
諦め顔でいったが、私だって出来ないのを一番知っている。スラスラ書けるようになるには、文筆業でしか生活が出来ない
土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 天才は別だが。早朝、何度か書き換えてアップロードする時に必ず
「稚拙だが、これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の蔵庫を開放しているに過ぎないと。
満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を見失っている時である。それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。
いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。(この本のマトメというより、自己主張になっているか)
この本に【短くても素直な言葉、素直な表現、素直な組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】
とあるが、それが考えることの基本である。素直な心−ことばは、おのずと独特の音、独自の韻を持っていると、著者は述べているが、
その自然の抑揚と響きが読者の心を打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した文章と、
自分の脳を通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。 
素直に発したことばは、時空を超えて過去の自分に邂逅できる。だから、素直になるしかない。
それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものに近くなる。それと過去の文章を無心で読むことも。
だから続いている。  この文章は、著者に触発されて、私が感じたことを、そのまま書いてしまった。
 ところで今度、実際のダ・ビィンチなどのデッサンの模写をしてみようか。 名画の模写と、名文の模写は基本である。
  ー文字制限のため毎日、文章をカットしているが、これが自分の身を切るようで辛いー
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3136,脳と日本人 −2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 −読書日記
 * 日本という方法
松岡: ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、日本が日本を「方法としての日本」に
 しようとしてきたことに関心があるんです。それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの仏教は、
 中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然や親鶯らによって、かなり独創的な
 日本浄土教というものになっています。空海の密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。つまり、日本は、
 中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。それは禅もそうだし、屏風や庭園もそうです。
 屏風は、中国ではほとんどが木です。日本は紙ですね。 日本という方法になっていくんですね。 たとえば、屏風は、
 閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったらまた蔵に戻すとか。ぼくの家もそうしていました。
 掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。ヨーロッパなどでは、いつ行っても同じ絵を飾っていますね。
 えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに
 訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 新しく購入した絵画を自慢したいというのは別ですけどね。
 ところが、日本では、僕くが育った環境では、少なくとも季節ごとに変えています。 みんな、お金持ちじゃないから
 繰り返して使いますけどね。そういうやり方をするわけです。また、禅宗は中国で生まれて発展しましたが、日本で広まり、
 五山の禅宗文化になった。そこにはいろいろ付属して芽生えたものもある。細長い掛軸もそのひとつ、座敷で酒を飲むのも
 そのひとつ。その代表的なものが、枯山水です。中国にもロックガーデンは沢山ありますが、枯山水はまったくありません。
 枯山水は、水を使わずに岩や石や砂を配置しただけで、そこに山や水をあらわしている。水を感じたいから、あえて水を
 抜いているんです。 枯山水の庭の前に、日本では池泉庭園というのをつくっています。毛越寺の庭園ですね。
 そういうのがあったにもかかわらず、枯山水の庭をつくって岩や石や砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を
 観じようとした。つまり、感じたいものを方法論的にそこから抜いたのですね。 こういうことは、宗教改革のような
 既存価値の打倒や分割とはいえないかもしれないけれど、とはいえそこには宗教感覚が生成していないともいえないんです。
 水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまった。不在をもって、かえって存在感を表現する。
 (字数の関係でカット13年11月05日)
 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、誰も彼もが波乱に富んでいる。
短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー
・・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツを着て成人式に出席しました。
これが二十代のはじまりです。そして.「この人となら死んでもいい」と思える恋をしたものの、
「わしの目が黒いうちは、かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。
主人と知り合って妻になり、長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。
主人が交通事故のために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
 女の一生
  二十代 美しく   三十代 強く      四十代 賢く    五十代 豊かに
  六十代 健康に   七十代 しなやかに   八十代 艶やかに  九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも健康に気をつけて、
しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
 ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒           三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと    五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?      七十代 (やはり)しなやかに
・・・・・・・・・
2007年11月05日(月)
 2407, こころの旅 ー?         ○´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
   この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」の内容で満ちている。
   それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
   その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
   ・一歳半〜五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
   ・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
   ・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回のコペルニクス的転回を指摘している。
    私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
  まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
    *人生の三回のコペルニクス的転回
  (字数の関係でカット09年11月05日)


4615, 閑話小題 ー愛すればそっくり

2013年11月04日(月)

