堀井On-Line



4608, 孤立無業

2013年10月28日(月)

朝日新聞の書評に、『孤立無業(SNEP)』 玄田有史〈著〉があった。
ネット検索で調べると、多くのレビューが出てきた。そこで、その幾つかをまとめてみた。
 孤立無業から独居老人に、そして孤立死を迎えることになる。死ぬ時は、誰もが孤立死だが。
《  * 孤立が就労意欲を奪う
 日本の若年無業者を「ニート」概念を用いて論じた 東大社会科学研究所の玄田有史が、新たな分析視角を提唱した。
ニートが15歳から34歳の無業者を指すのに対し、本書が取り上げる「孤立無業」は、20歳以上59歳以下の未婚で
無業者のうち(在学中を除く)、ふだんずっと一人でいるか、一緒にいる人が家族以外にいない人々を指す言葉。 
 孤立無業者は、家族と一緒にいる時間がふだんある「家族型孤立無業」と、ずっと一人の「一人型孤立無業」に分類される。
この春、ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版ウェブサイト『JAPAN REALTIME』が「孤立無業者『SNEP』が急増中」
という記事を掲載したことで、ネット上で「SNEP」に注目が集まることとなった。玄田教授によると、「SNEP」の
インターネット利用率は41.3%にとどまり、孤立していない無業者に比べると20ポイントも少ない(2006年のデータ)。 
 〜玄田教授への質問〜  ――孤立無業と聞いても新しい概念とは思えませんが。  
玄田:孤立無業は、英語でいうSolitary Non―Employed Personsの頭文字を取ってSNEP。
 Solitaryには「ひとりぼっちの」「他人とつきあいのない」「孤独な」「寂しい」といった意味があるように、
無業者の中でも、ふだんずっと 一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々のことを指します。
  ――ニートや引きこもりとどう違うのですか。
玄田:まず年齢の定義が違います。ニートは15〜34歳の若年無業者を指す一方、孤立無業は20歳以上59歳以下の
 在学中を除く未婚無業者。仕事をしていない点ではニートと同じですが、ニートは仕事を探す活動や準備をしていない
 無業者、SNEPは友人や知人との交流のない無業者で、約9割が6か月以上働いていません。
 外出をめったにしない人もいますので、その意味では引きこもりはSNEPに含まれていると考えていい。
 また、過去1年にスポーツや旅行、ボランティアなどの社交活動を一切行っていない割合が高いのが特徴です。
  ――孤立無業者はどのくらいいるのですか。
玄田:総務省統計局の「社会生活基本調査」から導き出したところ、2006年に112万人いた孤立無業が2000年代に急増し、
 2011年時点で162万人に達していることが分かりました。これは60歳未満の未婚無業者の実に約6割を占めています。 》
▼ 老後にも「孤立無業」が待っている。特に男の場合、縦社会に慣らされてきたため、横社会では、孤立しやすい。
 それでも160万以上は驚き。 何とか60歳に辿りついたが、それまでに一つ間違えれば『孤立無業』があった。
 倒産は、ほぼ、孤立無業が待っている。事業は船底一枚下が地獄。だから必死に考え、力と知恵が湧き出る。
 最後は挫折で、孤立無業である。特に大都会での「孤立無業」は厳しい。「独りは良い」というのは、独りでない
 からこそ 言えること。人の間にあってこそ、人は人間になる。先日、初老の独り暮らしの人が、アルバイトで
 何とか生活している状況をリポートしていたが、鬼気(危機)迫る深刻なもの。 あの時、何もかも放り出し、
 独り東京の郊外に身を隠し、年金暮しか、生活保護という道もあった。大部分が、それに近い。そこで寂しさと、
 心の傷を癒すため、酒に溺れアル中、そして孤立死・・ としても、一歩も、かたい岩場の穴に閉じこもった
 人生より遥かにまともに、思うのだが、当人は、凍りつく日々。緩んだ方々より凍死? 何か最近、緩んできた?
・・・・・・
4233,プレイボーイの人生相談 ー1
2012年10月28日(日)
以前、この中の今東光の回答の幾つかを取り上げたことがあった。先日、図書館で再び借りて読んだが、
今東光の珍妙な味わいある内容に決して劣らないものが多くあった。回答者は、他に柴田錬三郎、吉本隆明、野坂昭如、
アントニオ猪木、開高健、赤塚不二夫、岡本太郎、武田鉄矢などなど。 その幾つかを取り上げるが、面白い!
若者向けの雑誌のためか、「性についての悩み」が多い。          『プレイボーイの人生相談』(集英社)
   ーまずは武田鉄也からー  <愛につながる性の道>
相談:「彼女はいるのですが、どうしても風俗通いがやめられません。
    風俗に行くと、彼女には要求できないことも要求できて、とにかくハマってしまうのです」。
回答:「実はセックスというのはお互いを汚しあうことなんです。だから、本当にキミが彼女のことを好きなら、彼女と一緒に
  汚れる性を体験しなければ本当の性は完結しないんだ。(中略) お互いを汚し合い、互いを洗い合うところに本質があるんだ。
キミが風俗にハマっているのは、相手を洗ってあげる必要がないからなんだよね。例えばレストランと一緒で、自分が食べたものを
後片付けする必要がないから、気楽だし、好き勝手注文することができる。毎日レストランじゃ、飽きちゃうし、お金も続かなくなる。
そうすると、やっぱり自分の家で食べるご飯が中心になるし、いちばん落ち着ける場所になる。だから自炊をするんだけれども、
自炊をするために魚を買ってさばいてみれば、はらわたは出るし、生ゴミなんかたくさん出るわけだ。すると当然、部屋は汚れる。
実は本当の性、セックスというのはそういうことなんです。今のあなたは彼女とのセックスを汚さないように、散らかさないように、
後片付けがしやすいようにやってると思うんだ。でもさ、若いんだったらふたりで片付けないと片付けきれないぐらい汚したりして
いいんじゃないかな。キミはもっと獣性や野生を出して彼女を汚すべきなんだ。そして、その汚れをふたりできれいに片付ける。
そんなところに、本当の愛につながる性の道、セックスの道というのがあると思うんです」。≫ 
   <何のために生まれてきたか? と考えて>
相談:「最近、ボクはなんのために生まれてきたのかと考えることがあります。人間って一体なんのために生まれてくるんでしょうか」。
回答:「ただ、その問題を考えている人たちは、みんな悩みながら、なぜか突拍子もないことをやり始めているんです。
 簡単な例を挙げてみましょう。桃太郎という昔話があります。よく考えてみてください。 桃太郎っていうのは実に変なヤツですよね。
桃から生まれたといわれて、ある日突然、鬼ヶ島へ鬼退治に行くわけです。だいたい桃から人間が生まれるわけがないと思っていますね。
そんなことは子供でもわかります。それに、自分にはおじいさんとおばあさんしかいない。村の友達と比べれば、なぜなんだろうと
不思議がるでしょう。そこで、桃太郎は鉢巻を締めて考えたんでしょうね。「オレはなんで生まれてきたんだろう?」。その結論は、
「オレは鬼退治をするために生まれてきたんじゃないだろうか?」だったと思うんです。オレはどうやらふつうのやつとは違う、
オレはなにか突拍子もないことをするために生まれてきたんだ。その突拍子もないことはなにかと考えたときに、それが
「誰もやらない鬼ヶ島を攻めること」だった。突拍子もないことをやることで桃太郎は、オレはなにか?という答えを見つけたんだ」。
 ▼ 私なら、こう回答する。 ≪そんな人生の大問題の手軽な答えなどないよ。「何のため生まれてきたのだろうと頭の中で
  繰り返しながら、本屋と図書館の書棚を見て回りなさい。必ずあるから。そしたら、まず、おわりと、最終章を読みなさい。
  そこになかったら、序文を読めば、多くのヒントがあるよ。とにかく、自分で答えを探すこと、それが一番大事なことだよ!≫
 ・・・・・・・
3868, 嘘みたいな本当の話 ー5
2011年10月28日(金)                  
  * 祖母とロック      「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
 祖母と歌番組を見ていた。 とあるロックバンドが演奏していた。 当時とすると若者に人気のバンドだった。
祖母がひとこと、「彼らは、ロックがわかっていない」と言った。 そして祖母は無言で演奏を見続けた。  ー奈良県 うさど
  * 彼女だけの階段
「あの階段、どこですのん?」 ターナル駅の地下街で呼び止められた。「ほら、あのいつも通る階段よ」 私は一瞬とまどったが、
困っているおばあさんを無視することもできず、「その階殴を上がると何が見えますか?」と聞いてみた。 しかしおばあさんは
私に聞いてもだめだと思ったらしく、「あの人に聞いてみたろ」とそそくさと行った。         ー大阪府 馬山鱒由紀
  * もうひとりの私へ
 研究室に入ると、先輩が詰め寄って来た。彼女は日本古代史専攻の学究の徒。
「あなたは、歴史を学ぶ者として恥ずかしくはないの〜」 はい〜 「なぜ、○○遺跡発掘を邪魔するのか?」を知りたい。
「私は、この目で見た。あなたが、その遺跡でしていることを。嘘はつけないよ。なぜ、そんなことをするのか」
何が何やら、さっぱりわからない。「私、その遺跡のことも発掘のことも、何も知りません」
「よく、そんな言い訳ができるね。私は、この目で見たんだから」 はい〜  四十年近く経ったいまでもわからない。
在学中、彼女はずっと糾弾の目で私を見つめていた。よく似た人がいるのだろうか。もうひとりの私は、そこで何をしていたのだろう。
どこの遺跡で何をしていたのだろうか。いまはそれが知りたい。  今日、知人に言われた。『○○スーパーでパート始めたの?』
『牛乳の補充してたでしょう』エーッ! もうひとりの私、頑張ってるね。
 ▼ 「彼女だけの階段」を読んで、学生時代に住んでいた寮の近くでの出来事を思い出した。それも、いやに鮮明に憶えている。
  5歳ぐらいの女児が、「私の家を知らないですか?」と、道を迷ったらしく私に聞いてきた。「町名は何というの?」と聞くと、
  その子、「何を言ってんの。ほら私の家よ、私の家よ」という。 私、「 ・・・・ 」 不思議そうな顔をして、走っていった。
  痴呆症の老婆と私の出会った少女の話と、実は同じような思い込みを我々はしている。 自分が知っていることを他の人まで
  知っていると思い込む、一人合点。 それが長年、蓄積されているから問題。 それより、自分が何にも知らないことを、
  知らない恐ろしさの方が悲惨である。 悲惨さえ自覚出来ない悲しい過去と、そして現在。 軽い話が重くなったか!
 ・・・・・・・
3503, フューチャリスト宣言 ー2
2010年10月28日(木)                
  *(ネット)システム一人勝ちの時代    「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 最近、ネットなどの通販がコンビニ業界と、百貨店業界の売り上げを超えた。10年前では考えられないこと。
我が家では半分近くがアマゾン、楽天などのネットによる宅配便の購入である。それも一回払いのカードで
割引ポイントを稼いでいる。 また楽天などネット商店街を提供する業者は売り上げの数パーセントを出店先からはねている。
これは流通だけでなく、情報に対してもいえること。情報というコンテンツをつくる方は、ネットをコントロール側からすると、
消費される≪素材≫でしかなくなっている。ネット商店は、実際に店に商品を並べ、販売するよりコストが
格段と安く済むため、経費が格段と安く済み、それでもネット・システムを利用する。それが、僅か10年もしないうちに、
百貨店やコンビニの売り上げを超える結果になったのである。そういえば「マトリックス」という映画を観たとき、
コンピューターが、それぞれのシステムと結びついて、エネルギーと情報を吸い取って生体システムが、人間をコントロール
してしまう場面があった。 それは極端としても、ネット商店街などの売り上げが、現実の店の売り上げを超えてきたという
現実は、ネット一人勝ちを更に推し進めることになる。 当方にも楽天の営業がきて「現在の売価を1・5倍にして、
宿泊者に販売をして、ポイントを上乗せをして相手に付ける」という提案をしてきた。宿泊者は、領収書を貰えるので、
会社から、その金額が返金になるが、ポイントの差額が楽天で使えるので、優先的に選択をしますという。
何か、これは詐欺の推奨でないかと疑問を持っている。グーグルも、検索を無料提供し、その情報にヒットする
広告が自動的に調べ手に流すことで広告代が入るのだから、これは素晴らしい。ネット一人勝ちの典型である。
 新聞広告だけを集めたネットが最近出来た。 それまで新聞に挟まれてきたのが、それを地域単位で
まとめたネット。そこに出す商店が出すメリットは、広告の中の惣菜の何を大きくクリックするかで、
その商品に対して顧客が注目されているかを知ることができる。それ自体が、既にリサーチになっている。
 システム一人勝ちは、今後ますます激しく時代を動かすことになる。
・・・・・・・・
3128,ジム・ロジャーズの経済見通し
2009年10月28日(水)
 去年の9・15のリーマンショックは世界経済に大激震を与えた。 世界各国は、この一年間、その影響を最小限度に
 抑えるために可能な限りの資金を投入。それで表面的には平静を保っているが、それは目先の応急処置でしかない。
 日本の失われた10年、20年と同じような停滞をもたらす杞憂があるというのも、今更だが、どうも分かってないのが多い。
 ジム・ロジャーズのインタビューを数ヶ月ぶりに目にした。 当たり前のこととはいえ、彼が言うから説得力になる。
  ーまず、その内容をコピーしてみるー
   ◇「経済危機、再燃も」
    −−金融危機から1年余りが経過し、世界経済は回復の動きも出ています。
 ◆各国の政府が大量にお金を使ったおかげで改善しているように見えるだけだ。自律的な回復ではなく危機が去ったとは言えない。
  米国経済は消費が低迷し、問題解決のために政府は借金を重ね、一時的な雇用対策などに重点を置いている。産業の競争力の
  向上にはつながらず、問題を先送りしている。「失われた10年」、いや「20年」に突入したかもしれない。
  一方、中国政府は競争力をつけるような分野に投資しており、米国との差が鮮明になっている。
    −−日本の政権交代が経済に及ぼす影響をどう見ますか?
 ◆政府は「未来は明るい」と言うもの。ただ、私自身は投資について政府のアドバイスを受けないことにしている。
  政権交代があれば、恩恵を受けるところとそうでないところが出る。日本の新政権は出生率を上げる政策に力を入れるので
  子育て関連の企業は恩恵を受けるが、公共事業削減を目指しているため建設業のような企業は先行き厳しいのではないか。
    −−日本に対する投資スタンスは?
 ◆次の10年を見通すとアメリカに比べると債権国の日本の方が期待できる。私も日本円は保有している。
  最近は円高傾向にあり、円はまだ上昇するはず。ただ、日本は少子高齢化に直面しているうえ、巨額の財政赤字を抱えているため、
  将来的に円を手放さなければならない時期が来るかもしれない。日本の国債は投資への意欲をなくすような低金利だから保有しない。
  −−関心を持つ投資先は?
 ◆貴金属や農産物などの商品相場だ。商品は新興国を中心とした需要の増大に対する供給が追いついておらず、高騰している。
  今後も堅調に価格が上昇すると見込まれるため、今後も商品に投資していく。
  〜〜
  サブプライム・ローンを混入した債権は世界中の金融機関や企業内の資金運用部門に秘かに眠っている。
 それが何時、表面化するか、その時が大恐慌のキッカケになる。 ただ引き延ばしているだけでしかない。
 だから世界の20ケ国が顔を突き合わせて、対策を考えているが、世界の金融機関の一せい閉鎖をする位の荒治療が必要だが、
 それは無理である。だから、失われた10年~20年になるしかないのである。 以前なら世界戦争で、一度清算という手があった。
 ・・・・・・・・・
2763, 閑話小題
 2008年10月28日(火)
 *金融危機が止まらない
9月半ばから始った金融危機、予想通り恐慌の様相を呈してきた。その時点で、この随想日記で「世界恐慌に入ったようだ」
と書いた。他の人は如何であれ、そう信じて状況をみると、恐慌の発火に思えたからである。 何人かの知人に、
「これは既に恐慌だ!と思い込んで世界の状況を見ると、見えないことが見えてくる」と、言ってきた。 
そして、あれよあれよと、一万、9千、8千、そして5年半前の7607円割れを先週末にしたと思ったら、
昨日は7162円でひけた。この数字は、26年ぶりの最安値。 あと少しで7000円割れになるところだ。 
大方の経済評論家は7000円が底値とみているが、近々に6000円前半もあるかもしれない。この上に円だけが独歩高。 
輸出立国の日本はダブルパンチになる。年末から来年にかけて体力のない企業から倒産が始る。 不動産、建築関連、
そして中小金融機関辺りからか。それだけではない、大手銀行も痛んでいて、五千億〜一兆円の増資をするとか、
銀行保有の株式を政府が買取るとか、何でも有りになってきた。世界に目を転じれば、アイスランドに続き、フィリッピン、
ブラジル、そしてロシアと、株式市場の閉鎖などの金融危機が切羽詰ってきた。
世界の株式市場の時価が一年前の半額の三千兆円が消失、それがさらに実体経済を凍りつけている。
11月の15日に、G8と、中国・インドなど新興国が緊急に集まるというが、そこで何が決定されるのだろう? 
最近、グリンスパンなどが、これは世界を覆う大津波といっていた。先月半ばの一連の金融危機は私の人生で一番の世界的な大事件と、
何度も書いてきた。この恐ろしさは、短期的に収まるような問題ではない。アメリカが世界中に毒をばら撒いてしまったのである。 
それもタチの悪い、簡単に回収できない毒。 その中で、ただ生き抜くしかない時代になってしまった。
  ーー
 *WBCの監督問題
面白いから、WBCの監督に誰がよいか頭の体操をしてみる。北京オリンピックで現役監督から遠ざかっていた星野は難しかったのは、
誰の目にも明らかだった。そのことを本人は自覚していると思いきや、どうも最近の彼の言動からして違うようだ。
  (以下字数の関係でカット2009年10月28日) 
・・・・・・・・・・
2007年10月28日(日)
2399, 世間に踊らされた「悪役」
 荻野アンナが読売新聞に『亀田一家の問題』を軽妙に書いていた。彼女は現在、慶応の教授をしているが、
 よくTVで見かける人。 (以下字数の関係でカット2008年10月28日)           