   * 愛すればそっくり
 30年間、ウォーキングとポタリングを続けてきた中、犬の散歩と行きあってきたが、何故か犬と飼い主の姿と顔が似ている。
TV番組で、そのレポートをしていたが、学者まで出て分析をしていた。犬と飼い主の写真を左右において、ペア当てを
したところ、7割が一致。そこで、目だけを両者切り取ってペア当てをさせたところ、やはり7割が一致。
同じ環境で、似たようなものを食べていれば似てくるのか? しかし飼った年月が長いほど似てくるか?といえば、そうでない。
そこで、「自分に似た犬を無意識に選定する」という説がクローズアップ。同じ環境と、互の性格が同化する説が尤もらしい。 
似た者夫婦というが、同じ? 犬は上下が明確だが、夫婦は対等?で、愛憎相まり! 正反対の顔になっていくケースが多い? 
   * シネマ『スティーブ・ジョブズ』
 先日、シネマで『スティーブ・ジョブズ』をみてきた。  ーシネマのブログにはー        
【 常に既成の枠組みを打ち破り、理想を求め続けたスティーブ・ジョブズ。人と違う考え方を貫き、周りの人全てを敵に
 回した<反逆児>が、どうやって、世界中の人に愛されるデバイスを創ったのか。 シリコンバレーの寵児と呼ばれながらも
 繰り返される成功と挫折の狭間で、彼は何を考え、何を想ったのか―。1970年代、友人たちと共に自宅ガレージからスタート
 したアップル・コンピューター。 その類稀なる創造力により、文字通り“世界を変えた”天才の半生を描いた大注目作。】
 ▼ ジョブスに関するドキュメントは、幾つかTVで取り扱われており、シネマは、それらを忠実に物語化していた。
  その中で、ジョブスが、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏に電話越しに怒鳴りつける場面が圧巻。
 ジョブスは、「絵文字をモニター画面上に表したりマッピングの概念」をゼロックスから盗み、そのアップルから
 ゲイツが盗作したのである。 《 画面をスクロールするために「ボタン」をかたどった部品の絵を使ったりして、
 パソコンを直感的に、しかも簡単に操作できるようにしたウィンドウズは、これらの経緯で出来ている 》ということ。
  映画では、ガレージでアップルを興した20代初めから、晩年までの約30年間のジョブズ氏の人生のストーリ。
 まず学生時代に、友人たちと自宅のガレージでアップルを設立するところからスタート。4年で株式を上場させ富と名声を
 手にするも、目に余る傍若無人ぶりで「君自身がアップルの敵だ」と役員の全員一致で解任されてしまったジョブズ氏が、
 それでも夢を諦めずピンチに陥ったアップルに立ち戻って、「アップルをもう一度クールに」と大胆かつ斬新なビジョンを
 実現していく。そのキッカケが、iPodである。そしてiPhone・iPadにつながっていく。ウィンドウズも元といえば、ジョブス。   
  ジョブス、ゲイツは、明らかに歴史を変えた人物として残る。     〜評価85点
・・・・・・
4240, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー13
2012年11月04日(日)
     * 駅伝のルーツとは                         ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  今日、大学選抜の駅伝が行われるが、駅伝のルーツが、この本にあった。飛脚がルーツという感があったが、なるほど、
 色いろな経緯があった。箱根駅伝もTV中継をするようになってから爆発的にファンが増えた。 −まずは、その辺りを抜粋する。
≪ 選手がリレーして走る、いわばロード・リレー・レースである駅伝は、日本発祥のスポーツである。最初に駅伝が行なわれたのは、
1917(大正六)年のことだ。この年は、京都から東京へ首都が移ってからちょうど50年目にあたった。当時の有名企業は、こぞって
50周年の記念行事を計画し、駅伝はそうした企画のなかの一つとして、考案されたものだった。
 駅伝を発案したのは、当時はまだ朝日新聞や毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員である。彼は、京都の三条大橋から
東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソンリレーする斬新なアイデアを考え出した。「駅伝」という名前は
この時考え出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、なぜ駅伝という名前がつけられたのだろうか。 これは、古代の
「駅伝制度」にちなんでいる。古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための馬を配した「駅馬」
「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いでいく様子をこれになぞらえ「駅伝」と名づけたのだ。
この日本初の駅伝は、関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間昼夜を徹して東海道を走り抜いた。
沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、最後は関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、
三年後には東京と箱根を往復する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも駅伝が行なわれている。
日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。 ≫
 ▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。だから、見ている分には面白い。
  倒れた人は、それで一生の傷を負うことになる。甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。
 ・・・・・・・
3875, ギリシャ危機の実態とは? −2
2011年11月04日(金)
   * 呆れたギリシャと、日本
  ギリシャが支援を受けるには借金を減らすため政府予算をきりつめなければならず、国民の反発が強い。
 否決されれば、欧州の解決策が白紙に戻る。そのジレンマの中で、何と国民投票をギリシャ首相が表明したとニュースにあった。
 いずれ破綻をするのなら、一度破綻させ、ギリシャをEUから外せばよい。 一つ間違えると、世界は恐慌。いや、既に瀬戸際に
 立っている。本来は10月に起こって不思議でない恐慌が、少し延びているだけ。 まず、その記事の一部をコピーから・・・
【 欧州の政府債務(借金)問題への懸念が再燃し、また株安やユーロ安を引き起こした。ギリシャがユーロ圏各国による支援策を
 受け入れるかどうかを国民投票で決めると発表し、否決されれば欧州問題が解決できなくなるとの不安が強まった。
 独仏首脳はギリシャ側と2日に緊急会談を開き、対応を協議する。 1日の欧州株式市場では、ドイツの株価指数が一時6%、
 フランスの株価指数が一時5%を超える大幅な下落になった。とりわけギリシャ国債を多く持つ仏金融大手のソシエテ・ジェネラルや
 BNPパリバなどの株価が大きく落ち込み、金融機関の経営への懸念が強まっている。その後のニューヨーク株式市場も急落した。
 大企業で構成するダウ工業株平均は一時、前日終値より約320ドル下落した。 欧州通貨「ユーロ」も売り込まれている。 
 1日午前の東京外国為替市場では一時1ユーロ=109円台をつけたが、その後は 円高ユーロ安が進み、欧米市場では
 1ユーロ=106円台になった。】
▼ 世界の金融関係者は固唾を飲んで見ているが、日本は、他山の石でないから大変である。問題はギリシャだけでなく、
 他のPIIGSが控えていること。その上にアメリカも、日本も、そして中国も大きな地雷を抱えている。各国の指導者の誰も、
 その解決方法が分からず、成り行きに従うしかないのが現状。 ギリシャの公務員数が、何と人口の10パーセント。
 日本の公務員数はというと400万人。国家公務員100万人、地方公務員300万人。多いといっても3パーセントでしかない。
 話は飛ぶが、日本の公務員は、退職金とか公務員年金を給料に換算すると年に一千万近くになるという。で、それを掛けると、
 何と40兆円になる。国家予算と、地方の予算は別としても、国家予算より多いことになる。で、国の予算が実収入の三倍。
 当然、待っているのは、国家破綻である。そして、韓国がIMFの管理下で血の滲むような、合理化をせざるを得なかった道が
 目の前に待っている。 同調バイアスと、正常性バイアス、そして他愛主義者が政権をとっていることもあり、国民は大津波の
 前の土手で、車に寄りかかってプカプカとタバコを吸っている姿に類推できるのが、現時点。海岸線の危ない人の話だけでない。
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 3510, ユダヤ人の頭脳活性法 ー4
2010年11月04日(木)
「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
   * 全身学習法
 子供が六歳でへゲルとよばれる寺小屋に通い始めると、まず文字を指で押さえながら朗読することを教える。
つまり、目で文字を追い、指で押さえ、口で朗読し、耳で聞くわけである。人にとっていちばん記憶しやすいのが、自分の声。
次は胎内入る時から聞いている母親の声。母親の語る童話や寝物語は、人間の知性の発育に大きく影響する。
ユダヤ人は、これに加えて、身体を前後に揺らしながら読みます。つまり全身を使って読むわけである。
我われは、本を持って部屋をウロウロしながら小さな声を出して読むのが一番効果があることになる。
座って前後に身体を揺らせながら読んでもよいが。こういう時、速読は駄目で、ゆっくりと一行ずつ幾度も音読を繰り返し、
文章の余韻を味わってみることである。 それと、考えと思いを書き出すことも重要。 自分が心の中で思っていることと、
自分が理知的に考えていることの間には、大きな段差がある。 自分自身に対して中途半端に妥協せず、自分が納得するまで、
とことん吟味し選び抜き、自分が納得できる表現の文章に組み立ててみることである。
 〜解)そういえば、鳩山兄弟の勉強法に「部屋の黒板に書きながら理解をしていく」とあったが、これも身体全体を使っている。 
   *「模写する力」を身につける
 ー「書き写す」、「真似る」そこから自然とオリジナリティーも育ってくる
  書くということは、自分の考えを綴るだけでなく、他人の名文を書き写すことからも学ぶ点が多い。
 名文というものは、日本語の韻律に優れているだけでなく、仮名と漢字の使い分けや、そのつなぎの妙、
 そして仮名と漢字の織り成す音韻の点でも優れている。受験生などに有効な、もう一つの方法は「筆写」。
 試験問題も、設問も、全部二・三度書き写してみる。そうすると出題者の意図が試験問題全体から伝わってくる。
  もう一つ、「写生」である。写生は見えているものを描こうとすることです。紙の空白の何処のスペースの置くか、
 何を訴えて描こうとするかー奥行きが深いもの。それが上手く出来るかどうかは、全体の構図の取り方にかかっている。
 「デッサン」も、誰もが実践可能な頭脳活性法である。デッサンはフランス語で「下絵」のこと。
 鉛筆や木炭、単色の画材だけを使って対象物を書く素描のこと。対象物をその輪郭、白黒の濃淡、陰影、線の太さ、細さなど、
 単純な要素で表現するもの。それだけ、描き手の目の鋭さと腕の確かさが一目瞭然になる。自分でデッサンできないなら、
 模倣と模写から始めることだ。欧米の美術館に行くと、巨匠の画家の作品の前で終日、模写をしている若い人を見かける。
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  真似る、書く、書き写すことが、基本のようだ。それも繰り返し、続けること。
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3135, 「法則」のトリセツ  ー3
2009年11月04日(水)
* ドアインザフェース ー取引の駆け引きの一手法   
  ‘ホテルカツ上げ’のケース
アメリカの心理学者チャルディーニが行った実験がある。
最初の依頼「これから2年間、毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムに参加してもらいたい」
第2の依頼「ボランティアとして、1日だけ、子供を動物園に連れて行ってもらいたい。」
 最初の要請はほとんどの学生が断った。 断った学生に第2の依頼をすると、約50%の学生が引き受けてくれた。
ところが最初のステップを踏まず、いきなり第2の要請をすると、17%の学生しか承諾してくれなかったのである。
この方法は、外交交渉でよく使われる。 以前の経済交渉で、アメリカが常套手段にした方法がこれである。
最初に、とんでもない要求を突きつける。相手が断ると要求を下げてくる。下げてきた要求の方がアメリカの狙いだったりする。
このテクニックは、最初の依頼を断った時の相手の罪悪感を利用している。
 一般的な例としては
「財布を忘れてきたので、一万貸してくれないか」「悪いけど人に小銭でも貸したことがないので汽車賃なら」
「じゃー昼飯代で二千円でも」で、相手が優位な状態で仕方なく金を貸しざるを得なかったことがある。
 女性にルーズで、当時倒産をして生活が苦しいとは聞いていたが。 また最近、ホテルであったケースとして、
《 部屋においていた高価な時計が無くなったと騒ぎ出し、警察を呼んで調べてもらった翌々日から電話での恐喝が始った。
 明らかにカツ上げが目的。百万以上の時計だが、御前のところの誰かが盗んだはずだ。どう弁償してくれる、何とかしろ。》
 警察に電話をしても「民事のこと、話し合いで何とかしてください」という。 何度か電話が来たが、最後は露骨な脅し。
 そこで録音をして警察にとどけることにした。 百万といっておいて数万〜10万で手をうつ手法は見えみえ。
 といって、恐喝ハンターとしては警察沙汰にした方が後々のため。 で、電話を録音をして警察に届け出て一件落着。
 二十年前の時は、「電話の取次ぎが途中で切れてしまった。 数百万の取引が駄目になった。保障をしろ」という。
 これも体の良い恐喝である。 二人連れだったが、対応した副支配人に包丁を突きつけての脅し、その包丁が彼等の車内で
 発見されて逮捕された事件があった。 次回は、小さなウソを重ねた詐欺的行為?のケース・・
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2770, 半歩遅れの読書術 −3
2008年11月04日(火)
 茶道を通して二人の男の深い魂の結びつきが伝わってくる。馴れあわない親愛、孤独に耐えうる人間の友情が、何とも良い。
さっそく、『平心庵日記』をアマゾン《中古本》で注文をしたが、面白そうだ。
 ーあるHPの感想文からー
  * 逃避から得た恩寵
 昨年(2000年)の晩秋に読んだ本だが、近藤道生氏の『平心庵日記-失われた日本人の心と衿持』(角川書店)も、
私にとってその種の本の一つであった。著者は戦後復興期の大蔵官僚であり、転身して博報堂の代表となった経済人だが、
同時に現代の茶道を支える大茶人として知られている。その著者が、外科医で茶人だった厳父、平心庵・近藤外巻の
日記を読み返し、しだいに大戦の影の迫る、大正末から昭和初期の茶人の生活を描いたのが、この本である。
 平心庵は文字通り「仁術」に生きる開業医だったが、そのために営利的な同業者のあいだでとかく孤立しがちであった。
だがその彼が茶友としたのが三井財閥の総帥であり、近代茶道の復活者一人、鈍翁・益田孝だったから、
話はにわかに華麗な背景に飾られる。 益田は財界の雄であり、山県有朋と結んで政界をも左右した人物だが、
それ以上に江戸後期に形骸化し、利休の精神に回帰させた大正茶道の指導者として有名であった。
 感動的なのは、この二人がたま小田原に住んで、ただそれだけの縁で無私の友情。育んでゆく過程である。
当時・反軍的な益田はようやく政界での力を失い、国の将来を憂いながら隠棲に似た生活を送っていた。
二人はともに孤独を覚えがちな境遇のなかで、いささかも馴れず甘えあわず、茶の湯の規則貫かれた君子の交わりを結ぶ。
二人のあいだに慎み深い距離があって、しかも同じ不幸な時代に耐える暖かい共感が養われていた。そしてとくに私の注目を
惹いたのは、この同じ規律が近藤家の家庭の内部にも及び、息子は父にいつも敬語で語りかけていたという挿話であった。
 この二年、私は「社交する人間」という長編評論に取り組んできた。そのなかで私が社交に求めていたのは、
一貫してこの馴れあわない親愛、孤立に耐えうる人間の友情だったのだが、この本はそれに具体的な挿絵を与えて、
書きつづける私を勇気づけてくれたのであった。
▼ 以上だが、両親が茶人だったこともあり子供の頃から茶道の世界を垣間見、その奥行きの深さを感じ取ってきた。
 私が残された時間ですべきことは茶道の世界なのかもしれない。 
 金沢時代に一年間、寮の近くの個人が教えている家に通ったことがあったが・・・
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2007年11月04日(日)
2406, カラスの話 −2          ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。 ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。 先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラス研究があった。
彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の「ク」の音階で聞こえるという。
それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。
この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、成る程、意思交換をしている。 
カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッという短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。
それと、朝晩の集会での意思交換をしている。 話しは少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬を
からかっている場面に出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。 カラスは、一番身近な野生を感じさせられる動物である。
 もう少し姿、形が良かったら、もっと身近に感じるのだろうが!    グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
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2006/10/24
2030, カラスの話
 ー以下は、字数の関係でカットー2007年11月04日
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2006年11月04日(土)
2041, プロ野球の「記者の順位予測」          才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
 毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前にセ・パ両ーリーグの順位を12人のスポーツ記者が予測する。
 そしてシーズンが終わると、それぞれの記者が「反省の弁」を、 実際の「予測順位」と「実績」の下に書く。
《私はセリーグは巨人、パリーグはソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
  ー記者の結果を見ると、
  (以下は、字数の関係でカットー2010年11月04日)
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2005年11月04日(金)
1676, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−2
深く考えさせられる内容である。 まずは、この文章を!
 ー「イルカは跳んだーある感触」−
男はイルカのことを考え続けている。イルカ一般のことではなく、1960年代の末ごろのハワイの海洋研究所に飼われていた
ー以下は、字数の関係でカットー2010年11月04日
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2004年11月04日(木)
1311, まさか、地元で大地震!ー8
昨日の朝、何時もの散歩道を歩いていたところ、一軒の家が全壊していた。
(以下は、字数の関係でカットー2013年11月04日)


4614, 2000年前のポンペイー6

2013年11月03日(日)

 イタリアのポンペイの遺跡には三度行っているが、行くほどに、その魅力に惹かれる。また何度か、ここでも書いてきた。
TVでは、『NHK BS歴史館』などで、多くの特集を組んでいる。また、図書館には写真集などがある。 
AC79年に、ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山 が大噴火すると、南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれたが、
1748年から発掘調査が行われ、それが現在も続いている。 ローマ人が創り上げた古代都市が徐々に姿を現しているが、
今でも半分も、発掘されてない。 舗装された道路、神殿、住宅、商店街などが20Mの火山灰に、2千年の間、保存されている。
人骨などは、その熱で溶けてしまい、それを覆って出来た空洞に石膏を流し込んだものが発見された現場近くに展示されている。
 ところが最近、ある地下室で、54人が噴火後、生埋めになって折り重なった生々しい遺骨が発見された。
そこで、彼らのDNAや、装飾品・衣服などから新たに多くの事実が分かってきた。 そこは大きな商家で、その主人と
思われる人の身の周りから金銀が。エメラルドを身につけた男女の遺骨には、人骨が青く同化。小銭を多く持っている人は
近くで商いをしていた人。妊婦は胎児の骨がお腹の辺りあったことから推察される。噴火から火山灰がポンペイまで
到達するに19時間かかったというから、留まった人は、大金持で金銀の財産を失うのを恐れ、妊婦は身重で、商人は店に
未練があったため、等々が推察される。 ポンペイには、下水道が完備、都市計画があって、商店街、大広場、神殿などあり、
現代の都市にひけをとってない。古代ローマの都市は、中世のルネサンスまで、それを凌駕した時代は一度も無かった。
その古代都市を、大噴火の20Mの火山灰が石膏代りに、都市全体を保存し、私たちの目の前に再現し見せてくれるのだから、
奇跡である。 石の文化は、後々まで残るからよい。彼らは午前中だけ働き、あとは浴場や、劇場などで、生活を楽しんでいた。
瀬戸内海周辺は、農作物などが豊富で、物流が盛ん。それが万遍無く市民に行き届いていたようだ。 世界は広く、深い!
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2004/11/29
1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。
落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。
2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁に
あったレリーフに,兵隊の絵があった。同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。
その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?
わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた
男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
  ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。 家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、
パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に与えることであった。
AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。〔あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。
試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。
普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
  −この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー
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2004/11/26
1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に提示してくれている。
この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、驚きざるをえない。
それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの高さを知ることができる。この内容が、2000年前の事実がそのまま
ドキュメント風に記載されているから迫力があるのだ。人間の変わらない感動、恐怖、そして生活がそのまま伝わってくる。
街全体が、当時のまま残っているから、更にこの手紙の内容が生々しい。
18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られたことが、当時のままの姿を残すことにもなった。
35年前の日記を昨日のように感じるのは何ら不思議ではない。全て昨日のようなものである。
数ヶ月前のTVドキュメントは、この手紙を忠実に映像化をしていた。
そして、爆発が起きてからポンペイが埋まるまでの19時間も、当時の遺体の様子から
想像をしたドキュメントが生々しく時系列で構成されていた。。
ー6月20日の手紙
私は先に、あなたの求めに応じて、伯父の死についての手紙を書き送りました。
手紙を読で、ミセヌムに残されたこの私がいったいどんな恐怖を味わい、そしてどんな危険にあったかぜひ
知りたいと貴兄はおっしゃいます。実は、先の手紙ではそれを書こうとしていて、筆を置いてしまったのです。
「思い出すのもつらく、悲しみは深いけれど、とにかくやってみましょう」
 伯父が出発した後、私はずっと勉強をして過ごしました。そのために残ったのですから当然です。
それから入浴と食事をし、そして短く途切れがちな睡眠をとりました。
それまでも、前ぶれのような地震が幾日も続いていましたが、カンパニア地方では珍しいことではなかったので、
さほど恐ろしくはありませでした。しかし、その晩起こった地震はあまりに激しく、もはや揺れているという
程度ではなく、すべてがひっくり返ってしまったかのようでした。  母が急いで私の部屋にやってきました。
私の方ももう起き上がっていて、母がまだ眠っていたら起こそうと考えていたところでした。
私たちは中庭に避難し、腰を下ろしました。そこは海と建物を隔てる格好の空間でした。
当時17歳だった私は、落ち着いていたというか、無分別だったというか、ティトゥス=リウィウス(訳注:古代ローマの歴史家、
『ローマ建国論の著者)の本を持って来させ、いかにも暇を持て余しているかのようにその本を読み、やりかけの
レジュメを続けていました。そこへ伯父の友人がやって来ました。
伯父に会いにスペインから戻ったばかりだというその友人は、私が母と一緒に座って本を読んでいるのを見て、
私の無気力と不注意を責めました。それでもなお私は、熱心に読書を続けようとしていたのです。
 もう昼の第1時だというのに、光はなおもぼんやりとして、まるで病人のように弱々しいままでした。
すでに建物には亀裂が入っていました。私たちは屋外にいたのですが、建物が崩れ落ちたときのことを考えると、
その狭い場所では安全とは言えませんでした。ついに私たちは町を出る決心をしました。
私たちの後には茫然となった群衆が続きました。
人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の決断に従う方が賢明だと考えるらしいのです。
   (字数の関係でカット 2013年11月3日)
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2004/11/13
1320, 2000年前のポンペイ −3
  小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ばであった。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。当時まだ17歳だった青年の2通の
手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。
その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、
小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の
美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談となっている。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー
小プリニウスの「手紙
ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け
私はとても嬉しく感じました。というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、
彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、
他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に
書き留められるとすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるい、は価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。いや、むしろこちらから進んで手紙を書かせて頂きます。
 伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。異様な形の巨大な雲が現れたことを母が伯父に
知らせたのは、9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、ちょうど仕事の最中でした。
伯父は靴を持って来させると、その超自然現象を一番よく観察できる場所にのぼりました。
見ると雲が湧き上がっています。遠くからではどの山から出ているか分かりませんでしたが、やがてヴェスヴィオ山から
出ていることが分かりました。まるで松の木が巨大な幹を上に向かって伸ばし、小枝を空に広げたような形の雲でした。
多分、蒸気によって吹き上げられた噴煙がしだいに自らの重みによって横に広がり、そのような形になったのでしょう。
雲はところどころ白く、また土や灰を含んでいるところは灰色に汚れていました。  博学な伯父には、これがもっと
近くから観察すべき大事件であることが分かりました。伯父はリブルニア式ガレー船(2段擢の軽装傭船)に部下を乗り込ませ、
私にその気があれぱついて来てもよいと言いました。
私は勉強しているほうがよいと答えたのですが、そう答えたのは、他ならぬ伯父から課題を与えられていたからです。
伯父が家を出ようとしていたとき、友人タスキウスの妻レクティナから伝言が届きました。
彼女は身に迫る危険におびえていました。彼女の家はヴェスヴィオ山のふもとにあって海路でしか脱出できません。
そこで救いを求めて来たのです。伯父は急遽予定を変更し、救助に向かうことにしました。研究心から乗りかかったことを、
義務感という高い次元の感情で実行することにしたのです。レクティナだけでなく大勢の人々を救助することに決め、
4段櫂ガレー船を用意させてみずから乗り込みました。  魅力的なその海岸には実際多くの人々が住んでいました。
人々が脱出を始めているその場所目指して伯父は急ぎました。航路を直線に保ち、危険に向かってまっすぐに
舵を取ったのです。全く恐れることを知らない伯父は、噴火の全段階と様相を、目にするそばから人に書き取らせるか、
みずから書き留めていきました。
 すでに灰は船の上に降り注いでいました。目的地が近づくにつれそれはしだいに熱を帯び密度も濃くなりました。
真っ赤に燃える軽石や砂利も見え、川床が露出し、崩れた岩が岸を塞いていました。
伯父は引き返すべきかどうか一瞬ためらいましたが、水先案内人が引き返しましょうと進言すると答えました。
「勇気を持て。運命の女神がついている。ポンポニアヌスの家に進路を取れ」。
 この家はスタビアエにあり、ミセヌムからは湾の半分程難れていました。
海岸線はわずかに湾曲していて、そこに海が入りこむような形になっていました。
このあたりには、当面の危険はなかったものの、状況は目に見えて危うくなってきていました。
ポンポニアヌスは船に荷物を積み込み、向かい風が止んだら直ちに出航するつもりでいました。
この風がじつに都合よく伯父の船を押し進めたのです。
無事上陸した伯父は、ポンポニアヌスを抱きしめて慰め、元気づけました。
 (字数の関係でカット 2013年11月3日)
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2004/10/22
1298, 2000年前のポンペイ −2
図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」
というグラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、
その面白さに繰り返し見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。
借りてきて見ているがTVよりさらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。
 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ばからの
発掘によって、古代ローマを知る上で大発見になった。
それまで、古代ローマの遺跡といえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって、それによって支えられていた。
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていないものばかり。
これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。街そのものを、石膏(火砕流)を流し込んで、
そのまま保存したようなものである。
ーそのグラビア内容とは
・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵
・それで解ったポンペイの都市計画図 そして街の構成と築造技術
・給水システムと下水システム
・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場
・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。 そして、そこに描かれていた男女交合の絵
・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型 そして、それをもとに作られたパン屋の想像図
・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図
・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、ブロンズ製のパンパイプ
・街の心臓部になっていた、市民広場 そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、遊び人など様々な
 人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。
・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないようになっていた。そこを入ると便座があり、
 排水溝があって常に水が勢いよく流れていた。
こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。                     ーつづく
・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ ー1
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみるナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、
火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。
屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は人口の1割にあたる2000人と考えられている。
そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。
お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルで
ドロップアウトしたようになるほど、リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、
売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。
道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には
広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。


4613, 君は1万円札を破れるか? ー3

2013年11月02日(土)