4607, そして、人生はつづく ー7

2013年10月27日(日)

   * そして、『私』の人生はつづく
 「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」と、想定するだろう。
私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生のやりたいことを燃焼する」と、決心、実践した。
到達時に心の底で「万歳!」。そして、人生がつづいて8年近くになる。
 二年半前に会社整理せざるを得なり、本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。。
既に燃焼した人生があったこともある。 20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの事業人生。
その物語の終わりのピリオドが、会社整理。 誰にでも、何事にも挫折が必ず待っている。私にとって還暦が区切り。 
還暦から新たなステージが始まって、第一の区切りが65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、
寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、全てが夢幻と気づく・・
 ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、50代後半の運転手が、身の上話を始めた。
「私の両親の仲が悪く、離婚。母親に引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるを得なく、結局、
水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、
母親ともに育て上げた。子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことはなかった・・」と、
数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もないですよ。
以前、お客さんを乗せたことがあり、身の上話を少ししたことがあったんで・・」と。 タクシーに乗ると、必ず景気とか、
収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。 以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。
 人生は一度、歯車が狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に備え(シェルター)
をつくっておくべきは、身をもって言える。助けてくれるのは自分しかない!「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、
つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変させている。その中、各人の「そして、人生がつづく」。
 情報化、グローバル化、まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。
特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。それぞれの『私』も、思い込みでしかない・・
・・・・・・
4232,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー7
2012年10月27日(土)                       ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 食べると危険 ートマトはもともと観賞用の植物
 ≪ 生で食べてもおいしいし、ソースやケチャップの材料にもなるトマトだが、じつはヨーロッパでは長いあいだ、トマトは
観嘗用や薬用としてしか利用されていなかった。トマトの原産地は中南米である。メキシコでは「トマトル」という名で
煮込み料理などに使われていた一時代を経て一六〜一七世紀にヨーロッパのもたらされた。当時のトマトは品種改良も進んでおらず、
甘味もなく、美味しくなかたようだ。トマトが食べられるようになったのは、イタリアの貧しい農民が、二世紀を経た後に、飢え死にを
するぐらいならと食べたのがキッカケ。≫
▼ これも多くの野菜同様に、南米から持ち込まれたもの。当初は観賞用で、「黄金のリンゴ」「愛のリンゴ」などと呼ばれた。
   * 冷使用人の嫌がらせが功を奏した? ー清酒誕生の裏話
 ≪ 清く澄んだその見た目から、日本酒は清酒とも呼ばれる。日本酒が現在のような透明に澄んだ酒に変貌するのは、
江戸時代初期のこと。じつはそれまでの日本酒は濁り酒で、今でいうどぶろくだった。その濁り酒から澄んだ透明の酒ができたのは、
まったくの偶然からだった。江戸時代初期、兵庫県にあたる摂津の国に、鴻池新六という酒造業者がいた。ある時、新六が素行の悪い
使用人を叱ったところ、その男は蔵の酒桶に灰汁を投じて逃げてしまった。主人を困らせようというもの。ところが思わぬ効果を挙げた。
翌朝になって新六か桶の中を見ると、今まで白く濁っていた酒が清く澄みわたり、味も香りも驚くほど芳醇なものに変わっていたのだ。
まさに、偶然の産物だった。使用人の恵業かなければこの発見はなかった。新六は、この酒を江戸まで運んで売ることを思いつく。
運び賃をはじめとする流通の経費はかかったが、清酒を求め大名の間で、奪い合いになるほど大評判になり、売れた。
新六は江戸と摂津の国を何ども往復して莫大の利益をあげると、大阪に出て商売を広げた。こうして鴻池家は大阪を代表する
豪商になっていくのである。≫
▼ 大阪の鴻池が、こういう経緯で大財閥をつくったとは知らなかったが、面白いものである。ただ、それを大々的に売り出した、
 新六の才覚があったことも大きい。
 ・・・・・
3867, 三〜四年前の為替相場
2011年10月27日(木)
 三年前の2008年10月25日(土)≪随想日記のテーマ「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫が、為替相場について書いていた。
≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も三ヶ月で40%も暴落、何と7600円まで下がってしまった。
 ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っている。この結果どうなるのか? 
 倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。それで済めばよいが、数年以内に中小の
 半分の事業所が倒産、廃業のだろう。考えただけで凍り付く思いになる。 経済大津波が世界中を押し流す勢いである。
 ー 以下は、一年前との比較である。これからみると、まだ経済破壊は序盤ということが分かる。(2008年10月22日現在)≫   
 【 そこで、現在2011年10月26日現在を、書き入れてみた。】
        2007年10月24日       2008年10月22日   2011年10月25日
ドル円         114.10             97.70         76.~
ユーロドル       1.42              1.27  
ユーロ円       162.80            124.70     103〜
NYダウ       13,675            8,519          11,913
米国債(10年もの)  4.3%              3.5%           2.23%
原油         87.10             67.48           80
金          757ドル            724ドル         1640ドル
日経         16000            8500          8800
 ▼ 4年前と比べるとドルとユーロが大よそ三分の二になり、金価格が、2.2倍になってしまった。
  それに対し、株価は一年後にはアメリカの株価は6割まで下がったのが、9割近くまで回復している。
  日本の株価は、4年前から一年後に半分近くまで落下したが、その後の三年後の現在も、ほぼ同じである。
  アメリカと欧州は、ドルとユーロを過剰に刷っただけ? 資源と金はふんだんに持っている。(欧州は属国を含めて)
 ・・・・・・・
3502, 10−10−10 ー� 
2010年10月27日(水)
「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」
 スージー・ウェルチ (著)
  *「10−10−10」と「起承転結」
 ここで、著者は、自分の直感を盲信すべきでないともいう。ことにあたって、冷静にあれという。
さらに三つ目の長期的視点も気をつけるべしと釘をさす。それが短期的、中期的より優れているとは限らないことが、
この「10・10・10」が教えている。長期的視点は重要だが、他の時間軸での見方も重要であると。
考えれば考えるほど奥行きが深くなる。 そこで文章作法、いや四コマ漫画の「起承転結」を、これに当てはめてみる。
< 起=現在、承=現時点で実感できる近い将来(1〜2年先等)、転=一時代先の将来、結=永遠、虚無 >という仮説である。
 文章作法も、漫画からみると、転=が最も重要である。10年一昔ともいうし、転を基軸に起と承と結が決まってくる。
そうすると、哲学的に人生を俯瞰して考えると10年先の転に常に標準を合わせて現在、そして数年先を決めるべき、となる。
ある海外ツアーの添乗員が、面白いことを言っていた。「自分は、10年スパンで人生を括ってきた。
卒業をして10年は普通のサラリーマン、そして次の10年は世界を見て歩きたいため添乗員に、その10年に来年なってしまう。
次の10年を何をしたらよいか決断しなければならない。この10年は満足をしているが、次の10年も全く違う分野に
転進した方が良いのは分かっているが」成るほどと、考えさせられた。それは、決して職業とか職場を変えるべし、
ということでなく、職場配点でも、内面の変化でもよい。そうこう考えると、この(大小の)決断のための3つのスパンの視点を
身につけることは非常に重要である。 自分の過去に、あと理屈をつけて次の10−10−10を考えるのも方策である。
転に焦点をあてるために、起が重要になるのは言うまでもない。現在は結の永遠・虚無に垂直にたって通じているからだ。
 そんな難しいことより、三つのスパンで考える習慣を、転、転、転で、いや、テン・テン・テンで考えることだ。
小さな節目、中くらいの節目、そして大きな節目を過去から見つけ、この先に当てはめることである。 
 まあ、何をしてきたのだろうか。それは100人中100人が当てはまるが、これを当てはめて10年先、?十年先を考えないと。
それより、もう先が無いか!
 ・・・・・・・・・
3127,「法則」のトリセツ ー2
 2009年10月27日(火)
 * エメットの法則  ー後回しは二倍のエネルギーが必要となるー
 他人事にはよく分かるが、自分のこととなると全くみえないから恐ろしい。
仕事を頼むなら忙しい人に頼めとは、出来る人は仕事を後回しにしないで直ぐにやるからである。
ーウィキペディアによるとー
≪エメットの法則とは「仕事を先延ばしにすることは、片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要する」
 というリタ・エメットが提示した法則である。 我われはついつい仕事や判断を先延ばしにしがちである。
 そのことは大きなマイナスになることを体験上知っている。だから如何に問題から逃げないようにするかである。
 しかし「やりたくない」という気持ちが勝ってしまい「後で」という言葉が習性になっている。≫
▲ これは、個人だけではない、現在の日本が直面している問題である。そのツケは、結局は我われの後の世代に回ってくるが、
 その根は深く、後に回すしかしないのが現状である。これは、逆に考えれば「何事も先手を打った方が結果として、エネルギーは
 半分で済む」ことになる。戦略的に先を読んで前もって準備をしておくと結果は半分のエネルギーで済むということ。
 たったこれだけの法則、どこまで実行してきたのだろうか?
  〜〜
 * ハロー効果
≪ ハロー効果とは心理的効果の一つで、ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が
 歪められる現象のこと。 一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。
 ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。
 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまう
 ケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにも
 かかわらず良いイメージを与える。それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 いっぽう、CMに起用された
 タレントが不祥事を起こしたりすると、商品自体に何の不満も覚えていなかったにもかかわらず購入意欲が削がれたりする ≫
▼ 常に、何処かのバカタレが麻薬事件で問題を起こしているが、あれが実情の素顔でしかない。虚像を売るのが彼らの商売。
 クレオパトラは、それほどの美人ではなく、常に男の視線を意識をして派手な演出効果をしていたとか。特に色と光に、そんなもの。
 ・・・・・・・・・
2762, 半歩遅れの読書術 
 2008年10月27日(月)
 日経新聞に連載中の書評4年分をまとめたもの。新刊書ではなく、刊行後1-2年経た本を主な対象にしている。
30名が読書にまつわる思いを書いている中身の濃い本である。
冒頭に出てきた荒川洋治のー基本という「本」−僕のジャンル別の『書き方』−の次の一節が面白い。
 ーP-22
M・j・アドラー、C・V・ドーレンの『入門本を読む本』(外山滋比占、一九九七)は本を読む人のための、本だ。
「文学書」を読むときの心得は、「文学の影響力に抵抗してはならない」。たとえぱバリが舞台の小説を読みながら、
ロンドンだったらいいのにね、などと思わないこと。流れに身をまかせよ。それが読者の経験となる。
「文学の中に名辞、命題、論証を求めてはならない」。いうにいわれぬ「何か」を求めることだ、と。
またテレビやラジオなど外側の情報源は「突っかい俸にすぎない」。だから本を手放してはならないと、
「自分の中に精神的貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まってしまう。
 そのとき、われわれの死がはじまる」。現代人への、警告である。・・・(中略)
さて、ぼくは読みかたではなく、書きかた、主に書くときの気持ちのもちかたをジャンル別に整理してみた。