        ー君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   * 「銀行」は詐欺から始まった! 
 手持ちの資金の8倍まで資金の貸出可能というから、必死になって預金を集めるわけである。その8倍の枠も、
米国の強制によるもの。それ以前は無制限。そのアメリカといえば、自国に抜け道を多くつくっておいて、8倍の枠組みを
他国に強制するのだから、悪質。 銀行ほど、良い商売はないが、バブル崩壊で都市銀行は三行に集約された。 
 ー以下が解りやすいー
《 現在のような形態の銀行が誕生したのは、中世末期、17世紀ごろのヨーロッパいてでした。この当時、ヨーロッパでは
貿易などの拡大によって商業取引が盛んになり決済に使われていた金を大量に保有する人たちが出てきました。大量の金を
手元に置いておくと、泥棒に狙われて危ないので、預けることにしました。その預け先というのが、「ゴールドスミス」と
呼ばれる人たちで、金を加工して、金貨を造る金細工商。彼らは、金をしまっておくための頑丈な金庫を持っていたのです。
ゴールドスミスは、お客さんから金を預かった際に、預かり証を発行しました。この預かり証は本来、クロークに上着を預けた
ときにもらうチケットや、パーキングのチケットと、なんら変わりないはずです。ところが、ここから意外なことが起こります。
重たい金を持ち運ぶのは不便なので、人々がゴールドの預かり証を金の代わりに取引の決済に用い始めたのです。
 そして、ゴールドスミスたちはあることに気づきました。それは、預かり証を持ってきて金をくれという人がほとんどいない、
ということでした。というのも、決済で預かった人も、自分の手元に置くのが不安なので、そのままゴールドスミスに頂けて
おくからです。預けに来る人ばかりで、受け取りに来る入が少ないならば、自分たちが実際に保有する金の総量以上の
預かり書を発行しても、問題にならない。預かり書を持った人々が一斉に窓口に来て金を取り戻そうとさえしなければ、
どれだけ架空の預かり書を出してもバレないというわけ。彼らはこれを利用して、預かり書を大量に発行し、人に貸して
利子を取り始めました。これはハッキリいって、詐欺行為です。もし、個人が同じことをやったら、完全に詐欺です。
でも、現代の銀行がやつていることも、原理はこれといっしょです。このように、預かりを保証する金よりも頂かり証の量の
方が多くなるのが、「信用創造」です。銀行というのは、そもそも信用創造という考え方による、合法的な誰欺行為をなりわい
としているのです。ゴールドスミスのやり方を真ね、やがてヨーロッバ全土に同業者が現れ、それぞれ独自の預かり証、つまり
紙幣を発行するようになります。ぞうなると、これまでのように国家がお金の発行権をコントロールできなくなっていきます。
時の権力者であった君主たちは、自らの権力が脅かされるわけですから、「お前ら、何をやっているんだ」と口を出します。
ところが、銀行家、「こんなにおいしい商売はないですよ」といわれて、「じゃあ、俺にも入させろ』ということになる。
自ら権力を奪われるとも知らずに。そして、国が必要とする金が賄えないと、銀行から借りるようになる。
銀行家は、国家に貸し付けることで、権力を自らの手に引き寄せていったのです。・・・ 》
 ▼ 「銀行の本質は詐欺! 金で世界が回っているが、その金は、架空の預かり書の紙切れ。」現在の日本は、得体の知れない
 恐怖に覆われ、将来に希望が持てなくなる。その恐怖に慄き、竦み、預金に励む。それも結局、アメリカ国債を買わされ、 
 その国債が4兆ドルに至っているという。売ろうとしたところ、それは米国に対する宣戦布告と脅されている始末。
 日本の出世システムは、米国の属国たる優秀なポチになること。 優秀な人ほど人相が悪い?のは、そのため。 
・・・・・・
4238, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー11
2012年11月02日(金)                             
   * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器    ー「ルーツ全集」インフォペディア編より
 際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わってくる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人のおもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。
 女性を絶頂に導いてくれるスグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的にはヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。
ヒステリーの語源は、ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを起こすのは子宮が原因だと
考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満であることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性を性的に満足させればいい。
そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)して、絶頂に導くことで治療をしていた。 この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器であるバイブレーターだったというわけ。
こうした治療は古代ギリシャの時代から、一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。 確かに、目的自体は
今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、
大人のオモチャの主役だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。 こちらは一般的に
普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも、
「男性自身が小さすぎて満足できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
  ▼ ・・・ !  これを読んで、「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。  
・・・・・
3873, 緑の原野が君たちを待っている!
2011年11月02日(水)
 学生時代に衝撃を受けた授業といえば幾つかある。その中で当時、ドラッガーの訳者で経営学の野田一夫教授の言葉である。
HP内検索で調べてみたところ10年近く前に、この随想日記で取り上げていた。
 ≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2 野田一夫教授 ≫である。
野田教授の授業は厳しく、少しでも遅れてきたら入室禁止、途中の退座や、よそ見や、私語は絶対禁止。
授業は異常なほどの緊張感で進められていた。 その内容を再び大まかに書いてみる。
≪ 貴君らは選ばれて、ここにいる。そして、社会に出て行けば指導者の立場になるために、ここで学んでいる。
 今日から食事をするときは、店の真ん中に座って堂々ととりたまえ。 間違っても、隅でとるな。君たちの学生生活は、指導者に
 なるための準備期間であることを忘れないこと。そのために可能な限り本を読みたまえ。あらゆる分野の本を読めるのは今しかない。
 ロマンローランの「ベートーベンの生涯」を直ぐに買って読みなさい。彼は多くの災難を乗り越えて、あれだけの素晴らしい曲を作った。
「運命」は、音楽家でありながら、難聴の病に冒された時の絶望を音楽にしたもの。「苦難を突き抜け、歓喜に」「良く、かつ高貴に
 行動するものは、その事実によってだけでも困難に耐えることができる」などの言葉がある。 絶望を通り抜たからこそ、あの曲が
 出来上がったのだ。 君たちは恵まれている。しかし、それに甘んじていてはならない。「社会という緑の原野が君たちを待っている!」
 だから、学生である現在、灰色の世界(学問の世界)で、多くを学ばねばならない。≫
この感動的な教えを聞いて将来に明るい陽ざしを感じたのは初めての経験。それも高度成長期の最中である。その日以来ドラッガーの書を
必死に読み始めることになった。自分の強みを見つけ、自分の資源を集中すること。マーケッテングを優先すること。紳士的であること。 
他にもアメリカの経営書を多く読むことになった。 その何もかもが面白く、理詰めで、乾いた干乾びていた脳に吸収されていった。
教養課程の二年までは、日本の作家の書を中心に読んでいた。 が、それでも絶対量が少ないことに気づいた。 高校時代まで、
殆ど教養書を読むことがなかったツケが回ってきたことに気づくことになった。お陰で、卒業後40数年の間、毎日二時間の読書習慣がついた。
 何で。このことを思い出したかというと、当時が一つの節目だったからである。そして現在、次の節目に至ったためである。
「灰色の世界から緑の原野へ、そして、原野を通り越して、大草原に出たのが、現時点」である。 アフリカの猿は原野の木の上から、
草原に進出し、二足歩行を始めた、という説がある。 そう考えると、第二、第三の人生こそ、やっと人間らしい生活が我われを
待っていると考えられる。 周囲は、既にエネルギーを使い果たし、抜け殻しか残ってないような人が三分の二??。
それも人生だが、緑の原野にいた蛇の代わりに、草原にはライオンもハイエナも豹がいる。振り返ってみて、学生時代に多く視点を得た。
緑の原野では、さらに多くのものを得た。そして、現在、草原に入った。 そこで生き抜くためには、ただ一つ、考えなければならない。
・・・・・・・
3508, ユダヤ人の頭脳活性法 ー2
2010年11月02日(火)               
 *インテリジェンスとはー点と点を結ぶ能力  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  ーまずはP/28から
≪ インテリジェンス=考えるとは、そもそも何か? 考えるとは、点と点を結ぶ行為をいう。考える力は、
 そもそも言葉や概念、知識などの量とは関係ありません。まず考えるためには物事をありのままに見る行為から始まる。
知識をたくさん持っているのに、考える力がない人が大勢いる。知識と考える力との間には直接の関係はないのです。
最近ではインテリジェンスということばを「情報」と訳したりもしています。だがインテリジェンスは情報ではありません。
Intelligenceというのは、もともと[Inteー重なり、、際(きわ)」「legere(結ぶ)」という二つのラテン語が
合成された言葉です。きわときわを結ぶ、物事と物事を結合するという意味です。スパイは、点と点の情報を結んで線の情報を推理し、
他の線と線の情報を結んで、面の情報を組み立てます。そういう断片的情報をつないで、総合的な情報に組み立て、物事を総合的に
判断する能力が知性なのです。そして、この点と点を結ぶ行為こそが「考える」という行為です。 ≫
▼ インテリジェンスとは元もと軍事用語で、スパイが諜報で得た情報から線、面へ推論する能力。
 線と線を的確につなげるには、様ザマな能力が必要になる。そのために、まず「五感」を鍛えなくてはならない。
点と点から線を推論し、他の線と組み合わせて面を推論、その面を幾つか重ねて立方体を推論していく過程を考えること、
というと、分かりやすい。この著で、ラビ・レオポルド・スティンは「インテリジェンスの人というのは、
まずオープンマインドで、しかも積極的に記憶して、そして常に体験してみる人のことだ」と指摘している。
それは、点、線、面、立方体へと考えを進めていくことになる。その視点で、もう一度、自分も含めて周囲を振り返ると、
インテリジェンス人は稀のようだ。せいぜい点と点を結んで線にして、それで止めている。 佐藤優の本を読むと、
点と点から線を、線と線から面、面と面から立方体へと推論を組み立てている思考に驚かされる。
・・・・・・・
3133、現代の結婚事情
2009年11月02日(月) 
 この世知辛い世の中で、男も女も結婚相手を見つけることは大変である。
私の世代の男は、少し下の年代が団塊の世代のためイメージとして男女比が2対3で恵まれていた。
それにしては??。 最近の結婚の大変さには同情する。 世の中の男の格差の問題もある。 
以前は三高といって高学歴、高収入、高身長(ちなみに三低は低趣味、低収入、低学歴)だったが、今では
女性からすると
 3低 =低姿勢(レディーファースト)、低依存(束縛しない)、低リスク(リスクの低い職業・公務員など)。
 3C =コンファタブル(快適)、コミニケーティブ(理解しやすい)、コンポレーティブ(協力的)
・男性からみると、4K =可愛い、賢い、家庭的、軽い(痩せている) という。
 収入問題などで、ますます晩婚化になっているが、歳を重ねると、プライドだけが高くなり、
 自分の品との段差が開いていくから、始末が悪い。
人生を振り返ると、両親、連れ添い、そして仕事の相性で、8割方が決まる。
その中で、結婚は私生活の大部分を占めるから大問題。 姉の一人が「結婚は大事業」と実感を込めて言っていたが、
その通りである。 最後は、性格の問題になるが・・・ 一生を添い遂げるのも芸のうちである。 
神様は最も合わない相手を結婚相手に選ばせるように人間をつくり上げてきたという。 
それにしても面白い罠を人間に与えるもの。 人生とはレッスンというより修行である。特に結婚は荒修行!
――
結婚といえば、^カリール・ジブラン「結婚」ーの詩が良いー
 (字数制限のためカット 2011年11月2日)
・・・・・
2768, 半歩遅れの読書術 −2
2008年11月02日(日)
 【 出久根達郎 】
  彼の記述にある「井上流 本の読み方十箇条」が面白い。 井上ひさしの『本の運命』に、紹介されているが、
  ここでは二つしか紹介されてなかったのでネットの検索で調べた。 以下のとおりである。
   ーー
一、「オッと思ったら赤鉛筆」。ーこれは万人が実行している。
二、「索引は自分で作る」。ー大切な言葉や事柄に関する索引を本の扉や見返しに つけておくとよい、という。
   思いつかなかったが早速、実行することにする。
三、「本は手が記憶する」。ー「書き抜き帳」を一冊作ってそこに何でも書き込ん でいく。
   大事なのは手で写すこと。そうすると手が自然と記憶する。
四、「本はゆっくり読むと、速く読める」。ーどんな本でも最初は丁寧に、登場人物の名前や関係を、抑えながら読むといく。
   そうすると書 いている人の癖が分かって、その後が読みやすくなり、結果的に速く読める。
五、「目次を睨むべし」。 ー目次は全体の構造の見当がつく。
六、「大きな事典はバラバラにしよう」。 ー分厚い事典は持ち運びが便利なようにバラバラにする。
七、「栞は一本とは限らない」。ー井上ひさしは本を買うとまず、タコ紐の栞を三本ほど貼りつける。
八、「個人全集まとめ読み」。ー個人全集を集中して全部読むと、著者の言葉遣いや書き癖などが分かっておもしろい。
九、「ツンドクにも効用がある」。ー本との運命を大事にする。本は「買おう」と思ったときに買っておく、これが鉄則。
   そして机の横にでも置いておくと、不思議なことに本の方から「読め 読め、読め読め」と言ってくる場合がある。
十、「戯曲は配役をして楽しむ」。ー戯曲を楽しむためには自分でキャスティング すると良い。
   ーー
  以上だが、これとは別に「本は撫でてやると、所蔵者にささやいてくれる」という。成程、その辺は合点がいく。
 そのためには、図書館で借りて、これは!と思ったら迷わず買うことだ。
 出久根によると、井上やすしはかって、日本で発行される書物と雑誌を、一冊残らず買い求めていたという。
 200冊か100冊か、全部毎日買い求めたというから、たいていではない。 井上は本を買うとまず暇そうな喫茶店に入り、
 一冊20分くらいかけて目次を見 たり、ところどころ読んだり、栞(後述参照)を貼りつけたりするという。
 そしてこれを「僕と本との新婚旅行」(98頁)と呼ぶ。こうして一回撫で回すと、本が彼に向かって話しかけてくる。 
 「この間、目次見たでしょ」とか、「そのことは私の中に書いてありますよ」、と。
 結局、そうこう考えると、テクニックというより絶対量をこなすほどの愛情がなければ!ということだ。
 出久根は、この文章の終わりに作家の福永武彦の名言で閉めている。
【人に人徳あれば本もまたこれに従う】 読書だけでなく、全てに言えることだろうが。
・・・・・
 2007年11月02日(金)
 2404, 久世塾                     ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
   図書館で面白い本を見つけた。
 (以下字数制限の関係でカット09年11月2日)
・・・・・・・・・
2006年11月02日(木)
2039, 猫撃退法    1∧11∧    (ΦωΦ) ニャ〜ン
隣に「猫のブリーダー」が引っ越してきて5〜6年経つ。 
それ以来、我家の庭やベランダが近所の猫の集会所になっている。水をかけたり石を投げても、全く効果が無い。
ブリーダーが知人の同級生ということもあり、露骨に文句も言えない。 そういう人には知恵があり、
近所の陰口屋に上手く取り入ってしまう強かさがある。 そこでインターネットで猫撃退法を調べてみた。
「ペットボトルやコヒーかすなどの猫よけ策のほとんどは殆んど効果なく、センサーで鳴るブザーやスプレーなども
一時的な効果しかない。目先の一時的なものは直に『猫にも見透かされる』」というのがHPに書いてある大たいの結論である。
  (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)    サイニャン (・x・)
・・・・・・・・・

2005年11月02日(水)
1674, うそつき−2
面白そうな所を書き写してみた。 何げない言葉の中に鋭い深い意味が入っている。
 私の評論も入れてみた。
 ・人は自分にうそをつくために他人にうそをつく。
 (評)−他人に巧妙にうそを仕掛けるために、まず自分にまず巧妙にうそをつく。
    もう亡くなったが、身近の人の実演を見たことがあるが、迫真の演技だった。
    のっけから騙そうと筋書きを書いて、そのとおり演じ、その演技に自分が酔いしれてしまう。
    そうでもしなければ金を騙し取ることはできないが。これは他人を騙すために自分をまず騙すケースか?
 ・人は自負心を保つために自分にうそをつく。
  (評)ーこれもどこでもあるうそである。特に女のそれは凄い。
 ・人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的なうそをつく。
  (評−効果的なうそを言うために、信じるまで自分に言い聞かせている人間を何度見た。
 ・うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実を歪曲する。
  (評)−会社の責任の擦りあいなど典型だろう。
 ・うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである。
  (評)−なら女性などには、うそを言い続けなくてはなるまい。 また、それが一番よいのだろう。
 ・人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ。
  正真正銘の真実を聞かされて我慢できる人間はそうはいないものである。
  (評)−そうか、自分は真実をいいすぎて嫌われているのか。
 ・うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しない。
 ・自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい。
  (評)ー鬱病者は、自分に正直すぎるんだ。寝る前に今日は楽しかった!と、100回自分にうそ?を言えば良いのに!
   (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)


4612, 君は1万円札を破れるか? ー2

2013年11月01日(金)