・・・・・・・・・
2007年10月27日(土)
 2398, 20歳代 海外旅行離れのワケ              オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪        
 先日の日経流通新聞のトップ記事の見出しが「20歳代海外旅行離れのワケ」であった。
時代の流れが、その時々の若者の気持ちを決めてしまう一つの事例である。
逆にいえば、この不景気の中、国家存亡の時期に20歳代に6割も海外に行っていること事態がおかしい!のである。
それと、やはり情報化が、この10年間に進んだこともある。 TVで世界中の映像を、こと細かく放送をしていれば、
未知への憧れも薄れてしまう。 さらにインターネットや携帯やゲームなど、旅行より面白そうなものが
手軽に手に入るようになったのも大きい要因だろう。
 ーまずは、その要旨をまとめてみるー
・二十代の海外旅行は過去最大であった10年前の6割に落ち込んだ。
・20代の75?が過去一年間に海外旅行に出かけていない。また、一度も出かけてない人が40?であった。
 その理由として、言葉が心配が14?、何となく心配が10?。
・一回の旅行代が25万で、「高い料金を支払った上に想定外の嫌な思いをしたくない」のが心の奥にあるという。 
 また3割が学生時代に旅行に行った経験がある。 仕事が忙しいが3割になっている。 
「リラックスをするのが目的なのに、海外旅行は長期の休みを取りにくく、せわしなく行きたくない」という。
・それより「リムジンを借りて遊んだり、ホテルで仲間内でパーティーを開いたりして楽しんだ方がよい」という。
 また沖縄や軽井沢などを何度も訪ねているうち、「見知らぬ海外より、身近な土地をより深く知りたい」という。
 最近の若い人は知的好奇心が減少しているのが特徴。 特に男に海外より温泉と預金という人がふえていて、
 海外旅行は一度行けば充分! という風潮もあるという。


4606, 閑話小題 ージェネリック家電

2013年10月26日(土)