            ー君は1万円札を破れるか? ー 苫米地英人 (著)
   * 世間を覆う「不安」の正体 ーお金の本質は「情報」であるー 
《 今の世の中、「先行きの不安」を感じている人が、大変多いようです。2010年に、次の世論調査の結果が発表された。
世界の国内総生産の75%を占める先進23ヶ国の人々を対象に「将来について安心を感じるか、不安を感じるか」という
質問をしたところ。将来が「安心」と回答した人が23ヶ国中最低の86%もの人が「不安」と回答えたそうです。
ちなみに,「安心」と回答した割合が高かった国のトップはインド(79%)、中国(78%)、オーストラリア(73%)でした。
 なるほど、インドや中国は今後、飛躍的な経済成長が見込まれていますし、オーストラリアは先進国の中にあって、健全な
財政状況が続いています。それに比べて日本は…と考えたときに、将来に不安を覚える人が多いこと。・・・恐怖というのは、
その対象がハッキリしているものをいいます。その対象によって、自身にどんな危険がもたらされるのかという認識が生じます。
その危険に対して、なんらかの対処をしなければという反応を伴う精神状態が「恐怖」です。 たとえば、山道を歩いていて
へピに出くわしたときに感じるのは、「不安」ではなく「恐怖」です。「かまれたら、危ないかもしれない」と危険を認識して、
一目散に逃げるなり、危険を回避するための行動を取ろうとします。それに対しして不安とは、その対象がはっきりしないもの。
精神医学でいう不安症とは、具体的に恐れる対象や根拠がないにもかがわらず、「何かいやなこと、恐ろしいことが起こるかも
しれない・・」といった悪い未来を漠然と予測し、不安にとらわれる病気。日本国民の大半が、この不安感に取りつかれている。
「会社の業績が不振で減給された。いずれリストラされるのでは……」「企業が次つぎ倒産し、求人がへり仕事に就けなくない…」
「年金や国保などの社会保障制度も維持できなくなることはわかりきっている…」など不安を感じる理由が挙がってくる。
けれど、「不況」や「財政破綻」などの問題に対して、「どのように危険なのか」を正確に判断し、「どうすれば対処できるか」
といったことにまで考えをめぐらせている人は、あまり多くないでしょう。 大半の人は、テレビのニュースや新聞、雑誌などで
それらの言葉を見かけるたびに、ただ漠然と「何か困ったことが起こり、その弊害が自分の身にも及ぶのではないか」と不安を
煽られているだけでないでしょうか。 その不安の正体を突き詰めれぱ、「お金に関する不安」です。世の中の先行きが恩わしく
ない方向に向かつていて、そのために自分が充分なお金を得られなくなり、生活が苦しくなる・・ そんな不安に多くの人が
さいなやまされているわけです。 最初に結論を言っておきます。現代のお金は、単なる「情報」に過ぎない。
「これには、これだけの価値がありますよ」と主張する情報です。これもまた「信用」という情報のみです。 多くの人は、
日ごろ目にしている紙幣や硬貨のことをお金と思っているかもしれません。紙幣や硬貨には物理的な実体がありますが、実は、
それはお金の実質ではありません。仮の姿だといってもいい。お金の本質により近いのは、みなさんの預金通帳に記帳されている
「数字」です。こういうと、「実際にお金があるから。通帳に数字が書き込まれているんでしょう」と思われるかもしれません。
通帳に起蔵されている残高をいつでも引き出すことができる。それはただ、お金が出人りしている記録だろう、と。
実は、そうではないのです。数字のほうが本質で、紙幣やコインはそれを目に見えるようにして、やりとりできるための道具。
ただの紙っぺらであり、金属片に適ぎないのです。》
 ▼ 準備期間を含めた45年間の創業と事業人生、このカラクリを真に分かっていただろうか。 2001年の9・11テロから急激に
  地方経済が悪化していった辺りから、バブル崩壊の上に、更に大きな並みが押し寄せてきている。9・11テロも、やらせ?・・ 
 そして、リーマンショックと、3・11災害と、世界規模の地震と津波。経済震災と、自然震災が世界と日本を襲った。 
 お金の正体は情報というなら、情報機器の革命的進化が、世界を根こそぎ変えている。それが、経済震災でリーマンショック、
 政治的には北アフリカ、中東の政変であり、欧米経済の衰退である。そして、静かに進行している世界恐慌。
・・・・・・
4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10
2012年11月01日(木)                       
   * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか        ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より   
 卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家たちによって考案されたスポーツだ。
じつはテーブルテニスというのはあとでついた名前で、もともとはイギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれていた。
ピンポンの語源は、当時使われていた中空の革張りラケットで球を打つと「ピン」という音が出て、球がテーブルに当たると、
「ボン」と聞こえるところからきている。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスとアメリカでは
「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称はすでにイギリスで商標登録されていることが、
あとになって判明。スポーツ用品メーカーが家族で遊べる玩具として発売していた卓球セットの商品名を、「ピンポン」
として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、イギリスのピンポン協会は解体された。
今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、当時の名残なのである。
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
 ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。江戸時代の死刑に、この土壇場に
罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、土壇場は「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、
手足を拘束され、どうにもならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにもならない事態をさすようになった。
 ▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、Youtubeで、フセインが絞首刑に
 なるまでの映像があった。吉田松陰も恐怖で転げまわったとか。ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖のどん底の
 凍りついた瞬間を思い出した! 数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は真っ白!「こんなはずでなかった!」という言葉。 
 躊躇するほど恐怖が倍増してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・  高層ビルから投身自殺をしようとして、
 2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人のインタビューをTVで見たことがあるが、その直前まで意識があり、
 鮮明に落下していく光景が見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。快感のところもあるようだが。
・・・・・・
3872, 一人旅
2011年11月01日(火)                       
  一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市に勤務をしたときに、
紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰りコースで能登半島に行ってきた。
23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。一人旅には、それに似合った時節がある。27歳で結婚し、
事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、その時節しかタイミングがなかったのである。
一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の担当者が、
そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。一度、列車に踏み込めば、
不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分もあった。 当時の記憶が少ないのは、
目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 現在、一人旅というと、面倒という思いが先にたつ。 
しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。
北海道は、青森から青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、一歩踏み出すと気ままだった。
 結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。
卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、私が卒業をして数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。
私の知人ではオーストリアが二人、イタリアに一人、留学をした。 それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に
亡くなった男が、学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった松下さんも、一年間、
彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに世界を見ると見ないとでは大違い。それも一人旅で・・・
 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が全く違っている。 明治政府の高官になって、
新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を見ながら、独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、取るに
足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクス、フロイト、アインシュタイン、ドラッカー、スピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いけれど、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか――。
 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値を見出す。
そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、
頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本というと、
怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタントなど、学者ではなく
「実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤの箴言、格言などから学ぶべきことを的確に表現している。
 〜「まえがき」より〜
「ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ有能なユダヤ人が
いるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉で自らを高めるために努力を惜しまない、
ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」こそユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさを手に入れ、
頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。彼らはユダヤ教の基本構造として
選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの天才的頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。
金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景があると知ると、納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
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3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が崩れていく。
そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス革命では、「理性」が
至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。
そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを
発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落である。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないということで、植民地主義が
正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命もロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義や共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。 で、中国やソ連やカンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければことになる。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。 
毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリンも毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
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2767, こころと脳の対話 −3
 2008年11月01日(土)
   面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
  「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
  そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
  そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
  河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
  相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
  そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  それにしても、色いろな心の病があるものだ。
 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P−160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
   たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
   その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
   本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
   自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
   その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
   そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
   かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
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2007年11月01日(木)
2403, 恩送り      (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。
(以下、字数制限のためカット11年11月01日)
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2006年11月01日(水)
 2038, 躁鬱病について −6   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!


4611, 君は1万円札を破れるか? ー1

2013年10月31日(木)

        ー 君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増する ー 苫米地英人 (著)
 初歩的金融に関する本だが、歯切れがよい。あらため原点に帰って「そもそもお金とは何か?」を考え直すにもってこい。
お金は、交換媒体機能、価値尺度機能、価値保存機能があるが、この裏には、お金の発行権を持った権力者の支配の道具機能。
これが絶対的権力の大元。それは、「信用を元に、無限にお金を創造できるというカラクリで、絶対的権利を得ることになる。
「信用創造」という錬金術である。その大元が、アメリカで世界を支配している。今のところだが・・
   〜アマゾンの内容紹介〜
* 世界経済を「洗脳」で支配する人々に勝て!  世界の富の95%を握る支配層によって、貨幣が操作されているとしたら?
 気鋭の脳科学者が、貨幣による洗脳を暴き、解く。お金から自由になり、真の自由を獲得する!
* 「貨幣のカラクリ」を知り、真の自由を手に入れる。「お金には絶対的な価値がある」と、多くの人が思い込んでいる。
 それこそ、洗脳であり、民衆の奴隷化だ。現代社会を支配する「お金」とは何か? 
 その正体と、貨幣を通した支配構造に気づいたとき、あなたは自分の人生を奪還する!
* どんな仕事であっても、あなたの仕事はもともと、ただ自分のお金を稼ぐためだけにしているのではない。
 人のために役立つ価値を、この世に生み出しているのです。その価値をもっと高めていけたのならば、
 この世の中でさらに多くの人を幸せにすることができるのです。       (「あとがき」より)
▼ 世間を覆う「不安」の正体を、「お金に関する不安」と看破。その不安は、実は、経済支配者が人々に刷り込んだ最大の
 洗脳であり、これこそが大部分の人たちの人生を「奴隷の人生」に貶める呪縛。この呪縛が徹底的に刷り込まれたため、
 「何が、どのように問題か」を考えるより早く、反射的に不安に駆られてしまう。 お金の奴隷とは、お金は絶対的な価値が
 あると盲信し、その価値観に縛り付けられている人になる。現実は世の中の八割は金で解決できることは事実。
 だが、追求する対象ではなく、あくまで、結果についてくる。 その結果としてのお金は、その瞬間から手段になる。
  私の金銭哲学のベースに父親の教えが大きい。 父が亡くなる数ヶ月前、独り考え込んで呟いた、
 「通帳に書き込まれた数字と、紙切れに書いた数字と何が違うのだろう?同じでないか」という、素朴な疑問。
 ある程度の財をなしたが、人生の最期を悟り、死んでいく無念。「仕事を楽しみ、終の住まいを建て、何がしかの財産がある。
 それが、どうした?」という少年のような戸惑い。口には出さないが、「蓄財とは何のため?それが通帳の数字への疑問となり、
 人生を改て見直すことになる。その頃、あれだけ保守的で頭の固い父が、何を思ったか、共産党の「赤旗」新聞を読み始めた。
 それまで信じていた日経新聞と逆の見方があり、それも正しいようだ、と気づいたようだ。死を前に、これまで思い込んでいた
 社会そのものに疑問を感じ始めていた。 そこで父親から学んだのは、「時流をつかみ、その風で稼いで、ある量の資財を元に、
 投資をし、それを趣味に使いきる。 その結果、自分が満足出来か否か」ということ。残す残さない、残る残らないかは、二の次。 
 結果を先に考えては自由を奪われる。人生は、ありのままに生きるしかない、ということ。 父親の成功話の中で、
 「常に時流の先取りと、それへの変身の必要性と、そのため情報と、感じ取る直感と決断を磨くこと」を説いていた。 
  著者は、「お金とは、情報である。 情報ならば、無限に増やすことができる。経済支配者は、その供給量を自由に増やしたり
 減らしたりできる。金は、その数値に過ぎない。大部分の国民の不安心理を利用し貯蓄をさせている。 だから自分の不安を
 直視し、彼らの刷り込んだ洗脳に気づくこと」という。次回から、面白そうな部分を、抜粋し、考えていく。  ーつづく
・・・・・・
2012年10月31日(水)
4236, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー       ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より             
   ● 聖火リレーはヒトラーの軍事戦略から始まった
 オリンピックのハイライトといえば、聖火リレーである。だが、古代オリンピックでは、聖火の儀式は行われていなかった。
近代オリンピックでも当初は行われていなく、ナチ政権下で、ギリシャの末裔がドイツという印象を世界に植え付けようという
思惑があった。ナチスの狙いは、それだけでなく、軍事的目的があった。その道筋は3000キロ、計7ヶ国あり、その道筋を
詳しく下見をしたが、その時に、戦車が通れるか、どの位で走れるかを調査をした。実際にほとんどの国は、ナチに占領された。
戦後、廃止を検討されたが、やはり宣伝効果も含めて存続が決まった経緯がある。
 = 結局は、右上がり経済の自国の宣伝材料として政治家は、これほど裏金を使える美味しい印籠はない。オリンピックを
  純粋に目指している選手は、それでよいが、メダルを取れば、それで一生食べていける時代は終わったようだ。
   ● 花見を広めたのは、八代将軍の徳川吉宗の粋な、計いから
 日本人の春の恒例行事といえば、花見である。東京周辺だけでなく、全国津々浦々で、桜の名所が多い。
庶民でも、金をかけずに近所の公園や川辺で気楽な行事になっている。だが、庶民の娯楽として花見が確立されたのが、
江戸時代になってから。三代将軍の家光が、吉野から苗木を運ばせ、上野に多くの桜を植えさせた。また八代将軍の
吉宗が王子の飛鳥山、品川の御殿場、隅田川などの植えさせ、一般庶民に開放した。庶民の花見は、この吉宗の計らいが
大きかったという。もともとお祭り好きな江戸っ子、これを機会にドット繰り出すようになり、全国にも広がっていった。
 = このような経緯で始まったとは知らなかったが、日本人のように右ならえ文化の典型といえる。他に盆踊りと秋祭り。
・・・・・・
2011年10月31日(月)
3871, ギリシャ危機の実態とは?
  * 曽野綾子の‘つぶやき’
 曽野綾子が、雑誌の手記で「ギリシャ危機の実態」を書いていたが、分かりやすい。
  ーまずは、その要点の部分を書き出してみる。
【 外国メディアが原発にしか興味を示さないのは、彼ら自身の国からして蜂の巣をつついたようになっているからで、
日本も大変だが外国も大変なのである。もはや恒久化した観のある、高学歴の若年層の失業現象。イタリアでは「プレカーリオ」
(非正規)という言葉を聴かない日はなく、それがスペインでは、広場を埋める「怒れる若者」たちになる。
彼らは、独立もできず結婚もできず子も作れない。その一方で、不法にヨーロッパに入国したアフリカ人は、人道の名によって
保護され子供もたくさん産む。既成の労働組合は中高年の職場を守ることしか頭になく、その人々の職さえも不安になりつつ
あるのは、経営者たちが海外に工場を移す一方であるからで、コールセンターまでが、アルバニアやルーマニアなまりの
イタリア語でかけてくるようになった。 アイルランドもギリシアも破産直前。それでいて国民は、EUの命ずる緊縮生活は
断固反対。EUが援助するのも所詮はギリシアに融資している自国の銀行を助けるためなのがわかっているからだが、ドイツと
フランスの銀行がつぶれたらEUもつぶれると言われても、怒れるギリシア人たちは、それとオレの職がどう関係するのかと
言い返すだけなのである。蜂の巣をつついたようになっているのはイスラム圏も同様で、自由を叫ぼうと、こちらも所詮は
「職」の問題。独立後に旧宗主国のヨーロッパに負けるなと教育を振興したのはよいが、その受けた教育にふさわしい
仕事を供給できる社会づくりが十分でなかったのだ。それで、軍人と公務員ばかりが増え、コネのない者は失業したのだった。
 職を常時提供できる社会とは、生産する中産階級が健在な社会ではないかと思うが、イスラム教には、それをはばむ何かが
あるのだろう。要するに世界中が大変で、ほんとうのところはオバマもサルコジもメルケルも何をしてよいのかわからない
のではないかと思う。これが今の世界なのだから、日本は外国の評判など気にせず、災害の復興に専念していればよい。
今回の災難で唯一良いことは以前のように外国からカネをしぼり取られないで済むということだ。 何か言われても、
御存知のよううな状態で、その復輿だけで大変なのです、とでも言うて逃げればよいのである。 
日本人も少しは、悪賢くなりましょう。(六月二十三日日記)  】
▼ ギリシャ危機が、どのようなカタチで収まるのか見ものだが、恐らく、準参加国家として枠組みから、外されるしかないだろう。
 ぎりぎりの交渉の中で、EUの銀行が保有するギリシャ国債の50%を「自主的に」減免することで合意に達したようだが、ギリシャが
デフォルトをするより、ましということ。しかし、次にはイタリア、スペインが控えている。何処まで、火元を押さえることが
出来るのか。9月以降は、いつ株の大暴落が起きてもおかしくない状況だったが、当面、乗り越えたようだ。しかし、根本的解決を
少しも解決されていない。ぎりぎりの状況は、今後も連日、続く。 狼少年のようだが、彼女の言うとおり、これが現実である。
  ・・・・・・・
 2010年10月31日(日)
 * この一年間、腰痛なし
 この一年三ヶ月の間、腰痛が殆ど出てない。殆どというのは軽いのは私の場合は敢えて腰痛といわない。
去年の春先から夏にかけてリズム・マッサージャーと、海老反り器械と、縦型バイブレーションの三点を買え揃え、
それを朝晩使っている。さらに去年の秋口からベッドに低反発枕と低反発マットを使用。その効果が実感できたので、
居間の座椅子の上に低反発クッションを置いている。それら全てが総合的に腰の負担を少なくしている。 
これまで腰痛対策として、30年近くウォーキングを取り入れてきたが、中程度は年に二回(5月と11月)、
3年に一度は酷い腰痛になる。但し、病院には一度も行ったことはない。経験からして時間が解決することを知っている。
現在のところ、一年間にわたり取り入れた道具、習慣が有効に働いている。去年夏の腰痛は酷かった!
 * 最近のタブレットパソコン事情
 ここにきて、TVや新聞でタブレット・パソコンを多く扱うようになってきた。
数年先には、世界中の街や居間や列車内で見入っている姿が日常の光景になる。これは居間か通勤途上のツール。
本や新聞、ゲーム、アルバムなど、多くの機能が入り込んで、多くの人にとって手放せないツールになる。
手軽に持ち運び可能の情報の出入れ口として携帯電話と同じような必需品になる。
その普及と同時に、本や雑誌、新聞、アルバムなど紙に印刷されたものは激減していきざるをえない
これを筆頭とした端末はSF世界の作家すら想像できない進化をしていくことになる。 面白い時代である。
いま一つは居間のテレビもネット接続などのパソコン機能が入ってくる。これは、今度とり上げてみる。
 iPadには興味があるが、一通り各メーカーが出揃ってから考えることにする。
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2009年10月31日(土)
 3131,期待どおりの電動自転車
 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。
自宅は長岡駅裏から歩いて10分ほどにあるが、長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。
信濃川を渡ったところにあるジャスコには15分、ユニ系のSCのアピタまでは20分かかった。そして、その先にある
長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが45分後であった。万歩計をみると、2500歩になっていた。
45分というと5500歩あるくから、半分近くこいだことになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらいである。
 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。  一日一万歩を目指して歩いているので、自転車には
ほとんど乗ることはなかった。 だからスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を
乗った驚きは大きいのは当然のことである。一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかるもの。
自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、その時に特にペダルに力が更に二倍加わるから、何か異様な感がする。
線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂とか、けっこう起伏がある。
そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽になる。
電動自転車は、法律でアシスト一対一から、一対二が認められたことで、爆発的に普及するような気がする。
 ただ、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が忠告した「すぐに、盗まれるよ」
というのも分かる。小型のためボックスカーに、そのまま乗せる事が可能だからである。
一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。
まだ、珍しいからで、あと数年先がよいんじゃない」といって、買うのを止めた経緯もあった。
スーパーや、駅前などは、当分は置けないが、その時はその時ではあるが。 とにかく、驚いた!
・・・・・・・・・
2766, こころと脳の対話 −2
2008年10月31日(金)
「 こころと脳の対話 」  潮出版社   河合隼雄 茂木健一郎
 第二回 箱庭と夢と無意識 
    《箱庭のなかの「生」と「死」》の要点からー
 京都にある河合隼雄の研究室で、「20数年ぶり」という箱庭づくりを終えた茂木健一朗。
  ー茂木の箱庭を見ながらの二人の対話のポイントをまとめてみたー 
 ーーー
 河合隼雄はまず「意識と無意識の関係」を提示する。 箱庭で、ニワトリなりゴリラなどのアイテムを手に取る。
ここですでに、アイテム(意識)の背後にその人の無意識ーとば口ーが関わってくる。
「たとえば、ニワトリならニワトリが、心のなかに残っているわけですね。で、帰ろうと思ったら、本屋でニワトリの本が
パッと目に映ったりするとか。必ず買って読もうと。 それが、ユングのいう「シンクロニシティ」です」(P・102~103)。
この時、箱庭で選んだニワトリと本屋で見つけたニワトリとは因果関係はないです。大切なのは、自分の無意識と外のものとが
呼応するというほうです。 なぜか知らないけれど、箱庭の前に立ったらニワトリというアイテムを手にしてしまった。
そして、帰りに本屋に寄ったら、ニワトリの本にパッと目がとまって買ってしまった。
私のなかになぜかニワトリというかたちで無意識が働き出して、それがニワトリの本と呼応した。これが「シンクロニシティ」。
「意味ある偶然の一致」です。 ここには科学的な因果関係はまったくありません。でもこころにとって「意味」があるんです。
「この非因果的ということがものすごく大事なんです」と。河合はこの無意識の非因果的連関のなかに、臨床の中でクライエント
(患者)の生きる「意味」と「可能性」を探りだしてゆく。「とくに近代科学以後は、因果関係を知るというのはすごく
便利なことで、役に立つことでしょう。 因果関係がわかったら、こちらの意図で操作できるわけですから。
 ー以下字数の関係でカット2010年10月31日ー
・・・・
2007年10月31日(水)
2402, 独りでしていて唯一惨めでない行為        才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  以下は、林まり子の「読書はじめ」というエッセーであるプロは同じ文章でも、読んでいて読者を引きつける力が違う。
 ここまで書けるには、この随想日記を一万は書かなければならないだろう。すなわち現在は2400であるから、差し引き
 7600÷365日=21年以上はかかる。 いやあと10年、いや5年はかかる。文章力は何をさておき、まずは絶対量である。
  ー以下字数の関係でカット2008年10月31日ー
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2006年10月31日(火)
2037, 躁鬱病について −5            才八∋ウ_〆(∀`●
 「夫はうつ、妻はがん」―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?   小川 宏 著  
ー主観をこめた概要であるー
・31年前に糖尿病になり、ストレスなどが重なり15年前の平成3年に「うつ病」になった。
 癌と同様に、糖尿病は普通の人の三倍も「うつ病」になる可能性が高くなる。 その伏線がそれである。
・当時、彼はモーニングショーなど活躍したアナウンサーだったが、自分の事務所を任せていた弟がお金を使い込んだ
 トラブルが「うつ病」の 直接のキッカケだったという。
・うつ病になった直後の平成3年に電車へ投身自殺をしようとした一瞬、
「自殺は愚か者の結論なり」という言葉がよぎり自殺をとどまった。
・その事情を知った妻に病院に連れて行かれて、本診の前の、問診で「親戚で神経系の病気をされた方はいますか?」いわれ、
「はい、その昔、叔父が神経衰弱と言われました」と答えた。 本診の結果、その場で入院を命じられる。
(帰りに自殺を決行の危険がありと診断) その 三ヶ月後に退院。 {うつ病に遺伝があるとはね〜}
   ー以下字数の関係でカット2007年10月31日ー  (*^_^*)\          ー つづく
・・・・・・・・・
2005年10月31日(月)
1672, 聖荊の奇跡
 パスカルといえば、「パスカルの賭け」ー後記ーがよく知られているが、それと同じくらい有名なエピソードがある。
(日本ではあまり知られてないが) ー[聖荊の奇跡]である。この奇跡を見たパスカルが[パンセ]を書く大きな動機になる。
姉の娘マルグリットが、目の病気になってしまう。多くの医者をまわっても誰も治せない状態で、症状はますます悪くなる。
その間に、姉のジルベットは修道院に娘を寄宿させる。しかし目の腫れ物が肥大して、膿がでて、鼻骨も侵されてしまう。
ある日、修道院に展示されていた聖荊(キリストが磔にされたときに、頭につけていたとされる荊の冠)
の一部がにマルグリッドの患部が触れると、たちまち腫れ物は消え、完全に病気が治ってしまう。
これは宗教裁判所からも、奇跡として公認されている。この出来事を身近に見ていたパスカルは、信仰が揺るぎないものになる。
ー以下字数の関係でカット2008年10月31日ー


4610, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー2

2013年10月30日(水)