   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が一定期間を経過したことによって特許切れに
なった薬品を、他社が格安で製造販売できるようになった薬」のこと。 ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち(一世代前)した製品の部品を集めて
半額から10分の1の価格に抑えた専門メーカーの商品である。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加
しているという。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、家電チェーンの店先に行ってみると、
何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。 半月前に5年間使ったデジカメが壊れ、新たに
買うことにした。当初からデジカメはカシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後だったが、
今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の
多機能付きか迷ったが、ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。
デジカメは、日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能になっている。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それにしても安い。
 20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セットを買った。百万円以上はするような高級なものが、
30万円。そこで、社長に聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤから輸入したもの。
デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」の走りだろう。
 考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。 型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、
使用目的に絞り込んでトレードオフをしている点では同じ。 5百、千円ならいらないが、百円なら・・
 韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
・・・・・・
4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
 ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
 ≪1886年、アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、
 頭痛薬「コカ・コーラ」として売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があったのである。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつものようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、
あいにく手近なところに水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客はすっかり元気になり、
効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、シュワッと泡の出るコカ・コーラがアメリカ中に広まっていった。
 日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味だったのか、あまり売れず、いったんは発売が
中止になったという歴史がある。再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の兵士や、
その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。しかしルーツは一つなのである。
ではこれらのお茶は何が違うのかというと、製造方法が違うのだ。 製造過程で・葉の発酵具合を変えることで、まったく違う
種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸してもんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は
半発酵させた茶で、青茶ともいう。そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵させる過程で、
独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
 ▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔化すに適していたのだろう。
 ・・・・・・・
3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
          「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、たいがい目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。昼間でも家の外に人の気配がすると、
玄関に走り出し吠える。家を守ってでもいるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。父が入院している病院に向かっていた。
病室に入ると父は人工呼吸器につながれる瞬間であ.った。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、
微動だにせず機械と息を合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずるかのような音と共に
機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。
父の法要が済み、一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。茶色のトイプードルが
我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことをきかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、まさにその日であった。
これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
 ▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に映し出されていた。その時に居間の障子越しから
  夕陽が仏像を照らした。それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は何の日か?、ハッとした。
  父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。
・・・・・・・
3501, 10−10−10 ー�
2010年10月26日(火)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージー・ウェルチ (著)
  「何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。
 その時、目先に捉われて、感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 が、そんな節目にこそ、10-10-10は
 未来に目を向けてくれる。そして未来から節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てることになる。
 そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを気づかせてくれ、人生の優先順位を考えるきっかけになる。 
 また自分に必要なもの、必要なことは何かを見極めるチャンスを与えてくれる。それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことになる。 
 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?の視線も重要である。目先、とにかく冷静沈着が必要とされる。
 ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と擬人化して質問を発することを勧めている。
 我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは何だろうか?と。その質問を明確にすれば、答えの何割かは
 自然と内から出てくる。それはガイドでもある。そこで、「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期的なら何を準備すべきか、
 そのため現在の具体的行動は何か」を冷静に考えることが可能になる。 少なくとも問題に対して前向き思考になる。
 彼女は、これを「人生管理ツール」という。 人は闇にいる時、そこに、そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。 
 問題に対して、この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。 
 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 しかし10−10−10をツールとして使えれば、気楽に長期思考も
 短期思考もしていることになる。 著者は女性の直感で、10−10−10と単純な三つのスパンで考える方法に気づいたこと、そのことが、
 素晴らしい。そして3つのスパンで単純に、具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を現してくる。
  ここまで、シンプル化するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。
  ・・・・・・・・
3126、あいうえお言霊修行
2009年10月26日(月)
 「あいうえお言霊修行 」 矢山 利彦 (著)  ー読書日記
 図書館で、何気なく手に取った本。さっそくポストイットに書き写して、パソコンの画面の下に貼り付けた。
「ありがとう」を何万、いや何十万回か言ったが、最近は言わなくなった。 
今度は「あいうえお言霊修行 」として、せめて一万回をいって見ようか。 以下は、アマゾンの
 ー内容紹介ーと 「カスタマレビュー」
《 言葉には気のチカラがこもっています。そのチカラを脳が感じているのです。
言葉には意味だけではなく、本当にチカラがこもっているのです。「うれしい」「悲しい」・・・。
そうした言葉の一つ一つを脳の深い部分が感じ、プラスとマイナスの言葉に振り分け、そのチカラを身体に伝え、
心の文様をつくっているのです。気がつかないかもしれませんが、「自分の口から出た言葉」「人から聞いた言葉」に、
私たちの身体と心はつねに反応しているのです。》
 ーカスタマレビューで、ホボ7割方を言い尽くしているので、そのままコピーしてみるー
魔法の言葉では、五日市剛さんの『ツキを呼ぶ「魔法の言葉」』がある。  本書では、魔法のプラス言葉
【あいうえお言霊修行】として、『言葉が心を変え』『身体を変え』『人生を変える』方法が紹介されている。
●この言葉は、(声に出して)1万回間違わずに唱えれば、確実に変われる強さがある。
●途中でマイナス言葉を言ったら、振り出しに戻って【0:ゼロ】から、始めること。
   [魔法のプラス言葉]
・「あ」は、「ありがたい」 ・「い」は、「いつくしむ」 ・「う」は、「うれしく」 
・「え」は、「エンジョイ」 ・「お」は、「おおらか」
   [病気になる人、ネガティブ]な人に多い、
  「が・ぎ・ぐ・げ・ご」思考及び行動
・「が」は、「がんばる」 ・「ぎ」は、「義理・義務」 ・「ぐ」は、「グチる」
・「げ」は、「原理・原則」  ・「ご」は、「ごまかす」
1万回間違わずに唱える行動に動くことで、人生は、積極的なプラス思考となり、いい方向に変わると考えます。
魔法のプラス言葉の第2弾です。 行動に動いて、損をすることはないでしょう。
 ーー
指回しをしながら、親指から、あいうえお順に回しながら言うのも良いだろう。
栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」というのがあった。
一時、中年の人が彼方此方でしているのを見かけたが。  良いと思ったら何でもともかくしてみることだ。   
 でも、一万回も、言えるかな? まあ、パソコンの下に貼り付けてあるから、それだけでも良いか?
「がごぎげご」か〜、社民党の女党首が、これ! いや他人事じゃないか〜 そのどこが悪い!とも言えるが。
                                    世界は娑婆娑婆! だもの。
・・・・・・・・・
2761, 金融危機・中国からの視点
 2008年10月26日(日)
産経新聞の【ちゃいな.com】という産経新聞・中国総局長・伊藤正のコラムが、面白い。
中国も、社会主義が抱えている汚職と、一党独裁の矛盾が噴出。更に米国の金融危機の余波を受けている。
やはり米国同様に、これから10年間は動乱になる可能性がある。
 その中国の置かれた現状が先週の産経新聞の一面に掲載されていた。まずは、その内容から・・・・
【 中国が毛沢東の革命路線から改革・開放路線へ転じ、経済発展へスタートを切ったのは1978年12月。
 この歴史的転換の主役、トウ小平副首相(当時)は翌1月、外交関係を正常化した直後の米国を訪問した。
 トウ氏は経済発展には対外開放が不可欠で、そのかぎは対米関係にあると考えていた。
 トウ氏の外交顧問で訪米に同行した中国の米国研究の権威、李慎之・元社会科学院副院長が、
 なぜ対米関係が重要なのか問うと、トウ氏は明快に答えた。「米国についていった国はみな富強になったではないか」
 このエピソードは、先に連載した「トウ小平秘録」でも紹介したが、このとき、トウ氏の頭にあったのは、
 米国市場で巨額のドルを手にした日本だったろう。 実際、過去30年間、中国は米国を最重要の経済パートナーに、
 対外貿易を振興、急成長を続けてきた。
 中国式発展方式の特徴は、安価な労働力を武器に外資を導入、「世界の工場」として輸出で外貨を獲得することにある。】
  (字数の関係でカット、09年10月26日)
・・・・・・・・
2007年10月26日(金)
2397, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー4
                        (*´・ω・)ノはよー
ここで彼が述べていることを野生動物のファミリーとみれば理解しやすい。父親の役割は子供をつくり、餌を取ってきて、
メスと子供を外敵から守る。これは全ての動物の自然の姿である。 万物の霊長たる人間様は動物とは違う!というが、
その万物の霊長とかいうこと自体、自惚れではないのでは?と、吾身や社会を省みて思わざるをえない。 それと歴史・・・
父親は父性、母親は母性の役割があるる! 変態と知能指数の低いのは 別だが・・これは世界の何処の社会でも同じことである。
一番おかしくなっているのがアメリカと日本! 戸塚宏の次の内容は、現代日本の家庭崩壊の根本問題を指摘している。
 当たり前のことが当たり前でなくなっているところに問題の深さがある。
 −−−−−
 *父性と母性*
こうした小学校時代の教育には、父親の力が不可欠である。父親が家の方針を決め、母親がそれを補佐する形が理想だ。
この形を維持すれば、子供は父親の言うことを聞くようになる。実はヨットスクールに来る子供たちの家庭は例外なく父性が弱い。
酒鬼薔薇聖斗事件でも西鉄バスジャック事件でも、犯人の家庭では、父親が弱かった。男女どちらが優れているという話ではない。
役割が違うのだ。「家庭内での男女同権」を唱える人がいるが、家庭で母親が父親並みの権力を持って何かいいことがありましたか、
と問うてみたい。 無論、何もいいことはないのである。
 私は、父親がなすべきことは四つあると考えている。
一つは、子供をつくること。 二つ目は、餌を取ってくること。 三つ目は家族を物理的に守ること。 四つ目は国を守ることだ。
いきなり愛国心とは、面食らうかもしれないが、父親に愛国心がないと子供は不安になるのである。
自分の数々の経験からこれは間違いない。人間は群れをなす動物で、男は時として群れのために命を投げ出すことがある。
これは男の本能だ。男は強くなろうとするが、それは自分のためだけではなく、群れを守るためでもある。
群れを守ろうとする気持ちが強い人は、父親が強いのである。子供たちも己を捨ててチームや社会、国のために働くヒーローが好きだ。
漫画やテレビなどでもそういうヒーローものにひきつけられる。 男の子は本能的にそれを知っているのだ。いまの日本は、
男性が女性化して守ってもらう側になっていることも珍しくない。 群れを守るどころではない。これも教育の悪影響だ。
戦後、男に与えられていた責任感が激減したから強くなれなくなってしまった。女は本能的に保護を求める性だが、男が頼りなければ、
女が強くなっていくしかない。しかし、母親はよほど自覚的にならない限り、子どもを強く育てることはできない。
たいていは子供が素直で勉強ができれば、満足してしまう。それではひ弱な偏差値秀才ができるだけだ。


4605, 閑話小題 ー今回は、い〜かな

2013年10月25日(金)

   * 「今回は、い〜かな!」
 一昨日の夜のこと。家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、とヤンワリと断った」と。 
そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。
「『い』をつければ、いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして「あっ、そっか!」
それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、こういう言葉の彩の面白さに反応しない。
 以前、何処かの居酒屋で、店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を飛ばしたが、
全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれ、何とか場は持ったが・・ ま、いいか!
「今回は、い〜かな!」は、巧い断り方だ。 営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女
の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面にギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、
サドルの前に腰を出し、女またぎで両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく) だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れてはきたが、やはり不安で、厚底シューズを
検索で調べ、アマゾンから購入した。送料込で3900円。 早速、送られてきた現物は、何と、ぱっくり下駄にそっくりで、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズと変わらないし、踵部分が削られ、
中央が膨らんでいる。 失敗かなと思いつつ、履いて乗ってみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、姿勢を正して歩かないと不安定になる。 
足元が三分の一しか接しないため、姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため、疲れが残るがウォーキングには最適。
 自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。 踵から脚を踏み込み前に重心移動すると、楕円形のため勢いつき
身体が移動しやすい。よく考えたものだが、自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、転げ落ちそうになった。

・・・・・・
4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
* 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、
やけに美味しかった。マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズをかけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。
その起源をたどっていくと、18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。マヨネーズが誕生したのは、
イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。フランス軍を率いていた
リシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれていたが、
一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎを求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。
戸惑う料理人に、リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品である
オリーブオイルとレモン、ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が満足するか不安に思った料理人は、
少しでも料理をグレードアップさせたいとの思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 マヨネーズがこの世に
誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリューがレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
 ▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。
  これとケチャップも、冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。
 ・・・・・・・
3865, 嘘みたいな本当の話 ー3
2011年10月25日(火) 
  * 財布             「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 
 10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。
そのうち6回は誰かが拾ってくれて、返ってきました。 日本はよい国だと思う。    東京都  マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合ったのだという。
そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。
こんな東京でそんなことしている人見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、バイトに遅れるわけにもいかない。
覚悟を決めて人混みのなかを走りかけたとき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、バイト先まで走ってくれた。  ー 東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。 家内の実家が建材店をしており、年に一回、取引先を招待して倉庫で、
展示会をしていた。そこには古物商、ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。 その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙の阿弥陀仏が目に入った。 値段を聞くと45万円という。 買う気がないので冷やかしで、
「25万円なら買うけど・・」というと、ケンモホロロに断られた。 そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書とともに、その仏像が直送されてきた。 
何気なく、その仏像の台座の下をみると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。
もちろん新しく刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、亡くなった娘?のものかは、
分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、
顔を青ざめて忠言してくれた。 仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく見えるほど。 中越大地震のおりに、
その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし!
 ・・・・・・・・
3500, 10−10−10 ー�
2010年10月25日(月)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」   スージー・ウェルチ (著)
   ーアマゾンの内容からー
  仕事、夢、結婚、家族、友情。人生に迷ったとき、「決める力」が身につく本。
  紙とペンさえあれば、10-10-10は今、この瞬間から試せます。 もしも、この選択をしたら……
 □ その決断は、「10分後(今)はどうなっている ? 」
 □      「10ヶ月後(ちょっと先)は ? 」
 □      「10年後(未来)は ? 」  ・・・こう自問するだけでOKなのです!
  短期、中期、長期と、3つの視点で選択肢を見つめれば、後悔しない決断ができます。
  この本があればぐずぐず迷うクセ、優柔不断、チャンスを逃すパターンが変わります。
 ●もう、うんざりの職場。辞めてしまえば10分後はスッキリ。でも、10ヶ月後に後悔しない?
  10年後、お金は大丈夫? その選択が正しかったと、本当に言える?10-10-10で考えよう。
 ●大事な取引先とのアポ当日、田舎の親が病気に!どう決断をすべきか、10-10-10で考えよう。たった3分集中するだけで、正解が見える。
 ●結婚の見込みがなさそうな彼と、続ける?  別れる? 別れたとき、続けたときのメリット&デメリットは、10-10-10が教えてくれる。
  ■ 経営の神様、ジャック・ウェルチの公私にわたるパートナーの人生とは? ■
 著者スージー・ウェルチは、ジャーナリストであり、四人の子供の母であり、40代で経営の神様、ジャック・ウェルチと運命を
 変える出会いをした魅力あふれる女性。 アメリカでは、女性としての幸せを模索するアラフォーたち、働く女性の共感の声、続々!
 10-10-10は発売まもなく『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』のベストセラーリストにランクインし、
 テレビ番組でも特集が組まれるなど、大反響を巻き起こした。
  〜解) 
  例の「20世紀最高の経営者」といわれたジャック・ウェルチの連れあいである。この本は発売されると同時に
 ベストセラーになりテレビ番組などで特番が組まれるなど大反響を及ぼした本とか。日本では今年の1月に発売されたばかりの本。
 二日前に図書館で見つけて一読して驚いてしまった。10-10-10と分かりやすい。 短期、中期、長期の視点で、直面の問題を
 直感で見定めるに有効である。 思いもよらない出来事に遭遇したとき、現在(10分〜10日後)、中期(10ヶ月〜2年後)、
 長期(10年後)の対処を単純に考える習慣をつければ、その習慣がないのと比較すれば時間とともに膨大な差が出る。
  金投資を考えると分かりやすい。現時点では、これからハイパーインフレは間違いなく起こるのは必定? しかし、2年スパンでは
 大きく乱高下もあるから、目先のかく乱の動きに対し、10−10−10を予測すればよい。10日、10ヶ月は、乱高下するが、
 10年後には三倍以上は間違いないと踏むかどうか。そう判断すれば、思い切って投資をすればよい。
 東芝の株とすると、原子力発電に重点投資をしているので、10年後には株価は5倍と想定し、10ヶ月後は、まだ投資効果が
 見込めないので、塩漬けが出来るかどうか。長期投資の資金の用意があれば長期投資すればよい。等々、見分けることができる。                                           つづく
・・・・・・・・・
3125,「法則」のトリセツ  ー1
 2009年10月25日(日)
  ー 知っているようで知らない「法則」のトリセツ ー水野 俊哉著
 書店や図書館などのビジネス書に記載されている「法則」がカジュアルに面白そうに編成してある本である。
分類が「職場の法則」「仕事の法則」「ビジネスの法則」「勉強の法則」「心の法則」「成功本の法則」と分かりやすい。
160冊以上の書籍からコンパクトにまとめた人生の取り扱い説明書にもなる。
40年以上かけて多くの原理原則の書物を読んできたが、ここで初めて知った法則が次から次と出てくるのには驚いた。
この年齢になって今さら原理原則の勉強でもないが、人生の節々で多くの「法則」で、救われたことは度々である。
また知ってはいたが、注意を払ってなかった法則がコンパクトに核心だけが書かれていると改めて納得する法則もある。
それが、この本の題名「知っているようで知らない「法則」ということ。ここで新たに面白そうな「法則」と、キーワードを考えてみる。
 ーブルーオーシャンとレッドオーシャンー
    (字数制限のためカット 2010年10月25日)
 ・・・・・・・・・
2760, 閑話小題 
 2008年10月25日(土)
 *毎日が薄氷の上
9月の半ばから、恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も、三ヶ月で40%以上も暴落、何と7600円まで下がってしまった。
ドルが95円、ユーロが120円。 世界はパニック寸前か、パニックに入っているのだろう。この結果どうなるのか? 
倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。それで済めばよいが、数年以内に大小の半分以上の
事業所が倒産、廃業だろう。何か考えただけでゾッとする。それにしても、大津波、世界中を押し流しそうな勢いである。
ー以下は、一年前と現在の比較である。これからみると、まだまだ経済破壊は序盤ということが分かる。
 (2008年 10月22日現在)      
      2007年10月24日       2008年10月22日
ドル円         114.10             97.70
ユーロドル       1.42              1.27
ユーロ円       162.80            124.70
NYダウ       13,675            8,519
米国債(10年もの)  4.3%              3.5%
原油         87.10             67.48
金          757ドル            724ドル
日経         16000            8500
 ーーー
 *アクアラインが1000円に
私のゼミの一年後輩の松下さんが、《道路経済学》とかいう本を出版。その中で川崎市と木更津市を結ぶ、
アクアラインの通過費を1000円とか、2000円に値下げをする運動を起こしていた。
    (字数制限のためカット 2010年10月25日)
 *台風の来ない年は珍しい
    (字数制限の関係でカット 09年10月25日)
・・・・・・・・・・
2007年10月25日(木)
2396, 白い壁とドア                オハヨォ…
 「生」と「死」のイメージを詩的に書いてみた。
  −−
私の生のイメージ、それは白い四角の立方体の壁に囲まれている空間。十数年前に一度、そのイメージをリアルに持ったことがあった。
おそらくは、この白い箱の中の壁の何処かに見えないドアがあって、ある刹那に、その外に放り出されるのである。白い立方体は
生に囲まれた日常である。その意識下の見えない死へのドアがあって、一度出てしまったら、二度と箱の中には戻ることは出来ない。
白い箱の外は、無。 大きな黒い無限の中で、小さな箱はチリのような存在。いつか、その白い壁が開いて、その虚無の真っ只中に
放り出される。それがスグ明日かも知れない、それとも20年、30年先かもしれない。その一瞬、白い壁と黒い虚無の狭間で永遠を
見るのだろうか? それは歓喜だろうか、それともただ寝入る瞬間のようだろうか?そういえば寝入る瞬間を感じ取ったことがある。
「アッ!」という間の一瞬であった。それを言葉でいうと、数千秒の一のプツンという刹那のよう。
▼ 以上だが、このイメージにピッタリの詩を見つけた。死の際にたった魂の叫びが詩の奥から聞こえてくる。
 ドアの前に立つと、こんな声が聞こえてくるのだろか!それとも「おらは死んじまった」の歌声か。
 中島義道ではないが、いずれ誰もが直ぐにドアの前に立たされる。
ーー
暗やみの中で一人枕をぬらす夜は   息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう   その果てから空の彼方から
遠い過去からほのかな未来から    夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達      暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声      声も出さずに涙する者達の声               
ー ブッシュ 孝子 (30年前に28歳で逝った女性の詩である。)
            o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい


4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1

2013年10月24日(木)

            「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著),
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分になりがちだが、日本列島は地勢的にみて、
雨量の多さが、豊かさをもたらしている。著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、
日本在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。彼女は、日本の多湿な雨に、
特性を見出している。この本は、雨読にはピッタリの内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。
    ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。 でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。
ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は希望、または静かな省察の時を与えてくれる。
雨は私たちの生活のリズムを減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかけてくれる。 
雨には意味、そして存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流する境界に在るのだ。
雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
 この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り始めた雨と土の匂い、雨は何処から降って
くるのかを確かめるために雨天のなか、天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親に、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさへと導かれるものだ。
この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。
誰でも人生は自由なのだなと改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
 ▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、不思議と一瞬一瞬をより深く、
  存在意識を持ちながら味わえるようになる。」と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、
  深くため息をつく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また「超越」というげ概念にも
  気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、自然の制御できない性格なども分からせてくれる。
  そう、自然をより美しく、そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
  雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。  ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、さまざまな種類が発売されている。ティーバッグの
はじまりは一〇〇年ほど前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉のサンプルを絹の袋に入れておいた
ところ、顧客の一人が誤ってそれにお湯を注いで飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じである。
戦乱の続く当時、刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。戦場ではのんびり薬を煎じている
暇などない。そこで金創医たちは、細かく刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が抽出できるように
しておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時には産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点で共通していたからである。今でも、婦人病の漢方薬に
袋に入ったものがよくあるのは、金創医が処方していた名残である。≫
 ▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンが
  あった。お湯を注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの
  携帯食として大いに売れたという。彼らは戦場で、それをカジッテ食べていたという。学生時代の昼飯として、よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
  * さかさまな世界-            「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに踏み込む足裏が痛い。右手をそっと
後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。
大学に入学して初めてのバイト先。 苛立った僕はその後、事務員の女性たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと届かないんですもん。
ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、和式はたまらなくつらいんですよ」
僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは顔を見合わせる。ひとりの事務員が切り出した。
「あの……トイレヅトベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」     東京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落としてしまった・・・
拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。
同時に、私の足元でひざまずいていた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。
我に返り慌てて振り返ったが、無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。       岐阜県 横山奈津子
 * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミがひとつ入っていた。  長崎県 トンビ
 ▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、一生に一回あるかないか。
  こういう思いもかけない偶然は、誰も経験しているが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
  「洗濯バサミ」、これもあり得る話。 野生の鳥は思いもよらない頭脳を持っている。そうでなくては、
  四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 こういう話は純真に聞き入れる方だ。
・・・・・・・・
3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―仕事も投資も成功できる「起こりえる未来」の読み方 ≫ 中原 圭介 (著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」の道半ば。
これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を予測して、事前に手を打っておくことが必要。
経済予測脳をもっていれば、誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が可能になる。
それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を送ることができるのか。
 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。 特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、 
 変化をジックリと見極め、それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けてどう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのかを捉えるようになる。
 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、人と社会は非合理的な側面が含まれるため、
 色いろな基礎教養をベースの上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
 ・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。
 その背景には本格的情報化社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を持ちはじめた
 20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネットなどの情報手段の革命がある。そのことを、明確に把握していないと、
 現在の状況を見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが、
「この恐慌は過ってない歴史的世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマにしているが、
 それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。 そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦、世界恐慌、
 そして第二次世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 特に、茹で蛙の日本は、である。  
 ・・・・・・・
3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
   ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
 以下の部分で、その原理を説明している。 これでは多神教が敵うわけがない。
 それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人だからだろう。
 彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれていれば、どうもこうもない。
 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し違うのですね。
  終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて
  律法を守ってきた自分たちを窮状から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
  出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれがそういう目に
  あわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが降りてきて政治権力を握るということになる。
  そもそもユダヤ人は、幾度も周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる願いは、
  メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということなんです。ただし強力な国を作りたいという
  願いはありますが、全世界をユダヤ教}色にしてやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教やイスラームより
  はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教とキリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやってくるのは現世的な救いなのですが、
  キリスト教では幻想的にというか、非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考えるところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的にはないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。
 その時にアッラーの前に引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
 で、死者たちは、それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。
 だからイスラームでは火葬は御法度。裁きも具体的で、ちょっと御伽話みたいですが、それぞれの人の左右の両肩に天使がいて、
ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。
 裁きのときはその双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は地獄行きです。
 裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということはできません。そのときは現世はなくなってしまい、
 天国と地獄になるのです。『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国しか書かれていない。
 そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない
 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなるかは書かれていない。
 ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。
 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、
 最後の審判は怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。だから殉教したい人が多くなる。
   〜〜
これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。ニャロメの赤塚など、この程度の天国を十二分に味わったはず。
日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。と、思うのも多神教徒の浅はかさか! 天国はアラブの地の貧乏人の夢か!  
・・・・・・・・
2759, ソロスは警告する −3
2008年10月24日(金)
 ー要点をまとめると、以下の通りになるー
 この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
* 「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、
 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。
 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の
              平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。
* これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。
 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、
  観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は
  人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】
 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】
  これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。
* 現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張時代が終焉を迎えている。(中略)  
 ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、人々が誤った投資行動を続ける原因になった
「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、
 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。
* ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、
 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって
 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。
  ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー
●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー
「再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが
生み出す円環だと見ることが可能である。 
  (字数の制限の関係でカット09年10月24日)
・・・・・・・・・
2007年10月24日(水)
2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
  (以下、字数の関係でカット09年10月24日)


4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・

2013年10月23日(水)

   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた義母と三人暮らしという。
「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」という。その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。亡くなる半年ぐらい前のこと、
 元旅館の女将をしていた母の最も親しかった92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。
最期のお別れという空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。 家内が台所で、こっそりと、
「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、娘さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・}
その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、される方も、するほうも、大変である。
「呆けは老いの苦痛を和らげるため神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも芸のうち、ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? 
まずシリア爆撃に目先を向け、そのドサクサにデフォルトだったのでは? 国家戦略からして、オバマ二期目の二年目。
やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。日本と同じく国債増発しか予算が
組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。
そのプロセスを踏まない限り、米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。
更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。
まずハイパーインフレとすると、年金生活者は? 今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。
「まさか!」は起こってからでは遅いが、備えは可能。「まさか!」が、危ない。私の「まさか!」は、リーマン。
備えてはいたが、現実に起こると「まさか」が、「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・
一万円前後していた株価が、今では500円、これも国家管理になればゼロの可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
・・・・・・
4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
* 鮫子の形の由来
  餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いものだ。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起ものとして餃子を食べるしきたりがある。その理由は、
あの独特の形にある。鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形からきている。そのため鮫子は
「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べものだと考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を食べると一年間お金に
困らずに暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における鮫子は、まさに日本の「おせち料理」のような存在で
あるといえるのだ。 それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。 じつは比較的最近の一九六八年、
新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。
この発見により、このトルファンの地が餃子の起源と考えられている。この化石は、トルファンに展示されている≫
    * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
 ≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選したのが、食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという
方法だった。その作り方は、瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと湯せん鍋で沸騰加熱して
殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま持ち運ぶことができる。この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、
アペールは莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期にイギリスで発明された缶話めとともに、
今でも人々の食卓を支え続けている。≫
 ▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを、更に小さく個人用パッケーかに詰替えたことになる。
  最近、コンビニが勢いづいているが、これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を中心にした
  ことが、消費者の支持を受けたことになる。
・・・・・・・
3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。反対に、「なりたいものになるな。
なれるものになれ。」というのもある。脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」という。
日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授になりたいと は思わない。
何となくなりたいと思う理想のイメージの人にはなれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。
ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいものになりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。
翼を広げ羽ばたいていると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。「なりたい」と真に思わなければ、
なりたい自分になれる訳がない。 逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、【某セミナー】の教え。
≪ 「なりたくたってなれない。 でも、なりたいと思っているのがそもそも間違い。」
 そもそも、なれないものに多大に努力をつぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、
ネガティブなものの事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生きかたをいいます。
いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだからなれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか
「カラーコンタクトを入れれば」・・とかドンドン付け足して、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」
を説いている。これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、しっかりした指導者か見識が必要。
しかし真になりたいものを見つけ、それに向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行くのも道理。
「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が針を棒に変えてしまう。 なりたいと願うことは、エネルギーを
そこに集中していることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたいものに、なっていく。
 司法試験に多くの人が挑み、そして大多数の人が挫折していく。しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。
しかし、一生をかけても合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
 ・・・・・・・
3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の自分とは違う
霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然科学を
修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けた ・・・≫
ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代 ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブルの崩壊から嘘のように元気を失っている。
 財政赤字は900兆以上にもなり、収入は日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今までにない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は
 本当に想像を絶するほどの違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」 −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、
星が終焉を迎えるとき、超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。その魂の方はどうかというと、
 魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。
私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に通じています。
その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。
魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、
私たちを超えた無意識の膨大な経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を一つに
結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない
広がりと深さを抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、
 世界とは特別なつながりはないと思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、みな「つながり」
 によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。
「魂とは、生前、死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、宗教的である。
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3123, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー4
2009年10月23日(金)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)         ー読書日記
 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、
 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 
 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとしたのである。
 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたのだから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。
  −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。
  * 恐怖の神 * P-24
岸田:一神教は、「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、
 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が恐ろしいので、
 神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは同じ神を信じる人間だけ。
 そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、人間は奴隷であって、奴隷は
 主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまうのです。自殺など、とんでもないことです。
 一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などないのです。
 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、
 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。 それが一神教の基本テーマです。
小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」
 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。
 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。
岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。
小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を結べないのです。
 異教徒の契約は常に仮契約でしかない。 その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。
 ▼ アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも知ることが出来る。
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2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
 2008年10月23日(木)
仏文学者の鹿島茂が毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して書いていた。
経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと、‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。 
 (字数制限のためカット 2010年10月23日) 
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2007年10月23日(火)
 2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2
 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。