                 「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著)
    * 雨がもたらす感動 《その時々の感情に合わせて》
 〜 私がいったところはどこも 一人の詩人が私より先に立ち寄っていた。(シグムンド・フロイト)〜
 この本には俳句が多く引用してある。イメージを簡潔に、生き生きと彷彿させるに俳句がピッタリだからという。
成るほど、雨の日に一人、部屋で読んでいると、どの俳句も身に染みてくる。
 冒頭に、「その時の、感情に合わせて」と、以下の俳句などの一節が書かれていた。
  ー慈悲
 慈悲は強いられ 行なうものではない。
慈悲は天から降りそそぐ 恋みの雨のように大地を閏すもの。  シェークスピア(ヴェニスの商人)
  ー融和する愛
 こんなふうに、夏の雨ぱ私たちの 心にしっかと棲みつく。
だれかの心と鼓動を合わせ打つ生まれ変わった心のように。  ミュリエル・バリュベル「優雅なハリネズミ」
  ー孤独ー  
秋雨や夕餉の箸の手くらがり      永井荷風
  ー情熱
情熱とは感情的には朝露にとっての雨 水蒸気にとっては水のようなもの   ジョセフ・ジュベール
  ー別れ
白露や 死んでゆく日も帯締めて    三橋鷹女
  ー再会
夕立もやみたる頃の迎へ傘       高橋淡路女
  ー辛さ
五月雨や上野の山も見飽きたり     正岡子規
  ー優しさ
初時雨猿も小蓑をほしげなり      松尾芭蕉
  ー存在の驚き
はるさめの暮れなんとしてけふも有   与謝野蕪村
  ー喜び
タ立が洗っていった茄子をもぐ     種田山頭火  
  ー哀愁
タ時雨蚕ひそみ音に愁う哉       与謝野蕪村
▼ 雨は、どちらかといえば陰鬱的な気持ちに私たちをさそう。 しかし、雨がもたさす憂鬱、退屈、孤独感の中から
 何にもにも代え難い感情が湧き出てくる。そして静かにエネルギーが満ちてくる。 童謡《 あめあめふれふれ母さんが 
 ジャノメでお迎えうれしいな、ピッチピッチ チャップチャップ ラン ランラン。》が、心の奥から聞こえてきた。
・・・・・・
4235, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー8
2012年10月30日(火)                       
                   ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
● グレルの語源
 <グレルの語源は平安時代の「貝合わせ」という遊びからきている。ハマグリの貝殻を二つに分け、ピッタリ合うものを
 探す遊びである。これが意外と難しくてナカナカあわない。ここから、しっくりこないことをハマグリの倒語、ハマ・グリ 
 ー>グリ・ハマとなり、そのうちグレだけ残って動詞化し「グレル」になった。この言葉、江戸時代には一般に使われていた。>
▼ 最近、あまりグレルという言葉を聞かなくなった。ここで知るまでは、愚連隊のグレからきていると思っていたが、
 愚連隊の愚連が、グレの当て語でったことになる。青少年期にグレタの者に、全うな?人生を過ごしたのは、少ない。
 人生の基本が出来てないのは、その後で立て直すのは難しいということ。10歳で人生の限界が決まってしまう説がある。
     〜〜
● へべれけの語源はギリシャ神話から
 べろんべろんに酔った状態を「へべれけになる」というが、飲みすぎて正体を無くした状態にピッタシである。
一説によるが、ゼウスの娘にちなんだへーべ・エリュケーションからきている。エリュケーションは、お酌をすると
いう意味になっている。オリンポスでは、へーベがお酌をするのが習わしで、若くて美しい美人。しかも、ゼウスの
娘なら、つい杯を重ねてしまう。 神々は前後の境なく酔いつぶれてしまう。「へーべ」「レリュケーション」すなわち
「へべれけ」という言葉が生まれた。他にも、「へ」と「べ」の区別がつかなくなり、へべれけが生まれたという説がある。
▼ 「へ」と「べ」の見境がつかない説もよいが、女神へーべの酌で神々が泥酔した説も面白い。飲み屋のネタに丁度良い。
  スナックに行くのは、へーべを求めて酔いたいためだ。へーべはいないが、へーべ風はいる。居酒屋で酔った後に
  行くのは、幻想を求めるため。 
 ・・・・・・
3870, 品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らねぇ!
2011年10月30日(日)
 映画監督の山本晋也の、ある雑誌の手記にあった言葉だが、言い得て妙である。 
  まずは、その概略を書いてみる。
≪ 小学校1、2年生の頃、友達と「鞍馬天狗」のかかっていた映画が見たくて、トイレの窓から友達4人と侵入したが、
支配人に捕まった。「先に入った友達がいるはずと、教えれば許す」という条件を出されたが、「友達はいません、僕一人です」と、
言い通した。そのため警察に突き出され、父親が引き取りにきた帰り道に、引っ叩かれた後に「ろくでもねえことをしやがって、
でも、お前さん、友達を売らなかったてぇのは、偉い。品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らなぇっていうからな。覚えてけ!」
「品行」という言葉の意味は、大人が使っていたので何となく分かったが、「品性」という言葉の意味は暫くわからなかった。
ただ、その中で、親父が友達を売らなかったことを褒めてくれた、雰囲気は伝わった。自分は成人映画を撮り続けて250本になる。
その上に、深夜番組で風俗レポーターを21年もやったが、一度として歌舞伎町で浮遊したことはない。それもこれも、親父の、
この江戸弁がきいている。 ≫ 
 ▼ 事業を40年近く携わってきて最後は、この結果に終わった。色いろあったが、法律はスピード違反なら10キロオーバーまで。
  綺麗ごとだけでは済まされないのが事業だが、その辺のことは守ってきた。 何事も契約は遵守。 自分の心にとってやましいことは、
  やらない信念は持ってきた。この倒産劇で多く非難をされたと思うが、自分では結果に対し納得しているので、冷静でいられた。 
  確かに品行は良いとはいえないが、品性が悪いとは思ったことはない。 いや、酒癖が悪いから、第三者からみたら最低の品性か。
  「国家の品格」、「女性の品格」とかいう類の本では、品性の部分では、ほぼカバーをしていた。
  そこでは自己確立が出来ているかどうかが、問われている。 人を悪し様に言っている人たち、陰口しか言えない人たちの、
  劣性などが羅列してある。 もっとも立場変われば、見方が全く違うもの。誰も自分にはあると思っているが、実はないのが品性。
  大たい2ランク上の自己評価をするから、お笑いになる。 自嘲? それもこれも比較の問題になる・・ 今さら品性と言われても!
  ・・・・・・・・
3505, フューチャリスト宣言 ー3
2010年10月30日(土)
  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
  * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない
  ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー
 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を押さえた人が、最終的に大学入試に受かる。
ところがアメリカの高等教育は違う。・・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に生徒たちを
放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、
やはり何らかの基準がないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。基本的に放し飼いなので、
最低限のベーシックな問題しか出さない。日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は
まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としてはミニマムにならざるをえない。
ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。
・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。たとえば人によっては、それこそ高校の時から
量子力学まで進めるかもしれないし、歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、ここまでの
範囲しか勉強をしてはダメといって、人工的に競争をさせようとする。 どちらが良いかは、アメリカが良い。
・・・(略)それでも「とんがっていいんだよ」ということが、最近では感覚としてみんなに受け容れられてきた気がしてきた。
 ▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、
 そして高校から一貫教育できた連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、あてがわれた
 受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われているうちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、
 自由の空気を満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。当時は、それほど感じなかったが。
 それで「とんがるように生きてきた」が、このザマ。 先が歪んでいたから?・・・でも、とんがると、娑婆は面白くなる。
 その自由闊達が社会に出たとき、そのまま世渡りにプラスになっている。それぞれ一長一短はあるが、
 グローバル化は、「とんがり」が求められるのである。 実は、心の奥は毎日が面白くて仕方がない? いや、そうでもない?
 「面白くなき世を、面白く」の意味が、歳を重ねていく上でシミジミと分かりかけてきた、ということ!
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3130, 閑話小題 ーつれづれにー
2009年10月30日(金)
   * PDP・TVとDVD購入から7年経過の感想
  購入7年経過の感想といえば、50インチの大きさと画面の明るさと鮮明さが良かったことである。
 特に映画と相撲やボクシングなどの迫力が圧倒的になる。それと海外各地の紹介番組も、現地に居るような錯覚にさせる。  
 ただし、長時間見ていると疲れる。 購入メーカーのパイオニアがPDP・TVより撤退をしたが、製品としては合格。
 7年経っても、現在の薄型TVに見劣りをしていないところは、さすがに日本のメーカーである。
 TVと録画機は8年を目安にしているので、TVはあと一年だが、三年位は持ちそうだ。
 その時は、液晶の65インチのつもりだが、そろそろ液晶とは違う画期的なTVが出はじめている。
  で、現在、薄型液晶を買おうと迷っているなら、50インチ以上をお勧めする。結局は画面の大きさだが、
 部屋の広さもあるから一概にはいえない。メーカーは、どこも同じようなものだが、敢えていうならソニーか、シャープ。
  * 経済の二番底が近くあるのか?
 9月に入ってから、地場から聞こえてくる経済の様子が変のようだ。 しかし新潟駅周辺は9月下旬の国体と
 身障者のスポーツ大会、5連休の観光客のために賑わっていたが、10月半ばから一挙に元に戻ってしまった。
 このところ半年に一度は、こういう雰囲気にはなるが、銀行や会計事務所の話や取引先の話を聞くと、
 今度は本当に追い詰められてしまったところが多いという。 年末年始は大荒れ、の予測が前からあったが、
 その余震が9月から始ったということだ。 当方は、冷夏のマイナスを9月、10月で何とか取り戻したので、
 何とか二月決算の数字は予定通りの目安はたっているが・・・。 年末・年始は二番底に?。
  * 「足腰の痛み」か〜 
 NHKのクローズアップ現代の10月27日(火)放送「あなたの関節は大丈夫?」〜ロコモティブシンドロームの脅威〜
 を食い入るように見てしまった。  その内容とは《(NHKのHPより) 手すりにつかまらなくては階段を上れない、
 横断歩道を青の間に渡りきれない…。 足腰の痛みなど自覚症状がほとんどない人も含め、骨や関節に問題を抱えている人が、
 全国でおよそ4700万人もいるということが、厚生労働省研究班の調査から明らかになった。原因は、ヒザや腰の関節を支える
 軟骨がすり減っていたこと。こうした運動器の障害はロコモティブシンドロームと呼ばれ、"寝たきり予備軍"と受け止められている。
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日
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2765, こころと脳の対話 −1
2008年10月30日(木)
「 こころと脳の対話 」  河合隼雄 茂木健一郎 著  (潮出版社 )             
ー概要ー
  月刊誌上の3度の対談を再構成した本である。脳科学者・茂木健一郎が作る「箱庭」を
  ユング派分析家・河合隼雄が分析。脳科学と心理療法は現代人の苦悩を救えるなどを議論している。
第1回 こころと脳の不思議(ユングは人間の何を見ようとしたか
   ;学生時代の箱庭体験;安易に「言語化」することの怖さ ほか);
第2回 箱庭と夢と無意識(箱庭のなかの「生」と「死」
   ;「わからない」ことを大事にする;ニワトリが牛耳る不思議な世界 ほか);
第3回 「魂」を救う対話(脳治療の倫理的課題;脳科学に限界はあるか
   ;夢のなかで「意味」がつながるとき ほか)
  −−
 まずは第一回「こころと脳の不思議」の《夢の意味を自分で考えてみる》から・・箱庭の解釈が印象的である。
 私も時々、前夜みた夢を雑記帳に書きだすが、後で読み返すと非常に面白い。
 これは箱庭の話だが、箱庭は意識と無意識の、少し意識よりの世界を表現するという。
 私の事務所の部屋の横に、秘境ツアーで買って来た小さな人形がある。
 それだけでなく、母が旅先で買ったものや、子供が小さな頃に買ったものもある。
 考えてみたら、この棚そのものが、箱庭ではないか、脈絡は有って無いような。
 母、私、そして息子の三代の小さな人形が百個位詰まっている。
 そこで時々、気の向くまま7〜8個、白い用紙の上に並べてみようかと思っている。
 そして、ジッと見ているうちに何か不思議な世界に、入り込んでしまうような気がする。
 それはそうだろう、南アフリカの喜望峰で買ったサイの像と、ケニアのマサイ族と、子供が買ってきた
 ディズニーランドのミッキーマウスなどが、白紙の上で並べば、そこに深層の何かが見えてきて当然である。
ーP・19
茂木 僕がやった箱庭は、いまでも覚えてますけれど、やっばリ砂でした。僕はそのころ、内向的というか、
  知らない人としゃべりがあまりできなくて。 あるとき、箱庭で、村でお祭りをやっていて、
  山にサルが一匹いて、木の上からそのお祭りを見ている、というのをつくったんです。
茂木 どういうことか、と聞かれたので.「僕はこのサルで、そのお祭りのなかにまでは行きたくないんだけど、でも一人で、
  こうやって楽しそうな様子を見ているのが好きなんだ」というようなことをいって。そのころの心象風景だったんですね。
河合 その、祭りを見ているサルですね。それは、客観的に祭リを観察している自分というのと、それからサルで典型的なのは
  孫悟空ですね。将来、大活躍する可能性とか、あるいは仏道に入っていくような宗教性や精神性とか、そういうものを
  全部もっている存在としてそこにいるんですよ。それで、いたたずらもするしね。それって、すごくおもしろいですね。
茂木  なるほど、その「サル」というところがポイントなんですね。
 ーP・23
河合 わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。
  それを無理しているだけではもたないかち、寝たときに調整するわけです、全体性のなかに。
  その全体性のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです.
(以下、字数の関係でカット、2008年10月30日
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2007年10月30日(火)
2401, こころの旅 ー5         ('-'*)オハヨ♪
  ―カリール・ジブラン『預言者』
      「子供について」       −読書日記
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った どうぞ子どもたちの話をして下さい
(それで予言者は言った)
あなたがたの子どもたちは あなたがたのものではない 彼らは生命そのものの あこがれの息子や娘である
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども あなたがたから生じたものではない
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが  あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが 彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく いつでも昨日のところに うろうろ ぐずぐずしてはいないのだ
あなたがたは弓のようなもの その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる 射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって 身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓を愛しているのだから
 解)
この詩は味わい深い意味がある。 子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。
(以下、字数の関係でカット、2011年10月30日)


4609, 閑話小題 ー金からの自由

2013年10月29日(火)

   * 金からの自由と解放感!
 脳科学者・認知科学者の苫米地英人の『君は一万円札を破れるか』を図書館でみつけ借りてきた。
銀行に倒産させられた?バイオ企業の雄だった林原の専務の著書『破綻』と並列に読むにちょうど良い内容。 
脳科学者が、金融、特にお金の本質を書くと、こうなるのか、と読むと尚の事、面白い。後日、ここで取り上げるが、
 概要といえば、《お金は経済支配者の洗脳でしかなく、早めに呪縛を解いた方がよい》、と。森林(現実、経済社会)から、
サバンナ(隠居生活)に出てみると、森での思い込みの枠が明確に見えてくる。長年の間、恐れていた倒産に至って、
汚名をきて、曝し首になっても、「それが、どうした!」と開き直ってしまえば、何んてことはない。
 地方の中小の三分の一が、今日明日の資金繰りに追われ、残りの大部分が、一歩手前。まともは1〜2割もあるかなしか。
事業整理をした結果、今までの心労はゼロ。事業をやり直す気持ちなど、さらさらない。独り4時起床、ブログを書き上げ、
6時にポタリングに出て・・と、一日のプログラムを淡々とこなす日々。 お金が無くて、不自由をするかといえば、
皆無といえば嘘?になるが、ほぼなし。全て、やりつくした感があるため、別に今さら。 酒もビールも、味などかまわなく、
美味いと思えば美味いと感じるから不思議。 リッツカールトン・ホテルのレストランが、偽装のネタの料理を出していた云々? 
そんなもの、業界の連中からみれば日常茶飯事で、何を今さら。 食通とかいう人が、能書きたれていても、それが、いかに
下らないことか、料理人が一番良く知っている。 とれたての魚や、野菜を産地で食べるのが一番美味しいし、それ以上の味が
あろうはずはない! 一流シェフの料理が美味いなど錯覚。その錯覚も良いことは良いが・・ 目隠しをし、料理、酒の味見を
すれば分かること。平べったい顔の若い女性に、整形をし、プロが化粧をし、ブランドの衣装を着せれば、誰でも絶世?の美女。
それと同じで、料理の味も集団催眠の一種。 そういう変身番組を土曜日の9時過ぎにTVで毎週、お笑いで放映している。 
 お金も、同じ。 紙切れを、あたかも価値があるように洗脳し、現物を騙し取る。米国の基軸通貨のドルが、そうである。
更にバラまいたドルを米国債で回収すればよい。ネズミ講と同じで、国家が倒れない限りは大丈夫。 世界はバカばかり、
欺し証文(お金)と、大事な時間を対価にした労働や資産を、紙切れと平気で交換する。それで、何かが買えるからだ。
その証文の価値は、一部の連中が紙切れに印刷をし、価値があると洗脳しただけの、詐欺そのもの。
 それが、森林から出てみると、鮮明に浮かび上がって見えてくる。とはいえ「金から自由になるには、気にしないで済む、
何がしかの金が必要」という現実がある。地方では、年3百〜4百万の支出に耐えられる金額が目安。それさえ確保すれば? 
その生活に甘んじれば、金から自由になれる、それ以上は同じことになる。1千万以上の生活を20数年してきたが、充実感が
あったが、現在と大して変わりはしない。いや、金の呪縛から解放された分、現在の方が良い。
以前、「会社を良い状態で、息子に引き渡した状態をベターなら、整理をし曝し首の現在がベストという実感がある」と書いた、
それである。 それもこれも、それぞれの成り行き。どうでも、よいこと。 「饅頭嫌い!」の落語の話かも? が、オチ。
・・・・・・
4234, プレイボーイの人生相談 ー2
2012年10月29日(月)
  今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って捨てるところが面白い。
   * 愛の本質とは?
● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。今まで3〜4人、肉体関係のあった人がいますが、
 わたしの求める愛ではありませんでした。いまも一人の男性と、月に二〜三回あっているのてすが、彼と分かれたあとの
 何ともいえない むなしさはいったい、なんなのしょうか? ー愛の本貿とは何んでしょうかー
◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。魂というものについて、まず考えなくてはならないのだ。
 君には、それを考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係を持つとは、驚くべきズベ公ぶりだ。
 行為そのものが、どうせ、二〜三分の動物的なエンヤコラに相違ない。 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。
 まず、阿保らしいセックスを中止して、愛するということは何かを知るために、名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。
 魂の美しさ、苦しさ、清らかさ、そして浄化を知るがよい。
   * 惚れて、許して、妊娠し…
● 私は十八歳の女子学生です。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。店のバーテンをどうしようもないほど好きに
 なってしまいました。相手も私を思っているようなんです。でもその人は結婚しているらしいのです。人の話を聞いたのだから
 ハッキリわからないんだけれど、聞く勇気もありません。でも時々、彼にがらかわれているようにも思えるのです。
  相手は遊びのつもりなのでしようか。
◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、すてられて、なかばヤケになって、新宿あたりの酒場の
 ホステスになって、だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心を起して、いろいろの男から、金をひき出して、
 ついにその無理がたたって、ダマした男に殺されて、バラバラにされるかね。
  ▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、人生は生まれてくる。いずれにしても、
   人生は真正面からぶつかるしかない。とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚いのも考えもの。「小汚い人生を
   小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。
 ・・・・・・
3869, 地球の中心点からの声 
2011年10月29日(土)
   * 瞑想のヒント?
 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)に切り替えたが、それ以前は、25年以上近くの土手を
歩いていた。1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間以上歩いてい時期もあった。しかし1時間も
歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、何度かシャガミこむ。その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。
屈伸は10回ぐらい繰り返すと不思議と腰痛が引く。ある時に思いついたのが、しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、
そこからエネルギーを汲みあげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に向かうイメージである。 
呼吸法などの本から租借した呼吸法ということになる。その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 
しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、その呼吸法をすることはなかった。ところが、昨日の朝、
ポタリングの途中、信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の中心点が頭に浮かんできて、呼びかけてきた。
《 ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。この一点の声を聞こえる奴は少ない。何時でもよい。
 目を瞑り、そのイメージを持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、そのエネルギーを得ることが可能になる。
まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ! 》と。 本当の話である。 地球の大元に繋がる?イメージは面白い!
もしかして頭が変になってきたか。元もと変だから、何だろう。 内なる声なのか、はたまた妄想か。ただ、純粋にイメージを持てば、
これは内なるエネルギーの大元に繋がることになる?。 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも鬱から躁への
切り替え時のイメージか、これは。 呼吸をしてくれという身体の叫びが正体か。 深呼吸は意識的にしていたが、まだ足りないようだ。
 毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。 深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 
 ・・・・・・・
3504, 10−10−10 ー�
2010年10月29日(金)
   「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」   スージー・ウェルチ (著)
 ここで多くの事例をあげて、3つのスパンで考える方法を教えている。そこで自分の日常の小さな判断の経過をあげてみる。
▼(例)=今月は、どういう訳か飲む機会がなかった。そのためか帰りの新幹線車中で「さて今月は、外で飲んでいない。
酒の肴でも買って家に帰ろうか? 殿町にでも飲みに行こうか?」と誘惑の気持ちが出てきた、とする。
 そこで、この3つのスパンで考える。≪ 店での二時間はストレス解消になる(短期)、しかし酔った勢いで下手をすると
数軒まわる可能性があり、明朝は後悔する(中期)、それも一週間後には全て忘れている(長期?)。
飲みに行けば明朝のウォーキングかサイクリングは中止になり、せっかくのゴールデンタイムが、二日酔いで帳消し。
さて、どうするか。朝か、夜か? 一週間後には全く記憶の彼方なら、帰るか ≫になる。
これは数ヶ月に一度はある。以前は三度に一度は誰かに電話をしたが、今は歳のせいか、ほぼ帰る。
要は考えるという間で、衝動を抑えることができる。 事例としては、人生とは違う内容だから相応しくないか。
 しかし、この本、久しぶりに頭がスカッとさせられた本である。 再度、おさらいをすると、
【 紙とエンピツで、目の前の悩みや葛藤を自問形として書いてみる。<わたしは○○をすべきかどうか?>つまり、
人生の様々な節目に現われてくる問題をまず自分に問いかけてみる。大切なのは、その決断を下したら10分後、10ヶ月後、
10年後(別に10の数字にこだわらなくともよい。一週間、半年、数年後でもよい)の結果を予測することだ。
予測は、ただの想像とは違う。目下の問題の充分の情報を集め、分析し、客観的に見つめなおし初めて予測可能になる。
その過程で、「自分の本心」と「価値観」が浮き彫りになり、裸の自分と向き合うことになる。
そこで、さらに「よりよい決断」をしたかどうかを、その過程で知ることになる。もし、そうでなかったら、そこで修正する。
人間は誰も節目で同じように考えるのだろうが、これを習慣化すれば、より深く考えることが容易になり、判断と決断が早まる。
現在の恐慌?も、「100年、250年、500年に一度のスパン」で捉えたり、「500年、1万年、20万年に一度のスパン」で
捉えたりすることもできる。この視点で過去を振りかえると、自分を見つめ直すきっかけになる。 
・・・・・・・
3129,電気自動車の時代
 2009年10月29日(木)
先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」
という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ
向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。
それを「誰が電気自動車を殺したのか」というテーマのドキュメントも放送していた。
石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー
日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコのように生まれ、
今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、
自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進する
オバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレーのIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを
握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、
ガソリン車の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など様々な
課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、。 
  (字数制限のためカット 2011年10月29日)
 ・・・・・・・・・
2764 ,ウォール街の魔女
 2008年10月29日(水)
  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のようなものを持っていた。
  銀行の破綻(はたん)や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくった。
  さらに、大富豪にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストランですまし、
  安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、その息子がケガをしたときは、
  治療代をケチり片足を切断させられた。  (字数制限のためカット 2010年10月29日)
 ・・・・・・・・・
2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4         (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
*まわり道*
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。同じようなことが、
  立花隆の文章にあった。「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。 
  誰もが直線的な人生より、まわり道をする。 が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。
  行ったきりの人生もあるが・・・ 精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な例。
  一つや二つは、迷路の迷い込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生。お伽噺や神話は、その理想の物語として
  我々に提示される。まわり道こそ、物語なのである。その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、真実と夢があった! 
  逆にまわり道のない人生はそこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、
 「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール下にある」
  という言葉が重く聞こえた。   
   ーp.121ー
  ・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。 「運命」と当面のしごとが要求することを
 忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口があらわれてくることもある。あるいはまったく思いがけない人が
 みていて、本道へとつれ出してくれることもある。けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間、見捨てられているわけではない。
 いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし青年期を病の中で
 すごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 
 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。それは彼のこころの道中で、
 順調に行った人よりも多くの風景にせっし、多くの思いに心が肥沃にされ、深くたがやされたためであろう。 そのためにやっと
 「わが道」にたどりついたとき、すらすらと一直線でそこに来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事を
 することができるだろう。・・・」
  ーー
 人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感する。 それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。
 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、
 決して奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていたからである。   
 そこを「勉強の場」として、割り切ったからである。 まわり道の中でこそ、個性ができるのである。  honnja ヾ(・ω・`)ノバイ

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