4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!

2013年10月22日(火)

   * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
 エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手のファイナンシャル・プランナーの一言が印象的。
「セミナーで、まず言うことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを持っていき、買い物を
一週間続けることを勧めています。それが出来ないならカゴを持たないで買い物をしてください。カゴを持たないと沢山、
持てないから、どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものがわかってきます。
習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 シビアな話だが、体で憶える第一歩。
 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一のシネマと、
月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 元はといえば、出処は40年与えてきた
給与の一部?それで今や発言権は三分の一。この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト
自転車、iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分? こんなもの? その都度、小言をいわれるが、さほど
欲しい物がないのは年齢のせい? 欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には必ず、5万以上は入れている。
使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ 
 そこで昨日、車に財布を置いて、千円だけ持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。
財産を使い切り、まず楽しみ、そして貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、自分のことか!それでも心はリッチ?
楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。 日々、是、好日、いや口実か。 年金暮しも、楽むしかない。

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4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2
2012年10月22日(月)
   * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた      ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を人身御供として捧げ、
川の神を鎮めるという風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の皮に豚や羊の肉を入れたものを人頭に
見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。これが饅頭のルーツである。それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも浸透し、
主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの「じゅう」の字を「頭」と書くのはここからきている。
当初は蛮人の頭の意味から「蛮頭」が用いられたが、のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になったといわれている。
諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因(のちに塩瀬姓を名乗る)
が作った「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や野菜を入れるのが普通だったが、
浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、甘葛の甘味を加えた館を入れた饅頭を考案した。≫
 ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。
   * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが     ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪東郷は、イギリスに七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、かの地で食したビーフシチュウの味が忘れられなかった。
日本でもあの味を味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフシチュウに欠かせないバターやワインがなかなか
手に入らない。そこで部下は、砂糖、醤油、ごま油を使い、牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうしてでき上がったのが、
今でいう「肉じゃが」だったのだ。ビーフシチューとは似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の
船員たちは長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気や壊血病になる者が多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが豊富なので、
その予防にもなる。当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の献立となった。一般家庭に
普及したのはずっとあとで、昭和五〇年代に入ってからのことだった。肉じゃがのル!ツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫  
 ▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったものとは、居酒屋ネタとして丁度よい。
 ・・・・・・
3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)
 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、
「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、それでは私というと、
これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、
150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。
考えてみたら、自分が、いま、ここに存在していることが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、
両親の両親、そして先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。 そういう難しい話は、この本の本題ではない。
何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。
 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。
   ー かなりショートにまとめてみた。
 * 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と鳩の一群が
   入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多にみれるものでない。
   「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
 * その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、幼さの残っている
   ゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、その犬も
   右手、いや右足をあげた。 オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。
 * 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に雀が住んでいた。
   そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。 雀には、多くの仲間が遠くから
   ピーピーとけたたましく騒いでいる。 数分で、見届けないで散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。 
 驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。
  ・・・・・・・
3497, お金の教養 −3
2010年10月22日(金)
                    ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著
  * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を楽しむことはできない。
価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要である。
著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5〜10倍の価値は充分にあった心底思っている。
飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。
土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、
それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。 昼飯は消費。 本は大部分は投資。 週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費?
これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーンは投資。 成るほど! 
両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えということ。
関西人は概ねこれに徹している。 マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健にする。
 金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている時間や、
健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、あれは良かったと
思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると、面白い。
長期的投資と短期投資にも分けられる。 浪費が入った三つが混合するから面白いもの。 浪費と思っていただけのことが
実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたってみないと分からない。
 ・・・・・・・・・
3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れているのではなく、
逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。 そこで西欧人は自分たちの方が優れていると、
信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか隣人愛を言うが、そこから外れた者については、
公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱いされなかった奴隷たちが救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、
その神は復讐の神だったからである。現在、原理主義者が平気でテロを仕掛けるのも、この辺の事情による。
 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P−13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、
 大航海時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきますね。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ人はますます
 劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、決してふるさとを捨てて遠い
 外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人はヨーロッパに安住できないいろいろな事情がありました。
 人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる十四世紀半ばのペストの大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。
 ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く世界へと進出したと思っているようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、
 客観的には、命からがら逃げ出した難民でした。 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに
 文化的にも経済的にも上で、豊かな生活をしていたのですね。 ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、
 ヨーロッパがいかに遅れていて劣っているかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返すというのが、
 近代ヨーロッパ人の植民地主義を支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、劣っていると感じて、
 それ以後のヨーロッパ人は、われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、
 何かにつけて、ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。 当時は修道院があちこちにでき、
 実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採をやったのです。
 さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、
 キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、
 それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生したもので、大流行を引きおこしていった。
 〜〜
  現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、この辺の一神教が主導してきた文明の行き詰まり。
 そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。
 アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
 ・・・・・・・・・
2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! 
 その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。
 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。
  ーーー
 ●≪政府の50年目標も有望≫
 アカデミーが南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏の日本人に2008年のノーベル物理学賞を授与すると発表し、
翌日には同化学賞を下村脩氏に贈ると発表した。日本人がノーベル賞を受賞するのは、2002年の田中耕一氏(化学賞)と
小柴昌俊氏(物理学賞)以来6年ぶりで、同じ分野の賞を3人で共同受賞するのは初の快挙である。
この結果、自然科学系のノーベル賞を受賞した日本人は13人となった。
今回の快挙を含めて、最近ノーベル賞での日本人の進出が目立つ。 化学賞は2000年から白川英樹、野依良治、田中耕一
の3氏が3年連続で受賞しているから、下村脩氏で4人目となる。
物理学賞についても小柴昌俊氏と今回の3氏を合わせると4人が受賞。9年間で8人の日本人科学者が受賞したことになる。
 1901年に創設されたノーベル賞を20世紀に受賞した日本人科学者は物理学賞が湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈の3氏、
化学賞は福井謙一氏と白川英樹氏、医学・生理学賞が利根川進氏の計6人だった。
それが21世紀に入ってわずか8年なのに、すでに7人が受賞した。100年分を8年で超えてしまったのだから驚異的といえる。
日本政府は科学技術基本計画で「50年間で30人以上の自然科学系のノーベル賞受賞者」という数値目標を掲げたが、
このペースでいくと可能性がある。
  ●≪医学・生理学賞も圏内≫
 これまでの自然科学系受賞者の国別ランキングをみると、トップは224人の米国、次いで75人の英国、68人のドイツ、
29人のフランス、16人のスウェーデン、15人のスイスが続き、13人の日本はロシア、オランダと並んで7位である。
ところが、今世紀に入ってのランキングは、30人の米国は別格であるが、7人の日本は何と英国と並んで2位を占める。
21世紀の自然科学系のノーベル賞争いで現在、日本は銀メダルという素晴らしい成績である。
 さらに、今年の医学・生理学賞は日本人の日沼頼夫氏が受賞する可能性があった。 中略・・・
  ●≪他分野でも世界が注目≫
 これからもノーベル賞のラッシュが続く予感がする。物理学では青色発光ダイオードの中村修二氏、カーボンナノチューブの飯島澄男氏、
巨大磁気抵抗効果の十倉好紀氏、光ファイバーの中沢正隆氏、化学では鈴木・宮浦カップリングの鈴木章氏、炭素繊維の遠藤守信氏、
医学ではiPS細胞の山中伸弥氏、抗コレステロール剤スタチンの遠藤章氏、先天免疫の審良静男氏、ニューロサイエンスの菅乃武男氏
と多士済々である。・・・・・
 最近の日本人の活躍は自然科学者だけではない。2003年には宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞の長編アニメーション賞
を受賞し、漫画でも『ドラゴンボール』『ポケモン』『ナルト』が世界を席巻した。 日本の文化が国際的に認められているのだ。
戦前の日本は米国や英国と肩を並べる軍事大国となり、戦後は米国に次ぐ経済大国となった。 これからの日本が目指すべきは、
かつての軍事大国や経済大国への道ではなく、文化大国という新たな挑戦ではないかと思われる。 (なかはら ひでおみ)
 ーーー
 これとて文化勲章と同じワッペンでしかない、ワッペンはワッペンだが、一緒に喜ぶことが大事! ただ、それだけのこと。


4601, 読書という体験  ー3

2013年10月21日(月)

              「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
    * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を受講者自らが選び、直接、受講生同士が、
情報を交換させる方式。一長一短があるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りから
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなか
 いい線まで来ている。読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の読書しない基準は、
一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も三十%を超える
ほどになった。やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきてもらい、それを持って教室内を
自由に動き回り、学生同士で情報交換をしてもらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、自然に読書欲がかき立てられる。
おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくりにはもってこいだ。
「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切る
ことにしている。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、知識に対する「あこがれ」の
熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい
影響を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに紹介する先生がいた。本を律疏むことが
どれほど楽しいことであるかが、その話しぶりや表情から伝わってきた。
 本は買って、線を引きながら読むもの。本は自分のものにすることが大事だ。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。
量が大事だ。人から借りた本は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせながら読んでいるものだ。...》
 ▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、この直の方法を兼用すれば、更に良い。
  その点、私たちの時代より、現在の方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを持たせ、
 イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、
 のと同じ。一二年間、このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、励ましてくれる
 要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。それも、同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、
 読み方、受け止め方、すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開して欲しいが。
 何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、
 習慣から衣食住の由来を面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
    * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。まあ、面白いものである。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァと
 オスマン帝国(トルコ)の戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍がトルコ軍を退けた証である。
一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに
気づかなかったが、地下から聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを焼いていたパン職代たちだ。
パン職人の通報によりトルコの急襲を知ったオーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。喜んだ皇帝は、
パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちがその返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形がクロワッサンの定番となっていった。
ただし、そのころのクロワッサンはまだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、オーストリアの
皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行したパン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、
一九二〇年代のパリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
 ▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄を
  パンの形にして、それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、歴史に触れることになる。
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3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、
何気なく見ているだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように健康を兼ねた
レジャー目的の人など様々である。 少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午までの二時間、
滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、
男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。
といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。 自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知っていたら、10年前から入っていたはず。
パソコン教室も、スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを人的気づかい
なしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 エアロビでは、プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、
若い男のインストラクターの追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を仕事などでこなしているので、
こういう場では、一会員として群れることなく運動をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。
3・11の影響が、大きいのは何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、一見華やかに見えるが、
給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 半年少したって、効果はといえば、大有り。
足腰が、この数年来衰えたと感じていたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。何事もまずは半年。
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3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
 ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 * 一番の無駄は生命保険?
 ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から「月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。
年にすると36万になるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり終身保険は2千万の買い物になる。
それを、「月額3万円」の分割払いをしているだけのこと。 保険屋の甘い言葉につられて、深く考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は何と360万円になる。それを年利5パーで運用を
すれが500万近くなる。 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、ずっとましである。
年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、
合計年間10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
 もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した悪徳商法ぐらい知っていたからである。
 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? (以下の半分は私見が入っている)
 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生かけて購入しなくてはならない。
しかし、その購入に対して少しも考えない。 少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、
業者は土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。考えなければならないのは、これから。
それは売り手の論理。 買い手は、買ったと同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品になり、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてるのと同じ? それでもマンションに住みたいなら、
中古マンションの掘り出し物を数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、駅から数分の、
競売物件とかである。中古の場合は、新興の業者だけは避けるべきだ。住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついて
まわるから、年月に耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に多くみられた「穴吹工務店」
「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分の1か、5分の1である。(例外もあるが・・)
私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。
だから買うなら若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる矛盾が現れる。他人ごとでない?
 娑婆は、幻想でなりたっているから、夢を買うのにケチをつけることはないが・・・   
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3121,金(きん)について
 2009年10月21日(水)
-以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)
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2756, 何か変な世界の空気!
 2008年10月21日(火)
 *AIG、当初借り入れ8・4兆円の融資枠、ほぼ使う!
株は九千円を回復したが世界経済の実態は火が燃え盛っているようだ。 昨日の日経新聞に何気なく
「AIGが、FRBからの当初借入総額850億ドルのうち829億ドルをほぼ使い切って、残りはわずか
21億ドル。
ー 以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)・
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2007年10月21日(日)
2392, 人生で出会いしもの                φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]ヘ
10月02日(火) の {「2373, 人は60歳で何をしたか」−2} の読書日記で、作家の新井満が寄稿していた
「60歳以降に何をすべきか」について書いた。ところが、その中で彼の奥さんとの出会いの話が非常に印象的だった。
人の出会いの不思議さをつくづく感じる内容。 20歳代に何回かダブル・デートで、片方が結婚したケースがあった。
私は相性のあう相手がいなかったか?ためか、簡単に一生の伴侶を決めてしまう彼らを見て、「何でもっと色いろな人を
見てからの方が?」と、不思議でならなかった。「本当に決めなければならない時は、それなりの人と出会うもの」と、
信じて疑わなかった。更に常に4人の姉と比べて、それ以下?は妥協できない! あとは両親に対して自信を持って紹介できる人?
という無意識の判断があった。 ところで姉と上さんドッチが?? それはそれで・・・
色いろあって、新井満の、こういう出会いに驚いてしまった。もう少し、色いろな女性と付き合ってから
という生き方もあろうに? というのも、相手次第ということか! それにしても幸せな人だ。
 ーその一部を抜粋してみるー
 *人生最悪のコンディションで出会った運命の人は誰だったか
人にはそれぞれ、運命的な出会いというものがあります。 私にとっては妻との出会いがそうでした。
19歳の大学生のときに、郷里の新潟から上野行き特急の座席指定車に乗ったら、隣の席に座っていたのが、たまたま彼女だった。
以前から、おふくろには「東京の女には気をつけろ」とよくいわれていました。
見るともなしに見ると、どう考えても典型的な東京の女性。ベレー帽かぶって、その上にミニスカートです。
 ・ 以下は字数の関係で中間カット(2007年10月21日)・
  ーーーーー
最終の学校時代に出会った人が最適の人と出会う確率が高いというから、彼は彼なりに最高の人と出会ったのだろう。


4600, 読書という体験  ー2

2013年10月20日(日)

            「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
    * 教養を培う〜②  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
  週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを
 受けたと受けなかったでは、学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、良い教授、
 良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。
 学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。
授業時には、その本の内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、翌週の授業時に返却される。
ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの根性、
および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、コンピューターによる抽選が行なわれる。
読書好きの学生が四分の一くらいで、残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生である。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生といえる。
読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か入れたが、よく知られた本でもがっかり
するようなことがあり、今ではすでに読んで感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、
宮本常一『忘れられた日本人』、無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』などである。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、それらがそこにあるのだから仕方ない。
良書を集める伝統をつくった、故郷の大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。 定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしている
のですか」と反問され、答えに窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の道徳水準は
まったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが本書である。 テレビと受験勉強に追われ、
コクのある本をほとんど手にしたことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。 》
 ▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の硬さを感じ取っている。
  万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。
 私は、ノートを纏めるのが苦手。で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。
 それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、活用にあったようだ。
 その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われるかもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。
 これさえ書けば、一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
   * つれづれに ー青竹エアロ
 スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにあるステップ台をインストラクターの誘導で
12人が一同にするエアロを連続二回と、週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われているが、どうも30〜50人の合同でやるのは
苦手である。ところが、先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。 ヨガ用マット上に
青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。
これまで何度か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。 このプログラム、まだ始まって三回目だが、
30人の定員は満員。 「初めての人は挙手を」に対し、何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、
その両側に一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。その三箇所を交互に音楽に合わせて
乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのがよい。ジムも競争が激しいようで、チラシ
広告が目立つようになった。 常にエアロビックスなどのサービスを改善していないと、他のジムに客を取られてしまう。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は充分ある。私は二時間滞在しているので
一日につき千円、20日で二万円の価値の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 その割に軽い腰痛は治らないが、それでも
足腰が軽くなっている。 ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我が家にやってきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けてあるが、時々、狂ったように攻撃する。
しかし錘で、その都度、棒を一回転し元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転するようになった。 また籠から離れようとすると、
回転を何度もし、傍にいて欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示が、棒を回転する
芸で注意を引くことが加わった。 一年前に飼っていた中型のコガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、
オウム科で最小(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。 幼鳥のうちは大人しかったが、最近になり、
その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。
 最初はペットを毛嫌いしていた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。
それもあり冬に向かって、このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬する能力に驚いてしまう。
 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、このインコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、
籠の中を狂ったように飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、私が車で帰ってくると、感知する。 
駐車場を一台貸しているが、それには全く反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ。」という感じが面白い。
・・・・・・・
3495, お金の教養
2010年10月20日(水)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。 学校では「学問教育」と「職業教育」は教えるが、
その取り扱い方は教えてくれない。日本は「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、
お金について教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮があるのが日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」を受け取ることはない。
実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 お金に対する能力とは、「貯め方」「(小さなお金の)使い方」
「(大きなお金の)使い方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、「与えること」。
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
 1、お金の管理する仕組みを作る  2、6:2:2の法則  3、領収書の分類
 2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残りを使う法則をたてよ、である。
 領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれをスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。
 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に使わないと、それは通帳の数字でしかない。
そこで、40歳から60歳まで、年間に???万は使い切ることを決めた。 そうすると使えるのである。
贅沢できる金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、こういう時代になり、
また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。 気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう
続けることは出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に多く並んでいる。
しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか難しい!
やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
 ・・・・・・・・・
3120, 再び、読書について  2009年10月20日(火)
  * 書斎は未来の図書館
  森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて本棚に飾ることと確信している。
 実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫
  全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で過ごしたはずである。 
 本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。
 書斎を、そのように位置づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
 決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、充分に幸せのはずである。
  開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく
 歩いていても、たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、そうして買った本を
 書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが
 勉強をすることと勝手に思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、独りで早朝や深夜に
 読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。
  ショウペンハウェルは、彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、
 量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を
 ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、
 自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、 
 それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。
  選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、その一連で読書は成り立っている。
 旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
  その中でも、読書は必要欠くべからざることである。
・・・・・・・・・
2755, 閑話小題
 2008年10月20日(月)
 *一昨日は高校の同級会
高校の同級会が一昨日あったが、25年間ほぼ毎年開かれている。大体、20人位があつまるが、この10年近くで4人が亡くなった。
他のクラスの人が参加をしたりの入れ替わりはあるが、7割は固定メンバーで、和気藹々と時間を忘れる一ときになる。
最近の話題は年金と、病気と、不景気と、孫と定年の話が中心になる。「今回は年末は金融恐慌のため深刻になるだろうから、
早く開いた」と冗談ともいえない幹事の挨拶があった。ギリギリまで出席しようか止めておこうか迷ったが、この年齢になれば
一年後に無事でいられるかどうか、目先のことは積極的に参加することと出席した。 まあ、面白かった!
 *今年の旅行は?
さてと、今年の旅行と思った途端に、この金融恐慌である。何があっても一度は海外に行くと決めているが、
歴史的な重大な状況に気合が入らない。最後にとっておいたアメリカ西海岸の国立公園巡りか、英国辺りかの最終判断の段階。
この20年近く憑かれたように旅行に行ってきたが、今後10年の大不況を考えると良かった。
数年後からはロングステーも考えていたが、どうなることか!
 *我が家の庭
最近、早朝のウォーキングの帰宅後に我が家の庭で時間を過ごす習慣がついたが、そこで庭が生きていることに気づいた。 
両親が魂を入れた庭が、二人とも亡くなっても、そのまま生きているのである。 それも時間とともに変化している。
父が石と木、母が花を入れたが、それが四季と共に変化をし、段々と深みを増しているのである。
それに気づきだしたのは両親が庭をつくった年頃に、私が到達したということか。
母が亡くなった時に、この家を処分をして新潟市に移動しようかと考えたが、決断できなかった。
このまま家にいて本当に良かったと思えるようになった。 春夏秋と、両親が植えた草木の花が、何処かで咲いている。
家には、それぞれ家霊がいるというが、庭をみていると合点がいく。
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2007年10月20日(土)
 2391, 哲学と心の病                   (っ´Ι`)っ { おはよう
 図書館から度々、月刊誌「新潮45」を借りてくる。月刊誌としては人気があって最近の本は殆どが貸し出されているが、
時にタイミング良く借りることが出来ることもある。お目当ては中島義道「哲学者というならず者がいる」のコーナーと、
ご存知、中村うさぎ「セックスという教養」。 これに、あと一つ中味が濃い特集などの中に面白い記事が必ずある。
たまに読むには良いが、毎月というと毒が強すぎる。今回の中島義道のテーマ「哲学と心の病」が、これまた面白い!
いま問題になっている「ひきこもり」の問題の根本を鋭く解いている。
  ー面白そうな部分をコピーをしてみる
「哲学と心の病」というテーマで講演会の講師をしたおりのこと。・・・初老の紳士が手を挙げた。引きこもっている息子に対する
相談である。 「どうしたら生きがいを見つけてやれるのでしょうか?」という質問。 私は「生きがいなんて、みな嘘っぱちです。
人生は凄まじい修羅場ですし、そのあげく、どうせ死んでしまうんですから」と思わず叫んでいたが、こういう父親にこそ、
言いたいことが山のようにある。彼は知的で温厚そうな紳士であり、自分のごまかしを、汚さを、ずるさを微塵も恥じている
風には見えなかった。 そこが問題なのである。 その言いようもない鈍感さに、息子は全身で抗議しているのである。
・社会のルールに従って、仕事において評価され、結婚して家庭を守ることが そんなに立派なことなのか?  
 それがあんたの「生きがい」なのか? それに何の恥も覚えないのか!
・想像力をたくましくして、自分は極悪人かもしれない、と思うことが人生において一隣でもなかったのか! 
 それほどあんたはおめでたいのか!そのえらい顔を引っさげてこの俺を「導きたい」のか!息子が思っているのはこのこと。
私は誤解しては困るが、こういう青年達が掛け値なしに「正しい」と、思っているわけではない。
哲学に身体の芯までボロボロに侵食された者が、単純きわまる人生観をもっているはずがない。
私は、そういう両親を攻撃している息子もまたずるいと思う。そんな、反吐が出るほど軽蔑する奴の庇護の下に
ひきこもっているのだから、同じ穴の狢である。そう叫んで家を出、放浪の旅に出てこそ、彼の言葉は輝いてくる。 
だが、ひきこもりの青年はそうしない。勇気がないのか? それだけではない。 ひきこもりとは両親に対する復讐に
ほかならないからだ。両親がおろおろすればするほどおもしろい。 途方にくれるほど、喜びがくみ上げてくる。
彼は、じわじわと相手のの心身を滅ぼしていく復讐の喜びをもって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ。・・・
 ーー
 中島自身のことを書いているから、この辺の洞察は鋭い! 彼の文を読んでいると、決して家庭円満ではない。
(字数制限のためカット、2011年10月20日)
・・・・・・・・・
2006年10月20日(金)
2026, 戦後生まれが 80パー弱に        (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
「戦後生まれが80?」と新聞にあった。
私より年上は全体からみて二割弱しか存在してないことになる。 世界からみれば一割もいないということだ。
・・・・・・・・・
2005年10月20日(木)
1661, 腰痛ー3
過去に何回か腰痛について書いたことを思い出し、HP内の検索で調べたら一昨年と三年前に書いてあった。
(以下、字数制限の関係でカット)
・・・・・・・・
2004年10月20日(水)
 1296, 新潟市官製談合
ー以下字数の関係でカットー2009年10月20日ー


4599, 閑話小題 ー座りオシッコの話

2013年10月19日(土)

   * 座りシッコの話
 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 二年ほど前になるが、TVのバラエティーで、
「男の洋式便器のオシッコの使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」ことを、テーマににしていた。
その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に飛び散った水滴先を実証してみせていた。それを見た家内が、
「今日から、あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、何かオカマ?みたいで、数回で止めた。
でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、老妻に先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、
座ったが、もういいや!と、立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。 
 近くのスポーツジムに通い始めて二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、ほぼ休まず通っているが、
数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの下蓋が下りたままが多いこと。 ところが、
日が経つにつれ、その頻度が多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる人もあるから、
半分近くが、座りシッコをしていることになる。当初は、こんなところで、何?をすることもないのに!と思っていたところに、
例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。 で、最近、家では心掛けることにしたが一週間もすると、当初の抵抗感が
なくなるから不思議。 それも中性化の一つか? 
 最近の子供は自宅では殆ど?座りスタイル?  で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施している
半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。 でも、あそこで、座る気も起きないが。
   * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入してから、一ヶ月足らずになる。
これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、
全体的にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った中国製。やはり故障続きであった。
しかし、電動アシストの楽しさは十二分に味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、
年間200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。実感としての価値は、300円〜500円はある。
で、新しいクロスバイクは、値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップをして、転倒したが、
車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。
クラッチを最大の重さにして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。少しオーバーに
表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走るミニエンジン付きヨットという感覚である。
で、兼用して乗るつもりだったが、一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引き取って貰った。
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4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。
大きく息を吐き出しながらシャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。そして、そこから大きな息を吸い上げながら
立ち上がり、今度は空に向かって気を吐き出すイメージで息を出す。 それを一回につき7〜8回、続けていたところ、擬人化した
地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、「よう、
昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いもよらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と
「即自」の、掛け合いになる。 
 ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な道路拡張工事が始まり通行止。 そこで違うコースを迂回して歩いているうち、
電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。
三年前のことである。それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。ところがチャリだけでは、
物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリをしながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時は360度のパノラマを味わえよ!」、
「もっと深い呼吸をしなさい!」、「わたしとせっかく出会えたのだから、私からエネルギーを、もっと吸い上げろよ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ)
とか、なかなか面白い。 スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら運動している時など
イメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。 
 知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、私にとっては、20年以上の対話の過程がある。 
自分の魂を擬人化した、「真魂様」でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。問題は意識して
やるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。
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3859, 釈迦でさえ非難される
2011年10月19日(水)
 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐ったものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、
それは誰のものになるか考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と言ったという。
この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、
その人自身の問題を投影しているに過ぎない。 それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負ってしまう。 
要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。 
釈迦の言葉には、納得できるものが多い。 この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。 老年になると、無知は老害となる。
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* 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。
* 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。
* もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
* 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
* 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります。
* 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである。
* 他人の過失を見る必要はありません。
* 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにしなさい。
* 自分で自分を、励ましてあげなさい。
* まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。
*「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。
▼ 《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。
  《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、
   上から目線で、教養の無さの目盛りになる。 上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。
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3494, 金が高騰
2010年10月19日(火)
 ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。
何と二年で40パーセントの値上がり、年率で2割づつ上がっている。国内価格は円高のため27パーセント、それでも値上り幅は大きい。
ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドルまで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。
8年前に金の上場投資信託(ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が流入している。
その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。 リーマンショックによる世界金融危機が一番の値上がり要素。
各国は危機乗り切りのため通貨をばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。
「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」という説は、先日ここで書いた。
 (字数の関係でカット2011年10月19日)
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3119、久々のジョーク ー6
2009年10月19日(月)
 ▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる?    ひとつき
 ▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」
「待て!50年前、わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。残しておいてくれ」
「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。じゃあ、あっちの木を切りましょうか」
「待て!その初めての体験のとき、あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。残しておいてくれ」
「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手のお母さんにずっと見られてたんですか?」 
「そうじゃ」「お母さん、黙ってなかったでしょう。何て言いました?」     「モー」
 ▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と
 大声で叫んだ。息子の無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこをしたくなったら『歌を歌いたい』と
 言ってごらん。そうすれば私はお前がおしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?うん、わかった。
 これからはそう言うよ」   そして、その日の夜――
 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。 
 何も知らない父親はびっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢しなさい」
 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃないとだめと言う。
 そこで父親は仕方なくこう言った。「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」
 ▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。
 突然、目の前に妖精が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい事を3つ言ってください」
 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」そして、感激して男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」
 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」
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2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり
 2008年10月19日(日)
「世間」については何度も「身近な数人の縛り付けられた小さな常識の網でしかないと!」と、否定的な意味で扱ってきた。  
 それでは「世間」とはいったい何か?を、岸田国士が「恐怖なき生活について」で、次のように書いている。
【「社会」という概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によって支配される意志表示とを重くみた考え方で、
 それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情ともいうべき形式的な掟の上にたち、 すぺての異分子的存在を
 排撃する本能のきわめて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思われる。】
 と・・・、 簡潔で分かりやすい。≪世間=非自由≫と割り切って、沈み込まないように意識をしてきた。
 しかし、次の 佐野洋子の「私の猫たち許してほしい」の文章に出会い衝撃を受けた。
【 ある時、通りの下から二人の女の声が聞こえた。一人は相手をたしなめているようだった。 もう一人はその人よりも若いらしく、
 とぎれがちにいいわけをしているようだった。 ずいぶん長い間、ひそひそと立ち話をしているけれど、ことばは聞こえなかった。
 あるいは二十歳の私には、水商売の女の人たちの話に興味がなかったのかもしれない。
「あなたそんなことをしていると、世間が狭くなるよ」ということばだけがはっきり聞こえた。そしてあとは静かになってしまった。
 私は、「世間が狭くなる」ということばを初めて聞いた。「世間」ということばが、私の知っている「世間」ではない様子をして、
 ありありと私に見えてきた。 私には、「世間」というものは、目に見えないものであった。漠然と私をとりまいているものであり、
 少し古めかしい、少し私を束縛するものであり、とりはらいたいものであった。その時はじめて、私は‘世間というものが、
 一人ひとりの生きている人間のつながりである’ということを理解した。】 が具体的で分かりやすい。
  これからすると、世間を否定することは人間を否定することになる。
   (字数の関係でカット2010年10月19日)
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2007年10月19日(金)
2390, インターネット社会の凄み        オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
連日のようにインターネットを介在したサイト犯罪が話題になっている。
自殺サイトの自殺依頼による殺人、見知らずの男がサイトを介在して集まっての殺人事件、円天というネズミ講の
応用の詐欺もサイトを巧妙に利用したものである。「フラッシュ・モブ」という新しい現象も起きている。
インターネットを通じて広く呼びかけられた群集が公共の場に終結し、あらかじめ申し合わせた行動を取る即興の集会。 
  (字数の関係でカット2009年10月19日)
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2006年10月19日(木)
 2025, 「私」のための現代思想  −13       オッ(*^○^*)ハ〜
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、最初の「超越確実言明」
を行うということです。簡単に言えばー「私}を認める者の存在ーを通して《私》になる。
その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。両親によってタップリ愛情を注がれた子は、
初めの出会いで、その存在基盤が強固になるのである。その基盤の上に「超越確実言明」が成立し、《私》は
強固になっていくのです。両親の愛、特に母親の愛は《私》の基盤を決定する。「ごうの虎」の年に生まれた人は気が強い!
という言葉を聞かされて育った女性が、それが「超越確実言明」になってしまえば、気が強くなってしまうのも当然である。
代々婿取の家系での長女で、A型で、ごうの虎年生まれで、男子高校を卒業で、中途半端な短大卒で、両親にタップリ愛情を
注がれて育った、ときた分には、亭主としてたまったものでない。誰の話??何の話??強固の《私》の基盤の人の実例の話。
 −−−
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味−?
  *「共振」のエネルギー −
私たちにとって<他者>とは、私たちが<出会い>を経験したすべての人たちです。 私たちが出会い、その存在を知りえた相手は、
それがたとえ直接には顔を見たことのない人であっても、既に亡くなっている人であれ、「私」にとっての<他者>であり、
この「私」の存在を引き受ける者となりえます。出会いのあるところ、多かれ少なかれ、必ず共振が発生します。
そして、それによって《私》にエネルギーが与えられます。このエネルギーは、消費されない時は、「私」の内部に滞留し、
消費された時には、「外部への振動」となってあらわれます。人は、生きている限り、共振しつづける存在です。
 *「私」が《私》となる瞬間 −
初めて母親の声を聞いたとき、「私」が個体としてこの世界に生まれてきて初めて「私」=《私》は
「私は私が母の声を聞いたことを知っている」という「超越確実言明」を行います。
これは、言明の正しさの基礎となる「超越確実言明」のうちで最初に発生するのが、
「私が存在する」ではなく、「ある他者が存在する」であることを意味しています。
そしてこのとき同時に、《私》の存在の基盤が与えられます。それは、「私」が《私》になる瞬間です。
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」です。
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、
最初の「超越確実言明」を行うということです。「超越確実言明」の強度は、論理的な正しさによるものではなく、
「《私》の存在」の強度に支えられています。そして「《私》の存在」の強度は「<他者>による引き受け」によって
その力を増していきます。頑健な「超越確実言明」の上には、堅牢な「論理」を構築することができます。そのようなとき、
その論理によって構築される<言葉><価値><物語><世界>は、頑強な「個別の正しさ」を持つことになります。
 * 弱い「超越確実性言明」−
逆に、<他者>によって「厚く引き受けられない」とき、「《私》の存在」は強度を弱め、
「超越確実言明」も弱いものとなっていきます。そうすると「超越確実言明」を基盤として、
その上に<価値>や物語>をつくり上げることが難しくなってしまいます。
前に書いた、「仮面」を思い出してみてください。仮面と、その下の顔の関係です。
「仮面」が役割であり、「その下の顔」が「私は〜である」という形式の「超越確実言明」です。
芝居を上手く演じるには、ある程度その「舞台」、つまりは<世界>に
没入しないと上手くいきません。「没入できる」ということは「戻ることができる」ということが前提です。
(字数の関係でカット2010年10月19日)
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2005年10月19日(水)
1660, 「人生の実りの言葉」          読書日記
「中野孝次」著の「人生の実りの言葉」がよい。その冒頭の「愛」についての言葉が胸に突き刺さる。
愛について、これだけ解りやすくストレートに語っている言葉も珍しい。 
 ーまずは、その一説を書いてみる。
 (字数の関係でカット2013年10月19日)

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